通 史 昭和50年(1975) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和50年(1975) 5月5日号

 福岡市薬 代議員会・総会 
 日薬・県薬の基本方針にそい 薬剤師職能の確立などを推進

 福岡市薬剤師会(斉田和夫会長)は第二回代議員会並びに総会を四月一九日(土)午後一時より福岡県薬剤師会館で開催、正副議長の選出、五〇年度事業計画などを決めた。当日の会議は、代議員会総会、会員懇親会の順に、代議員二二名のほか一般会員等合せ約六〇名が出席して終始熱心な討議が行われた。

 代議員会は西森常務理事の司会により進行され、まず国武副会長の開会の言葉があって、斉田会長は挨拶にたち、分業関係で「昨年一〇月の医療費改正により処方箋の発行が大幅に伸び、昨年三月と本年三月を比較してみると、福岡市においては枚数、金額とも二倍になり進度としては良好である。

 市薬としては市医師会、地域の医師会部会、各科別医師会との話し合いを積極的に進めている。なお市薬に今回、分業プロゼクトチームを造り医師会との対処研究を行っている。分業は保険薬局とその近くの医師と話し合いを進めてゆく事が一番近道である。そのためには市薬として出来る限りの援助をしたい考えで前向きに取り組んでいる」と述べた。

 次いで来賓として@福岡市長進藤一馬氏(代読・博多保健所長今村英夫先生)A福岡県薬務課長岩橋孝氏B福岡市議員久保田秀巳氏、山崎広太郎氏、河原由明氏C福岡県薬剤師会長野義夫会長より祝辞があって、議長・副議長選挙のため仮議長に馬場勘二氏を推し、選考委員制により別室で選考の結果、議長に大隈次郎、副議長に村田正利両氏を選出、満場一致で可決した。それより新正副議長により議事に入ったが、そのおもな内容は次のとおり。

 ▼報告事項
報告第一号…昭和四九年度会務並に事業報告=荒巻専務理事。
関係団体の事業概況報告…@学薬=福岡市学薬会長馬場正守A病薬=福岡市薬副会長白勢栄治B女子薬=福岡市女子薬会長江口春子C協同組合=同理事長須原勇助。
報告第二号…第30回(臨時)第31回(通常)福岡県薬剤師会代議員会出席報告=白勢副会長。

 ▼議決事項
議案第一号…昭和四九年度歳入歳出決算認定の件=竹尾常務理事。
議案第二号…昭和五〇年度事業計画決定の件=国武副会長。
議案第三号…昭和五〇年度会費決定の件=竹尾常務理事。
議案第四号…昭和五〇年度歳入歳出予算決定の件=竹尾常務理事。
各議案とも熱心な審議が行われたが、いずれも原案通り議決決定。その主な内容は次のとおり。
▽歳入歳出それぞれ二一、三九五、八二四円(前年度予算二〇、三二二、四〇九円。同決算二一、二八一、七八三円)

 ▽会費
薬局・一般販売業者三万三千円、薬種商販売業者二万六千円、勤務者その他一万一千円。

 ▽事業計画

 (1)薬剤師卒後教育の組織的強化。
@保険薬剤師の研修基準の作成。
A講習会及び実地研修の組織的実施

 (2)分業応需態勢の具体的推進
@市医師会との接触を密にして協議推進をはかる
A地域受入れ態勢の組織化をはかる。
B委員会活動を活発化して施策の弾力化をはかる

 (3)地域医療への積極的参加
@休日急患センターでの活動の充実化。
A医療チームとしての自覚の高揚。

 (4)業態別薬剤師の職能強化及び地位の向上。
代議員会に引続き開かれた総会では、@還暦者(小野信方、福井正樹、吉村成弘、柏木翔助、早船喜久子の五氏)の祝賀A八〇歳以上の高齢者会員(中村吾一郎、高倉等、小野八十郎、若狭半吉の四氏)に記念品贈呈B優良部会表彰(二一部会)が行われ、盛会裡に五時閉会。終了後、会員懇親会を催し、相互の親睦を深めた。

 分業推進情報 野間部会(福岡市薬) 分業に対する考え方とすすめ方

 昨年の医療費改正以来、各地で分業気運が高まり福岡県内でも調剤専門薬局が二〇軒余許可されているが実際にはいさみ足であったり、一歩後退するなどのケースも現れている。地域ぐるみの分業実施については、各地で既に努力しているものの具体的な実施に至ってないのが実状である。

 特に都市部においては地域分業が実現でき難いとの定評があるが、福岡市内の野間部会(大黒隆男部会長)では、部会がまとまっていることもあって、昨年から六軒の保険薬局が三年後の地域分業を目標に、医師の隣組との対話に入っており、地域的に二軒の受入薬局の新設費用も含めた別途積立ても始めている。

 同部会の大黒部会長は「分業に対する考え方と進め方」について概略次のように語っている。私は以前から会の部会に対する考え方として、上意下達だけでなく、個々では大したことはできないので部会自体の活動が最も必要であると思っていたのでその基礎作りに努力して来た。

 分業についても四年前から三師会で夕食会など実施してまず親しみをつくることにし、対内的には昨年から保険薬局部会(六軒)を二月に一回位開き(この地域では日和見的医師が多くマンツーマンは困難と判断)、地域分業を推進することを承認、医師の隣組と話し合いを実施してきた。

 医師との対話の骨子は
@三年を目標に受入れの整備をするから医師サイドの分業受入れ薬局の新設をさけ、保険薬局に対する要望をドシドシ出して欲しい。

 A医院側の薬品在庫を消費した時点で分業を実施しよう。

 また内面的には
@別途積立をして二軒の保険薬局を新設、平均三〇〇メートルに一医院、二〇〇メートルに一保険薬局で、患者に不便をかけない配慮と、保険薬局が均等に受入られる体制にする。

 A備蓄については繁用薬は各自で揃え、希用薬品は地域的に便利な四薬局が最小包装をそれぞれ品種を分け、例えば100品目ならば、二五品目ずつ備蓄して会員の便宜をはかり、備蓄所を設置する無駄な費用をはぶくなどの具体的な計画もすでにできている。つまり財政的な基盤を作る間に根廻しをするという考えで、来月からは一医師と近くの薬局グループとの話合い(マンツーグループ)に入り、今年の秋頃までに医師との話をつめ、30%〜40%の医師の賛意が得られれば踏み切りたいと考えている。

 一般大衆へのPRもその時期が来れば、具体的方法の第一段階としてこの地域の医療機関と保険薬局の分布地図を作成配布するなど計画はすでにできているが、現在はまだその著についたばかりである。
以上のような計画で、実際に進めばさらに接衝の段階でいろいろな問題が派生すると思われるのでその時点で話合って推進したい。分業は根本的には、財政的裏付けがなくては何もできないこと。自分だけいい子にならずできるだけ均等に受入れる体制にすること。などで常々部会内で協力し合い、しっかりまとまった基礎作りがあってこそ地域ぐるみの活動ができると信じている。

 なお、同部会は福岡市の南部新興地区で、交通の便もよく、薬局九、一般販売業者七、薬種商二、医療機関は公立病院一、一般開業医一九、歯科九。(渚)

九州薬事新報 昭和50年(1975) 5月15日号

 適配の消滅と今後 隈治人 長崎県薬剤師会会長

 1 適配の消滅
薬事法の適配条項に最高裁の違憲判決がくだり、十二年間にわたった薬局薬店の配置規制は、ここにあえなく崩壊した。薬業界一般には、あるいは青天のヘキレキとも聴こえたことだろう。一部消息筋では、この判決をなかば予測した向きもなかったわけではない。ともあれ小売薬業の適配はもはや事実上消滅したものと受け取るより外はない。

 いまさら死児の齢(よわい)を数えても、などという人はすくなかろう。おそらく多くの薬業者たちが未練がましいことをいうに違いない。私も未練をいいたい人間の一人であるが、もう未練をいったってどうなるものでもない。三権分立の国家では、司法権の頂点に厳然として立つ最高裁の判決は、いわば至上命令に等しい。国民としてこの判決に黙って従うより外はない。未練や繰りごとをいっても始まらない。

 2 十二年間の生活防衛線
事ここに至ったのであるから、むしろ我々としては最高裁の判決を天の声として聴くべきだと思う。人、あるいはいうだろう。広島県のスーパー某が提訴さえしなかったなら、提訴しても途中であきらめてくれさえしたら、または何らかの形式で当事者間の妥協が成立し得なかったのか等々。例えていうなら、アリの一穴が大堤防を決潰させたに等しいが、それにしても大堤防が崩壊した事実には変わりようはない。

 確かに適配は弱小な小売薬業界にとっては大堤防に等しい防衛線の役割を果たしてくれた。この堤防があったればこそ、スーパーの弱肉強食作戦もすくなからず挫折させ得たのであるしそれと同類の特定メーカーの小売進出攻勢にも効果的な歯どめをかけることができたのである。その代り、当の創案者であり法案成立の中心人物でもあった高野一夫氏は政治生命を失うという悲劇的な結末に終った。

 このような薬業史上にも例のすくない恩恵をもたらした業界代表の政治家に対し小売業者は酬いる熱意も実力も不足していたのである。いま適配が潰れたということ、現象的には偶然の要素の濃ゆいアクシデントのようには見えても、要は薬業界の実力の弱さが、このような結末を招いたといってよいだろう。アリの一穴からくずれたように見えても、すでに幾たびかの雨が降り風が吹き、堤防には多くのキ烈やヒズミが生じていたのである。よくぞ今まで持ちこたえた、という方があるいは適切なのかも知れない。

 3 保護期から成長期へ
適配の消滅によって小売薬業界には相当な波乱が起こってくる可能性がある。まず小売薬業大資本による主要ショッピング・ポイントへの進出、それとまったく同質の特定メーカーによる小売侵食作戦の展開が容易に行なわれ得る素地ができたわだ。けそういう状況の変化によって当然価格乱戦ということも想定しなければならないだろう。これに対しては商業組合の防衛作戦と個々の薬局薬店の対応がどうしても必要になる。乱戦ともなれば資本力の弱い一般薬局薬店は苦しい戦いを強いられる。不況下の価格乱戦は収益の低下と経営の不安につながることは覚悟しておかなくてはなるまい。

 しかし今にして言えることは。適配条例制定時の情勢にくらべると、約十二年間適配と再販という二つの濠(ほり)に守られてきた小売薬業界には、相当の意識の変化と、中堅薬業者の成長という好ましい現象が見られる。約十五年前に突然のように乱売のアラシに遭遇したときのような周章狼狽ぶりを繰り返す必要はないだろう。適配による保護期は終り、再販もむかしほど頼みにはならぬが、小売薬業はこれから徐々に真の自立期に向かっていくだろう。適配崩壊を禍と見なしても悪くはないが、これを福にするか、しないかはわれわれの心掛けと行動次第だと思う。いまは漠然とこのようにしか言えない。

 適配撤廃に考える 金枝正巳 病院勤務薬剤師

 最高裁が去る四月三〇日に示した「薬局の距離制限は違憲」の判決は、全国一〇万人の薬剤師にとり、まさに青天の霹靂ともいうべきものであった。

 想えば、昭和三八年三月二八日、当時、薬剤師会の代表者で只一人の国会議員として各方面に活躍中の高野一夫氏が、周囲の社会環境、世論から、野放図な過当競争を放任しておくことは真の自由経済にあらずとの観点より、適正健全なる薬局業務の育成を目指し「薬局の適正配置」を立法化して以来、一部に異論はありながらも一〇余年の長い間、条例が存続してきたことは、それなりに充分意義があったものと思われる。

 確かにスーパー経営薬局の出現は防止されディスカウント宣伝や乱売もなくなり薬業界は正常な落着きを取戻し、また無薬局地区の解消という所期の目的も漸次果されつつ今日に到っている。大半の良識ある開局者はこの規制に対し謙虚に感謝し、夫々の立場でレベルアップを計るべく努力されていたが、一部に企業保護の特権にあぐらをかき、独占的地位に安住していた人を散見するのは同じ仲間として情ない思いをしたものだ。

 その良い例が過去六年にわたって開催された調剤研修にみられる。毎回、同じ顔ぶれの受講者で、恐らく一回も参加されなかった人が二〇%に及ぶだろう。県薬県病薬幹部の励ましの声も全く効果なしの状態で、この有様で果して薬局の理想的な経営ができるであろうかと心配であった。このような人にはこのたびの距離制限撤廃の措置は大きな警鐘となるであろう。そしてこの措置がこれらの人々を長い間の惰眠から目覚めさせる役目を果してくれるならば、私はこの判決に大いに拍手を送りたい。

 昨年一〇月一日の医療改訂に伴い医師の処方箋発行は日一日と増加の傾向にあり、距離制限の問題も一部の県においては撤廃あるいは緩和の形となって現われつつあった。また調剤専門薬局の開設に当っては県条例も無きに等しい審査が見られるようになった。なおそれでも絶対数に足らないと聞く。石舘日薬会長の「医薬分業の理念と基盤について」にも適正配置条例の再検討の必要性が述べられている。

 医薬分業推進の立場からみれば、このたびの判決は大いに歓迎すべきことだと私は思う。憲法記念日の三日前に、この注目すべき結果が発表されたことも「静かに考えよ」と、天が我々に与えた重大な意義があるように思われる。

 適正配置条例が誕生の頃は薬局において調剤による収入はまだほんの僅かで殆んどが医薬品販売に頼っており、現実は充分にその条例を必要としていた。医薬分業の機運が急速に高まってきつつある今日では、開局者自身、この条例の撤廃はさして痛痒を感じないものと私は考える。安眠にむさぼっていればそこには進歩がない。これからは、技術で勝負をしていかねばならぬ。

 原点に立返って今、我々は医療人としての自覚と誇りをもって、この現実を真剣に認識し、OBも新人も謙虚な心を忘れずにお互いに立派な社会人として信頼し切磋琢磨し合いながら益々の技術向上を目指し努力しなければならない。

九州薬事新報 昭和50年(1975) 5月25日号

 福岡市薬 理事会、部会連絡協議会を開催
 「適配」違憲で今後の方向摸索へ

 福岡市薬剤師会(斉田和夫会長)は理事と新年度初めての部会連絡協議会を五月一〇日(土)午後一時三〇分より、県薬剤師会館で開催した。

 当日は、特に@処方箋応需A今回の最高裁による「適配」違憲判決で福岡県適配条例の即日廃止B薬剤師賠償責任保険加入促進、などに関して報告と検討が行われたが、そのおもな内容は次のようである。

 ▽一般会務報告=荒巻専務
福岡市より本年度は民生行政事業補助金二三〇万円(前年度二二〇万円)、分業対策費として五〇万円の交付を受けられる予定。

 ▽休日急患センターに関する件=荒巻専務
福岡市立休日急患診療センターにおける使用薬品を主体として、医薬品集第一版を出版(九州大学歯学部病院・河野薬剤部長を編集委員長として編集)し、価格千円で頒布中。これを基本として五月二〇日午後一時より研修会を開く、講師は河野九大歯学部病院薬剤部長と吉本第一病院薬局長今後月一回、三か月で修了予定。

 ▽処方箋応需について=藤野副会長
福岡市における処方箋は前年四月と本年四月との対比で、枚数金額とも二倍に増加し進度状況は良好。医師会で医薬分業プロジェクトチームが結成されているので本会としてもプロジェクトチームを結成しすでに二回の会合を開いたが今後とも前向きに取り組んでいく。

 ▽九州中央病院での投薬ミス事件について=斉田会長藤野副会長
同件に関し各自十分な注意を要することが認識され、薬剤師賠償責任保険への積極加入の必要を確認した。なお、西日本新聞(五月七日…医薬分業で大繁盛)の記事は、その内容において我々業界への認識不足の点が多々あることを感じるので早速抗議した。今後日刊紙の啓蒙を積極的に取りあげる必要がある。

 ▽薬局等距離制限廃止に関する件=斉田会長、藤野副会長
このたび適配条例が違憲との最高裁の判決が出たため、厚生省・県薬務課・日薬より距離規制廃止の通達あり、薬務課は今後は薬局の営業姿勢を正すよう特に要望している。今後、スーパー等の大型店舗の新規開業の申請があると考えられ乱売の方向に進みやすい不安がある。会員の経済問題等に関し県薬においては薬局・分業対策委員会で検討する事となっているなど(前号既報)の説明があって種々意見の交換が行われた。

 古賀治氏の選挙戦 をかえりみて(経過報告)
 福岡県薬剤師連盟 会長 長野義雄

 福岡県薬剤師連盟会長長野義夫氏は、このほど、さきの地方統一選挙において大牟田市長となった古賀治氏の選挙につき左記の文書を日薬をはじめ各県薬並に薬剤師連盟に発送して感謝の意を表わした。

 昭和四十八年十二月に福岡県第三区で衆議院議員の補欠選挙が行なわれました。荒木万寿夫(自民)、楢橋渡(自民)両氏死去によるものであります。楢橋氏の後には、同氏の長男である進氏が立候補、荒木氏の後任として自民党公認の古賀治氏が立候補いたしました。

 党の公認であり、長年大牟田市議会議員、福岡県議会議員を二十年以上も務めた人ですから、その政治歴から云っても当然当選が予想されていたのですが、同じ地区から江上辰之助という県議が、自民党を脱党して、保守無所属で立候補、最後までその調整ができないまま投票となり、両名とも落選となりました。

 全国の薬剤師連盟の方々より、多大の支援と援助をいただいて全く面目なき次第となってしまったのであります。しかし、この不名誉を挽回すべく、又あくまで国会に議席を得て、全薬剤師のため心身を捧げんと努力し、日常の政治活動もおこたりなく、地盤の開拓と支援者の獲得に日夜精身しておりました。

 ところで、前回の参議院選において前郵政政務次官であった鬼丸勝之が落選され、更に現大牟田市長が老年のため、引退声明があったこと等により、自民党県連内での最高の話し合いと調整と県知事選、北九州市長選との関係もあって、大牟田市長候補には、自民党が公認する、古賀治氏なれば、自民党も大牟田の有明地区労も全面的な支援をする、という政治状況となり本人は、あくまでも国会にと最後まで意志をまげず、心を燃していましたが、党の最高機関での決定をどうすることもできず、遂に心ならずも意を決して市長選に立候補することになりました。

 幸いに全薬剤師、医師、歯科医師他の強い支持と、党は勿論民社党、労組、商工会議所、その他の努力によりまして当選いたしましたが、本人は未来を国会の場に託している事と思います。大体、大牟田地盤の国会議員は、過去より大牟田市長経験者をもって之にあてるという党の方針があり故荒木万寿夫(自民)、細谷治嘉(社会)両代議士も且っての大牟田市長でありました。

 昭和四十八年突然の衆議院議員補欠選挙の折、日本の全薬剤師から受けた恩義にいつの日にか直接お応えする日のあることを期しておると思います。福岡薬剤師連盟としましても、全国の方々に心からお詫びとお礼とご報告とを申し上げる次第であります

 北九州薬剤師会 総会で新役員決定

 社団法人北九州薬剤師会(長野義夫会長)は、四月十七日八幡薬剤師会館で開催した本年度の総会において役員改選を行ない、左記の新役員が決定した。

 会長 安部寿
副会長 古賀哲弥、芳野直行、伊藤鉄郎
専務理事 梶原敬史
常務理事 谷口広行、久保嘉祐
理事 大野義昭、岩橋雅夫、脇園茂、前田正夫、倉石久、伊藤忠亮、岩崎安俊、井上シミ、末松博、桂顕徳、才田豊
監事 大坪外洋夫、阿部兼士