通 史 昭和45年(1970) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和45年(1970) 1月1日号

 新年の辞 昭和四十五年元旦 日本薬剤師会 会長 武田孝三郎

 私は、今年こそ薬剤師職能にとって非常に重要な年だと思う。すなわち、薬剤師職能の根幹である医薬分業の実施問題が解決される年と信ずるからである。昨年5月、自民党医療基本問題調査会は、長期にわたる調査結果に基づいて、「国民医療対策大綱」を定め、そのなかで「医薬分業は、医療関係者の緊密なる連携協力のもとに、おおむね5年後には全国的規模において実施されることを目途として推進するものとする」ことを明らかにした。

 この国民医療対策大綱の回付を受けた政府は、周知のごとき経過をたどって、厚生大臣が社会保障制度審議会並びに社会保険審議会に諮問した。現在、両審議会において慎重審議されているが、医療制度改革の一環として、医薬分業路線が打出されると見て間違いない。

 この段階を経て、法改正を要するものは、国会に提出されることになり、いわゆる抜本改正も、いよいよ大詰めに入る感が深い。薬剤師職能に関する苦難の途は永かったが、ようやくにしてわれわれの努力が酬いられ、目的達成も間近に迫ったのであるつねづね申しているとおり、目的完遂に近づくに従い、途はますますけわしくなってくる。われわれは、一層団結を固め、難関突破のため努力する必要がある。

 国民医療向上の重要な柱の一つである医薬分業については、医療関係団体、社会保険関係団体、政党、有識者等の認識が一段と深まって来たが、今や、国が、自ら医薬分業を取り上げ、これを推進する体制を取りつつある段階にまで進んで来た。いわゆる抜本改正については、上記のごとく、両審議会において審議進行中であるが、政府は、国会その他において、しばしば、責任者の強固な決意表明を通じて、医薬分業を実現する意志表示を行なっている。

 厚生省として初めて、医薬分業推進費を昭和45年度予算案に盛り込むという積極的態度を打出したのもその一証左である。このような政府の医薬分業に対する積極的姿勢は、政府自体の理解が深まったことによるが、上記関係各方面の分業に対する支持に裏付けされているものである点も否めない。

 永い間の、われわれの努力の積重ねが、このような成果を、かち得たことを考え、感慨深いものがある。 医薬分業実施が国民医療改善向上にための必須課題であることの認識が滲透し今や、医薬分業は国民的関心事として、大きく浮び上って来たと称して過言ではない。

 しかし国民全般の深い理解が得られなければ、医薬分業の完全円滑なる実施は期し得られないのであるから今後とも、われわれは、薬剤師職能の真の意義を国民全般に認識せしめる必要がある。本年は、このような大勢のもとに、分業に対する国民全般の理解と支持、政府医療関係団体、社会保険関係団体、政党、有識者等の一層の理解と支持、わけても、医療担当者間の協調を得ることにつとめ、われわれの側の、物心両面における体制整備に意をそそぎ、分業体制確立に近づく実行の年といたしたい。

 言うまでもなく、われわれの周囲には、医薬分業という大目的のほか、これに直接間接に関連する諸問題が山積している。医薬分業貫徹が近づくにつれ、これら幾多諸問題の解決も迫られる情勢にあるわけで、われわれとしては年の改まるとともに、難関を突破すべく、一層の勇気をもって進む必要がある。 今年こそ、薬剤師職能にとって、輝やかしい栄光が期待されるが、他面困難を伴うことを強調し、大方各位の協力を心より要請して新年の辞とする。



 鬼子鬼籍に入る 田口胤三 (九大教授、薬博)

 毎年十二月初旬に入ると、安河内翁が新春号の原稿用紙を持参して訪問されるのが恒例になっていた。わざわざの御訪問なので恐縮して、いつもくだらぬ雑文を差上げることにしていた。しかし今回は娘さんが来られて同様の依頼があった。お父さんは御元気ですかと尋ねたら、父はこの九月になくなりましたと淡々と話されたのには驚愕した。私は少しも知らなかったと申し上げたら、父の遺志で余り人には知らさなかったということであった。最後まで鬼子はその人らしく振舞い、事もなげにこの世に別れを告げて逝った。

 私が初めて鬼子翁に親しくお目にかかったのは、古賀俊隆君(金沢大学助教授)が大学院生として熊本大学から私の教室に移って来る際に、そのお父さんを紹介したいとつれて来られた時であったと思う。その時は住吉辺の庭のきれいな料亭で御馳走になった。そこを出てからハシゴ酒が始まり、バー、小料理屋と洋風和風とりまぜて飲み歩き、終着中洲で漸やく開放されたのは確か午前二時近くであったように記憶する。

 私の友達にもハシゴの好きな奴がいるが、これ程ハシゴの忙しい人にはお目に掛ったことはなかった。後から聞いたところによると、鬼子翁の酒はハシゴを以って身上とし、席の温まる隙もなく次から次へと飲み歩き、遂にはのびてしまい、家からお迎えが来るところで、この酒天童子のその日の武者酒業は終るのだそうである。

 その後三、四回同行したことがあるが、私の方はいつお別れを申出るべきかチャンスをねらうのに汲々とした記憶がある今から思うと鬼子と私との交際にはその間に常に酒があったように思う。酒を一緒に飲む時は言うまでもないが、酒を飲まない時でも必らず酒の話に終始した。

 私としてみれば酒量は翁の健康のバロメーターなのでその話を持ち出して健康診断をするのであるが、昭和四十三年の暮に来られた時には、少し足が言うことをきかぬが、まだやっていますと自称七十四才の翁はその赭顔をほころばせていたその屈託のない笑い顔が私には印象強く残っている。

 私と翁との交際は前に述べたようにして始まり、翁の他界によって終った。しかしその交遊の間に私は翁の個人的なことについてはほとんど知るところがなかったし、知ろうともしなかった。交遊は十五年に及んだと思うが、その間に知りえたことはこの万年青年がその歳を十才さばをよんでいたこと位であって、吾々の間には個人的なことについての何のせんさくもなかった。従って弔辞さえ述べられないような交遊であったが、それが故にさわやかで翁が酒盃に映えて笑いかける時、そこには吾々の交遊のすべてがあり心に通う何ものかがあった。忘れえぬ顔である。一度酒をさげて万行寺に眠る翁を訪ね、その交遊の間に「大味は必ず淡」ということを私にさとらせて下さったお礼を申し上げたいと思っている。

 薬局業 福岡県薬剤師会 会長 四島 久

 薬剤師の職能業に関連する当面の問題は多岐多様にわたっているが、差当り考えを新たにして行動せねばならないことは、医薬分業を強力に推進せねばならないことと、現今盛んに論ぜられている一般用薬、所謂大衆薬をより高級なものに拡充してゆかねばならないことであろう。

 現在強力に行われている医薬分業推進行動が果して成功するかどうか疑っている人が相当数おられることは事実である。分業は出来ないだろうと云う人に二通りあって、本当に出来ないものとあきらめ切った人達と、成功する可能性は多分にあるが、これを成功させるためには吾々自からが多大の犠牲を払い、行動せねばならないが、その努力をしたくないための云い訳に「分業は出来る筈がない」という人達に分けられると思う。いづれにしても数十年来分業運動を行ってきたイメージを以ってすれば、日本の医療の在り方、慣習から云っても、医師会との力関係から云っても、勝ち目はないと判断することは当然かも知れない。

 今日までの医薬分業運動を振り返ってみれば、戦前の運動と戦後の運動に分けられるが、戦後の運動は今回が第二回目で、戦前と戦後第一回目の運動は遂にみのらなかった。然し完全に失敗したのではなく、理論では勝ったが実質的に負けたと云うことであろう。殊に戦後の第一回目はアメリカさんの力をかりて強行しようとしたが結局医師と薬剤師の米びつ争い位にしか評価されずただ基本的に分業法が通っただけで実行不能に終ってしまった。

 過去の失敗の一番大きな原因は医薬分業という課題に対して国民大衆が殆んど無関心でソッポを向いていたことであろう。今日迄の医療の在り方が患者は医師に診察を乞い、薬を貰い、謝礼は薬礼といわれたように医療費は薬代位にしか思われていなかった。そのような慣習が江戸時代から続けられて来ており、これが一朝一夕に変る筈もない。

 医薬を分離せねばならないために薬剤師がいるということは判っていても、分離、しなければどのような弊害があるかということは一般大衆に全々判って貰えなかった。有識者、政治家にはそれが理論的には判っていても、医師の好まぬこと、困ることは敢えてする必要はないということでは、分業が強行される筈もないのが当然であった。

 乱売問題についても同様で、乱売の行き過ぎは、医薬品の品質低下をきたし、結局は消費者の不利益となるのであるから、これを規制せねばならないと解っていても、実質的、具体的に品質不良品が発生しなければ当局としては規制に踏み切り得ないと同様に、医薬分業をしなければ実質的に好ましくない事態が起きない限り一般の関心をよぶことは出来ない。従って乱売問題では実害が発生しない限り、消費者は安ければ良いと割切り、医薬分業問題では実害が起きない限り、医師から薬をもらうことの安易さから離れようとしないのである。過去の医薬分業推進が、このような社会性のもとに遂行出来なかったのはやむを得なかったことと思われる。

 昭和三十六年、国民皆保険となり医療の九十数パーセントが保険でまかなわれるようになり、医療社会にいろいろな問題が起きてきた。そのなかで最も問題視されるようになったのが保険の悪用であろう。 被保険者は医療の給付を受ける受けないにかかわらず保険料を支払わなければならない。医療機関には治療をうけた患者でなく保険者が支払う仕組になっている。保険料を支払った被保険者はどんな軽い病気でも医師にかからねば損と思うようになり、診療者は特定の場合を除き直接患者から治療代をとる訳でなく、保険者に請求するのであるから患者自身は治療費を知らぬ者が多い。また支払う保険者は治療の内容を詳しく知らず殆んど請求通り支払うわけであるから、その間に相当の不正、不当請求があっても判明しない。この盲点を悪用して診療費のゴマカシが暫時盛んになってくるのは神ならぬ人間社会では当然のことであり、遂にはゴマかさねば損だということにさえなってきた訳である。

 患者は保険を使わねば損だと医師に診せ、医師は取らねば損だと多額の請求をするという悪業が盛んになれば、遂に保険経済のピンチがくることは当然である。医療保険の赤字が累積され、その解決策として、医療費を如何にセーブするかという段階になり、昭和四十年の最大関心事となったわけである。

 医療費の増大の直接原因とみられる薬剤費の増大を、防止というか合理化するためには医師から薬をはづさせることが一番早途だということになり、あらためて昔の医薬分業問題が再燃し、現に現われている経済的弊害をとり除くために、世論特に保険当局者、保険者(支払者)被保険者代表が医薬分業推進に盛りあがってきたのが今次医薬分業促進運動の発想点であり、過去における分業運動とは全く違った内容であることを明確に認識せねばならない。この好期を得た吾々は、この機会を逃すことなく総力を挙げて本問題にとりくめば、夢であった医薬分業は必ず完遂出来るという確信を持つことが出来る筈である。

 周囲のこのような医薬分業推進ムードの盛りあがりに即応して、日本薬剤師会は分業実施推進同盟を結成して本格的行動に移っている。日薬の分業推進の基本線は、現行法律のもとにおいて、他の医療関係者と相協調して実質的に進める方針である、歯科医師会とは既に協調態勢にあり、医師会とはある点まで協調出来てはいるものの積極的協調はいまだのぞめない。医師会が薬剤師会に背を向けている現実は否定出来ないがこれは会内事情にもよると考えられ、暫時前向きになる可能性も多分に認められる。また周囲の批判を一身に受け、好むと好まざるとにかかわらず吾々と分業推進について協力態度をとらねばならなくなる時期は、案外早く来るであろうと予測される。

 団体的な協調もさることながら、いや、団体対団体の協調を促進するためにも医師、歯科医師対薬剤師各個人的協調態度を深めて行くことが、吾々個人個人の早急に取り組まねばならないことである。これを進めることが分業達成の基礎を造るものであると考えねばならない。

 医師会内部の分業に対する関心をあらためて考えてみよう、二、三年前は処方せんを発行する開業医があれば、会内で相当の圧力がかけられたことは周知のとおりで、会として分業に背を向ける思想統一がなされていたが、今日、相当数の開業医が分業路線に乗り、開局薬剤師と協議、分業体制をとっても何等医師会から圧力がかけられる傾向はみられなくなり、医師会自体医薬分業非協力の線から後退して、消極的協調路線に切り替ったと考えて差支えあるまい。即ち医薬分業を実施しようと思う者は勝手に好きなようにやるべきだという考え方に移行してきた実証とみられる。

 この実状を認識し、開局薬剤師が勇気をもって開業医個人個人に当り、協調態勢増進に努力すれば開業医の数パーセントをして処方せん発行に踏み切らせることは可能と考えられる。このように暫時進められ十、二十パーセントの開業医が処方せんを出す段階になれば、医師会が最も嫌う法律改正をしなくとも、所謂但し書は空文化され、改正するとしても、さしたる抵抗もなくスムースに行われるであろう。

 念願の医薬分業完全実施のためには、まずこの好期に恵まれた吾々薬剤師個々が客観状勢を正しく認識して、全薬剤師の総力を結集し、あるいは政治的に、あるいは社会的に猛行動をなさねばならないことは勿論であるが、同時に吾々自身としても自らの姿勢を正し、医薬品の専門家としての知能技術の向上をはからねばならない。一開業医との対話をもつにしても、吾々の方が医薬品についてはより高度な専門家であるという実質を持たねばならない。そしてはじめて医療担当者として医師と対等の立場にたてるわけである。

 医薬分業の受入体制整備の一環として福岡県薬剤師会では全国に率先して薬剤師の調剤技術再研修を実施した。参加者は開局薬剤師の過半数程度であったが、この研修は所謂地馴らしとでもいうか、研修ムード作りとしては成功したと思っている。これによって開局薬剤師と病院勤務薬剤師との間にあった断層も解消したことは喜ばしいことである。これを機会に開局薬剤師が研修病院等に随時出入りして調剤実務の修得をされることが最も望ましいことである。なお勤務薬剤師を通じて病院勤務医師との対話懇談の機会をもち、交友を深めてもらいたいと念願している。そのように推進することにより今次行った研修が生かされると考える。

 自己の医療薬学知識の向上をはかるとともに、これを各店頭において生かすことにより、大衆の信頼をとりもどし、薬局薬剤師の品位を高め、医薬品販売の面においても大きなプラスになることはいうまでもない。

 処方せんが発行され、薬局において調剤されることが完全に行われる状態を完全分業というが、それだけで薬局業あるいは薬剤師業というか所謂薬業が完全に確立されたものとはいえない。医療業は二分して医業と薬業とがあるが、医業においては患者を診断し、技術的治療がなされ、薬剤の交付を必要とする場合は処方せんが発行される。

 薬業の分野においては医師により発行された処方せんに基き、薬剤を調製、交付されるが、そのほかに消費者の要求に応じて適正な医薬品が供給される所謂一般大衆薬を、消費者が自己の判断に基き、軽治療の目的で自由に購入する医薬品の販売行為も含まれるものである。医療機関としての薬局は処方せんによる薬剤の調製(調剤)と、自から薬治を行わんとする人々に対してその求める医薬品を薬剤師の学識経験良識に基いて選択、使用法等を指導して交付する義務と責任と権限を有するものでなければならない。

 医薬品の品質管理、優秀医薬品の確保、流通と薬剤の調製交付を兼ね行うことつまり調剤と医薬品の指導販売とが薬局における薬業即ち薬局業の内容であるから、今次推進されている医薬分業が達成されれば薬局業の半分は確立されることになる。一部の意見として、医薬分業が達成出来れば目下論議されている所謂大衆薬は圧縮されてもやむを得ないといわれるが、考え違いもはなはだしいと云わざるを得ない。

 あらためて云うまでもなく薬剤師の職能は医薬品の製造、流通であるが、その過程には検査、試験を含めて品質の管理、保管、処方せんに基く薬剤の調製、極論すれば総て医薬品、薬剤は、その製造調製から消費者の手に渡るまで総て専門家である薬剤師の手を経なければならないものである(医師といえども消費者である。)

 現在当然薬剤師の職能でなければならない薬剤の調製交付の部分が、医師によって行われているため、これを吾々の手に戻すことが現在行われている医薬分業推進であり、薬剤師業、薬局業確立の一分野でしかないわけである。従って薬局において指導販売すべき所謂大衆薬の縮小などはもってのほかで、一般大衆が薬剤師の指導により自から使用出来る医薬品を現在より高度な内容のものとし、巾を拡げてゆくことが薬局業の確立であろう。

 数十年前からみれば大衆の医療薬学的知識も数段の進歩をしている今日、昔の売薬配置家庭薬程度のものを大衆薬としようとするのは非常識な愚策と云わねばならない。一般消費者に対して薬剤師が指導して使用させることを前提とするならば、現在規制されている要指示薬も一部を除いて大衆薬の枠内に入れるべきではなかろうか。このような方向で大衆薬問題に取り組まねばならないと思う。総ての医療は医師を通して行われなければならないという医師会の考え方は、理想ではあるが実際問題としては医療独裁を夢みるものと解される。

 一般国民が病気になり、その治療は、(特定の場合を除き)必ず医師の手を通さねばならぬという義務はない。自から好きな方法で治療することも自由な筈である。ここに大衆薬の存在が大きな意義をもつものであり、吾々も特に重大な関心を持たねばならない理由である。一般用薬が相当高度なものとして確立され、これが薬剤師の指導によって軽医療に適用される段階になれば指導販売即医療行為との見地からこれを保険医療のなかに含めることも敢えて不可能なことではない。

 分業を強力に推進する今日を機会に薬局業の確立を期して巾広い行動を始めねばならない。そのためには薬剤師個々が分業を勝ちとることをもって能事足れりとするが如き狭い考えから脱却して、調剤、販売両面の確保こそ薬剤師職能による医療機関としての薬局業の確率であるということを認識しなければならない。足を止めることなく一歩一歩確実な足取りで、目的達成まで勇気を出して進もうではないか。

 九州山口医薬分業実施推進同盟

 分業の早期実現は各界のひとしく望むところである。その声を聞こう。

 ◇現状の混迷した医療の突破口として、やはり医薬分業の実施が必要だ(日本医学協会)

 ◇便利さは危険の代償‐実現させたい医薬分業(健保組合連合会)

 ◇医薬分業を早期に実現せよ(国保制度改善強化全国大会)

 近代国家において日本の医療界のように混乱した国はない。世の識者は速かに近代医療制度を確立せよ、そのために医薬分業推進を強く訴えている。かかる情勢下にわれわれ薬剤師は何をなすべきか。薬剤師のみずからの努力と団結なくして何ができよう。一九七〇年代は世界的大躍進、大改革の時代である。われわれ薬剤師も精進と団結の力をもって待望の彼岸に向かってたくましく前進を続けよう。

 公正競争規約とWのフランチャイズチェーン 隈治人 長崎県薬剤師会長

 正月号だからカタヒジをはらずに、ソフトな文章をかきたいと思った。本紙には俳句がときどき掲載されて、ぼくの先輩である薬剤師の方々がその道にいそしみかつ楽しまれていることもあって、俳句のことなどについて書くことも考えたりしたのだが、一九六九年は業界にとっていろいろな難問題が多く、それが年を越してなおさらに重要度を増すというような予想もあるので、やはりそういう問題について書く方がより意味があると思い直した。薬剤師や薬業家にとっては、やはりいまは「風流」どころの時代ではない、というのが当っているのだろう。

 (1)公正競争規約をどう理解すべきか

 ここにとりあげるのは、公正競争規約の一般論ではない。平素多忙で業界の問題を一々かまっていられないような人も多いし、またメンドクサイことなどハナからニガテな人も多いからできるだけ砕いて書く。公正競争規約については、昨年景品の規制についてDメーカーから大反対のキャンペーンが展開されたので、ご記憶の方が多いと思う。ぼくなど、公正競争規約については「景品の規制」こそ、われわれ一般小売にとって必要かつ重要なものであって、「表示の規制」はむしろ従であるとの見解をもち、その論拠を薬事日報、薬業時報などの薬業紙に執筆したり「小さな蕾」というPR誌に掲載したりした。

 しかしDメーカーの反対意見は「景品の規制」は零細小売の斬り捨てであるという、ぼくとは全く正反対の論理であって、それが精力的に闘争的に全国的にキャンペーンの網を張られたのだから、単なる零細な薬局経営者であるぼく個人などの声がうち消されかかったのも無理はない。

 ぼくをしていわしむれば、Dメーカーがなぜ金をつかい、有力な社員を動員し、大々にキャンペーンをやるのかそれはほんとうに小売をまもるためのものだったのか。Dメーカー自身の利害が痛切にかかっているということならば、当然企業防衛のために頑張るということで了解はできても、彼らDが小売を守るという第一義のために、ムダな金と大精力をつかうほど、純粋で善意でヒューマニステイックなのか。そういう点をはじめからあまり疑ってかからず、それに簡単に共鳴しひどいのは組合をひっぱってDメーカーのつくった文案を、一字一句の修正もなく、組合の臨時総会の決議として採択するといったような、誰が考えても奇妙な現象さえあらわれたのだから、全く小売薬業界というものはオカシナものであるという感をふかくした。

 ぼくの論理は一般小売を苦しめる乱売の、最も大きな原因はメーカーや卸、特にメーカーの「極端な差別対価」に在るということに尽きるのであって、これが理解できないという人はまずないだろう。従ってぼくは、極端な差別対価、例えばダイエーには正味三五円以下で売るが、一般には特売のときでも六五円より安くしない……といったようなことをやめさせるように、公正競争規約の景品の部分を調整し監視すべきであり、それが一般小売のためだと主張してやまないわけである。

 処が反対論者は逆にそれは大売店の方に利益であって、小売店にとっては絶対に不利益だと主張し、小売よ、公競規約フンサイにたちあがれと呼びかけ、それに応じてたち上る人もいるのだからびっくりするのである。ぼくは極端な差別対価を規約で公式に規制されると、競争条件が同じになるため、大メーカーが有利になり中小メーカーが対等に太刀討ちできず、ズルズルと敗北せざるを得ぬというのなら、きわめてよくわかる。

 その結果中小メーカーの力が弱くなり、お得意さんによりよいサービスができなくなる。だから反対して下さいというのなら、これまたリクツとしてはよくわかる。ところが無条件にそれに同意し支持すると、一般小売を苦しめている乱売の禍根である差別対価政策はますます野放しになって小売はいよいよ苦しくなる。そうなるといよいよニガイ汁をのまねばならなくなるのは一般の小売であって、一般小売のために事態はいっこうに良くならないのである。

 差別対価をやりたいメーカーだけがトクをすることにしかならないのだが、なおそれでも小売は、それが小売のためになるのだとムリに信じこまねばならないのだろうか。そこの処が全然わからない。少数のチョウチン持ちはそれなりの恩賞にあづかり、その恩賞を実利として反対運動に協力しているにちがいない。そうでなければ結局は小売一般の不利になることを、ウソをいってまで支持し声援するいわれはないと思われる。

 さて景品のことが思わぬ長談義になったが、右のような混乱と紛糾(ふんきゅう)のために、理はともかく勢いとして一応「景品」の規制は見送ろうではないかということになった。Dメーカーが大反対するのは景品の規制であるから、表示の方だけでもやろう、九州ではそうでもないが、東京、名古屋、阪神地区ではミルクをはじめ乱売がなかなか収束せず、善良な一般小売は困っている、それらの苦痛を緩和してやるためには、目に余るような品位のない、売らんかな主義の、広告宣伝をもっとつよく規制すべきである、という考えがでてきた。

 たまたま公取委が「不正な二重価格表示」の弊害を消費者側からの苦情で知って、その規制に乗りだしたのだが、それは良いことではあったけれども、公取委が「市価」「希望小売価格」「自店旧価格」「中古品等」に対する「不当な二重価格表示」の運用基準を公示するに至って、「正確な二重価格表示は消費者に対しての正しい情報の提供となるものであり、その商品選択を助けるものである」という意味のオマケの公認が改めてついたものだから、これは医薬品小売業界にとっては、かえっておもしろくないことになってきたのである。

 これを見た量販スーパーは「公取委が正しい二重価格はいいというのだから、各都道府県薬務課の広告適正化要綱による行政指導は無効であり、無視すべきだ」などとイキリたち、例えばHやYのような果敢な量販店は早速、いままで遠慮していた二重価格を宣伝の道具につかおうとする気勢を示してきた。処が小売薬業界ではもう十年以上の長きにわたって「二重価格不当」という「商慣習」「宣伝広告の慣習」が確立しているようなもので一般小売、特に零細店にとってこのことが、どれだけ救いになっているかわからない。この辺の事情もまた理解できないという人はおそらくすくなかろう。だから医薬全商連や東薬連は「二重価格禁止」の宝刀が錆びないうちにと、表示についての小売薬業の公正競争規約を急いだというのが真相である。

 だから何のために表示についての公正競争規約をつくるのか、といえば要するところ、クスリだけは二重価格表示の「禁止」を公取委に公認させようという狙い、そこに目標の主眼があるのであって、それ以外には何の目的もないのである。ところが反対論がまたでてきた。

 東京の小売薬協からの主張がその代表的なものであるが、これは「正当な二重価格表示は適正な消費者の選択に役立つし正当な割引率も同様。正当不当を問わず二重価格を禁止し、小売業者の実態を知らしめぬことは、消費者の適正な選択まで妨げる」というぼくをしていわしむれば、紋切型のロジックであり、これは小売薬協に聞くまでもなく、クスリの量販スーパーのHやYがすでに絶叫しつづけておるところなのである。反対論はここがミソだが、そこだけを出すと意図があらわになりすぎるので、
(イ)現象面における小売薬業の問題を糊塗しようとするもの
(ロ)統制第一主義が薬業界を敗残に追いやろうとしている
(ハ)全商連、東薬連は小売に君臨しシメつけようとしている
(ニ)薬業から競争をとり去り、刺戟を緩和しようとすることは、逆に格差をひろげ、上中集中を決定的にする などという前説がくりひろげられ、ついで
(ホ)小売価格表示は零細者には手不足で実施困難、大多数は違反となるだろう
(ヘ)量販店はますます有利になる。
アウトサイダーの規制ができないから実効はない違反してもたかが罰金三十万円くらいは痛くもかゆくもない。という具体的指摘になる。

 東京の小売薬協というのは浜田直松氏や秋葉吉次氏や望月正作氏らがその中心でこの人たちは小売業界にとってはたしかに貴重な存在よく勉強もするし、頭もすばらしく良いし、何よりも先が見えている。だからぼくも敬愛の情をもち、その活躍に期待もかけ、機会あれば教示にあずかろうとさえ正直思っている人たちばかりである。この人たちの意見だから、説得力もあるし、また正しい意見がふくまれていることもみとめる。

 しかしあくまでも右の人たちは東京で戦闘的に頑張っている量販店の店主であって、その環境や実態や思想は、全国小売薬業のレベルよりはるかに高い。だから、その考え方は正しい発想であり、正しい情報のもとに、するどい考察を行なっているとはいえても、全国小売薬業の平均的実態とはどうしてもズレがある。特に指摘されることはこの人たちのいう「零細」とはこの人たち自身のことなのであって、それは日商三十万から百万未満くらいの「零細」意識なのである。

 だからわれわれの考える「零細」とはぜんぜん異質のものである。この人たちの「零細」意識がいうところの「量販店有利」論は自分たち自身が広告宣伝を規制され、二重価格表示ができなくなると、この人たちの五倍以上の「大量販店」と戦うテダテがなくなるという理論であって、これはこれなりに正しいのである。だからぼくたちは「零細」の意味するものが、ぼくたちの観念とはまるきり異質であり、またそこで「量販」といわれるものはすくなくも二百万円以上の日商をあげている店のことであることを認識すればよい。だから実際にはぼくたちとは違う立場の理論であることを知ったうえで、その当否を判断すれば答はおのずから出てくるであろう。

 これで小売薬協の反対する理由は了解されたと思うが、これと同じように「量販」「大量販」も反対するのであるから、われわれほんとの「零細」にとっては公競規約がどういう意味をもつものであるかは、容易に理解されねばなるまいと思う。小売薬協のいうほんものの「大量販」は競争手段を奔放自由に強烈にやることによってこれまた「量販でありながら零細意識をもって追撃」してくる「中量販」を叩きつぶそうと考えているのであって、共に好戦的であり、激烈な競争を絶対に辞せない人たちなのである。

 またそのような「大量販」「中量販」の販売促進によってますます利益をうけ、実売を促進しようと考え、それらへの「差別優遇対価」をこれまた自由奔放に実施しているメーカーが、さきに景品の規制に大反対し、いまでは表示の規制に反対をしているのである。表示の規制は、景品の規制ほどにはこたえぬから、全国的精力的大キャンペーンはお金とヒマがおしいからやらないのではないかとぼくは推察する。

 誰が誰のホントウの味方か、敵か、もいちどよく考えてみる必要があるのではないかと、ぼくは思う。企業の利己主義というものは厳然として存在する。まさしく資本主義は利潤の追求である。しかしその利己主義にも或る限界がある。「謙抑」の精神はいくら資本主義でも人間である限り、必要なものと思う。その謙抑の限界をどこまでわきまえているか、いないか、そういう判定を冷静にぼくたちはやり直す必要があるのではないかと思う。

 (2)株主会社のフランチャイズチェーン

 このことについてはすでに一度本紙にかいたことがある。だから重複することは避けたい。十二月十四日に長崎で初のFC説明会があった。説明は二時間にわたり行なわれ、話しぶりは手慣れたもので、内容は別として、人にきかせる技術は「優」であると思った。しかし二時間の内容は@物価と薬価A分業B大衆薬規制C公競規約D再販E資本自由化FFC…と細目にわかれ、かんじんのFCについては二十分そこそこであった。

 @についてはパブロン顆粒のA価が決して高くないといういいわけ、ABは有名無実の分業よりも大衆薬を守ることが大切だという、直販らしい主張。Cは表示の規制が景品の規制に発展するから反対、二重価格表示は正当なものまで禁止する必要はないという前記「量販的零細」店及び「大量販」側に立った反対。D再販をWがこわすというのはデマで断乎としてこんごも再販を守る(尤もあとのくだりでFCはW製品を価格維持しW以外の商品で徹底的に戦うと本音がでた)。E外資一〇〇パーセント自由化、については、それとの戦い、企業防衛についてWは絶対に自信あり、公競規約など必要ない。問題は株の防衛だ(ここらあたりがFC意図の裏返しの論理だとぼくは聞き取った)、そしておしまいにFC作戦の解説が行なわれた。それは要するに、小売薬業の流通革命は避けられぬ。九州にもちかくダイエーにつづいてヒグチ、セガミがくる。小売はひとりでは敗北せざるを得ぬ。いかなるメーカーと手を握るかが問題だ。Wの金と力、Wの価格維持の名人芸、チェーンづくりの名人芸を信頼し、いまこそFCに入ってほしい。FCのフランチャイジーは「自由独立の経営だ」。ノルマなし干渉もせぬ。存分にWをご利用下さい、と結んだ。

 あとでぼくは質問をした。

 (1)FCとしてWと株式会社を組む場合、資本金をいくらにするという基準はあるのか
 (答)それはない、大体四五十万円くらいが適当なところと思う。

 (2)現に同族法人である人の資本金評価は実質評価か額面評価か、
 (答)額面評価である。

 (3)そうするとここに日商三万(年商一、〇〇〇万の店がある。店には資産がある。商品が二七〇万円それは個人から会社が買う。設備器具三〇万円、それも商品と同じく個人から会社が買う。現金五〇万円、これは個人が引きとる。負債一〇〇万円、これは商品代から差しひく。そうか。
 (答)そのとおりである。

 (4)店には別に「ノレン」があり、さらに薬局の開設権がある。ノレン代を仮りに過去三ヶ年の収益とすると、年の粗利二五〇万、経費一五〇万として差引実収一〇〇万、三年分で三〇〇万円のノレン代となる。又開設権は五〇万くらいに評価されると思うので、双方あわせて三五〇万円、これはもともと個人の所有(無形の資産)だが、株式会社となり、個人が六割の株主になると、その無形資産の所有権も六割になり三五〇万円から二一〇万円に減る。反対にWはタダで四割の所有権をもつことになる。その額一四〇万円。五〇万円の会社だとしてWの出し前は二〇万円だが、それはそれなりに、株主の持ち前になるのだから、一四〇万円の無形資金はタダモウケということにはならないか。こんなウマイ話はないではないか。
 (答)ノレンや開設権は無体財産といって、これは最高裁で評価できないという判例がある(これは全然事実と相違するヒドイ答えだったが、これをそのままにして次の質問)

 (5)「自由独立の経営」がFC株式会社になっても、かわらず続くという話だが、それはW側がその所有する権利を行使しない間だけのことであって、実際には四割の株主としての権利は確保される。取締役会ができ三人のうち一人がWから入れば、実際経営の三分の一の権利は当然ある。だから「自由独立」などということはあり得ないではないか
 (答)いやそんなことはない。経営は個人のときと同じくすべてお任せするし、干渉もせず、ノルマもかけない。ノルマなどムリをいえば店の経営がわるくなる。わるくなると、株を出したWとしても困る。だから自由に思いのままにやってもらう

 (6)それは答としておかしいではないか。商法上の四割の株主の権利、取締役会における取締役の仕事から考えて、個人経営当時の店主の自由はもう保証されなくなってしまう。株式会社になってWと組めば、そうならざるを得ないではないか。質的に変化 するということを認めないのか。
(答)いやそれはちがう。店主は株式会社になっても自由である。あなたは疑いをもっている。あなたの考えはレギュラーチェーン的だ。これはフランチャイズチェーンであってレギュラーとはちがう。疑えばキリがない。杞憂に類することだ。

 (7)?杞憂というのは非現実的な心配のことだ。個人経営から他人との株主会社になることは、現実的に自由の喪失であり、独立ではなくなるということだ。それが株式会社というものではないか。
 (答)疑う人にまでFCに入って下さいとはいわぬ。加入は強制しない。FCは信頼が基盤である。信頼がなくては事業は成功しない。互いに信頼できる相手とFCをやるだけである。

 右のようなことで答弁の巧妙なハグラカシにあってとうとう質問をうちきった。ぼくは日商三万の店の場合の店主および妻女の給料、家賃まで計算して行ったのだが、この調子では質問するだけヤボだと思ってやめたのである。それを紹介すると従来個人経営で日商三万年商一、〇〇〇万、差益二七%経費一五%なら年収益一二〇万円、月割一〇万円、それに妻女の専従者給与が二万五千円として合計一二万五千円はもらっていた勘定。

 株式会社になってFC商品三・五掛、マスコミ品六・五掛と有利になり、それらW製品を全体のそれぞれ一五%うるとすれば、FC商品は二・五掛安で全体の三・七五%差益増、マスコミ品は一・〇掛安で全体の三・五%差益増、あわせて七・二五%の差益増となる。だから旧店主がFCの恩恵をまるまる受けられるとすると実際に年額七二万五千円(月約六万円)の収入増となる。つまりFCになれば一千万の年商の店は家賃、給料をあわせて月一八万五千円、それくらい貰うのでなければFCのご利益はPRだけとなり、取らぬ狸の皮算用にすぎず、失ったものの方がよほど大きいということにしかならぬだろう。果して実際にどれくらいになるかがミモノである。ともかく月給、家賃をできるだけ取り株配当はへらした方がトクになりそうだ。

 終りにW会の会長が閉会のあいさつをした。FCは小売にとってこんなに有利な条件はない。あまりに有利すぎるのではじめ疑ったほどだ。六割の持株では解散できず、いやになってもやめられないという説をなす人がいるが、そんなことはない。イヤになったら私はW製品を一切うらぬことにする。そうするとWは損だから、Wの方から解散を申しこんでくるにちがいない。だから心配はいらない。いつでも解散はできるのだ。安心してFCになりなさい。遅れれば遅れるほどソンだから、きょうにでも今年中にでも申込みをするようにおすすめします。

 ざっとこのようなあいさつであった。Wという四割の株主、そして取締役会に一員を入れながら、なおかつW製品を一切うらないようにします。それでWがあきらめて何の対抗手段も講ぜずスゴスゴとひきさがり、解散を申し出てくるのだろうか。あまりの無智、いやひょっとするとむしろ狡智の方かも知れない。おそらく裏があるのだろう。曰く「店舗賃貸契約に特殊条件を入れること。例えば家主の無条件解約の権利保有」曰く「定かんに家屋賃貸契約解消の場合の会社解散のとりきめ」など。あるいは「定かんに解散時期を予めとりきめておく」さらにあるいは薬局はそのままにしておいて、別個にFC用の会社をつくり、それをFCの配送センターとする特約等々。そのような特別条件の特恵待遇者がFCの強力な推進者であるかも知れないというのはぼくのウガチ過ぎであろうか。

 青春回想 堀岡正義 九大病院薬剤部長

 夕べの丘に来て立てば
 千波の湖の霧白く
 遠故郷の吾家を
 静かに護る山川の
 姿ほのかに浮ぶ哉
 よく口すさんだ愛唱寮歌の一節である。

 十一月十五日一時二十三分上野発、水戸行臨時電車の車中は、これから行われる水戸高等学校五十年祭に参加する先輩後輩にあふれなんともたとえようもない興奮につつまれていた。もちろん私もその一人である。

 日経新聞の私の履歴書欄に最近麗筆を振った水田三喜男元大蔵大臣や霞ヶ関ビルをつくった江戸英雄三井不動産社長をはじめ政財界の大立物もいまは一学年に帰って、昔の想い出話に花を咲かせる。そのうち白線二条の制帽をかぶった老青年も車中をかっ歩はじめる。

 水戸への沿線の風物は歴史のテンポの前に、すっかり面影をかえているが、それでも起伏のある土地に雑木林と畑が交互にあらわれる常磐の国独特の地層や筑波山、霞ヶ浦、牛久沼など自然の風情はいにしえと変らず、列車が日本三公園の一つである偕楽園の下をまわり、湖上逍遙の想い出がつきぬ千波湖が眼前に飛び込んできた頃は、車中は歴史の歯車を逆にして、二十年、三十年前の一高校生の心に変っていた。

 いまは国立病院と中学校になっている往時の水高跡にも、石垣塀、寮の土台、グランド、プール、外人教師官舎などようやく立ちこめた夕べの霧とともに、あの頃の香りを探し求めて集った千三百名の健児を満足させる十分のお膳立てがあった。十数人の恩師、二十数年ぶりの再会をよろこぶ旧友、白線帽、紋付羽織はかま、朴歯の下駄で祝辞をのべた母校出身の知事、行事の一つ一つに歓声を上げた参会者の想いは、夕暮の冷気にこだまして、美しいハーモニーをつくっていた。

 それが最高潮に達したのは、式典、懇親会につぐファイヤーストームであった。剣道着、柔道着、サッカーやラグビーのユニホーム、水泳の赤ふんどし、道場に、グランドに、プールに青春の情熱をたたきつけたひたむきな熱情は、その後の煩瑣な社会の荒波の中での戦いとくらべたとき、あまりにも美しくして純粋な青春の泉である。その想い出にみんなが酔いしれているのだ。

 想えば逝きし春なりき
 陸奥の果緑濃き
 青葉城下に勝閧の
 声どよもせる想い出よ
 はたちの歳の行きかいに
 つきず流れし緑陵の
 開拓の血の失せずして
 伝統なおも輝けり

 三年の青春の情熱を二高との定期戦一つにかけて、汗と涙にまみれてグランドを走りまわったのは筆者も同じであった。今その同じ大地の上で、一つの巨大な?をかこんでの乱舞がある。うれしかったこと、悲しかったこと、辛かったことの数々、それらを歳月というオブラードで包み込めば、すべてなつかしい想い出に変化してしまう。みんなの顔に、笑顔に、そのことが書いてあった。歴史は二十年、三十年前に逆戻りして、その時間でストップしている。ここに集まった千三百人の集団に共通した心理である。

 ファイヤーストームが限りなくつづくとき、あの頃の下宿はどうなったかなとフッと想った。それは学校から二、三分のところにあり、親切なおばさんとかわいらしいお嬢ちゃんもいた。暗くなった夜道をたどって、曲り角と思われる雑貨屋で尋ねた。ほの暗い電灯の奥から老夫婦があらわれた。「奥谷さんはナー。終戦後まもなく家を売られて、どこかへ引越されました。御主人がガンでなくなってナー。私たちも御懇意にしておりましたが、いまはどうしておられましょうか、皆目わかりません。」

 その瞬間、私のこころは再び現代に引き戻された。「そうだ、あれから二十数年経った今日に、おれは生きているんだナー。」と。でもあの頃の下宿の人々のイメージをそのまま持ちつづけられるのも幸せかも知れない。その夜は磯の香高い大洗海岸に、太平洋の荒波を枕に、磯節の想い出にひたりながら、夢を結んだ。

 時乾坤に移ろいて
 春秋老いぬ数百年
 古き歴史を秘めて立つ
 水府城頭名に高き
 常磐の園の草分けて
 今年理想の花咲きぬ
 建業の理想は、ブルーの校旗の如く、あくまでも蒼く、青春回想の一日はまことに幸せであった。

 新春譜 田中美代 福岡県女子薬会長

 烟のかん詰を売り出した人がいる。表示を信じて買って帰った旅人は、烟は入っていなかったという。烟に巻いた方が利巧なのか巻かれた方が馬鹿なのかはとも角、阿蘇山のかん詰会社にいわせると、当社のかん詰は、烟は物理的変化を起して、烟は水滴になりかん壁についていた筈だという。人を喰った話であるが富士山の空気が、スモッグの東京では、酸素吸入のかわりになるということになると、霞を喰った仙人の話も、まんざらではなさそうである。かん詰会社のこのアイデア、まことに奇抜であり観光ブームに目の色がかわる国では、うってつけの商売というものであろう。

 象牙の塔にこもった学長さえ、お縄を頂戴して留置場にお世話になる時代になってくると、大菩薩峠に教え子のバルチザン達が立てこもり、郵便車では火災びんを運搬することになる、火災びんを受けとった女の先生が、無緑の大衆に、火災びんが洗礼をあびせることになっても、あながち不思議というものではなくなって来る。

 適正配置条例というご法度のおかげで、既得権はまことに安泰であり医薬分業のかけ声は、音沙汰もなく業界を吹き抜けて、どこかが狂ったまま、今年も亦むなしく暮れようとしている。

 医薬分業実施推進同盟発行の情報を頂いた。その第二十一号に「厚生白書、医薬分業の基礎条件整備を要望」とある。分業制度の初歩的註釈をよまされると、今頃なんとまあとあきらめにも似た味気なさをおぼえつくづくと日暮れて道はるかにも通しといった侘びしさを感じたのは、私独りではあるまい。適正配置条例が、お家安泰のご法度と申し上げたが、分業推進のかけ声のかげに、「まあまあしばらく」といったような、のんぽり風潮のあることも、あながちまんざらでもなさそうな気もする。折節開局者でない私に、独り角撲を力んでみてもはじまりませんよと、ひやかす人のあることは、泣くにも泣けないという気持というものであろう。

 久しく平穏無事であった薬業界に薬価の再販価格を店頭に表示するという、公正競争規約制定の賛否をめぐっての紛争の火の手があがって来た。事のあらましは既にご承知の方も多いと思われるが、大衆薬といういわゆるビタミンや感冒薬に対して、メーカーの指示価格を「表示しようではないか。」「イヤしない方がよい」といったことであるが、統一価格を表示ということは自由競争の原則に反するといった考え方の争であって全国医薬品小売商業組合対日本チェーンストア協会、前者に対して批判的な東京の薬業組合との論争は、何れ公正取引委員会の審判にかけられることであろう。

 行司役としての公正委の軍配が果たしてどちらにあがるか。今後開かれる連絡会や公聴会において、種々論議されて決定されることではあるが、ともあれ指示された統一価格でもって商品を販売することが独禁法の価格協定にひっかかるかどうか、加入脱退任意の公正競争規約の制裁規定がアウトサイダーに及ばぬとなれば、違反者に対する制裁権は、公取委の排除命令に頼る以外に方法はないことになる。

 価格統一に批判的な公取委の、この強権発動はオイソレと発動出来ないとなれば、伝家の宝刀なかなか簡単には抜けないことを、知っておかねばならない。かてて加えて日本消費者協会の、シャモジ部隊の公取委へのつきあげとなると、てんやわんやの論争は、たとえ年を越してもなかなか片づく問題とは思えない。開局者のみなさん方にとっては、明日の商権に関する問題であり、ジットその成行きを注視して頂かねばならない。

 私は先般熊本市での九州山口薬学大会の、シンポジウムを意義深く拝聴させてもらったものである。幾つかの問題を考えていると、女なるが故のハンディをどのようにして解決したらよいのか。と思う。性を意識せずに化学ととり組むことが、女子薬剤師の意義なのだろうか。私立病院での地位の評価、地域にあって、庶民の中に女の生甲斐をもとめて、生きて行こうとなさる方等々、内蔵する幾つかの、いろいろな悩みや希望をきかせてもらった意義深い一日をふりかえっている。

 かねがね私は公立の病院に勤務する同僚達が、メーカーから提出される供試品を試験することによって、きたんのない評価を加え、開局者をアドバイスしてもらえたら、どれほどありがたいことだろうか。一開局者の評価が一顧だにされないのが現状であることからこのような仕事をやってもらえたらと考えていたのである。不幸にしてこうした仕事の成果がきかれなかったことは残念である。

 母である会員の訴えをきくたび、母という十字架?を背負わねばならぬ、母の宿命が、家庭とはなれ得ないものであり、しかも子供を通じて社会とのつながりとも斗って行かねばならないものを痛切に感じているのである。女性優位とはいえ、ゲバ棒を振う若い世代との断絶を、どのようにして、解決したらよいか、テレビにうつつをぬかす政治家の、あてにならない政見演説をきくよりも、安保の勉強でもした方がどれだけ、子供達との交流に役立つことであろう。そういった「女」の悩みを、しみじみと感じている、昨日今日である。

 グレーの毛並と、長いシッポ、ポケットモンキーとまぎらわしく、ウッカリしていると、ところ構わず、くらいつく、山ネコの野性が全体の動きにあふれて、動きはまことに敏?である。二つの目玉は、暗やみの中で青白く光る。人様にはなかなか、なつかぬとのことではあるが、このネコ一万円也ときかされると、些か庶民とは縁遠いペットではあるが、素姓の知れぬドラネコを飼うよりと、もっともらしい理由をつけて子供達が購めて来た、我が家のシャムネコ、新春はこのシャムネコを中心に、孫との口げんかから明けて、今年は果たして吉とでるか凶とでるか、今年も又、何かにつけて皆様のお世話になることと思いながら、ひとりよがりを申しあげましたことをおわびしながら。あけまして、おめでとうございます。とごあいさつを申しあげて。筆をおくことに致しました。

 無住の住 佐々木照政 福岡県薬剤師会理事

 親鸞「私がこの不安にーさけがたい恐怖に打ち克つことが出来るように励ましてくれ。私は勇気をあつめなくてはならない。そして美しい、取りみださぬ臨終をするために心をととのえなくてはならない。 勝信(泣く)

 ……◇……

 倉田百三著すところの“出家とその弟子”のフィナーレのシーンである。一世の高僧知識とうたわれた親鸞ほどの人物でさえ臨終には諸行無常を感ずるのは何故だろうか。一体その空しさは大悟出来ない性質のものだろうかと常々疑問をいだいていた。

 ところが間もなく、その空しさをわが身で感じなければならない時がやって来た。大洋のようにひろびろとしたホロンバイルの大草原が血潮に彩られ、弾痕で草根のむしり取られる激戦が幾日か続いたある日の午後。薄らぐ砲煙の中から敵の小部隊が声もなく突込んできた。不意をつかれて味方はまたたく間にミルルス三三年型手りゅう弾の餌食となって、ひき肉のように吹き飛んでゆく。怒り心頭に発した私は、小高い丘に設けられた指揮所から飛び出すと、まっしぐらに敵の中に突込んでいった。六人目の敵に立ち向ったとき右腕に激しい衝激を覚えた。

 振りかぶった軍刀は本能的に敵の肩に落ちたものの到底斬りつける力はなかった。後で聞いた話によると、その時幾発もの手りゅう弾が炸裂し、機銃の激しい弾雨が敵、味方の区別なく、もみ合っている集団を一挙にたおしてしまったらしい。

 気がついてみると私は累々と横たわる屍の中にいた。真夏の炎熱はおさまり静かな夜が訪れ、澄み切った大陸の奥深い草原に、こうこうと青白い月光がふり注いでいる。右肺にあけられた風穴からは呼吸の度に血の泡が出たり入ったりしている。

 空腹と渇きのながい戦斗のあとに続いた多量の出血が立ち上る力を奪ってしまったらしい。私は身につけている大切なものを砂に埋めて静かに死をまつことにした。生をうけて二十四年。友情も、学問も、スポーツも一切のものが消えてゆく。しかも無名の私の生命は永久に異郷に埋れてすべてが忘却の彼方へと押し流されてしまうにちがいない。楽聖ベートベン、詩聖バイロン、数え切れない多くの人々が多くのものをのこし、肉体は滅びても貴重な生命は何かの形で実在し忘れ去られることがない。

 ところが私の場合はどうだろう。一切が無である。幾年かすると私がこの世に生きていたという証拠は何一つ残らなくなる。それでも人々は楽しく飲みかつ踊るだろう。九死に一生を得て故国に帰りついた私の若いからだは、またたく間に立直っていったがあの時味わった空しさは病床でむさぼり読んだ幾冊かの本の中からは、とうとう解決のいとぐちすら見出すことが出来なかった。やがて兵役を免除された私は再び戦場に立つことはないと思われたが事実は意外にももっと苛酷な運命に見舞われることになっていたのだった。

 昭和二十年、不可侵条約を一方的に破棄したソ連軍の南下は北朝鮮に根を下ろしていた私の生活を一朝にしてくつがえした。戦斗そのものは今までとは比較にならないほどあっけなく終ったが、その後に続いた抑留中の熱病と飢餓道は人間のもろさと強さ、美しいものと醜いものの対照を如実に教えてくれた。 再帰熱や発疹チブスの集団治療にたおれていく幾人もの医師や看護婦の崇高な姿があるかと思うと、一方には民族の誇りをなげ捨てて同胞を売った密告者やモク拾いの醜い姿があった。

 そんな日々の続いたある時、私に二度目のピンチが襲いかかって来た。それはほかでもない。人道無視の強制労働に耐えかねた日本人の隊長としての私は、ついに彼等と激しい口論をしなければならない破目に陥ってしまった。拳銃をつきつけての強談判に屈しない私におこったニコライ大尉の恐しい形相。私はとても生きて帰れぬと悟った。この時もしガブリルコ政治大尉の制止がなかったならばおそらく引金はひかれていたであろう。しかしその時に味わった死生観は、第一回目に経験した空しさとはどこか異質なものがあった。まず衆人監視の中での緊張感と虚勢、それに一千人もの同胞の命とひきかえにする満足感とがあったし第一生命の意義を考えるだけの余裕もなかったようだ。

 風前の灯のような五年が過ぎて、おそまきながら私にもやっと帰国の順番がやってきた。雪におおわれ寒々と眠っている異国の丘が次第に遠ざかってゆく船上で、膚を刺す寒気も忘れて私は瞑想にふけった。 親鸞でさえもたやすくつかみ得なかった安心立命がこの私にどうしてえられるのだろうか。ふと私の心にひらめいたものは不滅のなにかを遺せということだった。何かを遺せ。

 何を?子孫。否。人間でなくても生物はすべて種族を絶さない。作曲、絵画、彫刻……モーツアルト、ゴーギャンのように。あるいはエジプト、敦煌の遺跡にように。だがそれは私の力の限外にある。では一体何をのこせばよいのだ。なつかしい故国にきっと何かがまっている筈だ。厚い海水を噛み砕いて走る船首の波の音が私の想念の凝固を促していうかのように思われた。

 福岡県薬業史物語(5) 潔周生 福岡市薬剤師会会長

 室町時代に入って1402年に足利義満が博多商人肥富、僧祖阿を明に派遣した。この頃より勘合貿易が始まり、明や朝鮮との貿易が盛んになり銅銭や書籍が輸入され、殊に大蔵経の版木が明より輸入されたのは有名である。1538年頃より南蛮貿易が始まり積極的に活溌化した。1570年には長崎に日葡貿易が始まり長崎より博多港を経て中央への連絡が行われ実に賑やかであった。

 宋明貿易に根拠地として栄えた博多の町も室町の末にはすっかり荒れ果ててしまっていた。天文二年(1551年)には大内氏が亡び、代って博多を支配した大友氏は、永禄から天正にかけての十数年、毛利、竜造寺、島津など盛んに博多の町で市街戦をくりかえし町はそのたびに戦火に焼かれた。織田、豊臣時代へ時代は移り、織田信長は天正元年(1573年)足利義昭を追放し、室町時代はここに滅びた。

 天下は信長のものとなり、長い戦乱はようやくおさまるかにみえたが、政権が秀吉の手に移り戦火にいたみつけられた博多を秀吉が甦らせた。秀吉は島津を降伏させると博多に引きかえし、博多の復興を計画し、南蛮‐ポルトガル貿易に食指を動かし、海外との通商を大いに発展させた。箱崎でキリシタン禁令を発し、宗教を禁じて貿易を続ける様にした。博多の町割はこの時に行なわれたのである。

 町人の自治制を継続させて楽市楽座制度「問屋や座(同業組合の商人)が商業を独占することをやめさせる制度」をしいて商業活動を自由化した。新たに復活した博多の町に名高かった商人は神屋宗湛、島井宗室、大賀宗九の三人で博多の三傑と呼んでいる。

 博多にはこのようにして採鉱、精錬、織物等の技術や職人が朝鮮貿易により沢山流入し、特色ある産業文化が生まれ、博多商人はそれを利用して産業の開発貿易につとめたのである。秀吉が朝鮮遠征の為肥前名護屋城に在る時、ある大名が閣下の無聊御慰めの為にと、長崎より菓子職人を呼び、南蛮珍菓と称し砂糖と卵黄でカステーラを製造する実演を城内でお目にかけたが、さしもの豪華贅沢好きの秀吉も、左様な品は天を怖れぬものとして口にしなかったと云う、それほど砂糖は貴重だった訳である。

 天正十五年正月三日行なわれ秀吉の大茶会の御土産として、神屋宗湛は沈香一斤を贈っている。其他にも虎の皮をお土産としてやっている。また天正十五年には神屋宗湛から石田三成へ「石鹸」二個が贈られていて、添え状に「これはシャボンと申すものにて候」と使用法が書かれ、三成からは「見舞のため書状並びにシャボン二つ送られ候遠路の懇志の至り満足に候八月二十日石田治少三成、博多の津宗湛返事」と礼状が来ていることが「神屋文書」に記載されている。

 またこの頃朝鮮より輸入していた「海人藻」は虫下しの妙薬として珍重されたが、博多まで来ないと絶対に入手困難で海人藻の仕入れの為全国の商人は博多へやって来ていた。九州のキリシタン大名のうち最も有力だった大友宗麟が彼の領地内に学校や病院を設立していた事が記録に残っている。

 医薬分業 調剤薬局の半歳記 藤田薬局那珂支店 藤田胖 福岡市薬剤師副会長

 医薬分業は大きな構想のものであるかも知れないが現実には身近かなところから始めるべきだと考えていた矢先、分業についてもっとも深い理解と認識で種々論文を発表されている桑原医師の大きな協力に恵まれ「完全分業薬局」を東那珂に開設してから、早くも半歳の時が流れ去った。

 日薬が意図している「二医院、一歯科医、対一保険薬局」の構想からすれば、この「一医院対一保険薬局」の形態は、やや変則であり、従って開設にあたってもかなりの不安がなかったわけではないが、相互の信頼の上にたつ「医薬協業」の理念から生れるこの形の薬局には、その変則性の故に、より浸透性を持つと考え、敢てその実現にふみ切ったのであった。そして今六ヶ月を経た時点で、この間の実績を整理し、関心をもたれる医薬関係各位のご参考に供しようと思う。(五月十六日開業だが、五月中はいわば試運転としてデータには加えなかった)

 一、受付処方せん枚数

 保険薬局を開設して一日いくらの処方せんが来るかということが、まず第一の関心事であることはいうまでもない。当初一日五〇枚位という予想で出発したのであるが実数は第一表の通りであった。

 第一表

画像

 一日平均六〇枚は予想を上廻りはするが、多い数ではないように思う方もあるが内四五枚位で、午前九時から十二時頃までに集中するので、ラッシュ時にはかなり忙しい。これに次ぐのは午後五時から六時までの退勤時で、一五枚位が短時間に集まり、帰りを急ぐ患者の心理がこちらに伝わって数の割には多忙に感じられる。

 二、調剤剤数

 完全分業薬局の存立を左右するのは処方せんの枚数よりもその内容、つまり調剤剤数の多少にかかっており、剤数が少ないとなると労多くして効少ないことになりかねない。ここの剤数は第二表の通りで、一ヶ月平均八、六〇〇剤、当初三月分の実績から割り出して想定した七、〇〇〇剤を大巾に上廻っている。案ずるより産むがやすかったわけである。

 第二表

画像

 三、処方せん一枚当り金額(調剤手数料を含む)

 日薬は処方せん一枚当りの金額を六〇〇円〜七〇〇円と算定しているが、ここでは第三表の通り平均約四〇〇円となっている。

 第三表


 しかし日薬の資料は国、公立大病院の院外処方せんを基礎としたものと考えられるもので、特に最近大病院の大量投薬が事故を招いて問題化している折柄でもあるが、一般開業診療所としては、この数字が平均的なものであろうと思われる。

 四、在庫薬品の推移

 調剤薬局の営業は日曜日を除いて午前九時から午後六時までとしているので、時間外、急患用として約四〇品目が医院に常備されているが、これ以外の薬品はすべてそっくり調剤薬局の開業時に移管された。 当初の品目は左の通りである。
 ▽局方薬 二二種
 ▽新薬  九九種
  計 一二一種
 処方される薬品は当初移管されたものから使用されたが、その後医院が新らしく処方しようとする薬品は、その都度予め薬局へ通知、協議して在庫し、更に在庫一覧表を医院に提示して、院長の確認と検討をうける機構となっている。従って無駄な在庫やデットストックは双方の努力により絞られるわけだが、それでも在庫は次のように増加している。

 一〇月一〇日現在一五〇品目(当初の二五%増)一二月一〇日現在一六二品目(当初の三五%増)しかし使用薬品の増減は薬剤の進歩と診療内容の向上に伴いある程度は当然おこり得る事態でその調整が今後も重要な課題であろう。

 以上六ヶ月のデーターを検討していえることは、大体において予想通りか、あるいはそれ以上で当初の懸念はすべて杞憂に終ったといっても過言ではあるまい。このことは医師側でも同様であるようで、一〇月三〇日開催された福岡市内科医会総会で桑原医師自らこの経過を発表されたところ出席医師の関心をよび、具体的な質問が種々あったとのことである。

 福岡市医報(一九六九年九月号)に「わたくしの医薬分業」として発表された桑原医師の論文の中に次のような言葉がある。

 「分業は薬剤師救済のためでもない、医院合理化のエゴイズムでもない。ましてや保険経済の赤字解消策でもないのである。それは病める医療社会を浄化するためのもの。従って医者らしからざる医者、薬剤師らしからざる薬剤師によって毒されている患者を救済することに目標をおかずして何の医薬分業であろうか」。

 医薬分業は薬剤師多年の悲願ではあるが、それはあくまで相手あってのことであり単なる自慰的理念の空転に終らせてはならない。最も理解ある医師のこの言葉によく反省し「身近な分業」は如何にあるべきか如何になすべきか、この考えを積み重ねて、悲願の達成に一歩一歩階段を登って行くべきではないだろうか。

 最近五年間の九州山口地区における 医薬分業の推移 九州山口薬剤師会

 最近医薬分業の早期実施が各方面の有識者の間に強く望まれ、われわれは世の要望に応えるとともに薬剤師の職能確立のため努力を傾注しているのであるが、その成果がいかなる形で現われているか昭和三十九年以降の五年間の実績により紹介する。将来の分業推進対策の資料となりうれば幸である。なお、この調査は、診療報酬支払基金年報による。社会保険関係のみの集計である。また、伸び率は総て昭和三十九年を一〇〇として昭和四十三年の実績をもとに算出したものである。年度を示さないものは昭和四十三年度の数値を示す。

 一、総医療について
 イ件数は、全国で一二五に伸び、九州山口地区は一二〇の伸び率を示し全国平均以下である。
 ロ金額は、全国で一八九に伸び、九州山口地区も一八九の伸び率を示し全国平均と同じ伸び率を示している。
 ハ九州山口地区は件数の伸びは全国平均より低いが金額は同率の伸びを示していることは一件当りの金額が全国平均よりやや高いことを示している。

 二、総調剤報酬について
 イ件数は、全国で一三〇に伸び、九州山口地区は一三四の伸び率を示し、全国平均を若干上回っている。
 ロ処方せん枚数は、全国で一二八に伸び、九州山口地区は一三二の伸び率を示し全国平均を上回っている。
 ハ金額は、全国で一三四に伸び、九州山口地区は一二三の伸び率を示し、全国平均を大きく下回っている。
 ニ九州山口地区は、件数枚数ともに全国平均を上回っているにもかかわらず金額の伸びが低いのは処方せんの内容によるものと思われるので将来考えねばならないことである。

 三、各県の状況について
 各県の調剤件数、処方せん枚数、金額の伸び率は次のとおり
 イ 件数
 福 岡  一三六
 佐 賀   八三
 長 崎  一〇三
 熊 本  一七五
 大 分  二六二
 宮 崎   八五
 鹿児島  一一五
 山 口  二三四

 ロ 処方せん枚数
 福 岡  一二五
 佐 賀   七五
 長 崎   七九
 熊 本  一七九
 大 分  二九〇
 宮 崎   八〇
 鹿児島  一二九
 山 口  二二八

 ハ 金額
 福 岡  一四四
 佐 賀   五五
 長 崎   八二
 熊 本  一七六
 大 分  二八六
 宮 崎  一〇七
 鹿児島  一〇五
 山 口  二一一

 ニ 大分、山口、熊本では大伸長をしているが佐賀、宮崎では足ぶみ状況にある。大伸長をきたした理由、足ぶみ状況にある原因を探求する必要がある。

 四、保険薬局の保険調剤取扱状況
 全  国  三一%
 九州山口  三八%
 福  岡  五一%
 佐  賀  四九%
 長  崎  三一%
 熊  本  二九%
 大  分  三九%
 宮  崎  二四%
 鹿 児 島  一一%
 山  口  二六%

 五、一取扱薬局の年間処方せん取扱状況
 イ 件数
 全  国  三六五
 九州山口  二八六
 福  岡  二七四
 佐  賀  二九四
 長  崎  二五六
 熊  本  三五二
 大  分  二二九
 宮  崎  三三七
 鹿 児 島  五四五
 山  口  二四二

 ロ 処方せん枚数
 全  国  五七一
 九州山口  四三八
 福  岡  三七七
 佐  賀  五二一
 長  崎  三四六
 熊  本  五三二
 大  分  三八六
 宮  崎  四〇八
 鹿 児 島  七四〇
 山  口  三四五

 ハ 金額
 全  国  五一三千円
 九州山口  三六四〃
 福  岡  三一〇〃
 佐  賀  二八二〃
 長  崎  四〇一〃
 熊  本  七一二〃
 大  分  一八〇〃
 宮  崎  一二三〃
 鹿 児 島 一四五九〃
 山  口  一二九〃

 六、昭和四十三年度の総医療費中に占める調剤報酬額の割合
 全  国 〇・四三四%
 九州山口 〇・三二五%
 福  岡 〇・三二〇%
 佐  賀 〇・四三五%
 長  崎 〇・二六四%
 熊  本 〇・六三三%
 大  分 〇・二三五%
 宮  崎 〇・〇四二%
 鹿 児 島 〇・五四五%
 山  口 〇・〇九三%

 七、人口一〇万人あたりの保険薬局数と発行された処方せん枚数
 薬局数 処方せん数
 全 国二〇 三、四三六
 福 岡一九 三、六一八
 佐 賀二〇 五、〇九六
 長 崎一三 一、四五五
 熊 本一八 二、七八一
 大 分一九 三、〇四三
 宮 崎 七   六八一
 鹿児島一〇 一、二五三
 山 口二〇 一、二〇一

 八、長野県上田市の状況(参考)
 イ保険局は、一〇〇%保険調剤を取扱っている。
 ロ総医療費中に占める調剤報酬額の割合は三、〇%で全国平均の約一〇倍。
 ハ医科医療機関の四〇%歯科医療機関にあっては一〇〇%の病院、診療所が処方せんを発行している。
 ニ月間、一薬局で受付ける処方せん数は平均約七五〇枚である。

 五年間に総医療は、件数二〇%、金額は八九%の伸びを示しているが、調剤関係では件数三四%、枚数三二%の伸びを示しているにもかかわらず金額では二三%の伸びにすぎない。
 総医療費は八九%も伸びているが調剤報酬は僅かに二三%で、年々この格差はわれわれの分業推進の努力にもかかわらず益々開く傾向にある。
 過去五年間の伸びの状況昭和四十三年の状況等について概況を説明したのであるが、この小資料が将来分業推進のため参考となれば幸である。

画像
 便利さは危険の代償 実現させたい医薬分業 健保連が分業啓蒙に

 健保連は、「医療をわが手に」なる小冊子を作成、関係先に配布した。そのなかで「便利さは危険の代償―実現させたい医薬分業」推進について記述されているが、これは一般大衆を啓蒙する資料に役立つと考えられるのでここに転載することにする。

 ◆医療に合理性を貫くために

 イギリスが一九一一年に医薬分業にふみ切ったのは「死亡診断書を作成する手で誤まれば人を殺す薬を調剤してはならない」という主唱が国会を揺り動かしたからだという。合理性を重んずる西欧先進国はもちろん東洋でもほとんどの国が分業している。それは薬を扱うことにより、商業的な観念を医療の中に持ち込むもとを避けるためでもあった。

 しかし、わが国では昭和三十一年に名目的な分業制度はできたが、それは形だけのもの。医師が薬を商う医療習慣が蒿じて、医療を荒廃させている。厚生省は、薬局の整備、診療報酬体系の合理化などを基礎に、五年後に全国的な規模の医薬分業を実現しようとしている。被保険者は最初のうち多少の不便は耐えしのぶとしても、医薬分業による生命の安全性を確保し、ゆがんだ医療の姿をただし、医師、薬剤師がそれぞれの職能を発揮して、国民医療の発展につくすうえで分業は是非とも実現しなければならないことを忘れてはいけない。

 医薬分業とは、医師、歯科医師は、診断、処置、薬の処方などを、薬剤師は調剤投薬をそれぞれの専門ごとの分担と協力で行い、医療制度の改善合理化に資することである。欧米先進諸国では、医学、薬学の歴史が古くそれぞれの職務区分が明確になっている。一二四〇年にフリードリッヒ二世が、南イタリアのシシリー島で次の五ヵ条を制定しその施行を命じたのが、分業制度の発端である。

 その五ヵ条は(一)医師が薬室を持つことを禁ずる。また薬剤師との共同経営を禁ずる(二)医師の委員が薬局を監視する。(三)薬局の数を制限する。(監視を容易にするため)(四)薬品調製の基準を定める。(薬局方の始め)(五)薬価計算法を制定するの五つで、これは医師が薬を調製して患者に与えることによって生ずる不合理をさけるためだった。

 医師が調剤権をもつ弊害医師が調剤権を持ち患者に授与することの不合理と弊害については、東都大教授の清水藤太郎薬学博士が次のように述べている。
 一、用薬は、医師が手持ちだけの間に合せの薬になりやすい。
 二、必ずしもいらない薬を二種も三種も与えて、薬価の増収をはかるようになる。
 三、ふだん散薬、水薬などの数種の包みやびんをつくっておいて患者によりレッテルを変えて適宜に投与するなど、包装主義に陥りやすい。
 四、毒劇薬の取り扱いが非科学的になる。
 五、医薬品の管理が不徹底になる。

 いうまでもないが失なわれたら再び戻らないのが、生命である。その生命と健康に関与する医療に合理性を貫き、より安全性を高めてもやり過ぎということはない。わが国よりも合理性を尊ぶ西欧では、医薬未分業の弊害を除くことと、専門的な研修以外の学問で収入を得ることをいさぎよしとしない気質から、いち早く分業に踏み切っている。

 ドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、スペイン、それにイギリスなどはいずれも強制分業国であり、ポーランド、チェコスロバキア、アメリカ、ソ連、中国なども分業を実施している。未分業の地域は、日本と第二次大戦でわが国が侵略した東洋の一部地域に限られているといってもいいほどである。

 ◆失敗に帰した戦後の分業闘争

 わが国では、昭和二十四年に、アメリカ薬剤師会の使節団が来訪し、法律上、教育上その他の手段で、分業を早く実現し、投薬についての医師の業務は、診断による処方箋の発行と医薬品の緊急投与に限定し、薬剤師は優秀医薬品の確保、適法な貯蔵、医師の処方箋による調剤投与を行うべきだと勧告したところから、分業問題は再燃した。しかし医師会による分業猛反対の運動にあって、昭和三十一年四月から施行された医薬分業法には、例外として、医師や歯科医師が処方箋の交付義務を免れる規定が設けられたため、分業の実は結ばなかった。

 その例外規定では緊急投薬とか治療上処方箋発行に支障がある場合、患者または、現にその看護に当っている者が処方箋の交付を必要としない旨を申し出た場合、つまり医師がどんな薬をくれるのか知る必要もなく、診察した医師に薬をもらいたい人には、処方箋を出さなくてもよいと定めたのである。

 薬剤師会は、医療責任説(医師殺人論)や薬剤師の技術向上による医療の発展などの理由をあげて、分業運動を進めた。しかし「わが国にように古くから農耕を主として定着した民族は情緒的な、信頼過剰的な対人関係を作りやすい。患者にとって、医師に診察してもらえることがありがたくそれ以上のことなど考えもしなかった。

 自然科学者に共通した合理性を基盤として人間性を尊重し、分析や調剤など、責任を判然とさせる職業の薬剤師が、それまでに作られた医師と患者のウエットな関係の間に割り込むことは、どだいむりな話だった」(東京薬大水野睦郎講師著「医薬分業概論」)

 ◆後進性を物語る美談

 わが国では、薬剤師法が制定されたのが大正十四年で薬剤師職能の確立が遅かったこともある。しかし医師への報酬をお礼と呼んだように、医師は専ら専門外の薬を売ることによる利益で生計をたて、社会も医師について、最も評価すべき診断技術に報酬を与えるのでなく、薬を購買してきた慣行に疑念を持たなかったのである。このため、分業論争には患者の立ち場からのアピールがなく、医師と薬剤師との経済闘争のよう印象を与えた。そしてこの闘争に破れた薬剤師はその職能を発揮する場を失ない、ビタミン強肝剤などの一般向け医薬品の販売に力を入れ、化粧品を商い、ときには要指示薬の無処方販売によって、医師と競合した。

 こうして未分業の弊害は次第に広まっている。治療に用いられる薬剤の範囲と量は、薬学の進歩とともに拡大した。十五年前に利尿剤として使われた薬はジウレチンやアミノフィリンなど数種だったが、今日では十数種にのぼっている。薬剤管理は専門職の薬剤師にゆだねる時期にきている。

 地域的分布も適切に、多様化した医薬品が完全に備蓄され、需要に応じて、変質の有無、処方内容の正誤が薬局でチェックされ、安全に供給されることが、医療制度向上の一つの条件である。地方都市で破傷風の血清がなく警察のパトカーが患者を大都会までリレーすることが美談として日刊紙の紙面を飾るような現状は考えものである。「わが国の医療は、近年の急激な膨脹で外見はおとなであっても、内容的には栄養過多の肥満児的な成長をしている」(前掲「医薬分業論」)。

 ◆職能の確立を阻げる未分業

 しかも一方では、薬剤偏重の診療報酬体系や医薬未分業のために、医療上好ましくない現象が起きている。医師や看護婦が治療を誤って劇薬を投与した事件もあるが、それとは別に、国民の薬に対する盲信と医師の薬による利益追求が、薬剤の大量消費をもたらし医療の姿をゆがめてしまっている。

 任意分業が行なわれているアメリカですら、医師と薬の結びつきが取りざたされている。医師十人のうち七人は薬品株を持っているが、株を持つ医師がたとえ無意識にせよ、処方する際に所有株のメーカー薬品を使うのではないかと懸念されている。そして心ある医師は利害の葛藤のもとになる薬品株の所有を禁止すべきだといっている。(モートン、ミンツ著「治療の悪夢」)。

 医師の道義的支柱の確立を強調し、営利医療を排撃しても、医師に利益をもたらす薬品が自家薬篭中の物となっている未分業国のわが国では、医師と薬のくされ縁をすみやかに絶たねば意味がない。分業は医師の薬剤投与になれた人びとに不便を感じさせるに違いない。しかし患者は、薬は同時に毒物であることの危険に身をさらしながら、その代償にわずか便宜をかちえているに過ぎない。

 医薬分業は無薬局村の解消や薬局設備のほか、診察料の改定、調剤技術料や薬品試験料の検討など診療報酬体系の改善、それに医療機関と薬局の協定処方など医療担当者間の協調等々、いろいろの前提条件を解決しないとすぐには実現しないかも知れない。しかし国民医療の向上のために、ぜひ乗り越えて実現しなければならない問題なのである。



 ◇八卦◇ 馬場正守 開局薬剤師

 当るも八卦なら、当らぬも八卦で知られる易があるある会合で易の手ほどきを受けて、勉強を始めたが実に面白く、愉快である。薬剤師という化学の切れっ端しの教育を身につけたものが、迷信めいた学問に首をつっこむのも良ろしかろう。昨年だけで集めた易の本は江戸時代に編集されたものを含めて、六冊になり、仕事の余暇に読んでいる。入門書から易の極意まで、次々に読破して、それを時々利用して、独り微笑んでいる。

 先ず最初は、近くの理容店の女理容師を見てあげた。それが意外にピタリでそれから次々に話しが広がって、昼間から易のお客さんが来る様になった。先生と声をかけられるのは良いが、先方は、健康の相談、薬のことでなく、人生の相談で、易の先生のつもりで少々がっかりする。娘の結婚、旅行、移転等もある。易のお客さんと供に、心配したり、考えてやったりしているうちに、色々な人生があると感心する。

 三十才前の女性の相談で、易を立てたところ、地雷復が出てこれは、もとの男の所へ帰える卦です、以前同棲していた男性がいるでせう、そこへ、貴女は帰えるでせうと話してやった。少々無責任な事を云ったと考えていたところ、彼女は、男性のもとへゆき、本妻を追い出して、現在立派な事業家の奥さんになり仕事も旨くいっていると礼状が来た。

 こちらに易の出た通りを説明してやるだけで相手には色々と思い当たる事が出て来るから不思議である。昨年の北海道旅行では、毎朝易を立て、その日の出来事を予知して、注意していたが四日目には悪い卦の山地剥を得た。これは山くずれの卦であるために、落とし物をする人があると引卒者の交通交社の人に話して、バスのマイクで注意してもらっていたが残念にもその日の夕方、写真機を落とす人がいた。

 次の日は離為火を得たので、昼ごろ迷い子(勿論大人も含めて)が出ると話していたところこれも適中して、湖の遊覧船に乗っていない人が出て更にびっくりし、引卒者から、悪い卦を出さないでくれと哀願されるはめになった。しかしこれは私としても仕方がなく易神のせいだと話しておいた。

 さて今日は飛行機で羽田へ帰えるという朝再び山地剥を得たので、何かを落として困る人が出ると云って、みんなで用心しつつ千歳空港について、やれやれ、これで何にも落とさずに良かったと安心したとたん、空港のアナウンスで私達が乗るはずのゼット機が、羽田から千歳に飛ぶ瞬間、車輪を落としたと聞いて、びっくりしてしまった。一時間半遅れて東京着となった次第である。

 商売(勿論無料である)開始の時間は午後九時半以後としているが、時には飛び込みと称する相談がかかる。朝七時にウロタエタ男性が走りこんで来て、昨晩一緒にやすんだ女房が、朝起きたら家出をしていた。何処に行ったかの相談で、こちらも寝ぼけまなこで易を立てると地沢臨を得た。早速この解説を試みた。ここよりも田舎の方で、黄花(菜の花)の咲く様な所で奥さんのお母さんの指導で家出をし、里の近くに居る。勿論あまり強い卦ではないが、先方の母がうるさいので、先に母の所へ行って尋ねて、相談し、奥さんをつれもどす様に、しかしすぐには帰りません。と話しておいた。

 それから三時間ばかりして、笑顔を一杯に浮かべて、旦那が帰って来た。まさにピタリで、おかげでつかまえる事が出来ました。とお礼に来た。やっぱり母の里の近くのアパートに、以前から計画しての家出で、そこに居たとの事であった。

 性名からも運勢が判る様になって来たし、相性もわかり出した。そして近頃ではこの易を本職に生かして病気まで判ってくれれば良いと考えて、本をあさっているうちに、どうやらそれらしきものを見つけ出して現在研究中で、今年はそれを勉強するつもりである。名づけて病相学とでも云うつもりである。

 占いには、表面にあらわれている事象で考える相(人相、手相等)となんらかの道具を使用して考える易とがあるのでこの両方を使用して、この病相学を身につければ、商売にも大いにプラスすると正月からにやにやしている。勿論、女性の絶品から上品、並、下品までもわかる様になるつもりで研鑚中。

画像
 人工食品 荒巻善之助

 正月料理というのは、保存がきいて、庶民の入手し易い材料でできるということがもともとの姿だという。雑煮と一口に云っても、このくらい土地土地で中味の違う食物はちょっと少い。同じ九州でも福岡と熊本で違うし、同じ福岡県でも博多と久留米では違うという具合で、日本中通じて同じことは、モチを使うということだけだろう。それはその土地土地の生活や好みを反映しているともいえるし、同時に又、その地方の特産が生かされているからだとも云える。

 カズノコのようなものは例外としても、あまり遠方から運んで来た、いわゆる山海の珍味というようなものではなくて、その土地で安く入手できるということ、貧乏人でもお正月だけはどうにか迎えられる、ということがやはり条件になっているのだと思う。

 ところが最近のように人口の移動が大規模に起ると地方の特性というものがだんだん失われてくる。又逆に中央に地方のものが流れ込むということも起る。加うるにマスメディアの巨大な伝達力はこの関係をさらに平均化することになる。デパートのおせち料理予約承ります。というのはこの平均化されたパターンの代表的なものだろう。ところがこれがなかなか馬鹿にならない値段なのだ。

 先日行きつけの割烹風のレストランのショーケースをちょいと見たら、おせち料理承りますというサンプルがあって、なかなかごち走がつまっている。いくらと聞いたら三段重ね一万円だという。とてもじゃないそんな高いおせち料理が食えるもんかと思って女房に話したら、あら、三段で一万円なら安い方ですよ、昨年知合いの仕出し屋にたのんだら二段で八千円でしたという。まったくアキレ返って、よしそんなら俺がなじみの飲屋で作らせてやると、この時ぐらい酒のみの功徳を知らしめてやろうと思って勢い込んで掛合に行った、迄はよいのだが、そこは飲屋も商売、おせち料理なんて駄目よ、重箱は飾りばえしない上に物はよけい入るんだから、というわけであっさり振られてしまった。

 左様なわけで最近の平均的おせち料理という奴はまさに国民経済を反映して、高額化しているのだなと思ったが、ここに逆に安くなっている食物があるのだから面白い。先日新聞を見ていたら各国の物価指数がのっていて食物特に動物性蛋白は日本はおしなべて高いのだが、その中で目立って安いものがある。それはニワトリと卵とパンだ。この三つの共通点は、何れも日本の現状で大量生産がきくということである。

 パン工場が巨大化してきているということはいう迄もないが、養鶏業というのは、今や曽ての養鶏業ではなくて完全にマニファチュア化してきているということなのである。我々が子供の頃、おべんとうにいつも卵焼きをもってくるというのはよほど金持の子かなんかで、大抵は運動会とか遠足とか、何か特別の時に卵焼きを持たされたものだ。ところが最近の子供はどうだろう、チェッ今日も又卵焼きか、などと云っている。 ところが戦時中日の丸べんとうということで、最も質素な食物の象徴的存在であった梅干しババアと梅干は大嫌いと云われたその梅干は今や庶民の手のとどかない存在になりつつあるのだ。そのうち松茸やカズノコと同じように料理屋で大枚の金を払って梅干を食う時代がもうすぐ来ていることに間違いない。

 最近のように食品公害と称せられるものがマスコミを賑わせるようになるとこんどは反対に面白いものが現われて来る。所謂自然食品というものだ。食品はもともと自然発生的なものだから、自然食品ということばは大変おかしいのだけれども、こういう言葉を別に作らなければならないくらい現代の食品は人工的要素が多いということになる。加工食品は云うに及ばず、調味料、さらに我々が生き物だと思っているニワトリ迄が実は養鶏工場で作られて、抗生物質を食わされているということなのだ。そこで防腐剤や、色素や人工調味料を含まない自然のままの食品を提供しようという、そういう特殊なマーチャンダイジングが成立することになる。

 然しこれは考えてみると大変なことなのだ。自然が我々に提供する資源には限度がある。限度があればこそ、カズノコが黄色いダイヤと呼ばれ、梅干が曽ての卵にとって代ろうということになる。厳密に考えるならば栽培と呼ばれ、農耕と呼ばれるものはすでに自然ではないそれは自然の提供する資源をいかにして人為的に回転よく再生産させ、又、人間に都合よく改変させるか、という手段なのである。してみるとその手段に於ては、ニワトリに抗生物質を食わせて大量生産することと、本質的には同じではないのか、或はさらに石油からアミノ酸を抽出して合成蛋白を作ることと、本質的には同じではないのか。

 近頃安物の貝柱を食うと貝柱と思って食っているものが、実は大豆蛋白と、小麦蛋白からできた合成貝柱に風味をつけたものだ、という話をきいた。或は又、安物のアイスクリームには卵などはカケラもなくて、大豆蛋白を食っているのだという話もきいた。そういう意味では、合成品が、いかに栄養的に充分であろうと、食品としてのイメージのすり変えがあることは否定できない。

 然しよいではないか、人間にとって物を食うことは、恋をするのと同じくらい夢のある行為なのだ。恋をするときぐらい王子様と王女様になったつもりで語り合ってもよいではないか、自然の提供する食品は、曽て、最も質素であるとされた梅干でさえ、もはや我々の日常の食膳から消え去る日が近いことは目にみえている。その中で曽て最もぜいたくな食品の一つであった貝柱が同じイメージで我々の食卓に安価に供されるということ、それはすばらしい人智の成果ではないだろうか。

 バターの代用品として登場したマーガリンが、今やバターよりすぐれた食品だと考えられている。アメリカのスーパーマーケットではマーガリン売場のスペースの方がバターのそれよりはるかに大きいときく。バターは、その名の与えるイメージに対して、それが本物であるという理由だけで売れている不思議な商品だとも云えよう。

 このように我々は食品を自然の恵みだけにたよって確保することはもはや不可能になった。そういう意味で自然食品というものは、限られたセグメントの要望を満足させるための、きわめてぜいたくなマーチャンダイジングである。ということができると思う。そして我々庶民は好むと好まざるとにかかわらず、人工食品によって生命を維持せざるを得なくなるだろう。そうしたとき自然食品だから良質で人工食品だから粗悪だという考え方は通用しなくなる。むしろ実用的にはテトロンを着ても、外出着には絹を着るというような嗜好的使いわけということになるだろう。そういう意味では、今や食品革命が起りつつあるのではないかという気さえするのである。

 先般来チクロの人体に及ぼす危害が問題になっている。疑わしきは用いず、という建前から云ってもこれが一般食品に混入されることは当然禁止されなければならないが、砂糖の大量消費による一般的な弊害とかね合せて考えると、現状チクロに代るべきものがなければこれを全面的に閉出してしまうことにも多少問題が残るような気がする。事実糖尿患者に対する医薬品としての使用が認められているということは、この問題の一つの極限として考えることができると思う。

 先般チクロの広告をチラシに入れた薬店があって、一消費者の突上げで、これがマスコミにたたかれた事件がある。然しこれは少々筋の通らない話しであってタイミングとしてそういう商品を取上げたことについて軽卒のそしりは免れないとしても、チクロが薬品として許可されている以上、これを一般に知らしめることについては何の差支えもないはずなのである。むしろそういうマスコミ的垂直思考を是正することが薬剤師の立場ではないかと思う。

 自然の食品の中に秘められている組成の不思議さ、或はその中の元素のバランス、それはたしかに人間の智恵を越えたものではあるが、然しその恵みを増幅し拡大することが人間の智恵でなくてはなるまい。


 九州山口ブロック 各県商組理事長会 一般用薬につき要望書提出

 九州山口ブロック医薬品小売商業組合は、各県理事長会を三月二八日午後二時から福岡県薬剤師会館で開会、@一般用医薬品についてA公正競争規約についてB全商連ニュースなどについて協議した。

 当日は特に荒川全商連理事長、ドラッグマガジン安藤主幹も出席、各県から木元(佐賀)隈(長崎)上野(熊本)山村(鹿児島)益田(大分)森広(山口)各理事長のほか、福岡県は白木、須原、大島、本松、中村の正副理事長、藤野専務理事、山手常務理事並に薬剤師会から四島会長が出席した。

 荒川理事長並びに安藤主幹はドラッグトピックス全商連ニュースの四月発刊について全国各ブロックに協力方を要請するため出席したものであるが、その他の諸問題についても熱心に協議した。
 当日の主な協議内容は
 ▽一般用医薬品について 厚生省のかぜ薬承認基準案についてはさきに厚生省に対して意見書を提出したが一度これが決定すればモノサシになるので、その前に厚生大臣、薬務局長、中央薬事審議会長など関係当局並びに各県選出議案あて各県組合理事長名で、左記趣旨の要望書をそれぞれ速達親展で出すことを決めた。
国民自らが行う健康管理や軽い傷病の手当、治療に欠かせない一般用医薬品について、安全性に名をかり不当な制限が加えられようとしている。これは現行薬事法、薬局方などを無視あるいは軽視し、国民の健康保持増進の権利と薬局薬店の社会的機能を破壊する暴挙であると思う。このような策動に断乎反対し医療の安全性の本質が末梢的 事項にすりかえられようとしている点を指摘し、一般用医薬品規制案の白紙撤回を要望する。

 ▽公正競争規約について 再販の後退と差別対価が進めば吾々は大半倒産すると考えられる。従って全商連は公正競争規約について協力に取り組み現在、消費者を納得させるための理論づけを急いでおり、近く東京で表示連紹会を開きたい。組合員も少数の大声にまどわされることなく認識を深めて貰いたい。

 ▽適配条例の改正について 大阪では土地収用の場合等無条件移転できぬよう改められている。東京、大阪が改正するのをまち、各県も強力にすすめる。

 ▽ニュース発刊について 全商連ニュースはこの二、三年、月一回発行していたが組合員に直送できぬため改善策を考え、安藤氏の協力を得て、四月八日発刊する運びとなり組合員の要望に応えることとなった。また、これについて安藤氏はニュース発行に協力することになった経緯を説明、今後の協力を要望した。

 ▽各地区状況報告 山口県から、廉売対策として昨年メーカーに対し、労務提供と仕入格差について質問状を出したが、四五年度は情報委員会をつくり、リベート、仕入価格差、添付など各地区モニターより情報を集め、実態を調査して資料となった場合は、零細業者との利益格差による徴税格差の是正等を国税庁に陳情するなど考慮していることが報告された。

 日薬賞並に功労賞 長野・田中・藤田 九州から三氏受賞

 日本薬剤師会第三回学術大会は四月二日から四日までの三日間横浜市の神奈川県薬業会館(第一日)と横浜市立大学(第二〜三日)で盛大に開催されたが、第一日(神奈川県薬業会館で午後開かれた日本薬剤師会総会において日薬賞は上野高正氏ら十氏に、また小田島専司氏ら二十名に功労賞を贈呈した。

 九州からは長野義夫福岡県薬副会長が日薬賞を、田中美代県女子薬会長並に藤田胖福岡市薬副会長が功労賞をそれぞれ受賞した。なお、長野氏は日薬代議員として、田中氏は日本女子薬から、藤田氏は医薬分業推進に貢献したとしてそれぞれ贈呈されたものである。

 福岡県薬剤師会 第25回通常代議員会開会
 役員改選で会長に四島久氏四選 副会長に長野・堀岡・鶴田

 福岡県薬剤師会は第25回通常代議員会を三月二六日福岡市三鷹ホールにおいて開会、四三年度決算、四五年度事業計画並びに予算など執行部の原案通り承認、任期満了に伴う役員改選については、会長に四島久氏、副会長に長野義夫氏、堀岡正義氏の四選を、副会長に鶴田喜代次氏の新任を決めた。

 当日は代議員七八名中六七名が出席、工藤専務理事の司会により、友納常務理事の開会のあいさつで開会須原議長により物故会員に黙祷を捧げたあと四島会長は四四年度は医薬分業の基礎を作った画期的な年であったと業界をめぐる諸問題について(別掲)詳細な報告並に今後の方針について述べ、引続き来賓の祝辞に移った。

 来賓として臨席した佐藤薬務課長は亀井県知事の祝辞を代読、業界出身の古賀治県議会議員は、私も代議員の一人であるがと前置きして、最近の業界は暗い面ばかり表われてきているが厚生省の近年の態度は非常に遺憾に思うと述べ、今回朝日新聞に出された東大の高橋晄正氏の公開質問状に対しても、医薬品というものは苦しんでいる人々がたとえ30%でも50%でも救われるものであれば許可、使用されるべき性質のものであり、厚生省の毅然たる態度がのぞまれるとあいさつ。

 次に田口九大薬学部教授は明年四月福岡市で開催される薬学会組織委員長として大会準備の報告を行ない、当日特に武田日薬会長に代って臨席した坂口徳次郎氏は、長野副会長の紹介に続いて、九州の雄県である本会に日薬は期待している旨の挨拶のあと議事に入った。

 ▼報告事項
 (1)報告第一号 昭和四四年度会務並びに事業報告
 工藤専務理事、長野副会長ほか担当理事から詳細な報告があったが、特に例年にない事業として薬剤師研修および分業PRのためのアンケート実施が報告された。次に関係団体である県病院薬剤師会、県学校薬剤師会、県女子薬剤師会、県薬剤師健康保険組合の各会務の概況報告があり、異議なく承認。
 (2)(報告第二号 第27回日本薬剤師会代議員会報告
 福井日薬代議員から詳細な報告のあと武田日薬会長は再任の挨拶で、自分の生命をかけて分業問題に取り組むと述べ、代議員の質問にも自から進んで回答された旨報告、種々活発な質問の後承認した。
 (3)報告第三号 昭和四四年度歳入歳出中間報告
 佐治理事が報告、異議なく承認、午後は神谷副議長により議事がすすめられた。

 ▼決議事項
 (1)議案第一号 昭和四三年度歳入歳出決算認定の件
 鶴原常務理事説明。三宅監事から監査報告があって歳入合計一一、八一六、五四五円、歳出合計一〇、一八一、六八〇円、繰越金一、六三四、八六五円を異議なく原案通り可決決定した。
 (2)議案第二号 昭和四五年度事業計画決定の件 日薬の事業計画に即応して推進するほか今年は特に第4回日薬学術大会開催準備の完成をはかると波多江理事が説明、活発な質問のあと可決決定した。これによって明年四月開かれる学術大会は福岡市で開催することが決定したわけである。
 (3)議案第三号 昭和四五年度会費決定の件
 (4)議案第四号 同年度歳入歳出予算決定の件
 (3)(4)一括上提、安部、鶴原両常務理事からそれぞれ説明、会費は年額前年通り▽A会費(薬局、一般販売業を開設する者および上級勤務者)七、五〇〇円▽B会費(勤務薬剤師およびこれに準ずる者)三、五〇〇円▽C会費(医薬品製造業者および特志者)二〇、〇〇〇円で、分業同盟会費を拠出する間は会費値上げを行なわない方針で歳入歳出それぞれ一三、一五八、〇〇〇円予算を異議なく原案通り可決決定した。

 ▼役員選挙
 再び須原議長により選考委員制を採択、委員は四区から一二名選出、議長を加え別室において選考の結果を議場に報告、一同に諮って選考通り左記正副会長、監事並びに日薬代議員を選出した。
 ▽会長 四島久(再)
 ▽副会長 長野義夫(再)堀岡正義(再)鶴田喜代次(新)
 ▽監事 米村匡弘(新)柴田伊津郎(新)
 ▽日薬代議員 長野義夫(再)安部寿(新)工藤益夫(再)中村里実(再)福井正樹(再)
 ▽予備代議員 上田ヨシエ(新)西元寺清継(再)瀬尾義彦(再)芳野直行(再)藤野義彦(再)
 四選の四島会長は、重大な時期を会長各位のご支援により精一杯の努力をする、理事の指名については近日中に決定したいと述べ、予め承認を得た。以上で代議員会を終り、引続き総会に移った。

 ◆総会

 総会は代議員会に引続き同所で代議員並に一般会員百余名が出席して開会、会長から代議員会における演述並びに決定事項の報告は既にお聞き及びの通りであるので省略する旨の発言があり、昭和四三年度歳入歳出決算認定の件を異議なく承認、引続き支部表彰に移り、優良支部として左記五支部に対し表彰並びに記念品がそれぞれ贈呈された。
 ▽一位直方支部、二位八女支部、三位福岡支部、四位八幡支部、五位糸島支部

 ◆薬政連並びに分業同盟懇談会

 薬剤師政治連盟並びに医薬分業同盟懇談会は総会に引続き同所で開会、会長は「分業問題もここ一、二年が山場であり、来年の参議院選には今日坂口徳次郎後援会を結成して必勝を期したい」と述べ、また長野副会長は連盟幹事長として政治連盟、分業同盟が両立した経緯を説明、坂口氏を参議院に送ることについて会員の協力を求めた。

 次に三淵氏(小倉区)から「昭和五〇年新幹線の九州乗り入れ実現までに県下の都市部では分業達成することを今日の決議にして頂きたいと発言、これを採択するとともに来年の参議院選には必勝することをも確認した。

 次に藤田胖氏から、同氏が実施している医師との話し合い分業の実態、経過を報告、会員の積極的行動を要請した。以上で活気に溢れた諸会議を全部終了、引続き同所で坂口徳次郎氏を囲み、なごやかな懇親会が催された。

 ◆会長演述 一般用薬について薬種商とは一線を

 県薬代議員会における四島県薬会長の演述並びに質問の回答によって示された日薬及び県薬の基本的方針の要旨は左記のようなものであった。  (1)四四年度は医薬分業確立に画期的な年であった。
 ▽自民党医療問題基本調査会の国民医療対策大綱(抜本改正案)が示された。
 ▽政府もこれを認め、社保審、制度審に諮問し、各界層においても分業推進に多大の賛意を表明してきた。
 ▽厚生省も分業推進に要する経費約一千万円の予算請求、うち約六〇万の調査費を獲得した。金額はわずかであるが、国家予算の中に組まれた意義は大きい。
 ▽その他薬務局が厚生科学研究費として五〇万、保険局が調剤報酬に関する調査費として五〇万の予算を計上している。
 ▽支払者側は勿論、一般の分業に対する世論も向上。
 ▽医師会は基本的には分業賛成であるが、実際にはそうでない。日薬代議員会における武見発言の小包装及び三〇%マージンの問題は、今日迄の抽象論に代り、具体性をもったものと解釈、薬局だけで扱うという前提を素直に受けとり、これを追及していくべきだと考える。
 ▽歯医会は会長の交代によって三師協調の線が強くなると考えられる。
 ▽県内における開業医との話合い分業も進展しており、特に処方せん発行医師が医師会より迫害を受けなくなったことは大きな進歩といえる。その反面処方調剤の実績があがらないのは、会員個々の積極的対話等の不足ではなかろうか。
 ▽分業阻害行為はまだ相当行なわれている、各地区とも注意をおこたらぬ事

 (2)一般用医薬品について
 ▽薬業経済に関連して特に対策を強化しなければならない問題である。
 ▽一部に誤解があるようだが、大衆薬の軽医療に資する事は、薬剤師の職能の大きな分野である意味から日薬としてもこれに精力を傾注している。
 ▽この問題の対策については薬剤師と薬種商との間に当然格差並びに考え方の相違点が出てくるから薬種商を含む小売組合とは別個な立場になる点を理解されたい。
 ▽今後、次々に出される承認基準に対する対策は重大である。

 (3)薬局経済対策
 ▽薬局組合または薬剤師業組合への進展が考えられなければならない。
 ▽店頭においての健全販売が要請されよう。
 ▽大型店連合等に対する対策の研究が必要であり、小、売卸、メーカー三者一体となって取り組まねばならない。
 ▽物価安定関係の政策審議会の首相への答申中、再販、適配条例廃止論が出た、薬務局は反対しているが楽観は許されない。

 (4)新年度の基本方針
 ▽分業推進委員の特別研修(春秋二回位行なわれる予定、第一回目は四月一九、二〇日の両日、本会から藤田胖(福岡)藤木哲(北九州)平田勉(筑豊)中村里実、倉田憲治(筑後)の五氏を推せんした。
 ▽すでに理論の時期は終り行動が要請されており、今後は各個人個人の努力が必要。
 ▽また今後、ヤングパワーの発揮ということで青年薬剤師会または中核薬剤師会によって活発な行動の展開が望まれる。
 ▽適配条例二条七号の改正(恩典悪用防止のため)問題及び適配条例の知事の特例の活用(調剤確保のため)について善処しなければならない。

 5)四六年度日薬第4回学術大会準備の完成については、去る四〇年の福岡市開催全国大会と異なり薬学会とは別個の準備が必要であるので会員の協力を願う。今後準備委員会の発足、経費の調達、旧習脱皮等が考えられている。

 (6)研修会の続催 ▽薬学講習会、地域別薬理学研修会の積極化、分業推進委員の伝達研修会の開催、歯薬並びに医薬協同研究会の開催、三師会懇談会等の小地域毎の開催も積極的に行ないたい。
 なお、会長演述で、今後薬業経済、適配条例運用の面で、薬剤師業の立場から薬種商とは一線を画さねばならぬことになることが予想されるとの発言は注目をひいた。

 九州山口医薬分業実施推進同盟

 ◇分業推進は大衆に密着した日常活動から。
 ◇完全分業も一枚の処方せん獲得から。
 ◇今すぐ分業推進行動を始めよう。

 同盟情報部速報 第26号 昭和44年12月15日 (全文掲載)
 日本医薬分業実施推進同盟情報部

 一、厚生科学研究による医薬分業に関する調査結果報告される。

 昭和四十三年度厚生科学研究として、厚生省から研究費の支給を受け、東京大学薬学部教授野上寿博士(主任研究者)ほかにより進められていた「医薬分業の進展度と総医療費中に占める薬剤費の関係に関する研究」は、この程、精密な解析を終り、結果が厚生省に報告されました。報告書の概要は次のとおりであります。

 T 調査方法
 医薬分業が比較的進んでいると言われている某市の、昭和四十三年五月の薬剤治療について、医科(甲、乙表別)、歯科、薬局別に項目毎の個票を作成、解析した。

 U調査結果と結論
 1、該当地域ではすべての薬局(二四薬局)が保険調剤を行なっており、うち6薬局(二五%)はもっぱら調剤を主たる業務としている。(営業比率五〇%以上)
 2、調査期間中、当該地域の一般医療機関55施設のうち、七施設は使用薬剤の二〇%以上相当分を、一七施設は二〇%未満を院外処方せんで投薬し、残りの31施設は全く処方せんを発行していなかった。歯科診療所では二〇施設のうち、一四施設のほとんどが使用薬剤の一〇〇%を処方せんとして発行している。
 3、当該地区の総医療費(政管健保分のみ)中、調剤報酬額は約三%(全国平均〇・三%の約一〇倍)総投薬剤費中、保険薬局の請求薬剤費は一〇%(全国平均一%弱の約一〇倍)。で分業の進んでいる状態を示している。  4、医療機関の総医療費中に占める薬剤費の比率をみると、
 @ほとんど処方せんを発行していない医療機関では四八・二%(歯科を含むと四五・六%)
 A使用薬剤の二〇%以上を処方せんによっている医療機関では四〇%(歯科を含むと二八・七%)なおこの比率を外来投薬分のみについてみれば、
 @四五・二%(歯科を含むと四二・二%)
 A三五・四%(歯科を含むと二四・六%)となる。
 5、またこれを外来患者一人当り一ヵ月の投薬薬剤費でみると
 @一、〇七三円(歯科を含むと一、〇一一円)
 A八〇五円(歯科を含むと五二六円)となる。

 6、まとめ
 (1)調査当該地域の分業は全国平均の一〇倍の進展度を示している。しかし、外来投薬の一〇%が院外処方せんとして出しているにすぎない。
 (2)分業進展に伴い、患者一人当り一ヵ月の薬剤費並びに総医療費中に占める薬剤費の比率は減少する傾向が見られた。
 ただし、特定地域にあって、医療機関数が少ないため、推測の域に止めるべきであろう。
 (3)今回の研究の結果、医薬分業の進展度と薬剤費の関係について、明確な結論は得られなかったが、今後の研究の方向として
 @特定の科について処方せん発行率の高い医療機関を抽出してその統計的解析
 A医薬分業の進展度が類似した状況にある他地区との比較解析
 B同一地区の経年的変化の追跡
 などを行なって正しい結論を導くことが必要と思われる。」なお、本報告は、日薬雑誌十二月号に掲載されていますので、御参照をお願いいたします。
 (註)本調査の行なわれました地域は限定されており医療機関数も少なく、また時期も一時期に限定されていますので、あくまでもケーススタディの域を出るものでありません。このような観点から結論を決定的なものと考えることは困難であります。

 ◆二、日本医師会「医療総合対策に関する意見」で医薬分業に対する態度を示す

 日本医師会は、去る十二月九日「医療総合対策に関する意見を発表しました。そのなかで医薬分業につき次のように記述し、意向を明らかいたしました。
 「医療総合対策に関する意見(B五版一一七頁)
 第一編 医学教育制度改革への意見
 第二編 医療制度改革への意見
 第二章 医療制度の基礎的条件

 10、医薬分業 調剤は医師の処方にはじまる。医薬品は医療の主体たる医師が医療の目的に使用するものである。医療の全責任は医師がになうべきものであることから考え、医薬分業が実現されるためには薬局側の処方せん受入体制と管理方式が完全に医師および国民の信頼と満足をうるものになること、かつまた、医薬品の店頭販売規制を確立することが前提の条件である。以上の条件が満足されたとき、国民も自らの健康と薬品の関連を正しく理解することとなる。

 なお医学、薬学の進歩と製薬業の技術進歩に伴い調剤の意義が、法制定当時と一変している事情をも考慮し、医師、薬剤師ともに検討すべき問題が多いことを指摘しておきたい。

 この医薬分業に関する見解は、「医療制度の基礎的条件」の冒頭に述べられている。
 「最近における医学、医術、薬学、近接科学等の進歩により、診断治療の面においては実に革新的前進がみられ、従来の自然治癒的な機能を主とした医療が積極的医療へと変革した。ここに医療の分化が進展する過程が考えられ、この基盤にたった体制が確立されねばならない。」という基本理念に裏付けされているものであります。

 さらに、最後の第三編 医療と診療報酬

 6、「支払方式(出来高払い制度)の再評価」において、『その際、薬を社会保険の枠内に止めておくべきかどうかを慎重に再考慮すべきであろう。医薬分業の問題は、この点からも根本的に検討する余地があるものである。単なる薬剤師の職域確立という狭い観点から分業問題を論議する時代はすでに過ぎ去った。』と記述されています。

 三、薬局制度懇談会第三、四回会合開催される

 厚生省側と懇談する日薬の薬局制度懇談会は、去る十一月二一日に第三回、続いて十二月十一日に第四回会合が開かれました。第三回会合では、前回に引続き分業理念について、先議される大勢が濃厚となって来たわけであります。第四回会合では、処方せん取扱い薬局の実態について等を中心として懇談が進められました。

 「処方せん取扱い薬局の実態」調査まとまる

 日薬調査室が本年七月、処方せん取扱いの多い薬局(おおむね月間三〇〇枚以上)、全国一一三軒に対して行ったアンケートに基づく調査の結果が、取まとめられました。この一一三軒の薬局の月間平均処方せん取扱い枚数は七四七枚(処方せん発行医療機関数平均四・二個所)、処方調剤による総報酬額月平均八三万四千円となっています今後の分業推進に対し、示唆を与えるものと考えられます。本調査の詳細は、日薬雑誌十二月号に掲載されておりますので御参照をお願いします。

 ◆加藤薬務局長、週刊新潮誌で分業推進を語る

 厚生省加藤薬務局長は、十二月二〇日号の週刊新潮誌上に、「私の言葉」(巻頭言)として談話を発表しました。このなかで、医薬分業について、次のように述べています。

 「明治の初めから建前になっている医薬分業といった近代的医療体系が、なぜできないか。これには三つの壁があるんです。第一は、現在の医者の診療報酬が技術に関係のない点数制になっていること。臨床経験一年でも三〇年でも同一治療に対しては同一報酬だから、医者はどうしても投薬をふやす結果になるんですね。

 第二の壁は、薬局で扱う品物が化粧品や歯ミガキのほうが分量が多いから薬剤師として勉強不足になること。

 第三は、患者が、医者で処方せんを、薬局で薬を、という二重手間を喜ばないことですが、いつまでもそんなことをいっていては医療水準は上りません。厚生省としてはここ五年くらいをメドに、医薬分業を実現させたく考えています。」

 四、三重県薬も調剤技術研修実施

 薬剤師研修は福岡県薬を初めとして、実施体制がとられつつありますが、三重県薬においても十月中旬から十一月末までの間会員である保険薬剤師を対象として、四十四年度の調剤技術研修が実施されました。

 受講者は、二一一名に及び全受講対象者の八六%に当る高率を示しました。研修は、実施要綱にもとづき、国立一、公立一三、その他四、計一九の病院で行なわれ、各支部毎に二〜三名を一班とし、支部内の研修病院に割あて、一日四時間、三日間延一二時間行なわれました。

 五、日病薬、薬剤師研修に協力体制を表明

 日病薬は、十二月一日、会長名をもって、日薬に対し、「開局薬剤師教育に関する病薬の態度について」通知をもって、各都道府県薬において実施される薬剤師研修に対し、各都道府県病薬の協力体制について、各都道府県病薬あて通知された旨、通報がありました。

 内容の要旨は次のとおりでありますので、お知らせいたします。研修実施にあたっては、関係病薬と、此の上とも連絡を密にされるようお願いいたします。

 開局薬剤師教育に関する病薬の態度について(要旨) 医薬分業促進に際し、開局薬剤師教育に協力をおしむべきではない。このためには、十分な準備が必要であると同時に、全国的統一見解をもってあたらなければならない。日病薬としては、実施の細部は、各都道府県病薬に委ねるが、実施に際しては事前に、@必ず教育に当る病院薬局側が事前に十分の打合せをする。A必ずテキストを作成し、かつテキスト内容に教育要目を附した教育要綱を作成し、日病薬の認可をうる。の二項を実行し、無用の混乱を事前に防止する意図をもっている。

 九州山口会長会 並同盟代表者会 各県統一行動実施など今後の活動協議

 九州山口各県会長連絡協議会並に分業同盟代表者会議は十二月五日午後一時から福岡県薬剤師会館で開かれ第37回九州山口薬学大会開催後の中央並に諸情勢報告その他時局対策等について協議検討した。

 当日の出席者は
 佐賀=武田会長
 長崎=隈会長、松尾理事
 熊本=下田副会長
 鹿児島=山村会長
 宮崎=長嶺会長、矢田部、古賀理事
 大分=杉原会長
 山口=森広副会長
 福岡=四島会長、工藤専務理事、役員七名のほか
 白木九州、山口商組ブロック会長も出席した。
 会議は会長会並に同盟代表者会合同で工藤専務理事司会してすすめられ、まず四島会長のあいさつに次いで直ちに議事に入った。

 ▽議事

 (1)中央情勢について
 @厚生省の分業推進策
 A中医協の審議の経過
 B総選挙の立候補者に対する推せんについて
 C公正競争規約案について
 四島会長から詳細な報告があり、公正競争規約については、一部反対があるようだがこれは本規約が認定されると困る人達の反対であって、業界が姿勢を正すことは分業推進の面からも好ましいので、薬剤師会としてもバックアップしたい。と延べた。

 次に白木氏から規約の内容について説明があり、次に当日大阪で開かれた表示連絡会に出席した隈氏は、急拠本会に戻り「消費者も大体否認の空気はなかったが、二重価格の問題では反対意見が多く、医薬品の特殊性を認識させるに至らず問題を今後に残した」旨が報告された。

 (2)第37回九州山口薬学大会終了について、
 開催県薬下田副会長から各県薬の協力を謝し、事務的報告については次回にゆずることとした。

 (3)九州山口同盟代表者会議(十月二十三日、熊本の薬学大会時開会)の決定事項および今後の活動について下田氏から大会時の決定事項処理報告があり、今後の問題としては、本会決定要望事項中のF医薬分業推進のため保険薬局の適正配置をはかるべく知事の権限による薬局開設を容易ならしむるよう促進する件、H薬局とその他の販売業を明確にするため「○○薬局」の名称を使用するよう許可の段階で指導されたい件、の二項については、各県薬において、各県所管部長に要望することに決定した。

 (4)九州薬事新報に分業同盟PR欄設定について
 同紙に同盟速報の掲載その他対内的PRに利用、各県から積極的に資料を送付することを申合せた。

 (5)薬学講習会と薬剤師研修について
 @薬学講習会の出席率は平均39%、最高は宮崎の78%最低は福岡の17%、佐賀48%、長崎36%、熊本33%、鹿児島63%、大分76%、山口47%であった。今後の希望としては課目が多過ぎる、春秋二回に実施して欲しい、実習を加味することなどの意見があった。
 A福岡県薬剤師研修会については福岡県から、実施状況を各県の参考に供するため報告書により説明した。

 中医協 折衝不調 医療費引上げ二月以降に

 医療費の緊急是正について紛糾を続けていた中医協の審議は、薬価基準の改定をめぐって総評、健保連、日経連など支払側と医師会など診療側の間に歩み寄りがみられず、二十日午前零時半、調製を打ち切り、タナ上げした。

 その後、厚相は一月から実施するため二十六日夜から徹夜の気構えで努力を続け、医師会など診療側は折衝に応ずる態度を明らかにしたが、支払い側はこの日の折衝が一方的に決められたものだと態度を硬化させ、二十九日に折衝を再開することを要求したため、二十六日中には折衝を開くに至らず、公益委員は二十七日午前一時、折衝を流会するとの態度を決め、支払い、診療双方に通告した。

 これによって医療費緊急是正の一月実施は不可能となり、二月以降に持ち越されることがほぼ確実となった。中医協公益委員は流会になった二十六日の折衝過程で、支払い・診療双方に対し、問題解決のための試案を非公式に提示したが、その内容は次の通り。

 一 入院時医療管理料八十円のうち七円を入院食指導加算に振り向ける。
 一 薬価基準は七月一日告示、八月一日実施とし総会の席で言明する。

 私の五行 提言

 福岡市 上田ヨシエ
薬 局経営の岐路に立ち調剤か販売かをまよう前に大衆除外の薬局の存在はないことをきもに命じ正しい専門知識の社会奉仕で臨みたい。

 福岡市 内田数彦 福岡市学薬会長
 ありたきは
 ありたきはまこしきふみのみち、おのがじし思いおもいに言いたきこと、為したきことあれど、心を合せ世に通りたる一すじのくすしの道こそ。

 県薬務課麻薬係長 大塚正美
 医薬分業を推進すべくお互いに自覚、体制作りは態度で示して貰いたい。調剤に欠かせない麻薬小売販 売業の免許を是非受けて下さい。

 福岡県薬副会長 岡野辛一郎
 分業完全実施期まではまだ年月を要するであろう、その間経済的に挫折しないよう各自研究対処され余力を残して時期到来に備えよう。

 福岡市 工藤益夫 福岡県薬専務理事
 社会機構が高度化、複雑化するにつれ目的とその目的を達成するための手段がこんがらがってくる。薬剤師の使命を反省する要あり。

 県薬理事 佐治八郎
 思考の自由化、国際化を提言する。視野を広く高く持つという事である。医療の自由化、国際化医薬分業に向って直進する時である。

 国立福岡中央病院 薬剤部長 清水貞知
 処方せん発行が先か、受入態勢が先かという命題は卵が先か鶏が先かという命題と同じく我々哲学者にとって永遠に解き難き謎である

 久留米支部長 新保徳次
 先ず回より始めよとは好きな言葉、薬剤師の資格に相応しい知識と技能を今一度再認識すべき時、自から誇り高き者と約束されように。

 久大病院 瀬尾義彦
 抜本改正に当り、現行制度の矛盾を是正し、施設の如何を不問、薬剤師の技術料を絶対に均等に評価するよう、当局に切望する。

 福岡県学薬会長 友納英一
 歳末の売出しをまねてくすりの安売り広告をまく薬師(クズシ)には困ったもの分業促進のため薬剤師の姿勢を正せと大声で叫びたい。

 千早病院 中島政雄
 同業者の集りは一人を推選そのリードでまとめるのがうまくゆくが民主主義時代だ、数人のリード者の話合いによって推進するがよい。

 福岡市薬剤師会会長 波多江嘉一郎
 断絶の時代と云われる。自己の利益を追求するあまり薬剤師会を盛りたてる意欲に欠ける人が多い。会員諸氏の意見紙上発表を乞う。

 福岡市 馬場正守 県学薬常任理事
 県薬にスポークスマンを
 県薬で公害調査、分業問題等、一般にPRした方が良いと思われる時に、報道機関に通すパイプ役が欲しい薬剤師地位向上のために。

 若松市 宮崎綾子
 学薬、開局、勤務を問わずアポの在り方が云々される昨今、その職能を再認識しプロとして社会に応え得る日常生活を自らに持ちたい。

 森山富江 県女子薬副会長
 家庭と職能の板ばさみ理想と現実の喰い違い等女子薬の悩みはその数に比例して深くなる。私達を真実求める場所を見極めることが大切。

 市学薬副会長 馬場正守
 良い本の紹介を
 薬剤師は、あまり多忙で本を読まない。そこで自分が読んでためになった本の名を、本紙のコーナーを利用して相互に紹介しあっては。
 (五十音順)

九州薬事新報 昭和45年(1970) 1月10日号

 大衆薬を守るため姿勢を正そう 正常化懇談会開催 福岡県薬業協議会

 福岡県薬業協議会は十二月に入り、店頭の吊りビラ及びチラシ等による広告がひどくなったことから、量販店、大型店、各グループの代表者等を招き、旧蝋二十四日二時から県薬会館で薬業正常化懇談会を開催した。これは、去る十三日開会の福岡県薬業協議会十二月例会を市内「大眺閣」において忘年会を兼ねて開会した際、前月よりの懸案事項である@家庭薬を囮に使う件についてA生協の再販品の安売りについてB量販店のチラシについてCルートの正常化などにつき協議した結果、各ブロック別に本協議会をもって量販店、大型店、グループ代表などを招き「正常化懇談会」を開催することに決定、まず第一回目は福岡地区で実施することを決めたため開催することになったものである。

 当日は新薬メーカー六社、家庭薬メーカー四社、乳業メーカー代表並に卸六社、小売側委員のほか県薬務課から武田技術補佐、今山監視係長、柚木の三氏もオブザーバーとして臨席した。卸側の司会によりまず当日懇談会開催に至った経緯が説明され、次に小売側委員四島県薬会長は当日の懇談会開催の主旨を次のように説明した。

 比較的安定していた福岡地区もTFCの発足、九友会福岡地区の結成、大型店の多店化、同志結合のグループ化、卸中心のグループ化等盛んになり将来完全に結合化が進めば、グループ対グループあるいは大型店との競争で、必然的にとりあげるのは安売り広告、囮広告が盛んになり、グループ単位の泥試合になる可能性が考えられる。法的規制だけを基準にすればこのような話合いをする必要もないが、これをどう防止するかお互に考えて頂きたい。医薬品の品位をけがすような吊りビラチラシ、非常識と思われるような安売り等は何とか防止したい。

 現在、一番社会的に問題になっているのは医薬品に対する不信感であり、大衆薬そのものも業界の再販姿勢が云々され売薬程度に縮小されようとしている吾々が大衆薬の拡張を要望している時期に取扱い業者が批判をうけるようなことは避けねばならない、安売りを好ましく考える人も、好ましくないと思う人もメーカー、卸も視野を広くして、泥試合の結果がどうなるかをも考え、何等かの結論を作って貰いたい、また欠席の方には席をあらため話し合う考えである。

 と述べ、それより店頭の吊りビラ、チラシ等について種々前向きに協議懇談の結果、毎月懇談会を開催してムード作りから始め、医薬品の品位をけがすような吊りビラについては逐次とり除き、医薬品の広告は自粛する方向に進めることに意見の一致をみたが、欠席者があるため、具体的問題については今後話合うこととし、また欠席者の今後の参加については薬務当局にも協力を要請した。欠席者との話合い等問題を今後に残したとはいえ最初の試みとしては一応成功したようであるが、今後の成りゆきが注目される。

九州薬事新報 昭和45年(1970) 1月20日号

 福岡県薬理事会 代議員会・学術大会引受けなど 予定検討

 福岡県薬剤師会(四島会長)は第一六八回理事会を一月十六日(金)午後一時半から県薬会館で開会して@中央情勢報告A第25回通常代議員会B第4回日薬学術大会Cその他について協議した。

 1)中央情勢について(四島会長説明)
 ▽分業推進については、日薬の分業推進審議会で検討していた大綱が近くまとまるので、これをもとに厚生省と懇談することになる。これに関連して医療保険の問題が出てくるので保険課とも懇談が必要となるであろう。

 ▽調剤手数料の問題は昨年来紛糾をつづけ、一月一日実施はできなかったが、二月一日実施が十三日決定した。調剤料については、日薬は沖委員を通し、引上げ率でなく根本的に四十円を要求したが、今回の引上げは緊急是正であることからみとめられず三十円を固執したが種々な問題から二十六円となった。抜本改正の場では充分考慮されるよう布石は出来たと考えられる。調剤の場合のウエートが問題にされたのは遺憾である。

 ▽大衆薬の問題は武見氏の処方権確立の発言から出発したように考えられているが、関連はあるが厚生省が医療担当者が医療に使用する医薬品と一般に販売する医薬品を分けようとしたことに起因している。厚生省に製造承認の申請が八千件もたまったことから、製造承認の一部を地方に委譲するため、その内容の再検討を中央薬事審議会の中に特別部会を設けて、委譲する範囲はどの程度にするか学問的立場で検討しているもので、これが一応大衆薬の範囲になろうということで、吾々としては非常に関心がある。

 この特別部会には薬系から上野高正、桜井喜一、高木敬治郎の三氏が委員として選ばれていたが、十二月実務についている学識経験者という意から開局の三氏が選ばれ委員に依嘱され二十七日開会の特別部会から出席することになっている。

 日薬としては必要があれば薬種商、メーカーの意見もとりまとめる考えであり一部に誤解があるようであるが、日薬としてはあくまで販売権の拡充を考えて対処している。

 2)第25回代議員会開催について(工藤専務説明)
 日薬代議員会が二月二十三、二十四の両日開かれるので、三月二十六日に決定

 3)日薬学術大会について(四島会長から)
本年度は横浜市で四月二日から四日まで開会、第4回大会を福岡市で開催する件については、代議員会で正式に決まるわけであるが計画はある程度しておかねば間に合わぬので、一月二十日計画委員会を開催すると報告

 4)麻薬中毒相談員推せんについて(工藤専務)
 任期切れのための推せんであるが次の五氏を推せんすることに決定した。 ▽杉山官(門司)新▽原田幾太郎(飯塚市)再▽三渕学(小倉)再▽奥村陸平(田主丸)再▽早川政雄(大牟田市)再

 (5)年度内主要行事計画について(工藤専務)
 ▽1月20日=学術大会計画委員会
 ▽2月17日=理事会、支部連絡協議会
 ▽2月23日、24日=日薬代議員会
 ▽3月2日=国保理事会
 ▽3月9日=理事会、支部連絡協議会、国保組合会
 ▽3月16日=理事会
 ▽3月26日=代議員会

 二月調剤分から適用の 新調剤手数料

 調剤手数料改訂については二月一日から新調剤手数料が左記のとおり施行され二月調剤分から適用されることになった。

 〔基本調剤料〕
 ▽内用薬(一剤一日分につき)二六円(旧二〇円)
 ▽屯服薬(一剤三回分まで)二六円(旧二〇円)
 ▽その他(一剤につき)三八円(旧二九円)
 〔加算調剤料〕
 ▽麻薬(一調剤につき)一一円(従前どおり)
 ▽製剤(一調剤につき)三〇円(従前一〇円)
 ▽深夜(午後一〇時〜午前六時)(従前どおり一〇割)
 〔注〕
 トローチ剤はその他、パッカル剤は内用薬として算定すること

 調剤手数料の改訂に伴う 保険薬剤師研修会 福岡市薬28日に

 福岡市薬剤師会は今回の医療報酬緊急是正に伴う保険調剤手数料の改訂を機会に、保険薬局並に保険薬剤師の研修会を左記により開会する。なお、特に医薬分業をめぐる中央情勢の報告については、新聞その他公けに発表されていない詳細なものであるので医薬分業問題につきご意見、疑義のある会員の積極的参加を主催者側は希望している。

 ▼研修会内容

 ▽日時 1月28日(水)午後1時30分より
 ▽場所 田辺製薬福岡支店5階会議室
 ▽研修内容
(1)医薬分業をめぐる中央情勢について 福岡県薬剤師会四島会長 (2)保険調剤について 福岡県保険課 住山係長 (3)保険調剤の実務について 福岡市薬社保委員会委員

 福岡県薬調剤技術委 県病薬役員合同会議 各大会に積極的対処

 まず、連絡事項として堀岡会長から@日薬第3回学術大会(4月2〜4日於横浜市)、日本薬学会第90年会(7月28〜30日於北海道)開催について、四月三日は日薬ブロック会長会が七月二十七日には日病薬代議員会が開催されることが報告された。その他明年四月七日〜九日に福岡大学において日本薬学会第91年会を開会、また本年十一月十六日〜二十一日はマニラにおいて第3回アジア薬学大会が開会される。

 次に報告事項として@日病薬九州山口ブロック会長会議報告A会員名簿発行について報告のあと協議にはいり、@日本薬学会第90年会議案提出についてA医薬分業推進協力拠金についてB県薬代議員会準備打合せC日薬病診部会九州山口DI講習会についてなどを検討し、医薬分業推進協力拠金については前年通りと決定した。

 福岡県薬日薬へ 日薬学術大会開催につき 意見書提出

 福岡県薬剤師会は、昭和四十六年度第四回日薬学術大会の福岡開催について、十二月開会した県薬理事会において検討した結果、福岡市開催については同会の要望することを日薬において考慮される条件のもとに、引受けることを回答していたが、一月十六日開会の同理事会において、左記要望(意見書)を日薬に提出して大会関係者の準備を円滑にするとともに、大会をより盛況に、より有意義に開催できるよう善処方を要望することになった。

 日本薬剤師会学術大会開催に関する(要望)意見書

 はじめに

 日本薬剤師会が開催する学術大会が有意義で、しかも盛況であり、かつまた、会員に有益な成果をもたらすためには、相当長期にわたる事前の調査研究、検討と準備が必要と思われますので、次の諸事項について基本的に検討、決定しておくことが喫緊の重要事項と考えます。日本薬剤師会(各職種部会、委員会、その他関連団体を含む。以下同じ)は開催地元の準備を容易かつ十分ならしめるよう積極的に措置されるよう希望します。

 一、学術大会開催年次計画について

 1)日本薬剤師会は学術大会開催年次計画を日本薬学会と緊密な連絡と協議のもとに立案し、日本薬学会が年次総会開催予定について発表のとき、都合により日時、開催地を異にする場合においても同時に発表すること。この発表の時期は、開催予定期前二四月が望ましい。

 (2)日本薬剤師会が将来とも日本薬学会と協調し、学術大会を開催しようとする方針を堅持する限り、@の同時発表二四月前をぜひ実行すること。

 (3)現在日本薬学会は数年先の年次総会開催予定を検討し、発表している。日本薬剤師会は開催前年の総会で決定、発表している。正式の決定、発表の形はともかくとして年次計画を立案し、日本薬学会と共同発表し協調の実を示すこと。

 4)昭和四四年二月 第二六回代議員会予算委員会においてある代議員から「日本薬学会は、昭和四六年の年次総会を福岡市において開催するよう決定したと聞いておるが、これについて日薬の考え方を承わりたい。」の発言に対し、ある幹部からなされた「薬学会の発表については何も聞いていない。学術大会の開催地については未検討で、現在白紙である」との答弁は秘密主義、形式主義のあらわれで、会員に対し不親切極まるものであると酷評するものもいる。このような状況は、学術大会の受入れ、準備を担当せねばならない地元会員の大会に対する意欲をいちじるしく低下させるものである。

 5)学術大会開催のためには周到な、人的、物的、財政的準備を必要とする。しかも、この準備体制は一朝一夕にできうるものでないことを考慮し、地方開催の場合は、上記のように薬学会と協調し、二四ヶ月以上の十分な準備期間を与えるよう計画すること。

 二、学術大会の構想、運営方針の早期決定について

 1)大会の開催準備を円滑に十分に行ないうるよう、日本薬剤師会は、大会の構想、運営方針をすくなくとも開催予定期の一二ヶ月前に開催地関係者に指示すること。

 (2)大会の構想、運営方針に基づく具体的計画事項を表示し、日薬において準備、担当するものと地元で担当するものとの区分を明示し、大会前一〇ヶ月以内に関係者に指示すること。この際、各関係事項毎に日本薬剤師会の責任者、連絡担当者を決定しておくこと。

 3)日本薬剤師会は、?具体的計画案決定と同時に公表し、大会のPRに努めること。

 三、学術大会開催に要する費用について

 (1)大会開催は、日薬の主催である以上費用収支の最終責任は日本薬剤師会にあることを再確認すること。

 (2)収入面で、日薬が負担する分、日薬が中央において行なう寄付による分等の額を明らかにし、できる限り、地元に財政的負担をかけないよう配慮すること。

 <3)大会終了後、決算に、剰余金を生じた場合、不足金を生じた場合の措置について明確な決定をなしおくこと。/P>

 おわりに

 以上、学術大会の年次開催地決定について、大会の計画決定について、大会費用について、それぞれ意見を述べたところでありますが、大会を地方で開催される場合は、人的、物的、財政的に中央で行なうときと異なり種々の隘路があることを賢察いただき、開催地元会員がよろこんで大会準備に参加しうるよう善処方を要望します。

 分業推進に不安 同盟へ公開質問状 福岡市薬一部会から

 福岡県薬剤師会の地元、福岡市薬剤師会別府部会(部会長若林雄三氏)は、部会名をもって、一月十七日福岡市薬剤師会長並に県分業同盟会長、日本分業同盟執行委員長あて、医薬分業について左記要旨の公開質問状を提出した。

 これについて日薬同盟及び県同盟は、日薬同盟の中央執行副委員長であり、県同盟会長の四島県薬会長から、口頭で十九日県薬会館で、工藤専務理事並に九州薬事新報社立合いのうえ、約二時間にわたって、項目ごとに詳細に、直接別府部会長若林雄三氏に説明回答を行った。

 その結果、若林氏も会員が執行部のこれら報告等に対する受け入れ方につき努力が足りなかったことを認めるとともに、内容についても充分納得し、部会員に伝えるとともに、今後協力することを約した。

 また執行部としては近く分業推進大綱が示されることを説明、今回別府部会がとった方法については遺憾であったが、今後、建設的な要望や意見は大いに出し執行部の力になって欲しいと要請して今後の協力を求め、完全に解決した。

 なお、別府部会の質問状の要旨は次のとおり。

 ◆公開質問状(要旨)

 抜本改正を間近にひかえて、分業問題が重要な段階となり、医師の強硬な動き政府自民党の医師会に気がねした煮え切らぬ態度など業界をとりまく情勢はなおきびしく、分業をはばむ障害も少くない。だが分業の前進をはばんでいるいちばん大きな隘路は、実は業界自身の中にあるのではないか。

 分業同盟発足以来、分業実現のために、執行部が努力されていることには惜しみなく敬意を表するが、基本的な姿勢と方針について一般の下部会員の間に不信と疑念がひろがっている。その原因は、一言でいえば末端の下部会員がおかれている現実的状況、具体的な希望や要求とかみ合わないためである。われわれの与り知らぬところで決定された方針なり対策が上意下達に押しつけられることに不満を抱いている。こうした気持が多くの会員をして非協力といわないまでも、消極的な態度をとらせているのである。笛吹けどおどらず、研修にしても、分業費にしても、おどる気持にはなれない。

 当部会ではこの機にうっ積している疑問と不満を表明して責任ある回答を要求納得いく回答が示されるまで分業費の納入を保留する。

 一、医薬分業は抜本改革の中で薬局がどのように位置づけられるかによりその姿がきまる。この肝腎な問題について日薬はなんらのビジョンやプランを示したことがない。医師会は独自な立場から改革案を発表しているが、日薬は独自のビジョン、改革案を打ち出す用意はないのか。

 一、現在一部をのぞいて一般薬局薬店は、いわば軽医療に働きの場を見出し、生活の資を得ているが、この軽医療が度々の武見発言によれば取引と恫喝の材料につかわれ、不安を与えている。執行部は軽医療を分業の犠牲にするつもりか。それともこれを拒否して、その確立と発展をはかる覚悟があるか。

 一、現在の会は薬局と一般販売業と薬種商により構成されている。分業は業界全体の大事業であるから業界全員に協力を求めてもいいが、これら会員の将来について配慮、見通しを示して貰いたい。

 一、分業の態勢づくりの障害や矛盾の中でいちばん大きな問題は保険薬局の絶対数の不足である。この矛盾をどう解決するつもりか。実現可能な一般販売業を保険薬局に昇格させることを考えていないか。

 一、態勢づくりの第二に備蓄センターの設立について青写真をつくり、積極的な指導、助成をする考えはないか。

 一、分業費の性格についてその性格と内容を説明、会計報告を出す用意があるか。

 挾子

 ▼一月十七日福岡市薬剤師会の一部会名によって、日薬分業同盟執行委員長並に県同盟会長、市薬会長にあて、医薬分業についての会員の気持を訴えた公開質問状が発送され、責任ある回答を要望した。

 全くその政治力で日本を動かす程の日医を向うに廻して、やらねばならない医薬分業が並大抵では実現しないであろうことは、過去の分業運動、日医の政治力を考えただけでもよく理解できるし如何に好機到来したとさけんでも、会員の不安焦そうを感じる気持を押えることはむつかしい。

 また一方、各階層にわかれた会員を擁した日薬や同盟執行部の一部の人々が、医薬分業について全く涙ぐましい努力をしておられることも、度々中央の業界紙などで見聞し、ご苦労さまと頭が下がる。

 同盟の分業推進の大綱も、諸般の情勢から未だ発表が見合わされている。これも種々な問題を考慮のうえ未だ時機が適当でないということであるらしいが、余りにも慎重過ぎるのではないか。秘密主義に過ぎるのではないかという気もする。だが一番問題なのは、これ等の情勢は詳細に(文字で発表出来ないことまで)県薬理事会並に支部連絡協議会あるいは部会長会、また昨年十一月開催された九州山口地区各県薬学講習会でも報告がなされている。

 運動は戦いであるから結果については誰にも解らないことが多い。だが努力の方向とか過程を聞けばある程度納得いく筈であるが、薬学講習会の出席率17%では聞かない人の方がはるかに多い。まず聞いた上で、大いに建設的な質問や意見が出ることが望ましい。質問をした部会は全く無関心な会員より執行部にとっては有難い会員といえようが、報告や説明をしても出席しない者や読まない者へはどうしようもないと思うのだが…部会とか支部でも、録音テープの利用を考えられてはいかがなものであろうか。

九州薬事新報 昭和45年(1970) 1月30日号

 福岡県 第6回薬事審議会 保留二件、承認五件

 福岡県薬事審議会は四十四年度第六回審議会を一月二十二日午後二時から藤沢薬品工業兜汢ェ支店会議室において開会した。

 薬局等の許可について知事から意見を求められたもの七件のうち四件は問題なく承認、二件保留、あと一件は地元業者と協調するよう指導することで承認した。

 保留の二件は「博多コクミン薬局」(福岡市三社町)潟Rクミン代表者絹巻薫氏による申請で、前回審議会でも調査のため保留となっていたものであり、今回も引続き保留となった。次に昨年問題となった道路拡張工事のため適配条例第七条の適用によりダイエー内に開設しためぐみ薬局宮原氏の姉金子美佐子氏名義で市内飯倉「保坂ストアー荒江店薬品部」として申請したもので、これも一応当局において内容調査を行うため保留となった。

 久留米市のダイエー敷地内に中内功氏によって申請した「マルナカ薬品」については、ダイエー新築後同店内で開設するためのものと考えられるもので、地元業界からこれについて要望書が提出されたので慎重に審議した結果、今後において地元業者との協調をはかるよう行政指導をすることとして承認した。

 なお、同審議会委員の任期満了に伴う委員の委嘱については、一月二十一日付で消費者代表の内野梅子氏に代って高森ユキエ氏が新任したほか前回に引続き左記の諸氏が委嘱された。

 ▽学識経験者
 三苫夏雄(福大教授)松村久吉(福大教授)原田平五郎(ハニーおたふくわた渇長)
 ▽消費者
 向坊ソメ(県議会議員)寺岡光雄(同)森高ユキエ(県郡市婦人会連絡協議会副会長)梅田雅男(県青少年補導協議会副会長)
 ▽薬事実務従事者
 四島久(県薬剤師会会長)深田徳治郎(県薬事協会会長)白木太四郎(県医薬品小売商業組合理事長)大黒清太郎(県医薬品卸組合連合会)国松藤夫(武田薬品工業兜汢ェ支店長)
 ▽行政機関
 下野修(県衛生部長)吉田寛三(県商工水産部長)中西利康(福岡通産局商工部長)
 ▽幹事
 岩下泉(県衛生部次長)桜井滋泰(県商工水産部商工一課長)佐藤勉(県衛生部薬務課長)
 なお、当日審議の結果、承認した薬局等は次のとおり
 ▽三星薬品(薬種商)小倉区富士見町、申請者=角田敦
 ▽有本薬品熊谷店(一般販売業)小倉区熊谷町、申請者=有本政勝、管理者=本人
 ▽マルナカ薬品(一般販売業)久留米市東町字下天神田、申請者=中内功、管理者=古賀幸雄
 ▽ツルカメ薬局(薬局)福岡市荒江、申請者=沢村利次、管理者=山口富美子
 ▽株ィ薬品(薬種商)小倉区弁天町、申請者=株ィ薬品代表者畑東(移転)
 薬局等の許可について報告のあったものは左記のとおり

 ▼薬局六件
 ▽ながしま薬局(福岡市箱崎)開設者=永島俊之、管理者=川本悟11月19日
 ▽野田薬局(小倉区板櫃)開設者=野田紀美子、管理者=本人、12月3日
 ▽サカヰ薬局(小倉区熊谷町二丁目)開設者=酒井トシエ、管理者=吉田紀子、12月20日
 ▽小郡薬局支店(三井郡小郡町小郡上町)開設者=長尾直之、管理者=本人、12月26日
 ▽たつみ薬局(福岡市大字有田井開)開設者=清水義雄、管理者=大薗和子、1月1日
 ▽にぶや薬局(八幡区大字香月)開設者=丹生谷義雄、管理者=橋本則子、1月14日

 九州山口医薬分業実施推進同盟

 ◇分業成否の鍵は社会大衆の支持いかんにある愛される薬局、慕われる薬剤師になりましょう。

 ◇薬局は内容外観ともに医療機関になりましょう。