会報第34号 平成2年3月31日
 ■ 巻 頭 言

 ◆医薬分業の受け皿作りについて

社)福岡市薬剤師会 常務理事 正岡 民次

 薬剤師悲願の医薬分業が、最終の詰めの段階にきている。現在の30%分業が、最終的に は60〜70%位だろうと推察されるが、国、厚生省、外国、国民世論の熱いフォローの風が 吹く中で会員の意識はまだまだ低調である。

 前回のアンケート調査でも回収率は63%であった。その中には回答が無く、TELによる再調査をしてもこの程度である。国立病院の処方せん受付け希望薬局は、積極的に受けると答えた所が147薬局で30%、内科医会との話し合い参加希望者が191薬局で39%、実に嘆 かわしいと言わねばならない。回答なき者、不参加者は薬剤師としての職能を、義務を、 権利を捨ててしまうのだろうか?

 分業先進地といわれる地区は、OTCでの経営が難しい地域が多い。だから薬剤師の職能 意識が高く会員がよく協力し団結する。数年後にはスーパーで、コンビニエンスで、ビタ ミン、ドリンク、風邪薬、目薬などが売られる時代が来る。又通信販売によりTEL一本で 入手できる方法が目前に来ている。今が薬局経営の最後のチャンスと思って、積極的に支 部に協力して分業問題にとり組んで欲しい。

 さて本題に入るが、受け皿作りには二つの問題がある。

 一つは個々の薬局での近くの医療機関との分業、そしてもう−つは、大病院の広域な患 者の分布に対応する為の面分業である。

 前者は現在福岡市内科医師会と進めている様な、地域の内科の先生と地域の薬局との分 業推進である。この件に関してほ、各区の分業推進委員会を各区の薬剤師会内に設置して 頂き、各区の実状に合った方法で各区の内科医師会に働きかけ
@ 処方せん発行の基本的問題(会員の分業意識)
A 両会員による研修交流会(相互理解)
B 内科用薬品及び内科処方についての各論(薬剤師のレベルアップ、医師の投薬目 的の理解)

 等の方法で交流を深め、一人でも多くの方が分業に参加して頂く様望みたい。又その中で問題点があれば、内科医師会の役員の先生方と薬剤師会の役員との話し合いで解決していきたいと考えている。

 第二の大病院の処方せん受け入れについては、福岡市内で地理的に便利で、又薬品備蓄 数が多い調剤薬局にお願いして、15の基幹薬局を作り、そこに薬品を備蓄して会員の要望 に答えたいと計画中である。

 又処方せんを受ける薬局は、一定の基準に合う薬局を支部の分業推進委員会に推薦して 頂き、これを指定薬局と致したい。その一定基準とは
@ 薬品がない時は、基幹薬局、備蓄薬局に薬品を取りに行ったり、患者に配達できるスタッフがいる薬局
A 調剤室が調剤薬局らしいところ
B FAXが設置してあるところ
C 調剤拒否をしないと誓約書を交わしたところなど

 これを受け、指定薬局には指定薬局プレートを掲示する。又社保委員会からはこれを支 援するために、コンピューターによる「備蓄薬品管理システム」と「委託薬品管理システ ム」を考慮している。

 これはレセプトを毎月出される270薬局の薬品をコンピューターに入力し、一週間単位で各薬局の薬品備蓄を修正して、常に新しいタイムリーな備蓄薬品リストを作るというものであり、そのためにはファックス網を作り上げる必要がある。

 更に国立病院に関しては、名古屋方式の分業を進めたいと考えており、この方法で行えば、門前薬局に集中することを防止できる。

 又薬剤師会より薬剤師を派遣し、処方せん内容などによるトラブルを事前にチェックできFAXにより指定薬局に処方せんの内容を送ることにより受け入れ薬局は、事前に薬品を揃えられるという利点がある。

 その他具体策については色々と検討しているが、市薬及び社保委員会では、医薬分業推進のために最大限の努力をして参りたいと考えているので、会員の皆様の積極的な参加を切に要望する次第である。

 尚、備蓄薬品管理システム、委託薬品管理システムはつぎの通りである。

1.備蓄薬品管理システム
 薬剤師会内に設置するコンピューターに、270の保険薬局で取り扱っている薬品を薬局 別に登録し、備蓄薬品リストの作成及び検索ができるよう確する。又事前に登録する薬品 数は5,000〜10,000件登録する。
 出力内容について
・備蓄薬品リスト(地区別、全地区)…薬品名、規格、メーカー名、薬効コード、薬局名
・薬局別取り扱い薬品一覧表
・薬効別分類一覧表…薬効コード、薬品名、規格、メーカー名
・薬品マスターチェック裏…薬局別に取り扱い薬品一覧表を出しメンテナンス用として 活用する。

2.委託薬品管理システム
 国立病院からの院外処方せん発行に伴い、薬剤師会にて薬品の受発注、使用数量、使用 期限等の管理を行う。又本システムでは、保険薬局で取り扱っている薬品以外の薬品につ いて、薬剤師会に於いて管理する。
 尚、15の基幹薬局を各地区に設置し、薬品の備蓄センター的な役割を果たす。



 <特別寄稿> 「医薬分業は誰がために」

福岡市医師会理事 福岡県内科医会理事 山本 愛文

 K先生、菜の花畑に春がきて、蝶が舞踊り、働き蜂が女王のために黙々と飛び交う季節になりました。大変なご活躍でご同慶のいたりでございます。

 世の中を見てみますと、数年毎に何かを追い求める姿が繰り返されているように見えます。丁度物凄い大きな波に遊ぶサーフィンを見るようでございます。膝下10cmになったりミニになったり、ネクタイの幅が広くなったり細くなったり、70年振りに大雪が降ったり、ソ連に政治変革がおこったり、西武ライオンズからダイエーホークスに変わったり、数えあげればきりがありません。

 薬業界でも医薬分業が出たり引っ込んだりしています。そんな事はないって、怒らないで下さい。K先生、考えても見てください。昔も昔、わが国には“くすし”なる人がいました。その“くすし”さんで、そのまんまで成長した人はいませんでしたよネ。だから医者は最初から薬の知識を持たねばなりませんでした。

 しかし、K先生もご存じの事と思いますが、京都の南禅寺に湯豆腐を食べさせるふる−い建物があります。もしご存知なければ、○○旅行としゃれこんで行かれたら如何でしょう?そこに大昔、医学校がありました。医学校がありながら、なぜか湯豆腐の大広間に入ると、やれ心臓のくすりとか、目薬とか、万病のくすりとかの、古めかしい看板が所狭しと並んでいます。と言うことは医学校が認めた薬局がずらりとあったと言うことです。

 そうです、K先生、医薬分業は完成された時代があったと思わざるを得ません。本当は分かりませんが、時代考証なんて面倒なことは暇人に任せればよいことで、現代の常識的に勘繰ればそういう事になりませんか?

 ところで、近頃頭にくることがあります。え!私はいつもですって。それは消費税でしょう、だんなのことでしょう(失礼!)、子供さんのことでしょう(これまた失礼)。そうじゃなくて、先生が毎日扱っている処方せんの事ですよ。

 2,500点以上の薬剤料は医科レセプトと突き合わせて点検されています。そして査定された分は、どうなるのかもうど存知ですね。そう、発行医から差し引かれるのですよ。その法的根拠は?損害賠償法ですって。誰が誰に損害かけたと言うのですか?

 厚生大臣が国に賠償すればいい。健康保険なんか止めてしまえ。がりがり頭の審査委員なんか全員首だ!と毎日叫んでいます。ただし、酒が入ったときだけの話ですがネ。

 一度愚痴のいいやっこしませんか?夢の中で、会長の頭なんか何回殴ったかわかりませんよ。朝になると、腕が痛かったり肩が痛かったりするので、はんとに腕を振り上げたんでしょうネ。

 さて、肝心の医薬分業についての試験問題がありましたね。その迷回答を書きます。私自身は完全分業して10年になります。だいそれた考えはありません。強いてあげれば、面倒になったのです。なにがって薬のことで人に会うことが。プロパーとか問屋とか遠慮することを知りません。

 私がプロパーなら、会って買ってもらうまで帰らないでしょう。が逆は嫌です。買わされたあげく、使わずに古くなってしまう。使いきらないうちに、新薬がでる。副作用の説明まで手が回らない。すぐに変わるプロパーに慣れるまでに時間がかかる。嫌なことばかりでしたから、分業には何ら抵抗はありませんでした。

 薬剤師会に(言いたい放題ですが、悪しからず何をほざくと思って下さい)

@ 何もありません。何をしているのかサッパリ知りません。今から教えて下さい。ただ一つ、市民の健康のために、市民の薬害防止のために、市民教育をしてください。

A もう一つ、薬店がスーパーみたいになっているのは仕方がないのですか?うちの隣の薬局屋さんが、へんな飲物を置いて売り出しましたので、馬鹿なことは止めろと一喝したことがあります。飲んじゃいかん人が分かるようになるまでやるな!と。

B あと一言、調剤は治療の一貫なのです。医療費も高くなります。しかし、治療と言う神聖な仕事と思いますので、塵紙や化粧品,蚊取り線香などと一緒にされると、いや−な気になります。

C 最後に一つ、民間薬の監督官庁はどこですかね。医師会でも医療類似行為には厳しい見張りをしています。民間薬と言えども薬理作用はある筈です。伝説に近いものまでクスリみたいに売っていますよね。何とかなりませんか?

 薬剤師さんへ

@ 処方せんの通りに調剤して、面白くない毎日でしょうね。いや、お前さんが知らないだけだよと仰れば嬉しいのですが。長期投与は出来ますか?と聞くと、○○の病気には出来ますよと教えて欲しいのです。

A 自分の所の薬だけはマスターして欲しい。セファマイシンは?α−ブロッカーは?には間髪を入れずに、パッと答えて欲しい。時にはいじめます、リスモダンにはキニジン様作用があるの?って。

B 損害賠償だけは、発行医にさせないように協力して勉強して欲しい。特にマンツーマンであれば、共同責任と考えざるを得ない時があります。

C 医師はKr.にうそをいうときがある。うそじゃないのですが、心配させない。治療に協力し易い言動を取る時があります。それが分からないで、ずばっと言ってくれる薬剤師は、しばらく文学の勉強をしてほしい。機微が分かるまで。

 処方せんのFAX使用について

@ 国立病院が許可になったので大いに利用したい。特に、知って欲しくない病名が分かるような処方のときに。

A 処方せんは個人の秘密です。人に見せるものでも、見られるものでもありません。ぜひFAX料込みの処方せん料をかち取って下さい。

 最後になりましたが、立派な市薬会報に福岡市医報から、医薬分業のアンケート調査を転載して戴き深く感謝申し上げます。

 それでほ、K先生今日はこの辺で
               サヨウナラ‥‥‥。

 「山本先生を存じ上げてるの?」と古賀会長、「いいえ、お目にかかったことはもちろ ん、お声すら聞いたことはありません。
 でも福岡市医師会で広報担当の理事をなさっていますので、福岡市医報で先生のお名前と文章にはいつも会っています」

 編集者のラブFAXに答えて、時候のごあいさつは発行日に合わせて、字数も割り付け をするのに楽なようにキチンと揃えて締切り日の2週間も前に届けて下さいました。




 <特別寄稿> 「福岡市健康づくりセンター(仮称)について」

福岡市衛生局 市民健康づくり事業担当 坂本 雅子

 最近、何となく疲れやすい、疲れがぬけきらない感じ、そこでミニドック、がん検診など受けてみますと、コレステロールが少し高い。少し生活の方向転換を図ろうと思うわけですが、さて具体的行動をとなるとちょっと立ち止まってしまいます。

 このように現在、健康づくりに関しては、マスコミをはじめ、情報はあふれているのですが、自分が実際に健康づくりの行動をおこそうとすると、まず
@ どこに相談すればいいのかわからない。
A 相談しても個人の身体や生活状況を総合 的に判断し、その人にあった生活の提案を  してくれる所がない。
B 市民の健康づくりの相談を受け指導をする役割の人々が健康づくりに対しては、十 分役割を果せるようになっていない。
C 健康づくりを継続していくための利用しやすい場や、楽しい仲間も不足している。 というのが現状です。

 福岡市の健康づくりセンターは平成5年度のオープンを目標に、昨年4月から本格的準備を始めました。その特徴は、まず「健康づくりセンターは、市民一人ひとりが自分にあった健康づくりを日常生活の中で継続していくことを支援する市民の健康づくりのコアセンターである」ということです。

 センターだけで120万市民の健康づくりはできませんし、健康づくりは日常的に身近な場所で行われるものでしょう。そのためには、市民が身近に使う施設や三師会等と協力し(健康づくり関連施設群ネットワークシステムと呼んでいます)先に述べたような現実的課題を解決していくのが健康づくりセンターの役割だということです。

 現在の「健康づくりセンターの基本構想」を紹介しますと、

@ まず、市民の健康づくりへの参加を広報紙、パンフレット、講演会、イベント等いろんな方法で呼びかけます。このためには関係団体または市民の意見を聴くことが最も大切だと思います。

A 市民が保健所、体育館、医療機関などで健康づくりの相談をした時、安全で効果的なできれば楽しい健康づくりのための生活処方を提案できるように、プログラムを開発したり情報を集めて施設へ提供します。各施設ではコンピューターを利用して指導できるようにする予定です。このような研究的な機能は大学などの研究機関や各施設の協力なしでは果せない役割です。

B 健康づくりやスポーツ関連の専問的指導者、教育関係者、地域のボランティアの方々が、健康づくりの総合的指導ができるように学習講座を開催します。また指導マニュアルをつくったり、ビデオ,図書などの教材の貸出、指導者の紹介も行います。

C 健康づくりに関する総合的相談を受けます。また、特に、現在福岡市でとり組みが十分でない思春期、歯科(プラークコントロール)に対しては、特別に専門的な相談コーナーを設ける予定です。その他に、子どもたちが、生命や自分の生活について考え学ぶための展示映像施設も設けることになっています。

 盛りだくさんの事業をしますが、最も大切なことは各施設、団体の方々が、協力し合う場になることだろうと思います。薬剤師会には三師会として、また市民に最も身近な健康に関する相談役として現在も大きな役割を果していただいており、今後は特に薬の情報に関しては専問的にお世話になっていくことと思います。今後ともよろしく御指導下さい。

 最後に、健康づくりセンターは、現在、中央保健所、婦人会館、消費生活センターのある中央区舞鶴に現在の3施設とともに、複合施設として建てられます。3施設とも、市民に利用され、親しまれている施設ですが、一つのビルになることによって、すべての世代の市民に生活全体の中で巾広く親しまれる施設になるだろうと思います。



 「健康づくり情報システム検討委員会について」

 坂本副主官がご紹介くださった、「福岡市健康づくりセンター」(仮称)構想に基づき、この程「健康づくり情報システム検討委員会」が発足し、12月9日九州経済調査会に於て、第一回目の委員会が開催されました。

 このことは、市薬会報一月号の巻頭言で、古賀会長がご紹介されています。そしてこの委員会は、次のようなメンバーから構成されていて、市薬会長古賀先生は、もちろん委員のお一人です。

       委 員 名

委員長 九州大学名誉教授(健康科学)
             緒 方 道 彦
委 員 九州大学教授(医療情報)
             野 瀬 善 明
 〃  九州大学教授(電気工学)
             松 尾 文 碩
 〃  福岡市医師会長
             松 田 一 夫
 〃  福岡市歯科医師会長
             加 藤   担
 〃  福岡市薬剤師会長
             古 賀   隆
 〃  福岡県栄養士会長
             平 田   青
 〃  福岡県看護協会長
             石 田 美津子
 〃  福岡市総務局長
             松 廣 義 昭
 〃  福岡市衛生局長
             加 藤 竺 子
アドバイザー
    厚生省医療技術開発室長
             福 原 毅 文

 「衛生局に、美人で可愛いい先生がいらっしゃるから、ど寄稿をお願いしてみたら」と古賀会長ご推薦の坂本先生です。というわけではありませんが、「健康づくりセンター(仮称)構想」について書いて頂きたいと思い、衛生局の横田保健部長に伺いましたら、坂本先生が担当者ですから、先生にお願いしてみて下さいとのことで、今回お願いを致しました。

 先生の写真を楽しみにしていましたのに「顔写真はどうぞかんべん下さい」との言葉と−緒に原稿が届けられ、本当に残念に思っております。




 <会員のひろば> 「原動力は中年パワー」

東支部 支部長 松井 昌也

 恒例になりました市薬ボウリング大会も、今回で8回目を迎え、東支部の優勝で無事終ることができました。

 その嬉しい優勝のあいさつを終え、お辞儀をして顔を上げた途たん、市薬会報誌に原稿の依頼があり、いや−な気分が続きました。締め切り日直前になると、電話が鳴るたびに、ハラハラ、ドキドキの毎日でした。案の定、木原先生から催促の電話があり、FAXで投稿するはめになりました。
      (木原先輩 ゴメンナサイ!)

 さて、今回のボウリング大会は、恒例でした1月15日から1月21日へ、又会場も博多スターレーンから城山ボウルへと変更になり、気分一新してのボウリング大会でした。

 我々、東支部のメンバーは、平均年令40才台の言わば、中年族主体のチームで、他に20才台の先生男女各一名づつで、試合に臨みました。第1ゲームめ、隣のレーンで投げている上位入賞の常連入江先生、仁田脇先生グループの歓声に、思わずにやり、いいぞその調子、ガンバレ 我レーンは、熊谷先生が大健闘で、早くもターキーを出して好調そのもの。小生は昔とった杵柄はどこへやら……。

 第2ゲームめも、熊谷先生と隣のレーンは好調持続のまま。しかしながら、やや疲れが目立ち始めた様子で、第3ゲームへと。

 第3ゲームめ、やはり齢のせいでしょうか、疲労の色濃く、ミスが多くなりローゲーム模様。しかしそこはベテラン揃い、何とかまとめてゲーム終了。

 続いて懇親会へと移り、古賀会長、藤野顧問の挨拶があり、冨永顧問の乾杯で宴会が始まりました。乾杯のビールの美味しかったこと。やはり汗を流した後のビ−ルの味は格別でした。

 東支部は、今回、ずば抜けた成績者はいませんでしたが、各先生方の得点が安定していたので、優勝できたと思います。(一人1ゲームの平均点は、142.2点)しかしながら、これもふた昔前、ボウリング全盛の頃、毎日のようにボウリング場通いをされ、2時間、3時間の待ち時間は何のその、懸命に投げ込んでおられた先生方だからです。(実力のある中年パワーの先生方ばかりです)

 そういえば、準優勝の西支部に貢献したのも、マチガイなく中年パワーの藤原専務でしたネ。心から敬意を表します。

 以前は、ソフトボールの優勝は、ず−っと東支部でしたが、選手年令の上昇とともに最近はボウリングの東支部に様変りし、ちょっぴり淋しい気もします。何はともあれ、ボウリングはソフトボールと違い老若男女、誰でも出来るスポーツですからもっと多くの市薬会員の先生方の参加を望みます。そして、東支部に挑戦して下さい。いつでも受けて立ちます。なお当分の間、優勝カップを他支部に渡す予定はありません。

 最後にあたり、ボウリング大会を企画し、設営して頂いた組織委員の先生方を始め、各支部の支部長先生、部会長先生、本当にありがとうございました。



 <会員のひろば> 「渋滞のくるまの中で」

九大歯学部附属病院薬剤部 部長 唐澤 博順

 車に乗って何処かに出かけるとき、渋滞に巻き込まれると、いつもこう思う。「車で行くと損かな?」と。場所によっては車の方が不便な処がある。

 先日、空港まで知人を迎えに車で行ったときの事。空港近くに着いたのは予定時刻であ ったが、その後、駐車ができない。駐車場が何処も空いてない。おまけに空港周辺は駐車 がうるさい。30秒も止まっているとすぐ警察から「車を動かすよう」注意される処である。 ちょっとのつもりで車を置いては歓迎に行けない。「車って不便だー」と思いながら長い 駐車場への列に並んだことがある。

 渋滞に巻き込まれると、時間、体力のロス、ガソリンのロス、それに約束の時刻が有れば、相手への連絡方法、イライラ(ストレス→→肥満→→成人病)、と悪いことが多い。焦って運転すれば、これまた事故につながる、損失は莫大なものになる。

 しかも一人だけでなく、20−30人と多くの人々を巻き込んでいる。時間単価からすると莫大な損失をしていることに気がついた。省エネはこんなところで叫ばれるべきだろう。渋滞がなくなれば、エネルギーだけでなく、多くの人々の時間も、気力も、命も節約できる。省エネには「道路事情をよくせよ、交通網整備から」とお願いしたい。

 渋滞が起きるのは、道路事情だけでなく、国民性もあるようだ。何事によらず、横並びの好きな日本人は、他の誰かが動く時期に、動く。休日のレジャーランド、冬場のスキー場、ゴルフ場、年末年始の帰省ラッシュ、他の人と同じ事を同時にやるので、渋滞や、待ち時間は大きい。先日も、ドラゴンクエストWで、中高校生達が一昼夜、列を作って並んだと、テレビで報道されていた。子供の時から国民性はしみこんでいる。

 「人と同じ事をしないと落ち着かない」などというところに、創造性は育たない。わが国の教育も同様。“多くの人の考えた解答が正しく突飛な考えは間違い”とされる。突飛な答えは、「保留」ならまだしも、「ダメだ」、という教育では、創造の芽は摘まれる。けれど創造性が乏しい教育で育っても識字率99%の日本人はうまくやってる。

 アメリカから見ると、オリジナルはなく真似をして、それを“売れ筋商品”にするので、やっかみを買われている。日本の貿易は加工貿易と昔習った。少し手を加えて、優秀な製品に仕上げる器用さを持っている。現代もそのようだ。このため、日本流を見習うべく多くの外国人が日本に見学に来ている。

 時間のロスに話を戻すと、アメリカの会議では、始まりも定刻終わりも定刻で、きちんと終ると読んだ。始まりが日本のように遅れることはないそうな。20人の会議で、10 分遅れると合計3時間以上の遅れと考えるらしい。それに較べると日本ののんびりした開 始は無駄をしていることになる。金額に直すと、お偉い人たちの時間単価は高いのでずっ と大きな損失になるだろうに…‥

 金額の事を出したついでに、あなたの生命の価値ほどのくらいかご存じか?生命保険屋さんから教えてもらった新ホフマン方式によると、「年収」×0.7×「係数」で計算できる。これでご自分の価値を計算していただきたい。

 係数は年齢により変化する。若い方が大きく、年齢が大きいはど小さくなる。 (20歳23.8;25歳22.2;30歳20.6;35歳は18.8;40歳16.8;45歳14.5;50歳12.0;55歳9.21)

 若いことはものすごく価値がある。時間を充分持っているからだろう。若者にいろいろ期待したい。

 式から算出するとき、年収の無い専業主婦はどう計算するのか?退職後はどうなのか、と気になる。生命保険屋さんはちゃんと回答してくれるとは思うが聞き漏らした。

 私の価値は5,500万くらいだった。同年の公務員は同じ位でしょう(満足かな?)。自営業者は年収が大きいのでもっと価値は出るでしょう。従って、自動車で事故を起こすときは、年収の少なさそうなお年寄りにぶつけるべき?と恐るべき結果が計算されたが、本当かな?試す訳にはいかない。

 あれこれ考えているうち、ようやく渋滞を抜け出したので、これで終わりにしましょう。また、渋滞で考えてみよ−と。



 <会員のひろば> 「「紅皿」に投稿して」

東支部 安陪 佑子

 結婚する前、勤めていた病院で、予定日より早いお産をした。その時助けていただいたお礼をと、思っている内に二十年たってしまい、今がチャンスだと、紅皿に、掲載の三日前に投稿した。始めての投稿であった。

 娘が帰宅して「なんで原稿用紙があるとネ」と聞いたが「うんちょっとネ」とごまかしておいた。娘の出産の時、なかなか初声をあげないので、もしダメな時、どうしよう、赤ん坊の誕生を待ち望んでいる夫や、まわりの人になんと弁明しようなど、分娩台の上で、自然と手を合わせた事を鮮明におぼえている。

 翌朝、その病院の朝礼で、先生が「夕べのお産は血圧があがったナー」と言われたと、看護婦さんから聞いた。生れてから、うぶ声をあげるまでの時間が長いと、脳に障害がおこると、後に聞かされた。娘の母子手帳には「仮死、蘇生術施行」と書かれている。

 紅皿に載ってから、田舎の知人より「涙が出ましたよ」とお電話をいただいた。

 娘は、「写真入りで載せてもらわんと、街を歩けない」と怒った。長男,二女は、大きな発言力の所など一言も否定しなかったのは、おかしかった。紅皿の切りぬきを、礼状と共に、先生の未亡人に送った所、早速、ていねいなお手紙をいただいた。

 紅皿のお陰でドタバタの成人式だったが、記念にはなったと思う。もうすぐ娘は、ほんとうの二十才の誕生日を迎えるが、はたしてどんな人生を歩むのか、幸多かれと、祈っている。

ライン

 <紅  皿> 「娘の成人式」

安陪 佑子

 二十年前、仮死状態の子供を出産した。逆児で難産、生まれても、すぐには産声をあげなかった。私は初めての出産で、その時、「赤ちゃんは、なぜ泣かないの」と周りの人に尋ねても、だれも返事をしなかった。

 先生が、赤ちゃんの両足をもって、逆さにして、パチパチとおしりをたたいたり、水につけたりしていた。助産婦さんが、聴診器を当てて「心音はあります」と緊張した声で告げたその直後、弱々しい泣き声をあげた。

 その子が今度、成人式を迎える。あの時、神とも仏とも分からない、「助けて! 赤ちゃんを助けて!」と、分娩(べん)台の上で手を合わせて祈った気持ちは、時がたつにつれて忘れ、もっと美人になれよ、足はもっと長く…等、親の要求はとどまる所を知らない。五体満足で成人したことを感謝しなくてはいけないのに……。

 希望の高校に合格した時にほ、金一封をやすらぎ荘に寄付。希望の大学に合格した時には、学部に文句をつけた。お正月に振りそでを着て写真を撮りに連れていった時には、「馬子にも衣装だね」といやみを言った。

 三人きょうだいの長子として、家では自分より背丈の高い弟や妹に大きな発言力を持ち、自宅通学で結構楽しそうな大学生活を送っている。あの時授かった大事な命を、これからも大切に大人の仲間入りをしてもらいたいと願っている。

        (薬剤師・45歳=福岡市東区)
      (平成2年1月13日西日本新聞朝刊)



 <会員のひろば> 「初めての海外旅行」

(社)福岡市薬剤師会 理事 冷川 裏

 1989年12月29日午後5時、不安と期待のいり混じった複雑な気持で店を後にする。 道路ほさはど混んでなく、空港に予定通りにつく。ツアー会社の案内で先ず荷物を預ける。二階の待合室で説明を聞く。約30人程のツアーのようだ。

 説明を聞いている途中で、テレビのニュースに入れるので、サクラとして搭乗手続きの行列に並んでくれと要請がくる。海外旅行で混雑している空港の様子をテレビニュースに同時中継するということだ。

 添乗員の説明が終り、手荷物検査を受けて、搭乗待合室にはいる。時間迄、免税店をのぞいてみる。特に買いたい物はなかった。午後7時30分機内に搭乗する。カンタス航空のジャンボジェットで、完全に満席だ。7時50分発の予定だったが少し遅れて8時過ぎに出発する。時計の時刻を現地時間に合せて2時間進める。11時頃、やっと夕食が運ばれてきた。こんなに遅いのなら、空港で軽食を取っておかねばならなかった。

 機内で12月30日を迎える。先はまだ長いので寝ることにする。いくらかうつらうつらと眠ったころ、何となくざわざわした感じだなあと思っていると、「オショクジです」と起される。時計を見るとまだ4時過ぎだ。何ととんでもない時間に朝食を食べさせられることになった。夕食が遅かった割に朝食の早いこと。日本時間にすれば午前2時過でしかない。残さずに食べれることは食べれた。

 午前5時頃より夜が明けだす。向うの窓どしに水平線が真っ赤になっているのが見える。座席が西側なのが残念だ。6時過ぎオーストラリア・ブリスベーン空港に着陸する。我々のツアーはシドニー迄だが、全員いったん退出する。待合室横の銀行で円をオーストラリアドルに変える。こちらの紙幣は、貫禄がなくまるでオモチャのようだ。

 空は快晴で、日射しがだんだん強くなってきている。再び飛行機に乗り込む。飛行にはいって少しすると、また朝食が運ばれてきた。まさか二度も朝食がくるとは、まったくあきれたことだ。さすが今度は食べれない。フルーツサラダだけを食べた。

 午前9時過ぎ、シドニー空港に着陸する。さすが真夏、強い日射しが照りつけている。荷物を受け取り、入国審査を受けて空港ロビーに出る。現地日本人ガイド付で、貸切バスでシドニー観光に出かける。窓の外に目をやるとあちこちに日本語を見かける。ゴミが全然散らかっていない。

 どういうわけか道端にウイキョウがよく咲いている。植えられたものか野生かはわからない。家々の庭には花が植えられ塀が作られていない。街中を抜けてボンダイ・ビーチでバスを降り、約30分休憩する。日本の海水浴の混雑ぶりと比べればうらやましい限りだ。そばの芝生には鶴が群れている。

 さてまたバスで市街地に戻り、オペラハウスとハーバーブリッジが見渡せるマクオリー岬に行く。ここでツアー参加者全員の写真をとる。その後オペラハウスを見学する。非常に変わった形の建物だ。

 昼食は、キャプテン・クック号でシドニー湾を巡航しながら食べる。日本人客の多いこと。船内だけを見ると日本の観光地かと思うぐらいだ。船を降りてからは、バスに乗り、フェザーデール・ワイルドパークへ向う。飛行機での睡眠不足のため、眠くなってくる。うつらうつらはするけど熟睡はできない。

 1時間半程してフェザーデール・ワイルドパークに着く。順番に並んでコアラを抱かせてもらう。コアラは夜行性で今日がさめだしたところだそうだ。爪を立てられないよう、ぬいぐるみにしがみつかせてから人に抱かせる。コアラはまだねむそうだった。それ程大きな動物園ではないが、時間が足らず、見つくせずにそこを後にする。ウォンバットが愛きょうがあった。

 夕方ホテル・メンジスに着く。なんとロビーあふれんばかりの人はみな日本人である。室に荷物を置いて近くの回転展望レストラン「サミット」へ歩いて夕食に出かける。料理はバイキングで、ドリンクは別会計になっている。夕陽にそまる景色は大変素晴らしい。9時過ぎホテルに戻って、海外1日目を終える。

 12月31日朝8時、モーニングコールで起きる。朝食はバイキングで、味噌汁もおいてあった。今日はオーストラリアは離れてニュージーランドへ向う。シドニー空港で買物をして、カンタス航空便に塔乗する。昼食は機内で取る。午後1時発で約2時間の飛行だが、国境を越えるので時間が2時間進む。ニュージーランド・クライストチャーチ空港に着いた時には午後5時過ぎになっていた。昼間であるだけにこの消えた2時間は非常に損した気がする。

 真夏だがシドニー程は暑くない。ホテルに荷物をおいて街に買物に出てみるが、午後6時でほとんどの店が閉店になる。ホテルに戻りレストランで夕食を取る。大晦日で、従業員は思い思いに仮装して、パーティが行われていた。それにしても次の料理が出てくる迄の遅いこと。食べ終るのに2時間を越した。1989年もこうして暮れていった。



 <会員のひろば> 「「ファジィ」を始めとする「フ・ジ・」との関係」

九大病院 牧野 和隆

 いま訪れてみたいなと思っているところに「フィジー」がある。南国宮崎のフェニックスの下で幼少を過ごしたせいか、ハワイ音楽や亜熱帯の明るい風景がなんとなく好きでハワイには3回もおじゃました。ハワイの太陽の下でプレイしたゴルフは忘れられない思い出の1つである。また夢のような時間と空間を見事に演出したよかトピアでもトロピカル・ビレッジは一番好きなゾーンだった。しかし南国の中でも特に「フィジー」にこだわるのにはそれなりの理由がある。

 今を去ること10数年前、大学では微生物を使って細胞の癌化の勉強をしていた。主な実験対象は大腸菌と「ファージ」である。こ存じのように高等生物に感染するDNA(R NA)体は動物ウイルス(Virus),細菌に感染するウイルスはバクテリオファージ(Ba− cteriphage)と呼んで区別する。その時直接お教えいただいた先生はど自分の研究対象であった癌の病魔に倒れられ今はいない。

 卒後薬剤師となって10数年、多くの先生方にご指導していただいたが、つい1年前ま での上司が藤井先生「フジイ」である。智徳ともに秀でた先生で多大な影響を拝受した。 藤井先生と行った仕事に関しては何かの機会にお話しするとして、最近の仕事で力を注い でいるものに「ファジィ」がある。

 近ごろマスコミやCMの中でファジィという言葉を時々耳にする。たとえば某証券会社のファンド方式や某家電メーカーの洗濯機。ファジィは1965年に初めて提唱された理論で、まだその歴史は浅いが日本での研究がその発展に大きく寄与している。

 福岡市もファジィに無縁ではない。日本で最も進んだ研究を行っている施設の1つは九州工業大であり、研究会が福岡市内で頻繁に行われている。また今地下鉄空港線が工事中であるが、その掘削機の方向制御はファジィ制御で行われている。現在自動で走っている地下鉄も、もしかしたらファジィで走っていたかも知れない。

 仙台の地下鉄は福岡より少し遅く開通したが、車両は福岡のと同じであり、違うのほ自動運転のソフトウェアだけでファジィ制御を使っている。乗り心地が非常にスムーズでご老人でも吊革なしで立っていられると聞く。もし杜の都に行く機会があれば是非地下鉄に乗って福岡のそれと比べていただきたい。

 ファジィのよさは現実の問題を解くのに非常に適していることであり、私たちがファジィを取り入れようと検討している内容を少し紹介する。例えば調剤室で働く人数、人員を決める場合、単純に定員いっぱいで働くことが作業量を最大にするとは限らない。人数が増えれば動きのラインが制限されるため、一番能率がよい人数が存在するはずである。

 また人と人の相互作用も考慮しなければならない。仲が悪い2人が一緒に仕事をすれば2人以下の作業効率しか得られないであろうし、反対に仲が良ければその逆が起こるだろう。

 このように総合的に評価する方法にファジィ積分法がある。またファジィ線形計画法もおもしろい。線形計画法は例えば限られたいくつかの原料量から最大の製剤を生産できる組合せを見つける手法で、経営学でよく利用される。

 しかし現実には100万以内の予算ではA車が一番性能,装備が優れているが、少し予算をオーバーして102万出せば数段いい車があるといったケースはよくある事である。このような場合我々は総合的に判断して後者を選ぶであろうが、従来の線形計画法でその点を見つける事は不可能で、ファジィを使って初めて可能となる。

 またテトラサイクリン系抗生物質は幼小児には投与できない(アメリカでは8才以下)が、コンピュータで処方鑑査を自動化したとすると、従来法では「8才以下と以上」を明確に規定する必要があるため、誕生日前後でコンピュータの評価がNOからYESと極端な結論を出す。しかしファジィでは8才以下の集合をあいまいにするため、そのようなことは起こらず人間の判断に近くなる。

 この話を以前一緒に仕事をした調剤薬局の先生にお話ししたら、「今後医薬分業が進んだ場合、取り扱う医薬品が膨大に増えるため、人間の記憶や思考を補佐するそのようなシステムが是非必要だ。がんばってください」とおっしゃっていただき、そのお言葉を励みに日夜勉強している毎日である。

 このように過去から現在に至るまで私に関わってきた3つの「フ・ジ・」がある。残る1つは「フィジー」だけである。いつか機会があれば是非訪れて自分の中の4つの「フ・ ジ」を完成させたいと思っている。



 <会員のひろば> 「吹雪かれた八甲田山」

名島部会 タカラ調剤薬局 満園 忠治

 こと山歩きに関しては寛大なわが女房殿も「八甲田山に登る」と申したら、「えっあの八甲田山に?」と心配と驚きの表情が印象的であった。その心配も当然であり、この山の過去のイメージは決して良くないからです。八甲田連峰が魔の山、恐ろしい山と言われ、有名になったのは歴史上二度あり皆御承知でありましょう。

 その一つほ明治35年1月の雪中行軍遭難事件であります。日本陸軍は日露戦争を想定し、酷寒の中で常に戦いをすすめている露軍に如何に対処するか、寒冷地での戦いの進め方等々、訓練の為の行軍をこの八甲田山系で実験したのである。稀にみる猛吹雪の為にこの行軍は苦しくも悲劇的な結末で終り、歴史に残る大惨事となりました。

 そして後の新田次郎作「八甲田山・死の防捜」の映画化であります。これらより連想される八甲田山系は雪深い厳冬期の自然のもつ恐さであります。しかし雪のない時の八甲田の峰々はコニーデ風の秀麗さが特徴であり、下から見上げる限りでは冬の恐さは想像だに出来ません。その優しい山容、優しい姿をした山ほど荒れたら怖いと言われております。

 またこの八甲田山の山名の由来ほ諸説ありますが、高層の湿田の中に亀の甲を形どった山が8つ存在することからその様に呼称されるようです。初夏ともなりますとその湿原には多種多様の草花が咲き誇り登山者を魅了させてくれるそうですが、私が足を踏み入れたこの時期はそれらの面影は全くなく、それらの山、湿原は荒涼とし、もう既に冬の装いであった。湿田の中に点在する他には既に分厚い氷が張り、草花もとっくに冬の長い眠りについていたのです。

 青森空港よりのバスが市街地にさしかかる頃、道路のグリーンベルトにリンゴが植樹されてあり、まっ赤なリンゴがたわわにぶらさがっているのを目にした時、如何にもリンゴの特産地青森らしさを感じる。「秋冬」の言葉があるかどうかは知らないが、10月末の青森はその秋冬がぴったりの気候、自然である。山の麓は秋真っ盛りの紅葉、山の頂きは新冠雪で厳しい冬の到来を告げているかの様である。

 初めて歩く東北の山。奥羽山脈系にいくつかの有名な山がありますが、さはど高い峰はなく、おおむねコニーデ風の優しい山容であると言われております。南より民謡で歌われる会津盤悌山。智恵子抄の安達太良山。スキーと樹氷で有名な蔵王連峰。秋田駒ヶ岳。紅葉でハイカーを引きつける八幡平、岩手山。そしてこの山脈の最北端に位置する八甲田の連山。昔より歌にうたわれ、山岳信仰の対象となり、山を神聖な領域としてとらえた東北の人々にとってこれらの山は生活に密着した遠大な存在であった事がうかがわれる。

 山歩きの出発は出来るだけ早朝との鉄則がありますが、この日も例外なく青森駅前のビジネスホテルを5時出発。ホテルマンの「お気をつけて!」の声を背にタクシーを拾う。天気予報通りの小雨。タクシーの運転手さんが言われるにはこの雨と冷え込みで山は雪でしょう。アオモリトドマツについている霧氷もきれいなはずですと。期待に胸をふくらませてタクシーを降りる。

 この八甲田山登頂のメインルートは八甲田ロープウェイを利用して一気に1,324mの田茂萢岳(たもやちだけ)まで上り、そこから歩くコースであるがロープウェイが始動する時間まで待つ余裕がなく、酸ケ湯温泉登山口より登り、下りにロープウェイを利用するコースに決めた。

 山も森もまだ深い眠りについている。誰一人として居ない奥深い山裾に立ち、誰に気がねする事なく歩ける解放感。そして未知の世界へ踏み出す喜びと不安。様々な感情が脳裏を交錯する中で新雪に踏み込む。高地では雨が雪に変ったのです。まだ誰も足を踏み入れていない新雪に自分の足跡を刻み入れる時は格別の感情がある。ザックにふれる霧氷がかすかな金属音をたておちる。それが首に入り冷たい。

 朝6時、曇り空とありなかなか明るくならない。今日は天気に恵まれそうにはない。ガスさえ出なければ良いと考えつつ雪道を一歩一歩確実に登る。防寒の為にそれなりに着込んで歩くがなかなかぬくもらない。やはり寒さ、冷たさは九州の比ではない。登坂路は良く整備され少々の雪でも迷うことはなさそうであり安心する。夏山は緑も芽吹き、それぞれの草花が疲れをいやしてくれるが、この時期の山は視覚を楽しませてくれるものは少なく、ただひたすらに歩くのみである。何を楽しみに何を目的に遠くまで出向いたのかを考えると自分自身がこっけいになる時さえある。

 高田大岳を往復し、小岳より八甲田大岳にさしかかる頃強風と共にものすごい暗雲に襲われる。息もつかせぬ急変に一瞬立ち往生。肌を刺す様な宿さの雪まじりの強風がさえぎるものもない私を吹きさらす。捜し求めた岩陰に腰をおろす。多少なりとも風をさえぎり楽である。

 吹きだまりに雪がみるみるうちに積もっていく。どうしよう。この地点より進むべきか戻るべきか否、動かずにしばらく様子をみるかの判断は難しい。その土地に長く生れ育った人であれば日頃の風向、雲の動き等でおおよその判断はつくものである。しかし初めての地となればそう簡単にはいかない。せいぜい昨夜聞いた天気予報に頼るしか他に方法はないのである。相変らず深い雲、地底から吹きあげてくる強風に雪が舞いあがり寒地獄の様相である。冷たくなった身を震わせ、雲の切れるのをひたすらに待つ。動くべきか待つべきかためらっている時間がやけに長く感じる。

 この様な状況に陥った時、不思議と良い方向に考えは行きつかず、最悪の状態を考えてしまうのである。天候の急変に伴う環境の変化、道に迷った時のあの異常な不安感は隠しようがありません。だんだん身体が冷えこんでいくのが恐く動く事に決める。かじかんだ手に再び地図をとり出すとその地図が強風にあおられバタバタと異様な音をたてる。おおよその現在地を確認し、登りはじめる。この坂を登りつめると八甲田大岳のはずである。そこからは下りだから何とかなるとの希望をもって歩く。強風と坂で苦しい。混沌とした世界を放浪している感じのまま雪道のきしむ音を耳にしながら歩き続ける。岩にはいつくばって登りつめたところが台地になっていた。

 ザックよりヘッドランプを取り出し道標、下り口を捜し求める。道標に雪がべっとりついている。必死に半ば凍りついた雪をおとし分厚い木板をみる。八甲田大岳である。ここからは下りである。下山路を確認し、何かに追われているかの様な勢いで雪道をおりる。雪にうもれているものの道ははっきりしている。下るほどに明るくなる感じである。大丈夫だ、そう自分に言い聞かせてすべる様に雪道を下りたのであった。
              昭和63年10月



 <フレッシュさん紹介> 「5 年 目、 突 入」

警固薬局 市丸 正子

 大学を卒業して薬剤師免許を取ったら、働くのはやっばり病院、てことになるのかなあと思い、まずは九大病院に研修生としてしばらくお世話になり、気がつくと調剤薬局に就職して、もう4年近くが立ちました。フレッシュさんのコーナーには、ちょっとトウが立っているような気もするのですが、その点はど容赦下さい。

 私の勤めている薬局は、国体道路沿いのビルの1階にある小さな薬局です。2階に内科(ここの処方せんが主です)と去年の8月までは整形外科がありました。常勤の薬剤師は2人で、週に2日、保険などの事務を手伝いにパートの方が来てくれています。処方せん も1日に平均30枚といった所でしょうか。月末の保険請求時を除けば、比較的のんびりし ています。

 入局した時に前の管理薬剤師さんに言われた通り、「処方せんを出してくれる先生や看護婦さんと仲良く、事務所と仲良く、問屋さんや患者さんと仲良く、仕事は一人じゃできないんだからね」というわけで、この4年間、随分と周囲の皆さんに助けていただきました。

 薬剤師が2人とも経験が浅くて(もう1人のパートナーは、私と同じ福大出身の1年後輩なのです)パニックになることもよくありました。(今でもありますけど)市薬に入会して急患センターに行くことにしたのも、他の病院や薬局の先生方にお会いして、直かにお話を聞けたら、きっと、もっと仕事をしていく上で工夫できるようになるんじゃないかな、と思ったからです。

 センターの窓口で、鑑査の先生が患者さんにお薬の説明をするのを後ろでこっそり聞いていて、ああいう言い方もあるんだな、と後で薬局で真似したりしています。能書を読んだだけではわからない、薬の作用の強さとか、副作用のあれこれとかを、調剤の合い問にちょこっちょこっと数えてもらえるのも、とても参考になります。

 3年前に管理薬剤師になった頃は、ちゃんとやっていけるかどうか心配で、試行錯誤の毎日でした。保険なんか、後から後から知らなかったことが出て来て、その度に訂正してました。ホウ酸軟膏が医薬品再評価で薬価基準からはずれているのに、そのまま使っていたり、年末に薬を出し過ぎて、国保の審査会から「善処して下さい」と通達が来たこともあります。

 でも、何とかやって来れたようです。最近では慣れてきて、少し横着なくらいです。

 そんな今日この頃、薬局の仕事の中でやっぱり一番頭が痛いのは、どんなに気をつけていても、つい出来てしまうデッドストックの処理です。皆さんの所でほ、どうされてますか?デッドストックは税金として税金対策にする、とかいうお詰も聞いたことがあるのですが、うちではそういうこともないので、出なくなったお薬の箱を横目で見ながら、どうしよう、と悩んでいます。

 放っておくとそのまま使用期限切れが来て廃棄するしかなくなりますよね。仕入れた私としては、責任を感じてしまいます。備蓄薬品リストをめくって同じ薬を使っている薬局を探し、他の薬と薬価ベースで交換してもらったりもしますが、うちで使わない薬は、よそでもあまり使わない、というわけで、仲々うまくいきません。それに、そういうことは、いわゆる薬のたらい回しになって管理面で問題が出て来るんじやないかとも思います。

 4月にはまた薬価改正がありますし、合理的に薬を在庫しておくのって本当にむつかしいと思います。これから面分業分要になっていくと、備蓄は一体どうするんでしょう。処方せんが出るのは、薬局としてすごくうれしいことですけど。

 とは言え、何だかんだ言っても、至って平和な毎日です。今年は5年目に入ることですし、初心を忘れることなく、しっかり勉強していきたいと思います。最後に、警固薬局から「お薬換えて下さいCall」があったら、冷たくしないで、どうぞよろしくお願いします。

 追記。もう一つ、お願いがあるのですが…。よく第4週日の金曜日に研修会があってますが、市薬の研修会と勤務部会の例会が時々重なるようです。2つとも興味のあるテーマの時は迷ってしまいます。研修会は、なるべく重ならないようにできないものでしょうか。
   (S61年福岡大学薬学部卒業)



 <速 報!> 「県薬代議員会 役員改選」

日 時 平成2年3月21日 午前11時
場 所 福岡県薬剤師会館

 上記のように県薬代議員会が開催され、役員の改選があり、次のように新役員が選出されました。

  会 長 荒巻善之助
  副会長 古賀  隆
     梶原 敬史
     岩橋 雅夫
     野田 浩司
  監 事 城  敬治
     高橋亀千代

目薬代議員
  荒巻善之助、古賀 隆、脇園 茂
  未宗 成二、大神 信勝、倉田 憲治
予備代議員
  野田 浩司、梶原 敬史、三津家正友
  木村 英樹、保田 哲男、中井 順一



 <部会紹介> 「春吉部会の紹介」

春吉部会部会長 六月田薬局 森田 明

 選挙戦も終わり街には静けさがやって来ました。推薦候補も2名当選され今後我々業界のため多いに活動される事を期待したいものです。

 さて、広報担当の木原女史より春吉部会の紹介記事の依頼がありましたが、会員個々の紹介は紙面の制限もありますので省略させて頂き当部会の置かれている現況等について記述させて頂きたいと思います。

 当春吉部会の立地は所謂春吉校区として春吉、渡辺通り1,2丁目、清川1丁目並びに 高宮校区の高砂、清川2丁目が含まれており、会員数においては現在18店舗ですが、多い 時は22店舗もあり部会員数において最多数でした。最近は都心に近いこともあり居住人 口は年々減少の傾向にあり、春吉小学校の生徒数も一時1クラス50名で7学級もあった が、現在は1学級40名位に減少しており過疎化が進んでおります。店頭においても育児 用品のシェアは年々低下しております。当地区にはショッピングセンター的なターミナル が少なく、距離も近い天神地区への指向が強いようです。

 OTCメインの薬局についてはこの数十年で6店舗が廃業又は転出され、現在は医薬 分業の進展とともに調剤薬局数が過半数を占めるようになっております。

 戦後約半世紀、業界も様変わり、経営者も2世の時代となりつつあります。期待される面分業の進展には当部全会員の若手の活躍が待望されています。

 調剤薬局、OTC薬局いずれにとっても今後に大きな課題が残されており、薬価基準の 引下げ、服薬指導の徹底、備蓄薬品の充実等々対応が迫られるものが多く有ります。

 ご承知の様に薬品の流通は戦後永らく50%位は薬局薬店にメーカー段階で出荷されておりましたが、保険制度の充実と共に20%位に低下しており、薬品業界全体では高度成 長を遂げておりますが、その恩恵はOTC薬局にはおよんでいないのが現実です。

 今後高齢化社会の到来と共に欧米型より進んだコンピューターやファクシミリを駆使した日本型医薬分業の体制作りが厚生省、目薬等により指導されていますが、この際医薬協業の流れに沿って医師法23条が順守される時期に来ていると共に、法の趣旨が生かされる事を期待し、外国人より “医師は薬を売り薬剤師はチリ紙を売って生計を立てている” と言われて不思議な国日本より1日も早く脱却すべく我々会員一同も面分業の受け皿づく りに努力しております。

 最後に部会活動として懇親会的な行事は支部の運営におまかせして主として情報の周知徹底を計ると共に21世紀にむかって頑張りたいと思います。



 <コラム> 「医師は薬を売り、薬剤師は……」

専務理事 藤原 良春

 今号の部会紹介記事で、森田先生の文の中に「医師は薬を売り、薬剤師は……」とありますが、これは有名な歴史的事実でありますので、その元文を紹介します。

 平成元年が第二次分業元年と言われ、今分業気運の高まりを見せている時、この40年前の言葉を新たにかみしめてみれば、感慨深いものがあります。

 さて、会報5月号(平成元年)の「政治ドラマ、分業攻防史」を参照して頂きたいのですが、昭和25年7月、臨時診療報酬調査会及び臨時医薬制度調査会が設置され、同年8月 7日、両調査会開催時サムス准将は次の様な挨拶を行いました。その中に前記の言葉が出 ています。

 「医薬分業問題は独り日本に限ったものではなく、他の全文化国家においては、既に実施されている事柄である。これは医学、歯学、薬学の三分野において、各自が進歩発達した結果現われたものである。例えば、米国においては既に1916年に分業が実施されている。日本において未だにこの問題が未解決であるという事は、医、歯、薬三分野の学術が、他国に比していかに遅れているかを示している。

 近時日本を来訪した医療関係者、又は私自身が終戦直後強く感じた事は『医師が薬を売り、歯科医師が金を売り、薬剤師並びに医師が自ら取り扱う薬品の品質について、何ら考慮を払っていない』という事であった。

 その後、米国の医学、薬学の使節団も指摘した様に、医、歯、薬者の受ける報酬の大半が、自己の専門技術によるものではないという事実である。これは開業した医師、歯科医師及び開局した薬剤師が専門人というよりも、むしろ小企業者であると考えられる所謂である。これは他の近代文化国家と比較し、日本の医療界の不透明さを明確に示すものというべきである。

 元来専門人ともいうべき者は、第一に、自己の専門知識に体験を有すること、第二に、自己の専門知識や体験を絶えず進歩増進させる事に努力すること、第三に、国民大衆への奉仕を常に念頭におくべきこと、第四に、専門人としての現格基準に適合すべきこと、第五に、この受けるべき報酬は、自己の専門技術に対するものであるべきである。

 昨年米国薬剤師協会使節団も“医師は自己の専門職たる診断と治療に、薬剤師は調剤と医薬品管理に専心すべきである”と勧告した。

 この間題は、医、歯、薬三団体代表による三志会で解決される事と期待していたが、数次の会合でもついに解決点に達しなかった事は、まことに達感に耐えない。そこで日本政府、即ち厚生省で分業問題の適切なる解決を得るために、臨時の両調査会が設置される事となった。  ‥…以下略」



 <学薬のべ−ジ> 「学校におけるシンナー等乱用防止について」

−その取組みと問題点−

福岡市学校薬剤師会 副会長 野口 美智子

 第41回十二大都市学校保健協議会での協議課題を示されたのは、昨年9月でした。平成2年の開催地が福岡市なので他都市からの発表申し込みが無い場合は、福岡市から発表するとのことで「喫煙、シンナー薬物等の乱用の実態と、児童,生徒の心身に及ぼす影響」という課題に、取り組むことになりました。

 改訂された新学習指導要領には、薬物乱用等の害を保健学習の中でとりあげることとなっている。その上、医薬品の正しい使い方にっいても入っているとなれば、私達学薬としても、何れ避けては通れないことなので、とにかく一大決心をして、やれる所迄やってみることにしました。

 まず主催者である市教育委員会学校保健課に、この課題についての意途を聞くことにしこれに協力して下さる学薬の先生方何人かで智恵を出し合い、情報を集めることにしました。

 9月14日、学校保健課の大塚氏に会い「アンケートをとっては如何か」とのアドバイスを受けました。

 9月20日、数名の学薬の先生に集まってもらって、大塚氏の助言に従い今後の進め方を検討し、次のように決めました。

○ 十二大都市学校保健協議会での発表のための資料とする
○ 中学校と中学生にむけ、喫煙,シンナー吸引等のアンケート調査をする
〇 アンケートには、学校名生徒名とも無記名
○ 全生徒にアンケートを求めたいが、多すぎるので65校を3分し、一年生22校、二年生 22校、三年生21校の学年全員に依頼する
○ 学校に対しては一校一部とする。やり方は全国一斉調査、県下一斉調査にならう
○ 内容は○×式で、生徒が迷わないような質問を考える

 この案を持って、10月6日市教委学校保健課に行った。アンケートの内容も問題ではあるが、それよりもアンケートを求める目的及び、位置づけをどう持っていくかが大切であり、それがはっきりしないことには校長会で拒否されるであろうとのことでした。そしてその日は、日本学校保健会編の「喫煙,飲酒,薬物乱用防止に関する手引き書」等、数冊を持ち帰り、再検討することにしました。

 10月11日県業務課、麻薬係長の北島先生を訪門。先生から、現在の検挙補導に頼るやり方から一歩すすめて、中学生への乱用防止教育は、ぜひ学薬さんでやって頂きたいし、又その為の教育用の映画,スライド等防止啓発資料も薬務課には揃っているので、利用して欲しい旨お申し出がありました。「市教委のご意見が一番大事、よく打ち合わせた方がよい。この内容では、アンケートは無理だろう」とのご意見でした。

 それから県警の防犯部少年課の松岡課長補佐を訪ね以下のような資料をもとに、中学生のシンナー等の乱用について詳しくご説明頂きました。そして「ところで、この名刺を見ると学校薬剤師会と書いてあるが、これほ学校で薬を売るのですか?」と問われ、慌ててしまいました。「学校薬剤師」を世の中に知ってもらう必要性を痛感した次第です。

表の挿入

 10月20日市教委より「先日のアンケート内容では、教育現場で問題になりそうですので再考して頂きたい」との連絡がありました。

 丁度10月、九山学会の公衆衛生部会において、鹿児島県学薬が県からの委託事業として実施している「中学校に於るシンナー等薬物乱用啓発事業」が発表され、学薬部会では県薬務課からの委託で実施3年目の「血液教育事業の概要とその実態」が発表されました。後日送って頂いた資料によれば、昭和59年より知事の委託を受けて、中学一年生を対象に16mフイルム,ビデオテープ等を使って、学校薬剤師が各担当校に行って指導に当っているとのこと。初めは、「寝た子を起こすようなことはしたくない」との意見もあったが、年を重ねるに従い「タバコの害についてもお願いしたい」等の要望も出てくるようになったそうです。

 福岡県でも、早く取り組まなければならないのではないかと思います。

 10月末になって、市教委から「飲酒,喫煙,シンナー薬物等乱用の実態と児童、生徒の心身に及ぼす影響」の発表に関する企画書が送られてきました。これはさすがにお役所の企画で、大変柔らかい内容になっていました。

 12月になり、このテーマについては他の政令都市からの申込みが殺倒し、開催地である福岡市としては、遠慮せざるをえなくなり、残念なから途中で座折してしまいました。

 以上、私達が取り組もうとしてきた経緯を書いてみました。この協議課題を取り上げ、たくさんの先生方にお会いし、お話を聞く機会を得たことで、このテーマについて学薬としてなすべきものが、少し見えてきたように思えますし、決して無駄ではなかったと信じています。

 厚生省の代田審議官も、県薬保険薬局セミナーに於て「この間題の教育につい ては、教育現場に出迎いて、ぜひ学薬さんにやって頂きたい」と言われています。

 今回、関係先を訪ねお話しをお聞きしますと、取締る側の県薬務課,県警と教育委員会及び現場の学校、特に校長先生の認識には大きなギャップがあることに気が付きました。

 現場では、とかく「臭い物には蓋をする」となりがちです。このギャップを埋め、乱用防止の指導に当るのは、いま社会が学薬に求めている大切な仕事の一つであると痛感致しました。さいごにご協力頂いた学薬有志の先生方、本当にありがとうございました。



 <広  報> 「三鷹・世田谷・愛知県薬剤師会 見学報告」

(社)福岡市薬剤師会理事 社保担当 藤田 彰

日 時:平成1年12月11日(月)〜12日(火)
場 所:東 京 三鷹地区管理センター
       世田谷薬剤師会 世田谷薬局
    名古屋 愛知県薬剤師会
       名古屋国立病院
出席者:高倉副会長、正岡常務理事、藤田理事

三鷹地区管理センター

 10時半管理センター到着、さっそく石井誠三鷹市薬剤師会会長、荒井正雄副会長、佐野峰夫理事三氏から、管理センターの設立経緯、運営方法について説明が行われた。

@設立経緯

 昭和54年から三鷹医師会の休日診療所で医薬分業を実施し、薬剤師会がそれに協力したことから56年に三鷹薬剤師会で医薬品備蓄管理センターを設立し、資金は東京都から750万の補助金、東京都薬剤師会からの交付金、不足分は三鷹薬剤師会の保険薬局会員の負担とし、又運営も保険薬局会員の負担による。

 この管理センターを薬剤師会の活動の中心点として研修等に商用し、そして薬剤師全会員の不良在庫抱え込みの危険を分散する一方足りない医薬品などに対する迅速なサポート体制を敷いた。

 そして、三鷹市の休日診療においての医薬分業にも管理センター内の休日薬局で対応した。

A運 営

 三鷹市薬剤師会の保険薬局会員33名の内、出資金(l口20万で1会員1口)を負担する会員をA会員(23名)その他の非出資会員並びに他地区の都薬会員をB会員とし、A会員から毎月24,000円の会費を徴収(会費分は毎月2〜3回の休日薬局10名・診療所の出動費で十分に補えるとの事)又、三鷹市からの委託事業で年間600万の収入がある。

1)会員等への薬品の販売価格
  A会員:センターの購入価格
  B会員:薬 価
  但し、事務手数料とし1取引につき100円徴収

2)配達制度
   A会員:配達制度が利用できる
   B会員:直接センター窓口での利用に限る
 ・三鷹市は4kmの範囲内に収まり、会員への配送時間は平均50分以内で、自分で取りにくる会員も多いとの事である。
 ・配送は問屋8社の協力で輪番制で行っている。配送時間は午前,午後の2回。
 ・三鷹市の地域,人口割合163,000人は、福岡市7区の内の丁度1区に一致する規模であるので、福岡市各区に1カ所づつ備蓄センターがあるようなものである。福岡市でも各支部単位で会員が自分の支部内の医薬品流通に関与し運営していく方法もあるとおもわれる。

東京都薬剤師会世田谷支部「会営世田谷薬局」

 12月11日胴)午後から、世田谷区代沢の国立小児病院(335床、1日外来定数656人)の院外処方せん発行に対応するため、病院に近接して11月13日に開設した会宮世田谷薬局 (薬剤師3人、店舗面積約63†ば)を見学し、田中一洋薬局長から開設経緯、方針の説明を受けた。

 @ 国立小児病院が厚生省の分業推進モデル国立病院のひとつに選定されたことか ら世田谷支部が院外処方せんに対応するために会営薬局の開設に踏み切った。
 A 国立小児病院は専門性が高い広域病院であり、処方せんの質が一般病院や診療所と異なるため、会宮薬局の開設が必要となった。
 B 世田谷支部が都薬の委託で薬局を運営するが、経営はすべて支部が独自で行う。
 C 世田谷支部は面分業の推進のため、会嘗薬局を会員薬局紹介の「案内センター」 として位置づけていく方針であるとの事、すなわち国立小児病院の患者の2割程度が世田谷区内在住のため、当面は区内患者を対象に面分業の推進を因っていく。
  区内患者に対して会嘗薬局は初回の調剤を応需するが、2回目からの調剤では患者宅に近い会員薬局を紹介する。紹介する際は患者に薬歴のコピーも提供する。
 D 医薬品備蓄は従来どうり管理センターが受け持つ。

愛知県薬剤師会

 12月12日旧)11時愛知県薬剤師会館到着。深萱宏、中西敏夫両薬剤師会理事から@国立名古屋病院からの院外処方せん発行の経緯A同病院の院外処方せん発行に係わるファクシミリの利用についてB医薬品管理センターの運営についての説明が行われた。

 @国立名古屋病院からの院外処方せん発行経縫

 1)昭和58年に同病院の院外処方せん発行の話合いをもって、その時応需薬局には20万円分の医薬品を購入してもらった。処方せんは1カ月約300枚発行。

 2)昭和63年1月から国立病院薬剤科と院外処方せん発行についてさらに詳しい話合いを持つことになった。

 3)昭和63年4月から処方せん発行が1カ月500枚に増えはじめたが、調剤拒否の薬局が出てきた。薬剤師会で指導して大部分が直ったが処方せん応需をやめた会員もいる。

 4)平成1年5月から国立病院内で国立病院の医師が講師になって月1回研修会を開催し始めた。

 5)平成1年11月現在で外来投薬患者数は1日1,100人で、院外処方せんの発行は月800枚程度である。

A国立名古屋病院の院外処方せん発行に係わるファクシミリの利用

  同病院でのファクシミリの利用は平成1年11月21日から開始
 午後から、国立名古屋病院にファクシミリ設置場所を見学に行った。

B医薬品管理センターの運営

  現在愛知県では6カ所の医薬品管理センターで調剤用医薬品の供給体制を敷いている。

 1)医薬品は、会員が各管理センターに自分で取りに行くようになっているが将来は各卸問屋を利用して共同配送システムを考えている。

 2)医薬品の分譲価格は原則として対薬価90%で行っている。

 3)運営費は、各保険薬局からの特別調剤報酬を充て、薬剤師会費とは別会計 にしている。

 最後に愛知県薬では、これから面分業が進んで行くので、薬剤師はもっと積極的に地域の医薬品流通に関与すべきだと言われた。

 三鷹・愛知南桑剤師会を見学して面分業を進めて行くには、どうしても医薬品備蓄センターまたはセンター的なものが必要であり、両薬剤師会の備蓄センターの運営方法は、福岡市発としても大いに参考になると思われる。



 「薬局薬剤師研修会」

薬局委員 本村 精也

   日 時 平成2年2月9日  午後7時
   場 所 市薬会館講堂
   出席者数 80名
        司会 冷川理事

会長挨拶
 日薬では「基準薬局」の都道府県薬剤師会による認定の法的確立へ向け動いています。 本日の研修会では、今後の薬局薬剤師の有り方について、行政及び病院薬局の立場から、 お二人の先生方にご講演頂きます。

「行政の立場より」

  講師
    県薬務課課長補佐 成国勝彦先生

 今後の高齢化社会に向け、厚生省は完全分業を推進しようとしています。薬剤師をとりまく環境も大きな時代の変化の中、その職能を問われようとしている。そして又医療関係者や患者のニーズも変わってきている。それらの人達の薬剤師への評価は、信頼感、倫理感、プロ意識、社会性の欠如としている。それらの評価を克服するためには、プロの自覚を持って自己研鑽をし、生涯研修を計り、人格形成を充実させ信頼を得るより他はありません。薬剤師個々の意識改革が必要です。

 地域医療における薬剤師の果すべき役割は何か。世界に類を見ない高齢化社会の到来において、我々薬剤師は如何に貢献できるのか。又、その人たちは何を欲し、何を考えているのかを理解し行動を起さねばならない。

 行政はそのような人達の持つ老人医療費の負担等の経済不安を解消し、健康で仕事(生きがい)を持って老後を過したいとの思いを成すべく、生涯を通じた健康づくりの推進を支援していきます。

 地域医療計画やイベント等には積極的に参加して頂き、地域医療における健康相談、生活食事指導、服薬指導等にその職能を発揮して頂くことが薬剤師の社会的評価に繋がり、 ひいては、医薬分業が認められることにもなると思われます。

「病院薬剤師の立場より」

  講師
    九大病院薬剤部助教授樋口 駿先生

 九大病院で、くすりについて医師と薬剤師のどちらが詳しいかのアンケート調査をしたら、圧倒的に薬剤師の方が詳しいとの調査結果がでた。治療に際しお互いの立場を尊重し病態の把握に努めるようにしている。

薬剤師教育
@ 医師、看護婦と共通の言葉でコミュニケーションがとれること
A 診療録内容、検査結果がわかり、患者の疾病とその治療目的、医師の治療方針が正しく理解できること
B 医師が求める医薬品情報に対し、的確な情報を提供できること
C TDMについて個々の患者にコンサルテーションできること
D 患者に正しく接し、正しく話ができること
E 患者心理や社会的背景の把握ができること
F プロとしての責任と誇りを持つこと

患者が望む病院医療
@ 肉体的、精神的に早く完治したい
A 副作用等二次的障害に対する不安をなくしたい
B 知る権利を満足させたい
C 経済的負担をなるべく少なく、良いサービスを受けたい
D 快適に親切で経験豊かな診療を受けたい

 患者に伝うべき医薬品情報とは如何にあるべきか、患者のケアに如何に役立てるか。以上面分業に際し薬剤師諸兄の心構えが必要であろう。



 「市薬会館落成記念 特別講演会」

日 時 平成2年2月23日(金) 午後7時
場 所 市薬会館 研修室
出席者数 90名

1.開会挨拶
       市薬副会長 長谷川宏明

 新しい会館が竣工し、立派な研修室ができ上がりました。研修室のこけら落しの講演会を種々検討した結果、新しい研修室には新しく、しかもこれから大きく発展していく分野の講演がふさわしいと思い、本日の講演会を企画致しました。

 おいで頂いた講師の安喰先生は、インターフェロンα、成長ホルモンを開発された住友製薬で中心となって研究しておられる方であり、今回の講演は、バイオテクノロジーの技術的な事項に始まって、現在臨床に使用されているバイオ医薬品や開発中の医薬品の内容、薬理、薬効、臨床効果等を含めて、バイオ医薬品についての現在の知識のすべてを平易に、約2時間にわたって講演して頂きます。

2.講 演
  演 題
   「バイオ医薬品について」
    住友製薬褐、究所 主席研究員
       薬学博士 安喰英夫先生



 「試験センター業務報告」

福岡試験センター 室長 城戸 嘉寿子

 昨年11月、新しい市薬会館が竣工し、試験室も従来の1.4倍の広さに拡張され、特に 今後、増加するであろう機器の配置に備えて、機器室が広くとられた。そして会館の新築と同時に高速液体クロマトグラフ装置が購入され、今後の試験業務の充実が期待されるところである。

 さて今年度試験センターでは次の業務を行った。

1.市立学校飲料水水質検査

 昨年までは市立学校全校について13項目の試験を行ったが、本年度からは簡易専用水道対称校の飲料水水質検査は福岡市衛生試験所で行なわれることになった。代りに当試験センターでは毎学期次の項目の試験を行った。

○色 ○濁度 ○PH ○残留塩素 ○過マンガン酸カリ消費量 ○アンモニア性窒素 ○大腸菌検査

平成1年7月18日〜21日:一学期飲料水水質検査(224校)
   9月25日〜28日:二学期飲料水水質検査(224校)
平成2年3月6日〜9日:三学期飲料水水質検査(159校)
 〃  3月12日〜16日:簡易専用水道対称外の市立学校の飲料水水質13項目の検査 (63校)

2.簡易専用水道法定検査(学校)
平成1年10月〜平成2年3月:福岡市に存在する学校の簡易専用水道法定検査(159校)

3.医薬品試験

1)日薬統一試験

 @ 臭化ブチルスコポラミンの定量(マルコ製薬,ビビーフ錠につき試験)吸光度測定法により定量。含量99.47%(3回平均値)、判定;適合
 A 胃腸薬の制酸力,PH試験(住友製薬,マリジンMにつき試験)1g当りの制酸力178.69(3回平均値),PH6.01,判定;適合
 B ブドウ糖注射液の異物・PH・純度試験及び定量(模範薬品研究所,20%ブドウ糖注射液につき試験)異物;なし,PH:5.68,純度試験:5−ヒドロキシメチルフルフラール類の吸光度測定により試験0.066,定量;旋光度測定法により定量 表示量の100.86%,判定;適合
 C 希ヨードチンキ中のヨウ素及びヨウ化カリウムの定量(健栄製薬,希ヨードチンキにつき試験)ヨウ素の含量:表示量の101.4%,ヨウ化カリウムの含量:表示量の101.8%, 判定;適合

2)計画試験

 本年度は福岡試験センターがカバーすべき13支部より10軒に1品目の割合で検 体を提供して頂き12月22日から2月12日に亘り試験を行った。

 @ 試験品目116点(アリナミンA28点,漢方薬配合のかぜ薬,胃腸薬,便秘薬38点,アスピリン30点,精製水20点)
 A 試験件数368件(性状試験96件,重量偏差試験96件,崩壊試験68件,定量28件,細菌試験80件)
 B 判定:適合110点,不可能なもの2点*(1),参考4点*(2)
   *(1)崩壊試験において漢方薬配合かぜ薬と便秘薬各1点が局方規定には不適合であったが製造承認書が入手出来なかったため判定が不可能であった。
   *(2)製精水の一般細菌試験において開封時,1日後,3日後,7日後に細菌が認められたもの(細菌数4以下1点,10以下1点,20以下1点,100以下1点)局方に精製水中の細菌数の規定がないため参考資料として提出した。

 精製水は近年コンタクトレンズの洗浄や保存液として用いられることが多いため、細菌汚染が問題となった。2〜3年前までは細菌数が1血中数百,数千,中には1万というデ ータもあった。各県が計画試験として精製水の細菌試験を行い、多くのデータが参考資料 として集められ、その結果、メーカーが早急に対応策をたてたようである。今回の試験結 果からは予想外に細菌汚染は少なかったという印象をもった。

4.試験検査関連の研修会、講習会等への参加

 1)平成1年5月18日〜19日
    西日本地区給水衛生検査協会総会・研修会 於沖縄 坪根出席
 2)平成1年6月15日
    全国給水衛生検査会総会・研修会 於東京 城戸出席
 3)平成1年6月23日〜24日
    日薬試験センター連絡協議会 於広島・宮島 古賀,城戸出席
 4)平成2年1月12日〜13日
    西日本地区給水衛生検査協会技術研修会 於福岡 坪根,城戸出席
 5)平成2年1月25日〜26日
    日薬医薬品試験技術者研修会 於東京 獺越,城戸出席



 「第8回 支部対抗ボウリング大会」

組織委員長 戸田 昭洋

 平成2年1月21日好天の日曜日、城山ボウルに午前10時に集合した7支部と勤務部会の 87名の先生方は、4名づつそれぞれのレーンに分れ、3分間の練習の後、午前10時30分競 技に入った。

支部賞

 優勝 東支部  426.6点
  2位 西支部  399.5点
  3位 城南支部 380.5点
  (各競技者全員の平均点)

個人賞

 優勝 東   (城南 ライオン薬局)539
  2位 山浦  (博多 千鳥橋薬局) 534
  3位 熊谷  (東  ふじの薬局) 509
  4位 竹尾(慎)(西  タケオ薬局) 504
  5位 藤原  (西  フジワラ薬局)491
  7位 仁田脇 (東  みくに調剤薬局)
 10位 渡辺  (中央 一本木薬局)
 15位 合澤  (城南 あいざわ薬局)
 20位 岩佐(壮)(南  壮建築局)
 25位 上松  (博多 はなたれ薬局)
 30位 市花  (勤務 こども病院)
 35位 井原  (東  和白薬局局)
 40位 武内  (早良 室見薬局)
 45位 添田  (博多 千鳥橋薬局)
 50位 岩佐(周)(南  社建薬局)
 60位 永田  (南  ナガタ薬局)
 70位 深見  (南  ふかみ薬局)
ブービー森田  (中央 六月田薬局)

敢闘賞(男180点、女子170点以上)

 熊谷、東、山浦、仁田脇

ターキー賞

 東、長富、岩佐(壮)、木下、四宮、中尾、白水、中野(敬称略)

ハンディ(女性、60才以上・‥男は10点増,女性は20点増)

 試合が終った12時30分より懇親会がおこなわれ、古賀会長、藤野顧問のあいさつ、冨永顧問の乾杯の音頭で、宴会に入った。

◆優勝支部松井東支部長の話

 皆さんのおかげ、ありがとうどざいました。このところ、ソフトボールの東支部な らぬボウリングの東支部といわれます。

◆個人優勝の東英二先生の詰
 まぐれ、まぐれですよ!

◆5位の藤原専務の話
 まだやれろ−ガ!西支部の2位に貢献できました。

◆4位になったけど賞をなにももらえなかった竹尾慎一先生の話
 しょんなかですヨ!
          (オレヲニラムナ!!)

 事務職員の肥高さん、3年連続のブービー賞ならず。

 冨永,藤野両顧問より、ウィスキーの差入れがあり、来年もお願いします。

 午後1時30分、竹尾副会長の閉会の辞で散会。ちなみに、かわいらしいおじょうさんの手を引いた、オナカの大きな南支部の永田先生の奥さんをはじめ、応援者を入れるとちょうど100名の参加者でした。

 早くから手伝っていただいた先生方、ありがとうどざいました。では皆さん、来年もまたお会いしましょう!



 「理事会他会議報告」

[第11回 理事会]

日 時 平成2年1月23日(火) 午後7時
場 所 市薬会館 会議室
出席者 古賀会長、竹尾、高倉、長谷川各副会長、藤原専務理事、三津家、戸田、松枝、坪根、正岡、篠崎各常務理事、木原、南島、冷川、城戸、小野、藤田、市花各理事

議 事

1.会長挨拶
 昨年の会館落成祝賀会は大変ご苦労さまでした。いろんな方面から、大変立派にできた とのお誉めの言葉を頂載しました。年度末に向け、残された事業を任期いっぱい頑張って 終りたいと思います。国立病院の問題は、社保委員会で折衝に務めておりますが、まだま だはかばかしくありません。又2月の衆院選に向け、お願いすることも多くなると思いま すがど協力下さい。

2.会務報告  藤原専務理事
 @ 健康週間実行委員会12月20日 衛生局 実行委員の古賀会長出席
 A 県薬支部長会 12月22日 午後1時30分 藤原専務理事、各支部長出席
 B 太田誠一事務所開き12月22日 古賀市薬会長、藤野薬誠会会長出席
 C「新薬研修会」開催 1月16日 午後7時 市薬会館 講堂
 D 福薬連年賀会 1月4日 正午 ホテル日航福岡(高倉副会長他6名)
 E 太田誠一新春のつどい 1月4日 午後2時 国際センター 古賀会長他多数出席
 F 事業補助金決定通知 150万円
 G 国保運営協議会 1月9日 古賀会長出席
 H 支部研修担当者会議 1月14日 県薬会館 長谷川副会長、篠崎常務理事,藤田理 事

3.委員会報告   別記

4.協議事項
 @ 選挙について 2月の衆院選に於いて、太田誠一、山崎拓、吉村剛太郎の三氏を推薦する。太田誠−の支援体制については、薬誠会にお願いする。
 A 平成2年度予算について 医薬分業にそなえ、特別会費のアップを検討。
 B 県の公衆衛生協会へは34名入会した。

[第4回 支部長会]

日 時 平成2年1月25日(木) 午後7時
場 所 市薬会館 会議室
出席者 古賀会長、竹尾、高倉各副会長、藤原専務理事、三津家常務理事、松井、高杉、松枝、深江、南島、吉田、有田各支部長

議 題

1.分業問題について
   国立福岡中央病院
   福岡市内科医会

2.その他
   年度末に向けての行事日程について
   部会連絡協議会について
   予算編成の基本問題について

[第12回 理事会]

日 時 平成2年2月10日出 午後2時
場 所 市葵会館 会議室
出席者 古賀会長、高倉,長谷川各副会長、藤原専務理事、三津家、松枝、坪根、正岡、篠崎各常務理事、木原、高杉、南島、冷川、城戸、小野、藤田、成澤各理事

議 事

1.処方せん応需体制について
 部会長会に向け、処方せん応需体制について意志の統一及び方向づけをする。
2.その他

[部会連絡協議会]

日 時 平成2年2月10日出 午後4時
場 所 セントラルホテル福岡
出席者 古賀会長他役員
東支部  松井昌也、藤野哲朗、柴田伊津朗
     吉村きく子、入江理裕、加藤正剛
博多支部 冨永雄造、荒巻滋、鶴原潔、<  山本(大賀)、阿波欽治、高田(双和)
     渡辺久代、碓井正浩、山口利英
中央支部 森田 明、大石園、梅末芳彦、西森基康
早良支部 波多江敬三、坂本励、清水達三、江頭溜
城南支部 深江暉夫、合澤英夫
西支部  竹尾慎一、冨永計久
南支部  有田俊雄、大庭秀臣、小村正治

議 事

1.開会挨拶 司会 藤原専務理事

2.会長挨拶
 前回の部会連絡協議会は、昨年6月石井選挙の真っ最中で、先生方に大変ご無理なお願 いを致しました。今回は国立病院の受け皿作りや、内科医会との話し合いの進展にそなえ、 面分業の受け皿作りをする上での財源確保の必要性を検討して頂きたく、お集まり願って おります。出される処方せんは、薬剤師会としては、絶対に拒否できません。受けるとい う基本方針にのっとり、執行部で作成しました計画案をご提示申し上げ、先生方に検討し て頂き、来年度の予算を組みたいと思っております。なお正岡常務理事より、受け皿作り のための新システムの導入について、ご説明申し上げます。

議事録著名人
   江頭溜、小村正治

議 題

1.医薬分業推進の基本的問題について
 @ 国立病院、内科医会との問題
 A 受皿づくりのための新システムの導入
    詳細については「巻頭言」参照

2.会営薬局問題について
  当分の間は利息のみの返済とし、会費の5,000円の値上げと、会館土地譲渡による余  剰金の預金利息を充てる。

3.選挙について
  本会推薦の候補については、ご支援よろしくお願いします。

4.その他

[第13回 理事会]

日 時 平成2年2月20日
場 所 市薬会館 会議室
出席者 古賀会長、高倉,長谷川各副会長、藤原専務理事、三津家、戸田、松枝、坪根、正岡、篠崎各常務理事、木原、高杉、南島、冷川、城戸、小野、藤田、成澤、市花各理事、日高監事

議 事

1.会長挨拶
 本理事会より竹尾副会長は、病気療養のため会務を休まれることになりました。一日も 早い全快をお祈りします。先の衆院選ではど協力ありがとうどざいました。本会の第一推 薦候補ほ、めでたく当選することができ、特にその中での支部活動、及び薬誠会の活動が 大いに注目されました。
 国立病院を含めた院外処方せんの応需体制を整えるための計画案を、社保委員会で作成 しておりますので、事業計画案として通常代議員会に提出できるよう、平成2年度の予算 も含めてご審議下さい。

2.会務報告  藤原専務理事
 @「健康づくりセンター」ヒヤリング 2月8日 衛生局より担当者来館
 A医療人のつどい 2月12日 午後5時 ガーデンパレス(85名出席)
 B新薬研修会 2月13日 午後7時 市薬会館 講堂
 C福岡県薬剤師会長表彰について 木村県薬専務理事、高杉博多支部長推薦
 D「アジア太平洋子ども会議」出席依頼
    顧問 古賀会長
    実行委員 藤原専務理事

3.委員会報告  別記

4.協議事項
 @平成2年度予算について、医薬分業推進のための新システム導入のため保険薬局特別会費の値上げを諮問する。会宮薬局購入にともない、通常会費の5,000円アップを決める。
 Aその他

委 員 会 報 告

[社保委員会]

日 時 平成2年1月13日  午後6時
場 所 「ひょうたん」
出席者 古賀会長、高倉副会長、藤原専務理事、正岡常務理事、小野,藤田各理事、入江,藤野、山口、鶴原、平島(久)、清水、岩穴ロ、大庭、川畑各委員

1.国立病院の院外処方せん応需休制について
2.理事会へ提出する試案について

日 時 平成2年2月4日  午後1時
場 所 市集会館 会議室
出席者 正岡常務理事、小野,藤田各理事、大庭、清水、岩穴口、川畑、鶴原各委員

1.受入薬局のリスト作り
2.部会連絡協議会に提示する案件づくり
3.FAXのリスト作成

[薬局委員会]

日 時 平成2年1月12日
場 所 「カルシウム温泉」
出席者 古賀会長、竹尾副会長、松枝常務理事、冷川理事、篠崎、石井、国武、占部,本村各委員

1.薬局薬剤師研修会について
 平成2年2月9日 午後7時
 市薬会館 講堂
 @「行政から望む薬局薬剤師の役割」
   講師 成国県薬務課課長補佐
 A「病薬から開局薬剤師へ期待するもの」
   講師 樋口九大病院薬剤部助教授

日 時 平成2年2月6日  午後7時
場 所 市葵会館 会議室
出席者 松枝常務理事、冷川理事、石井、国武、藤野、本村、占部、青谷各委員

1.「薬局薬剤師研修会」における役割分担について
2.認定基準薬局について

[学術委員会]

日 時 平成2年2月15日  午後6時30分
場 所 市薬会館 会議室
出席者 長谷川副会長、篠崎常務理事、市花理事、成澤、山田、中島、久池井各委員

1.プロジュククー機種決定と購入の件
2.プロジェククー用操作台の決定と講入の件
3.落成記念特別講演会の打合せと当日の役割分担について
4.3月、4月の学術講演会の内容確認

〔急患委員会〕

日 時 平成2年1月25日 午後6時
場 所 市薬会館 会議室
出席者 成澤,市花各理事、小松、深見、馬場、竹尾、北島各委員

1.県薬の急患診療調剤手引書について
2.出席確認カードの件
3.チーフ昇格と新規出勤者について
  チーフ昇格:小川雅子、馬場正使、新井光男
  新規出勤者:平川洋子
4.年末年始の業務結果について

日 時 平成2年2月8日 午後6時
場 所 「茜家」
出席者 成澤,市花各理事、小松、深見、馬場、竹尾、北島、打越各委員

1.急患診療出勤者懇親会の日程について
   日時 3月20日(火) 午後6時30分
   場所 福新楼
   会費 3,000円
 2.3,4,5月出勤表の作成
 3.2月の出勤者の移動及び増員について

[広報部会]

日 時 平成2年2月3日 午前11時30分
場 所 市集会館 会長室
出席者 藤原専務理事、三津家常務理事、木原、城戸各理事

1.1月号の反省
2.3月号の編集について



 「受賞おめでとうございます」

 福岡県薬剤師会長表彰

 木 村 英 樹 先生(56才)
   51年より市薬理事3年半
   59年より県薬理事3年
   63年より県薬専務理事

 高 杉 正 典 先生(47才)
   58年博多支部長及び
   市薬理事 就任
   (6年10ケ月)

          平成2年3月21日



 「訃 報」

 藤 家 輝 雄 先生
   東支部 箱崎部会
   漢方ふじや薬局
   平成2年2月10日  亨年50才

 川 島 圭 介 先生
   元福岡簡易保険診療所薬局長
   明治薬科大学 S18年卒業
   平成2年3月2日  亨年67才

 謹しんで御冥福をお祈り申し上げます。



<薬連レポート> 「政治力は組織力」

参議院議員 石井 道子

 寒い冬も過ぎ去って、ようやく若葉が芽ぶき花開く明るい春を迎える候となりました。皆様にはお元気でご活躍のことと存じます。

 薬剤師の組織と政治力の真価が問われ、何が何でも勝ち抜かなければならなかった第15回参議院比例区選挙は、実に苦しい闘いでしたが、全国薬剤師会員のめざましいご活躍により、お陰様で再選を果すことが出来ました。皆様のご支援、ご協力に対し心から感謝申し上げます。

 皆様の終始変らぬ心あたたまる行きとどいたご配慮と、力強いご支援が私の政治活動をささえる源動力となりました。職能の確立と地位向上のためには組織の団結力と、政治力が必要であり、その政治力は選挙活動等の訓練によって培われることは云う迄もありません。“選挙しつつ組織し、組織しつつ選挙する”と云われるゆえんです。

 「薬剤師百年の悲願」と呼ばれて久しい医薬分業は、長年に亘る関係者のご努力により行政側の積極的な対応と相まって、最近はその気運が著しく高まって参りました。古くは昭和31年の分業三法の成立、更に49年の処方箋料引き上げが第一次分業元年と云われながら、国会における薬剤師議員の空白が20年に及び、薬剤師会の政治力の弱さが嘆かれていた所でした。

 7年前、比例区選挙に敢えて挑戦し、運よくくり上げ当選することが出来た翌年、医療法改正の審議に参加し、議員修正により薬剤師、薬局の位置づけを明記したことが発端となり、医薬分業推進事業の予算化や、研修センターの設立とつづき、調剤報酬改善も着々実現する中で、平成元年は第二次医薬分業元年と云われるに至りました。

 平成二年度の分業推進関係予算は7,340万余(昨年度3,170万円余)となり、特に新規予算として在宅老人の医薬品使用安全対策費、3,000万円が含まれています。また、保険局においては、分業が保険医療に与える影響を調査することを目的として、医薬分業調査費2,000万円が計上されました。本年4月、保険薬局の調剤フィーも1.9%アップし、入院調剤技術基本料も200点、(200床以上)に改善されることになっています。

 今こそ薬剤師が医薬品情報を生かし、調剤業務を通じて臨床薬学の実績をつくり、薬剤師職能を国民の医療と健康のために役立てることにより、それが正当に評価され、経済的にも裏づけられ、薬剤師の地位向上は、一層確かなものになることと存じます。一昨年からスタートした(財)研修センターの活動と相まって調剤にたずさわる質の高い薬剤師の養成と、確保対策に実をあげる必要があります。

 高齢化社会における医療福祉対策は重要課題であり、今年は医療保険制度の改革や、第二次医療法改正が予定されています。薬剤師会も21世紀へ向けて、新しいニーズにこたえて、質の高い医療保健制度の充実のために、医薬分業の推進、病院薬剤師の病棟への進出、薬事衛生、環境衛生、医薬品開発、医薬品流通の適正化等、巾広い分野において新しい道を拓く必要があります。私も法改正や行政指導の条件整備をすすめるために努力を重ねる所存です。

 昨年海部内閣の発足に伴い、8月11日より3月1日迄労働省初の女性の労働政務次官を つとめさせていただきました。勤労者の雇用の安定と、福祉の増進をはかるための政策を 推進する中で特に、高齢者雇用や、介護休業制度の普及と共に、パート労働を含む女子労 働対策等、新しい時代の要請にこたえた政策の実現にとりくむことが出来、充実した6ケ 月余りの月日でした。今年度は、文教委員会の理事と、予算委員として、更に精進を重ね る所存です。

 今後も薬剤師の専門性を活かし、国民生活の福祉の向上を目指して、清潔で公正な政治活動と、時代の変化に対応した先見性・整合性ある政策の実現のため責務を全うする覚悟でございます。今後共よろしくど支援、ご指導賜りますようおねがい申し上げます。



<余 滴> 「理 事 の 名 刺」

(社)福岡市薬剤師会 理事 木原 三千代

1.だまされて

 先月号で、博多東部会紹介を書いてくれたツルボウ(鶴原潔先生)は、朝の電話には注意しましょうと、原稿依頼のことを書いてくれましたが、私に言わせれば、夜の電話には特に注意しましょうです。

 2年前の夜、古賀会長から電話があり、広報担当として理事を引き受けて下さいと言われました。「とんでもない、私、文才なんて全くありませんので」「いや、そんな大変なものじゃありません、簡単ですから先生でも充分やれますよ」そうですか…てなことでうかつにも引き受けてしまったこの仕事。なにが簡単なものですか、古賀会長の嘘っき、すっかりだまされてしまった。

2.喜びと屈辱の日々

 「私、福岡市薬剤師会広報の木原と申します」と受け付けに告げ、それから秘書室へ、その間私の小さな胸はドキドキ鳴りっぱなし、そしてやっとお目当ての特別寄稿をお願いしたい先生に電話が繋がれます。市薬会報への寄稿をお願いし、強引にOKの返事を頂きカチャンと受話器を置く。冷や汗が休中から噴き出してくる。そうやって原稿が届けられた時の嬉しさ、ヤッター、バンザイ!! です。

 「あ−ア、今月号も又ミスってしまった」初稿から再稿、印刷へとこの問約一週間、何度見直しても必ず出るミス。あれ程見たのに何 んで気が付かなかったんだろう、そんな時、もう止めた、私にはできっこな−いと奈落の 底へ旅立つのです。

3.ザ、FAX

 「FAXとSEXは、使えば使うほど気持ちいい!」と教えて下さったDr.がいらっしゃったとか。確かにズズズーと送りたい原稿が吸い込まれてゆく時、そしてピーッという音で送られてくる時、マチガイなく快感をおぼえる。

 広報の仕事をしていると、これはど強い味方は無い。国立病院からのFAXによる処方せん応需体制という名目で購入したのですが、「センパイ、原稿は月曜日迄待ってヨ」 「ダメ!FAXで日曜日迄に絶対送りなさい。月曜日には印刷屋さんに渡すんだから」とい うようなこともできるんです。ネ、松井先生。

4.おわかれ

 会報誌の編集人という仕事は引き受けたつもりでしたが、広報担当理事という名刺は、かなり大きく重たい物でした。今号でおわかれです。無理なお願いしたたくさんの先生方本当にありがとうどぎいました。



 「会 務 日 誌」

1月4日 福薬連年賀会12:00ホテル日航
  〃  太田誠一新春のつどい13:00 国際センター
  5日 社保委員会13:00
  6日 予算打合せ会14:00(古賀,藤原,三津家)
  〃  医誠会総会17:00 国際ホール(藤野,藤原)
  7日 保険薬局セミナー
  9日 国保運営協議会15:00 セントラルホテル(古賀)
  11日 商組福岡ブロック研修会13:30 市薬会館
  12日 薬局委員会19:00
  13日 社保委員会18:00 ひょうたん(古賀,藤原)
  16日 新薬研修会19:00 市薬会館
  20日 市薬勤務部会例会14:30八仙閣
  21日 第8回ボウリング大会10:00 城山スポーツパレス
  〃  薬誠会幹事会13:30 市薬会館
  23日 三役会18:00
  〃  第11回理事・監事会19:00
  24日 学術委員会18:30 あみもと
  25日 急患委員会18:00
  〃  第4回支部長会19:00
  26日 県薬支部研修担当者会議13:30 県薬会館(長谷川,篠崎,藤田)
  〃  国保運営協議会(古賀)
  30日 いきなり文化大集会11:00 国際センター(古賀,他多数)
  〃  自民党県連大会13:00 国際ホール(古賀,他多数)
2月3日 衆院選推薦候補出陣式10:00(会員多数)
  〃  広報部会11:30
  5日 社保委員会13:00
  6日 薬局委員会19:00
  8日 健康づくりセンターヒヤリング 13:00 市薬会館(古賀)
  〃  商組福岡ブロック研修会13:00 市薬会館
  〃  急患委員会18:00
  9日 薬局薬剤師研修会19:00 市薬会館
  10日 第12回理事・監事会14:00
  〃  第2回部会連絡協議会16:00 セントラルホテル
  12日 医療人のつどい17:00 ガーデンパレス(古賀,他多数)
  13日 新薬研修会19:00 市薬会館
  15日 学術委員会18:30
  16日 国立ガンセンター訪問16:00(藤原,正岡,冷川)
  18日 衆議院選挙
  20日 第13回理事・監事会19:00
  23日 会館落成記念講演会19:00
  〃  市薬勤務都会例会18:00
  25日 県薬代議員会運営委員会13:00 県薬会館(藤原)
  〃  薬歴管理研修会14:00 県薬会館
  27日 アジア太平洋子供会議実行委員会 13:30 国際ホール(藤原)



 「川  柳」

博 多 人 形

 ケッサクを 斜めにかまえて 苦吟する

 惜しまれて 舞台を降りる 人もあり

 切りがなく 長居をしては 粗大ゴミ

 改選期 ひとごとだから 面白い

 気違いに なれるからこそ 当選す

 野党連合 選挙までの 鏡餅

 役人の 「スギ」たる言葉で 花粉症

 二次会を 逃げるやつだと 村八分

 横文宇で シニアグラスと 老脹鏡

 会報を 抱いて寝るのと わが娘

 ボーリング オジンパワーも 見なおされ

 肩の荷を 降ろして気付く 春便り



 「編 集 後 記」

・弥生、三月、青い色の紙を横目で見ながらの編集です。しかしブルーカラーとはよく名付けたものですね。桃色申告なんてのはどうかしら、お困りの先生が多いかな。

 今月号の巻頭言は、初めて若い常務理事に登場願いまして、医薬分業の受け皿作りの一つとして、社保委員会で検討されているシステムについて詳しく書いて頂きました。

・「藤原先生、ファジィて何ですか?」九大病院牧野先生の原稿を読みながら聞きました。

 「コンピューターのことだったら、曖味なという意味だと思いますよ」市薬にも、いよいよコンピューターが導入されることになり、三月の理事会でシッカリ検討されました。

・シリーズでお届けしている「バードウォッチング」楽しみにしていらっしゃる方も多いと思いますが、今月号は野仲先生のご都合が悪くお休みになっています。

・県薬代議員会に於て、副会長に再選された古賀隆先生は、今回市薬会長職を降り、県薬副会長だけに専任されることになりました。

 古賀先生を県薬に取られたくはないのですが荒巻県薬会長のたってのご希望でもあり、仕方ありません。いさぎよくあきらめます。

 藤原専務理事の言によれば「りっぱなワンマン会長であった」そうですが、私には白髪がとてもきれいでハンサムな、素敵な会長でした。今度はどのような市薬会長をお迎えするのかとても楽しみです。

・今月号の表紙はきれいにできたかな?と一喜−憂しながら、写真を提供しつづけてくれた彼女も、この三月無事卒業し、シティー薬局の従業員になりました。親子ともどもこの二年間本当にお世話になり、ありがとうございました。皆さまのご協力心より感謝申し上げます。

(木原)

平成2年3月31日発行(隔月年6回発行)
  福岡市中央区今泉1丁目1番1号
   社団法人 福岡市薬剤師会
      T E L 092-714-4416
   発行人  古 賀   隆
   編集人  木 原 三千代
   印刷所  給サ英社印刷