通 史 昭和36年(1961) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和36年(1961) 9月10日号

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 九州山口各県薬協会長会議 薬学大会準備を宮崎青島で

 九州薬学大会も愈々あと一ヵ月半に逼って来たが、回を重ねた九州山口各県薬協会長会が去月二十六日午後三時から宮崎県青島の青島寮で開催された、各県の出席者は次の通り。

 瓜生田(大分)、戸田(熊本)、矢田部(宮崎)、山村(鹿児島)、久保(佐賀)、草津(長崎)、五郎丸(福岡)、四島(福岡)、欠(山口)

 定刻、瓜生田九州薬剤師会長の挨拶に引続き、左記の事項につき報告並に協議に入った。
 一、大会準備経過報告
 戸田大会委員長(熊本)からその後の準備について経過報告が詳細に述べられ一同これを了承。

 二、各県提出議案並各部会研究発表に関する件
 議案提出並講演申込みは早急に措置して貰いたい。これによって案内状も早急に発送したいと思う。未提出の県は本月末迄にご提出の程お願いすると準備委員長から要望があった。

 三、記念品(来賓並出演者)に関する件
 各県よりの意見を取纏めた結果、記念品については会長と大会委員長に一任することを決定した。

 四、特別招待に関する件
 例年に做って行い、各県会長出席の上特別来賓の宴会を催すことになった。

 五、各県会員案内状発送枚数に関する件
 九月八、九日開催の長崎における九州山口各県薬協会長会迄において会員案内数を正確に調査の上各県会長は準備委員長に報告するよう決定した。

 六、九月長崎における九州山口各県薬協会長会開催の一切については長崎県薬協に一任する事を決定した。

 七、薬学講習会開催期日等に関する件
 本年度は十一月に開催することを決定、明年度よりは半永久的に九月開催が望ましいと意見の一致を見たが、本年は十一月、これに関しての企画など福岡県薬協に一任することを決めた。

 八、九州学校保健大会に関する件
 標記大会は九月十六、十七日の二日間熊本市第一高校において開催されるが、十六日の行事終了後学校薬剤師大会を開きたいとの申出があっているので熊本校剤会長から福岡の早川校剤会長にはすでに連絡済となっている旨報告があり、学校保健大会並に校剤大会には多数会員の出席慫慂はもちろん、各県薬協会長もつとめて出席するよう申し合せた。

 九、その他
 @小倉東映問題についての討議の結果は、現下薬業混乱時にあって斯る大資本的廉売店の出現は吾々としては絶対に防止すべきであり、九州山口各県薬剤師会で正式にこれを採上げ、九州山口全体の問題となし、全国会長会議にこれを提出し、全国的問題化して日薬を強力に推進せしむるよう措置することを満場一致で決定した。
 A本年の「薬と健康の週間」行事中、九州における講演会は宮崎が予定されている。これについては各県特に地元の意見もあるが、例年に做い西日本新聞社と協力して実施することになった。
 以上にて会議を終了し懇親の小宴によって閉会した。

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 薬界◇◇隋談

 ▲三重医大の学位問題は其の主査教授に対する謝礼金問題は意外に大きな波紋をなげかけた。師に対する礼は醇風美俗とも考えられるが収賄事件として司直は動き出し、既に教授を辞任したものもある。博士には篤学の人もあるが、又営業の看板にしたがる医学博士は事経済につながるものであると世論は伝えている。

 ▲去二十四日朝六、四五NHK@「私達の言葉」で薬品の取締と規制をと東京の人の投書が取りあげられ!!薬特に催眠剤の濫用と抗生物質が処方や指示書によらず薬局から簡単に入手出来る世の中、薬局も法律を護ると共にメーカーも濫用を勧める如き行為を自粛よせと、厳しい風当りのものであった。

 ▲本紙前号から礒田氏の「薬剤師生活五十年の回顧が掲載された。興味深かく読むと共に次号が待ちきれぬ当時筆者も九大薬局にいたので酒井、江口の両薬局長等の動きに昔を偲んでいる。

 ▲長崎県下の暴力団娼婦では鎮痛剤のスパを覚醒剤の代用品として高価に密売、然も害毒を流しているので当局は取締を厳にすると報じている。

 ▲去る二十八日NHK@で浦和市住の俳人長谷川かな女を女優の森赫子さんが朝の訪問をなす、同女は本欄でも一度紹介した俳人長谷川零余子(階三氏)の未亡人で長谷川氏は明薬出の薬剤師で特異なる存在の俳人で当時東大の薬局に勤務され筆者も大分お世話になった、惜しい哉若くして世を去った。

 ▲各地でSM亦々動き出すねらわれるのが囮としての薬品で其の地区業者の実害はひどい、薬事法なんか何んとも思っていない不遜な資本主義の権化であり、その処に薬品が流通するのだから不思議の他はない。

 ▲一日から全国性病予防週間が始まっている、国家の法律にけちをつけるのぢゃないがザル法といわれる売春禁止法が施行されてからが陰くれた性病が横行するのぢゃないだろうか、その尻を薬局に持ち込むのは筋違いともいわれる。

 ▲或る薬業紙?で女薬剤師のお偉方の一人が薬剤師の自負心を棄て商売人たれと論説さる一体街の薬局の薬品販売行為は既にドン底に達している。これ以上薬剤師たる気持ちと品位を棄てよとは一体どうすれば良いか一そう薬育機関を廃し薬事法を改悪し薬科大学は薬品研究員や技術者を養成して薬の販売の階層から抹殺した方が良いとも考えられる。

 ▲長崎県薬は就職斡旋と給与に関しての特別委員会を設置、運動に入る女性アポの低給だけはくい止める事にせねばならぬ。(GT生)

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 九州山口各県薬協会長会議 長崎で九州各県薬務課長と懇談

 九州各県薬務主管課長会議が長崎市で開催される。時を同じくして九州山口各県薬剤師協会々長会が九月八、九日の二日間長崎市風頭山弥太楼旅舘で開催された。

 出席者は次の通り
 瓜生田(大分)、瑞穂(山口)、白木(福岡)、戸田、椿(熊本)、池田(鹿児島)、江口(佐賀)、草津(長崎)、長崎県薬務事務長、(宮崎県欠席)

 ▽第一日(九月八日)協議事項は次の通り
 (1)勤務薬剤師の待遇改善に関する件
 各県共勤務薬剤師の月額給料は最低二五、〇〇〇円とし、それ以上を目標に各自努力することとした、なお夏期、年末手当は何れも一〇〇%とする。
 (2)店舗による医薬品の販売又は授与(薬事法第三十七条)の解釈を明確にすること。所謂注文取り、訪問販売などとの区別を明瞭にすべきことを要望する。
 (3)学校薬剤師の知事認可に関する件
 各県共最も簡単な手続方法(連名認可等)を考究し、その実施に努力することを決めた。
 (4)地方薬事審議会の早急設置推進に関する件
 各県共その早急実現に努力することを決めた。

 ▽第二日(九月九日)九州各県薬務主管課長との合同会議
 左記の事項につき要望且つ意見の交換をなし、全国的に関連するものは暫く保留し、他は充分検討の上善処することになった。
 (一)学校薬剤師の知事認可に関する件
 (二)薬と健康の週間について
 各県共九州山口薬学大会と重複せぬ様時期を協調して実施することになった。
 (三)薬局業務日誌に関する件
 福岡県で原案を作成し瓜生田会長と協議の上決定しその使用は各県共通とすることを決めた。
 (四)地方薬事審議会設置の件
 福岡県は既に去七月一日を以て設置を決定したので各県共早急に設置方促進に努力することを決めた。
 (五)店舗による医薬品の販売解釈に関する件
 (六)その他(懇談事項)
 @経済安定機構の件

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 小倉東映問題と福岡県業界 続々上京本格的に

 佐世保東映問題は同市の薬業界を攪乱し、その生々しい爪あとからは今なお鮮血がにじみ出ている。小売業界総売上げの四割以上が壟断されている事実が物語っている。これに引続き九州に於ける第二次同企画が北九州五市の中心地小倉に於て出現せんとしている。所謂小倉東映問題である。

 福岡県薬業界では佐世保東映が同地業界に及ぼせる実態を調査した結果、決然として起ち、その阻止対策について慎重考究、遂に九月四日より八日迄、四島県薬剤師連盟会長の外、須原、福田の両県薬協組副理事長形井同常務理事同伴上京、中央に於ける関係方面に実情を訴えて陳情した結果は各関係方面共、本問題を小倉地方のみの極地的事象と見ず保険薬局の保護育成、引いては医薬業経済の安定等の見地よりそれ等の混乱を惹起する虞れが充分に考えられ、殊に大資本性医薬品の大量販売店の出現は現下の保健状況に鑑みて重大関心事であるとなし、全国的問題として解決すべきであるとの気運を生じたので、上京の同氏等は今後一層の勇気努力を以て問題解決に向って邁進することになった。

 その後福岡県業界では九月十五、六日の東京に於ける全国薬協会長会議によって本問題を善処するため十三日には四島県薬連盟会長が、十四日には引続き県薬商組白木理事、藤野専務、形井常務理事の三氏が(外に安定機構発起人会その他の用務を帯て)相伴って急遽上京するに至った。

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 福岡県薬業懇談会 九月例会開会

 福岡県薬業懇談会九月例会は十二日午后一時半から薬剤師会舘で開会、出席者はメーカー側=三共、大日本製薬、稲畑産業 卸売業者側=大黒、波多江、鶴原、江口
 小売業者側=白木、須原、藤野、形井、吉柳、深田、四島
 県庁側=尾崎薬務課長、横枕補佐

 <当日は四島氏から東映問題に関しての東京出張の報告があって業界各層の本問題解決についての協力を要望した。県側からは薬事審議会その後の経過について話しがあり、その他目下「リンゲル液」の極度の品不足が話題となったのみで業界雑談に終った模様である。

九州薬事新報 昭和36年(1961) 9月20日号

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 福岡地区薬業協同組合 第十二回通常総会開会
 新理事に須原勇助氏外十二名選任

 残暑なお耐え難い九月十三日、福岡地区薬業協同組合では第十二回通常総会を福岡市天神ビル十一階中ホールで午后一時半から開会した。  会場には同組の意欲を端的に表現したとも思わせるスローガン
 一、強い団結により不況を克服しよう
 一、適正利潤を死守しよう
 一、員外者規制命令の早期実現を期そう
 その他が厳然として会場を睥睨しているかに見えた。

 定刻開場、先づ武田薬品提供の学術映画「新しい薬の世界」の映写に始まり、学術講演は「最近の新薬」と題して武田薬品学術部の市川勇氏によって、最近種々問題を実社会に提供した血液型、輸血及び成人病即ち高血圧、動脈硬化、癌などに対する降圧剤、利尿剤、或は糖尿病、膵臓障害等に対する最新々薬数種について興味深い講演があった。

 それより二時半総会に移った。工薬理事司会して国武理事の開会の辞についで白木理事長挨拶。一昨年県庁の売店問題以来バーゲンその他十七個のSMに対し医薬品部設置阻止運動を約一年半に亘って努力して来たが、昨年八月大橋に於て大和が福岡方式で設置、然し幸にして宣伝規制のため被害は比較的尠なかった。その後簀子(丸衆)及び六本松に於て開設され相当の被害が現われたが、今後これ以上悪化しないよう種々手を尽した。

 その一つとして今春は大阪薬業界の実情視察をなし乱売近接地区等詳細に調査したが悲観的であり、福岡の業態も何れは同様な運命を齎すのではないか、これがためには宣伝の規制、薬事審議会、参議院社労委決議、その他経済安定機構など適正な流通確率を推進している。県商組では昨年十二月調整規程の認可、本年六月には二次認可を受けたが、吾々の要望である員外者規制命令を一日も早く実現するために去三月全国商組連合で申請手続きをとり、その後地方ブロックによっても出来る可能性が濃厚になったので、これがためには商組未成立の長崎県などを育成し、さらに多数加入する様勧誘して吾等の最終目的である価格協定に向って突進するために皆様のご援助を切望する。

 現在は小倉東映問題と取組んでいる様なわけである。一部組合員には宣伝の規制等についてご不満もあるらしく見受けるが、東映の様な大資本の店が若しも開設された場合、一体どちらが困るかを良く考慮して現状を理解して頂きたい。最後に、ご承知のバーゲンの問題も幸いにして円満に解決したので茲に報告致します。

 次に来賓挨拶として県衛生部長代理尾崎県薬務課長は、現在薬業界の最大の問題は、薬業経済を差当り如何にすべきかと云うことにあるが、これは全国的の問題であり目下確固たるキメ手になるものがないので吾々も苦労している。唯新薬事法の線に沿って最高度にこれを生かし業界安定のために努力しているのである。県薬事審議会もできるだけ早急に第一回を開きたいと思っている。と挨拶し、次に国松武田薬品福岡支店長が筑紫二十日会を代表して、皆様の業界の諸問題に対する団結と努力に対しては頭が下る思いがする。今日迄吾々二十日会員としても多少は協力したつもりでいるが、皆様の熱意に対しては吾々の協力が足りなかったのではないかと考えている。自ら反省すると共に皆様に敬意を表する。と挨拶があり、それより議事に入った。

 先づ議長選挙、司会者一任となり司会者は馬場勘二氏を議長に指名、馬場氏は直に議長席に着き挨拶後、本日組合員の出席者七四名、委任状九七名合計一七一名、総組合員三二五名の過半数であり本日の総会は成立した旨を宣し議事録署名人を指名して直に左記議案審議に移った。

 ▽議案
 一、昭和卅五年度会務並事業報告
 大隈理事別刷により説明異議なく承認。
 二、昭和卅五年度決算認定の件
 藤野理事別刷により説明し、次に貞宗監査員より監査の結果異状なき旨報告があり、二、三質問があって一同異議なくこれを承認。
 三、昭和卅六年度事業計画決定の件
 鳥海理事から別刷により説明があり異議なく決定。
 四、昭和卅六年度賦課金決定の件
 五、同年度収入支出予算決定の件
 藤野理事から別刷により詳細な説明があった、特に前年度迄商組の賦課金と一緒に徴収していたため、種々不合理な点も出来するので別々に徴収したい。又年度も定款を一部改正して商組と同年度に改めたい。それがため本年度は十二分の八を徴収することになったわけである。二、三質疑応答の後一同異議なくこれを決定した。
 六、定款一部改正の件
 工薬理事は商組との年度の違いが特に不便であるので年度を商組と同様にする、茲で決定すれば知事の認可を受けることになると説明、一同異議なくこれを可決。
 七、事業執行規約一部改正の件
 鶴田理事説明、規約第一条の「当仁部会(当仁校、簀子校、鳥飼校、草ヶ江校各区内)」を次の通り三部会に分割する。
 ▽当仁部会(当仁校区内)
 ▽簀子部会(簀子校区内)
 ▽草ヶ江部会(鳥飼校区内及び草ヶ江校区内)
 異議なくこれを決定した。
 八、役員選挙(任期満了による)
 選考委員制により議長指名による委員九名(三根、荒巻、鳥海、世利、権藤、友納、貞宗、勝目、柴田伊)により慎重選考の結果、荒巻委員長から議場に報告、一同はこれを承認して次の通り決定した。
 ▽理事=須原勇助、山本市郎、斉田和夫、国武一人、三井所清澄、佐々木正喜、山手陽一、峰松善人、丸林仁雄、吉松繁、大隈次野、鳥海俊雄、大野郁男
 ▽監事=馬場勘二、貞宗喜多留

 次いで協議に移り「小売薬業界の諸問題について」と題して組合員の意見発表があり、なお白木理事長から佐世保東映調査の報告並に小倉東映問題について述べられた。

 佐世保小売薬業者総売上の約四割が東映によって売上げられ月五百万円と云われている。売値は四〜五割引である。佐世保に於ては既に売上げが限度に来たものと認め、新たに小倉に於て開設するものとの考方と見るべきであろう。以上にて総会を、斉田理事の閉会の辞により一応終了し、それより直に「第一回福岡県医薬品小売商業組合福岡支部総会」を引続き茲に開催した。

 ◆福岡県薬商組 福岡支部総会

 工藤理事の開会のあいさつに次いで須原支部長は、吾業界は既に三カ年、愈々乱売など悪化の一路を辿って、一般物価上昇に相反し、薬品のみは益々値下りを見る逆現象を示している。吾薬業界は壊滅の一歩手前に在って、従来店頭の商品は、薬と雑貨は八対二を保っていたが現在では雑貨の比率が昇り正に薬業消滅の貌である。吾々はこの間の現実を能く能く考慮了解して組合の団結を固め、万難を排して業界の安定を確保せねばならぬ。と激励し、次いで白木県薬商組理事長の挨拶があり、国武理事の閉会の辞により総会を終了。時に六時、それより屋上に於てビールパーティによる懇親会が催された。

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 福岡地区薬協組 理事会開会 総会準備の打合せ

 福岡地区薬業協同組合では九月十一日午后二時から薬剤師会舘で理事会を開いて十三日、第一二回通常総会開催準備の具体的打合せをなした。役員改選では理事を増員すること、定款一部改正では、従来協組の組合費は商組の組合費より分割還付の形をとっていたが、両組合では組合員のズレもあり(約八〇%が両組合員)不合理の点もあるので、協組の組合費は単独々立させ徴収(予算案に月額百円を計上)することとすることを決めた。

 その他最近某部会から共同宣伝をしたいとの申入れがあったが、然し以前、商組某支部からの同様な申入れも遠慮して貰っているので現在の処時期尚早と見て遠慮して貰う様回答している旨理事長から報告があった。

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 福岡市薬剤師協会 地区薬業協同組合 合同部会長会

 福岡市薬協、協組合同部会長会を九月十六日午后二時から薬剤師会舘で開会した。
 ◆市薬剤師協会
 (1)社会保険講習会について
 県薬協主催で十九日町村会舘で開催する。(本紙別掲参照)

 (2)会員名簿作成、未加入者入会勧誘について
 別紙名簿は今一応訂正の上筑紫二十日会迄に提供する。未加入者加入勧誘の一手段ともなる。

 (3)季節の手帖について
 交渉の結果月最高四万部明年六月迄確実となった。一般会員の原稿を歓迎する是非協力して貰いたい。

 (4)薬と健康の集いについて
 入場整理券又は季節の手帖持参者のみ入場を認める整理券は県市保健所、メーカー方面に若干交付してある、分担業務を確実に。

 (5)その他=@県薬協主催で近く「勤務薬剤師の実態調査」を実施する、同時に事業主の希望をも合せて調査し無理せず薬剤師の地位向上に資する。市協会としては竹内副会長に一任したい。A薬学講習会は十一月七、八日二日間町村会舘で開催に決定した。B熊本に於ける薬学大会出席者には市薬協では旅費千円を大会終了後確認の上補助する。C県薬会報は近く各支部、部会宛纏めて送付する。

 (6)県薬務課よりの通知
 @医療用具販売届済証(店頭換示)は五〇円添えて申請すること。
 A麻薬取扱者免許申請書及び麻薬受払届、免許証返納届の提出については別刷により手続きすべきこと。麻薬の申請は十月廿日迄に保健所経由毎年行うこと。

 ◆地区薬業協同組合
 須原理事長欠席につき大隈理事から十三日開会した総会決定事項について報告があった。特に理事長に県商組福岡支部長の須原勇助氏新任(前理事長は白木太四郎氏)のこと、従来商組よりの還付形式による賦課金が商組とは別途に独立して月額百円を徴収することに決定されたこと等である。次に山手理事より先の佐世保東映調査の結果について詳細報告があった。

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 福岡県薬協主催 社保講習会 福岡地区・筑後地区

 ▼福岡地区社会保険講習会
 ▽日時=九月十九日(火)一三〜一七時
 ▽会場=福岡市、町村会舘四階ホール
 ▽学術講演=ガンマーアミノ酪酸について‐第一製薬福岡支店、坂梨俊彰氏
 ▽学術映画=スポーツの科学、精神薄弱の医薬
 ▽講習内容=
 ○これからの薬局薬剤師のあり方− 県薬協副会長四島久氏
 ○保険薬局としての処方せん獲得について− 大牟田市薬協会長中村里美氏
 ○新しい調剤報酬請求について− 県薬常務理事工藤益夫氏
 ▽注意=
 @薬剤師必携、昭和卅五年九月及び昭和卅六年七月発行県薬会報を携行のこと
 A当日出席者にはテキスト(無料)を配布 尚事後の入用者はプリント代実費(五十円)を支払うこと
 B質問はメモ紙に記入の上提出のこと、講習会終了後問答集作成の予定

 ▼筑後地区社会保険講習会
 ▽日時=九月廿六日(火)一三〜一七時
 ▽会場=久留米市、久留米商工会議所
 ▽講習内容=福岡に同じ
 ▽注意=福岡に同じ

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 薬界◇◇隋談

 ▲戦後GHQの顧問として日本脳炎の調査にやって来たアメリカのセービー博士、NHKの招きで小児マヒの講演のために来朝二十九日には福岡でも講演の予定。仝博士は小児マヒ生ワクチンの発明者でビールス研究の大家である。

 ▲十四日から薬業小売の問題、県薬会長会議、全剤連の会議と三日間東京で会合、全剤連で問題となるのは来春改選の参議院選をどうするか、今の処竹中稲美氏は全国区出馬の意欲がない。薬業人で最低三十五万の票を集め得る人がない。全国区と云えども固定の仝業票とともに郷里と云ふ強味の票が必要であり、竹中氏は二回失敗しており、尚田舎の郷里票と云ふものがないのが惜しい。だがこの機会に薬業より一名を獲得したいのは同業者として信念だが、推薦して当選したものが真に業者の為めになって呉れるものがどの位有るだろうか、だがほっておいては絶対駄目だ。

 ▲医療懇談会でまとまった保険医療の改正すべきものがいよいよ中央社会保険医療協議会にかけられる。制限治療の撤廃、値上げ、事務の簡素化共に賛成だが、処方箋が多くでる様には医師の方へも処方箋料を払って一枚でも多くの処方箋を交付する様、来ない処方に調剤料金ばかりいくら値上げしても仕方ない。現在でも処方調剤は均一的でなく傾よっている。小さな県で一薬局で何十万と云ふ取扱が行はれている地区も有る。

 ▲本欄で杞憂していた薬科大学の新設出願がいよいよ表面化したらしい。それは兵庫県内の文化系の私立大学である。薬業団体から既に薬大は多いと反対運動が起りかかっている。

 ▲日病剤の社団法人化と団結、現在の日薬は開局者本位で吾々の意見をくんでくれない。日薬機構の再検討を強く打ち出している。日病剤側の意見に同感する処もある。早く日薬は定款改正と共に日病剤の意見に検討を加へてはどうか。

 ▲小倉では東映SM問題業者団結猛運動を続け、佐賀では既設SMが交通至便の処へ移転せんと既に建築に入り薬品部を薬局に昇格せんとし既に動き出し、新法に依る許可で革新系の県議も動き出したとの事だ。其地一〇〇米以内に五〜六軒の開局者がある。(GT生)

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 準備を急ぐ熊本 九州薬剤師大会 九州薬学大会

 今秋の当番県たる熊本県薬剤師協会幹部連は連日事務所に参集して大会準備に就て大童であり、大要左の如きプログラムを定めて最終の段取を急いでいる。

 ▼前日会=十月十八日水曜
 ▽大会運営委員会(桜町、西嶋ホテル)
 ▽薬剤部長協議会委員会(西嶋旅館)

 ▼第一日=十月十九日木曜
 ▽薬剤学部会(下通、大洋文化ホール)
 ▽開局保険薬剤師部会(桜町、自治会舘)
 ▽保健所部会(銀座通り、富田薬品階上)
 ▽薬務部会(日本生命保険階上)
 ▽衛生裁判化学部会(県警本部会議室)
 ▽本会議=九州薬剤師大会並九州薬学会総会(市公会堂、開会一時)
 ▽特別講演(一時、大洋文化ホール)
 終って五時から記念撮影をなし、六時から仝処特別食堂で「大懇親会」を開催、八時頃から各学校毎の同窓会が開かれる予定である。

 ▼第二日=十月二十日金曜
 ▽学校薬剤師会(九時、桜町、自治会舘)
 ▽薬剤師学部会(大洋文化ホール)
 ▽薬務部会(日本生命保険階上)
 ▽女子自由部会(富田薬品階上)
 ▽日薬薬学会九州支部例会(熊大薬学部教室)
 ▽正后のレクレーションは大洋文化ホールに於て催され剤界知名人の手品及び女子薬剤師の民謡など
 ▽本会議=委員会の報告等あって閉会

 ▼第三日=十月廿一日土曜
 一定の場所に集合し、新装なった熊本城を初め市内を一巡し、それより大阿蘇の雄大さ見学の案内予定、なお、特別来賓として内定さるは「村山東京薬大学長」日薬側から「可児、竹中両副会長」(高野会長海外出張中)、大阪の粟村ハツ子女史等である。

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 薬剤師生活 五十年の回顧(3) 礒田秀雄

 ◆薬剤師の衛生組合進出

 ▽…戦前は各町に衛生組合が組織され伝染病の予防措置や清潔法の実施、消毒の施行等を行っていた。薬剤師は街の化学者として衛生組合に進出せよとの声もあったので大正七年頃私は居住町の衛生組合長に就任した。そしたら次の総会で馬出校区の衛生組合連合会長に推された。校区衛生組合連合会長を十余年熱心に勤めているうちに終戦を迎え市衛生組合連合会の建直しに直面した、そして私は福岡市衛生組合連合会長に推され之れに就任したが−当時市には三十有余の校区連合会長があり従来連合会長には、市の予算を使用する関係もあって大体市長か助役が就任していたので、私は時の市長三好称六氏に市衛生組合連合会長就任を交渉したところ三好市長は「君の様な専門家がいるので最適任だ。私がうけるべきではない」と云ふ。そこで丸二年ばかり市の連合会長として働いているうちに占領軍当局から衛生組合も町内会と同様に解散の指令があり、全国衛生組合連合会の役員として静岡市にいた全国会長らと?々協議したが占領軍の厳命如何ともすべからず薬剤師の市衛生組合連合会長も衛生組合と共に解散するに至った。

 ◆九州から日薬和平の工作

 ▽…公法人日本薬剤師会の初代会長は丹羽藤吉郎氏、二代目が池口慶三次いで丹羽氏の再任となりそれから高橋三郎、河合亀太郎、近藤平三郎氏らが戦前の会長であった。

 ▽…近来は学閥と云ふ、蝸牛角上の争いはなくなったが、昔は東薬明薬の抗争が激しかった。それが日薬に反映し日薬の代議員会、役員選任にも波及し分業運動の行詰りはとかく日薬内部の抗争に勢力を費し過ぎていたからでもある。

 ▽…日薬会長高橋三郎博士の没後河合亀太郎博士が日薬会長となった頃何かとゴタゴタが続いて日薬内は騒然たるものがあり、遂に仝九州の薬剤師会から各県代表一名宛を「日薬和平工作委員」として東京に送り滞京十余日遂に日薬内の紛争を収めたことがある。

 ▽…日薬和平工作委員の顔触れは委員長橋本寿七(熊本)委員牟田康彦(長崎)黒田重吉(宮崎)礒田秀雄(福岡)北島休次郎(鹿児島)の諸氏だったと記憶するが、このことは中央の?争に対しても九州からこれを鎮圧していたことを記録に止めておきたいと思ふ。

 ◆日薬と日本薬事協会

 ▽…日本薬剤師協会と日本薬事協会とが対立していたのは大正六七年頃から十年許りであったろうか。日本薬事協会は志村氏が会長で分業運動の議会工作に専念していたが、日薬会長と日本薬事協会長とが連?があるときは極めて円満でよろしいが左様でないときは困った存在だったことがある。

 ▽…日本薬事協会は「薬剤誌」と云う機関誌を発行し議会活動は日本薬事協会が専ら掌るところであった。日薬の役員が東薬系なら薬事協会の役員は明薬系で占めていたと見る人もあるが薬事協会は日薬から補助金をうけていたが別に会員も募集して会費を徴していた。大体現在の日薬と薬剤師連盟の様なものである。

 ▽…「薬剤誌」の編集に従事していた人(氏名を失念したが)まわってきたとき私は薬剤師の在り方についていろいろと卑見を述べていたが、あるとき私に東京に一ぺん来て貰いたい、そして御意見を述べてくれとのことに之れに応じて昭和九年九月上京したことがある。

 ▽…連絡船から下関駅で「風が吹いてるなァ」と思って乗車すると神戸まできたとき室戸台風の眼に入ってヤレヤレ風が止んだと思ってると又候大風で臨時停車していると車窓の前の鉄板張りの工場の屋根が木の葉の様に飛散してゆく。列車は停車又停車、辛うじて京都駅まで辿って来ると瀬田川鉄橋で下り列車転覆のため、急行打止めとあって風の中の京都駅で下車させられて、その夜関西線廻りで出発して着京、麹町の志村氏邸へ着いた。何事を云われるのかと思ひ悩んでいるが志村老人何事も云わない。数日滞在する、一夜歓迎晩餐会があったが別に業界問題についての協議もない。が青年であった私はこの機会にいろんなお話を承わって数日後退京したが井戸の蛙が大海を見てきた様なものであった。

 ◆勧められて会議所議員出馬

 ▽…医薬分業達成えの方法は薬剤師の社会的進出が前提だと云ふ結論が打ち出されたのが昭和十年頃からである。昭和十二年の一月博多商工会議所議員の選挙が執行されるので之れに立候補せよと昭和十一年の十二月、福岡市財界の最有力者二名が来訪勧説に努められた。生肉私は他出中であったがその熱心な勧説に面会した両親が内諾を与えたよしで私も薬剤師の、社会的進出のためと考えて一月選挙戦に乗り出した、

 ▽…当時私の馬出校区から会議所議員戦に出馬するものは市青果市場組合長市議O氏と?油醸造の前商議豪家のH氏と若冠無名の私との三名で、地元の人達は私の立候補に一驚しそれは本当かと疑いの実情であった。

 ▽…当時の商議戦は市議戦同様大がかりで演説会こそ開かないが戸別訪問、買収運動勝手の大選挙である、事務所を設け運動員を動かし食事を供し、テンヤワンヤの騒動であったが開票の結果は前記のO氏やH氏は落選して私一人が当選した。四年の任期満了をすぎ昭和十六年一月二回目の選挙にも当選、斯るうちに、日支事変から戦争は押しづまり商工会議所は、商工経済会に変ったが、引きつヾき参与となり終戦後福岡商工会議所と変ったがズツと続いて、議員となり昭和二十四年には副会頭に当選、その後も常議員として会議所に関係すること今年で満二十四年、福岡会議所での最古参議員として現在もその任に在る。

 ▽…在任中医薬分業実施請願の決議や衆議院立候補者を招いて経済問題に対する立会演説会の主催、商業報告会の設立と理事長就任、等々いろんな事業に努めてきたがそれには稿を改めることにしよう。

 ◆推薦候補で市議戦に出馬

 ▽…昭和十二年四月執行の市議戦で当選した。市議連が市長選挙の買収戦でその大半が引致されると云ふ事態の発生に、内務省が福岡市会の解散を指令したので、昭和十三年十月市会議員改選が行われることとなり愛市推薦連盟が組織されて市議候補者の推薦が行われた。

 ▽…愛市推薦連盟から立候補推薦通知と供託済との通知をうけた私は市議戦に起たざるを得なくなった。由来薬剤師の地位での市議当選は甚だ至難である、それは又薬剤師の社会的地位の低さを示しているのではあるまいかとも思ふ。

 ▽…福岡市の市議戦に薬剤師で立候補したものは古くは魚町に開業していた山崎亮五郎氏、次いで土居町開局の天田助三郎氏、西新町の開局の榊直威氏、戦後は友納英一氏らを数えるが、何れも当選しなかった。私の市議戦も甚だ危いと思っていたが、開票の結果は午前十一時開票開始で午後三時頃には四番目当選確実との掲示が出た。この好成績には私自身が呆然とした。

 ▽…昭和十七年十月任期満了に伴ふ市議改選であるがこのときも当選の栄冠を得ることができた、そして任期延長があって昭和二十二年まで市議の議席を得たわけであったが、薬局開設者として店を守らねばならぬ。薬剤師としての公職従事は甚だ無理だなァと思った、それでも任期中はよく努め市当局を手古摺らせる論戦をよく続けたものであった。

 ◆九州薬報に主幹たること五年

 ▽…福岡市で発行していた明治三十三年六月創刊という九州新報は紙歴実に四十年、亡兄藤喜三が主筆を勤めたことがあることは前述したがその後広野草逕氏が主筆となって発行をつづけていた。

 ▽…昭和十三年の十二月であったか突然九州薬報社長の岩尾照太郎と先輩児島次郎の両氏が見えて九州新報の広野主筆が退職したのでその後をやって貰いたいとのお話に薬局を開設して喰ってゆかねばならぬ私、それに会議所議員、市会議員や衛生組合連合会長もやっている私である。そして新聞編集などの経験はおろかどうすればいいか何もわからなかった。

九州薬事新報 昭和36年(1961) 9月30日号

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 薬剤師生活 五十年の回顧(4) 礒田秀雄

 活字の号数さへ知らぬ私、特に晴天のへきれきとはこのことである。こればっかりはと辞退したが数日後重ねて児島氏が来ての強談判に詮方なく「それでは専任の人をおいて呉れ私は業界事情のわからぬところを援助する」と云う約束をした。憶ふに社側も広野氏の退職で絶対絶命の境地だったし、私も亡兄が嘗つて担当していたので愛着あるが自信は全然ないのでお断わりする絶体絶命の境地であったがとに角急いで十二月十五日号を発行し直ちに新年号の編集に取掛からねばならぬこととなった。

 ▽…新年号の原稿依頼と云っても時日はなし又依頼先もわからぬ。それに専任の記者は一向に差向けて呉れない。六十頁の新年特集号は仕方がないので私はいろんなペンネームを使って一週間強行軍でとに角原稿を書きあげたものであった。

 ▽…その後専任の記者を一名差向けて呉れたが薬業界の事情は皆目わからないのだから印刷所との連絡と校正位いで役にはたたないが給料だけはとってゆく。大体一人分の給料位しか利潤の上らぬ経済状態だから私は苦労を奉仕するばかりで報酬はないのである。飛んだことを引き受けたものと後悔しても後の祭りだ。広野氏の退職理由も結局報酬の問題であったようだ。然し一旦私の手許にころがり込んだ仕事はもう誰れも引き取る人がない。

 ▽…四十幾年も継続してきた事業、それを私の手で潰しては先覚諸氏に相済まぬと考え努力を続けること五年、戦局の推移は新聞統制が行われることとなり九州商報と合併せよとの抜きさしならぬ厳命に先輩各位の諒解のもとに遂に廃刊するに至った次第であるが、五ヶ年間さしたる報酬も頂戴せず唯薬業界に奉仕したことを以て自ら慰めている次第である。

 ▽…序でに記しておくと新年号と夏の記念号とに六十頁のものを発行、高橋盛大堂、丹平分店其他の御世話で相当の広告料が這入るが毎月毎月の分は広告料が少ないので赤字であるから新年号記念号の収入で之れを賄ってゆかねばならぬ。金がないからとて援助して呉れる人はない、年一回の社員総会、臨時の幹部会の料亭払いは支出せねばならぬと云った工合で経済的には行詰っていたのが実情である。

 ▽…然し五ヶ年間、毎号社説をはじめいろんな記事を蒐集し編集してゆかねばならぬので勉強になったことは事実、私の一生を通じ九州薬報の編集位頭を使い人生勉強に役立ったことはないと思う。

 ▽…社説と云っても毎号同じことを述べるわけにはゆかぬから薬業界と交渉のある事項を角度を変え視野を変えて興味深く記述せねばならない。とに角この位勉強になったことはなかったが又この位精力を消耗したこともなかった。単に原稿の蒐集だけではない、印刷所に行って大組の体裁、記事の配列等も指図せねばならぬ。一生を通じ一番精力を傾倒した仕事が金儲けには一厘もならなかったのだから貧乏するのも当り前だらうと今でも笑っている。

 ▽…終戦後九州薬報の再刊を勧められたがもう懲り懲りだと云って御辞退申し上げた次第であった。

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 「日本薬業協会」と命名 安定機構代表発起人会

 全国小売薬業団体協議会は薬業経済協力安定機構の代表発起人会を東京永田町の薬業健保会舘で九月十五日十一時から開催し、全国から小売代表百余名が出席した。

 協議の結果、本機構を「日本薬業協会」と命名を決定し引続き機構要綱改正案、協会の会則、事業計画、運営方針について審議した。各地区代表と幹部との間に「メーカー、卸との折衝の経過、協力の程度」「新協会はメーカー、卸、小売の三者構成であるのに本日の発起人会は小売側代表のみであるが、この点如何」などの質疑応答があったが、兎も角提出各案は若干修正の上それぞれ決定した。今後運営の方針と事業計画については実行委員会に一任することになり、その実行委員は次の通選任した。

 ▽委員長=可児重一(東京)
 ▽副委員長=太田哲郎(東京)沖勘六(愛知)荒川慶治郎(大阪)近藤伊平(静岡)
 ▽委員(五十五名)
 ▽小委員(十七名)
 ▽事務局長=滝川末一

 九州地区からは委員に白木太四郎、深田徳治郎、瓜生田定、高橋三郎の四氏、小委員には白木太四郎氏が選任された。なお滝川事務局長は本協会が順調に進めば明年三月一日から発足したいと言い、又同意書は昨日迄に二万一千九百十四枚が提出され、発起人会の本日提出の分一千四百四十一枚を合すれば、二万三千五十五枚で予想の二万を三千五十五枚も突破している。

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 販売店の特例 販売業不許可 薬務局岩手県照覆

 厚生省薬務局は薬事法施行についての疑義(特例販売業の許可に関し)照会に対して、この程岩手県宛次の通り回答した。

 ▽照会 次の店舗は薬事法第三五条の規定による「特に必要がある場合」に該当し、特例販売業の許可を与えても差し支えないものと考えられるが如何なものか
 @国鉄バス路線の主要駅売店
 Aバスターミナル売店

 ▽回答 @及びAの場合は他に特殊事情がない限り何れも薬事法第三五条の「その他特に必要がある場合」には該当しないものと解すべきである。

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 全国薬剤師協会長会議 全国薬剤師連盟会長会
 小倉東映問題に関する提案採択決議

 全国薬剤師協会長会が九月十六日十時から東京虎の門の日消ホールで全剤連評議員、執行委員などと合同会議を開催し、社保医療制度時局対策、薬業経済安定対策等について検討した。開会先づ高野日薬会長、沖全剤連会長の挨拶、次いで可児日薬副会長並に沖全剤連会長から医療懇談会の経過報告があり、懇談会における分業論の反響について説明し今後一層の三師会提携強化の必要を説き、次に高野会長は三師会の提携状況について説明し、当面の医療問題については、自民党は医療費再引上げ分について百億円の概算要求を行った旨、甲乙二表一本化については日医は乙表を、日歯医は甲表を中心とした考え方をしているので、日薬はこの間にあってこれをどう調整するかに腐心している医薬分業の具体的推進は甲乙二表一本化の原案ができてからすべきで、三師会の提携はそれからが本格的となる。地方にあっては今日分業論で医師会を余り刺激しないように注意して貰いたい。と述べ諸懸案事項についてその見解を明かにした。

 会長会としては先の調剤報酬改訂或は日医が総辞退の決意を示した際とった日薬の態度などにつき質疑応答があり、それより本会は会長会として日薬と全剤連に対して、左記の要望を行うことを満場一致で採択した。

 ▼日薬、全剤連に対する要望
 一、三師会との共闘方針を再確認し、これを今後推進する。
 二、医療費改訂にあたっては医薬分業ができるようあらゆる面から検討して日薬は全剤連と協力して目的達成のため努力する。
 三、先きの調剤報酬改訂告示は適性を欠くきらいがあるので、これの早急適正化をはかる。次いで九州薬剤師会長の瓜生田定氏から緊急動議として次記の決議を採択して欲しいとの提案がなされたが採択と決定、全国会長会決議として近く関係者に手交することになった。

 ▼決議
 一、福岡県小倉市における東映会舘内スーパーマーケットの医薬品販売部設置は流通機構を混乱に陥し入れ、乱売を誘発するおそれがあるので東映に対し会長会議の決議とし善処方を要望する。
 二、官公庁勤務薬剤師の待遇改善方を日薬を通じ関係官庁に要望する。

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 福岡県医薬品小売商業組合 第十六回 理事支部長会議
 上京報告・新たに中央薬品問題発生

 福岡県医薬品小売商業組合では白木理事長外幹部連上京中であったが十八日帰博二十日午後一時半から第十六回理事支部長会を薬剤師会舘で開催した。欠席支部は筑紫、甘木、三井、浮羽、山田、遠賀、八幡、京都、築上の九支部であった。

 白木理事長挨拶後直に左記事項につき検討した。
 (一)小倉東映問題その後の経適報告
 白木、四島、形井三氏によって第一回〜第三回東京出張に関し、又佐世保東映調査について、何れも詳細な報告があった。中央に於ては厚生省の薬務局長、企業、薬事両課長などに実情を具申し、これがため局長の如きは自ら出かけた程であり、日薬でも日薬自体の問題として会長を初め専務常務理事も充分実情了解の上対処されている。全剤連では会長会の名によって採り上げ東映側に反省をうながすとの決議がなされた。吾々としては東映自体が自ら反省することを切望している。

 (二)経済安定機構について
 代表発起人会が東京、薬業健保会舘で九月十五日開催されたが、本県からは四島氏出席、機構要綱案によって協議は進行した。小売業者は預納金千円で発足することになった。なお第一年度は二万人の予定であったが今日迄にそれを突破している状態であり、明年四月発足を期している旨四島氏に代って藤野専務理事から説明があった。

 (三)員外者規制命令申請に伴う資料の蒐集について
 先に申請の手続をとった大阪近畿地区よりのものは現在厚生省から中小企業庁へ進んでいる模様であるが、十月中旬頃に実現するのではないかと見られている。この問題は能く順序をふみ納得の行く迄の充分な資料を提出すれば必ず実現するものであるとの確信を得たので吾々はこれを真面目に確実に、実行しなければならぬ。規制命令と価格協定とを一緒に申請したいと思っているが、資料蒐集については支部長の万全のご協力を切望する。

 (四)各支部の状況報告
 @小倉=特殊な又余り好ましくない土地だと業界人に兼ねてから見られている場所に、最近某薬店が開業された。初め協組や商組にも加入し洵に穏かな低姿勢での話合いであったが、愈々開店、直後チラシの折込宣伝、次いで新聞広告、その意外な悪質行動には業界もあきれ困憊している状態である。この際適切な又積極的な措置をとるべきである。

 A田川=無資格者達に医薬品を永年卸売している二号業者がいる。既に数回保健所に始末書をとられている模様であるが、この際斯る悪質業者に対しては、業界のため断乎積極的な措置をとる様切望する。

 B宮田=某社の配給所が近く独立して別個の団体を組織する模様であるが、その際特例販売業、許可しない様予め対処して貰いたい。又現在病院を経由して患者並に家庭に非常な廉価で売られている。これ亦適当な措置をとられたい。

 (五)九州会長会議の件
 本月八〜九日長崎市に於て開会の九州山口薬協会長会に本県から小倉東映問題を提案し、九州山口薬協会長会の名により全国会長会議に提案することを正式に採り上げて貰ったことにつき藤野専務理事から報告があった。

 (六)会費早期納入について
 会費並に対策費共完納の支部もあるが、未納の支部は早急な納入に協力して貰いたい。

 (七)九州商工組合協議会開催について
 九州に各種商工組合は現在七〇を数え、福岡県だけでも二〇組合が存在している。共通の利害関係を有する事項も沢山あるので、経済安定のため相提携する意味に於て来る十月五日〜六日福岡市で協議会が開催される各県商工課並に通産局からも出席することになっている。次いで須原副理事長は「小倉の中央薬品問題は悪質違反の疑いもあるので一応監査員による正式監査の結果により厳重な措置をとりたい」との話しがあって当日の支部長会議を終了した。

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 全薬連 正副会長会議 安定機構には積極的に協力決定

 全日本薬業士連合会(会長近藤伊平氏)では全国八ブロックからなる正副会長会議を九月十四日十時から東京永田町の薬業健保会舘で開催し、今後の会の運営方針について協議の結果左記の通り決定した。

 (一)今後年三回会報を発行して会員の自覚をうながす。

 (二)今後講習会は全国を統一したものとし、東京本部と地方支部との共催とする、講習内容は主として第七改正日本薬局方の解説に重点を置き、開講時期は十月〜十一月の間とし、講師は各都道府県の薬務係官に努めて依頼起用することとする。

 三)薬業経済安定協力機構には積極的に協力する。

 (四)本会の社団法人に関しては先の全国大会で延期となったが、然し各ブロックからの要望が強いので明年三月を目標にその実現に努力する。

 (五)新薬事法によって薬種商の医薬品販売所の面積な四坪以上となったので、この設備改善資金の融資方については各銀行に折衝を行うこととする。