通 史 昭和49年(1974) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和49年(1974) 11月5日号

 早鞆の瀬戸渡り宇部市で 第41回九州山口薬学大会

 時局を反映盛りあがった大会

 第41回九州山口薬学大会は、快晴に恵まれた一〇月二四・二五日の両日、この大会始まって以来始めて早鞆の瀬戸を渡り、山口県宇部市渡辺翁記念会館を主会場に九州各県より約九百名が参集、時局柄分業色豊かな大会に終始した。本年は各部会の統合を行い参加者の分散を避けたため各会場とも参加者が多く盛り上りをみせ、医療費改訂による分業機運の高まりも影響、各会場とも真剣な研鑚風景が見られた。

 大会は「新しい薬剤師像の確立」を主テーマに、本会議の特別講演は「初登院所感」の演題による森下泰参議院議員の講演、また薬局部会の特別講演は望月日薬専務理事が「医薬分業のすすめ方」と題して、医療費改訂の経緯と今後の推進について述べ、薬学部会では「老年期の薬物療法」=山口大学医学部三瀬教授、薬剤部長協議会では「医薬品の薬剤学的評価」=九州大学薬学部井口教授の特別講演のほか、研究発表四六題シンポジウム四件など一年間の研鑚の成果が終始熱心に発表された。

 大会の内容は本会議(一部、二部)、九州山口薬学会総会のほか薬剤部長協議会並びに薬学、学薬・公衆衛生、薬業経済、薬局、女子薬、薬務の七部会が開かれ、第一日二四日五時半から国際ホテル宇部の大ホールに八百名が参加して大懇親会が催され、中央から望月日薬専務理事秋島日本女子薬会長ほか、森下泰参議も会場を廻り雰囲気を盛り上げた。

 また、大会前日二三日は午後二時から参加者の主宿泊所国際ホテル宇部において薬学会運営委員会、薬剤部長協議会運営委員会に引続き大会運営委員会も開催され、時局柄本年は特に各県から分業推進情況なども報告された。

 ◆本会議

 本会議は、大会第一日二四日午後一時から渡辺翁会館大ホールで、第一部式典第二部会議を約九百名の会員が参加し、地元自衛隊のブラスバンドの演奏によって開幕「薬剤師倫理の自覚をたかめよう」「国民医療に対する薬剤師の責任態勢を確立しよう」など時局を反映したスローガンのもとに地元五郎丸副会長の力強い開会宣言により開会、国歌斉唱についで二八名の物故会員に黙祷が捧げられ、渋谷大会委員長は「吾々が長年要望し続けてきた技術中心の医療制度改革がようやく緒につこうとする今日本大会が始めて海を渡り、わが山口県で開かれることは誠に意義深い、薬剤師の職能の確立が国民の幸せに通じるという考えで研鑚されることを願ってやまない。」とあいさつ、長野九州山口薬剤師会長は「分業だけが薬剤師の職能ではないが、分業の確立なくして専門家としての信頼・尊敬を受けることはできない。本大会でも薬剤師の技能をみがくため研鑚をのぞむ。」と述べ、引続き林薬学会会頭は「41回にして始めて本大会が海を渡ったが、九州と山口との緊密さを実感として味わった。来年は新幹線の開通によりもはや関門海峡はない。吾々薬業界もこの大会が、このエネルギーが引金となって勉強の契機となり発展するよう念願する。」と述べてあいさつしとした。

 次いで顕彰に移り、四島前九州山口薬剤師会長を名誉会員に推薦、同氏は「馬令を重ねたのみで汗顔の至りだが感謝にたえない。」と述べ、表彰状並びに感謝状は長野会長から記念品料とともに左記諸氏にそれぞれ贈呈され、被表彰者を代表して長須氏(熊本)が謝辞を述べた。

 次に来賓の祝辞に移り、厚生大臣(代)県知事(県衛生部長代)三師会を代表して松本県医師会長、市長(代)の祝辞についで望月専務理事は石館会長に代って「今日の時局は第二の維新を迎えていると言っても過言ではない。」とあいさつ、山口県選出議員などの祝辞のあと佐藤栄作外多数の国会議員の祝電披露があって閉会。

 引続き笠井副委員長のあいさつで第二部会議を開会。前例により議長団に隈(長崎)宮平(沖縄)両県薬会長を推し、前回(第40回)決定事項処理について杉原大分県薬会長は「大会後直ちに文書を以って日薬へ提出、回答があったが昨年秋の日医の機関決定並びに本年の医療費改訂により分業五ヶ年計画は急転換、実情も変ったため今日改めて日薬の回答を得たものを報告する。」と前置きして詳細に報告したが、例年の報告とは全く異り、時局が急転したことが感じられ、印象的であった。

 それより大会提出議案の審議に移り、各県代表よりそれぞれ別記一八議案の説明を行い、審議の結果満場一致原案通り採択を決定した。

 続いて左記宣言、決議が樋口、青柳両氏によって力強く朗読され、採択のあと次期42回大会は明年長崎県で開催することを決定、隈会長は「薬業界をめぐる激動期に大会を引受けることを喜びとし、全力を傾注するので従来に倍加して参加されたい。」とあいさつ閉会した。

 三時半より同所において行れた森下泰参議の特別講演は、一時間半にわたり一年生議員となって感じた事を素直に述べ、今回の参議院選挙については自分の主張が若い人々の理解を得られなかったこと、選挙運動は素人のためまずいことばかりやっていたことなどが今となってようやく解ってきたと述べ、私の当選は全く薬剤師の皆さんだけの力であったと感謝の意を表わし、三年後は又当選して二年生議員として十分な働きをしたいと三年議員であることを素直に感謝している旨を述べて参加者に感銘を与えた。

 ▼被顕彰者(敬称略)
▽名誉会員
四島久(福岡)
▽表彰状
工藤益夫(福岡)小笠原喜次郎(佐賀)植木忠(長崎)長須龍喜(熊本)末友正也(大分)亀山乾太郎(宮崎)山口徳之助(鹿児島)渡辺又雄、為近百合男、酒井義人(山口)
▽感謝状
山口県薬業卸協会

 ◆宣言

 我々はいまや日本の医療の近代化にとって、新しい紀元を画すべき関頭に立っている。医薬分業の実施は今日においては極めて緊急な具体的事実となったのである。分業の確立なくして国民に対する医薬品の管理者としての使命の前進はあり得ない。我々は、国民医療の中に薬剤師の果すべき義務と役割を明確にし、完全なる医薬分業をめざして前進しなければならない。ここにおいて薬剤師職能意識と、社会的責任の自覚をはかり、自から学識と人格をたかめ、新しい薬剤師像の確立に向って努力することを、本大会の名において宣言する。

 ◆決議
一、医薬分業が急速に進展しはじめた今日の事態に対処するため、受け入れ体制の整備に、全力を傾注する。
二、国民医療における薬剤師の技術が適正に評価されるよう、その実現に努力する。
三、医療担当者としての意識向上につとめ、地域三師会の緊密な連繋をはかる。

 薬局部会特別講演(要旨) 分業のすすめ方 望月日薬専務理事

 九州山口薬学大会二日目二五日、主部会の一つである薬局部会の特別講演「医薬分業のすすめ方」と題する望月日薬専務理事の講演要旨は次のようなものである。

 1、中医協と医療費改正

 物事はプロセスを理解することが大切であるので新聞等と重複すると思うが、中医協問題から今日までのプロセスについて報告したいと前置きして、八月一五日 武見日医会長と医療費改正について話合い、九月二日医療側より厚生大臣に引上げ要求を出した。

 医師会側には三本の柱があり、その中の一つが医薬分業で三師会共同で要望、厚生大臣は九月七日中医協に諮問した。日薬ではこの日、社会保険委員会開催中にこの情報が入り大変なさわぎになったが、中医協では徹夜の審議で一八日朝答申が出され、50点の処方せん料が本決りとなった。審議の経過は三師会がガッチリ手を握り新しい審議の進め方をしようと相談、実行した結果成功したものであるが、審議の途中分業には賛成だが50点は余りに高い30点が妥当でないかとの安垣委員の意見もあったが須原参議の努力などもあって無事に通った。

 調剤手数料四四円決定にもいきさつはあるが、これで大体処方せん一枚の調剤技術料は平均四00円となり、一日一枚で月に一万円の収入、一日一〇〇枚調剤すると月一〇〇万円、大体薬剤師二名、補助員一名位が必要であろうが、人件費経費を除いた総売上げの二八%で経営ができるかどうかが問題であるが、これは今後の診療報酬の改正で最終的には四〇%位に持っていきたいとしている。

 しかし、ここで薬価差額を求めようとする動きがあるとすれば重大な問題で、技術により生計を建てたいと分業を主張している日薬の基本理念に反する。社会福祉制度の中ではこのような理念も必要で、卸に差額を求めるべきでなく、卸も含めて医薬品流通の担当者であることを自覚し、むしろ卸の医薬品配送の公共性の場に(緊急配送等)生かすべきで、この基本方針は確認して頂きたい。

 一方、診療所側は資料にあるとおり処方せん発行の場合と院内投薬との収入の比較に相当の開きがあるが医師と分業について話し合う場合、この経済問題はあくまで医業経営に処方せん発行が決してマイナスでないことを知識として知って置くためで経済ベースで進めることは経済分業に陥ることであり逆転することもあり得るということである。

 次に処方せん料50点が即分業かということにつき考えてみたい。
分業をしたいが受入薬局がないので薬局を作って欲しいとの歯科医師の要望が各地区に多いと聞くが、受入薬局は医業に対する非常に必要な協力者ではあるが分業だけが医業経済の中の全部ではない。受入薬局側には調剤技術の問題、設備の問題、受入薬局の適正な配置、薬剤師が足りないなど人的問題等のネックがあるので武見会長との約束もこのような問題を漸次、漸進的に進め、五年後に完成させる目標を持つことに意見の一致をみたのである。従って今回の50点は即分業でなく、分業を阻害していた大きな要因の一つが取り除かれたということで、今後これらのネックに対し薬剤師会として立派な答を出さねばならないが、50点が促進剤となりおそらく三年後になるであろうと日薬のガイドラインも三年計画に変更した。

 2、日薬のガイドライン

 三年後に一〇〇%分業ができるようにするにはどのようにすすめるか(必ずしも各地区画一ではないが)日薬のガイドラインとして各県薬に流した。(略)

 日薬としては現在の薬局の店内配置を整理整頓して清潔にし、雑貨等を排除しカウンターの移動等を行って待ち合い場所を作る程度でスタートし、処方調剤のメリットにより次第に整備するよう特にお願いしたいと考えている。このガイドラインの一つのテストケースとして上田地区の薬局をながめると大体当てはまっていると考えられる。上田地区は元来、医師会と薬剤師会の信頼が確立しているところに50点のファクターが加わり、今後どのように進行するかその経過が全国の一つの指標になるであろうと考えている。

 また、分業を云々する場合、必ず出てくる総理府調査の「患者が不便」とする70%の率は上田地区の調査では「不便と思わない」70%で、分業は肌で感じさせなければ解らないものだということを医師側に理解して頂くことが必要だと思う。

 3、新しい時代

 日医が分業指向に変ってきた事情は種々複雑な理由があると思うが、まず第一は日本が高福祉社会をめざしていることで、高福祉社会とはイコール高度医療であって高度医療は決して医療の無料化ではなく、高度技術を医療に導入することであって高費用になる。従って現在の保険医療費体系ではこれが導入できない。吾々が分業でないため薬学が沈滞、職能が低下したように現医療費体系では開業医の医療技術が低下する。これは国民にとって不幸なことである。従って日進月歩で開発される高度技術を保険の中にとり入れるには技術中心の診療報酬に改めなければならないとして、昨年11月宮崎の移動理事会で「今後は技術中心の新しい出発をする」との機関決定をしたわけである。

 医療に高度技術を導入するには分化が必然であり、その分化の中で薬については医師の技術からはずし薬剤師に受持って貰いたいということで分業が打出され、今回の50点要求となったわけである。従って今回の医師会の分業指向はかけ声だけでなく、真に新しい時代がはじまったと考えるべきで新潟の大会で私が本年が分業元年であると宣言したゆえんである。

 4、緊急計画

 日薬はこれに即応して緊急計画を打出した。それは一旦停止、そのあとマンツーマンで話合いのできたところから発進するという内容のものである。石館会長は日医に対し非常に素直に今回分業の基盤が大きく進展したことにつき感謝するとともに、もし一斉に処方せんが発行されると受入が混乱するから一旦停止を日医会員に伝えるようお願いされたのである。

 もし、受入準備が不十分でトラブルが起きれば国民に迷惑をかけるので、話合いのない発進は避けるべきだとの日薬の考えを武見会長も了解、翌日の医師会の地方連絡会議の席上「分業を進めるのは薬剤師会の責任である。地域の医師会としては分業がやり易いよう協力して欲しい」とあいさつ、その意味の書類とともに各県にまちがいなく伝わっている。この緊急計画は、セーブアンドコントロールという意味を果しているわけで、まずマンツーマンで点から始め、これを拡大して線となし、面となるよう計画したものであるが、県薬は当然県医師会、歯科医師会との話合いを実施して面となる対策を建てるべきである。

 しかし、分業の推進力の中心は個人が、しかもグループを組んで、であり、自己研鑚等も他力本願でなく、個人が医師と膝を交えて推進して頂きたい。日薬も日医と勇気をもって膝を交えて話合った。今度勇気をもって医師と話合うのは会員の皆さんの番だと申し上げたい。一人の薬剤師が近隣の医師四人を訪ねれば、全国の医師が全国の薬剤師と話合えるわけである。

 5、新しい薬剤師像

 分業を将来的に達成するために何をやるべきか、それは大きく分けて四つあると思う。
@薬剤師の職能の組織的向上
A薬剤師個々の学術知識向上
B薬剤師の倫理の確立
C医師・国民との信頼関係の確立

 薬剤師倫理を支える要素は▽薬剤師の意識▽医の倫理▽専門家意識▽社会道徳であって、吾々薬剤師が国民に奉仕するために専門知識を高め、医の倫理のもとに人命尊厳を守る態度を公共性にのっとって進めるという基本線がなければ50点分業はいつかは潰え去ってしまうであろうと考える。従って分業を達成させるためには、公共性ということからエゴを排除し、グループを組んでやがては薬剤師会という組織の中で職能の向上をはかり職能を支える専門知識は個々に高めるべきである。医療の中の情報は、常に人命と対決しているわけであるから責任をもって医師と薬剤師が手を組んで医療の一端を担う薬剤師がこれからの新しい薬剤師像であろう。そのためには薬剤師倫理に徹し、自己研鑚を十分積んでいくことがこの新しい薬剤師像につながる道であろうと考える。

 福岡県薬 薬学講習会 分業特別講習会

県保険課・薬務課の後援で県下四地区で成功裡に終了

 福岡県薬剤師会(長野義夫会長)は昭和49年度薬学講習会を分業特別講習会の内容として、一一月七日より一一月一二日の期間にわたり県下四地区の会場(福岡・北九州・筑後・筑豊)で開催した。(告知既報)

 今回は県薬務課・保険課の後援を受けたが、特に保険課の後援は初めてのことであったが非常に有意義であった。各会場とも盛会で参加者延九百余名の多きに達したことは、分業に取り組む保険薬剤師の勉強への真摯な意志の現われと解される。講習会について、福岡会場での内容の主なものをあげると次のとおり。

 ▽あいさつ

 1、県薬白木副会長…我が国の医薬品の78%は医療用医薬品で、残りの22%の薬品で、これまで我々薬局は生活してきた。多年の願望であった医薬分業が急速に実施への道が開けたので、研修を重ねて受入れ準備を推進しなければならない。

 2、県保険課熊谷課長…医薬分業が高まり新しい事態に対応すべく、これまで保険課として連絡、指導に関し不十分であった点については改めて今後の円滑な運営をしていきたい。正しい医療参加のために進んで保険関係の研究を願いたい。

 3、県薬務課岩橋課長…分業の機運が高まり、薬務課としても分業の勉強研究を重ねている。分業を進める上で種々の問題があるが、薬務行政について前向きに進んで処理していく方針である。

 ▽課目・講師

 1、調剤実務と処方箋=九州大学病院薬剤部調剤係長金枝正己
調剤には三つの面(要素)がある−@処方内容の確認A調剤方法の決定B患者への服薬指導。漠然と調剤するようでは折角の技術料が泣く、考える調剤に立ち向ってもらいたい。

 処方箋の流れは、受入→書記→調剤→監査→交付であるが、最近では受入と書記の間に処方監査がある。特に用法の記載洩れが多いので注意が必要である。

 複数の調剤制が理想的であるが、それが出来ない現状であれば監査(自己監査)の実施が必要。今回は第一回研修としての主旨より、基本的なものにしぼったが十分な修得を願いたいとして福岡県病院薬剤師会作成の「処方箋と調剤実務」を資料として詳細な説明と指導が行なわれた。なお「調剤申し合わせ事項」、「保険薬局遵守事項」の説明あり。

 2、調剤点数表の説明=福岡県保険課村田技官
特に加算(時間外、深夜、休日)の問題について詳細な説明と指導あり。

 3、法規と保険薬局、保険薬剤師の登録について=福岡県保険課医療係長池田継男
前2項の説明に関連するものとして「保険薬局開局日(時間)届」を一一月末までに県薬を通じて保険課に提出の指示あり。

 健康保険の仕組、保険薬局及び保険薬剤師の責務、保険薬局及び保険薬剤師の指導並びに監査についての説明が行われた。保険薬局及び保険薬剤師の責務は@保険給付事務A処方箋内容の確認B患者負担金の受領C保険調剤の記載及び保管(調剤録)D処方箋の保管(三年間)E不正、詐欺時の報告F患者の療養上妥当適切な指示説明G薬価基準に記載の薬のみ調剤。医科、歯科に対して、保険請求について間違い発生のとき指導と監査を行っているが、こんご薬剤師側に間違い発生のないよう注意の要望あり。

 4、請求事務について=福岡県薬副会長中村里美
調剤録、社会保険用語、請求事務など及び院外保険処方箋発行による病院・診療所の利点について説明あり。保険請求については医・歯科よりも正確なものを作製するよう特に要望。

 5、分業と応需について=福岡県薬専務理事神谷武信
最近、応需という言葉がよく出てくるが、医薬分業に対する応需は医薬分業の受入れ対策をどうするかと云うことにつきると思う。一〇月一日医療費改訂が行われ分業の進度が急速化したことにより、県薬としては各種の対策を講じて来たが、それらの経過報告と私のささやかな体験をまじえて話しをしたいと前置して会員・医科歯科の両医師会・官庁・薬学関係・薬事協会などへの対策と、更に卸・メーカーへの働きかけについて説明。保険調剤と保険事務などの修得の必要性を強調し、分業はマンツーマン方式を指示していることを示した。なお、個人の薬局ではどのようにすべきかについては、私(保険薬局経営)をあわせて、こうあるべきではないかと考えての問題点を基本的に考えてみたいとして、@人の問題A広さの問題B金の問題について詳細な報告と対策についての貴重な示唆が行なわれた。

 宮嶋薬務局長談 就任後初の記者会見

 厚生省の宮嶋剛薬務局長は一一月五日午前、就任後初の定例記者会見を行い、@薬事法改正は当面考えていないA薬害救済制度は研究会の再開に努力したいBVB1剤等の再評価についての公開質問状には回答しない方針であるC安全性、とくに副作用情報の収集は質的向上をめざすD薬価大改正は既定方針どおり一月一日実施の線で準備を進めている−などと語った。この談話のうち、主なものの内容概略は次のとおり。

 ▽薬事法改正

 薬務行政は他局と違い医薬品の流通・消費まで関係するだけに法改正が先行するのは好ましくない。行政指導を十分滲透させて、時期をみて法的裏付けをする方が良いと考えるので当面法改正をするつもりはない。

 ▽薬害救済制度

 国会でも答弁しているが研究会の再開に努力したいスモンはまだ因果関係も不明だし、医療過誤的面もあるのでサリドマイドのような和解は難かしいと思う。

 ▽公開質問状

 回答期限は一〇月三〇日までであったが、回答を出すつもりはない。いまの役所が有効性だけを重視し、安全性を確認していないような印象を受けるが決してそうではない。学問的に問題があればいつでもこちらは専門家が話し合いで回答するので、○×式の質問状には答えられない。

 九州山口薬学大会薬業経済部会 小売薬業振興策について

 全商連経営委員会の動向から隈氏の講演

 第41回九州山口薬学大会の第一日目二四日開かれた薬業経済部会には約二百名が出席したが、同部会は例年と異り、卸流通、商組などを統合一本にしぼり、左記シンポジウム二題が行れ最後まで質疑応答など終始熱心な部会風景であった。

 シンポジウムの「GMPをめぐる諸問題」については、関東逓信病院薬剤科部長斉藤太郎氏がGMP問題について約一時間にわたって講演を行い「GMPを生かすも殺すも要はチェック(試験)の問題であり、これを行う時大切なのはその人間性で、安全性を哲学した人達だけが携わらねばならない。要するに生命を大切にする思想を持った人だけがGMP、GSPに携わり、育て、チェックが確立されていなければこれは生きてこない」とその精神を述べ、追加発言として地元から@GSPについて…末永克己氏はダブルチェック体制の確立ということで日本卸として10項目の実践規範を作ったと、これを説明A医薬品の管理について…秋本百合文氏は行政の立場から発言B卸における管理薬剤師の果す役割について…河村芳男氏は管理薬剤師が負う責任について調査資料をもとに発表した

 次に「小売業界における当面する諸問題」をテーマに荒川医薬全商連理事長は主として再販問題及び医薬品のマージン確保等について最近の中央情勢を講演、引続き隈治人氏(全商連常務理事)は、全商連の経営委員会の動向から「小売薬業の振興策の確立」について、「まだ緒についたばかりだが」と前置きして概略次のようなことを述べた。

 小売薬業の地盤沈下が続いて久しいが、皆保険になった当時(36年)医家向け53、小売向け47の割合が昨年は79対21と変化し感慨深い。今後懸念されることはますます医療面における社会福祉政策が進み、薬局薬店の対象である老人・乳幼児などの対象年令の拡大により顧客減につながることは必至である。

 その反面医療費の改正による分業機運の台頭もある今回の改正は低医療政策から高医療政策に転換(医療費も要求通り上り、国保の保険料の頭打ちも10万から12万に上る傾向)したことがうかがえるが、この転換が何を意味するか考えると処方箋料にみられるように医療の高額化に伴い、大衆薬が経済面、手軽るさの面から、あらためて見直され復活することも反面考えられる。

 委員会としては小売薬業の発展のためにどうすればいいか論議する前に今日の地盤沈下の要因を探ったうえで今後の対策を考えるべきだとしてその原因を考えると@基本的に小売薬業者の性格(保守的)が高度成長のテンポに合わなかったA医療が保険により行れるようになり薬業が医療の面からはずされたBアメリカの安全性論議が当然保険医療の薬量偏重ということで論議されるべき問題であるにもかかわらず政治的に弱体である薬業界に向けられ要指示薬等薬務行政の規制によって圧力をかけられる結果となったCさらに有効性論議が消費者に影響を与え、大衆薬消費の減少となって表われD最近では社会福祉政策の進展に影響されることとなった。

 これらの情況をふまえて今後の対策を考えるべきであるが、現況としてはやはり消極的ではあるが保護行政が必要(医薬品の本質を守る意味からも)であるから当分の間は適正配置と再販とは守るべきであろう。また低医療から高額医療となったための経済面と保険医療にみたされない面から軽医療が見直される(このような情勢は既に起っている)と考えられるので、これに対して応えることも必要だと考えるが、処方箋対策に追われ、大衆薬を軽視し、取扱いを廃止する傾向があるとすれば軽医療の発展がはばまれる。今後消費者の欲する優良大衆薬を開発することも大切であって単に小売薬業だけの問題でなくメーカー、卸、小売の三者の話合いによる対策がなされるべきで、具体的にはすべて今後の問題である。

 分業問題で 医師の発言 大黒南海堂主催パネルディスカッション

 分業機運のたかまりから最近は卸の動きも活発になっているが、福岡市に本社を置く椛蜊蕪海堂(大黒清治社長)は、これらに先がけ一〇月一五日六時から本社会議室において「分業の問題点と打開策を探る」をテーマにパネルディスカッションを行ない、同社営業担当幹部社員並びに福岡地区の保険薬剤師にも呼びかけ約一五〇名が出席して熱心に討議を行なった。

 当日は大黒隆博専務の司会によりパネラーは分業を実施していない立場から戸早千之先生(福岡市内科医会理事)、分業を実施している立場から桑原廉靖先生(内科・小児科)、分業を受入れている保険薬局の立場から藤田胖先生がそれぞれ発言、そのあと具体的問題について質疑応答などが行われたが三時間半にわたる討議は終始熱のこもったもので今日までの薬業界の会合に見られない雰囲気をただよわせたものであった

 司会…医薬分業問題が急速に進展する情勢にあるところから、私共卸としても藤田先生から調剤薬局の実践体験に基きご指導を願っておりますが、やはり処方せん発行医のご意見を聞くことが必要であると感じ、この点について見解を持っておられる戸早、桑原両先生並びに桑原先生の処方せんを受け入れた藤田先生にご意見を伺い、医薬分業がどうあるべきか検討したいと思います。今日は薬剤師の方々と南海堂の営業の社員が出席しておりますので忌憚のないご意見を発言して頂き、医師と薬剤師と医薬品卸との対話による研究会にしたいと思います。

 戸早…最近、医師、薬剤師ともに医薬分業への関心は高まりましたが、ご承知のように江南部ではすでに数年来桑原医院と藤田薬局で実践しておられます。私自身はほんの一部分(長期投与の分だけ)処方せんを出し、近くの薬局で調剤してもらう程度なので今日は分業していない立場から発言したいと思います。

 医師の立場からの分業の利点は@経済的に有利(実質的利益がある)A税金対策の面も有利(累進課税であるから)B保険請求事務が簡単C看護婦を他の仕事に廻せる…の四点であり、欠点の方はまず患者側から@二ヶ所に行く負担(特に夜や雨の日は困る)A社保の家族、国保の場合、医療費が高くつく。医師自身としてもB仕事がふえる(処方せん書きに追われるのではないか)C薬局の整備が未だ不十分でないか(薬の備蓄、夜間・深夜の対策等)D薬剤師の心構えがまだ不十分ではないか(薬品の代替え‐処方せんどうりなされるかどうか。医師と患者間の治療の一貫性の中に薬剤師の無理解な介入−薬の使い方の批判、薬剤師自身の判断による投薬等)などの不安があるということで、これを克服しなければなりません。

 桑原医院と藤田薬局は、この点十分な相互理解があり、距離的にも隣で心配がなかった等、条件に恵まれていたことも大いに役立ったと思うが、一般の医院と薬局は距離もあり、患者への説明も不十分であり、薬剤師との対話の機会もなく、すぐには成り立たないのではないかと思われます。

 そこで結論として、私が現在一部行っている必要な医薬品を近くの薬局に揃えてもらい、それの処方せんを出しているがこれを広げ漸進的に実施するしかなく、将来的にも百パーセント分業には現在のところ賛成しかねます。薬価基準と納入価格の差が少なくなって実際には薬を投薬するとマイナスの場合もありますが、診療にはプラスアルファー的な経済的に割り切れないものがあるわけだから、私は当分の間このアルファーを厳守したいと考えています。

桑原…私が処方箋を発行するようになったのは44年5月からでもう5年半経過しました。最近は分業した方が利益が多いと言われるが実際によくなったと思ったのは本年二月の改正と今後の大巾アップからで、それまでは月々数万円の収入減であって利点の方は戸早先生がおっしゃったとおりです。私が分業に踏み切ったのは、薬をめぐるいろんなスキャンダル的要素、例えば八百屋なみにダンピングして景品をつけたり沢山買えば旅行に招待したり、吾々医師が使用する神聖な薬をそのような考えで扱うことへの憤りを感じていたのですが、やはり私としても安い薬に飛びついたり、ストックした薬は一錠でも多く投与したいなどと経済面とのジレンマに陥り、その悩みをドラッグジャーナルに数回にわたり掲載したのがキッカケで処方箋を藤田薬局で引受けて頂くこととなったが、実際には経済的に成り立つかどうか不安であったし家の者が反対したけれども一旦決心したからにはと踏み切ったわけです。

 なかでも一番心配したのは、患者の納得が得られるかどうかということであったため、実施の一月前から医院に壁新聞を貼って患者の理解を求めた。次に、これは大方の医師が誤解をしていることですが、任意分業ですから自分の好きな処方を好きなだけ出せばいいのであって百パーセント分業ではありません。私は救急用と夜間用の薬は医院に確保し、藤田さんとも薬をめぐるいろんな問題のディスカッションにより気心のわかったところで手を取り合って分業にスタートしたわけです。

 しかし実際処方せんを出し始めておどろいたことは患者が街の薬剤師に対して非常に強い不信感を持っていることでした。はじめは処方どおりの薬であるかどうか見せに来る患者が相当あったが、すぐに慣れ、その後はトラブルが起るとか診療の防害になるというようなことは全くありません。処方箋をめぐる不信感は処方どおりの調剤が行われ、処方内容の批判などの戒めが守られる限り心配ないと思いますが、これらが守られる薬局が近くにあることがまず分業を実施する第一の前提であって、これなくして処方箋料が何倍になっても医師は処方箋を出さないだろうと思います。また医師が処方箋の行方をみつめ、患者に自分の処方した薬が正しく与えられているかどうかチェックするのも当然のことだと思います。

 次に分業により患者の金銭的負担がふえるという点については戸早先生のおっしゃるとおり確かにふえます、しかし厚生大臣か日医会長になったように大きなことを言うようですが、今日のいささか常軌を逸した経済性優先の薬の使い方が是正され、投薬量が減るのではないかということでこれはメーカー、卸には嬉ばしいことではないでしょうが、患者にとっては経済的には負担がふえても結果的には日本の医療のレベルアップをするチャンスであり、そしてこれは今までの製薬メーカーのあり方に対する一種の告発だということでもあって、最終的には患者の幸福につながるのだと考えるわけです。偉そうなことを言いましたが悪友に言わせると私の医院の囲り二キロ半位の間には内科、小児科が一軒もなく恵まれた立地条件であることも私の理想が発揮できた理由で、分業の先駆者とか第一人者とか言われることはいささか心苦しい次第です。

 藤田…両先生の話を保険薬剤師としてどう受け止めるかということですが、戸早先生の言われる医薬分業は経済ベースで分業するのではないが、分業によって非常にマイナスが大きくなることは問題がある、しかし心配する程マイナスではなかったと言うことだったと思います。

 先生が処方箋を発行された当時(44年5月)処方箋料は5点(受入側の調剤料は20円で現行のような調剤基本料は全くなかった)であるにもかかわらず処方箋発行に踏み切られたのは、数年来より医薬品に対する問題点を考えた結果、分業が医療のあり方として最も正しいと考えられた結果であったと思いますが、私の方では新しく調剤薬局を開設しても赤字では困ると考え、必ずしも高邁な理想からだけではなかったのですが、将来、必ず分業は進むであろうし、薬剤師としての私の仕事としても正しい最後の寄りどころであるとの信念は持っておりましたのであらかじめ桑原医院の実績を検討して頂き、何とか赤字にだけはならないとの見透しから強引に受け入れを始めたわけです。

 今後とも薬剤師としては、発行医の意図を正しく汲みとり理解して取りくむ基本的態度がなければ保険薬剤師としての発展はあり得ないと考えております。これが戸早先生のおっしゃる薬剤師としての基本的な心構えだと思います。

 この心構えの次にやらねばならないのは待合設備だと思います。今までの歯科処方と違って特に内科等の処方内容は複雑ですから薬価、手数料、一部負担金などの計算までするには早くて5〜6分、複雑な処方になるともっとかかる場合もあります。その間患者にどのように待って頂くか(クレームは発行医の所にいくわけですから)これは慎重な処方調剤と同様一番初めに考えねばならないことだと思います。

 次に分業のために一部負担金がふえるという問題は全くそのとおりですが今回の改訂では処方料、調剤料には全く手がつけられなかったのに処方箋料のみが五倍になった理由は、できるだけ薬は処方箋の形で与えることが好ましいと考えた結果であると思います。48年度の医療費を分析すると医療費の中に占める投薬の薬剤料が40%を占めこれに注射等会わせると50%を越えるという驚くべき数字で、多いといわれるフランスでも24%、他は大体15〜16%であり、有効な最少限度の投薬をして欲しいという考えの表れであると思います。

 次は備蓄の問題ですが不特定多数の処方箋を受け入れる薬局は一考を要するとして、現在進展しているケースとしては一〜二の発行医と一保険薬局という形が多く、この場合は発行医と対話することにより備蓄数もせいぜい二〇〇種どまりで二発行医になれば重複する薬剤があるから三〇〇程度の備蓄でいいと今までの経験上言えると思います。また、夜間とか急患の場合の分は一回分か二回分医院の方で渡して頂き、あとは翌日の診療時に処方箋を発行しておられます。

 また薬の代替品について医師側に危惧の念を持たれることについてはこのようなことが薬剤師の倫理の基本だということを未だ十分医師にアピールしなかったことを反省すべきだと思います。スエーデンの薬剤師会に会員の総意により薬品監視員をおき、処方箋どおり投薬しているかチェックする制度があると聞きました。将来、分業が進んだ場合、トラブルを避けるため薬剤師会としてはこのスエーデンの例のようにシビアであるべきだと考えます。

 以上で一応パネラーの発言を終り、それより質問、意見及び追加発言などが行われたが、その主なものは次のようなものである。

 戸早…日医の指令は、医師の信頼に値する薬剤師があれば分業を…ということで、私も全くこれに尽きると思っている。

 桑原…保険薬局は保険医と同様社会保険制度の中に組み入れられるものであるから当然保険制度の制約を受けることになる、物品販売の場合のように、名儀だけでは通用しない。これは蛇足ですが…

 ○…分業の機運は醸成されたが医師と薬剤師はまず人間関係から入っていって話題をほぐしていくべきだと思う。

 桑原…従来から三師会は開かれていますが実質的には無意味でした。今後本当の意味(学術的)の三師会を持つべきで、その辺から人間関係もほぐれていくと思うが店頭に来た患者を近くの医院に廻すことなどもキッカケになります。

 ○…分業は薬剤師の悲願として望んでいる。今まではメーカーベースの医療であったと思う。患者のための医療に戻るべきだし、分業はそのためにもお願いしたい。
 ○…医師側から、患者を歩かせる薬局への距離はどの程度と思われるか。

 桑原…その医療機関の権威によると思うが、五〇〇メートル位でしょうか。

 戸早…すぐ近くならいいが三五〇メートルでも私は出しません。

 藤田…患者の家の近くの薬局に行ったケースがあるようです。帰り道の薬局とか、自分の信頼する薬局とか、距離だけでない患者と薬局の人間関係など、今後は予測できないケースがでてくると考えられ、これは今後の課題であると思われる。

 戸早…全般的に分業が浸透し、患者にも分業の利点がわかれば、二ヶ所に行かせることも心配いらなくなるかもわからない。

 桑原…私は処方箋を日本語で書き、封もしない、処方の公開が患者に対するメリットであると思うからで、第三者が介入するので処方も公正を期すことになる。

 藤田…診療所と違ったリラックスした雰囲気で薬を受取れるよう努力されることを今後受入れをされる皆さんに期待します。

 ○…病名が薬によりわかっては悪い患者に対してはどうするか。また投薬によりアレルギーを起した場合の責任は?

 桑原…その場合処方箋は出さない配慮が必要、そこが任意分業の利点です。アレルギーの件は副作用のない薬はないと思うが処方通り投薬しておれば責任は医師にある。

 藤田…病名を言わない方がいい患者の場合処方医の意図を汲んで患者に接することが大切。アレルギーの場合は桑原先生の言われるとおりである。

 藤田…今後保険薬局と卸の交流を密にする方法を考えて欲しいと思う。その一つの方法として卸の従業員は医専・薬専という範ちゅうから脱し、薬品全般に対する勉強をし、医院等へプロパーした情報を保険薬局にも提供、双方のパイプ役をつとめ地域医療の中の薬については卸が中心となって頂きたいと思います。

 司会…今後卸の大きな課題として十分研究させて頂きます。

 日本の医療の大きな変革と考えられるこの分業問題については、拙速を避け、当然本日のような集会、懇談会等でたがいに対話をつづけるべきだと考えます。今日のこの会合をキッカケとして今後も回を重ね分業は何と云っても医師と患者の立場からという認識のもとに、私共としては備蓄、小分け、配送などについて研究し、卸も制度として慣れ、ある程度のデメリットも日本の医療のために必要ならば協力もしたいし、成功させたいと念願するもので、そのため医師と薬剤師のパイプ役となって橋渡しをさせて頂くことが当面の私共の使命と思っております。

 武見日医会長発言 地区薬剤師会会立の調剤専門薬局の設立を

 日本医師会武見会長はこのほど記者会見し「処方箋発行の問題点として薬局の受け入れ体制準備が必要である。地区薬剤師会の共同施設として調剤専門薬局の設立は急務である」と強調した。武見会長の発見の要旨は次のとおり。

 一〇月の診療報酬改定で処方箋料が五〇〇円と大幅にアップされたことは処方という頭脳労働行為を社会保険医療で評価したところに意義がある。処方と云うのは診断等と比べると四次行為に見られ、然も頭脳労働行為は原価計算出来ないから税制面や支払い側からも理解がなかったが、処方は治療を代表するものであり適正な評価が必要であろう。

 いま処方箋発行について地区ごとに医師会と薬剤師会の話し合いがもたれているが、まだ理想的な姿が出ていない。医師会が臨床検査センターを共同で作ったように、地区薬剤師会で共同の調剤専門薬局の設立が必要である。薬剤師は「物売り薬局」から脱皮しなくてはならない。

 また分業でメーカーに望むことは錠剤は全部ヒートシールにし、一錠ごとに社のマークを入れ、シールには薬品名が判るように印刷して欲しい。また処方箋を受けつけた薬局は必ず処方箋の写しを薬袋の裏に書いて欲しい。現代では患者自身がどんな薬を飲んでいるか知る権利があるし、薬局としても処方通り調剤したと云う証拠になる。

 私はいわゆる備蓄センター構想には反対である。調剤薬局は稀用品を含めて医薬品を備蓄すべきである。話しに聞く基幹薬局構想はおかしい。薬局は物を扱うのであり医師の集団である病院のように技術管理単位ではなく基幹病院のようなケースとは違うので、薬剤師会が共同の調剤専門薬局を設立しなければ、日医は或る段階で旗を振る。これは医師会立の薬局を作ると云うことではなく都道府県立の公営薬局を作れという旗を振ることである。

九州薬事新報 昭和49年(1974) 11月15日号

 福岡県薬剤師会 臨時代議員会開催 副会長に中村里実氏

 福岡県薬剤師会は臨時代議員会並びに総会を一〇月三〇日午後一時半から県薬会館で開催した。長野会長は、会長演述で臨時代議員会開催の主旨について、辻副会長の逝去に伴う後任副会長選任、四八年度決算並びに四九年度の補正予算(物価上昇及び分業推進に伴う予備費の流通)を提出する旨の説明を行ない、分業問題については三師の原則的な了解があり医師会とは計画分業を推進、今後各地区、地域で実施するよう努力、熱意、積極性を会員に求めた。

 それより須原議長により辻副会長ほか六名の物故者に黙祷を捧げたあと議事に入ったが、当日は代議員定数七五名中五〇名が出席した。

 会議はまず藤野常務理事から日本薬剤師会第36回臨時代議員会(8月21日)報告のあと昭和四八年度歳入歳出決算認定の件は冨永会計理事から説明、質疑応答のあと歳入二三、六四四、五七五円歳出二二、〇五〇、九五二円を承認可決した。

 次に四九年度歳入歳出補正予算については、予備費のうち約八六万円を臨時代議員会並びに分業推進に伴う対策費及び交通費に算入するもので、活発な質疑応答のあと原案通り決定した。

 それより副会長一名の役員選挙に移り、四ブロックから選出された選考委員に議長を加えた一一名により選考の結果、中村里実氏が選任され、同氏の新任あいさつのあと臨時代議員会を閉会。引続き同所で総会に移り、会長より代議員会決定事項について承認を求め満場一致で決定した。

 それより時局柄関心の深い分業問題について協議したが会員の要望事項の主なものは次のようなものであった。

 ▽…医療金融公庫の融資額のなお一層の引上げを…
 ▽…処方せんの出ぬ理由を分析し、これに対する対策を建てて欲しい。例えばメーカーのセールス等流通面の対策、保険調剤についての疑義に応える態勢作り、各種文書の早期配布、グループによる広告の在り方の是正など
 ▽…薬剤師の実数を把握、潜在薬剤師の発掘。調剤ミス解決のための対策
 ▽…処方せん料50点はまだ不十分100点を目標に対策を……

 福岡県 三者分業懇談会 分業の進展に併せ今後も開催

 福岡県薬剤師会は一一月六日午後二時から県薬会館において県内の卸、メーカーに呼びかけ、医薬分業問題に関して三者分業懇談会を催した。当日はメーカー一三社、卸一二社、県薬事協会から中村若市常務理事、県薬から長野会長、白木、中村両副会長、神谷専務理事のほか斉田、安部、藤野の各常務理事が出席、県薬務課から岩崎課長、大塚課長補佐も臨席した。

 長野会長は「医薬分業は急速に近づいた感があるが県薬としてはあくまで患者に迷惑をかけないよう可能な方式で可能な所から推進したいと思うが、皆さんにご協力願うことが多々あるのでご意見を伺いながら進めたい」と挨拶、次に岩橋薬務課長は「分業に関連して当面考えられる適配条例零売問題等については慎重を期したい」と挨拶した。それより神谷専務から県薬の本日までの分業対策について経過が報告され、卸、メーカーに対する今後の協力を求めた。

 卸側からは吉村コーエー小倉薬品且ミ長(日本卸連副会長)から、日薬の石館会長、望月専務理事も出席した一〇月一六日開催の日本卸連の分業対策委員会の模様を概略次のように報告した。

 日薬から卸への要望として分業推進は薬剤師の責任であるが、革命的な事業であるので卸の協力が願いたいとして
▽薬局の医療用医薬品の購入ルートの確立
▽卸の営業所の少い地域への配慮を
▽卸の共同による流通に関する情報を完備した備蓄センターの設置
▽過渡的には零売に対しても配慮を‐など協力を要望し、今後卸と薬剤師会の共同作業として
▽オンコスト論は中医協でも推進する
▽保険請求事務の合理化
▽緊急サービス体制の確立

 など薬局が越えなければならない社会的指針と卸の経済性の追求が一致することが望ましいと述べ、これに対し卸としては非常に率直に、診療所と薬局の立地条件の食い違いから薬局の不足はますます大きくなる。日本の医療の歴史的背景から考えても急速に患者の信頼性を醸成するのは非常に困難であるなどの実状から見ても従来のような卸に依存する薬局薬剤師では困る。自力でやるべきである。そしてもっと勉強してもらいたい。など苦言を述べたことが報告され、日本卸連の「医薬分業に対する当面の方針」(既報)が打出された。

 この内容は薬局にとり非常にシビアなものであるが、卸としてはこのようなことでないと経営が成り立たないという基本線であり、細部については地域毎に話し合いを重ねて欲しいということであると語って、字句の解釈について私見を述べ、特に日薬要望の市場流通情報センター設置については「商品供給情報センター(D・S・I)」を各地域において卸の共同事業として推進すると報告した。

 それより安部常務理事は県薬の分業特別委員長としてその経過を報告のあと、三者それぞれ発言、懇談のあと五時閉会した。

 当日の主な決定事項は
▽卸側から県薬の分業特別委への参加は四ブロックより参加したい。
▽今後、分業の進展に併せ、このような三者懇談会を開催すること。
▽薬剤師会の調剤に関する質問の窓口は中村副会長並びに神谷専務理事とする。

 また、卸の当面の方針の一項の決済条件=当月限りの現金決済とする…については、調剤は二ケ月後支払基金を通じて現金化するのでその時点での決済と解釈するよう要望した。
なお、当日、薬事協会を代表して出席した中村常務理事は「もともと調剤は薬剤師、大衆薬販売は薬種商というのが私共の持論であったが、吾々会員も分業については関心を持っており、山間僻地など私共の協力が必要であろうと考えている。皆さんと歩調を合せたいのでよろしく」と挨拶した。

 日薬・日薬連 分業懇談会開催

 日本薬剤師会は一一月七日、東京渋谷の薬学会館で日本製薬団体連合会の保険薬価研究会、販売対策委員会、薬制委員会の正・副委員長ら約二〇名と医薬分業に関する懇談会を開いた。

 この中で、日薬連側は近く分業に関するプロジェクトチームを発足させ日薬と定期的に会談を行う用意があることを表明した。またこのプロジェクトチームが出来るまでは問題ごとに随時懇談することで意見が一致し、まず保険薬価研とは早急に懇談する運びのようである。

 懇談会では日薬は当面の要望事項として@小包装製品の提供A薬価の適正化B情報の提供Cチャネルの適正化D外箱に対する表示の明確化‐の五項をあげて協力を要請。これに対して日薬連は各項目を前向きに検討する旨を表明し@小包装では流通量が問題になるA情報についてどの程度まで提供すれば良いかBチャネルの適正化は卸とも相談する‐などと述べた。

 分業実現に対する卸よりの発言

 九州山口薬学大会・薬局部会で講演 福岡県 吉村重喜

 10月16日、私共日本卸の正副会長は医薬分業検討プロジェクトチームのメンバーと一緒に、日本薬剤師会の幹部の方と相当な時間をかけて協議の機会をもった。その席で、本日ここに出席されておられる望月専務さんは「分業は医療についての革命である、薬局における転業までを含む大きな革新であって、製・配・販の三者協力が絶対に必要である。我々は地域の個々のドクターとの話し合いを緻密に進めることが緊急の課題であるので、たとえばマンツーマン方式の小さなものからでも一つづつ確実に積み上げていきたい、イキナリ大きな面の拡大は無理だと思う。薬局は権威をもち、薬剤師は高い見識をもって乞食分業、お願い分業、リベート分業、馴れ合い分業は避けるべきである。薬局の公共性と卸の経済性とのマッチが是非必要である」と述べられた。

 私は、望月専務の云われるように、今回の医薬分業が医療における、或いは薬局における革命であるならば、先生方には大変失礼でありますが、革命に取組むだけの姿勢が果してあるのか、決意は果してどうだろうか、基本的な意識革新は確立しているだろうかと思うものであります。大変ご無礼であるが、今日まで長くて暗いトンネルの中を走ってきた薬業界の昏迷経営が彼方に見える明るい一点それは分業であったでしょう。その一点をめざして、しかし機関士と汽車に自分の身をまかせて走ってきた、或る日突然パッとトンネルを出て、燦々と明るい太陽の日の下で、景色が突然大きく拡がる、目が眩んでしまう、どうしたらよいか判らん、嬉しいのか悲しいのか、戸惑いの中にある。それが今日の薬局の先生方の姿ではないでしょうか。

 若し、先生方の姿がそうであるとすれば卸の我々が非常に苦労し、焦り、右往左往している姿もお許し願いたいと思うのであります。私は私なりに"分業に対応して卸のあるべき姿"はどうであるか、ここに散漫でありますが列記してみました。

 ◆分業対応−卸としての考察

 1、医療と医薬品の原点に立つ……
もう一度もとにもどって正しく、誤りのない在り方を求めなければならない。医薬分業とは医学と薬学の二重の点検により国民の健康と安全と福祉を招来することであると定義づけられているが、その原点に立ち帰ることである。卸も然りである、医療の一環として高く大きな責任を負わされている。

 2、国民(患者)の立場(メリット)を考える。
患者の役に立つのか、不便ではないのか、やっかいな事にはなってないのか、率直に検討すべきであると思う。国民不在の医療であってはならないと思う。今回の処方箋料50点も、もしかしたら、国が健康保険の赤字財政のため、ソロバン勘定のみに立って出したものであるとするならば、私は、この点だけから国民医療というものを見られることは問題があるのではないかと思うのです。もし、そうであるとすればメーカーさんの態度は、ひょっとしたら、分業になれば薬品の消化は減るかも知れないので当分の間ノーコメントだ、卸は先きほど申した通りどうなるか判らないと云うことから右往左往の態度である、ドクターにはまだまだ算術医もおられる、そこで薬局薬剤師がまだまだ勉強が足りない、基本的な決心が確立してない‐とするならば、最も大事にすべき国民大衆・患者の立場を考えていないのではないかと云う厳しい反省が特に我々卸に必要である。

 3、真の医療改善か向上かを求める……
前述の意味で、分業が本当に医療の改善、向上になるのか卒直にチェックして行くべきである。

 4、卸の機能(ハタラキ)を弁えて冷静に確実に……
卸の機能、働きについて分相応、力相応をわきまえて冷静、堅実に、しかも後退なき前進、不退転の前進をしなければならない。

 5、卸の機能(ハタラキ)の考察……
@医薬品等の安定供給…
これには次の三つの大きな問題があり、これだけでも容易ならない義務条件である。
ア、医薬品等の円滑な調達?医薬品等の適正なる備蓄保管?医薬品等の迅速な配送。
A情報の収集、処理、伝達…
情報は種々雑多で、学術データもあり、行政官庁医師会、歯科医師会の情報もある。そして失礼ながら先生方の上部団体である薬剤師会の伝達よりも、ひょっとしたら卸の伝達のほうがスピーディかも知れない→メーカーと卸団体の情報、そして市場、商品、流通その他開業医・歯医(次のB項の働きが求められている)に関する情報。これらに対しては望月専務の強い要請もあり、私共卸業者は商品供給情報センター(D・S・I)の設置を卸の共同事業として検討開始することと致しました。
Bドクターとのブリッジ・コミュニケーション…
ドクターに接触する度合は卸業者が強いと思います。重要な機能です。
Cメーカーとの諸関係の導入斡旋仲介…
メーカーとの接触その他によって諸資料、条件を導入し濃くしていく。
D外国情報紹介…
ケネディヒヤリングとかネルソン委員会或いはアメリカFDA情報等収集しての紹介。
E其他…
ア、資金支援機能。
イ、経営指導機能。
ウ、共同施設(備蓄、DI調剤、試験センター等)…即ち、所謂コンサルタントのことです。ひょっとしたら先生方と共同で或いはドクター、薬剤師と卸が一部介入した合併出資の設立もあり得ると思います。これは具体的には備蓄センター、DIセンター、調剤センター、試験センター等々の例が考えられます。
エ、備品什器、消耗品等の取次。
オ、労働力(APO、補助員)の紹介、斡旋。
カ、教育援助…教育支援であります。情報活動と関連するが主として学術的なデータをお送りする。
キ、地域住民とのコミュニケーション教育、PR等の支援…地域住民とのコミュニケーション、母親教室とか赤ん坊大会を持つとか、そのような地道な教育、PRなどの援助支援。
ク、一般販売業経営の積極的援助…調剤薬局以外の一般販売業、薬種商の方々を積極的に支援することも調剤専門に進まれる先生方の役に立つと思います。即ち、調剤をしないお店の経営を確立すべく積極援助をするということであります。

 ざっと挙げても、この位の働きをすべき卸であります。「あらねばならない卸」であります。これからが大変な苦労の連続であろうと、かように思うわけであります。身の引き締る気持が致します。

 私は今日、全世界の経済が停滞し、近頃クリーピングパニックという言葉があるそうです。忍び寄る恐慌です。もし一九二五年、あの昭和の初期のパニック状況が来るとしたら資源、食糧皆無の日本の経済はたちまち壊滅であります。田中金権政治が批判されています。政治の混迷と動揺、そして戦後最大といわれる経済危機、すべての業界、すべての企業が全く冴えない沈滞と不振の中に喘いでいます。この先き更に、ご承知の通り一九七〇年代の後半でどのような経済変動、どういう構造変革があるのか、資源食糧戦争時代とも云われています。産業構造の大きな変革時代であり、業界の再編成時代でもあります。

 望月専務は今日の医薬品業界に対して医療の革命と云われた、私はこの今明年を薬業界における昭和維新期と主張して参りました。明治維新の原動力である山口県のこの地において私共の大会を持たれることに対し何か奇しき縁(エニシ)を感じる者であります。なぜ維新なのか。例えば黒船ペルーが来航したあの時と同じことが‐昭和50年5月1日我が産業界に貿易完全自由化が始まる。次は、先きに述べたように一九七〇年代後半における経済の大きな産業構造変革です、すべてが誰もが誰一人として体験したことがない試練が加わって来るのです。三番目は申すまでもなく現在展開されている戦後最大と云われる経済危機のことであります。

 こうした暗い状態の時に突然薬業界の先生方の上に黒い雲の中から明るい太陽がパッとさしてきたと云うころです。革命であり、維新であるとするならば、私は先生方に最も重要なことは大きな決心だろうと思うのです。他人まかせ、あなたまかせ、誰かがやってくれるであろう、暖かい布団に坐ることを当然とする怠惰の夢はここでかなぐり棄てる事だと思うのです。根本的な変革ですから私は自力更生、他人を頼らない、一人でやって見せる、独立自尊の精神こそ必要だ、しかも社会的責任の絶対要請がある、患者の身になって勉強する、懸命に学習する、又身近で具体的なことは、近隣のドクターと直ちに人間関係、信頼関係に立っての対話を開始する、たとえ一つづつでも‐望月先生が云っておられるマンツーマンの小さな例を一つづつ積み重ねることであっても。完璧に自分のトレーニングに資する、そして徐々に拡大してゆくことだと思うのです。

 小さな決心の積み重ねしか自分の幸は得られないと思うのです。毛沢東の言葉ではありませんが、長期的戦略は楽観でありますが短期的今日只今の現実は緻密な細心な注意をもって一つ一つ積み上げていく、この地道な実行は是非必要であると思います。

 生意気な事を申しましたが、何卒先生方がこの革命期になって素晴らしい発展をするためには今日只今、決心をすることで自分自身が変わることだと思うわけです。卸の私共も全力をあげてこの革命期に後退者、落第組にならないように一生懸命に先生方の驥尾に付して参ります。どうぞ私共卸を利用して下さい。最後に率直なご批判とご指導をお願いします。
(コーエー小倉薬品且ミ長福岡県医薬品卸業協会長日本医薬品卸連合会副会長)

 日薬、日薬連へ分業推進の要望書

 日本薬剤師会はこのほど日本製薬団体連合会に医薬分業推進に関する要望書を提出した。

 この要望書は@小包装医薬品の供給A包装格差、相手別差別価格の解消B保険薬局への医薬品情報の提供C保険薬局の医療用医薬品の円滑な供給D貯法の見易い表示‐の五項目であるがこの中で日薬は、大包装と小包装、病院等と保険薬局間の差別価格は五%内に押さえること、また医療用医薬品の適正供給については卸の系列化に伴う供給上の問題点の改善を要望している。

 なお、以上の当面する五項目の要望のほかに日薬は、福祉社会におけるメーカーの役割、分業とメーカーとのかかわりあいの基本的な課題についても突込んだ協議を行う考えで、とくに薬価基準のあり方が対象となる予定である。

 過ぎし日々(38) 塚本赳夫

 兄が東京に帰ってしまうと又寂(さみ)しくなる。僕が弟妹をつれて歩くことになる。浅間様(浅間神社、せんげんじんじゃ)が重要な遊び場になったのは西草深に引越したからである。この家は母が買って手入れをして住み込んだが(借金でもしたか?)借家ばかりに住んでいたから「母さんも自分の家を持ったのはこれが始めてだ」と喜んでいた。

 場所は凱旋橋の近くから浅間(せんげん)神社の裏門に向った真直ぐな道の左側で門の前は中学校(憲甫達の静岡高校になった所)の方に行く道との角が外国人の住宅が二軒あった。玄関と逆に東南に向って八畳と六畳が並んで居て、長い縁側があってかなりの庭があったので母はブランコとその下に砂場を作って呉れたので皆大いに喜んだが、金田先生の所から「白」と名づけた子猫をもらって来たらこの砂の中に糞をうめておくのでとても困った。

 庭の向うは割った太い竹を並べた垣根で木戸を開けて出ると例によって茶畑だった。この茶の木はそのうちに間もなくかたづけられて、英和女学校のテニスコートになったが、その移り変るあいだも、テニスコートになってからも大体僕達の運動場みたいなものだから駆け廻ったり、鬼ごっこをするには全く不便はなかった。

 まだお茶の木が残ってる頃から皆はこの広い所がすきだった。此処に出ると浅間山(せんげんやま)が見えて、右の方の少し低くなった所にはドン(午報)をうつ大砲も見える。弟達もお昼になると、ドンが鳴る事は知ってるが、見た事はないから或る日曜日に「ドンのなるのを見せてやる」と云うたら皆大喜びで、朝食後間もなくから早くみせろと云われて困った。僕も気になって時計ばかり見てる始末だった。

 正午が近づいて四人の弟妹を連れて茶畑に出たが、皆は待ち遠しくて大さわぎ最初の時などは何かに気をとられていて、見そこなったとくやしがる子もいたが家の中で聞くのと違って存外大きな音がするので、ドーンと云うと同時に僕にかじりついた子もいた。

 又次の日曜にも是非見せろと云うので又々朝から時計を気にしていて又見せる事に成功した。
憲甫はそのあとで、パッと煙が見えてからあとでドーンと音がしたのはどう云うわけだと云い出した。
僕も一応説明して、大砲の口の所では音と煙とは同時に出てるが見えるための光は早くて、音は空気の振動で伝わって来るのでおそいのだと云うてやったがあまりはっきり理解できなかったようだ。

 その後の或る日曜日に妹二人?と憲甫を連れて、ドンの近くに行ってドンを見ようと云うことになって出かけた。このドンの大砲は日清戦争か日露戦争の戦利品か、又は日本軍の古い大砲かは知らんが、大砲としてはそう大きな物ではない。ドンのおじさんがぼろ布で丁寧に掃除して、火薬をつめる仕度をしている。丈夫そうな車がついているし、うしろにはカンガルーの尻尾のようなつっかい棒が着いているこれが野砲と云う物か?砲口は真直ぐ僕等の家の方、即ち城内に向いているらしい。

 そのうちにおじさんが、「もう時間だから少し離れていなさい」と云うので浅間山の方へさがって、真横から同じレベルで見ていた。弟達は僕のそばにかたまって来て、じっとしていた。おじさんは時計を見ながら紐のような物を手に巻いていつでも引っ張れるように身を構えた。「さあ、よく見てろ!」と云ううちにドーンと云うと同時に一とかたまりの煙を噴き出した。憲甫は僕の手をしっかりにぎっていた。「ほんとうに一緒だね」と云いながら少しふるえていたようだ。妹達はドンと云うたのちにかじりついて来たようだった。

 しかし全員大いに満足したことは横からドンを見たので砲身からどんなように煙が吹き出るか、そばで見ると本当に同時に音もしていると云う事を確認出来たのが嬉しかった。いつも家の裏で見ていた時は真直ぐ自分達の方に煙が出るので、一番大切な時には大砲は全く見えないのに、今日は冷静に(こわがりながら)横からドンが見られた事だった。

 ドンの横顔を見たので兄弟は皆大いに機嫌よく浅間神社にもどってお庭や神社のまわりの額(がく)や、皆が納めた絵馬などを見ながら家に帰った。私はこの時は昼飯前でもあり、あまりゆっくり見て帰れなかったのでこの後も思い出しては時々見に行った。

 大きな木の板に書いて額に入れた墨絵の馬でどこから見ても僕の方を見てるのがあった、誰れかが八方にらみの馬と云うのだと教えて呉れた。又山田長政がシャム(泰国)から浅間神社に奉納したと云う自分の乗って行った船の絵があったが、外気に触れたままで今までおいたらさぞいたんだ事だろうと、心配になる絵が他にも沢山ある。

 九州山口薬学大会 女子薬学部会に参加して 福岡県 森山富江

 秋晴れの一日、はじめて海を渡った第四十一回九州山口薬学会の女子部会は、会場に入り切れず場外まで溢れた参加者と云い、誠に実り多き日であった事を喜ぶと共に、会の運営に当られた諸姉の御苦労に心からの感謝を捧げたいと思う。

 当日は、医薬分業五ヶ年計画の発足と女子薬剤師の今後の在り方"をテーマにシンポジウム形式で進められた。一部、助言者講演、二部、会員発表につづき質疑応答となり、助言者夫々の立場から頂いた貴重な助言は我々の今後に大きな示唆を与えてもらえたものと思う。次に演述内容を簡単にお伝えすると。

 1、五郎丸三先生(山口県薬副会長)は山口県の分業に対する方向方針を語られ、分業進行と同時に複数薬剤師の常駐が必須となるので潜在薬剤師の再調査、発掘を行ない、実務の出来る保険薬剤師として養成する為の研修会に力を入れたいとのべられた。

 2、片山玲子(岡山県病薬会理事)先生は分業後の薬剤師は医療の中の一員となり今までと違った姿となるだろう。新医療体系では、薬剤師は処方意図を正しく理解、調剤し、患者には作用、副作用、服用方法等につき詳しく説明し薬物治療の意義を理解させる。又副作用が現われたり、別の症状を認めた場合など速やかに医師に連絡するなど臨床薬剤師としての職能を果し得る態勢をつくることが之からの私達の志す道と思う。次に教育面では新システムの中で最も必要となる臨床薬理作用を学ぶ場を持って欲しい。現状のまま若い層が増えてゆく程薬剤師の地位は看護婦にも劣ったものとなりかねない事を警告したいと結ばれる。

 次に行政面から田中美代(日本女薬会副会長)先生がのべられる。分業を薬事行政面から考え今後の薬剤師は如何にあるべきかを一行政官として在任中体験して来た事を話してみたい。現行法に於て薬剤師は一部の薬品に対しての義務は課せられているが一部に対しては責任はありません。又要指示薬等、薬剤師の権限の及ばぬものもある。こうした中で自己矛盾を感じ乍ら私なりに任務を遂行して来ました。

 薬局、薬剤師を監視し乍ら一面に於てその取扱い管理状況等を監督すると云った此の行政は分業の推進と共に改められ、薬品の管理者として薬剤師について援助と指導がなされるべきと思う。そして新しい医療の中で自らの倫理に徹し、主体性を確立し乍ら、行政推進に寄与しようとする薬剤師を側面からたすけ指導してゆく行政であって欲しい。又このように展開されるべきだ。こうした中では従来のように腰かけ的な勤務は許されないし、薬剤師が単なる物品販売人であってはならぬ事は勿論だ。少なくとも薬事行政は医・薬協業と云った新しい世界を求めて我々に協力がもとめられると思う。と述べられた。

 秋島ミヨ先生(日本女薬会会長)は五年後には男女比は三対七となるだろう。このような時期を迎えて今更男女の別を云うのはおかしいが女には矢張り甘えがあると思う。勤務した場合はプロ意識に徹して欲しい。我々が本物の薬剤師となって本当に技術を全うする時本当の地位も得られると思うと熱のある言葉で結ばれる。最後に岡山大学病院薬剤部長の小山鷹二先生は、薬学部には女子が多く腰掛的考えを持つ者もあり卒業後の厳しい勉強や研究には余り積極的でない。

 現在の教育には種々問題があると思うが之からは実地に生きた教育の必要を痛感する。配合禁忌等一生懸命暗記する様なものでなく、実際的な本物の教育が要るのだ。薬が体内に入った場合の働き方にもいろいろあるし、生体膜のとおり方も薬によって違う。動物テストで効力があったからと云っても人間には無効の物もある。所謂製剤製品は平均値に従って作られるが、調剤は個人個人である。五ミリの薬剤で死ぬ人もあれば八十ミリでも未だ生きている場合もある。調剤は一人一人が相手だ。最適の薬を最適の量与えるのが調剤だ。之からのシステムの中で医師が安心して薬物治療にあたる事が出来るために薬物に関しては何時でもアドバイス出来る薬剤師となれるよう常に研鑚を積む事だ。分業はお互医と薬の頭同志で何度話し合っても進歩はしないだろう。医師と薬剤師の個人的な対話が先ず必要であり、又それが一番近道と思うと述べられ、第一部を終了する。

 第二部はテーマに関して、各県よりの会員の声あり夫々の立場からの切実な問題が提起された。残された時間、助言者の先生を交えての活発な質疑応答は参加者全員の熱意そのまま大いに盛上りを見せたが残念乍ら時間オーバー、お互い又の日を約して閉会となる。

 最後に秋島会長が我々はプロとしてベストを尽くすべきだが、その為に独身を通すなどと若い方は考えて欲しくない。独身は駄目です。女は結婚してはじめて本来の形となるのです。仕事がよく出来ても一人で通す女の人は心まで寂しいものです。矢張り結婚して豊かな心を持った女子薬剤師となって下さい。
と云われた言葉をお伝えしてこの報告を終わりたいと思います。
(福岡県女子薬副会長)