通 史 昭和36年(1961) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和36年(1961) 10月10日号

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 正副理事長決定 福岡地区協組 須原氏理事長に

 福岡地区薬業協同組合では新理事による初の理事会を九月廿八日午後二時から薬剤師会舘で開催した。出席理事は須原、斉田、国武、大隈、碇、山手、鳥海、山本吉松、大野の十氏、峰松、丸村、三井所の三氏は欠席であった、当日は次の議題が付議された。

 1、正副理事並常務理事選挙の件
 互選の結果次の通り決定した。
 ▽理事長=須原勇助
 ▽副理事長=斉田和夫、国武一人
 常務理事=碇道良、山手陽一(会計)

 2、本組合運営について
 先の総会に於て決定した定款一部改正については既に申請書類は提出中である草ヶ江部会に於ける革新一号開業者について又将来SMの正式組合加入等について討議する処があった。なお商組専務理事の藤野氏から「今後本協組理事会を開会する場合は商組支部理事会と合同して開催する様にすれば両組合の運営は一層スムーズに行くものと信ずる」との意見が述べられたが、一同これを了承、今後は合同開催をなす様申合せた。

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 福岡県薬商組緊急理事会 中央薬品問題討議

 福岡県医薬品小売商業組合では十月三日一時から薬剤師会舘で緊急理事会を開いて小倉中央薬品問題について協議した。当日の議案次の通り。

 1、小倉東映問題その後の状況報告
 形井理事から詳細報告があった。

 2、小倉中央薬品に関する過怠金審査の件
 商組調整規程七、八条違反の疑いあり、若林、近藤、古賀の三監査員の調査報告(九月廿四日)によって慎重討議の結果、中央薬品の行為は尤も悪質なりと認められるので最高額に処すべきだとの強硬意見もあったが、なお法的に研究する余地ありとして執行部に研究を一任することになった。

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 薬界隨談

 ▲天高く馬肥ゆる秋、医者や薬屋は閑散の秋、加えて卸屋は事業所販売に訪問販売、団地や住宅街は勿論、田舎の隅々迄盛んに行われ然もなげ売りされている薬業の現況は新薬事法立法の方針と程遠い感じが一層深まる。

 ▲三日の西日紙の「相談室」欄、素人が薬の製造販売の許可に就いて問いあわせている。次に「薬の粗悪品」について長崎市の或る人が問い合わせている。薬局主が?クレゾール石鹸液が一番良いと奨讃した。他社のクレゾール石鹸液は粗悪品か?これに対し福岡県薬務課の答えは日本薬局方の基準に合っていればいい。基準に合わないものは販売出来ないと答えている。

 ▲社会保険医療協議会は医療担医者欠席で進まず、児玉会長は灘尾厚相の斡旋で日医、日薬の首脳部に面談出席方を懇請す。

 ▲第二室戸台風で大阪府薬多数の被災薬局のために活動す。低地の薬局では屋根裏迄水が来た処もあると云う。謹んで見舞の意を表す。

 ▲高野日薬会長去月末第二回の渡欧、国政と共に各国の薬事特に開局薬剤師の地位と流通機構等を調査して貰いたいものだ。

 ▲明年三月を期して薬業経済安定機構としての全国小売薬業団体協議会即ち「日本薬業協会」の発足目指して去月十五日の全国代表発企人会で決定する。将来は、多過ぎる薬業家の団体や集会が多く竜頭蛇尾に落ちいる事が多いのを認識して力強く推進したいものだ。

 ▲この春から白毛染を皮切りに生薬を主たる原料とする家庭薬が原料、光熱、人件費値上りを理由として三‐五割の小売価の値上げをして来た。小売屋の立場では消費者が直ぐには承知せず、値切りや旧品の安物買の為め日半日も業者の店頭をかけずっている。

 ▲臨時国会始まる、生活保護世帯の生活費給付も値上げする。公務員には大巾の給与改訂が実施されようとしている。中小企業や零細企業は利巾が減少しSMに圧迫され、金融は困難になって来ている。何んの卸屋でも三輪車、運搬車、単車さては自家用車が取り揃えられて来ている。

 ▲十月は赤い羽根運動、薬と健康の週間、麻薬撲滅月間等々の記念日其他数えきれぬ行事が多い。(GT生)

 

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 九州・山口各県 学校薬剤師代表者会議 必置制実施後当面の重要問題協議

 九州、山口ブロック学校薬剤師会では十月八日(日曜日)十時から熊本市本庄町の熊本県薬剤師会舘に於いて代表者会を開催し、必置制実施後の左記重要問題について研究討議した。

 一、未設置地区に於ける対策について
この件については、先ず各県より早急に現在の設置状況を報告してもらうこと。既に去る六月福岡県より依頼状が各県に発送されて居るが、其の後大分、山口、長崎三県の回答がないので、全体的な対策がたてられない旨陳述あり、又福岡県の調査の結果から未設置に対する該地教育委員会の理由として左記の五点が表示されたが、之等の諸点は何れも各県に通ずるものではないかとの意見が一致したので、更に該地区薬剤師協会側の意向をも検討した上で、最良の対策を立て行動に移すことが有効であるとの結論が出た。

 ▽未設置に対する該地教育委員会の理由点
 @財政上の理由に依るもの二一、二%
 A管内に適当な薬剤師が居ない二一、二%
 B管内の薬剤師の人選について協議中のもの六、一%
 C他町村の設置状況を見た上で研究するもの三九、四%
 D不明一二、一%

 二、担当校数及び手当の問題について
 本問題については完全設置を実施させる以上辟地等の関係もあり、数校の担当は止むを得ないではないか、又手当については今迄積算の基準が文部省に組まれてなかった為に各地まちまちであるが、今後は各県の上層線を例示して少く共五千円を下廻らない額になるよう努力すべきであると云う結論になった。

 手当の一例を示せば鹿児島県種ヶ島では一人五校を担当して三万五千円と云う最高額の手当てが出て居るかと思えば、熊本県の辟地では十校一、〇〇〇円と云う飛び切った最低額も出ている。

 三、私立高校及び幼稚園に於ける設置条件について
 県立高校の設置に伴い、其後私立高等学校や、幼稚園が自発的に設置の気運に傾いて居る事は誠に喜しい事であるが、其の委嘱の方法において、知巳の関係或はP、T、A役員等の現職を利用して気安すく而も無報酬で依頼し、所謂名義上の学校薬剤師の出現ができつつあることは誠に遺憾である。殊に各県共手当アップが考慮されて居る折柄でもあり、断乎として拒否すべきであり、又非会員で学校薬剤師となる場合は同時に協会への入会を勧めるよう意見が一致した。尚此の点については福岡県に於いて各支部長並に関係学校へ発送された勧告書並に依頼書が参考として配布された。

 四、環境衛生試験法の統一化について
 此の問題については是非そうすべきであり、早急に案を地元熊本県に於いて作成し、日本学校薬剤師会及び文部省まで九州案として流し、参考資料に供しようと云う事になった。

 五、実務指導者に対する実演講習会開催の件
 本件も同様に実現が望まれ、更に其後の各県に於ける伝達講習会に依て夫々の末端まで浸透させて貰い度いとの強き要望があった。

 六、器具整備の件
 本件も全般的に必要欠く可からざるものであり、折角の事業計画が器具のない為に遂行出来ず、従て実績の挙がらない所が相当あるとして、早急に各県市町村教育委員会に対し整備を実施させることが先決問題であり、尚本件は今回の九州、山口薬学大会に提案する事になった。

 以上終了後九州、山口薬学大会における学校薬剤師部会の運営等について協議し、午后四時半閉会、引続き同所で小宴が開かれ午后六時散会した。

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 福岡県学校薬剤師会 未設置地区新設置地区代表者懇談会

 福岡県学校薬剤師会では校剤師未設置地区及び新設地区の代表者との懇談会を十月十三日午后一時半から県薬剤師会舘で開催した。出席者は、
 未設置地区側=世利(粕屋)吉田(朝倉)原(浮羽)三潴、八女郡部は欠席
 新設置地区側=古川、古賀(糸島)藤井(甘木)木本(筑後市)中島(八女)安村(直方)吉柳(鞍手)高島(飯塚)
 県教育庁=山下係長
 県校剤会役員=早川、矢野、馬場、井手、末原、原口

 開会先ず早川会長は、本県十月一日現在の校剤師設置率は八〇%であるが、一〇〇%に達しない理由には、学校並教育委員会側の財政上の関係、適当な薬剤師が管内にいないこと、他町村の設置状況待、所謂日和見態度、等の点があげられる。全国的に見て本県の設置状況は決して劣ってはいないが、百%にすることに努力したい。校剤師の年間の報酬額は一校当り千〜二千円が大多数であるが、これも一歩一歩増額に向って努力したいと思っている。と挨拶し、それより左記事項につき協議懇談した。

 ▽議題

 1、未設置地区に於ける実情とその対策並に新設置地区の職務実施状況及び試験器具の問題について
 各地区の実情の要点は次の通りである。
 @糸島=調査器具がないので思う様に今日活動ができていない。
 A甘木=漸く九月五日発令により六名の校剤師ができた。報酬は一校当り千円、まだ活動迄に至っていない。
 B飯塚=大体百%の設置を見た。既にプールの調査実施、現在教育委員会に器具購入を交渉中である。
 C直方=未だ活動の域に達していない。
 D粕屋=未設置である。教育委員に全く熱意がない。
 次いで各自の建設的意見が述べられ、質疑応答、今後実情に応じて善処することを打合せた。

 2、校剤執務日誌の件
 出校の度毎に必ず日誌を記入すること、これは報酬などの有力な資料となる。

 3、実務研修会開催の件
 器具の取扱い並に操作などにつき研修、時期は十一月廿日前後とし、会場は県下四ブロックとする、テキストも至急作成する。

 4、九州山口に薬学大会校剤部会出席の件
 努めて多数出席することを話合った。

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 福岡県薬剤師協会 理事・支部長合同会議 当面の諸問題解決のために

 福岡県薬剤師協会では第六九回理事会、第八三回支部長会の合同会議を十月九日午后一時から県薬剤師会舘で開会、欠席支部は筑紫、粕屋、宗像、八女、築上の五支部であった。定刻開会、直に次の付議事項について協議した。

 1、全国会長会議報告
 先に全国会長会議出席を中心に剤界当面の時局対策業界経済安定、東映問題などの要務を帯びて上京した四島県連盟会長から詳細報告があった。社会保険診療報酬については医療費改正で値上となったが、これがため医薬分業が推進されたわけではない。剤界としては今後も三師会の活用を基本方針とし、特に医師会との懇談が重要事である。薬業経済安定機構については小売側の全国から集った発起人代表会で協議した結果「日本薬業協会」と命名して設立したが、その要綱の一部を改正し、最初の考え方からは若干変更して、協会の構成を始めからメーカー、卸と一緒にとうことに云なった。

 今後本会を推進する実行委員に福岡県からは白木、深田両氏を推せんしてこれを決定した。小倉東映問題については全国会長会議が連盟との合同会議となったので、九州各県会長会から東映問題について要望する処があり日薬に一層の拍車をかけることになった。

 参議院対策については竹中氏の候補推薦問題、剤界よりの立候補中止、第三者推薦問題などの議案の表現もあったが、現在執行部に於て確固たるキメ手がないので、この問題は早急に役員会に於て再詮考することになった。なお石舘博士が有力な候補者であると一部には考えられている模様だが、本人が外遊中で不在のため少しく手遅れの感がある様である。本県としてはこの問題に対する態度を今暫らく保留することとしている。

 2、九州山口薬学大会に就て
 本県よりの提出議案は現在一件もない。至急提出の必要がある。大会出席の本会代表者に一任することになった、その他出席申込、各県薬対抗剣道大会選手、演芸出演などの希望者は至急申込むべきである。

 3、薬学講習会開催について
 十一月六日〜七日福岡市に於て(福岡、筑後地区)同十四〜十五日小倉市に於て(北九州、筑豊地区)開催することになっている(本紙別掲参照)が、薬剤師必携など大巾に改正されているので本会員は是非受講すべきであると思われる。

 4、薬事審議会について
 審議会委員は既に県当局に於て内定している模様であるが、近く発表され第一回開会も遠くないと思われる。予算も二回分採られていると云われており、業界としても許可内定など考慮のため早期開会を切望している。

 5、本県の薬と健康の週間行事(十月廿一日〜廿七日)について
 本協会では本月一〜二日「薬と健康のつどい」を福岡市、玉屋ホールで開催し塚本福大教授並に井村九大講師の大衆向講演の外、学術映画(十六本)及び娯楽映画(秋日和、二時間、毎日二回)薬の展示と健康への開設などの行事を実施し、二日間で合計三千百五十名の入場者があった。この種のつどいとしては洵に盛大で充分目的を達し成功したものと思われる。県当局では種々の週間行事と共に、その一つとして恒例の功労者の表彰がなされることになっている。

 6、県薬会報発行について 会報の内容については会員にとって尤も必要だと思う事項を収載しているので、永く保存して役だたして貰いたい。配布については今回は市部長宛に纏めて送ったのでご諒承が願いたい。

 7、社会保険講習会について
 小倉、福岡、久留米の三個所に於て開催したが、五四%の出席率であった。出席者について能く考察するに、社保調剤に関する知識の程度は非常に差異があるように思われるが、完全分業ではない現在では止むを得ないことである。処方箋の流れる処と流れぬ処の差異がこの面にも現われている様である。

 8、福岡県文化キャラバンについて
 十一月四日京都郡さい川町に於て行われるが、剤界関係では投薬と水質検査である。投薬は一般薬剤師で受持ち、水質検査は学校薬剤師が引受くべきだが、不幸にして行橋支部が福岡県下に於ける唯一の校剤師未設置の支部である。福岡、田川両支部から応援することになっている。

 9、私立高校の学校薬剤師設置について
 早川県学校薬剤師会長より説明、県立校では既に百%設置をみたので私立校も漸くその気運になり校剤師設置の希望校が多い。学校より選定或は希望する薬剤師には従来まま不適任者と見受けられるものもあったのでなるべく校剤師会で推薦したい。又現在では既に検査器具類の不足を来しているので、各地区で一年間の作業予定表を作成して提出して貰いたい。でき得るだけ重複使用にならぬ様考慮したい。

 校剤師の手当については、今日では一応月五千円の線が出ているのでそれより下廻らぬ様注意すべきである。九州では、校剤師一人が五校を兼任して月三万五千円(鹿児島県下)が最高であり、十校を兼任して月千円(熊本県下)と云う最低額のものがあるが、これは唯その一例である。各地区に於て協会三師会、学薬三師会等を利用してベースアップに努力することが賢明な手段であろうと思われる。

 10、その他
 九州各県共通の調剤録(一部百円)及び業務日誌(一部百三十円)は会員のみに配布する、会員外には一切配布しないことに決った。

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 薬剤師生活 五十年の回顧(5) 礒田秀雄

 ◆警防分団長から市警防副団長

 ▽…戦局の推移は漸次重大化を加うるに至り郷土防衛の強化のため居住の福岡市警防団馬出分団長に就任を求められたのは昭和十七年であった。俄に制服を誂へ黒の戦闘帽皮ゲートルを着用して訓練に見学に奔足した。大牟田市に初の焼夷弾襲撃があった時視察に行ったが西鉄柳川駅で足止め、分団長だけ乗車許可というので行ってみて驚いた。一面の焼野原である。もう形ばかりの退避訓練では駄目だと思って帰来このことを報告して真剣な対応態勢を求めておいたがその翌日福岡市の空襲があって福岡市の三分の一を焼き三千の死者を出した。

 ▽…私が分団長就任当時は古い先輩の分団長が奇羅星の如くいたが、戦局が苛烈を加うるに従ってヤレ高血圧とかヤレ移転することになったとかで次々に分団長を止めてゆき二年許りの間に私が最古参の分団長となった。訓練のときは分団長となっていて実戦になると退いてゆく。人間の胆玉とはこんなものかと驚いた。そして私は分団長から市警防団の副団長拝命ということになった。

 ▽…団長は池見辰次郎氏が退いて犬丸甚吾、副団長は斯くいふ私と大名分団長だった医博の中山弘道氏とである。

 ▽…終戦の詔勅が下るとその晩から市民の退避が始まった。私は一般市民が避難すべきものかどうかを警察署の警防へ問合せたところ「阻止すべし」とのことで速刻係官が来て静隠を計ったがコッソリ曰く「実は知事も団長も家族は避難させている」とのことであった。

 ▽…私も翌日頃家族のものだけ篠栗へ避難させたが私は自宅に起居した。夜半、表の戸を叩くので起きてみると箱崎の海岸に陣どって居た高射砲部隊が退避するのでポンプ自動車を貸して欲しいとのことである。私は「喞筒自動車は火災発生の場合の消火用に必要であり、且つ市有物件だから市長か消防署長の命なら貸すが私の独断で任務地より離れることには同意できない」と貸与を峻拒したので将校さんは大に立服して大声を発したが私は取会わなかった。

 ▽…昭和二十二三年頃警防団は消防団と改称し、自治体警察の発足により従来福岡市は一警察署であったのが三警察署となり私の管轄区域が変更となったのでこの機に市消防団の副団長は退任した。

九州薬事新報 昭和36年(1961) 10月20日号

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 薬剤師生活 五十年の回顧(6) 礒田秀雄

 ◆組合の理事長幾度か就任

 ▽…福岡薬粧商業組合理事長に就任したのは昭和十二年であった。その頃の商業組合の運営はとても至難だった。有名商品は問屋から流れ組合は無名商品ばかりしか取扱へない。随分と努力したが土曜は半ドン、日曜は休み、商品の管理は不十分、それに数多い組合員中に幾人かの代金不払者がある。こんなことで精密に決算したところ赤字となったのでその責めを負って私は退任した。卸業者の主人公が頑張っていて営業しても仲々容易でないのに之れと対抗して取引をする組合が到底成り立たないことは全国各地の商業組合がみんな赤字となって解散したことでも立証されるように瞭らかである。

 ▽…戦局の進むに伴って乳製品が統制となったが之れは農務課の管轄であり食料品業者が独占せんと頑張ったので私は一方に於て従来連繋がなかった農務課を相手に、一方には食料品組合長の県議N氏を相手に強引に頑張って乳製品を薬業者の手に収めることができた。

 ▽…早速県の乳製品配給組合と各支部の配給組合とを結成し配給の衝にあたったが、県の組合は黒字経営で解散にあたっては出資金の金額返還の外に分配金をも配ってその労を犒ったが、市の組合は若干の代金未払者があって強制執行もしてみたが遂に出資金の半分位しか返えせなかった。

 ▽…これは要するに薬業の組合は取引事業をやっては必らず欠損するということである。最近日薬で『薬業経済安定方策』を掲げ新製品の取扱発売を計劃しているが之れはその取扱を卸業者に委託し決して薬剤師協会や協同組合等で取扱ってはならないと考えている。

 ▽…商業組合から中小企業等協同組合統制組合次で協同組合、そして商業組合と法律の変革に従って薬業者の組合も段々と変っていったが、物資?乏時代の統制組合以外の組合ならその購買配給事業は失敗を繰り返へすことを強調しておきたい。

 ▽…私は戦後幾度か組合の理事長に就任したが組合の取引事業には全然希望を有するに至らなかった。

 ◆北支皇軍の慰問

 ▽…廬構橋上の一発の銃声から北支事変が勃発したのは昭和十二年の七月であったが、皇軍は瞬時にして北支を占領下に収めた。

 ▽…博多商工会議所で北支皇軍慰問団派遣が決定するや私が団長となり議員七名で十二月初旬皇軍慰問の旅に出た。門司港から鴨緑丸に乗船して大連に至り、大連から季節風に抗して太沾えそして白河を遡江して天津に上陸、付近に駐屯する皇軍部隊を訪問、携行の煙草を配布し慰問の言葉を述べて進むうち 廬構橋上で郷土部隊に出遭ったので、朔北の風吹きまくる橋上で私から挨拶を述べ隊長安部俊次郎氏(福岡市春吉出身)が謝辞を述べるなど生涯の記憶に残る一齣もあった。

 ▽…太沾と云う港は決して良港ではない。潮の干満の差が著しいため港外に一昼夜停泊、白河を遡るときは満潮時を見計らって進まねばならぬ。太沾港は百屯の大?を使用し、一哩沖合で荷役をしている不便さであるがそれでも往復する荷物さえあれば港の良否はさして問題はないようだ。

 ▽…博多港など昔から港作りに夥しい資金を投じているが持ち込む荷物、運び出す荷物が揃わなければ港の設備だけでは船舶の寄港は考えられない。港がよければ船がつくと云うわけのものではないのだ。博多港の設備改良ための投下された資金は将して回収の見込みがあるのかどうかと考える。ヒンターランドの培養育成がもっと考えられねばならぬと思う。

 ▽…一行はさらに北京、満州から居庸関を経て張家口まで皇軍慰問の旅を続け奉天、新京、ハルピンを廻って帰ったのは歳末であった。

 ◆上海へ航路開設誘致

 ▽…博多港と上海との航路を開設するため会議所議員五名で之れが誘致運動に上海へ出張したのは昭和十七年だった。雁の巣からダグラス機で飛び立ち大場鎮着上海に居を構えていろいろと画策運動に従事したが遂に之れは成功を見なかった。よし成功しておったとしても現在長崎上海航路さへ失っている現状だから博多上海航路も失っているだろう。

 ▽…上海は世界の暗黒都市と云われていたが、現在の世界の暗黒の都は東京だと云われている。日本人も奮起一番せねばならぬところであろう。上海には十余日滞在し奔走運動に寧日なく上海から一歩も出ることが出来ず風物を探る機会を得なかったことは今日となっては残念だったと思っている。

 ◆対馬豊崎の虎疫を終熄さす

 ▽…地理的な関係からみても壱岐と対馬が長崎県の所管では不便極りないところで両島では福岡県へ転県の希望が熾烈であった。福岡市会でも之れに対応して両島転県期成会を結成することになり私もその委員となり昭和二十一年両島に渡った。

 ▽…同年の秋対馬の北端豊崎村にコレラが流行し同村は破滅に頻しているとの報に私は市の衛生課長に事情を話してコレラワクチンや消毒剤ミケゾール等を市から送付せしめさしものコレラを終熄せしめた。当時は終戦直後で薬剤などは市役所でなければ入手不能だった。

 ▽…豊崎村のコレラが終熄してから一週間程して漸く長崎県庁からのワクチン消毒等が到着したが六菖十菊で不用に帰した。

 ▽…昭和二十二年私は任期満了で市会議員ではなかったが、市からの要請で委員だと再度両島に渡り豊崎村を訪れたところコレラ終熄の恩人来るとて村を挙げての歓迎会を催して私を歓待した。

 ▽…転県問題は両島全島人の転県請願著名調印を終えたので長崎県でも大いに驚き国会でも俄に「離島振興法」が出来、長崎県でも俄に築港計劃其他両島の要望する施設に着手し、転県こそ実現しなかったが両島民は相当に恵まれた境地におかれることとなって満足しているという。

 ▽…それから両島に私の個人的な友人ができて今でも往来を続けている。

 ◆薬事法制定へ九州の対策運動

 ▽…占領軍の命で従来の戦時下の薬事法が改正され新薬事法が制定されることとなったが、医薬分業国の薬事法を医薬兼業国の日本に持ちこんで何かと規制せられることは薬業者の苦痛とするところであるため、福岡市で全九州薬剤師会の薬事法制定対策大会を開きその決議を携えて九州各県から二名宛委員を挙げて上京したのは昭和二十三年六月の暑いさ中でった。

 ▽…福岡県薬からは古賀常吉会長と私に佐藤事務局長であった。委員は日薬と連絡をとり矢野酉雄厚生政務次官の部屋を本拠として情報の蒐集、改善の陳情、等を行った。

 ▽…終戦後の廃墟東京に滞在すること一ヶ月、隔田に開会される厚生委員会を傍聴し質疑応答をノートして夜は我々の主張要望特に、医薬分業制度の実施促進の原稿を認め翌朝之れを厚生副委員長田中松月代議士へ手交し説明す。田中松月代議士は福岡県一区の選出で私とも熟知の間柄である。田中氏は副委員長であるから時には委員長席から発言し我々の代弁を勤めて呉れるなどいろいろ便宣を与えて呉れた。一方分業問題については矢野厚生次官が「医薬分業制度の実施は当然でその機会を得たなら実施する」などと答弁して呉れるし何かと好調子に運んだが、薬事法案は占領軍の指示もあって修正は難渋を極めた。

 ▽…汽車の切符は早朝駅に行って順番券を貰う。翌日順番券を持参して切符を購入し第三日目に漸く乗車という嘘のような終戦後の混乱時代に猛暑の候の連日の運動に精根疲れ果てる毎日であった。

 ▽…こうした努力の裡に薬事法は成ったのであったが運動の成果は尠なかったように思う。

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 薬界隨談

 ▲「薬と健康の週間」と九州薬学大会が其の期間中で重複、但し長崎県だけが二十三日からで熊本の大会が終ってからになっている。九州地区の薬学講習会は本年に限ってずらせてあるが、薬の週間は本省通りにやらなく共地方的に実施する事が望ましい事ではないか。

 ▲官公庁勤務の薬剤師の待遇が悪い。これを改善す可き声が中央地方共に数年前から起っている。筆者もこの論を支持する。地方の官庁で医師の欠員が多くなって来た。薬剤師の補充もつかなくなって来た民間会社へ流れこみ、薬剤師の初任給一万二千円位ではどうにもならない。特に病院勤務者の宙ぶらりんの職制は改善す可きである。

 ▲薬剤師大会の各県提出議案が毎年同じものが繰り返されている。一体日薬本部は地方の声をどう反映しているか。小さい議題に大きな問題があるし社会文化の向上に役立つもの、或は自家の経済問題にからむもの、単に会長会議で各県への照会や承りたい事項雑多である。従来提出議案は簡単明瞭であったが、数年前PR等の点で議題が長たらしくて、直ちに社会に訴えの出来るものとして取りあげたものも有ったようである。照会事項のような簡単なものを羅列する事は主催県泣かせでも有る。

 ▲本欄で一度触たが中学高校生の間に催眠剤遊びと云うのが流行し出した。特に大都市で多いと日刊紙では警告し子供に売らないようにせよと薬局ばかりに罪をきせている。筋違いでは有るまいか。

 ▲私大の入学定員が許可制から届出制になったとの事らしい。総合の私立大はうけに入るが私立薬大でこの好機とばかり入学定員をどしどし増員したら大変な事になる。薬学は現在でさえ生産過剰であり、加えて私立薬大の新設におびえ、後門では人員増加におびえる需要供給のバランスが今でさえくずれている。この上過剰となれば資本家企業のSMのロボット管理薬剤師へ供給し生業の薬局は歴史上の人物と化して行くおそれが有り、警戒す可き事である。

 ▲熊本の九州大会で想い出す。支那事変の初め軍部盛んな頃熊本で何回目かの九州大会が盛んに行われた。筆者も壮年の頃で仝夜大懇親会だの同窓会だのがあって後吉松君に誘われて三次会で熊本一流の芸者が来た。第六師団行進曲だの、おてもやんだの、良い民謡だの舞を見せて貰って夜おそく宿屋をたたき起し女中さんからしかられた。今は識らないが、熊本の女は元気が有り過ぎた。(GT生)

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 開局保険薬剤師部会 会員の出席約二百名

 九州山口薬学大会に於ける開局保険薬剤師部会は大会第一日十九日午前九時半から約二百名の会員出席のもとに会場自治会館で開催された。先ず瓜生田会長の挨拶、次いで椿部会長の挨拶後、直に研究発表に移った。

 ◆研究発表

 @宮崎郡部の飲料水試験結果について=宮崎県、和田時夫、外十五名
 宮崎市及びその周辺郡部の一般家庭井水を対象に飲料水試験を今夏実施したが、その成績は一、一五九件中、適六〇・九%、措置適五六・六%、不適三九・一%で一応地区の特性を把握したとの報告である。

 A社会医療について=福岡県、中村里実
 各種保険医療について医薬分業の想定上に解説したものである。

 B地方協会の運営について=福岡県、吉村弘次
 八幡市薬剤師協会の実際運営を詳細に図、表によって説明したものである。

 Cシーボルトを繞る防長の蘭学者たち=山口県、樋口彰一
 シーボルトとその助手薬剤師ハインリッヒ・ビュルヘル及び防長二洲の出身岡兄弟、青木兄弟(シーボルトの門人)などについての歴史的記録である。

 D佐世保市国民健保、保険調剤の現状分析=長崎県、武田吉之亮
 佐世保に於ける分業の現状、主として歯科医師会との協定、その成績などについての報告である。以上にて部会終了、例年に比し淡々たるものであったとの評もある。

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 学校薬剤師部会 出席者約二百名、今後の努力を誓う

 第三〇回九州山口薬学大会に於ける学校薬剤師部会は第二日二十日九〜一二時迄第三会場自治会館で開会、出席者約二百名。定刻開会、長須熊本県学校薬剤師会長の挨拶があって直に研究発表に移った。

 ◆研究発表

 @ 熊本県立盲学校における学校薬剤師の職域=熊本県、弥吉マスノ
 特殊学校に於ける校剤師の職域が自ら一般校剤師と異なるがその点を追求した。

 A山水利用のプール管理の一例=福岡県、石橋国利
 特殊の例であって水道水々源とは自ら非常な差異があるので、これに対応する操作の実験報告である。

 B「近視」の実態調査とその対策=熊本県福島道尋
 近視は単に教室の照度測定のみで解決できないので、学校の環境、個人、家庭について調査するなど、その実態調査を強調したものである。

 C佐世保市立小学校の環境衛生検査成績について=長崎県、坂井透
 佐世保市立小学校三四校についての検査報告である。

 D熊本市内小中高校教室内感覚温度について=熊本県、松村清徳
 鉄筋、木造、新旧、校舎の十八校、四五教室についての検査成績、その対策について私見を述べたもの。

 Eプール管理と学童の疲労について=鹿児島県、黒岩将臣。
 鹿児島市は桜島の降灰のために濁水増大、藻の発生等に特に注意、プール病予防などについての調査報告である。

 次いで研究発表、その他について質疑応答が熱心に行われたが、研究発表者以外に野々村熊大薬学部長並に保健所よりも臨席、助言があった。それより九州学校薬剤師会長早川政雄氏を議長に推し左記提出議案の協議に移った。

 ▽協議題

 1、器具の整備と試験法統一の件
 先ず各地の教育委員会に動きかけることが一番早いと考えられる。試験方法の統一は既に文部省でも考えていることだが、九州山口では一応統一して文部省の参考にもしたいと思う。一同賛成、推進することになった。

 2、実務研修会開催の件
 講習会で会得した事が直に実際に役立つと云うわけに行かぬ場合が多いので、別に実習をも研修する必要がある。一同賛成。

 3、増設と増員と報酬額調整の件
 九州全部のデーターを本会で印刷して差上げたいと思っていたが、三県だけ提出がなかったので報告ができないのは残念である。熊本、福岡は80%の設置、宮崎は60〜70%、佐賀は70%である。今後設置に一層の努力が必要である。報酬については各地で非常な差異があり、千円〜二万円、吾々は最低五千円には持って行かねばならぬ。決して不可能なことではないと信ずる。その他特に注意すべきことは学校薬剤師の名義貸しである。薬剤師の地位向上のためにも能く能く注意しなければならぬ。一同異議なし、今後大いに努力邁進することを決定した。以上にて白男川鹿児島県校剤会長の閉会の辞により校剤部会を終了した。

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 熊本での薬学大会を機に 九州山口薬業組合代表者会議
 薬業界当面の重要問題について協議

 九州山口薬学大会が熊本市に於て開催された機会を利用し十月二十日午前九時から同市第一生命ビルで九州山口薬業組合代表者会を開催した。出席者は次の通り。
 福岡県=四島、白木、藤野、須原、吉柳、岡野、大隈、佐賀県=久保、熊本県=椿、坂梨、大分県=安西、宮崎県=矢田部、鹿児島県=山田、
 椿氏の開会の挨拶後速に会議に入った。

 ▽報告事項

 1、全国薬商組認可について
 十月十一日認可となった。

 2、近畿地区員外者規制命令発動に関する其後の経営について
 大阪地区の調査報告が不充分のため再調査が行われることになった。従って規制命令の発動は二〜三ヵ月遅れる模様である。

 3、九州商工組合連合協議会について
 九州に於ける各種商工組合約七〇の横の連絡を持ち当面の共同諸問題解決のため積極的に推進することを決定した。

 4、小倉東映問題の経過並に現況報告
 対策は着々進んでいるが今後全九州一丸となってその解決に向って努力することになった。

 5、熊本市内の新規開業問題について
 標記問題(大久保)に関する詳細な報告が椿氏からなされた。

 ▽協議題

 1、九州山口薬学薬剤師大会と組合とについて
 大会に於て組合の問題を議するウエートを多くするため大会の在り方を少し改正して貰う様提議することになった。

 2、全国薬業協同組合連合会の発足について
 近く全国連合会が結成発足される運びとなる模様であるが、流通機構の促進と云う意味に於ても理想としては結構であるが現実の問題としては屋上屋をかさねる事になりかねないので、九州としては能く研究の上善処することになった。

 3、員外者規制命令発動申請について
標記の事項については早晩九州地区に於ても近畿地区に次いで考えられることであるので、各県は夫々の資料蒐集の態勢をとり、必要資料作成準備を早期に図ることになった。

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 福岡県医薬品小売商業組合 第一七回理事支部長会
 中小企業団体組織法の一部改正要望

 福岡県医薬品小売商業組合では第十七回理事支部長会議を十月十六日午后一時から県薬剤師会館で開会し、左記事項につき報告、協議した。

 ▽全国医薬品小売商業組合認可の件
 県単位では困難な事又は成績をあげ得ない様な事を処理するため全国的に横の線を強化する目的で申請されたものであったが、十月十一日を以て認可となった。

 ▽全国医薬品小売商業組合連合会総会並理事会出席報告
 大阪の丹平商事で十一日十時より理事会を、午后臨時総会が開かれた。定款一部改正は会員の議決権及び選挙権を、会員は各々一個の議決権及び選挙権を有する外、会員の組合員数千名毎に一票の議決権及び選挙権を有する。役員の定数は理事二十〜二十五名、監事二〜三名とし、設立当時の役員の任期は最初の通常総会の日迄とする。賦課金の額を一会員当り二百円から五百円に改正することになった。福岡県としては年間一八、〇〇〇円となる。

 近畿の規制命令についての申請に関しては62%の資料の報告ほかなく、実態調査には72%の必要があるので大阪府だけは再調査を命ぜられている。これがため発令は二〜三ヵ月遅れるものと見らねばならぬ。現在通産省が中小企業団体組織法の改正を準備しているので、本総会に於て福岡県商組から緊急動議として「この際、全国商組連として法改正を関係方面へ陳情すべきだ」と提案し、満場一致これを採択、陳情を決議した。陳情の趣旨は次の通り。

 @団体法第十七号を改正して価格制限を最初から出来る様にすると共に制限事業の限定を撤廃する。
 A調整規程の認可に対する公取との協議、同意制を廃止する。
 Bアウトサイダー規制命令加入命令の簡易化をはかり違反者に対する制裁措置を行政的にも有効、簡易にできる様にする。
 C農協等にも商工組合加入の資格を与える様にする。
 D販売方法の制限等、商組の規制命令を有効強力にできる様にする。

 ▽会費徴集について
 対策費を早急に完納する様支部長に於ても協力して貰いたい。十月十五日現在未納は二二万円である。

 ▽各支部状況報告
 門司=近来訪問販売問題は影がうすくなった感じを受けると述べ、これに対し執行部では「県調整規程に規定されている。又全国連合会の綜合調整規程にも採り上げている。組合員は当然過怠金の対象となる」と説明、大牟田=SSチェーンの塗絵を画いて来た者に粗品進呈の問題は一時組合員中にもあったが、その後組合員は中止することになった。飯塚=二号中十五名(兼業者)が会費納入の意志なく又脱会届が出されている。これ等については商組としては飜意して貰う様努力したい。支部に於ても協力して貰いたい。

 ▽その他=@薬局薬店許可基準内規については近く発表されることを吾々としては希望しているA小倉東映問題は未だ発表する限界迄来ていないので吾々は一丸となって推進したいB小倉中央薬品と夕刊フクニチ問題、及び県基準内規と薬業新聞(大阪)記事問題などの話しがあった。

九州薬事新報 昭和36年(1961) 10月30日号

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 大阿蘇を背景、熊本市に 第三〇回九州山口薬学大会
 薬学薬剤界から会するもの八百余名

 第三〇回九州山口薬学大会(九州薬学会総会、、九州山口薬剤師大会)は錦秋の十月十九〜二十一日の三日間大阿蘇をバックに森の都、熊本市に於て公会堂を中心に約八百の参加会員によって開会され全市薬一色に九州山口剤会の一大行事が繰り広げられた。

 大会前日十八日には大会幹部による大会運営委員会(大会委員長藤田、瓜生田両氏を初め約卅名)及び薬剤部長協議会委員会が開かれ、翌十九日第一日は午後に大会開会式、引続き本会議が翌廿日と二回に亘って開会された。その他第一日には薬剤部長協議会、第二日には日本薬学会九州支部総会並に例会、その他両日に亘り七部会(薬剤学、開局保険薬剤師、学校薬剤師、衛生裁判化学、薬務、保健所、女子薬剤師自由)がそれぞれ独自の特色を以て開会され盛沢山の研究発表があった。第三日二十一日は市内熊本城を初め、大阿蘇など観光三日間の薬学大会は全会員の熱意により盛況裡にその幕を閉じた。

 九州山口薬学大会本会議

 第三〇回九州山口薬学大会は約八百名参集のもとに十月十九日午後一時から市公会堂に開会された、開場には現時剤界の真の要望を端的に表わした大会スローガンが、会員の心を捕えて圧するかの様に飾られているそれは次の様なものであった。

 一、国民皆保険完全実施には先ず薬局の適正配置を貫徹せよ。
 一、経済立法により医療機関たる薬局を保護せよ。
 一、薬事法の附帯決議を速かに法制化せよ。
 一、スーパーマーケットの規制のため速かに立法措置を講じよ。
 一、学校薬剤師の報酬を増額せよ。
 一、勤務薬剤師の地位向上のため全薬剤師の力を結集せよ。

 定刻開会、全員起立のもとに開会宣言、国歌斉唱、戸田熊本県薬協会長の開会の辞、次いで九州山口薬剤師会長瓜生田定氏、九州薬学会々頭藤田穆氏の挨拶があって、来賓厚生大臣(代理薬務局市村監視課長)、倉本熊本県知事、坂口熊本市長、県医師会長(代理)、県歯科医師会長(代理)、日本薬剤師会長(代理竹中副会長)、日本薬学会々頭刈米達夫(代理)、全国薬剤師連盟会長(代理礒田副会長)諸氏の祝辞があり引続き祝電披露があった。

 次に、多年薬務行政に尽瘁し又薬業経済安定に寄与した福岡県の尾形健一氏に感謝状並に記念品が、永年薬業界の向上安定に尽された長崎県の片峰吉郎氏に表彰状ならびに記念品が、満場拍手の裡に瓜生田会長から贈与された。これにて大会開会式を終え本会議に移って次の議事に入った。

 先ず司会者は仮議長に戸田副委員長を指名し、同氏の指名により議長団に瓜生田会長、藤田会頭の両氏を指名決定した。瓜生田氏議長席に着き、宣言決議の起草委員について議場に諮ったが議長一任となり、議長は左記八氏を起草委員に氏名発表した。

 ▽起草委員
長野(福岡県)久保(佐賀)隈(長)上村(山)下田(隈)池田(鹿)宗(宮)杉原(大)
次に藤田氏議長席につき九州薬学会役員選挙について議場に諮ったが、会頭留任他の役員は会頭一任の声あり、結局藤田議長に一任と云うことに決定したが、その後役員は左記の通り決定した。
▽会頭=藤田穆
▽副会頭=塚本赳夫、塚元久雄、野々村進、小林五郎 ▽幹事=一番ヶ瀬尚、高取治輔、田口胤三、田中義雄、田中善正、樋口武夫、松村久吉、村田敏郎、百瀬勉、梁井光三

 次に前年度福岡に於ける大会に提出決議々案の処理については五郎丸福岡県協会長から「三十七件の内二十六件は日薬を通じ関係方面へ、十一件は日薬より直接メーカー、卸等へ接渉したが、未解決のものもあるので引続き努力する」との報告がなされた。引続きこれに関連して竹中日薬副会長は日薬の処理のものには薬事法関係、社保関係、食品衛生、融資の件等各方面に亘っているが、実現したものもあり未解決のものもあるので、現在尚努力中である旨報告があった。

 次に二十四題の提出議案について、提出県よりの説明があって第一日目の本会議を終了することになった。この時宮崎県の矢田部氏から大会を充実させるために会員の意見発表の時間を適当に挿入されたいとの要望があった。議長はこれを了承した。

 第二日、二十日午後三時半から開会、直に提出議案個々について検討、質疑応答の後、満場一致全案を採択することに決定した。この時女子薬自由部会から緊急動議として次の議案が退出された。

 ▽新たに登録する薬剤師は所属府県の薬剤師協会に必ず入会するよう各薬科大学に予め協力方を本大会の決議により日薬を通じ懇請せられたし。満場一致本議案を採択することを決定した。

 前日の矢田部氏の要望に応えて茲に瓜生田議長は会員の意見発表を求めたが、応ずる者もなく洵に意気低調であり、終に矢田部氏起って大会に対する自己の意見を述べ、議長ならびに竹中日薬副会長の間に有意義な問答があった。矢田部氏の大会に対する誠意は認むべきであるが、他に意見発表者が無かったことは実に大会としては淋しい感じを与えたとの批判もあった。

 次いで起草委員から宣言、決議文の提出があったので、議長は議場に諮って宣言文を池田熊本県薬協副会長を、決議文を森尾熊本市薬協会長を朗読者に指名した、宣言、決議文は次の通り。

 ◆宣言

 国民皆保険は医療関係法規の整備と医療機関たる診療所ならびに薬局の適正配置によって完結をみる。 然るに剤界の現況は経済及道義の変革低下により不安動揺し使命遂行上極めて憂慮すべきものがある。我々は医薬分業と適正配置完遂のため医薬の協調交流を図り一致団結、薬事法附帯決議の法制化に邁進すると共に技能と倫理の錬磨向上に努め、以って国民の信頼に応えんとするものである。右宣言する。
 昭和三十六年十月二十日
 九州山口薬学大会

 ◆決議

 一、新薬事法の附帯決議の行政運用は遺憾の点尠からず、依って政府に対し、苟くも国会の決議たる以上、之れを軽視せざるよう強く要望する。
 一、新薬事法は一面に於て薬局の負担を加重し、更に経営の不安を増大した。
 故に政府は医療機関の使命遂行のため速かに経済立法を以て保護安定を図るべきである。
 一、勤務薬剤師の給与は、その学識、技能に照らし極めて不当である。政府は速やかに之を是正改善すべきである。
 一、我々は国民の健康管理担当者として医薬品の特殊性に鑑がみその適正使用、ならびに濫用防止に務め、特に公正取引委員会は其の医薬品の特殊性を確認すべきである。
 右決議する。
 昭和三十六年十月二十日
 九州山口薬学大会

 満場拍手の裡に朗読を終え異議なくこれを決定した。最後に次年度開催地を鹿児島県と決定、山村同県薬協会長の引受挨拶があって、中溝熊本県薬協副会長の閉会の辞により大会を閉じ、万才三唱して散会した。

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 福岡県薬事審議会 委員並に幹事決定発表

 福岡県薬事審議会規則は去る八月一日付で公布されたがその第五条による審議会委員(十五名)ならびに第八条による幹事は左記の通りこの程決定の上発表された。尚委員互選による会長決定などのため近く第一回審議会が開催されるものと関係筋ではみている。

 薬事審議会委員
 一、行政機関の職員
 福岡県衛生部長 前川藤造
 福岡県商工水産部長 岩川 勲
 福岡通商産業局商工部長 本多俊夫

 二、学識経験を有する者
 第一薬科大学々長 藤田 穆
 九州大学教授 岡橋 保
 福岡県議会議員 古賀 治
 福岡商工会議所副会頭 原田平五郎
 福岡県婦人会長 内野梅子

 三、薬事に関する業務に従事する者
 福岡県薬剤師協会長 五郎丸 勝
 福岡県薬業士会長 深田徳治郎
 福岡県製薬協会長 高杉義照
 福岡県医薬品卸組合連合会長 鶴原六郎
 福岡県医薬品小売商業組合理事長 白木太四郎
 福岡県医薬品協同組合連合会顧問 四島 久
 筑紫二十日会武田薬品工業株式会社福岡支店長 国松藤夫
 薬事審議会幹事 福岡県衛生部薬務課長 尾崎松夫
 福岡県商工水産部商工第一課長 諸口昭一

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 第三〇回九州山口薬剤師大会審議決定議題

 第三〇回九州山口薬学大会に各県から提出された議案につき審議の結果左記二十四題が採択決定議題となりそれぞれ措置することになった。

 @薬剤師協会の名称変更につき日薬に要望の件
 A薬剤師会の法制化を日薬に要望の件
 B官公庁勤務薬剤師は医療職給与法二表の適用を受けているが、これを改善し医療職第一表によって支給さるるよう日薬を通じ厚生省に要望の件
 C勤務薬剤師が分裂しないよう日薬は速かに会則を変更し善処するよう要望の件
 D薬剤師法、薬事法の附帯決議が行政上充分に活用されるよう日薬を通じ国会に要望の件
 E医薬分業の実質的推進について甲表、乙表の一本化及びインスタント食餌療法実現要望の件
 F薬剤科所定単位価額の設立基準変更と調剤手数料値上げ要望の件
 G地方薬事審議会設置に関する政、省令の公布に関し日薬を通じ当局に要望の件
 H薬剤師法第十九条但書第一項、医師法第二十二条但書、歯科医師法第二十一条但書を期限を定め撤廃するの件
 I薬事法中薬局開設の欠格条件に薬事法第六条を再び改正し、知事の自由裁量の余地をつくるべく日薬を通じ当局に要望の件
 J薬事法第六十七条の広告制限医薬品中に薬事法第四十九条第一項により厚生大臣の指定する医薬品(要指示医薬品)を加えるよう日薬を通じ厚生省に要望の件
 K既設スーパーマーケットの医薬品販売は特例販売業以外は認めないこととし、新規の進出については立法によって阻止できるよう日薬を通じ関係各機関に要望の件
 L薬事法第三十七条に規定する『店舗による販売』の解釈を統一し、事業所斡旋販売、デスク廻り、注文取り等規制でき得るよう日薬を通じ厚生省に要望の件
 M医療法第十八条の但書を撤廃し、病院、診療所等に専属薬剤師を必置するよう日薬を通じ厚生省に要望の件
 N医薬品小売商業組合の員外規制の実現強化につき日薬の強力な活動を要望の件
 O各県学校薬剤師未設置校に対し、速かに設置さるるよう日薬を通じ当局に要望の件
 P学校薬剤師の配員を拡充し、報酬を学校医、歯科医と同額に引上げるよう日薬を通じ関係当局に要望の件
 Q学校環境衛生検査用器具を市町村教育委員会が早急に整備するよう日薬を通じ文部省に要望の件
 R学校保健主管課に薬剤師たる保健技師を必置するよう要望の件
 S食品添加物の製造販売は医薬品と同様の取扱いとするよう食品衛生法の改正方を日薬を通じ厚生省に要望の件
 21衛生検査技師の資格に関し、衛生検査技師法施行令第二条各号を改正して有資格者中に薬剤師をも含むよう善処方要望の件
 22危険物取扱主任者免状中甲種は大学の応用化学科の科目を修得したものでなければ受験資格がない現行政令では薬剤師はその受験資格もないので日薬に対し早急に善処方要望の件
 23新制国立大学薬学部に大学院薬学研究科程の附設を日薬を通じ文部省に要望するの件
 24新たに登録する薬剤師は所属府県の薬剤師協会に必ず入会するよう各薬科大学に予め協力方を日薬を通じ懇請するの件

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 薬剤部長協議会 出席者約三百名、引続き薬剤学部会

 第三〇回九州山口薬学大会薬剤部長協議会は大会第一日十九日九時〜十一、十分迄第二会場大洋デパート文化ホールで開会した。出席者約三百名で盛会であった定刻開会、黒木氏の開会の辞に次いで松村九大薬局長議長席について挨拶、直に報告事項に移った。

 ▽報告事項

 1、前年度決議案処理経過報告
 福岡県代表の松村九大薬局長からそれぞれについて詳細処理報告があった。

 2、調査事項報告
 九州山口県主要病院、診療所について福岡県では相当の経費をかけて、昭和33、34、35年度薬品消費実態調査を実施した、その内容は主として、
 @患者数と処方箋
 A年間の高価薬消費比較表
 B年間一日一人当り消費薬品比較表
 等である、直接その調査に従事した人は福岡県済生会病院薬局長福井正樹、国立筑紫病院薬局長相島徹、日赤福岡病院薬局長竹内克己の三氏である。

 ▽議案

 1、調剤用液体医薬品の容量表示に関する件(宮崎県立病院本田幸雄)
 g単位とcc、比重の異なる場合は算出が繁雑であり又誤まりの危険もある。議長は「アルコールだけは容量にするやに新聞で見たが北海道(日本薬学大会)でも同様な問題があったが、これは全国的の問題とせねばメーカーが採り上げぬ、全国的なものにするよう努力したい」

 2、製剤機械講習研究会開催実施の件(大分県立病院清水竜夫)
 佐賀大会の際メーカー等と提携して開催する様提案したもの、議長は「会場、講師、電源等むつかしい問題もあるが開催する様努力したい」

 3、病院、診療所薬局に於ける薬剤師の職制を規定するよう要望の件(長大病院樋口武夫)
 病院に適切な機構を立てることが地位向上でもあり仕事も円滑に進められる、議長は「北九州の製鉄、門鉄には既に規定されている各自がそれぞれ努力善処したい」

 次いで前記報告事項2の調査は引続き一、二年継続調査を切望するとの二、三の発言があった、これに対し当の実施者である福井氏から承諾があり、満場拍手を以てこれに賛成、議長は「賛成多数で決定致しますが費用も労力も大変なのでその点充分ご承知置きを願いたい」と述べ、以上にて協議会を終了し、それより薬剤学部会を開会翌日と二回に亘り研要発表二十五題がそれぞれ熱心に講述された。

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 薬界◇◇隋談

 ▲公取委は電機製品、自動車さては化粧品、菓子、食料品等の懸賞や賞品の目に余る宣伝に独禁法の疑いが有ると自粛勧告をしている。洗剤一ヶでハワイに行けるものでも有るまい。

 ▲ここ二年ばかり薬店の弗箱となって一流メーカー迄バスに乗り遅れるなの「アンプル内服液」で、葡萄糖やリンゲルのアンプルが品廻りが悪くなり医者は困り出し、亦一方怖い旦那の国税庁はこのアンプル内服液はアルコールが入っているので酒税の対照になるのではないかと検討して来たが@疲労回復液でこの液一本だけでは酔えぬA更に内服薬を飲んでも酒の味がしないBアンプルに入った一定量であるので課税するには及ばない。と云う態度をきめ、厚生省と慎重に審議し正式通達を出す模様といわれている。

 ▲熊本の第三十回九州薬学大会は十八日より四日間三十度以上の真夏の暑さ、設備の或る会場は冷房を通す始末、道往く人は半袖白シャツの夏姿、さすがに火の国といわれる土地柄であるとは、これは全国的の暑さであった。

 ▲薬学大会、続いて九州、山口地区のロータリー大会加えて今お城まつりの季で全市大装飾、駅頭は特急(みづほ)、寝台急行(ひのくに)が熊本始発で運行される事になったので駅頭は美しく飾られている。日本三名城の一つたる五十四万石のお城が復元されたり、天下の名園水前寺、本妙寺、仏舎利塔等の市内名所旧跡に加えて世界に冠たる活火山大阿蘇や幾多の観光資源を持つ熊本の強みがあり、駅には外来の観光団や修学旅行団が続々と繰り込んで来ている事は羨しい限りである。

 ▲昔熊本の友人から蕎麦と女と銭湯だけは熊本に限るといわれていたが、筆者の限では女は美人は少ないが美男子は多い気がする。だが熊本の人情味、親切味だけは確に他の都市では味えない。

 ▲本年から新に衛生裁判化学部会が部会として開かれた。本年は始めての事とて出席者十余名に過ぎないが、意気はミんで、犯罪や捜査の化学と云うものは全く地味で蔭の人であり犯罪の裏づけとしての化学は今の警察では欠く事の出来ない重要なもので、夫等に勤務せられる薬学系の技術員の苦労は高く評価すると共に次年での報告や研究発表を期待する。

 ▲女子自由部会は本年は特に出席者の年令が若くなっている。この会合始めは校剤部会と重複時間で少なかったが後で一〇〇名に達する盛況、女子薬の給与調査で最高三万四千円最低五千円平均一万二千円強で会員へのアンケートで本俸、ボーナス、勤務時間、まちまちである。小倉の会員から女薬の中には県薬協の存在や入会の方法も識らない者もいる。小児マヒ時のPR活動にどうやったかの討議も熱心であった。最後迄この会場に残っていた紅一点ならぬ黒二点は長崎草津佐賀、武田の両君熱心に傍聴女薬へのPRのために薬科大学在学中に教育の一環として卒業し薬剤師登録すれば所在の府県薬に必ず入会する様教育されたいと本大会の名を以って、日薬本部が善処されたい意味の緊急動議を提出する事としたが、これは本会議に上提熊本の弥吉女史が提案理由を動々と説明拍手で可決した。

 ▲懇親会は万場立錐の余地なくさすがに熊本だ。一同に集める会場は少ない。この宴の司会者掘内君は素人芸では出来ない斯道の達人である。第三部の各県代表の芸能では吉松君の八木節酒樽をたたき歌い賑やかな調子に揃いの法被姿の同店員一同今日の為めに稽古した甲斐あり、本場の八木節よりも上出来の拍手止まず大分金をかけた模様である。良い思いつきと感心。

 ▲二日目のレクリエーションの熊本女薬に依る余興の地元関係の舞踊も半年位は練習したと思われる。ビオヘルミン百崎社長の手品と奇術はアマチャーマジックのナンバーワンとして定評がある。

 ▲再開の本会議で宮崎の矢田部君からの発言、来会者に発言の機会を与えよ。開局薬剤師が勤務者に比べて出席が少なくなっている事は残念だ。九州薬剤師協会の構成について瓜生田会長と応答して一寸会議らしい感を与えた。これも良い事だ。

 ▲第一生命支店で開かれた九州薬協組連合会は代表者の会議で論ずる処開局者に直結する薬品の流通問題、全国連合会の動き、九州の団結さては九州大会の開局、保険部会等開局者の関係の深いものは将来実業部会のこの名称にしてはどうかと云う研究をも進められた。

 ▲開局部会は大牟田中村、佐世保堀、鹿屋の神田の諸君のは実に動々たる報告と発表で時間がないのは残念だ。

 ▲校剤部会は村田教授が助言者で本年の発表は特に好い題で其の地其の地で活動されている事に敬服する。

 ▲熊本には多くの先輩や友人を持っていた。光多、椿、中西、橋本寿七、布田、緒方の諸君は既に故人となられている。当時の人で元気な者は木岡、戸田君位である。気骨のあって元気者の坂田三善君は東京の世田谷に移り住んでいるが、筆者は十年位前に東京であった。

 ▲色々と熊本で御世話になったので本稿で謹んで御礼を申上げる次第である。(GT生)

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 薬剤師生活 五十年の回顧(7)礒田秀雄

 ◆活躍した福岡商業報国会

 ▽…戦局の進展と共に国内は緊張を加えていった昭和十六七年頃福岡警察署長の勧奨で福岡市商業報国会を結成することとなって、当時商工会議所の商業部長であったわたくしがその衝にあたることとなって之れを結成した。

 ▽先ず先き達つものは金であるが、会議所の予算更正を行って十分な予算を獲得東公園の亀山上皇銅像前広場に会場を設け朝野官民多数を迎え、市内の商業人五千人位を集めて盛大な発会式を挙行。終ってブラスバンド数隊を配して市内パレードを行った。報国会の会長は商工会議所会頭で私は理事長に就任したが、すべての企画等一切は理事長の手許で行われ、発会式上に於ける理事長あいさつは商業人の利潤追求を誡め公益優先を説き注目を浴びたことを記憶している。

 ▽…当時は商店法で定休日が定められていたので定休日には店主店員などのレクリエーションを行い運動会を催したり志賀島、太宰府香椎の松茸狩、立花の蜜柑狩りなどを催し弁当旅費等もすべて報国会から支給するので回を重ねる毎に盛大に赴いていった。

 ▽…精鋭分子で挺身隊を組織せしめ特別の教育を施して、各分隊の指導統制に当らしめ活気横溢の報国会を現出、一方謡曲、書道、朗詠、華道等の部会も設けて随意参加せしめていた。

 ▽…わたくしの理事長時代は二年ばかり続いて交替したが、その後は戦局も苛烈の度を加え博多港の軍需荷役等に狩り出されて相当苦労したらしいが、終戦と共に解消してしまったがわたくしの生涯のうちでは最も華やかな活躍の時代でもあったと当時を回顧している

 ◆終戦後結成の県薬剤師協会

 ▽…昭和二十三年八月公法人福岡県薬剤師会は占領軍の命によって、解散となり指示される期間の役員は追放となり、新しく県薬剤師協会を組織することとなって先ず仮会長の選任が行われた。

 ▽…私は指示された期間幸か不幸か県薬の役員を放れていたので、追放を免れるので仮会長に選任された。

 ▽同年の秋、新薬事法の説明会を県下各地区で開いた機会に、福岡県薬剤師協会の入会申込書を取り集めて、新設薬剤師協会の成立に努め準備全く成ったので昭和二十四年一月八日福岡県薬剤師協会の設立総会を開き、新役員の陣営も成り新清な気分横溢の下に現在の県薬の基礎作りが始まった。新事務所は医薬品卸売会社に設け新事務員現在の吉田事務長を置いて支部の設置、会費の収納、事業の遂行などと着々と仕事を進めていったがその努力は幾年も続いた。

 ▽…昭和三十三年、私の会長在任も十年に達し基礎も漸く固ったので会長を退任したが、この十年間の努力には私も身心を全く消耗した。殊にこの任期中に私の宿命でもある医薬分業制度の確立が不満足ながら解決し得たことは、私の終生忘れ得ざる快事であったことを特記しておきたい。

 ◆米使節団を別府に迎える

 ▽…昭和二十四年の夏であったがグレンLジェンキンス氏を団長とする米国薬剤師使節団が来朝し、別府の公会堂で九州薬剤師大会を開いて之れが歓迎大会を催した。

 ▽…私は歓迎の挨拶として使節団の来朝を衷心より歓迎することを述べたのち、日本の薬剤師が医薬分業制度が実施されぬためにその職能を奪われ、極めて悲惨な状態下に在る事実を述べて使節団の視察結果、提出さるべき報告書に於ては医薬分業制度の実施を強調されんことを要請する旨を力説した。

 ▽…私の演述は一節一節を区切って通訳されたが、使節団の退日にあたって占領軍司令部に提出された勧告書には、医薬分業制度実施が急務なることが記載されていたので、それから分業獲得への闘争が開始されたこととなったことは別項に述べる通りであるが、アメリカの薬剤師使節団歓迎大会も私の薬剤師生活五十年の忘れ得ざる一齣であった。