通 史 大正編 日薬−県薬−市薬

 大正2年(1913)薬剤師試験規則改正

 大正11年まで実施猶予期間。修業年限3ケ年以上の薬学卒業生を試験対象とし、薬剤師の資質の向上をはかる。

 日薬会長は、福岡市須崎土手町 平島 稔を日薬専務委員に嘱託した。

 大正3年(1914)第1次大戦おこる

 売薬法制定公布

 政府は医療を医師の診断、薬剤師の調剤おいたが。売薬は無効無害主義をとった。また、直接税の上に間接税をかけた。大正15年に売薬は簡易治療剤、医療補助剤となったので間接税は廃止された。

 日薬会長に丹羽藤吉郎が就任し、分業推進派の執行部となる。


 日本薬剤師会福岡県支部発足(明治34年および40年の項との関係不明)

 支部長 酒井甲太郎
 事務所;本村薬局(九大附属病院正門前 鶴原薬局?)福岡市上店屋町
 遠藤勝熊方(日本薬剤師会史より)

 大正5年(1916)第37回国会へ分業法案提出 審議未了

 ◆芝八事件おこる

 東京芝区医師会が4人の偽装客を使って7軒の薬局で症状を告げ、提示された売薬をことわり強いて求めて混合調剤をさせた。これを無処方調剤薬律違反として告訴した事件である。

 全国各地でも医師会薬剤師会の分業闘争に派生した事件が相次いだ。大正8年に「作為的に犯罪を誘発した、即ち実在しない患者の虚構の疾病」のため無罪が確定したが、混合調剤販売そのものは薬律違反(第14条)と断定された。しかし行政当局はこの判決と相反する見解を示し、のちに薬業者とともに法文化に努力した。

 ◆県内でも混販事件発生

 大正6年(1917)分業期成会結成

 大正7年(1918)女子薬剤師会設立(6月23日)明薬出身女子薬剤師による

 大正8年(1919)医、薬の妥協工作不調

 薬系出身の3議員によって後藤新平内務大臣があっせんしたが、日医側は「企業は法律によって強制すべきものにあらず」と基本路線を明確にして反対した。

 日薬会員数 4.165名 

 九州薬剤師大会、決議文を日薬会長へ「…日薬の妥協工作に明瞭性を欠く点があるのは遺憾、初心を貫徹せよ」

 福岡県支部会員数(159名)

 大正9年(1920) 日薬第27回通常総会

 4月11日福岡市九大医学部皮膚科教室。福岡開催については当初日薬は躊躇したが、福岡支部はたまたま福岡市で工業博覧会開催中でもあり、九州薬剤師会の決議をもって酒井支部長が再三上京し、強引に日薬を説得して実現した。

 大正10年(1921)誤薬による少年致死事件

 横浜市の開業医院書生が「塩酸キニーネ」カプセルを投与すべきところ「硝酸ストリキニーネ」カプセルと誤り、少年を瞬時に絶命させた事件である。中央日刊紙社会面は連日報道したが、日薬も分業の必要性を国民に訴える好例として宣伝活動に入った。

 大正10年(1921)福岡市開局薬剤師会設立総会

 会長 内田嘉一郎

 大正11年(1922)全国各地で分業宣伝講演会開催活発化

 福岡市にコレラ流行。開局薬剤師、福岡市橋口町(現在の電気ビル)において、消毒薬の調整を担当し活躍する。

 大正12年(1923)関東大震災(9・1) 日薬事務所罹災

 浅草公園に仮事務所を設置するとともに無料調剤所を開設、救護活動に力を入れた。医薬品の不足に悩んだ様子。

 大正14年(1925)薬剤師法、薬剤師会令公布

 「薬剤師は医師、歯科医師または獣医師の処方せんにより調剤をなすものをいう。薬剤師は薬品の製造および販売をなすことを得」が前者の要点。ただ同時に審議された薬品法中
 「相手方の指示する薬品の種類分類に従い調合してこれを販売または授与することを得」−いわゆる混合販売は、医師会が「対症投薬の弊を助長し、医権を侵害する。また疾病の診断を誤らしめ、治療の機を失し…と強調。

 日薬が「薬品法」を見送る情勢になったときは悲愴そのものであったという。

 大正15年(1926)公法人日本薬剤師会発足(11・3) 第1回公法人日本薬剤師会総会(12月13〜14日) 売薬税撤廃

 売薬税は低所得者層に課する疾病税で絶対廃止すべきであるとした。

 健康保険法誕生ー昭和2年より実施、これまで鉱業法、工場法によって萌芽を見せていたが、業務内外の疾病、負傷、死亡、分娩を含め単一の保険とした。ただし家族給付はなかった。日医は政府部内で検討段階にあったとき運動を開始し、立法と同時に団体自由選択主義による診療契約を締結した。

 日薬は新制度に対する見通しが甘く、分業主張の絶好機を逸した。その後分業制未採用のまま「健康薬剤支給契約」を締結した。

 福岡県薬剤師会発会式(7・18) 設立委員長 本村巳之吉 福岡市西中洲 第1公会堂

 第1回定時総会 会長 白水象次郎 副会長 水田 栄、西山 貞  事務所 福岡市天神町 徳島薬局

 (大正15年8月1日発行の会報第1号によると、本会事務所は従来福岡市橋口町篠崎薬局に設置せしも、都合により移転せりとある)