通 史 昭和37年(1962) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和37年(1962) 1月1日号

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 昭和三十七年新年号
 構想を新たにして 参議院議員薬学博士 高野一夫

 昭和三十七年の新春を迎えて慶祝にたえませぬ。人間は正月を迎える度に年をとってゆくので、考えようによってはあまり目出度くもないわけですが、然し若い者は成長してゆくことを慶び、年行った者は益々元気で長寿であることを誇りに思う所に、正月の楽しさがあるのでしょう。仕事がうまく行かなかった者は再起奮発を期し順調の者は愈々もって順風満帆を祈る人間社会のしきたりと云うものは、形の上でも面白くできているものと思います。

 私は昨秋ドイツを初め欧州各国を廻り、米国を視て帰国しましたが、欧州経済共同体を調査しているうちに偶然にも判明した共同体加盟六ヵ国の薬学、薬事制度の根本的変革の企図については、内心非常な驚嘆を感じた次第です。薬学教育の水準統一化、薬剤師資格の三分類化、薬剤師の資格共通化、各国の製薬工業の強化策、価格の共通公定そして共同体本来の目的である域内関税の零への引火、域外に対する共通関税などまさに歴史的の大計画です。しかも、こういう事を一九六三年までにやってのけようという凄まじい意気込みであります。

 加盟国たる西独、フランス、イタリー、ベルギー、オランダ及びルクセンブルグの各国薬剤師協会で構想を練り、各国外相による共同体理事会にかけ、各国から出てきている専門委員によって細目の具体策を引続き研究中であります。この共同体には新たに英国、スイス、ポルトガル、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーが加盟を申込んでおりますから、之等の加盟が承認されれば、西欧側の殆ど全部が経済的に一体となり延いては現在の欧州議会を中心として欧州連邦へもってゆく目標を立てて進んでいるのでありまして、日本の医薬品貿易薬局制度を欧州並みに改革してゆきたいと考えている日本薬事法の在り方、日本薬科大学の問題等、我々としてぐずぐずしていられない感を強く抱く次第であります。

 日本の乱売問題と米国薬局の乱売問題との本質的相違、スーパーマーケットの在り方の違い、之等は日本の乱売問題と薬局及び医薬品販売業許可の問題について非常な参考となりました。即ち改正された薬事法の許可制度に関する法の精神に鑑みまして、行政的にも厳格なる措置をとるべきであるという私の見解を、愈々強める必要のあることを痛感し、更に三師会提携、医療法、及び歯科医師法と共に薬事法と薬剤師法の根本的改正へ一歩を進めなければならない、思えば本年もまだ多難な、しかし希望のもてる年でありたいものです。薬界関係者の自愛と奮起を祈ってやみませぬ。

 

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 新春捕虎児 藤田 穆 第一薬科大学長 薬博

 何か景気のよい事がありそうな寅年の新年だから、今年は薬業界に待望の特別なめでたい事が湧き出て来ることを衷心より祈りたい。私はこの前福岡県薬事審議会の委員を委嘱されたのだが、その立場を離れた私個人の抱懐する多年の主張から、本来末広がりの前途を有する筈の我が薬業の諸君に年頭に当って愚見を披露して御批評を乞いたい。

 薬業近年の雲行きを眺めて居ると、何か一種病的なあせりを感ずる。凝っては思案に能わずと言うが、永い経過の末行詰ったことを如何に一途に思いつめても夫は解決策にはならない。我が頭顱内だけでは客観性がないのである。達摩大師九年の面壁も凝って終っては放屁一発遂に解脱への道ではなかったのだ。ただ夫が解脱への道でない事に気付いた点に於いて一大収穫であったろう。かような時には心頭を滅却し、退いてより広いより深い因由を静に検討して行き詰らぬ遙か手前の岐れ道を改めて辿り直す外はない。

 分業の法令は既に達成しながら福は来らず。もがいて廉売、乱売、捨売、投売果てはスーパーマーケットの脅威に会い愈々個人企業の曲り角に来たようである。しかし我も人の子、この自由経済の世の中に薬業にだけ陽光がさし込まない訳はなかろう。尤もこれだけ迫って来ては安閑として居て御光が差し込む筈はない。此方から招き寄せねば来る道理はない。新年に当って皆で何故こんな状態を招来したか深い深い洞察をし直して一大奮励に転ずる時機ではあるまいか。

 明治初年に日本に初めて薬学ができた頃の卒業生の称号は「製薬学士」だった。ファルマシーは訳すると「製薬なのである。調剤の技術は別にヂスペンサリーと言う。その後医薬分業達成の為めには医師薬剤師略々同数入要だと言うことになり、それから雨後の筍のように多くの薬専が出現したのは、実は分業に備える為めのヂスペンサリー要員の臨時養成学校の意味が多分にあったのであるが、今日分業達成後も依然としてこの要員養成は改まらず、しかも私立経営のため多数の定員を頬張る大学が多く、薬剤師の地位水準の維持向上は愈々困難となって来た。かてて加えて自由資本主義の発達から、純粋のファルマシー製薬家は小数の大資本に統合されて、他の群小製薬業は何かの形で夫等の系列下に属せぬ限り立って行けなくなって来たのである。即ち今日の悲境は由来する処甚だ遠く永年の間に来るべくして来た感が深い。不幸を刈り取るものはそのかみ養成に携わった人でなく養成されて輩出した現薬剤師である。

 ここ迄述べると読者は御先き真暗になり屠蘇の酔もさめる思いをされるか知らないが、薬学の功徳は決して右のような貧乏臭いものではない。薬学の道にはここに到る前に広、狭多くの岐れ道があった筈で今日の不況は恰も山登りの途中楽そうな近そうな道と思って辿った道が炭焼きがま迄でぱったり糞詰まりになったようなものだ。本道は或は夏草で覆われて居たかも知れないが、ずっと手前に歴とした頂上への道があるのである。

 私は今から三十年前薬専の道が炭焼きがまえの糞詰り道なることを思い、明治初年の製薬学士の昔に戻す意図の下に製薬科を併置する計画を立て、終戦の年やっと五十名の定員で熊本に初めて発足した。その後曲折を経て今では日本各地に製薬科の増設が実現しつつある。然しここでも読書は製薬メーカーの大資本下で個々の小中製薬企業が果して成り立つか危惧の念を禁じ得られないだろう。が御安心あれ薬学が持って居る「ばけ学」の功徳は想像以上のもの。造化の神のバックアップがある。世の中の最高の智者と雖も「ばけ学」を知らぬ限り物の質を変えた先きのもの迄も見通しはできない。即ち化学の武器こそ薬剤師のみの特権を擁護する守り刀と言える。

 この前或る県薬会長に「不景気な事ばかり言わずに一つうんと良い智慧を出して面白く儲かるものをでっち上げなさい」と言ったらその君曰く「先生実はその智慧が出ないのです」と。「それでは半分だけ智慧を出しなさい後半分は僕かまたは同僚に頼んででっちあげて貰おう」と其の後半年以上経ってから会ったら「先生あの半分の智慧の方もやっぱり出ません」と。「それでは尋ねるが日頃薬局に来る老人や角さんで問わず語りに「何の病気には何々が良く利きますなあ」と話す人は居ませんか?」。

 彼氏曰く「いやそれなら毎日のようにそんな話が出る」。私曰くそれ々々私が言う半分の智慧とは夫の事だ。赤痢には田螺をつぶして二匹分程酢で服み下すとすぐ癒るとか、正月の交譲木の葉を四五枚煎じて服むと神経痛は一遍だとか、夏の子供のあせもの親は桃の葉の煎じ汁ですぐ癒るなど……。これ等の半分の智慧は甚だ貴いが、此方に取入れる用意がないと智慧にならず仕舞になって記憶から消える。受け入れ準備と言うのは何百円もする皮表紙の立派な手帳を日頃持って居て、話が出たらすぐ丹念に記帳して置く。然し記帳しただけでもいかん。真偽の程はまだ不明だ。そこで帳面を時々見ながら夫を応用して試る場合々々を待ち構えて居る。

 例えば夏アセモの親が子供にできたら早速この帳面の薬を作って試みる。驚く程利く。これで前半分の智慧は実証までできたのだ。後半分の智慧は学問的でっち上げに属するから個人薬局では無理だから学問をして居る君に協力を頼んで構造式やら亀の甲やら並べ立てる。それで後半分の智慧も揃う。製品販売の申請となる。が近頃では薬の洪水で厚生省も仲々許可せぬ。化学は何も薬のみではない。飲食物から洗滌剤、新鮮保持剤、油脂酸化防止剤、庇物利用法、例えば自動車の潤滑油回収とか、古電池からの亜鉛や滷砂回収とか……。とかく化学的に「化かせる」ものなら何でもよい。

 或る山国の薬局でソーダ灰即ち脱水炭酸ソーダ末を俵で買って、夫を水から再結晶すると、約十七割の水を結晶水として持って結晶する。大半水を売るようなもので大分儲る。違法でもインチキでもない。立派な化学製造だ。炭酸ソーダの需要は田舎では割合に少いが、もし井戸水が硬水のひどい地方なら水を試験して一〇立当りソーダ溶液コップ一杯とか二杯とか決めて入れ、その後で石鹸の泡立ちの良くなり加減を目の前で実演して見せるなどの啓蒙をやれば需要も増そう。母姉会などでなら更によかろう。

 ある君は工場癈液から蒸発によってハイポーを毎日一屯半も製造して大阪に卸して居るのもある。こんなのになると一寸工業めくが、薬局の奥の間で自家製剤的のもので結構ありふれた田虫水虫の薬でも根気よくつけると大抵の薬で癒るのだが、一般人はその根気が続かぬ。忘れた頃また痒くなる。その時薬局に来て「○○○製薬の○○○でもやっぱり治りませんなあー。何かも少し良く利く薬はないか」と言う。こんな人に自家製剤を勧めて且つ懇切に治癒後の持続迄言い含める。五人の内一人でもよい治ればその人が他の人々に大メーカーの○○でも治らなかった水虫が何々薬局の何々で治ったと宣伝して呉れる。必ずしも新規発明の水虫薬でなくれもよいのである。その代り勝負が大変永くかかる。私の十年計画では夫をねらうので、十年経つと何さんの薬と言って帰依者が増し相当の量が出るようになる。この自家で手を汚したものが即ち薬九層倍即ち九十割利益の本尊で、薬局店頭のは正価でも僅に三割、廉売で二割、乱売で一割と比べるなら勿体ない位。

 鳥栖附近の売薬もやはり薬九層倍の部類で結構売れて居る。調剤ヂスペンサリーは純粋の商売ではなく技術なのだから夫を商売にする処に既に間違いがある。経済学者も言うように、この物価変動の激しい世の中で、何千種類の品の大半を半年も一年も棚に置きっ放しでしかも利鞘が僅か三割以下では商売にはならない筈だと。簿記法を教わってないの、経済学が不足だなどとこぼすのは抑も末で道路が既に炭焼きがま道の途中だからなのだ。薬学の製造は小は爪の垢程から大は大工業生産に到る迄、易は天然酸性粘土の缶詰めより難はサントニンの合成までどんなにでもある。私が製薬を云々すると恐らく読者諸君は三菱化成や武長などのあの華々しい大製造会社を思い浮べるだろう。思い浮べられるのは勝手だが薬学の製造はそんなものばかりではない。

 私はまた現在の薬局を癈業して今直ぐ製薬に転業せよと言った覚えは一度もない。私の小企業製薬は宮本武蔵の二刀流で、薬局を片方に営みつつ片方で良い智慧を出してしかも十年計画で細く永く育て上げる。初めからボイラーを据え付ける訳でもなく、新聞広告を大々的にするでもない。砂に水が滲み込むように何年がかりで近所の得意達から順々に滲み込ます「砂浸の計」とでも言おうか。現在の一薬局が受持って居る人口三、四千−五、六千(田舎)の一般薬の需要にかけ会う自家製品のはけ先きの広さを考えるなら、一郡か一市位を確保出来れば充分だろう。徒に広告ばかりで日本国中に売り拡げても雑用倒れは必至であろう。この「砂浸の計」でやり上げた古来の薬の寿命の永さは驚くばかりで地元の人々の人情に迄喰い込んで居ると見えてもう製造を止めましたと言ってもやはり次々に注文して来る。とても大メーカーが大広告で売り出したものとは雲泥の相違だ。

 いづこも同じで農業でも農業基本法によって農業の実体改造に乗り出すことになった。薬業でも近年迄はよかったがもう愈々曲り角に来たのだから自発的に智能を絞って実体改造の気運を皆で盛り上げ洋々たる前途を切り開かれるよう切望して止まない。
 初春や庭に割り振る花暦
 霧のくに人

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 先輩の思い出 刈米達矢 国立衛生試験所長、薬博

 私の崇拝している先輩の九州人が二人いる。田原吉純先生と丹羽藤吉郎先生である。私が大正六年大学を卒業し、大正七年内務技師を拝命し、内務省衛生局に入り、衛生試験所技師を兼任した時は二十五歳で、未だ世間のことは何もわからない青二才であった。

 時の衛生試験所長は田原先生であったが、所長の好意で研究室を与えられ、内務技師が本務なので田原所長から見れば継子の身分でありながら、実子と全く同じに可愛がられ、時々所長室に呼ばれて、処世上の教訓を授けられた。毎年歳末には内務省の幹部を柳橋に招いて一席を設けられたが、その時は私は客分で席末に連らなり、田原所長は私の前まで御盃頂戴に廻って来られたが、酒席の作法など今に至るまで身に沁みている。

 時は変るが慶松勝左衛門先生がある懇談会の席上、若い人が先生の前に出て、先生一献と盃を差出すや否や先生色をなして、何だ君は若造のくせにおれに餘滴をなめさせるのか作法を知らぬも程がある。先輩に向ってはお流れ頂戴と出るべきものだと大喝されたことがある。

 盃の献酬の可否は別として又、封建的と云う見方もあろうが、盃の献酬という古来の習慣をやる以上は、古来の作法の仕来りによらねば、その人の教養を疑われることもあろうかと思う、時に地方の薬剤師会の宴会で知事や局長と同席して、若い人が知事さん一つと盃を持って来るのを見て冷感を催すことがある。

 丹羽藤吉郎先生は私が大学に入った時は相当の行年であったに拘らず助教授であったが、教授なみの講義をしておられた。折に触れて学問を離れて薬剤師の職務の崇高性を説かれる熱の籠った九州弁は未だに耳底に残っている。

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 新春雑感 塚元久雄 九大教授 薬博

 月並な言葉だがまた新たな年を迎えて今年こそはと思いを新にする。今年の希望を画く前に去ぎし年の回顧をしてみると、一体何にをしたのか、満足なことが思い出されない。私自身としても否日本全体が何か歯車の廻転が正常でなかったように感じる。

 十一月初旬に私は薬剤師協会主催の講習会で、九州、山口の各地で「大気の汚染」に就いて話しをするようになった。大気の汚染の問題は色々あるが、何しろ五〇メガトンの後だけに放射能による汚染問題を聞きたいという方々が各地とも共通の願いであった。しかし、放射能に関する検出にしても現在でも色々と各所で統一なく行われているし、又その障害作用に就いて種々な見解があるので満足なお話をすることが出来なかった。否それより然らば放射能の検出によって汚染を確認した井水、田畑、野菜、魚類等一般飲食物の処理対策はと問れた時、ハタと行きづまった一体放射能の飲食物等の汚染を証明して、どうするのか、汚染した水は飲まず、野菜其他は放棄しなければならないのか、又その後処理はと考えると汚染を一般に発表しても、単にその恐怖心のみ高めるだけで、その対策に何らなすことが無い現状で、はたして益があるだろうか?無策の対策、こんな事が去年一年に色々な面で考えられた。

 政治問題にしても所得倍増計画を声を大にして人心をあおりその結果日本経済を泥沼につき落し、さてその対策亦無策、こうした現象は交通地獄に就いても云える。毎日の交通事故は多くの人々の心をいためてはいるがその対策も亦無策である。こうして去ぎし年には全国に無策、無策の連続であった。何とか今年は有策と行きたいものである。新春にあるまじき愚痴をチョッピリ披露する悲しき心境である。

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 人参の種子蒔き 高取治輔 長大薬学部教授 薬博

 長崎県の委嘱で県内薬用植物資源の調査と適地植物の栽培の目的で九月初旬に島原半島を踏査した、神代−島原−加津佐−口ノ津−小浜−千千石と東西南北から県のヂープの便を借り求心的に雲仙岳の山麓から山腹へ進入するコースを取った。普通の観光コースから見る景観と違って色々の角度から一週間恣に秀峰の眺望を堪能する事が出来た事は何よりの悦びであった。

 山腹には方々に開拓地が点在している、戦後引揚げの人達が営々として開かれた所である。所によれば耕うん機の響も明るく沃土に恵まれた所もあるが、あれから十五年今尚不自由を忍んで自活の途を切り開いて居られる所もある。其の一つに千々石町木場赤溜の開拓地がある。入植時十六戸が現在九戸に減り標高五百米の山間僻地数年前やっと引かれた電灯と一軒の家から聞えるラジオが唯一の文化、初めて訪れた時の感じは筆者昭和十六年十月七日南台湾の潮州から新置を経てライシャ溪を登り大南武山腹標高八六〇米のライ蕃社にあった星製薬のキナ園を訪れた当時を思い出す程であった。

 戦前外地では不自由のない生活をされた人達が慣れない仕事に機械力も使わず鍬一本で切開かれた畑に自活の為めの作物、収入の為めの作物と過去役場の技術指導の人も色々と心配されたが、馬鈴薯は僻地で搬出に困り鮮菜類は需要地が遠隔等と夫々の困難が伴い結局現在は自活のための陸稲、麦、野菜と収入減としての甘薯(コッパとして出荷)と落花生位が主な作物である炭労の様な組織も持たず赤い羽根の恩恵も受けない人達で医者どころか保健婦も一度も廻って来た事も無いと云う人達がレジャーブームとかで年中賑ている国立雲仙公園の山腹にひっそりと恵まれない生活をされつつある等とは遊客は夢にも思わない事だろう。

 薬学は本来が人間の苦み病老を解脱させる慈悲の学問であるが、此上更に其の専門とする植物関係で幾分でも恵まれない人達の生活のお役に立てばと思う。而し薬草の栽培と言っても簡単な事ではない。先ずやって引合う事確実な需要のあるもの風土に適するもの、場合によれば栽培に長年を要する等色々の条件がある。

 赤溜の土質が黒土(クロボク)腐蝕質で平地より平均五度位温度が低い事等から或は薬用人参の栽培が可能じゃないかと考えたのは九月の調査からである。幸い十月末に県の厚意で島根県大根島の栽培現地の視察に行かせて貰った。

 大根島と云うのは松江市の北島根半島と夜見ヶ浜とに囲まれた中ノ海に浮ぶ六万粁に足らない小島であるが、千世帯六千人が生活している。人口密度は松江市に次ぎ県下二位と云う。平たい島で全島殆んど耕地で四百町歩あるが水田は僅かで米薪も島外から仰ぐ状態でどうしてこうも沢山の人が住みついて居られるかと思う。島内を歩けば特異な片屋根掛けの人参畑と桑園と甘藷畑である。之が島の経済を支える三本の足である事が直ちに理解される。

 稲作でなく畑作一本に頼らねばならない所は南高の開拓地にも通じるものである。本島の人参栽培は天保初め松江藩により初められ民間に移されたのは明治六年以後からと云う。養蚕は明治二十年頃から始められ此の二つが今日でも大きな換金作物である。絹と云う人参(此所の人参は殆んど紅参に調製し香港台湾に向けられる)と云う外国市場を対手とするものであるだけに、永い間には色々の浮沈があったと聞くが今尚ほ此れより他に行く途が無いと云う処に此の島の宿命があり、又島民の異常な熱意と努力が続けられている所以でもある。薬用人参は播種から堀取りまでに五−六年の歳月と栽培にも相当の手間を要する此点開拓地に直ちに受入れられるかが最大の懸念であったが、此ままでは衰微の他はない人達の非常な熱意と自分でも近く大根島を見に行くと云う田中千々石町長の支援と県薬務課の厚意を得て愈々その試作栽培に踏切る事となった。

 幸い種子は島根県農事試験場の小倉達雄氏(昭和十四年卒長薬)の斡旋で手配して頂いたので十一月中に数回現地に出向むいて薬液注入による線虫類の土壊消毒播床の整地等と村の人達と共に準備して種子の到着を待った。此間人なつこい学齢前の子供達とも馴染みになり私達が登って行くと悦こんで「叔父ちゃんきつかったろー」と彼等なりの挨拶で迎え、持参の飴玉を渡すと喜こんで家々に走り母親に告げる様は甘い物に飽いた都会の子供には見られぬ純心さである。

 十一月三十日落葉を踏んで赤溜りに登り予て用意した床に一粒一粒の種子を播きつけた。一粒の麦ならぬ此の御種人参の種子が無事発芽生育して呉れる事を祈り乍ら。尚之と並行して新春からは柴胡等の短期換金作物も考えてやらなければと思う。此の仕事に対して終始協力して頂く生薬教室の大橋、三浦の両助手の労に感謝し乍ら不老長生の薬用人参の種子蒔も亦新春の題として格好かと存じ一文を草しました次第です。(昭三六・一二・一五)

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 年頭所感 九州山口薬剤師協会 会長 瓜生田 定

 一陽来復年新らたまり之処に昭和三十七年の希望に輝く新春を迎える事は誠に御同慶にたえない次第であります。顧りみれば昭和三十六年の年は我が薬業界に取り幾多の印象と関連の深い事績を残した一年ではあった。

 占領政策の落し子としてのなされていた旧薬事法も昨年二月以来不満足乍ら我国薬業界とマッチした薬剤師法並に薬事法の制定により、其の影を役し多年の熱望であった学校薬剤師の必置が法制化されると云う画期的運命が生れ薬剤師が社会活動の上に於て医療担当者として牢因たる基礎を築き得た事はまことに喜びにたへないのであるが、其の反面に於て医薬品の供給面ではさらでだに業者の乱立を見る今日、更に薬事法の盲点をつき生協購売会は更なりスーパーマーケットの医薬品販売進出等々業界の悩みの種をのこして歳を越したのである。

 日本薬剤師協会に於ても代議員会の決議に基き、時代の要求に答える脱皮の方法として先きに定款改正の委員会を設け、更に小委員会に依り数度にわたる研究討議の結果、十一月二十五日の委員会に於て漸く結論に到達近く全体委員会の議に附し最終決定の上日薬会長に答申する運びになった事は少くとも委員各位が業界の和平統一を念願する真に日薬を愛し薬剤師の立場を充分理解した結果に外ならない事を小委員の末席をけがし討議に参加した者として喜びにたへません。

 只々遺感にたへない事は業界全体を通じて如何に政治力の貧困さを感ぜさせられた事である。それは来るべき参議院議員多数改選に当たり、一人の業界統一候補を立て得ない事は今後薬事法の再改正、薬剤師会法の改正、スーパー問題の解決に臨む法改正等々幾多難問の山積せる今日誠に遺感にたへないのであって、今後法改正に依りて我剤界人の安住楽士の建設を望む今日こそ薬剤師の一考又一考する事ではあるまいか。これこそ全く一貫した主体性なき薬剤師界の現状曝露の証査に外ならないと思われる。

 本命たる調剤に或は医薬品の供給(販売)にたずさわる薬剤師諸君も小異を捨てて大同につき、全薬剤師の一大結束の下、共に手をたずさえて其の権勢を天下に宣揚しもって業権の確保と進展を計ってこそ明日の幸福と繁栄を得らるるものである。之の意味に於て三十七年こそ尤も意義深い試練の年でもある。年頭所感の一端を述べ薬剤師諸賢の一考を乞ふ。(大分県開局)

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 医薬分業躍進の年頭に当って
 大牟田薬剤師協会長 福岡県薬薬局委員会委員 中村里実

 昭和三十七年の年頭に当り九州薬剤界諸兄姉に御祝詞を可申上筈の処、今や我が剤界(の中の業界)は未曾有の混乱と危機下にありその気になれない現状は、真に遺感の極みである。然し乍ら医療懇談会及び中央医療協の議を経て答申された医療費緊急是正では愈々昭和36年12月1日を期し実施され、新しく処方箋料が設定された事実は、医薬分業推進にとって、その活用如何により、画期的新時代を到来せしめるものと信じ慶賀に堪えない次第である。

 医薬分業の推進については、日薬、各県薬並に、地区薬剤会指導層及び有志の不断の努力により逐年前進は致しているものの、剤界八十年来の悲願である完全分業への途は遙かなりの現況である。此秋処方箋料の設定の好機を逸する事なく、異常なる熱意と、周到なる配慮と、活撥なる行動によって前進が開始されねばならない。茲に更めて、医薬分業論を展開しようとは思はないが、医薬分業実現への長い苦難に充ちた活動の過程の中で、身を以て体験し且つ痛感した分業推進を阻害し又は特に留意すべき二、三の事例を引用して江湖の御参考に資したいと思う。

 ▲医薬分業制の実現と薬剤師の社会的、経済的地位の向上確立との関連性について、多くの人々(薬剤師)は理解と認識に欠けている様に思はれる。特に社会的地位の意味するもの及び、その経済との相関性についてその感が深い。今日一部のメーカーと之に連がる一連の所謂薬局経営指導者グループにより売らんかな主義が強行指導され、翻弄されているかに見える。

 勿論斯かる教条を実践する事は一部の人々にとり経済的向上の一方策ではある。然し此事は、社会的地位の向上を必ずしも意味しない。何故であるか。販売業によっては、医薬品の特殊性を強調しても政治家、政党、大衆或は報道機関等に対しその公共性を理解せしめ、納得せしめ地位向上策を採らしめる事の至難なるは、歴史の示す処である。然もマスセールを実行するには、立地条件、経営的才能、資金等自ら制約があり全開局者には期待出来ないからである。社会的地位の向上を計るためには、飽くまでも、その公共性を前面に押出した医療担当者としての地位を確固たらしめねばならない。そのためにこそ医薬分業への前進を計らねばならない。それが窮極に於て大部分の薬剤師を職能的にも、社会的にも、そして経済的にも生す道である。

 ▲保険調剤は中央地方に於る役員及び有志の努力により、九州各県とも全国水準の上位にある事は喜ばしい(但し大分、宮崎の両県極端に低調なるは遺憾であり奮起を促したい)。既に国民皆保険が本年の四月一日を以て達成された現在、保険調剤は即ち医薬分業と同義語であるとの認識を新にして頂きたいと思う。而して薬剤師(薬局)を保健機構に完全に乗せてゆく事が医薬分業を達成する所以である事を知るべきである。

 ▲然らば国民皆保険体制の中で医療保険制度更には医療保障制度の中で我々薬剤師(薬局)は分業推進のために当面如何に対処すべきであるか。受入態勢の完璧を期する事が急務である事は論ずる迄もない。調剤(薬剤学)に関する知識技術の向上錬成、調剤用医薬品の充実整備、施設の改善等はもとより、複雑多岐をきわめる保険関係法規及び保険調剤の取扱並びに請求事務等に習熟する事が緊急事である。近事経営にして、正当なる理由なくして保険調剤取扱請求事務等不明などの故を以て調剤拒否をする事例をみる事は言語道断である。調剤拒否者は分業推進を大きく阻害する存在であるばかりでなく累を大多数の真面目な、保険薬剤師(保険薬局)に及ぼすので自ら保険薬剤師(保険薬局)を辞退すべきである。

 ▲剤界(業界)の未曾有の混乱と危機については先に触れたがその余波をうけ、寧ろ必然的帰結として近年薬剤師の倫理は極端に低下した様に見受けられる。此事は明治以来日本に於ける医薬制度の不備に基因し、長い事業の歴史的背景を思い合せる時、行政及び立法当局にその一半の責任があるのは勿論であるが、而も今日余りにも商業人化した薬剤師の多きは慨嘆に堪えない。

 我々は今こそ謙虚に反省し、薬剤師(医療担当者、医療機関)としての倫理を復元し調剤はもとより薬事衛生各般更には予防衛生、公衆衛生、学校保健活動に自負と矜持と実力を以て格調高き薬剤師として運命の開拓に邁進しなければならない。併せて日常の用語、態度、服装、話題等にも細心の配慮がなさるべきである。 (ジャンパー、下駄履き、腰にタオルの開局薬剤師を時折みるが、これで医師歯科医師或は広く大衆の信頼と支持を得ようとしてもドダイ無理である)

 ▲勤務薬剤師(病院、衛生行政その他)の方々には分業について比較的無関心な方が有るが、医薬分業が一応完成された時こそ、初めて職能人としての地位、薬剤師としての身分が安定し、ここから新属機関内に於ける地位の向上も待遇の改善もなされ易い事を御再考願いたい。(分業先進諸国に於ける薬剤師の高い地位を見れば、瞭である)全薬剤師の将来の展望に立って分業の推移をみて戴き積極的な一丸となった運動と御指導を熱望するものである。尚分業の進め方については、病院勤務薬剤師の立場を特に配慮し(八幡薬剤師会に於ける如く)理解と納得を得て対策、行動を持つべきは当然である。

 ▲若い薬剤師の方々は、小生の関知する限り、医薬分業と薬剤師の地位との関連について特に認識不足の様である。然し諸氏の薬剤師としての今後数十年に渡る長い人生行路の興亡浮沈は分業の成否に懸っていると申しても過言ではない。分業実施諸国に於ける薬剤師の社会的、経済的地位の確固さについては既述の通りであり、諸外国に事例等も充分調査検討の上諸氏の清純なる情熱と旺盛なる行動力を行使されん事を念願する。

 要は処方箋料設定の好機を逸せず、完全医薬分業の達成に渾身の力を注ぐべきである即ち「対外的」には医師歯科医師に対する啓発活動、当局に対する働きかけ、被保険者、患者大衆に対する啓蒙衆知、保険者団体及び保険関係各機関との緊密化等を徹底せしめねばならない。特に中央及び県単位並びに各地区に於ける医歯薬三師会の協力体制の強化を計り医療担当者としての共通の広場を創る事が必要である。「対内的」には、上述せる万般の受入態勢の充実整備と保険各法、その取扱及び請求実務等に対し啓蒙指導が速急になされなければならない。全九州否全国の同志が、勇気と、適正なる判断と旺盛なる行動力を以って、蹶起されるなれば、処方箋料の新設された昭和三十七年は日本の医薬分業史上本格的躍進の輝かしき第一年度となる事を信じて疑はない。年頭に当り医薬分業への大道を一路邁進する基本路線を茲に確認したいものである。

 医薬分業運動の大先覚である丹羽藤吉郎先生の遺影のもとに跪座し、八十年の分業歴史を偲びつつ本稿を草したが、年末そう忙の間推敲する暇もなく甚だ杜撰なる点御了承を乞う。尚不備不当の個所あれば御指摘、御教示賜りたい。

 追而、福岡県薬では、医薬分業推進の一環として、福岡市に支店出張所を有するメーカー二十四社の協力を得、且つは、メーカー販路の一方策とする目的を以って各社、医院、診療所担当者の御出席を願い「医薬分業推進社会保険懇談会」を十一月、十二月、各一回計二回開催し、相当な反響を与え、漸くその成果は全九州に波及浸透される事が想定される。別稿「医薬分業推進へのメーカーの協力と保険処方増発によるメーカー販路開拓の一方策」は上記懇談会に於ける講演資料の一部である。御批判、御検討賜り聊でも御参考に資し剤界発展に寄与し得るなれば筆者望外の幸である。

 

 

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 昭和三十六年を顧みて 尾崎松夫 福岡県薬務課長

 顧に昭和三十六年は薬務行政面において、戦後二回目の薬事法の全面改正が行われ大いに期待した年であった。

 その第一は吾々薬剤師の身分法である薬剤師法が従来の薬事法より分離立法され単独の身分法が制定されたのがあげられる。これによって薬剤師の地位が医師歯科医師と同様、法によって身分が確立せられたことは当然のことで、今日まで身分法が或期間ではあったが独立してなかったことは、薬剤師として肩身のせまい感じであったのがやっと肩を並べることが出来たのである。

 第二は業務法である薬事法の全面改正である。従来の薬事法はいわゆる終戦直後の混乱の時機に立法せられたものであり、その後社会状勢の安定に伴い薬業界の実態に即せない面があらわれ、数年来改正の声が起りやっとこれが実を結び昭和三十六年二月一日施行になったもので、吾々行政面においても昨年は先ずこれが周知に全力をそそぎ、薬事法立法の趣旨に基き薬事法規の適正なる運営を図り、県民の保健衛生の向上に努力して来た次第で、今年は愈々第二年目を迎え更に法施行の真価があらわれるものと大いに期待するものである。

 然し一方目を薬業界に転ずれば薬業企業の不振の声は次第に深刻になり、況ゆる薬業経済の問題は直接行政面においても種々なる問題を惹起して来たが、仲々現行法律においては直ちに割り切るわけにいかず行政にあたるものの最も苦慮しているもので、何んとか早い機会に薬事経済の関連法律の制定が痛感せられる次第である。厚生省においても目下この問題について研究されているので何らかの手が施されると思われるが、是非今年こそ実を結び行政面においても手が打てるようなりたいと念願するものである。

 第三は麻薬禍の問題がある。麻薬禍の問題は近年次第に増加の傾向にあり、あの麻薬中毒者に対する対策が必要となってきた。福岡県も麻薬中毒の濃厚県であり麻薬事犯も多く中毒者も年と共に増加して来ている。これは吾々行政面において正式に中毒者として届出られてるもの四百五十名に達し潜在するものは五倍の三千名にも及ぶものと推定される実態であり、厚生省においてもこの麻薬禍撲滅のため麻薬禍濃厚の東京、大阪、愛知、兵庫、福岡の五県に麻薬禍撲滅推進のための会を設けることになり、麻薬禍に対し特に学識経験のある民間の人々の意見を聞き、関係機関の協力を得て、麻薬禍撲滅と中毒者の治療更生に大いに役立せるため昨年の暮福岡県麻薬禍撲滅推進のための会が発足し、麻薬禍撲滅のために、ここに推進せんことを期している次第である。

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 雑感 工藤益夫
 福岡県薬剤師協会常務理事 福岡県薬剤師国保組合常務理事

 昨秋高野日薬会長は、参議院より派遣され、欧米諸国を視察された。公務の余暇に各国の薬業事情を具さに見聞されたのであるが、その帰朝談の中に、西独乙で、日本製ソニー、トランジスターは廉価で品質優秀だと好評を博した。輸出量もどんどん伸びていった。ところが、日本の二、三流メーカーが価格をうんと安くして独乙市場に進出して来た。ソニーは品質保持と価格維持のために独乙市場より手を引いた。その後の日本製トランジスターの売れ行きは、一時的には安物が出廻ったが、日本商品及び日本商社に対する信用をすっかりなくして、日本製トランジスターはほとんど売れなくなったと。売れているものも、売れるべきものも、不道徳漢の商魂により国際信用を失い、遂には全々売れなくなって元も子もなくしたものである。

 由来、日本人は島国育ちで島国根性を持っている。よく働き、よく努力する長所もあるが、こせこせして目先の事象にとらわれ針小棒大に考えることが多い。外国に行ってもこの島国根性は消えないものと見えて、日本人相互にみにくい競争をして、物笑いの種となっている。

 只独乙におけるトランジスターはほんの一例にすぎず、世界各地で斯様な現象をくりかえしている。 ある日本の総理は云った「日本は大国だ」と。日本が大国たるためには、日本国民は大国民でなければならない。無用な競争は唯怪我人を多くするのみで、自らも又その被害を受くるべき運命にあることを考え、お互に大国民になれるよう、おほらかな心を養いたいものだ。

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 学校薬剤師と其の展望 学校薬剤師会九州連合会長 早川政雄

 新春を迎え皆様と共に心からの此の旦をお慶び申上げます。静かに過ぎし一年を回顧し、更に新しい年に思を致します時、慌しき薬界情勢の中にあって、学校薬剤師の必置制がしかれた事は誠に御同慶に堪えません。私は学校薬剤師は飽くまで薬剤師の地位向上を荷なって立つ大いなる原動力であると信じます。

 あの幅広い職域構成の学校保健会の中に組して、学校環境衛生の向上に大きな期待をかけ、多難の道を打破して邁進して行く所に学校薬剤師の尊さがあり、又引いては三師提携への近道があると信じます。申すまでもなく学校薬剤師は児童、生徒、職員の健康を守る崇高な責務を与えられて居ります。此の責務を完遂する為に、内にあっては常に技能の練磨に努め、外部に対しては其のPRに余念がないのであります。

 御承知の如く学校薬剤師は七〇%の設置率を以て全国的に必置制となった訳でありますが、昨年十月熊本市で開催された九州、山口薬学大会での各県校剤代表者の報告では、其れ以下の県も大分あるようであります。其の理由の大半は財政の不凶と、壁地、離島の点が指摘されて居りますが、併し校剤手当てとしては既に五千円と云う地方交付税の積算がなされて居りますので、丁度現在各地で行はれている三十七年度の予算措置には是非無視されぬよう働きかける事が必要であります。尚辟地、離島に於ける薬剤師不在の件については、所属支部から適任者を推薦して年一回の実状視察に根拠をおき、後は時期的に文通或は電話等に依る指導も可能と思はれますので、早急に設置を急いで既設地区の歩みにおくれぬよう対策を樹立すべきであると思います。

 中には必置制実施の今日では当局に於いて設置するのが当然ではないかと、割合に安易な期待をかけ遂いに一年を越してしまったと云うケースも聞きますが、之では設置がおくれるばかりでなく、技術面でも取り残される事になります。既に第二年目を迎えた今日では、最早未設置に対する解決策は寧ろ未設置地区の諸兄にしてもらう方が必要でもあり、又妥当にして正しい行き方ではないかと思はれるので、此処に敢えて年頭の新たな決意をお願いする次第であります。兎に角熱と粘りを以て地区的特色を考慮し接渉に当れば今年の設置率は先ず以て好調に進むものと確信致します。

 次に職務遂行の問題でありますが、設置したままでは却て信用逆転の恐れがあります。永い間かかって築きあげてきた専門家としての信用は之からが本格的に深かめて行くべきだと思います。其の為めには今年も亦各地に於ける実務研修会の開催が必要になってまいりますが、此の件昨秋の各県代表者会で九州を一丸とした実施も計画されて居りますので、今年は各県共活撥な行動が期待されると思います。又今年は全国的に学校環境衛生推進の外に、放射能の問題や公害対策の問題も強く浮び上って居りますので、学校薬剤師の重要性は更に昂まるものと思はれます。従って職務遂行に関連して、必要な器具整備に対する助成措置の強化、交付金の獲得適正化等にも大いに力をそそぐべきであります。

 最后に私は昭和三十六年における三大ニュースとして次の三点を挙げてみました。先ず福岡県の場合
 1、県立高校百%設置成功
 2、八幡市に於ける校剤報酬額のトップ獲得
 3、県学校保健大会に於ける大牟田市校剤会の団体功労受賞

 次に九州連合会として
 1、熊本県校剤師会の九一%設置獲得
 2、福岡県に於ける一校当り校剤手当一九、〇〇〇円の出現
 3、全国学校保健大会に於ける鹿児島県学校薬剤師黒岩将臣先生の功労賞受賞

 以上の諸点はそれ?皆永い間の献身的努力の結晶である事は云うまでもないが之がきっかけとなって諸兄の意慾を盛りあげる事が出来れば昭和三十七年度には更に芽出度い記録が期待されると思います。是非皆さんの奮闘をお願い致します。

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 昭和三十七年度福岡県薬業界の課題について

 輝かしき春新の佳き日を迎えるに当り想を新たにして旧年を顧み本年の指針を定むる事必ずしも無駄な事とは云はれまい。本商業組合も有志相計ってから既に五年を経た。薬業経済界改善の歩みの如何に遅々として進まむかは隔靴?痒の感がある。

 昭和三十二年九月中小企業等団体法が国会を通過し時あたかも第一次丸和問題が発生し、事の重大性を認めて県下を挙げて之が阻止のため総力を結集し見事に阻止する事が出来た。この時の経験に徴し経済問題は絶対に話合い丈では解決が出来ない事を痛感すると共に何等かの法的根拠による解決策が要望されるに到った。時を同じくして団体法が国会を通過したので現在の段階では薬業経済の安定はこの法律にたよる以外には手段が無いとの決論により翌昭和三十三年十二月に発起人会を開会させたのである。

 薬業会の不況の主原因は何としても価格の不安定に依る事は明白であり不安定を招来する幾多の諸原因は根本的なものが有り、之等を解決してゆく事が不況を克服する事になるのであるがこの根本的な対策は強力なる政治性と時間と金がかかり法律から改正して行かねばならない。一連の政策を遂行するためには矢張り全国的な見地より事を進める必要が有り業者一致して団結の力で押し進める必要が有るのである。

 業界不況刷新の大事業はいくら一地方区より空挙をふり廻して見ても始まらない。これで差迫った問題である地方の不況は抜本的対策とは云えないにしても不況の進行を遅らせ改善して行く努力は当然地方団体の責務と云はねばならない。その事により全国を動かし中央工作の端になる様地道な努力が必要になって来る。

 昭和三十三年十二月に発足した福岡県医薬品小売商業組合は翌三十四年の総選挙の不祥事に巻き込まれて貴重な時間を浪費するに至った事は余りにも惜しまれてならない。しかし乍ら福岡県の商業組合結成にしても全国に於て二番目とは薬業界にひしひしと押しよせて来る不況に対する各県の対策への熱情と団結が如何に薄いかの査証であり暗然たらざるを得ない。自分の尻に火が付いてから如何に騒いでも遅いのである。

 昭和三十四年正式に商業組合が認可を取り、続いて全国で最初の調整規程の認可を取って堂々丸二年間自主的に県内の不況克服を追求して不況克服に努力して来たのである。人によってはこの法はザル法である。この法による規制は出来ない。不況は無くならない。価格制限は出来ない。等々悲観的な言辞を云う人もあるが法は国民が作ったものでありこの法を生かすも殺すもこの国民にあるのである業界の救世的法律であればある程この法を活用し最高に有用に使いこなして始めて法が生きて来るのであるから未だ食べもしない内から甘くないと決めてかかるのは甚だ早計と謂はねばならない。

 斯くの如き経過をたどって出来た組合であるので新年は是非共生れかかって六年目、生れてから三年目にして最高の運営により満足すべき結論を出したいものである。それには如何にすべきであるか。どうすれば宿年の悲願が達成されるか。

 之には一にも二にも努力努力熱意ある鞏固な意志と大局的な視野に基く明確なる決断から生れて来ると確信する。我々は一日の遅延怠慢はゆるされない。組合である以上三角形の底辺をいつも念頭に置く必要がある。底辺が助からねば組合存立の意義がない。死生の線に彷徨する同業者を救わねばならない。

 この苦しみに直にふれて始めて業界の不況が切実なものとなる何事も当って砕けろ。やって見なければ分からない。常に目標を明確にし見失しなわずに遅疑逡巡する事はそれ丈業界の中で泣いている者が居る事と思い業界不況克服のため皆が力を合わせて邁進したいものである。やって見ようやって出来ない事はない筈だ。昭和三十七年新年の課題として是非共本年中に価格の安定を実行する事を目標としたい。之を本年の課題としたいのである。

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 年頭に当り 国松藤夫 武田薬品福岡支店長

 昭和三十七年の輝かしき新春を迎え、業界各位の御繁栄と御多幸を祝し心よりお慶び申し上げます。 昨年は経済の動きが実に深刻な様相を呈して特に我が国では今年の経済政策に大きな示唆を与える結果となり、きわめてむずかしい段階にあるといえます。

 昭和三十五年、いわゆる黄金の六〇年代としてアメリカをはじめ西欧諸国、日本、後進諸国など自由諸国の景気上昇が足なみをそろえ、世界経済のかつてない繁栄を期待されつつはなばなしい幕あけをしたものの現実は肝心のアメリカがこの年に景気が次第に後退し国際商品市況の軟化・対米輸出の減退として各国に影響を与えはじめ、くすぶった黄金の年となりました。

 しかし、アメリカのこの景気後退も割合に小幅で、ケネディ政権の誕生以来高度成長政策がとられ、経済に長期的な上昇力を与え、設備投資の増大により生産性を向上させ、併せて輸出競争力を強めようとしました。このようにして、昨年アメリカの景気上昇はゆるやかな歩みを続けましたが、西欧や後進諸国の景気は停滞している現状であります。

 我が国では、前年に引き続き設備投資が技術革新の波にのって依然根強く、盛んに行はれ、又貿易自由化がこれに拍車をかけ、他方消費景気は相変らず旺盛で、所得倍増計画など政府の強い成長政策が打ち出され、経済成長は設備投資を中心に高度化の推移を示し出したのでありましたが、次第に国際総合収支が大幅な赤字を計上するに至り、遂に金融引き締め政策、設備投資の抑制等一連の経済政策により、さしもの好況も急速に下降線に向いはじめました。つまり、在庫投資から設備投資へと推移し、これが景気の過熱要因にまで発展したため、ついに政府は昨年秋に国際収支改善のための総合対策を打ち出さざるを得なかったのであります。

 九州地区におきましては昨年の十月頃よりこの影響をうけ、不況段階に入ったようであります。既に、石炭商社をはじめとしていくつかの業種にわたり倒産をみましたが、これは中央と殆んど同時期に金融引き締めの影響をうけたことや、不況の石炭産業をかかえこんでいるなど、経済構造のもろさが表面に出たものと見てよいでせう。しかし今のところ特定の業種や一般の中小企業に表面化しているだけで、今后九州経済の不況は更に一段と深刻になるものと思はれます。

 又他方では、こうした金詰りの中にも消費ブームは相も変らず盛んで、生活水準の向上・レジャーブームの成長を謳歌する甘い楽観的なムードがなかなかぬぐい去られそうになく、消費性向は依然上昇しています。政府も、さきに本年度経済施策の基本的な態度として、万難を排して、今秋には国際収支の均衡を回復し、この線にそって五パーセント台の経済成長率を検討、輸出、振興・内需抑制策などを中心とした国内経済政策を展開し、予算案もあくまで緊縮ムードとなり、財政・金融面で引き締め基調を堅持する意向でありますから、本年の我が国経済は、予想以上に厳しいデフレ不況型をたどることになると思はれなすので、此の際私共も年初に当り覚悟を新たにしなくてはなりません。

 さて、薬業界におきましても、前年に引き続き、流通過程の確立、価格維持等に未解決の多くの問題を残して越年しました。今や、自由競争の時代でありますので、お互の競争は自由ではありますが、企業の社会性という点からみますと、この社会の枠の中で行うことには一定のルールがあり、そのルールに従はなければならないことは当然のことであります。このルールを無視してまで過当な競争を放任しておきますと社会の秩序は乱れ、企業の共存は望み得ないのであります。つまり、このルールが正常な流通過程の確立であり、価格維持であります。

 残念ながらこうしたルールに従はず、自己の目先の利益獲得に手段も選ばず、正直な他人に死活上の問題を与えるなどは少なくとも国民医療保健にたづさはるもののとるべき行為ではないと思います。メーカー、卸業者、小売業者の三者は、それぞれの立場でこうした問題を真剣に解決してゆくべき事態に直面している訳であります。その解決のためには関係する各界からあらゆる角度でこれらを充分に検討する必要が生じ、昨年八月一日付で公布された福岡県薬事審議会条例に基いた審議会の発足は、この意味において極めて有意義なものと申せませう。

 この福岡県薬事審議会は行政機関・学識経験者・薬事従事者等の各関係者がいろいろの問題点を一つ?解明してゆく話合いの場で公布以来十一月十日に第一回の審議会が開催され、最初から極めて真剣かつ熱心に討議が行はれました。 乱売や流通過程の混乱から、いかにして薬業経済を正常化させ向上させるか、それは今のようなむずかしい経済状勢下にあってはなかなか多難事と申せませう。不況のキザシを浴びた昨今特にそう痛感する次第であります。しかし乍ら、私共はその困難な問題に敢えてとりくまなくてはならないのであります。このような現下の諸問題を解決してゆくためには、私は何時も機会あるごとに申していることでありますが、お互が相手の立場を尊重しよく認識して話合いをしなければ解決の糸口はみつからないのであります。根気よく何回も何回も話合いを続けてゆき、固定した既存の概念をぬぐい去り、お互を認識することが第一であります。

 未解決な問題をかかえこんだ上に、今年もまた新たな問題が惹起することでありませうが、私共は解決への努力を惜しまず、より優れた製品をより安く供給出来るよう今后共一層不断の研究を続け、国民保健の向上に奉仕する一員として業界のため、また社会福祉のためこの大目的にそって出来る限りの努力を続ける覚悟でありますので、本年も関係各位の絶大なる御支援と御協力を切にお願いして止みません。昭和三十七年の年頭に当り、各位の弥栄を祈念し御挨拶と致します。

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 新年に当って 横枕 覚 福岡県薬務課長補佐

 新年明けましてお目出度う御座居ます。新しい年を迎え一言御挨拶を申上げます。昨年の薬業界の一つの重要な課題でありました経済問題については誠に残念乍ら遂に解決の目途がつかず今年にその解決が持ち越されましたがこれだけを見ても薬業界にとりまして本年は昨年にも増して重要な年であると思います。

 今年は薬業界におかれましては特に流通機構の改善に努められると共に既存の薬局、薬店等の大多数のものが新薬事法に基く最初の許可更新の手続をしなければならない年であり、又県におきましては薬務行政の円滑を固めるために薬局等の構造設備基準内規の実施、催眠剤の取扱の規制、及び麻薬禍対策の推進、等々業界及び県共に誠に数多い重要な事案を処理しなければならない年としてその責任の重大さ得を痛感致して居ります。今年も薬務行政を通じて薬業界の安定と発展のために皆様と共に色々な問題の解決に尚一層の努力を致して参りたいと思います。誠に簡単ですが所感の一端を申し上げまして御挨拶と致します。

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 荊の道 長野義夫 福岡県薬副会長、八幡市議会議員

 私達は今どう進めばいいのか、誰からも教えてもらえないし又所属する団体も私達へ進む道をはっきり指導してはくれない。薬局を開設して三十年近くもなるのにその間一番安心して商売していたのが統制時代の時の様に思へてならない。特別の競争者も無く、不便ではあったが仕入れそのものはお仕着せの割当で、販売に就ての値引きもなければ乱売もなく、訪問販売もなければスーパーもなしで真に或る意味では吾が世の春であった。統制時代がよかったなあとの感情が思はず心の端の方をすっと走ったりしてビックリする事がある。然し真剣に今日の薬業界の歩みを眺めて将来への方向に思いを致す時にどうして良いのか皆目方針は立たず。日々の売上に多少の上下はあっても全体としての曲線は明らかに下向になっているし。これにスーパーや乱売店でも出現したら完全に参ってしまふ。薬業と言ふ業態ほど脆弱なものはない。

 こんな感情にとらわれている人が案外多いのではなかろうか。私は結極業態の問題よりも前に業界人そのものの問題として、いや業界人その者の考え方の問題だと思ふ。業界の現状は考えれば考える程暗いし先行も又不安だ。然しこのままでいいのか。どうしたらこれを打開出来るだろうか。業界の問題を経済の問題として見る時に薬業経済だけを抜き出して考えるわけにはいかぬ。資本主義経済社会の仕組の中での薬業経済の発展と推移とを自由主義経済の立場に立って之れを見る時に、統制時代は楽だったなあと言ふ感情も、法律によって保護育成せられようとの他力本願も、広い意味の社会性を無視した御都合主義も、霧の様に消え去って冷酷なる資本擁護と利潤優先の二つの車輪以外は何も見えない筈である。現実である。二十世紀の文明は人類にあらゆる恩恵を与えているがこれ等は全て前記の二つの車輪が自由主義の動力源に依って回転して生じたものであって之の二つの車輪は未だに軋む事なくその回転を続けている。業界をも含む日本の経済は之の二つの車輪の上に乗っかって進行しているのだ。

 資本主義社会に於ては資本が優先し人はそれに奉仕している。国の政治も経済も窮極に於ては之の理念に盾つく事はない。強い者を育て弱い者を自然淘汰にまかせて行くのが封建社会から資本主義社会へ引き継がれた施策上の遺産だ。更に又今日の国の政治も経済も皆国際政治に即繋がっている。敗戦後日本の徹底した民主化を企図しながらこれを中止した事も、永久に許すまじと決定した戦犯を中途解除した事も、三井三菱その他のコンツェルンの解体を行ひながら数年にしてこれを許し、完全無軍備を憲法に押し付けながら数年にして実質上之れを装備せしめる等々、皆何れも米ソその他の国際政治の確執の結果であるし、近くは米国のドル市場の救済を中心として日本の自由貿易化を強く求められている。中小企業の一部はこれの為だけででも倒産するであろう。

 この様に吾々の薬業経済は世界経済の一環として繋がっているし、薬業に対する政治上の立法理念とその施策も皆世界政治と離れては考えられない。封建社会に於ても労働者農民は或る範囲内に於てその滅亡を防がれたし或る程度の保護を受けていた。然しそれは搾取の対象物としてであった。高度に発達した資本主義社会に於ては小売店とメーカー、小売店と金融資本との関係が被搾取者と権力との関係になるかどうかは議論の余地を残す所ではあるが、何れにしても薬業の小売店側は明らかに現実の姿として誰からも保護せられない経済社会に於ける犠牲者である。

 大資本の壟断を許さず、市場独占を防いでカルテルを禁じ中小業者の憤死を辛じて支え一般消費者の経済的生活の基盤を守らんと言ふ独占禁止法さえせっぱつまっての末端小売価格の協定さえを許さず。倒産寸前と言はれる湯屋の入浴料改訂、単一製産零細業者たる豆腐屋の価格改訂に一顧も与えない。然し採算割れと騒がれたセメント業界には操短を認め、五大鉄鋼メーカーには不況カルテルを認めて彼等を保護する。独禁法の擁護するものは中小零細業者ではない。政府も一部の与論が少し燃え上がれば之れに応へるかの如き立法措置を講ずるけれど所詮それは究極に於ては吾々の為のものではない。中小企業安定の為の諸種の法律も最後の段階に於ての強力な発動は第三者の制御を余義なくせられる事を計算に入れておかねば腹が立つ。そうだ薬業に関連する諸種の法律は吾々の為のオールマイティではないのだ。

 近代文明の発見の中の大なるものは個人の尊厳であり。集団社会に於ける個人の尊厳は第三者の尊重として生かされている。即ち民主社会に於ける主権は第三者、平たく言えば大衆にあるのだ。薬業経済安定の中に之の大衆の動向と考え方とを忘れて何んの安定ぞ。資本主義経済機構の内にあってその流れの中に身を置き、零細資本の団結結合さえ出来ずに流れ来たった名前だけの法律の薬をつかもうとあせっている。

 法律の番人でありその執行者である官僚が零細業者の味方では無い事位は何度も何度も煮湯をのまされて知っている筈である。私達はどうすればいいのか。資本主義経済社会に於て仮りにも統制、命令に類するが如き方策が最後に全体を破壊し去る事は理の当然であろう。

 世界経済に見を開き先進諸国の薬業発展の経緯を研討して、資本主義の元に於ける、いや資本主義を是認しながらもその中に同種企業の有形無形資本の合一連鎖を強化した組合主義に生きて行く事が現段階に於ける道ではあるまいか。守られざる法律は廃棄すべきである。その勇気こそ現段階に於ける策ではあるまいか。ささやかな策であり荊の道ではあるが。

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 何を目的の全国連合会設立か
 日本薬業協会、全国協組連合会、全国商組連合会等々 福岡 小林生

 ◇薬剤師の生活の根底である小売薬局の営業の不振−経済規模の拡大、所得倍増の時代と云ふ御時勢に反して徹底的な乱売投売行為の発生から一般薬局の売行不振と云ふ不況時代の現出に直面し日本薬剤師協会でもジッとして居れず薬局経済安定方策の確立に踏み切り「日本薬業協会」を設立したがメーカーと卸業者の積極的参加のメドが立たず牛歩遅々、どうなるものか見透しも立たず開店休業の現状にあるとき薬業協同組合の全国連合会が結成された。

 ◇薬業協組の全国連合会は先年設立総会を開いたことがあるが開店休業のまま打ち過ぎ今回再度の設立であるが理事は決定したものの理事長は決定せずして散会した。

 ◇薬業界ではメーカーには特約店と云ふ直取引卸業者が決定していて薬業協同組合は共同購入者は仕入などに割込む余地がない。無名商品の共同仕入はできるがそんなものを押しつけられては組合員である小売店が大迷惑する。協同組合は協同事業を目的とした組合であろうが、全国の各地方でも完全に運営成立しかねている協同組合の全国連合会を今頃なぜ設立せねばならぬのだろうか。

 ◇日薬は又薬業商業組合の設立を各地に勧奨しそしてその全国連合会の設立が当然の帰結として考へられている。いろんなむつかしい条件があって商業組合の設立も乱売の防止には役立たないことは既に経験済みである。

 ◇全国連合会は日薬だけで結構だ、それに日本薬業協会、全国薬業協同組合連合会、全国薬業商業組合連合会その他に全国薬種商連合会などと全国連合会の殺倒である。それも費用がいらぬのなら結構だが代表者一人が出席するために九州からなら一万五千円から二万円の費用を要する。その費用は営業不振の会員からヤレ何ヤレ何と徴収されて悲鳴を挙げているのが実情だ。

 ◇設立しても設立しぱなしで活動もせぬ連合会をいくつも設立することは止めにしてまず「日本薬業協会」から動き始めては如何でしょうか、そしてあとは全国の都道府県薬剤師協会長会議を活用利用しては如何でしょうかとお諮りいたします。

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 薬業人の猛省を促す 破滅に頻する薬業界 福岡 磯田秀雄
 皺寄せは総て小売業者へ 全薬業者の冷静な反省を希求する

 資本主義経済のいたすところとは謂え薬業界の各階層の人々が唯自己とその周辺の繁栄と利潤の追求にのみ汲々として老獪狡智の術策の限りをつくし為めに薬業界の混乱堕落貧困破壊を招来しつつあること今日の如きは我邦薬業界未曾有の事態である。薬業界の各階層即ち生産者、卸売業者、小売業者、今にして反省改善するところなくんば薬業界は漸次破壊してゆくであろうことが懼れられる。

 ◆生産者の過剰生産が混乱の因

 医薬品販売業者の系列化それはあっても差支へないが製品は生産者から卸売業者小売業者へと流通機構の確立は厳守されねば薬業の秩序は保たれない。然るに生産者は資本の拡大に次ぐ拡大に株主への配当の確保のため売上げの増嵩を期せねばならぬので、強度の過剰生産を敢てしどの過剰製品の処理のために流通機構を無視し遂に小売業者疎外の供給手段を講ずるに至って薬業界は果しなき混乱に陥っている。私はこれを数字で示してみたい。

 ◆小売薬業者の年間売上は七百万圓である筈

 昭和三十六年度の医薬品の生産高は二千億円に達するがこの金額を総消費とみてこのうち四〇%が医療機関に使用されるとすれば一般消費は六〇%の千二百億円である。これは生産者価格であるから小売価格に換算するために〇、七で割ると千七百億円となる。これだけの医薬品が一年間に九千万国民で消費されているわけである。小売薬業者の取扱う関連商品を四〇%として〇、六で割ると二千八百三十二億円、全国の総小売業者数四万として割ると一店平均年間七百万円の売上げがあらねばならぬ勘定となる。

 ◆全製品の二割が流通機構に乗っている

 これを福岡市に就て考へてみる。九千万の国民で年間千七百億円の医薬品消費高であるから福岡市の場合人口六十五万として九千万分の六十五即ち百三十八、五分の一で千七百億円を割ると十二億三千万円、これが福岡市に於ける医薬品の年間消費高となる。これを三百の医薬品販売業者で割ると一店当り年間の医薬品売上げは四百十万円であらねばならない。これに関連商店の扱ひ高四〇%として〇、六で割ると一店当りの年間総売上高は約七百万円となり前掲の数字と一致する。

 さて年間七百万円の売上げとなると一日平均二万円の売上げといふことになるが福岡市の場合小売薬店の店頭売上げは平均五千円乃至七千円位ではあるまいか、果して然りとするなら計数上から見た売上げの三分の一乃至四分の一の売上げにしか達しておらぬこととなるので医薬品総生産高のうちから流通機構に乗って流通すべき医薬品は四分の三乃至三分の二は流通過程に乗っておらないことが分明する。これが生産者から又は卸業者から直接需要者へ横流れしている数字であって尠く見積っても小売業者を経るものは三分の一横流れが三分の二、全医薬品の生産高から見ると卸業者を経て小売薬業者を通して取扱われている医薬品は全製産高二千億円の小売価換算三千億円中、千七百億円の三分の一として六百億円弱即ち全医薬品製産高からするとその二割弱しか正規の流通過程に乗っておらないこととなる。

 ◆小売薬業者の破滅は生産卸業者の所業

 全製産高の八割が流通機構に乗り二割程度が横流れと云うのなら話もわかるが八割が横流れで、二割が正規の流通機構に乗っていると云われ現状に就いては、口に流通機構に確立を唱える生産者並に卸売業者の猛暑を希求せざるを得ない。小売業者が消化の能力がないので生産者、卸売業者が直接売りを敢行するのか、直接売りをするから小売業者の消化力が衰えたのかと云ふ卵が先きか鶏が先きかの議論は論ずるの要はない。根源は生産者の過剰生産と資金回転を急ぐことに原因する直売があるからである生産者と卸業者の直接行動が活撥さを加へる程小売業者は売上げ不振と乱売とを強要され愈々益々窮地に陥ってゆき果ては破産倒産相踵ぎ小売薬業界は破滅に導かれてゆくのである。

 ◆小売業者にも反省を求めたい点

 最後に小売業者中にも強く反省を求めたいものがある。近年スーパーマーケットの出現に之れが出現防止に経費を投じて東奔西走しているが、口にスーパーマーケットの出現防止を唱えながら自己の店舗では平然と二〜三割引販売を敢行している人がある。これでは一般組合員はSM対策費を負担させられただけで結果に於てはSM出現と同様な被害をうけているわけである。なんのことはないSMが出現したらそれらの人の店舗の三割引販売は影のうすい存在である。がSMの出現を防止しておいて一般の組合員にさしたる乱売行為をさせずにおけば自己の店舗の三割引は光った存在となる。

 そこで一般組合員の経費負担によって一生懸命SM防止に努力しておいて自己は平然と三割引を敢行していると云う狡猾な行動を慎んで貰いたいことである。乱売即ち割引販売は他店に之れを行わざらしめざるときに於て始めて効果を発揮する。みんなが三割引すれば効果は全くない。みんなには乱売せぬように導いておいて自己だけ三割引を行ふ。そうして多売することによって多くの利潤を挙げると云ふたくらみを以て組合のお世話をなさって下さるなら組合員とていい面の皮である。セチ辛い世相の下、こんな小売業者の指導者もこの際大に猛省して戴きたいものと思ふ。

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 炉辺曼言 山花生

 ある学者は「物を食べる時には必ず百度かめ、たとえ牛乳の如きものといえども百度かんで呑むがよろしい。かくすれば病気にもかからずそれどころか、かかって居る胃病なんかよくなって了」と云った以上はちと極端の様であるが勿論之はそのつもりでよくかんで飲食しなさいとの論であらう。よくかめば唾液の中のエンチームも充分働くし胃の消化の作用も大いに助けられる事になる。即ち百度かむ事は頗る合理的である。

 さて話は異なるが吾々が俳句を作る際に「うまく行かなかったならば之れを舌頭に千転すべし」と芭蕉が教えたそうである。之は要するに「念を入れて句を推敲せよ」と云ふ事であろう。単に俳句のみに限らず吾々が日頃の調剤其他の仕事にしても人命に関する大切な仕事であることを自覚しかの百度かんだり或は舌頭に千転したりするにも負けず細心の注意を致すべきであらう。

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 一九六二年の年頭にあたって 藤野義彦 福岡県薬商組専務理事

 一九六二年の新春に当り組合員の諸先達はじめ皆々様おめでとうございます。昨年中は一方ならぬ御厄介になり且又絶大の御協力を戴き厚くお礼申し上げます。本年も相変りせず一層の御支援御便達下さいましてよりよい商業組合の運営が出来ます様切にお願い申上げます。

 昨年は商組にとってはいろいろとむづかしい事の連続でその成果が期待された程進渉せず、我々の非力にむちうたれた年で御座居ました。大体剤界において特に経済的底辺の下に立脚しその運営を行います商業組合に於ては、すべてスピードがのろい、且又その実績も云々とお叱りをうけることが多いのですが、あまり慎重にしかも協議を重ね、多くの人々の衆知を集めしかもその盛り上りを待つといったもどかしさがあります。

 時代の流れにそう様にスピードをもちたいと思いますが何せ、県下の千六百名の方々の御意見も百人百様であり、特に商組運営に於ては最大多数の最大公約数で進む事こそ定是と確信して居ります。本年も商組の前途には多事多難ほんとにむづかしい事ばかりですが、諸先輩の援助の下にしっかりした基本を作りたいと念願しています。何事も百%満足ということはむづかしいが現段階で、これならと思う事に突き進みたいと存じます。

 商組の運営に当っては薬事法並に中小企業団体法に基き一貫した一のものを作り上げたいと念願しています。勿論これに対してはいろいろの批判もでるでせうし、これに満足せぬ方もたくさんあるでせう。むしろこれで満足してもらってはならないのです。もっと組合員より突き上げて戴きたいのです。しかし現在商業組合のある事すら年頭になくむしろ有難迷惑がっておられる方々も相当にあると思います。

 ここで剤界の方々に今一度自分の立っている位置を「こうべ」をめぐらして周囲の状況を見渡して戴きたい。乱廉売の発生の地大阪はじめ関西、中部、その他いたずらに剤界のものでないものから引かき、廻され、その創痕が未だいえない現状を見渡せばすぐお解りと存じます。(これに反対の方もあろうが?)

 福岡県は大県にかかわらずこの面に於ては関係官庁の指導援助の賜もあるが割合にめぐまれていると思います。弱者が強者に絶対負けねばならぬ道理はない。我々も一族眷族をかかえて生きて行かねばならぬ。且又保険薬局並に町の公衆衛生の指導者として崇高な使命をもっているのです。ここに於て一人一人の力を結集して事に当ろうとして設立されたのが商組である事を自覚して戴きたい。

 新春のよき日に当り事業して参りました中間展望をしたいと存じます。これによって不足をおぎない、より多い幸を求めたいと存じます。県下小売業者の状況は甚だ緊迫しています、昨年の事業年度の初頭に当り、SM、生協その他業界を理不尽に乱す者に対しては、その抑圧の母体となり事業遂行の基本方針として調整規程の趣旨徹底を行い、商組の運営に於ては一人一人の双肩にかかっていることを説き事業活動規制命令の発動、並に価格協定の実施を方針とした事は衆知の通りです。

 調整規程の趣旨徹底は事ある毎にPRし、その条文変更にも全力を挙げて関係官庁にも強くアッピールして参っております。然しこの変更には基本法律その他本県以外とのかね合もあり、未だ成就は見ていませんがそう遠くはないと確信しております。これと併せて行っています規制命令の申請も準備しましたが関西地区の成果を見た上でとの当局の考えもあり(紙面の都合でその事情割愛)、通産局、商工課等と数回に亘り協議していますので新春早々には提出のはこびとなっています。この間調整規程違反者が一、二出てその都度処理し、頑迷の者に対しては訴証も辞さない覚悟で目下処理中のものもあります。

 次に、SM対策並に大都市に於ける廉売問題については鋭意努力中であり、昨年春以来の大問題として処理しております。小倉東映会館に於ける薬局開設問題はその都度説明した通りであり、数度に亘る上京で、関係方面に積極的に働きかけ、佐世保東映の二の舞をして薬業経済の秩序を乱し、薬業界を大混乱に陥らしめぬ様要請して参っております。

 この阻止の根本は
 @ ここを許さんかこれにつづく数十のSMに医薬品部設置をまねくおそれがあり業界を大混乱におとし入れる。
 A 福岡県方式と云われる医薬品の特殊性を尊重するSMに対する医薬行政が破壊される。等色々の事情を含んでおります。

 以上中間展望をあえてこころみ向後の指針としたいと思います。今后の商業組合の存立は皆様の双肩にかかっているのです。批判することは大いに必要です。しかし批判倒れにならない様によく考えて戴きたい。「退一歩」して一段下って教えをうけてやらせてもらう。そこに笑いが止らぬ喜びがわく世界がある。いつまでも一歩も進まず批判ばかりしていては駄目である。自分の意に添うものなら、自分の良識で賛成できるものならよいという所謂条件付信頼。それはあまり信用してないということになる。また誰も信じられない。頼りになるのは結局自分だけだという人がある。しかしその自分をほんとうに信じられるのか、そういう人ほど自分さえも信じられないのではなかろうか。

 自分達の力でよくせねばならぬ業界です。それを信じられなくなっては終りです。商組でやる事それは必ずしも一から十まで自分の意に添わぬであろうが皆で決めたことなら全部一致でやり通す。それでなければ何事も不可能になる。団体のむずかしいところであり、そのかわり一致して実行にうつせば団体の偉大なる力が発揮できる。決定されたら幾分異論はあっても一致して即時実行、本年は特にこの点を特に勇敢に行いたいと存じております。

九州薬事新報 昭和37年(1962) 1月10日号

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 厚生省 薬務局 県衛生部 県薬務課の創設に関して 境新

 今では中央に厚生省あり、薬務局あり、地方に衛生部があり薬務課が設置されているが、単に終戦後の落し児と思っている人が多いようである。以前は衛生関係は内務省の一部局で、地方でも警察部の衛生課はあったが、薬務関係はその衛生課の中に包含されていて、全く小さい存在だった。今を去る二十八年前、昭和九年秋、宮崎市公会堂で第六回九州薬剤師大会の可決議案の一つとして、「衛生行政の統一実現を計ること(衛生省の実現希望)」が福岡県から提出されて、私がその議案の説明をした想い出がある。

 問題が大き過ぎて、単なる犬の遠吠えの感じもあるが、「衛生省を作れ、薬務局を作れ、衛生部を作れ、薬務課を独立させよ」と公式に叫んだ最初ではないかと思っている。現在衛生省と同じ主旨の厚生省があり、其の他もその当時叫んだ各機関が実現して、衛生行政が統一されている事が嬉しいと思っている。

 但し私等が心から念願していた、衛生行政機関や法律とは未だ幾分隔りがあるよりに思う。こう云う衛生機関が単に薬剤師の大会で決議しただけで実現するものでない事は知っている。絶えざる努力と政治力に物を云わせなければならない。最近実現している薬事審議機関も有効に活用しなければならない。業界の生活権の主張や問題が起った時の火消しも必要であろうが、もっと積極的に建設的意見発表と実現に努力しなければならない。

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 対処方せん策上、医療従事者の経済教育の必要性・その他
 田川 側島希允 福岡県薬代議員、県薬薬局委員会委員、県校剤界理事

 甲表に於ける処方せん対策として、六〇円以下薬価の平均一九円(一・九点)問題は、県薬薬局委員会の一員として私も、数回メーカー側との懇談会に列席したり、その他各方面で論ぜられてはいるものの、病院従事者に対する経済教育そのものの推進如何によって開拓し得る範囲が大いに左右されるものであろうと思う。このことについて少し論じてみたい。私は度々、需給曲線は、決して単純なものではなく、繰返し、勢力説を力説して来たのであるが、今回もくだけた論旨で、読者の御批判を仰ぎたい。

 かつて、病院薬剤師の待遇改善問題とからませて、勿論彼等の完全なる了解の下に、病院の収益を上げる可く、当時一・七点時代であったが、公的医療機関たるT病院の院長を初め、度々幹部に交渉を重ねて来たことがあったが、要するに、経済教育そのものの推進の弱性が、芳しからざる結果をもたらしたものであることを大いに反省している。公的医療機関は、損益のみによっては左右さるべきでないとの事、損を覚悟で勤務している。下手なPRは、総評系方面の圧力等を増大させるに過ぎない。この問題点についての熟慮が、絶対に必要なのである経済教育の一例を述べよう。

 月末、入院家族の診療計算表を受取り、一覧する。薬治料の点数が意外に少い。おかしい。ミステイクがあるようだ。詳細な明細書の提示を求める。成程、抗生剤の多量の使用が、全部インキで乱雑に削除されている。事務員曰く。こんな削除法は、医師の常法だ。と。ナースであれば、ちゃんと定規で線を引いて消す。とのこと。病名と薬剤の使用基準との関係で、審査を面倒と見て削除したのであろうか。然し審査による減点は、審査会でやって呉れる問題で、請求者の方で投薬を事実上なくしたからには、当然、投薬の点数を請求すべきである。而もその抗生剤の選定は、当方から希望により申出、医師も了承して決定した薬剤である。或人は言うであろう。院外処方せんを発行さすべきではなかったかと。丁度、その時は、絶対安静を要する病人だけであり、私とは電話で連絡し、私は学薬の給与の増額交渉で、教委会の職員を呼付けての会談中であって、外せなかったり等の条件下であったのだ。

 病院の損を覚悟と言うよりも、医師等の経済センスの問題と解釈する。彼等は定額制の月給であり、収益の能率制は全く無影響と言う実情である。又、月が変り、私自身、深夜一時頃、丁度宿直医が、私の病状に対する専門である医師に受診した時、定められた点数の算出を非常に遠慮していた。宿直室では、町の或薬剤師は、呼出されて医師達とマージャンか何かの相手をさせられていたようだった。病院従事者に対する経済教育の慎重な推進は非常な難事ではあるが、成果を上げる努力をしなければ、唯単に、「六〇円乃至一九円の算術」のみを以てしては、院外処方せん発行の増大が自動的に望めるものでは決してないのであろう。

 小児科の病棟は、約三割が鼻腔からビニールパイプを突込んだままの未熟児である。幼少児に対する見舞客でも、必ずそれをもの珍らしく見て行く者も居る未熟児は保育器の内で育てられて行く。保育器内の温度は、自動調節装置になって居り、乾度の上、下限にはブザーが鳴り、ランプは点滅する。酸素(圧縮の)は連続的に送り込まれている保育器内の未熟児に対しては、基準看護のナースさん達が、ただ機械的に、昼夜の区別なく、一定時間毎に、体温、プルス、乾度、湿度を記録し、或はパイプを通じて射器で哺乳する。狭い保育器内の環境衛生の問題も、分りやすく説明すれば、ナースさん、クランケ、或は見舞客にも、学校薬剤師の職務のPR、従って薬剤師の認識にも、大いに役立つものであり、私も現在その役を努めて果している。

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 年頭のことば 田中美代 福岡県薬務課技師

 「ご主人の俸給の中味も増えている筈です。」お忘れになってはいけませんよ。物価の少々の値上りは当り前、政治と物価とはおよそ無関係でありますゾと。仰言りたかったらしい。「貧乏人は麦を食え。」に次いでの総理大臣の放言である。ところで、ウシの年はじめに、所得倍増で糠よろこびさせ、暮れ近くになると、物価倍増旋風をおこさせて黒字倒産というきいたこともない。さかさまごとの世の中の憂き目をみせた人である。金ぐりのつかぬ年の瀬に、路頭に迷いながらも年を越した庶民達の懐具合を果してご存じであっただろうか。

 折角改正された薬事法ではあったが、薬業会には予期に反して、奇蹟もあらわれず、空しく年があけた。期待していられたであろうだけに、みなさんのお気持ちが、気の毒にたえないものである。許可制と登録制とはどうちがいますかと。開き直られても、衛生立法であるかぎり経済的な規制ができないことは、やむを得ないことですと申しあげる外はない。「うし」の年から持ちこされた難題が、「とら」の年になったからといって簡単に解決されさうにもなく、薬業界には暗いいくつかの問題が残されている。乱売にしても、廉売にしても「とら」に食われてもらいたいものである。

 ところで新薬事法によって奇蹟はあらわれなかったけれども、意外な「落し子」が現われて来た。薬局の基準が六坪以上と規制されてみると、その基準に合わない薬局は、おそかれ早かれ何等かの手段、方法によって、改装するか、やむを得なければ転業さえもしなければならない規定である。かてて加えて乱売戦がたけなわになって来ると、小規模の店でしかも薬品だけをとり扱っていては、今後の経営も苦しくなって来る。このような情勢下に出現して来たのが、ドラッグ、ストア式な薬局経営ではなかろうか。あえて私が薬事法の「落し子」と申しあげてみたわけである。これからの薬局経営のあり方として、スーパーマーケットや大資本の進出におされて来ると、いやでも考えなければならない問題であろう。「とら」の年の課題として、真剣にとり組まなければならない身近かな問題ではなかろうか。

 輝かしい成果をあげて、人々から忘れさられたのは覚せい剤である。これに代ってこんどは、睡眠薬が少年達の間に使用されて来たようである。大都会の片隅で、それも一部の人間にコッソリと使用されるなら兎も角、ハイティンやローティン達に半ば公然と使用されて来たとなると、子を持つ親達にとっては覚せい剤と同じように、ほっておけないことである。お酒やビール、さてはコーヒー等にまぜて、なかば英雄気取りに飲まれているという実態を聞かされるとりつ然とさせられるのである。むしろこのような実態はソッとして少年達の耳に入れない方が賢明ではなかろうか。薬変じて毒薬となる。赤痢の流行が抗生物質の濫用に転嫁され、はては薬局の責任だといわれるに至っては、沙汰のかぎりと申しあげたい。しかしながら、冷静に考えてみるとき、このような、睡眠薬による恐るべき実態を知ると薬業人にとっても人の子の親として、真剣に考えなければならぬ、社会問題である。

 年年歳歳、移り行く年に変わりはないとはいえ、変り果てて行く自分の姿を、ヂット見つめていると、わびしくなって来る。しかも刻みこまれて行くしわの数が、人生の無常を告げているようで、年ごとに迎える年を今更に、おめでたうございますと申しあげますことに、気おくれを感じるものでございます。けど、みなさまあけましておめでたうございます。福岡県女子薬剤師会発展のために今年もどうぞかぎりない御援助を頂けますようにとお願い申しあげて、年頭のございさつにかえさせて頂きます。(一二・一〇稿)

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 九州・山口各県薬代表者会
 日薬の九州ブロック説明会 一月二十三日山口湯田温泉に於て

 日薬では新年初の全体理事会を一月十二日開催し、主として日薬通常代議員会附議事項について協議したが、その協議内容を基に全国九ブロック会を開いて役員が説明に当ることになった。九州ブロックは廿三日福岡で可児、滝川の両氏来福開催予定になっていたが、兼て計画中であった九州山口各県薬代表者会議を同日廿三日に山口湯田温泉で開くこととし、日薬の九州ブロック会会場を変更して同時に湯田温泉で催すことになった。

 当日の出席者は
 日薬側=可児副会長、滝川常務理事
 九州代表=五郎丸(福岡)江口(佐賀)草津(長崎)戸田(熊本)瓜生田(大分)矢田部(宮崎)山村(鹿児島)
 山口県=樋口会長外四名
 なお別に九州山口では事務打合せのため各県の事務長(事務担当者)も同時に参集した。

 日薬九州地区会

 可児、滝川の両氏から中央情勢、日薬事業計画、定款並に規則細則改正、会費値上問題等々にについて代議員会附議事項を中心に詳細説明があった、その要旨は次の通りである。

 先ず@会名を「日本薬剤師会」とする。A各種会員を整理して正会員、賛助会員、準会員とする。B副会長を三名とする。C新たに職種部会を設ける。D事業中公衆衛生の普及指導に関する事項と優良医薬品の流通適正化に関する事項などを追加する。

 事業計画の要点は次の様なものである(滝川氏説明)
 1、社会保険分業促進、処方せんを二、三年内に現在の10倍にしたい。
 2、医療合理化による診療報酬を更に改正したい。
 3、薬業経済安定対策としては厚生省とも話合い経済法規も実現したいが、現在では滝川構想を推進したい。
 4、勤務薬剤師の地位向上待遇改善に努力したい。
 5、公衆衛生に関係する薬剤師の地位向上待遇改善を推進したい。

 会費値上げ問題については可児氏から説明があった。日薬の財政は今日実際に苦しい事情にあり、これがため自然事業も消極的になる虞れがあるので会費値上げ案が今回計画されたわけである。値上案はA会員二、五〇〇円を三、〇〇〇円にB会員七〇〇円を一、〇〇〇円とする。その結果は一千百万円増となるが、機関紙発行、物価高に対応、還付金なども考慮に入れてある大体以上にて説明終了。午后三時。それより九州山口代表者会に移った。

 九州山口各県薬代表者会議

 瓜生田会長の挨拶があり引続き日薬定款改正小委員会が改正についての希望事項@副会長の選任は同一職域に偏せないことA理事の指名はその職域(開局、病院診療所、事業所、衛生技師教育研究等)を考慮し案分して指名することB代議員の選出は職域会員数を基準とすること、の三項目を答申した事情についての説明があった(瓜生田氏はその委員の一人である)それより次の事項について協議決定した。

 1、各県薬務行政はなるべく統一の形に持って行きたいことに関心を持つ。
 2、熊本県より昨秋の九州薬学大会に関する会計報告があった。
 3、卅七年度大会に於ける名誉会員その他の表彰については次回代表者会に於て原案作成の上決定する。
 4、佐世保東映が長崎市に進出の徴しがある。吾々は一丸となって阻止することを決めた。
 5、九州山口ブロック会費は各県一万円を二万円に増額することを決定した。
 6、炭鉱不況のため病院薬剤師の離職者に対しては就職斡旋に努力すること。
 以上にて代表者会を終了。

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 福岡県校剤会 常任理事会

 福岡県学校薬剤師会では一月十六日午后一時半から県薬会館で常任理事会を開催し左記事案につき協議した。

 ▼各種大会に於ける研究発表の件について
 日本薬学会(横浜市神奈川大学、四月)熊本市青木学薬会長の研究発表が行われると思われる。▼九州地区学校保健大会(佐賀、十月)開催地の学薬或は次年度開催の学薬から発表される。▼九州山口薬学大会学校薬剤師部会(鹿児島、十月)本県から二題研究発表の必要がある。▼福岡県学校保健大会(戸畑‐若戸大橋博覧会、十月)一題の準備必要。▼全国学校保健大会、日本学校薬剤師大会(静岡、十月下旬)協議題の準備が必要である。就ては本会総会前二月に評議員、理事合同会議を開催予定であるのでその節決定することとした。

 ▼会則一部変更の件
 会則一部改正については予じめ本理事会で意見の一致をみて置きたい。正副会長は現在通りとし評議員会で選出し総会で決定する。評議員は原則として(なるべく)支部長とし支部より選出届出を待つ。理事は増員して十名とし正副会長で決める。常任理事は理事の互選により三名が適当である。本会も既に世帯が増大し対外的にも関係する処が大となったので理事が業務分担して執行し、学薬の幹部はできるだけ他の役員に就任することなく学薬業務に専従することが望ましい。常任理事三名は庶務一名、学術二名としたい。又評議員の数は四十校毎に一名とすることが望ましい。

 ▼学校薬剤師実地研修会開催に関する件
 主として新しく学薬に就任した人のために開催するものであるが左記による。
 @ 場所=直方、八女、柳川、大川、福岡市周辺の四ヵ所とする。
 A 時期=二月上旬
 B 研修課目=本会実務テキストを主体とする。
 県薬支部長会で開催地、会場等地元の意見を参考として決定する。同時に講師も地区で決める。学校を会場としPRを兼ね午前説明、午后実習としたい。研修会の費用−講師の旅費その他開催地区で負担することにしたい。

 ▼その他=三学期中に照度測定を実施する。
 以上にて理事会を終了。

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 福岡県薬剤師協会 第八五回 支部長会

 福岡県薬剤師協会では支部長会開会準備のため十二月十八日福岡県薬会館に於て理事会を、廿二日午后二時から支部長会を開会し左記事項につき協議した。

 ▽付議事項
 1、薬局等実態調査について
 組合が中心となってやっている。本日迄に約2/3が集っている。

 2、社会保険について
 @懇談会=分業推進のため二回メーカープロパーと懇談し、薬局名簿及び取扱薬局名を知らせた。
 A診療報酬改正=十二月一日から調剤料が改正になり又深夜料も変った。
 B処方箋料設定=十二月一日から社保の処方箋料が設定され、福岡市及び北九州各市は乙表甲地に指定され、五・四点である。
 C薬価基準改正
 十二月大巾に改正、抗生物質は値下り、日薬で薬価基準を編成し有償分布する
。  D調剤報酬請求様式改正
 様式が改正されたので注意されたい。
 E三師会
 日程、範囲など会長が話合いをする。
F社保医療協議会委員  十一月十六日より新法により中央、地方に設けられる、薬剤師会から一名出る期間は二年である。

 3、高野日薬会長帰朝報告
 この程県薬会館でベルリン問題、欧州経済共同体、米国薬業事情などについて講演があった。

 4、睡眠薬の取扱について
 十二月十九日付で県衛生部長の名により催眠剤の乱用防止についての通達があった。今回新たに新年一月分から毎月十日迄に前月販売した催眠剤の品名数量を報告することに決った。

 5、勤務者の実態調査と勤務者の会費について
 理事会では山本理事から「来年の総会前に決め、安い会費にして多数の会員加入を図りたい」と発言。支部長会では四島副会長から二、三年来会費が問題となっているがまだ結論を得ていない。会費を幾分値下げすることによって果してそれだけ新入会が増大するか否か疑問がある。兎も角勤務部に於て検討中であるから総会迄には具体案ができると思う。

 6、薬剤師届について
 十二月卅一日現在を一月十五日迄に所管保健所経由で届出なければならぬ。

 7、NHK歳末たすけあい健康相談について
 十二月十八日久留米に於て施行された。(内容別掲)

 8、麻薬免許証返納届に就て
 一月十五日迄に所管保健所経由返納せねばならぬ。県薬務当局の話しでは逐年免許者が減少している。薬局の体面上からでも免許は是非受けて貰いたいとの希望があっている。

 9、その他=@県薬業忘年会が十八日に催されるのでなるべく出席されたい。A職員の年末手当は昨年通りにする。B委員会費、支部への報償金などのため事業費の不足を来したので従来の例に故い支部長会の承認を得て流用することに決った。C東映問題が失敗に終れば福岡方式など薬務行政の面に於ても非常な齟齬を来す虞れもあり、小売の面に於ては徹底的な混乱を来すことになろう。現在折角工作中である。D校剤師の必置の実現運動は主体を地区支部に置いて推進して貰いたい。県本部としては事業の面に努力したいと思う。E福岡国保では保険料の値上げはできるだけさけたいと思う。これがためには現在の滞納者を一掃しなければならぬ。ご協力を願いたい。以上にて支部長会を終了。

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 金魚酒の話 山本秀一
 国立福岡病院薬剤科長、九州地区国立病院療養所薬剤師協会長

 一年は正月にはじまり正月は屠蘇にはじまると申してもよい程人生には酒もまた縁の深いものの一ツである。酒は百薬の長と申されるかと思ふとまた酒は命をけずる鉋とかとも申されるが、冠婚葬祭いづれの場合でもなくてはならないものの一ツと言ふより大切なものの一ツに入れたい。最もなかには宴会が苦手でまた酒を呑まされるのかと思ふと足どりも重くなるといふ人は別として、理由なしに呑みたい呑ませたいといふわけで一席を設けることによって一瞬の内に十年にまさる親しみを深め肝胆相照らすといふわけで、お互が心から打とけることによってむつかしい話も案外手軽に片づいて、いわゆる談笑の内に事が運ぶといふことは誠に有難いことで酒様様といふわけになる。

 この頃のように不自由知らずの時代は酒の名のつくものはいつでも直ちに手に入る時代の今から申すと、夢のような話であるが決して夢ではなくまことの話であるから一ツご披露致したい。時局多端の頃は諸事万端すべてが配給の時代で酒もまた配給であることは当然で、配給酒の一滴は皿の一滴に相当する程その道の勇者にとっては貴重なものとされたことは酒党にとっては骨身のしん迄血しみわたって今尚記憶に焼付いている。貴重な配給米やら闇米やらでこっそり密造をする人などは器用な組で、アルコール剤を苦心算段の上様々に加工して楽しむか、あげくのはては橙皮チンキ、苦味チンキのお世話になるにはまだまだ序の口で、あげくのはてはメチールに手を出し二ツとない命がけの決意をされる勇士があらわれるにいたっては、全く手がつけられない命しらずのいわゆる中毒組で最早手のつけられない者も出てきた仕末は今から思へば嘘の様な誠の話である。

 朝鮮にいた頃今の公務員昔の官吏はその点大分内地と異り最后の頃でも恵まれた事情で身分に応じて毎月一升組二升組三升組四升組にわかれての配給となり、知事閣下ともなれば勅任組として五升といふ配給酒が公然と配給され、私も三升組の一人として誠に心強い限りであった。当時はよるとさわると何かにことよせ理由をならべて酒の入手にこれつとめて酒党族が楽しんだものである。勿論地方に出張でもすれば主客転倒に近い迄の宴会が身分相当にしかるべく善処されたことは言ふまでもないが、いよいよ品不足が段々深刻になるにつけて思ひついたのがあやしげな加工品より最も安全な手近の水を加へて増量を計り、水臭くて頼りないとは知りつつも安全第一の薄い酒を楽しむ者が出て来て誰言ふとなくこれでは金魚も泳げるだろうといふことから、いつとはなしに金魚酒の異名をたてまつるにいたり堂々と仲間に通ずる名称とまでにいたった。

 ところが或るとき道民(県民)一六〇万人の上に君臨遊ばす知事閣下が地方監視のさいでの歓迎宴の席上に持ち込まれたのがご多分に洩れないこの金魚酒であった。知事閣下も内心大好物の酒席を心ひそかに楽しんでいた処計らずも金魚酒のご馳走では内心不満のままご帰庁して、后ある席上で経済取締の大元締の○○部長に金魚酒の一件を話題として暗に酒類取締の不徹底を指摘されたので、直ちに翌日の幹部昼食会の席上で経済課長健在なりやと金魚酒の一件を一同の前で茶目気まじりに披露に及んだからたまらない。

 手落があっては出世のさまたげといふわけでか、その翌日出勤まもなく前記経済課長からお電話ですと給仕君の取りつぎを受けた○○主任は、直系でもない経済課長直接の電話、さて何事ならんと電話口に出たところすまないが一寸課長室迄来てほしいとの丁重な電話、承知の旨を答へて直ちに経済課長の室に飛び込んだ処大きなデスクの横の足元になんと型も模様も大小様々な酒徳利がところせましと数十本床の上に乱立鎮座して客待顔である。

 さては○○主任も同席であった昼食会での金魚酒の一件かと唖然として立ちすくんだ。経済課長おもむろに曰く○○主任も聞いての通り○○部長から注意もあったので早速昨夜課長自ら陣頭、指揮のもとに市内料亭の一斉取締を実施して収去した酒がこれである。大至急アルコール分の検査をしてほしいとの話であったがアルコール分が薄いのは経済警察的には意味があっても衛生的に有害でない限り手軽に衛生課の立入る場合でないと内心は思ったが、いかめしい面がまえの経済課長の手前それとははっきり言わずとにかくアルコール分検定の試薬在庫調査に名をかりてその場は引下って直ちに直属課長室に飛び込んで事の次第を報告すると共に、加えて係就任の意見として衛生的に有害でない限り我々とは関係がないからうかつに経済違反につながる金魚酒の取締には真重策をとって安請合すべきでない事を力説具申した処課長も了とせられたので、実際は衛生的見地から試験はしないことに腹をきめ表面は法規で定められた試薬が不足だし急に入手も困難との理由で遠曲にひきのばし策をとった処、経済課長もたまりかねてか試験室に矢の様な督促、警察官を派遣お百度をふませたが遂に初期の目的を達せず事件とならずに検挙された酒徳利君も証拠不充分といふわけで無罪放免となったし、金魚酒君も取締を受けずにことなきを得たがこの一斉取締の実施が結果的には経済取締上に相当の効果を発揮したことは言ふまでもない事は芽出たし芽出たし。○○主任とは筆者の若かりし頃の思い出話である。

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 新春雑感 綱島幸枝

 年をとるにつれて、忙しさだけが、正月みたいに、感じるようになってきたとは云ふものの、矢張り正月は、よいものである。きりきり舞いをして、年の瀬を越して、一夜明ければ、何かしら、違った世界に住むような、瑞気立ちこめるお座敷で、ゆっくりと、お屠蘇を祝ふ習しは、矢張り日本人的で、いつまでも持ち続けたい習慣だと思ふ。

 今年も又、正月がやってきた。一年が、やたらに、早く感じる近頃ではあるが、新しい気分で、神前に額づく気持は矢張り意義があると思ふ。平素不信心な私などは、せめて正月だけでもと、一年分の感謝の祈りを捧げるのである。

 薬局の店頭で、客の懇談を受けては、売ることと、問屋の注文に明け暮れ、その暇々に、家事を片付けている毎日は、忙しくて、仕様がないのである。まして、近頃のように、定価で安心して売っていた頃と違って、何だか闘争めいた接客態度になり勝ちなのである。といふのも、三人に一人は、価格の事を云々言ふからである。
 「ミューズ石鹸を下さい。」
 「はい、五十円でございます。」
 「あら、ミューズ石鹸が五十円ですの?。」
 「はあ、ミューズは五十円ですけど…。」
 「まあー。私は○○で三十八円、ゼネラル(どちらもスーパーマーケット)で、四十円で買っていますけど…。」
 「あ、それはスーパーマーケットでございませう。スーパーと小売店は価格が違ひますけど…。」といった調子で、神経が、鋭らずに居られないのである。

 もっと、ゆっくりと、読書をしたり、趣味を持ったりしたいと思い乍ら、到底不可能なので、せめて正月位は、ゆっくりと、過したいものである。しかし忙しい店頭の生活に、与へられるヒューマンタッチの特権は、時折り入って来る顔見知りの客をつかまへて、暫くおしゃべりをしてみたりする事がある。だから薬局の窓から世の中の一部をのぞいてみる事も出来るし、新しいニュースを知る事もある。今年は、如何に上手に、ヒューマンタッチするか、之を私の課題としたい。

 正月といへば、めでたいものの一つに、富士山が、あげられる程、めでたい山の代名詞になっている。 学生時代を静岡で過した私にとって、富士山は懐しい思ひ出の山である。卒業試験、それと、厚生省国家試験の受験勉強に、あえいでいた当時、私の下宿の窓からは、丁度富士山を仰ぐ事が出来た。徹夜をしては、毎朝夜明の富士を仰いだものである。薄黒い紫色の富士の姿がだん?あかがね色に染まって明けてゆく色の移り変りの美しさは、どんな色を合せても画き出す事は、出来ないだろうと思へる程、幽幻な美しさが、あったものであった。徹夜の苦しさも、何も彼も忘れて、この一瞬の美しさを酣然として眺めたものであった。

 今年の秋、母校、静薬で薬学大会が催される事になったので、凡そ二十年振りに、母校を訪れる事にしている。秀峰富士は、変らぬ美しい姿で、私を迎へてくれるであらうと、人知れぬささやかな期待と喜びに、独り楽しみつつ、矢張り今年も何くわぬ顔をして人世を生きようと希っているのである。

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 雑感 山田ミノル 福岡県女子薬会長

 店先で、生後八ヶ月の赤ちゃん、最う三日も便通がないと御母様、常日頃から便泌し易いと。食物を伺って見ると母乳とミルクの混合色、野菜や果物は余りやっていないと、そこで早速に野菜のうらごしをやるよう奨めた。

 四、五才のぼっちゃん来店、お母様が、新子は体がかゆいと言って掻くと時々赤くなって「ホロセ」が出る。今朝もまた出たのでと仰言。子供さんはと見ると顔色が冴えない。色々尋ねて見たが其原因がわからない、食物を伺って見ると野菜を殆んど食べてないし、海藻類も肉も食べてないといふ。塗布薬を売ると同時に野菜や果物を食べさすやう奨めて見る。

 二十才前後の婦人「ニキビ」が出来て困るといふ。よく伺ふと便泌しがち、食物は野菜は好かんと、野菜と水を取るやう奨めて見る。

 五十才前後の奥さま、どうも太り過ぎて血圧を計って貰ったら少し高いと心配そう。食物を聞いて見ると御飯がおいしくてどうしても食べ過ぎて終ふ。そして果物屋さんなのに果物はきらいと、そんなら野菜を沢山食べて御飯の量を減らしたらと御話する。

 さて自分の家族にも野菜を充分にやって高校生の娘には「ニキビ」の出来ないやうに、果物きらいの主人にも野菜を沢山食べて頂かうと思って野菜やの店先に立って見る、ところが此秋になってから野菜を買わんとする其度に思ふ事は誠に野菜の騰くなった事だ。大根が一本三十円、余り大きくもないものが、美味しくなさそうな白菜が百瓦四円、ネギが二、三本で十円、玉ネギも一個二十五円と、以前に比べて約三割から〜五割、ネギなどは十割も騰っている。之では私の家族のやうに少ない家では兎も角、大勢の家族ならとても野菜は充分食べさせられないだろうと唖然とする。

 どうしてこんなに野菜が騰いのだろうかと思って何時も野菜を作ってる小母様に伺って見たら、何時もなら一雨毎に大根も葉っぱもずんずん、大きくなるのに今年は雨が降る度に野菜は凋れて大きくならない。何時もの半分も出来ないと歎げいてる。其後何人かに聞いて見たが同じ返事である。

 さては放射能のせいだなあ……と何か身振ひがする思ひ。五十メガトンの放射能……そう言へば七、八年も前に浴びたビキニの灰で久保さんという方が最近になって発病して亡くなられたと聞く。十五、六年も経った原爆の被害が今でも現れて人の命を奪ってる。こんな事を思ふと何だか自分の体も毎日食べる野菜で脊髄が浸されつつあるやうに思えてくる。

 自分は年だから良いとしても若い人達が、子供が全部虫食まれて遠い将来には皆斃れて行くのかしら。実に恐しい事だ。此野菜に此漬物にと思って念入りに洗ふものの実際はどれだけ洗ひ落せるものかしらと不安は決して去らない。店先で野菜を食べるやう奨めるのも悪いかしらとさへ考へる。次に野菜を食べるやうにだけ言って居ったのでは商売にならないばかりか今直ぐには間に合わないので其時々に適当な薬を奨める故ですが、其時に当って出来るだけ安く、よく効く薬、そして是非共治って頂き度と念願を込めて売るわけですが、其為には最も信頼出来るメーカーの薬をと思ふ。

 ところが最近のやうに有名マスコミ品は正規のルートを通したのでは全くマージンがなく、従って少しでもマージンを得やうと思へば毎日神経を費ってヤミ流れの安物を探すのに急々としなければならない。そうしなければ零細経営の薬局、薬店は経営が成り立たないところまで追い込まれて居る。

 何もマスコミ品だけが信頼出来るとは限らないが、患者もよく知ってるし、そして何処でも買えるマスコミ品を私等も奨めたい。然しそれだけ奨めて居ったのでは経営が成り立たない。そんなジレンマに落ち入る薬局なんてみんな一層の事潰れて終えとヤケになる事もある。

 そこで今、スーパーや、町に、市に、大きな薬局だけが一、二軒になったとしたら、どうなるだろうか。……そうなったとしたら大衆は非常に損をする事になる。先ず今とは反対に薬の売価は思ひ切り騰くなるし、一寸した歯痛にも医者に行かねばならず、一服欲しいと思ふ風薬にも診察料と時間が要る。環境衛生にしても誰も説明してくれる人が居ない。マスコミ品以外は薬もわからないといふ事になり、民間の衛生思想も低下するものと思ふ。之でよい筈はない。人間の幸せの一端を私等は担ってる事に気がつく。

 其ためには現在の状態からどうしても脱して私達の経済の安定を計らなければならない。六万の薬剤師の半数が薬局経営とあれば尚更の事である。それにはどうすればよいか……日常悩まされる問題である。東映問題については蹶起大会を開いて私達業者は戦っている。此問題について他の業者は影響されないものかと検討して見た。先ず日常の消費物、食品類、例へば野菜、魚肉などはそう遠くまで影響を及ぼさない。衣料品は定価がわからない。殊に此頃のやうに混紡の多い時は全く高低の見分がつかない。隨って買ふ時は信頼する店へとなる。

 化粧品は、マスコミ品は殆んどがチェン組織であり、又たった一つのクリームを買ふために遠方まで出かける程主婦は余裕を持たぬ。雑貨に致っては何処に行っても原価に近い売値とすれば結局は影響の甚しいのは薬だけといふ事になる。

 幸ひにして私達薬剤師はいざ鎌倉といふ時には何時でも通達し、馳せ参しさせ得るだけの組織を持っている。此組織を利用して東映のやうな大敵を造らなくてすむやうな法律を造って貰ひたいものと念願する。それにはどうしても政治力といふ事になり、業界より沢山国会に送込まなければならない事だが、六月の参院選に業界からは未だに候補者が決定して居ないとは誠に悲しい事である。出て頂く人物はあっても資金がない。資金がなければ選挙には立てない。いや資金がなくとも薬剤師が本気で票かせぎをやるなら一人五票づつでも三十万票になる。業者だけでも十票づつ拾えばよい。たった十票、自分達の頼みの綱を造るに十票が拾えない筈はない。それが出来ない位なら落伍しても仕方がないし、組織もいらないといふ事だ。

 私達女子薬剤師会も、七、八年前政治力の強化のため誕生させられた。そして之を忠実に信じ守ってる者によって今も運営されてる。其先端に立った粟村氏は可愛そうにも折角の衆議候補も破れ、経済的影響も大きく、其上「眼」を患って活躍出来なくなってるとの事は誠に御気の毒である。折角勇気を奮って立った候補者を二度とこんなみじめな目に合せたくないと、しきりに思ふ。

 業者の利益を計って貰ふにはやっぱり業者が候補者となるべきだ。学者は学者としてしか成り立たないのが常識と思ふ。私達一日も早く業者より之と思ふ候補者を選出して頂いて六月に備へないと思ふ。之が今年の初春に当っての最大の念願である。それに依ってまた女子薬剤師会も勇気を奮って立ちあがるであろう。終に今年こそは総べてを勝ち取るつもりで奮ひ立とう。最早勇気意外に何ものもない、誌上を拝借して女子薬会員の皆様の御幸福を祈る。(一九六一・一二)

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 薬界隨談

 ▲富山大学の学長選挙は十二日行われ四代目学長として薬学部長の横田嘉右エ門薬博が当選した。薬学出の学長は珍らしい事である。氏は大正十二年東大薬学科薬工教室を出て岐阜徳島富山薬専を経て富山大薬学部長となり今日に到っている薬王国の富山大の学長になった事は全く喜ばしい。

 ▲武田資義佐賀市剤会長の言に依れば、佐賀市国保で医師会に毎月一千万円以上を支払ひ国保運営が底をついており薬剤師への調剤料は僅かに八万円。それも一‐二の薬局に其の多くが支払れている。もっとPRをして開局者の均等に処方が廻る様うせねばならんと。

 ▲東京都薬政会と東京都青年薬剤師会が行った薬品乱売調査の結果は都内薬局九五%迄が割引、推定では二割引四五%、三−四割引が二〇%もあるらしい。一体薬局と云ふものは何んで儲かって何んで生活しているのか、霞と空気を吸って暮しているわけでもあるまい。

 ▲参議院法制局で医薬品の乱売規制立法化?の動きありと剤界人喜び過ぎるには未だ早い。前途に幾多の難関と茨の道がある。年産一千七百億円の医薬品其の何分の一かが直接売買される大衆用の保健治療薬である。

 ▲本年の参議選挙地方区は三共の鈴木(静岡)大正の上原(埼玉)の両氏を全剤連が推薦、全国区には今の処剤界人の出馬の声を聞かず、何んとかならないものかと思ふだけでは何んにもならなぬ。

 ▲日刊紙や業界紙に今春の薬科大学の案内や学生募集の広告が掲載されて来た昨年当りから女子の志願がめっきりと減って来た。私立薬大の受験料は一率に参千円一学生三校受けるとしても相当の金がかかる。

 ▲旧臘十二日開かれた佐賀市薬剤師会主催の「薬局経営研究会」の講師池見氏は医博で法博と稀らしい学位を持たれた博識の士で、中小企業者の生きる道は一にも二にも記帳する事で有る。階ぎゃく交りの三時間の熱弁あく処がなかった。(GT生)

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 すられた話 馬場正守

 今年は寅で昨年は牛。年の始め、未だ門松もとれないうちに、例の老人がやって来た。焦茶の着物をぶらりと着流して、懐に商売道具を入れ、毎年一回必ずいつとはなしにやって来る。「やあ、いらっしゃい」と声をかけて、腰掛けをすすめるが彼は黙ってカウンターの前に突っ立ったまま動かない。こちらも顔は良く知っているし、ここ七・八年はふらりと店に入って来て商売をすませてさっさと出てゆく。

 彼は手相屋である。そして彼は私の御得意である。右手を懐に入れてもぞもぞ動かし大きな天眼鏡をとし出したので私も黙って右手を差し出した。「ふーん」と彼は長歎息。暫くの間、手の平、指の先そして裏がわを丁寧に眺めている。「ふーん」とここで彼は再びうなっている。少し時間を置いて彼の右手が動いた。私は「何だろう」と思って左手を差し出す。再び天眼鏡で丹念に睨んでいる。突然「今年は何か失しますね。それも家の中でなく外出中の出来事ですね」と彼は答える。その当時は、ええ加減な事を云っとるなー位の軽いつもりで聞き流していたが、これが本当になったのには全く驚いた次第。

 あるメーカーの集まりで大阪の生駒山に登った。全くの団体向温泉で、オートメイション入浴、宴会、そしてけばけばしい景色、十時になるといやすみなさいで床がのべられ、夜行列車のつかれも出てくたくたになって睡眠。そしてぼんやりした頭脳に、鞭うち朝食。次の旅行地へ、メーカーのプランのベルトにのって運ばれ別府に帰って来た。同行はG先生とT先生で都合三名。船中で、二日酔は酒にかぎるとかの迷学説に耳をかたむけていたのが原因であったかどうか知らないが、旅行のつかれは旅にかぎるとばかり、開散后この三名は別府の名所をたづねて、城島高原を通り久大線の豊後中村駅に着いた。

 十一月の上旬でさぞ山々は紅葉が一杯だろうと大いに期待してバスの切符を買った。同行三名中一番年少者である私が会計をやらされるのは、気が弱いのと他の二名の気持が大まかすぎるので黙ったままで決った様な次第。切符には乗車番号が書いてあり、二〇、二十一、二十二番で私が二十二番をとるのも理の当然。やっとバスが入り改札口にどかどかと並ぶ。写真機を肩にかけたものや、九重登山の赤黄のリュックを背負った学生さん方も居る。改札が始まった。女車掌さんが一番二番と次々に番号を呼ぶ。十二番、十三番と呼んだ時に、私の右肩に釣していた双眼鏡とカメラがぐっと後に引張られた。何にしているんだろう、と強く引きもどす。再び引張られた。「十八番、十九番」今度は左手に下げている小型トランクを後に引張られる。誰がするんだろうと首を左から後にまわしてにらみつけた。

 三人の男が私の体にぴったりとくっついている。全部旅行者タイプで手に切符をもっている。「二十一番、二十二番」と呼んでいる。私は改札口へ足を一歩近づけ様とするが、その前には二名の男が立って、私の進路を背中で遮っている「二十二番、二十二番の方は居られませんか」と呼んでいる。肩を右にゆすり、左にゆすってやっと前二名を押しのけてバスに足をかけた。(怪しいぞ)と直感する。急いでバスに乗り席に荷物を置いて右の胸に手をあてて見るがあるべきものがない。

 よしとばかりバスを駆け降りて改札口にとってかえしたが、先刻の五名の姿が横丁の方に消えて行くのがわかる。追いかけて、尋ねて見ようかと思ったが待てよ。盗られてから、スリ呼ばわりをしてもこの上なんくせをつけられてもかなわない。それにしても全く上手な五名だと盗られた金の事よりスリ取る者に感心した。G先生、T先生もびっくりしている。もっとも金は三ヶ所に疎開させていたから、別に支障はなかったが実に上手い。

 寅年の正月からこんな話をして悪いかと思いますが、寅れ(盗られ)ない様に今年は充分注意して下さい。私は、宿の床について易者の言葉は成程と合点が行ったが、次に牛(失し)年であったと気がついた時少々腹が立って来た。

九州薬事新報 昭和37年(1962) 1月30日号

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 大牟田薬協組構造設備内規案一部改正研究提案 福岡県薬商組支部長会

 福岡県医薬品小売商業組合では第二〇回理事・支部長会を一月十三日午后一時から県薬会舘で開会、支部長の出席は良好であった。白木理事長の挨拶後次の議案について検討した。

 ▽薬局薬店々舗実態調査集計中間報告(藤野専務)
 別刷により集計概要について説明があり、なお前日の県薬業懇談会に於ける実態調査に関する県側の話しについて報告があった。

 ▽大牟田薬協組の構造設備内規案に対する決議について(古賀同組理事長)
 形式的医薬分業の現実の下に在る薬局、及び薬店(医薬品販売業)は生活的経営をなり立たするためには今後、多数の業者は多角経営化の方針をとらねばならぬ。止むを得ず採らねばならぬことになると思われる。若し多角経営の線に進むとすれば医薬品以外の物品の売場面積(審議会資料一の十四のロ)は次の様に変更されたいと思う。

 十四のロ=その他の物品売場面積が医薬品及び関連物品の売場面積と同等以上の時は医薬品売場又は関連物品売場との間にガラス、板張り又はこれらに準ずるもので天井迄隔壁を設けること。なお、この隔壁には保安上巾一米(三、三尺)以内の出入口を設けることができる。但し売場面積の如何に拘らずその他の物品中、生鮮食料品の如き腐敗、異臭、浸潤し易いもの、即席に飲食する設備(喫茶、食堂、菓子製造)等の如く医薬品の販売に好ましからざる環境をかもし出すものは医薬品売場との間に前記の隔壁をさせるものとする。

 これは大牟田薬協組で議決したものであるが、審議会に提出する以前に於て薬業界の意見統一のため商組に於て充分協議検討して貰いたいので本日茲に提案するとの説明があった。各人各様の意見も述べられたが、結局商組では二月二日午后一時から小委員会を開会して研究検討して二月上旬開会予定の審議会開催前に何等かの結論を得る様努力することに決定した。

 ▽九州商工組合協議会出席報告(白木理事長)
 県通産局の招集で旧臘十三日福岡市に於て協議会が開催され中小企業の金融、税金などにつき協議する処があり、大企業を圧するためのものが却って中小企業を圧迫している現実について論議検討された。

 ▽小倉東映問題のその後
 昨年十一月廿日総決起大会、その後引続き議会、政党、当局などに対し陳情と了解運動に邁進している。現在小康を得ているが何時急変波乱を巻き起すやも知れないのである。

 ▽組合並に対策費早期納入について
 一月中に完納する様支部長に於て極力協力して頂きたい。以上にて支部長会終了。

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 福岡県薬業懇談会一月例会 店頭にポスターを

 福岡県薬業懇談会一月例会は十二日午后一時半から県薬会舘で開会され出席者は次の通り。
 メーカー側=第一製薬、三共、興和新薬
 卸業者側=波多江、若狭、佐治、江口
 小売業者側=白木、須原、藤野、四島、岡野、吉柳、深田
 県庁側=尾崎薬務課長、横枕課長補佐、大庭技師
 課長挨拶後次の事項につき懇談した。

 1、構造設備内規について
 県側より「本年は整備期間であるのでその指針を明かにしたい。多々疑問も出て来るものと思われるので内規案について充分検討して貰いたい。県下の薬局薬店々舗調査統計表はまだ完成していないので発表もできないが、大体の仮集計は別刷の様なものである」と概要について説明があった。

 2、催眠剤について
 睡眠薬は一切、要指示薬品でないものも販売自粛して貰い。原則として青少年には販売しないこと。正規に販売したものは品目別に期日内に報告して貰いたい。虚偽の申請は罰金刑の虞れもあるので充分注意して貰いたいとの県側より注意があり、懇談の結果、睡眠薬購入者に対し購入について予じめ予備知識を与えるため店頭にポスターによってこれを示すことを決定した。ポスターは商組で作成し至急実行することになった。以上にて当日の会議を終了。

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 長寿への招待 戸田秀美 漢方研究家

 新春に当り長寿への道を皆さんと共に考えてみたいと思います。一年の計は元旦にありで、どうか皆さんも天命を完うして長寿を楽しんでいただきたいものです。

 一、長寿国に仲間入り
 昨秋厚生省の発表によれば三十五年の日本人の平均寿命は、男六十五才、女七十才となり、女の平均寿命が七十才の壁を突破したことは「人生七十年」が漸く可能になったわけです。明治時代より終戦まで男女共「人生五十年」の壁が破れなかったのですが、終戦後女は、二十一年に五十年の壁を破り、二十五年に六十一才、そして三十五年遂に七十才の壁は破られ、初めて「人生七十年」の実現可能が判明したことは御同慶にたえません。此の事実は、わが国の戦後における経済力の驚異的な発展、生活水準の向上、近代医学の基礎の上にたっての医療及び公衆衛生の普及向上に伴う国民の健康水準の高まりを物語るとともに、出生率の低下とあいまって、人口老齢化の現象においても西欧諸国に迫らんとしていることを物語っています。

 二、世界保健の大憲章
 しかしただ長寿しただけでは困ります。昭和二十一年国際連合の世界保健組織五一ヶ国、その他十三ヶ国の代表が相集り「世界保健の大憲章」の設定しました。即ち「健康とは単に病気や虚弱がないばかりでなく、肉体的に、精神的にそして社会的に完全に良好な状態である」として従来の身心二元的主義を一歩進めて、社会的要素を加えました私共は経済的に大いに発展すると共に、もっと健康に注意して、本多静六博士の言の如く六十五才を越えたらお礼奉公のため名利を超越して世のため人のために働き、余名を健康で楽しく送りたいものです。

 三、レジャーの問題
 近頃は生活水準の高まったことからレジャーブームが起っていますが、レジャーを楽むため一生懸命勉強したり働いたりして、さて楽しむ段になると無理なプランを組んでその為め楽しみが楽にならず、反って疲れたり、或は健康どころか命まで失うと云うのはどうしたことでしょうか。又医師に注告されたような人でも、医療や薬代に金をかけるより自動車の修理に金を払うような人はないでしょうか?もっと大極的に考えねばならぬ事と思います。

 四、長寿法の色々
 さて保健長寿法は多くの先人によって実践され書き残されていますが、わが福岡県出身の貝原益軒先生は「養生訓」を、又其の弟子であった香月牛山先生は「長寿養生訓」を著され共に実践されて八十五才の長寿を保たれた方です。

 先ず益軒先生はその養生訓の中に「素問(漢方の原典)に、怒れば気上る。喜べば気緩まる。悲しめば気消ゆ。怒るれば気めぐらず。寒ければ気閉づ。暑ければ気泄る。驚けば気乱る。労すれば気へる。思えば気結るといへり。百病は皆気より生ず。病とは気やむなり。故に養生の道は気を調ふるにあり。調ふるは気を和らげ平にするなり。凡気を養ふの道は、気をへらざざると、ふさがざるにあり。気を和らげ平にすれば、此の二つのうれひなし」と。

 次に牛山先生は長命養生訓の中に「老子の御言葉に人の命は我にあり天にあらずとのたまふ。実にさる事ぞかし命の長からんも短からんも皆わが身持にある事なれば能く保養をなして天年を保つべきなり」と。又「古より上寿を百才、中寿を八十才、下寿を六十才と定めて長短の天年とするなり。天年とは父母より受け得たる所の虚実(強弱)にして上中下の寿命を尽して死するをいふなり」と示されています。
 以下項目のみ挙げます。
 1精神的方法
 信仰、長寿精神の確立、仕事から離れない等
 2食養法
 生野菜食、青汁食、大食短命、少食長寿、酒の飲み方、梅干常用等
 3物理的方法
 調気法、静座法、乾布、冷水摩擦、五キン法等
 4化学的方法
 保健栄養剤、老化防止剤等の常用

 其他各種健康長寿法が発表され、夫々の支持者によって実行されてそれ相応な成果を上げていますが、どんなよい方法も知るだけで実行しなければ何んの役にも立ちません。又実行に当っては無理をしてはなりません。要は自分の体力と生活環境に合った実行し易い方法を研究して実行して行くことです。保健長寿法には万人に適したルールはないのです。

 5むすび
 私は百才までとは云いませんが八十才以上は誰でも無理さえせず養生に勉むるならば長寿出来るものと考えています。どうか皆さんも経済的発展も大切ですが、それ以上に長寿も念願して八十年の壁を破ろうではありませんか。

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 福岡県薬剤師協会 第八六回支部長会 先の参院選挙関係役員辞任申出

 福岡県薬剤師協会では理事支部長合同会議を一月廿五日午后二時から県薬会館で開催し、左記事項につき報告、協議した。なお本合同会議開催準備のため廿二日理事打合会を開いた。合同会議は種々重要問題もあったので支部長の出席も良好であった。

 開会前長野副会長から、去る卅四年六月の参院議員選挙に当り吾々が合法的だと考えて行った運動が不幸にして裁判官の了解を得ず、選挙違反の判決が確定したので、五郎丸、四島、須原、福田、岡野、吉柳、佐治、古賀の諸氏から私の手もとに役員辞任の届が一月廿五日付で出されているが、これを如何に取扱うべきか、支部長諸氏のご意見を伺いたい。と述べられた、これに対し種々の意見が開陳されたが結局、吾会の役員が、吾々会員の代表者である役員が合法的だと思って行った運動行為が法規違反であるならば、役員のみならず吾々会員の責任でもある。役員を辞任される必要はないと思うが、当事者が是非辞任したいとの希望であれば、本会の代議員会も来る三月に開会されるのでそれ迄は従来通りこの儘執務して貰いたい。又今日迄会員から辞任して貰いたいとの声も絶無なので代議員会で改めて会員の意見を聞かれたい等々の意見であった。因て長野副会長は「正規には臨時代議員会を収集してはかるべきであるが、近く三月に代議員会が開会されるので、それ迄この儘でやって行ったらと思うが」との発言があり一同異議なくこれに賛成、承認となった。それより合同会議開会、五郎丸会長の挨拶後直に左記の議事に入った。

 ▽議案

 1、九州山口各県代表者会議出席報告
一月廿三日山口県湯田温泉で開催され日薬から可児副会長、滝川常務理事も参加したが、五郎丸会長から詳細報告があった。(内容の詳細は別掲記事参照)

 2、昭和卅六年度中今後の事業及び行事予定について
@日薬代議員打合せ会を二月十五日頃、支部長会を二月中〜下旬、県代議員会を三月廿六日〜八日に開会の予定である。
 A執務上種々の不都合を生ずるのでこの際会員数実態調査を行いたい。支部長は全員の実数並に実態を調査の上次の支部長会に持参されたい。
 B予算編成方針については、日薬が卅七年度から会費値上を行うことは明かであるが、本県では値上げすることなく、そのためには各部会に対する補助金を癈止又は減額或は日薬の褒賞金を考慮に入れて本県の褒賞金の値下げ等をも考えている。
 C一月廿九日三時半から医師会舘で武見日薬会長を迎え「国民健康保険強化講演会」が開催されるが、これは医療担当者(三師)の立場を保険者に説明理解させるものである。中央に於ては既に三師会の協調が纏っているが地方では充分でないので、この機会に三師懇談の上協調に役立てるための基礎をつくりたい。吾々会員は努めて出席したいと思う。
 D二月八日県薬事審議会開会予定になっているので二月二日県薬局委員会合同で小委員会を開き、構造設備内規案について検討する。なお大牟田、若松支部から内規案内容について意見書が提出されている。各支部でも意見があれば書類で出して貰いたい。

 3、日薬協会賞受賞候補者推せんについて
 四月加奈川大学に於て開会の日本薬学大会で受賞の候補者に本県では「五郎丸勝氏」を推せんした。

 4、衛生検査技師法の一部改正について
 今回厚生省々令で薬剤師も医師、歯科医師、獣医師同様無試験免許が認められた、薬剤師の職域拡大であるが然し実際には同技師としてよりも薬剤師として就職することが有利である。

 5、保険業務について
 @薬価基準(日薬新編・一部品目の使用延期、昭和卅七年八月卅一日迄)
 A処方箋料の算定基準について別刷により説明。
 B国鉄退職々員家族の保険給付については昭和卅七年一月一日より六割給付となった。
 C各支部医薬分業推進状況については、久留米支部(江口氏)福岡支部(工藤氏)大牟田支部(中村氏)からそれぞれ具体的に分業推進対策、活動について報告があった。
 E保険懇談会は処方箋料の設定と医薬分業との関連法についての認識を高めるためメーカーとの懇談で既に二回開かれたが、なお今後継続して催すことになる。別刷によって関連内容について説明があった。

 6、NHK歳末たすけ合運動報告
 昨年十二月十八日久留米市で開催されたが、処方箋は割合に尠なく、保健相談に来た人が多数であった。PRが徹底していない感を受けた。

 7、季節の手帳について
 既に三年間継続発刊、部数三万二千、会員は一部一円を負担している。四万部迄は出せるので希望支部では申込んで貰いたい。本協会員外には分けないことになっている。現在本年六月迄は発刊が決っている。七月以降も可能性はある。

 8、前環境衛生局長聖成稔氏退官記念品贈呈について一口百円(県薬務課の斡旋)であるが県薬協としては幾口かを持つことをご了承下さい。

 9、学校薬剤師会について
 早川会長から説明、研修会その他について理事会に於ての決定事項(別掲理事会記事参照)について報告があり、なお必置制となったため県校剤会も支部制の必要を生じたので県薬協支部と同様に決めたいと思う旨一同に諮り左様決定した。

 10、小倉東映会舘薬品部設置について
 現在本問題は新段階に来ているので県当局の意向をも考慮に入れて断乎たる決意をなすべきであると考えている。

 11、薬局に於ける製造品目一覧の改正について
 県薬務課(佐藤、今山の両氏臨席)員から一覧表(別刷)について説明を聴取した。

 12、催眠剤の販売について

 13、薬剤師届、麻薬免許証返納について
 県薬務課佐藤、今山の両氏から説明、届も免許返納も一月十五日迄であるから既に手続されたことと思う。なお、本年の麻薬免許は五三四名で総薬局の63%に当り前年の73%より尠なくなっている。麻薬、劇薬、要指示薬品は勿論のこと催眠薬についても当分の間販売品目数量を記帖翌月十五日迄に知事に届出る義務がある。薬事監視に於ても勿論これ等がその監視の重点となる。以上にて合同会議を終了。

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 日本薬学会九州支部 第二六回例会と第七回支部総会

 日本薬学会九州支部第二六回例会並に第七回支部総会が二月十七日九大医学部薬学科第一講堂で開催、午后一時から総会、一時廿分から例会、当日の演題は次の通りである。

 1、N‐Methyl‐2‐Methoxycarbonyl PyridiniumiodideのNaBH4による還元(九大薬学科)木下洋夫。

 2、ハスノハカズラのアルカロイド研究(補遺9)
 Epistephanimeの脱水素生成物並にその水素化について(第一薬大)○渡辺恭男(京大薬学部)栗田優。

 3、Benzylalcohol性苛性カリによる還元反応(その2)KetoneのBenzyl化(熊大薬学部)宮野成二
 3・6‐ジニトロフタル酸のアルカリによる分解(有機分析第四二報)=(九大薬学科)百瀬勉、○稲葉顕。

 5、2‐アミンアルカンチオールとカーボニル化合物の縮合によるチアゾリジン形成反応による新発展(九大薬学科)田口胤三○高取利輔、小島正治。

 6、ヂハイドロ酢酸と第一アミン類との反応(九大薬学科)井口定男、○井上敦子。

 7、ヂハイドロ酢酸ソーダの作用機作に関する研究(九大医学部)久恒和仁。

 8、エストロゲンの塩基性アルキルエーテルについて(長大薬学部)高畠英伍。
 なお第二七回支部例会は来る五月十九日(土)午后一時より長大薬学部講堂に於て開催予定、演題締切は四月五日迄、申込先は九大薬学科内日本薬学会九州支部例会係である。

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 高野日薬会長 参院社労委員長に

 日本薬剤界の一粒種である日薬会長、薬学博士参議院議員高野一夫氏は一月廿四日の参議院本会議で「社会労働常任委員長」に選任された。同氏は鹿児島出身六十一才自民党に属し全国区二回当選である。

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 福岡県商組幹部 日薬幹部と会談

 福岡県医薬品小売商業組合白木理事長、藤野専務、形井理事の三氏は小倉東映問題に関し、一月廿二日夜日薬の九州ブロック説明会出席のため西下した可児日薬副会長、滝川同常務理事を山口市湯田温泉の宿舎に尋ねて会見し、問題が現在新段階に進み一層の深刻味を帯びて来た実情を語り忌憚なき意見の交換をなした。可児、滝川の両氏からはSMに対する中央情勢の詳細を聞き、白木理事長ら三氏は中央に於ても尚一層の善処方について要望した。

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 福岡勤務部会一月例会 福井薬局長講演

 福岡市薬協勤務部会一月例会は廿日午后二時からエーザイ福岡支店会議室で開会。先ず学術並に娯楽映画に約卅分余りを楽み、それより鹿川幹事の開会の辞に次いで松村会長は「本会の今後の運営について意見を述べられ又筑豊その他炭砿業界不況のため吾等の同志、病院勤務薬剤師の離職者ができたので諸君もその就職斡旋にご配慮を願いたい」との要望を述べて挨拶にかえ、次で福井済生会病院薬局長の「医薬品消費実態調査報告(三三、三四、三五、)と題して講演があり、一同熱心に聴講、終って同所で簡単な新春パーティーが催された。当日は約五十名の出席者があり非常に盛会であった。

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 全国薬協組連 正副会長決定 白木氏副会長に

 全国小売薬業協同組合連合会は昨年十一月廿八日創立総会を開き理事十八名を選出したが会長選出をめぐって難航を続けて年を越し、数回の意見の交換の結果一月十八日大阪で第一回理事会を開会し理事互選による会長選出を行った結果左記の通り決定した。

 ▽会長=荒川慶治郎
 ▽副会長=太田哲郎(関東甲信越)沖勘六(東海北陸)八木常行(大阪近畿)稗忠雄(四国中国)白木太四郎(九州)

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 薬界短信

 ◆福岡県女子薬全体理事会=一月廿一日午后一時から県薬会館で開会。昨秋熊本に於ける九州薬学大会及び鳥取に於ける西部連合女子薬会長会出席報告があり次いで県並に各支部のその後の活動報告及び今後の運営について意見が述べられた。

 ◆福岡県女子薬福岡支部新年交歓会=一月廿日午后一時から卅余名の会員参集して開会、入江氏の化粧品の話があり、余興として福引などの催しに一同は和気靄々、嬉々談笑のあと漸く散会した。

 ◆佐賀県薬務課長更迭=厚生部薬務衛生課長鶴田常雄氏はこの程同部公衆衛生課長に転任し、産業奨励舘長石橋忠氏が厚生部薬務課長に就任した。薬務課が独立したものである。

 ◆福岡県薬商組臨時理事会緊急支部長会=小倉東映医薬品部許可問題も愈々新段階を迎え、これに対する県当局の新らしい考え方等、問題について商組の対処方につき慎重考慮検討の必要を生じたので一月卅日午后一時から県薬会舘で次の議案につき協議(詳細次号)。
 ▽議案=KK小倉東映会舘内に於ける医薬品部開設問題について

 ◆福岡市薬協と福岡地区薬協組合同部会長会議=定例合同会議を一月廿九日午前十一時(協会)午后二時(組合)県薬会舘で開催、重要議案につき協議した(詳細次号)。
 ▽協会側=@歯科医師会懇談会通過報告A協定処方についてB部会別歯科医との懇談会開催について
 ▽組合例=@薬局薬店々舗実態調査集計報告A第二〇会支部長会出席報告Bその後の小倉東映問題について

 ◆日薬代議員会並に関連諸会議日程決定=日薬代議員会‐二月廿二〜四日(永田町、薬業健保会舘及日本倶楽部)▽日薬共済部総会‐廿四日九時(丸ノ内、日本倶楽部)▽全国薬剤師連盟執行委(及同評議員会(虎ノ門、日本消防会舘)

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 国立三療養所合同 国立療養所福岡東病院誕生

 福岡市外古賀町の国立福岡療養所、国立療養所清光園、国立療養所福寿園の三療所は日に月に進む現代医学に対応しより高度の医療内容をもつため又位置の近接している関係もあり今回合同して「国立療養所福岡病院」として中村京亮氏(前清光園長)が院長に就任して一月四日から新発足となった。従来三療養所共診療の重点を肺結核においていたが、今後は胸部疾患全般を取扱う胸部センターとして運営されることになった模様である。なお、同病院薬局長には山田武氏(前福岡療養所薬局長)が就任した。