通 史 昭和41年(1966) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和41年(1966) 3月10日号

 日薬代議員会を終えて 日薬代議員会 議長 長野義夫

 去る二月二十一日、二十二日の両日、東京の都市センターに於て第二十一回の日本薬剤師会定時代議員会が開催せられました。私はその議長として代議員会を司会し運営したのでありますが、全国の薬剤師の方々に之の放送を通じてその詳細をお伝えしたいと思うのであります。その前に、今日の日本の薬剤師の日薬への考え方、或いは期待等をも含めて説明しておきたいと思うのであります。

 御承知の様に終戦後日本薬剤師協会が設立せられ、それが一、二回の脱皮を経て今日の日本薬剤師会になっているのでありまして、その間約二十年を経過しております。八十年の悲願であつた医薬分業法の成立にその最初の十年間は全国の会員の総力を結集して全精力を傾けたのであります。然し乍ら法律は制定せられましたが、御承知の如き状態で理想の姿には未だ揺かにほど遠いのであります。

 最近の十年間は、自由主義経済下に於ける製薬企業のめざましい発展に依る反動と、資本主義経済の罪悪面のみが中小零細企業と言はれる薬局経営に皺よせされて、日本薬剤師会々員の大半を占める薬局経営者の組織意慾の低下と、適切なる指標を示さなかった日薬への離反心となって表はれて来初めたのであります。

 診療に従事する医師が会員の九割以上にも及ぶ日本医師会とは異り薬剤師の職域は実に広範多岐にわたっているのであります。この厳然たる事実の上に立っての会の組織、構造、施策、方針等と言うものが、同一の職能に立っているとは言え異なる職域例へば薬局経営、病診勤務、衛生行政公務員、製薬メーカー勤務者等への共通の利益と公的、私的、社会的地位の向上と待遇の改善への努力に意慾的ではなかったのではないか。これ等の諸点への疑問とこれから依って生ずるところの日薬への不信感が少しづつ拡大しつつあるのではないか。との心配が今日迄の心ある会員の大きな関心事であつたのであります。

 今度の代議員会は昨年九月末、前高野会長並びに前執行部総辞任によって生れた武田新会長の元での初めての代議員会であります。武田会長は昨年九月末就任と同時に容易ならざる事態を認識して、新らしい日薬の道標を決定すべく、定款改正、職能推進、薬業振興、薬事制度の四委員会を設置して重要項目を詰問し調査、研究を依頼せられた事は適切な方策だったと思われます。

 さて今度の代議員会に於ては九十六名中急病の為に欠席せられたる一名を除き全員出席せられて二十一日午前十時二十分に開会せられました。前会長の年度中途に辞任せられた残任期間を勤められた事は一種の限定相続をせられたようなものでありますが、この六ケ月間によく前任者の立案せられた事業計画の遂行と併せて困難なる本会の立て直しに積極的に努力を払われた事は、その説明の中から充分に読み取る事が出来たのであります。

 一般代議員の諸子もその点を一応了解しながらも建設的意見を交えながら各項目にわたって或いは広く或いは深く質問をせられたのであります。議長は出席代議員の気持と又全国二万有余の会員の意向を充分参酌して、出来得る限り多数の代議員に質問せしむべく約四十数名に及ぶ質問者を許可出来た事は現日薬に対する代議員の熱心と協力とが表われている事と思うのであります。

 質すべきは質し、充分納得の上で四十一年度八千九百余万円の予算と、事業計画とを承認し協力しようと言う空気がみなぎっていた事は特に報告しておきたいと思います。質問の内容は多岐に渉って居りますが、主として、将来の日薬の未来像、医薬分業完全実施への強力な方策学会並に勤務薬剤師の地位の向上と待遇改善、学校薬剤師の活動の問題等、意慾的な意見を交えての質問応答でありました。

 尚本代議員会に於て特筆すべき事は、日本病院薬剤師会々長の不破氏が特に来場せられて、病薬の人達の考え方を述べると共に日薬と混然一体となって薬剤師の将来の問題に就て協力推進する事を誓われた事であります。

 又本年は若い代議員の方々の発言が特に活発であって若い世代の人達が今何を考え何を望んでいるかと言う事が、はっきりわかったのでありまして、それ等の人々から、自分達の力を添えて何んとかして日薬を魅力ある、そして全薬剤師を網羅したる強力なる団体にしようと言う力強い発言があった事は在来の代議員会に見られない心温まる情景であったと思うのであります。

 最後に最も重要なる役員改選に於ては、現武田会長桜井、武井、井手の現三副会長を再選すると共に折角芽生えたる会の大同団結と事業計画の推進に全代議員が協力を誓った事は又見落してはならない重大決定であります。

 尚席上、医薬分業の完全実施と勤務薬剤師の地位の向上、国会内に於ける薬剤師の政治力の強化等に関する緊急動議が提出せられ、又満場一致決議せられた事も見逃す事の出来ぬ事であります。代議員会の終了は二十二日午後六時でありましたが全国より参集せられた各代議員は心を新にし、胸を燃やして夫々の出身府県へ帰郷せられました。私は議長として、新らしい日本薬剤師会の誕生を心から祝福すると共に、これからの大飛躍を衷心から期待するものであります。(おわり)
 「日本短波放送を通じて長野義夫氏が二月二十六日薬学の時間に放送した内容」

九州薬事新報 昭和41年(1966) 3月20日号

 ◇制度化に対する一私見 ◇薬局委員会 神谷武信

 二月十一日開会した福岡県薬剤師会の薬局委員会に於て薬品メーカーの制度化に如何に対処するかについて協議したが、制度の是非は別として、既にトツプメーカーとも云われる武田会迄が発足した現況に於ては、絶対メーカーに振廻されない自主的な経営こそ第一であるとの一応の結論に到達した。依って、そのための必要な資料の提出が希望されたので、アンプル事件後又特殊指定騒動当時より予想された今日の小売薬業の在方に備えるため集めていた、左記資料を提出することにした。

 相談薬局乃至濃厚経営薬局の売上内容は概ね左記「売上分析」の通りと思考されるが、売上の上昇につれ、マージンのある調剤、チエーンの売上げがにぶり、反対に制度品は伸びて来る。即ち中型以上の薬局にありては、制度品の活用により幾らか恩典を受けるが、然し日商二万円以下の薬局では、処によっては調剤、チエーンを犠牲にしなければついて行けないので、却てマージンの低下を来すことが考えられる。

 又ノルマがなくとも或程度売り込まなければ身につかないし、メーカー等への発言権もないので、己の置かれた立場をよく認識し、制度品の選択はあく迄自主的に行う必要がある。
 その限度は概ね次の通りと考えられる。
 日商一五、〇〇〇 一社
 ・ 二七、〇〇〇 二社
 ・ 三八、〇〇〇 三社
 ・ 四八、〇〇〇 四社

 会員中大多数を占める日商二万以下の薬局には誠に苛酷な制度と云わざるを得ない、県薬又支部としても早急にこれへの対策を考慮せねばならない。(2月14日)

画像
 士は己を知る者の為に死す 福岡市学校薬剤師会 理事 内田数彦

 福岡市学校薬剤師の手当に就いて波多野助役にも陳情した。波多野助役のいわれるには、「学薬は何をしているのか、教室の照度は一ぺん測れば変るものではなし、学校建築法で建てた学校である。環境衛生上とやかくいうことはない。水は上水道であり、保健所で検査すればよい。学薬の仕事は無いではないか、検査を為したらそのデーターが欲しい」と学薬の事は何も御存じない。否知っていても知らない顔、学薬は全く無視されている。

 阿部源蔵市長は先年、市の学薬に感謝状を出し、大いに学薬をはげまし、その労をねぎらった。市長が我々学薬を理解したものと思い、手当の少いことも余り意に介しなかった、然し、之は市長選挙の票集めの一芝居に過ぎなかった。市長に当選しても学薬の手当は変らない。年間三千六百五十円也である。阿部源蔵市長の下に波多野助役、立派なものである。「頼まれれば越後からでも米つきに」という事がある。

 「将来の市民の中堅を作る児童生徒の環境衛生に関する学薬は大事な仕事であるが、我が福岡市はご存じのように、教育とか文化に関する予算は全く無いも同様ですが、近い内に何とか予算を沢山とり度いので、今漸く辛棒して、しっかりやって下さい。お願いします」とでもいうなら、前の感謝状の時のように感激し、張りきるが、仕事もしていないのに手当は出せないといはれる。月に一回でも学校に調査に行けば、車代、試薬代等手出しして、損をするのである。

 波多野助役の言に従い我々もドライに考え、損をしてまで、学薬として働くことはない。我々には薬剤師のほんとの仕事がある。薬局がある。やらないと云うものを無理にいただこうというものではない。陳情は撤回したい。

 昔、士は自分をほんとに理解してくれた者の為には命もなげだして働くと云う。我々学校薬剤師にもこの意気がある。然し、波多野福岡市助役の考え方で、もうその情熱はさめた。

 昔支那で、高崎山の様に猿を飼っていた人があった段々と猿の数がふえて来た之に反し餌の木の実が段々少くなって来た。そこで或る朝、猿を集め、相談をしました。「皆が知つている様に皆の数は増して来たが冬も深まり餌の木の実も少くなった、それでこれから木の実を朝は三ケ、暮れ方には四ツやる事にしよう」と。猿は今三つしかもらえないので怒り歯をむいてキャッキャ、キャッキャといいました。

 そこで其の人は「今のは私の間違いでした、朝は四つやることにしよう」と云って四ケ宛渡し「後は暮れに三つですよ」と云ったら、猿は四ケの木の実をもらい喜んで四方に散ったと云う事がある。猿を飼っていた人は矢張り、猿よりも智恵があった。

 福岡市学校薬剤師会が、年間三千九百五十円の手当では余り安すぎるので、市会議員を伴い陳情したら、波多野助役は、前に述べたように、全く学校薬剤師を無視している。再度県会議員、市会議員を伴い陳情したら今度は手当の問題にはふれず、検査器具の購入、代金七十五万円を出すことにしようと云う事で話がまとまった。

 僅かばかりの手当をもらったばかりに自分の店を休み手当以上のて手銭使ってまで働くことはないことが解った。ボス猿は朝四暮三の故事を知っているかも知れないが若い猿は知らないので損してまで働く事はないと云って話に乗らないかも知れない……。

九州薬事新報 昭和41年(1966) 3月30日号

 岩田屋の良識によって 福岡薬業界の問題解決

 福岡地区医薬品小売薬業界では昨年来一応安定モードであったが、突如一月末、大阪資本である千日薬品が福岡市岩田屋デパートと契約、その薬品部を引受けて営業することになるとの情報によって色めき立ったが、岩田屋では現在の薬品部では余り販売成績が上らないのにあきたらず、今後積極的に拡充拡売するための計画のもとに、千日薬品との提携となった模様であつたが、契約相手が小売薬業界にとつて従来より不信感の強い千日薬品である処から、地区業界では絶対反対の態度をとって、対抗意識に燃え、これを阻止するため2月13日には「医薬品販売の姿勢を正す福岡地区薬業界者総決起大会」を開いて大いに気勢をあげ、引続き17日には薬業懇談会を開催し、卸、メーカー側に対しても応援を強く要望するなど、あらゆる手段対策を尽した結果、岩田屋百貨店もその実情を察し、業界の要望を受け入れることになり業界は元の平穏に帰したので、この程地区薬商組支部長須原氏並に県薬商組白木理事長の名によって次の様な挨拶状を関係各方面に発送した。

 岩田屋薬品部の件について

 1月中旬以来、福岡市の中心地に存在する岩田屋薬品部の委託販売者の契約更改に際し、医薬品の特殊性と医薬品が社会に与える影響を重大視し、デパート薬品部のあり方としてその販売姿勢を正し、併せて地場企業育成という見地より、県商組等薬業団体総力の御援助の下、私共の生活権とその医療担当者としての権利のため、当事者である岩田屋に当りましたことは衆知のとおりであります。その間非常に難しい「紆余曲折」はありましたが、去る3月1日従来通りの営業施策で行くという暖かい岩田屋よりの通報を受けました。

 薬業界の実情を素直に受入れられた岩田屋の恩情に感謝致すと共に、ここに改めて初志貰徹の終結を皆様に御報告致します。この期間の運動に温い御援助を賜りました関係者一同様に万腔の謝意を表すると共に地区会員の皆様による総決起大会等強い意志の賜と厚く感謝申し上げます。

 小売薬業者の全国団体の結成なるか、三月末設立

 全国小売薬業団体の連絡機関設立の企てが日薬、全国薬種商協会などの協力のもとに、兼ねてから全国商組連を中心に進められていたが、愈々具体的に去る3月8日大阪府薬会館で全国小売薬業団体統一準備会が開催された。この日の準備会には全商連近畿常務会員の外名古屋の沖、井上の両氏全薬連の小木曽事務局長、日薬の井手副会長らが出席した。

 協議の結果は発起人会及び結成総会を3月28日名古屋市で開催することを決定し構成員数、即ち招集の範囲を次のように決めた。

 全商連、全薬種協、日薬の三団体から各五名宛、商組未設置都県の代表五名、計二〇名を発起会に招き、結成大会には前記会三団体の各府県代表者各一名及び商組未設置都県の代表者一命宛を召集することとなったので約二00名となる模様である。なお結成大会では会則審議、役員選出などの後、各団体からの提出議案について協議し第一回協議会とすることに決定した。

 全国薬務課長会議 3月25日厚生省で

 全国都道府県薬務主管課長会議が厚生省講堂に於て本月二十五日開催されるが、当日の議題は主なるものは次の様なものである。

 @製薬企業の現状について
 A薬価調査について
 B医薬品業界の販売態度についての諸問題
 Cシアン含有液の廃棄基準について
 D医薬品の安全対策に就て
 E医薬等の広告の適正化に関する指導の強化について
 F催眠剤、鎮痛剤等の乱用防止対策について
 G薬事盟視の留意点に就て
 H血液事業について
 I温泉行政について
 J衛生綿の基準について

 福岡県薬理事会 代議員会開会準備

 福岡県薬剤師会では3月28日開催の代議員会を控え、3月8日理事会を開き主としてその準備のため付議事項などの検討を行った。

 先づ四島会長は其の後の中央情勢について、先の日本薬政会評議員会で高野前日薬会長を薬政会長に推し、副会長は、日薬会長と話合の上指名する事になっていたが、其の後高野薬政会長は副会長十六名を指名し、自らは辞任すると聞いているが、その理由はまだ瞭きり聞いていない。

 九州ブロツクとして剤界のために高野氏の今日迄の経験を生かして貰いたいと考え、これを主張して来たが、瓜生田九州薬剤師会長からこれについてはまだ何も聞いていない。副会長は九州ブロツクより長野義夫氏が指名されているが、長野氏は受諾しないと云っておられる。本県としても薬政会の存続についてはこの際ハッキリする必要があると思うが、来る23日の支部連絡協議会で皆さんの意見に従つて決定したいと考えている。又日薬理事は本月中頃決定される事になるだろう。と述べ、次に代議員会並に総会、薬政会懇談会などの行事につき、付議事項の検討、業務分担、表彰支部等について検討した。

 日本薬剤師会新理事決定

 日本薬剤師会では武田会長のもとに於て新理事の選衡を進めていたが、この程左記の通り会長指名の分十四名及びブロツク選出、会長指名の分九名決定した、なお大阪地区の分は近く決定の予定である。

 ▼理事(会長指名)
 石井明(東京・再)▽木原芳男(東京・再)▽三輪英嗣(東京・再)▽山崎久利(東京・再)▽粟村ハツ(大阪・再)▽宮田栄子(東京・再)▽福沢寿(千葉・再)▽岩崎利夫(神奈川・再)▽沢村良二(東京・新)▽持田光太郎(東京・再)▽浮田忠之進(東京・再)▽松本秀義(東京・再)▽山田益城(東京・再)▽井本保郎(三重・新)

 ▼理事(ブロツク選出、会長指名)
 藤本威徳(兵庫・再)▽鈴木利平(宮城・再)▽兼子亀蔵(長野・新)大村良造(鳥取・再)▽四島久(福岡・再)▽矢野順三(北海道・再)▽田部井誠一(埼玉・再)▽沖勘六(愛知・再)▽稗忠雄(香川・再)▽大阪未定

 福岡県薬 調剤技術委 41年度事業計画

 福岡県薬剤師会調剤技術委員会(委員長堀岡正義氏)は3月5日1時より北九州市八幡区八幡製鉄病院に於て調剤技術委員会を開催した。先づ日薬代議員会及び日病薬会長会並に全体理事会の報告があり、次いで左記41年度事業計画などについて協議した。

 @ 日薬職種部会の講習会を福岡県で開催(六月頃)するよう努力し、又その内容についても検討した。
 A7月には県病薬総会を開催する。
 B10月佐賀市に於て開催される九州山口薬学大会については充分協力する。
 C11月には県病薬講習会を開催する。
 D来年2月には特別講演会などの開催を予定し推進する。

 次にDrニユースは好評であるので現在の年四回発行を速報性を増すため六回発行とする、その他富山に於ける22回日本薬学大会出席についてなどについて話合った。

 福岡県薬理事・支部長会議 薬政会総務会並に評議員会

 福岡県薬剤師会では3月23日午前、理事会を、午後1時半より同支部連絡協議会を、3時より薬政会総務会並に評議員会を県薬会館において開催した。理事会及び同支部連絡協議会は工藤専務司会して開会したが、その主な協議事項は次の通りである。

 (1)中央情勢及び日薬役員決定について報告
 四島会長より先に決定した日薬役員の氏名紹介があり4月5日富山市において新役員による日薬初理事会が開催される予定であると報告された。

 (2)県薬代議員会並に総会開催について
 工藤専務より日程、業務分担等について報告、承認後付議事項について最終的検討を行い、一部修正の上原案通り承認。

 (3)社会保険業務について
 中村理事より説明、@保険用内用投薬袋五万枚作成中で、近く一保険局あたり五十枚宛、無償見本として配布、あと希望者には或る数まとまれば一枚七十銭で作成をあっせんする。A国鉄の家族に関する一部負担を五割として請求するものが多いが、国鉄よりの注意があったので以後留意されたい。B市町村国保において、家族七割給付を行っている処があるので、これ亦注意されたい。C昨年11月の薬価改正にあたり、削除された品目中綜合高単位ビタミンC剤、綜合胃腸薬、総合造血剤等約三百品目が医師の要望により近く復活公示される予定である。

 4)組織拡充整備に関する委員会について
 長野委員長より審議の経過及びその答申について説明当日答申を行い承認を受けた。

 (5)県薬代議員の選挙について
 現在の代議員は三月を以て任期満了となるので、各支部では積極的で熱意ある代議員を4月30日までに新たに選出して本部え報告するよう要望があった。次に薬政会関係では四島会長より、中央情勢、昭和40年度の事業報告の後、41年度の薬政会のあり方について次のように説明。

 薬政界会は巾広い活動を続け、薬剤師会の事業達成を容易ならしめるため存続させ、就ては物価高騰にもかかわらず薬剤師会では会費を値上げしないため、薬政会への寄付金30万円を10万に縮少したため、又薬政会々員たる意識を昂揚するために年額五百円の会費を徴し、その内40%を支部運用費として還付する。ことを一同承認し、引続き41年度歳入歳出予算を可決決定した。引続き同所において長野義夫氏受賞祝賀会として小宴を開き、当日の会議を終了した。

 分業実施対策 本部新設決定 日薬常務理事会

 日本薬剤師会では常務理事会を十六日に開き、分業受入れ体制、地方移動理事会及び経済問題に対する態度などについて協議したが次の様な結果となった。

 @分業受入体制に関する件
 分業実施対策本部の新設については兼ねてから考えられていたことであるが、当日は万場一致で新設を決定した、具体策としては本部長には人格、手腕、学識とも最上級の人を委嘱し、その下部に部員としては日薬常任理事と、それと同数の員外部員及び各都道府県会長を当て、特に調査会を作って調査局員をも常置し積極的に指導推進することを決定した。

 A地方移動理事会開催に関する件
 富山市に開催の第22回日本薬学大会を機会に四月五日第一回の日薬理事会。地方薬ブロツク協議会合同会議を開会することを決めた。

 B薬業経済問題に関する件
 日薬としては今後経済問題に対しどの程度の接触を持つべきかについて協議した結果、差当り中央安定協議会及び全国小売薬業団体統一準備会へオブサーバーとして二、三名の担当理事を出席させることを決定した。

 福岡市薬剤師会理事・県薬代議員合同会議 県代議員会に備え

 福岡市薬剤師会では3月24日11時より理事会を、1時より理事・県薬代議員合同会議を県薬会館に於いて開催した、理事会は主として前日開かれた県薬剤師会支部連絡協議会報告と、これに伴い41年度予算編成について協議、特に会費について検討したが、結論は次回に持越されることになった。午後の代議員合同議会では今年の件薬代議員などの改選期でもあるので、これに対し福岡支部としての大体の意見をまとめるため協議検討した。

 福岡県安定協議会三月例会 中央安定協への要望事項協議

 福岡県安定協議会3月例会は3月25日1時から県薬会館において、メーカー六社、卸は川口屋、鶴原薬品小倉薬品、水田薬品、若狭屋、の六社、小売側、白木四島、福田、岡野、吉柳、陣内、藤野の諸氏出席のもとに開会された。

 先づ白木氏より中央安定協報告があったが、小売側より、地方安定協に対する中央安定協の在り方について、即ち一応議事録は送って来るが、それも相当時間的なずれがあり、それも至極簡単なものである。九州各県が足並を揃えるため、中央安定協開催後、その都度九州でも安定協を開催し中央の意向を知る必要があるので、検討の結果今後定期的に開催することを決定した。尚次回五月開催の中央安定協議会に次のようなことも採り上げて貰うよう小売側より要望があつた。

 @最近制度化の過当競争も表われはじめている折、一社の再販のくずれから再販全部がくずれる破目にならぬよう、又再販は価格維持が目的であるので、当然中央安定協でも採りあげるべきである。

 A医家向過当競争のため(主として活性ビタミン剤)医師が調剤でなく単に薬を売る(横流し)ことは薬事法違反と思うので、中央安定協の名で厚生省にその見解を糺して貰いたい。違反であれば、買った薬局、薬店も亦共犯と云うことになる。このような事を表面に出すことによりメーカー、医家の姿を正すきっかけになれば幸である。

 次に各地区状況報告に移り、
 福岡=西新の上野薬局のチラシ、大橋のきくや薬局景品付チラシについて報告。
 北九州=先に小倉で指導価格を割ったチラシのため2月2日、16日の二回に亘り懇談会が持たれたが、三回目が明日小倉で開催される事になっていると報告。
 筑豊=飯塚橋薬局の裁判の経過について報告。
 筑後=筒井薬局と地元組合についての報告。

 次に最近A価維持品の価格維持について、指導価格品程には考えられていない向もあるので各地区とも再確認するよう要望があり、次回開催日は4月23日と決定して閉会となった。

画像
 さけ礼賛(その1) 荒巻善之助

 何の因果か酒が好きで、三つの時から飲んでいる。三つの時からと云うと文学的表現めくが実際に三つの時からである。今頃養命酒のサンプルなど、見ようにも見るすべもないが、当時は売出し中だったのか店の隅つこによく転がつていたものだ。私は生れ乍らの薬屋の小枠で、店も遊び場のうちだったから、ちよいと失敬して盗み酒をしていたらしい。大方最初は誰かがいたずらに飲ませるか、飲んでみせるかしたのに相違ない。

 そのうちあまり早くサンプルがなくなるので大人達も不審に思いだした。それが三つ児の仕事と判つてからは手のとどかぬ所にしまい込まれたのはむろんのことである。七才のとき氏神さまのお祭りで町内の世話役のおじさんが子供達にぜんざいをごちそうしたことがあつた。ぜんざいなどという下司な食物は物の味を解さぬ不粋の輩の食物と思っているが、子供なりに、ぜんざいはいらん、うどんから食うというと、大いに感心して、この子は今に大酒?みになるよ、と親達に忠告した。

 この忠告はいみじくも適中して、爾来三十年両親は半ばあきらめ乍らも息子の酒について訓戒を垂れることを怠らない。酒に強いということは素質の問題だから、別に当人の手柄でもなければ罪でもないし、酒を飲むということはもともと口腹の慾を満すことに端を発しているのだから、それ自体上等の行いであるとは思えない。然し食品の中でも酒類は特に嗜好性の強いもので味あう人によってさまざまの判定を下す。

 日本酒のきき酒は味、香り、色と三つに分けてなされるが、外国の酒でもFlavorというような風味というか、味と香りの両方のようなものが判定の一つの基準になっている。味覚嗅覚というような比較的低級な感覚であっても、感覚が低級であるから、そういう低級な感覚の芸術は存在しないという理屈はないわけで、酒のもつ鑑賞的性格を考えるとき、酒もまた絵画や彫刻と同じく、人類のもつ一つの芸術的ジヤンルであると思わざるを得ない。

 まこと酒は天の美禄と云われるが、古い文明は必ずうるわしい酒を持つ。それは絵や彫刻がすぐれた文明によってのみ生みだされるのと同じく、酒もまたすぐれた文明のみがそれを鑑賞するに足る洗練された感覚を作りだすからである。だから一国の酒の在り方はその民族の文化的水準を示すといつても過言ではあるまい。これは個人でも同じことで、その人の酒の飲み方はそのままその人の教養を示しているのだ、と云ってもよいのではないかと思う。

 こういうふうに考えてくると、酒に強いということは何も自分の手柄でもなければ名誉でもないが、人と生れてこういう楽しみや喜びをお味い得る素地を分け与えられたことについて、自分を産んでくれた親々に対して感謝せずにはいられないのである。

画像
 さけ礼賛(その2) 荒巻善之助

 貯蔵を貴ぶ古い酒というのはまことに高貴なもので、宝石を盃の上にとろかしたようなものだ。よい酒は強くて、甘さもないのにまろやかで、ほのぼのとした口あたり、まるで魔法の液体とでも云いたくなる。こういう酒のもつ深みということになると、やはり古酒でなくてはでない。食後ゆったりくつろいで、火にあたりながら手のひらの中でブランデーを暖めるような落着いた酒の飲み方は、やはりそういう酒を生んだ風土の中でその地方の人達の、生活の仕方や物の考え方が自然に反映しているのだと思う。

 日本酒は若さを貴ぶ酒だから、こういう古酒のもつ深い味わいに乏しいのは止むを得ない。然し日本酒のもつデリケートな味のハーモニイ、むしろ女性的なとまで感じられるきめのこまかい又淡麗な味わいは、世界のどの酒にも求めることはできないのではなかろうか。酒はもともと民族独特のものであるし、その国の料理と切り離しては考えることのできないものである。血のしたたるような肉や、こってりと油を使ったような料理では酒も又それに負けないだけの「こくのある」ものが必要であろう。

 然し日本料理、特に懐石料理などは味の淡白さ、微妙さということでは世界に類を見ない独特のものと思うが、そういう料理をうけるのにいかに世界の銘酒であるといつてもヨーロツパの古酒を以ってするわけにはいかない。

 ところで近頃いつも不思議に思うのは宴席などでビールを飲む人が多いことである。ビールというのは野外か大きなホールのようなところで、ワイワイ、ガヤガヤやり乍ら飲むのがよいので、さかなもせいぜいハムかソーセージのようなものだろう。日本食でも天ぷらぐらいならビールと合うが、どう考えてもさしみをつつき、吸物をすすり乍らでは、料理もビールも両方がまずくなってしまうだろう。

 ところが飲む方も、飲ませる方もこれを当然の事として誰も怪しまない。どうせ二次会ではビールになるから始めからチヤンポンしないように、という迷信ががかった配慮なのか、それとも酒を愛する人がだんだん少くなってきたのか、いずれにしろ淋しいことだ。

 ただ近頃の酒はどれも甘くてべたべたして始めはうまいが飲んでいるうちに砂糖水をなめているような気分になるときがある。もう少しさらつとした淡白なさけがあってもよさそうなものだが売れないのか作らないのかどうも判らない。もしビールが飲まれる理由がそういう所にあるとしたら酒造家としても一考の必要があろう。

 中洲に鹿児島の焼酎をのませる店があって、適当に水割りしたものに燗をつけ「くろぢょこ」についで出す。私は「さけ」が甘くなって飲めないときはこの店の焼酎をのむことにしている。ここで焼酎の味を覚えたので、家でもやってみようと思って酒屋に買いに行くと焼酎などはないと云う。デパートで泡盛の壺入りを買って少しずつ楽しんだ。

 その後人吉の醸造元から球磨焼酎を送ってもらって、これにおかんをして飲んでいる。然しこれはやはりさしみなどの淡白な味には不向なようで、こってりした料理、例えば「とんこつ」などでのむのが一番うまい。

 第一薬科大学 新卒業者氏名 (一四五名)

 第一薬科大学の本年度の卒業式は3月18日挙行されたが、新卒業生左記一四五名であり、内男子七一名、女子七四名であつた。

 赤堀亘▽天本祐世▽内山田瑞雄▽大木野吉隆▽大石耕司▽大浦敏一▽大西瑞男▽尾崎古志郎▽卜部晋一▽内門昭久▽川野茂昭▽川入利明▽北窓正浩▽木原隆英▽五嶋征夫▽酒井亮▽酒見寛郎▽佐々木隆雄▽渋谷雄三▽杉本欣司▽田中彰彦▽田山耕司▽近清裕一▽千代丸輝男▽土山憲一▽野坂秀久▽野村節広▽日高章雄▽平野雅有暉▽深町裕昭▽堀内紘一▽本田文男▽松尾紀明▽宮原勉▽村上克幸▽村松博道▽森田繁▽吉川正徳▽柳田豊作▽青柳節子▽秋吉妙子▽内田節子▽大隅保子▽大島要▽岡野紀子▽小川*生▽加藤正子▽川口隆子▽古賀洋子▽小坂理恵子▽重岡佐智子▽重永尚枝▽神道直美▽高橋恵美子▽高森美穂江▽財部田鶴子▽谷口笙子▽俵絢子▽中島萌▽長浜光代▽夏木令子▽野中順子▽則松佐栄子▽平田良子▽藤井南子▽藤木博子▽古川*子▽堀本代根子▽益本昭子▽松村夫嵯子▽三上敦子▽三宅久美子▽森節子▽柳田吉子▽柳瀬真智子▽横尾昂子▽安部光正▽*松紘一郎▽井出八郎▽伊藤利正▽占部孝文▽翁斌博▽押川斌徳▽落合昭博▽小渡宏二▽梶原吉範▽片田野栄司▽門脇一雄▽日下部忠行▽久保田之敏▽小井手忠士▽籠田隆司▽佐野充泰▽白石健二郎▽下田禎彦▽白壁善直▽鶴田強▽寺田和彦▽西島貫雄▽野村元治▽堀晴光▽松尾勝弘▽前田和生▽松岡一豊▽水垣光晴▽山口貴己男▽四方田貞雄▽渡辺敦彦▽安立桂子▽秋武初子▽岩田和子▽岡征子▽岡崎乃理代▽川尻のり子▽菊地順子▽金城嘉子▽草野朱美▽呉本君子▽古賀暉和子▽児玉和子▽小柳陽子▽古賀直子▽後藤徳子▽佐藤裕子▽白男川美佐子▽新入節子▽末田和子▽鈴木起美恵▽谷口美智子▽田中妙子▽塚本宏子▽直江紀代子▽中山淑子▽永瀬真▽橋本*子▽花田弘子▽樋口康乃▽堀江久美子▽松本千枝子▽松山初美▽箕田恵美▽本村篤子▽山下詔子▽山本博子▽脇谷律子