通 史 昭和39年(1964) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和39年(1964) 9月10日号

 剤界の歴史を創造する 参議院議員 高野一夫 博士

 参議院議員高野一夫博士が日本薬剤師会々長であることは剤界で知らない人はない筈である。常に剤界のため、又有縁の団体や多くの人々のために満腔の熱意を以て尽力されていることも、心ある人々は能く知っているところである。

 処が、博士の生立ちや青年時代の覇気満々たる事業行動について、能く知っている人は甚だ尠ないであろうと思う、私もその一人である。今春、坂口日本薬政会幹事長の編纂にかかる、高野博士の小伝ともみるべき小冊子を読んで、同博士が踏んで来られた茨の道とも思われるものが、ほのぼのと私の心に写って来た。是非これを剤界人共々、我等の国会における、又政界における唯一の代表者である同博士の心境を読みたいと思つたので、茲に其儘転載することにした。まだ読んでいない方々は来春の参院選を控えて同博士の持味をよく吟味して読んでいただきたいと思っている。(鬼子)

 =生いたちから終戦まで=

 高野一夫氏は明治三三年二月(一九〇〇)鹿児島県垂水市(当時は村)に力強く呱々の声をあげた生ツ粋の薩摩隼人である。大隅連峰の麓、蜜柑の花咲く南国に育って武士かたぎの教育をうけ、桜島の噴煙を望み錦江湾の波濤に浴しながら多感な少年時代をすごした。

 郷里の小学校を卒業した彼は、この山紫水明の天地に思い出を残し、夢を青雲のかなたに描いて上京することとなり、東京府立一中(現日比谷高校)、さらに一高(現東大教養学部)を経て大正一三年(一九二四)東大薬学部(現薬学部)に進路をとり、衛生裁判化学教室を卒業、さらに青春の躍動は東大法学部政治学科および同経済学部経済学科に学び、自然科学と人文科学を身につけ、今日雄飛の基盤をつくりあげた。

 赤門に郷愁を残し、学窓を巣立つてから、まず弁理士として特許事務に従事する傍ら、日本薬学会の別働機関として「日本薬報」を創刊、十年間にわたり薬学の普及と薬事問題の論評にその健筆を振るつた。一時、迎えられて三共新薬部長として活躍してから、高野薬品研究所を創立して自ら製薬事業(果糖注カトーゼ、その他)に従事し、一方満州稲畑産業の専務取締役、海南薬品工業(海南島)の社長となったが、いづれも終戦を機に閉鎖するのやむなきに至って、戦時中の多額納税者から一朝にして敗残失意の身となりはてた。

 彼は若くして海外雄飛の意気に燃え、昭和三年(一九二八)、故長井長義先生に随行して張作霖爆死の直後、混乱の満州を旅行し、その後同窓や同郷の知友が軍、官、民それぞれの立場で苦心経営に当っていた満州国の建設ぶりを、つぶさに視察して感銘をうけ、さらに南支、北支、中支、台湾を踏破し、日本が海南島を占領するや陸、海、外務三省連絡会議委員、海南島開発委員、大東亜省並びに海軍省軍務局嘱託、海南島特務部嘱託を兼ねて、事業の傍ら特に海南島開発に参加し、薩摩隼人としての若き日の夢の実現に男子渾身の情熱をそそぐのであった。

 また、国内にあっては、事業の傍ら、当時わが海軍の大御所であつた山本英輔大将を会長として思想団体八光会を組織して、同志と共に茨城県下の八光農場に道場をおき、また思想雑誌「国民道」および「八光」を主宰して時局を論じ、当時は憲兵と特高の監視下におかれていた。

 東京では四回の戦災にあい、終戦によって海外と国内の事業は一切潰滅の逆境に立ちながら、なお意気沮喪せず、血を啜った猛虎は、やがて別の叫び声で世に吼える時を待った。

 =日薬との結びつき=

 終戦によって全くの裸一貫となった高野氏は、人生再起の企画をたてて奔走していたが、たまたま旧日薬と旧日本薬学会の統合をGHQから指示されるや、学会側を代表して、サムス准将を中心とする交渉に参画し同志と共に日本薬剤師協会の設立に漕ぎつけ、その専務理事に選任されたことが、彼を大きく日薬に結びつける動機となった。

 やがてその理事長となり、五度び引続き会長に選任されて、全国の剤界は高野会長を核心に年とともに力強い協力体制を作りあけてきた。かくして、終戦後の剤界に、その輝かしい歴史が創造され、古きを捨て新しい道を踏みだすことになった。

 =医薬分業と彼=

 戦後の新しいスタートを切った日薬は、米国薬事使節団の来日を企図し、その使節団が、日本薬学教育、薬事諸制度の改革をマツカーサー最高司令官に勧告したことを動機として、医薬分業の達成に向って全会員は決起した。高野氏の五体には、激流の如く斗争の血がほとばしるのであった。

 そして自らその中心人物となって理論の構成と、国会その他各方面に対する対策の実行に専念したが、内にあっては当時の刈米、武田、伊藤の正副会長はじめ全役員が全力をあけて高野専務理事の活動を援助した。

 当時彼は厚生省の医療審議会、医療機関整備審議会の委員をしていたが、新たに医薬分業の可否を答申するための臨時診療報酬調査会と臨時医薬制度調査会を設置させることに成功。同志とともにその委員となり、また内閣におかれた社会保障制度審議会の委員となって、分業可否の討議を連続つづけ、あるいは二回におよぶNHK放送討論会において、また衆参両院に証人喚問を受けて分業の必然性を説き、街頭デモを指揮した。すでにルビコンの河を渡った彼は、ただ前進を絶叫しながら、縦横の智謀と天魔鬼神の戦いをつづけた。

 そして昭和二六年(一九五一)、初めて分業の法律改正が成立し、一世紀にわたつた分業斗争に終止符が打たれたとき、全国の剤界人は、老いも若きも、男も女も、相擁して泣いた。それは、やがて歓呼の声となって、万雷の如く全国に響き渡った。

 ところが、この分業関係法が、その後衆議院で意外にも甚だしく不利に改正されたので、彼は再ぶ満身の斗志をもつて立ち上がった。参議院において、衆議院側提案者を向こうにまわして延々六時間におよび反論を試み、ただ独り分業の孤塁を守り抜いたが、時間切れで一敗地にまみれ、遂に衆議院改正のまま通過したときは、傍聴席にあつた役員一同は彼を囲んで慟哭した。

 =遂に国会議員となる=

 このような多忙な日々に、一方においては九大、徳島大の講師となって社会保障制度や薬事法制の講義に当っていたが、全国会員の与望は彼の一身に集った。そして薬学会の大御所、故慶松勝左衛門先生の後継者として彼を参議院に送ることになった。昭和二八年四月(一九五三)、当時の自由党(吉田茂)の全国区公認として初めて選挙戦に臨み、遂に当選の栄冠をかち得た。

 彼の本式の政治活動は東大時代の夢みのり、議政壇上の好漢として浮びあがることになった。昭和三四年六月(一九五九)、自由民主党公認として再選して今日におよんでいるが、その間、各方面にわたって八面六臂の政治活動が続けられ、しかも疲れることを知らなかった。彼の物事を洞察するけい眼、人を威圧する論調、そして言った通りを実行する責任感には益々大きな期待がかけられるようになった。

 =二回の海外視察=

 高野氏は、昭和三二年(一九五七)議員団の団長として東南アジア諸国を歴訪し、各国首脳と膝をまじえて会談してから、単身ヨーロツパに飛んで、各国の社会保障、特に薬事に関する法規を調査して帰国した。また三六年(一九六一)には参議院議長代理として再度独り渡欧、東西ベルリン閉鎖事件の現地調査に当り、EECの実情を研究し、また米国の薬事視察に当った。

 そのときの最大の収穫は、各国の薬事法規の調査、西独における薬局開設制限を違憲と断じた西独憲法裁判所の判例の調査、米国のスーパーマーケットや乱売の実体調査であり、更に各国薬剤師協会の首脳と会見して懇親を結び、意見の交換をなしたことであろう。このことは、日薬の事業推進に極めて大きな役割を果した。

 =閣僚候補に推されるまでの彼=

 高野氏は国会に出て十年、特に社会保障、戦傷病者や引揚者、遺族、身体障害者等の援護、婦人児童対策、医業問題は勿論、環境衛生関係業界の問題、栄養士等の問題、労働問題、治安問題、国際共産活動問題等に造詣深く、参議院社会労働委員会ではその道のベテランとして与野党の信望も厚い。彼が決算委員長、社会労働委員長の要職につき、また内閣の売春対策審議会委員にあげられていることも当然といえよう。

 また党本部にあっては副幹事長、国会対策副委員長、政調審議委員、政調会副会長、行政調査会副会長、総務、両院議員会長、鹿児島県連会長、参議院自民党の社会保障制度特別調査会長、政策審議会副会長等を経て、現在、全国組織委員会副委員長、労働問題調査会副会長、労働局長、ILO世話人、選挙対策委員幹事という要職を同時に兼ねて東奔西走。彼の明知と非凡の才幹がいよいよ発揮されている。

 また昭和三八年七月(一九六三)の内閣改造に際して、参議院側から閣僚の適材として大臣候補に推されたことは、長年におよぶ彼の政治活動と人物とが認められてきたことを証明するものにほかならぬ。

 =三師会に踏み切る=

 戦前はもちろんのこと、戦後も医薬分業の斗争を中にして医薬両団体の関係は対立抗争の状態にあった。しかし彼は、医師会と薬剤師会とは対立するものではなく、車の両輪のように相提携してこそ、それぞれの使命を果たし得るものとの信念に基いて、昭和三六年三月、日本医師会および日本歯科医師会の両会長と十分懇談を交わした結果、三者の意見はついに一致を見るにいたった。

 かつて終戦直後、サムス准将の斡旋で作られたまま停止していた「三志会」を復活して「三師会」となし、爾来密接な連絡のもとに、諸問題の検討と対策に当っており、たとえば臨時診療報酬調査会法案の反対、医療法の一部改正、薬事法の改正、その他医療費改訂問題、処方せん発行の促進等に協力体制をとっている。

 =国会議員の現役で学位論文=

 高野氏はすでに戦前「薬制」を上倅した。この著書は、特に大審院判例を引用して独自の解釈を下したもので、各方面に愛読されたが、終戦後も法制に関する研究を怠らず、多忙な政治活動の寸暇をぬすみつつ、数年がかりで論文を執筆した。昭和三六年(一九六一)、漸く完成して、「薬事法制の史的考察とその基本問題」として東大に提出、法学部と薬学部の審査を得て薬学博士の学位が授与された。

 国会議員の現役で学位を獲得したものは、外交史によって法学博士となった元芦田首相に次いで彼が二人目であり、池田首相はじめ与野党の議員により、また薬学薬業関係者により、或いは郷里鹿児島において、いづれも盛大な祝賀会が催され、高野夫妻を感激せしめたが、この論文執筆が彼をして、適正配置の薬事法改正に決定的に踏み切らしめた近因となった。

 =薬事近問題と取組む=

 高野氏が各方面にわたって学問的研究を怠らず、国民大衆のために一歩一歩嶮路を切り開いてゆく政治活動に、関係者の深い敬意と感謝が払われてはいるが、何といっても、薬事に関する唯一の専門家としての識見と実行力は、最高に評価される。

 医薬分業の推進のために斗ってきたことは前述したが、覚せい剤の悪用を防止するための取締法の改正、食品添加物公定書をおくことにした食品衛生法の改正、学校薬剤師の必置を定めた学校保健法の制定、薬事法の改正、薬剤師の身分を定めた薬剤師法の制定、栄養士法及び栄養改善法の改正、衛生検査技師法政令改正、麻薬取締法の改正、さらに最近の、薬局等の適正配置を定めた薬事法の一部改正、その他厚生行政の改善刷新に関する諸問題は勿論、また薬事経済の安定に関しては、商工組合を規定した中小企業団体の組織に関する法律、小売商業特別措置法、不当景品類及び不当表示防止法等の制定をはじめ、生産、卸、小売三社の話合いにより安定策の樹立への努力をつづけ、或いは勤務薬剤師の待遇給与の改善、東大はじめ薬学部の昇格、新制薬大の大学院設置等に、殆ど彼の尽力と、または、その創意によらないものはない。

 殊に適正配置の改正については、十年間にわたっての検討が続けられ、その間二回欧米各国の薬事法規の調査を丹念に行い、薬事法制に関する学位論文を執筆して自ら適正配置の合憲論に確認を強め、これを違憲とする識者に立ち向い、ついに合憲論で押し通して昭和三八年の通常国会に議員立法案を提出するにいたつた。しかも国会混乱のあおりを喰って廃案必至と見られた危機一髪の間に、見ごと高野法案として成立せしめたことは、彼の雄大な卓見、透徹した洞察力、それに彼の五体に燃えたつ斗志の結実にほかならない。その自身にみちあふれた憲法二十二条論と、これを推進せしめた政治力に対しては与野党を問わず賞賛を惜しまない。

 薬事の問題が国会で重要視されてきたことは、彼の孤軍奮斗によるものであることはいうまでもないが、もし高野参議が国会に無かったならば、果たして何人が、これらの問題を解決しえたであろう。彼自身は、それは剤界が大きく育って、今日剤界を無視することのできないまでの力をもつようになったからだと、剤界の成長をたたえている。

 =高野博士の人柄=

 高野氏は幼少の頃から癇癪が強く、強情で、性急、激烈、喧嘩早い性質であり、学生時代は剽悍豹の如しと恐れられていたが、自ら悟るところあって、一高時代東京麻布の長谷寺に参禅して曹洞禅に入念し、東大を出てからは鎌倉円覚寺に通つて臨済禅に参禅し、高名なる禅僧の言行録や経典をあさり、また内村鑑三のキリスト論を愛読し、専ら自己反省と陶冶に努めてきた。

 また民族の興亡史、民族が生んだ哲人、名将、政治家の伝記等については、高校時代から今日なお愛読しつづけてきたその読書欲は、今日の彼の人間像をつくりあげたといえよう。彼は、事に当つて渾身の智謀を傾け、肝胆を砕いて周到な計画を立て、ひとたび決断するや、大胆不敵な勇気と満身の斗魂を発揮し、縦横の手腕を振るい、たとえ黒い影の暗礁に乗り上げようとも、いばらの路に踏み込もうとも、目的地に達して事態を収拾せずに措かないという烈しい執拗さをもつ。

 また常に夢をもち、夢こそは創造の母であり、その創造はすべての進歩の源であるとして、晩年を力強く送ろうとしている。それは生れながらの性格と、若い時からの自己修練の結実にほかならない。

 彼は今なお白眉の額に激烈多感な性格をただよわせているが、人柄にもどうやら円熟味が加わつてきた。誠実によく人の世話をし、よく衆を統卒し、あせらず、あわてず、大地にしつかりと足を踏みしめて、わがペースを崩さず、わが道を行く青年像である。

 そして多忙な政治生活のなかにあって、内外の書籍にうずまって読書するという静寂な書斎のひとときこそ、彼が心身の疲労をいやす最良の道であるといわれる。また仕事が蹉趺したとき、人としての煩悶をもつとき、彼は林間の路を歩きながら黙考沈思する。海浜で波浪の音をききながら思いをきめる。時に愛犬のコリーをつれて無心に歩く。

 彼は一高時代に力強い寮歌を作り、生まれ故郷にちなんで「大隅太郎」のペンネームで原稿を書き、旅先で詩や句をものし、またドイツ語に通じ、ドイツ語の詩を作り、ドイツの雑誌に論文を掲載するなど、他にみられない異色ぶりでもある。

 高野博士の交友の範囲は極めて広い。親しい知友と痛飲しあい、興いたれば詩を吟じ、牧水や啄木を朗吟し、「人生劇場」などを合唱しあい、まさに天衣無縫の姿にかえる。彼はかくして知友を魅了して措かない。

 むろん彼にも長所もあれば短所もある。その短所を自省するところに、彼が多くの知友から敬愛される素因がある。そしてまた、政治家として、というよりも、人間として大成するゆえんともなろう。ここに彼自作の一高寮歌の一節を紹介して、その土性骨のほどに敬意を払い、この人づくり精神が今なお還暦を迎えても消えていないのは薩南健児としての根性ともいうべきか。

 東海染むるくれないの、燃ゆる旭日に希望(きぼう)あり、
 オリブの杜(もり)の葉蔭にて、護国の歌を歌わんと、
 つどえる千余自治の児が、胸に溢るる意気を見よ、
 ああ向陵(こうりょう)の歴史にも、三十一の年移り、
 今も更けゆく夜もすがら、同じいらかの月影に、
 義憤たたえし若武者が、偲ぶ覇業(はぎょう)の栄(はえ)の跡、
 されど往戦路遠く、結びし夢は安からず、
 祭を祝う曲の音に、春はくれども春ならで、
 ああ仇敵をほおらずば、幽恨(ゆうこん)とわに尽きざらん。(対高校戦)

 高野参院議員富山県後援会

 参議院議員高野一夫氏のために富山県では全薬業者を結集して後援会が結成され会長に塩井幸次郎氏が全会一致で選任された、その後二八名の後援会世話人をも決定してこの程発表した。

 高野日薬会長・坂口薬政会幹事長を迎え 九州ブロツク各県薬会長、薬政会長合同会議

 明年六月の参議院議員選挙では、わが業界唯一の国会代表者である日薬会長高野参議院議員の三選があるので、九州山口ブロツクでは各県薬剤師会長、同薬政会長合同会議を去月26日2時より鹿児島市千石町「松乃枝温泉」に於て開催した。

 日薬より高野会長、日本薬政会から坂口幹事長を迎えブロツクとしては瓜生田九州山口薬剤師会長(日本薬政会副会長)を初め各県薬剤師会長並に同薬政会長の全員が出席した。先づ高野選に対する日薬本部の方針を詳細聴取した後明年の参議員選では電子計算器の示す処によれば少なくも約50〜60万票の得票が必要であるので、高野氏出身地(鹿児島県)である九州山口ブロツクとしては、中央の方針如何にかかわらず、兎も角全得票の半数、25万〜30万票獲得を目標に突進すべきであるとして、各県それぞれの得票目標を検討した上、その具体策について懇談し、決意を新たにした。

 今回は三師会関係、薬種商関係、或はメーカー側、卸側とも、中央では前回よりも種々な状勢により好転していることでもあり、又関連団体とも折衝も漸く進んでいるので、第一線にある末端会員の努力次第では、其方面の開拓もできる情勢にあり、今日迄の在り方を白紙に戻し、これ等の情勢を有利に採り入れて、各県共各自会員を啓蒙、強力に推進するための具体策につき忌憚なき意見の交換を行った。今後各県共一致団結、栄冠獲得に満身の努力を傾注する覚悟を新たにして閉会した。なお関係団体とは次の様なもので、着々折衝が続けられているも、最終的に得票に結びつけるのは、末端会員の努力如何にかかつている。

 日本医師会▽同歯科医師会▽日本傷痍軍人会▽遺族会▽環境衛生関係団体(クリーニング、浴場、理容、美容、食肉、鮎、旅館、興業など)▽社会福祉関係(婦人相談員、母子相談員、老人クラブ)▽按摩、マツサージ、指圧、はりきゆう▽日本栄養士会▽退職公務員連盟▽労働関係▽たばこ小売関係▽県人会など。

 福岡県薬制委員会 会長諮問事項

 福岡県薬剤師会では第一回薬制委員会(担当理事−友納英一氏)を九月十日午後一時半から県薬会館で左記議題につき開催した。(詳細次号)

 ▽議題
 (1)委員長選任の件
 (2)会長諮問事項について(諮問事項は左記の通り)
 (3)委員会運営について
 (4)その他

 薬制委員会に対する諮問事項
 薬剤師の向上、薬局経済安定等のため、現行薬剤師法、薬事法、毒物劇物取締法、その他の関係諸法規及び県条例、県薬定款等の不備な点の改正、新規規定条項について検討願いたい。特に次の事項について十分研究討議の上昭和40年1月末日迄に答申願います。
 一、薬局の開局権を薬剤師のみに限定する問題。
 二、卸、小売を法制的に分離し、一般販売業を小売業とする問題。
 三、販売業種に関する問題。
 四、薬剤師国家試験の種別設定に関する問題。
 五、薬剤師会を法制化して薬剤師を強制加入せしむる問題。
 六、新卒薬剤師(勤務)の薬剤師会加入に関する問題。

 福岡市薬部会長会

 福岡市薬剤師会部会長会が九月一日二時から県薬会館で開会され、友納会長は開会の挨拶に引続き次の様に述べた。

 @来月別府市に於ける第33回九州山口薬学大会も例年なれば我々薬剤師が年一回一堂に会して語り合い又観光などのリクリエーシヨン的な催しの思いもするが然し来春四月福岡で第20回日本薬学会が開催されるので、その出席促進のためにも、九州山口大会には本県薬としても極力多数の出席者を送る様努力すべきで、本会としても出席者には一、〇〇〇円を補助、出席勧誘に努めたいと思う。来年の参院選を控え、大会に於ては高野会長の特別講演もあることでもあり、諸君も是非出席されたい。

 A明春の日本薬学大会準備委員会も近く開会されることと思うが、参加者の宿泊についての世話は交通公社を利用することも一方法かと考えている。それより、地元市長選酣なわな今、来春に高野選を控えている我々剤界に於ては慎重考慮の上断乎起つべきではないか、各自忌憚なき意見を交換して懇談に入った。

 第33回 九州山口薬学大会日程 観光は九州横断道路九重高原へ

 別府を起点として、九重、阿蘇、天草、雲仙をつなぐ延三〇〇キロの九州横断道路が開通される十月三日から十日を過ぎた10月14・15・16日の三日間別府国際観光会館に於て第33回九州山口薬学大会が左記日程によって開会されることになった。

 日程
 ▽大会前日10月13日(火)16時−運営委員会
 ▽第一日=10月14日(水)9時−各部会(学校薬剤師、商組、薬務、保健所衛生裁判、薬剤部長協議会)
 ▽13時−本会議▽15時30分−

 ▼特別講演「題未定」=日薬会長・参議院議員・薬学博士高野一夫氏

 ▽16時30分−記念撮影▽女子薬部会
 ▽第二日=10月15日(木)9時−各部会(保健所衛生裁判、開局保険、薬学、薬学薬剤)▽13時−各部会▽14時30分−

 ▼特別講演「薬の吸収」=日薬副会長・京都大学教授・薬学博士掛見喜一郎氏

 ▼特別講演「薬の吸収」=日薬副会長・京都大学教授・薬学博士掛見喜一郎氏

 ▽16時−懇親会
 ▽第三日=10月16日(金)観光(九州横断道路を九重高原へ)
 因に完成した九州横断道路は海抜一、一〇〇メートルの美しい原草の広がる飯田高原へ、東西約九キロの高原の中に流れる鳴子川と玖珠川の清流、そしてそこには九重山、硫黄山、沓掛山、三俣山、大船山が空に美しい線をひいてロマンチツクな風景を画いている。川端康成は「四方の山々にささえられて浮んだ高原という円さがあります。ほんとうに美しい夢の国がここに浮んだように感じます」と書いている。更にうれしいことには高山植物ミヤマキリシマ、コケモモ、イワカガミ、マイヅルソウ、シヤクナゲ、リユウキンカ、タニウツギ、ツクシフクロウなどが豊かに生い茂っているそうである。

 福岡県病薬理事会 副会長外役員決定

 福岡県病院薬剤師会では去月二日田辺製薬福岡支店会議室で総会を開催し、役員改選で堀岡九大薬剤部長を会長に選任したが、理事その他の役員は後日決定することになっていたので、去月28日九大薬局図書室で開いた県薬調剤技術委員会終了後、その儘県病薬理事会(殆んど同メンバーである)に切変え会長以外の役員選定について協議し、その結果次の通り決定した。
 ▽会長=堀岡正義
 ▽副会長=竹内克己、林真一、有馬功、三宅清彦
 ▽監事=福井正樹、伊藤鉄郎
 ▽理事=相島、清水、瀬尾、西、伊藤茂俊、米村、田中、古田、平川、鹿川(庶務担当)、大橋(同上)、中島(会計担当)

 第2回 福岡県病診薬研修会 9月26・27日

 福岡県薬調剤技術委員会は去月28日九大病院図書室で開催され、九州薬学会薬剤部長会に提出の議案につき検討協議決定し、次に本月末実施予定の研修会については左記により開催することを協議決定した。

 ▼第二回福岡県病院診療所薬剤師研修会
 ▽期日=昭和39年9月26日(土)27日(日)
 ▽会場=福岡市須崎裏町、福岡市民会館小ホール
 ▽主催=福岡市衛生部
 ▽日程=
 第一日(午前)9時30分開講式▽薬事法規=薬務課▽麻薬関係=薬務課▽(午後)1時−最近の医薬品開発の動向=武田薬品学術部長遠藤武男氏▽特別講演=阪大教授青木大氏
 第二日(午前)10時−シンポジウム「病診薬局におけるドラツグ・インフオメーシヨン活動」▽総論▽(午後)1時−医師側の要望▽DI活動の具体例▽4時−閉講式 なお研修会費は一人三〇〇円(プリント代)、雑費、(謝礼の一部)、懇親会を第一日目終了後、市民会館食堂に於て開催する、会費は三〇〇円。

 福岡県薬商組理事会

 福岡県医薬品小売商業組合では去月29日午後県薬会館で理事会を開催、次の事項について協議した。

 ▽第16回中央安定協報告
 白木理事長から同協議会では主として尼ケ崎問題零売問題、再販契約などの問題を中心に協議された旨報告があつた。次いで藤野専務理事から第14回県安定協について、白木氏から第3回県薬事審議会出席報告がなされた。

 ▽各地区の状況報告
 福岡地区=志免鉱業所の問題は未だ解決しないが、商組より県へ要望したが未解決である。西新上野薬局の「…どこよりも安くまたまた値下げ断行、大特価売出中…」などの貼紙広告については新聞のビラと同様の取扱いをしたいと思っている。

 筑豊地区=医師の斡旋販売行為がある、飯塚は先の県薬務課主催の説明会後、全員商組加入を決定した。

 筑後地区=柳川問題は未解決、瀬高町田中薬局のチラシの件は監査した、大体指導価格が漸く徹底したので乱売屋が悪あがきしている感があり、一方、近時少し馴れっこになって違反を見過ごしている感じもある。

 北九州地区=九友会についての問題もあるが、商組としてどう対処するか考えるべきである。それより飯塚橋薬局の訴訟については9月29日裁判が開始されるとの執行部からの報告があつた。

 福岡県薬より保険薬局へ 社会保険関係の総括表様式改正

 福岡県支払基金よりの申出により社会保険関係の総括表の様式が全面的に今回改正されることになったが、本年十二月提出分迄は従来の分で差支えなく、明年(40年)一月提出分から新様式で提出せねばならぬことになつた、改正は社保関係分だけで国保関係分は変更なく現在通りである。なお、新様式分は12月頃支部長(部会長)を通じ各人に配布の予定であるが、次の諸点について此際注意して貰いたいとのことである。

 @一月分より万一旧様式で提出しても支払基金では受付けない。
 A現在の手持の分と新様式分は交換できない。
 B調剤請求について未だ印鑑漏もれ、記載事項不充分等があるので注意されたい。
 C必ず毎月4日迄に本会事務所に到着する様に提出されたい。(支部で取纏めの場合でも同様である)

 九州漢方研究会 六周年記念講演会

 九州漢方研究会(会長−塚本赳夫薬博)では六周年を迎え益々活発化してきたが、今回左記により記念講演会を開催することになった。講師には漢方学会の長老であり、現在千葉医大講師である医博、和田正系氏を迎えることになっている。
 ▽日時=九月十九日(土)午前10時〜午後5時30分
 ▽会場=福岡市外二日市温泉 二日市公民館

 全国薬務課長会議 献血事業推進で

 厚生省薬務局は九月八日九時半から東京虎の門の日本消防会館で、献血事業推進のため緊急に具体的諸施策について打合せを行なう必要を生じ、全国都道府県薬務主管課長会議を開催した。

九州薬事新報 昭和39年(1964) 9月20日号

 第4回 九州薬業安定協議会連絡会 翌日ブロツク小売側懇談会開催

 第4回九州薬業安定協議会連絡会は9月9日1時から佐賀市陽柳亭において製企七社及び卸、小売側各県共、地元佐賀県では県厚生部並に薬務課よりの出席もあって開催された。 先づ島地元卸組会長の挨拶後、川内県協・商組理事長を議長に推し、同氏は、安定要綱実施も発足して一年、九州では初期の目的を大体達成していると信ずるが、然し尼ケ崎問題によりこの要綱もその性格が弱められるのではないかと危惧され、前進或は後退の重大時期であるので、去月熊本開催に引続き本日も亦当地で開会することになった。と挨拶し、それより左記主要事項につき報告、協議がなされた。

 @第16回中央安定協について白木、大黒の両中央委員から「地方地区に於て一部行過ぎがあつたのは遺憾であるが、要綱実施そのものは行過ぎを是正して今後も尚強力に推進すべきである」と報告があった。

 A中央情勢に対する九州ブロツク並に各県安定協の在方については、地方薬業安定協議会の運営及び指導価格の取扱いについて、先の厚生省に於る全国薬業主管部課長会議で其指導方針が薬務局から示されているが、今後この指導方向で進むことになれば、非常にその性格が弱められると考えられるも、抑々指導要綱が厚生省の要望により発足したことに思いを新たにし、最初の基本方針を貫けば、この様な問題は起らなかったと考えられる面もあるので、更に積極的に前向きの姿勢でやる決意で、安定のための非協力者については各自が要綱実施の精神を生かし、自主的に各階が自分の責任に於て実施することを確認し、其方法についてはこの様な場に於て話合い検討して行けば良いと思われる。

 Bメーカーの系列の強化と卸及び小売の在方については、系列化が極端に強化されると、消費者に迷惑を及ぼし、適正配置等の精神もゆらいで来るのではないかと考えられる面もあるので、この点につきメーカー側の意見を求めたが、然しこの問題は非常に重大な問題を含んでいるので、今回を第一回として今後引続き三者共慎重に考慮することになった。

 C事業所販売対策のその後の推移については、大分県に於て先に各事業所宛、県厚生部長名により「保険組合は保険施設以外の医薬品斡旋を薬業者より依頼されざる様、又団体や会社等に於ける医薬品の斡旋行為は薬事法違反になる惧があるので、これ亦依頼されざる様注意されたい」との通達であつた旨の報告がなされた。

 Dマスコミ品の小売零売対策については、種々意見も出たが、偽物を防止するため錠剤などにはその各メーカーを瞭らかにするマークなど、印を付し、この事を一般にPRする様要望があった。

 E家庭薬の市場安定対策については、これに関する問題も種々出たが、現在九州では、ロート、参天は大体指導価格が守られているが、サロンパスについては幾分乱れがあった。

 F感冒薬の指導価格については、卸、小売側では可成早く指導価格即新体系を打出して貰いたいので、メーカーの最善の努力を要望したいとの意見であった。

 次回は福岡に於て11月26日連絡会を開催することを決定して、当日の協議会を終了した。なお、小売側では翌十日同所に於て懇談会を開き、結論として「九州ブロツク小売側としては、メーカー並に卸側の協力者に対しては協力し、非協力者に対しては非協力の態度をとるべきである」との話合いがあった模様である。

 福岡県学薬常任理事会 古賀氏新副会長に

 福岡県学校薬剤師会では九月七日二時から県薬会館で常任理事会を開き左記の件につき協議報告があった。

 ▽角田副会長辞任に就て
 角田副会長が病気のため8月20日付で辞任届が出されているが、第20回日本薬学大会を控えて副会長欠員の儘では会としても困るので然しこれがため評議員会を開催するのも如何と思われるので本理事会で副会長を推薦し文書により評議員に了解を求めては如何との会長の発言を一同了承し、若松の古賀哲弥氏を本会の理事に先づ推薦し同時に亦副会長に推薦することを決定し、手続きについては執行部に一任することになった。

 ▽福岡県学校保健研究大会について
 十月一日福岡に於て開催され本会からも「公害(騒音、空気)の学校環境に及ぼす影響」と題して学薬師内田数彦氏が研究発表することになっているので県学薬会としても多数出席して貰いたい。

 ▽九州山口薬学大会について
 大会初日10月14日午前中に学薬部会が開催され本会からも前記内田数彦氏の発表の分及び「冬季に於ける業種別環境衛生調査について」と題し河野広登氏の研究発表があるのでこれ亦多数本会員の出席を希望する。

 ▽第20回日本薬学大会について
 例年標記大会には日本学校薬剤師会の臨時総会が開かれ引続きシンポジウムなどがあるが、今回の特別講演は可成地方色を盛り込んだもので地元で先づ考えた方が良いとの意見であるので、九大衛生学方面のものをと考えている、又シンポジウムのテーマは学校用水の管理と云う様なものが挙げられているが未だ確定したわけではないと友納会長から話しがあった。以上にて理事会を終了。

 福岡の薬業婦人ゼミナール 第二回講座

 福岡県女子薬主催の「薬業婦人ゼミナール」の第一回講座は去月25日開催されたが、その第二回講座が本月十日午後一時から明治生命ビル会議室に於て約一〇〇名の参加を得て開催された。講座内容は次の通り。

 

 ▽店頭に於ける育児相談の方法について=九大医学部小児科学教室、講師山下文雄氏
 ▽調乳指導の実際(哺乳瓶の選び方、その他全般的な具体的問題)=福岡保健所栄養室、栄養士樋口正枝氏

 公衆衛生功労者 須原勇助氏表彰さる

 財団法人日本公衆衛生協会主催、厚生省、北海道、札幌市後援の「第八回全国公衆衛生大会」が九月十七日午後一時から札幌市道新ホールに於て開催されたが、福岡県公衆衛生協会理事須原勇助氏(県薬監事)は永年公衆衛生事業の向上に力を尽されたとの理由で、県知事の推薦、厚生省その他関係者の審査の結果、功労者の一人として同会に於て日本公衆衛生協会長から表彰され賞状と記念品とが授与された。剤界としても同氏の受賞を祝福する。


九州薬事新報 昭和39年(1964) 9月30日号

 神田厚生大臣を激励 福岡県三師会大会

 神田厚相は本月18日医療費是正について注目すべき神田構想を発表したが、これより先に三師会では全国都道府県に於て年来の医療担当者のしての要求をオリンピツク開催前に貫徹すべく三師大会を計画していたが、福岡県三師会では初秋の9月23日県医師会館に於て三百余名出席のもとに華々しく開催した。清沢(医師)並に清水(歯科医師)四島(薬剤師)の正副大会委員長の挨拶があって次の三種議案を満場一致で可決した。

 第一号議案 基本調剤料50円設定即時断行に関する件(薬剤師会提出、長野県薬副会長説明)
 「長野氏の提出理由説明の要旨」=去る昭和27年に厚生省が行った医業実体調査なるものを基本にして、診療所に於ける一剤の調剤料を当時七円と報告されたのである。この七円は人件費、材料費及び諸経費の合計額のみであって、一日一剤の調剤に当然欠く事の出来ない必要経費である。仮りに、この必要経費を昭和27年から12年を経過した今日の人件費、諸物価にスライドしてみると約十三円となるのであるが、我々に支払われる現行調剤料は依然として九円五十銭である、即ち最少限度の必要経費にも充たない零細な金額である。

 本来、調剤料と言うものは、実はこれ等の必要経費に技術報酬を加えたるものであるべきであるのに、現行調剤料はその中の一部分をである実費弁償にも足らない定額が調剤料として支払われているに過ぎないのであつて、技術は現行の保険請求の面に於ては完全に無視抹殺されているものと言わなければならぬ。

 ここに於て我々は当然支払われるべき技術報酬としての基本調剤料を強く要求するものである。元来薬剤師が処方箋を受取つた場合に、その処方箋に何日分処方されていようが、又何剤処方されていようが、これ等に関係なく、均しく払われなければならない頭脳的、学問的な技術と、そして又法律によって定められたる調剤責任とを経済評価しなければならないことは当然であって、これがこそ近代社会に於ける医療経営の本然の姿であると思うのである。

 故に我々はこれ等を総合評価して、処方箋の内容如何に係わらず、処方箋一枚について五十円の技術報酬を要求するものである。我々が基本調剤料五十円と定めたる根拠は、薬剤師一人の一日の処方箋処理可能枚数を三〇枚としたものであり、一カ月の収得する技術収入が、僅かに都市勤労者世帯の、月間平均収入にやや接近すると云う謙虚な要求にしか過ぎないことを敢て附言したいのである。薬剤師が収得すべき、そして其調剤業務に払わねばならない学問的な技術料を五十円の基本調剤料として我々が要求する理由である。

 第二号議案 経済成長に見合う診療報酬の即時断行に関する件(歯科医師会提出)

 第三号議案 世界的視野に立つ技術料評価の確立と再診料10点の即時断行に関する件(医師会提出)
 なお左記宣言・決議も満場拍手の裡に可決し、万才三唱によって閉会となった。

 宣言

 「技術」は医療の根幹である。医療技術を前時代感覚に委ねて省みないことは理性の冒涜であり、正に近代医薬学の疎外であり人命の軽視である。ここに福岡県三師大会は一糸乱れない結束の下、重大な決意をもつて神田厚生大臣に対し、本年七月十八日の日医、日歯、日薬が提出した共同要望書(本誌別掲)の趣旨を十分理解され、国際的視野に立ち、又正しい国家理念に基いて「医療保険の改善」とくに「医療技術の適正評価」「再診料一〇点設定を即時断行されるよう強く要求する。

 決議

 一、再診料一〇点の設定  一、経済変動に対処する入院料の是正
 一、歯科補てつ等緊急是正
 一、基本調剤料五十円の設定
 以上四項目の要望をオリンピツク開催までに必ず断行せよ。右決議する。

 薬業婦人の集いの結びを決定 福岡の薬業夫人ゼミナール 第三回講座

 福岡県女子薬主催の「薬業婦人ゼミナール」の第一回講座は去月25日、その第二回は本月10日、引続き第三回講座が本月19日午後1時から明治生命ビル会議室に於て約一〇〇名の参加を得て開催された。講座内容は次の通り。

 ▽離乳について=九大医学部小児科学教室、講師山下文雄氏
  ▽離乳食の実際について=博多保健所栄養室、栄養士樋口重子氏
 四時講義は終り、閉講式に移って四島県薬会長の挨拶、次に同氏より受講者代表に修了証書が授与され、上田女薬会長の閉会の辞により一応三回に亘った講座を終了した。

 それより引続き「薬業婦人の集い」の結成式に移り、田中女子薬副会長は、「薬業婦人の向上のために三回に亘る講座の開催は誠に結構なことであつた今後も年二回位はこの様な集いを催すことは大変有意義なことと思う、なお一歩進めて薬業界の向上のためオール薬業婦人が一致団結して実社会に進出することは大きな意味に於て福祉増進の道につながる事であり、和気あいあい裡に手をとって突進したいと思う。」と挨拶し、一同の賛同を得て「薬業婦人の集い」が結ばれその世話人として次の四氏が決定した。
 三橋薬店 三橋 サダ
 三光薬品 庄野エツ子
 伊崎薬店 山口 幸江
 今宿薬局 土肥ひさ子

 神田厚生大臣への要望 三師会医療費問題について

 本年七月小林前厚相に代って神田新厚相が現われたわけであるが、七月十八日神田厚相に対し三師会代表が面会を求めて医療費問題に関し三師会要望書を手渡した、言うべき事を言い、主張すべき事を主張し、要求すべきものを要求した要望書である、福岡県三師大会(9月23日)に於ける宣言文中「本年七月十八日日医、日歯、日薬が提出した共同要望書」とあるはこの「要望書」を指したものである、要望書の全文は次の通りである。

 要望書

 国民医療の現状は医の本質を社会保険制度の中で完全にこれを無視し、学問の社会的基盤を剥奪し、そのために国民医療ののみならず医学の研究、教育体制は重大危機に陥っている。世界の体制としてのOECDへの加盟により、日本の国内体制においても、経済成長とこれに伴う歪の是正、開放経済体制と貿易自由化、及び低開発地域開発援助を大前提として、すべてを把握理解していかねばならない。そのためには、医療のあり方において、医療制度は医療制度調査会答申の主旨に沿うて向上させなければならない。

 また、社会保障は単なる経済保障のみを中核とする過去の概念から脱皮発展して、国民の健康、教育等、文化財の質的保障の方面に改変させなければならない。以上の趣旨にもとづき、日本医師会、日本歯科医師会及び日本薬剤師会は学術専門団体として、国家の現状を憂え、左記事項につき重大決意をもって申し入れせざるを得ないのである。よつて、議会政治の真価にかけても即時実現されるよう要望する。

 記

 一、厚生行政の反世界的、反社会的態度の緊急是正
 厚生行政は世界の進歩の方向と、自由社会の基本精神とを医療においては全く打ち出していない医務行政は保険行政に従属している。保険行政は保険者の利益を国家権力をもつて庇護し、社会保障財閥の繁栄を零細国民の犠牲の上に確保し保険者の身分法たる健保法をもって、旧軍閥官僚の衣鉢をついでいる。かかることは議会政治の名の下に速やかに払拭されるべきである。

 二、医療保険制度の抜本的改正
 経済成長の速度から考えても、将来における国民各階層の格差の増大を防ぐ意味からいつても、各種医療保険制度の統合は高度経済成長下においては焦眉の問題である。組合健康保険方式と共済制度の下においては青壮年時代の高額所得に対して高額の保険料を徴収して、定年退職後はその蓄積をすべて組合に没せられて老令慢性病に対する備えは全くできない。青壮年期における老後に備える個人の努力をすべて否定する組合健康保険方式は、社会保障の一環としては一刻も存続を許すべきではない。今日の国民健康保険は、経済成長に追いつかない農民、零細企業、老令退職者を中核とし、生活水準は低く、罹病率は高く、生活能力が低いにもかかわらず、健康保険制度の矛盾により所得の再配分は行われず、最悪の状態に放置されている。組合健康保険方式の存続を許すことによって、国民健康保険を初めとして、すべての社会保障的施策は混乱と不合理を零細所得層に皺寄せし、国家権力によってこの状況を更に強制せんとしている現状を放置して、社会秩序の確立及び社会保障の充実を唱えることは甚だしい政治の欺瞞である。

 (イ) 現時点においては緊急措置として少なくとも健康保険組合の新設は即時中止すべきである。
 (ロ)次に、国民健康保険の四千万国民に対し、日本人としての自覚と自信とを社会保障の名の下にもたせるためには、国民健康保険九割給付を断行すべきである。そのためには地域を根幹として、一生を通じて健康を把握する国民健康保険方式こそ社会保障の精神でなければならない。組合健康保険、政府管掌健康保険等各種社会保障の乱立は日本の未来を暗黒化するものである。

 三、厚生省の行わんとする医療経済実態調査の非学術性の認識と診療報酬の緊急是正について
 過去五回にわたって厚生省は医業実態調査なるものを実施したが、その結果は、日本の経済発展から医療経済を隔離したにすぎない。また、医学の世界的進歩の列から日本医学を後退せしめただけである。何等医療の荒廃を認識せしめたものではなかつた。おそるべき行政の魔術である。

 経済成長に対応し、医師の診療報酬を引き上げるには診察技術料の引き上げ以外にあり得ないことは経済学者の通説である。しかるに、厚生省当局は物価高騰による入院料の引き上げのみを重視しそのためマスコミを動員して、あらゆる権力を行使しこれを妨害している。かつて、古井元厚生大臣が不当なる点数表の改訂を行なつて退職した直後に灘尾厚生大臣は深夜診察料その他無形の技術に対する点数設定を緊急是正のもとに中央医療協議会(当時診療担当者は不参加)に諮問し断行している。

 しかるに、今日厚生省当局は、再診料一〇点の要求に対し、点数表の大巾性格変更を意味すると称して、世間を欺瞞している。かくの如く、すでに灘尾厚生大臣当時の中央医療協議会において、無形の技術評価を点数表に新たに設定した事実を忘失したかの感がある。実態調査によらなければ技術料は決定できないと称しているが、経済学的には実態調査による医師の技術料の決定は不可能である。国際比較による以外に方法はない。

 厚生省当局は学術的根拠のない権力的調査によって技術料の算出が可能なる如くに世間を欺いている態度は許せない。オリンピツク開催以前に解決の方向を国際的視野によって打ち出さないときは、重大な事態を招来するかもしれない。

 教え子による 江口新学長祝賀会

 元長崎大学薬学部長の江口虎三郎先生が去月福岡市高宮の第一薬科大学々長に就任されたので、長大で直接教えを受けた、現在福岡県在住の約50名が参集し、福岡市春吉、龍鳳で江口学長の祝賀会を9月19日夕、開催した、長大薬学部同窓会の高取教授をも迎え悦びの裡に高取会長のお祝いの言葉、江口学長の感謝の辞が述べられ、それより開宴、師弟の温情、隔てなき同窓の和気あいあいたる集いは微燻と共に談笑しきり、昔語りに時を過し江口学長を祈って万才三唱洵に和かな心からなる祝賀会であった。

 ◇薬と健康の週間 本年度実施要項◇

 薬と健康の週間は毎年実施されているが、その目的とする処は、薬に関する正しい知識と薬の適正な使い方を広く国民に普及することによって国民の健康の増進と保健衛生の向上を図るためである、本年度の実施要項の概要は次のようなものである。

 ▽実施期間=11月23日(月)〜29日(日)までの一週間
 ▽実施主体=主催−厚生省、都道府県、日本薬剤師会、都道府県薬剤師会▽後援−文部省、薬事関係団体
 ▽実施事項=本年度は特に次の事項に重点を置く、主催者は後援者の協力を得て実情に応じた計画により実施する。

 (1)本年度実施の重点は
 @薬の適正な使用と乱用防止について
 A保険薬局の周知に就て

 2)中央に於る実施事項
 @主催者は、自己の広報機関を全面的に活用し、一方、報道機関には、資料を提供して協力を求める
 A厚生省は、製薬団体及び製薬業者が行なつているテレビ、ラジオの提供番組又は新聞等の広告紙面の提供を受け、当該製造業者の広告の一環として、本週間の趣旨の徹底を図って貰う
 B主催者は、週間に関する壁新聞、印刷物等を作成して都道府県に配布する
 C厚生大臣は、薬事功労者を表彰する
D主催者は、週間に関する標語の募集を行なう

 (3)地方における実施事項
 @都道府県並薬剤師会は自己の広報機関及び報道機関等に資料を提供してこれを利用する
 A知事は、薬事功労者、優良薬局等を表彰する
 B講演会、映画会、医薬品相談所、医薬品展示会等を開催する
 集を行ない、優秀作品を表彰する
 D都道府県は、知名人を医薬品臨時監視員に委嘱し、製造及び販売業者等の実態の視察とその報告座談会を実施する、製造業者等の協力を得てラジオ、テレビ、新聞等で放送、報導する
 E学校薬剤師、保健所薬剤師等により学校や地域に於る環境衛生活動の一環として、週間中に水質及び空気等の衛生検査並に該当相談等を行なう
 F薬剤師会は、医薬品、化粧品等の検査を行ない薬剤師の活動分野を紹介する
 G主催者は、薬局及び医薬品販売等の適正な在り方について、自主的な指導又は研修を行なう
 H主催者は、報導関係者婦人団体代表者等の製薬工場等の見学を実施する

 (4)その他、医師会、歯医会、薬大、各学校等とも連絡をとる等、各種関係団体と協調し、実情に応じて適切な事業を創意工夫して実施する。

 原爆被害関係の 薬局の指定 全面的解放さる

 福岡県薬剤師会では、兼て要望中であつた「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律に基づく薬局の指定」が今般全面的に開放されることになったので、この機会に保険薬局は総てこの指定を受ける様切望している、又現在保険薬局でないものはこの際保険薬局の指定を受けると共と此指定をも受ける様これ亦切望している、その指定申請手続きは県薬各支部を通じて10月7日以前に行なつて貰いたい、申請用紙の配布は県薬が県医務課から依頼を受けているので、本会員でない薬局では本会支部を通じ先づ入会の上指定の手続きをとつて貰いたい、指定は11月1日付で行なわれ、指定書は所轄保健所を通じ交付する。