通 史 昭和44年(1969) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和44年(1969) 1月1日号

 新年の辞 昭和四十四年元旦 武田孝三郎 日本薬剤師会会長

 常に頭の中を去来するのは、医薬分業を根幹とする薬剤師職能推進のことのみである。新年を迎えるに当っても、同じ思いである。

 一昨年十一月十七日、厚生省事務局から医療保険制度の抜本改正案が打出され、爾来方面で論議されてきたが、自民党医療基本問題調査会、いわゆる鈴木調査会において一応のまとまりをみた。佐藤首相は、旧臘十二月二日、関係方面に、医療保険制度の抜本改正はきわめて重要な問題なので、できるだけ早急に自民党案を決定し、次の通常国会に早めに提出するよう指示した。医療保険制度の自民党改正案は十二月中旬には決定をみ、順調にゆけば、四月頃の通常国会に、健康保険法などの改正案が提出される見込みと思う。

 自民党改正案には、全国会員諸君の心よりの協力、熱意が実り、我々待望の医薬分業に関する事項が盛られるものと信ずる。いかなる形で出てくるか予断を許さないが、従来の経過から考えて、医薬分業には積極的、前向きの姿勢が打出されよう。ただ、実施の面でいろいろの案が出てくるものと思われる。一層同志的結束を固め、衆知を終結し、実施面で間違いのない、きめ細かい手を打ってゆく考えである。

 医薬分業の早期実現には、一般国民の理解と支持、医療担当者間の協調、薬剤師職能を奉ずる者の物心両面での体制整備が必須要件であることは、重ねて言うまでもない。医薬分業が、医療保険制度改正の重要な一環として、いよいよ国会の審議に上る-永い間、医薬分業完全実施を叫んで来た我々として、ようやくにして、目的地の一角にとり着いた感が深い。

 しかし、決して油断はならない。私は、昨春、新年の辞で、「いよいよ富士登山の難所にかかる。全国薬剤師諸君とともに、靴のひもを締め直し、栄光ある頂上を目指して、確かな登舉を続けよう」と述べた。私は、今年こそ、いよいよ大難所にさしかかったと見る。頂上は近いが、一歩誤れば転落の危険がある。十分なる注意が必要である。私としては、諸君としっかりと手をつないで、力強く進む考えである。

 我々をとりまく四囲の情況は、近時ますます複雑多岐であり、私も時には、言い現わし難い苦しい立場に陥ることもある。そうした時、理解ある人々の好意ある温い気持が私を支えてくれる。とくに、暗の中の光のように、希望を持たせ、勇気づけて下さるのは、昨春四月、日薬創立七十五年記念式典に際し、天皇陛下より賜ったお言葉である。

 すなわち、陛下は、「日本薬剤師会が創立以来、国民の保健衛生の向上に多大の貢献をしてきたことは、わたくしの深く多とするところであります。薬剤師は、国民の健康を保持増進する重要な使命をもつものでありますから、今後も他の医療関係者と相携えて一層社会のために尽力するよう希望します。」と仰せられたのである。

 私は、会員諸君とともに、陛下の薬剤師職能に対するお言葉を忘れることなく、苦しい四囲の情況にも負けず、堪え難き堪え、困難な路を踏み分け、よじ登り、目的地に到達する覚悟である。

 造反有理 高取治輔 長大薬学部教授薬博

 お隣の中国が総ての矛盾を解消して合理化しようと云う造反有理をキャッチフレーズに掲げ文化大革命を進めている。一から十までそれが良いとも思わないが永年の因習を破るにはよほどの決心と努力を要することは論を待たない。

 ◆大学問題

 改革を迫られる一つに大学問題がある。占領下におしつけられた六、三、三制の不合理まで溯って此際思切った学制の改正を要望してやまない。学生運動の原因には思想、世相、封建性打破、教育のマンモス営利化、政治不信等々といろいろな事が考えられる学生の大学に対する期待はずれから来る不信も又その一因と思う。

 大学に教養課程なるものがある。進学して初めて修める一年なり一年半なりの教科目が専門と関係ない高校に少し毛の生えたようなものであってみれば折角それぞれ専門の学部を選んで入学した新入生には第一歩で大学のイメージは破られ飽足らない気になるのは当然である。

 事実毎年入学早々幻滅の悲哀を訴える学生が多い。その結果学問に興味を失った学生の進む道は無気力化するか、過激に走るかであろう。爰に思い切ってけって大学から教養部なるものを切り下げ高校に持って行き四年制高校とする事、大学四年はみっちり専門をやる事にすれば高校も大学もお互に事実上1ヶ年の年限延長となり今までの詰込教育で単位単位とノルマに追廻されるような教育でない話の通るより良い教育になり純真な青年の意慾をつなぎのばす事になると信じる。聞けば西独では敗戦後の学制改革は戦前を固辞して受付けなかったとの事である。大学問題の解決の一つとして六三三制の根本的再検討を望んで己まない。

 ◆医薬分業

 明治百年と云うのに未だに此の不合理が解決されないという不合理が医師の封建制と政治力と我慾にあるとは全くお話にならない。少し昔話でもして明治初期の西洋医学先覚者の事でも書いて今日の医師の反省をもうながしたい。

 安政四年(一八五八)出島のオランダ商館医官ポンペに初まる養生所での西洋医学伝習には既に予科として薬学の化学、物理、数学博物等が講ぜられ、元治元年(一八六六)に分析窮理所が設置されGaratamaを招聘して理化学教育が充実された。

 次で明治二年(一八六九)薬学者Geertsが来朝する事によりまだ医学の一部としてではあるが薬学教育も本格化し後にGeertsの中央転出により東京司薬場の開設、薬局方制定の端緒が開かれる等近代薬学の道が開かれる事につながる。

 医学の先覚者長与専斉は大村藩の人で初めて大阪の適塾に蘭学を修め洪庵の推めでPompeに師事したがPompeの帰国後松本良順の後を継いて精得館長となる。此の間の様子を彼の手記(松香私志)に次の様に記している。

 「予科教師ゲールツ氏来着して予科教場を開き本科予科の過程も備り畧々学校の体裁をなし改革も一段落を告げければ精得館を長崎医学校と改めぬ。今此の改革に際し(自分は)講義に診察に終始外人教師(ポンペ・マンスフィールド・ゲールツ)に随伴し其通辯をつとめ片時も缺ぎ難き職務にて三年許りは一日もその側を離ることなかりければ一通り医学(本科、予科)の全科をも窺い又医学教育の要領をも会得するを得たり」と。

 長崎での分析窮理所の設置以来次第に発達する薬学教育の萌芽を見守って来た長与専斉は文部省医務局長(後に内務省所管となる)に転じ明治四年政府の大官岩倉、木戸、大久保、伊藤に従い欧米の医制及医学教育調査に赴き之を終え六年帰朝後、直に薬学は医学と共に進むべき学問として製薬学校設立の必要を文部省に建議している。

 ◆製薬学校設立の儀に付き伺い

 薬学は薬品の製造鑑別輸出入の方法から毒殺の裁判に至るまで皆之に関せざるなし故に文明の列国は之を重じる。邦家は機構温暖地味肥沃植物繁茂し鉱物資源に富む天恵の国なり。薬品の十中九までは海外に待たずして足るにかかわらず、国民従来物理化学に暗く之を製煉して医薬に供することを知らず。只漫然として海外に仰ぎ薬舗も徒らに外国の奸商にだまされ、贋造不純の薬品を販売して一人としてそれを知らず。今にして方策を講ぜずば独り蒼生の生命を害するのみならず他日邦家の疲弊をかもす事は智者を待たずして明なり。実に痛哭にたえず。

 之を以て今後医学校に薬学校を付属し五年制とし初め三ヶ年は医学生と混じ基礎医学を修得させ四年次より分ちて製薬化学、製薬器械学、薬品分析学等の薬学を学ばせる事二ヶ年にして五年の終に大試験を行ない製薬学士の称号を与えるものなり云々」としている。

 医学と薬学とを同格とする基盤に立つ考で当時として既に百年の大計を建てる識見と云うべきである。日本医学の先覚者は皆同じ考から明治政府も医薬同格、業務分担の方針のもとに明治七年八月十八日に医制を公布して先ず東京、京都大阪の二府に通達した。

 第四十一条 医師は自ら薬をひさぐ事を禁ず。医師は処方書を患者に与え相当の診察料を受くべし。

 第四十三条 医師が秘かに薬剤をひさぎ或は薬舗と通じて奸利を謀るものは開業を禁ず。

 第五十五条 調薬は薬舗主に非ざれば之を許さず。

 而し当時は薬学教育の立ち後れから薬剤師の数も少く又洋薬の知識にも乏しく当分は調剤は医師の兼業とせざるを得なかった。しかし此の状況は薬剤師の実数の上からも疾くに解消されるべき事柄であるに拘らず過去数回の法改正にも付則として残されている。

 今日の医者は益々付則に執着し患者が消化も出来ない程の一抱えもあるような多量投薬で利を貪り健保赤字の一因ともなっている。今日医者の薬を正直に服んでいたら医治病にかかる心配さえある。又明治七年の本則に反して薬舗と通じ○○を△△として投与し奸利を謀る者すらある。

 ゼンキンス勧告に盛られた「医師は薬を売り歯科医は金を売った」状態は歯科は改善されたが医師に関しては益々甚しくなっている。邪道に惰した今日の医師連、明治の医学先輩に対し果して何如んである。 全国三十校を算える薬学部から毎年数千人の新卒が国家試験なるものを受けるがその免状たるや死んだ一片の紙に過ぎない。新規開局を望んでも都市では距離制でシャットされる。開局薬剤師は老化し沈滞して行く、これでは全く若い元気な薬剤師の育つ途はない。

 学制の中には医学研習生制度問題に刺戟されてか無意義な国家試験ボイコットの声が起りつつある。厚生省も之が発展して足下をゆさぶられて初めて気が着くかも知れない。分業運動も御老年の三志会等と云う頭よりこんなヤングパワーに解決の近道があるかも解らない。(昭四三、一二、六)

 新年の御挨拶 福岡県衛生部薬務課長 佐藤 勉

 新年明けましておめでとうございます。顧みますと、昨年は薬業界におきましては、多事多難の年であり、今年もその尾を引いて忙しい年になるものと予測されそうです。

 薬局等の適正配置条例問題、消費者保護の観点から出発した医薬品の副作用、安全性等の追及問題、薬事法四十九条に規定する要指示薬品の取扱い問題、保存血液に関する献血問題等何れも重要な問題であり早急に解決を望まれながら、本年にもちこされています。

 元来、医薬品が疾病の予防と治療の面でその効果を発揮するについては、常に優良な医薬品がそれぞれの用途に従って供給され、正しい使用が行われなければなりません。この目的のためには、薬と健康の週間等を通じて一般消費者に強く啓蒙を行なうことが必要でしょうが、医薬品取扱い者の自覚と不断の研究の上に、倫理の高揚を期していただきたいものと考えます。

 薬剤師とは何ぞやと云う論議がなされています。薬剤師法の第一条には薬剤師は、調剤、医薬品の供給その他薬事衛生をつかさどることによって、公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする。と書かれていますが、要するに医薬品等の品質管理と適正な需給により国民の保健衛生によい意味での重大な意義をもたらす専門家でなければなるまいと思います。薬業界についても大なり小なりに以上のことが云えるのではないかと考えられます。

 医薬品、医療用具、医薬部外品、化粧品についての誇大広告、不適正な宣伝、広告、乱売等による薬剤師、薬局、薬店の品位の低下、医薬品等の乱誤用の助長の誘発については、過去において苦い経験と一般大衆の非難を受けてきたところであります。最近におきましては、資本の自由化の波が、急速に医薬品等の業界に押しよせて参りました。経済環境も変動しています。この中にあって生きていくためには物品販売や物品製造に落ちいることなく、あくまで医薬品等の特殊性を活かした技術を売る態勢で対応して消費者を啓発し、消費者の要望に答え得るよう、腰をすえて真剣にとりくむべきではないかと存じます。

 特に、薬剤師の皆様方は町の化学者としてその技能を存分に発揮していただきたいものとお願いします。近時種々の公害問題が発生しています。力をつくし国民大衆のためその智能を披歴する機会は、周辺に色々とあります。これこそ間接的に技術を売る一つの方法ではないかと思います。消費者の信頼を得ることではないかと思います。

 学校薬剤師の方々の御努力に敬意を表しています。これをより一層もり立てて行くことは勿論でありますが、各自の特技とするところを折りにふれ相互に話し合い尽くることのない知識を交換し、広く利用することも大切なことではないかと思います。

 所謂小さなからの中にとぢこもらず、法を遵守し、積極的な姿勢で進むべきではないでしょうか。医薬品等に限らず毒物、劇物についても種々の問題点があります、衛生害虫や農作物害虫の駆除については、現在の副作用をもったままの状態でよいものでしょうか、天敵を殺さず害虫を絶滅する物の発見はできない相談でしょうか。

 あれを思い、これを考えるときりがありませんが、我々の周囲には、余りにも解決を迫られている事柄が山積しています。然しながら反面宇宙のように未知の世界が広がっているように思えます。新年に未来を託して、明るい希望と道程の苦難に対する新しい勇気を奮い起こし、前進以外に生きる道はないと更に覚悟を新にし、仕事に対処したい存念でございます。各位の御指導をお願いします。

 薬剤師も大学に帰れ 今村武志 開局、福岡県薬社保委員

 「診察は医師に、薬は薬剤師に」という我々のスローガンは、名目上当然と受けとられながら、実際ではこのくらい虚構に扱われているものも珍らしい。薬剤師の失地回復だと分業問題を認識してくれる人は良い方で、かえって面倒だと誤解している人が多いのが実情であろう。

 数百年にわたって分業が確立した医療体系をもつ先進欧米諸国と違って、日本には分業の体験も、それを育てる基盤も、有力な医師会の力でつぶされっ放しできたので、国民は医師中心の秘密的、強制的かつあなたまかせの医療制度に飼い馴らされてしまい、自由で解放的な、患者中心の医療制度のあることすら知らないでいる。我々の要求する分業が、その新しい医療の重要な出発点であることを、医療因習に盲従してメーファーズとつぶやいている国民に明確に認識させ、目覚まさせねばならぬのが、今日の薬剤師の使命であろう。

 ところが、いくら声を大にして説いてみても、信頼されぬ者の言は耳に入らぬ。昨今の大学騒動にみられるように、教授陣の、学生からの信頼感の欠除が問題解決をむつかしくしているのと同じである。それでは、薬剤師はどうすれば大衆から信頼されるようになるのか。

 医師は、マスコミで毎日のようにさまざまの批判をうけているが、そんなに連日、批判をうけるに価するほど、彼らは高い信頼をうけているのであって、当然尊敬もされ、社会的地位も高く、経済的にも恵まれている。医師という職業が、人間の生命をあづかるたいへんな任務で、尊敬に価するのはもっともだが、医師自身、その信頼尊敬に酬ゆるべく努力を積んできたこともゆるがせにできぬ事実である。

 しかし、医師とて一個の人間。高度の知識、技術を身につけるには、必然的な限度がある。厖大化する学問の重圧から、彼等は賢明にも専門化することで身軽になり、細分化した能力でもって、民衆のより高い次元の要求をみたし、それにふさわしい報酬を受取るようになった。その上、専門化がもたらす内部分裂を避け、医師集団としての結束を決して乱しはしなかった。個々の医師は、自分の専門の医療しか行えないが、共通の、医師という名を持つ者の集団は医療のすべてにわたる個々の医者のコミュニティであるため、医師は誰でも、この両面からの過剰とも云えるほどの評価を享楽している。

 医師による、医師中心のこのような完璧に近いまでの現在の日本の医療体系は、彼らの実力からみて、先ず破れそうもない。自己を専門化するのみならず、看護婦、レントゲン技師、検査技師、栄養士等、従属する職務を生みだし、それらに君臨する強固な意志と、自在にふるまえる力を持つ彼らから、患者はどのようにすれば、患者の主体性をとりもどすことができようか。

 完全な医薬分業こそが、患者のための医療制度をつくる第一歩になるといったのは、医師の独善的な秘密治療を否定するのが分業の理念だからである。患者が医師から処方箋を受けとり、患者自身、自分がどのような薬を与えられているかを知ることが、患者に治療の主体性を持たせ、次に薬剤師がその処方箋を監査し、助言を与えて投薬することで二重に治療の安全性は高まり、密度の高い療養姿勢がつくられるのだ。

 病気は本来、患者自身が治すものである。生命のはかりしれぬ不可思議の前には、現在程度の医学や薬学はまだまだ弱少の感をまぬかれぬ。医学・薬学は疾病に対して帝王たるべく一層の努力をしなければなるまいが、生命の主たる患者に対して専制君主であってはならぬ。医療人は患者の肉体の改善に寄与するとことはあっても、しょせん精神に立ち入ることは不可能だ。精神病以外の患者の治療には、患者と医療人が対等の立場で協力しあわねば病気は治せても病人は治らぬ。

 現状の、医師中心の一方的な、よらしむべし、知らしむべからずという医療態度を棄て、患者の人間尊重を核とする自主的な、硝子張りの療法体制を確立するために、先ず、われわれ薬剤師が、医師と患者の因習にみちた関係の中に割って入り、盲従を強いられている患者の立場を引きあげ、医師と患者との自由な対話をたすけるパイプの役目をしなければならない。このためには、われわれは、その双方から、正しい評価と信頼をかちとらねばならないのは当然である。現在のごとき薬剤師の姿勢では、一部を除いて、小商人と同一視されても反論できない有様といえよう。

 余白がないので、結論を急いで申し上げると、薬剤師がひろく社会の信頼を得る第一歩として「薬剤師も大学へ帰れ」ということである。開業医が、疑問のあるごとに大学と緊密な連絡をとり、自己の研鑽を積んでいるのに、開業薬剤師は卒業と同時に、大学とは無縁になって、研修の場を持たぬ。薬物学ひとつひとつをとっても、医師は、数百か、あるいは数十という、自分の専門のわずかな薬物の知識とその完全利用で、楽に任務を果たしているのに、開業薬剤師は、何万とある薬物、それも日毎増加する薬物の知識とその高い損耗率に、手のつけようもなく呆然としているのである。

 一つの薬物に学名がいくつもつけられ、商品名が何十とつけられて、スペルをひとつよみそこなえば、とんでもない誤薬事件をおこしかねない薬物の天文学的多様性の重圧から抜け出すためには大学の薬学部を開業薬剤師の基地として、衆知を集めて再教育を図り、専門化をすすめ、社会の大勢である知識の分業による高度の医療人をめざさねばなるまい。そうすることによってのみ、世人の信頼を得、信頼を得ることによって、薬剤師業務の発展が可能になりそしてようやく真の医薬分業が現実のものとなる。かつ、それは鎖国的な日本の医療体制を、自主解放的な国際的水準に引き上げる呼び水となるに違いない。目標はいくらでも高くかかげるがいい。しかし、踏み出すのは自分の足もとからだ。

 一九六九年への期待 国松藤夫 武田薬品福岡支店長

 一九六九年の新春にあたり、業界各位の御繁栄を衷心よりお慶び申し上げます。かつて、一九六〇年を迎えたとき、あたかも世界的な好況の中にあって黄金の六〇年代に突入したといわれて、非常な期待をもってその後、年を経てきたのでありましたが、好・不況の波にもまれながらも、どうやら我が国では、所謂イザナギ景気といわれてここに六九年を迎えた訳であります。年、あたかも酉年、時を告げる高らかな鶏の声で、ロンドン・エコノミスト誌が我が国の成長力をたとえた正に「昇る太陽」そのもののように好況のうちに年が明けたと云えましょう。

 しかし好況といはいうものの、私共薬業界では今年も多くの問題を抱えたまま越年したと云えます。そして、欧米の経済動向に支配されやすい日本の経済環境の中で、私共薬業界にとっては、一体今年果してどのような年になるのでしょうか。

 昨年十一月二十二日の住吉神社での薬祖神祭当日に、私は薬学及び薬業界の各団体が、それぞれの立場では種々会合が持たれていますが、ともども一堂に会して、こうして話し合うことが今日ほど大切な時はないと考え、今日のような日を各層のいろいろな問題についての話し合いの場にしたいという意味のことを述べて挨拶致しました。

 実は、今年の神農祭は第二十回目にあたりますので、この祭礼も特に意義ある盛大なものにしたいと考えているのであります。さて、それではその日に出席されるであろう各層の人々の胸に去来し、話題としてとり上げられる問題は、一体どのような事柄でありましょうか。ここで一寸それを想像してみましょう。

 境内にそびえるクスの木の間からもれる柔かい晩秋の日ざしが、静寂な住吉の境内にふりそそぎ、たった今、少彦名神社の御前で雅楽にあわせて、みやびやかな「住吉の舞」が巫女によりあでやかな中にも厳そかに執り行われ、参加の人々は第二十回目の神農祭を祝う懇親会場に到着しました。やがて、主催者側の筑紫二十日会当番幹事社の司会で開宴に先立ち、筑紫二十日会の代表社が先ず挨拶に立ちます。

 メーカーとしまして、本年大きな影響をうけたことの一つは、先ず第一に資本の自由化の波を身を以て感じたことだと云えるかと思います。一九六七年の七月、我が国が資本取引きの自由化の第一歩を踏み出し、医薬品製造業は第一類、即ち外資比率五〇%までは自動認可と決定されました。続いて、六八年六月より技術導入の自由化が実施されましたが、そのためこれが資本進出を一層促進する結果となり、その技術の内容も流通、販売技術にまで及び、一面我が国製薬企業の発展に大きく貢献していると云えるでしょう。

 しかし、私共メーカーは、この国際競争に打ち勝つため、その企業努力により医薬品産業の主体性を確立せねばなりませんでした。厖大な資本力のある外資との過当競争をさけるためにも公正競争規約が成立し、研究開発体制、販売ルートの確立など逐次業界自らの手で長期的な将来の方向への努力がみられております。今やコップの中の無駄な、みにくい争いばかりしている時代ではなく、私共が遭遇しているいろいろの問題に対し、前向きに且つ積極的にお互いに協力しつつ、共存共栄のため一歩?着実に解決をはかってゆかねばならないと考えております。

 医療制度の抜本改正については、一昨年実施された健保特例法が延長されましたが、抜本対策の骨子も大よそまとまりつつありますので愈々来年から実施されることも予想されます。また、これら諸情勢に対処してゆくため先に製薬連の傘下にあった「製薬企業懇談会」も解散し、新たに世界的視野をもって誕生した「日本製薬工業協会」の運営も漸く軌道にのり、業界の団結と、発言力の強化により、転換期に来た医薬品産業を長期的な展望の下に、お互の自覚により総意を以って、公正な企業活動を促進し繁栄への道を歩もうとしているのであります。

 昨年十月、厚生省薬務局が要指示薬の取り扱いとその監視について各都道府県、関係団体へ出した通達は、その後各地で大きな反響を示しており、これら要指示薬や大衆薬の取り扱いに関する問題は医薬分業ともからみ大きな波紋をなげかけております。メーカー自身これらの問題についても真剣に考えねばなりませんし、業界の繁栄と発展のためメーカー、卸、小売が業務提携や協業化、合理化を推進し、それぞれの立場での自覚を強めるべきであります。

 その外、メーカーとしましては医薬品製造承認に関する基本方針の運営強化の問題がありますが、新しい転機に立たされた私共としましても国際競争に勝つためにも、また医薬品の国民保健に果たす役割からも優秀な新製品の開発安全性などについて全力を挙げて努力を払っていますし、今後も引き続いて努力を重ねてゆきたいと決意している次第であります。

 続いて、衛生部薬務当局、薬学界を代表して大学薬学部、病院の代表として大学病院薬剤科、そのほか薬剤師会、薬事協会、医薬品小売商業組合、卸業連合会などの代表がそれぞれの立場で各層の当面する問題をおりまぜて次々挨拶に立ちます。

 問題点としてとりあげられたことを項目を追って述べてみますと
 1薬局の適正配置条例の運用
 2要指示等の取り締り
 3研究開発力の促進
 4同種同効薬の統一と更に進んで特許法の改正
 5病院経営上の諸問題と健保関係
 6医薬分業の実施と対処
 7薬剤師職能の権威づけ
 8再販問題
 9卸機能の再認識と大型化移行への対処
 10販売姿勢に対するメーカーへの要望
 等々であります。

 これらのいずれをとり上げてみても夫々に大きな問題を含んでおりますが、各層は立場が違ってもそれらの一つ一つについて試練に耐え、打開への熱意と努力を重ねて業界のため、社会のため、引いては我が国の繁栄のためにという社会的使命を深く自覚して新たな決意をこめた万才三唱と拍手が会場一杯に高らかに鳴りひびいたのであります。といったようなことが、今年の第二十回の神農祭風景でありましょうか。

 ともあれ、こうして考えてみますと、今年も依然として引続き薬業界にとっては極めてきびしい年のようであります。しかし私共は、これらの難問題に対し勇気をもって立ち向い、とり組まなくてはならぬと思います。各層相互の信頼と協力により医薬品の価値を再認識し、薬業界繁栄のため惜しみない努力を続け各位の弥栄を祈念致す次第であります。

 剤界・業界の5問題 隈 治人

 一九六八年の剤界および医薬品業界をふりかえってみると、まさに大変な年だったという気がする。僕は日薬雑誌の一月号に、新年随想の執筆を求められ、そのなかで「一九六八年は剤界・業界にとって戦後最大のヤマ場を迎えることになろう」と書いた。この予想はまさしく的中した。それは「戦後最大」どころの話ではなく、剤界・業界の全歴史を通じてまさに「最大」のヤマ場にさしかかった、という感じだった。いまここで小売薬業界にとっての重要事項を改めて列記しておくことも、決して無用のことではないだろう。僕たちとしてはこれらの事項をハッキリと頭のなかに刻みつけ、ひとりひとりが業界人、剤界人として対応する道を探求し、かつ実践するということでなければなるまい。

 (1)医療制度抜本改正の問題
 (2)医薬分業の問題
 (3)大衆薬の定義の問題
 (4)要指示薬規制の問題
 (5)再販規制の問題
 (6)公正競争規約の問題

 この六項目に尽きるといってもよいし、またこの六項目はすべてそれぞそ分離独立しているのではなく、微妙に関連し、からみあっているわけである。これらの諸問題について将来の展望を主体に私見を述べてみたい。

 (1)医療制度抜本改正の問題

 この問題を真正面から攻めることは、あまりにも間口が広すぎるから、剤界業界に直接関係のふかい事項のみについて採りあげる。もともと抜本改正の意向は、大蔵省が発想のいとぐちを作ったものと理解しても誤りはすくないと思う。政管健保の赤字は「第二の食管会計だ」だ、ともいわれ、大蔵省はこれを何とかしなければという気持に早くからなっていた。その考えが端的ににじみ出たのが(一昨年の秋ごろだったと記憶するが)いわゆる保健薬を健保給付の対象から外したいという大蔵省の意思表示だったのである。

 念のためにいうが、それが抜本改正構想の「走り」だったのである。つまり「赤字解消の方途」即「健保給付薬剤の削減」という思想からスタートしたのであった。日本医師会、特に武見太郎氏が「くすり」を異常に重視し「医師会が薬を独占支配する」という激しい攻勢に出て来たのは、戦闘における「攻撃こそ最良の防禦」という原則を、医師会の「経済防衛の戦い」にそのまま適用したものに外ならない。

 このような因果関係の図式をまずわれわれは了解して置く必要があろう。医療制度の抜本改正で、剤界、業界がまず主張すべきことは、当然のことながら「国民と社会のため」の改正でなければならず、それも「法衣の下にヨロイをちらちらのぞかせる」ようなエゴイスト流のマヤカシであってはならないと思う。学術を名として医療体制の独占支配と経済の暴力的収奪を狙うような企図もあるやに聞くが、そのような不逞のヤカラに天罰がくだったとき、一蓮託生の悲運に泣く結果となろう。それは必至だと僕は見通している。

 われわれは境遇として奢れるものの立場では決してないのであるから、ゴウ慢で世の中をナメているような人たちに追随するが如き猿真似は潔く放棄すべきだと確信する。まず現代の医療に対する社会的、国民的要請に応えることから出発せねばならない。それは何かというと、まずがん、心臓性疾患その他の成人病、次には精神病、身障疾患、さらには交通災害という重要傷病に対する医療の急速な進歩発達が、喫緊の課題として要請されているということである。

 これらの傷病に対する研究や、医療体制の整備のためには実に莫大な「物量的」「国家社会的」投資が必要とされるのである。近時保険医療費の物量的膨張拡大が問題にされているが、経費自体の数量もさることながら、もっと重要なことは医療の質の問題であろう。物量的医療費の拡大がその質を向上しながら、従ってそれなりの成果を積みあげながら現象しているのであれば、国民としてもそう文句をいうことはあるまい。しかしその膨張が、中等度以下の傷病のために費消され、あるいは軽傷病へのムダづかいの方に水増しされているのであれば、それは当然医療の不経済として指弾されるべきであろう。そこの処に医療関係者はじっと眼を据えるべきである。

 むろん医師は医療の直接責任者の立場から、公的な巨視的な視点を確保すべきであろうし、その他の医療関係者も薬剤師をふくめてすべての当事者たちが真剣に考えるべき問題だと思う。つまり縄張り争いの次元を「しんじつ」越えるべし、という考え方であって、他人は知らず薬剤師だけでもそうあるべきであると僕は主張したい。医療についての責任と発言権をまず確保する姿勢が大切である。その地点から大衆薬の問題も要指示薬の問題も、また薬剤師や薬局や、さらにその他の薬事担当者の責任と職能の意義がムリなく改めて正当ににじみでてくると思うのである。このあとをくわしく書きたいが紙幅に制限がある。ここの処はひとつ読者諸賢にそれぞれ熟考していただくことにして次の項に移ることにする。

 (2)医薬分業の問題

 前記のように医療制度の抜本改正について、健保薬剤費の増嵩を抑圧すると共に、その削減を狙う発想から提起されたことが疑いを容れぬ事実であるとき、医薬分業の構想が必然的に脚光を浴びてくることは自然の勢いというべきだろう。

 こうして剤界は一応分業の漸次「情勢的」に成熟してゆく基盤を、むしろ「他動的」に手に入れたのであった。薬剤師七十年来の悲願が、このような成行で俄かに、稔りの秋へ進んでゆくことになったのは、日本の民主々義が敗戦という不期の異変を契機として、その一人立ちの場を、かつての敵国から提供されたことと、或る共通点があるのではないだろうか。「与えられた民主々義」と同じようにそれは「与えられる医薬分業」といえるのかも知れない。

 しかし戦後の民主々義にした処で、それは決して座して大口をあけ、天井からのボタ餅を待つようなことではなかった筈である。だから「与えられる医薬分業」にしても、われわれはそこに駆けより、それをしっかりと握って、ちょうどうまれたての嬰児を懐に抱きとるように、それを育て成長させる準備をしその実践力をいまから着々と身につけていかねばならないであろう。それは当然の責任というべきである。そのような決意が、日本の開局薬剤師のすべてに要求されるのだと思わねばなるまい。

 そのような時に、武見氏の「郵便局隣公営薬局論」や「医師会と製薬企業」「医師会と卸」の結託による「現存薬局疎外構想」がひそかにもくろまれつつあることは大いに警戒を要すると思われる。武見氏の郵便局隣公営薬局論は、それ自体建設的ではなくまた実現不可能のフロシキにすぎないと僕は判断する。それは分業の実現をできるだけ遅らせるための時間かせぎの小道具につかわれようとしているにすぎない。

 これについて自民党医療懇の小委員会の一部のタイコモチ代議士どもが、その痴呆ぶりを恥ずかしげもなく天下にさらした醜態は、おそらく後の世までの語り草、お笑い草になることだろう。しかし医師会と製薬企業との結託、あるいは医師会と卸企業との結託による現存薬局疎外構想は、郵便局接着構想のようなお笑い草ではすまされぬものがあると思う。事実、このひろい日本のどこかの隅では、利欲にさとく、謀略に長じた一部のメーカーや卸しが、ひそかに医師会と機脈を通じ、着々と欲望の舌をみがいているかも知れない。

 彼らはウソを流暢(りゅうちょう)にしゃべり、デマをくりかえし、お人好しの多い現存薬局を思うままに攪乱し、裏がわでは赤い舌を出して嘲笑する手合いであり、しかも彼らは、われわれと同じ現存薬局の一部の低能なくせに欲の深い野望家を巧みにタブラカスため、全力をあげて、旦那であるメーカーなどの金やモノの恩恵に手厚く答えようとする。低能なものであるから、その点はよほど用心しないとしてやられる。

 いまは潜在的であるが、情況によっては、また現存薬局があまりにも無気力でかつ無能であるときは、製薬や卸しの分業くいちぎり作戦が顕在化する可能性があると判断しておかねばならない。それほど現存の小売薬局には、ウブ(無智)で、ダマサレやすいものが多いことを過去の経験に照らし残念ながらみとめざるを得ない。

 しかも悪い奴の手先どもが、東京や大阪や京都や名古屋のような大市場に相当の勢力を張っていることも問題である。決して楽観できる実態ではないのである。剤界はいざ知らず、業界は過去において一応ならず自らの手で、自らの防衛や向上の芽をつみとって来たように僕は思われる。もしこれから「分業はメーカーに任せた方がいいですよ。それが小売の利益になるんですよ。任せて下さい。きっとわるいようにはしません。」などというものが現われて来たら、それはダマシヤの出現であると思ったらいいと思う。そんなことは絶対に起らない、という人が多かろう。いまの処可能性は弱いが起らないとは限らない。念のために記しておきたい。

 分業の邪道は、それを以て利欲の糧とするためのいろいろな勢力によって計画されていると思わねばならない。事態は決して楽観できないのである。だが分業の本道はあくまでも現存薬局の「医薬担当体制」への参加以外には、あり得ないのだ。僕はさまざまな懐疑説や悲観論や無関心ムードのなかで、自らの欺むくような自家撞着にしらずしらずに陥ることをこそ、最も警戒しなければならない、と思う。

 とにかく開業医(歯科をふくめて)が処方せんを書く。患者はそれを持って近くの(医院か、または自宅から)薬局にゆき薬をうけとる。この単純な方式が医薬分業の唯一の正道なのである。それがアメリカでも、ヨーロッパでもいま現実に行われている医薬分業なのである。だから薬局は調剤と供給の能力を持たねばならない。それは一〇〇lの能力でなければならない。そしてそれはやる気さえあれば可能なのだ。処方せんを発行させることは個人個人の力では、いまの処近隣の歯科だけにしか望めないがそれを着々やらねばなるまい。いまからでも遅くないからやる。そして漸次、遅くも一九七三年までには完全分業を実現させる。いろいろウヨキョクセツはあるだろうが、何としてもこれを実現しなければならないのである。そしてその可能性はいまや充分にあるのだと思う。

 (3)その他の問題

 (1)(2)の問題で筆が走りすぎ、余白が乏しい。以下要約的に書く。大衆薬の定義については日本医師会の干渉を、総力をあげてはねのけなければいけない。絶対に現状を圧縮してはいけない。分業になっても縮小する必要はない。むしろ現状を維持することが国民の軽傷病の治療をふくめた健康管理のためにも、また国民医療経済の正常性維持のためにも、共に必要でかつ重要である。いわゆる「買薬」・・・金を支払ってあがなうことは、経済の正常を維持する最良の方法である。タダがムダをうみ、いつのまにかムダがタダを法外の高値に仕立てていく。保険医療のオトシアナがここにあったのだ。いまごろになって国民はそれに気づきはじめている。遅すぎたのである。

 要指示薬制度は当分の間廃止せず、洗い直すべきである。提案の第一、性病予防用の抗生物質は薬剤師の学術的判断に委ね、指示外とすべきである。提案の第二、抗生物質のうち、トリコマイシンとグリセオフルビンは削除して自由販売とすべきである。提案の第三、抗生物質の眼科用、耳科用、耳び科用も自由販売とすべきである。提案の第四、サルファ剤はすべて自由販売とすべきである。提案の第五、法第四十九条の順守以外の事務、取扱、保管などについての行政指導や規制はすべて取消して白紙に戻すべきである。以上の理由は、本紙の読者には明らかであろう。

 再販制度は物価問題では絶対にないことを、大学の経済学の「教え屋」や、改革新政党や、消費者団体はもっと正常に認識すべきである。大学の「教え屋」がアメリカのスーパーマーケットを買いかぶりすぎることはあやまりである。「教え屋」は実際家ではないから、身のほどを知るべきである。革新政党は中堅以下の小売薬業にとって、再販の廃止やきびしい規制が、生活権の侵害になるという事実を、小売薬業界の切実な経験に徴して、理解してやるべきである。メーカー征伐を名として、哀れな小売いぢめを強行するべきではない。革新政党が何のために失業政策を強行するのか。それは労働者の賃金カットやクビキリに等しくなるかも知れないという、重大な脅威の押しつけになっていることを自覚すべきである。そうでないと革新政党は国民に見離されるだろう。ジャーナリズムも、もっと庶民のことを親身になって考えてやるべきである。主婦連は要指示薬問題で「大衆からクスリをとりあげる」陰謀に加担した。その浮薄さを深刻に反省し悔悟すべきである。

 公競規約は小売のために小売自身に考える余地がある筈である。メーカーの利害など第二、第三の問題だ。差別対価の撤廃と中堅以下の薬業の価格競争力の恢復や確保は、年来の宿願ではなかったのか。その可能性を探求しようという気持が何故出てこないか。不思議な気がしてならない。

 それよりも、もっと不思議なことは、公競規約反対のメーカーよりも数倍に熱心に、声を嗄らして「問答無用、詮議無用」式のはげしい反対運動が、小売の一部からくりかえされていることである。これが小売業界の悪性の病原菌なのではなかろうか。分業についても邪魔をする奴らは、こんな手合ではなかろうかと、僕は思う。(終)

画像  薬剤師をめぐる諸問題について =座談会=

 鈴木調査会がまとめた医療保険制度の抜本改正案の発表も総裁選で延び、更に大臣の更迭に伴う人事の異動、加えて業界には要指示医薬品取締り強化等、昭和四十三年の終りにのぞみ、洵に容易ならぬ局面を迎えたと思われる。時局がらそれぞれ指導的立場におられる在福の諸先生にお願いして十二月五日時局座談会を催し、「薬剤師をめぐる諸問題」についてご意見を伺い、新年号に掲載することとした。

 当日出席された諸先生は左記七氏で、工藤福岡県薬剤師会専務理事が司会、たまたま来福中の隈治人氏(長崎市)には特に出席をお願いして、経済面のご意見などを伺うことにした。

 出席者(順序不同)
 四島 久氏  福岡県薬剤師会長、日本薬剤師会常務理事
 工藤益夫氏  福岡県薬剤師会専務理事
 竹内克己氏  太田製薬西販株式会社社長、前日赤病院薬剤部長
 柴田伊津郎氏 福岡県薬剤師会DI委員会委員長、開局
 福井正樹氏  福岡県薬剤師会理事、済生会病院薬剤部長
 大庭 寛氏  富田薬品株式会社勤務 前福岡県薬務課技術補佐
 隈 治人氏  全国医薬品小売商業組合連合理事、長崎県小売商業組合副理事長

 ◆薬剤師とは現在の姿

 司会 本年も余すところ少く、明昭和四十四年は明治百一年、薬剤師会にとっては七十六年目を迎え、分業にとっても非常に重大な年と考えます。振り返ってみると終戦後日本は苦難をなめたわけですが、経済界の急速な発展に伴い、神武景気、仁徳景気或いは最近のいざなぎ景気とかを経て、国家そのもの或いは産業経済機構など一般的に向上したわけです。

 私共の業界においても進歩はあったと思われるわけですが、薬剤師を中心として考える時、世界の進歩、経済界の発展などと同一に進歩発展してきたかと考えてみた場合非常に残念だと思うわけで、従って昭和四十三年を送るにあたり、いろいろの問題を振り返って明春からどうすればよいかと考えてみると、問題は非常に巾広く多岐に亘っているようです。

 かいつまみ薬剤師という問題と薬業界という流通経済の問題、さらに細かく薬局の問題と三つの点に大きく分けられるかと思います、これに付随して他にも問題があるわけでその点については後程付け加えてご意見を聞かして頂きたいと思います。まず第一に薬剤師の社会的地位が戦前に比し、上っているかどうか、終戦後から今日まで吾々の先輩、われわれが非常な努力を重ねてきたその努力が酬いられて進歩しているかどうか、われわれの進歩より社会の変転の方が遥かにスピードが早かったという懸念があります。

 それからまた薬剤師の数の問題ですが、或る時期には薬剤師は数を増やすことにより地位の向上を図れということがさかんに論議されて薬科大学等も新設され、収容人員も増加して薬剤師の数は七万を数え、人口比率からみるとアメリカを追い越して世界一となったが、この量を誇る日本の薬剤師が日本或いは社会のためにどれほど貢献しているか数と同時に質の問題、質を向上するにはどうすればよいかなど考えてみなければなりません。

 現在日本の薬剤師の五二%が女性であること、これは年々上昇するであろうこと、なお日本の薬剤師の二〇%が無職であること、このような点も大いに考えてみなければならないのでないか、また薬育の面でも薬科大学の六年制の問題、現在の薬学の化学偏重、臨床薬学の問題等も考える必要があるのではないかということです。現在の薬剤師はエリート意識はあるが、これに伴う誇りある実際的な行動が伴なわないとの感もあるわけです。薬剤師は現在どのような情況にあるかというようなことについて竹内先生どうぞ。

 竹内 非常にむつかしい問題ですが、簡単にいって薬剤師そのものが人間的な問題とは別に、現在日本の薬剤師を受け入れる機構が、全々整備されていない、だから薬剤師がいかにその枠の中でバタバタしても満足するようなことにはならないと思うのです、結局それをどうするか、具体的問題はいろいろの問題と関連しますが、薬剤師が本当に薬剤師らしい仕事の出来る機構を作るためにはず第一に医薬品の流通機構を薬剤師の手に取り戻すことが一番大きな前提と思います、医師会が代診制度を廃止して診療業務を完全に医師自らの手に収めたと同じように薬剤師も何らかの形で、この際本当に勇断を以って医薬品の流通機構を自分達のものにする自覚と信念をもってすべての問題に対決しなければならない、そうでないと薬剤師の今置かれている枠の中でどのように努力しても社会的に認められ、地位の向上はありえないと私は割り切って考えています。

 司会 なぜそのような社会的な環境が生れないのか、法的機構ができないのか隈先生。

  いろいろあると思いますが、まず第一に薬剤師の望ましい状況を阻んでいるのはやはり医師ではないでしょうか、それは分業問題でも証明できるわけで、外国では医師と薬剤師が協力関係にあるといわれるが、日本では対立関係にあるといわれてきた。対医師における地位の低さが社会的な低さにつながっているのではないかと思うのですが。

 司会 薬剤師の仕事は薬事法にあるように医薬品の供給と調剤が日本の柱として謳われているが、社会一般も、われわれ自体も或は医師も、薬剤師は芝居にたとえれば大根役者(それは必ずしも下手だということでなく何でもすぐできる意)と批評する人もあるが、何でもできる、間に合う、がこれというものがない、これが大根役者たる所以で、あまり便利過ぎて社会的に認められない誘因になり、ここだというキメテを推し進めた方がいいのではないか、これから薬剤師になる人のためにも薬剤師をも少し立派なものにしておくべきではないか、大庭先生お考えは。

 大庭 薬事法の問題もあると思うが、薬剤師法を国が作り、一体薬剤師に何をさせようとしているのか、調剤させるといっているが処方箋は出ず、学校で勉強したものを活かす場所がないということですね。生活のために物品販売をやる、そこには終戦後の医薬品の在り方が大いに影響しているということで、僕等が卒業した当時、薬剤師は分業でなくとも売薬を作るとか、調剤はなくとも一般大衆に薬を供給する技術的な余地があった、戦後の製薬業の発展からこれが無くなり、技術を生かす製薬会社の収容能力はわずかということから次第に薬剤師自身勉強を怠ったことも今日の状態を導いた、反省すべきことではないか、現在努力願っている分業になり、医療の一端を担うシステムにならねば惨めなことだと思う。

 司会 国にも手落ちがあり薬剤師自身の在り方にも問題があるということですね、先程から薬剤師の地位が低いのは医師との関係、制度の在り方などにもあると思われるが、製薬企業の在り方についても考えてみる必要があろうかと思うが、この点いかがですか福井先生。

 福井 いろいろな保障制度、保険制度に即応して、一番利潤追求のやり易い方法をメーカーがとっている、これに便乗した形で現在の医療が行われているわけで、その中には薬剤師の職能を生かす場所がないということですね、メーカーと治療担当者が直接現在の医療を行っている感じで、その間にDIとかわれわれの知識を医療担当者に提供はしているが、全くメーカーに振り廻されている感が深い、先程の地位の向上についても薬剤師本来の仕事が一般大衆に全々認識されていない、勿論自ら向上につとめるべきではあるが評価されてはじめて向上がありうるのであって、これらをいかに結びつけるかがむつかしい問題と思う。

 われわれの仕事は医師との協業の形であるべきだが、戦中、戦前は街の化学者という形で一般大衆に認識されていた。現在もそのようにアッピールしているかどうか疑問だが、こんなところにも地位低下の原因があると思うし又戦後の薬育の大量生産主義も低下の原因だと思う。

 司会 資本がすべてを支配しようとしているということですね、女子薬の増えるのは喜ぶべき現象かどうか、これと関連して薬科大学の教育年限、内容などについて柴田先生。

 柴田 女子薬剤師が増えるということは結局女で間に合うということが一番大きな問題じゃないですか、その点年限の延長は女子薬剤師の進出をおさえる一つの手段にはなると思う。女子の増加が女子の自覚からであるならば結構ですが、現在では嫁入り道具か腰掛け的なのが多いようですから、或る程度コントロールすることは資質の向上とも関連して望ましいとは思いますが、女子薬剤師が増えたから資質が低下するとはいえないが、結果的にはそんな状態になりつつあると思う。

 司会 考え方によっては勿体ないことで、相当の国費を使って教育したものが二〇%も無職ですからね、医師、歯科医師とも老令者が僅か二%くらい無職であるに過ぎない。現在、ヤングパーワーが大きく認められつつあるが、業界において若い人を如何に育てるか、若い人の力を如何に活用するかこういう点を竹内先生。

 竹内 結局現在薬業界はすべて資本力により牛耳られ、薬剤師も亦これに振り廻されているわけで何処にその突破口を求めるかが一番大きな問題だと思う。例えば制度品の問題にしても、そのものが悪いとは思わないが、これは薬業界の去勢策の一つとしかいえないし、私はどだいからこれが嫌いです、どこかに突破口を求める必要はあるが、若い人が如何に奮起しても今の機構のままでは突破する何ものもない。従って現在の状況の中でおのおのがそれぞれの立場で少しづつそれを変える努力をするより外はない。

 長い間病院勤務をしていて思ったのは、武見さんがいう現在の調剤はノリとハサミで事足りるというのは一面正論だと思う、ヒートシールばかり氾濫する中で、これだけでは困る、本当はこういうものでなければといったことを病院薬剤師の中で真剣に討議、製薬会社に要求すべきだと考える。そういった形で製薬機構をわれわれペースにする努力が必要だし、制度品の悪い面(制度品を全部扱ったら逆に経済面で苦しまねばならない)などは開局者グループの中で根本的に追求すべきではないか、ヤングパワーが自分達の将来の問題としてこのようなことと真剣にとりくむ態度を会の指導者たちは育成すべきではないかと思う。

  一寸今の話に異議があるのですが、制度品がメーカーの支配戦略だということは久留米の大会でも荒巻さんがいわれたんですが、現在の中堅以下の小売店では再販商法であろうとそうでない商法であろうと組み敷かれているんです、結局再販とか制度品の小売支配の意味は、大型店とか所謂プライスリーダーシップを小売がとろうと考えている者にとっての一つの自衛体制であると私は考えている。零細店(吾々なみの小売)にとっては再販であろうと制度品の組み合せで乱戦を避けているわけで、再販とか制度とか本当の意味は大型店支配にあると考えています。

 竹内 私がいいたいのは、一月にコレコレという枠ですね、零細店はついて行けないで取り残される危険性が多分にある、このような問題をどう解決するか、とりくむかということです。

  その点についてわれわれはセット廃止、ノルマ廃止、抱き合せ廃止等或る程度は盛り返し、自主選択をやって無理なものはボイコットする等やっています、これは戦いです。

 竹内 そういったことを薬剤師会が指導して、若い力を動員して取り組まねばならない。

  それは同感です。

 大庭 先程のヒートシールの問題ですが、医療もインスタントになったことは大きな問題です、その間に非常な無駄があり、ビタミンなど非常に重複する。

 柴田 今後出て来る医者は全部そんな方法しか知らないのではないですか。

 大庭 すると薬理学の勉強はどうしたのかということになる、医療は結局メーカーペースで、薬剤師は医薬品を供給して売買差益をとる仕事だけで、商業学校でソロバンや簿記を習った方がよかったことになる。

 柴田 薬剤師がそう思うだけで現在の医者は出来合いを使う方法つまり錠剤投与しか勉強してないから今後ももちろんそうなるでしょう。

 大庭 薬剤師は今の十分の一位教育して製薬にたづさわり、薬局は危険性のないものばかり売れば、たばこ屋みたいでも弊害はない。薬剤師でなくてもよいとの理論が生れそうな気がする。又薬品名を指名して来る消費者に正しい薬を与える説得力や学力を店頭に立った薬剤師が持っているかと批判されたら本当に困った問題になると思う。メーカーは自社製品を売るために派遣店員を出し、専門的知識の関与する余地は全々残っていない。

  その説には一寸ひっかかるんですが、お気持は解るけれど分業が実施されていない現在の薬局における薬剤師の職能を過少評価してはいかんですよ。現在皆保険ではあるが医師にかからず(多忙や、薬局に相談して治療したい病気)特に軽い病気、怪我など充分治療の役割を果たしている。これについて厚生省も毎年調査、多い時は全傷病の四〇%、昭和四十一年は三三%もある、指導とは相対的なもので受付けない患者もいるが、医師よりも信頼して呉れる人も一部にはあるわけで、医療薬学などといわれる軽傷病の治療には力を尽している真面目な薬剤師も沢山おり、国民総医療費の経済に大きな貢献をしていると自信を持って言っていいと考えます、それをつぶしにかかっている、要指示薬の問題がそのはしりですが、軽傷病に対する吾々の役割は国民のために無くてはならないものです、だがここでもPRが行き届いていないけれどもね。

 大庭 開局薬剤師の牙城として考えられている販売業が将来はづされることを心配しているわけで、大衆薬を定義づけるならばおそらく昔の売薬法による売薬の定義になるでしょうね。

  大衆薬市場を守ることは薬剤師自らを守ることです、大事なことです。

 四島 薬剤師の地位が社会的に低いという問題は、ご意見のとおり、医療機関からハミ出してしまった。これが分業に関連するのですが、八十年間、時期尚早とか、政治性が弱いとか、大衆の理解がないとかいわれてきたが医療機関そのものが薬剤師不在のまま進んできた。その原因は社会情勢と同時に自らの力が足りなかったことも認めるわけですが、医薬の車の両輪の片方、つまり薬剤師が薬のすべてを受持つという医療態勢、制度が確立していないからですね。

 医薬品は薬剤師の手を通して補給される建前であるのに、メーカーと診療者が直結して一輪で進み、薬剤師という車はあるが廻転せず、大衆の軽症の相談受ける僅かな部分だけに追い込まれしまった。その面が全治療の四〇%といわれるが金額にすればおそらく二割位と思う、だから価値も低くなった。

 病院薬剤師にしても技術分業が確立しているとはいっても、大部分が医師の助手として投薬業務にたづさわっているだけで、完全に分離独立した対等な医薬協業の姿とはいえないと考えられ、医療制度の中でいらん者扱いされ、悪循環を重ねて今日に至ったと思う。そこで医療制度そのものを抜本的に建て直して薬剤師の在るべき所に据えることが今日早急な問題だと思う。

 八十年失販した原因を反省すると、自らの力の不足と、自らの向上の努力不足と二つあると思うが、人間は、いらない者であるという現実を主体にして考え、なすことを知らず、犬が遠吠えするようなものですね。自らの向上も現況特に経済面からいえば必要にせまられないわけで、悪循環を続けて今日に至ったと考えます。われわれ自体の考えも非常に狭くなっていると思います。

 調剤の話が出ましたが、ヒートシールを切って渡すことは調剤でないと武見さんは云いますが、これは全く調剤という行為に対する認識がないもので、調剤即処方調剤、つまり(乳鉢でまぜることだけでなく)薬を投与することが調剤の大きな意義であると考えます、例えばAという薬を投与する場合、本当にAであるか、或は変質していないか、時には鑑定も必要であり、兎も角全責任を以って与えることで、切ることは調剤の手間である、軽量調剤ならば薬を混ぜ分配するまでが調剤で薬を包んで渡すことは調剤手間なんです。

 武見さんはこの面を混同しているわけです。いづれにしても医療からハミ出した薬剤師が営業の面でのみ(これは薬剤師の仕事の一部分ではあるが)一生懸命血途をあげているのが現在の開局薬剤師の環境ではないか、これを脱却して本筋に立戻るにはどうすればよいか、これが当面の問題です。

 福井 医療制度のゆがみから医療に従事する者の社会的な位置づけがなされていないところから、医師も薬剤師も本当にまともな活動が出来ていない現状で、技術料の代償を薬中に求めるからメーカーに振り廻され形になる。女子薬剤師の無自覚な名義借しは又同じ薬剤師の足を引っ張ることになり、地位の低さにつながっている。薬剤師自身も反省すべき点が多い。

 司会 昔から「認めてはじめて存在にいる」といわれますが、薬剤師が存在価値を認めて貰うためにどんなことをすれば大衆にアッピールするか、職種もいろいろですが、特に現時点で薬剤師はどの方面に延びてアッピールしたらいいか柴田先生。

 柴田 薬剤師の職能を一般の人に認めさせることは一番大切なことですが、そのためにわれわれが実際に薬学とか、臨床薬学とかの言葉で表明されるようなことをいくらやっても現在では経営にはプラスしないが、一般に認めて貰うためには医薬品に限らず、食品衛生、環境衛生、衛生検査などの台所化学、暮しのあらゆる化学的な面のコンサルタントであるような勉強と心構えであれば認められる機会は出てくると思います。

 司会 与論といっても対象としては、例えば主婦連とか、○○クラブとか、或いは特殊な団体か、何が一番大切でしょうか。

 柴田 われわれの情態からすればまず主婦ですね。

  私はこれに非常に関心を持っていたのですが、やっぱり一番狙うのは日刊紙だと思います、現在われわれを支持して呉れるのはお客さんだけですよ、これは有難たがって呉れるし、信頼して、われわれの知識、学識を認めていますよ。ところがまず新聞、NHK、医師会、医学者、消費者団体、社会党関係など全部認めてないですよ。主婦連などは日刊新聞の社説を読んで自分の行動を決めるのだそうです。まず一番影響力のあるジャーナリズムを握らねばいかんですよ。この点日薬としてはすごく重量のある仕事だと思います。

 四島 日薬の話しが出ましたが、私は逆に考えています、沖縄返還と同じことで、医療からハミ出した者がこれを取り戻すのに一般の味方を取り付けることは力関係になる。昔の言葉に「そのしようにあらざればゆうを得ず」とあるが、馬鹿息子でも社長の座につけば社長になれる。社長としての発言が強くなる、と同じことで、まず医療機関の一員だという地位を早く確立する以外に方法がないと思う。

 与論の力を待つことは実際問題として百年河清を待つですね、だからその座に強引に座り込む以外にない。新聞とか世情におもねることをやっても、まともな方向に正義というか、百万人われ行かんというような新聞もないし、又云っても見向きもしない、好ましいことではないが、権威あるものが言った時始めて通るのが実情だと思う、われわれの本来の機関に割込むことの方が早道だ、でないと悪循環になる。

  だからそれを容易にするために与論のバックアップが必要だ、薬業経済についても医療についても話し合えば解かって貰える。その点全々接触しないから一方的にやられてしまうのですよ。

 四島 国が必要とする、又一般大衆の期待に答え得る薬剤師が現在何%いるか、悪循環で去勢されて学術的な勉強より経営に追い込まれ(勿論好んでではないが)先日も或る医師の集りに薬剤師の出席を求められたが、仲々出席したがらない。その時は一人の薬剤師が出席して効果をあげたのですが、会の方針として、このような場合、堂々といける情態に(例えば福岡市に三〇人か五〇人学識豊かな専門家のグループを作って)して或は主婦の集り等に進んで行ける態勢にしたいと考えています、勤務、開局の中にも沢山おられますから……、そして一方薬剤師不在の医療を、在の機構に改める努力も進めねばならないと考えています、柴田先生あたり、この衝に当って貰わねばなりませんね。

 竹内 医薬品の流通を薬剤師オンリーに戻すことが根本になります、その整理をしなければ何時もハミ出します。

 四島 西ドイツでは薬局を通じて出る医薬品が九九%だそうで、病院にも薬剤師、薬局を通じて行なわれ、僅か一%の直結の場合があるだけだそうです、何処で悪循環を裁ち切るかが問題です。

  それはよく解りますが目標は、達成する方法をキメ細かく考えねばいけない、一度でも例えば医薬分業の問題を国民のためだとジャーナリストと話し合ったことがあるかどうか、これは大切なことと思いますよ。

 四島 十年前の分業斗争の時、分業をめぐって、医師会とわれわれと新聞社と討論会をやった、ところが全々記事にしなかった、あの時も理論的には医師会が負けましたからね、それ程医師に遠慮するのか、政治力なのか。

  日薬は今後この方面を大いにやって下さい。

 四島 それは現に行われていますし今後も行います。最近では医師に対する批判も新聞や放送に相当出るようになりましたね。

 司会 薬学の面、薬局の面でも薬剤師は一般的に消極的だといわれます、例えば水俣病の問題(これだけ世間を騒がせた)は熊本大学が取扱ったのですが医学部オンリーで、薬学部は分析一つこれに参画していない。幸い今回のカネミのライスオイルの件では九大医学部が中心となり薬学部、農学部、工学部が総力をあげて原因糾明に尽力したが、これは良い例で、熊大の場合が普通の例です。薬剤師の消極性を何とか考えねばいけないようです。

 四島 今回の油症問題で有機塩素説は薬学部が結論を出し、塚元薬学部長がテレビに出ておられたがこれ又薬学部が結論を出し、塚元薬学部長がテレビに出ておられたがこれ又薬学部が結論を出したとは一言も云わなかった。薬学が如何に貢献しているかをPRしなければいかんですね。

 司会 サンデー毎日に詳しい記事が出ましたが、薬学部の名だけは出ておらず洵に残念なことです。

  薬学部と医学部は同じものと思っているのではないでしょうか(笑い)

 竹内 大体そんな感覚です。薬学部は医学部に付属するものだと思っている。

 四島 やはり機構上の問題ですね、薬学部長が学長になれば少しは認識されるかもしれないが。

 司会 薬剤師一般については以上で終ります。

 参考までに司会者は、出席者の後継者について薬剤師を志望して進んでいるかどうか質問したが、これに対し大体男子は法律、経済に進めるのが多く積極的薬剤師にしたいと考えている人は一人もなく、一方女の子の方は薬剤師志望が多く、開局の後継者については子供の意思によると消極的な人が多かった。その中で特に四島氏は薬局の経営というものは薬剤師のものでなく、薬剤師は技術者と心得ていると、又実際問題として経営と技術とうまく両立させ得る者が今の開局の中に何人いるだろうかと…。

 ◆町の薬局とそのすがた

 司会 これから小売薬局を中心に流通問題などについてご意見を伺いたいと思います。まず小売薬局は将来存在の意義があるかどうか、現在の開局薬剤師は医療人として存在するのか、二兎を追う者は一兎を得ずともいうが、存在意義の確立が必要でないかなどについて竹内先生。

 竹内 医療機関、薬局の問題は所謂パパママストアという形で存在価値があると思う、小売薬局が経済的に発展して大企業として相当な売り上げをするよう努力することは無駄と思う、現在のように利潤が低下してくると、余程場所的、地理的に有利でないと日商何十万と売り上げることはむつかしい。むしろ薬剤師夫婦と女の子一人位置いてやる形の中で医療人としての在り方、存在価値があると思う。

  医療人とか経済人とか分離することは適当でないと思う、すべて経済行為です、だから薬局も経済行為であり、医療行為で、これは両立しなければいけない。小売薬局は現在危機感を感ずる情況にはあるが、依然として永続すると思う。世界の中で日本だけがこんなおかしな恰好のままであるはずがない。諸外国のようになさねばならぬと思います。

 司会 理想と現実は必ずしも一致しない、現実は深刻です。薬局の将来のあるべき姿、理想像について大庭先生。

 大庭 役所の窓口からばかり見ていて本当の事はよく解りませんが、処方調剤を捨て販売の面だけに徹するならいいが、医療の一端を担う方向に向うならそれ相当の設備も残し、勉強も続けて受入れ態勢を整えて置くべきではないかと思います。

 司会 柴田先生どうでしょう。

 柴田 そんなふうに分けることは薬種商がいう「薬剤師は調剤を、販売は吾々が」ということになるのではないですか、勿論それは反対です。

 四島 医療機関の一端としての薬局の経営は「医業と薬業」の薬業であるから医療の一端としての投薬、これが大部分を占めなければならぬが、医薬品の補給の面も消費者は手離させないでしょうね。アメリカでもドイツのような完全分業の国でも総売り上げの三分の一は自由販売、医療の一端を担うところから消費者は買いたがると思う。別に販売だけの商業スペースの店も相当できるでしょうが、薬局から販売業がなくなることは将来も在り得ないと考えます。それが消費者に対しての親切です。

 柴田 実際に医療機関として存在価値がなかったら薬学に進まずむしろ経済を出て、免許ということで薬剤師を雇傭することになります。

 司会 現実の問題として薬局の経営は医薬品の一般供給が大きなウェートを占める。しかし将来の理想像を実現するためには現実の姿をそのまま推し進めたのでは理想に近づかない。現実は経済ペースであっても将来の分業に備え、エネルギーをこれにも過分に注入しなければならないということのようですね、これについて隈先生。

  エネルギーの論議ですが充分に分業に対するエネルギーはまだ出し切ってないわけで、もっと出せるし薬剤師会は引出す努力をせねばならない。薬剤師の質について懐疑的な発言もあったが、中にはおかしいのもいるが、医師でもそれは同じで、勉強する人、意気盛んな人、教養ある人も沢山おりますし、今からも出てきます。僕は決して悲観していない、分業のためつっぱしらねばいかんと思います。

 司会 先程から薬剤師会はとの発言ですが、これを構成するのは会員ですから、各自の盛り上るエネルギーが集結して会に表われるですから各位もその熱意を盛り上げねばならないと思います。

 四島 分業の暁に備えて販売に励み、経済的に有力になるのも一理あるが、医療薬学の面を再勉強して大衆の信頼を得る薬学の権威者になる努力をすることが受入態勢の根本だと思う。構造の整備や備蓄は金さえあれば一晩でもできるが知識の方はそうはゆかない。分業になれば儲けものだと分業の傍観者が多ければおそらく分業にはならないと思われるし、形の上で与えられても自ら崩してしまうのではないかと惧れる。今迄の悪循環から脱却して自ら努力することが出発点だと考える。商売もジャンジャンやって貰う反面資質の向上にも目を向けて貰うことが或る意味では商売のプラスにもなると思う。

  会員個々は勿論そうあるべきですが、大事を遂行するのは第一線の少数者で結構だと思います。金を出す者は協力者と見ていいと思います。

 四島 金も出し、知恵も出し、自分でも努力する、総力を結集するとはそういうことだと思います。

  勿論そうですが実際にはやっぱり第一線の精鋭が働かねばいかんです。

 四島 勿論そうですが、戦意を削いだり、足を引っぱるだけではいけない。

  勿論です、戦闘部隊と銃後とあるのですからね(笑い)。僕は第一線で戦う人間だと思っています。

 福井 薬剤師であれば全員協力すべきであると私は考えている。現在分業に関心のある薬剤師は、全薬剤師の約四〇%(開局二〇%、病薬一九%)位であるということにも問題がありますね、メーカー勤務の薬剤師など最も認識が薄い。分業になってからも現実にはいろいろむつかしい問題は起るでしょうが、とも角一応山に登らねば話にならない、それ以後のことはその時点で考えるべきであると私は思っています。

 司会 分業を推進するためには資金がいる、資金を出すためには大いに頑張って頂いて注いで貰い、将来に夢を託すということになりますね。

 司会 現在の薬局が次第にピンチに追い込まれているということ、これを救うにはどうしたらいいか、これは隈先生専門だから総論的に纏めて話して下さい。

  第一に大衆薬市場の防衛が問題と思います。再販も物価問題にすり変えられていますしね。当面やはり分業と同じ位の比重で大衆薬の問題も考えねば危険です。まさかとの安易な気持で傍観することはいけない。経済問題についてもやはり無理解者が多いわけです。再販についても物価問題ではなく、物価問題に加担した人々の点数稼ぎです。各党がやっているのも票につながる人気稼ぎだし、消費者団体がやっているのも売名行為であり、本当に大衆の経済を考えてやっているのはむしろわれわれであると思います。こんな点もPRする必要がありますね。

 ◆完全分業を期せよ 日本の医薬分業を

 司会 分業の問題にはいりたいと思います、分業も明治以来八十年、極く最近武田会長が日薬会長になり、分業促進本部を設置、今年二月には職能推進本部に衣替えをし、最近は推進同盟と機構を替え、進んできたわけですが、三年後、或は五年後に一つのレールを敷くということで、並々ならぬ努力が必要だと考えますが、資金の問題は別として医薬分業というものに対してわれわれは理論武装をする必要があるのではないか、日薬においても分業だ或は協業だといい何辺に根本理念があるのかこれが一つ。

 医薬分業とはどういうものをさすのか、これがハッキリしていないため、それは分業でないとか、いや調剤でないとかケチをつけられるし、自分自身でも定義付けがなされていない。こんなところにもわれわれに対する大衆或は医療関係者の批判の根元があると思います。武見発言も日薬がこの定義を持たぬがために批判が出てくるのであって、これは是非必要なことではないかと思います。分業は定義づける必要があるか、又定義づけるとすれば何か、というご意見を竹内先生。

 竹内 日薬が分業について理論を持たないことを前から私も考えていました。又武見さんの発言の中にはオーバーであったり、癇にさわることも沢山あるが、勉強してあれだけの抜本改正案を作り上げたことは参考になるし、決して見下してはならないと思います。分業が必要であるということは勿論われわれも理解すると同時に大衆が理解する形でなければならない。大衆に一番ピンと理解されるのは経済的な問題だと思います。大衆特に知識層は医師から何を貰うか不安で、薬剤師の方が専門家だから信頼出来ると考えています。

 だが流通機構の中で一つ段階が殖えるため当然負担が殖えはせぬかというのが大体の声です。これを薬剤師自身も頭を整理して今の片寄った医療費の一半を得るため合理化するのだと正しく理解し、一般にも啓蒙する必要があると思います。

 四島 私は薬剤師があるから医薬分業にとの理論でなく、医業と薬業を分離せよということは、医師が診断をして投薬行為までやることは好ましくないという根本的な問題からそれを防止するため診療業の中で医術の面と薬業の面を切り離せということで、薬剤師が生れたのだと思う。これは経済問題につながるが、根本理念は医と薬を兼ね行なうことは弊害があるからということが本則である。

 一同 そのとおり……

 だからそれを啓蒙してどんな弊害があるか提起しなければならない。それは両者が協業することにより医療が向上し、両方とも進歩することが将来国民の福祉につながるという根本理念だと思います。

 司会 識者に対しては理論的に、大衆に対して経済的なメリットで、われわれ対内的には今迄の薬剤師であるからという天職的、使命的理念でなく、経済面も加味したものも考えねばならないと思います。

 四島 観念分業から現実分業へ、ですね。

 司会 分業とは具体的にどうすることか、ただヒートシールを切って渡すだけなら批判も出るわけで、系統的、理論的に武装して識者或は医療担当者に納得して貰い、保険行政官に対しては他のメリットを提供しなければならないと思いますが。

 四島 例えば診療所で応急措置的に直接使う医薬品の補給も薬剤師がすべきだという一つの問題(メーカーが直接すべきでない)と、医師が現に行っている投薬行為を全部薬剤師が行うべきだという二つの問題と思いますね。竹内さんの説のとおり医薬品の流通が一本になる。これが薬剤師の特権だと思う。

 柴田 医師に対する薬剤の交付は昔は薬剤師がしたものですね。

 竹内 医薬品の流通を薬剤師の手に収めるということは処方調剤も勿論含んでいます。

 四島 医師が患者に注射したり、その場で与えるのは医師の消費で、三日分等渡すのは一種の販売行為で、現行は経済的にも理論的にも間違っている。

 大庭 法制的にはそういう形であるが経済面でゆがめられたのが現行ですね。

 四島 分業になればこれこれが消費者の利益になるとはなかなか云えないから分業にならねばこんな弊害があると啓蒙する方が早道だな。

 大庭 何かわからないで金を支払うのは現在の経済上薬だけでしょう。ドイツでは何の薬か、何に効くか聞かねば貰わない民族性があるようですね。

 柴田 日本のは全く秘密治療です。

 大庭 何を飲まされるかわからないから証拠に持っておくのが処方せん。

 四島 それが弊害につながる問題ですね。

  だから民衆に経済性のメリットだけでなく、安全性、経済性合理性の問題とがあり、医療の開放ということで既に座談会、懇談会等で要求しています。彼等はまず経済性から、例えば計量が足りないとかいうでしょう。あれと同じで百円の薬を千円取られていないかと心配なんです。分業になればそれがチェック出来るわけです。

 四島 昔のお稲荷さんを拝んだ医療から脱却してるのだから、医師自ら投薬行為をするのは或る意味では拝んだのと同じことなのに。

  やっぱり安全性と合理性ですね。安全性については国民は不安に思っていますからね。

 四島 いや盲信しているようだから処方せんを貰わない。

  決してそうではないがただ社会的に躾けられてきたからですよ。だから安全性のメリットを強調することで大いにゆらぐ可能性がありますよ。経済面でも武見氏は分業になれば医療費が高騰するとPRしているけれどもこれは逆です、医薬品の使い方は減ることはハッキリ言えることで、医薬品の乱用は医師が最もひどい。

 四島 その弊害をPRすべきですね。

 四島 対内的な問題であるが、薬業界の中で分業に反対の立場にあるのが卸メーカーであるがよんどころないところがある。これをどこで調和するかが問題ですね。

 竹内 その点医師会の場合は同じ仕事だから目標も同じであるが、薬剤師の場合は製薬メーカーも大小、それに卸屋、小売、そのそれぞれがポイントの置き方が違うので利害が相反する。だが医薬品が薬剤師を通じ消費者に渡されることが確立すれば、分業についてもメーカーが二の足を踏む必要もないわけで、分業は賛成だが困るのが医師会、メーカー、卸でしょう。流通機構が薬剤師のものになれば病院薬剤師の地位も上り、経済ペースで事務が主導権を持ち安い薬を買い叩くことも解決するわけです。

 大庭 も一つの疑問は日本薬剤師の制度はドイツ式を採入れたが敗戦によりアメリカ式に衣替えしている。ドイツ式教育がくつがえりつつあるわけで薬制その他新薬の開発にしてもアメリカ式になることは結構だが、分業制度の確立している国の末端をそのまままねることにも困乱の原因があるように思う。

 司会 武見氏が処方せんを出しにくいという一つの理由に技術料が低いという問題があり、外国並に技術料を上げる問題、それから厚生省自体にも種々の矛盾があり、例えば保険局は医療費が上って赤字になることを抑制しようと対策を練っているが、国立病院を管理している医務局は(国立病院は独立採算制)病院が如何にして点数を稼ぐかを指導している。複雑怪奇ですね。

 四島 それも制度の不備ですね、それに技術料が低いからだけとはいえない技術料を上げると今でも国民所得から見ると世界水準を越していますからもっと上ることになる。

 大庭 医療費が払えないとさわぐのもおかしいが、無駄使いして保険料を値上げするのを被保険者が納得するかどうか、被保険者に分業論をPRしなければならない。負担するのは被保険者だから。

  医師にかかり現金を出さないからだまっているだけで、保険料は五年間に二・七倍になっている。こんなに上ったものは他にない。しかも一兆五千億です。

 四島 それを武見氏は来年一月から四兆に上げるというのだ。

  あれは△△だな、そうなれば医療亡国だ。

 大庭 英国でも今日の社会保障制度をつくるためには徹頭徹尾医師との争いであったということです。

 四島 鈴木調査会で話に出た今の一兆五千億の中に薬剤費が六千億で技術料が九千億、医療費の四〇%が薬剤費でこれは世界水準の倍だというが、武見氏にいわせると九千億の技術料が安いから四〇%になると。技術料を倍の一兆八千億にすれば世界水準並になると。一兆五千億は国民所得に対し四・六%に当る。武見論法で計算すれば二兆四千億で八%位になる。

 こんなことが許される問題かどうか、最近では技術料を値下げしろとの案も出て来た。今度薬価基準を下げたらこれに対抗するために医師会は完全診療月間を実施すると云い出し、方法はあらゆる検査、試験をやり稼ぎまくるぞ、医療費は四兆億になるぞとおどしている。逆にいえば今迄の治療は完全な治療をしていなかったと自から公言したことになる。

 司会 武見さんの発言も時々ボロが出る、最近の発言に開業医の三分の一は八卦見だと言っています。

 四島 健保連の人が云っていたが、武見氏があまり広範囲な保険の在り方まで云々するので、医師会としては良識ある医師程儲からず、迷う医師程儲かるしくみになっている。これでは適正な医療は行なえないと痛切に医師会内部で考えられているのであるから、これらの是正を対内的に研究して反映させるのが医師会の抜本改正に対する態度ではないかと…、そんなことは放っておいて一軒隣りの屋敷にきてあばれ廻るという在り方ですからね。

  武見さんは経済防衛をやっているんですよ。社会保障費を一番出しているのは西ドイツで国民所得の二〇%、日本は六%にとどまっているが、その六〇%が医療保障費です、ドイツの三分の一もない保障費の六割を医療費に使っている。だから一番困っている人のための費用が一番富んでいる医師の懐にはいっているといえます。

 司会 医療の混乱のもとですね。これを是正するには始めに出た日本の医療界を牛耳っている製薬メーカーにメスを入れる必要があるのではないか、企業拡張をやり生産過剰になるから、自由化の抑制という方向に向ったら救われる途があるのではないかと思われるのですが、貿易の振興ということをメーカーはどう考えているのでしょうか。

 竹内 まだ日本のメーカーは極端な技術貧困ですよ。結局外国で買って呉れるものはないですね。そこが基本的な問題です。メーカーの研究室の在り方が間違っています。テーマは研究室自体で考えるのでなく、外国の文献を翻訳してそれを中心に研究するのであって、従ってそこここのメーカーで同じものが一緒に出来上る有様で、独自の生産はたまにしかない。日本の合成薬品は従って製薬特許に踏み切れないのはこのためです。

 四島 初めはメーカーが元凶であったが、現在では医師に振り廻されて足が抜けなくなっている情況でしょうね。

 竹内 そこには又いろんな矛盾があり、一つの製品を出す場合、大学病院のデーターが必要で、これがないと薬事審議会にかけられない。大学には研究費がないからメーカーが負担する。それがないと厚生省に申請出来ない。必要悪ですね。全く悪循環です。

 四島 一億総懺悔しなければならないようですね。

 竹内 だから臨床データーが必要な場合は国立の適当な機関を作り、正常なデーターを出し発売するような形にならねば、大学はメーカーに飼い馴らされ、逆に大学で何か出来れば儲けのため発売させられるといった面も出て来るわけで、小さなメーカーは手も足も出ない。

 四島 すると狂奔する日本の医療界ということになる。

 大庭 初めから終りまで間違っている。

  結局は技術水準が低いということでしょうか。

 ◆要指示薬と取締強化

 司会 時間も大分経ったので要指示医薬品の問題に入りたいと思います。去月三十日薬務局長から薬事法第49条の要指示医薬品の取扱いを厳正にやるとの具体的な指示がなされたわけで、要指示薬については薬事法が出てから毎年定例的に取扱いについて通牒を頂いたわけですが、今回は特に酷しくやろうということで、この背景が何辺にあるか凡その見当はつくのですが、福岡県では今日から卸メーカー、小売全部合せ七回にわたり研習会が行われることになっています。これは法で定められているのですから法治国では遵法しないわけにいかない。或は今更必要ないとか、薬剤師の存在を否定することになるとか分業のためという厚生省、分業のためなら止むを得ぬとする日薬の考え方、或いは逆に分業を阻害するものではなかろうかなど意見がなされていますが、皆さんはどのような受け取り方をしておられるかご意見を。

 四島 今の発言の日薬の考え方ですが、分業に進むための過程として止むを得ぬとの考え方はありません。分業になれば解消する問題だといってはいるが、当面の問題として余りやり過ぎではないかとの意見です。ただ抜本改正を前にして厚生省と争いたくない気持はあるようです。

  われわれも悪かったと思いますね、この制度を運動もせず、法を破ることによって実際にそれを無視してきたことは……この制度の廃止を運動すべきだったと思います。

 これを完全に取り締まれば売るなということに等しいわけです。売る方法はあるから勿論売りますけれど、動機は主婦連が作り、医師会の批判も影響を与えたと思いますが、例えば性病予防一つとっても、抗生物質は自由に売れない。性病予防指示など医師がするはずがない。

 われわれは薬理作用、副作用など医者よりも詳しいわけで、性病予防ぐらいは薬局の薬剤師に指導させるべきです。そのような例外規定などを作るような運動をすべきでした。主婦連の攻撃は抗生物質中心ですが、サルファ剤などは洗い落とすよう運動し、抗生物質等は安全性も高い良質のものが出来たし、第一風邪の治療も指導出来ない。薬局薬店の国民の健康管理の指導をする社会的使命が果せない。抗生物質でも眼科用、耳鼻科用など当然自由販売でいいわけで、そのための資格者ですからね。

 福井 医療の実態を知らない厚生省の一方的おしつけで、薬剤師こそそのスペシャリストであるのに全くそれを認めないやり方です。だが店頭における薬剤師の在り方、形の上からも医師が同じ医療人だと思いたくない面があるのではないか、薬剤師自身も考える必要があると思います。

 四島 要指示制度そのものは、どこにもない制度ですがこの法律が出来た当時、分業でないため便法上要指示にしたわけで、法律そのものが死法で出発したものです。例えるなら庖丁は買ったがこれは使わないものだと棚に上げていたものを何故あの庖丁を使わないのかと、今から研いで使うというのが今の在り方です。本来ならばこの制度は廃止して貰うのが一番いいわけです。又指示の仕方ですが、医者が指示をしたから安全とはいえない。薬剤師の方が医薬品については専門家ですからね。こちらの方が指示するのが建て前で、極端にいえば逆に医師が使う場合も薬剤師が指示をすべきです。医師会等に対してお茶をにごそうとする厚生省の考えでしょう。

 柴田 現実に確実に取締ったら一般消費者は、薬剤師の職能をますます軽く見ることになる。

 四島 完全にこれが守られたら半面消費者の方から異議が出よう。その反駁を出す工作も必要だ。

  薬業界としては当面の抵抗というか打開策を今すぐ考えねばいかんと思います。

 司会 法を薬局側に強く押し進めるようであれば、医師の方にも抗生物質を必要とする患者には完治するまでの世話を義務づけねばいけない。例えば赤痢など薬局が売るから蔓延するだけでなく、医師で二日分貰い、後また来院せよと云っても患者は少し快くなれば行きませんからね。

 四島 要指示薬は余り多過ぎる。一括して要指示薬というからおかしくなるので、洗い直さねば。

 大庭 それは勿論するでしょう。

 柴田 全部要指示をはずし開放してもわれわれは良識を以って指導するだけの教育を受けている。

 四島 僕はもう一歩すすめて例えば抗生物質など医師に指示すべきだ。

 司会 それについては柴田先生が進めておられるDI活動を活発におねがいします。

 大庭 目薬がいかん、トローチがいいというのだからわしゃわからん。(一同爆笑)

 四島 あなた方が先頃迄おられた所で決めたことではないですか(笑)。

 大庭 品目の洗い直しは是非必要ですね、目耳鼻のものははずすべきです。

 四島 全品目洗い直しでなく洗い流してしまえばいい。(一同笑)

  制癌剤とか白血病の薬などやはり危険なものもあるから、薬種商などで販売させるのは問題です。必要な教育を受けていませんからね。

 司会 まだ問題があります。薬種商よりなお危険管理薬剤師を雇用している素人の開設者で名儀借しなんか……。

 柴田 保険薬局で扱かうよう一段上げるといい。保険薬局なら名儀借しは通用しない。

 四島 この問題についてこれは、私見ですが、要指示薬は或る程度残すべきであると考えます。ただ要指示問題は安易に分業になれば片付くとするのは危険だと思う。分業になり要指示薬が要処方薬となればわれわれの業権縮小につながる。

 薬剤師は先程も云ったように自らの製剤も一般医薬品も販売する権利があるわけで、処方調剤は職能の一部分でしかないわけですから、第49条の指示者の中に薬剤師も含めるべきだと考えています。武見発言の裏には医師専用にせよとの意があるわけで、薬剤師に指示権がなくなり、医薬品の自由選択に基く販売を自ら捨てることになると考えられます。

 われわれとしては当面の問題としては当局に対して通牒の運用の面を要望し、反発する医師は薬務課をして厚生省に法の矛盾を正させるべきで、抜本的にはわれわれの意のあるところを表わし、根本的な要望、法改正などは日薬を通して厚生省に働きかけるべきだと考えています。分業実現と併行して医薬品の選択指導販売権を拡充してゆかねばならないと思います。

 司会 これで座談会は一応終ります。

 最後に四島氏は今後の見透しを次のように語った。

 ◆分業推進情況 今後の見透し

 最後に現在迄の分業の推進情況、鈴木調査会の其の後の問題など公式な発表ではないが私の知り得た中央情勢を序に報告します。

 鈴木調査会が抜本改正に対する結論を作成したのは十月で、十月半ばに発表する筈であったが、ご承知のとおり総裁公選などでした。又公選に伴う大臣の更迭などにより鈴木会長は総務会長、政調会長に根本竜太郎氏、鈴木会長の後任には副会長であった西村英一氏が決定した。鈴木会長が作成した抜本改正案はそのまま踏襲することに決定した。その内容を十二月中に出し、四月の国会までに政調会総務会にかけ、これを認めた上、厚生省に廻して肉付けし、政府原案として国会に提出するが、特例法の期限切れの七月までに結論が出るかどうか、疑問で特例法の延期等の見透しもあるようである。

 この中でわれわれに関する問題がどうなるかということですが、医薬分業は五ヶ年計画で完遂するとの方針といわれる。又それと同時に調剤手数料の値上げを確立することも折込まれることになっていると聞いている。調剤センターの問題については、必要があれば調剤備蓄センターを設置する検討をすべきであると、なっているようです。

 その他いろいろありますが、基本的な路線だけは出ているようであり、これがどのように具体化されるかは厚生省によって先の試案とにらみ合せ、新しい内容も折込んで作成されるわけで、いよいよ細部の問題について厚生省案が出来る間の一月〜三月と、次は国会の論議の場ということになる可能性が強いようである。

 分業同盟も発足しましたが実質的には薬剤師会がやるわけで、この問題についてあまり批判、傍観が度を越せば成功しないことにもなりかねない。中央において武田会長も大骨折りで、いろいろ問題も出て来て非常に苦労しておられるようです。自民党の原案が発表されれば、全国の会長会議が招集され、原案の内容に対してどのように対処するかということが検討されると思われます(終)


 己酉年を迎えるに当り薬剤師会会員の結束を 福岡市薬会長 波多江 嘉一郎

 明けましてお目出度う御座います。皆さまの御多幸と御健康を祈り上げます。一九六八年は武見発言以後吾々薬業界の動揺甚だしく各階層の幹部は此の危機を乗り切る為に死力を尽くしているにも拘わらず、会員の一部に此の事態を直視せずして馬耳東風、私利私慾の為に日夜狂奔している事態を見るにつけ、此の期に及んでもなおこの醜体は洵に遺憾の極みである。此際会員の一人一人が自覚して団結を固めなければ業界は益々疲弊する事となろう。

 去る十二月十七日の日本経済新聞の夕刊に報ずる如く名著「葉隠」に、「武士道というは死ぬ事と見つけたり」という名言がその冒頭にあるが、これには武士道を説き世の風潮をいましめ「只今の一念」が肝要であり「その一念一念を重ねて一生たり」とさとし、万事金の世の中になりつつあった当時、とかく金に迷いやすい武士に対する警世の金言を吐いたのである。

 我々薬剤師道も亦葉隠論語に示されたる言々字句をかみしめて会員一人一人が薬剤師道倫理に徹底せざれば此の期に及んで、約百年に亘る先輩より受け継いだ医薬分業の悲願を達成し得ずして後輩諸君の笑いの種となり悔を残す事となろう。

 日薬代議員会は昨年十月医薬分病推進期成同盟結成を決議したにも拘わらず、会員はその認識の徹底を欠き、未だに拠金に際し云々する会員のあるのは実に慨嘆に絶えざるものである。

 此の間隙に医師会の政治力や金権力のため軍門に屈する様な事項が次から次へ惹起しつつあるので、薬剤師会会員はこれを粉砕する様に一人一人が蹶起せねば医薬分業は愚か、調剤権、製薬権、管理権の問題やメーカーによる構成競争取引規約の不成立(制度品メーカーと直販メーカーとの抗争等により)となり、再販維持制度破壊の危機、要指示薬の問題等業界をめぐる諸問題の解決に当りすがすがしい曙光を見る事が出来ないであろう。

 吾々九州薬剤師会会員は日本薬剤師会員又は薬業界の人々の木鐸となり、一致団結して今年度対策に向って日薬の指示に従い各人が医薬分業完全実施運動にまい進しようではありませんか。

 「日米病薬会議」の夢 堀岡 正 九大病院薬剤部長薬博

 明けても暮れても危機感があふれる昨今の薬業界である。今年はどうであろうか。正月ぐらいは、希望を最大限にふくらませて、夢いっぱいといきたいところ。そこで題して「日米病薬会議」。果して本文の筋書きのごとく、うまくとりはこぶことができるや否や。

 ときは一九七一年夏、ところはハワイ島ワイキキ海岸のホテル。二年の準備期間がみのって、いま正に日本とアメリカの病薬代表者の会議がはじまろうとしている。両国の代表はそれぞれ十名。この計画は日米医学交流計画の一環として、両国政府の後援のもとに開催されることになったものである。

 この会議が提唱されたいきさつはこうだ。WHOの統計によると、世界の薬剤師数はアメリカが第一位で薬十一万、日本が第二位で約七万、医か三万台のフランス、イタリヤとつづくが、病院薬剤師の数となると日本が第一位で約一万二千、アメリカが第二位で約八千。第三位以下はぐっと下ってイギリスの千八百である。

 世界を二分する日本とアメリカがそれぞれの立場で病院薬局の現状を語り、将来のあり方をさぐることは、ひいては世界の病院薬剤師に対する指標ともなろうということが、期せずして両国病薬首脳の一致した考えとなったからである。

 日本側としては、巷間いわれる戦後の病薬の地盤低下が、米国の病院管理学のあやまった認識によることが明らかにされた今日、この十年来急速に発展した米国の病院薬局の実状を知り、一昔前の米国の情態での議論を正そうという考えもある。

 いまかれらは病院薬局の患者への奉仕と医薬品の正しい使用のため精力的な努力をしている。一つのビルディングの中で、受付から投薬までという考えかたから、外来投薬がふえてきている。また患者や病棟へわたす薬にも細心の注意が払われている。一患者一投薬一処方箋という日本の投薬形式に近いものにかわってきており、もはや薬局がストックキーパー(倉庫番)といわれた時代から脱却しつつある。混注する注射薬は全部薬局で混合してから病棟にわたしている。DI活動も数年来の準備が実ってワシントンの病薬本部を中核とし、全国の数十病院のDIセンターをむすぶネットワークがようやくに完成したところである。

 一昔前は大学病院でも十人以下だった薬剤師の数が、現在では急速にふえており、ミシガン大学では薬剤師三〇人、その他二〇名という日本が顔負けするような大人数である。定員にしばられている日本に比べ、必要ならば、いくらでもふやせるお国柄がうらやましい。企業の機械化が高度にすすんでいる国で、薬局の人員がふえているということは、業務に機械化できない部分が多いからであろう。

 どうも日本側はすっかり感心するばかりで、一言もないようである。ただ病院内の技術分業が完全におこなわれている点は、まだ日本が数段上のようである。われわれが日頃何気なく当然のこととしておこなっている調剤も、欧米人にとっては調剤の理想像であって、人手の関係から仲々むずかしいのだという現実を、日本側ははじめて認識する。病棟配置の注射薬巡視も、日本の方がはるかに頻繁におこなっているようである。

 病院薬剤師ないし実務薬剤師の立場から、薬学教育のあり方についても議論がおこなわれた。アメリカは、これまでの薬学がProducts orientedで製品のことは教えるが、患者のことを教えるPatients orientedでないと指摘され、今ではPatients orientedのClinical pharmacyの講座が開かれている。

 日本の薬学はどうであろうか?日本のそれはあいかわらずProducts oriented以前のChemical compounds orientedの状態にある。「くすりに関係のない薬学」への脱皮も不十分のままに、医薬品の創製、取り扱い、使用に関する学士をつくり出しているのはなんとも寒心に耐えない。

 三日間の会議はまことに有意義なものであった。とくに広い薬学の世界で、日本の薬学の臨床を一手に担っている病院薬剤師が、これまで自分たちの立場を声を大に主張できなかっただけに、今後の活動に大きなエネルギーを与えられた。四年後の一九七五年に約した再会のその日までに、日本の病院薬剤師はこの会議の収穫を生かして、大進歩をとげていることであろう。

 学校保健と学校薬剤師 日本学校薬剤師会 相談役 早川政雄

 昭和四十四年の新春を迎え謹んで関係各位の御多幸と御発展をお祈り申し上げます。今年は学校保健法制定以来早くも満十週年を迎えましたが、我が学薬界におきましては「環境衛生基準の法制化」を初め多岐に亘る職務上の問題を控え、一層の努力が要請される。今茲にその二、三を取り上げて見ると……

 一、「学薬の登校数について」

 現在学薬の評価は学薬としての活動成績と云うより寧口登校数の如何にかかって居るように思われる。昨年十一月岐阜市に於て開催された第十八回全国学校保健研究大会に参加して高校関係の環境衛生部長に顔を出したが、各県からの発言者の中に学薬の不断の指導に感謝する人より、登校数の少いのを指摘した人が上まわって居た事は流石にショックであった。

 勿論此部会には相当数の学薬が出席して居たが、出席者は殆ど各県の代表者で、各地のリーダー格と思われる熱心な人許りである丈に、どっと起った笑声の中にも何となく一抹の淋しさが感じられた。又此時期と相前後して地方の県立高校では県教育委員会による学校三師の執務の実態調査が行はれて居たが、最近問題になっている公務員の勤務評定実施と平行して、学薬の報酬にも鋭い「メス」が入れられるのではないかと思われた。

 併し一般に集計されて居る学薬の登校数は、殆ど学薬の自主的に依る投稿数値で学校側として依頼する場合の極めて少い現状にある事を考慮して居ない点に無理がある。縦令は職務執行の準則第一項に学校保健計画の立案に参与することとうたってあるにも拘らず学校の殆が之を実行していない。又学校保健委員会の設置や開催についても学校側の熱意が低い為に登校数に結びつかない面が多く、之等は何れも学校保健に対する校務が未だに円滑に行われて居ない証拠であり、一方行政指導の不足を示すもので、学薬の登校数を云々する限り此点は是非筋を通して置く必要がある。

 二、「学薬の報酬について」

 学薬の年間手当は全国的に見て現在非常な格差がある最早無報酬と云う所は無いと思われるが、上は四万八千円から下は千円迄実にその差は大きい。或はもっと酷いかも知れない。昭和四十三年度の学校薬剤師報酬は一校当り年一万円より一万二千円に引上げられて居る。併し之は一応全国的な平均額と見られるもので、学薬の活動実績或は地方財政状況如何に依ては従来同様各地各様の開きが出るものと思はれる。

 由来報酬は教育関係費の一部門である為め、安閑として居ては削られてしまうのが今迄の実状である。かかる見地から各地方にあっては年度末の補正予算或は追加予算に依て、強力に要請する事が必要である。大牟田市に於いては財政団体の中にあって学校三師会の結束がその可能性を強めて居る。ばらばらでは弱い。結束すれば教育委員会も逃避が出来ない。併し登校数は飽く迄も報酬要求に対し相手を納得させる大きな要素である事を忘れてはならない。

 尚四十三年度に学校環境衛生検査消耗器材費が新に四万二千円計上されて居るが、之は当然環境衛生測定に付帯する不可欠のものとして要求す可きである。

 三、「学校保健の推進について」

 学校に於ける保健管理は重要な校務の一つであり、校長の重要な職責の一つである。従て其の推進向上は一にかかって校長の理解と責任感に負う所が多い。併し実際に於いては保健主事が校長の補佐役となって学校保健計画を立案し、学校保健委員会の組織運営に当る等大切な制度上の要職におかれている。

 従て保健主事の職務の遂行如何は直接学薬の登校数増加云々に繁ってくるが現在の所、保健主事の活動は必しも良好とは思われない。稍もすると今以て養護教諭委せの所さえあるように思われる。一方児童、生徒数は年々減少し、先生過剰説さえとなえられて居る時、学校保健専用の保健主事の設置が何故実現しないものかと行政設置に対し追及したくもなる。

 去る十一月岐阜市に於いての全国学校保健研究大会の協議題の一つに「保健主事の身分を確立し、職務完遂の為の負担軽減をはかり資質向上の為め措置を講ぜられたい」と云うのがあったが、時代の要求は既に其処まで来て居るのではなかろうか。

 要するに学校保健の推進はもとより学校が中心となって行われるものであるが、一方行政指導措置の強化並に学校三師の側面的協力がその速進をもたらすものと思われる。幸い本紙新年号に託して学薬諸先生の御奮闘を祈る。

 所感 山田 武 株式会社川口屋勤務

 お正月が来た、やれ盆が来ると言って齢を重ねるたびに、いかにも地球の回転が早くなったような錯覚におそわれる。愚な考え方かも知れないが、人生も後半に入ると人間の終末点に急いで到着するために、毎日を生活してるように思えたりする。しかし正月はとにかく来る、また来る、暦には何の変化もなく。私は十代の頃から薬剤師であった親爺から医薬分業について当時の剤界の活躍ぶりをよく聞かされたことを思い出す。ある時は悲観的な情報、ある時は興奮した薬剤師が、当時の内務省衛生局長医学博士後藤新平を刺す分業促進の敵だと騒いでいると言ったこと等、若年の私にまで訴えるように話していたことを思い浮かべたりする。

 それから五十数年、この問題は、実現を目標に向って色々と時代によって紆余曲折はあったにせよ、今日まで論議され努力され続けているが、実現せぬことに変りない現実である。最近では政府も社会保険の赤字財政にはいよいよ頭が痛い。何とかせねばと対策に焦って来たようである。医師の過剰薬剤の与薬問題も大いに気になる。それでは薬価基準も更に改訂引き下げだと医療行政はますます深刻の度をまして行く。

 薬局には要指示薬取扱いの再確認実行を強いられて来たりして、日薬でもこの機会に分業具体化実現目標三ヶ年を叫び厚生省では五ヶ年目標とも言うが、今後剤界も一層多事多難になることは間違いないだろう。とにかく薬剤師になって四十数年間この問題は私の脳裏に巣を作って解決されぬままである。

 友人との会話に度々この問題は、吾等が生きてる間には解決せぬと絶望的な言葉さえ出たことがある。又ある時は、何故剤界は団結一丸となって政府や医師会、社会の大衆に対して爆弾的、決定的対策を訴えてその成果を確保出来ぬものか。第一線の開局薬剤師や勤務薬剤師諸君一人一人が発奮何故出来ぬのか、不思議に思ったりする。

 ところが、日本医師会は過去において多額の実弾に物を言わせて強引な政治対策に成功して来た。日薬はその度に努力の甲斐もなく、実弾不足もあってか悲観的な結果しか見ないで来た現状である。ここで一発ぼかんとまいらせる強力な政治対策や活動が、展開されても良いじゃないかとやけに叫びたくもなる。しかし"所詮は実弾が物を言う民主政治"と歎くのみで良いものか…地球はたえ間なく回転して行くのに。

画像  分業革命 荒巻 善之助

 日本の古い医療制度は、すでに社会がそれを許容し得ない所まで来ている。だから、分業は機が熟すれば革命的な勢で進行するだろう。その担い手となるのは誰か、薬剤師はどうなるのか。

 主婦連のつき上げで、抗生物質やサルファ剤もどうやら今迄のように頬かむりで売るわけにはいかなくなってきたようだ。これでいちばん困るのは当の主婦連を含めて国民大多数ではないかとも思うが、何しろ台所のちっちゃな窓から世間を眺めての意見だから仕方があるまい。

 とはいってもこれで永年待ちのぞんだ分業がやっと身近になってきた、という気はする。しかもそれは決して開局者が望んでいたような形ではやってこないのだ。ということも同時に思いしらせてくれたわけだ。

 サルファ剤が売れなくなったと云うことは、今迄も法的にはそういう取決めがあったのだから、べつだん事新しいことではない。そういう意味では分業と同じくどちらもザル法であったことに変りはないわけだ。そこでこのザルの目をだんだん埋めていくと、最後はどういうことになるのか、それも大体の見当はつく。

 社会保険の普及ということが、このザルの目を埋めるいちばん大きな要因となっているのはむろんのことだが、それとからみ合って、人件費の高騰や流通革命の進行等もかなり大きなファクターと考えてよいだろう。現在問題になっているのはサルファ剤や抗生物質を含む指定医薬品だけだが、今後分業が進行していく過程では、当然ホルモン剤や降圧剤なども対象になってくるだろうし、さらにこの範囲は徐々に拡大されてくると考えなくてはなるまい。

 ということは、もっと大局的な云い方をすれば、相談薬局という名の軽診療機関が、だんだん立ち行かなくなってくる、ということなのである。問題はこのような変化が、なしくずしに、すれ代りでくるのならば、分業はたしかに現在の開局薬剤師にとって救いの神であるかもしれないのだが、どうもその間には時間的な"ずれ"がありそうに思われるのである。

 即ち"医薬品"がだんだん規制を受ける過程で、都合よく、その分だけ処方箋が廻ってくるのならばよいが、実際は医薬品の規制がだんだんと強化される過程で、あまり来てほしくないような処方箋だけが廻ってくるのじゃないか、ということなのである。

 なぜそうなのかと云うと、医薬品の規制ということは制度上の問題であるから、こんどの例でも判るように一片の通達で事は済むが、処方箋の発行は制度として医師の調剤を認めないということならば別として、徐々にすれ代り的に、といっても医師の経済性を無視しては起り得ない。規模的に採算のとれない診療所が、薬価として採算のとれない薬剤に限って処方箋を出すだろう。ということなのである。そしてこのような処方を一般の零細な薬局がうけて、成立つはずがないからである。

 ということは特定の医師と、個人的な取決めによって処方をうけるならば、即ちリベート調剤をするならば別として、そうでなければ相当に大型の調剤設備をもたないと採算にのらないということになる。調剤センターということばの中には、言外にこのことを含んでいるのであって、薬剤師が一人か二人でやるような小規模な調剤では、とても医師が手離すような継続的薬価の切下げに応じることはできないだろう。

 このようなセンター的なものを医師会が作るのか、薬剤師会が作るのか、それとも大型店が作るのか、それは現状では判断のしようがないが然し零細店でないことだけはたしかだろう。それに、そのような形で分業が進んできたときに零細店がそのおこぼれにあずかるという考え方も甘い。

 なぜならその前に喰えなくなってしまうからだ。"時間のずれ"というのはその事であって、分業が進む過程で、それより先に医薬品と大衆薬の分化が起ってくる。自由に売れるものは大衆薬だけ、ということになると、これはキューピーマヨネーズなみだ。そういう商品のマーチャンダイジングは大型店の方が強い。処方は受けられない、ということになると結果はもう判っている。

 こういうことを云うと、薬剤師の団結を乱す奴だとお叱りをうけるかも知れない。然し団結ということは、はっきりと時代の流れをみて、その流れに抗するものをうち破るときにこそ力があると思う。そうでなければしょせんは無駄な努力に終るだろう。

 私がこういう悲観論を述べてきたのは薬剤師が食えなくなる、と云おうとしているのではない。"薬剤師が流通業者としては食えなくなる"ということを云いたいのだ。そしてもう一度、薬剤師とは何であったか、ということを虚心に考えてみたいのである。

 現在流通革命がいちばん進行している業界は衣料と食品であろう。例えば私の住む福岡市を考えてみよう、昔乍らの間口三間で商売をしている衣料品店が何軒あるか、専門店ならば別だ、然しふつうの下着類などを我々買うときどこで買っているか、あなたの奥さんはどこで買うか。それが五年後の我々の業界の姿だと思えばまず間違いはない。

 薬剤師というのはもともと薬を作るのが仕事であったはずだ。少くとも発生的にはそうである。だから製薬業も、もともとは薬剤師の仕事であったはずだ。もし薬剤師が本来の仕事をうばわれたことに異論を唱えるのならば製薬という企業そのものを薬剤師自身トップとして動かしている会社がどれだけあるか問うてみたい。

 それならば、小売業ということが調剤という業務を含めての形態を云うのであれば、当然近代化し、企業化されていく過程で薬剤師自身の経営でなくなっていくことも当然のことであろう。そのこと自身薬剤師の地位の低下とは何の関係もないはずなのである。

 さきに私が本紙の43年7月30日号に「失われた職業」と題して小文を発表したけれども、それはコンピューターにプログラミングができるような日常的な調剤についてであって、変則的な調剤や、プログラミングや、その管理等についてはやはり高度の技術を要することは云う迄もない。或は又今度のカネミオイル事件でも判るように、食品の製造管理についても専門知識をもつ者が必要であるし、都市や、工場や、ビル、駅、などにも環境を管理する専門家は今後ますます必要になってくるはずなのである。

 そういう制度の法制化ということは時代の流にそった前向きの動きとして考えられることであろう。学校薬剤師という仕事は、今でこそ金にならぬ。また世間からも理解されない仕事のように思われるけれども、このような地道な仕事が、やがては薬剤師の本当の仕事として考えられてもよいのではないか。

 日薬はもつとそういう所に金を注ぎ込むべきではないか、という気がするのである。それにつけても、我々が薬剤師としての誇りをもつならば決してやるべきでないことがある。それはリベート調剤である。特定の医師と個人的に親しくして処方を廻してもらう、ということが薬のコンサルタント的な意味で可能ならば別として、そうでなければリベートを出さざるを得まい。そしてこのあたりのかね合いはなかなか微妙なものであろうと思う。

 私が上田市の分業に多少とも批判的な現状はそうでないとしても、リベート調剤に移行する可能性をその中に見るからである。そして、これが全国的な規模で行われるならば、薬剤師は完全分業をかちとったために、遂に永久に隷属的な仕事に甘んじなくてはなるまい。

 幸に、というと怒る人があるかもしれないが、幸いにそういう分業は来そうには思えない。アメリカは分業という制度があって資本主義が花開いた。だから、その面では資本主義のよごれたかすが制度の中に定着したとも云える。然し日本は資本主義の中で、しかもそれが流通革命という、はげしい渦を巻き起しているときに、分業が進行しようとしている。アメリカと同じようにはなるまい。もっと革命的な汚れのない分業が生れるのではないか。

 革命の理論は先進国で生れ、後進国で花開く、これが歴史の鉄則である。それならば医療の後進国である日本でこそ、最も進んだ、新しい分業が生れるのではないか、ここまで云うと云い過ぎかも知れないが、私にはそういう気がするのである。

 九州山口薬学大会で発表した私の再販についての意見に、長崎の隈治人氏から、本紙11月30日号で御批判をいただいた。それについてお答えするのが本当だと思うけれども、同氏の再販維持主張論をよんで感じたことは、完璧なほどの的確な論理で組み立てられているけれども、私の物を見る立場とは立場が違う、ということである。これでは議論にならない。私のこの小論を読まれて、多少とも立場についての御理解がいただければ幸いである。


 薬局経営の一つの方法論 竹内 克己

 医薬業界はここ数年の間に大荒れに荒れることは必至である。その中で小型薬局はどうなるだろうか。若しも分業が進んでゆくとしたら、小型店が大型店に押しつぶされるテンポを早めるだけの様な気がする。薬剤師会の分業推進に関しては、この様な配慮は少しも払われて居らない。

 分業は薬剤師の収入をふやすと思う事は危険で、どうかするとこれが大きな津波になりかねないと私は心配している。今のままの形で分業が進んだら、小型店の薬剤師はどうなるだろうか。この不安が、潜在的分業反対薬剤師を作りあげている理由だと私は思う。

 然し分業はいづれ出来るだろう。その時迄に波防の方法を検討しておく必要がある事を痛感する。資本のない者がどの様な方法をとったとしても早々に資本家になれる筈もない。自分の主権を資本家に譲渡した形でしか資本の調達はむつかしい。

 薬剤師であるという誇りと経営権の独立を守り乍ら利子のいらない資本が調達出来るならば、これは正に小型店にとって待望の事であるに違いない。この様なうまい方法があるだろうか。私は昨秋の九州山口薬学大会でこの可能性について発表したのである。この方法論について更にその要領を発表せよとの要請に答えて、以下その大要を述べることとする。最も簡単に表現すると問屋さんの倉庫を自分の店迄広げてもらって、その商品を売って、売ったものについてだけ代金を支払うという考え方である。

 考へ方の基本的条件

 1、問屋と小売店と協力して共栄経済圏を作る。
 2、問屋も小売店も共に独立して互にその主権を侵されることはない。
 3、この機構を円滑に運営するために本部を作る。
 4、問屋は本部の資料に基いて、小売店活動の完全遂行に必要な資本援助をする。
 5、小売店は問屋の援助に答えてその経理を公開する。
 6、問屋、小売店両者の経済効果を最高にするために、資金、在庫商品等の管理は本部がこれをコントロールする(問屋の債権を守り、小売店の販売活動を最高率にするために)

 薬業界の現状から、小売店は数軒の問屋を必要とする。この数軒の問屋を一つの機構にまとめることは可能に近い。そこで本部を作り、これをコントロールセンターとする。

 問屋(A)    小売店(イ)
 問屋(B)ー本部‐小売店(ロ)
 問屋(C)    小売店(ハ)
         小売店(ニ)
 という形になる。

 その実勢について略述する。

 1、小売店は快定された問屋以外とは取引しない。
 2、問屋は納入商品について問屋間協定をする。
 3、従って同一商品が二つ以上の問屋から納入されることはない。
 4、問屋と小売店とは直接取引で、本部を通すことはない。本部は事務援助と経営指導に専念する。
 5、小売店の財務帳簿は一切本部で記帳処理する。小売店は販売に専念すればよい。
 6、毎日の売上げは毎日本部へ納入する。これを本部で積立てて置く。
 7、毎月の問屋への支払は消化払い(売れたものだけ支払う)とし、本部から問屋へ支払う。
 8、在庫商品は定数在庫とする。
 9、売上積立金から問屋支払分を差引いた残りは毎月小売店へ還元される。これが翌月の生活費に充当される。

 この様にすれば、売上げがふえれば仕入れがふえる従って問屋への支払がふえるという黒字倒産型の働けど働けど資金不足という悩みから解放される。必要な商品はドンドン問屋さんが持って来てくれるからである。支払は一切本部で行うので何のわづらわしさもない。小売店は薬剤師の良心に従って高利潤の品を積極的に売ることに専念すればよい。

 勿論本部で、説明会や勉強会が企画されるし、共同宣伝も可能となる。当然分業時には備蓄センターとなる。共同購入による原価安も期待出来るだろう。この運営は問屋、本部、小売店三者の充分な話し合いの上に成立し、お互の主権が損なわれることはない。幸にして、私を信頼していただける、幾軒かの問屋さんがあるし、いくつかのメーカーさんも積極的に御後援いただける事となっている。

 私の本職は医家向製品メーカーである。小売り薬局と何のかかわりもないが、薬剤師業という仕事のあわれさを身にしみて知っている一人として、ほんとうの薬剤師諸弟妹と、薬剤師の生きる道を探し求めてみたいという考へ方に立っている事を御了承いただきたいと思う。
 福岡市奈良屋七番四号 太田製薬西販(株) 電 二九-三三一四

 尚これは小売店についての私の考へ方であって、大型店については又別の考へ方に立っていることを附記する。

 健保特例法の実施延長か 抜本改正案間に合わず

 一昨年九月から実施された健保特例法は健保財政の悪化を食い止めるためのものであり、本年八月末迄適用されることになっている。厚生省はこの実施中に医療保険制度の抜本改正を行って健保財政の今後の安定を図ることとしていたが、自民党医療基本問題調査会の審議などが遅れ肝心な抜本改正の検討は今日迄結論を得るに至っていない。

 たとえ近くその結論を得たとしても、次いで政府案が正式決定せねばならぬので抜本改正案を本年度において実施することは無理であり当抵施行することはできないものと思われる。一方、大蔵省でも本年度の健保財政対策は応急措置として現在の健保特例法の延長より外に良い対策はないとしているし、従って厚生省も健保特例法を一年間(四十五年三月迄)延長せねばならぬものと見ていた様であったが、その後大蔵省が四十四年度予算の編成に当り赤字で身動きがとれない政府管理の健康保険と日雇労働者健康保険の立て直しを検討していたが、旧臘二十九日厚生省との間で、政府管理の健康保険については健保特例法(健康保険法及び船員保険法の臨時特例に関する法律)の期限を一年延長すること、日雇労働者健康保険については一部改正して保険料を平均二倍引上げることにまとまり近く国会に提出することになった模様である。

 挾子

 ▼ 日本医師会(武見太郎会長)は先の薬価基準五・六%引下げに対抗し又診療報酬一二・五%引上げ要求を中央社会保険協議会(東畑精一会長)へ既に提出し現在その内容説明の段階にあるが、その援護射撃の意味か、一月一日から「完全診療月間」を一カ年四期に分けて四月迄を第一期として全国的に実施している。

 ▼ 期間中は特に諸検査などを積極的に実施して完全診断・完全治療・完全管理の態勢を確立するもので所謂「濃厚診療」を行って収入増加をこれ見よがしと図るもので保険医療を歪めるものである。これに対抗して支払い側の健康保険組合連合会(安田彦四郎会長)は医師からの請求書を「完全審査」する方針を固めており、遂に問題は中医協外に持ち出されることになった。

 医師が今更「完全診療」などと声を大にし看板を高くかかげることは今日迄行って来た診療は不完全診療であったことを自ら暴露したものである。今後の中医協の態度が見ものである。

九州薬事新報 昭和44年(1969) 4月20日号

 薬剤師の職能と薬剤の調整 福岡県薬剤師会長 四島 久

 昨今吾々の業権縮少につながる問題が行政の面で次々に打出されて来ている。これに対して、総て医薬分業に関連することであるから、分業さえ実現すれば総て有利に解決するかのように考える傾向があることは危険であり、警戒せねばならない。

 改めていうまでもなく、薬剤師の職能中その主たるものは薬剤を調製すること、調製された薬剤医薬品を完全管理し、需要に応じて供給することである。即ち調剤と管理販売である。薬剤を調整する範囲のうちに、医師の処方せんにより必要薬剤を調製することが含まれている。これが所謂処方調剤である。従って医薬分業による調剤業は吾々の職能の一部にしか過ぎない。

 「調剤」という字句は「調製薬剤」の語源を略したもので、もともと製薬を意味する。薬剤を調整することが本職である薬剤師は、単に医師の処方せんによる調剤に限らず、自分自身の考えた処方又は他の何人の処方によっても薬剤を調製することが出来得ると思う。但しその薬剤が人命に危険を及ぼす惧れがあれば、規制されることは当然である。従って医師の処方せんによらねば調剤することができぬなどという考え方は改めなければならない。そして薬剤師に幅の広い薬剤の調製権を与えるべきではなかろうか。現に許可されている所謂大衆薬の如きは、無条件で薬剤師が自由に調製して販売授与することを認むべきであろう。

 昨年十一月、要指示医薬品の取扱いについて強い規制がなされた。この問題については数多い反発意見が発表されていて別に事新しくいうことはないが、薬事法第四十九条及び先般の局長通達そのものが、今の流行語で云えば「ナンセンス」の一語に尽きる。勿論、強効医薬品の取扱いについては相当の規制がなされることは当然であるが、その医薬品の薬害の程度如何によって規制の程度を決めるべきものであって、薬害の実状をオーバーした規制は、医薬品そのものと薬剤師の職能を冒涜するものであり、現行の要指示医薬品の中から危険品目を選び、適当な規制を行い、残余は普通医薬品扱いとすべきであり、危険品目についても医師の使用決定にのみよらず、薬剤師の良識と学識に基く指導によって、販売授与されるようにすることが本筋ではあるまいか。

 近来、薬務当局は行き当りバッタリの措置の積み重ねであるが、根本的にその態度を反省、今日迄の場当り行政を改め、真に国民の福祉のため、薬剤師本来の職能を活用し、小売薬業者の保護、育成指導に力を尽すとともに、日本の医療制度の合理化促進につとめて貰いたいものである。

 ◇学友の国 磯田正春◇

 昨年九月韓国で開催された第二回アジア薬学大会に参加のため、昭和十年京城薬専卒業後三十三年ぶりに韓国を訪づれた。学友七名が集ってくれ、大に旧懐を温めたが、当時の学友は薬学、およびその他の大学の教授、薬剤会の役員、会社の社長、あるいは開局者と大成していた。

 韓国に行く前三十年間音信のなかった彼等の一人から来た便りは、学生時代一度九州に行った事がある、あの時は九州には蜜柑がなっていた、実に景色のよい所であったと当時の印象を綴り、三十年ぶりに今日君に日本語の手紙を書くが、長いこと書かないので、間違っていたら許してくれと実になつかしい便りであった。久方ぶりに逢った彼等は旧友に対し、心からの配慮とあの苦しい経済の中で、思いもよらない接待をしてくれ、思出の所をあちこちと案内してくれた。

 国の予算は軍事費と教育費にその半分をつぎこんでおり、金浦空港の高射機関砲、薬学大会場になった市民会館を警備するため、カービン銃を肩にした警官の姿など、臨戦態勢の国の気配を身をもって感じた。

 また国の将来を担う世代の教育には力を注ぎ、立派な学校が広大な地域に各所に立てられていた、薬学大学も国立三校、私立十一校あり、年々一三〇〇名近くの薬剤師が養成されている。学友達の子弟の多くは、米国留学であり、日本留学の話はあまり聞かなかった。薬学生なども、参考図書がなかなか手に入らないと、彼等は云っていた。

 思想的に南と北に二分されており、友人の中には動乱で北に残り薬学教育に従事していたが、学生の誤解による密告のため、北鮮の炭山で三ヶ年の重労働を課せられているうち、単身韓国えの脱出に成功したが、北に残した家族の消息も、いまだに分からないと云う悲運な者もいた。彼等は日本はあまり自由すぎて、色々の国内問題が起っているのではないかとも云っていた。

 韓国は独立国であり、これから種々の苦難を乗り越えると云う、民族意識に燃えていると云う感を強くした。あの三十八度以南に人口三〇〇〇万、ソール市などは動乱以後、難民と失業者が集中し、現在四三〇万と私が学生時代の十倍余にも達している。

 我々がソール市で利用したタクシーはコロナの中古車ばかりで、しかも乗車の困難と、メータ料金以上を支払はされた経験は、ソールを訪れた人は、皆味わったことであろう、要するに都市人口の集中に、交通機関の整備が併はず、絶対数が不足しているため、歩道には人があふれていた。

 学友の一人はタクシー四〇台とトラック十数台を持つ、会社の社長であるが、自家用車すら持たず、我々には不思議なようだが、個人の銀行預金利子が年二割八分と云う経済下では、どうにもならないらしい。薬剤師の地位と政治力は非常に高く、今度のアジア薬学大会でも、費用の半分近くは政府予算から支出させた事でも窺える。

 国内の医薬品生産額は、一九六七年でわずか一六〇億円で、同人口として日本の十三分の一である。 医療関係を見ても健保制度は全々なく、病気の場合は町の薬局あるいは、漢方診療所で対症投薬を受けるのが普通で、よほどのことでない限り、病院には行けないのが実情のようである。学友の話の中にも、農家で使用する糞尿のため、回虫などの寄生虫症が非常に多く、この対策もこれからである、と云うことからもその他の衛生施策の遅れが分かる。

 病院、薬局などについて、日本(一九六六年末)と韓国(一九六七年)とを比較して見ると
 ▽病院数 韓国=二〇二一四、九四八床)
 日本=七、三〇八(四七八、〇〇〇床)
 ▽診療所数 韓国=五、〇五九
 日本=六五、九七九
 ▽漢方診療所数 韓国=四〇二
 日本=ナシ
 ▽病院勤務薬剤師 韓国=一〇床以上
 日本=二〇床以上

 これは患者が少いのではなく、苦しい個人所持と、復古経済のせいではなかろうか、五〇〇床以上の病院は二ヶ所しかなく、ただ漢方診療所が一般診療所の半分近くあるのが、朝鮮人参の本場であることを物語っているようにも思はれる。

 病院勤務薬剤師数は人口比日本の十分の一でその中で女子が三分の二を占めている。国立最大のソール大学病院(五〇〇床)でさえ薬剤師は一〇名しか居なかった。病院薬局の現況も、謂ゆるスカンジナビア方式で、(北欧三国、スウェデン、ノルウェ、デンマークが一九五八年に投資して)設立し、それぞれの国から交代制で薬剤師を一名派遣し、一〇年後の一九六八年に韓国に移管された、国立医療院(メディカルセンター)を除いては、日本の病院薬局に比し全般的に十年近い遅れが見受けられた。

 例えば韓国一般病院薬局における、投薬の剤型別調査を見ると次の通りである。
 錠剤・カプセル剤 液剤 散剤
 韓国 一般病院30% 70%
    外国人〃70% 30%
 九大病院67% 33%

 これからも見ても、外国人病院、九大病院は相似の比率を示しているが、韓国一般病院では散剤、液剤の比率が高い、これは九大病院の昭和三十五年ごろとほぼ同じ比率を示している。我々が見学した、ソール大学病院でも、分包機は見られず、木製の枠に薬包紙を重ねて配列して行なう手分包であった、製剤、注射、その他の器機も昔のままの感がした。

 これらを総合して見ると、学友の国は、北の脅威を身近に感じつつ、経済復古と産業開発を大に進め、先進国に近づく、官民一体の努力が必要ではなかろうか。我々が体験した、戦後のある時期と、相通じる所が多分に感じられた。私は四日間に亘る、ソールでの数々の思出を残し、学友達の多幸を祈りつつ、次の目的である、国立台湾大学付属医院(旧台北帝大病院)見学のため、金浦空港を後に台北に向け出発した。

九州薬事新報 昭和44年(1969) 4月30日号

 中央情勢・北九州市薬意見書 福岡県薬理事会

 福岡県薬剤師会第一五七回理事会を一月二十日午後一時半から県薬会館で開会、会長外十六名の役員が出席、先ず会長から中央情勢について医療制度抜本改正、分業推進対策、要指示医薬品問題等詳細な報告があった。

 ▽抜本改正について、自民党調査会案はまだ公然と発表されてはいないが、その内容について各方面からの反発が現われ、内容も二転、三転している現況であり、政府が改正案を国会に提出しても野党その他よりの反対が強く、現在の健保特例法の延長により一時を糊塗することになる公算が多い。

 ▽医薬分業については、五年間に全国的に実施されることを目標としてその施策を講ずるよう要請されるものと思われるが、今後の分業推進には支払七団体、歯科医師会と協調、国民大衆の世論を決起する方向に向いつつある。

 ▽要指示医薬品問題については、地方機関に対する要望と抜本的な中央に対する要望とがあり、本会としては去る十二月の支部長会における会員の要望を集約して、中央に対しては厚生省へ日薬を通じて要望しており、地方については県薬幹部が県当局と懇談を重ねている。会員に対しては法の趣旨を尊重すると同時に取扱いについては薬剤師の良識をもって販売するよう周知することになっていた。

 日薬は厚生省と折衝を重ね、法の改正、抹消、局長通牒の取消し或はこれに関する取締り緩和についての内翰等を要求しているが、これは官庁の通弊で困難のもようであるが、近くブロック課長会で緩和の方向へと伝えられる模様である。又全国的に小売の反対意向は相当強く、取締りについてはこれが反映するものと思われる。なお品目の検討については将来の問題として検討されようが、今すぐは間に合わない。

 これに関連して今回北九州市薬剤師会の名を以って厚生大臣、務薬局、県当局、各薬業新聞社等に発送された意見書について各理事の意見が徴されたが、北九州としてはこの問題しかなく、ただこの問題に対する県薬並に日薬の対策をなまぬるいとして行ったことが報告された。これにつき各理事から反対、賛成、それぞれ意見が出たが、将来は事前の話合いが望ましいということになった。

 次に@第5回福岡県薬事審議会報告A敵配条例適用除外者の調査B薬価基準(日薬編)配布C環境衛生用医薬品等あっせん販売中止の陳情D衛生検査技師法改悪反対E臨床薬理学アンケートFグループ保険、以上について報告されたが、Dの衛生検査技師法改悪の動きに対しては、薬剤師全員が資格を獲得し、その発言の強化を図るため県下全薬剤師に至急手続をとるよう働きかけることになった。

 薬局医薬品製造業の意義について 福岡県薬務課 生産指導係長 緒方 正治

 現在、マスコミ製品の廉売競争の中で、薬局の薬剤師として「薬剤の調製」という問題と真剣に取組む必要を行政の面からも亦痛感する。現在、医薬分業は名ばかりで医師からの処方せんは少ししか出ていない。何のための試験器具、調剤室だという声をよく耳にする。然しこれは薬剤師の特権である製剤を自ら放棄することではないかと思う。

 薬事法の規定により、薬局医薬品製造業の許可及び承認をうければ日本薬局方第一部中の指定された四三品目、日本薬局方第二部中の指定された一七八品目、及び厚生省と日本薬剤師会との間でとりきめられている日本薬局方外医薬品四七品目の薬剤の調製が、医師等の処方せんによらず薬局の調剤室に於て出来るのである。この処方内容を検討すれば、永い期間と歴史の中で淘汰された立派な処方である。 自分自身で調製した薬剤には責任と誇りをもって顧客に対し販売が出来るであろうし、又お客もその薬局に対する信頼が高まり、固定した顧客として永続きするであろう。経営の点については全くの素人でわからないが、あらゆる商売で固定客をつかむということは商法の原則ではないかと思う。然し又廉売競争でなく薬局経営者としては調剤技術の競争をこそ心掛けるべきだと痛感する。

 薬剤師は衛生検査技師の免許を速に取得せよ

 衛生検査技師法の改正に際し、その業務を医師、歯科医師及び衛生検査技師の制限業務とする動きが関係者間に出ているので、日本薬剤師会では薬剤師は現在の無試験免許制度を活用して衛生検査技師の免許を速かに取得するよう会員に呼びかけている。

 近時国会内でも技師法の改正が種々論議されており、而も改悪されようとしているふしもあるので、改悪反対のために衛生検査技師である薬剤師が現に一人でも多い方が効果的である。将来無試験で免許を受けられぬようになることが充分予想されるので未だ検査技師の免許を受けていない薬剤師は至急免許申請することを福岡県薬でも切望している。申請用紙(一組五〇円)は県薬事務所に準備してあり、申込みにより直に送付するそうである。

 満十五周年を迎う 福岡県学薬常任理事会

 福岡県学校薬剤師会(会長 友納英一氏)は一月二十二日一時半から県薬会館で常任理事会を開会した。 当日は先ず四十三年度各種大会出席報告並に今後開会される各種大会、講習会等に対する出席予定などを決めた後、本年度の総会(評議員会)並に伝達講習会について検討、本年は本会創立満十五周年を迎えるので昨年来準備をすすめていたが、当日種々検討の結果、総会並に伝達講習会終了後、記念式典を開催することを決定、五月上旬、市内三鷹ホールで開会する予定で準備をすすめることになった。なお詳細については二月二十五日再び理事会を開会して協議することも決定した。

 当日の出席者は、友納、古賀、河原畑の正副会長のほか、柴田、神谷、矢野、内田、馬場、渋田、橋本、野口の各理事であった。

 福岡市薬 部会長会

 福岡市薬剤師は一月十六日二時から東中洲会楽園において新年発の部会長会を新年宴会を兼ねて開会した。

 当日は波多江会長の会務報告後、来賓四島県薬会長から詳細な中央情勢の説明があり、次いで藤田副会長から、社会保険関係は各担当者の努力により最近保険調剤請求業務の誤りも少くなくなったこと、請求金額が僅かにアップしたこと、歯薬協定処方の改訂については薬価基準改訂に伴う備蓄薬品の価格改訂などについて詳細な報告があった。

 次に組合関係について須原理事長から▽市内荒江に開局の(有)めぐみ薬局(宮原美代子)が道路拡張工事の土地収用により適配条例の除外例として天神ダイエー内に薬局開設を申請したことについて報告▽衛生材料メーカー白十字株式会社のナプキン、紙オムツ等を組合すい奨品に指定したことなどが報告された。引続き同所でなごやかな懇親の宴を催し、和気あいあい裡に初部会長会を終えた。