通 史 昭和49年(1974) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和49年(1974) 4月5日号

 福岡県薬 第29回代議員会・総会 四島会長勇退、長野新会長に

 福岡県薬剤師会(四島久会長)は第29回代議員会と総会を三月二五日(月)一〇時三〇分より福岡県薬剤師会会議室で開催した。会議は@代議員会A総会B薬剤師連盟懇談会C会員懇親会で進められた、その概要は次のとおり。

 ▼代議員会
大坪理事の司会により、鶴田副会長の開会のことばがあって、議長席に須原議長と藤井副議長がついたあとまず四島会長の演述(別掲)があり、そのなかで後進への途を開くため会長辞任の意のあるところを述べた。来賓祝詞は岩下衛生部長(武田薬務課長代読)、古賀治前県議により行なわれ議事に入った。

 報告事項
報告第一号…昭和48年度会務並びに事業報告
1、一般会務関係事項=工藤専務理事。
@会員数(一六五一名)
A保険薬局・保険薬剤師数(八三三、一八四四)
B会議
C叙勲・表彰

 2、恒常的事業報告=工藤専務理事。
@共済事業
A薬と健康の週間
B講習会・研修会等

 3、重点事業
@総括報告=長野副会長
A医療制度の中における薬剤師職能の確立、医薬分業推進と受入体制の整備=中村常務理事。
B会の組織化=中村常務理事。
C薬局、薬剤師の資質の向上と経済的発展=安部常務理事。

 4関係団体の事業報告
@福岡県病院薬剤師会=福井副会長。
A福岡県学校薬剤師会=友納会長。
B福岡県女子薬剤師会=田中会長。
C福岡県薬剤師国保組合=工藤常務理事。
報告第二号…日本薬剤師会第35回通常代議員会報告=福井日薬代議員。
報告第三号…昭和48年度歳入歳出中間報告=鶴原常務理事。いずれも承認。

 議決事項
議案第一号…定款細則一部改正の件=藤田常務理事。
議案第二号…昭和47年度歳入歳出決算認定の件=佐治理事。
議案第三号…昭和49年度事業計画決定の件=藤田常務理事。
議案第四号…昭和49年度会費決定の件=斉田常務理事。
議案第五号…昭和49年度歳入歳出予算決定の件=鶴原常務理事。
いずれも熱心な質疑応答のあと提案のとおり議決決定した。

 選挙

 選考委員により候補者を選考することに決定。左記選考委員一〇名により別室で選考の結果、神谷選考委員長から選考の経過及び結果報告、議長から一同に諮かり、次のとおり決定した。
会長=長野義夫。
副会長=白木太四郎、辻進、堀岡正義。
監事=南義雄、安村研二。
日薬代議員=安部寿、磯田正春、西元寺清継、芳野直行、藤野義彦。
日薬予備代議員=三宅清彦、上田ヨシエ、末松博、橋本祐一、荒巻善之助。
【選考委員】
福岡地区=藤野義彦、荒巻善之助、小松真佐雄。北九州地区=芳野直行、井上浩一、神谷武信。筑豊地区=高橋亀千代、安永雄介。筑後地区=辻進、河野広登。
閉会
三宅理事挨拶あり閉会。

 ▼総会
工藤専務理事の司会により、四島会長演述、議事に入る。
支部表彰では、八幡、若松、京都、直方、福岡の五支部に対して表彰が行なわれた。

 ▼薬剤師連盟懇談会
四島会長を中心にして、森下泰氏後援につき積極的な行動を行うことを確認。

 ▼会員懇親会
一般会員も多数の出席あり、盛会を極めた。

 ◆四島会長演述

 四八年度一年を振り返ってみますと吾々の職能の確立もなかなか思うようには参らなかったのですが、一番大事な医薬分業については、政治的にも社会的にもその必要性がようやく認められ、具体的にどうすべきかという段階まで参ったのはご承知のとおりであります。

 ここで申上げたいことは現在云われている医薬分業というものは、今日までの古典的分業体制でなく、社会性のある医薬協業の線にそった分業ということで、この点吾々としては頭の転換をしなければならないと思うのであります。いわゆる商業的薬業というか、診療というものを商業的に考える時代は過ぎ、社会福祉あるいは社会保障の一環としての医療の在り方をどうするかという問題になってきたのであります。

 社会保障のもとにおける診療に学問的技術の面で参加するということで前時代的、古典的な分業路線から実質的な分業路線へ転換し、日医が云うように医療技術そのものを適正に評価することを前提として全面的に医療の在り方を近代化し、その中で薬剤師の役割がいかにあるべきかということであります。
今まで処方調剤のみにとらわれていたのでありますが、薬剤師の職能として近代医療の中に割り込むためには医薬品の生産から流通、管理等、医薬品に関するあらゆる面が薬剤師の職域になるわけで、このように医療の中に参画することが近代的な協業の線だと云えるわけで、そのために何をなすべきかということが現在吾々の課題であります。

 差し当りの問題としては日薬が云うように、いかなる方法を以ってしてもまず処方せんを出させる工作が必要で、開業医も処方せんを出すという実績を積み上げ、吾々はこれを受入れる実績を積み上げたうえで完全な理想的な分業体制ができ上るのだと云われているわけであります。

 今までは中央、地方を問わず基本の分業路線を薬剤師全員同じバスに乗って進んだのでありますが、目的地に近づいた今日ではバスを降り、各人が自分に合った道を選んで進まねばならない段階、つまり各個別に処方せん獲得工作をやるべき時期が来たと思うのであります。

 まさに重大な岐路に立っている会としては、今後このような個々の積極的努力をする会員を統括していくために県薬の脱皮をはかり熱意と行動力のある人を選ぶべきだと考えます。幸に今日は役員の改選期でありますので代議員の皆さんは、このような面を考慮し、虚心坦懐に新路線に向って進む執行部を選び、福岡県薬が全国のリーダーシップをとる程度まで向上して貰うことが必要であると思うのであります。

 私は昭和七年から会のお世話をはじめ四二年間、旧態依然としてご期待に副えなかったのですが、皆さんのご協力によりまがりなりにも大過なく勤めて参りました。今後なお一層、会の発展のために会員各位が全力を尽して会を盛り上げて頂くことを念願し、永年のご協力を感謝します。ありがとうございました。

 ◆長野新会長あいさつ

 随分長い間、福岡県薬剤師会のために身を捨てて努力され、今日の薬剤師会の基礎を築いてこられた四島会長のあとに満場一致でご推挙頂きましたことについて心から感謝いたします。

 私は四島会長のもとで副会長をやり、副会長の仕事は十分には果し得なかったと思いますけれども、私を今日まで指導下さった四島会長に対し、深甚な敬意を表すものであります。もともと私も長い間薬剤師の職能の確立ということのために戦前から戦後にかけて二〇年近く中央薬剤師会に席を占め、二三年から今日まで二五年間にわたって日薬代議員を勤め、中央に会員の苦しさと残念さを訴えてきたつもりであります。しかしながら、こと、いまだ成っておりません。

 今日、分業問題を私をもって観察するならば、非常に流動的であると思います。この代議員会でも悲痛な質問がだされていましたが、決して油断ならないと私はこう解釈しております。もしもここで安易な安堵感を会員の一人一人が持つとするならば、再び十数年前の苦い苦しい経験をなめる恐れ十分にありと観察するものであります。

 今こそ会員は結束して職能の確立を立派にやりとげ後に続く若い薬剤師のために日本の医療を完全な形の医と薬との分離に確立しておかなければならないと私は思うのであります。

 長い間の非分業形態のもとに吾々の経済事情は全く危殆に瀕しているといっても差し支えなく、経済事情をぬきにして分業の政治連動は成り立たないと思うのであります。経済を豊にしながら薬剤師として吾々が学校で修得した技術技能によって社会に医師と同格の資格で奉仕することのできる事態を、吾々の力で作りたいと思います。そのためには、一人一人の会員が、小さいことにこだわることなく手を握ってもう一度現在置かれた地歩をはっきりかみしめながら、この苦しさを努力に代えなければならない時代と私は思います。

 微力ながら経験深い四島会長のあとを受けて私が会長をやることは、むしろ危険さえはらむかもしれないのでありますが、役員並びに会員の方々が私を助けて日本の薬剤師会をリードする福岡県薬でありたい、かように考えるのであります。職能の確立と経済の地歩の確立に私の一期中、身と情熱をかたむけたい、かように思います、どうかご支援の程お願い致します。

 日薬、休日診療の処方せん発行要望

 日本薬剤師会はこのほど厚生大臣に休日診療についての要望書を提出した。
この要望書の内容は次のとおりで、さきに厚生省に対し休日診療の予算編成に当って定員のなかに薬剤師が含まれるよう要望していたが枠外となったため改めて要望したものである。
@休日診療所において処方箋を発行されたい。処方箋の受け入れについては地域薬剤師会が責任をもって処理する。
A処方箋発行が困難な休日診療所では必ず薬剤師を委嘱すること。この際の薬剤師確保については、地域薬剤師会が協力する。

 挾子

 ▼福岡県薬代議員会で四島会長が辞意を表明、長野新内閣が誕生することになった。四島氏は人も知る戦後の薬業界の動乱時代に身を捨てて業界安定に努力された第一人者である。あのすぐれた頭脳と豊かな経験をもって今後ますます酷しさが予想される薬業界のためにアドバイスを続けて貰いたい。

九州薬事新報 昭和49年(1974) 4月15日号

 福岡県 女子薬剤師会総会 秋島日本女子薬会長を迎え

 福岡県女子薬剤師会(田中美代会長)は、秋島日本女子薬剤師会長を迎え、四八年度の定時総会を四月七日正午から県薬会館で開会悪天候にもかかわらず県下より約八〇名の会員が参加し、熱心な討議が行われた。

 議事に先立ち秋島日本女子薬会長は「後に続く薬剤師のため、職能確立をはかるのは吾々の責任である、そのためには六月の参院選で森下泰を国会に送らねばその実現は永久に失われる」と述べてあいさつ、ついで来賓の祝辞で辻県薬剤師会副会長は、「県薬も役員が交代し、まだ歩き出したばかりであるが新年度は事業を極度にしぼり@医薬分業プロゼクトチームを作って強力に推進A薬局の経済確立をはかり分業に備えるB病院薬剤師の協力を得て開局者のDI活動と再教育を行ないたい」と述べて女子薬の協力を求めた。

 次に森下後援会推進本部員畝本昌介氏(市川市薬剤師会長)は、参議院選挙はすでに終盤戦と云えると前おきして、
▽今回の参議院選は五五万票取らねばならないこと
▽今回の武見発言(五年後には分業にする)は個人発言でなく機関決定であること。
▽分業が実現しても政治力がないと薬剤師サイドの分業にはならないこと。
▽革新支持の薬剤師であっても党派を超え、時の政府のもとに代表を送らねば効果が上らないこと。
▽森下を後援するのは森下に頼まれたのではなく吾々が業権を守るため推せんしたのであること。
▽薬業界には政治的組織が確立していない、今回はこの組織の確立も目的の一つであること。
▽後援会名簿をもう一度確認、投票日までアピールを続けること
▽森下は業界の推せん候補としては最高の人物であること
▽森下泰を理解するため「仁丹哲学」を活用すること
など後援会活動について具体的に述べた。

 それより上田ヨシエ氏を議長に推して議事に入り、事業・決算報告を承認、四九年度は、日本女子薬、県薬の方針に副うとともに左記事業計画を決定した。
1、四八年度に引続き研修会講習会を開催し、意識向上につとめる(全国研修会は4月25、26両日、九州ブロック研修会は福岡市において5月26日開催)
2、分業に備え、潜在有資格者を調査し、保険薬剤師としての再研修の実施
3、地域団体との交流をはかり、公衆衛生活動、分業推進PRを実施する。
4、各種研修会に積極的に参加し、伝達講習を行う
5、管理薬剤師会の組織を強化し、その職能の確立をはかる(非常勤、名儀貸し等の廃止に努力する)
予算審議では会費を値上げして積極的な活動をとの意見があったが、会費はできるだけおさえ、潜在資格者を多数包含する方向で進めたいとの執行部意見を認め、会費(年額千円)は据置きとなった。
当日の会議ででた主な意見、要望等は次のとおり。

 ○女子薬の会合、研修会等に出席すればこの会費は安過ぎると思うが、会費を集める立場で考えると現状では値上げは無理だとの矛盾を感じる。
○九州山口薬学大会準備委員会で女子薬部会が抹殺された件に関連し、女子薬会員即県薬・日薬会員が望ましいが、現状では急増する新女子薬剤師・潜在有資格者を包含する意味で女子薬独自の活動がまだ必要である。
○女子薬で時間制薬剤師の組織を作る必要がある。その報酬は少くとも一日五千円確保すべきである。
○日本女子薬は吾々の代弁者としてよくやって頂いているが、各地区で格差もはげしく、種々隘路もあろうが、下々の声をくみ上げて欲しい。
○医薬分業の実現は医療の大革命である、これについて行けない薬剤師は亡びるよりほかはない、問題は多いが今は政治力をつけること以外にない。森下泰はその橋頭堡である。

九州薬事新報 昭和49年(1974) 4月25日号

 分業推進特別委新設 福岡県薬剤師会 新役員で初理事会

 福岡県薬剤師会代議員会(3月25日)で会長ほか役員が交代、その後、理事の任命が終り、初の理事会が四月一五日午後二時から県薬会館で開かれ、古賀ヒサ(理事)安村研二(監事)を除き全役員が出席した。

 まず長野会長は議事に先立ち、今年度の事業計画については、正副会長で検討した結果@分業の実質的な受入れ体制の強化A技術の向上B経済の確立。の三本の柱を強力に推進することとし、議論のない所には進歩なしとして今後、理事会支部長会等では大いに論議を戦わすよう希望するとともに事業運営に対する協力を求めた。

 次に神谷専務理事から代議員会以降の経過報告と、新役員の紹介があり、委員会の在り方等につき種々意見交換が行なわれたあと、左記のとおり役員の職務分掌が決定した。なお顧問、相談役は従来通りであるが顧問に四島前会長を加えることとなった。

 ▼新役員と職務分掌
▽副会長
白木太四郎=全般
辻進=分業・経済
堀岡正義=調剤技術・学術
▽専務理事
神谷武信=会務一般
▽常務理事
斉田和夫=会員・会館
藤野義彦=薬務行政・薬局
田中美代=女子薬・会員
磯田正春=病薬
中村里実=薬局・社保
橋本祐一=学薬・公衆衛生
安部寿=薬局・DI
▽理事
富永泰資=経理・会館
柴田伊津郎=公衆衛生・DI
古賀ヒサ=病薬
山本一郎=薬局・経済
三宅清彦=病薬
芳野直行=経済
末松博=病薬
▽理事会参与
城敏治=薬務行政・県庁薬剤師
▽顧問
塚元久雄、松野俊雄、川崎敏男(新)、四島久(新)
▽相談役
五郎丸勝、古賀治、岡野辛一郎(新)、鶴田喜代次(新)

 ▼各委員会と担当理事
▽薬局委員会=藤野、芳野、山本
▽調剤技術委員会=県病院薬剤師会へ一任
▽公衆衛生委員会=柴田、橋本
▽社会保険委員会=中村、安部
▽DI委員会=堀岡、柴田
▽分業特別委員会=安部
なお、当日の主な決定事項は次のとおりである。
○会計理事による本年度予算の細部説明については原案(代議員会)通りで進むことに決定
○外郭団体への役員の派遣については任期等の調査の上交代すべきは交代する(福岡県社会保険医療協議会委員は神谷武信氏)
○委員会は従来通りの委員会を存続し、そのほか新たに「分業推進特別委員会」を設置する。その委員には、各委員会から本当に働く人をピックアップするとともに薬務行政卸、分業実践者等の中からも起用し、広く業界を網羅したものにする。
○各委員会の委員は五月二日の支部連絡協議会までに、担当理事により選出
○次期理事会は五月二日一一時、支部連絡協議会は一三時県薬会館で開会、引続き一七時より県薬務課長の歓送迎会をレストラン三和で開催する。
○今年度の事業の具体化については@医薬分業の思想統一A同実情調査B広報活動の活発化(県薬の動きを伝える)C移動理事会の開催(地方会員の意見を聞くため)D調剤業務研修会の継続実施(既に五回全国に先がけ行なっているが、一層の内容充実をはかる)
○開業医師は現在、どのような形の分業が自己のプラスになるか検討している。企業あるいは大きい資本と繋がるようなことが実現すれば、開局薬剤師が阻害される結果となる。このようなことを避けるため県薬剤師会、県医師会段階での話合いを次期理事会までに実施
○毎月例会を開いていた「薬剤師業経済研究特別委員会」は、当分の間休会することとし、薬局委員会に含め、そのなかで検討することとする。
○分業を中心とした広報活動を活発にするため二月に一回、会員へ情報を流し、あわせて九州薬事新報の活用をはかることとする。

 新任あいさつ 福岡県衛生部 薬務課長 岩橋 孝

 私は、かつて薬務課にお世話になっていたことがありますが、再び皆様方の仲間入りさせていただくこととなりました。昭和三十七年まで十年余り主として薬務課と麻薬関係の業務にたずさわっていましたが、亡くなられました当時の川上衛生部長さんや先輩諸氏のお世話で厚生省に勤めることとなり、三十七年から十二年間厚生省、鳥取県と勤めてきました。

 この度、機会がありまして、古巣にもどってきたわけですが、役所の皆様方、業界の関係者の方々にも旧知の方が多く、なつかしく再開のたびに十二年前の話しに花を咲かしているといったところです。
福岡をはなれていた十二年間のうち薬務行政として厚生省での製薬関係麻薬関係あわせて三年程度の経験です。とくに、医薬品をめぐる環境は最近とみにきびしいというふうに聞いております。同時に医薬品の行政を担当します薬務行政をとりまく環境もまた自らきびしさを増すことが想像されます。

 分業問題、薬効洗直す薬効再評価のこと、医薬品の安全性のこと、医薬品の製造、品質管理基準策定のこと、落ち着いたとはいえ量および価格を含めた医薬品の安定的供給など、薬務行政の新しい展開についての大事な仕事があるわけですが、幸い本県の薬務課は、ベテラン揃いでありますし業界関係者のご意見を拝聴しつつ、これらの問題に的確に対応できるよう努力しなければならないと思っています。
また、厚生省において薬務行政のほか検疫、栄養関係の公衆衛生、環境整備、鳥取県においては公害関係の仕事を経験したわけですが、衛生行政として視野がいくらかでも広くなっておれば幸いかと思っています。

 これらの折角の経験から薬務行政をとらえることができれば、それが県民への行政となり、あわせて業界の発展に結びつけば幸いだと思っております。
最後に重ねてよろしくご指導ご鞭撻をお願いします。

 病院勤務薬剤師をめぐる諸問題 国立小浜病院 宮地 勉

 病院薬剤師の日常業務は非常に多忙である。外来患者の診療が終り各科から処方箋が薬局の窓口に殺到する十一時頃から昼すぎまでは、まさに食事時のレストランの調理場の様相を呈する薬局内は、夫々に考えられた能率的なシステムにより処理されている筈であるが、工場のベルトラインのようにいくはずがなく心身共に重労働とならざるを得ない。

 午前中のラッシュを過ぎると午後は入院患者の投薬あるいは予製剤の調製、注射薬の払出、薬品管理等諸々の業務をしなければならない。色々の仕事をごく少数でまかなう施設では、一人が休むと業務に著しく支障をきたすため思うように休暇もとれないのが実状のようだ。

 こうした病院診療所に勤務する者が薬剤師総数の20%に達し、しかも女子の占める割合は六割にも達しており、現在薬学部学生の構成もまた女性が圧倒的に多い。この現実は薬剤師の労働条件の過酷さにもかかわらず、女性にとっては優位の職業であるといえる。しかもその報酬は薬剤師が従事する他の職種に比して相対的に低いところからこの改善は吾々にとって最も関係が深いところである。

 国家公務員である薬剤師の給与改善は日薬からも関係当局へ度々要求が出されている、が病院勤務には女性が多く定着率が悪く回転率が良いことで却って賃金が総体的に引き下げられているという因果関係が存在することも事実である。

 これらの問題は病院管理の側からみれば、人件費を押さえることに役立ち、女子薬剤師側からは、卒業後結婚するまでの職場として最も適しているかのように見られているのは、いなめない事実であり、この利害関係がこの問題解決を遅らせている最大の要因であるようだ。

 病院診療所に勤務する薬剤師や新規採用者の教育問題も大切なことでありながら今一つ迫力に欠けている。誰でも数ケ月すれば日常の業務は何とかこなせるといった現状で先の女子薬剤師の問題とも関連して知識技術の向上を切実に痛感しない現状があるからだ。勿論一部の病院では知識技術の習得をはかり情報の収集整理など積極的に実施し医師との対応において一応の成果をあげている。これらの病院は人材が豊富にあり体制が整備された限られた数の病院に過ぎない。

 ところで最近、全く違った観点から病院勤務薬剤師の医薬品に対する勉強不足を指摘する声がある。医師が処方箋を書き薬剤師は間違いなく調剤して患者に渡し、患者も指導通り服用する。この日常的投薬のシステムからサリドマイド、キノホルム等による事故が発生し、その流れの中で薬剤師の役割が問われているのだ。薬剤師は処方通り正しく調剤すれば法律的に責任を問われることはないであろうが、正しく調剤することだけを無批判に続けていていいであろうか。メーカーサイドからの一方的な情報伝達に頼るだけでなく自主性をもった情報知識を駆使して疑わしいものをチェックすべきで、これらの努力により薬剤師の職能確立や地位の向上が生れて来よう。

 一方現在注目されている薬剤師の病棟進出即ち臨床薬学も誠に結構であるが現在のように看護婦不足の病院で頻繁に薬剤師が病棟進出することが果して喜ばれるだろうか。今でも薬局の業務は過酷な上に一層の労働過剰にならないだろうか。我々が出来る限りの努力をすることは長い目でみれば病院勤務薬剤師に山積している諸問題の解決への一歩前進になることは間違いない。絶えず全体の状況からものをみて真に患者のためになる医療の一環を担いうる薬剤師としての問題解決の糸口をみつけだしたいものだと思う。