通 史 昭和36年(1961) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和36年(1961) 12月10日号

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 福岡県医薬品小売商業組合 理事・支部長会議
 県の要望により薬局店舗実態調査

 福岡県医薬品小売商業組合では県薬務当局の要望もあったので臨時に理事支部長会を十二月一日午後一時から県薬会館で開会し左記議案につき協議した。出席良好、欠席支部は三井、浮羽、築上の三支部のみであった。白木理事長の挨拶に次いで直ちに議事に入った。

 (1)薬局店舗実態調査の件

 去る十一月十日第一回県薬事審議会で薬局及び医療品販売業構造設備基準内規に関する第一議案が継続審議となり、次回一月開会予定の審議会での審議資料として県下業者の店舗構造設備の実態調査の集計の必要があるので各支部に於て現状其儘を調査し、県薬本部でこれを纏め、十二月廿日頃迄に県薬務課に提出して貰いたいと横枕課長補佐から要望があった。次いで大庭技師から別刷の調査表について詳細に説明があった。なお、生協、購買会等は県或いは保健所から直接調査するので組合員外の一般販売業については組合員同様この際迷惑だが調査して貰いたい。若し支部長の努力にも拘らず非協力者殊に三団体にも加入していない非協力者についてはその氏名を至急県当局え通知して貰いたい。県より直接監視を兼ねて調査することにするとの意向が示された。

 (2)睡眠薬の取扱いについて

 厚生省は催眠薬の乱用防止対策徹底のため関係十七都道府県主管課長会議を開催したので尾崎課長は上京中である。薬局薬店は催眠薬販売については特に良心的であってほしい。そうでないと一層大きな社会問題となり販売、広告面に於て非常な不利益な不名誉な立場に追込まれることになろう。この際あくまで自粛して貰いたい。

 (3)中央薬品の件其後に就て

 過怠金再審査委員会による20万円に対し不服の申出があっているが、広告違反に関する過怠金10万円を先づ早急に納入する様通知することになった。これに対して不服申立てがあれば巳むを得ぬので訴訟の手続きをとることになろう。

 (4)東映其後の経過報告

 小倉東映では既に薬品部設置申請がなされているがその他小倉には淵上のSMが開店され化粧品など5〜6割引販売である。この淵上が薬品部設置に触手を動かしていると伝えられ又第三国人にも同様の噂が流れている様な状態であり、東映問題がスムースに運べば次々と同様な問題を惹起するものと思わねばならぬ。吾商組は断乎として東映問題を有利に解決せねばならぬ。

 (5)その他=@全国共同組合連合会には本県は県単位に加入することが有利であると考えているA廿七日の高野日薬会長の欧米薬業事情講演について解説的報告があった。以上にて当日の理事支部長会を終了した。

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 保険薬局 調剤料の改正 処方箋料設定

 厚生省は今回「健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」の一部を改正し去る十一月十八日告示、十二月一日から実施する旨を発表したが、これは先に改正、七月一日から実施されていた医療報酬などの内緊急を要するもののみを今回再改正したもので、先の中央医療協の審議を経たものである。その内薬剤師に関係深きものは次の処方せん料の設定と調剤報酬の改正である。

 ▽処方せん料 保険薬局で保険調剤を受けさせるため患者に所定様式の完備した処方箋を交付した場合に限り算定するもので、その処方箋に処方した剤数、投与量(日数)などに関係なく又一回に二枚以上の処方箋を交付した場合でも全て、一回五点(五〇円)乙表の甲地のみは五・四点(五四円)である。九州、山口地区関係の甲地指定は門司市、小倉市、戸畑市、若松市、八幡市、福岡市、下関市である。

 ▽調剤料
 @頓服薬(一剤三回分迄)一一円(旧、九円)
 Aその他(一調剤)二五円(旧一八円)
 B深夜調剤=午後十時〜午前六時迄(旧、午後十一時〜午前六時)

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 青少年睡眠剤遊びと 薬局薬店の自粛規制

 青少年の睡眠薬の乱用が現在大きな社会問題となっているが、これを提供する側の薬局薬店は厳重な取締を受けんとしている、東京上野警察の調査によると青少年が睡眠薬を買いに行った時どんな睡眠薬でも何の顧慮する処もなくすぐに売った薬局薬店が八〇・三九%にもあたると報告されている。日薬もこの問題について非常に憂慮し、この程全国地方薬剤師協会え自主規制する様通知した。その要旨は次の様なものである。

 最近新聞、雑誌、ラジオテレビ等催眠薬遊びの事実の報導は青少年の好奇心を刺激し却って逆効果をきたす虞れがあるとして報導は自粛されている。然し益々その悪風は瀰漫されている。過日参議院で加藤シズエ議員からこの問題について痛烈な質問があったので厚相は「睡眠薬対策としては早急に法的規制を行うつもりである」と言明した。薬務局としては睡眠薬を全面的に要指示薬に指定することが適切であるとの結論を出したが、薬品取扱者は勿論、一般善良な使用者に迷惑をかける結果になるので当局では全面指定は一応保留し販売業者の自粛規制に俟つことになった。

 即ち当分の間原則として未成年者には睡眠薬を販売しないことを励行することになった。然し、若し実効が現われない時は、厚生省は全面要指示薬の指定に踏み切る決意である。又国会でも単独取締法規の制定となることは必至の状態にある。

 以上の様なものであるが、薬局薬店ではこの間の事情を能く了解して睡眠薬については徹底的な自粛が必要であり又実行せねばならぬ。団体が設置促進の猛運動を続けていた佐賀県薬事審議委員会設置条令は、十月県議会に県当局より提案無事可決通過した。県では近く委員を委嘱し本年内に初会合を開く模様である。

 ◆第二回保険懇談会=福岡県薬協はメーカーの協力を得て十二月六日午後二時から県薬剤師会館で開催、厚生省告示により処方箋料が愈々十二月一日から設定実施されたので、これに関連して分業問題推進につき懇談した。(詳細次号)

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 福岡県女子薬 福岡市部会

 福岡県女子薬福岡市部会は十二月二日午後一時から県薬会館で開会、出席者二三名、座長に上田氏を推し、先づ支部今年度報告があり次に本支部の今後の在方について協議検討した。同じ薬剤師であっても開局者と勤務者では其の業務に於ては非常な相違があるので、今後勤務部グループの活動の必要が考えられるので一応勤務女子薬剤師の名簿作成のため調査(原口、野口両氏に委嘱)することを決定した。午後四時閉会、当日の会合は非常に有意義のものであった。

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 薬界◇◇隋談

 ▲二回休載した。筆者またまた健康を害して静養を主治医から命ぜられ心ならずも筆を取る事が出来ずと云うよりも筆を取る気力がなかった。

 ▲中元が済んだと思ったら秋の彼岸、夫れ台風だ!残暑酷しと愚知をこぼし、さては火の国熊本での九州薬学大会といっている内に早くも馳け足で師走となった。早いものだ。全く光陰は矢の如しと昔から良く言ったものだ。

 ▲高野日薬会長参議院の議長代理として秋から欧州視察の旅へ、使命を果して去月初旬帰国された。政治視察は別とし特にアメリカの薬品が著しく乱売されている。ウインドには隙間のない程薬の安売値がはりつけられている。だが期限切れや責任の持てないものらしく、市民も特別の階層を除けば購入せず、薬は一流の薬局で買うものが常識となっていると云う事は、現下の日本の薬の値段と云うもの一円でも安く買うものと思うものとは比較にならない国民性でも有ると思われる。

 ▲NHKA午後七時の医学の時間には参考になる放送が時々ある。七日は厚生省国立病院課の課長さんの調剤事故について十五分間にわたり新聞に出ない病院や診療所に於ける調剤事故を挙げ、国立薬局に於ける年別件数を挙げ、其の原因の分析、最近の薬品の進歩、剤型の変化、専門家の薬剤師でも其の掌握に苦労している。まして看護婦や医師には負担が大である。病院でも薬剤師のいない処が多い。患者の立場で薬品事故や不安を感ずるものが多い。調剤は専門の薬剤師に任す可きである、と院内分業と院外処方箋の発行をすすめた事は最近の役人としては稀らしく思い切ったものだ。だがこれが法律上、医療上真実な事を言ったものだと感心した。

 ▲筆者の親友佐世保日宇の武富熊次君のトピックがある。十余年前同君の処に近所の農家の人が畑の作物が枯れて困ると相談に来た。同君畑の現地を調査して、水質がおかしいぞと再査し温度が少々高い鉱泉ではないかとピンときて、一応検水更に県衛験に分析を依頼した処、アルカリ土類其他を含む鉱泉と折り紙がついた。皮膚病、内服では胃腸病に効くとして近所が利用し最近同地に一‐二ヶ所湧水する事を発見した。西海国立公園の佐世保では、これを一大温泉地として利用せんと某バス会社を中軸として温泉郷の出現が最近街の話題に大きく脚光を浴びて来たとの事である。

 ▲大相撲福岡場所連日満員で終ったが、九州本場所を前の十一月中旬大関北葉山が予てひいき筋の鳥栖市のサロンパス本舗中富社長を訪問、同夫妻とチャンコ鍋を囲んで談笑した。

 ▲催眠剤遊びで取締が厳しくなる法治国であるので法律を吾々は守る。青少年の悪用する原因と社会環境の浄化と青少年問題の対策について本欄で筆者は触れておいた。一部不正業者のため正当に販売される薬局の全部を不正者と断ずる事はふに落ちない気がする。

 ▲インスタントのアンプル内服薬は薬局の弗箱?これも不溶解、異物混入、切断時の指の怪我等を挙げて近く規制が動き出した。指先きの怪我なら家庭の庖丁もまた危険物である。(GT生)

九州薬事新報 昭和36年(1961) 12月20日号

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 福岡地区薬協組 部会長会 実態調査と催眠薬

 福岡地区薬業協同組合では薬局店舗実態調査に関連して部会長会を十二月五日午后二時から県薬会館で開催した。出席良好欠席部会なく、先づ須原理事長の挨拶次いで左記事項につき話合った。

 ▽薬局店舗実態調査の件
 臨席の県薬務課大庭技師は今回の実態調査は新年一月始め開催予定の第二回県薬事審議会に必要なものであり、正確な資料となすためには現在のありの儘の状態を記入して貰いたいと要望して提出書類の記載方について詳細な説明があった。なお須原理事長は本日出席の部会員は各部会長を能く指導して部会で集計の上十五日迄に県薬に提出して貰いたいと要望。

 ▽睡眠薬の取扱いについて
 大庭技師の説明があった東京浅草署の調査によると催眠薬の事故一二〇〜一三〇件中63%が町の薬局から問題の催眠薬を購入したと言われている様なわけであり、今後本県でも薬局薬店に於て販売した睡眠薬については、販売先を其都度記帳し、翌月十五日迄に前月の分を纏めて県に報告せねばならぬことになった。なお十八才未満の者には販売せぬこと、職場売りも亦してはならぬことに注意せねばならぬ。今後県当局としても徹底的に取締らなければならぬ立場に在るので、諸君も充分自粛して貰いたい、勿論睡眠薬遊びの非行少年が無くなれば平常にかえるので、これは当分の規制である。それで、平常にかえる迄は厳重な取締りが行われるものと覚悟して貰わねばならぬ。

 ▽小倉東映問題について 須原理事長より説明、去月廿日の決起大会は近来に見ない業界の一致団結した大会であったが、地元の出席者が尠なかったことは洵に遺憾であった。小倉には東映の外に丸栄にも問題があり、第三国人の噂さえある。この際東映問題については吾等の目的を実現せねばならぬことを自覚し精神、物質両面共に積極協力を惜んではならない。

 ▽その他=@山手会計理事から対策費について
 各人共百%の完納をなされ、次に地区協組定*正による予算変更につき説明があった。A工藤理事から社保診療請求、処方料設定実施について詳細説明があった。以上にて部会長会を終了。

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 薬剤師生活 五十年の回顧(11) 礒田秀雄

 ◆薬剤師会に特別国保設立

 ▽…福岡衛生団体協議会の副会長として事務所々在の福岡県医師会に頻繁に出入していたので福岡県医師会で特別国保組合設置の計画が進められていたことを承知した。私として県薬剤師協会にも特別国保組合を設立することを企画したことは当然のことであろう。

 ▽…幸いにして県薬の工藤理事が特別国保設立に多大の興味と関心を示して呉れたので工藤理事を中心としてこの計画は進み遂に之れが実現を見るに至ったが、私が初代の理事長として最も憂慮したのは医療給付費の増嵩によって赤字となったら大変だと云うことであった。

 ▽…国保組合の運営は三年を経過せねばと謂われている。事実結核と精神病の入院治療は治療がないだけに例え半額給付でも組合としての給付は痛手である。それが同一疾病に対する医療給付は三年で打切りとなるなら現在患者の医療給付は一先づ打切りとなるし、新規に発病する結核、精神病の患者数は微々たるものであるから財政を揺がすようなことはない。

 ▽…福岡県薬剤師国保組合も三年を経過したのでこれからは財政も豊かになり、組合への医療給付も大らかに支給され組合員も幸福を感受することが十二分にできるようになるだろうと思ふにつけ、目下運営の衝にあたって戴いている方々の御苦労を感謝すると共に私としてはよい企画であったと嬉んでいる。

 ◆要望に答えて第一薬大の創設

 ▽…子弟が幼少で現在薬科大学入学の希望がない人は薬科大学は多すぎると云い、子弟やその周囲に薬大に入学せしめたい者を擁している人は薬科大学が多きに過ぎるとは云わない。要は現在その必要に迫られている人とそうでない人とは考え方も違うものだ。

 ▽…だから私立薬科大学を新設したとて嬉ばぬどころか反対の意志を表する人もあれば一方には多大の賞讃と感謝を表せられる人もあり、その根源はそれらの人々の環境事情の相違に原因するのであるから、毀誉褒貶は何れもあまりあたらないものであろうか。

 ▽…数年前まで私は毎年春になると薬大入学志望者の父兄から頼まれて東京の薬大に入学の御世話をしてきたが、莫大な費用と労力とを要するので福岡に私立薬大設立したらと考えていた。昭和二十九年鹿児島市で開会の第二十四回九州薬学大会で九州に私立薬科大学創設要望の議決がなされたので執行責任者の九州薬学会々頭藤田穆博士と九州薬剤師協会長であった私とは協力者を見出して之れに力をあわせ昭和三十五年四月から福岡市高宮に第一薬科大学を開校した。

 ▽…私立とは云へ凡そ大学の新設には驚くべき資金と努力とを必要とするので容易な事業ではなかったが交通至便で而も静寂の地に数万坪の用地を得、鉄筋コンクリート四階建の校舎建坪二千坪余を擁し教授陣も設備も漸次充実して将来の発展を期待している。

 ▽…高等学校の成績は成績順に上から一割がA、次の二割がB、次の四割がC、その次二割がD、最後の一割がEと区分される。Aの成績なら官立の大学に合格し得るがBから以下なら大体私大に進まねばなるまい。D、Eに至っては大学進学は無理であろう。

 ▽…A級で東大や九大の薬学科を卒業したものでも私大で薬学を修得したものでも薬剤師の免状を取得するために受験する国家試験は同じであるから私立の薬大と雖もDを入学せしめるわけにはゆかない。C級も極めて上位でなければ入学せしめられない。要するに薬業者の子弟と雖も成績劣等のものは第一薬大でも入学をお断りするより外はないのである。

 ▽…私共が設立した第一薬科大学ではあるが卒業生の国家試験合格率が低下することは大学の権威を失墜するので相当の成績のものは御入学を歓迎し何かと御便宜をお計りするが、成績劣等のものの御無理はお断りするよりいたしかたがない。どんな成績の人でも御入学をお世話すると云へば、嬉ばれるかも知らないが教育だけは情実や縁故ばかりは通用しないことを序でながら申し上げておく。

 ▽…我邦には「現在薬剤師が多すぎる、だが優秀な薬剤師はどしどし養成したい」とは石館東大名誉教授の言葉である、第一薬大は俊秀な薬剤師の養成を期して進んでいることを申し上げておきたい。

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 薬剤師生活 五十年の回顧(12) 礒田秀雄

 ◆藍綬褒章受賞の光栄

 ▽…昭和三十三年の春頃博多保健所から履歴書を提出せよとの電話があったが、物臭さに放置していたところ一ヶ月程経て重ねて督促があったので認めて提出した。超えて十月の中ば西日本新聞社から「昨日の閣議で藍綬褒章授与の決定おめでとう」との電話があって藍綬褒章受章のことを知った次第であった。

 ▽…十一月の八日だったと思ふ、日薬の会長会議出席のため上京していたので東京から電話して家妻を上京せしめ相携えて首相官邸で藍綬褒章、褒章の記などを拝受し午後は皇居で天皇皇后両陛下の拝謁とお言葉を賜わり終って宮城内を拝観、翌日は新宿御苑を参観、烟草や菓子などを賜わり一代の光栄に浴した。

 ▽…受賞の前日全国会長会議のあとで橋本厚生大臣の臨席を得て日薬からの受賞者可児副会長と私のために受賞祝賀会が催され感謝に堪えなかった。

 ▽…福岡県薬剤師協会の主催でわたくしら夫婦を招じて町村会館で会員多数の出席の下に受賞祝賀会を開いて戴いたことは私の終生の光栄であり喜びとするところであった。四島副会長の司会で開会、五郎丸会長の式辞のあと前川衛生部長、県卸協会大黒会長、筑紫二十日会代表寺坂塩野義支店長、塚本九大教授、伊藤県薬業士会長らから祝辞を頂戴し記念品の贈呈をうけるなど感激の極みであった。

 ▽…当日のわたくしの挨拶はテープレコーダーに録音して戴いたので家宝として保存している。又この日先輩阿部正樹氏から俳画を一幅頂戴したので表装してわたくしの床の間を賑わしている。
 礒田氏の栄誉を祝してと題して
 藍綬褒章の藍したたらむ文化の日
 なる俳句が認めてあり、いい記念品となった。わたくしの終生の感激の一日であった。

 ▽…左に褒章の記を掲記しておこう。
 早くから薬剤師団体の要職に在ってその強化に努めると共に衛生思想の普及に尽力しよく業界の発展に寄与した、寔に公衆の利益を興し成績著名である。よって褒章条例により藍綬褒章を賑わってその善行を表彰せられた。

 ◆皇居の園遊会に招待の光栄に浴す

 ▽…昭和三十五年の四月上旬、日薬理事会に出席したら日薬の私宛に宮内庁から皇居に於ける園遊会に招待の書状が届いていた。二重の大封筒に収められた招待状は上部に金の菊花御紋章が浮き出されて左の通り記載されていた。
 来たる四月十二日皇居において
 天皇皇后両陛下御催しの園遊会にお招きになりますから御案内申し上げます。
 昭和三十五年三月二十八日
 宮内庁長官宇佐美毅
 礒田秀雄殿
 同令夫人
 午後一時から二時までに御参入下さい。

 ▽…皇居に於ける園遊会は毎年秋十一月催され在日外国使臣、国会議員の一部、全閣僚褒章受章者などを招待されるものであるが、昭和三十四年は伊勢湾台風が襲ったので中止され翌三十五年の春に催されたのであるが、日薬理事会が済んで一週間許り余日があったが帰りもならず滞京し自宅へ電話して老妻を上京せしめて当日は警察官の堵列する中を自動車で宮城の二重橋から参入した。車が宮城内の処定の位置に着くと燕尾服の式部官がドアを排し招じ入れるままに受付で記名し所定の椅子につくと雅楽が始まり、次いで騎馬蹴球などがあるうち両陛下始め各皇族も入御あらせられて園遊会が始まる。最後に両陛下各皇族は各テントを廻って会釈を賜わって午後四時頃終了した。

 ▽…前年には藍綬褒章を授与されて天皇陛下から優渥なお言葉を賜わり今年は又両陛下から皇居での園遊会にお招きをうける光栄に浴し重ね重ねの光栄は偏にわたくしに協力して下さった県下の薬剤師諸君の御蔭だと感謝している。

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 福岡県薬とメーカー 第二回社保懇談会

 福岡県薬剤師協会主催のメーカーとの第一回保険懇談会を去月十三日開催したが、処方箋料の設定と医薬分業との関連性についての認識を或程度進展させたので協会では第二回懇談会を十二月六日午后二時から県薬会館で開催した。メーカー側出席は小野薬品、山之内製薬、興和新薬、鳥居薬品、万有製薬、武田薬品、大日本製薬、三共、稲畑産業、東洋醸造、東京田辺、日本薬品、科研薬の十三社、協会側出席者は安部、須原、鶴原、工藤、側島、内藤、権藤の八氏、工藤理事司会して先づ四島副会長の挨拶、次に薬局委員、大牟田薬協会長の中村里美氏から「保険処方箋発行によるメーカー販路開拓方策について」別刷により説明があった。それより安部氏を座長に推し懇談に入った。その主なる問答は次の様なものであった(協は協会側、メはメーカー側)。

 協、医薬分業は法的には認められているが、患者の意志による任意分業であるので、日本古来よりの医薬兼業の習慣のため、現実には何等従来と変りなく殆んど大病院以外は看護婦或はその助手によって調剤投薬されている。吾々としては完全分業が理想ではあるが、仲々困難であり、現状では殆んど不可能に近い。又内科、小児科等から投薬を処方箋に変えるとすれば現在の機構では経済的に成立たない点もある。差当り医師にとって不利益になる投薬を処方箋で出して貰いたいと思っている。

 メ、医師に対し薬剤師側から何か働きかけているか

 協、従来歯科医師団とは協定を進めており、今回も地区的即ち大牟田など中村氏の努力で医師に働きかけている。

 メ、医師が抗生物質等使う場合、治療指針に反する過剰投薬の場合など審査で減点されることがある模様だが、処方箋発行の場合この点はどうなるか

 協、処方箋発行の場合減点された実例は今日迄ない只将来保険財政上の点で考え得ないことはないが、今の処絶対にないと言っていい位である。

 協、次回はメーカー側から意見を聞かせて貰いたい一月下旬に第三回目を開きたいと思う。

 当日のメーカー側の出席者は第一回懇談会出席者と殆んど別人であったので問答も重複するものが多かった様であった。話しの内容は進展しないがメーカー側の多くの人にこの懇談会の真意を知って貰うことも亦必要であろう。