一週間分業とは何であったのか その2
 福岡市薬剤師会の対応

 福岡市薬剤師会の対応と対策も大変なもので、事前準備に、執行部はもとより各支部・部会を挙げての取り組みであった。詳細は以下の通りである。なお、この時代医師たちが医薬分業に対しどのように考えていたか、時代背景を含めて「特別寄稿文」を読めばよく理解できる。

 部会連絡協議会開催 昭和53年6月17日  (会報第1号より)

 第一次処方せん発行運動(一週間分業)について

 一週間分業に就ては、色々批判は技きにして、日薬、県薬ともに全面的に受けて立つ様決定しております。市薬においても今後市医師会との協議(六月二十二日)の結果により、尚流動的ながら、実施される場合の対応につき協議の結果、色々具体策をきめて居ります。部会長はじめ各保険薬局の全面的な協力をお願いします。

一、保険薬局の分布図作成
二、各部会毎に保険薬局が協力して近隣の医師を訪問、一週間分業、その他につき懇談し実施する医師、しない医師を確認する。
三、実施予る医師に対しては、使用薬品の貸し出しや、使用薬品のリスト、等を出してもらう様話し合う。
四、保険薬局自身も、処方せんを受け入れるか否や意志決定す。
五、部会毎に各科別の基幹薬局を決める。
六、受入れ保険薬局は「ポスター」を表示する。
七、備蓄外の処方せんを受けた時
 (イ)近隣の保険薬局に問合せ
 (ロ)調剤専門薬局へ問合わせ
 (ハ)問屋に発注する
 (ニ)それでも不能の場合は、患者によく説明して(口頭でする)。発行医に調剤してもらう。
 その他、市薬としては市医師会、問屋業界との接渉に全力をあげてあたります。今回の一週間分業が、本来の分業推進の絶好の機会と考え、多少の無理は覚悟の上で前向きに受け入れを実施して頂きたいと考えます。


 勤務部会より協力  (会報第1号より)

 所謂「一週間分業」に就て勤務部会より特に強力な協力が得られる事になりました。
(イ)薬剤面会館内に「臨時DIセンター」が設置され有能な諸兄に常駐して頂いて、会員の諸要望に応える事になります。
(ロ)九大、福大等より研修生を約ニ十数名調剤協力員とし待機させ、開局者へ調剤応援に派遣すべく準備して頂いています。


 一週間分業報告記             専務理事 古賀 隆  (会報第2号より)

 六月は医師会の所謂一週間分業宣言により大多数の保険薬局は使命感にもえて、対策に終始した月でありました。そして七月の第一週の本番を迎えたわけですが、この間、市薬の主な対応、経過は次の通りでした。

 結果は予想された程の混乱、苦情もなかった代りに発行枚数も微々たるものでした。反省点も多々ありますが、しかし市薬並びに会員の積極対応姿勢は今後を期して大きなブラスを残したと思います。処方せん発行は今後必ず促進されると思います。全保険薬局が協調して真剣に受入態勢の整備と調剤実務の修練にとりくんでおかねばならないと考えます。

 今回終了後、直ちにアンケート調査をしました。その集計は別表のとおりです。市薬側に対する生の声をたくさん聞かせてもらいました。又医師側に対する意見も数多くよせられ、これはありのままを医師会に伝えました。大変参考になると卒直に受けとっていただきました。今後は区、支部段階での話し合いもやっては、との意見も出され一層きめ細かな対話と交流が可能と思います。

○六月五日   県薬より一週間分業について文書
○六月六日   全国紙につぎつぎ大きく報道される
○六月九日   市薬、関係者緊急理事会を開催、対策協議月間丁100枚以上の保険薬局につい
        て、薬品備蓄一覧表作成送付を依頼
○六月十三日  常務理事会開催。全保険薬局に文書発送、保険薬局名簿作成
○六月十四日  卸屋との懇談会、分業につき協力要請、十社及び薬務課週出席
○六月十七日  理事会、支部長会、部会連絡協議会開催、保険薬局分布図作成、受入要項説
        明、ポスター他文書を部会長を通じて配布、この日支部結成式典を行う
○六月二十二日 薬局委員会開催、調剤薬局備蓄薬品一覧表作成作業
○六月二十二日 市医師会と協議会 (会長、副会長、専務)
○六月二十三日 保除薬局説明会(中央支部)、調剤薬局備蓄薬品一覧表作り(薬局委員、社保
        委員)
○六月二十四日 保険薬局説明会(博多、東、西、南支部)、調剤薬局備蓄薬品一覧表作り(薬
        局委員、社保 委員)
○八月二十六日 一週間分業に参加の保険薬局名調査と名簿作成、保険薬局近隣医院訪問開始
○六月二十八日 卸屋との懇談会(二回目)、十社出席
○六月二十九日 市医師会との協議会
○六月三十日  近隣医院訪問状況調査
○七月一日   調剤薬局備蓄薬品一覧表を部会長を通じて保険薬局に配布
○七月二目   西日本新聞朝刊に一週間分業について市薬の広告掲載
○七月三日   処方せん発行週間に入る。市薬薬品センタヘー開設
○七月六日   市医師会と協議会(中間情勢把握)
○七月八日   処方せん発行強調週間終わる。


 薬局委員会より     常務理事 薬局委員長 白木 太一郎  (会報第2号より)

 一週間分業の対応策として薬品センターの開設と備蓄薬品リストの作成ならびに配布を行ないました。期間中の薬品センターの利用者は二十六人で、八十二品目に達しました。

 備蓄薬品リストは、保険調剤の実績の多い六十人の会員に各自の備蓄薬品リストを提出していただき、薬局委員会、社会保険委員会の委員を中心に、資料整理の作業をしました。七月三日に間に合せるために大急ぎで作ったので、記載順などが不同でした。そこで休日急患委員会の委員の方々の応援を得て、改訂作業をしました。延べ時間1.092 時間を要した膨大な作業でした。

 ご協力いただいた力々、特にリスト作成作業にご協力いただいた方々に、厚くお礼申しあげます。なお、リスト作成作業にご協刀いただいた方々は、次の通りです。(順不同、敬称略)

 (理事)
 藤野義彦、荒巻善之助、富永泰資、古賀隆、高倉博、成沢哲夫、有田俊雄、松井昌也、
 白木太一郎
 (社保委員会)
 井原俊一、高杉正典、西森基泰、本川栄、村田正利、大庭秀臣
 (薬局委員会)
 磯田正之、西村稔、小野信方、式町正信、岩永栄次
 (急患委員会)
 篠崎正十郎、木原三千代、安藤満夫、木村英樹
 (病薬)
 松岡佑、飯野常高

 第一次処方せん発行強調週間アンケート集計表  昭和53年9月15日 (会報第2号より)

 53.8.10現在
 支部部名  保険薬局  参加薬局  回答数  回答率%
 東      34     25     28     82
 博多     67     52     49     73
 中央     72     51     56     78
 西      71     64     49     69
 南      37     36     28     76
 合計     281軒    228軒    210枚    75%

 [設 問]

 1.今回の一一週間分業に
     参加した 159      参加しなかった 51
 2.今後行なわれる場合
     参加する 146   参加しない 2   分らない 62
 3.一週間に受付けた枚数(但し、歯科並びに従来より受付の枚数を除く)
     計 663枚
     近隣医から 582枚     他地区医から 81枚
 4. 主な発行医院
      内科・小児科  27    婦人科       5
      外科       4    クリニック     3
      耳鼻・眼科    8    その他・科不明   14
      皮膚科      5    合計        66
 5. 今後引続き処方せんを発行すると思われる医院
      ある  25    ない  90
 6.この一週間DIセンターを利用
      した   8    しなかった  98
 7. 備蓄薬品について主な順位を( )に記入して下さい
 A 医院より借用又は買取った( )……@ 8  A 8
 B 調剤薬局より分割してもらった( )……@ 14  A 5
 C 市薬の薬品センターを利用した( )……@ 3  A 7
 D 問屋から仕入れた( )……@ 39  A 18
 E 殆んどの薬品は備蓄していた( )……@ 33
 F 備蓄依頼なしに処方せんが出されて拒否せざるを得なかった( )……3
 G その他( )近隣で融通しあった
 8. 期間中トラブル、苦情、困ったこと、その他意見を記入して下さい。

 [薬剤師師会に関するもの]

 ・保険薬局備蓄薬品リストがためになった
 ・市薬薬品センター-の備蓄薬品リストを知らせでほしい
 ・市医師会、歯科医師会の名跡をコピーしてせめて部会に一冊配布しておくべきであった
 ・全保険薬局の今度の対応についてディスカッションをやってもらいたい
 ・薬局からの小分け要請2件、電話予約なしに来局されたところあり、電話で紹介予約してから来てほしい
 ・薬品センターこ備蓄がない薬品で困った
 ・市薬も大変よくされたと思う。当仁、貴子では保険薬局の所在地図と処方せんを持参して喜げれた
 ・保険薬局でありながら今回参加しなかったところは取消しの処分をすべし
 ・問屋が間違ってきたもので開封したものは何とかならないか
 ・今後この様なことがある場合、ドクターと我々の部会を合同で開催するか、上層部で話し合いをもっと煮つめてからにしてほしい。ドクターもとまどっている人が多い
 ・店に薬剤師ぶ2名ほしい。常に薬剤師在店が必要だし、1人では今後の分業受入体制に無理があると思われた
 ・近隣医の発行の意志確認ができなければ薬品の常時備蓄は不可能。会営の備蓄センターを兼ねた調剤薬局を希望する
 ・トップレベル(医師会対薬剤師会)のキレイ事は地区の実情に適合しない面が多く、その辺の実情を充分考慮して対処してほしい
 ・医師は患者が処方せんを下さいと云えば今後とも出すとのこと、市薬として新聞他もっと国民へのPRを考えてほしい

 [医師会側に関するもの]

 ・調剤専門薬局4軒に問合せてもない薬の処方せんが来て結局その医院に貰い行き配達したが非常に困った
 ・医院より前もって、処方せん発行薬品リストが得られず、備蓄がなく患者を待たせることになり迷惑をかけた
 ・近隣の医院に処方せんをもって訪問したが反応は殆んどなかった
 ・分業を前向きの姿勢で考えていこうという約束を得た
 ・2〜3医院を廻ってみて結局処方せんを発行するようになるにはまだまだ時間がかかると思った
 ・医師を訪問して門前払い的扱いを受けた
 ・医師会の考えが医師個人に全く通じていない。医師会はもう少し会員指導をしてほしい


昭和53年9月15日 会報第2号

◆ 医薬分業に思う ◆

福岡市医師会 中尾小児科医院 中尾 睦

 医薬分業、いつ頃から喧しく叫ばれるようになづたのだろうか、そしてその本意はどのようなところにあるのだろうか。外国の、いわゆる先進国といわれるところでは医薬分業であると、また医薬品を安く仕入れて、決められた薬価基準にもとづいて高く売ることで医者は儲かっている。医者本来の利潤を求める姿と違うからけしからんと、殆んどそれ以外に現システムを反対する理由がないようである。

 ひごろ診療の場で、ときどき患者の数が少なかったりするとひょいと利鞘が多い薬を使うかなどと助平根性が頭のすみっこをよぎることもあるし、再々訪れるプロパー、が名刺にチョイチョイとメモしてヒソヒソ声で話しかけてくるのに遂々耳を傾けることも、正直いって度々あることである。セポールやケフレックスが出たら極安の国産品が続々出現、アンピシリソは全く競争でダンピング。

 これ以上のダンピングをしたらお付き合いはしない、各社話し合って、後はクジでゆきましょうと当方より言わねばならないほど。売手と買手で買手はより安い方がよろしいし、次にそれを押し付けられる側はやはり安い方がよい。なかでいろいろあることが槍玉にあげられるらしい。だんだん是正されてゆくのだろうが。私ども小児科領域では本年二月の薬価改正で収入は10%のダウソという。年間収入の10%減の金額を想像するといささかうんざりする。

 が薬で儲かるのはやはり医者として不本意であるので、投楽ー調剤が医者側であろうが、薬局側であろうがいずれでもかまわない。その時の状況に全く合わせるべきであると考える。プロパーに、次にダンピング合戦が薬局で起らないだろうかと問うてみたら、院外処方せんの場合医者は一流品を使おうとするから、それはあるまいという。薬局側の事情もあることだから医者もそうばかり、すまし顔ではおれないと思うが・・・

 今回の院外処方せん発行強調週間では”不便である”という理由が、最も大きなブレーキであった。予測できた至極もっともな理由である。小児科的な小視野でみると病人をかかえて、もう一軒歩かねばならないとなると私ならずともうんざりする。従ってごく近くに、或は帰り道にというケースにのみ限られる。現状では仕方ないことだろう。

 友人が外国で子供が痙攣をおこした時、訪れた医者はくわしい病歴をきき、診察をしてくれて、処方せんを書いてくれたという。痙攣を止めてくれと頼んだところ、救急車を呼ぶから市民病院に行くように指示したそうである。その時心細さもあって、友人はその医者を殺してやりたい気持になったそうである。日本でも完全医薬分業になれば、診療所では注射薬をふくめて薬を置かないということで、いづれそのようなケースが生じてくることだろう。長い間日本で続いてきた、薬をひとつの手段とした人間対人間の暖か味のある関係は全くなくなることだろう。

 なぜ医薬分業を完全実施させねばならないのだろうかと素朴に考えてみる。昔から肌にしみこんだ日本の風習を、わざわざ捨てさるのは馬鹿げているように思う。外国の良い風習、システムはどんどん取り入れてきたし、今から先も真似てゆくだろう。が外国かぶれは止めたいもの。外国で過した人達は、そろって医療費の高さ、医者のかかりにくさ、不使さを悔んでいる。薬による利鞘が問題ならば、政府のレペルで価格を凍結すればよろしい。そして、同系列の薬品の乱発をはっきり禁止すればよろしい。この際、薬品メーカーと関連行政機関、さらに政府との癒着は、是非とも切り去って欲しいものである。

 医師法によると処方せん交付は、それを求められたとき断ってはならないことになっている。医薬分業は現在すでにおこなわれているし、希望さえあればいつでも処方せん発行の準備はできている。もし私のところで100%の院外処方せん交付ができたら、少なくとも四ー五人の従業員を減らすことができる。保険請求明細書作りも至極簡胆であるし、保険審査を気にしながらの診療もしなくてよい。大へんなメリットであることは重々わかっているが、患者また心配をかかえた家族側にたって思うに、二の足をふまざるをえない。隣とか前とかに薬局があったらなどと勝手なことを考えてしまう。

 先頭をきってマスコミが、次いで社会党、総評など医薬分業をと、がなりたてる。この際、それらの人々に本当に分業にしてしまってよいのか、個々になった立場でも言えるのか、言ってしまってで本人や家族や周囲の人々は、お困りにならないのか、逆行することがありえないとして遠い将来にわたって、責任をもつと言えるのかを、もう一度おたずねしたい気持ちである。


◆ 医薬分業の問題点 ◆

福岡市医師会 岩隈内科医院 岩隈 博義

 医薬分業に関する論争は明治二十年以来、燃えあがっては消え、消えたかと思うとくすぶり出す論争であった。そして昭和三十年八月に改正された医薬分栗関連法案では一応、医師の処方権、薬剤師の調剤権を原則として認めながらも、一方医師の調剤権を認め、特に患者はその好むところに従って医師からも薬剤師からも自由に薬を貰えることを定めたことによって、正に民主的な「任意的医薬分業法」ともいうべきものとなっている。これがその後二十余年を経過し、日本の社会に定着したものとなっている。

 今次の医薬分業問題の再燃は、健康保険の支払側関係者が、医療費の増加は薬剤費に原因があるとし、これの圧縮を目途として打ち出した方策であり、これに厚生省が同調し、薬剤師側はむしろこれに便乗したともいえる。

 医薬分業の理論を端的にいえば「医師は診断と治療を行ない、薬は処万せんを出し患者はこれを薬局に持って行き薬を受けとる」という至極わかり易い事実であるが、これが長期間解決の出来ないのは結論的にいえば、何等国民に対する指導と施策を行なっていない厚生省と薬剤師側の努力の不足といわねばならない。

 然しながら医療行為を経済的に正当に評価するためには物と技術を分離することが前提であるのが、医薬分業である。近時医薬分業に対し医師の側にも薬剤師の側にも真剣に取り込む態度が認められるのは一歩前進ともいえる。しかし、医薬分業賛成論者の主張を要約すれば、医師釧は、一、潜在技染料の低下、二、入手不足と人件費の高騰、三、貯蔵薬品の管理の面倒さ、四、保険請求明細書記入の繁雑等を防ぐためであり、薬剤師側は、一、調剤権の確保、二、企業の安定化、三、薬剤の追求調査、潜在的な薬物の相互作用、副作用のダブルチェックが可能で安心でいわゆる調剤の安全性の確保が出来る等である。

 一方厚生省や健康保険支払側の主張は、健康保険の赤字解消の一環としての考えからである。しかし患者側のメリットについては何等言及していない。そこに大きな開題がある。医薬分業によるこれまでの医師と患者の信頼感のうすれ、診療所で処方せんを貰い、さらに薬局に行き薬を貰う不便さ、特に天候不順の時、夜間、近くに薬局のない時など然りである。

 さらに経営面からしても患者の支払いはコスト高となる。例えばケフレックス二五〇mgカプセルを二日分貰う場合(家族)診旅所で投与を受ける場代再診料、薬剤、処力料で二四〇点窓口支払(三割)で八二六円、処方せんを貰い薬局で投薬を受ける場合、診療所にて再診料、処方料、処方せん料一一八点、窓口支払(三割)三九三円、薬局にて薬剤及び薬剤料一八一点、窓口支払(三割)五四三円、合計九三六円となる。

 結局処方せんによって投薬を受ける場合は診療所で投薬を受けるより一一○円の負担増となる。このことは時間不使さを増したうえ経済的でも不利であることはおかしい。医療は常に患者のうえにあらねばならない。現段階では家族の場合、特殊の事情の時以外では処方せん発行は小利である。

 近頃、保険者が全面処力せん発行を希望し、一部処方せん発行をきらっているが、こんな意味から、現在では一部処方せんしかのぞめないのは当然というべきである。医師と患者の信頼関係がそこなわれ、国民医療の開題を悪化させることは極力さけねばならない。要するに、まづ調剤薬局の適正な配置と、患者の経済的負担の問題を解決しないかぎり、全面的医薬分業の成果は望めないだろう。