通 史 昭和40年(1965) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和40年(1965) 1月1日号

 昭和四十年新年号

 過去への批判未来への創造 高野一夫

 昭和四〇年となった。明治が四五年までであつたから、昭和の年代は明治以上になお長く続くであろう。誠にめでたいことである。あと三年すれば、明治維新百年にあたる。私は明治生れで、大正、昭和の今日まで幾多波瀾ある日本及び世界の歴史に触れてきたが、去年十月のオリンピツク東京大会に出て、限りなき感激を覚えた。大戦に打ちのめされた日本が、よくもここまで立ち上って、オリンピツク史上嘗つてない華麗にして壮大な規模の大会をもち得たことは素晴しい。世界歴史に現われる国と民族の興亡の歴史の中で、格段と輝く日本の興亡史を見る感じであった。そして、あの開会式の時、ロイヤルボツクスにお立ちになっていた陛下の喜びが最も大きかつたのではないかと、陛下のお席の前にいた私は、その感を強うした。

 薬業にとつても、特に終戦後変転極まりない二〇年間であつた。医薬分業で戦い続けた医師会と薬剤師会が、三師会の名において結束してから四年目を迎えたことになる。その三師会が固く手を取りあって、医薬分業完遂の誓いを立て、すでに全国的の約束処方の設定に研究を進めつつあることは、二〇年前はおろか、一〇年前、五年前にも予想だにせられなかつたことである。また医療費経済の問題については、同じ医療担当者としての立場に立ち、一致した意見に基いて、政治的対策を講じつつあることも、刮目すべきことである。

 一方において、三師会会員たる勤務者の問題について、たとえば国家公務員である場合、また県立病院や市立病院に勤務する地方公務員たる場合、或いは保健所勤務の場合等の待遇改善の問題も、今後挙げて三師会の力によって解決しなければならない。三師会は、開局者と開業医または病院との間に横わる諸問題の解決だけでなくして、実に勤務者の問題を解決すべき三師会として、今後一層の結束と強力なる活動が期待されなければならない。

 経済問題については、従来ともすれば製薬、卸、小売三者の考え方が喰い違って、安定策を講ずることができなかったが、近年になって、この三者の見解が一致を見ない限り薬業経済の安定は望まれず、従つて薬業経済は機会あるごとに弱体化の一途を辿るよりほかないということに、三者が深く反省し、相共に安定対策を作り上げていくことにスタートを切ったことは、誠に欣ばしい。現在の安定要綱の如きものは、完全なでものはあるまい。しかし、大体において良薬であるとするならば、これを実施してみることである。そして、欠陥があれば、それは三者話し合いの上で改善し是正していけばよろしい。いつかは完全なものができあがる。最初から毛嫌いをして、みんなが協力をしないならば、一体いつの日に完全な案ができあがるというのか。案というものは、何事につけても、最初から万全な案というものはできるものではない。最初から毛嫌いしたのでは、遂に永久に良薬は生まれない。しかし、何としても肝要なことは、関係者間の信頼と道義心でなければならない。信頼と道義心のないところに、安定した状態は生れでてこない。私は、最後までこれら三者が相互に信頼と道義心をもち合うことこそすべての問題の解決の要点であると信じている。

 三者のうち卸についてはとかく看却され勝ちの点があるが、医薬品の流通機構としては、卸の存在が必要であることを、関係者すべてが認めている。それならば、卸の適正な在り方について、更に考慮する必要がある。たとえば、厚生省が執拗に企画する一括購入の如きは、流通機構を破壊する措置であり、卸を混乱に陥れるばかりでなく、一括購入された医薬品の配給を受ける国立の病院、療養所等を、かえって困惑せしめる結果にもなる。だから、中央一括購入というようなことは、三者が協力して阻止しなければならない。かくして中央、地方の卸が安定することによって、医薬品の最も適正な流通経済が成り立って医師も欣び、薬局や薬種商も安心ができ、そして結局は患者や使用者側の利便が計られることになろう。

 一昨年、私の立法をもつて適正配置の薬事法改正を行つたが、地方に出てみると、この改正が如何に苦難の道を辿り、あらゆる非難を受けながら成立までの道を辿って来たかということを、意外に会員に知られていないことに、私は驚いてしまった。極言すれば、当り前の改正であつたかの如く思っている開局者や薬種商が大部分を占めていることを知って、団体活動の実態が末端に理解されないままに過ぎてゆくという、団体活動としては最も好ましからざる状態にあることを知って、こういう事では、とうてい団体全体の適切迅速なる活動ができる訳がないと痛感した。

 この適正配置については、私は九年間憲法違反論者を向うに廻して戦ってきた。二回の欧米視察も、適正配置を実施している国々の法典を研究し、実情を視察することが目的であった。私が現役議員の多忙の中で、学位論文をまとめたのも、適正配置が憲法違反ではないという結論に導くためのものであった。

 それらの経過を土台にして、立法を計り、参議院では高野強引法といわれ、衆議院の段階では高野喰い逃げ法案といわれながら、成立に至らしめるまで実に九年間の戦いが必要であったのである。殊に、適正配置の如き特権は一代限りであるべきものとして、各国ともその相続を禁止していることを考えるならば、私の立法では相続問題に触れずに、従来通りの相続と毫も変らないままにしてあることを、関係者は深く考察されなければならない。

 今後に残されたるいろいろの法律改正の問題として私が考えていることは、その殆んどが医療法の改正と薬事法の改正とを同時にすべきものであり、また薬剤師法、医師法、歯科医師法の三法律を同時に改正しなければ成立しない性質のものが多い。新年の挨拶の中で、それらの事情を詳しく申し述べることはできないが、以上申し述べたことでご判断願えるように、薬業内部においては製薬、卸、小売の三者の歩調統一、医療界においては三師会の結束強調、この二つの大道を往くことによってのみ、諸問題の解決が計られる筈であるということを、新年の挨拶として申し述べておきたい。

 けれども薬業の進歩の前提として、最も大事なことは薬学の進歩向上でなければならない。薬業を修めて資格を得て仕事をする者、薬学なくして生産のできない医薬品、薬学なくして治療の完全を期することのできない医療、それらを考え合わせるとき、全薬業人は薬科大学の教育に対して、薬学の研究に対して心からなる支援と協力を惜しまないように切望したい。昭和四十年の新春を迎えて、ここで初めて新年おめでとうと申し上げたい。
(日本薬剤師会長・参議院議員・薬学博士)

 六年制薬科大学の提唱 高取治輔

 去秋九月廿日早朝、前夜の福岡浦陵会主催江口先生の第一薬大学長御就任祝賀の同窓会に出席して米子の中国、四国薬学大会の同窓会に招かれ久々で山陰路に向った。途中太田附近は先夏の豪雨被害で特急(まつかぜ)は運休、準急(しんじ)も益田で打切り、出雲までは徐行の状態でその爪跡も生々しく当時の惨状が察せられた。

 地元富永鳥大病院薬局長初め稗香川県薬会長等二十名近い同窓の方々と一夕の歓談を得た。席上本大会に薬科大学六年制延長の要望決議が採択された趣を承った。真に我が意を得たりと九州大会にも同提案をする事を約した結果が、十月十四日の別府大会の決議に盛られた所以である。

 其節提案理由が充分に徹底しなかつた恨があり、爰に貴重な本紙面を借りて布行して御理解を頂き度いと思う。戦後学制改革に当り歯科は逸早く医科同様に六年制を確立したが、薬科は之を見逃し四年制に満足した所から既に問題が発生している。

 二十三‐四年頃新制大学発足当時、何回か東大薬学科に全国から参集して薬育に関する協議会が持たれたが、新制大学の本質に対する認識は寧ろ我々地方大学の者が、教養課程等との関連に就ては中央の先生方より深かつたように思う。

 漸々発足して実際の教育年限は教養二年を差引けば旧薬専三年に比べてすら一年の短縮となる事は目に見えていた筈である。今日多くの大学では教養を一年半に短縮している所が多いがそれでも戦後生化学、薬剤薬理、抗生物質、公衆衛生機器分析等の面に巾広くなった薬学の進展には追いつけない。

 既に十数年前の昭和二十七年頃岐阜薬大での全国薬科大学長会議の折、藤田熊本、伊東徳島両学部長等の先達の提唱で国公立薬学部は当時一年延長の五年制を決議し私大との合同会議に臨んだ。が、村山東薬学長他、私大側の猛烈な反対を受けて留保されたいきさつもある。

 私大の主な反対理由は教育面を除外して経営面からであつた。今日再び年限延長の声が挙げられる理由は二つあると思う。
 一、薬剤師の質と社会的地位の向上。
 二、営利的私大の乱立と質の低下の防止。
 一は年限延長により薬育を更に深く広くして、真に医学と提けい出来る所まで高めると同時に、戦前の社会的地位の医薬歯の順が、今日医歯薬と転倒した原因の一つは、歯薬間の僅か二ヵ年の教育年限の差によるものであり、これが一生禍して勤務薬剤師の待遇改善の前に厚い壁として立ちふさがっている。
 二は医歯は戦後私大の創設を極度に圧えているのに独り薬大のみは各地に乱立され、而も尚高知、広島と私大の計画が評されている。集り易い女子学生を目標にした営利的私大は、薬学の発展どころか寧ろ此を阻害するものである。

 今頃六年制を提唱しても、同じ要求を持つ理工系大学との関係で実現性を危む人もあろう。而し医療教育と云う一連の考が文部省内にある事を思い、困難な事ではあるが爰に努力次第で実現の可能性も見出せると考える。新制大学に大学院を置く事にすら当初は反対した偏狭で封建的な薬学者もあった。而し十年来の我々の絶ゆまぬ要望と努力が実って、六年制国立薬学部に修士コースが完備されるに至った今日、少くも国立だけでも先づ二年の修士コースを専門課程に併合して六年制を実現し、更に其上に二年の修士コースの獲得に進むべき絶好の機会と思う。

 何も六三三四を至上命令のように後生大事と守る必要はない。改革当初なら十の努力で果たせたかも知れない此の問題の解決は、今後百も千もの困難が伴い努力を必要としよう。而し各角度から充分に検討し、例え長年月を要しても是非達成すべき目標である。このままに放任しておけば四年制看護大学の実現又歯科技工大学等と考え合せる時、薬剤師の地位は相対的に寧ろ下落する結果を招くであろう。

 既に中国、四国大会の決議は日薬理事会に計られ、当面山本常任理事を以て目的の推進に当られると聞く。而し事は総べて政治に連る事である、新六薬学部の修士コース獲得までを一例としても既に十年前、初めて佐賀の九州薬学大会に出された設置法推進の日薬に対する要望は次々に四国大会、北陸大会でも採択され毎年繰り返されて十年の歳月を要し、今日漸く達成の域に来たのである。

 開局者、勤務者、教育者とそれぞれの立場に小違はある。而しそれぞれの枠内だけに留り開局者は流通機構、勤務者は待遇改善、薬育者は年限延長を唱えたところでその運動は唯さえ弱い薬剤師の力を益々分散削減させて力にはならない。

 爰に我々は何れの分野にあろうとも薬剤師と云う自覚の根底に立つてお互の立場を理解し合い、高野会長を中軸として日薬を発展させ、我々の力を結集して政治力を高める他には諸問題の解決はない事を銘記し度いと思う。
 (昭和三九・十二・四 長崎県薬会長 長大教授)

 年頭の辞 福岡県薬剤師会 福岡県薬政会 会長 四島 久

 明けましてお目出度う存じます。多事多難なる昭和三十九年を送り輝く新春を迎えるに当りまして皆様ご一同のご多幸とご発展を心より祈念致します。

 不肖昨春会長の重任に就きまして以来、薬剤師の本来の使命に徹し薬業界の歪められつつある姿勢を正常化すべく微力ながら努力致して参ったのでありますがその成果ミらず誠に申訳なくお詫び申上げます。が幸にも監督指導の立場にあられる先輩各位並に会員各位のご指導とご協力を得、所謂前向の状態にまでは漕ぎつける事が出来ました事は同慶の至りと思い感謝致しております。

 昨年は特に社会保険医療問題、薬業経済安定対策、薬剤師の地位向上、公衆衛生活動強化等に重点をおき対策を進めました。社会保険医療問題は、既にご承知のとおり医師会の要求する再診料一〇点設定を中心として政府、保険者団体、医療担当者と三者三様の立場から強くそれぞれの主張を強調し混乱したのでありますが最近九・五%の引上げ緊急是正が実施され一応の小康を得るものと思われます。

 その間保険薬剤師としては、調剤基本料五〇円の設定を要求してきたのでありますが、今回の緊急是正では根本的に基本調剤料は否定され、九・五%の調剤手数料引上げでは薬価基準の改訂を考慮したとき大きなマイナスを保険薬局にもたらすおそれがありますが、私共は経済高度成長に順応する調剤手数料の確保に今後共あらゆる力を結集して当らねばなりません。

 薬業経済安定問題は、厚生省、県の指導のもとに、製造業者、卸業者及び小売業者の統一意志により薬業経済安定要綱の推進が活発に行なわれ、一部の品種については指導価格も実施され数年前の混乱より逐次脱却しつつあるものと思われますが、一般社会情勢の不安定により一部地区、一部業者に大局を達観しない、誤った自由主義を信奉し混乱を引き起している事例が絶えないのは、まことに遺憾であります。倫理のミ揚教育の向上をはからねばならないと痛感するものであります。

 公衆衛生活動については公害対策が大きな社会問題としてとりあげられておるとき、専門的技能を備えた学校薬剤師の諸君が中心となり、薬と健康の週間のほか、随時、適時、適所で活発な活動を展開しているのは感謝にたえません。

 薬剤師の地位の向上、経済的面は関係者の努力により十分ではないが向上を続けていると思われますが、社会的地位の向上については業務所における在り方、特に精神面の充実をはかることこそ先決対策と考えるのであります。

 新春を迎え、本年こそはと覚悟を新にしておりますが、折角のご協力を切にお願いする次第であります。 特に、本年は、四月に、八年ぶりで第二〇回日本薬学大会が福岡市で開会されるに当り昨年来着々準備は進捗しておりますが各位の協力を願ってやみません。

 続いて、六月には、参議院議員の改選が行なわれますが薬事法の改正問題一つを考えてみても、いかに政治力が薬業界に必要なものであるか今更云うまでもありません。今回の改選で只一人の国会議員を失うこととなれば業界の前途はまことに暗澹たるものとなり業界の発展も向上も望めないと信じます。私どもは、これを最もおそれ、剤界の将来のため各位の熟慮をお願いしてやみません。昨年は比較的平穏でありましたが、昭和四〇年は波瀾の連続が予測されますとき、緊渾一番覚悟を新にし各位のご指導とご協力を衷心よりお願いして新春のごあいさつと致します。

 年頭の辞 九州山口薬剤師会長 瓜生田 定

 一陽来復年此処に改まり昭和四十年の新春を迎えるにあたり会員各位のご多幸とご健康をお祈り申上げて新年のことばと致します。

 昨年は薬事法の改正にともない、各県における適正配置問題を始め各般の諸問題に取組み、九州山口薬剤師会は年中最大の行事である薬学大会も、大分県の担当として別府国際観光会館に於て十月十四日から三日間盛大に取り行い、薬学講習会も無事終了しました事は誠にご同慶にたえません。更に私個人と致しましても、四月東京で行なわれた薬学大会日本薬剤師総会に於て薬剤師として最高の名誉である日薬賞の受賞を得ました事は、一人私個人の名誉でもなく、会員の皆様方のご支援の賜と深く感謝にたえない処であります。

 本年四月には日本薬学会並に日本薬剤師会の総会が福岡の地で挙行する事となり、九州、山口薬剤師会としては九州山口薬学大会を振返り全面的にご協力申上る覚悟であります。又六月に予定されて居る参議院選挙こそは高野会長の立候補に伴い、剤界将来の明暗の岐路に立たされた問題だけに、特に九州は会長の出身地と云う関係にあるだけ一層の会員各位のご協力をお願い申上ると共に会員各位のご健康とご多幸をお祈り申上げて新年のご祝詞と致します。

 △商魂▽ 上井忠太郎

 「権謀術数」という言葉がある。辞典を引けば「いつわりのてだて」「かけひき」と書いてある。あの人は、なかなか政治性があるとか、あの人は大した政治家だという場合には、政治というのはこの権謀術数を意味している場合が多い。

 そもそも政治ということはそんな皮相なものであつてはならないのであるが、いつの間にか、かけひきのうまいのが政治家で、巧みに自分を有利に導く策をこらすことの出来ることを政治性があるということになってしまっている。しかし本来の政治というものは、国民が幸福になるためにはこうあるべきだという理想を打ち立てて、其れを実現しようとする力のこもった理念でなければならない。同じ様な意味あいであの人はなかなかの商売人だという日常語があるが私の感受性が特異なものかも知れないが、余りよい余音のある言葉ではない。

 政治性と同じ様に、権謀術数、かけひきの取引きを意味するからであろうが、商売とは真面目に営業の原則を実施することであり、言葉をかえれば、買手に充分選択の場を与えながら、その合理性と経済性を売って喜ばれながら幸と引きかえに適正な利潤を得ることである。政治が多数多幸の理想実現にあるならば、幸の基本、健康の大きな補助業務といての薬業も、真面目な商売人の手にゆだねなければならない。此の様なことを考えながら私は此の度新しい職場に赴任を致して参りましたがこれからも堂々の商魂を燃し続けてゆきたいと考えて居ります。

 私の云う商魂とは(これは又聞きの話でありますが)、「これはまだ誰にも話しては居りませんが、十代の女の子は非常にデリケートな神経をもつていますね、大人の世界をのぞきたい、時々大人になってみたい、いやもう自分は大人よ、と示威を示したい様な衝動。私はその思春期のうぶな心をとらえるのです。そして無色の口紅を作ることです口紅をつけた大人の世界に入りたいが、親におこられ先生に叱られる。それでもつけたい無色の口紅、これは乙女の心をとらえてはなさない、必ず売れますよ、儲りますよ。唯 私が手をつけないのは子女の善導上の道徳的な心配からである」と。

 見事なものである。心の健康の上に立って、子女の善導のために自からのアイデアを没した立派な商魂である。私のいう商魂とは、静かに燃える理性のある売買の根性のことである。突然原稿用紙を託されて何か書けとのことであるが子供の頃から綴り方、今日の作文を大のニガ手とした私には少なからず、難問題である。分けて無題、何んでもよいとのことである。自由ほど怖ろしいものはないと悔みながら、お引受けした乱文をお許し下さい。(三共福岡支店長)

 新春当面の課題 大黒清太郎

 新しい年を迎えて人皆それぞれに希望の出発をするであろう、薬業という共通の場に於ても又各階各層異なつた感懐があるに相違ない。

 有史以来と表現する全国的な企業倒産を月々に繰り返して年を越した新年である丈けに今後に尚尾をひくと思われる予想に対し又之に備える心構えが必要と思います。顧みれば過ぐる一年は一時どうなることかと思われた小売市場の価格の混乱も関係当局の適切な指導と業界総ぐるみの懸命の努力の結果幸に小康を得、全国的に一応価格の安定を得られて医薬品に対する大衆の不信感を払拭することが出来又一面業界の収益と業者相互の信頼感を助成する結果となり安心して販売に専念出来たことは大きなプラスであったと思います。

 今日尚安定要綱の実施過程に於て、幾多の不合理がないではないが兎も角も発足以来全国業者の一致した足並みがとれて来たこと自体は別の観点からも非常に意義深いものがありましよう。偶々所謂尼ヶ崎問題に端を発し不幸公取の介入となり地方安定協議会の性格運営について疑義がもたれた訳であるが其の後時間の経過と共に安定協議会は其の定められたる範囲に於て趣旨の推進を行うことになって今日に至っているのである。今後の問題として生産と消費に連る需給のアンバランスから予想せられる事態に対して合法的に是認せられる方策として尚最善の途を樹立することも又併せて研究の段階に来ていると思う。曰く再販売価格維持契約、又曰く独禁法に基く特殊指定問題等である。

 再販契約問題について之を実施に移す場合尚幾多の問題点があるため既に現在国内他業界に於ても現に実施せられて居る例もあり旁々独禁法のご本家米国に於ても各州毎に実状に照して独自の州法を以て行なわれている「特殊指定」を新らしい角度から取り組み実施に移してはと云うのが現在の問題となっている。

 無論医薬品の特殊指定問題は他の業界のそれとは多少其の趣を異にするので種々疑問とする難点もあるとは思うが其の対照が国民の保健衛生にかかる重大な意義をもつものである点でも、又新しい角度から出発することも考えて然るべきであろうと思われる。独禁法の上で市場価格の策定が平均仕入れ価格をポイントにしている点にも業者として幾多の抵抗のあることは否定出来まい。

 適正な配給を行うために要する最小の経費と生存に要する妥当な利潤の要求は当然認められるべきものと思われるのであってこの点についても法の運用解釈について強く当局に要請する努力がなさるべきであろう。勿論医薬品販売業と云えどもそのもつ処の社会性の責任と近代性に鑑みる時徒らに安易に流れた一方的感覚を以て自己の主張にのみ立てこもるべきでないことは今更此処に言う迄もないが、消費大衆のよき協力者として汎く社会人に奉仕する為の理念に基くものである場合当然の権利は正しく主張するべきであろう。

 安定と進歩は併せ考うべきだと称する一部識者の言葉にも深い意義があるものと思われる、生々進化新しい生活環境の目まぐるしい変化に即応、時世に遅れざるの努力は当然なさるべきは我々業者の責任である。何れにしても文化の進歩速度に伴い複雑化して来るので安定への要素も又複雑さを加えることは当然と云える。

 茲に於て社会性の上にたつ公正な方式を発見して業界の安定をはかり併せてその生業を通じて社会大衆に真に信頼支持せられる業界の姿が望ましい。当面之等の為にも現に行なわれている安定要綱の不合理は、予め再販契約、特殊指定の主体を確立して、安んじて日々の業務に精進出来る日の速かならんことを切に希望するものである。只以上の正しい姿の維持推進に各界各層相携えて努力を要することは勿論であるが、これは飽迄も充分納得づくの相互強調と信頼に基くべきであり今後共従来の慣行に基く三者話しあいの上に適切な当局の指導に俟つべきであろうと思う(福岡県医薬品卸業協会長)。

 迎年にあたって 木元金次郎

 一九六四年、龍の年は事多き年として終りを告げようとしている。省みて、何をしたか、さだかではなく騒然としたうちにまたたくまにすぎ去った一年という思を深くさせられるだけである。業界多年の要望である薬業の安定も、一応の目途がたつたというだけで不安と焦慮のうちに、日一日がすぎているというのが有り態の話であろう。

 人権の尊重はそのまま生命の尊重ということになろうが、その生命に直結する薬を扱う者の道義感とか、更には使命感といった様なものは、第二次産業革命の奔流に押しまくられて、生きんがため、喰うか喰われるかといつた様な追いつめられた思で行動し又は行動しようとしている同僚を、それだからといって責めることが出来るであろうか。

 薬業界が乱売に悩まされて既に久しい年月を経過しその間次々と乱売是正の方途が講ぜられて来たことはご承知の通りであるが、私が終始訴えて来たところは医薬品から囮性を排除せよということであって将来も亦一途にこのことを貫きたいと考えている。薬の本質からして囮性とは絶対に相容れないものがある筈であって、この様な観点にたって、自らの姿勢を正し決意を新たにして対策を推し進めない限り「石川や、浜の真砂はつきるとも、世に盗人のたねはつきまじ」の文句の様に、はてしない泥沼の様な運命に向って、業界の彷徨がつづくのではないかと憂慮しているものである。

 話は古いが二十年前の敗戦にあたって、心猛き兵士は降伏をいさぎよしとせずそれぞれの活路を求めて隊をはなれたがその多くは未だに帰還していないと聞いている。その節事態の急変に素直に順応して捕虜の生活に耐えお互いに慰撫激励の中に創意工夫団結互助の活動をつづけた多くの兵士はその後数年の中に故国の土を踏んで懐しい家族と再会していることは周知の事実である。この様なことが果して現在直面している事態にあてはまるかどうか知らないが、薬に生きる人間の集団である薬業界で協同組合を緯とし安定協議会を経とする現在の活動をもつて尚且薬業の安定が出来ないのは何故か、それを私は囮性の排除という命題の意識が足りないからであると指摘しているのである。

 薬業の使命感と道義感を近代経営の美名の許にかなぐり捨てんとしつつある猛き人々に薬の本質と近代的薬業の大局的在り方について今一度再考を願いたいと祈る者は私一人ではあるまい。大衆の欲望は限りなく貪慾である。そしてその欲望はえてして大衆の名において情け容赦もなく組織のない弱いところに指向される反面強い組織の上に立って大衆を力づくでひきずりまわしてもその要求を貫徹しようとする。そしてその働きかけが次々と成功しているのをみると全く暗然とならざるを得ない。陳情のないところに政治はなく組織による押しあげのない陳情は無意味とさえいわれる。

 賃金は上げっぱなしそして物価は押えっぱなし。物価とは結局労働対価の集積されたものと考えている。私には一寸わけのわからない話であるが、大衆という名の欲望が描き出す変幻絵図であろうか。ともあれ私は新しい年を迎えるにあたって肚の底から薬業の安定を祈念せずにはいられない。(佐賀県薬剤師会副会長)

 年頭の所感 古賀哲弥

 光陰矢の如しと云うが、昨年は特に早く過ぎ去ったような気がする。事が多くて時の経つのを忘れていたのだろうか。

 思えば全く昭和三十九年は若松に於ては忙しい年だった。役員会や委員会も数多く催された。会員一丸となってすべてを三師会館建設に集中した。会館建設助成金として市長より薬剤師会に対して、医師会と同額の一〇〇万円を予算化して出して貰った時は、ほんとに鬼の首でも取ったような嬉しさだった。

 さすがに我々会員が推薦し応援した市長さんならばこそと思った。建設途上は苦しみの連続だった。医師会並に歯科医師会とすべてを対等に付き合って行くと云う事は並々の努力ではなかった。役員を中心として会員一丸となってよくがんばった。そして九月十五日に三師会館がめでたく竣工し、来賓多数を招待して落成式を行った時には会員一同の喜びは絶頂に達した。それは当日第一部は来賓パーテイ第二部は三師会員パーテイだったが、薬剤師会員の出席が毎年の定時総会懇親宴の出席率を遙かに上廻った出席数であつた事でも分る。昨年は全く後にも先にも会館建設に終始した年であった。これで舞台装置は完全に出来上った。

 さて新しき昭和四十年はこの舞台で役者の活躍する年である。薬剤師の発展向上のためあらゆる手段をつくしたい。保険処方箋の多量獲得、学校薬剤師の積極的活動とその嘱託料の増額公衆衛生活動による大衆へのPR等々、我々のする事は山ほどある。特に北九州では本年より来年にかけて選挙の年である。二月の北九州市議選、六月の参議院選、来年の北九州市長選と続いている。

 他人の選挙は、はたから眺めて仲々面白いものであるが、これが自分が関係する選挙となると実にいやなものである。だから選挙と云うとそれに関係したくないのが人情である。然し我々はこれではいけない。薬剤師の向上のためには政治力を持つべきである。そのためには選挙を?えるのが一番近道である。参議院選挙は我々自身の選挙であるので論外として、特に市議選と市長選は第三者的に傍観しては絶対にいけない。いやな事ではあるが、敢えてその選挙の渦に自ら巻込まれる必要がある。候補者は個人票よりも組織票団体票を有難がる。会員数の多寡、一部会員の反対など問題ではない。我々は薬剤師党であるので候補者の党派も考えなくて良い。全員総会に於て特定候補推薦を決議し、その候補を総会の席に呼んで会の団結の力を見せるべきである。薬剤師会を眼中に置かない候補など、こちらもその候補を眼中に置かない事である。そんな候補を推しても何の役にも立たない。当選確実な候補に薬剤師会の組織の力を見せつけ、会員一丸となっていやが上にも積極的に応援するのが将来のため最も有効な方法である。そして当選の暁には見捨てられないように機会を求めて接触し進んで紐つきとなって、大いに当人を利用することである。

 今度の市議選には我が北九薬の会長現市議長野先生が各種の事情により立候補を断念された事はかえすがえすも残念ではあるが、もはや致し方ない。我々は二の次として、北九州市内医療関係より唯一人の候補者である大原医師(現市議)を若松区よりぜがひでも当選せしむべく、薬剤師会大原後援会を作って票の獲得に奔走している。三師会協同推薦、労組教組推薦だが、もう一息と云う所を薬剤師会の団結票で以てぜひとも当選させたい。当選の暁には薬剤師会のため大いに働いて貰う積りである。来年の市長選挙もぼつぼつ対策をねる所まで来ている。

 薬剤師各位に訴えたい。選挙を利用して薬剤師の地位向上薬剤師会の強化に努力をしよう。然も地方選挙ほどその効果が身近に感ぜられるのである。高野先生の選挙ももう目の前に迫っている。先づこの第一戦を勝抜こう。手を取り合って積極的に猛進しよう。 (若松薬剤師会長・北九州市薬剤師副会長・福岡県薬剤師会理事)

 今回の医療費緊急是正は保険薬局にとつてプラスかマイナスか 工藤益夫

 今日ほど諸種の社会問題を抱えた時代は珍らしい。その問題の中で最も大きく国民的関心をもたれているのは医療費改訂問題である。既に新聞その他マスコミでご承知のように政府は昭和四十年一月一日より医療費九・五%値上げを実施するよう決定し中央社会保険医療協議会に諮っているが支払側の反対により実施は若干延びるかもしれない。この政府の医療費緊急是正案は保険薬局にとつてプラスになるかあるいは不幸にしてマイナスとなるのではないかと危惧される面もある。この問題については色々の立場により見方が異なると思うが、私は私なりの解釈をして見たいと思う。研究不足のため誤った点はどうぞご叱正を願いたい。

 先づ順序として九・五%の緊急是正が提案されるに至った経過をふりかえつてみよう。池田内閣の高度経済成長政策は各方面に大きな波紋を生じた。医療界においても諸物価、人件費のミ騰より健全経営の困難を訴えるようになった。

 そこで一昨年、医師会は再診料一〇点設定、歯科医師会は補綴給付の改正、薬剤師会は基本調剤料五〇円の設定を要求し三師会共斗のもとに政府、政党にこれらの早期実施を要求したのである。政府も、世論も一般社会情勢に即応する医療費の改訂は必要なりと認めるに至った。

 昭和三十八年十二月四日時の小林厚生大臣は、中央社会保険医療協議会に社会保険診療報酬の緊急是正について諮問した。中医協は緊急是正の必要性を認め昨年四月十八日調剤技術料の引上げなど四項目にわたる診療報酬の改訂や、その増額の率は総医療費の八%とすることなどを答申した。これに対して三師会は前記要求がいれられぬため猛反対を展開、政治接衝に乗り出したが、その後自民党の総裁選挙や内閣改造、さらにはオリンピツクの開催などが重なつて、医療費問題はタナ上げされた。その間自民党議員有志懇談会の構想発表があり、また三師会はオリンピツク前に解決せよと神田厚相を激励する三師会大会が全国的に華々しく開催された。

 オリンピツク終了後昭和四十年度予算編成を控え再び論議され、神田厚相は諸般の情勢を判断し一二%アツプの線を打ち出し、大蔵省と接衝を始めた。大蔵省は中医協の答申した八%の線を堅持して譲らず解決は難航に難航を重ねたが自民党三役等のあっせんにより九・五%引上げで妥協し解決したのであるが大蔵省は九・五%実施について附帯条件を附した。それは、

 一、保険料の引上げ
 二、薬剤費の一部患者負担
 三、薬価基準の改正
 であって、保険料の引上げは政府管掌健康保険の標準報酬の拡大と料率の引上げを行うものであり、薬剤費の患者一部負担は薬剤費の五割を患者に負担せしめるものであり、薬価基準は現行薬価は廉売商策を強行しつつある薬業界の市場価格を考慮し、三%程度引下げを行うものである。

 保険料の引上げで一〇%の増収をはかり、薬剤費の一部負担により乱診乱療を防止し医療費の支出増を抑制し、薬価基準の改正により医療費増加額の六五%を示めるという薬剤費を節減するよう政府は意図している。

 これらの諸決定は十一月十七日深更、厚生大臣、大蔵大臣、党三役との間に交されたもので、国民にとっては寝耳に水で大問題化した。健保連等の支払団体側は、「答申無視、答申を上回る引き上げは保険財政を崩壊せしめると強く反対している。国会方面及び一般国民は薬剤費の一部負担は社会保障制度の逆行であり医療を貧富により差別するものだと批判している。医療側のうち全国公私病院連盟は早期是正実施を要求している。医師会は従来の方針を変更していないようであるが薬剤費の一部負担には絶対反対の態度を表明している。日本薬剤師会は、調剤基本料五〇円の設定は基本改正となるので今回は実現困難のため将来に期待し、今回はこれに変る増収を現行調剤料の引き上げでカバーしようとしているものの如く仄聞している。

 保険総医療費は、昭和三十七年度は四.六〇〇億円であつたが昭和三十九年度は八.〇〇〇億円を超えるのではないかと推計されている。九・五%の是正額は、七六〇億円となりこれの配分についてまた紛糾を重ねているのである。そこで本論にいり今回の緊急是正実施によって保険薬局が七六〇億のうち何程を獲得し得るか、あるいは各目上の引上げだけで実質的には減収になるのではないかを考えて見る必要がある。

 一、現状より推移すれば九・五%の増となるのは必至である。
 二、医療機関特に乙表においては、薬価基準の引下げにより薬剤投与の妙味がなくなり一方入院料診察料が再評価されたので処方せんが増発されるだろう。したがつて保険薬局は増収となる。
 三、保険薬局は処方せんが増発されても、薬価基準の引き下げで忙しいだけで何のプラスにもならないだろう。
 四、永年投薬により診療所を維持して来た医師は今回の緊急是正位のことで一朝一夕に処方せんを積極的に出すだろうと予測するのは考えが甘すぎる。
 五、乙表においては薬剤価格の算定には段階制をとつているから、薬価基準の価格そのままが算定されないから基準引下げ即処方せん発行とはいかぬだろう。
 六、調剤手数料一日分九円五〇銭に九・五%をプラスしても十円四〇銭強である。これでは基準の引下げの方が大きく、マイナスになるだろう。
 七、薬剤費の一部負担でこれまで本人に多発されていた処方せんが、本人の負担となるので本人が遠慮する場合が考えられ医師も発行しにくくなる。それで昭和三十年をピークとして低下を続けている買薬による個人治療が急速に復活し薬局の売上げは増加するのではないか。

 いろいろ意見は出て来る。保険薬局の調剤は絶対の使命だから医薬分業の推進社会奉仕の犠牲的精神で後世のため損得ぬきで経済上の考慮に重きをおかぬ場合と、保険調剤を薬局経営の経済的基盤としようとする場合とは自づから異なつた解決がなされる。医薬分業制には、政府も保険者も、一般国民も逐次慣熟しつつあって社会一般情勢から判断すれば年とともに前進浸透し、十年後には必ず医療体系の中の一つの柱として確立されることが予想される。

 そこで、私どもは左手で処方せんの受入れを工作し右手で強く調剤技術の適正評価即大巾引き上げを獲得せねばならないと思う。少なくとも一日分三〇円を獲得し、将来はこれを基準として是正を行つて行くのが妥当と思う。従来、薬剤師は余りにも遠慮しすぎた。政治力の貧困にも起因したかも知れぬが要求するものは大いに要求し獲得し堂々と薬剤師、保険薬局の存在を社会に誇示すべきだろう。 「昭・39・12・25」(福岡県薬剤師会専務理事)

 商組と安定要綱の問題点 福岡県医薬品小売商業組合 理事長 白木太四郎

 昭和四十年の新春を迎えまして組合員各位のご清栄とご多幸をお祈り申し上げます。

 一、流通革命下販売革命の洗礼から何とか生き残るため又小売薬業の不況克服を目標として昭和三十四年十二月一日に全国第五番目に設立認可を得ました。福岡県医薬品小売商業組合は翌年三十五年三月十五日全国第一番目に調整規程の認可を得まして組合員の経営の安定と公正な経済活動の機会を確保するため組合員の事業活動の調整及び必要な共同事業を行うことに出発したわけであります。

 当時の小売薬業会の現況は医薬品の生産過剰、薬業者の乱立(届出れば向へでも出来る)生協購買会、事業所斡旋販売、訪問販売の激化それに加えてスーパーマーケツト、大型デイスカウント店の進出により、流通秩序は乱れ乱売は深刻化し甚大なる不況は足元に押し寄せ薬業者は歯を食いしばつて頑張っている実情でありました。特に組合員外の乱売店の進出については組合員のみを規整する調整規程では真面目で協力的な組合員を縛る結果になりますので速やかに員外者規制命令を発令させ認可された調整事業各条項を効果的に実施して組合員全員の不況克服経営の安定に資したいと努力して参ったわけであります。

 一、員外者規制命令の発令には単なる一県のみでは発令されませんので少くとも経済圏を同じうするブロツク単位として九州山口各県の商組成立認可を進めて参りました。昭和三十四年迄に宮崎県福岡県、三十五年に山口、鹿児島、佐賀、三十六年に大分三十七年に長崎、三十九に熊本県とこれで九州山口全県の設立認可を得たわけであります。

 一、 又商組調整規程の内容の拡大向上と積極的に運営の推進を致しますには全国連合会の設立が必要でありましたので当時乱売の渦中にあって商組の強力な運営に期待しておられました兵庫県商組の理事長白川一夫先生と緊密な連繋の下に全国商組連合会の設立をすべく福岡県で連合会定款案を作製して昭和三十六年二月二十日全国商組連合会創立総会をして理事長に兵庫県の白川理事長を選任し副理事長としてこれに協力推進し、昭和三十六年十月十一日これの設立認可を得ました、更に同年十一月二十八日全国総合調整規程の申請をして厚生省で種々審議が長引いて三十八年五月十日認可を得ました。

 この間員外者規制命令の申請を三十六年四月大阪より申請し、近畿、東海六府県が引き続いて申請しました。五月には厚生省通産省の中小企業庁、公取の調査団が一週間現地調査をし、八月には厚生省より薬務課を通じて近畿六府県の小売薬業者の実態調査が行なわれましたがこれの資料収集と統計に多大の日時が費されまして結論として員外者規制命令を出すべき不況状況が資料統計からは理由づけられなくて厚生省企業課は消費者代表を含める聴聞会中小企業安定審議会三十五人委員への諮問、公取委員会の協議同意の段階を経る迄に踏み切れませんでした。無論これを通しますには多額の費用を先づ積み重ねて資料作成に専門の経理的考慮を払って出て来た統計は動かすべからざる不況経営が出てくる様準備すべきであります。

 規制命令の発令に期待するものは
 @員外者に対して調査規程を実施し得る(員外者宣伝の規制の強化、行き過ぎ訪問販売の是正等)
 A調整規程違反者が過怠金をかけると脱会するのを防げる
 Bデイスカウント大型店等の乱売者に対し仕入先の報告をさせ監査員による監査をして?不当廉売の有無?仕入れルートの確認により仕入先問屋、メーカーに対し組合交渉によりて仕入価格の適正を計る事が出来る。規制命令に代る加入命令は更に強力でありますがこれの発令は現段階で更に困難であります。

 一、此の間薬業界の安定のために昭和三十六年十二月十九日日本薬業協会設立準備委員会に小売側として出席し昭和三十七年四月二十六日迄第五回を重ね薬業の流通機構を安定するため製造、卸、小売三者の協力体系を整えて薬業の正常化とその発達を図り、国民保健の向上に寄与することを目的としたメーカー、卸小売りの三者で取扱い品の銘柄の指定、価格の審査(ABC価)必要あれば再販維持契約を行う。運営は三者よりの評議員並に役員にて民主的に行い経費は三者で比率を決めて負担し預納金加入金選定料を取りて積立金をなし決済方法を確立して若し貸倒金については積立金より弁済するという大体日薬滝川案から発展しているものであります。

 一、福岡県商組としましては員外者規制命令の発令を期待し近畿六府県の申請の結果を待ちまして九州ブロツクでは未設立県がありまして歩調が揃えず最小ブロツクとして山口、福岡、佐賀、長崎四県で申請をするべく県商工課並びに福岡通産局中小企業課とも話を進めておりましたが長崎県が調整規程の申請が未だでありますので最悪の時は山口福岡、佐賀の三県を認めて貰うべく考えておりますが九州ブロラク全県で申請した方が、可能性は多い訳であります。状況の度毎に他の機会を利用して厚生省前牛丸薬務局長網野企業課長鳥谷部課長補佐にも員外者規制命令の発令並びに調整規程の内容改正拡大についてお願をし、近畿ブロツクの発令を速かにして貰って引続き福岡ブロツクのお願いをし続けて参りましたが資料結果の不適当につき随分厚生省としても内容分析に努力をされましたが結実せず、これに代るよいものを研究中だから、それが軌道に乗れば喜んで頂けるだろうと言われていたのが市場価格安定要綱であります。

 一、スーパーマーケツト薬品部デイスカウント大型店による医薬品の乱売は、大阪平野町、京都大丸横附近東京池袋の九割引乱売、次いで名古屋、神戸、長崎、佐世保、熊本と九州にも伝播し福岡市にも十七店の進出により、対策を進めて三店〜五店に喰い止めて、一時的伝播による爆発的乱売を防止して、悪条件下にも尚小康を保つべく努力して参りました。

 小倉東映薬品部の際は県下挙げてこれの対策を進め県会地元は勿論国会、関係省、まで運動を展開して医薬品の乱売による倒産者の防止不良医薬品不正標示医薬品の乱発並に医薬品販売業者のモラルの低下を来さない様県下業者、卸メーカーと協同態勢の下に努力して来ました、幸いにこのような努力が京都に於ける厚生薬品デイスカウント店の開業後一ヶ月以内に同じ校区の三薬局が倒産閉鎖したというきびしい状態は防ぎ得たと存じます。無論県当局も入れての相手側との契約書の作成並びにその当時は宣伝の制限及び調整規程が実施されており薬業不況克服の安定ムードがいくらかでも酷しさを押え得たとも思えます。然しその後小倉地区の乱売は、

 一、デイスカウントの出現により、共々大型店の競争が激化、蜂の巣城の様な混乱に投入させられております。

 一、昨年七月十二日付で参議院高野日薬会長の超人的な努力により即日公布になりました薬事法の一部改正で薬局等の定数と距離制限による適正配置と薬剤師の員数が決定されまして更に小売業と卸売業の区分が明かにされまして、乱売の一つの素因でありました小売薬業者の乱立はこれで一応終止符が打たれたわけであります。

 一、厚生省の指示で研究されておりました二十社会の医薬品流通秩序改善実施要項は昭35・2・25に発表され、その後各社毎に努力されておりましたが問題点に打当っていたわけであります。これを前身として更に研究を続けられておりましたが厚生省網野企業課長の指導によりまして製企会の「市場安定対策要綱」として第一回説明会が昭38・2・26東京に於て開催され三月に池田内閣の低物価政策の一環として閣議決定を見三月二十日安定要綱の第二回会議が東京にもたれました。

 一、昭38・8・19中央薬業安定協議会が大阪でもたれ網野企業課長より市場安定対策要綱を、厚生省とメーカー卸小売の自覚と責任に於てやるという事を再確認されました、九月二十日を目標に下準備として県商組理事支部長会をし、九月八日には九州、山口ブロツク安定要綱懇談会を催し九月十九日には第一回県薬業安定協議会を開催しこれを実施すべく努力しました。九月二十日より福岡、筑豊、筑後、北九州四地区にてそれぞれ要綱説明会を催し、次にメーカー卸小売の打合会をしてSM並びに大型店十店と要綱実施について協力方をお願しました。更に県安定協議会を二回三回と重ね十月二十日より指導価格も決定し、厚生省の指導方針に従い商組を中心として要綱実施を強力に出発致しました。

 県安定協議会は県薬務課の臨席の下に毎月実施し更に昭39・2・24には九州ブロツク各県安定協議会の代表者会議を持ち、運営上の情報交換、具体策の研究をして、これの三ヶ月に一回実施を申し合せ強力な団結の下に推進しています。次の日福岡県薬業販売対策委員会を設立し国民の医療保健衛生福祉の向上のため医薬品の適正なる需給並びに流通経路及び価格について調査研究し緊密な連繋の下に適切な指導をすることを目的として毎月一回開催し試買の結果について情報の交換をしています。

 県安定協議会の適切な運営を期するため県内を四地区に分割して北九州、福岡筑豊、筑後と地区薬業安定協議会を毎月一回実施し薬業の安定を推進しています。安定要綱の目的は流通秩序の確立、価格の安定、適正商習慣の確立、市場流通量の積極的調整にありまして、薬価の乱れが薬の信用にまで響いて来るので何とか安定させねばならぬ処へ政府の物価安定対策の一環として薬品に関しては価格を下げることを主たる目標とすることなく乱れの幅を縮めて安定さすべく実施に当っては厚生省が強力な行政指導により協力するとのことで要綱を作って実施したものであります。

 根本をなすものは各社の自覚と責任であり、それに基いてやるのがたてまえであります。過当競争裏サービスを止めよう、利幅が多いと乱れるので新価格体系を作ろう、現在乱れている合理的値段の決め難いものは暫定的に指導価格をきめよう、さし当りマスコミ品についてやろう、指導価格を守って売った分四・三%迄を限度として助成策をしよう、特売をしないときは特売条件の一〇%も加えて卸と小売へやる枠として考えよう、無論指導価格はメーカーの自主的最低小売希望価格であります。若し同調しない向は別途助成策を止め商品の供給も考慮する。スーパーマーケツト問題、事業所問題も中央で討議しレールだけは敷けました、即ちスーパーマーケツトに於ても指導価格は同様に販売する。又事業所の等に於いても安定要綱を原則として適用して行き、主としてマスコミ品については地域に於ける小売価格と格差がない様関係業界が努める、デスク廻りは取り止める。地方安定協議会はこれを推進する。

 事業所等とは購買会、生協、農協等を言い、訪問による受註をとりやめる品目は全医薬品であります。自由経済、自由競争、開放経済下でありますので、当然力ある者が勝利者となる原則は変りません。自粛要綱、禁止要綱を作って何故努力するのかというと時間を稼ぐ為であります。高度成長で過当競争を生じ、資本蓄積を失い、過当競争の為にモラルを忘れたのが現状ではないでしようか、これをヒズミと言っています。

 開放経済の前に徒らな感情的過当競争をして出血作戦を続けていては、お互が疲弊し、日本で疲弊困憊して勝つても世界的に無力であっては、勝つたことに意味がなくなります、合理化能率化、体質改善が焦眉の急務であります。

 一、 安定要綱推進経過の問題点として或るメーカーの過当サービスがありましたが、要綱違反として厚生省の強い斡旋指導によりまして正常化し、先にT社の、
 @感冒薬の新価格体系は同調出来ない。
 AA価について問題はない、再販価維持契約をしているので、但し卸しの仕切値は取りやめて自由にしたいとの申入れについては、メーカー小売業者より積極的に交渉を進め、厚生省の強い斡旋により円満解決し感冒薬の新価格体系は来年度より実施することにし、T社の安定要綱を守ることの確認。マスコミ品は守れないという言い方は否認し、T社の安売り勧誘ムードのあることについて今後は販売員に徹底させてその様な事のない様にする、卸の仕切価格は安定要綱の線で協調するということで円満解決をしましたので従来よりはよくなるという前提の下で進んでおります。

 一、安定要綱を全国に実施するため地方事業安定協議会の設置を昭39・1・29高知県を除いて秋田県を最後に終了致しまして、それぞれ指導価格の実施に踏み切ったのですが、兵庫県のみは神戸ダイエー薬品部並びに尼ケ崎地区の乱売のためどうしても指導価格が守れず、先づ尼崎地区の乱売是正のためメーカー、卸、小売の各社の責任と自覚に於て、売掛金の回収、商業ベースに於ける出荷制限停止を強力に進められて一時は尼ケ崎の平和薬品より公取提訴もありましたが、一日売上30万が3万にも低下し15名位の従業員も2〜3人に減じ、メーカー派遣社員も全部引きあげられ遂に先般仲介斡旋者に依頼して今後は姿勢を正して組合の指導方針に強調する、指導価格も強調する、宣伝広告チラシの新聞折込、飛行機徹布はしない、値の入ったビラは撒かない、たとえ他の同業者が価格の入ったチラシ広告を出しても同調しない等の申入れにより妥結し問屋との取り引きも正常に復しあれ程全国薬業者の注視の焦点でありました尼ケ崎問題も円満解決価格も正常に復帰しております。

 一、尼ケ崎問題で公取の調査が始まり厚生省の内翰と安定ムードにブレーキをかける様な通達が出され公取問題を契機として各社の自覚と責任に於ける薬業安定、制度品が続々と出て参りました。昨年六月に田辺のMSCが発足し今年になって三共のSPS、第一の草木会、中外製薬の中外会等、新薬メーカーの制度品が生れ最近小野製薬品が再販売価格維持契約を採用し、これらは価格安定と販売促進を図ろうとするもので製薬業界は制度品の化のブームを呈しています、この様なメーカーの系列化に対して小売業界にも新たな動きがありますが、小野の方式は、
 @売店との契約数を制限しない
 A販売ノルマを設けない
 B極的にマスコミを行う……などの点で新味を出しています。

 一、小売の主体制確立として注目される二つの動きがあります、HSC(ヘルス・サービス・サークル)が十一月を目ざして全国組織化を名乗り上げた、市場対策安定要綱を否定し薬局の自主性を取り戻すのが彼等のスローガンであります。三千軒のボランタリーチエーン組織でHSCはマスセール懇談会が発展的に衣替えしたものであり代表は望月正作氏、会員は東京都内近県、関西迄基本的な考え方は、
 @薬局のビジヨンとして単一のメーカーによる組織化を受けるべきではなく薬局側が積極的に売る品目を選ぶべきである。
 A地方毎に有力卸を選定し共同購入の窓口及び計数的な管理機関として活用する店頭に於ける共同宣伝などを実施、又「日本薬局経済グループ」(ユータン会)は東京薬業協組連の伊賀会長を中心に薬局の自主性確立により合理的利潤追求と繁栄を計るためのサークル運動で@独自に医薬品を選定これを委託製造して拡売するもので製造、配給、販売の機能を一手に発揮しようとするもの、委託製造は富山の広貫堂の別会社、日本薬剤KK(資本金五〇〇万円)グループの企画部、理事会で企画したものを製造させ、それをユータン会会員が推奨販売する、チエーン組織会員は一、〇〇〇軒目標が有力店四〇〇軒に限定 会員の紹介入会制を取り入会当初はセツト一万円購入制、其後は希望品目のみ注文し返品交換、支払い期限は自由。メーカーの系列化については之等の医薬品業界には全品目を製造しているメーカーはなく従って単一メーカーによる小売の完全系列化はあり得ません。

 これからの小売経営はいかにしてメーカーの販売政策にのるかにあるとの見方もあります、勿論各自の自覚ある経営方法はそれぞれに研究が必要で「考える」という姿勢は常に保っていなければなりません。然し制度品化乃至は系列化の方向は事実上進みつつあり、今後とも後退する事はありますまい。個人的に全系列に入るには相当の売上量がいりますしむしろそれを選択して二.三を選び力を入れる事によって成績も上り経営にプラスするのではないでしようか。

 一、 尼ケ崎問題に端を発して公取の介入の問題は幸いに安定要綱の趣旨に従って不問に終るかとも考えられますが今後の要綱の強力な推進についてはこれの法的裏付けが当然必要であり今その方法として中央安定協の三者小委員会で特殊指定と再販の問題が研究討議されております。特殊指定は私的独占の禁止及び公正取引きの確保に関する法律により現在、味噌、醤油、ソース以下十三業種が指定を受けております、特殊指定を受けてもメーカーの競争は尚行なわれますが現在の末端の不合理なあり方を規制するもので末端の行き過ぎの是正を狙ったものであります。

 狙いは囮販売、倒産者のダンビング価格バーター制の乱脈価格、饗応招待物品等の行き過ぎサービス等を排除したいのが目的で不公正取引きの底辺を切ってのけたい、又公正取引きとして適正価格を認めて貰いたいと大体製企会での一案としての内容は安定要綱の内容の殆んどがもられた様なものであります、無論これに対する公取りの見解は生優しいものではないと考えられますが安定要綱の今後の強力な推進のためにはメーカー、卸、小売の三者の総意を結集して団結の力で貫徹しなければならないと存じます。

 一、終りに今後の薬業経済は、県薬業安定協議会が推進母体となり小売業界としては商組が中核となってメーカー卸の理解ある協調のもとに適正なる運用が必要であります、業界に於ては経済問題は業界自体の問題であり自主的に解決する意欲を持って顧客の掌握、商品の管理、在庫回転の管理人事の管理、店舗の管理等々の企業管理、企業の合理化刷新、資本の蓄積などを急がなければなりません。薬業界の現在の変革期に直面して社会情勢の変化に即応し得る体制を一日も早く整え得るよう努力し又商組が小売業界における経済の中心としてますます健全な発展を遂げ国民生活の衛生福祉の向上に寄与すべく邁進する事を念願して止みません。

 薬局店頭学 合屋杉峰

 師走の三日 福岡相互銀行の四島一二三社長のご来訪を受けた。翁のご高名はかねて承ってはいたが、まさか私の小さい薬局にまで足をお運び下さるとは、夢にも思わなかつた。全く感激した。

 翁は先づ甥の茂雄さん、久さんのことを話されたので身近に感じた。翁は明治十四年の生れで明けて八十五才であるが、壮者を凌ぐ慨がある。かくして社長自ら訪問されるのが一年間に、千数百軒に及ぶとのことである。しかも翁はある目的達成のために、本年中は福岡市内では社の車に乗らぬことを決意実行され、今朝も篠栗迄バスで来て、そこより社の車で来られ、しかも稲築にお着きになったのが、八時前だつたとのこと。支店長が出勤途中社長の車が過ぎたので、駄々走りして追っかけた、と笑っていた。

 翁は明治の中頃移民ブームに乗って、十七才のとき一旗あげんと渡米され、筆舌に尽くせぬ苦労をされた結果、初期の目的を達せられ、大正七年福岡に帰られた。大正十三年六月八日に福岡無尽株式会社をつくられ、昭和二十六年十月福岡相互銀行に転換、昭和三十八年七月現在資本金六億四千万円、預金六百億円となり一千億円になるのも間もないとの自信の程をしめされた。

 その間人様の命から次に大切なるお金を預ることなので、非常な決心をされ、そのためには精神と、身体の健康が大切と考え、自分を律する生活をされ、毎朝三時半に起き、目覚し時計も一つでは心もとなく、枕もとに三つも置き、それでとび起きると山羊の乳をしぼり、鶏の世話をし、爽かな気持ちで仏壇に向い発願文を読みあげ、毎日一番電車で出勤された。

 会社に着かれるのはまだ夜明前で、午前九時全行員が出て来るまで、お茶をわかしたり、新聞を読んだり読書したり、会社のことを考えたりして、この朝の時間が翁にとつては、一番勉強になり役立つたとのことである。日中は色々の仕事をされ、午後四時にはきちんと帰宅し、畑や、園芸の仕事に精を出し、七時には床に入られるとのこと。よく眠れますか、と尋ねると部屋の入口のドアーに「只今快眠中」と札を下げて置く、近頃では孫が遅く来て外で何かばさばさいわせているがと思うと、お祖父チヤンはおやすみ、と云ってひきさがつてゆきますよ、と話された。

 こうして大正十三年から昭和三十二年まで満三十三年間続けられたが、喜寿を迎えられてとき、会社の若い人たちから「社長も年だから、もう早く会社に来られるのは止められませんかそれに電車も大変だから車を使って下さい」と云われ考えてみると社業一途に生活をつづけ、社礎も固まり後継の人達もしつかりしてくれるので、若い人の気持ちをくんで、早起に変りはないが、通勤時間は普通に通い、会社の自動車を使わせてもらっている。とにかくこの様な生活を十年一日の如く三十三年間続けたので、四島の一番電車と云って、今では一つの伝説のようになっている。もつとも少し位遅れても、私が乗るまで運転手さんが待って呉れたこともあります。と云って笑われた。

 また或る時は停留所へ行くと、年配の夫婦がつかみあわんばかりのけんまくでやりとりをしている。どうやら主人が、こんなに早く奥さんを起したことが原因らしい、あまりひどいので仲裁に入らないといかんかな、と思っていると、ご主人が「四島さんを見い、あの年で毎日一番電車で通ってござる、お前はたつた一日早く起きたからつてブツブツ云うな」と云っているので恐縮したこともあると語られた。

 重ねて翁の健康法を尋ねると、銀行をはじめた時から酒と煙草は一切やめて、仕事に没頭して来たが、ずっとつづけてきた早寝早起き、何事にもくよくよしないこと、それに農園造りも随分と健康に役立った。それから、若し病気になったら早く徹底的に養生すること。次いで一週間浜の町病院の人間ドツクに入られたこと、そして操先生も申されたが「老衰は足から」とも云うから歩くことが大切ですよ、と。

 翁の社長室は三階にあるが、毎日来訪者ごとに一階まで見送ることにしている。しかもエレベーターを使わず、一段一段毎に感謝してのぼって居るが、先日からは、社長室を過ぎて四階まで上っていたこともある、これが私の健康法ですと語られた。次で屋号二宮佐天荘の由来、七転八起をしめしたジグザグ塀のこと、お墓のこと、夫婦円満のコツ等々、お話し下さった。

 最後に翁は、私も八十八才までは社長をつとめることにしている、お互に大いに頑張りましよう、と云って立たれた。見れば杖もなく、オーバーも着ていられない。全くの壮者のお姿であった。
 風知らぬ
 八十翁にして社長
 杉峰
 かくして私は歩くことよりはじめた。

 福大薬学部 薬剤師国試に全員合格

 11月14日、15日行なわれた第27回薬剤師国家試験の合格者が12月15日発表されたが、福岡大学薬学部からは9月の卒業生11名と、前回不首尾だった2名計19名が受験したが全員合格したこれで福大薬学部第1回卒業生109名全員が国家試験に合格した事になる。因に今回の全国平均合格率は八九・九三%であった。

 宮崎県薬剤師会 薬の週間行事 街頭進出測定

 最近公害問題が公衆衛生上漸く重視されて来たが、宮崎県に於ても自動車の著じるしい増加と共に又工場等の増設により、街頭騒音も大都会なみになって来た様であるが、県薬剤師会では本年度「薬と健康の週間」行事の一つとして同県主要都市である宮崎市、延岡市、都城市の11ヶ所の街頭、デパートなどに於て騒音、一酸化炭素、炭酸ガスの測定を行つたが、騒音に於ては予想以上に大きく、何らかの規制が必要だと思える、一酸化炭素及び炭酸ガスについては検出微量でまだ問題とはならないかと考える程度である。

 今回の街頭への進出活動は薬剤師のPR、その職能技術についても一般大衆に対しPRは充分で、深い印象を与えた様である。

 福岡の薬業忘年会 薬事関係者百余名

 恒例により福岡県薬業忘年会が12月21日午後六時から福岡市、博多パラダイスで開催された。県薬剤師会各薬業団体、関係官庁、薬系大学、病院薬剤師など百余名が参加、工藤県薬専務が司会して先づ開会の辞、次いで世話人代表として四島県薬会長の挨拶、来賓を代表して尾崎県薬務課長が「多難であった39年を忘れ茲に躍進の40年を迎えるために…」と謝意を述べ、それより開宴、塚本福大教授の音頭で乾杯、賑やかな面も和かな空気は年を忘れたかの様に又時のたつのを忘れた。最後に須原氏の音頭で博多の「祝いめでた」の声高らかに閉会となった。

九州薬事新報 昭和40年(1965) 1月10日号

 保険調剤と薬局=薬剤師=の利点 中村里美

 医薬担当者たり、薬学の専門職能人たる薬剤師(開局)の一部に、安売競争に血道をあげ又一部のメーカーに翻弄され、その使命感と主体性を喪失しつつある現況は誠に遺憾である。今や医薬分業を回る客観状勢は刻々と変貌(有利に)しつつあり、我々薬剤師は脚下を照顧しつつ、薬局経営について反省すべき時点に立っている。

 世界の薬界、国内における薬界、業界の動向、各種市場性を分析すれば今後の薬局(薬剤師)は、医療機関(医療担当者)としての本来の姿に還り、一方厚生省、医師会、歯科医師会及び製薬会社等の動向を的確に見極めつつ正しい分業理念と確固たる信念に基づき時流に遅れない様針路を切り開くべきである。

 以下標題について見解を述べ問題を提示したい。

 一、経済的な面
 @甲表、乙表に関係なく(薬価基準価格+調剤料)の調剤報酬が得られ、その利益率は…処方内容にもよるが30%は固い。(昭和38年、八幡薬剤師会調査、昭和39年、大牟田薬剤師会調査に拠る)
 A一方福岡県薬、及び日薬の調査(昭和39年5月文請求について)に拠れば処方箋一枚についての請求金額は…福岡県平均、六六、〇〇〇円 全国平均八三、七〇〇円、一部負担金(窓口収額)を加算すれば、全国平均で、一枚処方箋につき調査委報酬額は、一、〇〇、〇〇〇円以上となる(但し、大牟田薬剤師会の調査に拠れば、乙表診療所(開業医)の処方箋発行の増加につれ一枚当りの調剤報酬金額は多少下降する)
 B従って、前記@及びAより、各自の薬局で何枚の保険処方箋調査委を担当すれば、自らの薬局経営の安定を確保し又は寄与せしめ得るかは容易に推算出来る。
 (例示)
 @一日平均三・三枚の保険処方箋を調剤すれば、月約一〇〇枚となる。
 その調剤報酬額は…一、〇〇、〇〇〇×一〇〇枚=一〇万円(月に)
 その利益は…一〇万円×30%=三万円(月に)‐(薬局経済に大いに寄与し得る)
 A月二〇〇枚なれば
 調剤報酬は二〇万円、利益は六万円(一応薬局は確立する)

 二、特に医薬品販売対策として
 ▽乱売の終熄は至難であり、或る者は嫌悪すべき利己主義的で狂奔し、或る者はその対策に奔命疲労してゆく、斯る傾向は国民保険や医療に憂慮すべきであるが、特に医薬品の安全性を脅やかさない限りにおいて資本主義社会における必然性である、反面国民皆保険制度の充実、向上は、国民福祉のため喜ばしい事象であるけれども、保険機構に乗らない場合の薬局(薬剤師)の運命や、如何?

 ▽対策として多角経営その他の方法が唱導、実行される傾向もあり、医薬品の取扱いは一部門となりつつある動向は、薬学を専攻し社会に貢献せんと意図する薬剤師にとり、医師等の医療担当者及び理化学技術者等と比較し甚だ遺憾である。

 ▽これを救う方策は薬剤師本然の姿である保険調剤即医薬分業制の完成が当面の急として登場して来るのである。

 ▽保険調剤等には乱売による如き精神の苦痛なく、調剤報酬による(前途の)利益を確保し、而して乱売を克服することが出来る。

 三、精神的な面
 専門職能人よしての、医療担当者としての自覚と自信を恢復し、精神的コンプレツクスから解放、脱脚されることが出来る、同時に医師、歯科医師等に対してインフオメーシヨン、助言指導のため更に良い医薬知識と技術の習得が要請され、実力と自信を身につける結果となり、延いては大衆の信頼を受け専門人として快適に業務に精励、従事することが出来る。

 四、信用及び社会性と薬局(薬剤師)の経済性
 ▽生命に与える大切な医薬品が、医師、薬剤師の二面的な管理におかれ医薬品の安全性を増す。(医薬分業の基本理念である)

 ▽即ち処方調剤により薬剤師は単なる医薬品販売業者(あきんど)ではなく、(医薬品販売の実態はそうでないが、世間の人々は残念乍らそうみていない)国民医薬を担当する者又医薬品及び保健指導に関する専門家として国民の信用と信頼を得ることが出来る。

 ▽一方医師、歯科医師との意志の疎通、緊密なる連繋により、処方箋を媒体とする患者、被保険者等は相談客から固定客へと移行されると共に新しい患者、顧客を導入するに至り薬局(薬剤師)への信用と経済に大きく寄与することが出来る。

 ▽保険調剤担当により一般販売業や薬種商に対し、大衆の薬局(薬剤師)への認識を新たにし信頼性をミめ、優位に立つことが出来る。

 以上の諸項は相互に薬局の経済と関連し、薬局(薬剤師)にとり大きな利点となる。(福岡県薬剤師会社保担当理事・大牟田薬剤師会長)

 学校薬剤師の在り方について 矢野憲太郎

 本年度(S394〜403)会合の内、三つのあらましを述べ、学校薬剤師諸氏の御参考に供します。

 その一 六月三十日福岡地区高校保健会主催による保健主事と学薬との懇談会は不肖司会者として、会を進めましたが、双方忌憚なき申出があり、その結果、第一点、学薬が出校しても話相手がないとの申出に関しては、学校側もかなり反省すべきことを認めましたが、学薬はもつと気楽に、より多く出校しようとの結論を得ました。第二点、保健の特別講師として環境衛生の単元についての講義も有意義で、児童(後学年)生徒と近づく、より良き機会として、大いに利用すべきだということになりました。

 その二 十一月十八日福岡市学校保健大会は会員の出席甚だ少く、淋しさを感じました。此日パネル討論主題「学校保健の振興をはかるために、関係者の協力体制をどうしたらよいか」について学薬代表として登壇しましたので、「各学校共、児童、生徒及びPTAを含む学校保健委員会の設置」を強く要望しました。特に私共学薬の環境衛生検査及び爾後処置は理科教育の延長であるので、理科担当教師の参加が是非必要であることを併せて要望しましたので、会員諸氏はその推進にご協力下さい。

 その三 十二月十九日第十一回県高等学校生徒保健研究発表会に、昨年に続いて審査の一員として出席しました。生徒の保健に対する関心も、結核、寄生虫、近視或は安全等の研究から環境衛生と移ってきました。昨年は三位迄教室の照度及び空気検査であり、本年度又「教室内のチヨーク粉末の飛散分布について」、「机、腰掛の適合について」、或は「教室内の環境について」、等環境衛生に関する発表が半数を占め、これらが上位入賞致しました。勿論担当学薬の指導によって生れたもので、真に喜ばしい現れであります。

 このように私共学薬の努力によって、保健学習を通して、青少年の科学的学究を推進し得ることは、その目的も明るいものとなります。茲に会員諸氏の御健斗により学校薬剤師会の発展を祈念致します。(昭40・1・2記)

 福岡の年賀会 薬学同冠者の互礼

 昭和四十年の新春を迎え既に三が日は屠蘇に過ぎ、福岡では正月四日、恒例により九州薬事新報社主催の十五回目の「薬事年賀会」が博多下西町第一銀行ビル七階三鷹ホールで正午から開催された。

 参加者二百四十名余、一同は既に準備された会場大ホールに入り、工藤県薬専務理事が司会して、先づ主催者安河内薬事新報社主幹の開会の挨拶に次いで、大黒南海堂社長の音頭により一同乾杯、立食開宴となった、軈て温酒献酬、又ビールによって新春を寿ぐ互礼の祝杯は流れて一同微燻漸く沁みるに至り、四島県薬会長、尾崎県薬務課長、塚元九大薬学部長、国松武田薬品福岡支店長、当日の意外なる珍客劔木参議院議員、次いで古賀県会議員の祝辞が次々に述べられそれより薬事新報社同人、俳壇の巨星、特に日本俳画界にその名も高い剤界出身者である阿部王樹翁寄贈の自画自賛の色紙七葉が、容姿端麗な大黒女子薬会員の手によって次々に抽せん配与、当せん者は満場拍手の裡に自己紹介に喜びの声を張りあげ、それより又一しきり酒杯やコツプの献酬などなど々急に宴酣なわとなつて新春の瑞気はホールに満ち満ち、一同は時の過ぎるを忘れたが、この時松村福大薬学部長の音頭によって万才三唱、茲に目出度く昭和四十年の年賀会の幕を閉じた。

 当日の参加者は官庁、大学、病院、薬局、メーカー卸小売、その他薬系の人々地方各薬事関係団体幹部など、県下に於ける薬学同冠者の主脳を殆んど網羅した観があり、洵に華々しい薬界新春の第一歩であった。

 株式会社カイゲン 新トレードマーク

 株式会社カイゲンが本年新体制をととのえ、業界に目醒しき活躍をなしているが、同社の新トレード・マークが今回表記デザインに決定した。今後飛躍の旗印となることであろう。

 雪印乳業 陳列販売コンクール受賞者発表 最優秀賞四二店

 雪印乳業では、陳列することが拡売に繋がる意味に於て第一回陳列販売コンクールを去る三月に、第二回は「雪印ネオミルクPF・ネオミルクママ」陳列・サービスコンクールを九州一円の主要都市に於て同品登録店を対象に、39年10月15〜12月10日、開催したが、参加者は前回の二倍の三九〇店、而も各自のアイデイア(装飾用品は渡さず)によって行なわれたものであった。同社では12月11日午前福岡市、第一生命ビル地階に於て市内卸取扱店及び九州薬事新報社を招き、同社審査結果である最優秀賞四二店、優秀賞一三五店の受賞決定者の店名を発表した。

 ▼最優秀賞受賞者
 糸岐薬局、長野薬局、玉屋薬品部、丸栄薬品部、福岡薬局、大賀薬局、鈴木薬局、アサヒ堂薬局、平尾薬局、バーゲンセンター(以上福岡市)▽国分薬局、高良薬局(以上久留米市)▽重信博愛堂(大牟田市)▽大阪薬品、黒原薬局、正木薬局、古川健康堂、市民薬局、縄田薬品工業(以上北九州市)▽坂田三省堂薬店(築上郡椎田町)▽宮崎ドラツクストアー、雪沢薬局(以上長崎市)▽谷本薬局(佐世保市)▽幸盛堂薬局(諫早市)▽同仁堂、河津薬局、東雲薬局、竹下薬局(以上熊本市)▽富田薬局(八代市)▽平田薬局、ハタノ薬局(以上大分市)▽白十字薬局、和田薬局(以上別府市)▽川辺薬局(谷山市)▽尾立薬局、ユーマイ薬店、東京堂薬局、西日本薬業(以上鹿児島市)
 なお、最優秀賞は雪印バター二二五gを毎月四個を一年間贈与、優秀店は同様半年間となっている。

九州薬事新報 昭和40年(1965) 1月20日号

 福岡県薬商組理事会 友泉、中央薬品の広告と過怠金問題

 福岡県医薬品小売商業組合第52回理事会を一月九日二時から県薬会館で開会、出席者白木理事長他十四名、理事長挨拶後次の議題につき協議決定した。

 ▽過怠金審査に関する件

 ?友泉薬品に関しては、去る12月4日鳥飼、六本松地区に配布した12月5日から六日間の売出し広告チラシの文面中に明かな暗示的の値段の表現をなした事は調整規程第八条違反と認められるので、過怠金を課することが適当であると全員これを了承した。

 ?中央薬品に関しては、昨年11月24日の折込広告チラシの文面中、買上票一万円集めた方に対し有田陶器市及びサロンパス工場に招待と云う文字は調整規程第七条(景品付販売等の禁止)違反と認められるので過怠金を課すべきであるとの意見の一致を見た。

 ▽監査員の辞任に関する件
 福岡地区柴田伊津郎、冨永昇蔵両氏の監査員辞任はこれを認め、須原福岡地区支部長から新監査員を推選することになった。なお、次の報告があつた。

 @築上支部の商組強化のため白木、福田の正副理事長が現地に出張懇談の結果新支部長に安永勝彦氏、会計に蓑田清文氏を決定した。

 A広告の行過ぎを阻止するため商組として広告基準を測定することになっているので、その作成委員の人選を諮つた結果各支部長から次の通り推選された。
 福岡地区=宇山、国武
 筑後地区=陣内、鶴田
 北九州地区=井上、市議山
 筑豊地区=松村、本松
 近日中に第一回会合をなすことを決定した。

 福岡市業界を爆発させたバーゲンのチラシ問題

 =道義なき商売程汚ないものはない=

 市場安定要綱実施以来一年半にして、全国的に漸く90%は目的を達した(一部家庭薬に乱れは見えるも)かと思われている時、神戸のダイエーと同様の目で見られている福岡市に於けるバーゲンセンター薬品部は、開設当時より地元組合と好ましからぬ問題があったが、其後価格の面に於ても宣伝の面に於ても、商組の調整規程からみれば悪質な違反を繰り返していたが、今日迄商組には加入せず、これがため善良なる組合員は何時も泣寝入りの状態であつた様である。

 福岡地区安定協本月例会に於ける試売結果の報告によれば、指導価格品目は一応守られてはいるが、全店通用の金券を添付し、実質上の割引きをしている事実が判明している、当該品メーカーも既に善導に手を焼いているので、県安定協に採り上げて貰いたいとの要望もあった程であるが、突如十三日西日本新聞朝刊に次の様なチラシを折り込み、市内及びその周辺に配布された実態が起った。

 「チラシ記載の薬品関係部の摘記」
 改装記念セール13〜17日まで さらに大巾値下げ!!
 品質・お値段・サービスは福岡一
 薬品=▽ワカモト一〇〇〇錠三四五円▽エビオス一〇〇〇錠二一〇円、同二〇〇〇錠四〇〇円▽ビオフエルミン五〇〇錠二三五円▽三共胃腸薬二〇〇錠一六五円、同一二〇?一八九円▽バランス三〇錠三九〇円▽養命酒特大瓶五五〇円▽メンソレタム三五?一三〇円▽健ノ丸七八〇粒一九五円▽中将湯七袋一三〇円▽奇応丸二二〇粒二〇〇円▽毒掃丸一八〇粒一三〇円▽パオンソフト一〇〇円▽るり羽六五円▽ノーシン六〇円▽バスクリン一〇〇円を五〇円▽アンネ一五〇円を八五円▽リジニンママ六〇ペア五四〇円▽プレナタール一〇〇CAP九五〇円▽森永Gドライミルク五〇〇円を三九五円▽命の母四五〇錠を六八〇円▽白金カイロ(特製)二九〇円▽綿花五〇?二五円▽強肝アンプル一本三五円、五本一六〇円、三十本九五〇円
 其の他化粧品、電気製品、宝石、万年筆、時計、カメラ等の価格も列記。

 偶々13日は別府市に於て九州ブロツクの安定協々議会が開催されていたが、席上この件については一応話題となつたが、地元福岡地区組合員は、何時の場合も口火を切つているバーゲンに対し、今日迄の不満を一挙に爆発させ、周辺の薬局などは其日より対抗乱売にふみ切るといきり立ち、業界幹部の鎮圧により漸く現在落着いてはいるが、卸、メーカーのこの件に関する態度如何によつては重大な事態に突入する事は瞭らかなことで、今日迄それぞれ対処解決された上野、中央、友泉等の各薬品店とは其規模に於ても相当の違いがあり、仕入れの形態から見ても単に福岡地区のみではなく大方の地区的解決は至難な問題だと思われる。

 今日この事態をまねくに至つたについては、業界の一部には、卸、メーカーの事勿れ主義の唯単なる下手にお願いするていの態度にも責任がなかつたとはいえないとの批判もあり、業界は全くこの一店に振り廻されていたとの嘲笑さえ耳にすると伝えられている。若しこの事態を卸、メーカーが此儘見送るならば或は今日迄メーカー、卸、小売の三者が一致団結、あらゆる努力により実施されて来た安定要綱も画餅に期するであろうし、卸、メーカーとしても今回その態度を決する事を迫られてるわけであり、業界今後の成行きが注目されている。

九州薬事新報 昭和40年(1965) 1月30日号

 福岡市薬剤師会 常任理事会 研修会開催決定

 福岡市薬剤師会では常任理事会を1月19日二時から県薬会館で開会、左記の議題につき協議決定した。

 ▽保険請求審査集計業務及び社保推進方策研修会開催について
 本県薬他支部では従来各支部役員会合の席上で審査集計の業務を行って県薬に届けているが、福岡支部一市五郡は県薬事務所に依存しているので、今後処方箋の増加又種々問題の起つた場合などを予想して、支部自体(役員等)がその実態を確実に把握する必要があるので、此際これについての研修会を県薬共催で開催しては如何、又その時期としては県薬に請求用紙が来ている時、実物を参考として研修することが最も有効適切と考えられ、現在給付の一部変更等もあり時期として最も適当と思われるので、近く開催しては如何、との事情が述べられ担当理事から一同に諮つたが、全員賛同、来る「二月五日」に開催することを決定した。

 ▽その他
 @福岡県下の国保一部保険者の従来五割給付を七割給付に改訂実施についての注意事項(本紙別掲)につき説明
 A診療報酬緊急是正と薬局の利害関係につき検討
 B保険請求事務手数料徴収(会に)について検討したが、今後の研究課題とすることに決定。

 福岡市勤務部会 一月例会 出席者約七十名

 福岡市薬勤務部会(会長・福井正樹氏)は第一三六回の一月例会を23日午後二時からエーザイ福岡支店会議室で開催、出席者約七〇名で盛会であった。

 先づエーザイ提供の映画「新生児外科」を上映後開会、会長の挨拶に次いで、九大病院薬剤部、梅津剛吉氏が「DIについて」と題して講演、それより、新年初の例会でもあり同所に年賀の小宴を開いて和かな談笑に一ときを過した。

 オール七割給付 十三保険者 40年1月から実施

 福岡県国保団体連合会(理事長‐阿部源蔵氏)から左記の様な通知(要旨)が県市郡薬剤師会長に一月六日付であつた。

 県下国保の一部、左記十三保険者は昭和40年一月から非世帯主(家族)の七割給付を実施することになった、これに伴い総括票の様式中、非世帯の欄を七割と五割にしたので、一月分提出に間に合う様お取計いをお願いする。

 記
 40年1月から非世帯主の七割給付実施保険者
 糸島郡二丈村▽同郡志摩村▽同郡前原町▽田川郡赤村▽宗像郡大島村▽筑紫郡大宰府町▽三池郡高田町▽八女郡黒木町▽同郡立花町▽遠賀郡芦屋町▽朝倉郡朝倉町▽早良郡早良町▽京都郡苅田町
以上十三保険者、何れもオール七割給付である。