通 史 昭和42年(1967) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和42年(1967) 10月10日号

 かつての西欧文化の門戸長崎市に 第35回九州・山口薬学大会 会員八百余名参集

 日本三大祭の一つといわれる長崎くんちを控えわきたつ長崎市において、秋晴れの十月五、六の両日第35回九州山口薬学大会が約八百名の会員参集のもとに、長崎大学中部講堂を主会場として盛大に開会された。

 大会前日の「大会運営委員会」並に「薬剤部長協議会委員会」に引続き、第一、第二の間、今回特に新設された新薬部会(メーカーのプロパーによる)を加え十一部会、六十題に及ぶ研究発表、五シンポジウムなどを行い、特別講演は、武田日薬会長の「薬剤師職能に就て」、野上寿東大教授の「薬剤学の進歩と薬剤師の使命」、常松己一薬業経済研究所常務理事(経済評論家)による「医療経済の変革と医薬品需給の動向」と題する興味ある演述があり、又第一日午後六時からは市内平和公園にある国際文化会館庭園において盛大な野外懇親パーティーが催され、有名な長崎の蛇踊観覧など、多彩な行事がくり広げられた。

 薬学並に薬剤師会は大会第一日の五日午後一時及び翌六日三時から中部講堂に於て 薬剤師倫理の昂揚に努めよう
 薬剤師の処遇、地位の向上を斗いとろう
 薬剤師会法の制定をめざそう
 医薬分業完全実施を実現させよう
 のスローガンのもとに、地元長崎市薬会長隈治人氏の司会で開始された。

 地元武田吉之亮県薬副会長による力強い大会宣言、国歌斉唱、物故者への黙祷に引続き、宮崎地元県薬副会長は明治維新、日本の医学薬学の発祥の地、長崎に本会を開催する意義深きを謝して開会のことばとし、引続き瓜生田九州山口薬剤師会長、並に昨年の佐賀大会において選出、新任の松村九州薬学会会頭の挨拶後、藤村長崎県薬会長は大会実行委員長として、その経過報告を行った。次いで来賓の祝辞に移り、厚生大臣(代)武田日薬会長、長崎県知事、長崎市長、同県医師会長、歯科医師会長代理などの祝辞、高野日薬顧問ほか多数の祝電披露があって引続き名誉会員推せん並に会員十二名に表彰状及び記念品を、一組合に感謝状をそれぞれ左記諸士に贈呈した。

 ▽名誉会員
 藤田穣
 ▽表彰状
 笠井薫(山口)藤田?(福岡)久保正志(佐賀)柴田小太郎(大分)吉松義巳、下田正(熊本)福崎勝吉(宮崎)浜島寅夫、森永藤三郎(鹿児島)宮崎亮治、野川フミ、坂井透(長崎)
 ▽感謝状
 長崎県医薬品卸協同組合

 挾子

 今回の長崎での薬学大会は、長崎くんちにも当り、大体観光資源も豊富な土地だけに参加者も多く、八百を数えた。分科会は出席率もよかったが、本会議も二日目のしめくくりの時には、広大な会場にパラパラと三、四十人位しか残っていなかった。大体何処の大会でも終りはこれに近い状態であるが、一年間エイエイとして準備した開催県には詢に申訳けない気がする。大会運営にもここらで新工夫が必要ではないだろうか。大会は会場設営が大会当番県では一番頭の痛いことであろうが、別府や佐賀などのように一ヶ所に大小会場が揃っている処はよいが、そうでないと仲々に会は盛り上がりにくい。長崎大学では折悪く丁度学生の試験中でもあってやりにくかったと思われる。然し昨年果たさなかった武田、井出日薬正副会長の出席、女子薬では秋島、栗村日本女子薬連合会副会長の出席もあって大会にバラ色を添えたのは上出来であった。

 ▼今回の薬価基準引下げに伴なって各方面に色々の影響を及ぼしていると考えられるが、その中でも卸業者は今大会卸部会でもこれを主議題に取りあげたのをみてもわかるように、直接大病院や診療所に納入する卸業者に与える影響は業務の煩雑さもさることながら経済面でのしわよせも相当あるものと思われる。来年春の第一回日薬学術大会では卸部会も新設されることでもあり、ここらで団結を強固にし、大きな視野に立った業界発展を考えて対処して貰いたいものである、自分だけよければといった在り方がやがて業界全体を窮地に陥いらすことがないように……

 福岡市薬 理事会

 福岡市薬剤師会は九月二十七日十一時半から県薬会館で理事会を開会、@保険薬局の在り方についてA九州山口薬学大会出席についてB薬と健康の週間行事について、その他を検討した。

 保険薬局の在り方については、最近市内の薬局に、処方せん獲得について一部行過ぎが見受けられるが、これらは今後の分業推進を阻害する虞れもあるので、保険薬局並に保険薬剤師(薬局勤務の薬剤師も含め)の在り方について検討、日薬の基本線に沿って、薬剤師が勤務している大病院を除き一般病院、診療所を対象に推進すべきことを会員に周知徹底せしめることとなった。 又十月十八日から三日間県貿易会館で行う薬と健康の週間行事について、薬剤師会側が担当する事項についての打合せを行った。

九州薬事新報 昭和42年(1967)  10月20日号

 九州・山口薬学大会薬局経済部会での 開局薬剤師・柴田伊津郎氏の講演要旨
 薬局におけるDI活動に就て

 一、開局薬剤師の現状
 開局薬剤師に対する一般の評価は吾々自身が、現に身をもって感じていることであって、われわれが現在のようなマスコミ保健薬や雑品販売にのみ追われていては、医薬担当者としての開局薬剤師の存在価値はないであろう。

 われわれ薬剤師が薬のコンサルタントとしての知識を身につけ、その本来の職能を生かす努力をしない限り一般社会や医療担当者の薬剤師に対する評価は、いつまでも一商人としてのものであり、分業の達成は困難であろう。もちろん分業達成のための要素はDI活動ばかりではなく、他にも重要な難問が山積していることはご承知のことである。元来DIということは、われわれ薬剤師の職能としては当然のものであって、その程度の差こそあれ実際に或る程度のことはやって来た筈である。

 しかし分業を前提として考えてみると、現代の医療の主流から離れてしまったわれわれ開局薬剤師に、はたしてその自信があるかどうか、甚だ疑問であろう。こうした観点から福岡県薬剤師会においては薬剤師の医薬品に対する知識の向上を計り、医薬品の性状、配合禁忌、安定性などの薬剤学的事項や、更に急性、慢性、毒性、副作用、代謝、排泄などの臨床薬理学的事項について、医師の質問にも十分答えうるような態制を作るために、四一年十月より臨床薬理学講座を開講し、本年九月までに六回の講座をもった。

 更に去る六月より主として開局薬剤師を対象としたDI委員会が発足した。もちろんその成否を決定するものは、われわれ開局者個々の自覚が第一条件であって、各自においてもそれぞれ資料を分類整理する努力は必要ではあるが、これには限度があって充分なことはとうてい望めないと思う。

 そのためには県薬にDIセンターを設けると同時に、各地区毎に更に地区センターを置き、有機的な連絡を保ちながらより完璧なDI活動を行い得る態制を作る必要があると思う。幸い福岡県においては県病薬がすでに約三年前より、本格的なDI活動を行いつつあり、現在では「DIニュース」の発行なども行って着実な成果をあげつつあるので、病薬の指導と協力を得れば相当の成果が期待できることと思われる。

 二、アンケートの集計結果について
 開局者の場合は病院薬剤師とは立場も異なり、かつまたDIに対する認識の程度も不明なため、先ずアンケートによる意識調査を行った。その結果は別表のとおりで、DIを必要とするもの73%、文献などの整理や利用予定ありとするものが87%もあることは大変心強いことと考える。ただメーカー来訪の目的が、薬品の売り込みや押し込みが主であるという回答が殆んどであって、治療用薬品についての説明が皆無に近いということは、メーカーにおいても今後大いに考慮される必要があろう。

 薬についての苦情または事故についての回答数57件中薬疹または発赤などが23例を占めていることは、われわれ日常の販売に当って充分留意する必要を痛感すると同時にマスセール的販売についても大いに反省の要があると思う。

 三、DIについての要望
 DIについての要望としては回答数も少なく、DI関連以外のものが多かったが、その中で今後のDI関連以外のものが多かったが、その中で今後のDI活動の方向を示すような貴重な要望があるので、次に配記してみよう。

 ▽薬局に常備が望ましい図書名などを知らせて欲しい
 ▽県内各地区のセンター的病院薬局との連絡をとり得るよう薬局長名などの周知を計れ
 ▽地区毎にセンターを設置し、気易く質問できるようにせよ
 ▽病院診療所において繁用される薬品や処方が知りたい
 ▽地方においても各種講習会を開催せよ

 以上は第35回九州山口薬学大会開局部会において発表したものに加筆したもので今回の集計結果の発表に当ってはDI委員会はもちろん、工藤専務理事に大変お力添えいただいた、感謝の意を表します。尚DIアンケート集計表の主なものだけ抜き出して列記する。

 ▽調査対象数一、〇二一
 ▽回答数三六一(回収率35%)

 (1)DIについて
 @DIとは何かしっている二六四(73%)知らない八九(25%)答えず八(2%)
 ADI活動は必要二七一(75%)不要一四(4%)わからぬ答えず七六(21%)

 (2)医薬に関する@書籍A雑誌B新聞の保有状況
 @局方あり三四三、なし一二、答えず六
 その他の書籍十冊以下一三九、五〇冊以下一一六、百冊以下一四、百冊以上八、なし答えず八四
 A薬局五四、ドラッグマガジン四七、漢方の臨床一〇、ファルマシア八、日本東洋医学会誌六
 B薬局新聞一六〇、九州薬事新報一一〇、薬事日報七八、日本薬業新聞五〇、薬業時報一六、薬業タイムス一〇

 (3)メーカーの冊誌、パンフレット、文献などの整理利用状況
 整理してある二四一、ない一一三、答えず七、利用する予定三一六、ない二一、答えず二四

 (4)メーカーが治療用薬品について説明に来訪するか
 @来訪したことあり二六二、なし九七、答えず二、
 A本年になり来訪したメーカー名
 タケダ一五一、三共一〇一、シオノギ七〇、フジサワ五七、中外四八、エーザイ四五、山之内三七、コーワ三六、小野三四、万有三二、大日本二五、その他一〇以下

 (5)医薬担当者または消費者より薬品についての問合せの頻度
月に一〇回以上四八(13%)時々二六〇(72%)ない五〇(14%)答えず三(1%)

 (6)薬についての苦情または事故などあったか
 回答数五七件の内わけ
 ▽発疹または発赤など二三
 ▽価格について 一一
 ▽内容不足、変質など 八
 ▽下痢その他の副作用 四
 ▽自殺 三
 ▽のみ過ぎ、誤飲 二
 ▽その他 六
(終り)(福岡県、開局・学校薬剤師・県薬DI委員会委員長)

 博多からナポリまで(1)田中美代

 福岡県女子薬副会長田中美代氏(福岡県薬務課技師)は去る七月末から約一ヶ月に亘って世界連邦オスロ大会出席並に欧州各国の血液センター、薬務行政などを視察されたが、この程その旅行記を本社の希望に答え、心良く引受けて、同氏の例のサラサラとよどみなく、淡々とした筆さばきの文を寄稿して頂いたので、早速号を追って掲載させて貰うことにした。(記者)

 昭和四十一年四月、京都の日本女子薬剤師会総会に、西部連白浜総会のあとしまつをもちこんだ私達である。東西女子薬会員の良識によって輝かしい日本女子薬剤師会が正式に発足したことはご承知のとおりであるが、この合併問題のさ中に、私は京都の木村女史から、「世界連邦会議」というものが、オスロであるから参加しなさいという案内状を頂いたのである。

 世界連邦会議とか、世界連邦建設同盟とかいうことばの意義は勿論、どんな趣旨の集りなのか、又オスロという街が世界のどこにあるのか一向に無頓着であった私である。木村女史とは永い間のおつき合いであって、合併問題ではあれこれと議論をしたものであるが「どうなのよ、」「オスロに行ってみなさい。」と重ねてお誘いをうけたときは、友情とはこんなものかと、厚意のほどが身に沁みたものである。

 その中に「行ってみたいな」から「行ってみよう」となり、「是非行く」と決心をつけて、何やかやと渡欧の準備にとりかかったものの、宮仕えの身であるからには勝手なことは許されずいよいよ最後になって、やんごとない方から、「欧州に出張を命ずる」というお墨付を頂いたのが、七月二十五日のことであった。

 七月二十七日の夕方博多発の夜行で出発、翌二十八日羽田から北極圏まわりの日航機に、一行一二〇余とともに乗せてもらったとき、言葉に自信のない赤毛布(けっと)の門途を、ひとり苦笑したものであるが、万国通信という手旗信号もあるんだし、何んとかなるだろうという持前の強心ぞうで行こう。これが正直なところ私の心境であった。

 東京を発って第一の着陸地であり、給油と乗務員の交替があるアンカレッジで約一時間あまり休憩、再び機上の人となる。話に聞いていた北極の白夜、その夜のあかりにうかぶ、雪にとざされたマッキンレーの山容を機上から眺め、自然の驚異に目を見はりながらとぶ空の旅、まことに雄壮なながめである。 アンカレッジを立ってから約十三時間、雪と氷のシベリヤの空をとびつづけてから、やがて機は北海を越え、雲海に包まれて見えないスカンジナビア半島を縦断、ダンケルクの悲劇を空から偲びながら、ドーバーを越えると、やがてロンドン空港に着陸することになる。

 バイキングによって、開拓されたというイギリスには、古代色豊かな建物が数多く保存されているという話をきかされたのであるが、その真偽のほどは通りすがりのエトランゼにわかるすべもない。ロンドン市に入るに先だって、観光客の大部分が、先ず最初に訪れるという古城。赤いレンガで築かれ八百五十年の伝説を秘めた、ウィンザー城を訪れた私達に、幸運といおうか、毛帽子にキンモールの赤い服を着て鉄砲をかついだスコットランドの兵隊さんが十人あまり、隊伍を組んで城門から出て来たものである。

 大勢の見物人達の前で、バネ仕かけの人形よろしく、捧げ銃の敬礼をしながら衛兵交代の動作をみせてくれたものである。四角四面の機械人形のような兵隊さんがイギリスの国民性をあらわしているんだという同行の人々のお話もまんざら嘘でもないような気がしたものである。

 角笛や太鼓の音を聞くことができなかったのは、些かさびしかったものであるが、ここは日本ではなかったなという何故かしみじみとした感慨にとらわれた私である。八五〇年の歴史をほこるというこの古城も亦かっての日に、バイキング達がもたらした外国文化のおかげででもあろうかと、考えさせられたものである。

 ウィンザーの古城を後にした私達は、午後三時二十分、霧の都といわれるロンドン空港につく。先ず最初に目についたのが、素晴らしく背の高いスマートなお巡りさんである。しかしながら往きのロンドンでは、ゆっくりと観光する旅程はくんでないため中継ぎのロンドンに別れを告げて、再び機上の人となり、ドゥバーを越えて、コペンハーゲンに立ちより、スカンヂナビア航空機に乗りかえ、十九時五十分、ノルウェーの首都オスロに着く。東京を出発してからの時間は短かったとは言いながら、はるかにも来つるものかなという感慨がこみあげて来て、ここが私の目的の土地であり、しかもここが私の欧州の旅の始る土地であるのかと思えば、みるものきくものすべてが珍らしく、興味を湧かさずにおれなかったのである。

 私のこのたびの渡欧目的は、欧州各国の血液事情や、薬事事情の調査ということになっているのであるが、それは「世界連邦建設同盟」という組織の中での調査であり、又「第十三回世界連邦世界大会」婦人委員会の所属の中で、それぞれの目的に従っての活動に参加しながら、運動の余暇を利用した調査であったがため自由行動による調査のように、充分な調査が出来なかったのは出張命令をいただいた手前まことに申し訳のないことである。

 しかしながら知り得たかぎりにおいては、欧州各国の血液事情は、殆んどの国の保存血が献血ということによってまかなわれているということである。そしてこの献血の推進が、ノルウェーやスイスでは赤十字社や「ボーイスカウト」達の活動によって確保されているということであって、しかもその献血が必要に応じ赤十字社や、ボーイスカウトの呼びかけに応じて、躊躇なく応じられているということである。このことは社会福祉制度の発達を物語るとともに又共存共栄という国民性の然からしむるものではなかろうか。今日なお献血推進に苦労している日本の現状とくらべてほんとうに羨ましいお国柄である。

 次に私達はこの国の薬事事情を調べるため日本大使館に行って、お願いすることにしたが、大使館の才賀女史の通訳を頂けることになり、同行の山田女史とともに、あちこちの薬局を廻ってみたのであるが、医薬分業制度がはっきりと確立し、薬剤師の地位も安定していて、すべての薬局が「保健薬局」として開局されていることを知ったとき、これこそ我々が期待しているほんとうの薬局のあり方であり、まことに感慨無量のものがあった。

 薬局の内部は外からは見られない。表に(Apottek)との表示がなされ、薬の広告やビラ等はどこにも貼布され、ブラさげられてない。そして医薬品以外の商品も販売されている形も跡ない。ノルウェーの薬局が、このようなすがたで発展して来たことは、この国の社会福祉制度の発展のたまものであり、又国民皆保険の故であることも、自らうなづけられようというものである。

 世界連邦オスロ大会のことは、昭和四十二年八月八日の朝日新聞社オスロ特派記者、八木沢氏によって報導されているので、私が半可通の記事をかかない方がよいと思うし、又その記事を読んで頂けばお判りになるかと思うので、ここらで先を急ぐことにする。私は一度ここを去るに当って日本大使館の方々に、非常なお世話を頂いたことを重ねてお礼申し上げ、又血液事情や、薬事事情の調査に当って、通訳をして頂いた才賀女史にも重ねてお礼を申し上げたい。(続く)

 百余日ぶりに 第一薬大紛争 ようやく解決

 去る七月四日以来「学園の正常化」をさけんで学園側と紛争を続けていた第一薬科大学の斗争本部(学生会、教官会、助手会、同窓会、後援会)は、十月十日、百余日ぶりに斗争態制をとき、宮道大阪薬科大学学長を理事に、松野教官を学長事務取扱いに迎えた新理事会と、高宮学園充実懇談会並に大学運営協議会の二組織とによって未解決の諸問題を審議解決することになり、解決への曙光を見出すとこになった。

 第一薬科大学の 紛争解決のご挨拶

 後援会の御父兄の皆様、第一薬科大学に有縁の方々に御挨拶申上げます。去る七月四日五者(学生会、教官会、助手会、同窓会、後援会)をもって斗争宣言を言挙げし、血の叫びで要望を以って高宮学園の正浄化、引いては第一薬科大学の正常化即ち当り前に考えられ行われる経営と教学に関する運営の正しい道への引直しを、求めに求めて百有余日、あの酷暑の最中をそして秋風の今日まで五者鉄石の団結と不動の規律を保持しよく戦い今日を得ましたこと、一重に皆様の徹頭徹尾変らぬ御理解にもとずく物心両面の御支援と御指導御鞭撻の賜と厚く感謝低頭いたす次第でございます。然しながらこの百有余日の御心労御心痛に思いをいたす時、五者斗争の責任者といたしまして、何とお詫び申し、何と申し開きしたらと言葉もありません合掌、私の唯だ一つの慰めはこの長期間一人の落伍者も又犠牲者も、世間様に顰蹙を買い謗を受ける行いなく、世間の温い同情に守られながらの戦いに終始させて戴いた事であります。

 御陰様で昨年十月十日大阪薬科大学学長宮道悦男先生を理事に、そして学科長松野俊雄先生を学長事務取扱いに機関理事に迎えた新理事会の決定発足をみ、この新理事会と静かに、そして平和裡に民主的な会合を持ち五者の要求未解決の諸問題を審議解決すべく二つの組織の成立を両者間に締結いたしました。

 即ち高宮学園充実懇談会なる組織(大学教官2、後援会1、高校教官2、高校PTA1、理事者2、評議員1の構成)が誕生いたしました。この組織は五者共斗より一歩枠を拡げ大処高所より諸問題を大学の否学園の問題として厳正に慎重に討議討論して決定の断を下し、理事会の諮に答え理事会の学園の経運営を全ったからしめんものとするものであり、又大学自体の経教学の運営を円滑にそして充実させ向上させるためには、大学運営協議会なる組織(理事者若干名、教官代表若干名、事務長にて構成)の二つの組織の運用の妙を発揮して、学園は、大学は唯々生徒の学生の為にのみあるの大理念を遂行して行くことに決定いたしました。お喜び下さい。

 これによりまして本日まで結成いたして居りました、五者共斗体制は解除する事を宣言し、学生は学生の本分たる勉学に精励し教職員は研究と教育に専念し、理事者は理事としての姿勢を正し心を直し、それぞれの「道」を守り、相寄り相携えて過去のブランクを汚名を、一日も早く回復し充実向上前進あるのみの体制づくりに傾注いたすことに決定いたしました。

 ことここまでに運びましたこと、一重にも二重にも皆様の温い理解ある御庇護の賜、とりわけ薬学界の長老であり薬学教育の大先達たる宮道博士が老?もいとわず御西下理事就任、こまごまな御指導と御配慮を戴いた賜と感銘いたして居ります。ほんとうに有難う御座います。

 然しながら私共は吾々五者の要求がこれで満足すべき状態に解決された否されるとは決して考えて居りません。やっと話し合いの場が出来、解決への序の口が見出されたと考えて居ります。これからが相互信頼の上に立って民主的に、静かに、平和に理論倫理斗争の場で諸問題を解決する、言うならば難処にさしかかったと理解し褌を締め直して理解の上の団結が猶厳しく要求せられるものと思われます。 皆様の向後の御支援、御指導こそ私共の血となり肉となり活力となるものと信じ汲汲御願い申す次第でございます。先ずは斗争解除の御挨拶とお願いまで、ありがとうございます。合掌

 各位様

 第一薬科大学 正常化斗争本部長 樋口昌徳
 後援会
 教官会
 助手会
 学生会
 同窓会(順不同)

 挾子

 今年度長崎に於ける九州山口薬学大会女子薬部会で、医薬品の安全性についてのシンポジウムで、福岡県女子薬から病院勤務、開局、消費者三者の立場からそれぞれどうどうたる意見が発表されたが、討論になってから「開局者の販売姿勢(売らんかな主義)の犠牲で病院に来る人があとをたたない」との勤務者の声に、杉本氏は開局者の立場からデーターをもとに大いにこれを反撃、立派な開局者が数多く居ることを示して、秋島、栗村日本女子薬正副会長をして「福岡県女子薬はたいしたものだ」と云わしめ、面目をほどこしたのはいいが、今後これを裏切る開局薬剤師のないことを祈りたい。

 ▼大阪府薬務課では薬局薬店の店頭広告の実態調査を実施していたが、広告基準に反するものや店内が広告物で埋まっているもの、薬局薬店の品位をそこない威信を失墜する様な行為について薬関係団体に警告を発したそうだ、決して大阪ばかりではない、心すべきだ

九州薬事新報 昭和42年(1967) 10月30日号

 福岡市薬と 薬と健康の週間行事

 本年度薬と健康の週間は十月十五日から二十一日迄の一週間各地区で多彩な催しがくり広げられたが、福岡市薬剤師会では市内三ヶ所の環境調査及び県、市と共催で、十八日から二十日までの三日間県産業貿易館三階において「薬と健康の展覧会」を開き、▽薬と健康に関係あるいろいろの統計に関係あるいろいろの統計や資料の展示▽薬と育児製品の展示、特に各メーカー最近の新薬▽薬剤師担当による薬の相談▽血圧測定、血液型判定、栄養相談(成人病食事指導、一般栄養相談)▽映画(健康と病気に関する種々の映画)などを上映して入場者約三千名を数え、多大の成果をおさめた。

 殊に入場者へのサービスに実施したスピード籤による三十名に救急箱の進呈、入場者全員へのパンフレット、保健薬のサンプル配布は入場者を喜ばせ、各種測定、相談者も相次ぎ、係の先生方に嬉しい悲鳴をあげさせた程であった。この三日間、開局薬剤師と保健所が一体となり、見事なチームワークを発揮したことは特に有意義であった。

 ▽薬の相談 一二四件
 ▽血圧測定 三八二件
 ▽血液型判定 四一七件
 ▽栄養相談 一三七件

 尚県下全域で行っている環境調査、福岡市薬では十六日、市内三ヶ所(西新町福岡薬局前、千代町荒巻薬局支店前、高宮本通高宮薬局前)において、じんあい、一酸化炭素、騒音の調査を学校薬剤師が担当して実施した。

 福岡県薬事功労者 知事表彰式 県薬祝賀会

 毎年「薬と健康の週間」行事の一環として行われる福岡県の薬事功労者に対する県知事の感謝状贈呈式は、同週間最終日の十月二十一日午前十時から、県庁知事室において、知事を始め県衛生部当局、薬業関係団体幹部出席のもとに行われ、左記七氏に、感謝状並に記念品が贈呈された。

 被表彰者―鶴田喜代次、島添重雄、友納英一、竹内克己、諌山哲夫、合屋周、福間秀男(詳細は本紙前号参照)

 県薬剤師会では表彰式に引続き、県薬会館に会場を移してその祝賀会を開催した。工藤専務理事司会して先ず開会のあいさつを、次に四島県薬会長の祝辞があり、合屋周氏被表彰者を代表して感謝のことばを述べ、深田県薬事協会長の乾杯の音頭によって開宴、福岡県薬副会長のあいさつでなごやかな祝賀の宴を一時開会した。

 福岡市薬 市より表彰

 福岡市は十月二十一日市保健所施行三十周年記念式典を行ったが、市薬剤師会は保健所行政に貢献した功績に対して感謝状が贈られた。

 福岡県薬業史物語 潔周生

 はしがき

 昭和二十年六月十九日の、福岡市地方に於ける敵機の大空襲による戦災の為幾多過去の薬業関係の歴史的資料が、公私共灰燼に帰してしまった事実を想い、現在生きておられる先輩の方々を訪ねては記憶を呼び起して貰い、衆知を蒐めて福岡薬業史を編纂しておかなければ、博多附近の二千余年の貴重な資料を薬業家関係の子孫に、永久に伝える事が出来ないだろうと考えていた処、昭和三十一年陽春四月に、終戦後の日本薬学大会が初めて福岡市の九州大学医学部に於て開催され、其の時に、日本薬史学部会が精神科講堂に於て開かれたが、九州に於ける薬剤師会会員中、出席者は佐賀市野中鳥犀圓本舗主故野中萬太郎先生と私の二人だけで、野中先生が「佐賀売薬の歴史」を述べられた後に、東京より西下出席されていた某先生による、福岡市に於ける内海蘭渓先生の研究調査の発表を聞き深く感銘したのである。

 それがため、福岡県薬業史の編纂に早急着手したいと思い、其の当時の磯田県薬会長に建言し、市内在住の老先輩よりそれらの資料を聴取したいと考え、鶴原正蔵先生などとはかり、或る時は高宮温泉ホテルに諸先輩十名余りを招待し、昔日の記憶を追想して貰い、当日の談話などテープにとらせて貰うなどしていたのであるが、私の怠惰心もあって一時編集を断念していた処、その後前磯田県薬会長が自伝を兼ねた薬剤師五十年史を本紙上に連載された。それによって記憶を新たにされた会員もある事と思われる。また今年の本紙新年号に、九大病院薬剤部長堀岡先生の薬史関係記事もあって、種々の資料が漸次出て来る様になりました。

 私は高血圧で病床に伏すなどして薬業史の編纂の事を断念していた処、県薬の工藤益夫専務理事より社団法人福岡県薬剤師会も昭和四十四年になれば創立二十周年になるので、会史発行を企画し度き旨を県薬理事会に提唱され、全員異議なくこれを承認可決され「福岡県薬剤師会の歩み」なる資料を提供されました。

 依って前奏曲のつもりで私の所に集まっている資料を基礎として福岡県薬業史物語を綴る事としました。浅学菲才で文才もなく、拙文とは思いつつも困難なこの事業を、記述式でもよいと考えてペンを走らせる事としましたので、読者の方々で有益な資料をお持ちの方にはご提供を願い、又事実相違の箇所は遠慮なくご叱正くださる様お願い申し上げます。そして皆様と一緒に県薬史を完成致し度いと思って居ります。以上述べたような次第でペンを走らせますので、どうぞ宜ろしくご指導ご教示の程を懇願致します。