通 史 昭和42年(1967) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和42年(1967) 9月10日号

 第35回九州・山口 薬学大会日程 10月5日〜7日・長崎市

 本年度の第35回九州山口薬学大会は10月5日〜7日の三日間長崎市に於て、長崎大学中部講堂を中心会場として開会される。その日程は次の通り。

 ▼大会前日(10月4日)
 16時より運営委員会、薬剤部長協議会委員会

 ▼第一日(10月5日・木)
 8時30分〜12時=薬剤部長会議▽開局経済部会▽講習衛生鑑識部会▽薬務部会▽製薬部会▽学薬部会▽商組理事会
 12時〜13時=記念撮影(中部講堂前)▽昼食、レクレーション(中部講堂)
 13時〜15時30分=本会議15時30分〜17時=特別講演‐東大教授薬博野上寿
 17時30分=懇親会(文化会館)それより各大学同窓会開催

 ▼第二日(10月6日・金)
 8時30分〜12時=開局経済部会▽公衆衛生鑑識部会▽薬務部会▽薬剤学部会▽卸部会▽女子薬部会▽新薬部会
 12時〜昼食
 13時〜14時30分=特別講演‐薬業経済研究常務理事常松己一
 14時30分〜15時30分=特別講演‐日本薬剤師会会長武田孝三郎
 15時30分〜16時30=本会議
 17時〜=観光Aコース(市内観光)

 ▼第三日(10月7日・土)観光‐Bコース(雲仙、天草五橋めぐり、雲仙一泊)▽Cコース(西海橋、九十九島、平戸めぐり、平戸一泊)▽宮日奉納踊見物
 以上。なお本会に関する連絡先は「長崎市元船町五‐一五、長崎県薬剤師会内第35回九州・山口薬学大会準備委員会」である。

 宮道大阪薬大学長のりだす 第一薬科大学の紛争に

 学園の正常化をさけんで紛争している第一薬科大学では、相変らず理事側が話合いに応じないまま夏休みも終り、九月一日の授業開始に先だち学業の遅れを取り返す意味で、一年教職課程の者及び二年以上は八月二十一日から、一年の一般は二十八日から授業を開始し整然と五者共闘の姿勢をとっているが、一方、理事者側の態度は依然として変りなく、解決も憂慮されていた処、この程、薬学の立場にある大阪薬大学長宮道悦男氏(私学審議会委員)が理事に参画し、学園正常化に乗り出すことになり、九月三日、四日の両日西下来福して理事者側、共闘側の両者とそれぞれ親しく話合い四日五時半の飛行機で帰阪したが、今後は都築夫妻及び原光雄(幼稚園長)小川守(評議員理事)松野俊雄(学長事務取扱)徳島喜太郎(徳島水産社長)宮道悦男(大阪薬学大学長)の七理事によって問題の処理と共に今後話合いがすすめられることとなった。

 宮道氏は帰阪に際し共闘本部に対して、私は同じ薬学の立場にある者として見るに忍びぬため理事に参画し、旧い理事と一緒に理事会の在り方などを能く検討し、必要があれば定款改正も行って正常化をはかりたいので、新しい理事会を信頼して学生は勉強にはげんで貰いたい。と語った。

 福岡県薬商組 全体理事会 浅野氏問題その他

 福岡県医薬品小売商業組合は全体理事会を九月一日一時半から県薬会館で理事二十名が出席して開会、鶴田理事長あいさつ後直ちに左記議事に入った。

 (1)浅野嘉人(飯塚橋薬局)裁判については八月四日の判決により県商組が勝訴となったが、浅野氏は判決を不服として八月十四日高等裁判所に控訴し(現判決を取消し、組合の請求を棄却裁判費用も組合で負担)来る十一月十三日十時から高裁に於て公判が行われる。組合としては鶴田弁護士に引続き依頼して受けて立つことになった。

 (2)提出中の調整規程は近く認可の予定であるので、認可次第印刷配布する。今回の規程は実情に即する様大分変更したものである。

 (3)協業化促進の問題については、協業組合法が十月発効するが、本組合としてこれにつき種々研究、検討するための委員会を作る必要があるや否やについて協議したが、時期尚早との理由で十一月頃再検討することとなった。

 4)その他、組合費の納入について、九州山口薬学大会商組部会出席を奨励することなどを決めた。次に北九州から医薬部外品の二重価格広告について、薬業者以外の場合は殆んど野放しとなっているが、取扱い者の如何にかかわらず物について考えられるべきであるので、その旨薬務当局に申入れることとなった。

 挾子

 ▼ 長野県の分業状況は全国で模範とされているが、その基本因について地元では第一に、あらゆる客観情勢が現在盛り上っていることをあげている。これは全く薬剤師の努力によるものと思われるが医師が繁忙で診療所が狭いこと、開業医に若い医師が多いこと、受入側の開局薬剤師が真面目に勉強していること、薬剤師と医師の関係が緊密であること、その他薬剤師が診療報酬やその請求などの実態をよく把握していること、医師の税法上の問題などがあげられている。これ等は皆薬剤師側の努力即ち医師えのPRと薬剤師自身の勉強によるものが多い。この様なことを前々から分析し、自ら実行し、会員をも指導している。

 ▼ 福岡県薬会の中村里実社保担当理事(大牟田薬剤師会長)は、この程大牟田市で薬学集談会を開催したが、開局者の欠席が70%であったので、一体開局者は何を考えているのであろうか、と首をかしげ嘆いている。よき指導者のある所でさえこの有様では剤界の行く先が思いやられる。最近歯科医の医薬品一括納入が全国到る処で問題となっている折も折、薬剤師自身がこの様な有様では歯科医師の分業体制までも後退しかねないと中村社保担当理事を始め心ある薬剤師はこのことを非常に憂慮しているようだ。

九州薬事新報 昭和42年(1967)  9月20日号

 盛沢山の協議事項 福岡県薬 理事会

 福岡県薬剤師会は九月八日午後二時から、県薬会館で理事十九名中十六名出席して、大一四一回理事会を開会、@健保特例法A第35回九州山口薬学大会B第36回九州山口薬学大会受入準備C保険業務D薬学講習会E日薬臨時代議員会F第6回臨床薬理学講座Gグループ保険H県庁薬剤師会役員決定と理事参与嘱I衛生検査技師法改悪反対JDrアンケートK公務員給与に関する人事院勧告L薬と健康の週間Mその他について協議した。

 ▽健保特例法については工藤専務理事から説明、二年間の時限立法の成立であって、保険料率千分の六五を千分の七〇に改め(甲表初診時基本診療料39点、乙表初診料24点)、入院時患者負担一日分30円を60円に改め、薬剤料一剤一日分15円を患者負担とする、などであるが、調剤に関係がある薬剤料一部負担については別に印刷配布し、九月十九日県民生部と県薬共催の社保講習会において詳細な説明が行われることになっている。

 ▽第35回九州山口薬学大会(於長崎市)については、本県よりは二百名出席の目標で勧誘する。大会提出議案については、長野副会長、その他より種々意見が出されたが、協議の結果、提出議案の整理は結局長野副会長に一任することに決った。

 ▽明年の第36回九州山口薬学大会受入準備については、開催地を北九州市と予定して進めているが、会場確保などの関係で当日は決定を保留した。

 ▽保険業務について
 @先に県薬が調査した調剤報酬中の調剤料については大体請求額の10%内外であるとの結果が出たA今後の医薬分業に備え、メーカー、卸にその取扱う医家向医薬品と薬局向医薬品の比率の調査を依頼している。

 ▽グループ保険については鶴原理事説明、九月末で第一期契約満了となり、十月から第二期の契約となるが、これについては近く新契約内容を示すので多数加入を希望する。尚保険料未納者は二年度の契約資格を喪失するので、至急納入されたい。

 ▽県庁薬剤師会役員が決定したので(本紙八月三十日号掲載)武田会長(県薬務課麻薬係長)を本会の理事参与に決定した。

 ▽薬と健康の週間中に行われる薬事功労者の推せんについて検討、その他報告事項及びこれからの諸行事などにつき工藤専務から報告があった。

 次いで四島会長は、九月十八日県薬事審議会が開かれ、小倉ダイエー開設が検討されると思われる(県当局の実測の結果距離不足であったが、その後三階にあったものを五階にして申請している。

 ドリンク剤の課税問題については大蔵当局は「医薬品ではあるが、販売の形態、その在り方が嗜好飲料と何等かわりはない、或はそれ以上である」と云っている。吾々としては業界自らが正常化した上でこれ等(再販、課税など)を解決すべきではなかろうか。又分業と保険薬剤師について考えるに、医薬品の保険取扱いと一般消費との比率は十年前とくらべ現在は七対三と全く逆になっている。分業になればこれが吾々に帰って来るわけであるが、手をこまねいていても帰って来ない。現在販売姿勢の好ましくない在り方をする懸念もある。保険薬局の経営に当る人の人格については今からどう対処するかを考えて置く必要があろう。などと今後の見透しについて述べ、盛沢山の問題に対処した理事会も五時半終了した。

九州薬事新報 昭和42年(1967) 9月30日号

画像  日本薬剤師会 第23回臨時代議員会 武見日医会長挨拶

 日本薬剤師会は九月十三日東京永田町の薬業健保会館で第23回臨時代議員会を開会し、明春東京に於て開催予定の「学術大会」及びこれに伴う更正予算案などを協議の結果何れも原案通り承認決定し、引続き武井勇副会長の辞任に伴う補欠選挙を行なったが、選考委員制によって協議の結果永山芳男氏を選びこれを満場一致で採決した。

 当日日医、日歯医両会長臨席して挨拶があったが、武見日本医師会長の挨拶は分業路線を推進する上に於て特に吾々が留意すべきもので、意義深い挨拶であったと思われるので左記に掲載することにした。

 ◆武見日医会長挨拶

 日薬の代議員会で挨拶申上げますことを、大変光栄に存じております。今度の中央医療協議会につきましては、薬剤師会並びに歯科医師会の御協力を頂きまして、おのおのの団体が、将来、志しております方向に、多少なりとも芽を出したということは御同慶にたえない次第でございます。私はかねてから、正しい職業の分化という点から、医薬分業の問題を心がけておりましたが、その基本となりますものは、なんと申しましても、無形の技術に対する評価であります。

 無形の技術に対する評価なしには、医薬分業ができないことは分り切っております。今度は有形の技術でありますところの、手術料につきましては、大巾な理解が示されたのでありますが、それに対応するだけの理解が無形の技術に対しては、必ずしも示されていなかったわけであります。これに対して、強く私共は公益委員の案に対して、反省を求めた次第であります。

 幸いにして、皆さま方もお分りの通り、官僚出身者が一人も入っていない公益委員会と申しますのは、現在の医協が始めてでございます。これまでは必ず厚生省や、内務省の先輩格の方が入っておりましたが、今回は全部学者でございますので、なるほど官僚が作って、公益委員の案として与えたものには、大いに考えなければならないところがある。これに関する批判と提案は、認めるにやぶさかでないという態度が示されたわけであります。

 そこで無形の技術に対する評価というものを認めて参りまして、ある程度の是正ができたわけであります。殊に、再診料の芽を出したということ、又、内科の診療料、再診料が五点になったということは、これらの大きな中立委員の反省から出たものでありまして、過去の中医協の委員が、官僚出身者であったような状態におきましては、この事は当然期待のできないことであります。そういう点でかなり新しい点が出ましたが、この出ました方向を、実際の第一線でどうやって活動するかということは、その地域の薬剤師会の諸先生方と医師会の人々が、虚心担懐に問題を地域的に打開していく方策を考えなければならないと思います。

 日本医師会におきましては、既に全国百ヶ所をこしますところの臨床検査センター、五十ヶ所に近い医師会病院のような、共同の施設をもっております。私はできるならば、調剤センターを地域に作って頂きたいと思いますが、これよりも先きにもっと現在の段階に於て技術的にも、交流を盛んに致しますならば、分業を開発していきます緒は、今度の改正ででき上ったと思います。

 将来この改正は、この方針で進みますならば、自ら間違いなしに、分業態勢ができてくるわけでありまして、このスタート、出発点を獲得したという点について、お互いが深く認識に立たなければ、私は未来が開かれないということを卒直に感ずる次第でございます。この点におきましては、どうぞ一つ諸先生方の御協力をお願いしたいものと思います。

 もう一つの問題は、薬価基準の切下げ、その他、医薬品の消費に対する官僚の非学術的な構成であります。これは、その一面におきまして、左翼的な思想の持主は、製薬資本の壊滅を期して、あらゆる表裏一体の手段を尽しておりますが、それに依って壊滅に瀕した製薬会社のあることも、既に御承知であろうと思います。又、現在、狙われている会社もあるわけであります。そのようなことから、今度のB価の一斉一一パーセント引下げるというふうなものは、どのような思想的背景の下に出てきたかといいますと、相当薬業関係者が、腹をきめてかかって頂かなければならない問題が沢山あるわけであります。

 又、これから新しい薬事法の改正が行われようとしております。これらにつきましては、かなり行政技術的に、統制が強まって参りまして、自由主義国家の機能が果して、果されるのであろうかということは、世は自由党時代でありますが、専門職能にとりましては、不自由時代がこないとも限らないのであります。こういう点でも、医師、歯科医師、薬剤師の三団体の協力は、更に強化されなければならないと思います。

 目前の問題をいくつか並べましたけれども、これは十年後には、重大な社会の改革となって、その時になってほぞをかんでも、間に合わないと私は考えますので、今度の改正を機会に、虚心坦懐に私は、本当の地域組織の確立を諸先生にお願い申上げまして、私の挨拶にかえます。