支部制発足の先駆けとなった西区保険薬剤会の設立
 昭和50年の秋、県薬会館で理事会が終わったとき帰ろうとしましたら、たまたま県薬におられた藤田胖先生(県薬常務理事)に呼び止められました。

 何事かと思いましたら、そろそろ処方箋応需のためには、勉強会を開く必要があると思いますよ。というお話でした。これは前年に処方箋料50点(医薬分業元年)という大幅な引き上げがあったからです。

 私もすぐに賛成しました。その後いろいろ打ち合わせをして、西区保険薬剤師会(旧西区で、現在の早良区、城南区を含む)を立ち上げることになりました。そのとき会長は藤田先生で、私は会計を担当しました。会費は月額2.000円。

 昭和51年の1月から昭和52年の3月まで、毎月1回の勉強会を行い、講師は主として開業医の先生で、処方解説をしてもらいました。参加者は西区以外の先生を含めて50〜60名でした。

 この勉強会の成功が、翌年の支部制創立の引き金になったのです。支部単位で勉強会をすべきだと。ただし、理事会ではいろんな意見が出ました。支部長は誰が選ぶのか、市薬会長の任命に制してはどうか、支部運営費は市薬が持つのか、会費制にするのか、極端な意見としては、支部制にすれば市薬の仕事が無くなるのではないか等など。荒巻副会長からは、中2階制度と称して支部長は任命制にする。支部運営費も市薬が持つという意見もありました。紆余曲折しながら現在の制度になったのです。(文責、藤原)