通 史 昭和30年(1955) 日薬−県薬−市薬

 昭和30年(1955)

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 学校環境衛生の管理者は学校薬剤師に

 従来は学校医が管理していたが、学校薬剤師法制化に伴い移行した。

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 昭和30年2月12日 衆院選 薬政会推薦候補決定

 野沢清人 栃木 自由党公認 日薬副会長 同盟委員長 47歳
 滝川末一 大阪 右社公認 63歳
 寺本和一郎 兵庫 県議会議員
 長野清一 鹿児島県 自由党公認 市議会議員 54歳
 以上全員薬剤師

 日本医師連盟 公認候補 25名発表

 衆院選 野沢清人氏 当選 他は落選

 日医連盟 医師12名当選

 6年制医学部教育発足

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 昭和30年3月15日 第2改正国民医薬品集 日本薬局方追補4公布

 昭和23年の薬事法で、医薬品の品質などの適正化をはかるため、公定書として制定されたものである。昭和26年、第6改正日本薬局方が公布されたので、直ちに国民医薬品集の改正に着手。4ヵ年を費やした。

 昭和30年3月14日 第9回日薬通常代議員会

 会長 高野一夫
 副会長 野沢清人、竹中稲美

 昭和30年3月15日 日本薬政会定時評議会

 会長 竹中稲美

 昭和30年3月16日 分業実施期成同盟委員会

 会長 野沢清人

 衆、参院規則一部改正

 従来の厚生、労働委員会を合併し、社会労働委員会となる。野沢、高野両氏それぞれ衆、参社労委員に

 昭和30年4月7〜11日 第8回 日本薬学大会東大

 日本薬学会75年記念式典実施

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 日薬各都道府県の協同組合の設立を要請

 乱売防止を目的としたもの

 昭和30年4月月9日 日本病院薬剤師協会連合会結成

 薬学大会を機として設立準備委員会が開かれ、会則案、役員などが内定。日薬の承認が得られ次第発足することになった。
 会長 不破竜登代(東京三楽病院薬局長)

 昭和30年5月8日 日本女子薬剤師会 西部連合会結成

 会長 栗村ハツ(関西女子薬剤師会幹事長)

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 昭和30年1月12日 第8回 福岡市薬剤師協会臨時総会

 午後1時 恵比寿会館 出席56名

 1.分業問題についての経過報告 礒田県薬協会長

 2.議事
 @運動資金について
 同盟本部で決定した1薬局3,000円の新たな拠出金問題を中心に討議。県薬協はもっと強硬な運動を展開すべきであるとした。(注、 昭和29年度のA会員会費は5,300円(184名)B会員は2,200円(68名)である)
 A分業運動対策として「特別対策委員会」を設置する
 B分業運動の敗戦責任をとるとして、全役員辞任を申し入れたが否決された。

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 昭和30年1月14日 第8回 福岡県薬剤師協会臨時代議員会

 午後1時 商工会議所

 1.特別講演「1年3ヶ月延期を向後如何に対処すべきか」高野一夫衆議院議員

 2.会員意見発表
 会員11名 3時間の討議は従来の穏健主義を排し、医界の醜悪手段に対抗すべきであるとの意見が殆どであった。

 3.議案

 @3,000円の追加徴収可決
 A広報委員会を新設し分業宣伝を行なう
 B八女、浮羽、三井の三支部新設
 C役員総辞任の件否決

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 昭和30年2月10日 福岡市薬剤師協会 分業対策小委員会設置

 午後2時 県薬協会館
 委員 樋口 甲、平島貞幸、工藤益雄、工藤敏夫、結城一夫、大賀昌子、岡本弘、伊藤善蔵、竹内文人、藤野義彦

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 昭和30年3月27日 福岡県薬剤師協会 広報委員会(第1回)

 午後2時 県薬協会館
 委員長 祝 十郎(甘木)
 副委員長 久保川憲彦(福岡)
 @同盟作製の分業宣伝ビラを各支部で配付
 A宣伝文入投薬袋を各薬局に配付
 B病気とくらし(分業解説書)を婦人会、青年団、労組等に配付

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 昭和30年5月10日 第9回 福岡県薬剤師協会通常代議員会

 午前11時 消防会館

 来賓 古野県衛生部長、村山東薬大学長、竹中日本薬政会長、野沢同盟会長、江口佐賀県薬協会長

 野沢同盟会長は分業問題について、もし医系が分業法案実施再延期又は廃案などの暴挙をあえてせんとするならば、同盟としては、医系の非合法運動の暴露戦術をもって、これを粉砕せんとするものである旨熱演。

 竹中稲夫(参院選)講演会県支部結成

 松村副会長辞任 後任 古賀治氏
 古賀治監事の後任 馬場勘二氏

 会費値上げ A会員500円で4,500円 B会員800円で2,500円に決定

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 昭和30年5月13日 第21回 医薬関係審議

 29年12月以来休会していたが、5ヶ月振りに再会。総会は月1回、部会は月2回開催を決定。
 第1部会(実施地域)第2部会(例外事項)

 昭和30年6月11日 日本薬学会 九州支部発表式

 午後1時 九大医学部法医学教室
 支部長 藤田熊大薬学部長
 同日開催された九州各県薬剤師協会代表者会議で「薬学会支部結成には内規で会員300名以上を要することになっているが、現在100余名不足している」ということで、各県薬協に会員募集の割り当てを行なった。
 福岡40、熊本21、佐賀19、長崎7、大分10、宮崎12、鹿児島19  計128名割り当て

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 昭和30年6月27日 医薬分業実施期成同盟全国執行委員全体会議

 東京 交通協会
 磯田氏議長となり開催
 医師会の分業反対請願および分業法修正案対策

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 昭和30年7月14日 分業法(医師法、歯科医師法、薬事法)一部改正案提出

 医師出身議員を中心に民主党95名、自由党70名の議員により衆院に提出

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 昭和30年7月25日 分業法修正案 衆院通過

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 昭和30年7月30日 分業法修正案 参院通過

 8月8日交付 昭和31年4月1日実施

 昭和30年8月 修正医薬分業法について熊本県薬剤師協会情報よ

 「経過」

 過ぐる国会に所謂分業改正案なるものが上程された。原案は医師にも薬剤師と同様調剤権を与えようとするもので、医師会が企図する所の事実上分業廃案を狙ったものであった。日薬は当初、その上程阻止に努めたが、数の力で到底不可能とわかってみれば、極力審議未了に持ち込むか、或いは又その修正に死力を尽くす以外に途はない。

 「苦戦」

 2ヶ月に亘る全国協会幹部の国会議員に対する啓蒙、懇請をバックとして、衆議院の野沢、参議院の高野両闘士の孤軍奮闘よくその効を収め、最悪の事態を辛うじて防ぎ得た。彼我の会員数、国会議員数、社会的地位の優劣、運動資金などの多寡等の比較に基いてあらゆる角度から冷静に判断するならば、国会の決定に仮令、不満ありとはいえ、連日敢闘の両代表に先ず心からなる感謝の拍手を送りたいと思う。

 「結果」

 通過した修正案は、既にご承知の通り、都市、農村の区別を設けず、医師が処方せんを交付しなくてもよい場合の除外例が8項からなり、その場合の判断が医師の主観によって決められることと、その罰則が軽減された事である。これを以ってジャーナリズムは「薬剤師は名をとり医師は実をとった」ともいう。我々はこの修正の影響を断じて軽々に過小評価するものでないが、多数を相手に国会に於いて、あくまで理に訴え医薬分業の根本原則を再度確認させ、大義名分を明かにしたことは、せめてもの成功であったと観じたい。

 「犠牲」

 双方傷ついたものの、払った犠牲の度合いから見れば、もっぱら彼等の失望の方が大であろう。案は既に決定し法となった。もとより批判の余地は人によっていくらでもあるであろう。しかしながら我々は徒らに概嘆することなく、実施の面に次の準備こそ急ぐべきであり、これこそ同志諸君の関心事だと考える。

 「先例」

 先進文明国の分業といえども、実はその大部分が国民の科学的自覚と医師の良識と社会道徳の昂揚進歩によって、必然的に実施されつつあるもので、法律によるものは割合に少ない。我々はとかく払うべき必要な努力を怠って、他に強い力を求めがちであり、ファッション的な他力本願のくせがある。もちろん法律によった方が近道ではあるが、我々の可能な努力こそ欠くべからざる要素であり、これを怠っては何事に限らず成功するものではない。我々は深くこのことを銘記し、お互いに反省すべきではあるまいか。

 「対策」

 次に最も急を要する対策として、各地の連携を密にし、運営の完璧を期するために更に団結の要あるは勿論であるが、先ず医師から出来るだけ多くの処方せんを出させるために、顧客の啓蒙その他について、あらゆる工夫研究すべきは論をまたない。しかしながら、諸君の薬局は明年よりの実施に対して、あらゆる処方せんの受入れ態勢は果たして万全であろうか。もしも患者が薬局2軒以上で調剤を断られたとしたら、折角闘い取った分業の将来は一体どうなるのであろうか。調剤内容について、患者の疑惑や不信を招き場合を知悉しているであろうか。万一の失態に医師がお互いに同志の非をかばい合うのに対し、我々同志間のかようなセンスは一体どの程度のものであろうか。

 「覚悟」

 今後の分業実施の成否の鍵は、我等の掌中にあり、待望の医療機関として、今度こそ更に一致結集、真剣に「調剤」と取り組み、相互の善意と良識をもって再出発すべき時が、いよいよ来たのである。

 昭和26年の分業法成立で、30年01月01日から実施されることになっていたが、昭和29年12月03日、医薬分業延期法案が成立し、昭和31年04月01日からの実施となった。今回の医薬分業法一部改正は、処方せん発行除外範囲を拡大し、8項目の除外例を本則に規定した。この間、薬剤師会と医師会はまさに死闘を演じ、この結末を薬剤師側は骨抜き法と呼んだ。いずれにしても法律闘争は、ここに終わりを告げることになる。

 上記の熊本県薬情報は、当時の状況および考え方がよく現れているので記載した。

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 昭和30年1月27日 福岡市薬剤師協会役員並びに部会長会

 午前10時 県薬会館
 友納副会長辞任に伴う後任に、須原勇助氏
 内田監事辞任に伴う後任に、国武一人氏 決定

 昭和30年2月9日 福岡県薬剤師協会支部長会

 12時 薬協会館
 地方選立候補者に資金カンパ 会費より100円決定
 県議会議員 馬場勘二(福岡)49歳、古賀 治(大牟田)40歳
 市議会議員 久野直典(福岡)、古賀常幸(大牟田)、木下 茂(大牟田)、榊 直威(福岡)、長野義夫(八幡)、石井貞男(甘木)、森重文七(若松)、本松茂晴(飯塚)、五郎丸勝(戸畑)

 古賀治氏 福岡県議当選 馬場氏落選(04月23日)

 市町村議員当選者
 長野義夫(八幡)、五郎丸勝(戸畑)、古賀常吉(大牟田)、志岐寿(大川市)、石井貞男(甘木市)、木村楢亮(太宰府市)、柴田光(遠賀村) 以上7名当選
 久野直典(福岡)、榊直威(福岡)、木下茂(大牟田)、本松茂晴(飯塚)、森重文七(若松) 以上5名落選

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 昭和30年5月31日 第9回 福岡市薬剤師協会定時総会

 午後1時 櫛田会館 出席45名
 会員数 昭和28年度末 252名
    昭和29年度末 282名
 名島、香椎、那珂、日佐の各町福岡市に編入
 部会数 13(内勤務部会1)
 春吉、警固、大名、岡、箱崎、住吉、千代、西新、馬出、姪浜、浜、高宮
 会費 昭和30年度 A会員5,800円(193名)、B会員3,000円(89名)

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 昭和30年6月18日 第3回 福岡県女子薬剤師会定時総会

 午後1時 九大薬学科講堂 出席100余名 支部数12 会員総数360名
 会費 月額50円(従来25円)決定

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 昭和30年6月24日 第2回 福岡県学校薬剤師会定時総会

 午後11時 県給食会館 出席約100名
 会の運営は県薬協からの8万円のみであったが、会費制とすることに決定。支部単位で拠出

 昭和30年7月16日 第5回 福岡市薬剤師協会勤務部会総会

 午後2時 朝日文化ホール 出席者約80名

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 昭和30年9月14〜15日 日本医師会黒沢会長以下総辞職

 日医代議委員会に於いて、医薬分業修正法の成立及び数度の保険診療点数改正に対する会員の不満爆発の結果。

 第25回九州薬学大会

 10月18日〜21日鹿児島 出席 約1000名

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 昭和30年10月18日 日医臨時代議委員会

 会長 小畑惟清(東京都医師会長)
 副会長 丸山直友、田沼宗市

 日本薬政会 布田副会長(熊本)の後任に磯田秀雄氏選出(11月8日)

 分業実施期成同盟が医薬制度合理化同盟に改称(12月3日)

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 昭和30年12月20日コラム 医師会の動き

 日医ではいかに厚顔とはいえ、今日では正面から分業廃棄を絶叫しがたいので、新医療費体系が処方箋料を認めていないのを種に、相当の点数を強要して体系を粉砕し、分業制度の否定に発展させて側面的に最後の分業廃止運動を展開させようと国会内部工作を進めている。

 (注、当時薬剤師会側の考え方は、処方箋料の設定については、患者の負担が大きくなり、患者側より処方箋発行の申し入れはなされないし、又発行しようとしても患者側が拒否するであろうとして反対であった。)

 東京都医師会がこのほどから「昭和31年4月1日から実施される新しい医薬制度でも、お申し出があれば今まで通り医師から薬を受けられます」と窓口に掲示しているそうだが、なんと豹変の早きことか。分業になれば、絶対に医師から薬はもらえない云々と素人騙しに懸命だった医師が、そうまで変られるものかと思うと実に情けなる。

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 昭和30年9月2日 第2回福岡地区薬業協同組合通常総会

 午後1時 櫛田会館 出席197名
 役員改選では中村吾一郎会長が退任の辞とともに同組合脱会届を残して退場したため、議場騒然となり総会は流会となった。

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 昭和30年9月12日 福岡市薬剤師協会部会長会

 午後2時 県薬会館
 中村会長より8月25日辞任届けが出され、その後留任につとめたが応じなかったため、須原、馬場両副会長名で招集し、協議の結果会長代理として、馬場勘二氏を選任した。

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 昭和30年9月29日 第2回(再度)福岡地区薬業協同組合通常総会

 午後2時 恵比須会館 出席162名/総数294名
 理事長 白木太四郎
 理事  篠崎九蔵、白木太四郎、吉村善吉、小松真佐雄、籠田弘士、木原竹義、坂本久生、冨永泰資、藤純太郎、石津正行
 監事  安部源太郎、大賀栄一

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 昭和30年10月10日 福岡市薬剤師協会理事会(10月10日)
 昭和30年10月10日福岡市薬剤師協会部会長会(10月14日)

 理事補充の件
 先に辞任した理事5名(中村、勝目、野入、広田、師岡)並びに監事2名(国武、小松)の後任補充に関し、監事については総会の決議に基づき県薬協在福理事の互選により決定する事となっているので、至急決定方要請。
 理事については次の通り推薦することを決定した。
大隈次郎、富永九郎、篠崎正十郎、岡本弘、早船助次郎

 昭和30年10月10日 福岡市薬剤師協会理事会

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 昭和30年11月15日 第10回福岡市薬剤師協会臨時総会

 午後1時 県婦人会館 出席180名
 馬場会長代理を会長に
 理事補充として大隈、冨永、篠崎、岡本、早船の五氏
 理事後任として波多江、工藤両氏決定
 講習会
 1.最近の中央薬事情勢  磯田県薬協会長
 2.国民健康保険について 三淵小倉市薬協会長
 3.処方箋の読み方並びに繁用される約束処方 松村九大薬局長

 昭和30年11月21日 福岡市薬剤師協会主催 会員婦人工場見学実施

 参加 約160名
 森永製果工場(竹下)、ソロンパス工場

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 昭和30年11月29日 福岡県薬業協同組合連合会創立総会

 午前11時 県薬剤師会館
 会長  白木太四郎
 副会長 古賀治、長野義夫

 昭和30年11月27日 第6回益進クラブ総会

 午後2時 恵愛会館ホール 出席約60名
 講演「世界の現状」武藤潔 西日本新聞論説委員