通 史 昭和35年(1960) 日薬−県薬−市薬
九州薬事新報 昭和35年(1960) 5月10日号

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 皇居の園遊会に招かれる記 礒田秀雄

 ▽…毎年秋に行われる天皇皇后両陛下お催しの外国使臣各種功労者、国会議員らを招いての皇居に於ける園遊会が昨秋は伊勢湾台風のため御取り止めとなっていたが今年は異例の四月十二日に催されることとなり私はそのお招きを蒙る光栄に浴しこれに列した。

 ▽…四月二日開会の日薬理事会に出席のため私は四月一日上京の途についてこれに出席翌。三日から六日まで東大で催された日本薬学大会および日薬総会に出席したが帰宅する餘裕も尠ないのと旅行シーズンの乗車券入手難もあって滞京、老妻も十一日には上京してきたので之れを伴って借用した大型自家用車を駆って出掛けた。

 ▽…自動車には予め送付されていた標識を全面風防ガラスに貼ってあり三米間隔位に両側に堵列する警戒の警察官の間を縫って宮城二重橋正門から参入すると正門入口には金モールもいかめしい皇宮警士が両側に侍立している。尚進んで車が所定の位置につくと之れ又金モールの警士が車のドアを排する、受付けで到着を告げて印刷物を受取り午後一時二十分から古式打球が始まる。古式打球は赤白二組に分れた騎乗選手が馬上から球杖で自分の組の色の球を掏いとって球門に投入れる勇壮な競技である。次いで広場に設けられた台上で四人の舞手で宮中独自の舞楽が催される。甘州と陪臚と云う何れも勇壮で活?な武舞である。このとき天皇皇后両陛下皇太子両殿下らが台臨される。

 ▽…この日招待されたものは千五百人何れも夫婦招待であるから三千人にも上らうか、うち千人位は外国使臣で世界各地多様の風俗且ついろとりどりの華やかさである。

 ▽…舞楽が終ると定められたテント内に入って茶菓、各種の飲もの、オードブル、サンドイッチなどが次々に宮内庁の係員から配られる。菊花紋章のついたテント内では外国使臣の謁見が始まる。笑顔満面の皇后陛下、気品の高い美智子妃殿下が印象的である。

 ▽…謁見が終ってから天皇一家は宮内庁長官の先導で各テントを会釈せられながら一巡される。光栄と感激に震えてあちこちで天皇陛下万歳の声が挙ると万民之れに和して幾十回となく万歳の声が緑深き大内山の森に呀まする。かくて午後四時半国歌吹奏のうちに会場を一巡された両陛下外各皇族方が退場になり園遊会は全く終ったのであった。

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 薬界◇◇隨談

 ▲東京池袋の乱売問題は一向に終止符を打つ様相がない。対抗店は兎も角として何処から流れて来るのか次々と流通しているらしいが両者とも一時の様に売上げはないとの事であるが、周辺の薬局は全くお手挙げである。

 ▲事業所納入は卸屋の専業になって薬業家への卸屋と云う観念が薄くなって来だしたし、SMへの魅力でSMへちょっかいをかける卸屋もあるとの事だが、事SMの仕入流通は全くつかみ処がないらしい、SMに陳列販売されている薬品も?物ではなく正真正明のメーカー品である、不思議な世の中である。

 ▲小売薬業者の或る一群では小売団体に協力しないメーカー品を排除して、協力するメーカーの品を推薦する動きと製剤工場自営化の話もちらほらと話題になって来た。

 ▲今度の薬学大会病院薬剤部会では薬大出のインターン問題が相当に論議され病院勤務の諸先輩は必要論を力説された事だ、筆者は双手を挙げて賛成するが、一寸と待って!!インターンは病剤勤務ばかりではない奥行きの浅い間口の広い現在の薬育基準で検査機関や薬学研究さては経営部門或はプロパ等、薬大出の現在進んでいる就職面積は余りにも広すぎる街の開局者だけでも最底一年は病剤のインターンを必要となって来る、だが待って!!病剤の見習よりも乱売屋の見習いをやった方が経営と経済的将来得ではないかと割りきった考えを持つものも出来て来ないかと案ぜられる、私立薬大長の会議ではインターン制に反対しているが、何れも時期の問題でやがては夫々就職の方向でインターン制のやって来る事を期待する。(GT生)

九州薬事新報 昭和35年(1960) 5月20日号

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 福岡県校剤会 理事評議員会

 福岡県学校薬剤師会では総会開催準備もあるので理事並評議員合同会議を五月十三日午后二時から薬剤師会舘で開催した、出席者は早川会長外十四名、県教育庁から山下係長が列席した。定刻会長挨拶後直に左記議事に移った。

 1、昭和卅五年度総会開催の件
 2、第六回伝達講習会開催の件

 総会並伝達講習会は五月廿六日に開催することを決め講習会については内容的に充実したものであるので会員だけでなく栄養士をも参加させ、会場を労働会舘とする。終了後の懇親会は薬剤師会舘で催すことを決定した次第で協力をお願いする。メーカー中には本会に対し至って冷淡の向きもあり、これ等非協力マーカーに対してはぼういボイコットも致し方ないのではと一同に諮ったが、薬業上を軽視するが如きメーカーには、徹底的な高姿勢によるべきであるとの意見の一致を見た。

 @卅四年度決算報告 化学天秤及び騒音測定器の寄贈(河合)を受けたので卅四年度器具購入予算はこれを卅五年度に繰越し試薬その他を取揃えることになった。
 A卅五年度事業計画案
校剤師完全必置実現に備え七〇%早急設置を期するなお講習会の開催、小中高校の騒音調査の実施、校剤新名簿の作成等  B卅五年度予算案
 会員二五〇名会費一人宛百円、県薬協よりの補助金廿五万円その他繰越金によって総額三五五、八四九円について説明があり承認
 C会則変更の件
 時代の流れに従い大々的に改正することになった。

九州薬事新報 昭和35年(1960) 5月30日号

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 福岡市学校薬剤師総会

 市学校薬剤師会では第五回定時総会を五月廿一日午后櫛田会館で開催した。

 午后一時半開会、出席者五五名、来賓として早川県校剤会長、市教育庁上野保健体育係長列席、会長の挨拶に次いで、来賓上野係長は、少くとも一ヵ月一度は登校して指導されたい。本年の成績によって来年の委嘱人員数も決定する。と述べ、それより岸田氏を議長に推し直に左記議事に入った。

 1、卅四年度会務並事業報告
 2、卅四年度決算承認の件
 3、卅五年度事業計画案
 幹事=説明満場異議なく承認、次いで二、三会員の意見発表があって閉会。

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 福岡市薬剤師協会総会 新役員決定・会長に権藤徹氏再選

 福岡市薬剤師協会では第十五回定時総会を、五月廿一日午后櫛田会館で開催した。

 会員の出席は六九名、来賓として尾形前県薬務課長、佐々木補佐、松原博多保健所課長、四島県薬協副会長の諸氏列席、会長挨拶の後佐々木補佐は、非資格者の業界攪乱に対処するには諸君の確固たる団結力より外にない。皆様の中から自らの首をしめる様な乱売行為者を絶対に出さない様に自重されたい。と述べて祝辞にかえ、次に前課長尾形氏は次の様に退職の挨拶を述べた。

 去る廿二年本県薬務課に技師として就任、廿五年五月に田熊前課長のあとを受けて課長となって満十年、去月卅日付で退職しました。現行薬事法は占領下にできた法律で非常に欠陥が多くお互に不満な点がある様である。然し在職中は皆様のご厚情とご後援によって大過なく過したことについて厚くお礼を申し上げます。

 友納氏議長により役員選挙が行われた。
 会長 権藤徹 副会長 中島義雄 鶴田久雄 馬場正守
 理事 古賀隆 荒巻善之助 高倉博 岩永栄次 梅津泰孝 江頭溜 小村正治 細井徹一 三津家正友 若狭範輔
 監事 富永昇蔵 勝目一郎

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 九大塚本教授 最終講義と記念式

 九州大学医学部薬学科主任教授塚本赳夫博士は今般停年退官されたが、五月廿日午前十時より薬学科第一講堂で最終講義があり、引続き塚元教授を会長とする塚本赳夫教授退官記念事業会の主催で厳粛な記念式が開かれた。塚元博士の挨拶に次いで同博士から記念品目録が塚本赳夫博士に贈呈された。卒業生、在学生の謝恩の辞が述べられ女子学生から薫りゆかしき、色麗わしき大なる花束が拍手の裡に贈られた。塚本赳夫博士起って感謝の挨拶が述べられ、それにて一応閉式、それより博多帝国ホテルで開催の記念昼餐会に一同は向った。

 定刻同ホテルホールで約八十名が参加して席につき塚元博士の開会の挨拶で開宴、次々に各名士又知友の塚本赳夫博士の業績を讃える話しがあり同博士の明朗豁達な性格より現われる数多き挿話的愉快な、楽しい話の数々が知友によって発表され会堂を和ごやかな空気で満し二時間余の昼餐会は一同洵に心豊かなものであった。これ全く主賓塚本博士の音律的性波のためではあるまいか、三時四十分塚本博士の一層の幸福を祈って万歳三唱によって閉会となった。因に塚本博士は九大退官と同時に福岡大学薬学部長に就任、再び筑紫の地に於て活躍を開始されることになる模様である。

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 薬屋の景気

 「時候の良い時には風邪もはやらんけん薬屋は四苦八苦しよるが、暖うなって来た処が、夏物の殺虫剤やら売れ出したけん、ちいたあー忙しうなったなあー」

 「そうたい、暖うなったけんノミクイ(飲み食い‐蚤喰い)もでけよる」スハラ