会報第43号 平成3年9月30日
 ■ 巻 頭 言

薬剤師会の真の発展     福岡市薬剤師会 常務理事 深江 暉夫

 最近の社会情勢の動きは、著しいものがあります。国際的には、ソ連邦の問題、日本国内では、政治改革、金融問題、証券問題等々…。これに関しては、種々の見方、考え方があると思います。しかし共通している点は、国民(一般大衆)の意見、考え方を無視して事柄が進行した為、大きな問題となったと思われます。

 これを薬剤師会に置き換えて考えてみましょう。私達業界は景気が良い時は、基本的事項に目を向ける事を忘れ、その場限り取り繕って、事を進める傾向にあります。しかしこのままで良いでしょうか?日本薬剤師会の会員は、先輩諸氏の努力のお陰で、会員の生活基盤が保たれています。私達には薬剤師会を更に発展させなければいけないという義務があります。現在の薬剤師会を発展させるにはどう行動したら良いでしょうか?

 この為には薬剤師会員の意識の大改革が必要です。薬剤師会を役員まかせで、薬剤師会活動の結果だけを聴き不満を訴える会員か余りにも多いと思います。これでは薬剤師会は発展しません。

 薬剤師会に対して会員各自が問題意識を持ち、薬剤師会の大改革に取り組み、薬剤師会を国民に認知されるような会にする必要があります。その為には福岡市薬剤師会の定款改定が必要な時期に来ていると思います。特に役員選挙に関する規定では、会員ひとりひとりが責任を持って役員を選べるように改定する必要があると思います。

 これにより目分か選んだ役員に対しては、会員は積極的に協力することが必要です。定款改定は大変な仕事です。会員の積極的な参画で立派な定款が出来上ることを期待します。

 薬剤師会と政治活動について会員の皆様方には、種々の考え方をお持ちの方がいらっしゃいます。会員の中には政治活動に積極的に参画し意見を述べている人もいますが、大部分の会員が満足しているとは思われません。

 しかし満足していない会員の方に申し上げたいのは、どれだけ自ら行動を起されたかと反問したい。他人の批判だけでは、政治力を持つことは出来ない。他業界に比較して、政治力が非常に弱く、薬剤師会の意見が国の政治に反映されていないのは、会員各自の政治に対する行動力が欠けているからではないでしょうか!!

 最近の人口高齢化、高度医療化に伴い老人医療費のウェイトが医療費全体の中で高くなって来た。これに対しては国は種々と対策を打って来る。薬剤師会はどのような考え方で老人に対して援助の手を差し延べているだろうか?医療は誰れに対しても公平であるべきではないでしょうか?

 勿論医療制度は全て金で解決出来るものではないと思います。国民に愛される医療、即ち奉仕の精神が薬剤師活動に一番大事なことは言うまでもありません。医療人のひとりとして会員全員が国民に対して、何か出来るかを考えようではありませんか!


 <特別寄稿> 「私と薬」
平成3年9月30日 会報第43号

◆ 気持ちの温度 ◆

コピーライター 永津 純子

 昭和四十年代の記憶です。
 私はまだ小学校のー、二年生位だったでしょうか。当時私の住む町には薬局が一軒きりで、そこにはいつも白衣を着たきれいなお姉さんがいました。近所の子供たちは用もないのに薬局へお姉さんに会いに行ったものです。店順に立っていたカエルや赤いウサギに親しみを覚えたのでしょうか、それとも買物に行ったときにお姉さんがくれたカエルの指人形が仲良しになるきっかけだったのでしょうか。

 当時の子供たちにとって薬局はなぜかしら身近なものだったようです。あわせて薬剤師のお姉さんの真っ白な白衣と、優しい笑顔だけは今も心の印画紙に焼き付いています。とても懐かしい思い出です一一。

 払は今年の一月まで、フクニチ新聞社の文化部記者をしておりました。在職中の昨年六月、福岡市医師会の山本愛文先生を介して、薬剤師会広報担当理事の木原三千代さんと知り合い、本誌七月号の広報通信にあるような経緯で木原さんに「とっておきのくすり箱」を連載していただくことになりました。

 執筆を依頼した際、「自信がありません」と恐縮された木原さんでしたが、私は木原さんの文章から、その人柄を映すような、誇張や気取りのない実物大の心の温かさを感じとっていたこともあって、なかなか引き下がることができませんでした。それに私のほうこそ、そうやって依頼するのにどれだけ恐縮していたかわかりません。社の状況が状況だけに、執筆される方々にご迷惑をおかけする結果になってしまうのではと、不安な気持ちを抱えた毎日であったからです。またそんな中での薬剤節会の協力は、社にとって心強くありかたいものでした。

 第一回目に掲載予定の原稿に目を通しながら、私はまるで薬局の店頭で会話をしている気分になるような、心地よくアットホームな表現がいっぱいの木原さんの薬の話に、「とっておきのくすり箱」というタイトルを付けることを決めました。

 近頃は魚の区別がつかない人が多いとか、旬を知らないなどといわれます。核家族化が進んだいまでは、「おばあちゃんの知恵袋」(日常生活に必要な知識)というたぐいの小冊子は、永遠のベストセラーにもなっています。おばあちゃんからの情報は、お金をだして買わなければ知ることのできない他人行儀なものとなりつつあるようです。

 連載していただいた「とっておきのくすり箱」は、いわばそんな知恵袋のお薬バージョンといったコンセプトで始めたものでもありました。日常生活の中に生かすことのできる情報や知識が、木原さんの文章によって「消化、吸収の良い情報」として読者に提供できたことと思います。

 日常生活に必要な情報は、ほとんどが説明的なスタイルをとっています。それらは確認するにはよくても、しっかりと心で受け止めるには無表情すぎます。記憶する、という脳の働きにはイメージが深くかかわっているものだそうです。同じように、文章にも表情がなければ、それは人の記憶に残りにくいのだろうかとも思われます。

 合理性が追求され大変便利になった時代になりましたが、その副作用は日常に幾つも発見されます。人とのふれあいが無表情かつ希薄になりつつある、という都市の現状もそのひとつです。私も他人ごとではない世代の人間です。終始無言のまま買物を済ませることのできるコンビニエンスストアでの光景もさほど奇異とは感じなくなってしまいました。

 情報化社会の今の日本では世界情勢もタイムリーに知ることができ、また文化人や評論家の話を朝まで聞くことができます。また真夜中に東京のトレンド情報を知ることも可能です。ですが情報は絶えず一方通行で、私たちの生活の本質に関わりのあるような情報、知識を確実に得ることは、なかなか難しいもののようです。

 薬局ではコンビニエンスストアでの買物のようなことはありませんが、それでも買物にコミュニケーションが伴わなくなった時代に慣れてしまった世代を相手にするときは、会話のきっかけひとつをとってもなかなか難しいのではないかと思われます。それでもテレビコマーシャルの影響による薬の身近さとブランド指向、栄養剤・ビタミン剤を乱用しがちな現代人の風潮を考えると、専門的な知識でアドバイスしてくださる薬剤師の方々の、必要性と社会的役割は、ますます重要なものとなっていくに違いありません。

 私もビタミン剤等を愛飲するひとりですが、先日こんなことがありました。なんとなく貧血気昧だと感じて鉄剤を購入しようと薬局を訪れて相談したところ、軽い程度のものなら食事でとったほうがいいとアドバイスしていただいたのです。鉄剤を飲むと便秘になりやすいから、とのこと。私は自分の安易な考えを反省すると同時に、親身になって助言をしてくださった薬剤師さんの温かな気持ちがとても嬉しく懐かしいものに感じました。

 気持ちの温度は相手にも伝わっていくものだということを、いつのまにか私は三人の薬剤師の方々から教わっていたようです。

くすり箱


 <会員の広場>

Nさんとオタマジャクシ     博多支部住吉部会 住吉薬局 細井 徹一

 中学の3年先輩に、いま郷里で開業医をしているNさんがいる。ずいぶん昔の話だが、そのNさんが|旧制五高へ入ってすぐに便りをくれた。「こんどは君の番だ。ぜひ五高へ来い。待っているぞ。中学時代の音楽の勉強不足が残念だ。オタマジャクシをしっかり勉強して来いよ」ということだった。

 ところが、私は期待に反して学校は薬専をえらび、音楽もわからずじまいに終わっていた。先輩のやさしい心遣いを無にした白分か恥ずかしく、熊本でNさんに会うのがとても辛かった。いまだに忘れられない。

 あれから四十数年経った。オタマジャクシの宿題はいまなお終わっていない。私が中学に入ったのは昭和16年、日米開戦の年で、軍事教練が重視され、音楽など問題にされない時だった。

 一台しかないピアノが講堂に置いてあるためか、音楽の授業はいつも講堂の片隅で行なわれていた。軍歌の練習ならいざしらず、わかりにくい譜面のオタマジャクシになると、退屈した二、三の悪童が野次り始める。やがて騒音で収拾がつかなくなり、教頭が駆け付けて、お説教のあと授業は終わりという場面が何度もあった。

 福岡市近郊にいる当時の級友七・八名が、毎年寄って旧交をあたためる。その席上かなりお酒が回っても、だれひとり歌いだすちのがいない。たまに中洲へ繰りだしてもマイクを譲り合うだけで終わってしまう。そんなときは必ず「お互いオタマジャクシに弱いな」と中学時代の音楽の話がでる。

 この7月から近くのカルチャーセンターで新しく「日本の歌」の講座が始まった。途中からでも受講できるというので、受付で尋ねると、「いまのところ男性は一人も居ないので一度見学して申し込まれたら」と教室へ案内された。

 先生に見学のお願いをして、「楽譜が全く読めませんがよろしいでしょうか」といちばん気掛かりなことを尋ねた。先生は一瞬呆気にとられたようだが、「何とかなるもんですよ。勉強してくださいね。いっしょにやりましょうよ」と言ってくださった。

 練習ははじめに、らくに声がでるようウォーミングアップをする。鏡に向かって姿勢や呼吸を整え、舌や唇を勤かし、ハミングや言い回しを稽古する。

 つぎに、楽譜をみながら声をだす。これが難しい。小声で皆に合わせてついてゆくときは、それなりに音がでているように錯覚するが、指名されて一人でやると何ともあわれである。

 このあと一曲づつ歌のレッスンをくりかえして一回の講座が終わる。 見学が終わってすぐ受講申込をすませた。 折角のチャンスだ、人一倍恥をかけば何とかなるだろう。早くオタマジャクシを卒業して少しでも視界を広げたい。そんなことを考えながら休まず通っている。

 それにしても、やっとの思いでオタマジャクシの宿題にとりかかることができた。この話をしたら、どんな顔をされるだろうかとNさんを想いだす。


 <会員の広場>

平成3年8月31日、午後     東支部名島部会 高又薬局 吉村 順二

 日射しが強く、その上、台風の余波のせいか、屋外は蒸し暑い。しかし、店内は冷房が効き、心地良く、ひっそりとしている。外出も苦になる日中で、来客も無く、先日生まれたばかりの子犬が足許に纏わりついて、眠気を醒まさせてくれるが、それでも睡い。つい、うとうととしてしまう。

 裏では、夏休みで家に国る子供の声、子供に用事をさせようとしている妻の声が聞こえる。

 店の前は、素通りする車、日傘を差し、白いハンカチで汗を拭き拭き厳しい顔の親と、一生懸命に追討こうとしている子供を連れた親子づれ、友人同志で楽しく語らい、暑さを苦にせずに、元気に通り過ぎる若い人等の景色をぼんやりと見ながら、又、うとうととしてしまう。

 夏の疲れが早くも出ているのか、今日は、休の芯から疲労を感じる日だナア…高いユンケルをこっそり飲んで頑張るか、モカにしようかと思案しながら、睡魔には勝てず、店番にならんなーと思いながらも、又、うとうと、あ……眠い。

 隣りの赤ん坊の泣き声がする。テレビがニュースを伝えている、バブル経済の中で何千億の金が動いた。補てんに何億円、私にとって夢の又夢のこと、そんなに儲けられる人がいたのか、あ……又眠たい。病床の母が浮ぶ、少し目が醒め始めたようだが、又、うとうととしてしまう。

 今月初め、阿蘇へ行った時の、夜中見たあの満天の星のすばらしさ、昼間の広大な高原の景色と、緑の美しさ、そよ吹く風の清々しさ、その事を回想しながら夢の中。  釈迦は生誕時に、天上天下唯我独尊、と唱えたと伝へ聞く、花は紅、柳は緑と見えるのも、生存しているが故らしい、このまま消滅したらどうなるのかなあ……何にもない現在も無いらしい。

 今生を一生懸命生きよう。
 不愛想な顔を掲げて、毎日、朝から夜までダラダラと店番をして、明け暮れるのも、楽しくはないが、生きているから成せる事のようだと思いながら、つい、深い睡りに入りそうになる、と。

 大声がする、「あなた、又、居眠りしているでしょう、店で居眠りしてはだめと云っているでしょう」と叱咤の声がして、はっと目が醒め、「お客様ですよ」の声で、ぼんやりした意識の中から、「いらっしゃいませ」とお客さんに声を掛け、ニコーッと笑顔を作ったつもりの顔をして、椅子を立つ。


 <会員の広場>

開局5年の想い     城南支部別府部会 サカタ薬局 坂田 博子

 とてもソフトなお声の木原先生より突然お電話を頂き、魔法にかけられた様に原稿をお引き受けしてしまいました。そそっかしい私は「はい!」という返事とは反対に何を書いたら良いのか不安でなりませんでしたが、その夜はいつの間にか眠ってしまいました。

 それからソ連のクーデターなどで慌しくカレンダーは巡り、今日8月28日は開局して丁度5年になります。しみじみと一人で乾杯!です。

 「人生には三度の風が吹く。」とは週刊朝日の編集長だった扇谷正造氏の言葉だそうですが、正に風が吹いたとしか考えられません。務めを辞め、好きなテニスも止めて宗像より鳥飼に転入してからの開局でした。当時の写真やメモを見るとまるで昨日の事のように思い出されます。家族全員、はちきれんばかりの笑顔、活気のある表情‥‥。

 でも本来不器用な私には妻、母、嫁、薬剤師の四役をこなしながらは大変な事でした。支えてくれたのは家族とお客様です。「薬局ができてとても便利になりました」と伺った時の嬉しかった事!微力ながら、地域に密着し健康への安心を提供できる薬局にと。モットーは「あなたの街のくすり箱」です。

 あらゆる年齢、あらゆる職業の巾の広いお客様との会話は興味深く、経験不足な私には生きた勉強の連続で仕事は楽しくなりました。

 そんなマイペース薬局にも去年徐々に改革の波が押し寄せてきました。国立病院処方箋応需という大波です。それまでは処方箋と言えば近くの歯科医院より頂いていた位でしたので、正に大波でしょう。かねてより市薬会報の中で理事の方々の「100年の悲願達成を」という熱き想いを切々と感じておりましたので一薬剤師として私も是非この大波に乗ろうと持ちこがれておりました。ファックスなど無い物ばかりでしたが、先ずは行動を起こすことからと、急濾取り揃えました。

 そして良きパートの人に恵まれ、薬局は明かるくなり、ファックスや分包器は調剤室の白い台の上にきちんと納まり、私は研修会に出席して準備はできたのです。が、そんな想いとは逆にトラブルを引き起こしてしまいました。

 それまでの理事の方々の努力を知るにつけ、事の重大さに私びっくりし、責任を痛感しました。ただ、ただ、ごめんなさい。

 そして待望の1枚目は90年10月5日12時20分持参されました。「お薬を作って下さい。先生にここを教えてもらいました」と、見ると沢山の薬品名、そして横に「一回分ずつ袋に入れてあげて下さい」とコメントが書かれてあります。

 当然備蓄のない薬ばかりで時間を下さる様にお願いし、急いで取り揃え分包して夕方お渡ししました。患者さんは分包に驚かれ、17年間この薬を服んでいるがこんなに嬉しいことはない、2週間毎に処方箋を持ってきますから又お願いします」と帰られました。私達大感激でした。

 以来、何かあると頼りにして下さって、責任重大の毎日が続いています。以後は国立病院の江崎先生よりファックスを送って頂き、すぐ準備を始めますが、備蓄リストを頼りに時間との競争です。

 会報1月号で笹野先生が「一枚の処方箋」で述べておられましたが、私も全く同じ心情です。お薬を患者さんにお渡しできる時の喜びは何とも言えませんが、もっと迅速に安心して揃えられるシステムがあればと痛感しています。面分業の将来の為、今、現在をとにかく頑張らなければと思うのですが。

 ただ、会員の諸先生方の情熱は太陽のように眩しく光って見えます。5年を経て子供達は背丈も私を追い越し、見違える程逞しくなりました。自分の方は何如にと思い鏡を見ても言わずもがなの事。とにかく6年目、5年間の経験を生かして又歩きだそう。諸先生、よろしくご指導の程お願い致します。        '91、8、29.記


 <会員の広場>

読 経     中央支部大名部会  椛蜑齧局 大賀 研一

 8月末、お葬式に参列した。私の住む、長住のお寿し屋さんのご主人が、36才という若さで亡くなられた。

 私は、故人との面識はなかったが、小学校のPTA会長という立場で参列した。子供さんは、小学校6年を頭に4年、1年生の3人だった。葬式には、斎場に入りきれない程大勢の参列者があった。

 友人代表の弔詞は、こらえきれない涙で止ぎれとぎれになりながらも、親友の死を悼む、切々たるものがあった。”きっぷ”が良く、人の良い、皆に好かれた寿し屋さんの大将の姿が目に浮かぶ。

 やがて、読経が始まり、奥さんと3人の子供たちとおばあちゃんが、皆さんに一礼をされ、焼香に向かわれた。喪主である奥さんの気丈なふるまいと、泣きくずれそうになるおばあちゃんと3人の子供たちか、互いにささえあいながら、肩を寄せあいながら、焼香を立派にすまされた。

 私の目は、急に熱を帯び、あたたまった水がほとばしり出た。こんな感じは、久しぶりだった。私は、この様な場面では、久しく泣いた事がなかった。(TVドラマやスポーツ番組では良く泣くので、我が子たちからは指をさしてからかわれるけれど・・…・)

 奥さんは、これから大変だなあ、店をやっていけるのだろうか…読経の中、御親族の焼香か続いた。目をとじた私の頭の中に28年前の1月、父の葬儀の情景が浮かんでいた。

 28年前、私は中学校3年生。2人の妹は小学校6年生と1年生だった。父は、祖父母のたった1人の子供だった。気落ちしたのか祖父も祖母もあいついで亡くなってしまった。

 ちょうど、この日のお葬式のように、その日も私や妹たちの級友たちが大勢参列してくれていた。葬式が終わり、私は母の横に立ち、参列していただいた方々をお送りした。私のクラスの一団が前を通り過ぎる時、私は確かにいつものような笑顔を友達に投げかけていた。

 当時としては、恥ずかしいやら、照れくさいやら、涙を見せたくなかったり、複雑な心境の笑顔だったと思う。そんな時、今も仲よくつきあう、私の友人が、「お父さんのお葬式やけん、笑うたらいかんよ」目でなぐさめるようにさとしてくれた。その時の目の奥の熱さを28年ぶりに思い出した。

 その日から28年後の今年の1月、薬局の経営を母から引き継いだ。3人の幼い子供をかかえながら、薬局の経営を続けるのは、並大抵の事ではなく、言葉では言い表わせないような事であったと思う。

 しかし、いつもはついつい、そういう事は忘れてしまい、あい変わらず心配かけどおしである。人生最大の恩人と、口論したり、かみついたりする事もある。そんな事を思い出し、考えたりしているうちに順番が来たらしく、となりに座っていらっしゃる校長先生に促がされ、焼香に立った。

 焼香をすませ、御家族にあいさつをし式場を出ようとする時、読経は終わった。


 <会員の広場>

ある日の午前中     西支部西部会 虚y永薬局 冨永 計久

 「ブルル、ブリル」ドキ!ファックスの信号音である。受話器を取るとさわやかな女性の声「おはようございます。国立福岡中央病院です。院外処方せんが出ておりますのでよろしくお願いします。ファックスのスタートボタンを押して下さい]さわやかな女性の声とは反対に小さな暗い声で「はいわかりました」とスタートボタンを押す。

 「ジィージィー」とファックスが送られてくる。処方された薬は何か?在庫はあるか?もし在庫がない時近くの薬局にあるか?近くの薬局にない時問屋さんにたのんで急配してもらえるか?小さい包装かおるか?何時ころ患者さんは来店されるか?薬が間にあうか?ファックスが完全に送られてくるまでいろいろな事が頭の中をくるくるまわる。送られてきたファックスに目を通し在庫があった時の安堵感はバンザイをしたいくらいの気持ちになる。

 ところが在庫がなかった時の気持ち、これは国立の処方せんを受けられた方でないとわからないのではないでしょうか。

 まず「国立福岡中央病院備蓄薬品リスト」に飛びつき、薬を持ってある薬局をさがす。できるだけーケ所の薬局でそろえようとリストを何度もめくり、どうしても一つの薬局でそろわない時はその薬局近くで持ってある薬局をさがす。それでもそろわない時は九大前の恵愛団に電話を入れてみる。そしてやっと薬がそろう事を確認するとその日一日の計画を練りなおす。

 なにせ西区の西のはずれの周船寺から東区の九大前の恵愛団まで行って帰ってくるのにたっぷり2時間以上かかる。一日の計画を練り直さないと後の仕事ができない。「よし、行ってきます」元気よく店を飛び出す。

 薬がそろう事がわかれば急に元気になってくる。一時間かけて恵愛団まで行き、薬をわけてもらってトンボ帰りで周船寺まで意気揚々と一時間かけてたどりつく。「ただいま、お薬はそろったぞ!患者さんの間にあったか?」「おかえりなさい。お父さん、薬は問に合いましたが、さっきまたファックスが送って来て恵愛団でお薬はそろうって」「アアア…」体中の力が一度にぬけてしまう。

 二時間かけてやっと帰ってきたばかりなのにまた今から二時間かけて恵愛団までとは。しかし気を取りなおし、車の中で「これも仕事、これも仕事」と思いながら二時間のドライブを楽しむのです。

 考えたら本当にアホみたいな事をやっています。しかし、しかしです。私は薬剤師であり、店は保険薬局です。処方せんをどこの薬局に持って行くかを決定するのは医者でもなく我々でもなく患者さん自身が決定する事です。

 その患者さんに我が店が指名された以上この患者さんの期待に答える義務があります。今、我が店ではOTC中心で歯科からの処方せんが少し来ているくらいですが、どこの処方せんであっても患者さんから選ばれた以上、私は絶対に処方せんは拒否しないと誓っています。保険薬局の看板を上げている以上、OTCも仕事、処方せん応需も仕事、損得で考えれば、国立病院の処方せんはまちがいなく損です。

 今私は正直言って国立病院の処方せんは保険薬局の意地で応需しています。調剤専門薬局でなく、OTC薬局にとって国立の処方せんはかなりのプレッシャーになります。しかしこれも我々の仕事です。市薬社保委員の先生方が血の出るような思いで国公立病院との面分業に努力してあります。

 いろいろな資料が市薬からファックス等で送られてくる時、社保委員の先生方は本当に大変だろうなと頭のさかる思いです。今後まだまだいろいろな問題がでてくると思います。しかし薬局としてどこの処方せんでも応需する事は仕事であり、応需してあたりまえの事と思います。

 というところで明日もあのさわやかな国立の薬剤師さんの「おはようございます、国立福岡中央病院です」の声が聞けるかなあ?


 <会員の広場>

紅葉、そして霧の中     博多支部 住吉部会 はなたれ薬局 冷川 襄

 牧ノ戸峠の登山口より一時間少々登ってきた。時折り霧が薄くなることはあるが、すぐに深い霧におおわれる。もうそろそろ西千里浜を過ぎ久住別れに着く頃だ。一瞬霧が薄くなった。迪れのN女史が「ほら、そこに避難小屋があるよ」と指をさす。10mもないくらいだ。それ程視界がきかない。早速避難小屋で休憩することにする。小屋の中には既に10人ばかり先客がいる。4、5才の小さな子供もきている。

 2週間ばかり前、U中学校教頭K氏より、九重へ行こうと誘いがあった。もう20年近く九重には来ていないので、渡りに舟という思いだった。11月3、4日の連休を利用し、紅葉撮影をしようということになった。昨3日、西鉄二日市駅で落ち合い、M氏の車に便乗し、十三曲りの紅葉を十分に堪能できた。

 ここ何年ぶりかの美しさという紅葉に、渋滞のうっとうしさも吹きとんだ。それから、男池の方に回り、黒岳の登山路を大戸越しの手前まで登った。九重には少い原生林で、たっぷりと森林浴を楽しんだ。

 夜は河原湯に宿をとり、温泉でゆったりと体を休めた。M氏は夕食後一足先に帰福した。K氏夫妻、N女史、それに私の4人一部屋に寝ることにな・った。一夜明け、K氏夫妻は別荘地の草刈りに行くということで、それではN女史と黒岩山でも行こうということになり、牧の戸峠へと出てきた。

 山の方は霧がかかっているが、明け方降っていた小雨も上った。天気予報では午後には回復するということである。レストハウスでコーヒーを飲みながら、それではこの際、久住山まで登ってみようということになった。

 霧の中、牧ノ戸越しのコースを登り始めた。天気は良くないか、達休なので、前後20人ばかり登っている。霧はかなり深いが、このコースはまず迷うことはない。尾根筋にさしかかると風が非常に強い。ただひたすら歩いて行く。急坂もあまりないので歩くのは、そう辛くはない。

 連れれのN女史は、植物愛好会の同じメンバーで先輩である。私の方はしばらく、退会はしていなかったが、参加していない期間が長かった。昨年4月から復帰している。K氏もN女史も私の復帰を歓迎してくれた。その間、N女史は、カンアオイの新種を発見し、「N−カンフオイ」と命名されている。自然を、植物をこよなく愛し、独身を守っておられる。この霧の山道でも、リンドウやマンネンスギを見つけては、後から呼びかけてくる。自分にはとても余裕がなく、呼びかけられて、足元に目がいく。

 避難小屋では20分ばかり休み、これから久住山の頂上をめざして行く。まだ天候は回復しそうにない。久住別れの道標に従い右に道をとる。吹きつける風が非常に激しい。風に押されて、まっすぐには歩きづらい。風をよけるために尾根の左側を登って行く。途中から岩目印のペンキが塗ってあり、それを頼りに登って行く。気温は6℃である。やっと頂上へと着く。

 あい変わらず霧が深く風も激しい。晴れていれば、九重全山はもとより、由布岳、鶴見岳、万年山、阿蘇五岳、祖母連山を一望に見渡せるのだが、今日は全く展望がきかない。記念写真を撮ろうとカメラを出したが、ファインダーもレンズも曇ってしまい使い物にならない。すぐに下山し始める。目印のペンキを頼りに下りて行く。かなり急坂だ。「Nさん!こんなに急坂が続きましたかねえ?」と呼びかける。N女史、一瞬けげんそうな顔をするが、返事がない。

 それで構わずそのまま下り続ける。どうやら急坂が終り道標が出てくる。右・南登山口と書いてある。「やっぱりそうか。どうもおかしいと思いよったばってんね。ここは稲屋の下に来とうとよ。目印があったもんやけんこっちに来てしもうたっちゃね。仕方ないけんこっち側に行かないかん」とN女史が指示する。今下りてきた急坂を登って戻る気にはなれないので、中岳と天狗ケ城の下をめぐって、久住別れに戻ることにした。

 しばらく進むと次の道標。右・南登山口、左・御池・空地と書かれている。それでまっすぐ歩きだす。するとすぐに、「そっちじゃないよ!そっちに行ったら稲星山に登ってしまうよ。左さい行かないかんよ」とN女史に注意される。

 牧ノ戸峠から軽い気持ちで登り始めたが、露の中では目標が見えず、方向感覚がとれなくなってしまう。ついでに強風が向い風になった。まともにこの風が当たると呼吸もできない。岩陰にとびこんで呼吸を整える。また急ぎ足に歩き、岩陰で呼吸をする。御地避難小屋へたどりつく。風が激しくて先が思いやられる。

 しばらくここで風が弱くなるのを待ちたいが、N女史に促されて歩き始める。ああ、まるで地獄の思いだ。向い風に押されてなかなか前へ進めず、歩いている間は息もできない。しかし、歩き進むしかない。後を振り返るとN女史の姿が見えない。  不安か胸をよぎる。岩陰で風を避けていると、霧の中にうっすらとピンクのヤッケが見えてくる。ホッとする。ここでN女史とはぐれれ ば、とても一人で帰りつける自信はない。また一段と風が激しくなる。気をとり直して進 み出す。遭難記念碑が建っている。この陰でまた風をよける。たかが九重でなんで遭難な んかと思っていたが、今自分がこうしてここに体験してみると、これは無理もないと実感 させられる。

 時間がまだ12時過ぎで、雪も無い季節だからこうしておれる。避難小屋から数10mしか離れていない場所だが、真冬の荒天ならばどうにもならないだろう。右側に御池があるはずだが、さっぱり見えない。

 中岳への案内の標識が出ている。とても縦走する気にはなれない。左側の迂回路を進む。やっと風をよけて歩けるようになる。霧がジワジワとズボンに浸みこんできている。ソックスもジクジクして来た。しばらく進んで空地の道標、そしてすぐ目の前に久住別れの道標が見つかる。

 ところが、N女史、左側へと進み出す。「あれれ、Nさん、そっちは違いますよ。久住別れはこっちですよ。ほら、牧ノ戸峠はこちらに矢印が出てるでしょうが」。「あ、そうか。こっちに行ったら、もう一回久住に登るっちゃね。アリガト」。ここまで戻れば、少しは安心する。

 40分程、余計に回り道をしてしまった。尾根筋の風の当らない側を、ケルンを目印に歩いて行く。そのうち、石かゴロゴロ、次第に登りがきつくなってくる。「Nさん!またおかしい。何でこの登りは石かゴロゴロしているんですか?」、「これは星生山に登る道やね。ほら、左下に西千里浜の道が見えろう。あそこまで下りらないかんよ」と返事かくる。そこで左へと創面を下り、いったん引当返す。

 突然塞が薄らぎ避難小屋が目にとまる。気づかずに、避難小屋の真後を通り過ぎていたのだ。しばらく小屋で休むことにする。豚汁を作って食べている一団もいる。私等も旅館で作ってもらったニギリ飯を食べ始める。ブロック造りの小屋の中は、電灯がなく薄暗いが、そんなことは言っておれない。30分程休憩をとる。

 身支度を整へなおし帰路へと出発する。霧も風もそれほど変わっていない。だが先程の厳しい思いからすれば、そんなに苦にはならない。晴れていれば右側にある星生山にも登るつもりでいたが、全く山があることさえわからない。歩いているうちに少しづつ視界が良くなってくる。沓掛山の少し手前に着く頃、左手の谷間が見えるようになる。緑の常緑樹の間に、赤や黄に色づいた樹か見える。その向うの麓町も見えてくる。後を振り返ると星生山や扇が鼻の裾が見えるようになっている。時々雲が切れ、陽射しもさしてくる。時間はまだ午後2時半過ぎ。天候の回復か期待できそうだ。二人のどちらからともなく、ここでもう少し粘ってみようということになる。

 空を見上げれば雲の流れが早く、所々切れて青空が見えている。カメラを出して谷間の景色を写す。赤、黄、茶と色どりが美しい。後から、5、6人のパーティが通り過ぎていく。我々をいぶかしそうに見ていたが、彼等も沓掛山の登り始めのあたりで、カメラを出してあたりを写し始める。

 この辺から沓掛山にかけては、霧がすっかりなくなる。星生山も見える部分が多くなる。先程の一団も去っている。沓掛山の南斜面の紅葉も美しい。満足とはいかなくとも、苦労した甲斐はあった。おおよそ一時間経ったので、ここを出発する。

 沓掛山を過ぎ牧ノ戸峠への舗装された遊歩道にくると、向いの黒岩山の山肌も紅葉がきれいだ。牧ノ戸峠に下りついた頃は山々の姿が見えるようになっている。豊後中村へのバスの時間も丁度よかった。

 時間は午後8時になろうとしている。やがて天ケ瀬にさしかかるあたり、渋滞でバスはノロノロとしか進まない。昼間の興奮が残っていて、疲労感はあまりない。思えば20年ぶりの九重、そして思いつきの久住登山。自然の厳しさを嫌という程思い知らされた。だが、こうして隣席のN女史と無事帰途についている。前の席のK夫妻は眠っている。[厳しかったけど、これもきっといい思い出になるよ]、Nさん、ありがとうございました。またK先生、誘って頂き大変感謝しています。お陰ですばらしい感動を味わいました。18年前には、迷惑をかけっぱなしたままでした。でもこうして再び仲間に戻れて大変幸せです。

 1990年11月4日
(これは、体験に基づいて構成したフィクションです。事実と異なる部分もあります。)


 〔フレッシュさん紹介〕

すみれに寄せて     東支部香椎部会 すみれ調剤薬局 古賀 悦子

 8月の終りの頃、市薬の木原さんより電話で[フレッシュさん紹介]の原稿依頼を受けました。薬局のOPENがちょうど9月2目でしたので、とてつもなく忙しかったのですが、少し遅れてもかまいませんという事でしたのでお受けいたしました。

 私は、卒業後あるメーカーの研究所に勤め結婬べ子育ての7年間のブランクの後、病院の研究所に再就職し、一人薬剤師、350床の中核病院の薬局長とひとあたり経験し、私もここに骨をうずめるのかなと思っていた矢先ある日突然に降ってわいた様に調剤薬局のお話がありました。

 病院薬局の外米はとても忙しく、患者さんの話をゆっくり聞くゆとりもなく、飲み方の説明が服薬指導かと、常々思っていましたので、心は8割方決っていたのですが、一応友人に相談し、よしやろうと決心したのが4月の末。

 まず伺をやったら良いのか、手順が解りません。すでに開局している友人に聞いてもFそりゃあ、薬務課と保険課に行けばいいったい」と言うだけでくわしく教えてくれません。病院の仕事の片わら県庁に行き、御指導いただき、何はともあれ薬剤師会に入会しないことには、始まらないと思い支部長さんにお会いし、入会出来だのが5月末でした。

 それからは不動産屋、建築会社との交渉等1人で走り回りました。いよいよ保健所に書類を提出する際、薬局の名前がなかなか決まらず、40うん才の私としましては、あまりにも可愛いらしすぎてとても気はずかしく、今でもすんなりと名前が言えませんが「すみれ調剤薬局jと命名しました。

 当然資金も充分にあるわけでなく、8月に入り、有志数名それぞれの仕事が終わった後集まり、窓口の広告や看板等すべて手作りしました。夜になると、ごそごそと一斉に窓に張り付いているサマは、外から見ると異様に見えたに違いありません。ある者は実際看板屋に間違われました。

 40才過ぎて、学生時代の体育祭の時のようなトキメキとロマン?を経験出来だのはそうある事じゃないよと一人満足したのは私だけだったのかもしれません。

 そういう訳で私一人だけの薬局ではないのです。もちろん患者さん一人ひとりがこの薬局での出合いであり、私白身今まで得てきたものすべてでお答えし、およばずながら地域医療のかけらでもかじれたらと思っています。

 窓のすみれの文字を見かけたら、まだここで頑張っているなと思って下さると思います。波乱万丈の出発でしたが、何とか9月2日にオープンする雅が出来ました。皆様よろしくお願いいたします。


 <特 集>

再販制度廃止問題について     福岡市薬剤師会 常務理事 戸田 昭洋

 すでにご案内のごとし目薬は去る5月23日、医薬品再販制度の存続に関する要望書を、公正取引貫長会、並びに、厚生省に捉出しました。(要望書及びその趣旨は目薬雑誌1991VOI、43N07P115〜119参照)

 又、5月28目に開催された、福岡県医薬品小売商業組合。第37回通常総代会の席上、石田理事長の挨拶の中に、去る5月15日、全商運総会のご来賓として出席の厚生省長田課長補佐はご挨拶の中で、「再販制度撤廃の噂が流れているが、公取委から我々の耳には情報ははいっていない。私見だが再販の最低の線は残るのではないか」と述べられたとあります。

 再販制度の見直しも「政府規制等競争問題に関する研究会」が公取に答申を提出した段階で立法化するには、まだ時間がかかりそうです。しかし、この際、もう一度再販について新たに考えてみることも必要と思い特集を組んでみました。この特集に関し、何かご意見がございましたら、市薬会報編集委員会までご一報下さい。

 なお少し古くて申し訳ございませんが昭和61年版「独占禁止白色のあらまし」より再販売価格維持契約の項目を転載致しましたので参考にして下さい。

「再販売価格維持契約」

 再販売価格維持契約(以下[再販契約]という)とは、商品の供給者が、その商品の取引先である事業者に対して転売する価格を指示し、これを遵守させる行為(以下「再販行為」という)を内容とする契約である。

 再販行為は、不公正な取引方法(再販売価格の拘束、一般指定第12項)に該当し、原則として、独占禁止法第19条の違反に問われるものであるが、同法第24条の2の規定により、おとり廉売の防止等の観点から著作発行物及び当委員会が指定する特定の商品を対象とするものが例外的に同法の適用除外とされている。

 当委員会は、同法弟24条の2の規定に基づき、昭和28年から同34年の間に化粧品、染毛料、歯磨、家庭用石けん、合成染料、雑酒、キャラメル、医薬品、カメラ、既製エリ付ワイシャツの計9商品を指定したが、昭和41年以降徐々にその削減を図り、現在の指定商品は医薬品26品目及び小売価格が千円以下の化粧品24品目に限られている。

 独占禁止法の適用を除外される行為は、「再販価格を決定し、これを維持するためにする正当な行為」であるが、「一般消費者の利益を不当に害することとなる場合」及び「その商品を販売する事業者がする行為にあっては、その商品を生産する事業者の意に反してする場合」には適用除外とならない。

 また、指定商品及び著作発行物のいづれについても、消費者、勤労者の互助を目的とする消費者生活協同組合等の団体に対して販売する場合には再販行為は適用除外とならない。

 指定商品について再販契約を実施しようとする事業者は、その契約の内容を当委員会に届け出ることが義務付けられているが、著作発行物については、その届出義務はない。指 定商品について、既に再販契約を実施している商品の価格変更及び新規に再販契約を実施 しようとする商品の申請があった場合は、その商品の原価・競合品の価格等を検討し、不 当な価格設定が行われ、消費者の利益が不当に害されることのないよう監視及び指導を行 っている。

 昭和60年度における再販契約実施商品及び新規に再販契約を実施しようとする商品の販売価格に関する事前相談の件数は92件であった。また、再販行為が許容される書籍、雑誌、レコード等の著作発行物についても、消費者の利益が不当に害されることがないようその実態把捉に努め、必要に応じ業界への指導を行っている。

 昭和60年度における再販契約に関する届出受理件数は、変更届110件、成立届1件であった。昭和60年12月末日現在において再販契約を実施中のものは、53事業者、2、030商 品であり、前年に比べ化粧品は231商品増加し、医薬品は2商品減少した。


 <特 集>

乱売の始まり     南支部野間部会 みどり薬局 大黒 隆男

 大店法の緩和によるところの大型店の進出。乱売問題が、あちらこちらで話題となっている折柄、6月24日附の薬業特報によると、「政府規制等と競争政策に関する研究委員会」で、再販制度廃止論が議論されていると報じられている。

 大店法の改正は米国追随政策に起因すること大と考えられるが、再販制度廃止論の根拠として、乱売が日常茶飯事のように行われている現在では必要を認めないということであると言う。

 これは業界にとっては大問題である。併しそれも業界自体がその原因を作っていると言わざるを得ない。若し再販がはずされるとなれば、私共のような零細薬局薬店は、正に薄氷を踏む思いで毎日を送らねばならぬことになろう。

 大塚敬節先生が存命の或る時、お目にかかってお話を伺ったことがあったが、先生は患者に薬を与えるときに薬袋に服用と書くのは、薬を謹んで飲むようにとの意味である、従って自信のない薬を軽々しく患者に渡してはならないと言われたことを今でもはっきり覚ええている。

 このように患者にとっては大切なな薬を、何故勉強をおろそかにして、価格のみで売ろうとするのか、たとえ競争時代とは言え業界はもう一度反省する必要かおるのではなかろうか?

 それにつけても乱売の始まりとでも言うべき事を思いださすにはおられない。当時、私は大阪薬専を卒業して大阪市天王寺区の或る薬局に見習をさせてもらっていた。

 或は潜在的には多少の安売りはあったのかも知れないが、公然とチラシを用いて安売価格を堂々?と公表して、今日の乱売の発端となったのは、昭和3年大阪市の今宮恵比須神社の前にあった薬局である。

 主として大阪発売の売薬(今の家庭薬)が槍玉にあがったのであるが、大阪市中は大騒ぎとなった。

 樋屋奇応丸は定価の30%か35%引き、定価2円の奇応丸を買うと、帰りにデパートの食堂で中食が喰べられる時代であった。

 乱売は燎原の火のように市中に拡がったが、間もなく思いも掛けぬ大問題がもちあがったのである。それは樋屋奇応丸の贋造品が大阪市内に現れたことである。この贋遺品は土をまるめて金着せしたもので、定価の70%引位で小売店に出廻り、大阪府の薬務課は各区毎に小売店を呼びだして仕入の有為を調査するという有様であった。

 そのうち夏の始まる頃、今度は藁の粉末を固めて色つけをした金鳥蚊取線香が市中に現われた。この贋造の蚊取線香の販売組織は極めて巧妙で、卸屋の卸価格から2〜3銭下廻った値段で売って歩いたので、小売店は何の疑念も持たなかったのである。

 私が見習させてもらった薬局では奇応丸の仕入はなかったが、蚊取線香はまんまと引っかかって、主人が薬務課に呼びだされ始末書をとられたもであった。

 乱売は買う人に有利であることは事実であるが、商売の誇りをかなぐり捨てて、安く売って客を集めることのみに走れば、この大阪の場合のように店の信用と薬の信頼とを一緒に失うことが起り得ることは十二分に考えられる

 人の健康と命を守る立場にある薬業人にとっては心すべきことではなかろうか?或は世迷いごとと一笑に附されるかも知れないが、薬の中で生れ薬と共に生きてきた私 には、当時を憶い、笑われることを覚悟で、敢て苦言を呈する次第である。


 <特 集>

生き残るためには…     南支部井尻部会 おむら薬局 小村 正治

 「再販制度が今年7月には廃止になると新聞に出ていましたが見ましたか」「えー!本当ですか?」とあわてて新聞を開きながら“カタログ販売の承認”“大店法の改訂”に又追いうちをかける様なニュースだ。「どうして」「ついに」「やっぱり」「とうとう」「きたか」「さてどうする」と頭の中にいろいろの思いがかけ巡った。

 クスリは一般物品とは異なるものである。即ち、人命に直接影響を与える物品だから免許資格をもった者しか製造、管理、販売は出来ない。売りさえすればよいのではない。

 売るというより客の病気の一日も早い健康回復にはどの薬を選んであげたらよいのかを第一に考えていくべきであるという薬剤師職能優先で経営し、又、客も一般商品は値切ってもクスリは値切ったら効かんもんねという時代から、経済優先の高度成長期に移行すると共に、マスコミ医薬品は1割引、2割引となっていった。過当競走をさけ、地域住民の便利性を考えて適所に出店をさせることにより来るべき医薬分業、処方せん応需に備えようという距離制限は自由経済国家の日本では憲法違反ということで撤廃された。

 今までの小売は儲けすぎだ。消費者の便利性の為にはとこでも出店し、経費は極力合理化することにより、1円でも安く、薄利多売で提供することが小売業のあり方である。というスーパーマーケットの出現は、当然OTC薬局の考え方にも大きく変化を与え、各地で医薬品販売も物品販売であるという乱売店といわれる薬局、薬店の出現は他業種に比べ安定化していた業界に、どれだけ売っているか販売力の大小で評価される時代へと変った。

 厚生省や目薬が薬局の経営的基盤をつくる育成を十分するよりも職能的理想のみに重点をおく限り、徹底した商売人にもなれず、徹底した医療人にもなれぬ開局薬剤師はこのジレンマの中、処方せん主体では未だ採算がとれない。

 OTC主体経営で生きのびるには集客力の確保しかない。価格対抗しつつ自店の得意とする独自性をどう打ち出していくか試行錯誤の連続である。

 マスコミ品値引合戦となれば、無名チェーン品へ。マスコミ発達により売りやすい有名メーカー制度品へ。これの値引かおこれば有名チェーン品へ。これが一般品化されてくれば再販品へと財源主力品は変っていき、いづれ再販品がなくなれば共同出資のPB品へと変っていくだろう。

 大店法改訂後の小売業界未来地図を画くのはなかなか難しいと大方のコンサルタントの話であるが、大体次のように分かれるのではないかと聞いた。@無気力薬局A独自経営薬局B企業型薬局C無店舗経営D協業化と大きく5つになる。

 @は、希望もやる気もなくし一人悩みつつ転職、転業を考えていく。

 Aは、皮膚病、美容、漢方専門といった専門薬局だが、何度トライしても、よほどの学力、話術、信念がないとなかなか客がついてくれない。カリスマ性をもったムード作りが必要だが、一代限りになることが多い。

 Bは、100坪200坪という大型店、又は10店、20店以上の支店経営となる。男としての事業欲はあっても資本力、人材確保、たしかな経営手腕が必要である。

 Cは、配流販売、関連商品の外販、カタログ通信販売を主にすることだが、資本力、人材確保、機動力が必要である。となってくると、一般薬局が考えるべき選択は

 Dの協業化であろう。ボランタリーチェーン、フランチャイズチェーン、独目グループのいづれかに加盟することになる。加盟店がそれぞれの地域で一番店になるよう販促企画を提供指導する本部でなければならないのはもちろんであるが、会員もただ加盟するだけのプラ下がり会員の集合体ではだめで、自分も本部の一員であるという積極的な気持をもたねばならない。本部と加盟店がすべてにおいて意志統一された運命共同体であるという基本的認識がなければ、加盟しているチェーン組織そのものの格差が出てくるのは必至といわれる。

 生活に必要なものは切りつめるが、生活を豊かにするものには金をおしまない時代。きまりにしばられるより自由でありたい。家族という単位より独り暮しの方が気楽でよい。収入も働くというより楽しみながら得たい。という物質的に豊かになった若い人達の動向も頭において、ただ価格のみの競争ではなく、入りやすいドア、入口に当るマスコミ品の価格設定と、客に親しみと楽しみを与えるムード作りと、提供する商品にプラスアルファーの附加価値をどうつけていくかのノウハウ競争が今からの格差をつける鍵になっていく。

 自店のより活性化のためには加盟している会やグループをいかに活用していくかを短、中、長期的に考える時期である。


 <特 集>

私は思う     南支部野間部会 壮健薬局 岩佐 周一郎

 最近新聞紙上で独占禁止法の特例制度の改革で再販売価格維持制度の見直し、及び大規模小売店舗法の改正などについて、紙上を賑わしています。我々薬業界に及ぼす影響ははかりしれないものがあると考えます。

 医薬品については行政では生命関連商品であるといいますが、この医薬品が価格競争により、一般の物(商品)として取り扱われることは薬に対する考え方を変更して行かねばならないのではないでしょうか。

 しかし最近の若い世代はものを言わず買物するスーパーやコンビニストアに馴れており、対面販売の良さなど分かっていない人が多い様に思われます。自分で新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどで情報を仕入れ商品を購入するという姿勢がみられる様です。

 対面販売の良さは顧客と店内の先生とのコミュニケーションがもてて、適切な商品の購入及びワンポイントアドバイスが受けられるメリットがありますが、しかし大店法の改正で大型店で豊富な品揃え、低価格表示、宣伝にまどわされ、一般大衆はその店で買物をする様になると思います。

 この様なことになると一般国民はまどわされた情報で物を買い、そして商品を使うことになります。やはり医療人としてこれでよいのでしょうか?

 又、厚生省及び日本薬剤師会では薬局で処方せんの受皿として十二分に機能を発揮して欲しいとの事ですが、現在福岡市では国立福岡中央病院の院外処方せんは日をおって発行数も増加の傾向にあることは大変良いことだと思います。薬局の先生方も採算を度外視して将来の薬業界のため大変なストックを覚悟上で医療人として受けておられるのが現状です。

 しかしボランティアの様な採算度外視の経営も生活が成り立っての上でのことです。現状は店の経営も厳しい状況に向っておりますので、ここで薬剤師は医薬品の小包装化、会員のための備蓄センターの常設など考えて行かねばならない問題と思っています。いかがでしょうか?これを実行していかないとこれからのサバイバル時代は生き残れないのではないでしょうか!!


 <特 集>

OTC薬局としてどう生き残るか     東支部和白部会 和白薬局 井原 俊一

 「OTC薬局と再販制度撤廃に関してどう生き残るか」について書けとのスゴーい命令をご存知の戸田先生から依頼された。その後には木原女史のコワーい影があります。然し乍ら、テーマがテーマだけに言及する知識も資格も持ち合わせていません。

 とはいえ二人は三回生と二回生ときてる。小生苦しい立場の一回生なのです。一念発起して、今までの少ない経験を基に独りよがりですが自分の考えを記させて戴きます。

 私は30年代の乱売時代を覚えています。薬局にはならないぞと思ったが免許が必要になって引込まれてしまった。当時の困窮は云い震わせない程でした。その苦汁の中から先輩の先生方が団結なさって適配条例や再販制度を獲得されました。本当に反省と努力の結果の果実です。現今の不安定の中の安定状態が出来上がったのです。

 その一つの適配条例は廃止され、今一つの再販制度が撤廃されることになればどうなることでしょうか。大店法改正は「個人商店30万軒の安楽死」と位置づけられたとおりになっていくと危惧しています。再販制度撤廃は絶対反対です。然し乍ら阻止できないだろうと私共々先生方の大多数は解っています。

 さて今迄の考えは商法に立脚した考えです。私はもう一つの医療人としての重要な顔を持っているのを忘れてはいません。私達薬剤師は毎日の店頭活動に於て、微力ではありますが地域の軽医療面でお役に立っていると確信しております。何故なら薬剤師綱領に地域住民の健康と豊かな暮らしに貢献しなさいとうたってあります。

 例えば処方頷調剤はもちろんの事目盛薬品の全ゆるDI活勤、売薬も含めた重複投与、過剰投与のチェック、症状によっては即ドクターや歯科医師への紹介、養生法、健康指導、更には配置薬や救急箱の中の薬の問合せ、その他切りがない。私達の毎日の医直面の顔は本当に大変な仕事なのです。

 だから私はくよくよする暇がありません。というのは地域の皆様にいかに頼られ支持して下さるかを考えていなければいけないからです。いわゆるホーム薬局のスタイルです。どうして生きていこうかじゃなくて、地域の皆様に生かされているのだと自分自身に強く云い聞かせてきました。

 私達開局薬剤師が安楽死しないためにはマージン追求のみを主とせずテクニカルフィーで生きてぃくのだと思います。つまり地域に根ざした身近な薬局づくり「薬もあります。調剤も出来ます」といったカンバンです。

 他方で三師会の先生方共々協調しながら私自身が信頼されるべく薬局の姿勢をつくる努力を勉強を忘れてはいけません。

 とは言っても元に戻りますが商法にのっとての経済面を無視はしません。再販廃止後は価格は乱れます。きれい事だけ云っては居れない。撤廃に対抗しては、売価の安定した適切なマージンのある商品を広く選別して、テクニカルフィーで押進んでいこうと内心では本根があります。

 いづれにしても、薬剤師職能をフルに生かして、半健康人を健康人に慢性病予防に栄養学的健康増進指導に重きを・置けば、私は生かされるのではないでしょうか。どうぞ先生方よろしくご指導お願い致します。


 <特 集>

再販問題について     福岡県小売商組 副理事長 合澤 英夫

 既に新聞、業界紙等で御存知と思いますが、独禁法の見直しが行われ、現在まで独禁法の例外的措置として、化粧品、医薬品について再販が認められていましたが、今後その存続は難しいのではないかと云われています。

 公正取引委員会にて答申に基づいた検討が行われ早ければ今秋にも、遅くとも来春にはその結果が発表され、施行される事になると考えられます。その経過については、いろいろな意見かおりますが、希望的観測によってでも、医薬品の再販は一部残ればよい方で、悪くすれば廃止になるのではないかと云う見方が大半のようです。

 適配条例廃止以後、さまざまな困難が業界に押し寄せ、その度に小売店の方々の大いなる努力と、メーカー、卸、薬剤師会、商組等の協力で、何とか切り抜けて来ましたが、この度の再販の撤廃になれば、業界をとりまく環境は全くの自由競争となり零細小売店にとっては厳しい時代を迎えなければならない事になります。

 全商運(全国医薬品小売商業組合連合会)では、8月17・18日の2日間、OTC市場の主力メーカー、直販メーカーを招き、各社1時間30分にわたって、現状、今後の方針等を聞き、それにより商組として、何如に対策をたてるべきか検討を重ねています。そして当面は再販制度維持に全力を尽くしていく事に最大の努力を傾ける事になりました。

 しかし、少し見方を変えて、現状に於ける再販品を良く検討してみますと、実際の医薬品の売り上げに対する再販品の割合は、小売店々によって若干の差はありますが、以前ほど高くないように見受けられます。

 メーカーの現在の再販品の品目数を出してみますと、武田5品目、三共9品目、エーザイ4品目、 田辺3品目、中外4品目、藤沢2品目、コーワ4品目、山の内1品目、参天4品目ロート、6品目、久光6品目、SKS4品目、山発1品目、ホーマー1品目、小林2品目。

 制度品と云う考え方が有名無実化している現在、再販と云う法的規則がなくなったとしても、所謂、制度品的な取扱いをした商品は、比較的安定を保っている(福岡に於いては)と云って良いと思います。それが何故、そのような状況であるかを良く分析してみる必要があります。

 やはり薬局、薬店にとって医薬品は経営的基盤であり、生命にかかわる商品であると云う、特殊な、専門的な見地からも又利益の面からも懸念されるような乱売はないのではないかと考えたりしています。

 唯心配されるのは医薬品の再販がなくなる事がマスコミ等で宣伝された時、一般消費者が、すべてのくすりが現在の価格より易くなると思い込まれる危険かおり、又一部の小売店が、その時流に乗ったりして、一時的に混乱が起こる可能性がありますが、長時間に及ぶ事はないのではなかろうかと希望を込めて推察しています。

 しかし、とにかく現在はまだきちんと再販制度は法的に有効であり、これを守っていかねばならないのは云うまでもない事です。再販について、商組の立場からと、個人的意見とを述べさせていただきました。


 <特 集>

再販制度の存続を     南支部井尻部会 菊水薬局 大久保 淑住

 「一般用医薬品、化粧品の再販について、廃止を含めて抜本的見直しが必要である」ことを公正取引委員会の政府規制等を競争政策に関する研究会が報告しました。この為公正取引委員会は年内をめどに業界の意見をまとめ対応することがマスコミより報道され、一般用医薬品の再販存続の結論が明年初めには出されるとのことです。

 昭和28年に独禁法の例外規定として導入された再販は距離制限と共に戦後の薬局経営の体質を強くしてきました。昭和49年再販の洗い直しが行われ、再販に対する依存が少なくなったとは云え、今日も市場価格が安定しているのは再販かおるからだと思います。

 もし再販が廃止されたとしたら、これまで価格が安定し遂にメーカーの一方的値上げもおさえられていたものが、価格競争に歯止めがきかなくなり、乱売がエスカレートすることが充分予想されます。そしてそれは私達開局薬剤師にとって経済的地盤が沈下することになります。

 我が国の薬局薬店の売上で一般薬は40〜50パーセントと云われております。そして再販商品はその20パーセント。確かに再販商品の一般薬全休からみたシェアーはずいぶん下がってきています。しかしその商品は大方売れ筋商品です。市場価格には大きく影響する商品ばかりです。それだけに再販を廃止させるわけにはいけません。

 これまで一般薬は安全ではあるが有効性がいまひとつ期待できないと云われてきました。しかし自己治療がみなおされ、いわゆるスイッチOTCの登場で、自信をもって販売できる薬が次々と発売されております。

 そして消費者も一般薬に対する認識を新たにしてきています。また検査試薬も尿検査試薬の一般薬化か決まり、更に追加される事も期待できます。

 一般薬の将来に明るい展望が開けてきました。こう云った背景はあるものの、日本の医薬分業は緒についたばかりです。諸外国の分業が薬局経営の柱となっているのに比べ我国の薬局は大半が一般薬が経営の柱です。

 医薬品は価格競争をすることで消費を助長すべきものではありません。薬は薬剤師の指導のもと正しく使ってこそ本来の効果が期待できるものです。再配の廃止は薬局薬店にとって大きなダメージとなるだけでなく消費者にも決して良いことではありません。

 この際私達は一致団結し再販の存続を訴えましょう。


 <特 集>

マル再撤廃の死角     城南支部友泉部会 アップル薬局 浦本 光憲

 戸田氏から寄稿依頼に気安く返事をしたのはよかったのですが、テーマが「マル再撤廃」と言われて、これ迄此の事について、ついぞ真剣に考えた事がないのに気がついて、我ながらこの後の祭りをどうしようかと、すっかり参ってしまいました。ですからして、内容は推して知るべし。藤四郎の戯言と、聞き流して下さい。

 さて、マル再=再販売価格維持契約とは、独占禁止法の適用を受けない例外品目(本、薬、化粧品等)について、販売競争が激しく、卸や小売の段階で泥仕合の恐れかあるので設けている制度。

 すなわち、メーカーと小売が販売価格を決め、小売がこの価格より安く売った場合、何らかの制裁を受けると言ったものらしい。ご存じの通り、最近の日米通商交渉で大店舗法と同様に問題視された制度です。ひとくちに時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、大店舗法でもマル再でも消費者の利益優先の錦の御旗の前では、改正や撤廃の方向へ伺わざるを得ません。

 しかし、アメリカに言われて立てた錦の御放では、威光もかすむ気がしますが……。錦の御旗はさて置き、本題のマル再、特に「医薬品のマル再」に絞って話を進めましょう。

 よく見かけるキャッチフレーズに「消費者のニーズに合わせ、いい物を、どこよりも安く」があります。思わずウーンと唸る。説得力のあるフレーズですが……ちょっと待てよ。医薬品に限っては何かか足りない気がします。

 消費者の利益とは何か、もう一度考え直してみましょう。先ず第一に、症状か改善された、治ったといった満足度、第2に知名度もあり副作用がないといった安心感。第三に安価である。さてこれだけでいいのでしょうか。医薬品以外なら、安価で、安心して使えて、満足度も100%なら言うことなし。では医薬品では……。

 頭痛薬を例に考えてみましょう。テレビで毎月宣伝をしていて、おまけに安くて、服んだらスッキリ!−週間後、また痛くなったので同じ物を続けて服んだ。その次の週も痛くて服んだ。今度は大きいのにしょっと。

 やや意地の悪い例かも知れませんが、これではお店の利益にはなっても、お客様の利益になっているでしょうか。頭痛の原因を探り、根本的な治療を説得しながら適切な薬を推奨する。場合によっては病院に行く言も勧める必要があるでしょう。肝疾患、糖尿病、心筋梗塞はないか、薬は何を服用しているか等々……。

 先程、何かが足りないと言ったのは、まさに「正しく販売する」という言ではないでしょうか。これを怠ると、OTCと云えども取り返しのつかない結果になる事は枚挙にいとまがありません。

 話はちょっとそれますが、個人的には医薬品は薄利多売と前述の「正しい売り方」とは、時として色々な面で敵対するからです。適正なマージンを得て、出来る限り正しい売り方をし、消費者の利益につながる。

 マル再も一部では有名無実と言われたりもしますが、もしその効果があるとすれば、マル再商品よりもむしろ、制度品と呼ばれる、有力商品の価格を広範囲に維持させた事ではないでしょうか。深層心理の奥底にマル再も制度品も同じであると植えつけられた様な気がします。私としてはマル再撤廃に反対ではありません。又、撤廃されても、他の業界程安売りが激化するとも思いません。

 カメラや電化製品は必要性と嗜好品が必ずしも一致しません。だから余計欲しくなる。安いとつい買ってしまう。しかし、薬は皆が欲しがるものでもなく、必要もないのに安いからと云って買うものでもありません。多少のダンピングはあるでしょうが、消費者の求めいるのは、安さだけではないと、アンケートにも出ています。

 これを機会に、その消費者が薬屋に求めているものを再確認すると共に、「正しい売り方」が、マル再撤廃の死角に入り、ゆめゆめ忘れ去られる事のない様、お互いに気をつけたいものです。


 <特 集>

再販制度撤廃を乗りきるために     西支部壱岐部会 ナカガミ薬局 仲上 一成

 最近、新聞紙上で再販制度撤廃の記事をよくみかける。このうち医薬品・化粧品もこの撤廃品目の対象になるそうである。それも医薬品に関しては小売段階でかなり価格のバラつきがあるので、再販からはずれるのもさほど問題がない、と言うのである。まさに一部の小売業者の為に業界自身が自分で自分の首をしめたようなものである。

 医薬品が再販品からはずれると市場はどのようになるのであろうか?一部には、やはりかなりの値引き販売をするところも出て来るのであろう。

 しかし我々薬局は、医薬品を売ってこそ経営が成り立つのである。雑貨ばかり売っていては経営は成り立たない。その大事な経営の柱である医薬品をダンピングしていたのでは、経営は苦しくなるばかりでりである。

 事実、全国チェーンの量販店などでは、再販が廃止となっても、医薬品はダンピングしないと言っている。たくさんの従業員を抱え、家賃を払って医薬品をダンピングすると経営が成り立たたないのである。経営規模の大きなしっかりした薬局ほど冷静に経営内容を分析しているであろう。

 しかし、中途半端な理性のない安売り店に対抗するにはどうすれば良いか?安売り店に出来ない事をすれば良いのである。それはこまめな接客、つまり服薬指導・薬歴管理・情報の提供・生活指導・食着生の説明etc……。お客様が物以外に欲しているサービスを提供すれば良いのである。

 しかし、それを十分に行なっていくには最も知識の豊富なはずの店主(従業員の方が知識が豊富であれば別だが)自ら、第一線の店頭に出て接客する事である。しかしその知識を習得する為に色々な研修会や会合に出席する必要があり、店を留守にする事も多いと思う。しかしこういう厳しい時代を乗り切るには、その辺のバランスをうまくとりながら極力第一線に出て自ら接客する事が大切な事だと患う。そして自分の又自分の店のファンを多く作る事である。

 よく言われる事であるが、「儲」とは信者と書くいかに自分の信者をたくさん作るかという事が、安売り店に対抗する唯−の手段である。


 <特 集>

矢面に立たされ     南支部長住部会 タカヒロ薬局 瀬尾 隆

 ☆ひとりごとパートI

 何故か、消費者保護のもとで再販制度を廃止にしようとする公正取引委員会の指導要領は私には納得できないし好きではない。

 何故、公正取引委員会は小売店の立場の事は、考えないのでしょうか。どうして安定した利益の儲を取ってはいけないのでしょうか不思議です。日米貿易摩擦・大店法・独禁法・流通問題等で薬局が、しかも零細で小さな個人の薬局が今まさに(被害の)矢面に立たされようとしています。

 厚生省はもっともっと公取に対してOTC薬局を通した薬剤師会の活勤やまじめな薬局の現状、状況を説明すべきです。また流通部門でも自治権(医薬品の特殊性、スベシャル性)を発揮して公取に対しイニシャティブを取るべきだと思います。

 再販廃止になると医薬品も自由価格になります。そして医薬品が自由競争になり、商品価値も物としてとらえられ、物から物へと軽く販売されます。結果的には医薬品はとこでも置けて誰にでも売れるようになります。何のための薬剤師でしょうか?薬事法にある薬局、薬剤師は結果的には何でしょうか。

 ある意味では薬局、薬剤師は非常な規制、制限、責任を負いながらある一方では無制限な無責任な立場に立たせられることが多いと思われます。そして矛盾も感じます。これは先輩達われわれ薬剤師の永遠のテーマなのでしょうか。(アメリカナイズされた再販廃止よりも、日本的解決!?を望みたいものです)
 厚生省しっかりせよ。厚生省もっともっとガンバレ!!

 ☆ひとりごとパートU

 再販廃止になった時の薬局経営は非常にやりにくい厳しい状況におかれる事はまちがいないと思います。まず第一に乱売、価格の乱れ、第二に組織のみだれズレ、第三に弱肉強食時代……。

 しかし、考え方を変えてみましょう。 こういう状況、時代だからこそ、本来の薬局の姿、本来の薬剤師の姿勢が問われることになるのではないでしょうか。

 地域医療の中でいかに日々、地域住民の人たちに貢献しているか、そして日々、薬局活動の中でお客様や患者さんにどれくらい信頼されているかが、問題だと思います。最終的に大事なことは本人の人格、品格と薬局の店格ではないでしょうか。(どう思われますか?)

 以上のことをふまえて、私自身に対して、自問自答し、気持ちをふるいたたせて、これからの再販問題、流通問題etcにも、自分の薬局の進む方向を見失わないように、明笑喜楽な薬局をめざしたいと思います。


 <特 集>

書籍販売業の場合     博多支部千代吉塚部会 荒巻薬局 荒巻 滋

 今春、某ビジネススクール教授によるケースレクチャーを受ける機会を得た。題材はジャパンブックボックス。本屋さんである。ジャパンブックボックスに関する資料は近所の本屋さんにやってしまったので詳細は思い出せないのだが、バーコードの付いていない本をレジスターを用い単品管理する方法を考えだした会社である。

 この会社はこの独特のシステムを用い急成長をとげているそうである。しかし問題点がないわけではない。本を単品管理し、売れすじばかりの品揃えにし、回転率を追求してゆくと、どうしてもコミック・文庫・本・週刊誌中心の品揃えとなってゆくそうだ。そうなると当然、書籍販売業の本来の意味「文化の担い手」としての役目を果たせなくなってしまうとの事であった。

 そうすると本の業界はどうなるか。
@比較的好立地において、コミック、文庫本、週刊誌を中心に回転率を追求してゆくタイプ
A都市部の商業ビル内や郊外において広い店舗内に多種多様な書籍類を並べ、それ自体が文化施設であるにふさわしく美術品などのコーナーも併せ持つタイプ。あるいは逆に美術品を扱う店舗が関連する書籍を扱ったり、フォトスタジオが写真に関連する書籍を扱ったり、楽器量が楽譜や音楽関連の書籍を扱ったり
Bある種の文化施設に併設される形で営まれるタイプ。

 このうち
@はコンビニエンスストアの雑誌売場を発展させたようなもの。
Aはたとえば天神コアビル内の紀ノ国屋、福ビル内の日本楽器。
Bは美術館や博物館の書籍売場。学生街の本屋さん。これらの3つのタイプに大きく別れてゆくものと思う。

 そして現在の書籍販売店の多くが@のタイプを進んでゆくのではないかと恵う。もし仮に書籍販売業の再服制が撤廃されたなら、この傾向にさらに拍車がかかり、その多くが「文化情報の担い手」から単なる「情報の担い手」へと変遷するものと思われる。

 その後本を通して文化を担うのはおそらく前述のABのみとなり、又それはほんのごく一握りの本屋さんに限定されてゆくものと思う。

 異業種の参入も激化し、ことに@のタイプにおいては回転率を追求してゆく単なる流通業者の集まりであるから、特に本によって生計を立ててゆこうとする者にとっては、その競争は熾烈極まるものとなるであろう事が予想される。今はやりの言葉をもってするならば、業種としての書籍販売業はここに崩壊する。

 ではなぜこのような悲劇が起こるのか。それは@のタイプの経営者に文化の担い手としての自覚が欠けている為と思う。

 もし不幸にして医薬品の再販制の撤廃されたならばどうなるか。暗中模索の毎日である。


 <特 集>

教わった詩のように     西支部姪浜部会 泣^ケオ薬局 竹尾 真一

 原稿の依頼がありましたのでここに書きます。九州では、これからの時代を乗り切るために問屋さんが合併しています。

 しかし、薬局の合併などまだ耳にしたことがありません。薬局はどうなるのでしょうか。どんなチェーン・組織に入っていても、店は自分で守っていかねばなりません。誰れも生活面まで助けてくれないのです。(有為な助言は頂けますけど)

 私は消費税導入の時に、レジスターも替え、説明会にも出席したけれど、余りにも無駄が多かったような気がします(精神的・金銭的に)。というのも、会員の中にはいらっしゃらないと思いますが、今も消費税を預かってないお店があると聞きます。例えばサロンパス1、400円と1、442円はお客様の立場で考えると・・・。

 再販制度がなくなったら、この価格問題はもっとエスカレートするでしょう。その結果きっと、大阪・東京のようになり店頭では、お寿司屋さんのように、価格表示に「時価」と表示されるものが出て来たりするかもしれません。

 私の店は母と私と2入でやっています。処方せん調剤はほとんどゼロです。幸い母が元気なので、「私が元気なうちに勉強しなさい」と言ってくれますので、8月の第2週は店に半分しかいませんでしたし、第4週も半分は出てました。9月も日月、土日と別々の研究会に出席する予定です。

 自分のためにと、私は行動を始めました。再販がなくなっても、それはそれ、時代の流れには逆らえません。お寿司屋さんの寿司のように、時価でもおいしいと言ってくれる人を一人でも多く作っていこうと思います。

 今の段階では、私自身はっきりわかりません。その時が来たら、周囲を見ながらやって行こうと思っています。今はそんな事よりも、私は自分自身をみつめ直して、行動を開始していくつもりです。

 私みたいに、感じたままを、パアッーと言う男に原稿を書けと言われた先生はキッと何 か考えておられるのでしょう。この原稿を読んで他の先生方がまた別の考えを言われる。その時に、それらしき方にまた原稿を依頼されるのだろう。

 私が教わった詩を最後に書きます。これからも先生方の力でこの会報を今以上に立派なものにして下さい。

     青春まっしぐら

     今まで
     まわりの言うことばかり気にしていて
     何もできなかったけれど
     自分に勇気がなくて
     動きだすことができなかったけれど
     もう、いいんです
     とことんまで
     つらい思いをした私です
     とことんまで
     みじめな自分をみつめたわたしです
     とことんまで
     くやしさをかみしめた私です
     さぁ、はじまります
     私のほんとうの人生が
     今から動きだします
     ずいぶん一人で悩んできたけれど
     ずいぶん一人でさみしい思いをしたけれど
     ずいぶん一人で苦しんだけれど
     もう大丈夫です
     やるときめたんです
     行くときめたんです
     つかむときめたんです
     さあ、はじめます
     青春まっしぐら
     私は
     夢に
     愛に
     幸せに
     むかって
     今
     行動をはじめます



第一回薬局実務研修会を終わって     福岡市薬剤師会 副会長 長谷川 宏明

 医薬分業は確実な進展が見られ、その速度も加速されつつある現状である。こうした状況の中で今までに無い問題点が幾つか新たに発生している。

 その一つは調剤応受薬局が地域によっては不足しているため応受薬局の育成が必要になっている事、国立福岡中央病院の分業実施の過程で行われた応受薬局研修で、調剤に対する基本的知識の不足が一部に有る事、また社保委員会からは保険調剤と保険請求での知識不足による間違いがかなり見られる事等が指摘されている。

 これらの問題を解決して行くには、保険調剤における基本的知識を多くの先生に修得してもらう事が必要であり、研修を受ける事で保険調剤を始めるにあたっての不安を無くし、また、既に調剤をされている先生には、断片的な知識を整理して確実なものにし、さらなるレベルの向上を計り、新卒の先生の研修にもなることを目的にした研修会を企画した。

 研修内容はこうした目的を満たすため、実務上必要であろう事項を広範囲に網羅し、また、テキストを作る際各著者に対して単なるテキストではなく、実務の参考書となり得る内容にする事をお願いし、県薬務課の全面的な協力も得て、研修内容もテキストもほぼ目的通りのものとなった。

 企画から研修会開催まで1年以上の期間を要したが、その大きな要因はテキストを参考書になり得る内容としたことであり、テキスト作りだけで8ヶ月問を要している。

 この間著者及び講師としてお願いした先生方の熱意ある努力と協力が得られたことは、全員の先生方が分業に伴う現状の多くの問題点への理解と、医薬分業を定着させ社会的評価を得て行く上で、この研修がどうしても必要であるとする認識があったことが大きい。

 第1回の研修会は8月3日(土)、4日(日)、24日(土)、25日(日)の4日間延18時間にもわたるものであったが、成功裡に終了することが出来た。

 受講申込み数54名、受講者48名、4日間全講義終了者32名、1部未受講者16名、の結果となり、32名の先生には受講終了証を三津家会長よりお渡しした。16名の未終了の先生方には、次回の研修会で未受講部分を受講してもらうことで、終了証をお渡しする予定である。

 受講された先生方は、薬剤師になって1年以上の実務経験のある先生が大部分で(89.5%)、今年卒業の先生は3名のみであった。

 受講された先生の何人かに受講の動機等を伺ったところ、自身の知識が古くなっているので新しい知識を修得したい、調剤を始めているが自身が持てないので、研修の内容ほどまとまった勉強をしていないので、といったものであった。

 また、新卒薬剤師の先生が少なかったのは、内容が実務経験の無い先生には麗解であり、広範囲すぎたためと考えられる。終了にあたって多くの先生から、いい勉強になりましたとのお礼の言葉を頂くことができた。

 講義の内容が今のままで良いのか、内容相互の関連性等、まだ検討してゆくことも多いと思われ、諸先生の批判とご指導を頂きながら、よりよい内容にして行こうと考えている。次回はできれぱ11月に行い、この時は新卒の先生方はぜひ受講して下さるようお願いしてゆきたい。

 なお、テキストは薬局で実務上の参考書として充分使っていただける内容となっており、印刷費(4、000円)で市薬剤師会でお分けしているので、ぜひご利用ください。

 著者・講師として協力して下さった先生方、及び研修を企画した市薬剤師会の趣旨を理解して受講して下さった先生方に深甚なる謝意をささげて第1回薬局実務研修会の総括としたい。

 〔調剤実務研修会〕

 日 時 8月3、4日  出席者48名  場所市薬会館4F講堂
     8月24、25日  出席者32名

実務研修会

【支部だより】

早良区薬剤師会     早良区薬剤師会 社保委員会 清永 遠三

 [第一回保険薬局研修会]

 日 時:7月18日(木)午後7時〜9時
 場 所:「スタジオ・ジョイントファイプ」

 早良区薬剤師会社保委員会主催の第一回保険薬局研修会を上記のように開催いたしました。今回は特に国立中央院外処方せん応需との関連を取りあげましたが、区内保険薬局57軒中41軒「指定薬局」以外でも多数の参加が有り、「指定薬局」以外の薬局でも面分業(処方せん応需)への感心の高さを感じさせられます。

 早良区においては「指定薬局」募集のさい、積極的に参加を推進した経緯かあり初めて処方せんを応需する薬局や、一般販売からわざわざ保険薬局の許可を得て[指定薬局]になった薬局までありまして、国立中央より院外処方せんが出始めた頃は、てんやわんやの混乱が発生するほどでした。

 現在国立中央院外処方せんでは中央区に次いで多くの処方せんを応需しておりますが、早良区内には大型備蓄薬局が少ないので処方便が来たときクスリを揃えるのにひと苦労の状況で、常に備蓄基幹薬局整備の要望が叫ばれてます。

 結局近所に備蓄薬品が無いために薬品を買い揃える、それが頻繁になって不必要在庫が増え負担がかかる、今回の質問の中でもこの不良在庫(負担)を何か良い方法で解消する方法がないのか?そして今後院外処方発行率13%から30%の発行率になってきたときの対応についてももっとしっかりした解決策をこうじて欲しい、分業百年の願望の為に一生懸命頑張っている「指定薬局」ばかりが大きな負担を強いられ、かっこうのいい「基準薬局」の認定を受けながら「指定薬局」にはなっていない要領のいい薬局などかおり、「基準薬局」とは?と首を傾げたくなります。

 市薬や県薬は何等積極的解決策もこうじないで成功例ばかりを発表しているが、現場の薬局では犠牲的な苦労と負担を強いられている事を知っているのか、という意見もでました。 早良区社保委員会としても、備蓄薬品情報を頻繁に集め集計し、何度も「備蓄薬品リスト」や「不要備蓄薬品リスト」を独自に発行して補っています。

 今後の対策として、これらの余った薬品を何軒かの備蓄薬局に集めて、院外処方せんが来た時もクスリを揃える為に何軒もの薬局を駆け回らなくてもすむ方法を考えていますが、これも費用がかかり予算かおりません、もっともっと市薬、県薬は実質的な対策をたて実行するようにとの要望が出ております。               平成3年7月30日


【支部だより】

南支部     南支部長 大庭 秀臣

〔第一回南支部研修会〕

日 時 平成3年7月18日 午後7時〜8時40分
場 所 アミカス視聴覚研修室
講 師 福岡県薬理事 中島英之先生
演 題 保険薬局での服薬指導
    一薬歴簿を活用してー
出席者 20名

内容
1)総論
 医療人として、薬剤師に与へられた「調剤業務」に対する権利。それに伴なう社会 的義務と責任について。
 患者から喜ばれる薬剤師でなければならない。即ち患者との人間関係が密な事によ って、患者の心配、悩みを聞き、患者の心理を充分理解した上で、服薬指導をする事 が大切である。その経過を遂次、記録したものが薬歴簿であり、次回以降は、それを 参考にした服薬指導がなされるべきである。投薬名のみ記載したものは、真の薬歴簿で はない事を述べられた。

2)各論
 先生の12年間、実践に携わった経験を、実例を上げ、詳しく説明された。なお現役 として、店頭で患者に接せられる特の心づかい、話し方の説明があった。亦、医薬品 情報を医師に提供しながら、医師と定期的な話し合い、患者の現況報告を頻繁に行う 事による、患者の立場に立った「調剤」を行う必要性を述べられた。その為には日頃 からの研修の充実に務めねばならない、と力説されました。以上の事が為された時に、 真の「医薬協業」の時代が訪れ、薬剤師として使命が達成され、経済的安定が為され ると結ばれた。

 中島先荏には、御多忙中、また健康を害されている中、貴重な御講演を頂き有難う 御座居ました。私達は、早速実務に反映させ、日々の研鑽に努めます。

〔健康フェアー準備打合わせ〕
於南保健所
面読者 予防課長 短吉香保子先生

◆第一回会合

 8月22日(木)吉田、大庭
o従来の方法では、マンネリ化しているので、新しく医薬分業に関する分野を導入したいと申し出る。国立中央、南区に於ける分業推進状況を説明。
 先生「非常に前向きである」と謝意と賛同を得る。しかし、医師会との摩擦は避け 度いとの由、当方も了解し、次回を8月28日(水)に行う事を約す。
o県薬にパネル借用を依頼
 分業に関するもの9枚を借用

◆第二回会合

 8月28日(水)吉田、大庭
oパネルを持参し検討する。
 9枚の申から5枚を選択する。「処方せんをもらったら」から[クスリの飲み方]まで、  一連のストーリーになったものを選ぶ。
o大衆薬相談は「クスリ、何でも相談」と改称する事に合意
o大山幸徳・南区医師会長に同意を求める為、恒吉課長、他係長1名と同行する。会長より同意を得る。理事会に計るとの由。
o8月29日、南区医師会・森永専務より、理事会に於て、全員の賛同を得たとの返事あり、 同時に恒吉課長からも、医師会の報告あり。

結論
平成3年度は、「処方せんを貰ってから、薬を服用するまで」を薬なんでも相談でアピー ル致します。


< 会 議 報 告>

[第3回支部長会]

日 時 平成3年7月16日(日)午後7:00
場 所 福岡市薬剤師会館会議室
出席者 三池家会長、藤原、松枝、長谷川副会長、冷||専務理事、細井、正岡、深江、合渾、篠崎、戸田各常務理事、木原理事、松井、高杉、光安、栗田、糸岐、吉田、大庭各支部長南島副支部長、古賀県薬副会長

1.会長挨拶
 だいぶ暑くなってまいりました。お忙しい中お集まり頂き恐れ入ります。本日来年度の参議院改選に当っての対策を協議いたし度県薬より古賀副会長においで願いました。今後の事業につきまして各常務より説明いたします。なお青谷理事が一身上の都合で退任され空席でしたが、今回戸田昭洋先生にお願いをし、常務理事に就任して頂きました。

2.協議・報告事項
 (1)来年度参議院選挙について
 (2)シーサイドももち他行浜コートハウスA−1の利用について
 (3)薬局実務研修会実施について
 (4)第8回福岡市健康週間行事について
 (5)その他

〔三役会〕

日 時 平成3年8月7日(水)午後7:00
場 所 福岡市薬剤師会会長室

1.会長あいさつ  暑い中お集まり頂きまして、ありがとうございました。本日は今後の事業の進め方について、早速協議して参りたいと思います。

2.協議事項
 (1)シーサイドももちコートハウスA−1の利用について…臨時委員会で検討する
 (2)薬事功労、公衆衛生功労各県知事表彰について
 (3)薬局実務研修会について
 (4)その他


< 委 員 会 報 告>

【急患委員会】

日 時8月2日(金)午後6時
場 所 市薬会館
出席者 成澤、市花各理事、小松、深見、竹尾、馬場、北島各委員

1.9・10・11月出動表作成
2.新規出勘考説明会報告
3.来年度OTC薬局勤務者の実習について
4.九州山口薬学大会における救急医療協議会について
5.急患センター医薬品集作成について

【急患診療センター医薬品集編集委員会】

日 時 8月8日
場所  市薬会館
出席者 長谷川副会長・篠崎常務理事、市花、藤田、成潭各理事、唐沢、福沢、湯川、中島、内村(代理)各委員

1.医薬品集第5版編集に関する市医師会との改訂検討会議の経過及び品目決定の説明
2.医薬品集第5版の内容について
3.その他

【薬局実務研修会】

日 時 7月9日(火)午後7時
場 所 市薬会館
出席者 長谷川副会長、冷川専務理事、深江、合澤、篠崎各常務理事、市花、藤田各理事、江口一久油井各委員

1.薬局実務研修会について
 a、日程
 b、講義時間と受持ち日の決定
 c、場所
 d、研修会当日の出動者
 e、受講申込方法
 f、終了証の発行
2.その他

【学術委員会】

日 時 7月15日(月)午後7時
場 所 市薬会館
出席者 篠崎・潭江各常務理事、市花・藤田各理事、中島委員

1.次回薬物療法研究会の打合せ
2.薬局実務研修会の日程
3.その他

【薬局委員会】

日 時 7月23日(火)午後9時半
場 所 市薬会館
出席者松枝副会長、冷川専務理事、深江常務理事、小野、鶴原各理事、藤野、本村、中野、吉田、向井各委員

1.各区健康展の取組状況
2.全支部共通のテーマについて
3.薬草観察ハイキングについて
4.漢方学術講演会について

日 時8月7日(水)午後7時半
場所市薬会館
出席者深江常務理事、中野、国武、本村、吉田、向井各委員
健康展について
 o各区のスケジュールについて
 oテーマの検討

薬草観察会について
 o場所西区今潭「毘沙門山」
 o10月13日(日)市薬共催:市民対象
 o10月10日(木)市薬会員を対象
 o9月8日(日)薬局委員会下見


「FBS那珂川手作りイカダまつり奮戦記」

イアダまつり

 6月7日調剤室で読んでいた西日本新聞右上スミの記事。すべてはそこから始まったのである。

 「手作りイカダまつり'91設計募集」前から構想を練っていた「アウトドアライフ同好会」のイベントにピッタシ!すぐに図面をひき応募しました。

 待つこと1ケ月。「合格通知」が舞込みました。これからが大変。資金と人員の確保。資金の確保は、冷川専務と合澤常務お二方が集めてくれることになる。人員は、発足した同好会のメンバー有志。

 早速、制作にとりかかる。藤田先生と材料調達に走る。コンパネ・アングル・ボルト・ナット等の購入とタイヤチューブの確保。夜7時から深夜まで市薬の駐車場での作業が続く。

 参加のテーマは「川をきれいにしょう」とそして薬剤師会の宣伝。制作で活躍してくれたのがヤクシンの山口さん。デザインを選考しただけあって文字のペイントには彼がいなかったら倍の日数がかかっていたであろう。

 皆の努力によってイカダが出来上ったのは本番2日前、当日は朝9時、市薬集合。イカダをトラックヘ10時前に指定場所へ入れる、色とりどりのイカダが並んでいる。

 いよいよ宮前駐車場にてクレーンでイカダを川へ降ろす。ちゃんと浮かんでいる。バッチグーである。市薬の旗を揚げる。そして昼食“勝丼”で気勢をあげる。

 開会式も済んで2時、いよいよスピード部門のスタートです。我々もそろそろ乗り込む時間です。クルーは私鶴原と藤田先生そして正岡先生の息子さん。三津家会長がビールの差し入れを持ってこられました。(飲むヒマがあるのかナァー)

 スタート地点へ移動する。むむっ!進まない。タイヤチューブの抵抗はかなりのものである。藤田先生が川へ入って押す。そしてエアーホーンのプゥォーという音を合図にこぎ始める。正岡息子が前払と藤田先生が後ろ右〜!、左〜!払の指示の声がとぶ。

 その都度前で方向を修正するのですが、うまくいきません。私と正岡息子が交代。春吉橋までのなんと長いこと。橋をくぐる度に、メンバーが上から声援を送ってくれる。春吉橋を越えてしばらく進むと審査員席がある。

 その前でパフォーマンスをするのダ!!イカグの両サイドに「たばこの投げ捨て」という文字が出される。藤田先生がたばこの形のハリボテをオーバーアクションで投げ捨てる。すかさず文字が「それ絶対やっちゃダメ」に変わる。次に「空缶の投げ捨て」そしてまた「それ絶対やっちゃダメ」にそして「川をよごすな」最後に「福岡市薬剤師会」の文字が大橋を目指す。そこをくぐればゴールが待っている。ここからすごい横風、右へ右へと流される。「あと40メートル!」「30!」「20!」「10!」「ゴール」。

 約1時間強の那珂川の旅でした。自衛隊の舟で水上公園へ向う。他のチームメンバーも乗っている。疲れきっているが、皆イイ顔をしている。また出ようかナ‥・

 競技を見ずに、回収場所で待機してくれた正岡、合澤両先生本当にご苫労様でした。                  (鶴原)

イカグまつりスタッフ一覧
 鶴原(ギオン薬局)、藤田(フジタ薬局)、正岡&息子(まさおか薬局)、笹野(ササノ薬局)、山ロ(ヤクシン)、溝口(友愛病院)、森川(森川誠心堂)、荒巻(荒巻薬局)、合澤(あいざわ薬局)、深江(星薬局)敬称略

イカダまつり

【広報通信】

親 孝 行 ・・・?     福岡市薬剤師会  広報担当理事 木原 三千代

 9月の理事会が終わって、「これ、読んだね?」と見せられた資料には次のような文字が並んでいた。一地方紙の「薬の相談コーナー」に毎週一団定期的に投稿(薬事情報センター校正)−と、あたかも県薬の事業であるかのごとき記載。

 この文章はさる9月20日県薬で開催された一医薬分業推進担当者九州ブロック協議会−で配られた資料にあったもの。ここに市薬ではの四文字が入っていればことさら『親孝行…?』などと、皮肉っぼいタイトルで書く気はさらさらないのだが。

 県薬では、この資料にあるような広報活動をなさっているのであろうか。

 もし、この地方紙というのがフクニチ新聞と西日本新聞のことであれば、これは福岡市薬が独白に展開している広報活動のことであろう。県薬からはビタ一文、いやビタ一文というのは少し言い過ぎかもしれないが、事業費の補助を頂いた憶えはない。すべて市薬の予算で賄っている。

 現在市薬では、地方紙への投稿のような目に見える広報活動を展開しているが、これとて一朝一タにできたものではない。地方紙への投稿も、フクニチ新聞の『とっておきのくすり学』と西日本新聞の『クスリの話』に現在七人で執筆申。その他にも朝日、読売など全国紙についても広報活動を行っている。

 荒巻県薬会長は「お金のかからない広報活動を…」が口癖だが、お金のかからない事業などできようはずがない。ご存知であろうか。市薬の予算を見ていただきたいものだ。広報の予算は、他の事業費に比べて突出している。

 会報の発行は別として、一般市民への広報活動ともなれば、これはやはり県下の一支部でするには大きすぎる事業。ぜひとも県薬でやっていただきたいもの。現にこの資料によれば、福岡県薬における本年度の基本施策・重点目標の三番目に、−B県民への薬剤師職能の広報−とうたってある。具体的にそのような計画をお持ちなのであろうか。伺いたいものである。

 現市薬会長の三津家先生が会計担当常務理事をなさっていた平成元年。市薬会報9月号の余滴に『子を思う親心・荒巻県薬会長に謝して』を寄稿されている。なかに、親は子のためヒタスラ精進する、県薬は市薬の親ですからとある。となれば、広報活動のみならず国立中央の院外処方せん発行による面分業しかり。親の県薬にとって、市薬はできの良い子どもであろうか、それとも親に盾突く不良なのであろうか。

 西日本の「クスリの話」は間もなく終わる。医療担当記者さんも変わられた。19日にはその引き継ぎも終わった。たとえ親孝行であろうと親不幸であろうと薬剤師会にしてみれば、ようやくマスコミさんとつながったとっても頼りになるパイプ。今後ともこのパイプが詰まることがないように大切にしていきたいと思っている。

 福岡市医報を読むと、医師会の九州首市連絡協議会では広報分科会が聞かれている。医師会では、これほどまでに重きを置かれている広報活動。

 いつの日か薬剤師会でも、このような分科会が開かれる日が来るのであろうか。


【広報通信】

「とっておきのくすり学」     福岡市薬剤師会  広報担当理事 木原 三千代

 8月より新しくスタートした「とっておきのくすり学」。カットの字体は「とっておきのくすり箱」と同じで、救急箱がカプセルに変わっただけ。これをデザインしてくれたのが、フクニチ新聞で文化部を担当しているとてもハンサムな松田記者です。

 第一回目に市花さんのが掲載されたときは「うわー、イイ!」と大感激。新しいとっておきのスタートが旨くいって、どんなに嬉しかったことか。その一週間ほど前、松田記者がFAXで送信してくれたカットはB5判サイズの大きさ。何だかビンとこなかったのですがやはり新聞紙上で見ると違います。タイトルと名前のレイアウトもとてもすっきりしていて松田記者に感謝・感謝です。

 8月からこのような6人の方に書いてぃただいています。フクニチ新聞をお読みになっている会員さんは残念ながら少ないと思いますので、少し小さくなりましたが、ここに掲載します。

くすり学

くすり学

くすり学

くすり学

くすり学

くすり学

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会  務  日  誌  (平成3年7月、8月)

7月4日 社保委員会 13:00
  9日 薬業研修会 13:00
     薬局実務研修委員会 19:00
  10日 福岡地区、地域保健医療協議会 13:30 東公園会館
  16日 支部長会 19:00
  22日 献血推進協議会 14:00 KKRはかた
  23日 ッムラ漢方学術講演会 19:00
  24日 薬物療法研究会 19:00
  25日 福銀頭取就任祝賀会 12:00 ホテル日前福岡
  26日 勤務部会例会 18:00 大日本製薬兜汢ェ支店
8月2日 急患委員会 18:30
  3日 薬局実務研修会 14:00
  4日    〃    10:00
  5日 社保委員会 13:00
  7日 三役会 19:00
     薬局委員会 19:SO
  IO日 県薬ブロック伝達研修会 14:00
  14〜16日 市薬休館
  20日 国保運営協議会 15:00 セントラルホテル
  23日 計量協会理事会 10:80市役所
  24日 薬局実務研修会 14:00
  25日   〃     10:00
  30日 高令者サービス総合調整推進会議 14:00 国際ホール

(前号追加 6月1日 部会連絡協議会 16:00 タカクラホテル)


[編集後記]

o最近、お利口さんが多くなった。薬剤師会も然り。職能・学術、結構な話だがそれを支えるものは何か。睡蓮の花を美しく咲がす汚泥の中の根のことをたまには考えてみたい。

 大店法の緩和、独禁法の強化で1998年までに2万軒の薬局が無くなるといわれている。弱小店舗が滅びそれをチェーン展開している大型店がカバーしてぃく。

 大衆薬も処方せん調剤も、それら大型店が担ってくれる。薬剤師会も寡占化された数社で組織される日がやがてこよう。

 公取の梅沢委員長は言う。競争秩序を守ろうという意識が社会全体に行き渡らないと商政行を変えることができない。

 米国のように独禁法を厳しくすると企業の活力をそぐのではないが。消費者に、もっともっと再版の良さをPRしなければならない。

 時間がないというのに!
                 (戸田)

c先日の台朋17号に国立中央病院処方せん受け付けの看板を飛ばされて見つかりません。皆さん被害はありませんでしたか。

o戸田さんが手伝ってくれるようになり、市薬会報では初めて「再版制度廃止問題について」という特集を組むことができました。

 中でも、大黒先生は80才を超すご高齢です。原稿と一緒にお寄せくださったお手紙によれば、急性の緑内症を患い痛む目をおしてのご寄稿の由、少しは良くなられましたでしょうか案じております。

o国立病院の処方せんを受けて、ご苦労なさっている様子が坂田さんと冨永さんから寄せられました。坂田さんは最初トラブルがあったとか、しかし、その後大変頑張ってあると藤田理事が理事会のたびにベタホメ。冨永さんは西区周船寺から東区恵愛団までの一日二回の2時間ドライブ。全く頭が下がります。

 だけど、患者さんから「こんなに薬の説明をしてもらって、こちらの薬局にお願いして良かった」と言われると、意地で受けてたはずの処方せんも、受けて良かった処方せんに変わるのではありませんか。
                 (木原)

平成3年7月31日発行(隔月年6回発行)
  福岡市中央区今泉1丁目1番1号
   社団法人 福岡市薬剤師会
      T E L 092-714-4416
   発行人  三津家 正 友
   編集入  木 原 三千代
   印刷所  給サ英社印刷