通 史 昭和50年(1975) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和50年(1975) 1月5日号

 年頭所感 日本薬剤師会 会長 石館守三

 昭和四十九年は、政界も経済界も激動の中に幕が下りた。この激動は、世界的情況ではあるが、土台の不健全なわが国はその震度はもっとも大きく、自らの力でこれを回復せしめるにはなみなみならぬ努力を必要としよう。この地震と地すべりは来たるべくして来た歴史の審判を免れることはできない。この激動と審判は考えようによってはよき教訓であり、受け方によってはよき試練でもある。

 わが薬剤師会にとってもまた薬剤師職能の運命にとっても、この時はまさに第二の維新の時である。今年はあたかも医制が敷かれて第百一年の年に当る。文明開化を目指して、西洋医学と薬学を取入れた当時の記録をひもといてみると、それはいかに大きな決断であったかを悟る。当時は四面楚歌、国内騒然、そして困窮のただ中にあって、祖国百年の計を立てる為に尽した努力と犠牲は、我々の想像に絶するものがあったはずである。

 それと比較して薬業界剤会の当面する改革はものの数ではない。薬剤師職能の前進と革命は今幕を切って落された。それを転機として、薬業界、医薬品の本然のあり方が激しく問われる時機を迎えている。日本の保険下における医療のあり方も激しく問われている。

 薬剤師会が直面する第二の維新の改革には昔日のごとき大きな障害は一つもない。もっとも近い医師会も今や我々の友となりつつある。政府や指導層も我々に好意を持っていると考える。我々の前になお未知であるのは、医療を受ける国民が現実にその恩恵に浴するか否かにある。それが医療担当者、特に薬剤師の行動にかかっているところである。私がこの新年の初頭に切々に望むものは、薬剤師諸君の意識の革命であり、価値の転換であり時代の認識である。この年がその健全な前進の年であることを切願する。

 ことしの課題 九州大学医学部附属病院 薬剤部長 堀岡正義

 多事多彩の一年であり、それらが次々と現われ、アッという間に年の瀬を迎えた。今年は昨年からの宿題に解答を出さねばならない年、これから何十年かの薬剤師の運命をかけた年である。

 昨年十月の医療費改訂は医薬分業への道を待ちこがれていた薬剤師にとって、まさに晴天の霹靂であったその感激を筆者は九州薬学会会報の後記に次のように記した。

 「十月一日からの医療費の改訂により、処方せん料は従来の一〇〇円から一挙に五倍、五〇〇円に引上げられた。他の診療報酬に例をみない大幅な引上げである。再診料は一五〇円→五〇〇円の要求に対し三〇〇円であった。処方せん料の要求が全額認められたことは、医薬分業推進に対する強力な施策の現われである

 医療における技術と物の分離、それに伴う医薬分業についてこれまで医師会側も一応の理解は示していた。しかしそれにより医業経営の沈下をきたらすならば分業も掛声だけに終わるおそれがある。処方せん料五〇〇円によって今や医薬分業は医師側にも十分ペイすることとなった。加えて必要経費七二%の税法上の優遇措置の引き下げも必然である。分業ムードは雪だるま的に広がりつつあり分業の成否は今や薬剤師側の受入体制如何にかかってきた。

 これまでの薬局経営の方式から調剤主体の経営への転換は、開局薬剤師に生活革命を強要する。しかし薬剤師はこの機会に本来の職能を取りもどすために陣痛の苦しみを味あわねばならない。それは薬剤師として自らのためであり、またむしろ次の時代の薬剤師、数十年後の薬剤師のための苦しみでもある。多くの苦労も前方に明かるい日射しが約束されることとなった今、薬学の命運をかけた行動が開始されるときが到来した」

 一月よりの薬価基準の改正、業界の販売秩序確立、さらに十月に予定される世界医師会総会の東京開催など、分業推進の要因はますます多い。昨年来の分業受入れの準備体制が花開くのは、まさに今年なのであるが、これまでの動きをみるとき、危惧される要因も多いようである。しかしそれは開局者の方々の今後一層の努力と周辺からの協力援助に期待することとしたい。

 ここで考えたいのは、薬剤師の行なう調剤、調剤技術は如何にあるべきかということである。調剤を経済分業としてのみとらえることは、日医武見会長のいう「調剤販売行為」であり、まずこの観念を払拭しなければならない。

 処方せんが発行されるための基本的な条件は、薬剤師が薬の専門家としての学識と技術を有しており、調剤は開局者にまかせるという信頼感を医師が持つことが第一であるそこに薬局があるということだけで分業が進むものでないことは当然である。薬剤師が行なう調剤の条件として、第一に医薬品に対する知識を十分に有すること第二にそれに基づいてメンタルな調剤行為を行なうことが挙げられる。

 それではそのような「あるべき調剤技術」の確立がなされているかというと、現状は未だ不十分であることを認めざるを得ない。前記の九州薬学会会報第二八号で、筆者は「調剤と調剤技術」と題して調剤の定義・本質、調剤技術の方向などを記したのであるが、詳細は同書をみていただくとして、当面の課題としてメンタルなあるべき調剤技術を目指して開局者にも薬学生にも研修教育を行なうことを本年の課題として取りあげて行きたいとおもう。

 処方せん料 五百円の波紋 柴田伊津郎

 今年の年頭の所感には分業問題に話題が集中することと思われるので私は何か他のことを、と考えてみたが、近頃の業界紙を見るたびに小々割り切れぬことが目につくので、やはり分業関連で二、三感想を述べてみようと思う。

 昨年十月処方せん料の五百円が発表されると、薬業界は好期到来とばかり大変な騒ぎとなったことは周知のことである。しかし考えてみれば、過去百年に近い薬剤師の悲願が処方せん料五百円≠ニいう触媒によって、とたんに化学反応を起こしはじめたことは全く予想外のことである。

 分業問題の発展につれて医師会の動きも活溌になってきたが、近頃の新聞を見ていると武見さんがわれわれの会長ではないか?と錯覚するような記事にお目にかかることがある。特に例の「薬剤師会において留意すべき事項および同会への要望事項」という日医文書である。ああいう文書は薬剤師会長がその会員に通達すべき指導事項であって、医師会がプロフェッショナルの団体である薬剤師会に対してあのような形で申し入れるべきものではなかろうと思う。

 日医文書およびこれについての疑義解釈を一読すればわかることだが、容器は消毒しなさい、目薬は滅菌しなさいなど、調剤の基本というか末梢というべきかはわからないが、調剤に際しての誠に行き届いたご指示をいただいている。この際細かなことに一々目くじらたてるのは大人気ない、と日薬ではお考えかもしれないが、私のような短見者流は腹が立って仕方がない。腹が立つことといえばまだまだ他にもあるが、新年早々でもありこの位にしておこう。

 今後の大きな問題に調剤専門薬局のことがある。医薬品の一物二名称で、医療から疎外された開局薬剤師は、今度は薬局の一物二名称でひどい目に逢いそうである。そもそも薬局とは調剤もやり医薬品の販売もやるものだと考えていたら、調剤薬局というものが出現して薬局までが一般用と医療用とに分けられたようである

 しかもこの調剤薬局は、処方せん料五百円≠フ波にのって一般用薬局の間に割り込んで来るであろう。適配条例も患者の便宜のためという大義名分によって特例を設けているから尚更である。

 日薬推奨のマンツーマン方式は診療所とタイアップした調剤薬局の開設を促進する効果はあるであろうが特約分業の禍根を将来に残すことのないよう考えておかねばなるまい。新年早々のボヤキは目ざわりだと思うけれど、薬の専門家を自認する薬剤師であれば、処方せん獲得に狂奔する前にプロフェッショナルとしての勉強が大切であろう。調剤の基本を先様に指示されるようなみっともないことはもう結構である。妄言多謝
(福岡県薬剤師会理事・県学校薬剤師会副会長)

 薬剤師教育の 夜明けを望む 福岡大学病院 薬剤部長 黒田健

 かつて医学部衛生学教室に勤務していた頃、日本の公衆衛生は夜明け前といった表現がよく用いられていた。当時、研究室内での実験的ノイエスを追究することのみを大学の使命のように感じていたが、次第に、フィールドにおける研究活動に衛生公衆衛生学の学問的本質を見出しうるようになった。それは現場で働く公衆衛生医、産業医、保健婦、栄養士などの専門職の人達との密度の濃い学術的交際を通じて、現場における衛生学的問題点の所在を理解するようになったからであった。

 ところで、社会的には夜明け前の状態にあった公衆衛生を夜明けに導く引き金は、「パブリックヘルスマインド」にあるとする基本的考え方から公衆衛生の教育研究は始められていた。教室独自の教育法として夏休みを利用しての公衆衛生現場実習を行なっていた。スモールグループに分れた学生達はそれぞれ研究テーマを選び、例えば「県北部における生活実態と保健問題」について、担当教室員の指導のもとに調査活動に従事してレポートを作成する。

 衛生学講義のしめくくりの数時間は、これらレポートの発表と問題点の討議を中心に、学生達の体験のなかから「パブリックヘルスマインド」の意義を認識させようとするのである。自分の研究はどうするのかと学生達にかえって心配されるほど、教室員の多大な献身が必要であったが、やがて殆んどが臨床医となる人達に対し、一夏の体験が公衆衛生の重要性を認識させるための一粒の麦となればという意欲に支えられたのであった。

 ひるがえって、百年の悲願であった医薬分業がようやく緒につく状勢にあると聞く。薬剤師にとっての夜明けであり、われわれ病院に勤務する者にとっても、開局薬剤師と同様にまことにおめでたいことと言わねばならない。

 しかしながら自らの体験について述べてみると、病院薬剤師が医療チームの一員として十二分に専門的機能を発揮しうるための環境づくりは、なかなかに困難なものがあると感じている。医薬分業という体制が真に国民の健康を守り福祉を増進させうる絶対のシステムであるという社会的評価をかちとることも、正直に言ってそう容易ではないだろう。「ファーマシストマインド」とも呼ばれるべき医療担当者としての精神が強調されねばならない。それは、ひとえに薬剤師教育の如何にかかっているものと考えている次第である

 新年を迎えるにあたり、薬学教育者はじめわれわれ実務薬剤師を含めた薬学関係者が、共通の問題としての薬剤師教育に対してそれぞれの立場からの活溌な意見を交換する気運を盛りあげ、今年こそは最善の道が拓かれるよう一歩前進を期待すること切である。

 休日救急診療 センターに出勤して 上田ヨシヱ

 朝八時四十分過ぎ家を飛び出して、西新病院隣の休日救急診療センターへ九時迄につくようにと運転手に念をおしながらタクシーを飛ばした。いつも店頭での時間観念がルーズな生活態度が一日であれ勤務するとなると相当緊張してくる。「奥さん病院はお見舞ですか」と運転手の言葉にとっさに「いや一寸」といって後の言葉を口の中でにごしながらこんな年寄りが今更薬局へとの説明も出来ず独り苦笑した。

 九時丁度に到着した。薬局にはすでに若い女子薬剤師人達が二人共白衣を着て業務待機しておられた。「お早うございます」とあいさつして昨日は休みを利用して阿蘇三俣山近くまで画かきに行く主人のお供をして夜遅く帰り今朝はつい寝坊してしまったと言訳けしたところ「先生はお元気ですね、阿蘇を日帰りするなんて!!」といわれかえってまごついてしまった。

 なにも知りませんのでよろしくお願いいたしますと病診薬勤務のU姉に挨拶した。いいえ私こそといわれ、も一人の方も福大を三年前卒業後学校に残り余り調剤技術に不馴ですからよろしくと互に言葉を交しすっかり打ち解けていった。私は薬剤師八〇年来の悲願である医薬分業の実現が確実になってよかったですねといっても他の二人には私程の感慨は起らないように見受けられ年令の差をしみじみ感じた。

 午前九時より午後五時までに百枚前後の処方箋を三人の薬剤師で調剤投与するので特別にむづかしいとも感じないが、調剤業務にも処方箋にも不馴れな開局薬剤師は病診薬の先生方を主任級として指導を受けているので安心してはいるものの、矢張り間違っては大変なので内心の緊張はかくせない。ふと窓越しにみると待合椅子にはかなりの患者が腰かけて順番を待っている。日曜日といっても大変な患者に目をみはるばかりである。昼食の予約はどうですか、と近所の食堂から注文取りにきてもう昼になったかと時計を視る、時間のたつのが早いのに驚く。

 受付けにおける処方箋のチェックが大変な役目を果すことを知った。即ち処方内容の正確さ、年令を確認しながら投薬袋に氏名用量用法を記入する。又調剤のできたのを渡す時にも一応薬袋の中味をとり出し、薬包残の包みを開き処方箋と照合し検査して、初めて患者に服み方やその他の注意を判り易く説明して手渡す。

 この間私は病薬の先生方の手馴れた動作をみるにつけつくづく感心してしまった。窓口で薬を渡す為に名前で呼び出すのに待ち切れない他の患者が、私のはいつ出来上るのですか、あの方より先きにきて待っていますと言われ、手元の処方箋を調べてもその人の名前がありません。実はこの患者は受付で一部負担金を支払わないで唯薬局の窓口で待っておられいつまでも呼出しがないとおこられたのである。

 そこで十分わかり易く次のように説明した。受付けで料金の支払いをして初めて処方箋の交付を受け、こちらに持ってきていただく様に説明すると、やっと納得される珍風景も二、三回あった。まだまだ一般患者の分業システムへの認識の浅い点等考えると余程の努力と忍耐で指導しなければ社会の批判がかなり起ってくるのではないかと思えた。

 休日診療センターという特殊性もあって大半が小児科の処方箋であった。薬用量が小児であれば十分熟知しておかないと医師の処方箋をうのみするわけにはいかないし、倍散を原末で書かれたと誤読してハッとしたりして医師に問い正すことが再三であった。

 急患の火傷の患者でもきたのか、チンク油の在庫連絡が医局よりあった。あちこちさがすけど見当らないので「チンク油はありません」と答えるうちに今頃こんな薬を!!と思はず言ってしまった。然しこの薬は昔から現在に至るまで絶対に必要であることを忘れないでね!!と言われ思はず首を引きこめた。

 薬品の購入はすべて医師会側の指導で行われているのであるが、薬の不揃いの時はまるで私達の手落ちのように責任を感じる。在庫していない時はこれに代る薬品名を聞かれたり、耳馴れぬ薬品名をさがし廻りするうち時間はどんどん過ぎてゆく。処方箋の内容についても小児科が比較的多く風邪で熱を出した時には殆んど抗生物質を投与され、解熱剤にはバッファリン単味がよく処方されていることも一興であった。

 大衆薬の風邪薬の処方にはそれこそ解熱剤から抗ヒ剤、鎮咳剤更にビタミン等を一緒に製剤化されたのを取扱っている私達に、これを一つずつ処方箋に記載されたのを調合してゆくことはその薬用量も十分に勉強になった。不勉強だったのは私だけかも知れないけど真剣に分業態勢に向わんとする時、先づ自己の職能に対する技術の研鑚が第一であると痛感した

 五時近くなると交替の薬剤師がぽつぽつやってきた。処方箋何枚きましたか?、「百三十枚位ですよ」といえば大変ですな!!何か引き継ぎに事務的なことはないかと聞かれそれぞれ事情を伝えて交替して白衣を脱いだ。矢張り余り腰かける時間とてなかったので軽い疲労を覚え、外に出てみて雑沓の中でほっとした安心感で一杯だった。

 夕食準備時刻なのか西新商店街には人の波で、ごった返している中を通りながらしょうしゃな薬局の前まできて思はずつぶやいた。三十七年の永い間私は薬局経営を医薬品の売れるにまかせて物品販売業と化し職能の発揮に努めなかったではないか、この結果がいつのまにか医療人として社会から受け入れられずにこの現在の状態になったとの批難は当然受けるべきであろうが、更に医薬分業を投資としてこれを受けとめては又同じ墓穴に入るのではなかろうか。

 あくまで今後の薬局の使命は大衆の中に医療機関として薬剤師の職能が生かされることに於て分業の達成もあり得ると考えられ、他面軽医療に於ける大衆薬の販売指導も開局薬剤師のしめる当然のあり方としてみのがせない実態と思う。要は大衆の中に絶対的必要性のある職能である様努力して進まねばならぬとつくづく思いながら帰途についた。
(福岡市薬剤師会常務理事)

 分業二年目の課題 福岡県薬剤師会 専務理事 神谷武信

 九月十七日徹宵の中医協総会で決った医療費改訂の日から、またたく間に三ヶ月余りが過ぎ、二年目の昭和五〇年の幕開けとなった。薬剤師会はもとより、開局者夫々、受入体制の促進に当られた訳だが、かけ声の割に成果は挙らず、その壁の厚さに、各様の受け止め方をされた事と思う。努力に不足はなかったか?認識に甘さはなかったか?

 三ヶ月の反省の上に二年目の覚悟を新たにしたい。かねがね予想はされていたものの、降って湧いた様な改訂のタイミングと、余りにも経済的認識よりスタートした容易さが、大きく禍いしていると思う。

 医薬分業は医師と薬剤師のためにのみあるべきでなく、あく迄全国民の医薬のためのものであり、医療の質が向上するためのものでなければならない。世論並にパラメディカルスタッフの同意を得た上でない限りは漸進的な姿でしか進まないと思われる。薬剤師にとっては一〇〇年の悲願ではあるが、医療の社会から見ると大変な革命でもある訳で、開局薬剤師の大部分が参画する迄にはまだまだ年月を要すると痛感される訳である。

 日本の医療が「保険」と云う仕くみの上で発展し、尚且つ高福祉化をめざし「保障」の意義を深めて行く過程に於て、分業なしに耐えて行かねばならぬ薬剤師ではあるが、此処はあと一、二年の我慢であり、あく迄分業誕生の陣痛と考え、薬剤師のライセンスにかけて耐え、初心貫徹に努力すべきと思う。

 分業はあくまで、既設診療所と開局者との間で進められるべきと考えているが、二年目ともなると、この様な理論とはうらはらな現象が現れるのでないかと心配している。かつて大学病院等で第二薬局の開設がはやった。それは薬品購入予算の関係で出来たもので、不足分を院外処方せん発行で補おうとするものであったが、処方箋料のアップに伴い東京、大阪等では既に昨年頃より新しい型の第二薬局が生れつつある。

 大病院勤務の薬剤師の技術料が評価されていない為に(今回改正のミスと考えられているが)云はば処方箋料稼ぎのための第二薬局と考えられる。公立病院の赤字救済が大義名分であった今回の医療費の改正が、逆に第二薬局進出に油をそそいだ結果になる訳である。診療報酬が低医療費政策によって正直者程報いられることの少い体系に迎えられ良心的な公立病院程苦しく、その経営の合理化を図る手段としての第二薬局の出現は無理からぬものがあり、その是非は別として、私は之が開業医並に開局薬剤師に与える影響は極めて大きいと思う。

 前述の如き医療の原点を求めて、あるべき姿としての分業が、この様な事でゆがめられるとすると、更に変った型の経営者が、薬剤師でない保険薬局の出現も呼びかねないし好ましからざるも合法的と云う様な風潮が出来ると、医師の倫理、薬剤師の倫理を以ってしても防ぎ得ないと心配になる。又一部医師に於ては薬剤師会に調剤センター設立を要求されているが、センターとても医師が最も心配する距離を考えると、さ程需要を充す事にはならないと思う。

 要は保険薬局の数が絶対に不足している事と、保険薬局並薬剤師の質を如何にして引上げるかに尽きると思う。十一月に再度、武見日医会長より「処方せん受入体制の整備促進方についての要望」がなされたが、内容を要約すると、医師の信頼にこたえ得る薬剤師の質の問題であり、その薬剤師が管理する保険薬局の数が充分であるかと云う事になると思う。

 質の点では開局薬剤師が医薬品に関する知識をひろめ、その有効性と安全性と処方調剤の面で発揮すると共に、元来治療に専念すべき医師に代り医療担当者として出来る範囲のかたがわりをすべきだと思う。そのためには日本独特な健保のしくみに精通し、千変万化な健保の在り方に対応出来なくてはならない。

 量の点では今でさえ少ない保険薬局がその立場を認識し、全員がその応需体制に入り、更に薬局過疎地への開局を慫慂し要に応じ調剤センター、基幹薬局等の設置も考えなくてはならぬと思う。因に福岡県下の保険薬局数は一〇〇〇にも充たないが、病院診療所の数は五〇〇〇を越えている。薬務当局も今回は極めて積極的であり、指導も当然分業指向型となると思うが、愈々ともなれば、保険薬局を充足するには適配条例も期待出来ないやに聞いているし、二年目の今年こそは性根を入れ体制を充実し、要求に応じたいものと思う。

 最後に本紙には福岡県薬広報の一端をお願いしている事を読者に御紹介すると同時に貴重なる紙面をさいて分業情報の提供を頂いた点、厚く御礼申し上げます。

 大衆薬と分業 福岡県医薬品小売商業組合 専務理事 藤野義彦

 あけましておめでとうございます。昨年十月実施された処方せん料五〇〇円を引き金に医薬分業の芽が出てきたことで、保険調剤の研修と保険薬局の経営研究が盛んに実施されていることは誠にたのもしい限りです。

 分業は薬剤師職能の確立であり大衆の認識を得て医師・薬剤師の協業によって医療を通じて社会に奉仕することは論を待ちませんが、折角の双葉の芽を枯らすも、伸ばすも我等薬剤師の行動にかかっている。そのための研修会であり勉強であることをしっかり心得なければならぬと思います。薬剤師会もその目標に向い渉外関係に力を注ぎ、心新たに力を入れてゆく覚悟です。

 今、処方せん発行と応需態勢の強化が一番語られておりますのでこの問題は別として、従来からのそこで生活してきた現在の薬局の本業の経済的基盤である一般販売業の趨勢を少々考えてみる必要がありますのでO・T・C薬品の販売に関する事項を検討したいと思います。

 昨年十二月初め、私は医薬分業の気運高まり、この千載一遇のチャンスに当り薬剤師の過去八十年の歴史の悲願達成のため、この時に生をうけた我等として何人としても、また将来の薬剤師のため、薬剤師の本来の使命である分業を軌道にのせてと、意気込んでいることも事実ですが、決して容易なことでない認識も人一倍持っております。このため何とかして先進国のアメリカを「百聞は一見にしかず」この目でみて、肌に感じる必要を痛感してアメリカ西海岸の薬業視察に出かけて参りました。

 アメリカに於ける分業の状態は別の機会に語るとして前述のO・T・C薬について語りたいと思う。
メンリ、アンド、ジェームス社(コンタックのメーカー)の医薬品営業部担当副支社長補佐のアレキサンダー氏の講演要旨ではありますが、ナショラルブランドメーカーの一方的な話しだけと思ってもおられない大衆薬に関する趨勢が或る程度理解されると思いますし、現実にサンフランシスコ、ロサンゼルスに於けるドラッグストア、フーズストアを見るとうなずける気が致しました。

 アメリカに於ける医薬品販売の全体を概観しますと医薬品が三つのカテゴリーに分類されることです。
その第一のカテゴリーは認可をうけた薬剤師並に医師にのみ販売を許される処方せん薬(Pviscuiption drugs)であり、この処方せん薬は医師には直接販売促進の行為をすることは許されますが、一般大衆に対して広告することは許されません。

 第二のカテゴリーはオーバー、ザ、カウンター薬、またはO・T・C薬≠ニ呼ばれるものです。この種の薬はその名前から容易に理解できるように処方せんなしで販売することができるため、さまざまな種類の店で販売されております。然しここで重要な点は、この種の薬は一般大衆には、広告されてないということであり、第一の処方せん薬と同様メヂカルトレイドジャーナル(医師・薬剤師向け雑誌)に対してのみです(註、ここでのO・T・C薬とは普通ETH・CALO・T・C薬と呼ばれるものを指すということだそうです) 第三のカテゴリーが凡ゆる大衆薬です(Proprietary、drugs)このプロパイタリードラッグとは処方箋なしで販売され、エシカルO・T・C薬や処方箋薬とは異り、一般大衆に直接広告が行われる薬のことです。

 アメリカではこのように大体三つのカテゴリーに分類されており@要処方せん薬AエシカルO・T・C薬Bプロパヤタリー薬(所有するという意味だそうです)という大衆薬等ということになります。これを私は次のように解釈すると解ると思います。即ち@はドクターメジケーションの主要医薬品でありAはファーマシストメジケーションに属するものでありBはセルフメジケーションの医薬品である。現在の日本ではAとBを包合して凡ゆるO・T・C薬(大衆薬)といわれているものと考えられます

 特に第三のカテゴリーに入る大衆薬の過去五年間は年平均五・五%の割合で伸びている。その理由付けとして第一にアメリカに於ける人口増加があげられており、そのため鎮痛剤、かぜ薬並びにビタミン剤等の消費の増大、且つ六五歳以上の人口増加により緩下剤並びに睡眠薬等の伸長です。

 第二には販路に於ける流通チャンネルが拡大したことであり、第三の理由として人口の伸びに比して医師の絶対数の不足といわれ、人口六七〇人に一人という状況であることが力説されておりました。昨年は大衆薬の消費者購入総額は約一兆五〇〇億円であり、これを薬効別にみると第一位はビタミン剤の一八〇〇億円、第二位は鎮痛剤(アスピリン主体、その他非ピリン系)の一三五六億円、第三位は制酸剤

 (神経ストレスの増加)九七八億円、第四位は緩下剤六九〇億円、第五位は咳止めシロップ六三〇億、第六位は育児食六一五億、第七位はかぜ薬六〇〇億であり、特にカリフォルニアの小売店舗は大規模であり全国平均を大幅に上回っている由である。

 なお、今後の大衆薬の成長製品は、鼻かぜ薬(年平均10%台の成長率を示す)以下滴眼薬(コンタクトレンズの普及による)、ビタミン剤、カフドロップ、女性生理用品であると指摘され一般医薬品のマージンは45%が普通とされています

 以上アメリカに於ける凡ゆる大衆薬の趨勢を語ってきましたが、日本に於けるそれと比較して私共はもっとこの分野を大切に考えて意を注がねばならぬ問題と思うし、医薬分業は強制分業でなく任意分業であることを知り、分業の芽は出はじめてはいるが、これを開花結実させるまでにはなお何年もかかることを認識しきびしい現実を直視し、経済的安定を大衆薬、自家製剤に求めながら分業への彼岸に一歩一歩と近づく努力をおこたってはならない。
(福岡県薬常務理事)

 福岡県薬支部連絡協議会 地域医療の体系化で 医師会との話し合いを

 福岡県薬剤師会(長野義夫会長)は第一九二回支部連絡協議会を一二月一四日(土)午後一時三〇分より県薬会館で開催した。

 議事にさきだち、白木副会長は「国内経済状勢は来年度は厳しさが一段と増大するものと考えられる。大衆薬は益々沈下するので、小売薬局の健全経営は医薬分業によって、経済上からも活路を求めるべきでマンツーマン方式によって分業を積極的に推進されたい」との主旨の挨拶を述べ、ついで神谷専務理事の司会により議事が進められたが、その主なものは次のとおり。

 ▽薬剤師政治連盟報告=白木副会長
薬剤師の職能向上のためには政治力の必要性は云うまでもないので、我々としては積極的に取り組むことが大事である。本日、東京で総会が開かれているがその席上では、@会費の値上げ(A会員三千円、B会員千円)A推選候補の選定方法B研修会(選挙の実務上の進めかたの研究について)開催C森下泰参議後援会運営、などが検討される。

 ▽第二三二回理事会報告=神谷専務理事
(一二月一五日号既報)

 ▽分業推進特別委員会報告=安部委員長
(一二月五日号既報)

 ▽前項、安部委員長の追加報告として、一二月一一日県医師会実務委員と県薬からは中村、安部、藤野の三担当実務委員。神谷専務理事を加えて話し合いの場をもったがその結果、患者サイドの点より地域医療に対する体系化の基本的な問題に取り組み、あくまで地域住民のためにとの認識を踏えて、双方のプランを持ち寄って一二月一六日に検討することとなったことが報告された。

 本件に関して参考意見の交換が熱心に行なわれたが第二薬局問題を含めて分業問題は@薬剤師サイドだけでは解決しないA薬剤師の倫理と医師の倫理を基本にしなければならないB薬剤師会と医師会、薬務課保険課との話し合いを推進する‐などを確認した。

 福岡県 薬業協議会

 福岡県薬業協議会の一二月例会は一二日(木)午後二時三〇分より、県薬剤師会館で開催された。まず、県医薬品小売商業組合の白木理事長の挨拶があって、各地区の情況報告が行われたが、そのおもなものは@北九州の分業進展は順調に進み、特に若松地区では処方箋発行が急増A各地区ともまだチラシが散発しているが、組合としては今後は姿勢を正して進むことを確認したなど。

 次いで、福岡市薬剤師会斉田会長より「分業が上向いてきている時であるので雑貨屋的なチラシの配布行為は医師の批判を受け分業促進を阻害する原因ともなるので、商組としてはこのような行為は厳に慎むよう更に真剣に取り組む必要がある。県内保険薬局の数は診療所の四〜五分の一である実状から考えても、薬局は全部が調剤をする保険薬局へ移行し、薬種商の方々も保険薬局となり調剤を行う方向をとられたいと思う」と提言あり。

 なお、白木理事長は外国の例をみても薬局は調剤をしなければ物品販売だけでは経営がやっていけない実状であること、厚生省でも小売薬局の将来は医薬品の販売での生活保証はむづかしく調剤薬局によらねばならないことを示唆している−などと述べた。

 この提言に対し、種々意見の交換が行われたが基本的には提言の方向をとるべきことを認識した。次回、一月度の本協議会は一月一〇日午後二時開催と決定。

九州薬事新報 昭和50年(1975) 1月15日号

 福岡市立休日急患診療 センターの現況報告 成沢哲夫

 明けましておめでとうございます。皆様にはよいお年をお迎えのこととお慶び申し上げます。昨年八月福岡市医師会の要請で、福岡市薬剤師会から休日急患診療センターに行くようにとのお話しがあり、九月一日より専任薬剤師として出動していますので、その現況をご報告いたします。

 休日診療については既にご存じのことと思いますが一昨年の春頃から、福岡市と福岡市医師会の間で、休日に於ける市民の健康を守るための休日急患診療体制について話し合いが続けられ、両者合意に達して昭和四十九年四月に運営協議会が発足しました。診療は五月三日の第一日曜日から市立西新病院を借りて開始され、八月にセンターが完成しました。

 診療業務の概要
実施主体 福岡市
受託機関 福岡市医師会
診療科目 内科・小児科
診療機関
センター 西区祖原
福岡診療所 中央区舞鶴
博多診療所 博多区千代
南 診療所 南区塩原
診療従事者 医師・薬剤師
放射線技師・検査技師・看護婦・事務員
診療受付件数 五月〜十月
(六ヶ月)一二、一五四件
一日当り 三九二件
内、投薬率 約九〇%

 診療の開始に当っては、市当局・医師会共に関係者は大変なご苦労をされた様子で、薬剤師会に於いても市薬会長・副会長、殊に専務理事の荒巻先生及び勤務薬剤師の先生方のご努力により薬局の整備が進められ、ほぼ体制が整って参りました。

 もので約三〇〇品目(内注射薬一〇〇品目)あります。そこで今後医薬分業が進むにつれ会員の皆様のご参考にもなり、また休日診療の円滑化のためにもと、市薬と勤務の先生方との協力により、現在福岡市立休日急患診療センター医薬品集が作成されつつあります。この作成につきましては昨年十月三日に第一回の打合せ会が持たれ、左記の通り医薬品集作成委員会が設けられました。

 委員長
河野義明 九大(歯)病院
委員
荒巻善之助市薬専務理事
磯田正春 九大(医)病院
大橋 研 九州中央病院
白勢栄治 浜の町病院
吉本喜四郎市立第一病院
鶴岡道雄 九大(医)病院
河野貞子 中村病院
市花 晃 市立西新病院
秀平照子 九州中央病院
成沢哲夫 診療センター

 各委員の先生方には三ヶ月に渡り貴重な時間を割いて頂き、精力的に作業が進められて参りました。更に医薬品集と同時に、今すぐ役に立つ実践的な調剤学のテキストも作成され河野・吉本・鶴岡の三先生より、今月から数ヶ月間(毎月一回)センターに出動される市薬の先生を中心に、また分業に積極的な先生方も一緒に御指導下さることになっています。講習の日時その他については追って会より通知があると思いますので、その折には会員の皆様にはお誘い合せの上奮ってご参加下さる様お願いいたします。
次に設備及び診療機器については今後益々充実するよう計画されていますが、薬局関係につきましては現在左記の通りであります。

 設備・機器
分包機 三台
ユヤマ 3R
ユヤマ 6‐30E
オカダイ OT‐3
錠剤調剤台 一台
散・水剤調剤台 一台
保冷庫 サンヨウ 一台
自動上皿天秤石田 一台
図書
日本薬局方第一部解説書
日本薬局方第二部解説書
今日の治療指針
今日の小児治療指針
内科診療の実際
医薬品要覧(総合新版)
最近の新薬 15〜25集
優秀処方とその解説
常用新薬集 第23版
ジョサマイ事典
九大病院医薬品集
小児薬用量 小林登監修
以上休日診療の現況を薬局を中心にご報告申し上げ今後休日急患診療業務を通して薬剤師の地位向上のため努力いたしますので、昨年同様よろしく御指導並びに御協力下さいます様お願い申し上げます。
(福岡市立休日急患診療センター専任薬剤師)

 初夢 福岡市薬剤師会理事 藤原良春

 昭和五十X年、国会議員選挙において、薬業界の候補は惨敗を喫した。それは取りも直さず、自民党単独政権の崩壊であった。次に成立した自民党と一部野党との連合政権が唱えたスローガンは、「社会の不公正の是正」である。

 社会の公正、税負担の公平を求める世論は一段と強くなり、医師会は、医師特例法の経費率大巾引き下げを受け入れるに至った。その一方、技術料引き上げの取り引きも行われていたのである。又薬価基準も引き下げられ、その差益はほとんど無くなっていた。ここに、医薬分業が走り出す条件は、十分整ったのである。

 さて、受け入れ態勢はどうなったであろうか。日本薬剤師会が押し進めてきたものは、開局薬剤師(保険薬局)を中心とするものであったが、実際に出てきたものは、力ある一部の保険薬局、医師グループ開局(薬剤師との共同経営を含む)、又は、個人開業医による第二薬局が主で、その他、問屋資本及び第三資本によるものであった。そこには、大多数の雰細開局者が対応できずに、切り捨てられていた。

 処方せん発行を焦る医師は、自ら調剤薬局開設へと急テンポで突き進み、まさに、第二薬局が花盛りとなったのである。ここにおいて、薬剤師会の唱える分業理論は、完全に無視されることによって初めて、薬剤師会員が夢にまで見た分業が軌道に乗ったのである。

 とにかく、処方せんは発行された。薬剤師が調剤権を得たことは喜ばしいことであった。薬剤師会では、医師会長の要求する地域調剤センター作りもままならず、やがて、医師会長持論の公営調剤センター論が打ち出されてきた。しかしその裏には、医師会営の調剤センター作りが隠されていた。

 振り回され続けた薬剤師会は、成すすべもなくただ見守るだけであった。それは、医師会が、地域医療における医薬分業を経済性で捉えたのに対し、薬剤師会は、福祉事業的な捉えかたをしたためである。ここまでは、医師会長の筋書き通りであったかも知れない。時の流れであったかも知れない。社会は大きく、又急速に変わりつつあった。

 自由経済社会が、半自由否、反自由経済社会へと移行しつつあった。社会の公正を求める世論は、医療制度の矛盾を鋭くあばき立てていった。調剤薬局も例外では無かった。一物四価は改められていたが、高値安定による利潤の過多を追究され、医師の過大収入追究へと続いた。更に、飛び火して、医歯薬科系私大の莫大な裏入学金になっていることも。

 革新政党の勢力は強力になっていた。マスコミもあおり立てた。ここに、急激な改革が始ったのである。舞台は国会に移る。調剤センターの公営化が決定した。そして、この運営を容易にするため、薬価基準収載品目を二千品目に削減した。その根拠は、同じ薬でもメーカによって純度が違い、効き方が違うという医師会長の発言にあった。

 その後の問屋の運命は?又、メーカーは?ここに、日本薬剤師会はガラガラと音を立てて崩壊し、沈没したのである。私は、やっと目が覚めた。長い長い初夢であった。

 分業推進情報 医薬分業の実現中断の一例

 これは、昨年末福岡市において発生したが、医薬分業実現の阻止にもつながることであって、なお今後の分業進展のうえでの重大な問題点の一つであるとも考えるものである。その実状はおおむね次のようである。

 S氏(前・福岡市内病院薬剤部長)は昨年、福岡市某地区内の八診療所と処方箋発行について話し合いを重ねたが、S氏に対する医師の信用のもとに、本年初めには調剤センターを開設することが決定、このため医師側の希望によって同地区内に設置場所(借家)を選定し家主との間の諒解も取りつけた。

 たまたま設置予定場所の道路を隔ててドラッグストア(一般販売業…以下D店と称す)があるので、S氏は家主と共に一二月中旬D店に挨拶に行き調剤専門センターを開設する旨を伝えた。ところが、翌日の朝、D店は直ちに薬局開設の申請を行ったのである。

 この申請を受けた保健所では調剤専門薬局開設後でも一般販売業を薬局にすることはできるから開設後に申請することをすすめたが聞きいれられなかった。その旨、家主より電話通報を受けたS氏は同日夜、福岡市薬剤師会長にD店との仲介を依頼し、会長はすぐその労に当ったがD店は話し合いに乗らず、結果としてはこの医薬分業は中止のやむなきに立ち至った。

 この調剤センター計画は八診療所を対象とした比較的規模の大きいもので、あくまでS氏に対する医師の信用によってのみ実現出来る性格のものである。なおセンターにはDT活動、医師との研究会実施などが折込まれている。D店は医薬品販売の面では、このセンター開設によって増大することは必然であろうし、将来D店が調剤を行うこととなっても、S氏との話し合いによって協栄していけるものとも考えられる−との意見の向きが多い。

九州薬事新報 昭和50年(1975) 1月25日号

 「ボヤキとよろこび」 福岡市学校薬剤師会会長 馬場正守

 二〇世紀も四分の三が過ぎました。人生の変化、そして薬剤師の社会的立場の変遷とが、それぞれの時間の経過とともに変わりつつあります。

 昨年一〇月からの処方箋料五〇〇円で、薬剤師の目つきが少々おかしくなって来て、そのバスに乗り遅れる気分は、どなたにもあった事と存じます。冷静に考えればわずか五〇〇円で顔色を変えた私自身も恥しさをおぼえます。もっともっと薬剤師は神聖な職能である筈と云い聞かせています

 マンツーマン方式を行ってでも、分業を勝ちとれとは、薬剤師会の会としての行動立場を、個人プレイにすりかえた誠に面映ゆい、そして狡猾な方法だという先生もいます。今までに何年間も、分業対策費、○○対策費として、会費の一部のようにして徴集した資金構成についての会員の努力に酬いる会の方策がこれであってはいけない筈だと思います。色んな理由をつければつけられますが、会費を徴集した以上は、その結実を全会員に分け与える事は大切な道義的なもので、医師会の班と薬剤師会の部会の話し合いの場をつくってやる位の努力はすべきです。私は薬局と調剤薬局とは今でも別個なものとは考えていません。よろしく会の程良き御発展と御指導を願います。

 さて次に一つの愉快な話しがあります。お金の事で恐縮ですが、福岡市学薬が創設されて十九年目を迎えます。歴代会長先輩方の努力と全会員(七〇名)の学校保健に対する良好な指導助言で、年々歳々、発展を続け、社会的地位も上昇して参り、ここで厚く御礼を申し上げます。

 一二月の市議会で特別職の年間報酬改訂が上提されましたが、学薬は特に現行の一校当たり五三、〇〇〇円から六八%上昇の八六、〇〇〇円と、色々な方々の御努力で得る事が出来ました。また幼稚園、分校は二二、〇〇〇円が三〇、〇〇〇円と格上げになりました誠に御同慶に存じます。それも物価の上昇等を考えて昨年の九月に遡って支払われることになり、昭和五〇年四月から施行されます。果して金額的に如何程が学薬として適正であるかは結論がつきませんが、全国的に見ても三本の指に入ると思います。

 これも唯々福岡市だけでなく、他の市町村の学薬の算定目標にしていただけたら更尚幸甚だと思っております。今年も努力を惜しまず、学校環境衛生の向上に、薬剤師の社会奉仕的活動の向上に、ピョンピョンと兎年にふさわしく全力で頑張りたいと思っております。御協力と御教導を。

 情報社会における分業(2) 福岡市薬剤師会専務理事 荒巻善之助

 そこで武見医師会長は、インダストリアルソサイアティー、いわゆる工業化社会に於ける分業、或は又、社会保障制度のもとに於ける分業、というような云い方をなさいます。然し私はこれは情報化社会に於ける分業、というふうに考えた方がハッキリしてくると思うのです。

 情報化社会の特徴の一つとして、多様化、細分化というようなことがあると思うのですが、逆に又、その統合があるわけです。例えば人工心臓を開発するような場合を考えてみると、昔ならば医者が自分の診療室でコツコツとくり返して開発する、ということだと思う。ところが現在ではいろんな専門の学者が寄り集って、知恵を出し合って仕事をする。

 例えばその素材に何を使うかということになると、まず耐久力が要求されるし、又血管の組織になじむようなものでなくちゃならない。そうすると高分子化学の専門家が要るし、生物学者も要る。或はポンプの構造のことになると機械の専門家が要る。更に又、心拍を一定のリズムで打ち出すためにペースメーカーというものが要りますが、こういうものの開発、さらにそれに電気刺激を与えるために体内に植え込む超小型の電池というふうに、とても一人の医学者の知識では間に合わなくなってくる。

 そうなると非常に細分化されて、しかも技術的には最先端にあるわけです。そういう多種多様の最先端の学問を統合して、どういう組合せを作るか、ということになると、これは医学者の仕事です。こういう一つの開発のあり方を考えてみても情報社会の特徴が、はっきり判ると思うのです。

 ですから我々が携っている医療に於ても、チーム医療ということが要求されるわけで、これは医療の質の向上につながるわけです。開業医の先生が、三分間診療で乱投薬するというようなことは、こういう時代の流れに逆行するわけで、武見さんの云う医療小売同業組合は困る、という意味は、医療の切り売りでは、こういう時代の要求に応じ得ない。まさに統合的方向に向わねばならないのだ、という発言として受け取ったらよいのではないかと思います。

 そこで現状パラメディカルが浮揚してきているわけで薬剤師も又、そういう意味での社会的な貢献度をもたなくてはならない。今迄開局薬剤師はこの医療チームから疎外されていたわけで、この中にどういう形で入り込んでいくかということが、今後の分業の在り方を決めるいちばん重要な問題になると思うのです。

 そこで実際にはどういうことが行われているかというと、例えばP・Oシステムというような方法が開発されてきている。これはプロウグレム・オリエンテットシステムの略でありまして、「問題志向型システム」というふうに訳したらよいかと思いますが、「問題」というのは患者のもっている諸問題、これをどう解決するかということです。

 例えば大抵の入院患者は病院の食事に食欲がないと云います。これはまあ食事がまずいのかどうか、それは別として、朝十時に食べて、昼は十二時、夕食は五時ということになると、そんな短い時間に食えたものじゃない。こういう患者の訴えに、マーゲンミッテルでも処方しておこうか、ということになると、これは問題の処理の仕方が適切であるとは云い難いわけです。ですから患者の側に立って問題点を掘り起していこうということになると、今迄のように一人の医師がゴチャゴチャとカルテを書いて、それで何でもかんでも処理してしまうということでは、患者の本当の生活像を理解するということにはならない。

 そこで一つの記録形態を決めておいて、看護婦さんも記録する、薬剤師も記録する、検査技師も記録する。そしてこれをもとにして、この患者はどうしたらよいかということを皆でデイスカッションして次の手段を決める。これは非常に手のかかる方法でしょうがここまで来れば、患者不在の医療などはあり得ないわけです。

 日本ではこういう方法を実験的にとり入れている所があると聞いていますが、ここ迄行かなくても熱心な病院薬剤師の方は、どんどん医師の中に進出して行っています。現に私が知っている福岡の病院薬剤師の中にもそういう方々が居られるわけで、そういう形で薬剤師が医療チームの中に入っていく社会的な条件はもうでき上っているわけです。

 然しそこ迄医師の理解を得るということ、薬の事なら何でも薬剤師にきく、どういう薬がよいか選んでもらう、そういう信頼を得るためには、やはりそれなりの実力と実績が伴わなくてはならないわけで、そういう意味での地道な努力なしには考えられません。

 そこで今迄のことを整理する意味でパターンで示してみますと、古典的分業では医師と薬剤師はそれぞれの分野で独立に別々の仕事をやるわけで、ここでは情報の流れは常に一方的です。昔の薬剤師が「俺は医師と対等だ」と云ったのはお前は向こう、俺はこっち、別々の仕事をやるのだから対等だ、と云うことで、残念乍ら、工業化社会ではこっちの地盤がゆるんでしまったので、対等にならなかったわけであります。

 然し新しい分業では、医師と薬剤師の間には常に情報の交換があるわけで、そこから治療の方向づけがなされなくてはなりません。医薬協業という言葉が、こういうことを意味しているのならば、我々がなすべきことは、まさにこの協業であります。この形では情報は常に相互に流れているわけで、医師は薬剤師から医薬品情報を受取り、患者の情報をキャッチして処方を決める、それは処方せんという公開の情報で薬剤師にも患者にも示される。薬剤師はその情報に基づいて薬を調製し、又患者の情報によって、それをチェックする。患者には薬を渡すと共に使用法についての細かな情報を流す。これが高度化された医療の中に於ける分業の在り方でありまして、そういう意味では分業という言葉は必ずしも適切ではない。むしろチーム医療の中への薬剤師の参入、というふうに考えた方がよいかと思います。

 ところで今述べたのは病院に於ける薬剤師の姿であって、開局薬剤師になると大分話が違う。それは、今ぐらいこの二つの薬剤師の間に専門知識についての格差のついた時代はないと思うからです。そこで、開局薬剤師がどういう形でこの分業を職能的に確立していくか、どういうふうにして社会的貢献度を出していくかということが問題になるわけですが、これを考える前に、まず何はともあれ、分業を手の中に受け止めることが必要で、このことに問題をしぼって考えてみようと思います。