通 史 昭和28年(1953) 日薬−県薬−市薬

 昭和28年(1953)

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 高野後援会九州連合代表者会

 1月12日 午後1時 鹿児島市山下町 鶴屋 50余名
 福岡県出席者 礒田、五郎丸、白木、須原、長野、富永
 高野氏挨拶 選挙スローガンは
 @社会保障制度の推進
 A人口問題の解決

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 福岡県薬協支部長会

 1月19日 同会事務所
 参議院選挙対策
 得票目標 全国30万、九州 11万5千
 福岡1万5千、佐賀5千、長崎7千、熊本1万5千、大分8千、宮崎5千、鹿児島6万

 特別会費徴収について
 開局者 600円 本部 300円 支部 150円還付
 勤務  300円         支部 100円還付
 各支部で臨時総会を開催すること

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 日薬調査 全国学校薬剤師数

 総数 2,540名 設置市町村 約90カ所
 東京850、大阪290、愛知276、兵庫271、京都148、福岡97、鹿児島60
 熊本19、長崎6

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 衆参選挙対策

 日薬では参議院選挙を5月と予定して選挙対策を進めていたが、吉田内閣の突然の解散(3月14日)により衆院対策(野澤清人、栃木1区 前年10月当選)にも迫られることになった。なお薬剤師の資格を持つ候補者は次の通りである。選挙は4月

 「参議院」

 高野一夫(全国区) 自新53歳 日薬理事長
 吉川末次郎(東京地方区) 社前60歳

 「衆議院」

 野澤清人(栃木1区) 自前45歳 日薬副会長 関東化学社長
 鈴木愛之助(大阪4区) 鳩自新55歳 アトム理化学社長

 第7回日本薬剤師協会代議員会

 4月7日 東薬大
 定款改正
 1.都道府県会員はすべて日薬会員とする
 2.予備代議員制度設置
 3.代議員会開催の時期を薬学大会と切り離し2月とする

 第6回日本薬学大会
 4月6日〜9日 東大 参加者5,000名

 福岡市薬剤師協会学術講演会

 2月14日 午後2時 九大薬学科講堂
 勤務部会と共催で実施
 1.九大における小児薬用量調査について 九大薬局 田中敏雄
 2.投薬ビンの滅菌について 九大薬局 天野久高
 3.いわゆる警告反応を廻って 主として抗リウマチ剤の進歩 中外製薬 赤塚謙一

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 「☆☆ コラム  薬業界いよいよ乱売対策 ☆☆」

 中央にて真剣に取り組む
 九州では業者も多いし加えて行商やる者多し
 配置薬しか法規上ないが、薬剤師の訪問販売ははなはだ遺憾、品位失墜

 福岡市薬剤師協会学術講演会

 3月14日 午後2時 九大薬学科 出席70名
 新抗生物質アイロタイシンについて シオノギ 岸本学術課長

 高野一夫 福岡選挙事務所 博多駅前 吉村薬局内に置く

 第6回福岡市薬剤師協会定時総会

 4月14日 午後1時半 ザビエル記念館
 昭和27年度事業並びに会計報告
 昭和28年度予算について
 特別講演 新麻薬取締法について 尾形薬務課長

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 高野一夫氏 参議院議員に当選

 182,832票を獲得、第42位で当選、6年議員となる。
 野澤清人氏(栃木) 次点で落選
 衆院立候補の医師は18名中7名、参院は17名中4名当選した。

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 「☆☆ コラム 高野選挙 28年5月10日 ☆☆」

 高野選挙戦は何といっても薬剤師の組織力の最初の収穫である。高野6年議員在任中に、ぜひ竹中第二番議員を送り込まなければならない。

 日医が「昭和30年から実施の分業法は、サムス准将が作ったもので占領下の遺物であるから、当然改正が必要である」といっている時、剤界の組織力は絶対に緩めてはならない。

 高野氏都道府県獲得状況は、予想通り九州は会員1人あたり10票以上であるが東京は5票弱、兵庫が4票強、はなはだしきは京都、大阪が3票強で最下位となっている。地元鹿児島は103票強で27,999票集めている。仮に高野氏の郷里が東京であったとしたら、鹿児島のように獲得できたであろうか疑問とせざるを得ない。東京、大阪は論外である。
(註、 福岡12,116、東京13,036、大阪7,757)

 九大薬学科大学院設置(28年4月)

 4月17、18日試験の結果、12名の入学が決定した。

 福岡県薬剤師協会理事会、支部長会

 5月18日 午前11時 県薬協事務所
 白木、小松、富永、武田 福岡市出身理事辞任
 ?高野選挙運動違反に関係か

 西日本大水害 昭和28年6月下旬

 62年ぶりの豪雨と言われ、特に熊本の白川、筑後川、遠賀川流域および、門司の山津波と大きな災害であった。

 県薬協水害対策緊急理事会 6月30日

 礒田、松村、須原、藤田、柴田(源)、波多江、竹内福岡支部長
 @水害救援金募集について
 A被害調査について
 B救護班派遣について

 厚生省薬事審議会委員

 礒田秀雄氏留任 6月20日付け

 水害被害者

 福岡県会員 155名
 福岡市
「床上」工藤敏夫、上野慎一郎、坪根芳子
「床下」小野信方、木原竹義、師岡 赳、印南慶策、百崎文弘、白水静次、和田 実、片井ヨシ、富安猛夫、平井克郎、冨永泰資(糸島郡)

 昭和28年7月27日 朝鮮戦争休戦協定調印

 厚生省医療機関分布調査

 昭和30年1月1日より実施される医薬分業法の準備のため、8月1日現在で調査することとなった。
 @病院診療所調査
 従事薬剤師数、薬局までの距離等
 A薬局調査
 Bその他

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 独占禁止法一部改正法案成立

 「再販売価格維持契約」が昭和28年9月1日より実施されることになり、小売業界は乱売防止対策として期待した。

 日薬会員総数 7月末現在 25,908名

 東京3,424 愛知2,599、大阪2,582、兵庫1,233、北海道1,075、福岡1,043

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 九州薬学会総会並びに薬剤師大会

 昭和28年10月23〜25日熊本市公会堂 参加約1,000名

 九州小売薬業連合会設立を決議 会長礒田秀雄

 九州医薬品卸業連合会結成

 10月20日 天神町クラブ九州
 会長 染井(鹿児島)
 副会長 鶴原(福岡)、吉井(熊本)
 専務理事 波多江(福岡)

 日本医師会薬局実態調査実施 28年4月より

 医薬分業反対資料として
 @薬局の管理薬剤師は常在しているか
 A調剤機能は充分であるか
 B各地区の薬局数
 10月の時点で7〜8割調査を終えているが、そのうち3割は不良としている。

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 全国学校薬剤師大会

 昭和28年11月14日 高松市公民館 出席約150名
 福岡県出席者 山本秀一、内田数彦、早川政雄、神谷武信
 「学校薬剤師の法制化」及び「学校薬剤師の普及」決議

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 第3回全国学校保健大会

 昭和28年11月15〜17日 高松市
 学校薬剤師 小林奏朔氏(東京)初めて大臣表彰を受けた。なお医師は36名、歯科医師は26名表彰。

 昭和28年12月9日 全国医師会長会議

 分業対策として「占領法規是正」の方針決定

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 福岡市薬剤師協会臨時総会

 昭和28年5月23日、午後2時 県薬協事務所 出席30余名
 高野一夫に関する選挙について、違反の疑いで検察当局の取調べを受けた事件で、鶴原会長以下、役員、及び清水、四島監事の全員が辞任することになり、役員改選を行った。その結果、中村吾一郎氏が選ばれたが固辞、そのため流会又は協会解散の空気さえ出てきたが、内田氏が意中の人を推薦する。又その人が引き受けない時は自らが会長を引き受けるという条件で決着した。当時の選挙は難航を極め4時間を要した。

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 薬と健康の週間

 昭和28年6月7日〜13日 県薬協及び薬務課主催
 @日薬配布のポスター配布
 A各薬局に週間標識の横幕の掲示
 B駆虫剤の無料奉仕券を市町村長を通じ配布(県薬協5,000枚、県薬事協2,000枚)
 C県政号宣伝カーによる県下一円巡行(宣伝ビラ20万枚作成)
 D新天町広場で新薬屋外展示会
 E06月10日 午前07時15分から「薬と健康の座談」
 JOLKから放送(3名の女性薬剤師)
 出席者 田中県技師、大賀、上田 開局者

 福岡市薬剤師協会 勤務部会総会

 昭和28年7月11日 午後02時 武田薬工福岡支店
 松村九大薬局長より、熊大、久留米大の水害被害状況説明あり
 役員改選 会長 山本氏三選

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 福岡市小売業界創立総会

 昭和28年10月14日 午後2時 県薬事務所 出席約40名
 会長 竹内文人
 副会長 中村吾一郎、伊藤善蔵
 監事 国武一人、馬場秀一
 10月9日の部会長会議の決議に基き、開局薬剤師と薬種商の会員で結成。なお両会員数は約200名である。

 内田三郎氏 逝去 昭和28年10月24日

 益進クラブ総会

 昭和28年11月15日 午後1時 櫛田会館 出席約80名

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 朝日新聞文化事業部主催「無料診療」で分業実施

 昭和28年11月16〜17日 福岡市医師会、市薬剤師協会後援で診療班を組織し、福岡市の保育園及び養老院に医師2名ずつ無料診療に当たり処方せんを交付した。
 箱崎保育園分 馬場薬局で受け入れ
 西新保育園分 西新薬局
 平尾養老院  古賀薬局
 花畑養老院  花畑薬局

 福岡県薬剤師協会 社団法人となる 11月7日交付

 九州地区大学病院薬局 野球大会 第3回

 11月22〜23日 大濠グラウンド
 田辺製薬主催
 熊大10-5九大 熊大15-1長崎大 九大6-1長崎大
 熊大優勝

 福岡市薬剤師協会工場見学

 11月25日 参加者70名
 三井染料工場。東洋高圧工場(大牟田)

 福岡県薬剤師協会支部長会 「分業実施期成同盟結成」

 昭和28年12月8日 午後1時 県薬事務所
 全国会長会議において決定されたもので、昭和30年より実施されることになっている医薬分業について、医師会は「占領行政行過ぎの是正」として再び反対運動が盛り上がってきており、その対策として結成されたものである。

 薬剤師の運命を決する最後の闘いは開始された 70年の分業運動収穫の秋
(社)福岡県薬剤師協会長 礒田秀雄

 医薬が医師と薬剤師との分業たるべきは世界の通則で。何れの国もがこの制度をとっている。
 薬科大学には全国で27を数え、薬剤師も激増して6万に達したので、昭和26年、医薬を医療制度の原則に基き分業制とすることに法律を改め、昭和30年から実施することになった。

 全国の薬局は、薬局基準(昭和25年)に基いて薬局を整備し、試験室や調剤室を設けて施設の完備を期するとともに、薬学の講習を行って薬剤師の再教育を施すなど鋭意、その受け入れ態勢の整備を行ってきたのであるが、医師団においては、莫大な運動資金を準備し、政治勢力を駆使して医薬分業制度の実施を阻止すべく、目下着々とその準備を進めている。

 もし医師団のこの運動が奏効して医薬分業制度が行われないことに決ったら、薬剤師の使命、職能は全く失われることになる。

 既に決定している医薬分業制度の実施を期するためには、降りかかる火の粉は払わねばならぬ。医師団の妄動が既に開始された以上、我ら6万の薬剤師は分業実施のために総決起し、死力を尽くしてこれに対抗、善処の努力を惜しんではならぬ。

 そして70年に亘る分業運動の収穫を期せねばならないのである。全国の薬剤師代表は11月東京に参集し「分業実施期成同盟」を結成し、医師団の妄動を排撃し分業を闘い取るための最後の運動を開始した。

 矢は既に弦を放たれている。営利追求の一物品販売業者に甘んずるものは知らず、医療機関として真の薬剤師職能に生きんとするものは猛然起って本同盟に参加せよ。起つべき秋はこれが最後の機会である。逡巡して悔いを後世に残すことのなきよう、全薬剤師諸君が本会の下に結集、協力せられんことを敢えて檄する次第である。
昭和28年12月8日