通 史 昭和50年(1975) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和50年(1975) 4月5日号

 福岡県薬剤師会 第31回代議員会・総会
正副議長に国武・古賀両氏 会費の値上げも決定

 福岡県薬剤師会(長野義夫会長)は、第31回代議員会並に総会を三月二五日一〇時三〇分より福岡県薬剤師会館で開催、正副議長の選出、会費の値上げを伴う事業計画などを決めた。

 当日の会議は▽代議員会▽総会▽薬剤師連盟懇談会▽会員懇親会の順に、代議員四九名のほか一般会員等合せ約九〇名が出席して終始熱心な討議が行われた。

 代議員会は神谷専務理事の司会により、堀岡副会長は開会のあいさつで「本年は分業実践の年だと考える部外者の進出に先んじて開局者の奮起を期待したい」と述べ、ついで議長・副議長選挙のため仮議長に早川政雄氏を推し、選考委員制により別室で選考の結果、議長に国武一人(福岡)副議長に古賀哲称(若松)の両氏を選出、満場一致で決定した。それより新正副議長により長野会長の演述(別掲)があり、来賓の祝辞は鴛渕県衛生部長の祝辞を岩橋薬務課長が代読して午前の部を終り、中食後議事に入った。

 ▼報告事項
報告第一号…昭和四九年度会務並に事業報告=神谷専務理事
@会員数一六七六名(薬局開設者九四四、一般販売業者二八五、薬種商一六、病院薬剤師一七〇、県庁薬剤師一二〇)
保険薬局八七五、保険薬剤師二〇六四名など一般会務報告
A▽共済事業▽薬と健康の週間▽講習会・研修会など恒常的事業報告
B▽薬剤師職能の確立、分業推進と受入体制の整備▽資質の向上と経済的発展▽医薬品の安全性の確認など重点事項
C関係団体の事業概況報告
▽福岡県病院薬剤師会=磯田副会長
▽福岡県学校薬剤師会=橋本副会長
▽福岡県女子薬剤師会=田中会長
▽福岡県薬剤師国民健康保険組合=工藤常務理事
報告第二号…日本薬剤師会第37回通常代議員会報告=藤野常務理事
以上について一括質疑に入り活発な質疑応答のあと承認、ついで議案の審議に移った。

 ▼議決事項
第一号…昭和五〇年度事業計画決定の件=神谷専務理事
第二号…同年度会費決定の件=富永常務理事
第三号…同年度一般会計予算決定の件=同
一号議案より三号議案まで一括上提、熱心な審議が行われたあと、いずれも原案のとおり議決決定したがその主な内容は次のとおり

 ▽事業計画…日本薬剤師会の事業推進に協力し、薬剤師職能の確立、医薬分業の推進、薬局経済の向上、会員組織の拡充強化のため諸事業を推進する‐@各種講習会・研修会の開催A分業推進のための諸施策B組織の拡大強化の推進C諸委員会の活動の強化推進D医薬品流通の適正化の推進など‐

 ▽会員…A会費(年額)二二、五〇〇円(前年一、七〇〇円)、B会費九、〇〇〇円(八、〇〇〇円)、C会費(医薬品製造業者および特志者)四〇、〇〇〇円(同)、なお、A・C中には日薬会費一一、五〇〇円を、Bには四、五〇〇円がそれぞれ含まれている。

 ▽予算…歳入歳出それぞれ三七、四五五、〇〇〇円(前年度二九、八一二、六二三円)。代議員会に引続き開かれた総会では優良支部の表彰が行われ、糸島、八幡、久留米、若松、福岡の五支部が表彰され、ついで行われた連盟懇談会では白木副会長から連盟会費値上げについて説明があったほか、森下泰議員の活動報告並に古賀治氏の大牟田市長選挙の現況報告なども行われた。なお、昭和五〇年連盟会費は、薬局、一般販売業開設者年額=三、〇〇〇円(前年二、〇〇〇円)勤務薬剤師およびこれに準ずる者=一、〇〇〇円(同)。

 会長演述要旨

 本年二月開催された第37回日薬代議員会において石館日薬会長は「医療の近代化のため職能、技術の分担の必要性については、日本医師会並びに日本歯科医師会も認識を新たにし、厚生省も未だかつてない熱意を以って対処している。そしてこの気運はもはやあと戻りを許さないものである。然し永い間の制度の低迷と薬局界の貧困を短期間に改善することは極めて困難でこれに対しては会員各自の各段の献身と努力が要望されたのであります。

 当福岡県においては、県医師会長の深い理解と温かい処置により県下各地で分業推進のための医師側との話合いがもたれ、可能な地域から可能な方法により逐次進行し定着しつつあることは慶賀にたえないことであります。

 ここで忘れてならないことは、分業はあくまで薬剤師のためのものでなく、患者つまり一般大衆のためのものであること、即ち吾々の持っている専門職能によって国民大衆に奉仕するということであります。そのためには多少の時日はかかっても受入体制の完璧を期すと共に、更に実のある講習会、研修会を開催、新しい智識を吸収し、技を磨いて医療の近代化に応じなければなりません。

 昭和五〇年度、本県薬としては、日薬の事業推進に協力すると共に分業推進のためのPRに力を入れ、受れ薬局、メーカー、卸、他薬業団体との連繋強化、業態別薬剤師の職能・地位・待遇の向上、改善。医薬品流通の適正化等の重点事業の推進に鋭意努力すると共に、各々その道のエキスパートを含めた各種委員会等の活発な運営と活動にも力を注ぐ予定であります。

 この機会に特に会員に望みますことは、分業の推進は日薬や県薬に依存して、そのリーダーシップに身を委ねていては成就することは到底あり得ません。要は個々の会員の努力が実を結ぶことを深く認識すべきと思うのであります。私達は九十年の悲願を達成し、明日への栄光を得るためには目前の安易と栄利に堕することなく法律を遵守し、身を厳に持して尊い医療の一端を担う責務を深く自覚し、国民の要望に応えなければならないと思うのであります。

 福薬連第一回理事会 会運営の大綱を決定

 福岡県薬業団体連合会(長野義夫会長)は三月八日午後一時より福岡県薬剤師会会議室で第一回理事会を開催した。当日は連合会構成の一一団体全部の理事ならびにオブザーバーとして県薬務課の内藤課長補佐、柚木係長と国松顧問が出席。神谷専務理事の司会により開会、長野会長挨拶ののち、吉村副会長が座長となって@総会経費A会運営‐などについて議事を進めたが、その内容のおもなものは次のとおり。

 ▽会長挨拶

 先般二月二七日創立総会を開いたが予想以上の盛会であったことに対し厚くお礼を申し上げる。薬業諸団体が結束して大きく飛躍する第一歩を踏み出すこととなった。企業団体と資格団体との間には性格的な、精神的な違いがあることは事実であるが、県民の福祉に貢献する立場より考えるならば軌を同じくするものと考える。その意味で論議すべきは論議し、ディスカッションを十分にして共同の目的に大きな力を結集されることを期待する。

 ▽総合経費について
総合経費等これまでの出費は四月一日以降より始まる五〇年度予算より支出する、なお会計責任者は県薬選出の冨永理事と決定。

 ▽会運営について
審議決定事項は左記のとおり。
@会長が座長となる
A専務理事より事務連絡
B加盟各団体より主要問題の連絡・報告
C薬務課よりの伝達事項
Dメインテーマの検討
(テーマについては各団体より書面で事務局へ提出のこと)
E二か月に一回開催。月の一〇日〜二〇日の間で、土曜・日曜を除いた日とする。

 ▽薬務課伝達事項
柚木係長より次のような伝達が行われた。
@ 処方箋の受入れ体制の整備について(既存薬局、備蓄センターなど)
A毒劇物等の適正な管理と盗難防止について
A 医薬品再評価にともなう注意事項について
B 各種表彰関係についていて
秋の厚生大臣賞、知事賞について、各団体で受賞者選考についての準備に入ること。

 福岡市薬 理事会、部会連絡協議会 代議員合同会議を開催

 福岡市薬剤師会(斉田和夫会長)は第42回理事会、第33回部会連絡協議会と県薬代議員合同会議を三月二一日(金、祭日)正午より県薬剤師会館で開催した。当日は、分業の推進にともなう会員の平日業務の多忙化を考慮して祭日開催をはじめて計画・実施したが出席率は良好であった。会議は荒巻専務理事の司会により進行され、会長の挨拶についで各々の議案について報告、検討が行われたがその内容のおもなものは次のとおり。

 ▽昭和五〇年度予算原案について
竹尾会計理事より昭和五〇年予算案(歳入出二千九十三万一千円)について報告、検討の結果、原案により市薬代議員会に提案することに決定。新入会金四万円とし、会費は薬局一般業業者三万三千円、薬種商二万六千円、勤務その他一万一千円。

 ▽処方箋応需と休日急患センター運営について
荒巻専務より保険薬局受入態勢、調剤室の緊急整備について説明(なお、本紙三月一五日号記載の"処方箋受入れ体制の整備"を参照のこと)、薬局は早急に保険薬局の許可をとって、できるだけ早く処方箋調剤に指向すべきことを要望。市医師会幹部との会談は内科・小児科とほぼ完了し、近く眼科・耳鼻科と会談を予定している。なお医師会のプロゼクトチームに対応できるチームを市薬として造り対話を益々推進したい考えである。従来市薬で保管の歯科用備蓄薬品については殆んど動かないので今後は廃止することに決定。

 休日センターは現在昼間二名、準夜二名、深夜一名の割合で出勤しているが多忙のために他に研修生を昼間と準夜に一〜二名必要とする現状である。なお同センターの備蓄薬品集を作成中、四月初めには印刷しあがるので出来次第講習会を開きたい考えであり、またこれを医師会に示し話し合いのタタキ台に使いたい。

 ▽母子ミルクについて
藤野副会長、山手商組理事より、四月からの同和関係者に対し交付の予定であったが七か月分前渡しの不合理な点などで当分取扱いを延期することが報告された。なお、これまで行っている母子ミルクについては一部に面倒だとの声もあるが折角流通経路の正しいルートに乗せたことであるので引き続き協力願いたいと要望あり。

 ▽県薬代議員会に関する件
三月二五日開催される県薬代議員会において、正副議長改選に伴う議長候補として国武一人氏を推薦することを申し合せ。選考委員は馬場(勘二)、荒巻、勝目、大黒、竹尾の四氏。なお分業問題について馬場勘二氏の発言を決定。

 ▽高齢者会員優遇について
八〇歳以上の高齢者会員に対して、福岡市薬会費四千円を現金で贈呈することを決定。該当者は中村吾一郎、高倉等、小野八十郎の三氏。

 ▽市薬代議員会・総会四月一九日(土)開催予定。

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 ▽医師税制を早急に改正
衆院大蔵委で主相答弁「早急に適正な診療報酬を見直しそれと合わせて医師優遇税制の答申を実行しなければならない。次の予算編成に間に合わせる」(朝日新聞3月20日)

 厚生省、薬価調査の時期で日医の了解を

 厚生省は薬価大改正を行うための薬価調査を昨年に引き続き、四月時点五月実施で行うよう日医はじめ関係当局への了解を得ると共にサンプリング調査などの準備を進めている。このため薬価調査は例年同様に四月時点五月実施で行われることは確実視されている。

 一方、日医はじめ日歯、日薬の診療側委員が総引げしている中医協の総会は今のところ再開の見通しは立たないが、薬価調査の実施に日医が反対していないなどの事情から推して、春闘の賃上げ相場が決定をみる時点から診療側が復帰して医療費値上げ要求を行うものとみられている。この時期は早ければ六月、遅くて九月とみられ、医療費値上げ論議も一一月か一二月がヤマ場になるだろうと厚生省筋でも見通している。

 益々問題化の病院トンネル会社

 九州地区は全自病価格の影響、直販メーカーの侵攻、トンビ的な小資本卸の暗躍で最近とくに末端価格は軒並み下降気味となっているが、北九州市では二月にジャパン・ファルマシーが六千万円の不渡りを出して倒産、ここに商品供給をしていた松井商事(松井病院のトンネル会社)のやり方が悪質だとして、この種のトンネル会社の存在に批判が集中している。

 医療法人の病院は、この種のトンネル会社をつくりそのうえ過大購入して横流しするケースも、北九州だけでなく他地区、他県にもできてきているといわれている。なお、長崎では数軒の病院が病院事業共同組合を設けて、医薬品購入の窓口としての実績をあげ、その指示価格に常に地元卸が悩まされているが、このような購入窓口となる協組設立の動きは全九州に拡大すると懸念されている。このような状況のもとでメーカーと卸の密接な連携プレーが、今後益々必要になってきたと云えるようである。

 福岡県薬理事会 代議員会・総会準備で

 福岡県薬剤師会(長野義夫会長)は第二三六回理事会を三月二〇日(木)午後一時半から県薬会議室で開催した。当日は神谷専務理事の司会により、まず長野会長は「来る二五日に代議員会を開くが、質問答弁はできるだけ簡潔にするように願いたい、日薬の質問が多いと思うが明日の飛躍の基となることであるのでよろしく頼む。」と挨拶を行ってのち議事に入ったが、報告事項協議事項のおもな内容は次のとおり。

 ▽福薬連報告=神谷専務理事
福岡県薬業団体連合会の会計責任者として、県薬の会計担当理事の冨永氏を推薦現在迄に使用費用の処理方法は四月よりはじまる予算より支出と決定。なお会長名が中央薬業紙に誤って報道されたことについてはこれを指摘し、一三日に訂正記事が行われた。次回の福薬連理事会は五月一日〜二〇日の間に開かれる予定

 ▽分業・社保合同委員会報告=安部理事
二月二五日開催の合同委員会については九州薬事新報の記事を参照されたいとして、特に@保険業務精通の必要性が求められ、支部単位の指導員による会議を開くことが協議されたA若松地区の分業推進状況は急激に進展中で三師の話合いも成功裡に進行しているB福岡市における内科医の分業アンケート、などが報告された。

 ▽会館家賃値上げについて=斉田理事
県薬会館家賃年額八十六万四千円が百十一万二千円に値上げされる、理由は諸物価の値上げによるもの。

 ▽薬事審議会報告=白木副会長
三月一九日開催の福岡県薬事審議会について(内容別掲)。

 ▽四九年度代議員会について
第31回福岡県薬剤師会通常代議員会並びに総会について@午前一〇時三〇分より代議員会開催A会場は県薬会館B代議員会次第C総会次第D代議員会付議事項E日本薬剤師会代議員会報告F50年度事業計画(案)G50年度歳入歳出予算(案)H関係団体報告I仮議長議長・副議長挙出方法J業務分担‐などを検討決定。

九州薬事新報 昭和50年(1975) 4月15日号

 大賀福岡調剤薬局の誕生(上)
大賀薬局の処方箋応需への発想とその発足について

 処方箋の調剤専門薬局として、国立福岡中央病院前(福岡市中央区大手門一丁目)に「大賀福岡調剤薬局」がいよいよ三月二二日に開局する運びとなった。本紙は開局に先きだつ一九日、同調剤薬局の大賀昌子社長(薬剤師、大賀薬局社長)、岩切英明専務(公認会計士、大賀薬局常務)、福井正樹常務(薬剤師、前済生会福岡総合病院薬局長)のトップ三幹部とインタビューを行ったが、その内容は次のようである。

 福岡ビル店は調剤薬局としての立地条件にも最適ですが、その獲得についての経緯にご苦心があったと思いますが

 ○大賀
当時大賀薬局は岩田屋と電車通りを隔てた天神市場の入口にありましたが火災で市場が焼けて、市場の方々といろんな運動取引があったのです。現在の福岡ビル敷地は始め郵便局になる予定でしたが、天神町の真ん中に郵便局ができると商店街が死んでしまう、局は天神町中心より少し遠くへやり何んとしても商店が来なければならないと、亡くなった主人・先代社長は非常に熱心に運動をいたしました。いろんな経緯がありましたが結局、福岡ビルに決まったようなわけです。

 天神市場の方々にも一緒に福岡ビルの中に入ろうではないかと働きかけましたが考えの相違から、皆さん全部が今の舞鶴市場に入ることを希望されてそこに入りました。私のところだけは天神町の中心の何処かに残らねばならないと考えましたので運動をして福岡ビル一階を獲得しました。あの時に大賀が云っていたように自分達も福ビルに入っておけばよかったと現在は申されていますが。

 運よりも、主人の先見の明と努力によるものと思っています、少しは運もついているのですが。これにつきましても、非常に広い視野を持っておられる業界の方々より色々とお教え頂いた事が大きく基本の考えとなっているのです。その後私としても進んで皆様方のお意見お教えを承りながら仕事を進めているような次第です。

 大賀薬局が一〇店余のお店を持たれる発展の過程でいち早く処方箋調剤に着目されたようですが尚、福岡調剤センターの設立と今回の大賀福岡調剤薬局開設について

 ○大賀
欧米の薬業、医療のことなどを見聞しまして、どこでも医薬分業が行われている。行われてない国は日本と僅か一、二国位で、いずれ日本もそうなるのが本当だと確信していましたので一〇何年も前からこれを心待ちしていたわけです。

 ○岩切
ずいぶん前から一般販売業的な在り方は一応一〇何店を出しましたので、今度はかねがね社長の方針で検討を重ねておりました薬局本来の在るべき姿−どうしても調剤なんだ、という事で、調剤の展開をしようではないかと数年前から皆んなで社長を中心に具体的に検討に入りました。藤田胖先生はじめ諸先生方にも来て頂いて当社の薬剤師全員に対して分業・調剤などに関するお教えを願って参りました。

 昨年の九月一六日に医師の技術料改定と同時に、薬局の調剤基本料が二〇〇円に上るということでありましたので、翌一七日からすぐ新しい会社の設立に取りかかりまして、九月一杯に「福岡調剤センター」をつくる計画を立てました。たまたま一〇月一日が大安で日が良かったので、この日に合わせて、その日に作ってしまったわけです。

 この大賀福岡調剤薬局もこのような経過で偶然に思い付いてやった事ではありません、前々からこうしようと考えたことが、その現れとして、この格好で出来たことに過ぎないと思うのです。まだまだこの位の事では物足りないと思っています。又皆様方の力をお借りしながら調剤薬局のほうに新しい方向を見付けて行きたいと考えているわけです。

 尺八と私 塚田竹豊 博多の虚無僧寺一朝軒

 博多の一朝軒と云えば「ああ矢倉門の虚無僧寺か」と博多の古い人々ならすぐ想起する存在である。それ程、一朝軒の名は広く博多の人口に膾炙していたのであった。一朝軒は国鉄博多駅から北方に約一キロ、徒歩で約一〇分、博多区御供所町聖福寺境内にある同寺の末寺西光内にある虚無僧寺である。しかも、一朝軒は博多に唯一つの虚無僧寺であり九州に於ける久留米の林栖軒、柳河の江月寺、長崎の玖崎寺と共に「吹簫弾普化宗」の名刹と云われてきた。そして一朝軒は第十七代看主魯伯(秋月の人で磯姓)の時代明治維新の大変革に遭遇し、次で明治四年十月二十八日明治政府は太政官布告をもって普化宗を禁止した。それがため、全国の普化寺院は僧侶と共に次第に(俗)に帰し、僧侶の多くは臨済宗や曹洞宗に転宗した。

 一朝軒の没落と再興

 一朝軒の矢倉門寺跡は普化宗禁止の際、願い出て払下げを受けたものと思われるが、一朝軒の法燈は表面廃絶したことになったといい条、裏面では脈は第十八世伯堂十九世施行(磯敬助)が嗣いだが施行の異母姉の入婿辰次郎がその頃から同町に荒物屋を営むうち営業不振とその他の原因で年と共に一朝軒の家産を失ったため一朝軒は終に同町を引払い爾来転々として所在を変じたが宗旨は異なるが熊本市二本木町真宗常通寺の隠居津野田露月翁その他地方の人々の尽力で昭和二十六年に至り市内大乗寺前方東側に新築家屋を買い取り、一朝軒は再興されている、そして前記露月翁に就而尺八を修業した十九世紀施行の娘光代婦人が第二十世の法燈をつぎ、一光と名乗り普化宗の例として虚無僧姿で日々托鉢修業にいそしんでいたが同二十九年北海道出身の僧侶玄定師と結婚市内御供所町瑞覚山円覚寺において式を挙げ、玄定師は京都妙心寺の僧堂に入って専心禅学修業、現在は一朝軒の法燈第二十一世を嗣いで現在に至っている。

 一朝軒の起源を尋ねて

 一朝軒の起源について江戸時代の初期元和年間(三百六十年前)に京都明暗寺の一禅僧が博多に下り当時浜部にあった無住の一禅寺「円通寺」に住み初めて普化宗をひろめたとあるその頃全国到る所に虚無僧寺の建立されるものが多く黒田藩でも取調べの末円通寺をそのまま虚無僧寺として且つ九州を上下する虚無僧の取締を命じたのに発する。

 石城志によると博多妙楽寺周辺に住んでいた素庭(祖貞)という僧が普化宗をひろめ、その法弟露沢(露卓)の代になって附近(下洲崎)の海印山行願寺境内に小庵を結んで移り、その弟子帰トを経て寛永年間法弟一応(一翁)が法燈を嗣ぎ以後四人の法脈を経て法弟一空に至った頃、その法弟も次第に増加し庵室の狭溢を感ずるため藩庁に願い出て矢倉門町に地所を授けられ行願寺境内から移って初めて円通寺一朝軒を開き後改めて「普門山一朝軒」と号したと伝えられている。思うに以上の両伝を併せ見て前記京都から博多に下った明暗寺(妙安寺)の一禅僧が石城志に伝える普化宗素庭に該当するか否か研究の余地を残すようであるが素庭と京都下りの一禅僧は同人ではないかと思う。いづれにしても石城志によると一朝軒は一空が開山したようになっているが、一朝軒では開山を一応(一翁)としているのには何か訳があろうと思う。この他に一朝軒では宗祖普化禅師の霊位と虚無僧の始祖と伝えられる楠二郎左衛門正勝の木像を安置奉祭している。

 筆者紹介

 本名は塚田豊。熊本薬専大正14年卒、福岡市博多区下川端町で塚田薬局経営。九州尺八本曲会会員、福岡県指定無形文化財・虚無僧一朝軒保存会会長。高弟に進藤一馬福岡市長その外、全国に多数の知名士のお弟子あり。道場は福岡市博多区御供所町六の西光寺内。

 分業推進で留意事項 財団や協組形式は好ましくない 日本薬剤師会見解

 日本薬剤師会は三月一二日、医薬分業推進にからんで、「財団法人や協同組合形式の調剤(医療)センター等の設立は好ましくない」として静岡県薬剤師会などに設立を中止するよう勧告した事を明らかにした。

 静岡県薬が進めている財団法人・薬剤師医療センターは@保険薬局の業務指導と援助Aセンター薬局の設置と運営B医薬品の安全性と品質に関する業務C医薬品情報の提供D備蓄薬品の提供と管理E処方箋の管理業務などを行うものとして進められていたものである。日薬が問題としているのは、この方式により参加薬局が財団の資産となるため、薬局と財団は一種の雇用関係になり、個々の薬局の独自性が失われる等の点である。なお日本医師会もさきの理事会で、名称がまぎらわしい、医療の本質を理解していない等を理由にこのような構想に難色を示している。

 このため日薬では早急に日医と協議した上で各都道府県薬剤師会に「留意事項」として「このようなセンターを設置する場合は会営が望ましい」ことを明らかにする方針である。日薬が静岡県薬のほかにも問題にしているところは静岡市薬の薬局協同組合方式、群馬県の医療センター(医師会の反対で中止)、沖縄県薬の基幹調剤センター業務の「零売行為」などがある。

 若松薬剤師会地域分業推進

 最近、福岡県は分業事例の多い地区として他県からの視察者がふえているが、地元薬務課でも県下の分業状況調査のため三月二六日岩橋課長、柚木係長ほかによって若松地区の実情視察が行われた。

 同地区は十年前、若松区の三師会が対等の条件で共同の三師会館を設立、以来事務所を隣り合せ、互に友好関係を深めてきたことがみのり、歯科医師会とは既に活発な分業体制にあるが最近、医師会との話し合いによるもっとも好ましい地域分業機運が盛り上り、現在精力的にその準備が進められている(後報)

 点滴

 ▼医薬分業の進展とともに薬局店頭の姿が云々されているが、すっきりした薬局の姿になるに越したことはないが雑貨をやめたら経営が成り立たなくなったでは困る。処方せん獲得はそれなりの働きかけ、努力が実を結ぶもの、店頭の姿だけで来るものではないがしかし、すでに一日百枚も受入れている北九州のある薬局が店頭に雑貨を積み上げ、ビラを吊り下げ、待合のための長椅子一つないのはどうしたことか、眉をひそめたのは私ばかりではなかったようだ。厚生省や県当局の指導方針も出たというのに……(渚)

 福岡県知事選 いよいよ本番

 統一地方選のトップを切る福岡県知事選は三月十九日告示でスタート。現職で三選を目指す自民、民社両党推薦の亀井光と社会、共産両党推薦の内田茂雄氏は午前八時半の県選管受け付け開始と同時に届け出をすませた。

 当日、亀井候補は早朝渡辺通の選挙事務所に立ち寄ったあと、筥崎、櫛田、住吉の三神社で恒例の必勝祈願を行い、午前九時半からの事務所開きにつづいて地元選出国会議員ら支持者一千余人が集まって出陣式。山田穣選対本部長(元九大学長)はじめ、自民、民社両党、農政連、民労協、同盟など各代表の激励を受けた。

九州薬事新報 昭和50年(1975) 4月25日号

 製薬協 自由化後の対応策で強力な行政指導要望

 日本製薬工業協会の国際化対策委員会は五月一日からの資本自由化を控えて、完全自由化後の外資企業に対する行政指導、国際化に対応する国内製薬企業に対する研究開発力育成強化策などを内容とする厚生省当局への要望事項の取り纏めを急いでいたが、さきに開かれた製薬協理事会で同委の要望案が了承されたので近く「資本自由化に対する要望」を厚生省へ提出する。この要望の内容はおおむね次のようである。

 1、多国籍企業の指導基準の作成
多国籍企業の指導基準は外資に対し望ましい国内商慣習の尊重、民族企業との提携協調を原則とする体制の確立、業界の自主的な秩序維持の施策に対する協調、中小企業を圧迫する事業の排除など競争体制を理念とするガイドラインを作成し指導してほしい。

 2、合弁会社等による進出済外資企業による一〇〇%企業の新設等の指導
現在、世界の有力企業のほとんどが合弁会社あるいは技術、研究、販売など何らかの形態で日本企業と提携関係にあるが、完全自由化を契機に持株比率の改訂一〇〇%企業の新設など、業務拡大を進めることが予想されるので国内企業との協調関係維持の線に沿って適切な行政指導に留意してほしい。

 3、新規および既存契約について
資本、技術等の導入の現状は契約条件が外資側ベースで進められる傾向にあるが、両者の共存を基調に、公取委の国際的技術導入契約に関する認定基準を適正に運用し、合弁比率、実施料率、契約期間等に関して必要限度の行政指導を実施してほしい。

 4、新製品の研究開発に対する環境の充実
研究開発力強化検討委員会の要望事項を配慮願いたい。

 薬務局 今回の薬価大調査 保険薬局も対象に

 厚生省薬務局では、五〇年度の「薬価大調査」(四月時点)で保険薬局も調査対象に加える意向を固めた模様である。前回の調査では、医療機関へ医薬品を納入しているところとして、卸、直販メーカーの販売会社など三千七百を調査対象としたが、今回は、四千を超す調査対象が予定されており、その増加分が保険薬局になるとみられる。

 現在の医療用医薬品の流通包装単位は大包装が多くこれはメーカーが大包装中心の販売政策をとっているためで、薬価算定の際の基準包装のとり方にも問題があり、最少包装品の販売を基準にして、これより大きな包装の販売個数が、その二倍以上になった場合に初めて大きな方の包装を繁用包装とみなして、薬価算定の基準包装に採用するといった"二倍の法則"がとられている。これが実勢価格と薬価基準価格とを不合理化している原因だと指摘する向きもある。

 医薬分業が推進され定着すれば、当然オンコスト、銘柄別収載、小包装単位の薬価算定など、これまで指摘されてきた問題点がクローズアップされ、行政当局としても、薬価基準の算定ルールについて本質的な改善を余儀なくされてきたといえるようである。

 福岡市薬理事会 代議員会・総会準備で

 福岡市薬剤師会(斉田和夫会長)は第四三回理事会を四月七日(月)午後一時半から県薬会館会議室で開催した。当日は荒巻専務理事の司会で、まず斉田会長は「四月一九日に代議会を開くのでその準備について意見を伺いたい。予算関係について予めの審議と代議員会・総会における理事の業務分担を願う事となるのでよろしく頼む」と挨拶を行ってのち議事に入ったが、そのおもな内容は次のとおり。

 ▽代議員会について
@正副議長選挙は選考委員で選出
A来賓祝辞予定者は県薬会長、薬務課長、福岡市長、久保田秀巳氏
B四九年歳入出決算額は二一、二八一、七八三円
C五〇年歳入出予算額は二一、三九五、八二四円

 ▽総会について
@部会表彰A還暦祝賀B懇親会

 ▽その他
@福岡市が区制となったので五支部分割の案件については、北九州市での支部発生の時点との相違と支部制をとると会費負担が非常に高額となる点などから、分割しない方向が確認された。
A市薬分業プロゼクトチームのメンバーは次の六氏(順不同)をもって構成し、医師会側のプロゼクトチームと積極的に対話し分業を推進する。
藤田胖、荒巻善之助、成沢哲夫、清水貞知、藤野義彦、白木太一郎
B福岡市薬発行の「薬効別繁用薬品集」(開業医関係)ができあがり、一部二〇〇円で頒布。

 3月22日全国向け短波放送講演要旨
大分県及び別府市の分業 大分県薬剤師会副会長 益田 学

 大分県は人口百二十万、薬局数百五十軒。そのうち別府は人口十二万、薬局数三十五軒であるが、その分業状況を報告したい。

 日薬の四十九年度のデーターによれば大分県の処方せん枚数、金額は人口、薬局数からすれば上位である。しかも大分県は大病院前の会営薬局などのように月に数千枚も取扱う薬局は一軒もなく、平均していることである。言いかえれば月々保険請求を出す薬局数が日本一だということである。全国の薬局のうち保険請求を出す薬局数は約20%で、百軒に二十軒という現状である。

 業界紙は特殊な薬局の良い面のみを報道するので余程沢山処方せんが出ているように一般には思われているが、わずか十軒に二軒が請求するのみで如何に処方せんが出廻っていないかがわかる。一番分業が進んでいると云われる長野県でも全薬局の50%が取扱い薬局数である。大分県は約60%で日本一と云ったゆえんである。

 本年一月の調査ではさらに70%に上昇しており、特に別府市では95%に達している。取扱い枚数は少いが一軒当り百枚〜五百枚程度の請求をしており、千枚を越す薬局はないが、今後、各薬局が平均して増加すれば理想的な分業の姿だと思っている。二十軒の薬局に沢山の処方せんが来ても八十軒に一枚も来ないでは変則だと思うが、これが日本の現状なのである。

 大分県並に別府市がどうしてこのようになったか?勿論タナボタ式でなく、八年間にわたる努力があったわけで、勿論現状で満足しているわけではないので今後も、さらに大変な努力が必要だと思っている。
別府市ではまず歯科医師会とのコミニュケーションを実施、歯・薬両会全会員による研修会を八年前から年二回開催し、講師は田村(東京)、吉村(福岡)の両教授に依頼、模範処方例も作製して歯科医師全員に配布、利用するとともに隔月に保険委員(各五名)が会を持ち、研修及び苦情処理を行い、定期的なコミニュケーションを実施しているが、なかでも毎月の薬品の頻度と各歯科医別発行枚数を出し、これを基に歯科医師会側でも増発に努力していることは特筆に値いすると考える。このような状況で歯科医師会とは百パーセント分業となっている。

 次に医師会とは昨年十一月より定期的に役員会をもっている。医師会側でアンケートをとっているが、受入体制が整えば外来患者については全部処方せんを出すという病院が50%、一部出すというのが50%である。これを受入れる薬剤師会側は大変なことでまず二年位はかかりそうである。現在、二軒の個人病院対薬剤師会のマンツー会分業を行っているが勿論医師会の了解のもとにである。また、現在話合っているものが三軒あり、全薬局の備蓄薬品も二百品目以上になりつつあることなど考えれば50%(約50軒)の病院が処方せんを出すのも遠くはないと思う。

 現在、大分県で分業推進について第一のネックは病院が医系直販メーカーのゾロゾロ品目(3掛位)を相当多量に在庫していることで、この在庫がなくなるのに一年位はかかるのではないかと思われる。このゾロゾロ商品が大分県には意外に多く、県内にその出張所が十六社もあることからも想像できる。これらの薬価差(薬価基準との差)が20%位になれば分業はフルスピードで進むものと思われる。日薬に期待するところ大である、増々の努力をお願いしたい。

 県薬では会営薬局を一軒本年中に設置したいと計画しており、一官公立病院と話合いを進めているが、これが実現すれば枚数、金額ともに急上昇するとともに研修、試験室等種々のプラス面も大きいと考えている。このように大分県ではすべてにおいて二年後を目標に最善を尽したいと思っている。
(大分県商組理事長)

 武見日医会長
新医療技術点数は厚相決定で各審議会委員復帰へ条件提示

 日本医師会の武見会長は四月一日、同医師会館で記者会見し、厚生省関係の各種審議会から委員を総引き揚げしている問題にふれ、これを解除する条件は「新開発医療技術の診療報酬点数の設定を、中医協にかけないで、厚相の責任で行うことだ」と語った。さらに同会長は医師優遇税制手直し問題にもふれ「医師税制を撤廃すれば、医師会としては学校医、救急医療など公的サービスをすべて辞退する」と重ねて強調した。

 武見会長が医師優遇税制問題に一応クギをさしながらも審議会委員の復帰条件を、新開発技術点数一本に絞ったことは、同医師会が態度を軟化し、中医協などへの復帰の構えをみせたものと受け取られている。 「新医療技術の点数設定」とは、日医が去る二月末に「腸癌、食道癌に対する超冷凍外科手術」など新しく開発された医療技術が点数に組み入れられていない結果、保険がきかず患者の自己負担になっているとして、中医協の審議を経ないで点数に導入するよう申し入れたもの。

 こうした日医の要求に対し厚生省は基本的には「厚相の職権告示の形で新点数を示すことは違法で受け入れられない」としているが従来から点数表にない医療行為の点数を、最も類似した治療方法の点数で算定するよう指示してきた「医療課長通達」を保険局長通知などの形に「格上げ」するといった形で打開できるとみて、委員復帰問題の収拾をはかりたい意向のようである。

 読みましたか?

 ▽新医療技術の点数設定
中医協を通すな。各審議会委員復帰の条件…武見日医会長 (朝日新聞4月2日)

 ▽公営診療網の整備を
社会党、歯科医療で政策発表 西日本新聞4月2日夕

 参院商工委で物質特許の陳述

 特許法改正を審議している参院商工委員会は三月二十日、立岡末雄氏(武田薬品専務)ら五氏を参考人として招き意見を聴いた。立岡氏は@物質特許導入は業界の研究開発意欲を盛り上げる点で賛成であるA技術が公開され技術進歩に寄与するB企業格差が生じ易い、外資が独占をしないか、の懸念はあるが、総体的にはメリットの方が大きい‐などと述べた。

 なお、このあと須藤五郎氏(共産)の質問に対して@資本自由化で競争は激しくなるが、業界は耐え得る力を持っているA通常経費の十分の一は新薬開発に注いでおり、外国との技術格差はないB特許自体はここ二〜三年、当社では受けとる方が多くなった−と答えた。

 薬学教育協議 カリキュラム案提示

 大学基準協会薬学教育基準分科会の依頼で薬科大学(薬学部)の新しいカリキュラムを検討している薬学教育協議会ワーキンググループは、このほど纏めたカリキュラム案(中間報告)を全国の大学に提示したが四月中に各大学の意見を集め、それをもとに成案を得る方針である。

 この成案は、基準分科会内に設ける薬学委員会で審議されて文部省へ提出されることになる。ワーキンググループの中間報告は、一般教養、基礎専門科目、専門共通科目(コアカリキュラムと呼んでいる)、専門選択科目の四段階から成っており、カリキュラム編成の特長は@基礎学力向上のため基礎科目を重視したA共通科目は薬剤師の最低共通基盤を保証しB専門選択科目は社会的要求に応えられる専門知識を具え、かつ大学独自の特色を発揮できる自由度を保証したCコアカリキュラムまでに四年限を要し、専門選択科目を履修するために年限の一年延長(五年制)を行わざるを得なくなった−などである。

 参天製薬 全国で研修会開催

 参天製薬は、医薬分業の進展に伴い昨年一〇月から全国の保険薬局を対象に、参天臨床薬学眼科研修会を開催している。分業が進展すれば眼科関係の処方箋が発行される率が高いため、眼科用薬剤に関する知識を高めようとの狙いから開かれているもので、毎月二〜三か所で開催し二年間で主要都市での研修を終わる計画である。研修会は、大学教授などの専門家が講師となり、眼科用薬剤の副作用を中心に講義が行われている。

 日薬、GMP研修の開催要綱を決定

 日本薬剤師会はこのほど厚生省、日薬連の後援で開催する製薬工場管理薬剤師研修会(GMPを含む)の開催要綱を発表した。この研修会はおもに製薬工場の薬剤師を対象に行われるもので、五月二六日から来年三月一三日まで、東京、大阪、富山の三か所で開催される。日薬はこれに関して野上副会長を委員長とする運営委員会を発足させ、応募要綱などを決めることにしている。

 薬務局 薬価経時変動調査

 厚生省の薬務局経済課は薬価基準から四月一日付で削除されるのは、コラミン液「チバ」、ハートフィリン散「フジモト」・同錠の三品目である。ハートフィン二品目についてはオキシェトフィリンがアウトになったためとられる措置である。
なお今回の再評価で申請がなされていないため、経過措置となるのは、ミネパラK錠(一〇〇r)、無痛(続き不明)

 現在、二月時点の薬価の経時変動調査を実施しているが、今回のように薬価改正後ただちに経時変動調査が行われているのは初めてのことである。薬務局では今後とも機会あるごとに経変調査を行ないたい意向で、従来一回ないし二回(四八年)で終わっていた調査が連続的に行われる可能性が強まってきたといえる。なお、今回の経変調査は北陸三県を手はじめに行われている。

 大賀福岡調剤薬局の誕生(下)
大賀薬局の処方箋応需への発想とその発足について

 福井先生を前にして誠にぶしつけで恐縮なのですが、業界の皆様がすべて先生を一流の薬局長と存じ上げています。その方を迎えられたことについて

 ○大賀
薬剤師として薬局としての医薬分業・調剤が本職で、それを進めるのにまず必要なのは医師が信頼し相談できる立派な方が居るということが第一条件と考えました。その点から人格・技術の面で一番秀れたと思われる福井先生を熱望しましてお百度を踏みました。何んと云いましょうか、芝居するにも舞台と役者がいりますけれども、いくら立派な舞台を造りましても役者が下手ではお客がこない、どちらが先きかと云いますと、やはり役者ですね。役者にたとえますと失礼ですが。場所としても国立病院の前ならば良い舞台ではないかと、思い切ったわけです。

 この調剤薬局を設立されたことは福岡市内での調剤センター的なものとしては最初で、分業推進に役立つことにもなると思いますが

 ○福井
私は一〇年前に日薬の代議員になりましたが、その頃丁度、武田孝三郎先生が日薬会長で盛んに分業問題について議論しておられた、それから一〇年が過ぎたわけです。その後いろんな経過をたどって現在の状態になってきました。この間私は県薬の薬剤師研修の担当者として約五年間を過してきました。 我々が今まで薬剤師として活動してきた中で本当に薬剤師らしい活動をしてきたかどうかと云う事については考えてみると中途半端ではなかったかと考えています。本当の分業になってくると技術的な分業は病院でやっているが、これだけでは分業とはいえないし、現在の日本の医療を考えた時、将来このような分業と云うものを一つの手段として医療の正常化を図ってゆく、そこに何か役に立てばと思っていたのです。

 このたび、ここに嘱望されて参りましたが、舞台は良いのですが何分にも初めての仕事で技術だけではやってゆけない面も多少ありますので、それらを勉強しながらやってゆかねばならないと思っています。センターと名がつくと調剤オンリーではなく薬剤師が得ている技術を提供しながら、試験室・製剤室それからDI室も設置していますのでこれらを医師に利用してもらいながら、処方を出して頂く−技術の交流、そうした形で医療への参画をやってみたい。なお開局者の方と病薬のパッキング的な割合も行ってゆき、医薬の協業を高めるうえでの活動をやっていきたいと思っています。

 ○大賀
それが、私共の大きな希望であります。役立つなどとおこがましい事は云えません、ただ何んだか分業促進のお力にならなければとの気持は十分ございます。ここがすぐ経済的にペイするとは考えておりませんし分業の推進に役立つならばという気持は非常に強く存じています。

 これまでのお話しで当センターの特徴にも触れて頂きましたが、なおそのような事について

 ○岩切
先きほど社長から福ビルに店を出す時の経緯を話されましたが、そのご今日に至るまでには社長が悩んだり、苦しんだりした事がありましたが全く社長の誠実と努力で(私のようなワカラナイ者をかかえながらも)今日までこうしてやって来られたのではないかと思います。此度は又この新しい調剤の分野に入りましたが私共は今まで通り誠実と努力をもってやっていきたいと思っています。

 ○福井
私は公的病院にいましたが病院薬局の窓口とセンターの窓口は当然違ってくるので、も少しソフトな特長のある感じで患者に接し、患者さんにも温かい雰囲気を味ってもらい、医師が来られてもこれならば安心して任せられるという調剤薬局に育てて行かねばと考えています。その意味で社長の発案で患者待合室も広くとっています。

 ○大賀
花でもおこうと(笑い)来る人はすべて肉体的にも精神的にも病人でございますので、やさしい心でソフトに親切に扱っていく事をモットーとして。

 ○福井
大賀薬局の全体の云える事ですが社員が教育されている。これは本当に感心させられます。ここでもそのような教育方針に添った形で、も少し寄与していきたいと考えています。

 ○岩切
ここで我社の薬剤師の研修もできます。それも一つの楽しみであるわけです。これまでは全て外部の研修に出していましたから。

 ▽調剤センターの概容
○所在地
福岡市中央区大手門一丁目八‐八(国立福岡中央病院前…大手門電停前)
○名称
大賀福岡調剤薬局
○調剤薬局の規模
建物全面積一〇三・三九u(トイレを含まず)
@調剤室二八・一四uA試験室・製剤室五・五五uBDI室八・〇九uC応接・薬局長室一〇・五八uD待合室二九・二三uE薬品庫四・〇三uF研修室五・七五u

 ○特殊設備
メリックス・クリーンフード薬塵除去機。

 尺八と私(2) 塚田竹豊 虚無僧の始祖楠正勝

 楠正勝は楠正成の甥楠正儀の長子で左馬頭に任ぜられ南朝方のため?々足利軍と戦い元中九年千早城を包囲されて敗れ吉野に奔り後十津川に潜居した応永六年大門義弘が堺浦に兵を挙ぐるや手兵三百を率いて授けたが又も戦いに敗れて義弘は戦死、その子持弘は遂に足利軍に降ったため正勝は大和へ遁れて身を隠した。その後南朝方の再興を図り出家して僧形となり世を偲ぶため「虚無」と号して髪を前茶筌に結い、白衣に角帯姿掛終に黒い五条の小袈裟をかけて天蓋を冠り普化相伝一管の尺八を吹奏しつつ五幾七道を行脚して密かに天下の形勢を偵察したと云う。漸く南北朝の和睦成るや還俗して元の武士に返ったと伝えられるが正勝の終焉は判らない。正勝のこの行脚姿が後世虚無僧姿の一種の基準になったのではないかと想像するが虚無僧の服装は時代時代によって変遷があったことは云うまでもない。

 虚無僧とは

 九世紀の後半、中国に普化という禅僧がいて、「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打四方八面来旋風打、虚空来連架打」という四句の偈を唱えながら鐸を鳴らして托鉢していた。わが国の虚無僧は、建長六年、覚心という僧が四人の居士を連れて宋から帰って来たが、その中に宝伏という尺八に秀でた居士がいて宇治に寓居し普化僧の禅風を慕って鐸のかわりに尺八を吹いて托鉢行脚したのがはじまりだといわれている。
室町時代、寄竹了円という僧が宇治の宝伏の寓居あとに庵を作って吸江庵と号し、宝伏の遺風にならって尺八を吹いて諸国を行脚しこれが禅宗の僧侶の間に多く広まっていった。

 鎌倉末期から室町初期にかけてのたび重なる戦乱で敗残兵や流浪の武士の中には、編笠を深くかむり、刀を差し、尺八遊行に身をしのばせてひそかに再起をうかがう者もあった。戦国時代から江戸初期にかけてはさらには改易藩の浪士なども加わって多くなり一宗一派を形づくるようになった。しかし、弊害も少なくなかったので、京都所司代と妙心寺の肝いりで、これら尺八遊行の士を普化の偈の意味をくんで「虚無僧」と称し、尺八を禅のさとりを開く法器として、宗旨や虚無僧の掟を定め、京都白川に一寺を建立して明暗寺と号した。

 明暗寺とともに下総の一月寺、武蔵青海の鈴法寺を虚無僧宗門の三本山とし、幕府はこの三寺に浪人の取締まりをさせ、浪士に一活路を与えるとともに、隠密探索に利用し、次第に勢力を加えて「普化宗」という禅宗一派を作りあげた虚無僧には種々の特権が与えられたもので多くの僧が増え、元禄から宝暦にかけては全国に一六派一七〇余寺を数えている。その頃の虚無僧の姿は寺内の僧侶は別として、武士の平服に黒の五条袈裟をかけ、天蓋をかむり、頭は散髪または茶筌まげで半俗半僧の姿であった。宗外の俗人で尺八修業の目的で托鉢する者には日限つきで虚無僧の免許を与えたが、幕末に近づく頃には虚無僧の特権を利用して非行宗徒が続出しはじめ幕府は取締まりを強化し、明治四年には普化宗を廃止した。ここで虚無僧も事実上姿を消すことになったのである。

 ◆分業プロジェクトチーム集会

 福岡市薬剤師会(斉田和夫会長)は医薬分業プロジェクトチーム集会を左記により開催する。
日時=4月15日(火)13時30分より
場所=県薬会館会議室

 ◆福岡市薬代議員会・総会

 福岡市薬剤師会は代議員会・総会を左記により開催する。
日時=4月19日(土)13時
場所=福岡県薬剤師会館

 ◆福岡市学薬50年度第1回理事監事会

 福岡市学校薬剤師会(馬場正守会長)では4月19日(福岡市薬総会当日)午前10時から県薬会館で総会を開催するため、9時から同所において左記議題により理事監事会を開催する。
@第20回総会開催について
A昭和50年度事業プログラムについて
C 選挙対策について

 佐治八郎氏個人で分業問題アンケート

 飯塚薬局の佐治八郎氏が先般、福岡県薬会員五〇〇名に分業問題のアンケート用紙を無差別発送したところ、解答が一三一枚(二六・二%)あった。その内訳は次のとおりであった。
一、分業はできると思いますか。
できる一〇〇、できない七、わからない二二。
一、今までできなかった原因の第一は何でしょうか。
政治八六、団結四九、資金一二。
一、国民医療の中の保険薬局とは。
販売一一、調剤一一三、相談三一。
一、福祉医療の原点は。
非分業〇、分業一一九、現状四。
一、対話と団結の保険薬会は。
賛成一〇五、不賛成一、不要一六。

 厚生省 緊急性のある副作用 伝達制度を発足さす

 厚生省は従来、副作用情報の伝達について主として都道府県、関係団体等を通じて行っていたが、医薬品の副作用情報は最近益々増加し、その内容も多種多様にわたっていることから、従来の伝達方法だけでは重要な情報が迅速、正確に行き届かない場合があるので厚生省ではこのほど、緊急性のある重要な副作用情報等について、今後必要に応じ自ら資料を作り、日本医師会等の協力を得て、これを全国の医師に伝達する制度を発足させた。

 なお、この制度により伝達する情報としては、厚生省が収集した内外の副作用報告のうち、中央薬事審議会で緊急性のある重要なものと評価された情報等が主な対象として考えられている。本制度による第一回の情報として「レセルピン系薬剤と乳ガン」について、日本医師会雑誌(第73巻第5号)に資料を掲載し、全国の病院にも伝達し、全国の医師に対して周知徹底を図った。

 神奈川県薬、検査センターの運営資金を調剤薬局より徴収か

 神奈川県薬剤師会(清水不二夫会長)は三月一七日開催した通常代議員会で、新たに設立する医薬品検査センターの運営資金として一日五〇枚以上の処方箋を取り扱っている保険薬局から月額千円の運営資金を徴収する考えのあることを明らかにした。

 これは日薬が昨年の診療報酬改訂に伴う調剤基本料(二〇〇円)の引き上げについて、二〇〇円の一〇%は医薬品の検査料である‐との考えを示し、徴収方法などについては各県薬に任せるとしたことに基づくもので、神奈川県薬では受益者負担の建前からセンターの運営費を調剤報酬分から徴収することにしたものである。

 同県は現在一日五〇枚以上の保険薬局は九五軒で、年間約百万円が見込まれている、県薬ではこの方針を次回の代議員会に正式に提案する考えのようである。他県薬でもこの種の資金の徴収には苦慮しているところがあるので、同県薬の成り行きが注目されている。

 新潟県薬、処方箋 一枚で20円徴集へ

 新潟県薬剤師会は医薬分業推進の一環として、四四年から保険薬局の調剤報酬総額の一・五%の特別会費を徴収していたが、このほど五〇年五月の支払い分から、処方箋一枚につき二〇円を徴集することを決めた。これは調剤基本料二〇〇円のうち一〇%は医薬品の管理費である−との考えに基づくもので、なお同県下における処方箋枚数は月一万枚余である。

 日本薬学会第95年会 参加者七千人を突破 新会頭に高木氏選出

 四日から西宮市武庫川女子大薬学部を中心に開催された日本薬学会第95年会は六日の病院薬局協議会など一〇部会を最後に、参加者七千人を突破する空前の年会となり、盛会裡に閉会した。

 初日の通常総会は@四九年度事業報告および収支決算A正副会頭選出B会頭引継ぎC新会頭就任挨拶D五〇年度事業計画および収支予算E定款一部変更F名誉会員・有功会員推薦−が審議され、引き続いて学会賞などの授賞式が行われた。同会内容の主なものは次のとおり。

 ▽正副会頭選出
会頭=高木敬次郎(東大教授)。副会頭=岡本敏彦(東大教授)、浜名政和(九大教授)、吉名重多賀(名城大教授)。

 ▽高木新会頭就任挨拶
新予算、事業計画に基づき、私なりに努力し、副会頭はじめ理事、会員皆様のご協力を得て微力ながら職責を全うしたい。また綿引事件の後処理など懸案の薬学会の諸問題についても、運営委員会などの協力を得て解決へ努力したい。

 ▽事業計画、定款一部変更
@支部活動強化のため、支部交付金を倍増(六百万円)A賛助会費を年額四万八千円から六万円に引上げ(正会員は据置き)B理事の半数交代制(八人を今秋改選)Cシンポジウムを一テーマ増加して六テーマにする‐など。

 ▽第96年会
来年春、名古屋で開催。組織委員長は吉名重多賀名城大教授。

 ▽名誉会員、有効会員
名誉会員=野上久(日本薬剤師会副会長)、堀井善一(城西大薬学部長)、百瀬勉(明薬大教授、元九大教授)。有効会員=西海枝東雄(神戸学院大教授、元九大教授)、藤永善作(藤永製薬社長)。

 ▽学術賞、奨励賞など
学術賞=加藤鉄三、山田俊一。奨励賞=入江寛、金子光、松島美一(九大薬学部助教授)、三須良実、渡辺烈。教育賞=鈴木美智雄、東丈夫、三宅良一。功労賞=井川俊一。

 病院薬局協議会 来年度への五課題決定

 日本薬学会の病院薬局協議会(全国病院薬剤部長会議を改称)は六日午前九時半から西宮市民会館に全国から千二百人を集めて開催された。

 当日は、報告事項として@薬歴作成の必要性とその検討(茂木武雄)、A前回決議事項の具体化推進(古川正)、B医薬品試験業務基準(黒田耕司)C臨床試験薬の品質基準(斉藤太郎)、D剤型分布調査(永瀬一郎)、E病薬実態調査(平岡栄一)、F品質確保のあり方(岩崎由雄)、G要遮光医薬品の開封後の滞留調査(浅田洸)、H使用上の注意の問題点(山田益城)、I添付文書の検討(宮家淳)、J病薬に備える図書(九大病院堀岡正義薬剤師部長)の11発表が行われた。

 なお議案として山口大学病院神代昭薬剤部長から「内容液剤の配合変化試験基準の作成」について説明があり、続いて五項目の宿題報告(主として溶出試験法に関するもの)があった。来年度への課題として、薬物の酵素誘導と相互作用同種製剤のバイオエクイバレンスなど五項目を選び、午後五時盛会裡に閉会した。

 宮嶋薬務局長談 事前報告制で値上げ了承再開
薬価調査対象に保険薬局も

 厚生省宮嶋薬務局長は七日の定例記者会見で、事前報告側に基づく大衆薬の値上げ了承を四月分から再開した。医薬品事故救済制度研究会を四月に開き研究会と薬害共闘との面談を検討している−などについて大要次のように語った。

 ▽大衆薬価格については二〜三月の二か月にわたって値上げの抑制指導を行ってきたが、四月分から事前報告制にもとづき値上げ了承を再開した。この了承にあたっては、中小零細企業を救済するために季節商品を対象とするなどの配慮を払った。なお事前報告制は今後も継続する。

 ▽三月には休会した医薬品事故救済制度研究会を今月は開く予定である。薬害共闘から研究会委員(七人)との面談申し入れがきている。条件整備が行えれば実現させたいと考え、研究会委員と相談している。

 ▽薬価調査は四月時点で行う方針に変りはない。今回は保険薬局も調査対象とすることを検討中で、実施のためには日薬の了解を得る必要もあり、対象保険薬局にならない。

 ▽国会審議中の中小企業近代化促進法の一部改正案が通過すれば医薬品配置業を特定業種に指定したい。税制および金融面でのメリットは大きいといえる。

 ▽GMPの実施に際しては弾力的自主的な判断、運用を十分に考慮する。

 ▽五日に開かれた第一回サリドマイド認定委員会は今後の認定方法論をつめたにとどまった。認定については大半が書面審査であるが一〇数人については実際の診断を行う予定である。

 薬務局 医薬品企業の外資との提携状況調査を再開

 厚生省薬務局は四七年一〇月版を最後に中断していた「医薬品企業における外国資本との提携状況」に関する調査を今年度に再開する意向を固めた。この調査は四六年まで毎年一回実施されていたが、行政管理庁の調査実施に関する認可問題で四七年版をもって中止されていたもので、日本企業の海外活動状況、外国企業の日本国内活動状況および外資企業の経営内容などが纏められており、医薬品産業の国際化、環境を探る重要な資料として利用されていた。

 薬務局では、五月一日からの一〇〇%自由化を踏まえ調査再開を考慮したもので、現在、行政管理庁との折衝および調査内容の検討に入っている。調査内容は大筋として前回を踏襲し、早ければ六〜七月頃には纏めたい方針のようである。なお前回の調査は調査票配布による企業の自計申告で、外国企業の日本支店、資本および技術の提携のある企業、資本金一億円以上の企業など二五四社を対象としている。

 若松地区の地域分業推進

 福岡県内には調剤専門薬局等マンツーマンあるいは前原地区のように支部会員の総意によって出資した調剤専門薬局等はあるが、地域の薬剤師会並に医師会が話合い、地域の既存薬局が全般的に処方せんを受け入れるもっとも好ましい地域分業は未だ出現していない。ところが近く、これが実現しそうな地域として若松支部が注目されている。

 社団法人若松薬剤師会(伊藤忠亮会長)は、北九州市の中でもまとまりのよい支部として従来から活発な支部活動が行なわれていたが、昭和三九年、当時の会長古賀哲弥氏のもとに三師会が対等の条件で三師会館を建設、以来一〇年間、事務所を隣接し@三師合同理事懇談会A会館運営委員会(年間四〜五回)B三師全会員によるボウリング大会並みに懇親会の三つの行事を三師会が廻り当番で実施、それぞれの総会には互に会長が出席するなどの取り決めを行い、実施してきた。

 さらに昨年は北九州市に休日急患診療が確立され、小倉区にはセンターが、各区にはサブセンターが置かれ、三師会員がそれぞれ協力し合って業務を担当、ここでも三師会員が医療担当者として互に理解を深めてきたこともあって、いよいよ若松地区では分業気運が医師側より盛りあがってきたようである。

 医薬分業についても常に三師対等な立場でのぞんでいる若松薬剤師会としては四八年からまず歯科医師会との話合いを積極化するため、社会保険委員会(井上浩一委員長)を活発化して積極的に話合いを進め、処方せん用紙と両会協議の上作製した標準処方集(昨年10月にはさらに手直し)を活用して次第に処方せんが増発され、歯科については殆んど百パーセント処方せんが発行されている。

 医師会対策は他地区に比し遅れていたが、昨年秋、社会保険委員会を発展的に解消、保険薬局部会を発足させ、一方休日診療のサブセンターで互に交流することから盛りあがってきた分業気運も、最近では医師会側より実施の要望が出るに至ったため、会としては医師側の区域分けに合せた保険薬局の区分けを行い、なお細部については今後その区分毎の医師グループと保険薬局グループが話合うことになると思われるが、すでにマンツーマンに近い分業も医院側の要望により二例が実施されている。

 しかし、地域ぐるみの分業を実施するには、具体的話合いが進むに従いなお、種々な溢路、例えば診療機関が相当数ある地域に保険薬局が一軒もない例(若松区全域的にも診療所数三・二対薬局一である)などがあり、今後分業が進む時点では一般販売業者も積極的に保険薬局に移行することがのぞまれており、会営薬局の設立も検討する必要があるようだと関係者は語っている。

 若松地区の現時点の実情は概略次のようである。
▽薬局数
薬局二三、一般販売業四、保険薬局二二、取扱い薬局一一(昨年10月以降取扱い薬局一八に増)
▽取扱い枚数
9月=一二八、10月=六六二、2月=二六〇三
▽発行医数
医=9月時点五、現在八
歯=9月時点六、現在一八。(歯科診療所三四の中二三が発行)
▽一般大衆に対する分業PRは若松衛生だよりを利用(4月1日号には井上浩一氏の「診療は医師・調剤は薬剤師」を掲載)
▽歯科の標準処方集は随時検討変更する。
▽週一回勉強会実施(調剤用薬品の勉強、今後三師で講師交換を行う予定)
▽現在マンツーマンに近いケースがあるが患者の意向から次第に処方せんが全域に広がりはじめた。
▽医師側よりの要望として@保険薬局、一般販売業薬種商のくべつをハッキリさせること(店頭の整備)A受入薬局のない地域に会営薬局設置を。
▽医師が仕入れた薬品の在庫等種々の要素から考え本年後半には地域分業が相当進むと考えられる。
▽今後の受入側の課題としては@施設の面で改造の不可能な店舗があることA融資は殆んどの会員が要望するものと思われる。B医療用直販メーカーの問題。C保険薬局のない地域の受入問題。D希用薬品備蓄の問題(小分け問題)等々
(渚)

 点滴

 ▼正規の卸を経由しなくて、病院・診療所へ納入する"ルート"に乗らない「アウトサイダー」の跳梁は、最近目にあまるものがある。宮崎県のような九州では比較的小県でも、二〇を数えると云われ、メーカー・卸段階では目下深刻な問題となっている。これら関係者の道義心の廃頽と、薬品の社会的特殊性に対する認識の欠如‐ここに極まるの感を深くするものである。かかるアウトサイダーの跋扈しないような業界であるように各界あげて努力すべきと思う。一日も早い正常化を切に希望してやまない。

 尺八と私(3) 塚田竹豊 虚無僧の資格

 慶長年間、二代将軍秀忠の時、幕府は虚無僧を使って天下の形勢を偵察するため、武士でなければ虚無僧寺に籍を置くことを許さぬという掟を作り、寺社奉行から虚無僧寺に下付した。

 一、虚無僧は国主の支配を離れて独立したもの。
一、直参の旗本と同様たるべき資格あるもの。
一、表は僧形、裏は武士の魂、この心がけを忘れず武士の修業の宗門たるべきことを心得べきこと。
一、この宗門に入らんとするものは百石以上の侍に限ること。ただし血刀を提げてかけ込みたる場合は血刀の対面に対し特に入門せしむること。

 博多の一朝軒といわず、虚無僧寺は一律に"武士遁世のところ他人の乱入を許さず"という門札をかかげていたので、徳川幕政時代武士や時世に不偶の浪人者の格好のかくれ場所となり人を斬って逃げ込む最良の場所であった。あやしいと思っても目明かしすら自由に寺内に踏む込むことはできなかったのである。それゆえに孝子や義士などが仇討ちを志し、虚無僧寺に入って諸国を行脚しつつ仇を求めたという話はいろいろ残っている。

 虚無僧は諸国行脚の際、必ず虚無僧寺から授与される往来鑑札を所持しなければならなかった。また行脚する国もそれぞれ縄張りがあり、たとえば一朝軒の虚無僧の往来する範囲は、筑前、豊前、豊後、肥前のうちの唐津領と決められていた。しかし、往来鑑札があれば津々浦々いたるところ通行ができ、代官、庄屋、寺方等でも虚無僧に対して粗略な取り扱いはできないという大きな特権もあった。

 しかし、特権ばかりではなく、一方ではきびしい修業生活の毎日であった。一朝軒では入門料は二両二分で、金のない浪人者は帯刀を差し出すことになっていた。そして虚無僧になると自営自活せねばならず、毎日托鉢して米二合、銭五〇文を納めねばならなかった。托鉢は毎日早朝に出て午後四時に帰山し、稼いで来た米銭を納めるのが掟で、一朝軒はこの点すこぶる厳重だったといわれている。

 虚無僧の衰微と明暗教会の設立

 南北朝時代から虚無僧といわれ、戦国時代に一時中断はしたが、徳川時代になって再び世に現われ隆盛時代を迎えた。それが幕末にいたり虚無僧は天下無用の長物視され、あげくは虚無僧禁止の噂さえされるようになった。この噂を聞いた大本山明暗寺の時の看主玄道は、朝廷に忠勤を励み絶宗とならないよう国家と宗派のために官軍の間牒となって江戸に潜入し、幕府の秘密を探るうち捕えられて斬首された。

 そのあとを受けて同寺の役僧素行は、先師の遺志をついで国事探偵として江戸に上り、虚無僧をしていたが、素行も捕えられ、その後病没し、明治四年普化宗廃止とともに虚無僧は衰微してしまった。

 明治二三年、明暗寺の開山像などを継承安置する東福寺で、本堂再建勧財のため「明暗教会」を設立して虚無僧托鉢の風儀を再現し全国各地に明暗教会の出張所ができた。博多における出張所は東福寺派の上辻堂町承天禅寺におかれたが、その後一朝軒に移された。

 一朝軒のおもかげ

 一朝軒の遺跡は現在旅館その他の人家がたてこみ、なんら昔を偲ぶ様子もない。擬宝珠瓦を頂天に置く寄棟造り一階建本堂のほか、土蔵一棟と築山二つ、荒熊稲荷堂と歴代看主の墓地などがあった。境内地は下?園町の真宗順正寺の境内と居合わせに隣接し、付近の東林寺前から東に入って来る小道の左手に歴代の墓地があり、小道の両側にたくさんの晩梯紫が繁茂していたので、一朝軒は俗に晩梯紫寺ともいわれていた。

 明治時代になっての一朝軒は二階建の長屋式となり、同時に明治中期ごろまでは虚無僧道場として多くの虚無僧が出入し葬儀の行列には頼まれて数人の虚無僧が尺八を吹奏しつつ加わったものである。現在の葬儀には虚無僧を見かけないが、まれに寺院で行なわれる葬儀に虚無僧の尺八吹奏を見ることある。

 現在、一朝軒は聖福寺の末寺である西光寺内におかれているが同寺に移されたのは今から約一五年ほど前で当時同寺が空寺であったところから一朝軒の道場として西光寺が当てられた。一朝軒と聖福寺は同じ禅宗という立場から常に関係が深く、普化宗禁止の際も一朝軒の寺宝その他円覚寺に移され庇護された。

 現在は、筆者を含む虚無僧一朝軒信徒約三〇名が尺八修業にいそしんでおり、昭和四五年一〇月一日福岡県無形文化財に指定された。

 分業不安

 ある医事関係新聞のコラムに「分業不安」と題して(三月二一日付)次のような一文が掲載されていた。
これは協和企画・市場調査室が実施したアンケートを基にしたものであり、実例も九州とは遠く離れた地域でのことであるが、医師側の一つの意見として謙虚に受けとめるべきではないだろうか。

 ○…処方せん発行の状態が医療社会の時報として注目されているのは、それが将来の医薬分業に関して浮動票的な人気を集めているからだ。協和企画・市場調査室が処方せんの発行について三四九名の医師から集めたアンケート調査によると、現在一部について発行しているが九・二%で、逆に当分発行する考えはないが六一・三%。そして地元の薬局の整備については現在ほぼ整備されている、の一〇・三%に対して整備されていないが八六・八%もある。この二つを連結すると「薬局がほぼ整備されているところで処方せんは発行されている」と数値的に符牒の合う話も出来る。さらにこの調査の内訳では、今後とも薬局が整備される動きや見込がないという答が七四・九%の多きにのぼっている。

 ○…先日も、ある地域でこんな実例を聞いた。昨秋処方せん発行〜保険調剤薬局の問題について医師会側から薬剤師会側に話をもちこんだ。ところが薬剤師会という組織は有って無きが如しで、型としては薬業同業組合にまとまっていて、その傘下に薬房とか薬店の看板を掲げる薬種商会と、薬局の看板の薬剤師会がある。で、同業協同組合の会長は薬種商会の会長で薬剤師ではない。とにかく一口で云えば薬剤師の影はうすく薬種商のパワーが強く、また薬剤師でありながら薬局よりも薬房的色彩の強い営業をしているケースも多く、会合の場では医・薬両側の次元がちがって問題にならなかった。

 ○…そうこうするうちにこの町に若いカップルの薬剤師が保険薬局一枚看板の開局を希望してのりこんで来た。薬業同業協同組合長さんのところへ挨拶にうかがうと、「おやんなさい」と賛成、ところがこれを聞いて今まで冬眠していた薬剤師会がにわかに動き始めた。距離制限がスレスレだの保健所にかけ合ったり、長い間安直な薬売りに甘んじていた薬剤師までが「我こそは薬剤師なり、処方せんは私がいただきます」と騒ぎ始めた。薬業同業協同組合の内部でも波乱寸前の様相をていしている云々。こんな調子では処方せんは危なくて発行できない。

 ○…もう一つ先般、栃木県医師会でもこの種のアンケート調査をした。一八五名の医師の回答の中に"医薬分業"に無条件賛成は一名もなく、分業の時期尚早の最大理由は薬局の受入れ態勢未完と薬剤師の勉強不足にあった。

 ○…医薬分業についてはいろいろありますが、とにかく現状では不安です。

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