通 史 昭和43年(1968) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和43年(1968) 10月10日号

 日薬は分業実施試案提出 鈴木調査会と懇談 その後調査会は自民党案作成に着手

 医療保険制度の抜本改正に対して日本薬剤師会は会の要望(医薬分業)を反映させる第一段階として自民党の医療基本問題調査会(鈴木善幸会長)代表と九月二十五日午后一時から会談した。日薬側の代表者(出席者)は武田会長、桜井、鈴木両副会長、沖、四島常務理事、秋谷職能推進本部長、太田、吉矢両副本部長の八氏であった。

 鈴木調査会は既に日医とは数回に亘って会談し又日歯とも既に懇談を終えており、今回の日薬との会談では医薬分業の問題に絞って日薬の意見を聞きたいとの希望でもあり、日薬では左記の医薬分業実施試案を提出してこれを詳細に説明し、それより階段約二時間半に及んだ。

 鈴木調査会長は「分業については日医も日歯も基本的には賛成しており、三師会の意見としてできるだけ早く実施すべきで、具体的な問題については三師の間で実施計画を協議してもらいたい。年次計画を定め全国的な実施が実現するよう努力されたい」との発言があった。

画像  日本薬剤師会 医薬分業 実施試案

(1)医薬分業を早期実現させる前提要件として、次の点が重要である。
@医師、歯科医師の技術を適正に評価する。ことに、初診料、再診料及び処方せん料を改訂する。それとともに、医師と歯科医師の技術料と薬価の区分を明確にする。
A医師、歯科医師の薬剤に対する信頼度を高める。薬剤師が医師担当者として責任を分つものであることの認識を深めさせる。(調剤の正確最新患者の減少を来たさぬようにする。処方せん内容の批判を差し控える等)
B患者が、医薬分業になじむ措置を計るとともに、分業によって患者の負担が増大することのないよう、保険給付の上で配慮する。(処方せん料分に係る一部負担免除等)。
また、医師、歯科医師の処方せんにより、保険薬局が調剤した場合は、調剤料(薬品代除く)は10割給付とする。
C薬剤師の調剤技術料を適正に評価する。
甲表、乙表、保険薬局間の差を是正均一化する。
基本調剤料、調剤技術料及び薬品試験料を設定する。
D医療機関のうち、医師3名以上が常務し、薬剤師が調剤を担当する調剤所を有するものについては、その調剤所を薬事法上の薬局とし、保険薬局の扱いとする。
(ただし、物品販売、他所よりの処方せん調剤は行なわない。)

(2)実施年度計画
 完全実施は、昭和四十三年四月一日から三年後とする。

第一年度
 昭和四十三年十二月末日までに、薬局側の受入体制を整備する。
 具体的方法として、例えば、各都道府県薬剤師会において、指定薬局希望者に申請せしめ、設備、備蓄薬品、立地条件等を審査し、「都道府県薬剤師会指定薬局」と標示せしめる。
 その際、日本薬剤師会制定の薬剤師倫理規定及び調剤指針に則り、処方せん発行者の信頼を得るよう契約する。
 指定薬局数軒のうち、一軒を「調剤センター」として、稀用薬品備蓄センターとして利用することも考える。

第二年度
 昭和四十四年四月一日より、初診料、再診料及び処方せん料改訂が実施された場合医師、歯科医師、薬剤師を含めた適当な機関にはかり、処方せん発行を実施する。
 他方、薬剤師の調剤報酬改訂が実現すれば、薬局受入態勢も益々完備される。
 ただし、この一年間は、調剤してもらう機関を患者の自由選択にまかせる。この場合、医師、歯科医師が自ら調剤投与した場合の点数は別に定める。
 しかし、何と言っても、患者へのメリットが大切であるから、処方せん料10割給付、保険薬局調剤料10割給付もぜひ実施してもらいたい。

第三年度
 昭和四十五年四月一日より、医師、歯科医師、薬剤師を含めた適当な機関にはかり、医師法第二十二条及び歯科医師法第二十一条中「ただし、患者又は現にその看護に当っている者が特にその医師又は歯科医師から薬剤の交付を受けることを希望する旨を申し出た場合」の規定を削除する。
 これに代えて、新らしい例外規定を設け、「○○メートル以内に保険薬局の存在しない場合は、医師、歯科医師が自ら調剤する場合は調剤投与を認める」とする。
 なお、鈴木調査会(自民党医療基本問題調査会)はその後十月二日総会を開き、健康保険制度を中心とする医療制度の抜本改正について自民党案をまとめることになったが、鈴木会長は日医、日歯、日薬の診療三団体からの意見聴取の概畧を説明し、次の通常国会にその法案を提出するため、自民党案は今月中にまとめたいと発言し、今後調査会で検討すべき主要点を指摘して審議し作業を開始した。



 分業実施推進同盟負担金等 福岡県薬支部連絡協議会

 福岡県薬剤師会は、去る八月二十七日開会の日薬臨時代議員会後始めての理事会並に支部連絡協議会を九月二十八日十一時から県薬会館で開会した。

 福岡県薬では九州山口薬学大会準備打合せ会の都度、中央情勢についての報告がなされているので幹部役員には能く浸透しているも、当日は分業推進期成同盟について県薬の考えを明らかにするとともに支部の意見を聴取して、これに対する県薬の態度を決定した。

 当日午前開会の理事会で同盟について検討した結果、県薬としては、十月開会の薬学大会を分業推進の決起大会的性格で運営することとして、特別には臨時代議員会は開かないことを決め拠出金については大体中央での政治工作に必要で、会員はこれをバックアップするため全会員が拠出金を納める意味で当分の間(情勢変化がない限り)日薬からの割当月額約四十万円を薬局及び一般販売業約九百軒が月五百円宛拠出することとなり、午後の支部長会に諮った結果、各支部は県薬の割当額を支部の実情に合せ、適当に拠出することと決定した。なお各支部への割当てについては、後日県薬で検討の上決定する。

 次に▽薬学講習会計画▽薬と健康週間行事▽薬学大会準備▽グループ保険▽麻薬撲滅国民運動福岡大会などについての協力、又多数出席することなどについても希望、要請があった。特に臨床薬理学講座については非常に内容も充実、受講者にも好評であり、よろこばれているので、十一月開催(冬向きに皮膚病)時には多数受講するよう要望があった。

 又、本県の保険薬局標識申込みは現在一二〇店であるが、今後この標識のPR(例えば歯・医などの待合室用標識PRのポスター等作成)なども考慮中であるので多数申込むよう要望があった。

 次に社保関係では九月分請求は今日までの最高であったと報告され、時局柄原爆、結核予防、生活保護等の指定を全保険業局が早急に受けるよう要望があるなど、当日は非常に活発な支部長会であった。

 同盟負担金額決定 福岡市薬部会長会

 福岡市薬剤師会は十月一日一時半から県薬会館で、部会長会を開会、二十八日開会の県薬支部連絡協議会報告及び十月十七日から三日間行われる「薬と健康展」の人員割当、薬学大会への出席などにつき協力を求めた。

 次に分業推進期成同盟の結成並に鈴木調査会と日薬との懇談など、四島県薬会長から詳細な説明を聞いた後同盟の会費については、重大時局を会員に周知徹底させるとともに、会費一会員宛千円拠出することとし、内五百円を県薬へ、残りの五百円は支部自体の分業促進の積極的対策推進のための活動資金に当てることとなった。

 福岡県薬務課 佐藤課長心得 ほか二氏昇進

 福岡県衛生部薬務課は尾崎前課長退職後、佐藤薬務課長補佐が課長心得として事務を執っていたが、十月一日付正式に薬務課長に昇進その後任、薬務技術補佐に同課麻薬係長には同課の大塚正美氏(前粕産保健所衛生課長)がそれぞれ就任した。

九州薬事新報 昭和43年(1968) 10月20日号

 日薬臨時代議員会で決めた 分業実施推進期成同盟は
  近く結成の運びとなる

 会員に代っての長野代議員の質問

 日本薬剤師会は去る八月末日薬臨時代議員会を開会して分業に対する考え方を公表、実質的に武見医師会の横暴に対して起ち上ったわけで、具体的には分業推進期成同盟を結成し、年間約一億の運動資金を集めることとなり、十月二十一日その創立総会を開き発足することとなっている。

 これを機会に東京都薬は同日午後「分業完遂総決起大会」を開き、日薬会長、全国各府県会長、国会議員関係団体代表、都薬会員、近県代表など約千五百名を動員し分業の早期実現を全国的に盛りあげる計画である。

 先の日薬代議員では従来から日薬執行部の弱腰をつく意見が多く、執行部をつき上げたが、新たに結成される期成同盟について福岡県選出日薬代議員(福岡県薬副会長)長野義夫氏は会員に代って左記のような質問をなし、これに対し武田日薬会長は、最後の仕事として戦う覚悟を明らかにし、政治資金規正法にもとづく二つの政治団体をつくる必要性があるかどうかについては分業一本の強力な活動をするために必要であると従来になく強い態度を示した。

 おそらく今回が最後になると考えられる分業闘争の幕は切って落され、薬剤師は好むと好まざるとにかかわらず医師会との対決が迫られることとなり、九十年の悲願が成るかどうかは今後の会員の双肩にずっしとかかったわけである。

 臨時代議員会における長野代議員の質問は次の通りである。

 私は武田孝三郎氏個人に対しその人格と識見に深い尊敬の念を有する者であります。更に私は武田氏に対しては個人的恩義こそあれうらみ、つらみ等は更々に無いことを申上げて只日本薬剤会々長武田孝三郎氏の永年にわたり剤界に尽くされたるその栄誉の為にこの重大な時局に於て私の意見をまじえながら三つの質問を致したいと思うのであります。願わくばこの公開の席を通じ広く会員並びに関係者に対し、この問題に就ての日本薬剤師会の信念と情熱とを明確率直に吐露して戴きたいと思うのであります。

 医薬分業に関する理論と経過と闘いの歴史とはここにかかげる必要はありませんが「医薬分業に就ては深き理解をもって対処する」と云うメモ以来の日本薬剤師会の分業問題に関する態度と姿勢とは、はたで見る目も情ない程のフラフラの柳腰になったのは一体どういうことなのか。厚生官僚が医薬分業と云う四字を時々使う位のここで分業近しとでも考えて若しいるならば或いは又、日本医師会長が分業が医療本来の理想像であると演説した位で国も医師会も医薬分業に積極的であるとでも判断するならばそれはとんでもない思い違いか、希望的判断に過ぎないのであって、国及び団体の内蔵する真意は永い年月にわたる彼等の言葉と行動からのみ類推することがこそ最も正確な判断であって、より高い政治的思慮から云って厚生省は自ら作った分業法を自ら断行することはあり得ないし、又自ら診察し自ら薬を与え自ら請求書を作成して、他から金をもらうと云う今のシステムから生ずる経済的のうま味を武見が何んと言おうとそう易々と手放すわけがない。それよりもむしろ彼等の手で調剤センターを造り、製薬会社を造り自給自足さえ考えているとうわさされる現医師会の真意を日薬は気付いているであろうか。

 一物二名称の問題、処方権の問題、調剤センターの問題等に就て、あれだけのパンチとアッパカットを喰い乍ら「あれは医師会内部事情あっての発言だ」とか、「むしろ医薬分業にプラスになる発言だ」とかの受け取り方が社団法人日本薬剤師会の主体性を自ら破壊し去る敗北主義以外何ものでもないと思うがどうか。あたかも医師からその分け前にでもあづかろうとして処方箋を廻して下ださい私の方で貴方の信頼のおけるセンターを作ります。とでも言っておる様に、なんたる下僕根性か。

 医師会長が公開の席上で発表せられたる意見に対しては、吾々の根本理念に基いて云うべきは云い、主張すべきは主張することが傘下二万のいや全国六万の薬剤師の団結意慾を終結する最良の方策であると共に法人格を有する団体の関係者並びに大衆に対する使命と責任であると思うのである。

 医薬分業は大衆の為だ、大衆の利益につながると云う理論を何故に公けにしないのか。職能推進と云う言葉を使っているが一体誰が理解出来るであろうか。これは単なる会内での家庭教育的なものにしか過ぎない。

 医薬分業はあくまで政治の問題でありそれ以外何ものでもない。即ち医薬分業が大衆につながる理由がこそそこにあるのである。私は今この様な意見を述べても決して往年の如き闘争を夢見るものではないのであります。

ここで私は質問の主眼を三つの問題にしぼって明解な答弁を要求するものであります。

 第一点は今度提案されたる問題に就ての厳然たる政治姿勢と目的に向っての逞しい決断力と実行力と忍耐ありや、と云うことであります。法律あって守られていないその法律を守らせようとすることと、更に法律改正は生やさしい努力では不可能であります。この点に就ての会長の覚悟と信念とを承りたいのであります。この案は単なる思い付きではないと思うが、日薬全理事がこの粗案に対し充分質疑討論の結果得られたものかどうか。即ち九十年の分業運動史に終止符を打とうとする最後の闘いをいどむ組織になるかどうか。

 第二点は現在までの日薬の軟弱極まる政治的態度に対し会員は疑惑と憤りと失望感さえいだきつつある現在、この一片の分業実施推進同盟結成の呼びかけだけで欣然として参加し会費の収納が可能と思うかどうか。/P>

 第三点は日薬の中に日薬の目的を遂行推進する二個の政治資金規正法にもとづく政治団体をつくることになるが、何故に二つ必要なのか。その優劣可否を深い思慮の元に検討されたかどうか。最高度の政治裏工作も必要であろうが届出団体としてやれるかどうか。 以上三点に就て質問致します。御答弁によっては再質問の権利を留保致します

 福岡県 薬局等の許可更新

 福岡県では左記に該当する薬業者は今回の「薬局、医薬品製造業、一般販売業、薬種商販売業」等の許可更新のため十月十五日」迄に所轄保健所に関係書類を提出せねばならぬ事になっている。
 ▽昭和四十二年一月一日付の許可更新者
 ▽昭和四十二年一月一日から同年三月三十一日までに新規の許可を受けた者

京城薬専 北九州山口同窓会

 京城薬専出身の薬剤師は九州各地に多く、薬剤師会幹部として活躍している人も多いが、去月七日同同窓会北九州山口支部(山地農会長)では、玄海国立公園岡垣町湯川山荘において久しぶりに同窓会を開いて懐旧の情を温め、遥かに玄海の彼方母校を語って賑かな一夕を過した。当日の出席者は左記のとおり(なお弊社にその寄書が寄せられたが紙面の都合で割愛しました。) 山地農▽石川蔦夫▽松尾松次郎▽吉塚弘▽才田豊▽三宅正男▽安部洸蔵▽中川幸重▽高木五六郎▽近沢忠雄▽藤本光明▽金長清臣▽岩崎秀雄

九州薬事新報 昭和43年(1968) 10月20日号

 稔りの平野、福岡県・久留米市に 第36回九州・山口薬学大会
 会員千八百余名参集

 第36回九州山口薬学大会は、晴快にめぐまれた十月十日から、福岡県久留米市石橋文化会館において盛大に開会、時局柄分業一本に盛り上りを見せ、例年にも増し約千八百名の参加者が終始熱心に、研究発表に討論に花を咲かせ、十二日盛大裡にその幕を閉じた。

 本年の大会、本会議の特別講演は同志社大学教授嶋田啓一郎氏の「社会保障と医療制度」で、現在会員が一番関心を示している問題を採り上げ、解明して参加者の共感と啓蒙を果し、各分科会においては東京大学薬学部永井恒司氏の「薬剤学と病院薬局」=薬剤部長協議会。日本薬剤師社会保険委員長加藤良一氏の「医療保険制度の抜本改正に対応する医薬分業の進め方」=開局保険部会。日本薬剤師会社会保険委員芹沢恒夫氏の「医薬分業と薬局経済」=開局経済部会。など講演八題、研究発表五四、シンポジウム二、討論一、パネルディスカッション一などが行われ、終始アカデミックな研究意欲の横溢した大会であった。

 内容は本会議(一部式典、二部会議)、九州山口薬学会総会のほか薬剤部長協議会並に薬務・公衆衛生鑑識、開局(保険)、開局(経済)、学校薬剤師、女子薬剤師、卸(流通)、製薬の七部会及び商組代表者会議が開かれ、本会議終了後は商業の街久留米の郷土芸能「そろばん踊り」が披露され、当日五時からは石橋美術館前の大噴水をのぞむプールサイドで、酒どころにふさわしく、清酒清力の菰かぶりを飾った舞台からは楽団による華やかなメロディーが流れる中で約九百名による大懇親会が催され、メーンテイブルには久留米市長を始め日薬井手副会長、秋島、栗村女子薬正副会長並に他数の来賓が色を添えた。そのほか大会前日には同会館において大会運営委員会並に薬剤部長協議会委員会が開かれ、又大会に附随して久留米市日興ホテルでは九州山口各県DI担当者打合せ会、福岡市においては同各県薬務課長会議などが開催された。

 なお、本薬学大会の歴史は日本薬学会より古く、後に薬剤師会と併せ行われていたが、本年開会に当って特に根本的に会の在り方、運営度々会を重ねて検討した結果、新しいビジョンと機構のもとに開会されたもので、従来よりアカデミックに、すべてに新機軸を打出したことが成功の一因となったようである。なお今大会会場は石橋正二郎氏が同市に寄贈したもので、広々とした敷地に白鳥の池あり、森の広場、噴水、花畑などに囲まれた広大な建物であるので、例年展示される医薬品の出品展示も五十社に及び、その他薬科機器展示並に関係書籍の展示も、特に堀岡大会副委員長の努力によって実施され、図書は医学、薬学薬局関係の洋書三百点、和書二百点余りが展示され、時局柄「最近の新薬」などに人気があり、機器の展示では「モデル調剤室」もあり、自動分割機、万能洗滌器、同混合攪拌機など多数陳列され、開局者には三六万円の調剤台が人気を呼んでいたようである。

 本会議

 本会議は大会第一日の午後一時から石橋文化センター文化ホールで第一部式典、第二部会議が約千百名の会員が参加して開会した。

 先ず地元福岡県薬理事辻進氏より力強く開会宣言され、全員起立して国歌斉唱、長野福岡県薬副会長から本会の歴史を讃えての開式の辞に引続き、四島九州山口薬剤師会長は、明治百年、日薬七十五年を記念する秋に、この歴史ある本薬学大会を新しい機構のもとに、薬剤師の九十年来の念願である分業推進の山場にさしかかった重大時期に開会する意義を述べて挨拶とし、次に松村九州山口薬学会会頭は来賓各位臨席のもとに盛大に挙行出来ることを謝したのち、薬学の進歩は著しく、従来有機学化学に偏する嫌があったが最近では生物学、生化学、物理化学の領域にも拡大され、変遷しつつある。

 純学術的な研究、報告等は主として日本薬学会九州支部例会で発表され誠に盛んであるが、本会は主として地区在住の会員が各職域における実践薬学の研究、調査発表の場として発展したもので、考え方によっては純学術的よりも意義深いものも多く、遠く関東大震災の年、大正十二年に結成されて以来四十五年なる。その間終戦前後の開催不能、日本薬学会福岡開催が二回などのため本年は三十六回であるが、この種の学会としては最も古い歴史を持ち、機関紙九州薬学会報は世界各国に送られていると述べ、残る分科会を有意義に終了することを希望した。

それより顕彰に移り、名誉会員推薦、感謝状贈呈、表彰状贈呈を行い四島会長から記念品料とともにそれぞれに手交し、被顕彰者を代表して田代欣一氏が感謝のことばを述べた。

 ▽名誉会員
 瓜生田定(大分)戸田助人(熊本)阿部基吉、古賀常吉、五郎丸勝(以上福岡)
 ▽感謝状(個人)
 瓜生田定(大分)国松藤夫、尾崎松夫、大黒清太郎(以上福岡)
 (団体)
 熊本薬事新聞社(熊本)
 筑紫二十日会(福岡)
 福岡県医薬品卸連合会(福岡)
 筑豊薬学集談会(福岡)
 ▽表彰状
 中溝寅記(熊本)山下利晴(鹿児島)松浦純治郎(宮崎)佃恭孝(大分)田代欣一(佐賀)高取治輔(長崎)中村俊助(山口)林真一、田中美代、友納英一(以上福岡)

 次に来賓の祝辞に移り、厚生大臣、県知事、久留米市長、県歯科医師会長の祝辞に次いで日薬会長祝辞を井手副会長が代って朗読、多数の祝電披露があって岡野副会長の閉式の辞により式典を終り、引続き二時から第二部会議を開会、議長団選挙は司会者一任で、山中栄一・熊本、山村実治・鹿児島両県薬会長を推し、前年度第35回九州山口薬学大会決定事項の処理報告を藤村長崎県薬会長から、詳細については井手日薬副会長から八項目についてそれぞれ報告があった。

 それより大会提出議案審議に入り、別記七議案を各県からそれぞれ説明、審議の結果、いずれも採択と決定した。その時宮崎県薬会長長嶺氏から緊急動議が出され、日薬では来る二十一日分業実施推進同盟の創立総会が開かれるが、分業運動は今回が最後と確信することを決定するよう要望して分業意識を盛り上げ、拍手裡に採択と決定した。 それより国武一人氏の力強い左記宣言、決議文の朗読があり、次回本大会開催県の決定については熊本県と決定、山中熊本県薬会長の引受けの挨拶があって三時閉会した。

 宣言

 長い九拾年の薬剤師の歴史は即ち長い分業運動の斗争史でもあった。その間、或は暗く、或は明るく、或は甘く、或は厳しく、幾度会員を泣かせ、悲しませ、失望させたことか。然し薬剤師に受け継がれた父祖三代にわたる分業運動の灯、未だ消えず。時代の変遷と業界に打ち寄せる経済的波浪と外敵の作為的攻撃によく堪え、今日突如大きく燃え上がろうとしている。医薬分業が国民大衆の保健衛生と保険経済に不可欠、薬剤師が医療担当者としてその分を守り、医療の責任を分担するという医療本来の制度が、何故、今日迄正しく認識され、実施せられなかったのか。

 吾等は今、社会的、政治的反省の上に立ちながら、分業完遂に猛進をつづける以外に道はないことを知った。現在、その火は再び大きく燃え上がろうとしている。吾等の遭遇する最良にして最後の秋。現世代に生存する全薬剤師は自らのもつ自らのすべてを、この焔火に注がん。右宣言する。

 決議  一、医薬分業の完全実施と業権の護持に総力を結集せん。
 一、吾等の修得せる学術、技能によって国民大衆の健康と生命保持に奉仕せん。
 右決議す。

 九州・山口 薬学会総会

 九州山口薬学会総会は第一会場文化ホールで十一日本会議に引続き三時から開会した。

 総会は中島修氏(福岡大学)司会して開会、松村会頭は「昨年の総会において薬学会を現状に即したものにするには各県薬剤師会の学術部会の連合総会の形にすべきだとの意見を述べその後本会創立当時の事を調べたので、それを報告してあいさつに代えたい」と述べて、左記創立以来四十五年の歩みを語り、次いで林清五郎氏(熊大病院)を座長に推し、堀岡正義氏(九大病院)から会務報告として@庶務A薬学会報の編集B会計などの報告があって異議なく承認、役員選挙に移ったが、本会は規約等改正中であるので会頭を選出するだけに止めたい旨の発言があり、今日迄経験厚い松村現会頭に引続きお願いしたいとの意見多数で松村氏の三選を決定した。松村会頭は先ず会則を手がけ、次に役員を決定するので暫らく時間を貰いたい旨の了解を求め、四十五年の歴史の上にたって最善の努力を尽すとの新会頭としてあいさつがあって総会を閉ぢた。

 左記

 昨年の長崎の本会において私は本会を現状に即したものであるようにすべきことを申しあげ、会員常時不在、役員のみある現状を生かすならば、各県薬剤師会の学術部会の連合総会の形であるべきことを申述べました。再び会頭に推されましたので役員諸氏と懇談を重ねて参りました。その間私は本会の創立当初のことを調べてみましたので、そのことを申し上げてみてごあいさつに代えたいと存じます。

 九州薬学会の結成は関東大震災の大正十二年十一月でありまして香熊本薬学専門学校長を会長とし、発起人には藤田前会頭、江口作九大薬局長、田中義雄熊大薬局長その他でありまして翌大正十三年には第一回総会を熊本薬専門において開き、盛会でありました。

 発表者は熊本、長崎両薬専薬学関係者、又九大、熊大、長崎大付属病院勤務者を中心とするものでありました。翌十四年は長崎薬専で、十五年は九大薬局が世話役で福岡で開く予定の処、翌年、東亜観業大博覧会が福岡市で開かれたので、それに協讃して昭和二年に博覧会場内で開催し、参会々員三百名集合のもと盛大に挙行されました。ここで当時の発起人の相談されたことが、田中義雄先生により九大薬報に寄せられています。それによりますと江口先生は会員制にすると未納会費の処理が厄介だから、学会の当日出席した者を以って会員とするという提案をされ、これが採用されて今日迄役員があって常時会員のいない、この珍らしい組織が生れたわけであります。江口先生は大連の満鉄病院から九大へ大正九年赴任されたので、満洲薬学会で苦労された経験からこの提案をされたものと存じます。

 しかし会を運用するためには資金を要するわけで、当日の会費二円と寄付金によったようであります。又藤田先生は何時もいわれておった、中央の檜舞台で発表出来ない零細な研究報告の発表の場としたいし、会報も中央で採用されないもので、価値ある研究を収載するようにと発言しておられます。又田中先生は九州薬学会の隆盛をはかるためには、当時日本薬学会の中で最も活発に活動し動員人数の多い薬剤部長協議会並に衛生技術員会議を設けるべきことを力説しておられます。そうして毎年一回総会並に会報を発行し開催地の福岡、熊本、長崎とすることが定められている。この結成当時の申合せ事項が、殆んど変ることなく現在迄受け継がれて行われている。

 私は昭和十三年四月九大に赴任して来て、翌十四年の佐賀市における九州薬学大会に始めて参加しましたが、仲々充実した会であったことを覚えています。即ち終日学術講演会、薬剤部長協議会、特別講演などが行われていた。そうして翌日は薬剤師大会が同じ場所で行われていた。即ち薬剤師と薬学会が同じ場所で引続き別々の日に行われていたのであります。

 終戦前後開催不能の年が何年かありました。終戦後ご承知のように進駐軍の命令で日本薬学会と日本薬剤師協会が合併するようになり、日本薬学会は日本薬剤師協会の学術ぶもんとなったのに伴い、九州薬学会も九州薬剤師協会と共催の形をとり現在に及んでいます。日本薬学会は当時六十年の歴史を有する純学術団体であり、日本薬剤師協会は当時五十年の歴史を有する職能団体で夫々目的も性格も自ら異りますから、これを合体しても円滑に行くことはむつかしく、昭和三十四年両者協議の上夫々分離し、以後は開催地は同じで、同じ時期に引続き行うように改められていましたが、いよいよ本年から明白に独立して開かれるようになりましたことは御承知の通であります。

 九州薬剤師協会は終戦後結成され(磯田氏が初代会長)その後、山口県も参加し、九州薬学会(藤田会長)はその学術部門の形をとり、今日に及んでいますが、近年薬剤師会の行事のために薬学会の講演発表会の満足なる運営がしばしば阻害される現象も起きてきているので、これに対し薬学関係者の間で反発も活発となって来ました。

 一昨年私は不測にも会頭に就任を余儀なくされ、昨年の長崎大会において、九州薬学会の現実的な在り方を考うべきだと発言し、再び会頭に指名されました。爾来役員の方々と現実に即した運営並に会則を作るべく努力して参りました。薬学会の中にどの分科会迄を包含すべきか、会則も一応草案を作りましたが、考慮すべき点があり、拙速を排して尚研究中でありますので今暫らくお待ちねがいたいのであります。

 しかし骨子としては現状を直視して、組織を各県薬剤師会の学術部会の連合総会の形にすること、役員は各県より少くとも一名は出して頂くこと、会報の編集はやはり会報としての風格を保たしめ、編集方針を一貫させるため、大変ご面倒なおねがいではありますが人手の揃っている九大病院薬剤部におねがいしたい等であります。

 以上種々申述べましたが九州薬学会は創立以来四十五年になり過去の輝しい歴史を汚すことなく又地方学会の使命に副ってやって行くべきものと存じます。今後とも会員諸氏のご支援をおねがいいたす次第であります。

九州山口薬学大会 学校薬剤師部会

 学校薬剤師部会は大会第一日の十一日午前九時から文化会館第二会場で約二百名が出席して開会した。馬場正守氏(福岡県)司会して、友納部会長は「学校薬剤師会発足以来、幾多の障碍を越えて今日に至り、各県とも活発に活動するようになった。従来本薬学大会では研究発表のみを行って来たが、本年はシンポジウム形式を採用、各員の批判を頂き研鑽を積みたい」と述べ、直ちに古賀哲弥氏(福岡県学薬副会長)を座長に推して研究発表に入った。

 (1)学校保健室における常備薬品の管理状況について=藤田謙吉(伊万里市)
 (2)貯蔵条件による遊離残留塩素の消長について=横田武(長崎市)
 要するステンレス又はアルミ磁製容器にフタをして冷暗所に貯蔵すべきで、二時間以上経過したものは塩素を追加せねばならない。  (3)長崎駅前交通公害調査について=野川フミ(長崎市)
 (4)水泳プールの定期検査結果および消毒について=陣内正美(宮崎県)
 過去十年間定期検査を行い最近二年間の調査結果をまとめたもので、消毒薬の投入不足校は90%、学校側の消毒薬の使用法に非常にロスのあることが判った。又専用便所、足洗場、腰洗い場が少い。
 (5)防府市内、小中学校における航空機による騒音の実態について=森本達也(防府市)
 (6)プールの基礎的検査=藤本磯男(熊本県)
 安定剤を使用すると安定性が強い、用いないと二時間で効力がなくなるが、用いた時は四八時間後にも残留塩素〇・〇五%であった。それより活発な質問があってシンポジウムに移った。

 ▽シンポジウム
 「教室の環境改善について」早川政雄氏(福岡県前学薬会長)を座長に推し
 (1)火山降灰の被害と一般細菌検査=黒岩将臣(鹿児島)
 桜島の噴煙は突発的に起るが市民に急性結膜炎が多く四キロ離れた小学校で43%越える児童が急性結膜炎に罹患している。
 (2)照明環境の一考察=福島道尋(熊本県)
 (3)黒板についての調査結果=小笠原覚(佐賀市)
 黒板は消耗品であることを説明、四、五年で新調又は補修するよう指導すべきだ
 (4)学校環境衛生検査のうち空気の定期検査について=坂井透(長崎県)
 (5)騒音環境について=岩井隆一(宮崎県)
 心理的に左右されることが可成多いことが感じられ、文化に比例して当然増加する騒音への理解と順応性が必要であると考える。  以上で発表を終り、二、三発言者の補足があって閉会した。

 九州山口薬学大会 薬剤部長協議会

 ▽報告事項
 (1)前年度担当長崎県の深堀氏(大村病院)から項目毎に@メーカーへの要望については出来得るものから出来るだけ善処する。A病院でのDI活動を業務基準に規定する件B医薬品情報センターの設置について、の二項目については、七名の小委員で尚引続き検討することにするとの報告があった。
 (2)医薬品の消費実態調査報告=樋口武夫氏(長崎大学病院)
 この調査は既に昭和33年から36年にかけ実施、第31回大会で報告、その後薬品の多様化、新製品の発売などの影響からくる実態の変化を分析するため引続き調査したもので、本年は四年間分をまとめて報告された。その結果、品目毎の消長が推測出来て非常に参考になるものである。
 なお、この調査は九州各県の病院が協力したが、その施設数は、福岡37、長崎11、宮崎7、佐賀7、鹿児島5、熊本14、大分5、で合計八十一施設に及んでいる。
 (3)錠剤崩壊試験の実態調査=堀岡正義氏(九大病院)福岡県病院薬剤師会が共同研究班を組織して実施したもので、問題の多いコーティング錠および腸溶錠二九〇品目について試験し、種々参考になる結果が発表された。結論としては@病院で購入する医薬品には崩壊試験不適品が意外に多いので、病院薬局においては随時薬品試験を行ない医薬品の監視を行なうべきである。Aメーカーは自社製品につき日本薬局区方に準拠した崩壊試験法を採用するとともに、錠剤の種類の表示を適切に行うよう要望する。B行政当局は医薬品の許認可にあたり、日局の崩壊試験法に準拠するよう指導を行ない、とくに完成品輸入の製剤については日局の規定を厳格に適用することを要望する。
 それより議案審議に移り、左記五項目について説明があり、異議なく採択と決定、それぞれ処理要望することとなった。
 (1)日本薬局方外医薬品に日局に定める崩壊試験法を適用するよう厚生省に要望する件=林清五郎
 (2)注射薬の容器には個々に製造年月を明記するよう要望する件=神代昭
 (3)錠剤などのシート包装につき再度メーカーに要望する件=清水貞知
 (4)衛生検査技師法改正につき要望する件=平安義男
 (5)病院薬局の法制化を促進するよう当局に要望する件=深堀富栄

引続き永井恒司氏(東京大学薬学部)の講演「薬剤学と病院薬局」を約一時間にわたって聴講した。
 講演内容要点は@薬剤学の変貌と病院薬学A薬剤学及び病院薬学の位置づけB実務薬剤学(病院薬学)確立のねらいC病院薬局で行える研究活動、などで非常に有益なものであった。

 九州山口薬学大会 開局(保険)部会

 時局を反映して盛会が予想されていた開局保険部会は大会第二日、十二日午前九時から第四会場に溢れる程(約二百五十名)の出席で開会、部会長中村里実氏の開会あいさつの後、ただちに左記研究発表に入った。

 (1)保険調剤の経済性と対歯科医師会、対医師会接触について=藤田胖(福岡県)
 福岡市医師会と福岡市薬の接触過程で市医師会報の記事交換を行っているが、その一例
 福岡市内開業内科小児科医院(市内で中クラスの病院)の昭和42年4月分、5月分診療報酬を分業にした場合の医院の経済性と、これを受けて保険調剤した場合の保険薬局の経済性についての計数は
 医療収入(一〇〇%)の中の投薬収入(六二・四%)初診往診(一三・六%)検査、注射(二四%)この中の投薬分を全部処方せん発行すれば、税金なども計算に入れれば発行しなかった時より月三万の減収となるが、これは純益のわずか一・一%である。そのため調剤に人手が不要であり、薬品のロスもなく、勉強する時間的余裕も出る等の利点がある。
 次にこの処方せんを薬局が調剤すると、枚数一四二〇枚、一剤、二剤、三剤、頓服、外用薬と分類してそれぞれ計算、これに調剤手数料約一六万五千円を加え、薬価の差益を二〇%として合計すると総計二五万の収入となる。これによれば日薬が提唱する二医院一歯科医の処方せんを受持つことにより十分薬局の経済は成り立つと考えられる。
 福岡市薬としては歯科医・医師対策を積極的にすすめているが、結局は医・薬末端会員総合間の話し合いによる処方せん獲得が必要であることが報告された。

 (2)医薬分業推進の基盤整備について=下田正(熊本県)
 下田氏は熊本県薬副会長で昨年長崎大会で、自ら保険薬剤師部会を結成することを提案したことから、これに着手、九州で最初の保険薬剤師会を結成し、着々と分業推進母体の組織化を図り、本年七月から調剤報酬の一%を徴収して本格的な活動が始められ、同盟の負担金も同部会を中心に近く県一本に推進したいと報告

 (3)処方せん受入態勢の整備=徳永文平(佐賀県)
 徳永氏は九州で調剤一位、毎日内科、眼科、肛門科、歯科、皮膚科などから保険処方せんを受付けている開局者で調剤センター会長、保険委員長でもある。
 私は分業を完全なものにするには薬剤師自身の意欲が大切であると共に今後ますます受入態勢の整備がきびしさを加えることを覚悟の上努力している。私は過去五ヵ年にわたり調剤の都度、処方せん発行医師へ調剤報告を実行して調剤の責任を明らかにし、好評を得ている。
 現段階では分業は既に始まっており、決して理想論ではない。処方せん獲得は組織に頼らず個人が積極的に働きかけるべきで、今日迄逐次、眼薬、軟膏、坐薬等も増加して来た。佐賀県では日薬に呼応して去る七月分業対策協議会が発足したので、公式に県内十軒の調剤センターを発表した。調剤センター設置の基準は、一月請求実績三百枚、金額三〇万を基準に、郡部はこれに準じ拡大する考えで、設置後、三師の話合いを実施したいと考えている。

 分業は受入態勢が先行せねばならぬが、さて処方せんが出るかどうかむつかしい問題ではある。然し先ず先発薬局がセンターの看板を出し、調剤拒否をしないよう後進薬局に利用して貰う。一方、最近の処方内容などのデーターを作成しているが、初め十五品目位から始まっている。実際に毎月動くのは一五〇品目から最大二五〇品目であり七五万円位である。
 処方せんは近くの開業医からしか来ない、備蓄センターは卸屋にと云う人があるが、それは一考を要する。だが薬局毎では経済的に成り立たぬのでやはりセンターは必要である。私は備蓄センターの役割を兼ねて会員の利用を願っている。

 メーカーに注意したいことは切角医師が処方を書いても近くの薬局にその薬品がなければ、医師の了解を得て他の薬品が使われ、以後引続きこれが使用されることを特に考えて貰いたい。
 それより加藤良一氏(日本薬剤師会社会保険委員長)の講演に移り
 「医療保険制度の抜本改正に対応する医薬分業の進め方」と題し、@調剤についてA開局薬剤師の医薬品販売における技術性についてB保険薬局における調剤の特殊性についてC各都道府県薬剤師会の活動について資格など専門家としての自覚をうながした。研究発表といい、講演といい、要は分業は既に始まっており、薬剤師が医薬品の専門家としての誇りと医薬品の専門家としての誇りと意欲を発揮すれば分業は自分の手に獲得することが出来るということであった。

 九州山口薬学大会 開局(経済)部会

 大会第二日目午後一時からの開局(経済)部会は、参加者が多く、三百名以上であったため、会場を美術館裏の白鳥の池にのぞむ木々に囲まれた屋外広場に移し、野外講演となったが、あいにく午後は風が出て少し寒さを感じた、然し内容が興味あるものであったため最後まで熱心な討議が続けられ、参加者も熱心で去る者はなかった。
 鶴田部会長の開会のあいさつ、次に「医薬分業推進と薬局経済」と題する芹沢恒夫氏(日本薬剤師会社会保険委員)の講演は、医薬分業を推進するにはその間、種々の問題が派生しようが、当分は処方せんの受入れだけで経営が成り立つわけではないので販売にも力を入れ、受入れ方を整備すべきで、開局者は薬剤師としての立場と薬業経営者としての立場と薬業経営者としての立場を分離して考える必要があるとの内容であった。
 次にパネルディスカッションに移り、テーマ「逼迫せる薬業界における薬局の生きる道」であり

 (1)小売り薬業今後の展望=大黒清太郎(福岡市)
 日本経済の異常な発展、貿易の自由化、消費者行政の進行などから、薬業界の今後は大きく影響され、メーカー各社も対策を講じているが卸にも大きな変革が来るだろう、小売は直接には影響されなくとも労働力の配置が変るだろう。小売の中核になるのは分業がどのような形になるかが問題で、素裸で取組み、脱皮の必要に迫られている。

 (2)欲ばり村物語=隈治人(長崎市)
 ここで云う村とは組合や団体である。圧力団体という呼び名があるが、その代表的なものは、賃金をあげろ物価を下げろと怒号する労働団体、米価の公約をほごにするならこの次の選挙で思い知らせてやるとうそぶく農民団体、最近五年間に保険料医療費という物価二・一倍〜二・七倍になった医療機関の三つの欲ばり村である。
 さてこの三村をながめ薬剤師村や薬業村の現状は、徐々にアメ玉のようにナメられて細くなってゆく、このままでいい筈はない、残念だとあきらめずマスコミを抱き込んで正論で反撃する必要がある。

 (3)再販品についての考案=荒巻善之助(福岡市)
 メーカーの再販政策は一見小売は恩恵をうけたように見えるが、今後再販はビッグストアとメーカーの力関係によって左右されるだろう、小売は目を開いて成り行きを注視しなければならない。

 (4)薬局経営の新しい道=竹内克己(福岡市)
 貧乏薬剤師をどうするか、これが薬剤師をどうするか、これが薬剤師会のかかえた最も大きい問題と思う、そこで私は過去一年これを自ら実施した。
 投下資本のいらない資本経営=先ず売上げをふやせば、投資も大きくなるが、流通商品に対する投資が零になるなら大資本経営と同じ効果がある。
 問屋の協業化による新しい資本提供機構=問屋の協業化から物の提供を受け、売上げは全部渡し、その中から利益を返して貰う(ここで大切なことは委託でなく資本提供の意味である)このように卸屋と小売とが大きな経済圏を作って、薬剤師の主権を守り衛生医療コンサルタントとして聖職に徹することができ、いずれ備蓄センターともなり、薬剤師交換なども行い薬剤師不在の店をなくすよう考えている。

 (5)専門相談薬局(漢方)の行き方=久保川憲彦(福岡市)
 漢方の薬局にも専業型と兼業型があるが最近新薬の利潤低減の活路を漢方に求める兼業型が急増している。いづれも長所短所がある。売り方は顧客にびんかんに響くものであるから自信のあるものにすること、新薬を求める客を漢方に向けるのは特に慎重でなければならない。

 (6)ボランタリーチェーンの拡大=芳野直行(戸畑区)
 拾年前北九州に千日が進出すると聞き大阪を調査した。その時吾々の仕入値以下で売っていた。その後流通革命が起り大量販売が要求され、それには団結より外ないと考えた。
 昭和41年近代化政策が打ち出されるし、時代は大きなパイプを要求する。そこで三本の矢ではないが大きな組織とし、事務局はそれぞれ分業にして同志が結合した。然し薬剤師会、商組の中において活動している。
 現在百十店を数えるが将来薬業界の大きな道になると確信している。

 (7)レギュラーチェーン今後の展望=衛藤嘉蔵(小倉区)
 昭和35年倒産寸前の店三店から手がけ、現在十六店を数えるに至り、やっと軌道に乗った。
 今後は直営店と準直営店(従業員にのれんわけ)と既設薬局を傘下にしたグループとで激動する経済界の嵐を乗切りたい。ワンマン的は時には必要ではないかと思う。

 (8)薬局の大型化について=白木太四郎(福岡市)人口も経済も都市集中がはげしく、薬局も他業種もすべて大型化されるすう勢にある。この中では共同化か近代化をはからなければ生き残ることは出来ない。意欲のないものはつぶれるより外はない。
 以上で演者の講演を終り、それよりデスカッションに移り、興味ある質問も多く非常に活発に終始した。

 挾子

 会は野外会場。あいにくの強風で寒さにふるえていたが、演者がバラエティーに富み興味シンシンで退場する人も少ない。それぞれ形は異なっても、演者の云わんとすることは「薬剤師眠っていないで目を開らけ、そして周囲を直視して起ち上がれ!」と云うことであったようだが、中に二人程元気な演者もいて「我に続け意欲さえなるならひろってやろう」とPRしたのもあったよ

 ▼今大会で一番目についたのは、各部会、本会議とも出席者が最後まで席を立たなかったことであった。久留米市が観光都市でない事も幸したと考えられるが、一番の原因はやはり内容の充実にあったように感じられた。

 ▼第36回大会の本会議は二千五百名収容される文化大ホールに、ドラが響き渡ると真赤なビロードの幕がスルスルと上って開幕、続いてベートーベンの運命の曲が流れる中で始まり、演出満点であったが、参加者が大き過ぎるホールのあちこちに散らばって前の方に詰めて呉れないのが残念であった。学校薬剤師部会では開会前や休憩時間、閉会後などなごやかな音楽が流れて疲れをいやして呉れた。さすが常々環境を調査なさる先生方のおあつまりだけあって…。

 薬と健康の週間に 福岡県薬事功労者 知事より表彰

 福岡県では恒例の「薬と健康の週間」行事の一環として毎年薬事功労者の表彰が行われるが、十四日県の選考委員会で選考の結果本年県知事から表彰されるのは左記十一氏と決定し、十七日午前十一時から知事室において表彰式が行われた。なお、福岡県薬では、同日正午から県薬会館において受賞者の祝賀会を開催した

 ▽受賞者氏名
 尾崎松夫、大庭寛、林真一、高倉等、原美喜夫、山本市郎、庄野道徳、門司又一、手島泰、佐治八郎、高嶋康和

 福岡市薬の薬と健康展

 福岡市薬剤師会は県薬及び県並に市と共催して本年度も例年通り薬と健康の週間中、十月十七日から三日間県産業貿易会館三回を会場に「薬と健康展」を実施した主な行事内容は@展示=医薬品の展示並にパネル(社会保険「分業」公衆衛生等に関する)A薬の相談B血圧測定C血液型判定D栄養相談などを行った。
 なお、福岡市学校薬剤師会は、十八日福岡市内の交通量の多い三ヶ所(千代町、平尾四ツ角、西新)で午前八時、十時、正午、十四時、十七時の五回にわたり大気汚染調査を行い、日刊紙に大々的に採り上げられるなど薬剤師職能のPRをはかった。

九州薬事新報 昭和43年(1968) 10月30日号

画像  大衆薬市場の防衛について =九州・山口薬学大会印象記@= 隈治人

第三十六回九州山口薬学大会に参加して、今回は特にいろいろな印象が残った。日が経つと忘れ易いのでここに印象記を綴り、大方の薬剤師諸賢、特に不参加の方たちの参考に供しておきたいと思う。

 初日の十一日は午前商組代表者会議では、僕は「大衆薬市場の防衛」という問題を予定議題外ながら冒頭に緊急提案した。この問題は医療制度の抜本改正と密に絡みあうのであるが、開局薬剤師の多くは案外呑気に構えているようであり、このテーマをいま最も熱心に検討しているのは日薬ではなくて日医の方である。

 日医は厚生省の医家向き、大衆向き分離構想に基ずく一物二名称には強硬に反対し、四月にこれを事実上流産させてしまったが、その頃から大衆医薬品には格別な関心を抱き、真剣に検討しはじめたようである。その端的な現われがかの有名な「処方権」についての武見発言だった。武見氏は不特定多数に対する医薬品の処方も、日本医師会に諮問すべきであると主張し、これを強硬に鈴木調査会に要求していることは周知の事実である。

 さらに「大衆薬の定義」を日医で決定してそれを厚生省に公認させよういう動きもあるようである。また関連して武見氏は「大衆薬を正当に解釈するならば、それはいわば赤チンぐらいなものだ」と述べたり、「われわれは保険剤を大衆薬としては認めてない」ともいった。武見氏の政治感覚は犬がモノを嗅ぐように鋭敏で、かつ実行力も抜群の策師であるので、このような一連の武見発言が大して意味がないなどと思ったら、それは大きな誤りを犯すことになるだろう。僕の考えでは医薬分業は今日情勢的に相当進展の可能性をもってきたが、それは日医がそのホゾを固めたからこそ、そうなったのであって、その裏には大衆医薬品の問題が微妙にくすぶり始めたと見るのが正しいと思う。僕の推測では日医は医薬分業に関連してクスリを次のように三つに分類する考えではないかと思うのである。

 (第一類)現状通り医師が処方し、医師が調剤し直接患者に渡す薬
 (第二類)医師が処方し処方せんを発行し、薬剤師の調剤によって患者に渡す薬
 (第三類)大衆医薬品

 このように推測する根拠にはいろいろあるが、ここに注目すべきことには、ごく最近日医は、備蓄また交付医薬品の損耗率として三〇%を要求する旨の談話を発表している。武見氏が昨年ある地方医師会での講演で「医師といえども薬のマージンは要求する権利がある。医師が薬のマージンを取るのは恥しいことだと前は思っていたが、もうそんな上品なことはいっておられなくなった」と語ったことも有名である。(しかしこんな重要なことを開局薬剤師はたくさん聞き逃している)損耗率三〇%の要求はとりも直さず、右にいうマージンの最低値の意なのである。薬を売って生活している本業の薬局が三五%のマージンを得るのに汲々としておる現状に加えて消費者団体や革新政党やジャーナリズムからは「薬局やスーパーマーケットにもつと値引き競争をさせてクスリを安くさせろ」と真向から攻められておるのに、医師会は堂々と胸を張って損耗率三〇%の要求をする。まことに見上げた政治力といわねばならない。

 医薬分業を完全に行なおうという意志が日医にあるのなら、医薬品の損耗率についてこれほど熱心に主張し要求する必要があるだろうか。完全分業をめざしているのなら、むしろ日薬がこの問題を逸早く提起せねばなるまい。日医は日薬の代弁者としてわれわれの利益を擁護するために起ちあがったと見るべきであろうか。そう判断して随喜する開局薬剤師なら、もうこの先は読んでもらう必要はない。

 僕の考えでは今日の日医といえども、将来にわたっても、経済的に盤石であるとは決していえない。特別講演の同大教授嶋田啓一氏の考え方も結局は医療公営論への方向を示唆していた。医療公営を現在の開業医の過半数が歓迎するだろうか。答はハッキリと否である。だから開業医の現在の経済優位の情勢にアグラをかいてばかりはいられない。何よりも日医の狙いは経済防衛、それも積極的な防衛でなければならないことを、武見氏は誰よりも機敏に察知しているのだと思う。その意味でまさに先見具眼の賢者であるといってよかろう。

 しかし、また医薬分業はすでに文明国の大勢であって、日本を除いた先進国で分業を行っていない国はない。加うるに医療費の問題が国家経済に影響し、大蔵省という強敵がこの問題に介入してくるのであれば医薬分業はもうこれ以上避けられないという見通しも賢明な武見氏の胸中にある。だが現状から一気に他の先進国なみに分業に転移することは、現実的にも不可能にちかく、日薬やわたくし共開局薬剤師にとってもその受入れ能力が不安であることもまた見抜いている。だから日医としては、まず現在の薬のウマ味をなるべくはながく保持したい、そのためには引きのばし作戦、引きのばしの限界がくれば部分的医薬分業へと漸進するという構想がおのずとでてくることは自然ではあるまいか。すくなくとも僕はそう思うし、その考えを長崎市の薬業者有志諸君に話した処、僕の思う以上の同感者が得られたのである。医薬分業による経済逼迫は決して薬種商だけの問題ではないのである。ここの処を僕はトクと諸賢に再吟味してもらいたいと考えるものである。

 そこで日医の考え方は必然的に大衆薬奪取作戦へと向う。大衆薬から現在の有名マスコミ品などをできるだけ処方せん薬に移してしまう。そうすると処方せん料の増収が得られる。またマージンの高いものは「医師の売る薬」として自ら調剤し交付することも自由である。マージンの薄手なものは処方せんを出して薬剤師の手に委(ゆだ)ねればよい。とにかくそうするためには、消費者大衆からクスリをとりあげてしまわねばならない。だから「保健薬を診断する」という「警世の書」が出版されたことも好都合であり、まさにタイミングとして歓迎していい。クスリの非難は薬局へ重点指向され医家むきは安泰だ。新聞もNHKも黙っていても日医に協力して薬業界をいじめてくれる。いまの処すべては好都合に進んでおり、薬業界や日薬はセキとして声すら出ないのである。

 私はいちばんはじめにこの文でとりあげた武見発言の「正しい大衆薬とは、それはせいぜい赤チンくらいなものだ」や「保健剤を大衆薬として認めることには反対である」や「処方権の要求」をこのような日医の政策の背景のもとで理解したいと思う。だから日薬も開局薬剤師も、あんまりノンキに構えていては、将来窮するような事態に追いこまれるのではないかと心配するのである。

 例えば大衆むけ保健剤の年産額がすくなくも七百億円はくだらないと推算されるとき、それは大衆薬全体の三五%前後に当るのではないか。もしそれがそっくり処方せんでなければ消費者の手に入らないという事態になったら薬局の医薬品売上げは三分の二に落ちてしまう。これは薬局経済の決定的敗北を意味することにならないか。もし日薬やわれわれ開局薬剤師が、先進国なみに分業になるのであれば、大衆薬市場の多少の譲渡しは当然の代償として忍ばねばならぬ、など考えたら大へんなことになりそうな気がする。

 現在アメリカのような医薬分業国では大衆医薬品がなかなか手にはいらず向うへ旅行した日本人は不自由を感ずるというが、そのようなモデルケースに型はめされることが当然だと、日本の薬業界が考えるのは大へん危険ではないかと思う。なぜなら大衆薬市場だけがアメリカ並みになっても、分業の態勢はアメリカ並みになっても、分業の態勢はアメリカ並みになるとは限らずむしろ日医構想の分業の可能性がつよいと思われるからである。僕は以上のような趣旨で提案し、商組代表者の承認をもらい、薬学大会執行部にも追加議案として提出することの了解を得て、本会議席上で要点を述べたのである。これは本会議でも可決され一応僕の目的は達成できたけれども、日薬が果してこの問題を、効果的に処理するかどうかは別の問題になろう。

 大会の本会議は形式的になりやすく、処理報告は一年後という全くノンキきわまるものであるから、僕としては本会議で可決されたからといって満足はできない。いまの日薬は「沈黙は金」という美徳を必死に守っているかのように見られ、日医の方は雄弁に勇しく言い放ってわが道を突き進んでいるように見える。沈黙が敗北主義につながってゆくのではないかという憂慮は、一般開局薬剤師のなかには相当濃ゆいし、また日薬代議員の心ある人たちもそういう批判を公開している。

 したがって「大衆薬市場防衛」の問題は、もっとわれわれの間からつよく声がわきあがり、各県薬会長や代議員たちが機会ある毎に日薬をゆさぶり、また日薬の理事や各種委員会の委員たちも日薬主脳の真意を問い、できるだけそれを一般会員に伝えるようにしなければならないと思う。もし僕の以上の考えが青空天井がいつ落ちてくるかと心配して夜も眠れなかったという杞の国の人たちの憂いと同質であるとするなら、僕は思いきり嘲笑されても決して怒らないだろうし、それ処か安堵の胸をなでおろしてうれしがることはまちがいない。賢明なる諸氏の御考慮を願う。



 挾子

 医薬分業に取組む日薬が二十一日推進同盟の創立総会を開催、都薬は総決起大会を千五百人動員してと計画したが、予想どおりにはいかなかったようだ。同盟結成については、賛否いろいろ発言しているのを聞くが、理屈はどうにでもつけられる。要は武見日医会長が、医師に有利な分業にしようと横車をおすのを、如何にして正しい医療に、薬剤師にも医療担当者の一員となるように……ということである。何かするには金がいる、薬剤師はそのために金を出す、ただこれだけの簡単なことではないだろうか、毎月千円位の金が本当に出せない薬剤師はそうあるとは思えないが……医師会側はすでに医療懇談会も抱き込んだと聞く、ぐずぐずしてはいられないと思うのだが…。

 ▼横浜市にこの程「医薬部外品の専門店」ができたそうだ。薬局薬店の注目を集めたらしいが、売り方によっては非常に影響がある筈。特に薬局薬店でないため距離制限の適用もなく販売に規制も受けないことだ…。