通 史 昭和42年(1967) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和42年(1967) 1月1日号

 年頭に当って思う 友納英一

 私は未だかって新聞の原稿等書いたことがなかった。それが此度安河内女史のすすめで初めてペンを握った。年頭の辞など新鮮な様な又堅苦しい様な文句だが、私の思っていることを書くので正月の放談として読んで頂きたい。

 人間は夫々性格が違うがその性格も努力と訓練それに慣れることによって相手の性格に合わせる。即ち社会性を持つことが出来ると思う。殊に吾々薬剤師は日日店頭で客に接するが、その大部分は肉体的或は精神的にせよ病人である。その客の心を忖度し、その欲するものを授与販売することに慣れている筈。従って人を説得する術にたけていると思う。併し中には、自分は外部の人に接し話をすることは不得手だと言う人もあるだろうが、それは一種の臆病であり我儘だと思う。今は吾々薬剤師にとって内外共に重大な時である。

 日薬を始め各都道府県では分業対策本部を設け、三年後の分業完全実施を目標に着々態勢を整えつつあるが、これは四囲の情勢より判断すれば難事業であり、又薬業界ではマスコミに振り廻され、過当競争に憂き身をやつしている現情では完全分業実現は極めて困難である。一方国民の医薬品に対する不信感を払拭しその信用を回復することにも強く不安を覚ゆる。そこで私はこれが対策として次のことを提唱する。

 一、薬剤師は地区衛生組織(町衛生組合)に進出すること。環境衛生事業は吾々の専門分野であり加入すれば必ず組合幹部に推薦される。この事業活動によって公衆衛生発展に貢献する。

 二、PTAに進んで協力すること。大抵の家庭には子供や孫がありそれらを介して幼稚園から高校迄の内何れかに関係がある筈。今日では子供の教育は母親まかせであるが(女子薬剤師は別)時には父親が代りPTAの会合に出席。その組織の役員(例保健給食の委員会)に進んで就き、機会を捉えて薬剤師職能のPRを、或は担当の学校薬剤師と協力して学校環境衛生向上に協力する。

 以上述べたことは私の過去十数年間の体験から得た構想であるが、これを実行する事によって必ず薬剤師の技能は認められ、ひいては医薬品に対する信用回復と医薬分業実現対策の一助となると同時に、吾々が若し政治活動を行う場合必ず役にたつことを述べ、年頭の辞とする。(福岡県学校薬剤師会長)

 年頭所感 福岡県議会議員 厚生常任副委員長 早麻清蔵

 謹しんで一九六七年の新春をお喜び申し上げます。わが国の冬の気圧配置は西高東低が常識である。しかし面白いことには近年十二月の冬型気圧配置が一年おきに多くなっている。一昨年は少なく昨年は多い年であった。十二月に入り異常の冬型になり中旬には各地で最低温度を記録。この寒さの中に新しい年を迎えた。正月は寒い方がトソをいただくにも正月気分が味わえるものである。

 「光陰矢の如し」のたとえのごとく昭和四十一年も多事多忙のうちに過ぎ去った。この一年間を顧りみるとわが国の経済は一昨年にくらべ、やや上昇したとはいえ種々問題の多い年であった。

 私は一昨年九月県議会厚生常任副委員長に就任以来、県の衛生行政問題と取り組みこれが改善発展に努力しているが、本県においては昨年日本脳炎の大発生をみ衛生行政上、一大汚点を残したことは真に残念。厚生副委員長として責任の重大さを痛感。今後再びかかる失態を繰り返さぬよう努力いたす所存である。

 また薬業界においては一昨年カゼ薬のアンプル禍あるいは医薬品の乱、廉売による国民の医薬品に対する不信感を抱かせ、ひいては薬業者に対する信用問題等未解決の点が多く、これらの問題については私ども厚生常任委員として早期解決するよう、出来得る限りの努力をいたす所存であるとともに、これらの県の行政に対しては強い関心をもち注目しているので薬業者の方々におかれても自らの姿勢を正し、業者間においては相互協調、一致協力して国民の医薬品に対する不信感を除き、国民の健康な生活確保に寄与されんことを願い、薬業界の発展を心からお祈りし新年の挨拶といたします。

 年頭にあたり 内田数彦

 あけましておめでとうございます。旧年中は色々とお世話になりました。本年も亦どうぞよろしくご指導ご鞭撻お願い申し上げます

 聖寿の万歳をことほぎ、国連の隆盛を祝し、わが薬剤師会の発展を祈り、最後にわが家の健康を祝して、屠蘇をいただき、大きな希望をもって胸をふくらませ新年を迎えた。本年は大いに張りきりたいと思う。

 明治天皇の教育に関するお勅語の中に「爾臣民父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし学を修め業を習い以て智能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広ろめ云々とある。このお勅語はわれわれ人間が人間として当然行なう可き道を教育の根本原理としてお示しになったものであります。

 明治生れの私はこのお勅語を拳々服膺して夫婦相和すは相和しておりますのでそれはそれで良いのですが進んで公益を広め、に関しては未だ全然出来ないので本年は福岡市学校薬剤師会のため大いに役立ちたいと思っております。

 阿部源蔵福岡市長がわれわれの学薬の必要性を理解して大いに活用され、手当も他の都市の学薬並、文部省基準を参考として出してもらうよう陳情交渉すると共に、会員の皆様が学薬としての任務を遂行され、大いに実績を上げられるよう努力したいものと思っております。こんなことを考えて張りきってはおりますが、私も一開局薬剤師であります。昨年の苦しかった売上げを思うと遂いらいら気持ちになってくる。そこで本年の運勢暦を見たら丁(ひのと)未(ひつじ)とある。非常におとなしい(ひつじ)が「明」とないた。(開局、福岡市学薬会長)

 推理小説 馬場正守

 一時のブームは過ぎ去ったかの様だが、やはりこんな良い正月には日頃の多忙雑務から解放されて、推理小説を読むのは楽しい。今までに数多くの推理小説を読んだがこたつに入ってそのストリーや迷解きのカギ等を思い出すのもまた楽しい。

 但し薬局の仕事の余暇に読むのであるから私は洋ものは名前を憶えるのに苦労していつも同じ所ばかり読んでいる。社会派の作家が好きだが松本清張が一番好きでその系統を踏む水上勉も良い。私は"点と線"に出て来た鳥飼刑事の姿が実に良かった。すり切れて色あせたダスターコートを着た初老の東福岡署の刑事。香椎の海岸に中年の男女の死体。そして横にころがっている二本のジュースビン。一見情死と見えるが、読んでゆくうちに一方は西鉄香椎駅を下車して海岸まで何者かに連れてこられてジュースを飲まされ他方は国鉄香椎駅で下車させられて同じ場所で、ほぼ同じ時刻にジュースを飲まされてことが判った。

 駅前の果物屋の淡い裸電球、殺人現場の暗やみに鳴る海岸の松の枝など。この本は私を二度までも香椎の海岸に立たせて、読書後のイメージの追憶に浸った。作者が北九州に住んだことがあるので九州を舞台に書かれた小説が多く日本の古代の邪馬台国の迷に挑戦した作品もあり安心院盆地、耶馬溪を中心に繰りひろげられたものにひかれて、その地に足を運び紅葉の湯布院で旅の汗を流したこともあった。

 これらの推理小説と薬剤師は犯人が良く使用する毒薬を含めて、まるで未知の化合物(犯人)を検索するのに似ている。沈殿試薬で沈殿し、アルカロイド呈色試薬でこれこれの呈色を示し、スタスオット法で第○属に来て、融点、沸点は○度バイルシュイン反応は湯性なんとか反応は陰性といふ工合に、一つ一つの段階を経て、遂に犯人の名前を割り出す。実に仕事の内容が似ていると思う。

 一年の殆んどが鉛色の雲で覆れた北陸の都市金沢や日本海の荒波がそこに住む人々の生活を、幸福とはほど遠く海までせまったやせた土地にしがみついている能登半島が出て来た"零の焦点"も好きな作品だ。半島にゆるく抱かれた和倉温泉でストーリーを考えながら泊ったこともある。宿の番頭に聞けば、この小説のおかげで泊り客が増えましたと喜こんでいた。金沢でも兼六公園の美しい散歩道を小説の味を噛みしめつつ歩きまわったこともある。

 水上勉は最初は推理で出発したが紀州の熊野本宮まいりの事件も良かった。本の名前は多分"黒壁"だったと思う。しかし彼の作品は勝浦の那智の滝で情死した人々の、それに至るまでの物語りから少しづつ変化して人生の哀歓、特に女性の業について北陸、福井、舞鶴若狭を舞台にしたものが多く、近頃では琵琶湖の北にある余呉の湖岸の西山という部落での物語りを取りあつかった"湖の琴"に深い感銘をうけた。いつか私はこの余呉湖のほとりに行ってみたいと考えている。霧雨のけむる湖に愛していた女の棺をしっかりと抱いて湖の面を静かに沈んでゆく作男の心情をおしはかると小説とは云え一沫の哀れさを感じる。

 いや御正月から変んな話しばかりで全く恐縮です。御同好の先生方も数多くいられると存じますが真夏の夜の夢ならぬ冬のこたつの夢として御勘容下さい。終りにこの原稿は、ある雑誌の犯人探し懸賞に応募して当選した万年筆で記したことを報告しておきます。 (開局、学校薬剤師)

 色盲 福岡大学薬学部長 松村久吉

 昨年十月福岡大学薬学部が当番で全国私立薬科大学(部)長会を開いた。その議題の一つに色盲、色弱の取り扱いについてという承合事項があった。各校とも色盲は不可とし、色弱については可とするもの(五)。更に精査の上、その程度により許可とする場合もあるとするもの(十)であった。

 近年受験生の増加に伴い入学試験の際の身体検査を省略し、提出する健康診断書により判断する大学が多くなって来ている。福大もその例で入学後五月に定期身体検査を実施している。たまたま本年の入試で薬学部の補欠になりながら不合格となり工学部には合格出来た学生が父と同伴で訪れ、明年再び薬学部を受験したい旨申し出たので書類を調べてみると診断書に色弱と書いてある。そこでちょうど平野教授(医師)も居られ、色盲検査表もあったので色弱の程度を調べて貰ったら、完全な色盲であることが判り、薬学への進学を思いとどまった例がある。

 このお父さんは私もよく知っている薬局主だったので、あとで話されたが、この子の兄は色盲だったので薬剤師になることをあきらめ他の方へ進学させた。この子は色弱というので後継者に決めて薬学進学をさせることにしたのに、色盲であれば薬剤師にすることをあきらめなければならん。大変残念であるが致し方ない。薬剤師のお嫁さんでも探さねばなるまいと言っておられた。

 それで色盲と色弱の区別がつかぬとなると将来困ることになるので九大眼科を訪ねて話を聞いたが、市販の色盲検査表は暗記されていて駄目だろうし、また頼まれれば仕方なく色弱と書く場合もあるでしょう。九大には門外不出の検査表もあるし、また電気的検査器もあり確実に鑑別出来るから、疑わしい場合は連れて来るようにとのことであった。一般診断書に信がおけないとすれば困ったことになるので、福大も明年から色盲、色弱いずれも不可とすることになった。

 色盲は職業として鉄道や船舶等の交通関係現業員には大体不適当で、染色業者色を扱う印刷業者、医師、薬剤師、画家等にも、ときに程度によって不都合のことがあるから職業の選択、就業などについては良く適、不適を考える要がある。

 それで色盲について調べたことを書いてみる。色彩を区別する能力の不完全なものを色覚異常といい、色盲と色弱に分ける。今かりに色盲の成立機構をヘルムホルツの三成素説に従って説明すれば、色覚に赤、緑およびすみれの三つの光によって最も強く興奮する各成素があり、これらの成素の興奮する程度が種々であることによって種々な色を感んずるという。健康な通常の人はこれら三成素を持っているが、先天的に第一成素が欠けていると赤色とその補色の帯青緑色が無色に見える。これを赤色盲という。また第二成素が欠けていると緑色とその補色の帯紫赤色とが無色に見える。これを緑色盲と言い、この二者を合わせて紅(赤)緑色盲と言う。第三成素の欠けたものもある筈であるが実際にはほとんどなく、ただ三成素すべてが欠けていて、外界が黒白写真のように見える全色盲が稀れにある。

 色弱は色盲とは本質的には異なるもので三成素は備わっているが第一成素の正常でないものを赤色弱、第二成素の正常でないものを緑色弱とすることが出来る。色盲は多くは先天性のものであるが、種々の目の病気で後天性に色盲となることがある。先天性色盲は男子の四〜五%に発見されるが(二十人に一人)、女子では僅かに〇・二〜〇・三%しか発見されない。先天性色盲は定型的な伴性劣性遺伝をする。

 例えば色盲の男子が色盲の家系でない女子と結婚したとき生まれるその子供は色盲にはならない。しかし色盲の異常因子は女児に伝わるので、その女児が成長し健康な男子と結婚した場合、その間に生まれる男児の中に今度は色盲が現われてくる。すなわち色盲が異常に見えない女子を通じて男孫に伝わって来ることになるのである。

 色盲であることは偶然の機会に色別を誤って異常があることを知るか、検査で見い出されなければ、自覚しないままになるものである。世の親たるものは息子の職業を選ぶ前に、それよりも進学のさいに予め信用のおける施設で色盲検査を受けておき、その場になって取りみだすことのないようにしたいものである。(福岡大学教授・薬博)

 年頭所感 日本学校薬剤師会 相談役 早川政雄

 昭和四十二年新春を迎え謹んで関係各位の御多幸と御発展をお祈り申上げます。昨年は日薬に分業実施対策本部が誕生し続いて各ブロック各県にもその組織作りが出来て急速な医薬分業への実現に新な意気込みを感じ喜んで居ります。併しその後の活動状況から見て其の実践行動のむつかしさと解決への道の嶮しさを思い自分なりに幾つかの考慮点を拾って見ました。

 1 業界に於ける政治意識の弱さ。
2 薬局薬店の経剤力の乏しさ。
3 業者間の見にくい廉売競争。 4 薬局へ足を運ぶのは二度手間だと云う患者の思惑。
5 医師の調剤にも与えられる調剤手数料。
6 医師の技術料の適正化。

 等是等の諸点を如何に是正し克服して行くか、地方は地方として中央の動きとは別にそれぞれに適合した推進の仕方があるのではないか、併し何れにせよ一朝一夕にこの達成は望めない丈に今年は中だるみを警戒して全国の関係者が其道に徹する事こそ前進えの近道ではなかろうか。幸に大牟田市に於いてはその道に熱心な中村里実先生が常に全力を尽して之等の研究に没頭し、又自ら率先してその実践行動に邁進して居られるのでその成果も着々と上昇の一途を辿って居る事を申し添えたい。

 ◆学校薬剤師の展望

 いよいよ今年は環境衛生測定器具整備費補助最終の年を迎え、地方に於いては之が可能性について重大な岐路に立たせられた訳であるが、過去二年間の消化実績に鑑み文部省が如何様な方針をとるか敢えて初期の計画を貫くか或は之を打切り事業計画に新たな構想を持って之を実施に移さんとするか兎に角思切った高姿勢に出るのではないかと云う公算が強いようである。

 昭和三十九年に学校環境衛生基準が出来ると、文部省は基準実施の為にいち早く検査器具の整備に取り組んだ。一セット八品目購入に対しその代価の三分の一を補助すると云うのである。但し期限付きで昭和四十年を振り出しに四十二年迄三ケ年と云う訳だが、全国を通じて割当消化は毎年七〇‐八〇%止りで完全消化には容易に達し得ない。

 文部省としては割当数に制限があるので恐らく初年度から此割当数を超過するものと予測したらしい。併し地方に依ては経済不凶のたたりで一セットの購入さえ応じ切れない状態である。勿論基準の趣旨徹底の為には文部省は毎年数十万の経費を投じて全国を七ブロックに分け、三ケ年の講習会を計画して之又既に二年間を終り、余す所今年一年となっているが、之にも不拘完全消化への道は中々けわしいようである。

 併し一方には補助制度が出来る前に既に整備して居ると思われる地区も考えられる。或は又地方環境に於いてセットを不要とし該地区に即応した品目丈にとめようとする向もあろう。果して田園地区や山間地帯の学校に騒音計が必要であるか、暖房装置のない所に熱幅射計が必要かと検討して行くと、分割購入を敢えて希望するのも亦一理と考えられる。極端な云い方であるが未だに水質検査用の器具丈け備えている所もあり、或は照度計丈にとどまっている所もあると聞く。

 斯様な実状が完全消化をはばんでいる大きな原因となって居ることは否めないが年と共に環境衛生の重要性が向上しつつある今日、やはり文部省が要示している最低限の整備は必要であろう。之等の問題を焦点に昭和四十二年度は果して如何様に展開して行くか、吾々関係者にとっては誠に妙味つきない所である。

 聞く所に依れば文部省は積極的な行き方としてこうも考えて居ると云う。と云うのは昭和四十二年度の補助は補助として此処らで一応定期検査の実施に踏み切る。之は目的の器具整備状況の実態を把握する上に於いても一つの早道ではないか。その上で其後の又対策の道をつかもうと云うのである。併し之を施要する為には是非共基準の法制化を急がねばならない。斯様に考えてくると結局昭和四十二年度は器具整備補助の最終年度にからんで「定期検査の実施と基準の法制化」が最も重大な課題になりそうである。希くは昭和四十二年度が我が業界にとって明るい伸び行く歳であるよう祈念して止まない。

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 揺籃時代の福岡県の薬業事情 九州大学医学部附属病院薬剤部長 堀岡正義

 明治百年を迎えて、近代日本の歩んだ道を振りかえり、まとめておきたいという気運がさかんである。昨秋ヨーロッパを旅行の際、いくつかの薬学博物館を訪れたが、外国の人が自分たちの歩んできた歴史を大切にするのを見て、深く心を打たれた。

 日本のこの百年は外来のものを取り入れ、それを日本に同化する百年であった。そういう過程では、それ以前の日本本来のものは「古いもの」として軽視され、捨てられ勝ちである。いずれにしても日本に薬学博物館といったものがなく、先人の偉業を保存する施設に乏しいのは残念でならない。

 幸いにして、われわれの病院には、先人の努力により薬学古書が数多く保存されている。そのリストは昨年十月号の「薬局」誌上に紹介したが、そのなかに「薬剤誌」という雑誌がある。この雑誌はいわば、薬剤師会の機関誌ともいうべきものである。明治二十一年八月公布の薬律に基づき、東京薬舗会が東京薬剤師会と改称、薬剤師の調剤権を確保せんがため、明治二十二年四月機関誌「薬剤誌」を発行したのが、創刊のいわれである。

 ところで、この雑誌には論説・講演・薬学教育記事などの他、時況と称して各地方の薬剤師会などの動きが刻明に記されている。瞥見したところでは、東京・大阪のほか、岡山・防長(山口)、福岡の記事などが比較的多いようである。そこで、この雑誌により、揺籃時代の福岡県の薬業事情を紹介してみたい。なおこの雑誌は明治二十五年十二月第四十五号で一時廃刊になったが、二十六年日本薬剤師会設立によって再び同会の機関誌となり三十五年復刊され、大正十五年三三六号をもって廃刊となった。

 第二年冊第十一号(明治二十三年二月二十五日発行)
 福岡県薬剤師会設立総会が二月五、六の両日、県と私立薬学校において行なわれ、会則などが定められた。なお文中にある関西薬剤師会は二月十一日、大阪中之嶋洗心館において開催され、百二十六名の多数が出席、福岡県よりは波多江安二郎・内海善兵衛・松崎巌の三氏が出席している。

 ◆福岡薬剤師会

 客冬開設せし福岡県薬剤師会は去る五、六の両日同県と私立薬学校に於て其第一次総会を開設し過日大阪に開設したる関西薬剤師懇親会へ提出する諸案其他薬剤師業務上に関する要事を協議したりし旨、去る十八日東京薬剤師会員志村釼七郎、大嶋健吉の両君より同会々則を添へ東京薬剤師会々頭下山順一郎君方へ通報あり、今同君の承認を経て該規則を本欄内に掲ぐ

 福岡薬剤会々則
 第一条 本会ハ薬剤師ノ一致団結ヲ鞏固ニシ以テ業務ノ振興ヲ謀ルヲ目的トス
 第二条 本会ハ福岡薬剤師会ト称シ福岡市因幡町五十八番地ノ二ニ設置ス
 第三条 本会ノ会員ハ薬剤師ノ資格ヲ有スルモノニ限ル
 第四条 会員タラント欲スルモノハ其住所族籍氏名ヲ記シ調印ノ上本会事務所ニ申込会員証ヲ受ク可シ
 第五条 会員其氏名族籍住所ヲ変更シタルトキハ之ヲ本会事務所ニ通知スヘシ
 第六条 会員ハ会費トシテ一ケ年金三拾銭私立福岡薬学校補助費トシテ一ケ年金壱円ヲ四月十月ノ両度ニ分チ本会事務所ニ納ム可シ
 第七条 会員ニシテ本会ノ規則ヲ遵守セス或ハ本会ノ体面ヲ汚スノ行為アルモノハ評議会ノ議決ヲ経テ除名スルコトアルヘシ
 第八条 本会ニハ会頭及副会頭各一名幹事二名審議員五名ヲ置ク
 第九条 会頭ハ本会ヲ総理シ副会頭ハ之ヲ補佐シ幹事ハ本会ノ庶務ヲ管理ス
 第十条 審議員ハ全会員ヲ代表シ本会必要ノ事項ヲ審議シ或ハ公私ノ質疑ニ応ス
 第十一条 会頭以下ノ役員全会員ノ投票ヲ以テ在福岡市会員中ヨリ撰定ス
 第十二条 会頭以下ノ役員任期ハ満一ケ年トシ毎年総会ニ於テ之レヲ改撰ス但再撰スルモ妨ケナシ
 第十三条 本会ノ集会ヲ別テ総会例会評議会ノ三種トス
 第十四条 総会ハ毎年四月之ヲ開キ前年中ノ諸報告及会則改正ニ関スル議事ヲ為ス
 第十五条 例会ハ隔月第一日曜日ニ開キ薬剤師業務ニ関スル演説談話ヲ為シ其尤モ必要ト認ムル者ハ之ヲ臨時印刷ニ付シ会員ニ頒布スルコトアルヘシ
 第十六条 評議会ハ本会役員ノ会議ニシテ臨時之ヲ開キ本会ニ関スル事項ヲ議決ス
 第十七条 例会ニ於テ演舌ヲナサント欲スルモノハ予メ其旨ヲ幹事ニ報スヘシ但シ開会中臨時ニ演舌ヲ為サント欲スルトキハ会長ノ許可ヲ受クヘシ
 第十八条 会頭ハ集会ノ会長タルヘシ若シ缺席ノ節ハ副会頭之カ代理ヲ為スモノトス
 第十九条 会場整理ハ会長之ヲ担任シ開会中ハ総テ会長ノ指揮ニ従フモノトス
 第二十条 議事ノ可否決ハ出席員ノ過半数ニ依ル可否同数ナルトキハ会長之ヲ決ス
 第二十一条 本会通常ノ出納ハ幹事之ヲ主管シ臨時ノ支出ハ評議会ヲ開テ之レヲ定ム
 第二十二条 会費ハ本会一切ノ費用ニ充ルモノトス
 第二十三条 会員若クハ会員外ヨリ全員若クハ書籍物品等ヲ本会ニ寄贈スルトキハ本会ノ名義ヲ以テ謝状ヲ送附スヘシ
 第二十四条 本会ハ東京薬剤師会ト連絡ヲ通スルモノトス
 第二十五条 此会則ハ会員五名以上ノ発議ニ依り総会ノ決議ヲ経ルニ非ラサレハ変更スルヲ得ス
 明治二十二年十二月

 福岡薬剤師会
 第二年冊第十四号(明治二十三年五月二十五日発行)
 福岡薬学校卒業式の記事がある。この記事によると以前県立福岡医学校附属薬学校があったが、施政上廃止のやむなきに至ったものを、当時の福岡病院(九大病院の前身)薬局長佐藤直氏、県衛生課大島健吉氏、附属薬学校教諭久能功氏らの尽力により、私立福岡薬学校が設立され(明治二十年十二月)、その第一回の卒業証書授与式が、明治二十三年三月十四日挙行されている。卒業生は十七名である。

 ◆福岡薬学校卒業式(同校卒業生報)

 わが私立福岡薬学校は去る明治二十年十二月に創設せられ爾来本年三月十四日を以て第一回卒業証書授与式を挙行せられたりここに当県々立福岡医学校附属薬学校ありしも施政上廃止の己を得さるに遇ひ当時幼稚の薬学は之か為に将に廃滅に帰せんとするの衰運に際会せしに当時福岡病院薬局長佐藤直氏、本県衛生課属大島健吉氏及元附属薬学校教諭久能功氏等痛く之を慨き焦慮苦心や苦学の必要を説き、或は実地の成績を示し周く県下の有志者を奨励し明治二十年始て私立福岡薬学会なる者を組織し尋て本校設置の議を同会へ提出せしに諸氏熱心の結果忽ち同会の翼賛する所となり殊に当地薬種商波多江嘉兵衛、内海善兵衛、是松右三郎、徳永専三長野重次郎等の諸氏は卒先して之か創立委員となり、東奔西走其採務に鞅掌し且つ一時巨額の資を義捐し維持の方法を計画する等其他衛生課長木戸麟氏を始め福岡病院々長大森医学士熊谷医学士、池田医学士榎本医学士及び当営戌病院の諸軍医薬剤官等大いに尽力せられ、遂に本校を当市因幡町に設立し明治二十年十二月を以て開校の式を挙け爾来佐藤校長、大島教諭、久能幹事の諸氏各々教課の時間を公務の余暇に取り以て専ら此の教育に従事せられしに不幸半途にして久能氏は東上せられ殊に昨年九月佐藤氏の第三岡山高等中学医学部の教諭に転任せられしや、恰も父児割愛の情に耐さりしか如き憾ありし大島教諭直ちに其跡を承て校長となり与て本校創立に力ありし当衛戌病院陸軍二等薬剤官小川良知氏を嘱托教諭となし本校の衰微を未崩に防き以て現住福岡病院薬剤部長志村釼七郎氏の熊本県病院薬局長より転任せらるるに及び大島校長は氏と所感を一にし、熱心日に加はり学業月に進歩し現今就学する者八十有余名に及び茲に新薬剤師を出せしは実に薬学界中一大廃地を開いて医薬分業の種子と播布し得たる者と謂う可し嗚呼本校精神的の基礎更に固し自今益々後進者の徳義と学術とを養成し先進者と並馳せしむるの目的に於て他日吾か薬学社会の一臂たらんことを自任せり。

 三月十四日即ち本校卒業証書授与式の当日来賓は本県知事代理山崎書記官を始め諸県属にして衛戌病院よりは宮地軍医正等の諸軍医山中市長、福岡病院医学士及当市開業医諸氏其他新聞記者等にして午後三時爆鳴瓦斯一発の響を相図とし大島校長の案内にて式場に臨み次で卒業生一同着席せり此時大島校長は卒業生一同に対し来賓に立礼を命し直ちに証書授与に取掛られたり。終て大島校長は来賓の厚意を謝し卒業生に向て前途の論旨を陳へられ、次に卒業生総代猪ノ口十吉氏の答辞あり其他山崎書記官長等の祝詞朗読あり最後に及んで卒業生白水象次郎、徳島官地軍医正山中市峯太郎氏等の実験演説あり式全く終て大島校長は来賓並に卒業生を案内し福岡倶楽部に於て宴会を開かれ午後九時に及んで退散せり。当日卒業証書を受領せしものは左の如し。

 徳島峯太郎 白水象次郎 徳永卯之吉 井上喜代松 江藤直士 吉田庚午郎 宮崎解次 小川岩太 怡土耕之介 塙利脩 田代五十五郎 江口又一郎 黒田多喜次 猪ノ口十吉 中尾秀 本村己之吉 富永秀吉 以上十七名

 第三年冊第二十八号(明治二十四年七月二十五日発行)
 明治二十四年四月十二日東公園皆松館に二十七名が参集して、定規総会を開催し建議案四件を審議ののち席を一方に移し、六題の講演あり、懇親会を行なっている。

 ◆福岡県薬剤師会(同会報)

 貴会愈々御隆盛奉賀候。陳は今般福岡薬剤会なる者組織致し候に付会則一部送呈仕候、今後貴会と気脈を通し御連絡御交通之程奉願候其後先月定規総集会を開会致候に付、早速其節之景況御報道可申上筈之処延引今日に及び誠に旧聞に属し候へ共自然貴誌余白有之候、者御登載被成下度並せて奉願候也。

 六月廿九日
 福岡県薬剤師会
 東京薬剤師会御中
 会況
 創立会之節会則に依り投票を以て役員を撰定したるに左の諸氏当撰したり
 幹事 三名
 大島健吉 有光男児 白水象二郎
 審議員 五名
 蔵田孝貞 堤嶺吉 小川良知 木村米蔵 松崎巌
 定規総集会景況
 本年四月十二日午前八時より東公園皆松館に於て定規総集会を開き、此日晴天会する者廿七名事故有之欠席届を送附したる者十一名即ち左の如し
 出席者(到着順)
中尾秀 吉田庚午郎 吉村秀臣 白水象二郎 有光男児 松崎巌 隈本三太郎 平島稔 山口嘉吉 小川岩太 江藤直士 波多江嘉兵衛 大島健吉 原芳太郎 蔵田孝貞 小川良知 山田秀雄 陣内龍一 土方辰五郎 有田末雄 香江龍太郎 富永秀吉 佐藤良太郎 永野国次郎 木村米蔵 井上喜代松 星野猪馬吉

 欠席を通知したる者
 山田勝太郎 石田料作 堤嶺吉 塙利脩 木村己之吉 猪口十吉 江口又一郎 三好乙彦 末松豊作 斉藤完爾 徳永卯之吉

 午前九時着席会長を選挙せしに大嶋健吉氏当選せり、是に於て開会の主旨を述了りて幹事白水象二郎氏は会計報告を為し会長は会則改正を命し続て左の建議案を討議したり
 提出者 松崎巌氏
 薬剤師業務に関する規約
 提出者 江藤直士氏
 薬品巡視は医師の調剤所に最も注意あらんことを薬剤師会より監視員へ上申すること
 提出者 中尾秀氏
 薬局助手の設あらんことを薬剤師会より政府へ建白すること
 提出者 蔵田孝貞氏
 新に薬種商を開店する者に一定の学術試験を行はんことを薬剤師会より薬種商同業組合へ勧告すること
右建議に対する議決の要領第一松崎氏提出案は本会に於て之れと採用することに決し、尚 審査員六名を撰定し之れが審査を遂げ十月の定規総集会に於て再議に附することに決せり

 審査員
 蔵田孝貞 小川良知 香江龍太郎 波多江嘉兵衛 松崎巌 白水象次郎
 第二 江藤君提出案は本会より委員二名を選び監視員へ面会し、直接に注意の為め勧告することに決せり

 委員
 小川良知 蔵田孝貞
 第三 中尾君提出案は尚早論多数にて消滅したり
 第四 蔵田君提出案に之れを採用し委員三名を当選し勧告することとなりたり
 委員
 蔵田孝貞 小川良知 井上喜代松

 是に於て総集会を決了したるを以て更に席を一方亭に移し懇親会を催し左の諸氏の演説ありたり
 空気中有機物の検査法 小川良知
 実験談 平島稔 水銀軟膏中水銀の定量法
 吉村秀臣 薬局用築竈概論
 大島健吉 アニリン色素鑑別法
 井上喜代松

 薬剤師に望む 白水象次郎
 其他席上続々演説あり拍手喝采満場崩るる許りの盛況にて散会したるは午後十時なりし。以上が薬剤誌による明治廿二、四年頃の当県の薬学薬業の実情である。文中に現在当地で御活躍の方々の先々代あたりの芳名が散見されるようで、懐旧の想いを寄せる方もあろう。

 もとより筆者はまだ当県の事情に精通していないので、本文に皆様の資料を加えていただき、将来よりよき福岡県薬業史をつくっていただきたいと思う。なお文中の県立福岡医学校附属薬学校につき御存知の方があれば御教示をたまわりたい。(九州大学医学部附属病院薬剤部長、薬学博士)

 薬局薬剤師のなやみ 柴田伊津郎

 開局薬剤師のなやみといえば、実に数限りなくあって、何から書いてよいかに苦しむ程であるが、最も根本的な問題は、そもそも薬剤師というものが何のためにあるのか、ということであろう。新年の話題としては少々どうかと思うが、思いつくままに二、三拾い上げてみよう。

 ◆薬の大安売り
今更安売りの問題を持ち出すのもいささか時代おくれの感があるが、零細薬局にとってはやはり頭の痛い話である。公取あたりでは消費者第一の立場から、安いのは文句なしのようであるが、大安売りのチラシを見ると、われわれが逆立ちしても追いつかないような価格が並んでいるのには驚く。

 あの価格が正当なものであるとすれば、われわれはとんでもない高値で商品を仕入れていることになるであろう。公取あたりではこんな不合理なことを調整してくれる気はないものか。「薬は人の生命に関するものだから」というので、一方では販売上のいろいろの規制がありながら、他方では、たたき売り同様の大安売りが行なわれているのは理解できない。良い品を安く売ることが最大の消費者サービスだという考え方も正しいであろうか、薬の乱用をあふるような販売態度には問題がある。

 ◆薬学会と薬剤師
私は薬学会に入って三十年にもなるが、その間判りもしない薬学雑誌を毎月送付されて、ただ積上げて来た。人は馬鹿な奴だと笑うだろう。だがこれには私のはかない夢が託されていたのだ。薬剤師は単なる商人であってはならないという気持がそうさせたのである。どうせ読めない雑誌ではあったが、その在り方については不満があった。

 薬学雑誌なるものは、あくまでも基礎的な研究、それも純正有機化学的な研究が主流で、薬剤学だとか衛生化学だとかの応用部門は別わくであって、開局者は勿論病院勤務者にとっても無縁の存在であったと思う。この分では薬学会と薬剤師は永久に連がりが出来ないと思っていたら、先頃の改革の結果、薬学会雑誌ともいうべきファルマシアの発刊によって一歩私たちに近づいて来た。大変結構なことである。 ところが昨年末の薬事日報によると、薬学大会の在り方について、薬学会が、薬剤師会部門とは別個にやりたいと申し入れているそうである。商人薬剤師はどうも学者の性に合わないようである。

 ◆薬局試験設備
私が開局した当時は終戦直後の特殊な事情もあって、色々の面白い仕事が持ち込まれたものである。私は物好きにも(今となってはつくづくそう思わざるを得ない)当時としては高級な化学天秤や顕微鏡、ペーパークロマト等を揃えていたが、今では自家用の試薬づくりか、酒造会社や生コン会社から時折依頼される定規液を作る以外には殆んど利用する機会もない。宝の持ちぐされとは正にこのことであろう。

 最近日薬の鈴木氏が、薬局における試験についての所見をまとめられたのを見たが同感である。局方試験にも新しい機器分析の手法が色々取入れられ、少くとも光電比色計やペーパークロマトの設備がなければ薬局製剤の試験は出来ない筈である。安売りに追いつめられたわれわれ零細薬局が、定められた試験器具だけを持っていて一体何が出来るだろうか、中学校の理科の実験にも事欠くような器具を各自が揃えていても、殆んど用をなさないであろう。

 私は以前から卸業者には整備された試験室があってもいい筈だと思っていたが、鈴木氏の意見のように、薬剤師会に必要な試験設備を置くこともよいであろう。だが多くの薬局零細であるが故に(失礼)薬剤師会もまた貧乏であることは残念である。

 ◆薬剤師の職能
調剤こそ薬剤師本来の仕事であるという。だが調剤だけにその拠を求めることには疑問がある。医薬分業の確立に努力されている時に、こんなことをいうのはどうかと思うが、現在のように錠剤の与薬が大部分になると、調剤業務における薬剤師の比重には疑問が起ってくる。

 最近DI活動の面で、薬剤師の職能の新しい分野を確立しようとする気運が盛んになって来たが、これは調剤業務の変化に対処するために、薬剤師の新しい活動分野を開拓しようとするもので、心細いわれわれにも一つの希望を持たせるものである。今後は開局薬剤師も開業医に対して、DIセンターとしての機能を発揮するために、商人薬剤師から脱皮する努力が必要となるであろう。

 以上思いつくままを書き並べて見たが、薬剤師の制度が生れて以来幾十年の間冷やめしを喰わせられながら、今なお自己の職能の確立が出来ず、堅固な法の壁とディスカウントストアのビルに囲まれた谷間でうごめいているのが現在のわれわれの姿ではないだろうか。(開局、学校薬剤師)

 国語の乱脉 藤田穆

 言葉は内に漲る精神の現れである。どこかの総理大臣のように、表面だけ如何にも辻褄の合った善尽し美尽しの言葉が吐かれ、聞く人が一寸得心したようになることがある。併しそれは聞く人の観察不足の致す所であって、仔細にその人のしぐさを注意して居るものにとってはこんな誤りはないのであるが悲しい哉言葉には半面暗示的なものがあって、虚心冷静な人でもその暗示にかかって真相の判断が狂う。感受性の強い人程精神の籠らぬ言葉―悪く言えば虚言のために誤られ易い。世間によくある詐欺漢の言葉でも聞く人の感受性または慾心が手伝って、莫大な利益を見せびらかされて訳なく何億円と騙り取られることになる。

 曲は半分は聞く人側にもあるのだが、正しく美しい精神が必ず正しく美しい言葉で現されるかと言うと必ずしもそうばかりではない。ここが即ち言葉なるものが真実な精神伝達の手段だけでなく、一面他人に対する暗示を含むからで、そこに問題が起るのだ。尤もここでは聞く人を欺く人間をどうしようと言うことはその道の人々に委ねて、専らわが国の言葉について考えたい。

 元来わが国は昔から「言霊の幸おう国」とて言葉の選み方の自由度が他国よりも高い国であった。その代り固苦しい文法の掟が幾分緩やかだったらしい。それに加えて千年来漢語漢音を輸入し、現今では洋語を無制限に取り入れて国語代りに使うようになって、言葉の表し方はとても他国の思いも及ばぬ自由さと同時に複雑さを持つに至って居る。われわれが西洋に行って感づくことは言い表わし方が何となく定まって居て自由さ複雑さが少いことである。他国人が日本語を学ぶのに特別にむつかしがるのはそのためらしい。

 併し言葉はただ事柄を伝達するだけのものでなく、真実の精神を伝達すると言うよりも寧ろその人の精神の具現ででもあるから、一つの外来語が精神の中に喰い入って精神の一部分となった暁でなければ、その言葉はまだわれわれの心を具現する真実の言葉とはなり得ない。今日わが国語に編入されて居る多くの漢語漢音の中には、まだ単に言葉の表し方の一面を有するだけで、われわれを感動させる真の国語になり切って居ないものが甚だ多い。「水野はケンキョされたげな」では頭にピンと来ないおかみさんでも、「水野はふんじばられたげなばい」と言えばうんと頷づく。ラジオやテレビで漢語だらけで話されると頭が痛くなる。

 千年以来の輸入語でさえそうだから、況んや近来西洋から輸入される言葉またはそれをもじって作り出される新語が精神のない口先きばかりの玩弄語であるのは無理のない話でそんな言葉を綴って真実の打明け話など出来ることではない。仏教の御経は何十度聞いても未だにぴんと来ない。ただ沈み切ったその場の環境から何か感ずるだけ有難いやら勿体ないやらとんと判らぬ。

 然しここに言う国語の乱脉とは右のような意味ではなく、真実なわが国民の精神を宿す「大和言葉」についてである。今日、語法の自由と言うよりも語法の出鱈目に陥って居ることに就いてである。わが大和民族の精神の盛らるる大和言葉が諸強国と違って輸入語に濁らされたり、乱脉に陥ったりすることは、その根元の国民精神のよろめきを示すものらしいから、今更言葉だけを云々しても納まらぬようでもあるが、併し言葉が一面大なる暗示、啓示の力を有することを考えると、爪や髪毛のように延び放題にして置く訳には行かぬ。文化の発達には知識や精神の伝達上、整頓した系統正しい言葉と文字を要求する。

 それも目で見ても耳で聞いても国民に一律に会得されねばならぬ。それのない似而非言葉の横行は後々文化発展の大障碍となるのは明で、例えば系統の違う輸入語ベンゾール、ベンゼン、ベンジンが亀の甲の六角か石油の一種か判別が付かなくなり、または五十サイクルと六十サイクルの電源の無統製採用が今になって日本の工業発展の大障碍となって居る例でも判るように、国民の血となり肉となった暁に胃癌や肺癌のような羽目に陥る。切開手術をしようにも命が危いのだ。日本の文化発展が危いのだ。

 日本の歴史を貫いて日本精神の宿る大和言葉は一言にして言えば、昔新聞、雑誌、書物などのむつかしい漢字漢語には字の右側に小さな送り仮名が付けてあった。あの送り仮名更に詳しく言えば漢音のままでなく訓読みの送り仮名こそ大和言葉に直した漢字漢語だったのだ。この送り仮名を辿って読めば聞いて居る万人が腹のどん底から頷く。博多にわかはそれだから腹をかかえて笑えるのだ。

 維新前後の漢学者が最もひどい大和言葉破壊者だったが、その頃の薬や化学の本を繙くと、
 含密……………仏語のシミー(化学)のこと
 那篤理宇膜………独乙のナトリウムのこと
 麻具涅週迂旡………独乙のマグネシウムのこと
 こんな文字や漢音で薬学を拡げ得るだろうか。今、中共の悩みは何千年来の漢字漢音を如何にして文盲退治するかにあるそうだ。

 そこになるとわが国の仮名は国民の腹に居付きの悪い漢字や洋語の害を先見的に避ける洵に驚嘆すべきもので、従ってあのローマ字国字論のように仮名文字を国字に統一すれば一頓にその目的を達しそうだが、ここに悲しい大障害がある。それは前述のように耳や腹で判る大和言葉が千年来の漢字漢音ののさばりのためひどい未発達状態のままで止まって居て文化的に発展した大国の言葉として全く貧弱なのだ。恰も未開国の言葉そっくりだ。

 九州以外の日本では九州でまだ残って居る大和言葉「たぎる」「湯がたぎる」を忘れて「沸騰する」と言う物凄い漢字漢音でないと湯のたぎる現象が言い表わせなくなって居る。西洋の文化国家で民衆が日頃使う言葉と日本の言葉とをも少し対比して見るとまだはっきりする。(表参照)

 以上はとんとの氷山の一角だが、西洋で一ち一ちの場合や減少を民衆がはっきり使い分けて居るのを聞くと感心する。日本で鉛や?が液化するのを九州だけはまだ「とろける」と言うが雪はもう日本中ただ「とける」ですます。西洋の子供でも婆さんでも雪(固体)が水になる(液化)するのはいつでも「メルト」、「シメルツェン」と言う。角砂糖が湯にとけるのと?や雪が液体になるのとは成程違う現象だ。高度の文化国ではそれの区別が要求されるのだ。

 これらの僅かな例でも判るように日本国民の心を宿す本来の言葉が貧弱か乃至は外来語の圧迫で滅亡に進みつつあることがよく判る。言葉の滅亡は古来亡国に繋がる。漢字制限や、ローマ字国字論さては横文字汎濫等の議論以前にこの蔭された大問題を識者果して何と考えて御座るだろうか。

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 新春雑感 田中美代

 全日空の事故につづく性能をほこった国産Y・S機のついらく、一万人を突破する自動車による事故死、そしてこれにつづいて観光船のてんぷく、陸に海にそしてまた空に散って行った数多くの人の命のはかなさ、ようやくにして五〇〇万円と評価されるようになった日本人の生命ではあっても生命を粗末にする人間のあろう筈はない。

 けんけんがくがくの議論が幾度かなされても、これといった施策もなさらぬ政府の無策、日本の社会組織は、どこかが狂ったまま、今年もまた暮れようとしている。お互いに細心の注意を払ったとしても、あちらさまからぶっつけて来る世の中であってみれば、己れの生命を保証する術のない日本人であることを覚悟しなければなるまい。

 世の中は三日見ぬまの桜かな。昔の人はよほど頭がよかったとみえて、まことに良いことを仰言ったものせめて新春には、初陽をおろかみながら身の安全を、お祈りすることこそかしこいというべきではなかろうか。(一二、一〇)

 骨身に徹する政治家への不信にかてて、一九六六年は物価高と税金に追われて稼いでも稼いでも貧乏神の方が先に追い越して行った年でもあった。汗とあぶらの国民の貯金を貸しつけながら、未だに一文の回収もなさらぬとか借りるものも、貸すものも庶民の常識では考えられないことが行なわれている。しかもその一部が政治献金という名のもとに、一部の政治家の懐にころがりこんでいる。暴く者も、暴かれる者も、黒い霧の中につつまれたまま解散ということになると、次の公約にはどんな名文句がとび出すことか。腹にすえかねる一九六六年の送葬曲、百六つの鐘の音に送られた一九六六年のフィナーレが、諸情無情の響きにのって消されたとすれば、ありがたい極わみではあるが。

 新春を寿ぐこともさることながら、女子薬剤師を志す人達にとっての大きな問題は、何んといっても象牙の塔から閉め出されようとしている現実の相である。熊本大学につづいて、九州大学の先生方の御発言よると、多額の国費を次ぎこんで教育をしてやった女性達が、卒業後僅かの間に家庭に引きこもってしまうことは国家のために大きな損失でもあり、また国費の無駄使いである。恩を売る教育であってはならないことは当然ではあっても、考えさせられるものがある。女性だけを責めようとなさる、ことのよしあしはともかく、このような現実の姿の中で、女子薬剤師たるものは、たして今日までの甘にえた感覚であってよいものかどうか。日進月歩の科学の前に、薬局は女子であってもよろしいといわれる皮相な、そして甘い考え方一面ではまた商権を守るために(保健薬)や(部外品)的な商品にも依存しなければならない、薬局のあり方とともに、もっともっと根本的な改革がなされてもよいのではなかろうかと考えるものである。

 昭和四十一年の本誌七月号に一部掲載して頂いたとおり、東、西、中部の各女子薬連合会が合同して「日本女子薬剤師会連合会」として発足したことは、長い間の懸案であっただけに喜びにたえないのである。しかしながら合同には皆んなもやぶさかでなかった私達であったが、会則の内容については、どうしても納得のゆきかねる点があって、今日なおスッキリとした気持ちで受け入れかねているのが現状である。

 日薬の先生方から何をいつまでもたもたしているのかとお叱かりをうけるかもしれないが、「会員の資格」と「代議員制」の二つについては、これがスッキリしないかぎり会則として認めるわけにはゆかないのである。会則の内容に対する不満と、審議のあり方とについても納得致しかねるものがあって、昭和四十二年の京都大会まで会則案として受けとめて行きたいのが西部連の一致した考え方と諒解している私達である。

 京都での大会を日薬の総会として受け入れるか、あるいは「全国協議会」として運営をするか、同僚の宮崎女史が日女薬の監事役として東西の橋渡し役をつとめているので、何とか打開の途があるものと期待してはいるものの、このことに関するかぎり(女とはうるさい者よ)と思ぼしめすことのないよう、お汲みとりのほどをお願いしたいのである。

 昨年血銀の申し合わせによって売血者の採血量が二〇〇CCに自粛されたことは、売血者達の健康の点はもとより、社会福祉の見地からもよろこばしいことには違いないが、保存血液の確保がむづかしくなって、大手術に要する血液不足の現象が起こって来たことの矛盾を痛感しなければならなくなったことはかなしいことと言わねばならない。学生の善意の献血にのみ頼っていた無策は改められたとはいえ、一回の手術に五〇〇CCから六〇〇CCの血液が必要になって来ると、どうしても集団的な献血をお願いしなければならない。

 献血の言うは易く行なうことの難かしいことは今さら申し上ぐるまでもないことながら、ひとりの献血量に制限がある以上、どうしても多くの人々の善意にすがるより外ないのである。そしてわれわれはこのようなことから「地域ぐるみ」「職域ぐるみ」の組織づくりに努めてはいるもののなかなかに協力を得ることのむづかしさを、しみじみと感じさせられているのであります。読者の皆さまどうぞ善意の献血奉仕に地域をあげて、組織をあげてご協力とご援助を賜わりますようお願い申し上げます。今年もよいお年をお迎えのみな様に、久遠の幸がありますようにお祈りして、新年のごあいさつを申し上げます。「福岡県薬務課技師」(四一、一二、一〇)

 羊のとしに 森山富江

 "元日は冥土の旅の一里塚"とうたった古人もあるが、芽出度いかめでたくないかは別として、年が改まるということはついマンネリ化しがちな私達の生活に覚醒剤的な役目を果たしてくれる。朝をむかえ夜を送る二十四時間に変わりはなくとも、一夜あければ元日の陽は輝かしく、風は希望と期待の匂いがする。

 今年は羊の歳!羊と言えば先日テレビの「おはなはん」で一高生が英語のコンサイスをくりながら、一頁暗記するごとに羊のように一枚一枚クチャクチャかんで、のみこんでしまう場面があったが、学生時代のガムシャラな勉強への情熱をふりかえり、ふと共感と懐かしさを感じたのは私一人ではあるまい。

 最近薬剤師の地位向上とか権利の確立とかいろいろな問題をかかえ薬業界はまさに乱世の様相を呈しているが、地位の確立をはかるためにはまず薬剤師自身が薬剤師としての価値を身につけていなければなるまい。よく薬理も知らずただテクニックだけで商売したり、定価より何割も安いという魅力だけでお客を集める無責任な販売はいつか薬業界への不信となってかえって来るのではないだろうか。値段をひくのもサービスの一つだろう。

 しかし私達は幸いにして専門的な知識を身につけるチャンスを得て薬剤師になったのだから、自分の持っている知識を一〇〇パーセントお客様のために活用すべきではないだろうか。そこに本当のサービスと動かない信頼が生まれると思う。実質を伴った薬剤師となるためにも今年は勉強しよう。"六十の手習い"と言う。学ぶことに遅いと言うことはないと思う。羊のように辞書をのみこんだ一高生ではないが私もおくればせながら知識を喰べてエネルギーにかえてゆきたい。"一年の計は元旦にあり"不勉強な一女子薬剤師のひそかな決意である。(福岡県女子薬剤師会会長代理)

 日薬の分薬対策本部正副本 部長会議と全体理事会報告 
 福岡県薬全体理事会

 福岡県薬剤師会では第一三三回理事会を旧臘二十二日午後一時半より県薬会館において役員二十一名中十九名出席のもとに開会し、次の事項につき報告、協議した。

 (1)中央情勢報告(2)保険業務について(3)環境衛生検査結果と支部に対する補助について(4)臨床薬理学講座について(5)薬学講習会に関する調査について(6)副腎皮質ホルモンの取扱いについて(7)医薬品販売業者調査(厚生省)薬剤師届、麻薬免許証返納届の提出について(8)公衆衛生協会について(9)日薬制定47方の製造承認について(10)第一三四回理事会、第一二九回支部連絡協議会、薬業年賀会開催について(11)グループ保険について(12)薬剤師国保の現況と家族の七割給付について(13)その他

 (1)の中央情勢については四島会長より、旧臘十九日開会された日薬の分業対策正副本部長会議並に全体理事会について詳細な報告があった。

 今日まで本部調査会、全国のブロック懇談会などの結果、分業実施対策についての青写真が一応出来たので(いづれ日薬雑誌に分業対策特集として一括掲載される)これによって今後進められることになるが、分業理論は医・薬協業、医・薬相互の職能尊重であり、調剤は例外なく凡ての面で、薬剤師の手を持ってやるべきであるということであり、特に新しく打出しているのは、処方箋は医薬分離が行なわれている所よりでなく、薬剤師不在の病院からの獲得が本筋であり、分業完全実施までの過程では、調剤拒否を防止するため、また調剤手数料是正のためにも、協調を前提として病院薬局でも一般の処方箋を受け付けてもいいではないかということである。

 この青写真を基本に実行に移すことがむつかしいわけであるが、いづれ日薬でも実行委員を決め、具体的に推進することになると思う。地方ではこの基本に従い、地方において出来ることのみをやるわけであるが、県薬としても実行委員を決め、また各地区においても同様委員を決めて、個々毎に実行に移ることになる。

 次に開局関係では、再販問題につき『医薬品の特殊性を無視して経済面からのみ片付けられる』ことについては、日薬としても看過出来ぬとして、北島公取委員長に文書を以て要望した筈である。日薬が今回再販問題にタッチしたことは、日薬の一つの脱皮と見らねばならぬ。

 次に次年度の日薬会費は、形式上は値上げしないことになり、日本薬政会は新年早々解体し新たに政治団体として正式に結成し、会費を徴集して、日薬とは違った薬政会独自の事業をやることになる。

 (4)の臨床薬理学講座については、安部担当理事より第一回、第二回共に出席の三分の二が開局者であり、三分の一が勤務者であった。また会費は当分の間五百円で、出席者数が増加すれば、それ以下に出来る。第三回は三月中旬に開講するが、今年は予じめ年度計画を建てることにすると報告された。これに関連して堀岡副会長より、日薬主催の第二回病院診療所薬剤師部会研修会は来る二月十六、十七の両日、福岡市、農協会館ホールにおいて開会されるが、近く詳細な内容が発表されることになっているとの報告があった。午後六時半協議終了、直に散会した。

 ただいま十一人 田口胤三

 先年当紙に「七人の侍」のことを書いたことがある。九大薬学部の教授のことである。ところがその後講座がふえて目下十一人の教授になった。明年度はそれがさらに十三人にふえて一応薬学部の完成をみるが、唯今のところ十一人である。テレビにも同名のドラマがある。

 わが家には子供がなく「ただいまゼロ人」というより「いつまでたってもゼロ人」であるが、テレビは主人の教育上もよくないというので愚妻の独専するところとなっている。しかしこのドラマは愚妻のお好み番組であるので傍でチラチラ盗見することが出来るが、それによると同じ十一人といっても美人を加えているのでうちの十一人とはちょっぴり違う。要するにこちらの方はテレビには全く縁のない人間の組合せである。

 しかしそうともいえない。先日西海枝教授の学会賞受賞の祝賀をかねて市内某料亭で十一人が旗挙げの気勢をあげた。宴会の仕組は西海枝さんを他の者がお招きして、費用の上で当然出てくる大足の方を西海枝さんに負担させるというエビ・タイ方式の運営である。この時は意気大いにあがりわれわれも高校時代の昔にもどり超現実的な世界に遊んだ。もしこのわれわれ君子が豹変(虎変?)した姿をテレビにでもしたら最高の視聴率をあげたと思うが、われわれの友情を高めつつある場を他人に邪魔されたくないからテレビ局に通報するのを止めた。

 それはともかくとしてわが薬学部は陣容を強化し、結束を固めて大いになすところあらんことを期している。と言えば余りに儀典的空念仏に聞えるが、われわれとしては日本の薬学が今迄に培ってきたよいところをますます延し、今迄の薬学に足りなかったものを他から大いに導入しようと務めて行くつもりである。そして他の薬学部に較べて異色ある存在にしたいと思っている。そういう考えの一端として園芸学の泰斗として知られている農学部の福島教授をわが生薬学教室の担当教授として併任をお願いした。

 これは高度に発達した日本の農作、園芸における学問、技術を薬用植物学に導入しようとする企てである。これによって眠に入らんとしていた生薬・薬用植物学は新しく開眼し、学問的に極めて興味深い分野となるばかりでなく、薬用植物栽培の上で実質的な貢献をもたらすであろう。また新しく設けられた薬品作用学の教授には医学部の薬理学から植木教授を迎えた。薬理学と薬品作用学の違いは一方が生理現象を追う傾向が強いのに反し、他方はこれに化学的な面を多分に導入しようとする学問であると私は理解している。従来の薬理学に薬学の得意とする化学をコンパインしたならば薬品の作用を追求して行く上に理想的な手段となるであろう。

 これら二人の先生がたは薬学に今迄缺けていたものを補い、それを生長させて下さるに違いない。わたくしは学問上の協力とそれによってもたらされる学問の進歩のためにかような人事が行われたことを誇に思っている。そこには流行病であるセクショナリズムの影は一片だにない。明年度増設される二講座の人事についても同じ立場で選考が行なわれるであろう。

 さて再びテレビドラマの「ただいま十一人」の話にもどる。その内容について愚妻より聞いたところによると、十一人のそれぞれ異った性格の家族が、時に意見の対立を見、感情の対立を見つつもうらやましい程円満な家庭を保って行くというお話しである。かように話の内容を聞いてみるとわが薬学部の家庭の事情もその点では全く同じであるように思はれる。ただ違うところは一方が物語であるのに一方は現実であるところだけである。

 ただいま十一人、来年度は十三人、それに新しい建物も本年二月には完成する。なんとも楽しいことである。

 (お詫び)
 この原稿は日本薬学会九州支部例会出席のため熊本行の列車中で書いた。あとで気がついたが、ただいま講座は十一であるが教授は兼任があるので正確には十人である。要するに一人二役をしている人がいるので十人になるのであって役柄から言うと十一人である。今更書きなおすのも面倒であるので、十一人をそういう意味に解してお許しいただきたい。(九州大学教授薬博)

九州薬事新報 昭和42年(1967) 1月20日号

 日本薬剤師連盟結成報告 会長に武田日薬会長
 幹事長に長野福岡県薬副会長
 福岡県薬支部連絡協議会 総選挙対策について協議

 福岡県薬剤師会では時局対策のため、一月十四日午前十一時より第一三五回理事会を、午後一時より第一三〇回支部連絡協議会を県薬会館に於て緊急開会した。

 当日の支部連絡協議会は二十四支部中十六支部出席のもとに開かれ、先ず四島会長は『十日、十一日開会の日本薬政会評議員会出席報告の外、中央の諮問題及び今回の総選挙などについて急遽本会を開会した』と述べ、それより(一)分業問題(二)再販制度問題(三)日本薬剤師政治連盟結成(四)時局対策(五)グループ保険などにつき協議検討した。

 (1)分業問題については、昨年より三ケ年計画で努力推進されているが、今回対策要綱が一応決まったので、今後その目標に向って前進することになる。対策要綱は分業理論、受入側対策、医療担当者対策、政府、支払者対策、メーカー対策、一般大衆対策など考え方とお互の在り方20項目などであるが、県薬、各地区共に今日迄の対策委員がその儘実行委員となって実際行動に移って頂くことになる。

 (2)再販制度問題については、昨年物懇の答申により、公取が再販内容の手直し作業をすすめ、二月の国会に単独立法として提出される予定であるが、現在察知されるところでは、その内容は峻烈をきわめ、再販制度そのものは残されても殆んど無価値に等しいものに変更され、医薬品の特殊性など全々無視されたものであり、単に小売業界だけでなく薬業界にとっては、重大事であり、不利な立場となるため、先の日薬理事会直後、武田日薬会長自ら北島公取委員長に面接し、医薬品の価格問題に関する要望書を手交した。公取を始め国会その他の薬業界に対する批判は洵に酷しいものがあるが、これは今日迄の薬業界の在り方にも疑問があり、この点吾々も大いに反省せねばならないと思う。メーカーも去る十二月二十七日、一月十二日と会合を重ねているが医薬品の特殊性を各階に認識させる工策は日薬がやるべきだとの考え方から、全国の小売側としても来る十六、十七の両日日薬において、再販護持の検討をなし各小売団体の協議会を作り、医薬品の権威を守るため又薬業安定を守るため、再販護持闘争が何等かの方法に於てなされることになろう。

 (3)日本薬剤師政治連盟の結成
日薬の裏面団体であった薬政会も高野選挙失敗後批判されて今日に至ったが、現在日薬で取組んでいる分業問題にしても、国会対策や一般大衆の啓蒙運動、社会活動などの政治行動を充実させるため、又会員の政治活動に対する認識を高めるためにも、今日迄の日本薬政会を発展的解消し、改めて『日本薬剤師政治連盟』が今回正式結成された。会員は本連盟に直結し、会費は年間千円と決定し、早速今回総選挙対策など活発に実行することになった。近く日薬会員には連盟より直接文書を以って加入の要請がある筈である。福岡県薬としては、これに即応し、政治連盟結成の真の意義を各会員がよく理解し、ふるって加入するよう文書を作成支部を通じて会員に配布することとなった。

 従来日本薬政会の下部組織であった各県の薬政会の存廃については、中央において検討中であるが、福岡県薬政会は当分の間、従来通り存続することに決定した尚日本薬剤師連盟の会長は武田日薬会長に決定し、役員は会長指名により左記の通りに決った。

 ▽会長=武田孝三郎
 ▽副会長=井本保郎(三重)小林三四郎(東京)柾木辰次郎(大阪)田島章太郎(和歌山)
 ▽幹事長=長野義夫(福岡)
 ▽副幹事長=三輪英嗣(東京)
 ▽総務=相馬(北海道)小針(福島)小鳥居(山梨)大村(東京)塩谷(福井)青木(岐阜)村雲(京都)久本(大阪)安達(岡山)竹内(高知)四島(福岡)喜田(東京)八木(大阪)岩崎(神奈川)木原(東京)
 ▽監事=太田(東京)中北(大阪)川真田(徳島)
 福岡県薬よりは幹事長に長野県薬副会長及び四島県薬会長は総務に決定したが、中央において今後活躍されることになる、この際会員の自覚が特に望まれている。

 (4)時局対策
今回の総選挙について県薬としてのこれに対する態度決定のため各支部の実情を聴取し、中央より申入れのあった滝井義高(田川)候補を含め、一区はで進藤一馬、中島茂喜、河野正、二区は野見山清造、多賀谷真稔、三原朝雄、緒方孝男、三区はで石井光次郎、楢橋渡、荒木萬寿夫、山崎巌四区は滝井義高、蔵内修治の十三名を各地区毎に応援し、薬剤師自らの政治活動に繋がるよう努力することになった。

 (5)グループ保険については、其の後加入者は足ぶみ状態を続け、若い会員の加入率が低いため一月七日小委員会(鶴原、工藤、竹内、斉田、馬場の五氏)を開き、種々検討したが、その結果を今一度会員へのアンケートを実施し、若い会員の獲得を図ることになった。次に二月十六、十七日福岡市農協会館において開催される、日薬病院診療所部会主催の第二回講習会については斯界最高の演者を揃え、又当地では三年に一回位の開会機会であるので、勤務者は勿論、開局者、メーカーなどの参加も歓迎している旨の報告があって、当日の協議会を全部終了した。

 =豆知識(十七) 馬場正守

 ▼薬局に於ける薬品鑑定(一) 最近、薬局鑑定に際して吸光係数を測定したり、赤外線分析を応用する様な高度なそして高価な方法があるが、ここでは普通の開局者むきの簡易検査法を記してみたい。なぜならこの様な方法が実際的に有意義と思うからである。

 ○スルファミン剤の鑑定

 最も簡単なアルカリ硫酸銅法を紹介しよう。検体凡そ二〇ミリグラムを試験管にとり、水五ミリリットルを加えて懸濁させこれに少量の水酸化ナトリウム液を滴下させ次に硫酸銅試薬第二‐三滴を加えると沈澱を生ずる。この沈澱の色の具合や放置している間の色調の変化を観察する。

 スルファチアゾール 紫色
 スルファピリジン 帯黄緑色→暗灰色
 スルファミン 青色
 スルファメラジン 青緑色→暗灰色
 スルファダイアジン 黄緑色→汚緑色→汚紫色
 スルファグアニジン 不溶不変
 ドミアン 黄緑色→緑色
 サルファイソキサゾール 黒褐色
 プラトナール 白緑色→淡青色
 スプロナール 黄緑色

 ピリジンとメラジンは同様な色調で鑑別出来ないがこれは結晶を試験官にとり直火で加熱して発生する煙に、酢酸鉛で湿したろ紙を触れさせて黒変すればメラジン。

 スルファジメトキシン 草緑色
 スルファモノメトキシン 緑色
 スルフイソメゾール 水色

 健保使用医薬品の全品目 厚生省近く薬価調査を

 健康保険で使用が認められている医薬品は約六千品目あるが、その個々の医薬品の価格は生産量の増減その他の理由で極めて変動し易く、薬価基準の価格(被保険者の支払う価格)と、実際に病院など医療機関が購入する価格との間には相等の開きがあるといわれている。それがため厚生省では毎年一回薬価調査を実施して薬価基準を改定することに定められているが、日本医師会などからその調査方法が科学的でないとの反対文句が出て、去る三十八年七月の調査を最後に今日迄薬価の実態調査が行われていない実情にある。

 厚生省としては四十一年度末には千二百億円に達するといわれる政府管掌健保などの赤字問題があり、調査をこの儘放っておくわけに行かぬので、今回は調査対象を変更して、これ迄の診療機関(医師関係)からの調査を止め、薬局などの販売機関について又、更に主要な医薬品だけの抽出調査方法を改めて、保険使用に認められている医薬品全品目について実施することに決めた。結局医師会などの反対が及ばないものを対象として価格調査を実施し、品目も網羅的なものとして、新薬価の根拠を固め様との考慮がなされているのである。

 厚生省の計画は全国約三万の医薬品販売機関の中より病院診療所などに販売している約二千を選んで、二月中に販売した医薬品の価格を調査票に記入させ、三月末迄に調査票を回収し、六月中に計数整理を終え、一定の算定方式に基づいて、七月末にはこれを実施したいとしているのである。厚生省が現在着々とその計画を進めている処である。

 日薬の(新設)分業実行委 委員長に太田氏

 日薬の分業実施対策本部は旧臘十五日東京、健保会館で分業実施対策について協議したが、その際、中央では分業促進実行委員会を設置して具体策を進めることになり、委員には武田日薬会長、宮道本部長の外、次の諸氏が委嘱された。

 久保田文苗、平塚善太郎島村一郎、秋島ミヨ、鈴木誠太郎、岩城謙太郎、持田光太郎、石井明、岩崎利夫、山崎久利、三輪英嗣、井出市蔵、桜井喜一、太田哲郎 その後第一回会合が一月六日東京銀座交詢社ビル会議室で開会され、@実行委員会は対策本部中に置くA太田哲郎氏(都薬会長)を委員長とするB随時委員会を開き、具体策を決めて本部が実行に移すことなどを決定したが、直に対内策と医療団体対策とを採り上げることになった。

 広告自粛に就て 長崎市薬業会 重要緊急連絡

 長崎市薬業会、同安定協議会では会員に対して旧臘、歳末売出しなどを控えて左記長崎県衛生部長名による長崎市薬業界宛の「医薬品の広告自粛についての通達と共に、医薬品の乱用を助長する様な価格表示の(1)広告(2)店内下げびら、を直ちに自粛する様緊急要請し、更に又催眠剤及毒物劇物などの授受には必ず正規の手続きをなす様注意した。同会では引続き42年も広告については一貫して自粛の方針を採って行く決意をなしている模様である。

 左記
 四一薬第三八一五号
 昭和四十一年十二月十二日
 長崎県衛生部長名
 長崎市薬業会長宛

 医薬品の広告 自粛について
 医薬品等による保健衛生の危害を防止するため、医薬品等の広告についてはその適正を期するため従来、薬事法及び医薬品等適正広告基準によって指導取締りを行ってきたところでありますが、爾来、貴会及び会員各位のご協力により自粛の線が遵守されて参りました。しかるに近時、医薬品の品位を損ない、一般消費者の使用を誤らせ、もしくは乱用を助長させるような価格を表示した広告、又は「店頭さげびら」が掲示されるような傾向があるので、今後は、このような広告は従来どおり厳に自粛するよう貴会員に周知方をお願いします。

 役員、評議員選挙 日本薬学会

 日本薬学会では左記要領により42年度役員、評議員及び43年度理事(正副会頭)の選挙を行う。

 ▽定款第一七条、第二二条細則第六条及び役員等選挙規程に基いて昭和42年度理事、監事、評議員及び43年度理事(会頭、副会頭)選挙を行う。
 ▽選挙は正会員、名誉会員及び定款第八条二項に該当する有功会員による無記名投票で行う。
 ▽投票はファルマシァ十二月号添付の投票用紙によって行う。
 ▽投票用紙記載の役員、評議員それぞれの候補者(役員等選挙規程により選考委員会の選出した候補者)及びその他の会員中から役員、評議員を投票選挙する。
 ▽役員、評議員の定員は理事(正副会頭を除く)三十六名、監事三名、評議員百名、43年度の理事(会頭一名、副会頭三名)
 ▽投票用紙は郵送で役員等選挙管理委員会(日本薬学会事務局内)へ提出する(投票締切は42年1月31日である)

 分子薬理学 研修会 1月27日午後3時

 昭和39年3月に初めて開講された『薬理学研修会』は福岡の地にすくすくとそだち、本年も第一回目が左記により開講される。

 ▼分子薬理学研修会日程
 ▽日時 1月27日(金)午後3時〜5時
 ▽会場 福岡市呉服町一番六号、三共○株福岡支店
 ▽講師 九大医学部生理学教室大木幸介氏
 ▽内容 抗生物質(ペニシリン、ストマイ、クロマイ、カナマイ等)の分子薬理学的解明、抗生物質の作用機序、細菌、ウイルス、癌への作用機転

 支部別保険調剤調査票 昭和41年11月分 福岡県薬剤師会

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 挾子

 ▼日医はこの程選挙に当り三百三十二人の第一次推薦候補者を決めた。内訳は自民党の『医療問題議員懇談会』のメンバーを中心に自民党が二百七十六人、社会党三十人、民社党十一人、無所属五人である。医師会の推薦候補になると選挙に絶対強いといわれている。従来の当選成績は80〜85%であり、政治家が医師会に頭が上がらぬわけである。医療行政が医師会の圧力に引廻される所以でもある。医師会は解散を見込んで、既に昨年十一月から医師と患者の結付きを強めるため『被保険者連盟』の組織作りを始めていたが、加入者は既に三百二十万人と医師会は発表している。強力なバックアップ体制ができたわけである。又医師会の選挙資金は今回臨時会費として一人千五百〜二千円を徴収しているといわれ、ざっと一億六、七千万円が集まるものらしい。これに引きかえて日薬はどうか……

 ▼物価値上げ佐藤内閣の大蔵省らしくこの程色々な登録税の改訂案を作成し、厚生省にも医療関係分を内示したそうだが、それによると医師、歯科医が現行の三千円から二万円に、七倍弱薬剤師、獣医師が千五百円からこれ亦七倍弱の一万円に、看護婦五百円を三千円に、六倍と、一挙に値上の計画、いやはや流石は値上げ内閣である。処が薬剤師会では三師会のてまへ医、歯の半額では……と割り切れない気持はありませんか……と、窃かに私語いている薬剤師もあるらしい。兎も角「免許取りたての国家試験合格者にとって負担が大き過ぎる」と云う理由で日本三師会では三師連名で値上げ反対の要望書を大蔵当局に提出したそうだ。相手が値上げ内閣だからどんな事になるか……

  国保家族七割給付 市町村決定

 福岡県下市町村中、新たに国民健康保険家族七割給付を本年一月一日より実施の市町村は(四十一年九月県薬会報予告)左記の通り決定した。

 飯塚市、甘木市、八女市筑後市、那珂川町、春日町、大野町、須恵町、篠栗町、新宮町、福間町、宗像町、津屋崎町、玄海町、宮田町、北野町、善導寺町、夜須町、宝珠山町、田主丸町、浮羽町、広川町、上陽町、矢部村、山川村

九州薬事新報 昭和42年(1967) 1月30日号

 福岡県薬事審議会 答申 問題の調剤専門薬局不許可
 薬局一、一般販売業三許可

 福岡県薬事審議会は今年度(41年度)第二回目を一月二十日二時より、福岡市三和ビル地下会議室において開催し、@薬局等の許可についてA薬局等の許可の報告についてB調剤専門薬局の許可について(継続議案)その他について審議した当日継続議案として提出されたBの調剤専門薬局の許可については、前回(四十一年七月二十七日)の同審議会において審議されたが前回の審議では薬局中特に『調剤専門薬局』と法で認められたものが在るわけではなく、適配条例中特例として認められる「制限距離内であっても調剤確保のため特に知事が認めたもの」に該当するかどうか、実情を調査の上特に必要と認められる場合はその調査資料を審議会に提出し、改めて審議することになっていたもので、全国でも初のケースとして注目されていたもので、その申請は次の通り。

 ▽薬局の名称=中央薬局 ▽所在地=福岡市大手門一丁目八番十号 ▽申請者住所氏名=久保田紀美子(26才)、福岡市桜ケ峯八 ▽管理薬剤師=申請者自身開設場所は福岡市城内、国立中央病院より電車通りへ出た処であり、適配条例の制限距離(一五〇米)内で、既設薬局との距離は約三〇米である。

 当日の審議会では、その後県当局が調査した@国立中央病院周辺一q以内の薬局配置状況A同薬局の調剤状況B支部別保険調剤調査表C主要病院の薬局の状況D国立中央病院処方せん取扱状況E国立中央病院の院外処方例F国立中央病院処方せんの配合薬剤G浜ノ町病院処方せん取扱状況並吉田耳鼻咽喉科病院処方せん取扱状況などの調査資料が提出され、慎重審議の結果「現段階では特に必要であるとは認められない」と答申されることに決定した。知事より近く不許可の線が出されるものと思考される。

 次に当日審議され許可答申が決められた薬局一、一般販売業三、は左記の通りである。(昨年八月以降)

 ▼薬局
 ▽有本薬局(北九州市小倉北区三郎丸三丁目)申請者‐有本冨美子、管理薬剤師‐申請者自身(女25才)
 ▼一般販売業
 ▽○株丸和薬品小倉駅北口店(北九州市小倉北区浅野町二丁目)申請者‐同市若松区本町三丁目、○株丸和薬品管理薬剤師‐同市戸畑区千坊町八丁目、山長みどり(女32才)
 ▽サン薬品(福岡市三宅天神前町)申請者‐同市比恵新町二丁目、高瀬正孝、管理薬剤師‐同市大名二丁目、加藤多美子(女58才)
 ▽○株博商福間スーパー薬品部(宗像郡福間町字松ケ木)申請者‐福岡市大字浜男字新浜町、○株博商、管理薬剤師‐福岡市大字松崎、宮本常人(男60才)

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 ことばの作り直し 荒巻善之助

 一月一日の本誌で、藤田穆先生が、国語の乱脉という一文を寄せておられる。先生は漢学の素養のある方で、幼少の頃、漢書の素読を受けられていたとか承ったことがある。さらにまたヨーロッパに留学しておられた関係上、日本語のあり方について一つの識見をもたれるのも当然であろう。

 先生のご指摘の通り「とける」ということば一つをとってみても非常にあいまいで、これは日本語の語彙が科学的な述記に対して不正確なことを示しているが文法的にもまた不正確なことはわれわれが日常経験している通りである。一方、主観的、感覚的な表現に関する語彙は非常に多い。オコル、フンガイスル、ハラガタツ、シャクニサワル、等これらのニュアンスの差を外国語に訳せるのかどうか、私にはちょっと判らないが、もしできるにしてもなかなか骨が折れることだろう。

 然し話しことばとしてもっと困ることは同音のことばが非常に多いことで、広辞林を引くと同じ音のことばが至る所に勢揃いしている。こういうことは外国の辞書にはないことである。シカイシカイシカイなどといっても歯科医師会司会と書かないと何のことか判らない。次の会話は実際にあったことだそうだ。

 A あなたは東京でどんな事業を、……
 B 能楽という雑誌を発行していますが、……
 A へえ、農学、けっこうですな。手前のセガレどもにも読ませたいもんで随分部数も多いことでしょう。農は日本の宝ですから……
 B 恐れ入ります、しかし私はその道の専門家ではないのですけれど、まあ能楽師の方と協力してこの道を大いに発展させたいと思いまして、……
 A なるほど、あなたは農などなさったようなお方とは見えない。しかし農学士と力を合せてとはけっこうなことです。
 B それに囃し方などというものは、このままにしておいたら段々亡びてしまいますから、その養成にも力を入れたいと思います。
 A へえ、なるほど、林や田などは段々なくなって参りますな。それで雑誌が出ますのは地方の方が多いでしょう。
 B どうしても専門の楽師が知能に少いので、自然雑誌をよむ人が多いわけです。
 A ごもっとも……近ごろの田舎の若いものも、大分学問が出来るようになりましたからな。

 さて藤田先生のご意見を読ませていただいたのを機会に、多少馬鹿げていると思われるかもしれないが、日頃考えていることを述べさせていただくことにする。夢のような話だから正月向きの話になろう。

 最近の交通機関の発達はまさに目ざましいもので、地球上の距離は著しく短縮され、今後もますます短縮されていくだろうが、それと共にまず最初に要請されることは、地球人であるための共通語の問題であろう。エスペラント語はそういう卓抜した先人の見識による偉大な文化的所産であるが、それを学習するまでもなく、アメリカではすでに翻訳機械とでもいうべきものが工夫されていて、例えばアイ、ラブ、ユー、とタイプした紙をこの中に入れると、イッヒ、リーベ、ディッヒ、というぐあいに出て来るということである。この話がもう十年ぐらい前のことだから、その後集積回路などを用いた程度の高いものが開発されていても別に不思議ではないわけで、そうなると、特殊な慣用句などを規制したスタンダードの語法を決めておけば、同じヨーロッパのことば同志を訳することはさして困難なことではあるまい。

 さらに、もしタイプする代りにこれを適当な発声装置に置き換えることができたら、またさらにそれをずっと小型化することに成功すれば、ちょうどわれわれが今、トランジスターラジオを聞くように、相手の話す外国語をそのままじかに自国語で聞くことができるようになるだろう。夢のような話だが、いずれこれが夢でなくなるときがきっとくる、と私は信じているのである。

 そうなると、ここでわれわれ日本人としていちばん問題になることは日本語の孤立性ということである。 ヨーロッパでは数ヵ国語を話す人はザラにあるということで、国勢調査の用紙にはあなたは何語と何語が諜れますかというような欄があるという。これはヨーロッパのことばが外国語といっても、その祖語を同じくするものが多いからでわれわれが大阪弁と東北弁を使いわけるようなものだろう。

 この点日本語は世界で孤立した言語だといわれる。このように孤立したことばは他にはバスク語、コーカシア語、アイヌ語などがあるくらいで、いずれも文明とはほど遠い少数民族のことばである。

 われわれが英語を八年間学んでも満足に新聞一つ読めない理由はまさにこの孤立性に負う所が大きい。そしてそれが、外人が日本語を学ぶときに最初にぶつかる困難だと思うが、然し本当の日本語のむづかしさは語法がかけ離れているということではなしに、日本人自身、身にしみて感じているむづかしさ、即ち日本語の無統一性にあるのだと思う。

 近頃の若い者は敬語もロクに使えないとか、大学まで出ているのにアテ字だらけだ、などという年輩者が多いが、それでは彼等はちゃんとしたかなづかいが出来るかというと、とてもとてもであろう。文筆をもって立つ人達でも正確なかなづかいをする人は少いといわれる。いやむしろそういう正確なかなづかいなど始めからありはしないのである。ヨーロッパの義務教育で自国語を学ぶのに要する年数は二年から五年間ぐらいと聞いているが、われわれは十年かかってもご存じの通りである。

 金田一春彦氏の日本語という本の中では、次のようなことが述べられている。 日本語の文体の別で重要なのは、文語体と口語体の別ではない。………略……日本語における文体の別で非常に珍らしく、しかも本人が毎日その両方の使い分けに頭を労している文体の別は、普通体と丁寧体の別である。……略……在日イギリス人の某氏はこういう話をしている。

 ・お前たちは完全な日本語を覚えるためには三つのことばを覚えなければならない。
 ○三つとは
 ・アル、アリマス、ゴザイマス

 日本人はこの区別に馴れて何とも思はないが、外人はこの区別を非常に難しがる。「初心者のための会話日本語」では、文例をあげるたびに(A)、(B)、(C)、という註記をつけている。これは普通体、丁寧体、特別丁寧体の別を示している。

 日本語のむづかしさはこれだけに止まらない。やたらと長いセンテンスがあって、最後に述語がくる。ドイツ語などもセンテンスの長いことばとして知られているが、これは関係代名詞で区切られるから、文自体としてはアイマイさがない。

 日本語のむづかしさはまだまだ限りなくあるが、今はそれを数え立てるのが目的ではない。問題はこういうことばをどうやって自動翻訳機にかけるかということである。その場合、彼我の難易の差は、とても欧文タイプと邦文タイプぐらいのものではあるまい。

 古くは森有礼が国語廃止論を唱えて物議をかもしたことがある。近くは敗戦直後志賀直哉がフランス語を国語にせよと論じた。こういう議論がまき起るのは日本語のむづかしさに、ほとほと手を焼いて、さじを投げたからであろう。然し一民族のことばが、しかも世界の一流の文化をもつ民族のことばが、そうやすやすと変えられるはずもない。日本語は今なおわれわれのもつ文化の重みに充分に耐えうることばであるし、今後もまたそうであろう。とすればわれわれはこれを整理し、改造していくよりほかに方法がない。

 藤田先生の「やまとことば論」はそういう意味で卓見であると思う。金田一春彦氏はこういうこともいっておられる。「日本語で無限軌道というところをドイツ語ではPaupenketteという。文字通り訳せばイモムシグサリだ。イモムシグサリでは日本の無限軌道の製作者には気に入るまい。そこまでくだけなくてもいいが、そういう親しみ深い名前をつける精神は見習いたい」。だから「検温器よりはネツハカリがいいし、双眼鏡よりはトオメガネの方がいい」と。

 漢語は新しい単語がいくらでも作れて、それで一応意味が通じるから書きことばとしてはまことに便利である。然し話しことばとしては前に引用した会話のようなとんでもないことになる。その点やまとことばは話しことばとしては間違いが少いが反面語彙に乏しい「溶ける」、も「融ける」も「トケル」だし「鹹い」も「辛い」、も「カライ」である。従って科学的記述には向かない。これを「トケル」、「トロケル」、「シオカライ」、「カライ」というふうに区別して使えば、やまとことばでも正確な表現ができる。まずそういうふうに話しことばに適した単語を定め、次に文の構成を系統的に規制し、それをなるだけ短いセンテンスで話すようにすれば翻訳し易い日本語になるのじゃないかと思う。

 日本語の近代化を眺めるとき、明治になって標準語が作られた。これは近代国家として成長するための基本的な条件となっている。戦後、公文書が文語から口語となった。これも大きな前進である。今後日本文化の孤立性、鎖国性を打破していくためには、何回となくこういう脱皮をくり返していかねばなるまい。そして世界文化の交流の中で、われわれ日本人の文化的遺産が正しく評価されなければならない。

 私のような素人がこういう議論をするのは自分でも少しおかしいと思う。いらんおせっかいをせずに、もちっと商売にでも精を出せといはれればだまって引下るしかない。然し毎日毎晩テレビやラジオから飛出す無節操で下劣な新語の波、それは或意味では一種の民族的バイタリティーかも知れないし、また浮んでは消える泡のようなものなのかも知れない。然し私達のような素人が、国民の一人一人が、正しく話す運動を起さない限り、誰が一体こういうことをやってくれるのだろうか。(筆者は開局薬剤師)