通 史 昭和36年(1961) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和36年(1961) 4月10日号


 薬界◇◇随談

 ☆日薬会長参議高野一夫氏が薬学博士の学位を獲得、亀の子型でない薬剤師の職責に対する変遷が主論文らしい。稀しい事だが、職能的のものが一人位あって欲しかった。民間博士の一人たる横浜の清水藤太郎氏(東邦大教授)が薬史学の研究で薬博になっておられる事は人も識る処である。兎も角高野薬博の出現は誠に喜ばしい事である。

 ★東京の空は余りに汚れている朝日新聞は十五日国会議員数名を飛行機に乗せ現地ならぬ現空視察をやった。参議員からは高野参議一名であった。仝氏は衛生化学の専門家である。大都市工場の分散化について良い智恵を披見して貰ひたい。

 ★名古屋市長選挙に愛知県薬名誉会長の横井亀吉氏民社党より推薦されて出馬する。仝氏は元市の助役であったと云ふ、娘一人に婿四人大いに奮斗して貰ひたい。

 ★自民党総務会では中央社会保険医療協議会の改組と臨時医療報酬調査会の新設に必要な関係法案要綱を原案通り承認した。中央医療協は委員二十四名、医療報酬調査委は委員五人、経済専門家二、医師会代表一、保険者又は被保険者代表一、他に学識経験者としての会長一であるとの事。

 ★現在の薬と云うものは治療薬よりも予防保健薬として大いに延びがあがり、メーカーは夫々にPRに専念しのぎを削っている。

 ★国、公、私立の薬大は入学式を挙げるばかりになって、本年は東京の某私立大薬学部の学生募集のポスターが九州の国鉄駅待合所やホームあたり迄はり出された。本年は東京の私立薬大では女子の受験生が目立って減って来たらしい。(GT生)

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 挾子

 ▼高野日薬会長が先の武見日医会長のテレビ暴言の機会を能く捉え三師会協調体制をかためたことは洵に結構なことで禍を転じて福となしたもの流石は政治人である。分業に非協力的であった日医が多少でも協力的となれば日薬の事業は一歩前進することになる。剤界の最大目的は「完全分業」より外にない。従って日薬の存在はこの目的のためであると言っても過言ではないと断言できる。

 ▼通称二号業者と呼ばれていた医薬品販売業者の団体である「全日本薬業士連合会」は昭和卅年に中山会頭が命名したものであるが、二号業者を薬業士と呼称して「既成事実を目的に得々としている」と当時噂された中山会頭が今回おとなしく法に従って薬種商連合会と改名したことは非常に好感が持てる。弟である薬種商は兄である薬剤師と手を握って業界のために尽くしたいものだ。

九州薬事新報 昭和36年(1961) 4月20日号

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 三志会の提携について
 武見、高野会談・武見、河村、高野会談の経過と結論

 日本薬剤師協会

 去る二月二二日の日本テレビ春夏秋冬の時間に、医は仁術?のテーマで行われた座談会において、武見日医会長が、医薬分業を実行するについては現在の薬局の在り方は不十分であり且つ適当でないという意味の発言をしたことは、日薬会員を痛く刺戟したが本件の処理については、日薬代議員会において高野会長一任となった。

 日薬会員の多くの気持としては、この発言に関して日医会長を追求すべきであるというものが少くなかったように察せられたが、高野会長は、別個の考え方をもって折衝すべきであるとの方針を採った。 その理由としては、今直ちに日医会長の発言を追求することに終始したならば再び往年の医薬の対立抗争の状態に立ち戻ってしまうことは必然であること、現在並びに将来の日薬の事業を完遂せしめるためには、医療担当者たる三志会が同じ立場に立って連繋するのが良策であること、医薬の抗争状態が起れば、互に得るところがなく、失うことのみ多いこと等である。例えば

 1、日薬が処方箋交付の促進を如何に強調してみてもその処方せんは薬剤師が交付するのでなくして、医師に交付せしめるものである以上、医師の同調なくして、単に患者側に対するPRのみでは効果の少ないことは、之迄の経過から見ても明かである。

 2、医療費の問題については薬剤師は医師及び歯科医師と共に医療担当者として医療費の支払いを受ける同じ立場にある。そして医療費は、各種診療行為に対する診療報酬が主軸をなすものであることは当然であって、薬剤師に関する医療費は、単に調剤行為に関するものに限られているものであるから、政府並びに国会において医療費問題を論議する場合には、必らず医師及び歯科医師側の意見が中心となり、また両団体の意向を無視しては医療費問題の解決を見ることはできない。このことは、本年一月以来予算編成においてなされた日医及び日歯医両団体と自民党との折衝の経過を見れば明瞭である。今後中央社会保険医療協議会に諮問せらるべき新医療費の案は、事前に自民党の同意を要することになっており、自民党の同意せざるものは如何なる案と雖も、諮問案とはならない。高野会長は党内において、その審議に参加すべき特別委員である。

 日薬としては、国民医療費の適正を期するという大理想からすれば、薬剤師の調剤行為以外の医師の診療報酬についても、多くの意見をもって差支えないことではあるが、左様な大理想に向って進む前に、現実の問題として、如何に調剤報酬が適正有利になるかを考えるのが急務である。そのためには、日薬は日医及び日歯医と立場を同じくする三者として、意見の調整を計り、協力体制を作りあげて行かなければならない。

 3、薬事法の改正点として残された根本的の問題について考察するならば、薬局の開設を薬剤師に限定する問題、薬局の適正配置、薬剤師会の法制化というような憲法問題は、そのまま病院診療所の開設を医師に限定する問題、病院診療所の適正配置、医師会及び歯科医師会の法制化という問題と全く性質を同じくするものである。薬剤師法及び薬事法に関する右の各問題についての憲法論議が解決したとしても、薬事関係だけの問題として提出せられるのでは、与党も国会も採りあげない。どうしても医療法、医師法及び歯科医師法の同じ問題を同時に採りあげて医療法の改正、医師法及歯科医師法の改正という医療関係三改正案と共に提出するのでなければならないことは、高野会長が之迄常に説明している通りである。

 医療関係の三団体が同じ性質の共通の問題をかかえているに拘らず、その三団体のうちの何れかの一つの団体だけの改正案を作りあげることは、政府としても与党としても認められない。即ち、憲法論議に関する根本の残された改正点は、三志会共同の立場で解決して行かなければならない。

 4、日医及び日歯医側と自民党との折衝の結果、制限診療の撤廃が採りあげられることになった。このことは社会保険の診療上極めて望ましいことであると同時に、処方せん交付の促進に大きな役割を果たすものであることに、武見日医会長と高野会長とは意見の一致を見て高野会長は自民党内において制限診療撤癈の線できたが、茲にも立場を同じくする問題があった訳である。

 5、調剤に関する処方せん交付の促進だけでなく、新たなる別個の方法を講じて、処方せんによる医薬の協力体制を実現せしめることを考察したい。それには特殊食餌療法を保険医療に採用することである。例えば糖尿病、蛋白尿、高血圧等の慢性的患者に対しては、食餌療法が最も大切であるに拘らず、現在では医師がそれらの患者に対して、摂取してはいけない飲食物または摂取して差支えない飲食物の注意を与えるだけであって、それらの患者に適正な食餌そのものを与えることは出来ない。

 もしも、それらの患者が飲食すべき特殊食餌をインスタントで用意できるならば、そのインスタント食餌を薬局に置いておき、医師はその食餌を指定した処方せんを書き、患者はその処方せんによって薬局から貰えばいい訳である。そういうインスタント食餌は薬局に置くより外なく、医師は処方せんを書くより外ない。医師の手許にかかる食餌を置くことはできないからである。かかる食餌を仮に薬種商に置いても、社会保険の給付事項ということになれば保険医師の処方せんにより保険薬剤師が保険薬局で給付するより外ないのである。これらの患者は極めて数が多く、且つ長期に亘るものであるから、処方せん交付数は全国的に相当の数に上る筈だと考えられるが、政府管掌の厚生省並びに組合管掌の組合側即ち保険者側から見れば非常に金が掛りはしないかという懸念もある。

 然し、医学界の観測としては、これらの食餌療法を主とする患者に適正な食餌を与えることによって、治療期間の短縮が計られ、従って、極端な医療費の増嵩は見なくて済むのではないかとも考えられる。この問題を解決するためには第一に健保、国保、その他の社会保険関係の法律を改正する必要がある。現在は診療、薬剤給付、看護、出産等に限られている療養給付を拡大して、特殊食餌の給付をなし得るよう改正しなければならない。

 第二には、左様なインスタント食餌を製造発売する企業体があるかどうかということである。約一ヶ月に亘る武見・高野会談の途中において、高野会長は、右の二つの問題について一応の見込をみつけるための検討を加えた。即ち先ず自民党の特別委員会に第一の問題を提起し、委員同志の論議を行い、且つ政府側に改正案の検討を要求した。第二の問題について高野会長は某方面に対してその研究を依頼した。その結果、武見日医会長と高野会長は本問題の実現を期すべきことに完全に意見の一致を見た。そして、皆保険医療による薬局の売上げ減退を補う方法ともなるものであると考えた。

 6、処方せん料というものは取るべきものではないというのが、日薬の長年に亘る分業理念であったが、高野会長は、此際処方せん料を設定することが処方せん発行の促進に役立つならば、従来の理念に固執することなく、現実の問題として処方せん料を新たに設定する考え方を持っており、日薬代議員会でも全員異議なく諒承したのであるが、この点についての武見日医会長と高野会長との意見も基本的に一致を見ている。

 7、日薬は従来、七団体のグループに参加しておったが、それは嘗ての甲乙二表問題にからんで、甲表を支持した日薬は、同じく甲表を支持した他の六団体と同じ立場に立ったことが主たる近因となったものである。尚また健保団体等は医薬分業に賛成同調の立場にあったので、日薬としては、これらの六団体に対し、処方せん交付の促進についての大いなる協力を得たかったのである。然し、健保団体等は結局は保険の経営者たる保険者であって、医療担当者たる日薬は、前述の如く日医及び日歯医と同じ医療担当者の立場にあり、決して経営者たる保険者の立場にあるものではない。日医及び日歯医の医療費値上げ要求に対して、高野会長は諸般の政治的実情を勘案して、自民党内では支持的立場をとったが、経営者たる組合側は最初から合理化を伴わない値上げには反対の態度を採った。六団体と医療担当者たる医師会側とは、この点については相容れないものがあるのは無理からぬことである。

 経営者側が分業に同調してくれて、処方せん交付の促進を計ろうとしてもその処方せんは経営者自らが交付するのでなくして、保険医師並びに保険歯科医師によって交付せられるものであるから、飽迄も医師側の理解と協力を必要とすることはいうまでもない。左様な事情であるから、経営者側の団体が分業に同調してくれることは、心から感謝に堪えない次第であるが、之迄の経過から見ても処方せん交付促進の著しい実績を挙げ得られなかったことは、止むを得なかったことと思うより外はない。

 然かも七団体側と日医側とは完全に対立の状態にあって、相容れない事態にまで立至っている。之等の経過と実情を判断するとき、日薬は三志会としての強い提携を打ち出し従来七団体の一辺倒であった方針を転換する時機であると思う。やがて幾多の段階を経てしかるべき機会が来たときは、日薬は三志会協力の下に打ち立てられた方針を土台として六団体の関係者にも同調して貰えるように努力する立場と機会を得ることもある筈だと考える。

 以上のほか種々の実情を勘案し、日薬として之迄歩み来たつた道を冷静厳粛に反省すべきを反省し、今後の新たなる大方針に向って邁進することこそ日薬の使命である筈だとして、高野会長は此の際前進的、建設的の協力体制を作ることによって、数十年に亘る医薬両団体の抗争的立場に終止符を打つことこそ、医薬両界の向上進歩に資する所以であるとの構想のもとに武見日医会長と再三に亘って且つ十分の時間をかけて懇談を試みた。

 懇談の内容はテレビ問題のみならず、処方せん交付促進医療費問題、健保法等の改正問題、医事薬事の根本的制度改正の問題その他重要問題について卒直なる意見の交換をなした。その結果、殆んど多くの重要問題について根本的な意見の一致を見、また未だ完全に意見の一致を見る迄には至らないけれども、その方向としては一致を見るに至ったものもある。武見日医会長と高野会長は協議の結果、この話合いに参加を希望せられた河村日歯医会長をも加えることにして、去る三月二五日、三会長の会談を行った。その結果、次のような結論に到達して四項目に亘る約束をなした。

 1、三会理事者の連絡懇談会を四月早々にもつ事を決定した。

 2、懇談会において当面の問題のみならず、根本的問題についても十分懇談をとげ、その成果の実現に協力するものとする。

 3、武見会長は、処方せん発行について十分な理解をもって協力することを明らかにしている。

 4、高野会長は日医代議員会レセプションに招待を受ける。

 以上の申合せをなしたが第一の三会理事者による連絡懇談会は、取敢えず四月一四日(金)に第一回を開き、以後随時開催して協議懇談を続け、その成果を得たい次第である。この中央における連絡懇談会のみでなく、各都道府県においても、また郡市等においても同様の連絡懇談会をもって各地それぞれの特殊事情をも勘案し、更に実際的の懇談協議をとげて貰うよう推進すべきであるということになった。

 三会長の右の如き約束は何れも、会長としての責任においてなしたものでありお互に裏切りあうことなどのないように堅く約束したものである。此事は医薬両界における大いなる革命であって、この三会長の原則的約束を基にして、之を実際的に具体化するためには三会理事者による連絡懇談会の活動に期待するものである。従来の行き懸りからして、お互に疑心暗鬼をもつようなことなく、虚心坦懐に相折衝する心構えで、全会員が進んで貰いたいものと思う。地方の実情を勘案すれば、この高野会長の期待は必ずや達せられるものと信する。大いなる改革、革命によって新たなる恒久的大事業をなすために、小さな事業を犠牲に供することの止むを得ないことがあることは、国家の場合も社会の場合も、業界の場合も同様にあり得ることであって、その小なる犠牲に恋々たることでは、新たなる革命的、恒久的事業を達成することは到底できない。之迄、意思の疎通を欠き、対立的立場にあったものがお互いに相手方を知り、己れを知り、心を相許す間柄になれば、裏切ることもなく、三者共同の目的を達成することが出来るに違いないと確信して疑はないものである。

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 挾子

 ▼参議院議員高野日薬会長は予て薬学博士の学位請求論文を東大に提出していたが近く教授会通過は確実と見られている。その主論文が「日本Bリース薬事法制の史的考察とその基本問題」と題するものだそうだが薬学系としてはめづらしいものでおそらく最初であろう。

 ▼去月の日薬代議員会での高野会長の答弁など、めづらしく高姿勢であったと伝えられているが、処方箋発行促進についての某代議員に対する答弁中、ほんの一例だが「薬局が一切の広告看板をはずし、医療機関としての姿を作ることだ」と云う一句もあったらしい。雙手を挙げて賛成する。兼々感じていた事だ、薬剤師にはその心かまえが最も必要だと思う。又日薬は強制分業の運動をやる意思があるかとの問に「完全分業は時期尚早だ」との意味の答えがあったらしい。都市ばかりに薬局が集り乱売にうき身をやつしている現状ては誰れも相手にしない。薬局の適正配置が先決であり実力を養うべきことだ。医師に比較すれば実力に於で恐らく二〇対一であろうこと。

九州薬事新報 昭和36年(1961) 4月30日号

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 薬界隨談

 ▽アメリカ、カリフォルニア大学のローレンス放射能研究所は十二日に周期律表第百三番目の元素「ローレンシユウム」(化学記号LW)原子量最大二百五十七」を発見したと発表した。

 ▽最近化学小説や文芸に名の出る星新一氏はかつて盛況を誇った星製薬社長星一氏の御曹司、理科系を出て社業に従事したが水にあわず退いて専ら文筆に親んだと云う変り種であると。

 ▽天皇、皇后の両陛下十九日より二十六日迄肥前路の御視察佐賀、長崎の両県民盛んな歓迎日の丸の旗の波両陛下御揃いでは佐賀、長崎では始めてであり、生物学者の天皇の御下問でタジタジの両県知事到る処で大歓迎。

 ▽酔ぱらい追放のトラ防止法案、婦人議員団の提出、審議、女の執念は深い、人に迷惑をかける酔ぱらいが自己自からが危険の事も多い、酔ぱらいは追放せよ。

 ▽東京のティーンエイジャーの男女が喫茶店やバーでコーヒーに睡眠薬をまぜて飲み酔っぱらいの状態になる事が流行りだし警察も識者も困って其の対策に乗り出したとの事であるが、朝日紙の「天声人語」で麻薬でない睡眠薬は値も安い、夫れだけこの悪習が青少年層にひろがる可能性が強いと心配されている。薬局でも一流三流のバラ売りをしているらしい。中略−売る方も商売とはいえ無関心すぎる=と警告している。注意すべき社会問題である。

 ▽ガランタミンいろいろ中外製薬の手で売りだされると報ず。待望の薬剤である薬に国境が有ってはならぬ値段も安いに越した事はない。

 ▽先きに武見日医会長の薬剤師に対する暴言で緊張した空気が少しばかり静かになって来た。武見、高野会談で日医は薬局に対し極力処方せんを発行する口約が与えられた。この代償として日薬は日医に一応協力する線が数度の日薬理事会で論議の結果打ち出されたと報じている。だまされない要心する事に越した事はない。

 ▽国民休日の増加が自民党で研究されている、増加は困ると零細企業は叫んでいる。給与生活者はホクホクだが小商人は売り上げにも響く、現在月一回の休みでも裏口営業の今日である。街の薬局でも月二回位は完全に休みたいものだ。だが一致は出来ない最近の売りあげ不振。(GT生)

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 論壇 乱売と宣伝規整の意義 白木 太四郎

 薬業界に於きましては、ここ数年来酷しい医薬品の乱売の洗礼を受けていますがこれに対する適切な極め手がなく、京阪神より名古屋東京都と全国各地に普及しつつありまして其なりゆきにつきましては誠に逆睹し難いものがあります。

 先般京阪神の小売薬業の実態を調査して参りました処大阪府の薬局一号二号の昭33、1、1の合計数は三三九五軒で昭34、1、1は三五七二軒昭35、1、1は三六三九軒で33年度の転廃業者は一五三軒34年度は二〇五軒合計三五八軒で開業者の10%強が転廃業致しております。この二ヶ年間の新規開業者は33年度は二二九34年度は三七二計六〇一軒で約18%でありますが、35年度に至って殆んど増加を見ておりません、大阪市の小売薬業者の売上は一日一万円で荒利は18%〜20%で五、四万〜六万円でありますが、人件費会費経費教育費等で経営は零か赤字であります。

 小売業者三〇〇〇軒中一万円程度以下が全業者の50%で一、五〇〇軒は収支が零か赤字経営であります。荒利25%はよい店のところでありまして、最低の売上の薬局では三千円〜四千円であり、個人経営でよい所は全体の15%〜20%位であります。

 商品別利益率では15%以下の占める割合が43%で15%〜20%の品が28%・20%〜25%の品が16%・25%以上の品が9%であります売上高に対する利益率(荒利)は15%以下が28%で15%〜20%のもの47%・20%〜25%のものが20%・25%以上のものが5%となっております。

 割引率の比は三割引以下が58%三〜四割引33%四割引以上が9%であります。しかも三、四年前よりマスコミ商品の価格はつきる処なく値下げ競走が深酷化しています。いくら売っても経費が出ない、売上を増やす為に他店より安く売っても皆が同調すれば売上は割引しただけが下がっている。そして経営はなり立たなくなる。一昨年秋突如として出現した東京池袋の第三国人による三共薬品の廉乱売により一時は九割引の商品迄出て世間の耳目を奪い、道路交通整理迄出た大乱売に対し、協組の対抗店の為益々激化して周囲の小売店は非常の影響を受け窮迫を来しました。

 囮商品として原価を切っての乱売或は定価のある商品の為宣伝の材料として医薬品を何割引で売っております、そしてこの乱売合戦はいつ尽きるとも考えられません。薄利で多量に売って経営を成り立たせる為にはどうしても宣伝の力を借りなければ目的を達し得ません。多量販売する為には安いという事を徹底して宣伝しなければその成果は挙げられません。乱売には宣伝は必須の要件であります。池袋問題で頭を痛められた厚生省は価格の面に於て乱売が抑えられない現状に於て僅かに宣伝を規制する事によってより以上に乱売の拡大を防止すべく生れたのが昭35、2、12の薬務局長通牒による宣伝の規制であります。

 宣伝を規整し医薬品等の監視を強化する事によって漸次乱売店の売上も萎縮し話し合いの場をもち得るキッカケを作り得たわけであります。現在福岡県ではこの薬務局長通牒を基礎としまして衛生部長通牒で宣伝の規制が行われております。又県商業組合の調整規程として第八条に宣伝の規制がうたわれております。

 併し近頃組合員の方で自分の店で売れないという理由でチラシを配布し又は店頭拝み看板に割引価格を表示しようとされる方があります。乱売を防止する為には生産の統制とか過当サービスの是正とか流通機構の確立とか種々ありますが、最終的には価格の協定が認められそれを全組合員が忠実に実行されますなら薬業界の混乱は防止し得ると存じます。然し調整規程が順を追って自主的に乱売防止の為の種種の規制を厳守しそれでも出来ない時は一歩々々前進して協定価格の線まで到達する事になっておりますが、時間的に一気にそこ迄到達出来ないのがこの法のザル法の所以であります。

 然しこの宣伝の規制により零細小売薬業者にとりまして重大な影響を及ぼす大資本家の現金問屋或はスーパーマーケット等の宣伝を抑えておりますし、一応波静かな薬業界の宣伝戦の中では売れないという不満を自己のみは値引宣伝戦によってそれを回復しようと試みられる方があります。

 単的に考えますと組合の手で大きなもの、宣伝は中止させておいて、且又同業者の全ては手をこまぬいて自粛している時にぬけがけ的に割引価格のチラシ又はポスター或は拝み看板等の宣伝をされますことは全く利己主義の考え方で自分さえよければという感が致します。

 薬業界に単独経済立法が出来て百貨店法の様に大きいものには種々の制限が認められて小売零細業は自由奔放にやってよろしいという事であれば誠に結構でありますが、その様な法律を作り上げますためには小売薬業者挙げての努力と団結と推進がなければなりません。大阪の現状が小売薬業者が二ヶ年間に一〇%強の転癈業者を出し残れる三〇〇〇軒の中その半数が赤字又は零の経営をしている今日スーパーマーケットの進出が二〇〜三〇の見透しだといわれております。

 薬業界未曾有の転換期に当りまして零細企業の歩む道は誠に酷しいものであります。弱少者が大いなる者に勝つ道は小なりといえども数の固い団結によって衆智を結集し力を出しあって相互扶助の精神の下に共存共栄の道に邁進する以外に道はありません。

 佐世保に進出した東映スーパーはノーシン、シロン、サロンパスが四割引で百円毎にキャラメル、三百円毎にキャラメルと百五十円の東映映画招待券がつけられ宣伝の規制も十分行われないで小売業界は急速に売上減少を続けているそうであります。次には小倉市中心街に進出すべく着々と工事が進められております。そしてその次の進出地は?薬業界が経済的に個々バラバラになった場合共同の防衛は期待出来ず倒産に拍車をかける事になるでしょう。薬業苦難の時代を迎えて団結こそ荊の道を開拓する唯一の道であることを信じて疑いません。(福岡県医薬品小売商業組合理事長)