通 史 昭和49年(1974) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和49年(1974) 3月5日号

 日薬代議員会 九州ブロック代表質問

 本号掲載の日薬代議員会において、九州ブロックを代表して安部寿氏が質問を行った。その全文は次のとおり。

 ◆安部寿氏質問全文

 (1)医薬分業について 待望の医薬分業が三師会の合意で五ヶ年計画の緒につき、その具体策を審議するのが本代議員会の最重要案件である。会長演述及び四九年度事業計画案の中にそのプロセスが整然と配列されておりまことに力強い限りである。

 武見医師会長は診療報酬の抜本的改善を条件として差し当っての目標を医薬分業に置く。法改正でない医師の良識によってやると含みのある発言をしている。これが医師会の統一した見解として受けとれるかどうか伺いたい。

 厚生大臣もまた一二月一六日中医協における談話の中で、日本医師会の医薬分業五ヶ年計画に触れ、自分も賛成すると言っていることが、手ばなしに安心してよいかどうか伺いたい。

 四八年の事業計画を振り返えれば政府、国会、医師会等に対する日薬の活動がつぶさに説明され、会長はじめ執行部諸氏の努力を極めて多とし、感謝する。しかし敢てこの質問をする所以は、三師の諒解が具体的に合議されたかどうか今後の分業策展開のすべての基本になるからである。三師各界における分業推進の発想の次元が違うだけに危惧を感じる。宮崎における日医理事会の決定事項について日薬と日医とさっそく接触されたと思うが、分業のための三師協議会設置は、およそいつ頃の見込みか、また医薬分業の準備に入るについて三師相互の覚え書が取り交されているかどうか伺いたい。

 (2)要指示医薬品について
この問題については過去に再三質問し、意見を述べて来た。四八年度会務事業報告中の第34回日本薬剤師会臨時代議員会決議文は、吾々の念願するところをみごとに文章化し、要指示薬制度の矛盾を鋭く突き、種々の圧迫のため薬剤師の憤懣は極度に達していると訴えている。この立派な決議文は一体どこに生かされているか甚だ疑問を感じる。決議文の作成は単なるセレモニーであってはならないはずである。勿論、現実は決議文の要請とはかなり懸隔があることが常である。しかし要指示薬制度に関しては、日薬執行部に更めてとくとご意見が伺いたい。

 要指示薬問題が勃発して以来、日薬が対策として今日まで構じてきた医薬品再分類作業も、時間がかかるとは云え、既に出来ていることと思う、次はこれを法改正により完成する段階と聞いている。だがこの最難関がやすやすと通るであろうか?薬剤師の希望する路線に果して向うであろうか?また医薬分業路線の中に埋没される運命ではないのか?甚だ不安を感ずるのは私のみではない。須原国会議員がビルの問題で理論闘争をしている姿をみても、副作用の一点張りで厚生省は薬局による販売を拒否している。

 医師ならば患者に危害を及ばさずとして売らせ、薬局では危険だとしている。この考えがそのまま要指示薬に適用されているのである。こんな状況下で日薬の分類案が通るであろうか?日の目を見ることができるであろうか?甚だ心配である。

 医師は医薬に関してオールマイティーを維持しようとし、彼等からすれば吾々薬剤師もまた素人の域に置かれている。さればこそ要指示薬制度には非常に冷淡であり、厚生省も医師に迎合し、その結果夥しい重要医薬品が吾々の店頭から姿を消している事実はご承知の通りである。

 医薬品分類方策が日の目を見なかった時、要指示薬問題は一巻の終りとなる惧れ十分である。医薬分業実現とともに解決することだから放置せよとでも言うのか?今日まで日薬が処してきた要指示薬問題解決の態度は、根本から間違っていると指摘したい。矛盾極まるこの悪法を覆すための理論展開が当初から必要であった。

 重ねてお尋ねする。近き将来、法改正が行われ、薬剤師自身推奨できる医薬品を奪還されるかどうか、その実現ができない時のことを考えているかどうか?薬剤師はカスミを喰う仙人でもなければ怒を知らない植物人間でもない、全国の薬剤師は現在生きた施策を渇望している。高遠な理想も大切であるが、できること、卑近なものから取り上げるべきである。そこで会長に暫定措置として、分類が達成される前に全国に先般発言された「緊急やむを得ざる場合、薬剤師は自己の責任において、要指示薬を患者に与えて宜しい」と会長の責任において流して貰いたい。

 私は昨年秋の九州山口薬学大会で望月専務にこのことを要望した。これに対し望月専務は「厚生省と話し合って答えよう」と……私はこの時やっぱり駄目だと思った。日薬は社団法人である、会員に対する責務は大きい。世の誰からも指弾されないこの生きた暫定措置を行なってこそ飢えた会員には一片のパンになるものだ。会長の猛省をお願いした。

 病院におけるGMP 九州大学病院副薬剤部長 磯田正春

 医薬品の製造から病院消費にいたる間のメーカー、卸業者、病院の各サイドにおける品質管理が完全に行わなければ、我々は品質の優れた医薬品を医師または患者に提供することはできない。このことは従来からも論議され、種々なかたちで実施されているが、いままでの実態調査(対卸業者)やアンケート調査(対病院、対メーカー)の結果をみても、いまだ完全に実施されていない問題点が各サイドごとにある。

 去る10月25日大分市で開催された、第40回九州山口薬学大会における、薬剤部長協議会の議案の一つとして「病院における品質管理のあり方を検討する件」九大病院堀岡正義先生が提案採択され、今後委員会で対策を検討することになった。

 一九六九年WHOがGMPを作成し、日本をはじめ加盟一五ヶ国に勧告した。一九七二年五月米国FDAが米国に医薬品を輸出する外国の製造施設の任意登録制度を実施するGMP規則案を発表した。これは当然日本から医薬品を輸入する場合も適用される。この目的は通関を迅速に行なうためであるとしている。

 これに対処するため日本製薬工業協会が去る五月JGMP(医薬品の製造と品質管理に関する実践規範)を作成した。一方厚生省もプロジェクトチームを作って、GMP問題を取上げ品質管理、配送などについて検討をはじめている。

 現在日本にはGMPに相当するものに、薬局等構造設備基準、生物学的製剤製造規則、放射性医薬品製造規則などがあるくらいである。JGMPを読んでみると、章だけで、定義、製造環境、封財材設備、職員、原料、製造管理、包装・表示の管理、品質管理、製品の出荷、安定性と使用期限、自己監査など13章からなり、その下に節、製造衛生条があり、かなりこまかい点まで規制されている。我々の日常業務である調剤、製剤、試験、薬局および病棟における品質管理などについて、JGMP の章、節条をあてはめてみると再検討の必要性が痛感される・JGMPを実施するには職員の再教育と管理に70%設備などに30%の力を注ぐ必要があるといわれている。

 これらのことから、前記の議案は時宜を得たものであり、この意義は大きい。今後病院薬局GMPを我々の手で作成し、これを実践すべきではなかろうか。九大病院においても、第一段階として、不特定多数患者に使用される、自家製剤などについてのGMPを作成し、これを実践する準備を進めている。(福岡県病薬、DIニュース48号より)

 福岡市薬部会長会

 福岡市薬剤師会(斉田和夫会長)は二月一九日理事会及び部会長を開催、部会長は三一部会中二三部会が出席した。

 当日は救急医療実施、県薬社保・薬局委員会の報告並びに@日薬作成薬価基準の購入A歯科用備蓄薬品B薬局医薬品製造品目申請等について説明したほか、主として次の事項について検討した。

 会館建設については、実状止むなきを認め、夕刊フクニチの建設延期に同意することを決め、四九年度の会費については、日薬・県薬の値上げに伴う市薬会費の値上げについて種々活発な意見が出されたが、結論に至らず次回にゆずることになった。

 森下泰百万人と語る会への協力は、薬業者自身の問題であり、この会の盛り上りは後援会活動のバロメーターであるとして具体策を検討、動員計画を決定したほか、組合関係問題についても藤野・山手両氏から報告があった。

九州薬事新報 昭和49年(1974) 3月15日号

 医薬品安全性の推進について 福岡県薬剤師会 薬局委員長神谷武信

 国民の医薬品に対する正しい使用法と安全性を確保するために、第一線に於て国民と接触する立場にあるのは薬剤師であります。最近とみに増えた薬禍に対しその原因を究明し、有害作用を如何に少くし、或は防止して医薬品本来の機能を発揮させるかは、薬剤師最大の使命であると思います。その安全性を推進するに当り、行政、製造、医療担当夫々の立場からチェックをし、最終的に利用する国民の一人一人がよりすぐれた治療効果が得られる様、万全の措置を取ってこそ薬剤師職能が認められることと思います。

 問題が起ると常に制度の改革が論ぜられます。例えば「病院で投薬を受ける場合、誰も説明をしてくれなかった」と云う不満が八〇%あったと主婦連は報告していますがこのことを一つを見ても、医薬分業には医薬品の安全性を推進する以外に、国民的コンサイセンスを得る方法はないと知るべきです。日薬では従来の日本医薬情報センターが法人化され日薬と表裏一体となった関係上、日薬の組織を動員して安全情報活動をスタートし、全国の委員を動員し第一回の研修会が開催されましたが、全く時宜を得た企画だと思います。

 医薬品の安全性については大体二つに分れると思います。一つは医薬品の副作用について。他は大衆薬を含めて医薬品の正しい使用法の徹底に尽きると思います。医薬品の副作用はWHO(世界保健機構)では「医薬品を正常な使用法で用いた場合、人体に起る好ましからざる作用」と定義しております。もともと人体には異物である医薬品は特有の生理活性(薬理作用)を持つ反面、有害作用のあるのは当然です。それ故に特に医薬品は他の一般商品と違って特有の使用量、使用法が決められています。にも拘らず、例えば特異体質などに於ては、用量が決められた範囲内でも往々にして有害作用が認められています。ペニシリンショック、サリドマイド、スモン等昭和31年以来陸続として今日に至っている訳ですが厚生省では昭和42年来副作用のモニタリング施設が設けられ、国立病院を中心に資料が集められています。

 一方、財団法人日本医薬品情報センターでは日薬と同じビルに同居したのをキッカケに、デンターバンクとして充分な資料を集め又日薬組織を利用して、末端会員の調剤業務、販売業務に安全情報を提供しようとしている訳です。会員諸兄には意のある所をくみ取り頂き、経験された副作用については速やかに夫々の県薬に報告下さい。所定用紙に記入、中央宛取次ぐことになっています。

 扨、予期せざる好ましからざる有害作用を防ぐために世界で最も積極的に取組んでいるのが、アメリカだそうです。そのアメリカでは処方する場合、患者の薬歴を調査することが行なわれ、法律として実施することも決められ来年一月から義務づけられているそうです。(日本製薬工業協会安全委員会遠藤武男委員長)。

 WHOの中でアメリカに次いで進んでいるといわれる日本ですから此処二、三年には右へならえかも知れません。して見ると、最近よくいわれる分業五ヶ年計画の早期実現?ともカミ合う訳で、特に開局薬剤師の方々の一考をうながしたく存じます。(二年後予想される医療費改正で武見会長の云う一〇〇〇点ともタイミングが合って来ます)

 安全性に対する行政当局並にメーカーの姿勢は添付書類(能書)第一主義なのです。全般的に考えれば止むを得ぬことでしょうが、如何にも責任逃れみたいでこのまま推し進められますと薬局製剤46品目も例外でなくなることを併せ考えなければいけません。

 扨、医薬品が誤って使用される場合を考えて見ましょう。第一は誤診による医薬品選択の間違です。誤診が全くないとは心ある医師でさえ考えていません。唯現保険制度の下では無料又は無料に近いため、又医業が投薬することによって、成立っている限りあり得ることと思います。対象が患者自身の場合もありますし、その薬を譲渡することによる事故もあります。宮崎、東京に於ける事故がこれに当ります。又投薬という言葉が如何にも乱投薬という感じに取られそうですが、渡薬と云ったイメージに変える必要もありはせぬかと思います。又口授という用法の指示がどこ迄通用するか前記主婦連の苦情から見ても考えるべきだと思います。

 次に薬局薬店が判断をあやまって違う薬を渡す場合です。分業をなさっているG先生と議論しましたが患者の指名以外の薬を渡した場合の責任ということにもなります。或は使いの者で質問に対する解答のニューアンスの違いということもありましょう。又臨床的に無知なために違った薬を渡すことだってあり得ます。こうなりますと、一時間待って三分診療に似た薬局店頭の販売ということは成立たぬ筈で過去の乱売時代を思うとゾッとするのは私だけでないと思います。

 営業姿勢を正すと共に、薬のことも或はOTCで許される病気の判断と養生法についても、もっともっと勉強する必要があると思います。そして医療機関たる病院の宣伝が規制されているのと同様に第三者がまどわされる様な薬局の宣伝というものは、規制される前に自粛すべきだと思います。

 第三番目に大衆が自己判断で勝手にあやまった医薬品を使用する場合です。かって病院からもらった薬の残り、以前薬局から買っておいた治療薬、大衆薬(特に内味だけの場合)又用に臨んで、周囲の人に進められたり、マスコミより得た手がかりによる指名買等々ケースは多岐に亘る事と思う。特に大衆薬のマスコミ宣伝には愛嬌で見過されているのかもしれないが、フィリングで薬を使用することの恐ろしさには唖然とします。(須原参議に云わせると医薬品の宣伝は中止すべきだ)大衆は皮膚万病に効くかの如き錯覚にとらわれて使用しているが○○○○○カブレと云う病名迄皮膚科には出来ているとか。かって湿疹石鹸なるサブタイトルの薬用石鹸があったが現在では固型殺菌洗滌剤となっています。脂漏性湿疹以外は不適だし誠に当を得た処置だと思う。

 又好ましからざる買われ方売られ方をしている薬品があることを確認して頂きたい販売する立場又一部のメーカーにも責任のあることですが、小児用かぜ薬のシロップを一度に大人が使用すると云った風潮があるのは、誠に残念です。又医薬品、医薬部外品の中で嗜好品的な考えで使用されている事も注意すべき事と思います。大衆薬の効能書も無害なるが故に放置されているのではないでしょうか?又医家向薬品の如く副作用の恐れの多いものについては、能書を出来るだけ詳しくするのは当然(専門家が見るため)だがOTC薬品以下については使用する大衆が疑問視したり、かえって無視したりすることが考えられるので、出来るだけ簡明に要を得たものであって欲しい。くどくどと書くよりも「使用時には薬剤師等に相談すること」程度の方が効果が上るのではないかと思う。

 そのように期待される薬剤師は如何にあるべきでしょうか。薬剤師綱領に見られるようなことは勿論ですが、何よりも医師からも大衆からも気安く薬事衛生の相談がうけられ、明確な判断の下、応答なり指導の出来る人でなければならぬと思います。情報とは「あることがらの知らせが或る人達の意思決定になんらかの影響を与えたとき、その知らせが情報となる」とされていますが中央で行っている医薬品安全情報活動に進んで加入し、組織の中に生きてこそ薬剤師職能は一段と生きて来るものと思う。序ながら日薬では県薬レベル時に於ける情報活動を切望されています。

 手近な事ですが、毎年実施される「くすりと健康の週間」で家庭にある不急薬品を鑑定し、使用出来るものは用法等を再確認せしめ不適品は回収等全国一斉キャンペーンを繰返し行なえば街の薬局も見直されるに違いない。

九州薬事新報 昭和49年(1974) 3月25日号

 「薬剤師への提言」を読んで 福岡市薬剤師会専務理事 荒巻善之助

 二月二日に放送された「薬剤師への提言」と題する武見日医会長の講演が"日薬ファーマシスト"二月二十日号に全文掲載された。読んでみて腹の立つこともないではないが、残念乍ら反論の余地がない。

 それは全文を通じてうかがえる確固たる理念によるものであろう。その中には抽象的な表現はあっても観念的な表現はない。これは何よりも彼が理論の人であることの証左でもある。そして現在、武見日医会長こそが日本の医療制度を動かす第一人者であることを思うとき、薬剤師の一人一人が虚心にその声に耳を傾けるべきではないかと思う。

 薬剤師が古典的な形態の分業を主張することは、武見氏の言をかりる迄もなくナンセンスである。そのことは私もしばしば本紙をかりて主張してきた。医薬協業という言葉が、そういう古典的な分業に対する修正の意味で用いられたのであれば結構である。然し大多数の薬剤師会員には、それよりもどうも政策的な日医追随の姿勢として受取られているような感が深い。

 この際、日薬は理論的にその意味を明確にし、医と薬のテリトリーについて、はっきりした見解を示すべきであろう。同日掲載された石館会長の「薬剤師への提言をうけて」という論旨にはどうもそういう意味での明確さがない。具体的ではあるが核心にふれぬまま当らずさわらずでお茶をにごしたとも受け取れる。

 武見氏は、工業化社会、特に社会保障制度のもとにおける分業とはどうあるべきか、ということを、会長以下、日本薬剤師会に問いかけているのであって、これに対する明確な理念なしには、五ヶ年計画というような形の上でのビジョンはあっても、職能の確立、あるいはまた医療制度の中に於ける地位の向上、というような問題とはつながってこないと思う。

 武見会長は薬剤師のテリトリーを、製薬、流通、調剤というふうに縦の線で考え、それが医療体制とどういう接点をもち、また導入されるべきか、ということを求めているが、これは日薬に対する大上段のゼスチュアであるのと同時に日医にとっても一つの「かぎ」となる問題だと思う。

 それというのも、武見会長は薬剤師の前近代性を強く主張するものの医師の在り方も同じく前近代的なのであって、その「医療小売同業組合」を早急に解体しないことには、日本の医療がメチャメチャになってしまう。今迄、医師会病院とか、検査センターとか、いろいろ手はうってみたものの、これではどうにもならない。そこで医療体制の最高責任者として、不本意乍ら分業を実施せざるを得ない、ということにふみ切ったのではなかろうか。

 同じく工業化社会であっても、社会保障制度実施以前では「医は仁術」である余地があった。それは貧乏人からは金をとらないというような画一的なことでなしに、患者の全人的な姿を知らなくては本当の医療はあり得ない、というふうに理解すべきであるし、医師はまた、その意味で治療の全責任を負うべき立場にあったのである。それが現在のコマギレ診療と、コマギレ報酬の時代になると、日本の医療体制の前近代性を完全に暴露してしまった。

 こういう問題についての医療担当者側からの反省は、いろんな形でなされていると思うが、その一つの例として「POシステム」をあげることができよう。

 POシステムというのはProblem Oriented Medical Systemであって、患者のもつ個々の問題点を、どうすればよく補えて、これを処理することができるか、という考え方に立つものである。ここでそのやり方を紹介するのは本旨でもないし、またその知識もないが、要はこれによって患者不在の医療が是正されることになり、それについてパラメディカルが積極的に治療計画に参画できることが特徴である。

 ここでは薬剤師は医師の処方をそのまま調剤するというパツシヴな形でなしに、その技能を積極的に役立てることが要求されるわけである。こういうふうになると薬剤師がパラメディカルなのかそうでないのか、なかなかむづかしい問題になる。武見会長の発言にはパラメディカルという言葉はないが、意図する所は明かにそうであろう。ただ薬剤師には薬学的判断と情報管理ということが要求されるが、これが医師の主導権の下に統括されなくてはならないというのが彼の今迄の主張であるし、そこを接点をして、生産、流通の問題をどう制度づけするかということが関連した問題となる。

 武見会長が、薬剤師は調剤販売業者では困るというのは、医師を頂点とする医療体系の中に組込まれるのか組込まれないのか、もし組込まれないのならば職能の確立はないのだぞ、という発言として受取ってよいだろう。これ迄日薬はともすれば実を捨てて名を取った感が深かった。三師会などというのは語呂合せだ、というような言葉も聞く、いま我々はまたそのような岐路に立たされているわけであって、この際、名を捨てても実を取り、それを着実に積み上げて行くことが必要であろう。

 最近私は二、三の開業医と話合う機会をもったが、何れも分業はもはや既定の路線として受取られている。日医の指令待ち、情況待ちということらしい。薬剤師の質の問題をとやかくいう人があるが、それは実際に処方せんが出て来なければ研修をやっても身につくまい。実際に手にとってから、精力的にやればよい。それよりも問題は、薬局の立地的格差、薬剤師の年令的ハンディーをどうするかということである。これは個人個人の問題だから日薬としても救済策があるわけではなかろう。どうやって自分の薬局は分業をうけとめるか、自分で考え、自分で努力してみるしか方法はない。