通 史 昭和29年(1954) 日薬−県薬−市薬

 昭和29年(1954)

 慶松勝左衛門 日薬会長逝去

 1月28日 行年79歳
 竹中副会長 会長代理になる

 日薬協会員数 24,844名(28年末)

 昭和29年1月12日 福岡県薬協「特別懇談会」開催

 午後1時 福岡商工会議所 出席約100名
 野沢清久 期成同盟委員長(日薬副会長)出席し活動の基本的問題について説明した。

 昭和29年2月12日 福岡県薬協 理事・支部長合同会議 午後1時

 期成同盟全体執行委員会報告(礒田会長より)

 @医師向および大衆向パンフレット作成について
 医師会が分業になれば生活に大きな支障を来たすとして反対または実施延期を目標に、全会員の結束を図っているが、臨時診療報酬調査会での算定では、その様なことにはならないのでパンフレットを作成することにした。
 A分業実施促進国民大会について
 出席者 日薬代議員 長野義夫、白木太四郎、山本秀一
     会員より  五郎丸勝、古賀常吉、岡野幸一郎、加藤次郎、藤純太郎

 昭和29年3月5日 分業審議会設置法案国会提出

 昭和29年2月25日 第8回日本薬剤師協会通常代議員会

  会長  緒方 章
  副会長 竹中稲美  野沢清人

 医薬分業実施促進国民大会

 昭和29年3月5日 12時 神田共立講堂
 参加者 約3,000人

 昭和29年3月9〜10日 全国都道府県医師会長会議

 分業反対国会対策

 @議員立法による分業法の再改正(分業法成立以前の法にもどす)
 A分業審議会設置法案を審議未了とする(分業法実施の有名無実化)
 B設置法成立の場合は三志会関係委員の半数以上を医系委員とする
 C分業法実施時期を3〜5年延長する

 昭和29年4月8日 医薬関係審議会設置法案衆院通過 参議院へ

 昭和29年4月19日 医系議員参院へ分業延期法案提出

 昭和26年成立の医師法、歯科医師法、薬事法の一部を次のように改正する
 「付則第1項中 昭和30年1月1日」を「別に法律で定める日」に改める

 昭和29年4月20日 薬剤師免許証届出制となる

 従来は毎年12月末迄に登録更新が必要であったが、12月末現在の住所、氏名その他を翌年15日迄に届け出ることに改正された。

 昭和29年4月20日 全日本医薬業連合会(薬種商)資格獲得運動

 「薬業師」の名称で資格制度に改める様陳情

画像  昭和29年4月20日 ☆☆ コラム 審議会について ☆☆

 医薬分業には法律による「強制分業」と「任意分業」との二種類がある。それは第一が「医師の意志による任意分業」と第二が「患者の意志による任意分業」である。

 現行の制度は第一のものであるが、これは医師自身の経済関係上現実は「医薬兼業」と見るべきである。ところが、明年1月1日から実施確定の分業は、前記第二の「患者の意志による分業」であって、医師がこと更に放言する「強制分業」では絶対にない。

 明年から実施される分業法の付則第2号に「厚生大臣は、この法律施行前においても、その施行の準備のため・・・・省令を制定することができる」とある。「制定しなければならない」とは規定してない。制定しなくてもこの法律は生きている。ところが「省令を制定しようとするときは、別に定める審議会の意見を聞かなければならない」とある。

 そこで問題なのは、現在参議院厚生委員会で審議中の「医薬関係審議会設置法案」が万一否決されるか、又は審議未了になれば、審議会の設置ができない事となり、従って省令が作れない。大体省令は医師側の主張であって、
 @処方せんを交付しなくてもよい場合
 A医師自身が調剤投薬してよい場合
 B地域限定
 の3点を規定しようとするものである。この省令はなくても分業法を実施できるのである。しかし剤界にとって重大な問題は、この設置法案ではなく、医系が画策している議員立法での「分業法実施延期」である。

画像
 昭和29年6月10日 コラム☆☆ 薬業師☆☆

 昔の薬種商、今は俗に二号業者といわれている団体では資格制度獲得運動を行っているが、その名称は「薬業師」である。技術者でない者が「師」という文字を用いる事は一寸おかしいとの評もある。ところで、商業師、農業師、漁業師というのは?そういえば軽業師というのがあった。

 分業実施期成同盟 幹部講習会

 昭和29年6月28日〜29日 東京青山青年会館
 全国代表217名出席
 福岡県より須原勇助、長野義夫、古賀治 出席
 分業受入態勢検討を目的として、分業理論、薬事法規、経済問題、その他について講習会を実施したものである。

 昭和29年6月26日 第1回医薬関係審議会)

画像
 昭和29年7月7日 学校薬剤師法制化成立

 学校薬剤師の法制化運動は、昭和初期より20年に亘るが、無給のところも多く、奉仕活動を行ってきたが、本年になり、幹部の連日の運動、或いは全国学校薬剤師関係者の全国運動で実現された。ちなみに全国30有余の都道府県に設置され、既に4,000名を超えている。

 [学校教育法施行規則の一部を改正する省令]
 「学校薬剤師は学校薬事衛生に関する職務に従事する。学校医、学校歯科医または学校薬剤師は、それぞれ医師、歯科医師、薬剤師でなければならない」
 「学校には(大学を除く)学校薬剤師を置くことができる」

 東京都医師大会 医薬分業と健保点数引き下げ反対でデモ行進

 昭和29年7月月10日 休診し4,000名の開業医参加

 全国地域医師会で分業反対大会実施

 熊本県医師会 7月末
 宮崎県医師会 8月15日〜24日

 「強制医薬分業反対運動週間」
 @反対理由を印刷した薬包紙100万枚配布
 A宣伝ビラ6万枚新聞折込
 B各市郡医師会で宣伝カー巡回
 C県下10数ヶ所で映写会および講演会

gazou
 昭和29年8月10日 九州薬事新報 コラム 分業実施地域

 現在、医薬関係審議会で審議されている「分業実施地域」は、診療所と薬局の距離は1キロ以内でなければならないという条件が出ているが、恐らく医師会側より不便だとの抗議が予想されるので、期成同盟では1キロ歩行時間の測定を行った。
 成人男子9〜10分、成人女子10〜11分、赤ん坊を背負った妊婦で11〜12分、自転車の場合3分。さほど不便のようでもないが考え方次第であろう。

 日本医師会雑誌「錠剤投与は調剤に非ず」との山崎弁護士発表

 昭和29年8月18日 日薬協 佐生、増田両弁護士に依頼し、山崎理論に反論

 昭和29年8月25日 第9回 医薬審議会

 緒方委員(日薬会長)の発言に日医委員怒る

 日医側が確約した資料提出をなかなか行わないため、緒方委員がたまりかねて発言したもの。
 「日医側は、今日に至って尚、医薬分業実施の根本義に反対している。審議会が諮問に応えるために、審議すべきものである事は充分最初より知られていたはずだ。なぜ日医から委員の委嘱があったときに辞退しなかったのか。受諾した以上、常に建設的意見を述べてもらいたいものだ」

 昭和29年9月8日 第11回 医薬審議会

 緒方委員の陳謝の意表明により、日医側よりやっと「処方せん発行除外例案」が提出された。これにより専門部会設置
 第一部会「分業実施地域指定」
 第二部会「処方せん交付除外例」

 岐阜県チラシ合戦

 昭和29年9月10日 岐阜県医師大会が開催され、同日、岐阜タイムスに23,000枚のチラシを入れたが、同県薬協では予めこれを知っていたので、同日同新聞に25,000枚のチラシを入れた。

 昭和29年9月9日 鹿児島県 強制医薬分業絶対反対県民大会

 県医師会、歯科医師会主催

 九州薬学会 並びに薬剤師大会

 昭和29年10月21日〜24日 宮崎 参加約1,500名
 医薬分業達成西日本薬剤師大会を開催

 昭和29年10月13日 第16回 医薬審議会

 分業実施地域指定の日医案が提出されたが、実行不可能なものだった。その内容は「診療所と薬局の歩行距離は500M以内とする。更に、すべての診療所が各々に6ヶ所以上の整備された薬局が配置されている行政地域であること」というものであった。

 以上の基準に合致していたのは、東京の一部にただ一ヶ所存在していただけである。
 尚、日薬は、厚生省試案「行政地域に存在する医療機関の80%が1km以内に薬局も存在していなければ、分業実施地域として省令で指定する」という案を支持していたが、日医案が示されて以来審議会は暗礁に乗り上げる。

 分業期成同盟 地方議会対策指令

 医師会による分業反対または延期の地方議会における決議が次々と出てきたことに対して、陳情、討論会の開催、パンフレットの配布などを指示した。

 昭和29年11月25日 医薬分業反対全国医師大会

 神田共立講堂 参加約10,000名

 昭和29年11月29日 日医薬分業実施全国薬剤師総決起大会

 神田共立講堂 参加約8,000名
 臨時国会を翌日に控えての大会
 県薬協より、礒田秀雄、五郎丸勝、古賀治、長野義夫、早川政雄、砥上守男、野辺一の各氏出席
 礒田氏は開会宣言を行う
 大会終了後一行は厚生省までデモ行進を行う。

 昭和29年12月3日 医薬分業延期法案国会通過

 「医薬分業法の実施は1年3ヶ月延期」が決定。
 前国会で参議院議員 苫米地義三氏(改進党)など38名の「法律に別に定める日まで分業を延期する」ことを内容とする無期限延期法案が参院に提出され、その後参院厚生委員会で継続審議されていたが、11月29日ついに1年3ヶ月延期に修正可決された。
そして、左社党の「再度延期しない」という付帯決議について2日間もめたが、12月2日付帯決議なしに参院本会議で可決。12月3日衆院も通過し、昭和31年4月から実施が決定した。

 衆院厚生委員会(12月3日)に於ける実施延期法案提出

 理由説明・・・衆院 有馬厚生委員(医師)
 @現在の様な医療関係者、すなわち医、薬の対立状態においては正しい分業の成立は困難である。
 A実際上の分業の前提となる厚生省提出の新医療費体系には、幾多の欠陥があるので再検討の必要あり。
 B医療向上に対する分業合理性の確認が国民大衆に不足しており、そのために支持が得られていない。

 昭和29年12月7日 吉田内閣総辞職(12月07日)

 昭和29年12月8日 鳩山内閣成立(12月08日)

 昭和29年12月16日 分業期成同盟全執行委員会

 各県薬から80名出席
 来賓 草葉前厚相他
 @組織強化並びに運営について
 A運動方針について
 B資金造成について(継続闘争資金)
 医師会は今回2億円の資金を投じた様である。1薬局について3,000円割り当てる。
 (目標7,000万円か?藤原)

画像
 昭和29年12月20日 九州薬事新報 コラム 分業実施延期

 医薬分業の闘争は1年3ヶ月の実施延期によって継続闘争の形となったが、過去を充分反省し新運動方針を確立すべきである。

 参院右社の山下厚生委員は延期法通過後、「私の議員生活7年で、これほど呆気なく、又もろく負けたことはない。これは薬剤師が油断していたのか連絡不十分であったようだ。国会内における分業賛成者との作戦会議が1回も開かれていない。そのために余り応援ができなかったのは残念であった」と伝えられているが、一体これは何を物語っているのであろうか?心残りがする。

 12月7日、吉田内閣総辞職の結果、分業に理解のあった唯一の草場厚相も退くことになった。剤界にとっては誠に残念である。同日厚相は「医薬分業の延期は残念であったが、実は明年1月1日からの実施は少し無理があったと思う。しかし1年3ヶ月の内には充分の準備ができると思うので、その意味では今回の延期は、剤界にとって不幸中の幸いと言わなければならない」と言っている。分業運動はこれからである。

 医薬品メーカーでは、明年1月1日からの分業実施に備えて、調剤用医薬品や麻薬などの小包装製品の販売計画をなし、又既に一部発売したほどであったが、1年3ヶ月の延期で気抜けした表情である。ところが、果たして31年4月から分業が実施されるや否や?メーカーとしては疑いたくなるばかりでなく、今の医界の政治力では或いは、分業法そのものが廃案になるのではないか?メーカーとしては慎重にならざるを得ないであろう。

画像
 昭和29年1月20日 福岡県学校薬剤師会発会式

 午後2時 福岡商工会議所 出席約100名
 @会則制定
 A役員選任
 役員は礒田会長より県薬協学校薬剤師会の正副委員長が推薦され、そのまま決定した。尚、同部会は既に2年前結成されている。
 委員長  早川政雄
 副委員長 友納英一、江口始、長野義夫

画像
 昭和29年2月12日 福岡県薬協 理事・支部長合同会議 午後1時
 薬業協同組合結成について

 各支部単位で結成し県連会とする
 出資金1人500円
 再販契約を組合で行う目的と小売業の団結を期したものである。

 福岡浦陵会(長薬同窓会福岡支部)開催

 昭和29年5月8日 午後4時 ニッポンビール園
 会長  波多江嘉一郎
 副会長 西田貞治、貞刈良郎、三根孫一

画像
 第7回福岡市薬剤師協会定時総会

 昭和29年5月25日 午後1時 櫛田会館 出席者50余名
 報告事項 昭和27年度末会員数 238名
      昭和28年度末会員数 252名
      部会数 14  勤務薬剤師部会 1
 議案 昭和28年度決算額 1,593,329円
    昭和29年度予算額 1,508,411円
 選挙 会長  中村吾一郎
    副会長 友納英一、馬場勘二
    監事  小松真佐雄、内田数彦

 福岡県薬剤師協会制定 薬剤師憲章 29年6月

 1、薬剤師は常に誠実で立派な人格者でなければならない。
 2、薬剤師は常に自らの姿を整え、その道の権威者たる誇りを持ち、薬局は現代的に整備し且つ清潔第一でなければならない。
 3、薬剤師は常に薬学の研鑚につとめ、科学的で最も信頼される人にならなければならない。
 4、薬剤師は常に品質の確実優秀なる薬品を備え、公衆衛生、個人衛生、且つ科学的知識につき民衆のよき助言者でなければならない。
 5、薬剤師は常に他の医療関係者と協調し、民衆のための奉仕者であらねばならない。 (
 この憲章を各薬局で提示することにした 6月25日)

gazou
 福岡県女子薬剤師会設立総会並びに発会式

 昭和29年6月12日 午後1時 福岡商工会議所
 女子薬剤師総数 518名、入会者 308名、出席166名
 司会 戸田悌子、開会挨拶 田中美代、設立委員長 榊チエ、座長 小橋サダ
 来賓 竹中日薬副会長、栗村ハツ関西女子薬剤師会幹事長、塚本克子友の会中央委員、その他約40名出席
 選挙 7名の選考委員により幹事20名選出
   幹事互選により正副会長並びに常任幹事決定
 会長   小橋サダ
 副会長  田中美代、榊チエ、佐藤千代
 常任幹事 上田ヨシエ、大賀昌子、戸田悌子、平島みさ子、杉山玉江、菊地ミサ子、構溝チトセ
 講演 「婦人生活に望む」塚本克子女史
    「分業問題と現情勢」竹中日薬副会長

gazou
 昭和29年6月 福岡県薬剤師協会新役員決定

 県薬協代議員会(第7回)は4月24日開催され正副会選出
 会長   礒田秀雄
 副会長  五郎丸勝、松村久吉
 専務理事 須原勇助
 常任理事 柴田源一郎、藤田 、波多江嘉一郎、柴田伊津郎、吉村善吉、工藤益雄
 理事   塚本久雄、尾形健一、金子末雄、山本秀一、長野義夫、佐治八郎、佐々木義夫、藤純太郎
 監事   古賀治、倉光正治
 理事参与 中村吾一郎、座親義郎、田中美代
 議長   古賀常吉
 副議長  荒木七郎

 福岡市薬剤師協会勤務部会総会

 昭和29年7月10日 午後2時 武田薬工福岡支店
 役員改選 山本会長留任
 理事 福井正樹、大庭寛夫、松尾恒一、原正平、相島徹、山田武

 第4回 九州地区大学病院薬局 野球大会

 昭和29年8月7日〜8日 長崎島原市営グラウンド 田辺製薬主催
 熊大9A−1長崎大、九大7−1熊大、九大6A−5長崎大
 九大初優勝 熊大4連覇ならず

gazou
 福岡地区薬業協同組合創立総会

 昭和29年8月23日 午後1時 県労働会館
 組合員総数 284名中 39名出席
 定款並びに規約制定 その他
 役員選挙
 理事 戸田秀美、藤純太郎、古川周一、石津正之、中村吾一郎、伊藤善蔵、馬場勘二、鳥飼善人、岡本弘、工藤益雄
 監事 安部源太郎、友納英一
 これに伴って福岡市小売薬業界(竹中会長)は解散した。

gazou
 福岡県女子薬剤師会秋季大会

 昭和29年9月21日 午前11時 九大薬学科講堂 出席者約140名
 予定されていた全支部の結成を待って行われた。
 特別講演
 @女性とホルモン 高畑九大助教授
 A次に来るべき人類世界を想う 常岡一郎参議院議員

gazou
 薬と健康の週間

 昭和29年11月17日〜23日
 @県下各都市において立壁新聞(3尺×3尺)
 21校(内3校は分業宣伝)を使用し、移動展を実施。福岡市は17日天神、23日渡辺通り1丁目
 A分業宣伝のスライド50枚作成し、全県下の映画館で上映。福岡市は40の全映画館で1週間上映。
 B県下各保健所の自動車を利用し、ビラ15万枚散布。
 C各薬局で駆除剤無料奉仕

gazou
 福岡市女子薬剤師会 処方せん研究講習会

 昭和29年11月11日 県薬剤師会館 出席者約40名
 講師 九大薬局 天野技官
 分業受入れ態勢整備の一環として実施

 福岡県薬剤師総決起大会

 昭和29年11月18日 午後1時 福岡商工会議所
 出席者 約450名
 来賓 衆議院議員 長 正路(右社)、青野武一(左社)
    参議院議員 高野一夫
    鵜崎福岡県副知事、樋口山口県薬協会長、塚元九大薬学科教授
 特別講演   高野一夫
 会員意見発表 馬場勘二ほか

 第15回 益進クラブ総会

 11月14日 午後1時 恵愛会館 出席者72名
 講演「裁判鑑定の話 付 下山事件を回顧して」
 塚元九大教授

gazou
 昭和29年12月20日 県学校薬剤師会、県教育庁保健課に申し入れ

 「福岡市に学校薬剤師を早急に設置すること」