通 史 昭和43年(1968) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和43年(1968) 11月10日号

 公正競争規約の 微妙な問題点 九州・山口薬学大会印象記A 隈治人

 商組代表者会議で、もうひとつ問題になったのは公正競争規約であった。僕が執筆した「公正競争規約をこう考える」のプリントは医薬全商連からわずか二十部ほどしか持参されてなかったので、出席者全員には行き渡らなかったが、それは全文または要約文が本紙上にも紹介されるだろう。しかし僕の書いたものでもまだ充分に行き届いた解説とはいえない。(本文はそれを補足する意味もある。)

 公正競争規約についての質問は「独禁法があり、独禁法からからうまれた景防法があって、不公正な競争については制御態勢が一応整っているにかかわらず、なぜわざわざ不必要と思われるような規約までつくらねばならないのか、」ということから始まった。

 この点については前記小文で答えているから再記する必要はないが、すでにこのような疑問が出されるという背景には、明らかに公正競争規約に対する反対運動が九州にまで手がのびて来ていることを示すものと思われるので、そういう運動の論点について要所に触れておきたい。以下は九月十二日附医療新聞に掲載された坂口徳次郎氏の反対論の前文の要約である。

 (一)製企会とこれに追随する者たちが(筆者注、医薬全商連を指す)、なぜ事実をゆがめてまで、公正競争規約を推進するのだろうか。

 (二)「公正競争規約を締結しなければ再販を残してくれない」、と自民党がいっている、とウソをついて業者を脅迫するのは何故だろうか。

 まずこの二つについて説明する。再販の防衛についての医薬全商連と製企会代表二社との協議や作戦会議は本年に入って何回か行われている。しかし再販防衛については製薬業界に再販懇が結成され、そこには製企会のみならず、直販協、家庭薬の代表も漏れなくメンバーとして名をつらねていて、共同歩調を取っていたことは知られるとおりであるから、右の作戦会議はむしろ再販懇とのそれであったといってもよい。そのような製販の協力は必要であったからこそ協力したのである。それを一方的に観念的に「販」が「製」に追随したと断定するのは、それをいう者自身がメーカーコンプレックスをもっている証左にほかならないと思う

 「事実をゆがめて」というのは医薬全商連が「・・・・自民党がメーカーに対し十一月までに法の裏づけのある自粛案(公競規約)を作製するよう勧告云々」と報道したことを指す。これは自民党ではなく、自民党の砂田重民議員が………であり、「勧告」ではなく情勢上そういう準備をした方がよいのではないか……という個人的「助言」を与えたことの誤まりである。

 このことはいささか慎重を欠いた報道字句であったが、「事実歪曲」とか「ウソまでついて」、とか鋭く斬りこむほどのものであるか、どうか。僕は右派医薬全商連首脳部の性格からいって、わざわざネじまげて意識的にそういうふうに報道するような人達ではないと考えている。そういうことのうまいのはむしろ坂口氏の方ではないかと思うだから誤まりを指摘するのは間違ってはいないにしても、その非難攻撃のするどさと激しさにむしろ驚くのである。すくなくとも一種の誇張といってもいいすぎではなさそうである。

 「公正競争規約を締結しなければ再販を残してくれない」と自民党がいっているーというのは、坂口氏の書いた通り全くのウソである。しかしそのウソは医薬全商連のついたウソではなくて、坂口氏自身がつくりあげたウソである。坂口氏がそういうウソをつくって、いかにも製企会や全商連がそういうウソで業者を脅迫したように見せかけているだけである。坂口氏はこういう点からみると相当にデマゴーグ作りの巧みな人のように僕には推察される。荒川慶次郎氏とか立木正之氏とかいう、どちらかといえばお人好しで気もあまり強くなさそうな人たちが、嫌って相手になりたがらないのもムリはない処であろう。

 また「脅迫」ということについていえば、それが書かれた九月十六日の時点でも、また現在でも「脅迫」など修飾に相当するような言動は何も行なわれていない。あるいは僕のこんど書いた「公競規約をこう思う」が坂口氏のいう脅迫行為に当るのかも知れない。そういういわれない批評も個人的には自由だろうが、小文がそうでないことを読んだ大多数の人たちが判定してくれることを僕は望むだけである。坂口氏の文は続く。

(三)公競規約の目的は、競争手段を制限し、いいかえればメーカーのサービスを制限することにある。だから旅行招待、景品、リベート、現品添付がなくなり、小売りの利益は圧縮される。したがって大多数の小売店は食えなくなる。零細な四万店は公競規約に断乎反対すべし。

 右はまことに単純明快な論理だが果してこの通りだろうか。公競規約は不当景品、不当表示防止法から出てくる規約である。坂口氏は右の文で零細店滅亡の悪いたくらみのように書くが、零細店が現実に不当に優遇されているだろうか。公競規約で規制されるのは大量販売店がメーカーから施されている不当な優遇(零細店の与り知らない裏増し、裏リベート、裏マージン、裏景品などの現品、現金、招待等)であるから、そういう不当な優遇をうけてさえいなければ規制をうけるおそれは全くないといってよいのである。

 ただここに零細店にかかわりのある微妙な問題点がひとつでてくる。それは高マージンの商品について規制される心配がある、ということである。もともとこのたびの公競規約は再販とかかわりのあるものであり、再販の場合は消費者保護の立場から非難されているのであるから、高マージンは当然批判の対象になる。消費者価格を再販という法で固定しておいて、その内側で高い利益をむさぼるのは怪しからん、というのが消費者の立場である。

 そういう高マージンは圧縮して消費者価格に還元し安くせよというのが消費者の要求である。処が小売薬業の場合過当競争がひどいため、どうしても高マージンの品を売りまぜしないとやってゆけない、というのが零細店の実態である。

 量販店の過剰優遇を規制するのはよいが、零細店までそれに巻きこまれてウマ味のある商品を失ってしまうのではないか、量販店はなかなか潰れぬが、そのようなウマ味のある商品を失うことにより零細店が潰れるようなことになるかも知れない、という心配は確かにある。そのような意味では坂口氏のいうことは必ずしも不当ではない。

 坂口氏が右のように卒直に事実を書き、零細小売のために心から憂慮しているのであれば、僕でも誰でも坂口氏とその名のとおり徳とすることは自然である。なぜ坂口氏は本当のことを卒直に書いてくれないのであろうか。それは本当に公競規約のことが判っていないのか、そうでなかったら何か別に目的意識があるからか、いずれかのひとつであるにちがいない。

 もし後者だとしたら、敵は製企会、特に武田、三共であり、もうひとつの敵は医薬全商連特にその中心にある荒川慶次郎氏であろう。製企会、武田、三共また全商連のような組織は坂口氏くらいの力では倒れまいから、荒川慶次郎氏を打倒するのが真の狙いなのであるまいか。これは公事を巧みに私怨や私利に利用することではないのか。それは許されるべきことではない。僕はそうでないことを祈りたいが、以上紹介した文脈から判断して、すくなくともその疑いは濃厚である。

 以上の記述によって公競規約が背負っているいちばん微妙な問題点はおおよそ了解していただけるのではないかと思う。公競規約によって零細店がこれ以上悪い影響をうけないようにしなければいけない。ラフな考え方を進めて心ならずも零細店を経済的窮迫に追いこむようなことがあってはいけない。この一点である。僕としては公競規約の内容でこの一点が小売りのために不利にならぬようにさえできれば、あとは大したことはないとさえ考える。またそれが保証できるという確信も名案もいまの僕にはない。

 僕はただ再販を守りたいだけなのである。僕はたしかに公競規約の解説書(私見)を書いた。しかし解説を書いたから無条件賛成者であるとか、推進論者であるとかキメつけられることには抗議したい。そういうビールをガブガブやるような粗雑な論理のネジマゲ構成が「悪い奴ら」のツケ目なのである。くれぐれも誤解なきよう願いたい

 終りに東の坂口論文と関連して、西でそれに呼応した八木常行氏の「個人的」見解を一部紹介しておきたい。すくなくとも八木氏のいう「再販防衛について製企・直販・家庭薬の態勢が折角できあがっているのに、公競規約でバラバラになり対立することは業界にとって大きな不利と損失を招く」という発言は、それ自体全く正当なものである。

 僕も八木氏と仝じくそれを恐れる。しかしその不利と損失を招くようなメーカーの対立に、小売までひきずりこんでわざわざ禍を拡大するような見解や文書が、どうして小売自身のなかから(積極的)な(激越)な調子で出てくるのであろうか。すくなくと小売の間ではもっとおだやかに話し合いができないのであろうか。それはなぜなのであろうか。まこと残念でにがにがしい現象であると僕は思う。(十月十五)

画像  『抗議』 緊急日薬地方会長会

 日本薬剤師会は十月二十八日緊急地方会長会議を招集して、二十二日自民党の医療基本問題議員懇談会の永山小委員長から鈴木調査会に提出した改正案に対して対策を講じるため検討を行った。

 二十二日鈴木調査会に提出した永山小委員長案は武見日医会長が今日迄鈴木調査会との対話で明らかにした案に輪をかけた独善的なもので、日薬側の意見を全く無視した武見ペースであるため問題にしたもので、二十八日午前中に全体理事会を開き午後から地方会長会議を開いて、武見日医会長に対しては『武見日医会長に猛省を促す書』と『永山小委員長に対する要望書』を全国各県会長会の名を以って提出することを決議した。

 永山委員長に対する要望書は二十八日当日地方県薬会長有志によって永山氏ほか関係議員に陳情、説明して手渡し、武見日医会長に対しては翌二十九日四島福岡県薬会長ほか六氏によって、武見氏出張中のため日医の常任理事に面接の上手渡された。

 日薬が特に問題にした点は▽医薬分業について年次計画を否定している▽受入れ体制は薬剤師不信感のもと、しかも医師の主権のもとに調剤センターの設置を指示している▽大衆保健薬のあり方は日本医師会の意見を聞くべきであるなどで、これに対し日薬は、分業は年次計画で、調剤センターは「信頼し得る薬局」の具体化、大衆薬については、分業実施諸外国の例をみても薬局供給の医薬品中三分の一を占めていることなどを示した要望を、武見日医会長に対しては強く抗議、猛省をうながしたものであり、今後これを契機に医薬分業の推進が土俵の上でどう展開するか、これを日薬会員がどうバックアップするか新局面を注視したいものである。


 日本医薬分業推進同盟総会 東京都医薬分業期成大会

 日本薬剤師会は東京永田町の薬業健保会館で十月二十一日午前地方会長会議を開き各地の同盟設置状況報告、鈴木調査会への要望書を採択後、本会を「日本医薬分業推進同盟」設立総会に切替え、同盟規約、同予算などを原案通り可決した。

同盟では鈴木調査会に対する要望書を纏めて二十三日鈴木会長に手渡した。要望書の要点は▽鈴木会長の提示した調剤センターを信頼し得る薬局と解して具体化を進めて行きたい▽地方自治体で調剤センターを運営するという構想は薬局公営化への途を指向するもので絶対反対である▽又大衆保健薬に制圧を加えることは一般国民の保健に重大な影響を及ぼすのでこれ亦反対であるなどである。

 東京都医薬 分業期成大会
同日午後「東京都医薬分業期成大会」が霞ヶ関の久保講堂に於て都薬会員、全国各県薬会長他近郷の薬剤師一千余名が参集し熱気溢れて盛大に開催された。来賓中竹中日歯医会長を始め国会議員他十数氏の激励の辞が述べられたが、左記は長野義夫日本薬剤師政治連盟幹事長(福岡県薬副会長)の辞である。

 十数年前神田の共立講堂に於て医薬分業達成の為の総決起大会が開催された事があります。講堂の前面のバック及左右の両壁面に数十名の国会議員の方々の氏名を連ねて賛成演説と激励の言葉を述べられたのであります。医師も政府も政治家も医薬分業に賛成せられましたが、終極に於ては今日の守られざる分業法を作り、しかも法律施行の義務と責任とをもつ政府はその責任を遂行しようとせず、これが今日の医療天国と保険財政の大赤字と薬局の転落化とをまねく原因となったのであります。

 政府が分業問題の折によく使っていたその当時からの言葉が、今日再び使われているのであります。協調してやれ、話合いでやれ、いつに薬剤師側の自覚と努力にある、というのであります。この巧妙な遁辞と責任転嫁のこの言葉こそが分業という名のみを取って実を捨てさせた、今日の悲惨な薬局を生来したのであります。

 私は往年のし烈な分業運動の夢を追うものではなくむしろ時代の進展にともなう医療制度の近代化、医療の社会化、診療体系の複雑多様化にもとずく医薬混淆の矛盾と不合理とを是正し更に新らしい時代認識の上に立っての、医薬分業のもとに国民大衆の健康福祉にこたえんとするものであります。

 医師は決して吾々の敵ではないのであって、医師も薬剤師も共に理論的な体系をもつ専門職であり、又各々修得せる異なった技術によって医療の責任を分担する医療職であり、技術によって国民大衆の健康福祉に奉仕する者であるが故にこそ医薬分業は純然たる政治の問題であるのであります。

 医薬分業は自由主義経済体制の中に、医療の形態を生のままにはめ込んで採用したる点数単価方式によって、必然的に生じたる今日の大赤字を解消する為の方便では決してないのであります。現時点に於ては、保険関係者も大衆も分業を理解し賛同しているのでありますが、これは云うなれば外野席にいる応援団にしかすぎないのであって、分業の推進には直接この肌で感ずる吾々薬剤師が先頭に立って推進しなければ到底その目的を達成することは不可能であります。

 資本主義経済社会の元に於ては医療制度そのものを根本的に改めない限りは、医師と薬剤師とが医療の責任を分担して国民大衆に奉仕するという理想の姿は、医師と薬剤師との認識と理解だけでは到底生れては来ないのであります。

 協調・話合い、陳情も又結構、然しそれのみに依存して若し漫然と手をこまぬくことありとするならば往年の如き悲涙を再び味わい、若し誤れば零細薬局の切り捨てと薬剤師会の分裂、分解とが残存するおそれなしとしないのであって、きれい事のみで闘や運動に勝ったためしはないのであります。

 吾々の後につづく若き薬剤師又将来薬剤師たらんと志す若き者達に再びこの苦悩を与えることなく九十年の分業運動史に終止符を打つべく、幸か不幸かこの世代に生を受けたる全薬剤師は自らのもてる全てをこの結集せられたる分業運動の焔の中に注ごうではないか。

 福岡県安定協 十月例会

 福岡県安定協議会十月例会は二十五日一時半から県薬会館でメーカー七社、卸五社、小売五氏の委員が出席して開会した。

 当日は卸側の当番ですすめ先ず白木県薬商組理事長から公正競争規約についての現況説明があり、この問題については未だ研究の段階にあるが、その成行きをよく注視すべきで、小売側としては県商組の法規研究委員会などで検討して貰いたいとの要望があった。

 安定協議会は、九州においては今なお毎月開会しているが、他府県では既に大部分消滅しているようである。然し価格安定、業界の姿勢などについてこのような話の場を持つことは非常に有意義であるので、今後も前向きにこの協議会は引続き開会することになり、それより店頭の吊りビラ、チラシ等に対する考え方、ミルクの審判について協議、報告などを行った。次回定例会には忘年会を兼ねて開会することを決めて散会した。

九州薬事新報 昭和43年(1968) 11月20日号

 福岡市学薬会 表彰さる

 去る十月十六日豊前市において開会された福岡県学校保健大会において、福岡市学校薬剤師会(内田数彦会長)は学校保健の進展に尽力した功績によって県学校保健会長から表彰され、記念のトロフィを授与された。

 厚生省薬務局、遂に 要指示薬取締り強化を通達

厚生省薬務局は十月三十一日、要指示薬の取扱いと監視について各都道府県に、関係団体には取扱いについてそれぞれ通達した。日本薬剤師会への通達の全文は次の通り

 薬事法第四九条の現定に基づき指定された医薬品の取り扱いについて

 標記医薬品については、遺憾ながら今迄に違法な販売が絶えない状態であるので、今後はその販売の適正をはかると共に一般消費者の所謂要指示医薬品制度に関する理解を深めるため要指示医薬品の販売業者については下記の事項を厳守させることにしたので、その旨貴会員に周知徹底されるよう特別のご配慮を願いたい。

 なお、要指示医薬品販売業者に対する指導取締りの徹底方については、別添の通り都道府県知事宛指示した処であるので念のため申添える。


 一、薬局等の開設者及び管理者は、常に保健衛生上の支障が生ずることのないようその責務を自覚の上業務に当ること。
 二、要指示医薬品の販売は薬剤師が自らこれに当り当該医師・歯科医師又は獣医師による処方せん又は指示の内容に従って用法用量その他使用及び取扱い上の必要な注意を与えること。
 三、医師等の処方せん又は指示を受けていない者に対して販売してはならないことは当然であるが、これ等の者に対しては要指示医薬品に関する規制の趣旨を説明の上医師等の診断を受けるようすすめること。
 四、要指示医薬品に関する仕入伝票・売上伝票・処方せん等を他の品目のものと区別して保管すること。但し一般消費者に対して販売を行なわない業者にあってはこの限りでないこと。
 五、薬事法第四九条第二項の規定に基づく帳簿の記載は指示による販売についてのみ行うこととしてさしつかえないこと。
 六、要指示医薬品は他のものと区別して保管すること。なお、別の都道府県への通達中監視に関する留意事項は次の通りである。

 ▽薬局等に対する監視の留意事項
薬局等に関する監視に当っては、要指示医薬品の取扱いにつき、特に次の事項に留意すること。なお必要に応じ薬事法第六九条の現定による報告を命ずる等の方法によって所要の調査を十分行なうこと。
 (1)帳簿の記帳状況並に帳簿及び処方せんの保管状況を点検すること。なお指示の有無について疑いのある場合は、確認すること。  (2)要指示医薬品の保管状況を点検すること。
 (3)要指示医薬品に関する法令の遵守状況を確認するため、前記の伝票類・処方せん、帳簿と在庫品の照合を行なうこと。
 (4)臨床薬理学講座
非常に好評であるので次回は近く開催、しもやけ、冷え性などをとりあげる予定である
 (5)厚生省の薬価調査
県薬務課から係員出席、本年も昨年同様調査を行うので、当日は調査用紙持参の上説明を行い、本月二五日迄に薬務課に記入提出することになった。それより四島県薬会長から

 ▽日本医薬分業実施推進同盟結成▽日薬地方薬剤師会連絡協議会▽全国薬務課長会等について報告、並に薬剤師が今日重大な危機に立っている実情につき詳細な説明があり、福岡県医薬分業実施同盟を結成するために本支部連絡協議会を創立総会に切り替え規約その他を決定した。

 福岡県医薬分業 実施推進同盟結成

 日薬は同盟を結成、十一月二十一日総会を開いたが、本県薬でも分業促進と業権獲持のため、去る九月の支部連絡協議会にはかり結成することになり、五日の理事会で検討した本県同盟規約をそのまま承認、いよいよ発足することになった。同盟の役員は会長以下薬剤師会の役員が実質的に当ることになり、会費は日薬の割当額に若干県同盟会費を加算、各支部毎に保険薬局、薬局、一般販売業、勤務薬剤師数など勘案して算定した割当額を支部の実情に応じた方法で徴集することになった。

 北九州の一部から、剤界の危機感の欠除から会費徴集困難な支部もある様で、県薬臨時代議員会開会の要望もあったが、既に会費を徴集している積極的な支部も相当あるので、困難な支部には県薬幹部が説得に出向くこととして直に発足することに決定した。

 それより白木県薬商組理事長から再販獲持についてそその後の経過とともに進捗状況などが報告され、公正競争規約については、再販獲持のため同規約が必要になる場合の準備として研究して置くよう要望があって茲に一連の会議を終了した。

九州薬事新報 昭和43年(1968) 11月30日号

 分業と経済・再販本質論などに就て 九州・山口薬学大会印象記B 隈治人

 第二日の午前、日薬社保委員長加藤良一氏の開局部会における講演は内容のあるものであった。特に最近の処方についての医原病をふくめての危険性の増加、また専門的知識の欠除の指摘は、僕のように実際調剤から離れて簡単安易な保険調剤をホンの少ししかやっていないものにとっては、一種の警告のようにもひびいた。

 僕たちはいまからこのような専門的実際調剤学を熱心に学び直さなければならないと痛感させられた。そして午後は同じく日薬社保委員の芹沢恒夫氏の「医薬分業と薬業経済」の話を聴いた。これは今次大会で僕が最もききたいと思っていた講演であったから、一語々々もきき洩らすまいと熱心に耳を傾けた。

 芹沢氏はこういう意味のことをいった。「医薬分業が薬局の経済にプラスするかマイナスするかという議論がある。しかし単純にプラスするかマイナスするかという議論は、それぞれ仮定の条件に立ってやるのであればあまり意味はない。」と。それは全く当り前の話であって、僕にもよくわかる。しかし僕らの聴きたいことはもともとそういう常識論ではない筈だった。現時点で具体的に日薬がどう分業を薬局経済にプラスさせようと考えているか、という具体論でなければならなかった。

 また分業の推進に伴って大衆薬がどのように変ってゆくのか、日医のそれに対する考え方はどうか。また日薬はそれをどう判断しているのか、大衆薬の圧縮(分業先進国なみの)が実際にどのような形で進展してゆくのか、またゆかないのか。そういう見通し、それが薬局経済にどのように影響してゆくのか、ゆかないのか。具体的なそれらのことが語られなければ、すくなくとも僕には期待が裏切られたことになるのだった。

 たとえ日薬の意図だけでもいい、またビジョンだけでもよかったのである。意図やビジョンの可能性がどのようにあるという判断は聴き手がそれを考え、また可能性追求の道もあとでいろいろと論ぜられたらよい筈だった。すくなくとも具体的な問題点だけは提起してもらいたかった。

 以上のことについて芹沢氏はこれからの医薬分業実現後の薬局の公共性と「非営利性」を強調したのにとどまった。またOTC薬は将来性がないだろう。例えばスウェーデンの薬局ではOTC薬の比重は二〇パーセントしかないといっただけだった。芹沢氏はこの二点をいうことで僕らに「示唆」を与えたつもりだったかも知れない。

 果してそうなら、医薬分業になっても薬局は利益にはなりませんよ、大衆薬はジリ貧ですよ、といったのにすぎない。それは日薬の観念した姿であるのか。手のうちようは何もないという意であるのか。まったく心細い限りであって、日薬会員は浮かばれるのか、浮かばれないのかわからなくなるのではないかとさえ思われた。

 芹沢氏はまた、分業理論の稀薄性について訴えた。そしていまは故人となった野沢氏の「全薬剤師は医薬分業について理論武装すべきである。全薬剤師が理論武装によって確乎たる姿勢を取ることができさえすれば、金などは要らない」といわれた言葉を引用した。

 この芹沢氏の発言も僕には奇妙な印象を与えた。医薬分業についての理論武装の必要性は身にしみてよくわかる。過去において武装された理論はたしかにあった。それは医師会との対決の姿勢における武装でありかつ理論だったのである。だがいまは客観情勢はまるきり違う。対決していた医師会とは和解して協調の体制にある。分業の機運は情勢的に他力本願的にも成熟しつつある。このような情勢での理論武装は既往とは質がちがって来た筈である。

 芹沢氏はいま、僕らに理論武装を訴えて百家争鳴せよというのであろうか。あるいは百花斉放のなかから理論のモデルを探せというのであろうか。僕にいわせれば「この期に及んで」である。すでに分業推進期成同盟は発足した。開局薬剤師はこれから三年の間に三万六千円の政治資金を出すつもりになっているのである。すでに矢は放たれたのである。矢がつよく飛び、するどく突きささるためには、故野沢氏のいわれた通り金よりも理論であろう。その理論がなぜいまだにできていないのであるか或いはできているのかも知れない。できているのならば、なぜすみやかに理論の徹底普及を計らないのか。そういう素朴な疑問が僕の胸には湧いた。

 なるほど分業推進の方針、方策などはいままで?々いわれた。また期成同盟と共に具体的な推進要領はつくられた。それはそれでよい。しかし芹沢氏のいわれる理論はないようである。芹沢氏もそういう理論がないからこそ訴えたのであろう。その理論こそ大所高所に立った国民のための、医療のための純粋な分業理論でなければならず、それはすでに全薬剤師の思想統一のために、日薬自身が確信をもって全軍に明示すべきものではなかったのだろうか。

 パネルディスカッション 逼迫せる業界における薬局の生きる道

芹沢氏の話が終ってから「逼迫せる業界における薬局の生きる道」というテーマで各講師の意見発表が行なわれた。僕に最も興味のあったのは荒巻善之助氏の「再販についての考察」という発表だった。この大会で参加者全員に渡された「九州薬学会々報」二二号に僕は一一七頁から四頁にわたって「再販制度の現状維持を主張する理論」を載せていた。

 荒巻氏が大会誌に記載した文は短かかったが、一応再販制度についてそれは批判的な内容のように受けとれた。だから余計興味を感じたのかも知れない。荒巻氏は冒頭Bワイスという米国人の「マーケティング未来学」という本について「独立小売店は死んだ」というコトバを紹介した。

 また林周二氏のかつての予言や現状について言及した。さらにダイエーやスーパーの躍進の可能性についても触れた。林教授やスーパーについてはともかく、Bワイスなる著者の「独立小売店は死んだ」という字句はおそらく米国商業界の現状をそのまま語っているのではなかろう。

 僕の知る限りでは、米国では巨大スーパーの物凄い躍進があると同時に、数としては絶対多数の一人か二人による専門店が依然として堅実に立派に高い生産性を以て経営されていると認識しているからである。現地視察談としても長崎の宮崎温仙堂の宮崎六夫社長から親しくいろいろな話も聞いている。もし僕のこのような認識がまちがっているのであれば叱正をいただきたい。

 再販制度について荒巻氏は、それはメーカーの小売支配体制の有効な一環であると考察した。僕も全く同感である。しかしその場合の「最も意義ある小売」とは超大量販売店、スーパーを指すのであって、弱小零細小売はメーカー支配という意味に限っては第二義以下的の存在でしかない。

 東京外語大の伊東光晴教授がいうように「アメリカにおける流通革命は唯ひとつ大売り店のメーカー支配という形で成功した」……その大売り店のメーカー支配(消費者価格を大売り店が策定し、それに従ってメーカーの出庫価格をきめる)をはばむものが再販制度というメーカーによる流通規制体制なのである。

 むろん再販体制は大売り店のみならず、中型店から零細店までを支配するが、中型店以下の小売り店の場合は、再販にかぎらずすべての価格体制が拘束し支配するのであって、それは再販価格体制に限ったことではない。このことについて僕に考えのあやまりがあれば教えていただきたい。

 各講師八名の意見発表が終ってからの質疑応答で、或る人が日薬委員の芹沢氏に対して「処方権」について問う処があった。それに対する芹沢氏の答えは、武田孝三郎日薬会長の「慎重」な「政治的」配慮によりはじめは考慮した「調剤権」の主張もついに取りやめるにいたった、というものであった。芹沢氏は最初の講演のなかでも「戦術を立てて勇ましく戦うことはたやすい。しかし適切な戦略を運用することはいうは易く行なうは難い。武田会長は後者について実に深い考察を払っている」とも述べている。

 だから日薬会長を全幅的に信頼し、一心についてこい、といわんばかりに聞えた。或いはそれでいいのかも知れない。しかしそんなことではいわば「無理論」理論のない状態ではないのか。すべてカンジンカナメのことは舞台裏の取引で巧妙適切に行なわれつつあるというのだろうか。然らば芹沢氏がいった全薬剤師の理論武装とは何を意味するのだろう。全薬剤師には理論武装の必要性があり、日薬は別に「無」理論で戦うというのであれば、この撞着は一体どう解明したらよいのであろうか。

 僕は「処方権」は日医による医療の完全独占支配体制の武見構想の端的な表現と考察している。こういう考察は剤界ではタブーの言葉なのであろうか。どうもわからないことが僕には多すぎるのである。わざわざ来福された芹沢委員にはまことに気の毒であるが、正直このような印象しか残らなかった。残念である。

 その他で特筆すべきことは九友会芳野直行理事長の意見発表を激励するため、九友会会員の諸氏が大型バス二台をつらねて堂々と会場に乗りこんで来たことであった。このように統制のある百名を超すボランターが躍進しつつあることは、まさに九州薬業界の新しい波の誕生といってもよいであろう。僕は「欲ばり村物語」という意見発表のなかで三点を強調したが、そのなかで終りに零細小売は不当差別対価の撤廃を主張して起ち上れといった。それは「零細業の競争力を阻害しているからだ」ともいった。しかし現実的にはよほど強力な商組ででもないかぎり、不当な差別対価の撤廃は無理だろう。それは真実のタバになることによってはじめて可能なのである。タバになるためには零細店によるボランタリーチェーンの結成以外、現実的には考えられないことかも知れない。それを僕がいえば芳野氏のボランタリー論にひとしくなる。だから僕はそれをいわなかっただけの事である。

 終りに漢方について語った久保川憲彦氏についても一言触れておきたい。久保川氏は相談客に対しては最初に病者の気分をよくしてやるべきだと示唆した。それによって病者を漢方にひきつけ、離さず、長期服薬を可能にするという方法論である。一見モウケ主義のように聞かれたと思うが、実はそうではない。病者を治療に導く漢方適合の最良策というべく、その点久保川氏の論は実質的にはヒューマニスティックで使命的であると思われる。(十月十六日稿)