通 史 昭和43年(1968) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和43年(1968) 7月10日号

 県・県国保連主催 国保法30周年 記念式典 薬事関係14名表彰

 福岡県並に福岡県国民健康保険団体連合会は、国民健康保険法が昭和十三年七月一日に施行されてから、本年が満三十周年に当り、又国民健康保険管理施設「筑水荘」も開設五周年になったので、これを記念するため、記念式典を行うとともに、これと併せて多年本事業に尽力された関係者の表彰を行ない、制度の趣旨普及を図ってその発展に資することとなり、七月一日午前十時から、福岡県農協会館五階ホール(福岡市天神四丁目)で、県市長会、県市議会議長会、県町村長会、県町村議会議長会の協賛のもとに「国民健康保険法施行30周年記念並びに健康管理施設「筑水荘」開設5周年記念式典」を盛大に行った。

 尚当日表彰された薬業界関係者は次の通りである。

 ▽県知事の感謝状 福岡県薬剤師会

 ▽県知事表彰者  田川市(薬局長) 稲田文美 田川市(薬剤師)後藤正憲
 筑後市(薬局長) 小原鈴子
 大川市(運営委員)岡野辛一郎
 大牟田市(運営委員) 中村里実
 鞍手町(〃)久原幸夫
 薬剤師国保(常務理事)工藤益夫 〃(書記)藤内綾子

 ▽国民健康保険団体連合会 理事長表彰者

 古賀町(運営委員)深田徳治郎
 吉井町(〃)籠田匡佑
 宗像町(〃)安部俊弥
 直方市(〃)副島良次
 薬剤師国保(理事長) 四島久

 福岡市薬 部会長会 保険薬局標識など

 福岡市薬剤師会h六月二十六日一時から県薬会館で部会長会を開き、医薬分業推進について協議検討した。福岡市薬は、昨年来保険薬局の動きがとみに活発化し、備蓄センターの設置、歯薬合同研習会、部会毎の歯薬懇談会など盛んに行われ、当日の部会長出席も良好で二十九部会中欠席は僅かに二部会のみであった。

 当日は日薬制定の「保険薬局標識」付設についての説明があったが、地区によっては取付けが出来ない個所が多く、道交法などにより、この点、予め市或いは建設事務所等に、公共性のものであるから或る程度承解を得て貰いたいとの希望が多かった。

 福岡県安定協 六月例会 ミルク価格問題等

 福岡県安定協議会六月例会は定例日の二十五日、県薬会館で開会、県医薬品小売商組の役員更迭に伴い、一新した小売側委員などで活発に行われた。

 当日の各地区情況報告は殆んどミルクの価格問題であり、筑後地区では柳川の価格を他地区に合せて上げる努力がなされた報告があったが、一方北九州ではダイエーのミルク価格(和光堂を除く)の七八〇円が既に久しく、このまま放置するならばミルクは一般の店頭から消える運命にあり、これが、いずれは医薬品にも影響を及ぼすので、一部のグループでは同様の価格に値下げしたと、広告したいとの申入れがあったため、商組としてはこれを重視、ミルクについては本会とは別個に特にミルク四社と懇談することになった。

 その他北九州から、店頭での「安い」という表現は大ぴらに行われているとの報告があったが、この問題については薬務課の見解をただすこととなった。又メーカーに対しては再販品、制度品の押込みについては善処されたいとの要望もあった。

 尚本会の委員(小売側)は本六月例会から左記の諸氏となった。

 ▽小売委員名

 白木太四郎、須原勇助、藤野義彦、山手陽一、西森基泰、大隈次郎(以上福岡)
 大島猛夫、松島雄、井上浩一(以上北九州)
 中村若市、大村清(以上筑後)
 本松茂晴、飯野敏夫(以上筑豊)

 尚その後ミルクの価格問題については、六月二十九日三時から県薬会館でミルク四社と県商組幹部との懇談の結果、七月五日地元北九州市小倉区鶴原薬品渇議室において小売、卸、メーカーの三者懇談会を開き価格引上げに取り組むこととなっている。

九州薬事新報 昭和43年(1968) 7月20日号

 第3回薬局等の許可並に報告 問題の大塚薬品の許可 福岡県薬事審議会

 福岡県薬事審議会は本年度第三回審議会を七月八日午後二時から福岡ビル九階第三ホールで開会、薬局等の許可及び報告、薬局等の競願について、適配条例適用地域の定数の改正などを審議した。

 一号議案、薬局等の許可について、知事から意見を求められたもの薬局開設一件については、許可の線が出され、二号議案、薬局等の許可について知事から報告があったもの、薬局七件、一般販売業五件、薬種商一件であった。その他の議題では、第二回審議会に於て議題審議終了後引続き審議した「大塚薬品」の開設については、六月二十八日従来行っている行政指導にてらし、覚書を双互間に交換して許可した旨の報告があった。

 次に先の本会で審議調整中であった福岡市皿山一丁目における先願、後願にかかる薬局等の許可申請の処理については、諸般の情勢、特に周辺に既設薬局がないため後願である一般販売業の申請を薬局開設申請に切り替えて許可になった。次に薬局および医薬品一般販売業の競願については保留となった。引続きこれ等に関連して適配条例の適用除外の悪用、或は悪質な休業など種々むつかしい問題が考えられるので、条例細則の改正について早急に作業を進めることになった模様である。

 今秋の九州・山口薬学大会 開局(経済)部会 運営計画決定

 第36回九州・山口薬学大会準備委員会(福岡県薬剤師会内)では、大会第二日目の十月十二日(土)一時〜五時の「開局(経済)部会」運営について種々検討していたが、この程大体左記の通り計画が決定した。

 ▽日時 昭和43年10月12日午後1時〜5時
 ▽場所 久留米市石橋文化センター内石橋美術館

 ▽講演 医薬分業推進と薬局経済(90分)日薬職能推進委員 東京都 芹沢恒夫

 ▽パネルデスカッション 逼迫せる薬業界における薬局の生きる途

 司会 鶴田喜代次

 1)メーカー、卸の系列の下に 福岡市 大黒清太郎
 (2)薬局の大型化 福岡市 白木太四郎
 (3)チェーン品推奨 未定
 (4)ボランタリーチェーンの拡大 戸畑区 芳野直行
 (5)専門、相談薬局(漢方) 福岡市 久保川憲彦
 (6)レギュラーチェーンの推進 小倉区 衛藤嘉蔵

 ▽質疑応答(30分)

 日歯医・日薬推せんの参院選 満岡候補惜しくも落選 僅か三万一千余票差

 日本薬剤師会並に各都道府県薬剤師会は、分業推進、医療制度抜本改正に備え、七月七日の参議院選挙には日本歯科医師会専務理事満岡文太郎候補を最重点的に応援することになっていたが、惜しくも五五位で落選した。落選の主因は、仄聞するところでは日本歯科医師会会長更迭による歯科医師会内部事情によるとの見方があるが、それにしても五〇位との得票差は僅かに四七、五九五票、五一位(補欠)との差は三一、五九七票であり、あと一息で当選した筈で誠に残念であった。

 福岡県の得票は東京の三二、二八一に次ぎ三一、一一六であり、大阪、愛知などのマンモス府県に比しはるかに上位差をつけ、九州山口各県も亦他地区に比し得票率が高い。

 因に去る昭和三十七年の参院選に当り歯医候補竹中氏の全国得票は、四二〇、〇〇一(41位)で今回とほぼ等しく、昭和四十年鹿島氏は全国五〇八、四一三(30位)で当選、同年高野氏は三二七、一一一(64位)で落選した。

 このことより判断しても、今回歯医会自体が前回より相当下廻っており、折角の薬剤師会の応援も残念ながら効を秦さなかったわけである。だが然し、特に全国で福岡県並に九州各県は薬剤師会の応援が或る程度明らかに票に表れ歯・薬協調の線は堅持出来たとの見方が強い。

 尚日薬の推せん者で当該各府県業界が応援した地方区薬系候補者のうち、九州地区の高田浩運氏(熊本)は最高得票で当選、牛丸義留氏(佐賀)は当選一名に対し六名の立候補の激戦地で、佐賀薬業界必死の努力も酬いられず惜くも次点で落選したことは洵に残念であった。

 さて、全国区満岡候補の一万票以上の得票県並に九州山口各県別得票数並に日薬会員数(歯科医師数の各府県比率は大体同じと考えられる)は左記のとおりである。

 都道府県名  得票数     日薬会員数
 東京     三二、二八一  三、六八〇
 福岡     三一、一一六  一、〇四八
 香川(満岡氏出身地)
        二三、三五〇    一九七
 大阪     一九、二五八  一、八九八
 千葉     一六、四九六    六五五
 群馬     一五、一五三    二六一
 新潟     一四、二八九    二四五
 神奈川    一三、五七八    八五〇
 広島     一三、三九四    四七七
 兵庫     一三、〇〇一    九六九
 愛知     一二、七三七  一、五八七
 北海道    一一、七二八  一、四三二
 静岡     一一、六〇四    六八四
 長野     一〇、四三〇    三六二
 熊本     一〇、三〇一    二九二
 愛媛     一〇、二四七    一九九
 大分     一〇、二〇四    二〇六
 埼玉     一〇、一一二    四九五
 鹿児島     六、八四五    二一八
 山口      六、八〇六    三七九
 長崎      六、四一〇    一九五
 宮崎      四、九二六    一二五
 佐賀      四、一一八    一八〇

九州薬事新報 昭和43年(1968) 7月30日号

 北九州市適配条例の除外例 適用問題をめぐって

 福岡県北九州市でこの程、適配条例適用除外に該当する土地収用法による立退き店舗(門司区)が八幡区黒崎のスーパー丸栄の一階に『医薬品一般販売業』の開設申請、その許可をめぐって北九州八幡支部(青柳支部長)から県薬四島会長宛に公開質問状が出され、同時に県薬代議員その他にも発送されたが、この問題は、既に他県でも発生しており、今後続発するおそれも多分に考えられる事柄であるので、これに関連して起った県薬会長、当該支部との問題については、一応円満解決したが、ここにその詳細を記載することにした。

 ことの起りは、去る四月、門司区の大塚薬局開設者鐘江サダ氏(薬剤師)が、幹線街路六号線改良事業のため土地収用法により立退きとなったので、適配条例適用除外に該当するとして、八幡区黒崎のスーパー丸栄(百米以内に既存業者四軒がある)一階内に『大塚薬品』医薬品一般販売業の開設申請を行った。

 これを知った八幡薬剤師会は、県厚生委員会に陳情、これが阻止並に今後多発のおそれも充分考えられる、この除外例の悪用阻止をはかったが、『大塚薬品』については、除外例が認められ、六月二十八日、地元八幡薬剤師会並に鐘江サダ氏との間に、県薬務課長及び四島県薬会長など立会の上、覚書を交換して許可されたものである。

 陳情の内容要旨は、
 @大塚薬品開設問題は薬事審議会に持ちこみ、十分調査、審議検討して貰いたい。
 A今後起り得る適用除外例悪用についての対策を特に講じられたい。との二つの重要事項であるが、今回の本件の許可については、
 @は他県では殆んど例を見ない程の内容(解説者にきびしい)による覚書を交換した上許可になった。
 Aについては第二回薬事審議会で議案審議終了後、約一時間に亘って当局の説明や意見等が述べられ、検討の結果、この除外例は、条例制定の精神に矛盾するから今後改正の方向で充分検討すべきである。との結論であった。

 @については、大塚薬局の行動が、除外例の「悪用」であるとの証拠は、地元(八幡9においても当局の調査においても見当らず、却って鐘江氏の所属していた門司区の薬剤師会及び組合幹部からは「善良な小売業者を窮地に陥れないよう早期解決を」との要望もあった程で、Aと切離して許可されたが、八幡薬剤師会としては、この切離されたことに不満があったのであろう。

 Aについては、他県でも既に問題となっている所もあり、今後薬剤師会が全国的に取組まなければならない大きな問題と思われるが、審議会終了後とはいえ本県でこれが採り上げられたことは意義があり、これを成功に導くためには今後幾多の困難が伏在し会員の積極的な熱意如何にあると考えられる。その間に起り来るこれ等の問題については、ケースバイケースで個々に対し努力と対策が必要である。分業推進とも関連、保険調剤確保問題も含め、今一度この適配条例を考えてみることが急務であろう。

 八幡薬剤師会(青柳正身会長)並に八幡薬業協同組合(福田忠吾理事長)の名によって県厚生委員会に陳情した『陳情書』は、はぶくが、「大塚薬品」が丸栄内に開設許可後、八幡薬剤師会から四島県薬会長に出された『公開質問状』並にこれに対して四島会長から八幡薬剤師会宛の『回答書』は左記のとおりである。

 公開質問状

 今般、当北九州市八幡区に於て丸栄内薬局開設許可に関する福岡県薬剤師会長の御指導、御教示につきましては、本八幡薬剤師会々員は非常なる疑惑と、大きな不信、深い不満を表明しておりますので、県薬会長のこの間に於ける信念と今後の御方針ならびに出所進退につきまして、本会へ昭和四十三年七月十三日まで必着するよう文書をもって明確にして責任ある御回答を頂きたいと存じます。

 当八幡薬剤師会に於ては左記条項による県薬会長の指導に従いこの問題解決に努力して参りました。

 (1)土地収用法による立退きは適配条例に影響されない。

 2)従って、この場合は県薬事審議会の承認、審議を必要としない。(第二条七項)

 (3)しかし、この除外例を悪用してスーパー、大型店等が立退者を利用して開店する問題が新たに生じて来た。

 (4)今回、その疑念をもたれる丸栄内薬局(申請者鐘ヶ江サダ氏)の開設申請が四月二十六日保健所に突然、地元薬剤師会長に連絡なく提出された。

 (5)若し無条件にてこの薬局開設が許可されるならば、今後同様の事例が頻発する怖れが生じた。

 (6)そこでこの際丸栄の許可に関しては、適配条例の立法の当初の基本的な精神を生かし、十分且慎重に取扱われるべきである。その為、申請者鐘ヶ江サダ氏(門司区で開局中)の調査を開始立退きの急迫しているか否か、その真偽をたしかめる一方この件に関する処理を薬事審議会に上程出来るように運動すべきである。

 (7)そのため、地元選出県議を動かし、県議会厚生委員会に上申し、それの決議によって薬事審議会で審議されることになれば、構成委員中の県薬会長をはじめ薬系委員によって充分に論議し、将来の解決に備えるべく、現在審議外に属する事項にも新たな細則を新設出来ることになる。

 (8)以上の通りの県薬会長の指示にもとづき、当八幡薬剤師会は右の基本線にそって、その間県薬務課、県薬会長と幾度となく談合、教示を頂き一丸となって運動、努力した結果幸いにも県議会厚生委員会にて陳情の趣旨が了承せられたのである。

 (9)この上は、薬事審議会にて十分なる審議が行なわれ、その帰趣はともあれ、今後続発する同様問題に県下に於ける先制的役割を果すことを深く確信していた。

 (10)以上の段階により八幡薬剤師会は、解決の期待をもっていたが、薬事審議会にも正式に取上げられず、薬系委員中より確たる発言もないまま、事態は急変、県薬会長は突如前言をひるがえし、理由も詳細不明のまま、申請人と八幡薬剤師会との間で直接交渉をして解決せよと矢の如く催告して来た。

 (11)全く急変した会長の指示に驚き且困惑した本会は、県薬々局委員会にも取上げ、会長の説明を求めようとしたが所用で出席されず最終段階である六月二十八日県薬務課に出向、同課長及び県薬会長に再考、猶予をねがったが、薬務課長は職権にてこれを許可した。

 (12)県薬会長は、その時点になるまでその考え方の豹変の理由を一度も説明がなかった。

 (13)八幡薬剤師会は単に一地区のトラブルとしてのみ努力した訳ではなかった。県下全般に影響する一大問題であり試金石として県薬会長の理解の下に行動して来たのに、将来薬剤師の団結を一方では呼びかけながら県下薬剤師の長たる会長のこの背徳に満ちた裏切行為は断じて許せないものがある。この件について、地元出身の県薬常任理事安部寿氏は県薬会長宛辞職届を提出した。

 (14)この結果の重大なる影響は、全く県薬会長の責任にして何ものでもない県下全会員の前に、その見解を披瀝されたい。

 (15)会長の御回答いかんによっては当八幡薬剤師会は勿論、県下会員と共に重大なる決意の用意あることを断言します。以上の件に関して、具体的にして責任ある御回答を前述の如く求めるものであります。

 昭和四十三年七月八日
 社団法人八幡薬剤師会
 会長 青柳正身
 社団法人 福岡県薬剤師会
 会長 四島久殿

 回答書

 昭和四十三年七月八日付貴職の公開質問状に対し回答します。今般の北九州市八幡区内スーパー丸栄内の大塚薬品開設許可問題については、開設申請者、鐘江サダ氏が許可申請書を提出してから幾多の曲折を経たのでありますが、去る六月二十八日貴職と鐘江氏との間に覚書に調印、交換が行われ事件に終止符をうったものと思料いたしているのであります。

 しかしながら、今回の貴重な経験により、薬業界の将来のため、私ども既存の薬局開設者の立場からは勿論ながら薬事審議会委員としても慎重に、十分検討しなければならない事項が多々あり、之が対策に努力を重ねねばならないことを痛切に感じているのであります。

 薬務当局においても条例その他関係法令についての検討がなされる段階にあります。このときにあたり、突然交換質問状という形式で私の責任追及がなされたことは誠に意外に思うのであります。

 私個人としては本件に関して誠心、誠意努力してきたと堅く信じている次第でありますが、事件の経過をふりかえることは将来のため有益と思うので私の承知している経緯を述べ、貴職のご諒解を得ることができれば幸です。

 一、質問書(1)から(7)までの趣旨については、全く同感であり、私としてもその基本線に副い対処した。

 二、質問書(8)に示されているとおり、八幡市薬剤師会並に八幡薬業組合の名により、県厚生委員会に陳情された結果、同委員会から薬務課に対し「かかる問題は、慎重に処理すべきである」と意見が示されたと聞き及んでいる。

 三、薬務課においては、この時点において、既に行政上の問題点はないものと決定していたようであるが、厚生委員会の意見、私どもの要望をいれ、六月四日午後二時、開会された昭和四十三年度第二回薬事審議会において諮問事項審議終了後、貴会並びに薬業組合の陳情に関する厚生委員会の意見と現地情況換地問題等について詳細説明し、これに対する各委員の意見を求められた。

 その主要問題点は
 (1)鐘江サダ氏の申請が適配条例適用除外に該当するものであるか、どうか
 (2)今後続発するであろうと予想される適配条例適用除外の恩典が悪用されるおそれに対し、いかに対処すべきか

 四、前項(1)については、当局より、現況について調査の結果に基づき詳細に説明があり、法律上土地収用法に基づくものである以上、条例適用除外として措置せざるをえないと発表された。薬系委員のみでなく各委員の意見は一致し、土地収用法に基ずく移転の場合、換地があるときは換地に移転することが正当であり、もし、その換地が営業に適しないときのみ他に移転を許るさるべきである。換地がないときは適用除外となるが、その場合においても従来からの行政指導方針により最寄の薬局等との距離が歩行百メートル以内の場合、地元業者との間に過当競争を行うような紛争をなくする措置を講じて後に許可すべきである。との結論であった。

 五、三の(2)については、所謂潜法行為による特権をうることのないよう十分調査、検討することが必要であるが、潜法行為と断定する証拠をうることは至って困難であるため、潜法行為を未然に防止するため、条例の細則を検討し、必要な改正を早急に行うよう当局に強く要望があり、当局も善処方を確約した。

 六、鐘江氏の許可申請問題は、第二回薬事審議会の状況その他より、潜法行為であるということを正式に認めうる証拠がない限り適法とみなされるので、開設を阻止することは困難と判断し、第二回薬事審議会終了後、審議会の状況、今後の対策等について意見を交換するため、貴職あて白木委員より電話をされたのであるが、不在のため安部寿氏に対し概況を連絡するとともに、貴会としても現地において政治的に阻止できるものであれば、丸栄、鐘江氏あるいは鐘江氏の背後にあると思われる人々に対し思い止まってもらうよう工作を進めて貰いたいと電話されたと承っている。

 七、その後、鐘江氏は、早急に許可するよう県会議員を通じ、あるいは弁護士とともに薬務課に催促のため日参した。薬務課においては慎重に検討を続けていたのであるが、潜法行為と判断する材料は見当らず、厚生省に対する照会の結果、条例適用除外として措置することが適当であると判断されたようである。

 しかし、薬務課としては従来の行政指導方針に基き鐘江氏に対し地元業者との話し合いを行うよう指導し、鐘江氏は指示により貴会に対し話し合いを申入れたところ、貴会は「この問題は、薬事審議会で決定されることであるから八幡薬剤師会としては話し合う必要を認めない」と返事がなされたと聞き及んでいる。

 八、鐘江氏は、地元における話し合いができないためやむをえず営業に関しては決して丸栄の指図は受けない旨の念書を薬務課に提出し、また決して地元業者と争うことはしない条件で一日も早く許可して貰いたいと強く申し出ていたようである。

 九、鐘江氏の申し出の条件のみで許可されることは薬界の将来のため好ましくないと思い、貴職、鐘江氏の当事者間で十分な話し合いを早急に進めることが必要であり、話し合いの間に有利な条件を認めてもらうようにすることが肝要と考え、六月二十五日、貴職並びに福田忠吾氏に電話にて諒解願い、翌二十六日午前十時、八幡薬業会館において門司の杉山県薬支部長、大坪薬協組理事長立ち合いの上で会談していただくことを諒承願った次第である。なお、話し合いの条件については、再度貴会専務理事より相談を受け、そのつど私見を申し述べ参考に供した次第であるが、それをもとに覚書が作成されたものと思っている。

 十、二十五日の電話は、県衛生部長室からかけたもので、鐘江氏も同室していた関係上、詳細なことは申すことができなかった。しかし、二十六日夕刻、貴職より、覚書ができたので、二十八日午前十時半、薬務課に出向いて覚書交換の立合人になってもらいたいとの電話を受けたが、その際かかる情勢にいたった経過について申し述べ、ご了承いただいたものと思っていた。なお、同日、薬務課からも二十八日当事者間の覚書調印が行われ解決することになったと連絡を受けた。

 十一、二十八日、覚書の調印、交換立ち合いのため薬務課に出頭した際、貴会より「会員がまだ完全に納得していないので、薬事審議会にはかり決定されたい」との申し出があったが、既に六月四日の薬事審議会において、鐘江氏の件及び将来に対する方策等について、当局からも、各委員からも十分意見が述べられたこと、条例適用除外に該当するものについては審議会にはかられない原則であることはご承知のとおりである。

 十二、薬務課としては、当事者双方諒解の上覚書が作成された以上、形式的にはともあれ内容的には十分納得の上成立したものと判断され、その内容どおりの誓約書を受けとることにより、地元当事者間の紛争を防止する措置とし許可すると意志表示がなされた。

 十三、二十八日午後二時三十分、双方の調印を終り、許可の運びになったことはご承知のとおりである。 以上、このたびの八幡丸栄内大塚薬品開設許可問題の経過を申し述べた次第であります。私は、この問題の処理にあたっては、業界の将来、地元の将来を常に念頭におき対処してきたのでありますが、私の微力と、業界の力不足のため開設を阻止することができなかったことは遺憾に存じます。しかしながら、経過の中途において開設許可が諸般の事情により、やむをえないものとなったことは、貴職も既にご承知のとおりで納得しておられたものと推察しています。

 ただ、開設許可の時期切迫の折から相互間の意志の疎通に欠ける点があったとすれば、私の不徳のいたすところでありますが、この間における私の行動が、背徳に満ちた裏切行為と断ぜられることは誠に心外に存じます。

 昭和四十三年七月十二日
 福岡県薬剤師会
 会長 四島久
 社団法人八幡薬剤師会
 会長 青柳正身 殿

 『薬局と要指示薬』 殆んど大衆薬取扱い 主婦連合会の実地調査

 主婦連合会(会長奥むめお氏)は七月五日、厚生省坂元薬務局長に会い、要指示薬の販売監視が十分でないと思われるので、監視の徹底と共に一般国民には要指示薬についての知識を周知徹底させるよう計られたいとの要望書を提出した。これは主婦連が去る六月二十五日から三日間、要指示薬であるクロラムフェニコールの都内及び近県都市における薬局についてその販売状況を調査した結果に基いたものである。

 その調査によると要指示薬クロラムフェニコールを四十三薬局の内三十七薬局が、医師指示又処方せんが無いのに売ってくれた。而もその内の二十七店は普通薬販売と同様な態度と気軽さで売ってくれた事実をあげている。クロラムフェニコールは本年五月、アメリカのFDAが使用の規制を強化したことについて、日本では各薬局等には各都道府に於ても当局より警告が一応出されている筈である(要指示薬)であるのにもかかわらず、この結果であり、他の要指示薬も亦同様な取締りかと思われるので、この際、適切な措置を早急に採られるよう要望したものである。

 主婦連の調査の結果は次のようなものである。

 調査方法

 会員中の有志に次記のような理由で、顔見知りでない、全く知らない街の薬局で購入することを依頼した。『家族の者が風邪で発熱し又のども痛めているが、普通のアスピリンやその他のカゼ薬ではどうしても癒らない。その上少し下痢気味だし、クロマイ(抗生物質)があったら一日分下さい』

 その買入れ結果の報告は次のようなものであった。
 (1)売ってくれなかった場合は薬局を二〜三軒廻ったが、その時の会話応対の実情に注意した。
 (2)売ってくれた場合@日時A薬局名B購入医薬品名C価格D売り渡し方(薬品量‐何錠か‐服用法の注意、薬袋の記載事項‐有効期間や服み方の注意等)特に分量や服み方などは聞かないことにした。
 ▽調査期間日6月25日〜6月28日
 ▽買入数は四十三件
 ▽買入地区は三十四地点、四十三薬局(都内二三区及三多摩と近県=府中市、八王子市、三鷹市、北多摩市郡、小金井市、調布市、市川市、浦和市、松戸市、横須賀市、横浜市)

 調査結果
 ▼クロラムフェニコールは殆んどの薬局が売ってくれた。

 ▽買入状況(販売の諾否とその他の実情)

 (A)販売拒否=六件
 〔理由〕
 @危険な薬であり、要指示薬になっているので医師の指示がないと販売できません(三件)
 A素人が勝手に使用すると副作用が起る惧れがあるので絶対に売れません
 Bクロマイはなるべく服用しない方がよろしい、一度服むとその後は効かなくなります。
 C只今品切れです

 (B)販売受諾=三十七件
 (1)気軽にー恰も普通薬の如くー販売=二十五件
 症状を話してクロマイを求めたところ、何の抵抗も示さず売ってくれた
 (2)一応消極的態度で、遠慮気味に売ってくれた
 @医師の処方箋が必要なのですが…と前置きして売ってくれた(三件)
 A体質に合う人と合わない人とがあるので……。クロマイは値段が高いし、なるべくなら普通の風邪薬の方が……。この頃取締りがうるさくなったんです……。お医者さんのをのんだことがありますか……。クロマイよりも作用の低いものの方がいいのですが……。 等々の説明をきかされて、結局売ってくれた(五件)
 Bクロマイは値が高いので…などの理由で他の抗生物質を買わされた(四件)

 ▽何軒目の薬局で買えたか
 @販売拒否=六件
 A販売受諾=三十七件(一軒目で=三十二件、二軒目で=二件、三軒目で=二件

 ▽買入れ薬の種類とその価格
 クロロマイセチン(二五〇r)一錠六五円(二件)▽同七〇円(一六件)▽同七五円(一件)▽同八〇円(一二件)▽同九〇円(一件)合計三二件
 アクロマイシン(二五〇r)一カプセル八〇円(二件)
 ロンドマイシン(一五〇r)一カプセル一〇〇円(一件)
 ロンキシン大型(五〇〇r)一錠二五円(一件)
 解熱鎮痛剤(調剤薬)一包二二円(一件)

 ▼クロラムフェニコールについての服用法の注意は口頭のみのものが多かった、その分類は
 @口頭だけ=一六件
 A薬袋だけに表示したもの四件
 B口頭と薬袋の表示と両方のもの一二件
 C全然注意なきもの五件

 ▼クロラムフェニコールはバラで(むき出し)渡されたのもある。袋に入れてくれたものもある。然し袋が広告袋であったり、袋には必ず表示しなければならぬ重要表示(品名、含有量、用法用量、保存の注意、有効期間、薬局の住所、氏名など)がなくて、責任の所在が判明しないものが多かった。その薬袋の状況は
 @薬袋に責任の所在がはっきり記入してあったもの一一件
 A普通の広告袋又は何の記入もない薬袋二三件
 B錠剤そのまま又は単に紙に包んだだけのもの三件

 ▼その他、次のような注意すべき問題があった
 (1)一日分の注文に
 ◇「一日分では効果がないので最低○錠服用しないと」などといわれて買わされたもの(六件)
 ◇五錠は服まないと効果がありませんでしょう(五錠)
 ◇一日分では効果がないし又初めに戻ってしまいますよ(六錠)
 ◇一日分では無理だから一〇錠は必要です(一〇錠)
 ◇六錠は服用しなけりゃ効きませんので(六錠)
 ◇一日では治らないから二〇分位服用しなけりゃだめでしょう(一二錠)
 ◇癒りがけに続けて服用しないと又悪くなるから(六錠)
 ◇「一日分下さい」に対し「何錠あげましょうか」と客のいうなりに渡されたもの(三件)
 ◇品名と含有量が記載してないため何の薬か全く不明なもの(二件)

 まとめ(注意点)

 一、クロラムフェニコールは殆んど薬局で指示なくて売ってくれた。クロラムフェニコールは要指示薬であるにも拘わらず医師の指示又は処方箋もなくて売ってくれた。その内二五件は普通薬を取扱うと同様な気軽さで売ってくれた。又最初一軒目で買えたのが二二件で二軒目三軒目で買えたのが各二件であった。その他クロマイの注文に対し、高価だとか、効果は同じとか、との理由をつけて他の抗生物質を渡されたものが五件あった。又同種の薬品で(一錠)値幅に非常に差異があった。

 二、クロラムフェニコールの服用法の注意が殆んど口頭だけのものが多かった。服み方を叮寧に口頭で授け、更に薬袋にも用法用量などを明記してくれた注意深いものが、全部の三七件中に一二件あり、その他の二五件は口頭だけの説明であったり、特に当方より請求して初めて記入してくれたものなどで、甚だしきは全く注意を受けなかったものもあった。

 三、クロラムフェニコールを入れる薬袋や記載事項が十分でなかった。甚しいのはクロラムフェニコールをむき出しで渡されたり、袋に入れても単なる広告袋であったり、何の記載もない薬袋で渡されたものが二六件もあった。然し薬局の住所、氏名がはっきりと記載されている薬袋で渡されたものが一一件あった。大体責任の所在が判明しないものが多く、重要な記載事項(品名、含有量、用法用量、保存の注意、有効期間など)が記入してあったものは少なかった。

 四、その他
 一日分の注文に対して勝手に多量を売りつけたり、又客の言いなりに多量に売り渡すものもあり、医師の指示や処方箋がなくとも一般大衆薬と同様な気持ちで売られている傾向が確かに見受けられた。

 福岡市薬 調剤請求書作成 実地研修会

 福岡市薬剤師会は、本年一月以来保険薬剤師の活動がとみに活発化しているが、最近、会員の調剤請求書提出前の審査に間違いが多く、審査関係者を困らせているので、昨秋一度実施したが、今一度、実地研修会を重ねて開会することになり、七月二十三日一時から三共福岡支店会議室で行った。

 講師には支払基金の係員並に藤田副会長、工藤県薬専務が当ったが、約三十名位の出席の予定のところ百名近くが参集、主催者側をあわてさせた。

 坂元薬務局長に 話しを聞く会 『質疑応答』

 厚生省の坂元薬務局長は久し振りに郷里鹿児島へ帰郷されたので、医療制度抜本改正その他薬業界にとって幾多の重要問題をかかえている現在、その行政指導の立場に在る現局長の坂元氏を迎えて地元鹿児島県薬剤師会では『坂元薬務局長にお話しを聞く会』を去月十三日午前十時から明治生命ホールで開催した、その時の薬務局長の講演要旨及び質疑応答の内容は左記のようなものであった。吾々業界人としてはよくよく玩味して参考とすべきであろう。

 講演要旨

 二年振りに郷里に帰って参りました。身も心も洗われるような気が致します。扨て、薬の問題ですが非常に騒がしく六ケ敷くなって来ました薬の問題点が全べて表面に出て来て爆発点に達したり、爆発しようとする様相と感じを深く致します。国民の前に又政治の中に浮彫りにされつつあることは、薬事に従事する者として非常に注意しなければならないと考えます。大きな国民の歓心事となっていることを常々心の中に置いて対処して行って頂き度いと考えます。

 然し、種々と考えて見ますと凡ゆる意味で一度は通らねばならない関門であると思います。種々苦しい面もありましょうし、努力を要する点も多いですが、消費者の納得を得ながら薬業者の生きる道を築き上げて行ってほしいのです。私が行政を通じて感じて居ります事をこの機会に申し上げて御参考に供したいと考えます。先ず、

 第一に薬品、及び薬事従事者に対する国民の不信感の問題があります。薬そのものの副作用等の問題もありますが、それ以外の要素に依る不信感不安感を解消しなければと考えます。不信感不安感を招来する要素は、販売姿勢や取扱態度や乱廉売や安全性や流通機構や価格構成等沢山の因子があるけれども全べての面で努力して行かねばならないと考えますので宜しく皆さんにもお願い致します。

 次に流通機構上の問題があります。この問題は小売の方々には余り関係がないわけではありませんが関係がうすいですけれども非常に困って逐次手は打っております。過剰サービス、過剰リベート、高い広告費等の問題があります。主としてメーカーの問題ですがこれも影響するところは末端小売業者にもはねかえって参りますので無関心ではあり得ない問題だと思います。自ら守るべき商道徳守るべき限度と言うものがあろうかと考え、厚生省としてもメーカーに強く要請を致しておりますが仲々満足すべき状態にはまだ達しない様に考えます。

 第三は価格の乱れであります。口には医薬品の特殊性を強調しながら、且私が薬務局長になって始めて聞かされた言葉は「医薬品は特殊なものだ」ということでありましたがどうしてもその様な取扱いがなされていない様に考えます。或所では一〇〇円で売られて居り、別な所では四〇円で売られている等極端な例は国民にどうしても納得が行かない様に思います。メーカー、卸、小売協力して第三者の納得の行く形をつくるべきだと思います。国民は唯今、「価格決定の基準は何か?」と非常に疑いの目で見ていると思います。

 第四は再販問題について申し上げます。唯今まだ最終的結論は出ておりません。国民の一部では、「メーカーや小売の擁護の制度法律だ」と強く主張しております。然し私は再販制度は問題点を是正して残すべきだと考えています即ち、薬価基準収載品目は再販品からはずすとか、マージンやリベートは必要だがその過大なものは是正する等して残すべきだと思う。これは中小企業保護の立場や囮販売、廉売防止の立場から強く存置を主張して参ります。

 最後に最も重大な医薬分業の問題について申し上げます。諸般のことを考えますと、現在は多年の懸案になって居りました分業を推進する最大最良の好機だと考えます。国民も政党も団体も国民の階層が分業を希望して居ることを忘れないでほしいと思います。政府も分業なくしては医療や薬事に関する問題は解決しないと思って居りその様に施策の方向を決めて居ります。

 私は、分業は法律や命令で出来るものではないと考えています。即ち、条件の整備されている地域が逐次実施されていくことになろうと思います。処で分業態勢整備の要件ですが、

 @処方箋を出し易い様な条件を作るべきだと考える。医者が薬を売ることに依って利益を得、或は薬を売ることが中心である間は駄目であるので、医者は技術に依って充分生活が出来る様に点数制度を改正しなければなりません。年次計画的に点数制や医療報酬制度を改めて行きます。

 A処方箋の受入態勢の整備が必要である。処方箋を消化出来る薬局機能を学問的にも物質的にも作り上げて頂かねばなりません。

 @とAは同時出発同時整備で車の両輪の様なものでありますから宜しくご努力を願います。

 B国民に対する分業のPRが非常に不充分であったし、現在も不充分だと考えます。国民は、不信感、不安感、面倒だ等と種々言ったり考えたりしていますからこの点を払拭して国民の慣習を変えるための努力が必要だと考えます。国民の期待する薬局像を描き実現に努めてほしいのです。

 そのためには、薬局機能を向上させると同時に従来の薬局の形態も変える必要がありましょう。強く前進させる必要があります。薬剤師の繁栄は分業実現に依って推進出来るという一点に絞って努力する必要がありましょう。即ち、薬剤師が国民のために薬剤師本来の機能を発揮する様に努力してほしいのです。

 質疑応答

 問一、小包装と大包装等包装の大小に依り非常識と思われる格差がありますが。
 答 包装に依って非常識と思われる価格差が現存します。これは種々な問題につながりますので、メーカーに対し包装価格差を縮める様に指導やら相談をして居りますが非常に重要なことですので今後共合理的な体系にもって行く様に努力致します。

 問二、調剤技術料の二〇円は安過ぎると思いますが。
 答 勿論医療費体系是正の中で充分配慮して参ります。

 問三、分業受入態勢整備のためには相当の資本を必要と致しますし、且備蓄薬品の経時変化の問題がありますが。
 答、相当の資本が要ることは解ります。医療公庫等の活用も考えて頂き度いし、又備蓄薬品の種類等について附近のお医者さんとの懇談を持つなどの努力が会とかグループとか個人で必要になって参りましょう。

 問四、四七処方についてどうお考えですか。新しい処方に加除改正するお考えはありませんか。
 答、唯今四七処方をどうする考えはありませんし、新しい処方内容等にするためには専問的な検討も必要でしょうからその様な必要性が出て来たらその時点で考えて行くことになりましょう。

 問五、鹿児島では従来販売姿勢の混乱や価格の混乱はありませんが、大都市等では相当薬局薬店の品位を疑わしめる姿があると思いますがこれを取締り規制するお考えはありませんか。
 答、フンドシビラを吊したり、八百屋の様な形の店がありますがこれは凡ゆる意味でいけません。余りにもこの形が継続すると愈々薬局薬店に対する国民の不信感は強まり、分業どころかだんだん自滅の道を辿る恐れがありますが、これはあくまで官庁が取締るべきものでなく、又官庁の法律や命令でやるべきことではなく業界又は業者自体で考え対処すべきことだと思います。

 問六、備蓄薬品の品種について大病院用と個人開業医等の使用する薬品が相当異なっている様に思いますが。
 答、一般メーカー、医専メーカーの製品の流れが種々と異なっている様に考えますが、今直ちにこれをどうすると言うことも参りませんので、一般メーカーの製品や医専メーカーと相談して勉強会を開くとか資料を集めるとか医師との連繁を深めるとか努力をしてほしいと思います。

 問七、一物二名称問題の今後について。
 答。一物二名称については、厚生省、医師会それぞれ言い分があり、何れにもそれ相応の理由があると思います。医師会と意見の調整をして参りたいと思います。

 問八、医療制度の改変と受入態勢整備という観点から現在の薬学教育は不適当不充分な点がある様に思いますが。
 答、確かに現在の社会機構や専門技術面から考えますと不充分な点がありましょうが、この問題は教育専門家に研究してもらって文部省で考えるべきだと思います。尚、薬剤師の国家試験についても或時点で検討しなければなりません。

 問九、薬価基準がバルクライン90%という策定は不含理な点があると思いますが。
 答、これは昭和二十八年頃から踏襲していることですが問題点がありますので検討します。

 問一〇、甲、乙、薬局調剤で国民負担が変るのはおかしいのですが。
 答、医療費体系改正の段階で当然考えます。

 問一一、病院薬局を法制の中で確立してほしい。
答、医療法や薬事法で確かにアイマイです。その様な希望は日薬からもきいています。検討して参ります。

 天上の恋・下界の円 隈治人

 「天上の恋をうらやみ星祭」これはよく知られた句であるが、女流の作ということはわかっているが、名がひょっと思い出せない。高橋淡路女であったような気もするが、新潮社の歳時記には「星祭」の項に淡路女の「ぬば玉の黒髪洗ふ星祭」があって「天上の恋」は出ていない。七夕(たなばた)は旧暦で行なわれていたから、歳時記には秋の季語として扱われている。いまは新暦で七夕をまつるようになったから、当然夏の風物詩としての俳句がよまれることになるだろう。

 「織姫のミニスカートのデートかな・碧海」という句は、私が選者をつとめている長崎新聞の俳壇に投句されたものだが、私はおもしろいなと思いつつ、一応採択することは避けた。ちょっと川柳的だという批評も出そうだし、なんとなくためらう気持もあったからである。この碧海氏には別に「七夕やブロック建ての二階より」というのがあって、それをずうっと下位に採ることにした。これは七夕の現代風俗であるが、ミニミニ織姫の方が風俗としてもおもしろいのである。純愛の天上の佳人が、ミニスカートでデートする。一種のワヤクリでもあるが、そこに現代批評の目が芽のように出ているようでもある。この作については、もうしばらく考えて見ることにした。

 さて「参議選牽牛織女も投票す・二憲二」という投句が別にあった。これはまさしく川柳的である。この人は軍艦島に住む老俳人であり、明治百年のタナバタ選挙という記念すべきものであるから、勇んで一票を投じたという感懐も添えてあった。軍艦島の青年男女の投票風景を牽牛織女に見立てての俳句というわけである。この人にはほかに採るべき句もなかったので、これも採用し最後尾に置くことにした。新聞俳壇というものはアマチュアの俳人が多数であるから、いろいろと気苦労も多いのである。投句者たちはそれぞれ私の選句や選評を、心待ちにしてかつ楽しんでくれているからである。年齢からいっても私の親父またはおふくろぐらいの常連が、住人ほどはいる。私は親孝行のつもりで選句をしなければならない。

 さて、また(さて)であるが、その七夕選挙もついに終った。選挙は民衆の力を示す絶好の好機であるから、薬剤師会や薬業界はその集団の意志の力を特定の一候補者に集中し、剤界おそるべし、薬業おそるべしの実感を世間や社会や政治家たちに対して、ガッチリと植えつけるべきであろうと思う。ひとたびこの実感を植えつけ得たならば、剤界や薬業界は堂々と政治に対してモノ申す自信と背景を確立し、その発言は大いに尊重されることはまちがいない。

 このスジ論には誰も異存なかろうし、また誤りもない筈であるが、それは単に理だけのことであって、現実にはその三割の力も発揮できないでいるのがわれわれである。七夕選挙についても、剤界業界のツメの跡すらほとんど描かれなかったのではあるまいか。まおか文太郎氏の落選は惜しみても余りあるが、この選挙でわずかにひとつのツメの跡を見ようとするならば、それはまおか氏の次の府県別投票数の比較から引きだせるものがあるように私には思われる。

 東京都   三二、二八一
 愛知県   一二、七三七
 大阪府   一九、二五八
 香川県出身地二三、三五〇
 福岡県   三一、一一六

 三年前の参院選で無謀の失敗をやらかした私は、成人式前の身分に逆もどりして、選挙には窒居閉息の状況をすごさざるを得なかった。つくづく選挙はコワイものだという実感が皮膚にしみついているのである。公職選挙というものは、私にいわしめれば決して「熱意」の闘いではない。つめたい「頭脳」の戦いなのである。すべて法の知悉、理ずめの計略、冷静な判断と実行、この三つにかかっている。大声叱咤(しった)することなどぜんぜん無用である。静かなること林のごとく、早きこと風のごとく、字は少しちがうが孫子という人は、実にいい言葉を教えてくれたものである。選挙に勝つヒケツはこの「林」と「風」にあると私は思う。

 社会党の新人上田哲氏は下馬評どうり一〇五万票ちかくを取って、全国区第三位の当選議員となった。NHK労組の委員長で、名うての演説上手だそうである。一〇〇万票は彼の「舌三寸」に負う処が大きかったともいう。小児マヒ根絶キャンペーンで男をあげたことは知られるとおり。医師顔まけの実行家、政治マンの資質充分といえるだろう。この人はマスコミ市民会議の代表理事だそうだが日本ジャーナリスト会議というものが別にある。

 この両会議がどうつながっているのか、よくわからないがおそらく同じ系譜に属するものではなかろうかと思う。上田哲氏がテレビにでて当選の感想を述べたとき「真実の報道」と「言論の自由」について力づよく主張していたから。そのことは日本ジャーナリスト会議編集の「マスコミ黒書」(労働旬報社刊)に「マスコミの反動化」としてくわしく事実が述べられているようである。そのなかから薬業会に興味のある話題をさがすと、次のような報告がある。

 昭和四十年九月、自民党は「日韓条約批准促進国民会議」の結成をきめ、賀屋興宜氏を本部長として一大国民運動を展開することに北海道新聞など地方紙十三社の社長クラス、また朝日、毎日、NHKの報道関係幹部と、それぞれ別個に懇談を行ない、新聞社側が予定していた購読料値上げについて「善処」するのと引きかえに、日韓条約批准への「協力」を要請したーというのである。

 以下は略するが、この「マスコミ黒書」の記述がどの程度の真実性をもつものであるかは、私には判断ができにくい。佐世保のエンプラ騒動に参加した学生たちのなかには、NHKや「商業」新聞の報道は佐藤政府から統制をうけているので信用できない、マスコミが日本を毒し破滅させるかも知れない‐などといっていたものがあるとも聞いた。いまの私のセンスでは「統制」「管制」などいさかオーバーな表現のような気がしてならないが、そういう判断や感じはさておいて、このような記事にからんで私がひっかかるのはやはり大衆医薬品の物価や再販に対するジャーナリズムの態度や論調についてである。

 いまにしてふりかえって見ると、再販論議に火がつけられたのは、昭和四十一年六月の「物懇勧告」以来である。少々おふるい話になったが、当時の新聞論調をふりかえってみると次のような標題の社説が掲載されている。

 読売「手ぬるい物価懇の勧告」
 朝日「値下げのカベ再販制度」
 毎日「再検討を要する再販制度」
 産経「物価対策と実行力」
 東京「家庭用品値下げの意見書」

 これらはすべて昭和四十一年六月二十三日の朝刊に一せいに掲載されたものであり、新聞がいかに「物価問題」を重視していたかが判ろうというものである。このなかでは読売がいちばん無理解ではげしい論調のように思われる。その主張する処は「再販制度の全面停止論」であった。再販はメーカーや小売店が利潤をふやすために悪用しているこの制度は物価上昇の一因となっている。だから物価が安定するまでの時限立法でもよいから、再販を全面的に停止すべきである。これが物価安定の「理想」であるーとまことに勇ましく論述したものであった。

 朝日の論調はここではくわしく述べないが、概ね妥当穏健な論理をつらぬいている。「値下げのカベ」と再販を論じたのは一応正当であるといってよい。再販価格の下方硬直性は、経済論理としてはしごく当然のことである。「値上げの原因」ではなくて「値下がりのカベ」であることにまちがいはない。大新聞の社説である以上経済論なら経済論の体系だけはもっていなくてはなるまい。

 その点読売の論調は乱雑で世におもねっている姿勢があった。「巨人大鵬卵焼」の悪評がささやかれる所以かも知れない。

 産経は消費者物価について欧米諸国との対比を示している。昭和三十五年を百とする上昇の数値は、昭和四十一年四月の調べで日本一四三・九、アメリカ一〇九・一、英国一二三・一、西ドイツ一一八・八、フランス一二二・九となっているといい、日本の物価の値あがりのいちじるしいことを強調している。

 公取委の柿沼現事務局長の言では欧米諸国では工業製品の合理化による値下がりが、農産物、食糧、サービス料などの値上りに対応して、つよく行なわれ総物価指数の上昇を抑制する効果を発揮しているから、日本ほどに物価が上がらないという説である。もとの長谷川古(ひさし)取引課長もそのことを強調していた。いわば公取委の判断材料となっているが、これにも私はまだ釈然としないものを感じている。悲しいかな、経済の非専門家の辛らつさである。もっと勉強しなくてはならないが、日本には労働賃金、公定料金、米価、保険医療費など、欧米諸外国とはだいぶニュアンスのちがう条件がありそうである。それをタナにあげて家庭電機や粉ミルクや薬や化粧品をいびるだけでは片付く問題ではなさそうである。

 私は新聞の購読料について、次のようなシロウトっぽい計算と考え方をもっている。正確な資料はないので、Y紙が百万、M紙が百五十万、A紙が三百五十万の有料部数を発行しているものと仮定する。月ぎめ一部四三〇円で三〇パーセントの利潤が上がるものと仮定する。利潤は四三〇の三〇パーセントだから約一三〇円になる。

 月の総利益はY紙一億三千万円、M紙一億九千五百万円、A紙四億五千万円ということになる。有料部数の多い方ほど利益率は高いわけだが、それは記事内容への努力の多少に作用しているものとこれも仮定する。

 そういうことにしてもA紙の利潤総額はちょっと多すぎる。新聞論調が合理化の実績をすくなくも半分くらいは消費者に還元せよと、薬や化粧品に対して、消費者の味方としてつよく要請するのであれば、まづ自分から消費者に還元したらよいのではないかと思うのである。

 コトワザにもまづナントカより始めよ、とある。だからA紙はM紙より多い月間利潤の差額二億六千万円の半分を消費者に還元したらいいではないか。そうすると月の購読料は三七円ほど下げられて三九〇円から四〇〇円程度になる。

 M紙はまたY紙より多い利潤の月間差額六千五百万円の半分を消費者に還元したらどうであろうか。そうすると月ぎめ購読料は二〇円ちょっと下げられるから月に四一〇円でよいことになる。物価について他業界にいろいろ正義の注文をつける新聞自体が、そういうワズカな実行について何も語らないし、またしないのは「わが身ビイキの片手落ち」のような感じがする。いかがなものであろうか。(七月十七日)

 白木新理事長大いに張きる 福岡県薬商組理事会

 福岡県医薬品小売商業組合は白木太四郎氏が理事長に改選されて、初の理事会を七月十七日一時半から県薬会館で開会、事業運営方針の再検討の結果、理事の業務分担を決定し、調整事業のほか団体交渉、共同事業の推進などを研究討議して積極的に推進することとなった。

 当日は白木理事長、藤野専務理事を始め、須原、本松西森、吉松、井上、大坪、吉柳、飯野、大村、松村、花田、手島、中村の各理事並に監事杉山の諸氏が出席した。

 藤野専務理事司会し、一部理事の異動について紹介後白木理事長は「本年度の事業計画は総代会で大綱は決定、調整事業と合理化活動とであるが、運営の面で一部積極的な施策も必要と思うので、それを検討した上、陳情すべきは陳情し、研究すべきは研究する態勢を作りたい」と述べ、次いで医薬全商連の活動々勢などを報告した。

 (1)事業運営方針の再検討については、出席各理事の意見要望などを個々に発言を求めたが大別すれば
 @各ブロック毎の運営強化と地区安定協の強化
 A共同事業の推進(共同仕入、或は共同製剤等)
 B団体交渉権の確立
 C組合員の法的(経済的の面も含め)規制からの解放の研究
 D組合員弱体化の考え方を基本的に正すこと
 などであった。

 又、調整事業については、賛否両論に分れたが、現在迄業界安定へ、幾分でも防波堤になったとすれば(調整事業だけのために商組があるとの考えは危険である)存続させることは是非必要であろうが、運営の面を十分慎重に研究考慮することになった。

 (2)理事業務分担については運営面を積極的に研究且つ推進するために、各理事を次の四委員に分担することになった。
 ▽法規研究委員
 ▽渉外委員
 ▽調整事業委員
 ▽協業化事業推進委員
 渉外委員には常務理事以上が当り調整事業委員は四ブロック長を、法規研究委員には井上、大村、西森、飯野、協業化委員には本松、大坪、中村、吉松の諸氏がそれぞれ決定その他は後日執行部から指名することと決った。

 (3)調整規程再申請については実情に合わないもの等内容を実情に合せ、練り直した上で再申請することとなる。

 (4)組合費の再検討については本年は予算も既に決定しているので、一年の経過をみた上で次年度の予算編成までに各ブロック毎に組合員の実数を調査することとなった。

 それより各地区の情況報告に移り、ミルクの価格問題については白木、藤野両氏から乳業メーカーとの懇談の経過報告があったが、組合側からの申入れに対するメーカー側の態度には誠意が認められない、効果も認められないとの出席理事の意見に基づいて、商組強化のためにもこの問題を採り上げ、先ず北九州地区の商組を再編成、強化した上、乳業メーカーと団体交渉を行うことを決め、早急に北九州地区は大島ブロック長を中心に組合の再編成に着手、二十三日午後、北九州ブロック理事会を開会することを決定した。

 挾子

 ▼適配条例は今日迄に十分既存業者を護るために役立った反面、各地で種々むつかしい問題も惹起している。この条例の適用除外を悪用するケースが最近ポツポツ起ってきたが、法律の中には往々にして一つの但書によって本法の趣旨を完全にくつがえすだけの力を持つものがある。医療法における処方せん発行除外例も、この適配条例の除外例も全くこれに相当する。

 適否条例におけるこの除外例は、条例そのものが憲法違反など云われた関係で、そのための抜け穴であったとも思われるが、全く条例制定当時は余り会員も気にかけていなかったものだけにショックも亦大きかったのであろう。

 何時の日か社会の大きな流れにこの条例があえなく消え去る時があるとしても、会員が自らの体質改善促進には充分なったし、又今後もなるのであろうから、薬務当局をして条例改正の促進に会員は協力一致、一層の力をそそいで貰いたい。

 ▼今回の適配条例をめぐる県薬内の諸問題は、意志の疎通が欠けたことに起因すると思う。会長はあまりにも先見えするため、兎角一般会員には誤解を招きやすい、会のためへの献身努力は他の人の到底及ばざるところであろう。一方安部常任理事は執行部中でもまじめで筋を通すと定評がある人だけに残念な出来事であったといわざるをえない。公開質問状を出した後、八幡薬剤師会は十五日総会を開き、回答書で不充分な点を今一度、県薬会長に直した。

 武見日医会長長野市で 分業と薬剤師に就て語る

 武見日医会長は長野市でひらかれた第八回国保医学会学術総会に出席のため七月十二日長野市を訪れたが、翌十三日勤労福祉センターで記者会見を行なった。武見会長はこの会見で「医療保険の場における被用者の解放」という新提案をなすとともに当面の諸問題について述べたが、そのなかで特に薬業界に関係の深い医薬分業問題について、薬剤師自身が考えている程甘いものではないことを強調して大要次のような発言があった。(以下は七月十八日発行の衛生新聞=長野市=の記事による)

 一、私自身は最初から医薬分業を実行しているし、またそうすべきものだと思っている。しかし、薬剤師諸君にたいする国民の信頼はどうだろう?みずからの努力によって国民の信頼をかち得なければならないが、現実にはどうだろうか…薬剤師諸君は医師の技術料さえ引上げられれば分業は成るかのように思っているらしい。もちろんそういうことも遥かに考えられないこともない。しかしそれよりも先に一般大衆から医師と同等に信頼を受けるようにならなければいけないのではないか。その努力をしないで医師の技術料が上がりさえすれば医薬分業になるんだという甘い考え方は、薬剤師の錯覚だろう。

 一、それから、現在の薬価基準のあり方では絶対に医薬分業はできない。薬価基準のもつ矛盾を薬剤師諸君はもっと徹底的に衝くべきではないか。分業をするための客観条件の整備をなぜもっと真剣にやらないのだろうか。薬剤師諸君は勉強不足であり、そんなことで分業はできるはずがないと思う。

 一、(最近の薬務行政についてとの質問に答え)一物二名称、最近のKL方式のワクチン問題などあんなバカな薬務行政は世界中にあるまい。あんな重要なことを薬務局長の一片の通達という行政権力でやれるところに日本の行政や政治のゆがみがあり、官僚がバッコするゆえんでもある。学問上の事実に立脚しないで、権力で行なっているのが薬務行政である。それに薬務行政は業者と一体になり過ぎている。

 無視された商組 『起つ』 北九州ブロック

 福岡県医薬品小売商業組合北九州ブロックは七月二十三日一時から、八幡薬剤師会館で理事、支部長合同会議を開き、さん下七支部(京都、門司、小倉、戸畑、若松、八幡、遠賀)から十四名中十三名出席して、県商組理事会の議決により本会を開催する運びとなった経過を報告後、北九州地区における育児用粉乳廉売対策につき、乳業三社の回答を不満として、八月七日総会を開き、断固、要望を貫徹することを議決した。

 小売側の要求事項

 @七八〇円で小売商組員も売れる様に、出荷して載きたい。
 A、@の要求が出来なければ、メーカーの小売業者に納入価格以下の商品は全部買上げること。
 B大型量販売店へ積極的にアプローチする。
 以上を七月九日までに、文書で回答すること。 以上

 乳業三社の回答

 @、文書で回答することは公取関係のこともあり、又公取の問題となっている審決も間近に迫っているので、口頭で回答する。
 A、@の要求は商組員の方々の気持はわかるが現状としては、出来ない。
 B、Aの要求は北九州地区に於ける乱売が泥沼の状態であり、北九州においては、商品の悪循環を来たすこともあるので、メーカーとしては出来ない。
 C、Bの要求は積極的にあたり、県商組会長とのトップ会談も行われつつあるので、非常によいムードとなっている…云々。」

 この回答では、如何にも好転するかの如き感じがするが、実際は、その后の経過を見ても、事態は何等改善されずに放任され、正直者の組合員は育児粉乳の安売りに泣かされている。

 育児粉乳の価格の乱れは、小売業者の競争が主要な原因ではない。乳業独占の販売政策と独占利潤の強引な収奪こそが小売店を苦しめているのである。(北九州ブロック長大島猛夫氏)

 福岡県薬業史物語(四) 潔周生

 奈良時代に於ける博多附近の状況は橘氏と藤原氏との争いの為、平城京に於て僧玄ムが失脚して筑紫観世音寺の別当に左遷され、諸大寺の墾田永世私有法による墾田が制限されて全国に荘園の発生する様になった(七四五年)。

 七四二年に一時廃止されていた太宰府政庁が此の時に復旧され七六四年には筑前に怡土城が築造された。此の時代には遣唐使の往来や新羅との交通も博多を通じて往来が盛んになった。

 此の頃に中国から茶が伝って来た。亦西洋医薬がシルクロードを経て輸入して来た最初で、全部遣唐使や遣隋使によって、日本の受入口として博多の港が盛んに使用される糸口となった次第である。又島郡(現在糸島郡志摩町)には太宰府観世音寺の製塩所が置かれていて、古代の塩どころであった。島郡の大領であった五百麿は、観世音寺から製塩用鉄釜を借りたりして巨富を貯えた事が古書に載っている。

 此の頃亦筑紫の綿は都にも聞えた特産物で、天平二年(七三〇年)には太宰府から綿一〇万屯も都に納められた。斯様にして筑紫は屈指の養蚕地であった事が知られ貿易に金が使用されるようになり、筑紫の綿は見向きもされない様になり養蚕業は次第に没落して行った。

 天平八年(七三六年)に流行した筑紫の天然痘は、遣新羅使によって都にも持ちこまれて、六月二十六日には太政官が諸国の国司に疫病の心得を通達した。それには「丸薬散薬などは効かない、人参湯だけは飲んでも良い」等細かい注意が指示され、国司達は管内の役員を総動員してこの心得を百姓達に伝えたが死病はとうとう全国に広ろまった。

 其後太宰府藤原純友に襲われたり(九四〇年)刀伊の入冠(一〇一九年)を蒙むったりして其の権威を失い、政治の中心が源平時代へと移って行くのであるが斯様な政権の推移とは別に博多の外国貿易港としての重要性は高まるばかりであった。此の頃日唐貿易は日宋貿易となって、宋船は博多の荒津の港のほかに今津新宮等と共に博多の港を賑わしていた。

 津久二年(一一九一年)七月に宋より栄西禅士が帰朝して博多に聖福寺の開基として扶桑第一の禅寺を建立した。そして其の敷地内に福岡県薬剤師会館が建てられているのも衆知の事と思われます。

 この栄西禅士が、素晴らしい新薬を宋より持参したと巷間に言い広め「喫茶養生記」を発行して其の効能を知らせています。茶は養生の仙薬なり、人間延齢の妙薬なり、目をさまし気を晴らす徳ありと云々。斯様にして博多に輸入した茶で、栄西禅士が鎌倉三代将軍源実朝を招きてこれを飲み、栄西禅士の処方を守りて頭痛快くなると古書に記載されている。

 それから、元の大軍がやって来た文永の役、弘安の役が起り北条時代から足利時代と幾多の戦禍をこうむっても、宋との貿易は博多を通じて行われ、博多は主に大内氏に支配され、明貿易を行い巨利を得ていて、博多が重要な商港であったので、博多商人は長い間の戦乱をかいくぐり、たくましく成長して行き、博多商人の伝統の基礎が培ちかわれて行った。

 文明三年(一四七一年)の海東諸国記(朝鮮外交府高官申叙舟著)の博多へ送りし品の項に香料、故椒、肉桂、犀角、麒麟血等とあって、漸やく薬品として品名を記した記録が判明して来たのである。(つづく)

画像  ◇失われた職業 荒巻善之助◇

 分業になると薬剤師の数が足りなくなって、今に値上りするから、結婚するなら薬剤師となさい、などと景気のいいラッパを吹く人があって、まさかとは思うものの、そこは身内のひいきが勝って、ひょっとしたらという気持からか、このところ女の子の評価もまちまちというところか。

 ところがこのラッパ、ちょっと聞きには勇ましいが明治以来レンメンと苦杯をなめつくして来た問題が、そう棚ボタ式に転がり込んでくるかどうか、お代は見てのお帰り、というところだ。

 なるほど世論はたしかに分業歓迎の方向を向いている。労組、知識人、評論家さては当お医師迄が表向は分業賛成の旗じるしを上げなければ、少々頭がおかしいのじゃないか、と思われる御時勢になった。その限りではたしかにおめでたい但し、但しだ、それが力関係の必然性からそうなったのではないというところに問題がある。

 分業モデル地区見学ということで、はるばる「みちのく」迄出かけられたゴキトクな方も居られるが、問題はそういうことじゃない。分業の可否は机の前で考えるだけで明確な答を引き出すのに充分である。「みちのく」のモデル分業に何か将来を示唆するものがありはしないかと考えるのは、ふられた男が他人のむつ言を聞いて、他もああいうふうにやったら、ふられなくてもすむかも知れんと考えるのと同じだろう。

 なぜなら、今我々が迎えようとしている分業は赤字分業だ、ということを先ず考えるべきなのである。そういうことは個別的な医師への働きかけで解消するじゃないか、特定の医師とまず人間関係を作ることだ、そういう努力もしないで、分業否定論をぶつのは間違っている、と日薬のオエラ方はおっしゃるに相違ない。

 然しこの考えは本末をとり違えた考え方である。薬剤師がもし本当に医療担当者としての自己に自信があるのなら、こういうときこそ、赤字分業など以っての外、とケツをまくって居直ったらよい。医師との人間関係が必要でないとは云わないが、必ずしも不可欠の要素ではあるまい。むしろ人間関係は末端の患者との間にこそ必要なのである。もしそういう最低必要条件が満されることなしに分業になったとしても、それは決して制度として安定したものではあるまい。常にダンナの鼻息をうかがうメカケの如き分業と云わなくてはならぬ。

 こういうふうに考えてくると、「みちのく」の分業は、その土地柄を基盤としそこにたまたま勇み肌のお医者様が派生したということに起因する。特異的な現象とみるべきであろう。

 ラッパ屋さんが云う通りボヤボヤしているし、分業は我々の前を通り過ぎてしまう、いや一生懸命やっているつもりでも、その足もとを見ないで影だけを追っていると、すっと取り逃してしまうのじゃないか、そういう懸念の方が大きい。どうしてか、それは分業という徐々に進行しつつある事実、それは確実に進行していることに違いはないのだが、その事実をのせている分母、即ちその社会的な要因に、ことさらに目をそむけて、結果だけを得ようとあせるからであろう。

 はっきり云うと分業にはほっていてもなる。ねじり鉢巻で気意込む必要もなければ、お巡りとケンカしてまで看板を上げる必要もない、まして医者のごきげんをとって、貧しい懐から一杯のませる必要もない。それは社会的な要請として、そうなることに違いないからである。

 ただこの分業という意味は、薬剤師が患者に薬を与えるのだ、という意味での分業であって、ただそれだけでしかないということをとくと考えておく必要がある。それが数十年来の悲願であるならば、その悲願は多分労せずしてむくいられるだろう。但し、それによって誰がもうかるか、誰が経営の主体となるかと云うことは、これは全く別のことなのである。

 云う迄もないことであるが、これが分業論の「かなめどころ」である。この「かなめ」を外して分業の可否を論ずることはできない。薬剤師が経営主体として存続しうるかどうか。それとも経営主体から外れても、自己の技術を売ることによって、その正当な対価を世間より得ることができるかどうか、さらに云うならば、売るに価する技術をもっているのかどうか、そこから出発して考えるべきであろう。

 薬剤師という職業は技術を売る職業だと云われる。そしてその技術は学問によって裏づけされていると考えられている。それはたしかにそうであろう。そうでなくては国家試験を課する意味もなくなってしまう。それならば社会がそういう技術に対してそれ相応の対価を支払うのは当然であるというふうに我々は考える。

 もし本当にそうならば、どういう形の分業であれ、それは喜ぶべきことに相違ない。だが薬剤師自身は決してそうは思わない。彼はあくまで自分が経営の主体であることを望むのである。それはとりも直さず、自己の技術性の対価をそのままの形で世間に求めようとはせずに、技術性プラスアルファの対価を、自分が流通の一端を担うことによって求めようとしているのである。そしてこのことは裏返して云えば、技術だけでは心許ない、という気持の素直な表現であろう。

 ここで薬剤師の技術性ということについて、少し考えてみたいと思う。およそ技術というものは大まかに次の三つに分類することができよう。

 1、学問的技術
 2、芸術的技術
 3、練習による技術

 むろんこれは重複していることが多いが然しどれかの比重が大きい。ここで2の例として陶工を考えてみよう。彼が一つの皿を作る、その皿は手で作るものであるがその原形は彼の頭の中にある。だから他人がどんなに彼の皿をまねて作ろうと、彼の頭の中の原形を彼の手で作ったものとは自ら違う。この個別性が芸術的な技術の特徴である。

 3、の例として曲芸師を考えてみる、彼の技術は彼のハードトレーニングによって得られたものである。彼のやることは誰でもができることではない、ここでは個別性はもっと明瞭であることが判る。

 ところで1の学問的技術はどうであろう。学問とはもともと普遍化に対する人間の情熱である、というふうに理解することもできよう。普通妥当であるということは学問の大前提であると同時にその帰結でもある。心臓の手術がたまたま成功したのでは学問としては未完成だ。いつ、どこで、誰がやっても成功するような方法の発見ということが即ち学問の進歩なのである。そういう意味では学問に於て「特定の個」ということは問題にならない。いつでも問題になるのは「全体としての個」である。それをどういう形の普遍の場で捉えるかということが学問である。

 薬剤師の技術が薬学という学問をバックにする限りそれは当然より普遍的なものに変化せざるを得ない。調剤という、いわば個別的な技術が、製剤というより普遍的な技術に変化してくることは当然のことであるし、社会も亦それによって発展進歩することになる。言い変えれば社会が進歩発展するということは手の技術が機械にとって代られるということ職人が不要になるということである、とも云えよう。そして、薬剤師は間違いもなく職人なのである。

 薬剤師を職人とすることについて異論のある方もあるかもしれない。然し職人であるか否かは学問のうらづけのあるなしとは関係ない。そうではなくて、その仕事にどれだけの創造性が要求されるかということである。だが果してそうだろうか。このあたりの事情を考えるについて、近頃のいちばん手頃な例は郵便番号である。郵便物の区分けは今迄人間の目と手を使わなければできないものと考えられて来た。然しコンピューターの目ざましい開発は人間の判断業務を追放しようとしている。なぜか、それは創造性を必要としないからである。コンピューターにセットしておけば、人間よりはるかに正確に、敏速に処理してしまうからだ。

 ところで郵便物の区分けと処方箋の判読との間に、果してどれだけの相違が考えられるだろうか。極量〇・〇五とか、小児はその何分の一とかいうようなことなら機械にセットしておいた方がはるかに新米の薬剤師よりは正確であろう。私は近い将来に自動的に処方箋を判読し繁用薬品のヒートシールをカットして投与するような機会が大病院を対象に開発されるに違いないと考えている。そうなれば薬剤師はその機械の管理と特殊な処方箋だけを処理すればよいことになる。人数は今の半数以下で充分であろう。

 調剤は今迄薬剤師の表芸とされて来た。然しコンピューターが開発された今となっては、すでに過去のものでしかない。調剤にどれだけの創造性があるか、処方の内容についての一切の批判が職業的モラルとしてタブーであるということはむしろ創造性を殺すことに力が注がれているのだ。そしてそういう職業だからこそ女性の職業に適しているのだとも云えよう。

 ところで話を変えて医師の場合はどうか。医師も亦職人であるということは前にもちょっとふれた。特に最近のように検査をいくつもくり返して、やっと診断が下るということになると特にその感が深い。慶応大学の医学部では、そういう検査の結果や、自覚症状等を入れてやると、新米の医者よりはるかに正確な診断を下す機械が、すでに数年前に開発されていると聞いている。この限りでは医師の仕事も亦機械にとって代られつつあることは間違いない。

 ただそれが我々と違う所は薬剤師が薬という物を対象とするのに対して、医師は人間一般を対象にし乍らも、常にそれは特定の個人を通してのことだということである。つまりその特定の個人、即ち患者に対して絶対的な権威をもつことも可能なのである。医師の技術が社会的に高い評価を以てうけ容れられる理由はその技術が常に学問を活用しうる状態にあること、即ち創造性をもち込める余地があること、それともう一つは特定の個人に対する絶対的な権威とによってであろう。

 このように医師と薬剤師を対比してみると、同じく医療担当者だといっても、そこには劃然たる区別があることが判る。そしてこの区別は薬剤師が個人に関与することがタブーとされる現在の医療制度の下ではどうすることもできない。

 分業分業とさわいでいるが、分業ができ上ったときには機械が大部分の仕事を片づけてしまうかも判らないということを、今の薬剤師は考えてみたことがあるだろうか。その機械の持主は誰になるのだろうか。このことはすでに医療の問題を離れて流通の問題に属することになる。これについては又機会があれば述べることもあろう。