通 史 昭和48年(1973) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和48年(1973) 9月5日号

 計画配送 卸経営近代化へ 前進

 大阪地区に於いて、計画配送問題は当初家庭薬に限って、家庭卸四社(新和会)が諸経費の高騰や労働力の不足の理由で小売側(OPC=大阪協組、OPM=大阪商組)に申入れたもので@当日注文の当日配送を癈止、翌日配送にする。A訪問回数が少ないため注文はまとめて欲しい。の二点が骨子であったが、其後家庭薬卸四社を含む薬盟会で実施に移る方向に進展し、更に薬盟会会員を主たる会員とする大阪医薬品卸協組は八月二十日実施の方針を最終的に決定する運びとなった。

 小売店への計画配送はすでに東京、名古屋の二地区で、東京は六月、名古屋は七月に実施中であるが、結果は小売店への反応も好評で順調なすべり出しを見せていることから、大阪卸協組も実施に踏み切ったものである。

 この計画配送の骨子は次の四点であるが、家庭薬、新薬、医療用医薬品のすべてが組み込まれることになる。
(1)当日注文の当日配送を癈止、翌日の配送とする。
(2)計画受注の実施。
(3)訪問回数が少なくなるため注文をまとめてほしい。
(4)小売店で卸の手伝いは回避する。

 大阪でこの方式を実施する卸は、家庭薬四社を含む薬系十四社が対象となっている。このたびの計画配送の導入は、配送業務の大幅な合理化促進を意図するものであるが、これにより配送業務を含めた卸経営が一躍近代化を遂げることは間違いない。その最大のメリットは経営合理化による生産性アップを計ったものと云えよう。

 地元卸・小売の声

 商卸の計画配送が東京、名古屋、大阪等で実施され、福岡市でも既に一部実施されているところもあることから、市内の卸並びに小売商組の幹部の、これに対する意見を聞いてみた。

 卸・・・最近、配送について痛切に感じることは、都心部への場合、駐車違反で罰金だけならまだしも、免許証にきづがつくので一台の車に二人乗せねばならず、翌日配送では片付かない問題もはらんでいる。この問題は別な観点から解決しなければならないが、計画配送については、コストダウンを図るための合理化の一つの方法として基本的には小売も納得して頂けると思うが、現実の問題としては十分話合い、協議して接点を見出し、煮詰めてゆかねばならない。

 既に郡部では小売店の理解を得て完全に翌日配送を実現しているし、都心の方が長距離の場合より納品のためのコストが高くつくという本来からの考えと逆な面があることも理解して頂き、双方が努力すれば実施出来ると考えている。

 小売・・・高利潤、高福祉のための近代化であるから基本的には賛成であるが、双方よく話合ってトラブルが起らないようにすることが必要であろう。しかし、小売の体質が非常に時代に遅れている面があるので実施には慎重を期して貰いたい。

 挾子

 ▼東京、名古屋に続いて、大阪でも薬局薬店にたいする計画配送が実施されることになった。人件費の高騰、人手不足、交通渋滞、交通取締強化などで受注から配送までの労力や経費は最近とくに膨大し、この面の合理化を進めることは卸業経営の大きな課題となっている。

 卸経営はすでに薬専部門より医専部門への転換が経営上で常識的と解釈される傾向にあって、わが福岡地区に於いても伝統のある大型卸店が薬専部門の大削減を行ない経営合理化を計った事例も生じている。

 薬専部門を継続し商いの主柱としている卸店では当面する問題点が多いようである。薬局、薬店にとっては即日配達されない不便や在庫増加などのマイナス面が生じるが、いろんな面で合理化を図らなければならないことが理解されているので今後九州・山口地区においても検討されるであろう計画配送の問題において、相互理解のもとにスムーズに行なわることを望み度いと思うものである。

 過ぎし日々(5)塚本赳夫

 次の日には水産講習所の実習所に連れて行かれて、鑵詰と鰹節の製造を見てから浜伝いに歩いて帰った。
海の波をよく見たのも初めてで、寄せて来ては止まってちょっと考えてから又さーっと帰って行く。見てるうちに波にどうしても入って見たくなった。父は何とか、かんとか云うて、やめた方がよいとなだめにかかっていたが、どうしても入ると云うので半ズボンまでをぬがせて呉れた。乾いた砂から少しづつ波の来る所に入って行った。

 水はかなり冷たく気持ちがよいし、波がやや強く寄せては来る時は足に昇り上がってくるので、上衣を手で持ち上げねばならん・・・・・・、引きはじめると足の裏が少しくすぐったいと思っていると、足の下がえぐられて穴になり、足は砂の中に吸い込まれて行く。こんな事が起るとは全く思ってもいなかったので、これは面白くて、面白くてとても急にはやめられなかった。

 遠くには伊豆の大島が青く霞んでいるし、左手の方には江の島が鮮やかな緑を見せていた。父は早く上がれと云いながら私の半ズボンや靴下を持って砂の上を歩き出したので、私も水の中を歩いて見ると時々波が邪魔をしに来るので歩きにくくて尚面白い。まだ水温も低くかったと見えて足は全く冷えあがってしまった。

 濡れた足で乾いた砂に上ったから、足の指の間に砂が入ってしまって、父はハンカチーフを出して丁寧にふいたり、払ったりして呉れて靴下や靴を穿かせるのには相当大変だったように思う。

 この日も伊勢屋さんに泊ったが、寝ついてまもなく「足がだるいーッ」と云いながらうす目を開けた。
父は何か書き物をしていたらしいが「よしよし、こうすればすぐなおるよ」と云い、又「足だけ冷めたい水に入ると、だるくなる事があるんだよ!」とも云って小さな足を足先から腿(もも)の方に向ってさすって呉れた。

 よい気持なので又すぐ眠ったものであろう。かなりの時間がったったようだ。一と寝入りして気がつくと、父はねむたそうに眼をほそくして、まだ私の足をなでているではないか!世の中には何と親切な人がいるものかと、大いに感激はしたものの、ねむくてねむくて其のまま寝ついてしまった。
今考えると、東京を離れて父親を独占したので、前夜からいくらかあまったれていたものと思う。
(筆者紹介)
元九州大学薬学部長
元福岡大学薬学部長

 管理薬剤師の皆様へ 大分保健所 清家シヅコ

 薬局、薬店の管理を引受けてお店に働く薬剤師の方方は、よく考えてみると、なかなか容易ならぬお仕事をなさっているわけです。管理薬剤師の義務は管理事項としていろいろあげられます。

 薬局においては、
一、医薬品の調剤に関すること
二、医薬品の製造に関すること(作業記録の作成保存、原料及び製品試験、試験記録の作成保存等)
三、薬局の構造設備に関すること。
四、医薬品の販売について技術上の取扱いに関すること。
五、医薬品の試験検査に関すること。
六、医薬品の広告及び表示の規制に関すること。
七、その他医薬品の管理に関する薬事法諸規定の遵守に関すること。
一般販売業にあっては調剤並びに医薬品の御製造に関する事項を除いて薬局管理事項に準ずるとなっています。

 勤務する場合は右のような管理事項を定めた雇傭契約書を取り交わして勤務することになります。なかには家庭の事情等から見てどうにも契約書通りに勤務が出来そうにもない方もいらっしゃいますが、多くの薬剤師さんは始めは一生懸命にやってみようと覚悟しておられると思います。けれども開店早早のお店は思うようにお客さまもなく毎日出勤しても余り忙がしくなくと云う事で次第にお店を休むようになり長期欠勤となり、遂には管理薬剤師不在の薬局、薬店となる。このような例は特に女子薬剤師の方に見受けられます。

 とにかく、薬局や医薬品販売業を始めるとなると、他の営業には見られない厳しい規則でしばられているのですから営業者も管理薬剤師もそれなりの覚悟と云うものが必要です。管理薬剤師としては管理上の責任はすべて自分にあるのですから尚更です。先ず店舗の設備はよいであろうかとご自分の仕事場を見廻してほしいのです。

 薬局の中で最も大切な場所であり誇とすべき場所は調剤室であろうと思います。それなのにその中は物置となり、がらくたが一ぱいで埃だらけとなっている、そのために切角の透明ガラスの部分にはポスターや広告を張り付け、商品を山積みにしたりして中をお客さまに見せないようにしています。これでは薬局であるのやら業態は何なのかさっぱりわかりません。一般の方々が薬局も薬店も区別が出来ないのも無理ない事です。

 申すまでもなく調剤室や試験室は薬剤師の大切な仕事場です。きれいに整理整頓していつでも調剤や試験が出来るようにととのえお客様へも誇を持って見て戴くようにしてほしいと思います。

 次は商品管理です。法的な取扱いは云うに及ばず、保管場所は適切であるか、期限切れの薬品や古いものはないか、不良品、不正表示品は八倍禁止になっているものはないか等々常に気を配ってください。
また、各種法定帳簿の記録保管についても手落ちがないか調べてください。

 その他に大切な事は店員教育です。商品知識が的確で豊富なお店はお客様にとっても気持ちのよいものです。同時に関係法規についても必要な知識を与えてほしいと思います。私達薬事監視員が立入検査にまいりましても主人がいないからとか管理薬剤師がいないから等と云って帳簿のありかもわからず、さっぱり要領の得ない店舗がありますがそれでは困ります。

 管理薬剤師は自分が不在の時はその他の薬剤師に業務を代行させ後で報告を受け、不在の場合の出来事でもすべて知る必要があります。他に薬剤師が居ない場合には調剤や、要指示薬、毒劇薬、毒物等の販売をさせないようにし後で店員からよく報告してもらいます。

 法に定められた取扱い又商品知識など先ず医薬品の安全性や消費者保護の立場に立って業務を遂行してほしいと思います。講習会、研修会等には進んで参加し業界新聞、文献、組合情報法の改正等に十分留意し大切な事は業務日誌を活用したり、その都度記録を取るようにしてください。

 尚、来客に対しては、ご自分の仕事を通じ良き相談相手となって地域住民の健康増進のために努力し信頼される薬局、薬店となられるよう期待して止みません。
(九州山口薬学大会 女子部実行委員長)

九州薬事新報 昭和48年(1973) 9月15日号

 九州地区薬業界 森下泰氏を囲む座談会

 望月幹事長を迎え再販情報など聴く

 福岡県薬剤師会は九月二日一時半から福岡市レストラン三和において森下泰氏を囲み、左記薬業各界代表者が一堂に会して座談会を開催した。当日は日本薬剤師連盟から望月幹事長の出席を得て中央情勢の報告のあと、明年七月の参議院選に備えて忌憚のない意見を交換した。

 当日の出席者(敬称略)は、日本薬剤師連盟から望月幹事長、山中総務(熊本県薬会長)、福岡県議会議員古賀治、福岡県薬剤師会から四島、長野、鶴田正副会長のほか、工藤専務理事、鶴原、福井、斉田常務理事、県商組から白木理事長、藤野専務理事、県薬事協会から深田、栗須、谷口正副会長、メーカー代表として武田薬品、塩野義製薬、三共、田辺製薬、エーザイ、鳥居薬品、協和醗酵、九州卸連合会代表として大黒南海堂大黒清太郎、川口屋松下嘉雄、九宏薬品板部保光、鶴原薬品松四幹雄、コーエー小倉薬品吉村重喜、吉村薬品吉村益次、富田薬品富田哲生(宮崎温仙堂欠)

 会は工藤専務理事司会してまず望月幹事長から日薬の森下泰後援会その他について報告のあと森下泰氏は薬業界に対する公約や今後の方針については日薬の指導によって行うとあいさつ。先の地方区選挙については業界の後援を謝し、政治一般について所信を述べ、票田を持つ団体が、如何に強いか、また現在の情況で共産党勢力が伸びるならば十年を待たずして自由主義社会が崩壊するであろうと述べ、政局並びに教育の危機を訴えた。

 それより座長に大黒氏を推して座談会に移り活発な意見の交換を行って五時散会した。当日の各氏発言要旨は次のとおり。

 ▽衆議院選挙の成果について

 過日の衆議院選挙では各地の努力により約85%の当選率で可成の成果であった。今年二月自民党を訪れ、薬界に対する党の認識の低さについて不満を申入れた結果、分業推進のための懇談会の設置の可能性を検討することになり、吾々としては非常に不満であるが、厚生大臣が出て来て医・歯・薬の三者懇談会を持ち、推進しようということで、大臣は実際に医務、薬務、保険局の三局に指示し、事務レベルの推進をはかっており一応の前進をみた。また当選した議員の個人的感謝は国会での発言に反映している。このように業界の一人一人の活動が、国会で薬業界の政治力という形で確認されて来た。

 ○森下泰後援会について

 森下氏の地方補欠選出馬については、その意思がなく、あくまで業界の組織の上に立っての立候補が希望であったが、最終的には薬剤師会、薬種商協会等業界のすすめにより出馬に踏み切ったが惜敗した。大阪の業界は非常によくやって頂いたが、全国業者の大阪在住知人紹介が二千数百通で必ずしも十分な活動ではなかった。若し、全国業者がこれを十分実行したらおそらく結果は逆転していたと思われる。このように振り返えると業界がよくやったとは云え今一つ意識が足りなかったことを反省しなければならない。

 大阪選挙の二日後、まず中央部における薬剤会の森下後援会を縦割の組織で作ることが決まり、縦割であるとともに一番上に協議会を持ち、その下にブロック協議会、各県では県卸、メーカーをも含めた横の連繋の協議会を持つことになり薬剤師会の方では薬剤師の後援会の本部を作り、各支部の組織を作る作業に入り約半数位の県が設立を終ったと思う。この外に本部に十人のオルグを予定し、末端会員の業界意識を掘り起す役目をする。「またも負けたか薬業界」は今度ばかりは絶対に許されない。そういう意味で昨年末の衆議院選に力を入れその成果が国会に反映することでワンステップ(これは一応実現したと考えている)。次は森下当選でツーステップ。次はまた一人と実現して行きたい。

 ○医薬品の今後について

 医薬品についてはサリドマイド事件を契機としてスモン病その他種々な問題が起き、また保険の赤字から薬の使い過ぎも問題とされて来た。最近は人間性の復活ということから薬の在り方、取り扱い方について反省期に入ったと思われる。今後医薬品の使用責任ということも大きく取りあげられ、医薬品をより安全に国民に供給する体制をどうするかということで最終的には薬事法の改正になるであろう。その時吾々業界の代表が国会にいる場合と否と職能の認識の度合いにどれ程差が出て来るか、このことをよく認識して頂きたい。

 ○再販廃止の公取発表について

 八月二十一日公取を訪ねた時、一ヶ月以内に何らかの動きがありそうな気配を感じた。二十九日、日刊紙に出た通知が二十八日公取から薬務局へ廻され、二十九日中に意見を出せとの事であったが、公取は二十八日既に新聞社に原稿を渡し、二十九日四時には記者を集めて説明を行っている。このことから公取は形式上諸官庁に意見を求めはしたが、薬務局の意見を聞く気は全くなかったと云える。

 自民党でも三十日再販問題小委員会を開き、内容は別としても手続上の問題で党を無視したとして公取に対し強い態度でのぞんだが、見通しとしては、内容を若干修正(軟化)して発表することになる可能性が強い品目毎の○×についても厚生省は全く関与していないのが実情のようである。会としては四日委員会を開き公的にはその意見に従って対処するが、内容の緩和については既に内部工策として要望している。

 今後再販が一挙になくなるとは思えないが、或る程度軟化する可能性はあるとみなければならない。世界的なインフレが進むなかで値段の上らない再販品を持つことのバカ?しさも考えねばならず、いずれにしても今後医薬品の流通の在り方、価格の在り方等根本的な対策が必要な時に業界代表を持ち、力を十分出し切ることこそ急務であると信ずる。

 各界代表発言

 ▽大黒清太郎社長
森下泰氏は薬業界をバックにとの意向が強いと聞くが、吾々としても業界事情に詳しく健康であり、考え方についても業界としては最高の候補者と考える。吾々は既でに過去三回苦渋をなめている。明年は何としても当選させねばならない、卸としても森下一本に絞りたいと考えている。

 ▽長野県薬副会長
ともかく、要は森下をどうして当選させるかのみである。選挙は候補者に大きなウェートがあるが、親近感親しさが結束を呼び起すもの、森下氏は口上手ではないが人をひきつける力がある、この印象を拡げてゆき度い。

 ▽山中熊本県薬会長
吾々業界にとって全くよい候補者を得たと思っている。自民党では日本の将来の教育のため是非とも必要な人であると評価している、熊本県の三師会では薬業界は卸、メーカーも含め森下を推すことを確認した、選挙はただ勝つことだ。

 ▽深田県薬事協会会長
今回、薬種商は全国的に森下氏を推すことになっている、皆さんが云われる通り選挙は勝たねばならない、そしてまず足を使うことである、吾々が足となって働くことが一番必要なこと、共産党の躍進もこれから始まった、吾々も一人一人が足になれば勝てると信ずる。

 ▽白木県商組理事長
小売薬業者は、要指示薬の拡大、再販制度の軟化等次第に職能をせばめられ、雑貨を50%も扱わねば生計が立たないところまで追いこまれている。当然、吾々自分のこととしてやらねばならない。

 ▽田部三共支店長
筑紫二十日会は今日休みであるが出席出来てよかったと感じている。吾々も一生懸命やるので、業界のむつかしい情勢にお力を添えて頂きたい。

 ▽吉村益次社長
現在は日本卸の副会長を兼ねているが、常任理事は十年以上も務めている。その間を振り返り感じることは業界の政治力の弱さである。これは卸、メーカーも含めて商売熱心で非常に視野が狭く、その結果いつも損をしている。

 私は森下氏とは青年商工会議所員として永年の交際があり、人物としても高く評価しており、利害関係が複雑なこのような時期に立候補されるには最適の人と考える。最近の社会状勢が経済的にも医の方に傾むき過ぎているのは間違いで、経済の配分からいっても分業をすすめ、これを確立しなければならないと考えている。

 ▽古賀治県議
従来補欠選挙に自民党は弱いとされているが、その困難な選挙で善戦されたのにと惜しまれる。それにつけても全国の薬剤師の応援(在阪知人紹介)がもう少し活発であったらと残念でならない。明年の参議院選は薬種商も卸、メーカーも積極的に応援頂ける態勢にあることは非常に心強い、現在の自民党の在り方は大いに改めねばならないと考えるが、吾々の場合は超イデオロギーで、思想的に危機に瀕している現状を打破しなければならない。卸、メーカーの従業員にもこのことを訴えて貰えば協力頂けると信ずる。

 ▽四島県薬会長
業界の代表を国会に送らなければならないことは皆同様に感じている。ただ選挙に対する吾々の今までの考え方を変え、業界の一人一人が自分が立候補したつもりでやれば一人三十票、五十票確保出来ないはずはない。これだけで十分当選させられる筈である。このような会員が何人いるかということが問題である。

 過ぎし日々(6)塚本赳夫

 小田原を思い出すと、たいがいは夏の景色が出て来る。行く時は母や兄と一緒の事も度たびあった。こう云う時は皆で海に行って、字義通りの海水浴をやって涼みながら水のある所で遊んで居た。波が寄せて来た時母が僕達の身体をぬらして呉れた。母の手作りの海水着と称する、袖のないアッパッパの小さいような物を着せられていたようだ。

 父が来てる時には、深い所まで連れて行って呉れるから面白い事は勿論だが、他かい波が来ると二人共頭から波をかぶるから、いくらかこわかった。それこそ汐が引くように兄まで連れて父母が帰ってしまうと、姐やと二人きりになってしまう。遊び相手がいなくてもなれて来ると結構面白い事がある。

 或朝早く、浜でさわがしい声がするから出て見ると人が沢山集って地引網を引いている、近所の子供も二三人はいる。綱(つな)につかまって陸の方に歩いて行っては、綱を丸く巻いて大きな円筒状を作ってる元締めらしいおじいさんの所まで行くと手をはなして、又波打ちぎわまで下って行っては綱に取りつく。ちょっと見ていたら、やり方はすぐわかったし、なかなか面白そうだから僕も綱に取りついて歩いて見た。

 ずい分太い棕縄(しゅろなわ)で手がいたいほどかたかったが、そのうちに藁縄で編んだ目の大きい綱に変る、段だんに綱の目は細かくなり終りには白い木綿だが麻だかの袋が一ぱいに魚でふくらんで砂浜に引きずり上げられた。浜には歓声がわき上がる。僕も皆んなのうれしそうな声につられて、「バンザーイ」云いながら、何が取れたかをのぞきに行った。

 一口で云えば、何でも入ってると云うより他に云いようもない。小あじその他の魚がいくらでも入ってるが、大小色々ないか、たこからかにもいる。最後の袋の中は「しらすぼし」(九州で云うちりめん)の生きた奴で一ぱいだ。大体の見きわめはついたから、帰ろうと思って立あがると「ぼっちゃん、まちな!」と親方のおじさんが、大きな手で両手一ぱいに小あじや何かを掬い上げて「うまいよ、持っていきな!」と云う。僕の手では持てないし、手ぬぐいも持ってないのであわてて麦藁帽子をぬいでその中に入れてもらって、大事に持ち帰った。

 姐やは喜んで其日は昼も夜もこの魚を食べさせて呉れた、子供心にもこれは、東京の魚とは全く味の違ったうまいものであった。以後は小さな笊に紐をつけてもらって腰にぶらさげては、得意になって地引網を引きに出た。あまりじゃまにもしないでよくやらせて呉れたもんだ、但しあまり漁(りょう)のない時には僕達はもらえない。漁師の中には小魚を手に取るが早いか、ぺろっと生きたままで喰ってしまう人も居るので、僕はびっくり仰天して、さぞ目を丸くして、口でもあいて眺めていた事であろう。

 二人きりで夜になると淋しかったが家のまわりには螢は来るし、馬追いむしの「スイーッチョン」を中心にくつわむしの「ガチャガチャ」だのやかましい連中は居るし、時にはが家の中まで飛び込んで来て、天井や壁にぶつかりジジジッボツンジジジッとさわぐ事もあるから、なかなかにぎやかな時もある。
夜になって障子が赤く見える時は浜に出て見ると、大島が火を噴いている事もあり、空も海も真っかで、これは実に雄大なしかも安全な見物(みもの)だった。とは云うても、夜はいつも淋しくねむたくなると婆やのお話しを聞きたくなった。

九州薬事新報 昭和48年(1973) 9月25日号

 過ぎし日々(7)塚本赳夫

 この淋しい二人きりの小田原に、ある日突然に大嵐(おおあらし)がやってきた。始めは風が強くてたたきつけるような雨が降っていたが、そのうちに雨がやんでいくらか明るくなったように思ったので、外に飛び出して海を見に行った。

 いつも行く道で、土手を越える峠の横には松がある所だが、行きつかないうちに土手の向うにもう波頭が見えてちょっと度肝(どきも)をぬかれた。峠に登って海を見わたすといつもと全く色が違う、空は灰色、立ち上った波は青くなく粘土細工の色をしてるからびっくり仰天した。波頭は風に吹かれて真っ白くしぶきを飛ばせて、茶色の馬が白いたてがみをなびかせているようで、勇壮活発、実に心の底から揺り動かされる程立派だった。

 丁度その時、うしろの道を二、三人の人が森さんの別荘の方に駆けて行くのが見えたので、僕もあの石崖(いしかげ)の上から見たらさぞよいだろうと思って夢中でこの人達を追った。お屋敷の石段をかけ上って、庭の方にまわって海の方に出ると、もう庭の方には十人以上の人が来ていて「波を見るにはここが一番よい」と話し合っていたので僕の他にもそんなに波が好きな人がいるのかと大いに心丈夫だった。

 南側の石崖には、時どき大波が打ちよせると、どっと白い水しぶきが上り、風がこれをたたつけて来るから、頭から濡らされる。西側の石崖の上は大きな松が沢山あるからあまり濡れないで見物出来る。安心して波のお馬の横顔を飽(あ)かずに眺める事が出来る。こんな猛烈な景色は、見た事もないので感心し切って見ていた。峠の一本松には引き上げた小舟が太い網でつないである。

 大きな波が来ると、土手の近くまで登り、松の木の根もとを洗い始めた。風はますます強くなる。波もだんだん立派になって来る。僕は全く御満悦のていで、恍惚としてながめていた。そのうちに沖の方を見ると、二、三段に重なり合ってことさら大きな波の頭が見えた。あれが海岸まで来たらどんなに素敵だろうと思うと、もう胸はわくわくして来る・・・・・・そのうちにやって来た・・・・・・。波も立派だったが、浜に押しよせる力も大したものだ。

 今度は木につないだ舟を少し持ち上げて、土手を登り切り、峠の所から、南瓜畑になだれ込んだ。波が引けば松も舟も大した変りもないが、又次の波は尚おおきい・・・・・・。今度は土手をほうぼうで越えて行った。次はどうなるかと思ってみていると、誰か大人の人が「ボッチャン危い!すぐに帰りなさい!」と言いながらかけ出して行った。

 僕も「なるごど、あぶないかな?」と思って、御別荘の石段をかけ降りて家の方に向ったら畑は水でいっぱいになっている。駆け足で家に帰ると、姐やはお鉢(おはち、飯びつ)を片手にかかえて、その中に茶碗や箸などを入れながら、家の中をうろうろしていた。

 僕は家にかけ上ったが、その時流れ込んで来た水が僕の下駄も姐やの草履もザーッと音を立ててさらって行った。姐やは急にあわて出して、おはちを左にかかえて、右手で私の手をつかまえて外に出た。もう田圃も道も皆水で、いつもの小川がどこにあるかもさだかでないが、小川のふちには見おぼえのある草が生えてるのでいくらか見当はつくがこわい。姐やは狭い道を身体をよこにして、僕の手をしっかりつかんでぐいぐい引っぱって行く。

 しばらく行って左に曲れば山側に向ってゆるい登りになる。そこまで来た時、川下の方から大分広くなった川と道とをいっぱいにして大きな波が真正面からこちらに向って来る。しかもその波の頭にはこわれた水車とわかる材木が運ばれて来る。うしろの方からは綱でつながれた舟と松の木が田圃の中を波におし上げられながら濁流に乗って向って来る。

 まるで挟みうちだ!丁度四つかどだから高い方に向ってかけ出した。ひと足ごとに水は浅くなり、僕達がはだしなのがはずかしくなって来たが、そのまま小田原の町まで登って行った。別に知ってる所もないからやはり伊勢屋に行った。町ではあまり騒いでもいなかったようだが、次の日あたりには父が救援にかけつけて来たことから見ると、東京にもこの津波(風による高波、高潮と思う)のことはわかっていたのであろう。

 医薬品 値幅再販へ後退か 隈 治人(長崎県薬剤師会長)

 八月三十日、日刊紙は、再販制度についての公取委商品大幅削減方針の内容について一せいに報道した。その概要としては、

 (一)現在の再販指定商品五種(医薬品・化粧品・家庭用石鹸・同合成洗剤・ねりはみがき)のうち、四九年四月一日から再販を認められるのは医薬品・化粧品のみとなり、他の三品種の再販は指定と取り消される。

 (二)化粧品については小売価格千円以下のものについてだけ、一〇%以上の値幅再販の範囲内で認める。従って高級化粧品の再販は取消される。

 (三)医薬品については@解熱鎮痛剤A綜合感冒剤B強心剤C動脈硬化用剤D綜合胃腸剤E混合V剤F外皮用殺菌消毒剤G駆虫剤などで、興奮剤、血圧降下剤、避妊剤、毛髪用剤、カルシウム剤、殺虫剤等指定を取消される。

 (四)しかし公取委は指定商品の大幅縮小の結果生まれる安売り競争の行き過ぎを防ぐため「不当廉売規制」を抱きあわせる方針。その方法としては、平均仕入れ価格に六%以上の直接販売費を上乗せすることを原則的に義務づけようとするもの。

 この新聞報道について「情報のさぐり」をいれたところ、業界紙筋の観測ではこの方針の立案は公取委単独のもので厚生省はいっさい関与していないらしいという。それでは医薬品の剤別指定はどこから発想されたか、ということになるかこれは当然厚生省または自民党再販小委の意向を汲んだものと見てよかろう。こういうコマカイことはやはり厚生省の案でなければなるまい。「値幅再販」については製薬協や医薬全商連・東薬連とともに従来絶対反対の立場をとってきた。値幅再販を可としていたのはチェンストア協(会長中内功氏)等の生協やスーパーの団体であり、最も熱心に値幅再販擁護論を展開したのは直販のトップメーカーであったから、これらの意見が公取委に採用された格好になっている。

 しかし自民党再販小委は三年ほど前には「値幅再販否定論」をその当時の結論としてうち出している。当時の委員長は田中栄一氏であったが、いまは変っている。この方針を打ち出す前に公取委が自民党と相談したかどうかは明らかでないが、おそらく自民党には相談せず経企庁(物価局)と協議したのではなかろうか。

 いまここに「値幅再販」を採用しようという動きがでてきたのは、「再販でも値引きのできる再販なら、まだ罪が軽い」という消費者心理への迎合、と見てよかろう。それによって消費者団体の気をやわらげ、業界の執念のつよいい医薬品、化粧の再販をともかくも残すという公取委苦心の草案であると見られなくもない。なぜ医薬品と化粧品だけを残すかという公式の理由について公取委は「上位三社の寡占度」を数字によって示している。それによると
ねりはみがき 九三%
家庭用洗剤 七六%
家庭用浴用ソープ六七%
化粧品 五三%
医薬品 二一%
となっており、その数字の度合いによって三品が廃止となり、化粧品が千円以下の再販のみ残り、医薬品はほとんど残るということに方針づけられたわけである。

 医薬品の場合の上位三社とは医家向きを含めた上位のことだから、武田薬品、三共、田辺製薬を指し、大衆薬第二位の大正製薬は入っていない。大正製薬が勘定に入るとパーセントはリポビタンの実績で相当に上昇するだろう。この二一%の計算方法は次の通りであったと推定される。

 武田・三共・田辺の総売上額(年間、昭四七)から食品・化粧品その他非医薬品の売上額を差し引く(つまり医家向きを含む純医薬品の総売上高)。=(A)
右同三社の再販医薬品(大衆薬のみ)総売上額(年間、昭四七)=(B)
右の(B)を(A)で割って百をかけた数字が二一になったという次第である。だから全医薬品の中の再販医薬品の比率ではない。その比率なら二一%の五・五掛つまり一二%にしかならないはずである。
「厚生省は右の公取委の方針を「薬の再販が残る」という理由で評価していると伝えられる。(八月三十一日現在の情報)

 小売業界としては、「値幅再販」反対の意見を押し出すことは当然であろうが、いまのところ消極的な反対に終るという予想が六対四で優勢であろう。「再販さえ残れば、あとはなんとか」という考えが強かろう。それくらいに弱気な業界であると見てよい。

 消費者団体は「不当廉売規制」に早速反発した。「大安売り、大特売、出血販売は何故いけないのか」とは当然の反発であると見られよう。「よけいな心配である」「安売りにどんな弊害あるというのか」というそのケンケンたる声は日刊紙の全面協力によって大々的に報道されている。新聞の値上げで七月の物価がはね上ったというのは明白な事実。再販廃止が物価対策上最も望ましく且つ実効のあるのは「新聞」ではなかろうかその外濠であるところの薬と化粧品の再販を新聞自身は大いに叩く姿勢である。