通 史 昭和42年(1967) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和42年(1967) 7月10日号

gazou  再販規制法案 国会提出断念

 公正取引委員会では「再販売価格維持行為規制法案」を今国会に提出するためその作業に努力していたが、関係各省との意見が折合わず、国会も亦多くの法案をかかえて会期も残り少ないという事情から終に七月四日同規制法案の国会提出を断念。この消費者保護法案とも見るべきものは国会で日の目を見ない内に流産することになった。

 この法案に対しては通産、厚生両者などは規制が厳し過ぎるとの考えを持っており、又関係業界は規制強化に反対して陳情攻勢に出ており、同法案の骨抜きに全力を尽して来たのである。

 これとは逆に経済企画庁は、なお一層規制を強化すべきだとの強い意見であり、同法案は双方から強力に狭まれ、遂に国会に出せないはめになったわけである。公取委としては今後再販行為については従来通り独禁法の運用によって規制するより外なく、もう一度規制法案を国会に提出するよう計画するか否かは引続き十分検討された後でなければわからないと消息通は見ているようである。

 いよいよ発足した 福岡県薬 第一回D・I委員会

 福岡県薬剤師会では、去る六月二日開会した本年度初の理事会並に支部連絡協議会で、分業対策対内策として、開局者のDI活動事業の推進が決り、その委員も既に決定したので、その第一回委員会を六月二十九日午後二時県薬会館に開会した。

 当日の出席者は県薬から四島会長、長野副会長、工藤専務理事、担当役員として堀岡副会長、中村理事、安部理事、委員としては左記に委嘱された梅津剛吉(九大病院)是永重剛(八幡製鉄所病院)古賀ヒサ(久留米大病院)清藤英一(飯塚病院)藤田胖(福岡市)柴田伊津郎(同)荒巻善之助(同)神谷武信(八幡)三渕学(小倉)欠席、西元寺清継(大牟田)の諸氏であった。

 先づ四島県薬会長は「先の理事支部長会議において薬剤師の権威を高めるためにも、亦分業対策は活動期に入りその対内策としてもDI活動推進が強く要請されたので、既に県病薬では現に推進途上にあるが、開局側としてはどのように推進すべきであるかを種々検討して貰いたい」と要望した。次いで工藤専務理事から開局者の、堀岡副会長からは勤務者の各委員の紹介があった。

 それより本会運営上、委員長一名、副委員長二名を選出することになり(DI活動は勤務、開局を問わず一本であるべきだが、いづれ適当な時機に考慮することとして、当分の間)本委員会設置の性質上開局を主体に考えることとして、委員長に柴田伊津郎、副委員長に梅津剛吉、神谷武信の三氏を県薬会長が指名した。

 それより委員長を座長に、先づ堀岡副会長より、開局者がDI活動を始めるに当り参考として、既に軌道に乗っている県病薬のDI活動の経過経緯について左記説明があった。

 (1)DI活動がなぜ起ったか最近の医、薬学研究の成果として出来た新薬並に製剤技術の進歩による剤型の多様化は専門家である薬剤師でさえその全般に通じることは困難であり、ましてや、これらの医薬品を使用する医師は専門分野外の薬剤には特にうとく、十分な知識を得るいとまもなく、限られた医薬品のみが使用されている現状を考え、医師に対する医薬品のインフォメーションが病院薬局今後の重要な業務となると同時に、適切な医薬品の投与は国民の福祉に繋がり、それはまた吾々薬剤師に対する低い価値評価を高める機会ともなると考えた。

 (2)今日迄どのようなことを行ったか
 昭和40年12月から先づ組織を、次いで文献類のリストを作り、調査したことはその結果を資料として記録にとどめ、DIニュースとして年、四〜六回発行しているが、なお本年は九州山口の組織化を考えたい。

 (3)開局者のDI活動をどう考えるか
開局者のDI活動としては一般開業医に対するものと、国民大衆を相手としたドラッグコンサルタントとしての二つが考えられる。

 (4)日薬のDE委との関係について
 医薬品の安全性の問題については、日薬でもDE委が発足したが、(日本では立ち遅れの感がある)先頃故人となられた福地言一郎医薬品の安全性と薬剤師の立場」(日薬雑誌四月号掲載)にもあるように、安全性には医薬品の研究開発途上における安全性と市場に出たあと予期されプロパーも医家向けに活動、講演を聞いても実物は知らないという始末、余りにも吾々は医薬品から離れ過ぎた、県病薬のDI活動成果をすっかり頂きたい。などであったが、それは相当困難な事業で、会員各自の自覚がなければ、幹部の空廻りに終ることも考えられる。吾々は大いに今後に期待したい。

 県女子薬副会長 田中美代氏 渡欧決定

 福岡県女子薬剤師会副会長田中美代氏(県薬務課、技師)は、世界連邦オスロ大会出席のため、七月二十八日羽田空港出発予定であるが、これを機に約一ヶ月に亘って欧州各国を廻り血液センター、薬務行政などを視察されることになった。

 世界連邦会議とは世界連邦の建設という高遠な理想のもとに、平和国家を築こうというキリスト教義を帯した各国の人々が集まり、それぞれの分野に於ける学者の討論会で、その討論を通して文化の発展と平和国家を築きあげようとするものである。

 会長は湯川博士夫人で、その会員は薬剤師あり、医師あり、弁護士あり、大学教授ありで各階の学者で構成され、保健所勤務の医師など毎回出席しているのであるが、薬剤師代表としては従来他都府県(東京、京都など)からは出席しているが、九州ブロックからの出席は初めてのことである。

 田中氏は、今後九州からもかような機会にどしどし薬剤師が参加することが望ましいので、その先鞭をつけるため、今回は特に自費で出席することになる模様で、他県より出席の女子薬剤師三名とともに、欧州の薬事事情を出来得るだけ広く見聞したいと希望されている。

 尚同大会はノルウェーの首都オスロで一週間開会されるが、終了後イギリス、フランス、ドイツ、イタリーなどを巡回視察される予定になっている。

九州薬事新報 昭和42年(1967)  7月20日号

 九州・山口 薬剤師会会長会議 争議中の第一薬大に要望

 九州・山口薬剤師会会長(会長瓜生田定氏)では七月八日午後一時から福岡県薬剤師会館で、会議を開会(宮崎県欠席)、昭和四十三.年度九州山口薬学大会当番県の決定及び本年度薬学講習会開催についてなどを検討した。

 1)次期(昭和四十三年度)九州山口薬学大会開催については協議の結果、当番県は予定通り福岡県と決定した(日薬のブロック制では山口県は中国ブロックに含まれているが、山口県薬としては薬学の場では九州ブロックに含めて貰いたいとの会員の希望であるので従来通り薬学大会は九州・山口薬学大会とし、その他のブロック問題については日薬との関係があるので保留となった)。なお福岡県薬としては次期当番県として本年度当番の長崎県の準備進捗情況など参考のため、準備委員会への参加を希望し、了承を得た。

 (2)昭和四十二年度薬学講習会については、日薬決定事項(六月十九日)で大綱が決まっているが、これに基き九州ブロックとしての開催期日、講師の選定などは福岡県薬に一任となり、福岡県薬では十分検討の上各県の了解を得ることとなった。

 次に本会として関連がある第一薬科大学が現在重大な争議を捲起しているが、これに対する本会としての態度を検討した結果、左記要反省を喚起することを決定本会議終了後、会長会を代表して四島福岡県薬会長並に山村鹿児島県薬会長の両氏が同大を訪問した。

 ◆要望書

 昭和三十年十月十九日、第二十五回九州山口薬学大会において、九州地域内に私立薬科大学の必要性を認め「九州に私立薬科大学設置を要請する」決議がなされました。これに呼応して昭和三十五年一月二十日、第一薬科大学が設立せられたのであります。

 本会は本大学の円満な開学と完全な発展のため全面的に強力に後援協力すべく当時九州山口薬剤師会会長、日本薬剤師会理事の職にあられた磯田秀雄氏を理事に、各県薬剤師会会長を相談役に送り参画致して来たのであります。

 開学以来八カ年その間の本大学の実状を具さに顧みます時大学経営、と教育研究とのあり方に疑点、足らざるところ多々あり経営者側と研究教育の中核である教官並に向学心に燃える学生側との間に紛争が絶えず、昭和三十七年七月、三十九年九月、四十一年二月に続いて今回は後援会、教官会、助手会、学生会、同窓会の五者共同闘争の生じました事は、まことに遺憾とするところでありその原因は前三回に亘る紛争の内容が事実上根本的に未解決のまま今日に到ったところにあるものと思われます。

 斯の如き状態が続けられて行けば本大学の名誉の失墜と研究教育の成果の低下を来たし有名無実の薬科大学と相成る事必定であろうと思われます。

 斯かる非常の秋に際し経営者側は開学当時の精神に立ちかえられ大学の研究教育に対する熱意を再び振い起し大学発展のため全精力を傾注され、再三、再四に亘る紛争の原因を熟慮検討せられ一日も早く解決の道を講ぜられ今後再びかかる不詳事の発生を防ぎ西日本唯一の薬学専科大学として、名実共に最高の薬科大学ならしむべく、私情を捨て大学運営のあり方を抜本的に改め、相互信頼の基盤を強固にし、再建に向って邁進されん事を要請するものであります。

画像 もっとも恐れられていた 公取委、再販契約整理に 

 政府は物価対策上好ましくないとして今国会に再販の規制強化法案を出す予定で公正取引委をしてその作業を推進させていたが、業界や通産、厚生両省の強い反対で、この程公取委も法案の国会提出を断念した。然し首相が七月十一日の衆院物価問題特別委員会で「是非法制化したいので次の国会には提出する」と言明したので公取委は次の国会で開かれる前に、現在四千四百に及ぶ再販商品を最低限に減らし再販の原則的禁止に持ち込うとしている。

 北島公取委員長は本月十三日事務局に対し、現在独禁法の特例として再販価維持契約を認めている六業種の内、海外旅行者向け免税カメラを除く、医薬品、化粧品、家庭用せっけん、歯みがき、毛染めの五業種について、現在の四千四百にのぼる再販商品中従来通り再販を認めることが不適当だと思われるものを選び出し本年十一月末をメドに契約を破棄させるよう指示した。

 これ等の五業種は再販を認められて既に十年以上となり、「わが国の経済情勢は指定当時から大きく変り、再販制度に対する世論の批判も強い」と北島委員長も語っている。

 五業種中医薬品についてはビタミン製剤、ホルモン製剤、抗菌性物質製剤(注射剤を除く)など十品目、千二百三十九商品である。


 なぜー学長を置かぬ 後援会、学生、抗議のハンスト 第一薬科大学の紛争

 朝日新聞その他七月五日付日刊紙は「後援会役員が断食」「なぜ学長おかぬ」「第一薬科大学で学園紛争」などの見出しで、大々的に第一薬科大学の紛争を報じていた。

 戦後の大学ブームに乗って乱立した私学が、度々紛争を起こしていることは一般に知られている。私学である以上経済問題を経営から切離して考えることはできないが、創立者の質に問題があるようで、今回の第一薬科大の紛争もその点に於て、業界にとっても関心が深いわけである。左記その概要を記載する。

 私立第一薬科大学(福岡市高宮、学生約七百五十人)では去年八月から学長が空席、生薬学科の福井教官も去る三月に退職したので、都築貞枝理事長、都築頼助学園長らと「学長招へい」「教官補充」「理事会の適正化」などでもめていたが、同大教官会、助手会父兄後援会、学生会は七月四日夜一斉に"学園正常化"を求めるため」ハンストに突入した。

 教官会は全員退任届を書いて後援会に預け、学園の正常化に努力することを申合せた。又学生会は同夜、代議員会を開き、五日には学生大会を開いて、全学授業放棄のストに入り学業放棄を行い、また同大の大和教授と後援会の両副会長は四日夜の飛機で、文部省に陳情するため上京、劔木文部大臣並に文部省の宮地管理局長らに陳情を行い、五日夕刻帰福してその結果を次のように発表した。

 ◆第一薬科大学新聞転記

 「劔木文相は、自分としても都築夫妻の性格を十分に知っているが、私学の問題は文部省として介入しにくい。このため新しい法規を検討しているが第一薬科大の事例などまさにこの立法化をうながす理由となりうる旨語られた。さらに文部省当局では次のような発言がなされた。

 (一)理事構成は文部省には昭和三十五年当時のものしか提出されておらずまことに不届である。なお吉武理事(都築氏の娘婿)は三親等以内の親族で違法である。 

 (二)文部省は私学の問題には(私学の自主性があって)介入しにくい。(略)だが教官、助手、学生全員が一致して理事長夫妻への不信任を表明し特に教官全員が辞表を提出するという異常事態は廃校につながる由々しい状態で、まことに遺憾であり、早急に査察官を派遣し、実情を調査する。

 (三)査察官派遣は、遅くとも七月末までに、文部省の大学局、管理局、それに私立大学審議会のメンバーをも加えた広汎な構成で査察にのぞみたい。

 (四)学生措置規定で問題となるのは学生措置委員会の構成で、教官代表は学生部長と教授一名(七名中わずか二名)という変則な構成は教育の重要問題を支える処罰の委員会としてまことに遺憾である。 このように文部省は三氏の熱心な説明に、私学への文部省査察とい非常措置にふみきったのである。」

 一方四日情況した学園長理事長は、五日樋口前後援会長、柳田、小川、守口四者に全権を委任したので話合われたい旨の電報を学科長、後援会に出したまま連絡を絶ったため、同窓会も含めた五者共闘本部では会議を重ねるとともに、七日現理事の一人である徳島理事(徳島水産社長、福岡商工会議所副会頭)に教官会後援会の代表八氏が会見、代表の話では、徳島理事も事態の重大さを理解、早急に都築夫妻の居所をつきとめ、理事会を開き五団体を交えて抜本的な解決をはかりたい旨述べた。

 翌八日も共闘本部には理事長らの所在がつかめず、大学も休暇に入るため全学の授業放棄を打切り、新たに対策の転環をはかり、一時は教官会全員がこのような事態を招いたことは社会的にも、学生にとっても由々しいことであり、今日まで教官一同の力の及ばなかった責任は重大と感ずるもので教官全員は只今から理事長らと話合いができるまでハンガーストライキに突入したい」との強硬な決意披露もあったが、後援会同窓会、学生会などの強い希望によって審議の結果、学生十五名教官二名のハンストが行われ、十三日ドクターストップがかけられるまで続けられた。

 その後依然として理事長らの連絡はなく、十二日午後には、学生、教官、父兄など約六百名が実情を市民に訴えるため、麦ワラ帽子に白衣を着用、プラカードや「尋ね人都築頼助氏」などの似顔を画いた幕などをかかげてデモ行進を行った。

 毎年七月行われる卒業延期者(四十名)の追試験なども行われず、関係者はこの事態を憂慮しているが、この問題がここに立ち至るまでの経緯を知るため、学生会が発行している同大学新聞の一部を左期転載する。「第一薬科大学新聞転記)

 「第一薬科大学新聞転記」 異常の八年間

 ◇昭和36年6月
 藤田学長(初代)辞任阻止のため、二年生(第一期生)を中心に、中間試験をボイコット、理事会に対し教官の招へいと施設の拡充を要求、その結果として、研究室が増築され、専任教官三名の増員を得た。

 ◇昭和39年8月21日
 理事会の文学部増設案が明るみに出、学生会としては学内充実を要求、単科大学としての存続を主張。

 ◇同9月14日
 江口新学長決る。学生会は大会を開いて新学長の文学部に対する所見を質問したが不満足を確認した。

 ◇同9月17日
 文部省の設置基準に合った設備及び教官の招へいを正式に理事会に要求、また理事会からの同回答に不満とし、授業ボイコットに突入

 ◇同9月19日夜
 理事会は文学部増設の規定方針はかえないと決定。

 ◇同21日夜
 学生会はすべてを不満として理事会側の責任を追及、三八三名の学生をもってハンストに突入。

 ◇同9月22日
 後援会長百瀬氏(九大教授の)調停により理事長は文学部増設見送りを理事会に諮ることを約束、ハンスト中止、もし将来、薬学の充実が成された上で、学部増設が計画された場合は、理事長、後援会長、学生会、学長協議の上決定する。又学生の処分は問わぬことで一応解決を見る。

 ◇昭和40年12月20日
 学園長の独裁的な人柄と大学の公共性に反する行為に対し、学長としての責任が果せないと江口学長(二代)は辞表を提出、同時に教官会は理事会に対し四項に亘る学長辞任の翻意促進都築頼助氏の理事退任、学園長制度の廃止、教官会の決議尊重を要求したが、満足な解答は得られなかった。

 ◇昭和41年2月9日
 学長復任と学園長制度撤廃を要求して、学生会は学年末試験ボイコットに突入。

 ◇同2月13日
 後援会樋口博氏、四島福岡県薬剤師会々長の調停により、約定書を理事会と取り交わし一段落を見た。
 ―その結果―
 学長は同八月まで復任されたが、何ら改善されないため最終的に辞任。

 附記 約定書

 学校法人高宮学園理事と第一薬科大学後援会長協議の上で、次の事項を約定する。  一、第一薬科大学学長の権限を名実共に確立すること。
 二、学校法人高宮学園条例を改正し、学園長制度を廃止するか、或いは高宮学園寄付行為第七条第二項は当大学に適用せざる様にすること。
 三、学園長都築頼助氏は直ちに辞任すること。
 四、理事若干名の増員をなし、当大学の運営の積極的に協力すること。
 五、教官増員補充、設備の拡充等は少くとも昭和41年度内に完了すること。
 六、理事長は理事長職に専念すること。(薬大以外総ての附設学校の校長を兼任している)
 七、江口学長の辞任撤回を早急に促進すること。
 但し二、三、四項に関しては手続き上正式機関にはかり、その決定に従うべきにつき昭和四十一年四月末日までに善処し決議に従う。

 昭和四十一年二月十三日
 都築貞枝
 第一薬科大学後援会長
 樋口 博

 ◇昭和42年4月24日
 理事長令息(二男)都築泰寿氏事務局長に就任。同日予告書、学生課長より出る。これは教官会、学生部長に全く連絡なく出された。また総務委員長及び前総務委員長に対して、事実申し立て書なるものに署名捺印させた。

 附記 予告書

 一部の学生の煽動により本大学の秩序を乱し、学則に違反して処分を受けぬよう学生諸君に予告する。
 昭和四二年四月二四日
 学生課長
 附記事実申し立書概要
 私は学生会の実行委員長として活躍していますとか、新入生歓迎会において正式学長が欲しいと表明、来年の新入生には、こんな気持ちを味あわせたくないと発言したことなどに対して、署名調印することを求めた。

 ◇昭和42年5月2日
 学長事務取扱都築貞枝氏、教官会に対し、学生措置規定を提案、審議すれども決議せずという態度を教官会に求めたため、学長事務取扱及び事務局長のこのような非民主的な言動に対して教官全員総退場。

 ◇同5月9日
 予告書及び事実申し立書、学生措置規定等の一連の教官会無視の言動に対して、学長代理(都築貞枝氏)及び事務局長に対して、教官会一同の名をもって抗議の声明文を発表。しかし、ただちに事務局長は学生課の二名に命じて破棄、学生は全学集会を開き教官とともに同夜遅くまで、事務局長の責任を追及、謝罪を求めたが結論を得ず、十日に再度集会を持ち、十一日正午までに返答の約束で散会。

 ◇同5月11日
 正午までに回答なし、更に三時まで待機したが回答なく、学生大会で事務局長の不信任を決議、退任を要求した。

 ◇同5月13日
 柳田前後援会副会長のあっせんにより、事務局長の辞任を条件に教官会は声明文を撤回した。

 ◇同5月14日
 事務局長辞任。

 その後理事長と後援会正副会長(五月三日の総会で決定した樋口昌徳、香月喜代次、三苫晃裕の三氏)との会談で、「学長問題」「理事増員の件」「後援会長の評議員すいせんの件」など検討していたが、解決しないまま都築夫妻は上京したもので、七百五十名の学生の前途が憂慮されている。因に同大教官の話によれば本年で四回卒業生を送り出しているが、その卒業生国家試験合格率は第一回は約78%(創立後、日も浅く教官不足などのため)第二回約98%、第三回約85%、第四回(本年)は約64%で卒業延期四十名を加えれば50%を割るであろうと推察される。そのため後援会幹部は、「学生は勉強を、学園の正常化はわれわれの手で」と理事長と接渉していたが……と語っている。(七月十三日記)

 再販・物価・薬業界 隈 治人

 公正取引委員会(以下公取と略記)はついに再販規制法案の今国会提出を断念したと伝えられた。今次国会は政治資金規制法や健保法改正などの大物案件が多く、しかもそれらの案件の処理について与野党間の対立がはげしく、議事はしばしば紛糾の状態がつづいているから、そういう客観状勢が再販規制法案の時間ぎれに大きく影響したことは否めない。

 このような状態になることは、五月十五日のJPM(全国医薬品小売商組連)総会で翁厚生省企業課長が個人的見解として述べていた処でもあったが国会提出がなされなかったとしても、それで公取が再販の規制をあきらめてしまったというわけではなかろう。むしろ今次国会に法案が出て審議未了になる方がよかったというのが、大方のわれわれの一致した見方であったと思う。

 また国会状勢のほかに、再販規制がうまくゆかなかった理由として「再販売価格維持行為の原則禁止」条項について公取と法制局との間に根本的な対立があり、あるいは両者の感情的な議論になったとも伝えられている。再販の原則禁止を明確化せよという主張を公然と掲げたのは生協と東京薬業界の一部の反動グループであったが、公取を動かしたのは生協の方であったようで、ダイエーなどもおそらくその尻押しをしたものと推測される。

 再販の原則禁止ということは、実に大へんなことで、オトリ販売や乱売による小売市場寡占を法の名において正議と公認することである。このようなあくどい法文化に対して、わが医薬品業界が全体的に湧きたたないのは、薬業界の無気力が相当ヤマイ、コウモウに入っている証明というべきかも知れない。

 これが薬業界でなくて労働界や農民団体であったならば、赤旗は林のごとく立ち、何十万というハチマキ頭が怒髪をさかだてて国会をとりまくところであったにちがいない。しかし薬業界はまだまだマシな方で、同じ再販関係の化粧品、洗剤、石けん、歯みがき業界は、小売はセキとして声なく、その代りメーカーが大奮闘をして、真っ向から公取と対立、批判しかつ阻止へのアクションを行なった。化粧品、洗剤の小売業界は完全にメーカー随順の態勢に入っているというべく、であるからこそ洗剤など雀の涙ほどのマージンでも不平の声があがらないのではないかとも思う。

 薬業界においてはそれほど主従体制が極端ではない。しかしその主従体制の発展を憂うると称して、一応正当な薬業団体のメーカー随順を誇大にいいふらし、組合の建設的育成にはむしろ逆行するような立場で、組合や団体の自壊作用を促進するような動きも見られないではない。そういう動きは、口ではメーカー随順の深化を不可としながら、結果的には小売全体の組織と結束とをバラバラにする努力である限りいまの化粧品や洗剤業界のような小売弱体化を推進しようとするものであって、このような動きに対して積極的な有形無形の援助を行なっているメーカーがもしあるとすれば、その究極の意図は小売の無力化によるメーカー支配体制の確立にあるというべきであろう。欺し方の上手なメーカーの遠謀深慮に対しては常に警戒を必要とするし、現実にもまた、メーカーの小売組織も決して皆無ではないのである。しかもそのような翼賛体制が零細小売の?雨となるべきオトリ販売禁止の構想(安定要綱や特指問題)を混乱させたり妨害したりしてある程度の成果を収めているのだから、決して無視できることではない。

 物価がやかましく論議されるようになってからすでに久しいが、いちばん国民に関心のつよい米価について、農民組合は依然として生産者米価の引き上げをつよく主張しつずけている。最近の彼らのいい分は、昭和三十年から、同四十一年までの十一年間に、労働者の賃金は二・四倍となったのに、米の生産者価格は一・七倍にしかなっていないから、それは農民の冷遇であり、米の生産者価格は安すぎるというのである。同じ期間の一般物価の値上がり平均は一・五倍にはなっていないし、クスリは〇・九倍よりなお安いという事実から見ると、物価について一番つよく文句をつけているのは、一ばん値上りした労働代価の所得者であり、次が米の関係者であり逆に最もいぢめられている階層のなかに値下りしたわが薬業界があるということになる。

 これはマッタクのサカサマゴトであり、インテリ業界でありながら、この驚くべき現実の矛盾に気づかないのは、少々イカれている感じがしないでもない。本紙の新春号にかいたとおり、薬業者はまぎれもなくお人好しでありすぎる。しかもその「お人好し」業界を築く努力をしている人たちは、決して「お人好し」ではなく相当に「お人のわるい」人たちなのだからおもしろい。いまほしいのは「智慧と力」である。小売薬業界にはその欠乏が目立つ、奮起の気風はもうそろそろと吹きおこってもよいのではないだろうか。

 さて再販を何としても規制し窮屈にしようとしている勢力について考えて見よう。一応現象的にはご本尊は公取である。近く北島委員長の任期が満了するらしいが、政府は北島氏を再任して仕事をつずけさせる考えだという。ズバリいってぼくは、北島委員長をトップとする公取は、多少とも週刊誌的なセンスでしらずしらずに物価問題に深入りしすぎているのではないかと思う。

 日本の官僚というものは一面ずいぶんと評判がわるく、いろいろと批判されてもいるが、ある面では良識と正義の持主もすくなくはないとぼくは思っている。本年度の国家予算について、圧力団体や保守党の議員ボスがゴリオシの修正意見をとおして膨らませたことについて、大蔵省の立案中心官僚は悲憤やるかたない表情をしたと伝えられたが、そういう官僚の良識と正論の主張が、日本の正しい発展を支えている面もすくなくはないだろうと考える。

 公取にもすいう良識と正論とがほしいと思う。公取りの仕事は私的独占禁止法の方秩序を立派に守りとおすことでなければならず、それに対して物価問題は、多分に政治的な要素をはらむから、公取が物価に関与するについては、よほど慎重に国民全体の幸福を考えてやらねばならないのに、公取にはそういう慎重さと配慮とが乏しいように思われる。

 例を挙げれば全協連(生活協同組合全国連合会)や主婦連などにややもすればふりまわされているように見られること、新聞論調にひっかきまわされて、巨人・大鵬・卵焼的な仕事のしぶりに引きこまれがちなのではないかとも思われること等々である。

 長谷川取引課長がピンク・ベアというスーパーマーケットを視察して「クスリの販売には格別の学識や経験や技能など要らない。オンナのこが客のもとめに応じてそれを渡せばすむことだ。だから医薬品の販売商には特殊性などというものはない」といったと新聞に書かれていること‐などから、そういうアヤウサを感ずるのは恐らくぼくだけではあるまい。

 薬事法を勉強し、医薬品というものの複雑な性格を学んでいるわれわれとしては、公取の重要な位置にある人がそのような軽々しさを示すことは甚だタヨリない次第で、そんなことでは業界内部のヘンな野郎に簡単に乗ぜられたり、ゴマ化されたりするのもムリはないとも考えられるわけである。物価問題の渦中にひきこまれ、いろいろと小うるさい連中にこずきまわされて、大へん御苦労なことはわかるが、もっと冷静に公平にやってもらわねば困る。

 独禁法の運用にしても、価格を不当に吊りあげてお互いの私腹を肥やすためにやる悪質な行為と、過当競争の行き過ぎを抑えて最小限の利益の一線を守り、ひいては消費者欺満の商法がはびこらないようにしたいという善意の行為とを混交し、法律という石頭のようなものを、国民の全体の福祉のために弾力的に運営することを考えないで、画一的に不公正として摘発するなどは、法のより良き運用への配慮に欠けているものといわざるを得ない。

 最近ダイエーの中内社長が読売新聞に、スーパーマーケットは五年後にデパートを抜いて小売のトップに立ち全小売総額の五年後、推定額十五兆七千億円の一二・七%強に当る二兆円を売り上げるという見とおしを述べていた。中内氏は、体質の弱い零細業者が敗滅してゆくのは自由主義経済の鉄則である旨を強調すると共に、当面の戦術として、年間売上げスーパー一社で一千億以上にならないと大メーカー支配からぬけ出すことはできないから(昭和四十一年のダイエーの売上総額は四百億円という)それまでは中小メーカーと手を握り、連合戦線を組んでナショナルブランド商品を育てるという。そして名実ともに一千億円以上の大売り店になった暁には「商業を工業化」して、大売り店ダイエーによる生産計画をメーカーに反映させる処までゆくという。

 そうなれば恐らくダイエーはメーカーと小売とを兼ねる存在になるのではあるまいか。またそうなると一時の便法として提携させられた中小メーカーが、色香の失せた女のように冷たく捨てられることにもなろう。ダイエーの経営者はすべてにきびしく、また気宇壮大な点は尊敬に値いするが、業界内部の再販反対者や批判者たちの論法がダイエーのビジョンづくりや構想や戦術に関する中内氏の口ぶりにきわめて酷似しているのも大へん興味があるし、その点業界の方々に関心を呼んでおきたい。これを偶然の相似として簡単に片すけてよいものか、どうか。もっと注意をふかく払ってもよさそうに思われる。

 さて再販の規制はこのたびは一応不発に終った。しかし第二弾は必ずや装填され発射の準備は再び着々と進められるだろう。この不発という事象をいかに活用するべきか。われわれとしては、さらに真剣に精力的に業界の利益を守るべき力を出来るだけ多く集めねばなるまいと思う。お人好しや無気力では生きてゆける御時勢では決してないのだから‐。(七月三日稿)

画像  福岡市学薬の玄海島環境調査に同行して 柴田伊津郎

 年初からの宿題であった玄海小学校と玄海中学校の環境調査を去る五月二十四日に実施した。もともと給食開始にともなう給水施設の調査が目的で市教委と同行の予定であったが、市当局の都合もあってなかなか実施の機会がつかめないので、市学校薬剤師会単独で今回の調査を計画したものである。

 両校担当の学校薬剤師は会の代表として内田会長が担当しており、これに矢野憲太郎、三根孫一、土肥善衛、柴田伊津郎の四名が同行した。

 午前九時出発、幸い海も静かで約一時間の船旅(?)は大変のどかなものであった。玄海島という名から想像すると、玄界灘に浮かぶ孤島で、気軽に行くこともできない離れ島という感じをいだくが、博多港から一日に三回船便が一時間少しの航程にあるこの島は数年前に行った小呂の島と比較すると至って気軽なものである。

 最近では海底送電線も布設されて、今後は急速に近代化されることであろう。小学校は島の中腹にあり、遠くから見ると近代的なユースホステルを思わせるような立派な講堂兼体育館がひときわ目だっている。中学校は更にその向う側にあるという船員の話しをきいて島にあがる。島につくとすぐ急な坂道と石段の連続である。それぞれ重い調査器具を持っているので、好天気の暑さも加わって皆汗だくで先ず小学校にたどりついた。

 一般環境は場所がらから、照度・炭酸ガスなどに問題はなく、校内の清掃も良好であるが、一番問題なのはやはり水である。井戸は校内に一カ所あり、これがモーターで直接配水されているが、消毒装置もなく、時々次亜塩素酸ソーダ液を投入する程度で、充分な消毒効果は期待できない。

 水質検査の結果ではアンモニアを検出し、有機物が多量で、もちろん飲用不適であるが、外観は清澄で臭味などは殆んど異常がないので良い水だろうと思われることがかえって心配の種でもある。

 給食は秋からの予定とのことだが、消毒設備だけは完全なものにして欲しいものである。講堂(体育館)の立派なことも結構なことではあるが、安心してのめる飲料水の確保こそ児童の保健管理の根本であることを考えねばならないと思う。午後は再び山腹の細道を通って中学校へ。

 校庭にはマットを敷いた即席の野外柔道場があり、校庭も狭く体育館もない。小学校から見ると大分差があるがこれは生徒数が少ないためと、今年の四月分校から昇格したばかりで、少々冷遇されている感がある。小学校の保健室は現在校長室と同居中で、薬品の準備も貧弱であるが、近く給食室増築の際に一部屋とれる予定とのこと故何よりである。ところが中学校の保健室(?)は職員室前のせまい廊下に机があるだけで、薬品なども少く誠に気の毒な状態である。校長先生も保健室だけは是非整備して欲しいと要望しておられた。

 教室の照明環境その他は小学校と同様特に問題はないが、ここも水が最大の難点である。水源になる井戸は校舎の間にあり、これを揚水して、段々畑三つくらい上の山腹にある貯水槽(コンクリート井戸がわ三個積)に貯水して配管されている。校長先生と共に現場に登ってみる。雨が降れば小川となるであろう石コロ道を登った藪の中に貯水槽がある。

 藪かけに一升瓶が一本と、水槽のふたの上に茶碗が一個置かれている。一升瓶の中身は臭気から次亜塩素酸ソーダ液である、これを毎日茶碗一杯づつ投入するのも養護の先生の役目であろうこれは本当に大変なことである。土肥先生が残留塩素を計って2PPmあるといわれる、なる程塩素臭がひどい。それからはるか下の校舎の間にある水栓を測ってみると1.5PPmある。ところがそれから30分〜40分後に教室の廊下の手洗場で測っている内に0.1PPm位から遂に0になってしまった今の設備で完全な用水の管理をのぞむことは不可能に近い。何度もいうようだが水こそ生命の根源であり、保健管理の第一要件であることを思えば当局の早急な善処を要望する次第である。

 その他黒板の検査、机、腰かけなどの調査も行ったが詳細は割愛する。以上で今回の調査で感じたことを飲料水を主として一通り述べたつもりであるが当日採水して帰った試料の検査は、薬剤師会の試験室で、手ぐすね引いて待っていた馬場先生が手ぎわよく片づけてくれた。(彼氏は玄界灘におじけづいて行かなかったわけではないから念のため)。

 最後にこの調査に当り、ご多忙中種々ご配慮いただいた玄海小学校および玄海中学校当局に深謝すると共に重い調査器具をかついで山道を登り、熱心に調査を実施して下さった諸先生に感謝の意を表します。


画像  薬剤師の倫理と 医薬分業の問題 武見太郎

 私は開業以来、医薬分業を実施している。開業に際して、処方箋と共に薬剤師の選び方を印刷して同時に渡したところ、業界紙が取り上げて物議の種を播いてくれた。

 薬剤師の倫理はプロフェッショナルな倫理として、医の倫理と同格でなければならないと思う。薬学教育の中では、恐らくプロフェッショナルな倫理は特別に教えられていないと思うが、私は当然考えられなければならないと思う。若い敏感な脳細胞に植付けられた倫理感は、個人の成長と共に成長するからである。専門教育をうけた薬剤師が社会的な尊敬を払われるためには高い倫理感がなければならない。私が個人として薬の職業倫理として考えてほしいものがいくつかある。

 一、薬について生涯勉強すべきである。
 二、薬品の品質について専門的識見をもつこと。
 三、処方箋の批判を患者に対して行なわないこと。
 四、処方箋は医師と薬剤師との間において話し合いの行なわれるべきものであること。
 五、処方調剤を行なった患者からの相談は、ただちに医師に連絡すること。

 現在、医薬分業の推進が強く叫ばれているが、そこには倫理の確立と専門職業の分化が制度的に可能な諸条件をみたさなければならない。例えば、今日の健康保険制度の下でただちに分業が可能かといえば、私でさえ「否」と答えなければならない。

 (一)薬剤師の生活水準を一般の生活水準の向上に見合って上げて行く原則が確立されること。
 (二)調剤技術料をその条件に適合させる方途を考えること。
 (三)地域的な調剤組織を確立すること。例えば、調剤センター等をいかにして作り、いかにして運営するか、到底個人のスケールで薬価基準品を整備し新しく開発される医薬品を取り入れることは困難である。
 陳腐化の非能率を排除する必要もある。科学技術の進歩が社会の変貌と前進強要している時に、薬局だけが古い型で許される時間は短いと思う。


 ◇老骨街に立つ 竹内克巳◇

 最近私は小売薬局を始めた。自分の店だから自分の看板をあげ様と思っていたら武田さんがアリナミンAの看板を返せと言って来られた。何処で入手した情報か知らないがニュースの動きがこの様に早いものだとは思わなかった。凡て世の中の事がこんなスピーディーに運ぶならもっと住みよい日本になるに違いないと、つまらぬ事に感心している。

 お蔭で七万円也の看板が出来上がった。これでどうやら「私の店」になった。「私の店だから」私の考え方で運営しようと思って目下想をねっている次第であるが、自分が薬剤師だから薬剤師らしい店にしようというわけだが、やっぱりソロバン勘定をはなれては成り立たない。

 それでもなんとかして薬剤師の店らしい店にするために努力しようと思っている。薬局をやってみてクスリより雑品の方がよけいもうかる事を知った。薬局らしからぬ店になる店になる理由が少し宛分ってゆく様な気がしている。それでもどうしても「らしい店」にしようというのが私の考え方である。

 老の一徹、変屈さは治りそうもない。でも世のため人のため、勿論自分のために「一つやったろ」という気がまえだけは見上げたものだとうぬぼれている。自分でやってみて僅かの時間しか経過していないが勤務者時代の考え方に多少の変更を要するとしても基本的な態度については変える必要はない様に思う。

 業界が(卸業界を含めて)価格問題だけを追い廻して自分の本質を見失っているのじゃないかとさえ思われる具体例を発見して今更の様に首をかしげている次第である。
 値上げを断行して一日の売上げが三千円減った。
 利益計算してみると利益金額は同じである。
問屋の支払いが少なくなっただけ得をした。  然し売上げが減る事はやはり淋しい事である。別の方法を考えねばならないと思っている。

 先日部会長を決めるためにという通知をいただいて始めての事でもあり皆様に御挨拶をと思って定刻に出席してみたら仲々集まらない。二時間程して三分の一位(?)集った様である。日帰りで東京往復をせねば御飯が喰えない私には今後一寸この様な会合に出席出来るかどうか心もとない。

 出掛け様としたら急にお客が立て込んで出られなくなったというケースはあると思う。そんなのはほっといて会合に出ろと言えない生業としての薬局経営があるのは致し方ないだろう。先輩の方々がこの事に色々苦心されたがどうにもならない現実は業界の宿命的なものかも知れない。

 私が市薬の副会長時代権藤会長が時間厳守をしない役員が多すぎるのに腹を立てて会長をやめると言い出して困った事を思い出す。やはりみんながもっと金持ちにならねばと思う。今私はメーカーの片隅に問屋にほんのチョッピリ小売屋に片足程関係する様になって現金問屋に大いに興味を感ずる様になった。このシステムを一つ勉強してみようと思っている。

 どうしてあれ程安く仕入れられるか、経済とは生きて居るものである事を勉強してみたいと思う。日本の薬業界に外資によって指導権が持ってゆかれる例がボツボツ出始めた様であるがこれによって日本における流通機構に又一つの変革が起る可能性が出て来たと思う。送り込み‐集金‐返品というケースは少し宛変ってゆくだろう。薬業界近代化の方向としてよいことだと思われる。私達はこれに遅れてはならない。

 薬業の本質をお互にもう一度見直そう。そしてしっかりと「自分の店」を作り上げる努力をしようではありませんか。全くお暑い事でちと涼しい話は一寸見当らない。クスリ九層倍問題が大分やかましくなって来た様ですが、我々はこの根底にあるものを追及し、そして上すべりでない基本的な我々の考へ方を樹立する時期に来ているのではないだろうか。お互のあげ足とりと、自己防衛にのみうき身をやつす時期はすぎたと思うがどうでしよう。

画像  女山笠 あらまき

 (一)

 チチチン、ドンドンとやかましいドンタクが、やっと済むと、じくじくした梅雨になって、それがカラッと晴れ上ると、こんどは山笠の季節になる。博多の夏はこの山笠と共に始まるのだが、この古めかしくて、非現代的な行事の中に、実はまことに現代的な要素が含まれているということは、なかなか面白い。

 根っからの博多人の中には、まるで山笠をやるために生れて来たようなのがいて、七月の声をきくともう矢も盾もたまらない。それぞれの町名を染め抜いたツッポー袖のハッピを引っぱり出してきて、どこへ行くにもこの一張羅で押し通す。

 町内の一角に事務所でもできようものならもう駄目だ。「どうせ山の間は仕事にはなりまっせんけん」などと自分ばかりはすっぱり割切って、用もないのに朝っぱらから出たり入ったりしている。この忙しい世の中に半月近くもこんな間の抜けたことをやられちゃまったくはた迷惑なはなしで、「よそもん」じゃなくても「何や、博多ゆうとこはけったいなとこやな、一年中お祭りばかりやってけっかる」とぐちってみたくもなるだろう。

 どうせお祭りなどというものは、世界中どこへ行っても馬鹿馬鹿しいことのやり比べみたいなもんだろうが、博多はこいつが特別念入りに出来てるというわけだ。用もないのに重いものを引っかついで、ワッショワッショ町内中をねり廻る。このときばかりは日頃水でもぶっかけようものなら、少々のいんねんじゃ済みそうにもないお兄さん方が、水だ水だ、などとわめきちらして走り廻るのだから、ちょっとした御愛嬌だ。

 それに日頃やりつけないことをやるもんだから、肩はすりむくし、足の筋は傷める。そこでサロンパスの売上が上るという寸法だが、こいつはどうせ儲らんのだから、まあおつき合いの手間損というところかな、などとボヤイていたら、ハッピ姿の近所の親父さんが、「あんたそげんこと言いなさるばってん、いっぺん山ばかいてんしゃい。あんたんがたの薬よか、よう効きますばい。」ときた。

 なるほどそりゃそうだな馬鹿馬鹿しいことをワイワイやればストレス解消にはもってこいだろう。「だけど、男だけストレス解消するのは不公平だな、女はどうすりゃいいんで」「知れたこと、海水着ば着て女山笠ばかきゃよか」ウハッ、こいつは大賛成だよ、ビキニスタイルの女山笠なんて、思っただけでもゾクゾクするね。サロンパスはタダにするから、誰か思い立ってくれないものかな。

 (二)

 街を歩くと、陽やけした若い女の裸ん坊の写真にあっちこっちで出くわす。すごく大きな写真だから気の弱い中年男は横目でにらみ乍ら、ついと通り抜けてしまう。戦前では、ちょっと想像もつかない風景だが、かといって今の男共が、女の裸を見あきる程見ているというわけでもない。こればっかりはいくら見ても見あきることはないのだから神様もうまく作ったもんだ。

 それにしても戦後の女は何とたくましくなったことか、戦前の感覚ではとてもあれが化粧品の広告だなどと思う人はあるまい。そこでは大正時代のなよなよした美人像はどこかに消しとんでしまって、体という体皮フという皮フを動員して女であることの力強さを立証しようとしているようにみえる。そこに書かれた、百二十日の太陽などという表現は、人間が文化の重みに疲れて、原始の生命の躍動を求めていることの一つの現われであると考えてもよいだろう。

 だがまてよ、こいつはどこかで見たことのあるスタイルだ。何だったかな、と考えていると、あったあった、我々の伝統の行事の中にそのオリジナルがあった。

 博多山笠の水ハッピ、こいつはビキニと迄はいかなくても、セパレートの原型であることは間違いない。〆込みに腹巻、丈の短い水ハッピを胸の前でキリリと結んだスタイルは、喧嘩用に多少重装備ではあるが要するに男か女かというだけの相違である。生命の躍動をじかに表現しようとすると、洋の東西を問わずこういう格好になるのかも知れない。

 だがその男共の何とみすぼらしくうすよごれて見えることか。且て男はその体と力で女共を服従させた時代があった。その頃の山笠は何と力に満ちて、絢爛たるものであったことだろうか。恐らくたくましい肉体にシンボライズされた、男という男のすべてがその生命を火花と散らしたに相違あるまいと思われる。

 だが今ではどうだろう。分化という重い足かせを引きずり乍ら、気息奄奄と山笠を舁くのである。今や男は力士という少数の人種を残して、その肉体を喪失してしまった。そこでは肉体は相手を倒すための力ではなくて、単に頭を支えるための道具に過ぎない。男共は相手を倒すために画策し、悪知恵を働かし自ら人間であることの特権を放棄してその力をつくすことを試みる。

 「夕涼みよくぞ男に生れける」という川柳があるが現在ではこういうことは通用しない。男らしい男とは、真夏でも背広に身をつつみ、地位と権力の座にある少数の人種によって象徴されるのである。

 だが女は違う、現代の女は体で勝負しようとする。女であることの特権を、女ほど自覚しているものはあるまい。だからこそスカートは年毎に短くなっていくのである。そして文化とはそういうふうに男がますます非人間的に、女がますます衝動的に、なることをいうのであろう。してみれば山笠はもはや男の独占物ではない。むしろ女がやってみて始めて現代的意義を見出すことになるだろう。


 福岡県薬社保委員会 本年度調剤目標など検討

 福岡県薬剤師会社会保険委員会(委員長西森基泰氏)では七月六日午後一時半から県薬会館で委員会を開会県薬側から工藤専務理事、鶴田常務理事、中村担当理事、委員は西森、園田、大石、山本、中島、中野、才田、支部担当理事として小須賀、安武、長尾、花田、坂巻、横井、高島(代)土井良の各氏が出席した。

 開会先ず西森委員長は「分業推進実施の一年目を迎え積極的活動が望まれる時期に、本委員会の出席が約半数であるのは洵に残念である」とあいさつし、直に左記協議に入った。

 ▽報告事項

 1、中央情勢と日薬の動向について
 工藤専務理事から、保険の赤字(一日60億)解消の一環として打出された国会における保険三法改正、薬価基準一五五二品目の追補(七月一日)、医薬分業推進、福岡県薬DI委員会、薬局製剤47処方などにつき詳細な報告を行い、分業推進については、どのような施策が打出されようと、要は末端の診療所と薬局の繋り(医師と薬剤師)より外はない。全国一律の繋りはむつかしいが、末端での努力は比較的実現し易く、また側面からの卸側の協力が非常に有効であると考えられる。

 2、請求事務上の注意事項と厚生省保険局の保険薬局指導について
 中村担当理事から詳細な報告があった。

 ▽協議事項

 1、調剤拒否及び薬剤師不在対策
 実質的には殆んど保険薬局以外の薬局、薬店で拒否しているものと思われるので一層保険薬局のPRが必要である。薬剤師不在の場合は、調剤後の配達を考慮すること、また家族及び従業員の店頭教育を充分にし、名義貸しなどは絶対につつしみ、不在の解消を図らねばならぬ。調剤請求皆無あるいは少ない保険薬局については近くアンケートを実施したい(37年に第一回実施)。

 2、協力メーカーとの協調
 強調連繋を強化し、懇談会開催などを考慮する。非協力メーカー対策としては、分業阻害の一原因であることを強く警告する。

 3、処方せん増発方策
 @歯科領域には止血剤、消炎剤、消化薬、指導膿漏治療薬などの処方発行開拓に努める。
A一般医特に耳鼻科、皮膚科、眼科などを対象に各支部において啓蒙努力すること。その資料としては宮方貞宝医師の所論印刷物を活用すること。

 4、昭和42年度努力目標を設定すること
 即ち本年度内に月に取扱薬局数五〇〇、発行医数三〇〇、発行歯科医数一、〇〇〇、処方枚数二万枚、請求金額一千万円の実現に向って意欲的に努力せねばならぬなどを決めた。

 福岡県庁薬剤師会発足 会員九一名、役員近く決定

 福岡県薬剤師会の組織強化に応えて、先に集団入会した福岡県職員の薬剤師は、県薬の会員であると同時に横の連絡をも緊密にするため、従来からあった薬剤師職能協議会(県庁の職員組合的なもの)とは別個に「福岡県庁薬剤師会発足総会」(仮称)を七月一日午後二時から、市内福岡ホテルで会員九一名中四二名出席、中川県衛生部長、古賀県議会議員(開局薬剤師)などの来賓を招いて盛大に開催した。会は大庭久光氏の開会の辞に始まり、中川弘之氏は世話人を代表して発足の運びとなった経緯を次のように報告した。

 福岡県に勤務する薬剤師は従来から薬剤師職協として活動して来たが、日薬及び県薬加入方についての要請があったことをきっかけに、その加入についても機会あるたびに討議が行なわれた。その経過途上で、次の事項について検討が行なわれた結果、大多数の薬剤師が県薬加入問題について賛同するに至った。

 @従来、開局薬剤師が主であった日薬が、勤務薬剤師についても、薬剤師の柱の一つとして重要視して来たこと。

 A日薬、県薬の目的は、最終的には全薬剤師の地位向上につながるもので県に勤務する薬剤師の目指すところと一致すること。

 B公務員薬剤師の待遇改善については、中央の人事院の薬剤師に対する考え方を変えて行くことが先決問題であり、その交渉窓口となるものは日薬以外にはないと考えられること。

 Cこれらの活動を行なうためには、県に勤務する薬剤師が正会員となり、発言の場を得る必要があること。

 D従来の薬剤師職協については、新たに職協に対する規約により、その活動の困難が増したこと。昭和42年5月までに県に勤務する薬剤師、一〇八名中九一名の加入賛同を得て(内一〇名は従前から加入)六月九日正式に入会手続を行ったものである。本年二月から加入に至るまで県薬と四〜五回に亘り打合せを行い次の事項を決定した。

 @加入者は、日薬、県薬の正会員である。
 A加入者は、かねて、各職場の所属する県薬支部の正会員とする。
 B加入県庁薬剤師の団体を県薬定款に定める職種部会としたい。
 C所属支部経由で代議員を選出できる方法をとりたい。
 D必要あれば、理事を依頼することもある。
 E会費は、年間一人当り三五〇〇円を県薬に納入する。ただし、公費で加入している者七名については、従来通りの金額を支部を経由して納入する。
 F年間一人当り一二〇〇円を依託事業費として、本会に交付する。

 以上、支部を通じて県薬と連繋、吾々自体としては県庁薬剤師会として今後職種部会の母体ともいえるまとまりを作りたい。

 それより来賓の祝辞に移り中川県衛生部長、古賀県議会議員のあいさつに引続き四島県薬会長は「薬剤師は自らの手で縦、横の緊密な連繋をとり地位の向上確立に努力しなければならない」と協力を求めてあいさつとし、それより粕屋保健所の大塚正美氏を議長におして議事に入った。

 @会の名称A会則審議B役員選出C事業計画D予算などを審議し、大体原案通り決定、役員選出については従来からの薬剤師職協の役員に一任となり、いよいよ『福岡県庁薬剤師会』が発足することになった。五時閉会、それより引続き同所において、県薬の主催による同会発足を祝うパーティーが盛大に催された。因に県に勤務する薬剤師一〇八名中九一名が県薬に一括集団加入したのは全国でも初のケースであろう。

 福岡県 京都地区学校 薬剤師研修会

 福岡県学校薬剤師会事業の一環として七月十日午後一時より京都郡苅田町南原小学校において京都地区学校薬剤師研修会を左記により開催した。

 @開会の挨拶=横井学薬京都支部長
 A映画「楽しいプール」=日学薬作製一六ミリトーキー
 Bプール管理について=古賀県学薬会副会長
 C学校環境衛生器具取扱い実技=神谷学薬常任理事末宗学薬理事
 参加者は地区学校薬剤師十五名、京都保健所々員二名学校職員七名であったが、当日は苅田町久留教育長も臨席して挨拶があった。出席者全員終始熱心に研修し予期以上の目的を達成して午後四時閉会した。

 私の思いで 鹿川 亘

 先日九州薬事新報社の方が少々身体の「たが」がゆるみかけております私をお訪ね下さいました。そして九大在職中のことまた思い出になる事で何か書いてみてはどうかとのおすすめを受けたのであります。然し、かって一度として活字になるようなものを書いたことのない私ですので一寸頭にきましたが、一度はお世話になった皆様方に退職のご挨拶をするのが礼儀であると考え直しまして、思い出すことを書きならべました。

 またこれで九州薬事新報社への約束も済んだと考えたわけであります。もともと口で話した事は右から左へと大抵流れて忘れられ責任も自然流出という事になりますが、活字にするのには、なかなか思うようにゆきません。自分乍ら困ったと頭をかかえて書いたのが以下のような迷文であります。ご判読を願いますと同時に長年にわたるご交誼とご指導を感謝いたします。

 さて私の九大病院勤めは相当長い期間であったことはご承知の通りでありますが而し生れつきの愚鈍と、それに「プラス」した浅学が退職までつきまとい、何度振りかえってみましてもお役に立ったことが一度としてありません。零で終った今日「後悔先に立たず」の古い諺、過ぎた四十三年を「つくづく」悔いております。

 ところで、私の九大との縁のつながりを書かせていただきますと、大正十二年九月の関東大震災がきっかけであります。此の震災のため同年十月五日に品川沖より日本郵船に乗り、神戸港に上陸し、博多についたのであります。

 「震災による避難民」という訳で、証明書一枚を貰い(勿論無賃乗車)九大の法医学教室を訪れたのがそもそもの縁であります。この法医学教室に三ヶ月お世話になり十二月の末に東京に帰りました。この法医学教室にいた時、九大病院に分院が開設される話しがありまして、私が選ばれ翌十三年三月の末に正式職員として勤務することになった訳であります。もし震災が関東にありませんでしたら現在東京かまたは生国の信州あたりの隅に細々暮しているのではないかと思っております。

 十三年より十一年余を分院に勤務し昭和十年に本院に帰りまして三十二年、丁度四十三年間になります。「長くもあり短かくもあった」と、いささか感無量といった心境であります。

 此の期間中に江口作先生が昭和十二年にご退官になり松村久吉先生が朝鮮大邱病院より三代目の薬剤部長として昭和十三年四月一日着任になり三十七年に福大薬学部へご転勤、続いて東大より現薬剤部長の堀岡正義先生が第四代の九大薬剤部の主人となられて着任現在にいたっております。この三代の薬剤部長のご指導ご庇護があったればこそ、大きな過ちもせず、長い年月お世話になられたのだと唯々感謝しております。また同時に先輩同僚のご支援があったればこそ今日無事にやめられたのだとこれまた厚くお礼を申上げます。

 さて顧みれば、終戦後の思い出が三つあります。一つは昭和二十五年に、従来よりありました九大薬剤部の同門の会、益進倶楽部を不定期開催から定期開催にしたことであります。毎日同じ職場で働き同じ釜の飯を喰べた老若男女の同窓が年一回(十一月十日前後に開催する)集合して昔を語るという親睦会であります。現在十六回位続いておりますが、退職した今年は出身者として私も是非参加いたしたいと考えております。

 第二の思い出は福岡市勤務薬剤師会の創立参加であります(二十七年発会)。この会も先般役員より承わりますと一五〇回目とのことで嬉しく思っております。

 第三は福岡県病院薬剤師会創立の参加であります。三十一年に松村先生を会長として発足し、私が庶務、福井先生が会計担当となりましたが、庶務幹事づさんのためご迷惑許りかけましたことが一番の思い出であります。

 しかし其の後新進の名会長とまた役員とが同体となりまして学問的にも事業の上にも、全国の「トップ」をきって、走っていますことはご承知の通りで大変嬉しいことであります。まだまだ思い出すことは沢山ありますが、文章らしく訂正して貰いますのに、余り薬事新報社の鬼子先生にご迷惑をかけては相すみませんので、このへんで迷文を終らせていただきます。

 これからはまた身体の「たが」のゆるんだのを修理しながら、大黒南海堂で発刊の「ドラッグジャナル」の編集を手伝って、いきたいと思っております。これからもお忘れなくよろしくお願い申し上げます。 最後に「老兵はいまだ死せず唯消へ去るのみ」マッカーサー元師の言葉を引用させていただき終りといたします。

九州薬事新報 昭和42年(1967) 7月30日号

 宮崎の歯医会 某メーカーの 医薬品問題 九州山口各県薬商組協議会

 九州、山口各県医薬品小売商業組合連絡協議会は、去る十四日付朝日新聞朝刊のトップ記事として、北島公取委員長が、現在独禁法の特例として再販価維持契約を認めている六業種の内、医薬品、化粧品、家庭用せっけん、歯みがき、毛染めの五業種の再販品目について、再販を認めることが適当だと思われるものを選び出し、本年十一月末をメドに契約を破棄させるよう事務局に指示した旨伝えられたが、これによる薬業界内の動揺をおそれ、二十日十一時から、九州山口各県薬商組の代表者が、福岡県薬会館に於て協議会を開会午後は二時から、当日、筑紫二十日会の七月例会が明治生命ビルで開会されていたので、これを製企会に切り替え、合流して再販の行術などについて情報交換を行った。

 午前開かれた商組連絡協議会には林正夫(佐賀)隈治人(長崎)上野浩(熊本)益田学(大分)山村実治(鹿児島)五郎丸三(山口)鶴田喜代次、四島久、斉田和夫、本松茂晴(以上福岡)の諸氏が出席(宮崎欠)した。

 開会、鶴田理事長は、当日の協議会開会のいきさつについて説明し、直ちに協議に入ったが、先ず再販問題について、公取委の再販規制法が今国会への提出が見送られたため、委員会は現行法を強化すると伝えられているが、その実現性があるか否かは別としても、小売業界としては、これを機に軽々しく先走る者のあらわれることをおそれ、色々と検討した結果、物価対策の名の下に、ただ再販だけが採り上げられることは不可解であること。物価については再販を云々すれば納得すると考えていることに問題がある。

 大衆の与論の中で再販が採り上げられているがその与論とは単にジャーナリストと消費者団体の意見と考える。消費者団体中、生協などは論外であるとしても、ジャーナリストや主婦連などには、ダンピングの罪悪を再販によって守ろうとしている吾々の意見を正しく理解させる動きが必要だと考える。

 今回の北島公取委員長の指示についてはアドバルン的な見方もあり、業界内部からの再販崩潰をねらい、石を投じたとも亦受取れるフシもある。再販も今後は価格の問題が起ると思われるが、医家向と小売向の価格差なども問題化するおそれが考えられる。などの色々な意見が出され、いづれにしても小売業界としては、現行法強化の可能性は別として一部新聞のような報導によって先走り、再販を内部的に崩潰にみちびくようなことがないよう、各県とも再販護持を堅持するよう指導することを再確認した。

 次に鹿児島県代表山村氏は最近宮崎に起った問題で、某メーカーが卸を通じ抗生物質薬品を歯科医師会員(約三百名)に対し、数万円宛、特に有利な支払条件で、薬価基準の約半額で納入したとの情報を察知したが、これを重視し、このような問題は一宮崎の問題ではなく、全国では相等同様な事例もあると思われ、今後又蔓延するおそれもあり、分業推進上非常な障害ともなるので、日薬よりは全メーカーに対し要請して貰うこととし、本商組協議会としては九州山口薬剤師会とともに、製企会に申入書を提出することを決めた。

 午後二時から開かれた製企会並に各県代表者との合同懇談会は、製企会側二十社中、十六社出席して製企会々場に開かれ、再販問題については情報交換を行い、?あらためて再販護持の意見が一致を見た。

 次に今回宮崎で起った歯科医師への抗生物薬品納入事件については、医薬分業に協力するとの製企会側の態度に反し、分業態勢にある歯科医師の分業意欲を阻害する結果を招くので、今後このようなことがないよう申入書を製企会各社に交手し、今月中に文書を以って回答するよう要望した。

 尚申入れは六月末、宮崎県歯科医師会が、抗生物薬品の集団共同仕入を実施したとの情報に基づいて鹿児島県薬並に薬商組が調査した結果、察知したことを中心としたもので、その概要は左記の通りである。

 一、日本薬剤師会がほとんど生命をかけたと思われる医薬分業推進のため、日本歯科医師会との間に締結実施中の歯薬協定処方に基づく、分業推進に逆行するものである。
 二、製薬メーカーが医系を尊重し、薬系販売力を軽視してている証左と判断する。
 三、製薬メーカーが半ば公然と医系に対して実施している販売納入価格は、現在の卸屋の存在を無視した行動であると判断し、販売競争におけるみにくい姿を確認した。
 四、この調査により、医系納入薬価と薬系納入価格との間に大きな差異があることを確認した。
 五、医系の中でも個々の相手により納入価格が著しく乱脈を極め全く人道的にも商業的にも良心の欠如と判断する。
 六、以上の事実は、薬系に対して再販制度の締結を推進したメーカーが、小売薬業者の義務のみを要求することは、再販の起原が何れにせよその存在価値を疑わしめる結果となる。
 七、納入製薬会社が主として医系納入者であり薬系に関係が浅いということが、今回の原因とするならば、他の製薬業者はこれを如何に判断されるか。
 八、健保の薬価基準価格と実勢価格との差が我々の推進する分業の最大の障害であり、国民の血税を食う最大の要因事実であることを、薬剤師会として口にせざるを得ない段階に来たことを強く感ずる。
 九、同じ薬系であり、同甘共苦の気持を以って凡ゆる問題に対処してきた薬剤師会と医薬品小売商業組合は、製薬業者の薬系軽視に対し重大な決意をせざるを得ない段階のきたことを感ずる。
 十、諸般の事実を判断すれば、現社会において最も不当に儲けている者は誰であるか、鮮明に社会、国民に対し公表することも論議され、具体的行動を考えざるを得ない段階にきたと考えられる。
 以上医療の現社会機構を一応否定しない態度で、而も同冠者としての情の下においても敢えて申し上げて置きます。

 福岡県薬 調剤技術委

 福岡県薬剤師会調剤技術委員会(委員長堀岡正義氏)は七月十八日二時から九大病院薬剤部図書室で委員会を開会、@九州山口薬学大会提出議案(2)昭和四十二年度研修会開催の件などについて協議、研修会開催初日を九月二十三日と決定。その他@県病薬の名簿発行は県薬と期日を合せ作成するA県病薬の名誉会員に山本秀一(前国立福岡病院薬剤部長)諌山哲夫(元八幡製鉄所病院薬剤部長)竹内克己(前日赤病院薬剤部長)林真一(前久留米大病院薬剤部長)鹿川亘(前九大病院副薬剤部長)を推せん決定B県病薬賛助会員の拡大を推進するなどを決めた。

 挾子

 ▼第一薬大の闘争は相も変わらず理事長夫妻が話合いを拒否、五団体共闘本部は、相手がないまま、長期化に備えて三交代制をとり、自主的に補講も始めている。去る十六日の臨時後援会総会の時、学生代表が「学生が今回のストに、なぜ入らねばならなかったかは、学長問題といったことでなく、もっと根本的な開学以来八年間に於ける理事長の専横な学校経営、積り積った学生の、理事長夫妻に対する不信感といったものの中にこそ真の原因がある…吾々は八年間、絶えずだまされ続けてきたが、もう決してだまされまい…涙を拭きもせず父兄に訴えていた。先きに記者会見で、内諾を得たと夫妻がいった学長候補の、名さえ今だに出てこないところを見ると、記者会見の記者氏までがだまされたことになるが…どうだろう!!

 ▼本件は7月20日、九州山口薬商組連絡協議会で採り上げ同薬剤師会と共に、同日製企会に対し「分業阻害行為」を自粛するよう申入れた件であるが、当日、当の宮崎県の代表者は欠席、又当事件を調査したのも隣県の鹿児島、何かスッキリしないものが感じられる。この問題は宮崎県薬と同県歯科医師会との間で話し合うのが本筋と思われるが、当の宮崎がハッキリしなければ切角他県がバックアップしても…薬剤師よ、もう少し強くなって下さい!!

 福岡県女子薬 全体理事会 山田・田中・森山 三氏の渡欧壮行会

 福岡県女子薬剤師会は七月十八日一時から県薬会館で全体理事会を開会、約二十名の出席、先ず新支部長紹介、次いで本年度九州山口薬学大会の研究発表について検討した。北九州八幡、戸畑両支部が合同して隔月に「皮膚病講座」「豆漢方学講座」などを催して好評である旨報告され、又福岡支部では近くテストケースとして職種部会を計画中であることが報告された。

 尚当日は、田中副会長並に山田ミノル元会長(欠席)森山副会長の渡欧をはげます壮行会を、市内天神福ビル内の海幸において盛大に行なった。

 尚森山副会長は田中、山田両氏とは別個に夫妻相携えての自由な渡欧であり、八月十九日羽田発、約一カ月欧州各国を廻り、勉強などでなく、西洋史と小売薬局の実態(特に身近な店頭の飾り付けなど)をじかに視察して来たいと語っている。