<会員のひろば> 「卒 後 四 十 年」
雑餉部会 薬局ハルズミ南福岡 堀江 秀男
還暦会員との指名で寄稿依頼されました。自宅に帰ると解放感から虚脱状態になるので調剤室にて筆をとることにした。合間合間の綴り方なので拙文で容赦願いたい。
新年号なので私なりの抱負でもと考えたが自信なく、首題の通り私事で誌面を汚しますのでお気軽にお目通しの程を。
人生50年時代では還暦は大きな慶事であったと思うが、人生80年時代の長寿社会の現在ではピンとこないのが実感である。昔日の還暦祝の様式を想像するが故かも知れない。
日頃客や患者に75才までは現役ですよと言っている手前余り意識してない積りである。しかし時に人様から少々若く見られるせいか、自慢気にあと何年で還暦ですよと口走ってきた所をみると矢張り年令には勝てないのであろう。
私の父は東京高田馬場(早大のそば)で戦災に会うまで30年開局していた。 その薬局で出生した私は調剤室の裏手にある6畳程の薄暗い部屋で小学校卒業まで過したのである。その調剤室は仲々立派なものであった。店の中に床上げして家を造った感じで、ニス塗りの木枠は柱になっていて飾り彫刻まであり、重厚で且つ権威のあるものであった。多くの硬質装置瓶と白い陶器の筒型軟膏ツボ、調剤台横に体温計検査器等があった。自家調剤の感冒薬が良く売れていたらしく薬包の加勢をよくさせられた記憶がある。当時店頭で忙しそうに働いていた母も今年89才になり腰下肢が衰弱、現在寝たきりの自宅療養の身である。
薬専(最終回)卒業と同時に、在京就職を父が許さず父の転勤先大阪に引き戻され、メーカーに入社し半年後福岡営業所開設のため博多に転勤してきたのが昭和27年である。当時福岡市の人口は32万程で、岩田屋の屋上から眺めると猫の額位の街並を眼下に見て驚いたのを思い出す。時まさに石炭は"黒ダイヤ"と言われ、筑豊炭田全盛時代で大変な景気であった。中洲の中央通りは両側に外車がズラリ列をなしていた、炭鉱の重役連中の夜の出張である。 当時医薬品需要も急速に拡大し、三井三池、三井田川、製鉄夫々の病院の薬品入札量が九大病院の3〜2倍であるからお分かりと思う。恐らく炭鉱夫の腰痛、腕痛等に湯水の如く静注鎮痛薬が使われたのであろう。
昭和31年にプロパーからオーナーに転向、極々小資本で駄菓子屋に毛の生えた様な薬局を開業したがサルファ剤、クロロマイセチン全盛期で結構繁盛したものである。手吊げ金庫の売上金で近郊の土地を求めに行ける程であった。無論当時は土地投資等も余りなく地価は安価で、坪500〜3,000円位で住宅地が手に入った時代である。
それから34年間倒産もせず薬局経営を続けてきたが未だ夢が現実にならないのである。その間多くのことをトライしてきたが結果は決して看んばしくない。従業員を30入程雇用し直販化粧品メーカー、入手不足時代にはとアパート経営、博多駅周辺道路開通のための店舗移転、乱売時代の多店化指向で支店開設etc.45才までは何かやらないと気が済まない状態で、思えば行動する、不用意さとあつかましさ、若さの血気が斯くさせたものと述懐する今日である。
48才で博多支部長を皮切りに10年間薬剤師会に参加し無能の私にも多くの先生方と接する機会に恵まれ勉強させて頂いたこと感謝に耐えない次第である。
2年前退役させて頂き少々留守勝ちの店舗の確立に私なりの使命感をもって業務に専念している。
私事ばかり連ねたので少々主観を述べさせて頂きたい。申す迄もなく社会環境は目まぐるしく変革している。情報産業、ハイテク等過去姿なきものがトップ産業となっている時代である。吾々薬剤師は人間の生命に関る薬剤が中心の職業であるので同心円的に整備拡充する以外に発展は望めない。徐々に医療も変ってきている、本年は基準薬局(家庭薬局)として整備し地域医療の枠組に入らねばならないし、国立病院の処方反応需も薬剤師の面子にかけても心して実施せねばならない。
国民の多くから薬剤師としての認知が薄弱であり、薬局,薬店の区別も不明である。薬剤師のいる薬局という看板を出したらとの笑話もある。調剤のみの薬局は別としてOTC薬業薬局の型態にも問題がある。
大型店化ということで生鮮以外の何んでも扱う店が薬局と名づければ国民はいよいよ薬局がわからなくなる。薬局は少くとも50%以上を医薬品、調剤室、待合所の部分とすることを長年希望してきたが日薬とて考えていない。その大型店が年商3億,5億と耳にする。薬剤師は医療人となるか企業人となるか、上手に両立させ得る器用な人は良いが私には力もなければ資本もない。薬というハードにソフトウェアを勢一杯つけて店頭で努力してる積りがままならぬ毎日である。
<会員のひろば> 「やったぜ 優勝!!」
早良支部 支部長 南島 敏彦
今年の福岡市薬剤師会ソフトボール大会は記念すべき第10回大会、「よし、万年最下位の汚名返上だ。優勝をねらうぞ」我西支部は城南、西、早良の三支部の連合チーム、早速優勝にむけてのメンバー募集にとりかかった。募集前半は、自然体でメンバー参加を待っていた。しかし、誰れの申し込みもこない。「どうしよう…こんな状況では大会にも参加できない…気はあせる…もう2〜3日待ってみよう」ところが待てど何ら動きがない。
時間がない。参加を促す方策を考えねば。そこで城南支部の深江支部長,西支部の吉田支部長と相談し、まとめ役に西支部の占部先生、監督を城南支部の藤野先生、キャプテンを西支部の川添先生へお願いする構想でアタックにかかった。
ここですぐ問題が起った。最も重要な監督をお願いするはずの藤野先生が、所用で参加できないとの連絡を受け、占部先生と相談の結果、川添先生に監督をお願いすることとなった。川添先生には快く引き受けてもらえた。
いよいよ最強選手と強力応援団をお願いする手はずは整った。数日後、占部先生の指導のもとメンバーが決まりつつあった。順延前のメンバー募集にくらべ、今回のメンバー募集は苦労の連続である。いよいよのときは、ロートル群団で戦うのみだの気持でいた。
市薬のメンバー締切りを明日にひかえ、新戦力となる人材がいない。市薬に連絡を取り、1日メンバー表提出を待ってもらった。
最下位が頭をよぎった。最終の詰めで深江支部長より強力な新戦力の推せんが、また、江頭早良部会長より強力な新戦力の推せんがあった。「これで最下位はなくなった…3位かな…いや、優勝決定戦に出場できるかな…もしかしたら優勝だ」と心で叫んだ。
その他の手配も終了し、静かな大会前の数日を過ごした。あとはソフトボール大会に全力でのぞむだけである。当日がいよいよやって来た。空は青空、今日は最下位脱出と気弱に会場の武田薬品グランドヘと急いだ。7時には現地に到着したが、グランドの門は閉じたまま、「早すぎた、佐々木小次郎と同じだ。やっぱり敗れ散る運命にあるのか」と一瞬心の中をいやな予感が走りぬけた。
開会定刻が近ずくにつれ、その予感はふきとんだ。新戦カメンバーが若い。その上運動神経にすぐれていそうだ。練習を見学していると、バッテリーが……この時点で、今日はいいところまで確実に進出できると確信した。
いよいよ試合開始、西支部はBパート、対戦相手は東支部と中央支部、我西支部は2試合目東支部との対戦、この対戦が今日の運命を左右する重要な戦いである。選手も応援団も例年になく真剣そのものである。
この重要な試合に、からくも勝利をおさめた。この試合での選手の活躍を目の当りに見て、優勝を意識し応援団にも活気が出てきた。3試合目、中央支部との対戦は、前半ぬきつぬかれつの接戦を演じ「もしかしたら…」と不安になった。しかし、選手の顔色をうかがうと落ち着いたもの。終ってみると大差の勝利。目標の優勝にチャレンジできる。
昼食は禁酒。午後「さあ、優勝戦!!」選手、応援団とも力が入る。対戦相手は昨年も優勝している強カチーム勤務部会。試合は勤務部会の先攻で始った。勤務部会が点数を入れ先行すれば、その裏すぐ我西支部の選手は取り返す。決して負けてはいない。
9対9で迎えた6回の裏、大砲の辛島選手がこの日5本目の文句なしのホームランを打ち、ついに勝ち越した。7回最終の守りにつく選手は優勝を意識し、また応援団も同様で、プレッシャーに押しつぶされる様な雰囲気であった。ウイニングボールが江頭一塁手のググローブにおさまった時、勝利を確信した。
「ついにやりました。優勝の二字を!!」
幸か不幸か優勝を目標にビール,酒をたしなむことを禁止された選手の皆さん、ご苦労様、心からおめでとうの言葉を送ります。最後に、優勝するまでには多数の先生に御協力いただき感謝にたえません。
もう一度 「やったぜ、優勝!!」
<会員のひろば> 「晴のち風雨の大雪山系」
名島部会 タカラ調剤薬局 満園 忠治
夏の暑い盛りの8月、福岡より空路北海道へ。涼しく快適で食べ物の美味しい地へ逃げれるとあり、家族を初め私を知る者の羨望の的になりつつ機中へ。でも今回の山旅は定宿よりの日帰り登山ではなく、テントを初め衣,食三点セット持参の行動ですから皆々が想像するほど決して楽な山旅ではありません。
せっかく北の大地まで出向くなら、その大地にテントを張り、満天の星を仰ぎつつの幕営も楽しかろうとの発想であります。従って3泊4日の旅の中で宿泊を確保しているのは到着する日のみであり、時間に束縛されない気ままな山旅になりそうです。
防寒用の衣類、身廻り品,食料を詰め込むとリュックは今にもはちきれんばかりである。肩にずっしり重さを感じ、したたり落ちる汗もかえりみず、ただひたすらに喘ぎ喘ぎそれらに耐えて黙々と歩く様は自分のしている事とは言え不可解な行動である。でも四季を問わず自然は常に新鮮に私を包みこんでくれ心新たにしてくれるのです。何時ものことながら登坂中の苦難はすぐに忘れ去られ、次はあの山にもと夢をふくらませてくれるのです。
千歳空港より当時の国鉄で旭川へ。旭川より路線バスにて層雲峡まで約2時間。考えれば長い道のりである。山歩きのあとまたこの道を乗り継ぎ乗り継ぎ帰路に着かねばならないと考えると多少うんざりです。層雲峡に夕刻到着。部屋の中とは言え肌寒さにセーターを取り出し、明日に備えてリュックの整理をする。早々に温泉に入り夕食を済ませる。山登りで最も気がかりなのは天候である。雨ともなりますと遠くを望むことも出来ず楽しさは半減します。でも明日の天気は問題はなさそうではやる心をおさえて床につく。
北海道の山々は本州の中部山岳地帯の3千m前後の雄々しい岩峰、岩稜は少くなく、おおむねなだらかに裾をひいた山容である。北海道の最も高い山でもこれから登ろうとする大雪山系の旭岳の2,290mが最高峰であります。そう余り高くなくどっしりと重量感に満ち、おちつきはらった山々にまた北海道らしさを感じとることが出来ます。
またこれらの山には熊が生存することでも有名です。思い起こしますと1970年の夏、福岡大学ワンダーフォーゲル部が日高山系でキャンプ中にヒグマに襲撃されたことかあり、また数年前札幌の高層ビルの立ち並ぶ周辺に親子グマが出没したとの新聞記事を読んだ記憶もあります。
この事実は裏をかえせば、北海道の自然そのものにまだまだ原始的で探険的要素が残されている証であり、自然をこよなく愛する山岳人にとっては至上の喜びとするところです。我々がこれから縦走せんとする黒岳〜旭岳のコースは現在では熊の危険性に直面することはなさそうですが、かつてはここらあたりにも生存したと印されております。
層雲峡よりロープウェイ、リフトを乗り継ぎ降りたったところはもう黒岳7号目。入山手続を済ませ、さあスタートです。快晴とまでは言えなくともまずますの登山日和です。
緑濃い針葉樹林帯、ダケカンバの林を歩き抜けると黒岳の頂上。広大である。平野部もそうであったがここには天を突く岩峰、岩稜はなく山容は穏やかで広々とした高原である。雲に見え隠れする山あいの雪渓が時に太陽に輝き目を奪う。同行の我が子(当時小学4年)がシマリスをみつけ手のひらにお菓子をのせて招くと恐れる様子もなくそれをついばむ。シマリスが沢山いるとは聞いていたもののこれほどまでにも人なつこく近づくとは。
黒岳より黒岳石室へ。ここには山小屋とキャンプ場があり多くの山人はここにテントを張り、ゆっくり高原の味を満喫するのですが我々は一気に、いわゆる表大雪と呼ばれる北海道より旭岳を走破することに決めた。お花畑と雪渓を楽しみながら道む。おおむねなだらかで急登はないものの、いつになく背中の荷物の重さが気になる。右手には火口原の茶褐色の御鉢平が異様な感じで広がっている。この火口原の御鉢平は有毒ガスを発生させ、かつてはキタキツネ,ヒグマなどが死んでいたと記されている危険地帯である。
その御鉢平をとりまく山々の景観を楽しみながら砂礫上を歩くと御鉢平に別れを告げる間宮岳山頂。この辺りより雲の動きがにわかに早くなり風も強く吹き初め、寒さを感じる。突然に大粒の雨。立ちどまったらずれ落ちそうなガレ場にリュックをおろし、雨具をとり出している間にもうずぶ漏れ。横なぐりの強い風雨にガスも出て来て視界はゼロ。五里霧中とはこのことか。山行で最も苦しく辛い時である。道標も歩路も判別しにくい。ただ頂上方向に歩くのみ。強風と雨で息がつけなく、体も徐々に冷えていくのを感じる、寒い。急登に雨をしっかりふくんだ砂疎に足をとられて歩きづらい。雨に漏れたリュックも更に重さを増し、容赦なく肩にくい込む。山歩きで雨は避けられないもののやはり天気にこした事はない。
果てしなく広がる峰々を眺めながら歩くのが山歩きの醍醐味です。それが不可能な今、気はふさぎ萎えていくのみです。本来ならば、大雪山系でこの附近が最高に眺望の良い位置で十勝連峰を初め、北海道の主要な山々が一望できるはずである。この雨とガスではそれらの片鱗さえ見せてくれません。
唸りつづける風雨は更に自分自身を寡黙に追い込む。必死について来る我が子を時々振りかえる。ガスの中で何かを訴えようとする目がうつろである。がんばれ!!歩けど頂上らしきところには行きつかない。あとは己との壮絶な戦いしかない。
本によればこの間宮岳より旭岳山頂に至る急登はその長さ、きつさから言っても最も難儀なルートであると言う。それに加えてこの風雨ですからその苦しさ辛さは計り知れません。年中山歩きしている一度や二度この様な経験はするもののやはり雨はイヤです。
時計を見る余裕すらなくまたどれほど歩いたか記憶も定かでないまま進んでいるうちに高台らしきところにたどり着く。山頂の標識をやっとの思いで捜し求め確認する。もちろん展望皆無。無念。
寒さと疲労の為に早々と下山開始。風雨は一時期ほどの壮絶さはなくなったものの相変らずの濃いガスである。下りとはいえ相変らず足場の悪いガレ場と疲れで足もよろめきがちである。苦しみと忍耐を強いられつつ旭岳登山ロヘたどり着く。その頃は今までの強い風雨は嘘みたいにやみ青空がのぞいているではありませんか。思い出せば苦しい一日でありました。しかし、最悪の気象条件の中を歩き、それを克服したそれなりの充実感もあり、決して忘れることの出来ない山行でありました。
(昭和59年8月)
<会員のひろば> 「健康フェスティバルに参加して」
原部会 西岡薬局 西岡 啓子
"大正漢方胃腸薬""カコナール"等々、漢方処方薬のコマーシャルがさかんに流される昨今。漢方薬は薬局にはなくてはならないものになりました。薬価に掲載されてからは、病院でも処方されるようになり、ただでさえ大きな薬袋に拍車をかけています。又、新薬のごとく包装された漢方処方薬は、漢方の知識がなくても売れるようになりました。
そんな漢方薬を、時代錯誤と頑なに排除してきた我薬局でしたが、店主のこだわりにも係りなく、いつの間にか店の棚には何種類もの漢方処方の商品が並んでいます。
そろそろ漢方に対する考えを改めなければと思っていた矢先の健康フェスティバルヘのお誘い。「とても相談にのったりなんて」と一度はお断りしましたが、「勉強と思って気楽に」という南島先生の一言に、この日の出勤となった次第です。
会場に着いてまず驚きました。すでに、会場は整えられておりました。漢方生薬のサンプルがずらりと並べられ、処方内容が一目でわかるように図示され、とても丁寧な陳列がなされていました。前日に有志の先生方で準備されたとのことでした。もちろん、薬草茶の用意もできていました。一日掛かりの仕事だったろうと思います。
同じ薬剤師会員でありながら、不平も言わず、薬剤師の地位向上のためにがんばっておられる先生方を目のあたりにし、白衣一枚を手に、しぶしぶ出勤した自分を恥しく思いました。
会場には二百人程のお客様が、入れ替り、立ち替り入場され、薬草について熱心に聞いて行かれます。薬草への関心の高さを再認識させられました。「このフェスティバルを人に聞いて、ずっと待っていたんです」という糸島から来られたおじいちゃんがいらっしゃいました。もちろん満足出来る助言は与えられませんでしたが、詳しくしたためられたパンフレットをお渡しすることが出来ただけでも良かったと思いました。久し振りに、商売ぬきに人に喜ばれる心地良さを味うことが出来ました。
薬剤師会会員になって1年半。先輩の諸先生方を見習って、私もがんばらねばと痛感させられた一日でした。
<フレッシュさん紹介> 「大 橋 駅 に て」
南区 中村病院 銭本 美知子
最近、通勤途中のバスの中で朝と夕方、大橋駅にできる人だかりに目を奪われる様になりました。ある日、途中下車をして興味津々その人だかりに近づいてみると、私の足元にピンクのリボンをした小犬が現われたのです。
私は思わず、「きゃ、かわいい」と抱き上げ、更に人だかりに入ると、リヤカーと自転車をくっつけた乗り物に十数匹の小犬や小猫(それら全部にいろんな色のリボンをして)が、人にじゃれついたり、仲間同志で遊んだり、まるで動物の幼稚園を見ている様でした。
(捨てられたのかな、可愛いけれど家にも猫が2匹いるので飼ってあげれない)とその場を立ち去ろうとすると、突然、「マツゴローだめ!いたずらしちゃ」と、おじさんの声がしたのでその方を見ると、その中の1匹の犬が近くの花屋から売り物の花を1本口にくわえてとことこリヤカーに戻ってきたのです。
「人にもらわれて行くのに、名前付けているなんて変わってますね」と、隣りにいた女性に思わず言ってしまったところ、その人が、「この犬と猫、この人のペットで平成2年の5月から5ケ月間かけて北海道のムツゴロー王国に歩いていくんですって。
このリヤカーで全部を連れていくので協力と共にカンパをお願いしますと、そこに書いてありますよ」と教えてくれました。その日は、世の中には変わった人もいるのだと思いながら、少しばかりのカンパをしてそのまま帰りました。
しかし、毎日バスの中からその小犬や小猫を見ているうちに、野次馬根性のある私は、動物を連れて北海道にリヤカーで行くという途方もない計画をたてているおじさんに、話を聞いてみようという気になったのです。おじさんは初対面の私に気軽に、自分は2級の身体障害者証明書を持ち、生活保護で暮らし、親しい人も身近におらず、ふとした事から野良の動物を飼い、そのペットたちが次々と自分達と同じ境遇の犬や猫をくわえてきて「いつのまにか十数匹にね」と話してくれました。
しかし、ここではそんなに多くを飼っていける場所もないし前々からムツゴローさんの生き方に共感を覚えていて、いつか、広大な北海道で人間も動物ものびのび暮らしたいと思っていたそうです。
一番驚いたのは、十数匹いるとえさ代も相当かかる為、自分は1日1食で食べたいものもあまり食べず、その分を動物たちに与えているがその事は全然苦にならず、むしろ楽しいし生きがいでもあるという事でした。
子供もいない私が言うのはおかしいかもしれませんが、子供に出来るだけ良い環境を与えてやりたいという親心の様なものかもしれません。それを聞いた時は、(この人は本当にペットとしてではなく家族の一員として動物たちを愛しているのだ。動物と共に生きているのだ)と、もう何も言えずこみ上げてくるものがありました。
自分の夢を実行しようとして頑張っているおじさんを見て、私も信念という程大袈裟なものではありませんが、日進月歩していく薬業界についていける様、常に向上心を持ち続け、薬剤師としての任務や患者さんたちとのふれあいなど、微力ながら医療に貢献できる様、頑張って行きたいと思います。
おじさん、動物くん達、ファイト!
(S62年 第一薬科大学卒業)
<余 滴> 「会 長 の 御 奥 様」
会長の御長男の結婚披露宴が、先頃市内のホテルで行われた。御招待にあづかった女性軍は、これ見よがしにお召かしし、競って集うのが世の常である。
色とりどりの野鳥の群の中にあって、丹丁鶴のように衆目を集めた美人が居られた。
その方が会長の奥様である。
ドラマ「代議士の妻」では、代議士は東京と地元をしきりに往き来するので、東京では身辺のすべてを美人の秘書にまかせていて、地元に於いて妻は、次回の選挙で主人が「再当選を果たすように」ひたすら励むとなっている。
ところが会長の奥様は
「この次また会長に再選されでもしたら…、私は、知りませんけんね」
今日は、会長の奥様ゴキゲンななめ
「三津家さん…、大体ですね、ウチの主人(会長)は、薬局(くすり屋)には向いていないのですよ。学校のセンセイか、そこらの役人にでもなっといた方が良かったのです。ミチを間違えとります。商売が全く苦手で…、三津家さんあなたも同じですよ。あなたも全々商売だめでしょうが」
「ハイ、わかりました」
またゴキゲンのいい時に出直します。
古賀会長の御一家は、会長の御両親揃って健在、鳥飼総合病院の理事長90才。福岡大出の医師(長男)、福岡歯大出の歯科医師(二男)、第一薬科大出の薬剤師(長女)。
所謂、今はやりの三師会を一家で形成し、外では厳しいが、御家庭では不思議にやさしい御主人(会長)に囲まれた女王蜂様。
「三津家先生、主人がいつもお世話になっております。先生も大変ですね。奥様によろしくお伝え下さい」
「ハイ、ありがとうございます」
これが会長の奥様である。
(記 会長のお店のとなりの大濠薬局)
<部会紹介> 「博多東部会の紹介」
博多東部会長 泣Mオン薬局 鶴原 潔
第1章 プロローグ
平成元年12月2日午前10時すぎ、博多区冷泉町1番11号(有)ギオン薬局の電話が鳴った。私はすかさず受話器を取り上げ、「はい!ギオン薬局です。」と答えた。電話の相手は、「薬剤師会の……」まて、この声には聞き覚えがある。私の頭の中では、この声の主をインプットされている数多くのデーターの中からサーチし始めていた。すぐに回答が出る。○○薬局の△△先生に違いない。「薬剤師会の△△です」 予測は適中した。しかし何故△△先生が私に電話を……?
「市薬会報の原稿をお願いします」 「□□薬局のxx先生にギオン薬局に頼めば書いてもらえますと云われました」 「えっ−、xx先生に?」
ちなみに□□薬局とは、はっきりとは申しませんが、西新(藤崎)の商店街の中にある薬局で、他にJR博多駅の朝日ビルの中にもまた雑餉の方なんかにも店があります。確か頭文字がAFだったですネ、はっきりとは申しませんが。ついでに○○薬局は、月隈の方にあって、はっきりとは申しませんが、薬局名を日本語に訳すと都市薬局とでも表現するんでしょうか。
とにかく無理やり原稿を書くことに同意させられました。では本論に入ります。
第2章 博多東部会紹介
「博多東部会JR博多駅より北側、呉服町の旧電車通りまでの間の13の薬局にて構成されています。以前は18薬局だったのですが、昭和62年迄に、2薬局が閉局、そして同年4薬局が博多南部会に編入となり、翌63年に1薬局が新規入会し現在に致っております。
13軒中調剤薬局が10軒を占めています。FAX導入薬局の数は3軒。近々導入予定が1軒。国立病院の処方せんの件もあり、この際博多東部会の先生方是非FAX導入をお願いします。部会長の部会内連絡がすごく楽になりますので。
部会活動としては、原則として年2回会合を開いております。全員の先生方が集まるという訳にはいかないのですが、5〜8人ぐらいの先生方には出席していただいてます。
市薬の催事に関しましてもすごく協力的で前回の石井選挙においては、後援会員獲得100名以上の薬局が13軒中10軒にのぼるなどがんばってもらっております。
我々あっての薬剤師会です。博多東部会あっての市薬剤師会です。今後とも、博多東部会、がんばります!!
第3章 エピローグ
原稿を書くのが大好きな先生方、○○薬局へ御連絡を。
原稿を書くのが苦手な先生方、朝の電話に御注意!!
(今後、原稿のお願いは、夜の電話に致します!! 編集人)
<トピックス>
市薬 学術委員会
下痢に於ける経口輸液療法の現状
<脱水の予防及び治療に穀物を含む経口輸液はいかが!>
我が国では、脱水症の予防、治療に主に経静脈輸液を用いている。 WHOやユニセフでは、母親に対し下痢に関する教育や脱水予防の為に、経口輸液の普及に努めてきた。経口輸液法の原理は小腸上皮細胞の刷子縁に存在するブドウ糖、あるいはアミノ酸、ペプチドの共輸送体を介してナトリウムや水の吸収機構を利用したものである。長年ブドウ糖をベースとした経口輸液が用いられてきたが、最近では澱粉(多糖類)、蛋白質、特に穀物を利用した経口輸液が普及して効果を上げている。例として、ブドウ糖ベースに比べ穀物ベースの方が体液の喪失を軽減し下痢の期間を短縮する報告がある。
経口輸液の組成
以上、穀物を利用した経口輸液は生理学的に優れ又経済的でもあり、しかも家庭内で容易に作れる点て有効な治療法といえる。但し消化酵素の発達が未熟な乳児や慢性化した下痢の為、小腸粘膜が強く障害された症例には経静脈的な治療が必要である事は言うまでもない。
医学のあゆみvol150No.12 1989.9.16.P782
たばこと薬のかんけい
喫煙により薬物の代謝が促進され有効な薬物血中濃度の持続時間が短縮される事がある。報告されている薬物は、テオフィリン、リドカイン、フェノチアジン系薬剤、ベンゾジアゼビン系薬剤、三環系抗うつ剤、ヘパリン等である。その作用機序は喫煙が肝臓に於いて薬物代謝を促進させ、血中消失半減期を短縮し、クリアランスを増加させる為である。
テオフィリンによる動物実験では、ニコチン含有タバコ,ニコチンレスタバコ共に血漿中濃度に於いて、「吸収は悪く、消失時間は早い」という結果が出ている。
またシメチジンの実験では、特にニコチンによる影響で「吸収の遅延、対称群及びニコチンレスタバコ群に比べ、最高血漿中濃度の減少、半減期の延長」という結果になっている。
現在臨床上使用されている多くの薬物における喫煙の影響が徐々に解明されつつあるが、今後、喫煙と薬の相互作用に於いて、きめ細かい配慮が必要となろう。
最新医学44巻7号P1475
<広 報 >「福岡市医師会アンケート調査」
福岡市医師会 広報委員会
医薬分業に関するアンケート結果をみて
今年6月から中医協の委員長に、館龍一郎 東京大学名誉教授が就任され、日経メディカル9月10日号にそのインタビュー記事が掲載されていましたが、その中で医薬分業に関して以下のような意見がのべてあります。
「医薬分業を今直ぐ行うべきという意見もありますが、患者の立場から言うと大変不便な場合もあります。だから世論調査の結果をみても、患者はこの制度に全員が賛成しているわけではありません。処方箋をもらって薬局に行くのは二重手間だし、薬局が遠いと更におっくうでしょう。やはり病院で薬をもらえたほうが便利なわけです。
しかし、外国はどこでも医薬分業になっていますし、薬価の切り下げで診療報酬を調節していくことは不自然です。院内投薬は長い間の慣行ですから、性急に切り替えることはしませんが、方向としては医薬分業にもっていかなければいけないと思っています」
アンケートの集計をみますと、現時点では院内投薬の施設の方が多いようですが、年齢的には若い層ほど、また同じ無床診療所でもビルクリニックのほうが医薬分業の比率が高くなっているようです(グラフ1と2をご覧下さい)。会員の諸先生方から貴重なご意見を多数頂きましたので掲載いたします。それらを読ませていただくと、医薬分業という制度に対して不信感,不満をもっている会員もいらっしゃるようです。館氏のインタビューによると世論調査が行われたそうですが、その結果は患者の方も医薬分業より院内投薬を希望しているとのことです。
厚生省もたてまえとしては医薬分業を推進しているとのことですし、中医協の新会長も方向としては医薬分業をとると言明していますので、将来は医薬分業が全国的に実施されるのかもしれません。しかし医師と患者の一部が不満をもっているわけですから、今後医薬分業を推進する為には、施行するうえでの障害を1つ1つ除く必要があると思います。それらの障害を逐一指摘することは、医療の現場にいる私共にしかできません。今後も本誌でこの企画を繰返し、会員の皆様の貴重なご意見を承りたいと存じます。
注1,誌面の都合上、同じような意見は編集委員会でまとめさせて頂きました。そのため字句等の表現が多少異なっているかもしれませんが、ご容赦下さい。
注2,ご意見の中で「入院患者以外(外来患者)のみの処方箋使用が許可されれば、外来のみ分業したい」というご意見がありましたが、入院施設をもっている施設では、入院は院内投薬、外来は医薬分業にしてもよいそうです。
現在、医薬分業の医療機関の意見
医師のメリット
@経営、税金等に関して有利である。
・経費節減に役立った。(人件費の節減)
・所得税、現在の所、特別措置法の適用で有利であり、節税対策として極めて有用。
・総収入減少による減税。
・薬価の変動に経営が左右されない。
・診療平均点数が下がり薬品の支払と合わせ考えるとメリットがある。
・薬の損害?勘定を気にしないで医師本来の医療に専念できる。
・薬の選択が自由にできるし、薬価差益を考えなくてよい。
・薬品卸問屋の支払いが激減する。
・診療科(眼科)によっては診療点数が有利。
・薬を購入してあげる収入よりも、院外処方箋料の方がはるかに利益が多い。
A事務,保険請求、薬品管理等の負担軽減
・事務の簡素化。薬品代の節約。
・保険請求が簡易であること。
・窓口の混雑防止。
・看護婦の手間が省け、その分ケアに力をいれられる。
・薬の購入、管理からの解放。
B薬局と協力してできること
・投薬処方のダブルチェックにより院内での投薬ミス等がない。
・薬剤師による薬の説明が詳しく出来る。
・医薬品の情報が迅速に得られる。
・薬剤に対する(効果・副作用等)認識がシビアになる。
・不在の折り、薬局が問い合わせ(解熱剤の使用法など)に応じてくれている。
Cその他
・薬価差益による利益の誤解解消。
・薬価改正による点数改正には煩わされない。
・薬品による差益の誤解をなくす。
・患者の信頼感強まる。
・患者に薬の内服を勧めるとき強く言える。
患者のメリット
・患者の待ち時開が短縮。
・院内感染の危険が少ない。
・重複処方をさける事ができるので、薬漬けにならない。
・薬代と診療費がはっきりわかる。
・処方策を見れば自分に処方された薬剤名が分かる。
医師のデメリット
・患者対薬局のトラブルがあると、患者が病院にこなくなる。
・老人から薬局まで行くのが面倒だから薬を自院で出してもらいたいとの希望がある。
・受診回数の減少による検査の不徹底。
・入院の院外処方が出来ないのが不便。
・外科では自賠,労災など途中変更が煩雑。
・調剤薬局投薬150円まで薬剤名省略の制度がないので病名もれに神経を使う。薬価差収入がない。
・使用回数,量ともに少ない薬を薬局に購入してくれと依頼しにくい。
・薬剤師の薬に対する知識が充分でないと困る。
・ 時々説明で誤解を招く。
・患者さんから医薬分業の方が病院はもうかるだろう等の無理解な中傷を受けることもあり広報不足だと思う。
・総収入減による経営の見直し。
患者のデメリット
・費用の増加,時間のロス。
・時間外の場合、不便である。
医薬分業制度全般に対する意見など
・分業率1%以下。希に使用する薬(例,制がん剤)のみ処方。完全分業でなく患者の希望によって院内投薬もしている。受診者減少の様子もなくクレームも現在のところ全くない。
・現在、患者さんの希望を聞いているが99%以上が院内投薬を希望されています。患者さんのメリットを考えないと医薬分業は進まないと思います。
・最初は節税と人件費節約を目的として分業を始めたが、薬品購入の面倒さがない、調剤を薬剤師にまかせる安心感など、分業本来の利点に満足していて特別措置がなくなっても続けます。患者さんにとっては多少の不便さはあると感じていますがプラスの面もあると思っています。
・医薬分業は経済的にはメリットなし。経済的には薬価計算や明細書記入の煩わしさからは解放されるが、処方箋を書かねばならないのであまり得にはならない。薬局をつくらなくてよいのは得。
・医師の投薬(院内)に対してあまりにも薬剤師の点数のとり方が烈しく、医師会も強く無茶な点数のとり方を是正するよう注意すべきである。時には収入にて医師より点数が高い場合あり。
・薬が処方箋で薬局への往来がいやで不評だとの患者さんからの忠告を耳にする。自家ビルなので雑居ビルとして薬局を入れたいと考えている。厚生省も分業推進論と聞く。医師会も強力に援護してほしい。
・最初経費を減らすために行った白色がなくなったので、その方のメリットはなくなった。現在はその惰性で行っている。
医薬分業をしない医療機関の意見
@薬局の問題
・近くに調剤薬局がない。
・周囲に適当な土地、建物がない。
・対応できる薬局は少ないのではないか、薬剤量が多数のため。
・一医院一薬局では薬局側の経営が立ち行かない。
・自分の薬局を作りにくい為。
・処方投薬の微調整がやりにくい。
・調剤薬局の薬剤師の性格が悪かったら誰も行かない。
・当院のみの処方箋数の医療機関で薬局を設立するには地理的に困難と思われる。
・漢方薬を専門的に投薬する薬局がない。
・薬局を完全には信頼していない。
・院外処方で処方内容通りの薬が投薬されるか否か不安(同一薬品で二流品を使用される事が考えられる。)
・薬局とのトラブル。
・処方箋を発行したとき、指示薬(例えば抗生剤)が薬局(不特定)にないとき勝手に他剤を投薬したことがあり、院外処方を取りやめている次第。
・政治的規制が大きい。(例えば妻が薬剤師で現在やっていても認めない。)
・薬局設置に対する規制が厳しい。
・外来患者が少なくて(一日10名〜20名)近所に共同で利用できるような医院もなし、医薬分業がなり立たない。
・医療機関と調剤薬局が将来も共存、共栄できるか見通しが不明である。
・トンネル薬局を作れないから。院内調剤の技術系の料金(乙)はなぜこんなに安いのか。息子は医学部にではなく薬学部に進学させてトンネル薬局を開設させるべし、院外処方の点数は日建て制で月額8,000円+薬価差が処方箋1枚につきあるのに院内では初診(再診療)十調剤料で高々2,000円内外である。この技術料の格差の上、更に副作用でも起これば医師側の責任である。今後査定されるとしたらレセプトの点数以上を差し引かれて、何とマイナスにもなりかねない。おかしいではないか。
・2次薬局の基準がおかしいのでは?経営上全く別なら同一敷地でも問題ないのでは?
・医師の処方通りの調剤が出来ているか?(時に薬物が違っている)
A患者にとってメリットがあるか
・患者さんに不便をかけると思われるから。
・患者サービスが低下する。
・患者の投薬時間の延長。
・院内投薬が患者へのサービスと思えるから。
・慢性疾患の多い病院で2週間から1ヵ月間、投与内容の変更のないMitte1なら意味もあるが、第一線で急性感染症,循環器疾患等短期間の中に内容を変更する必要のある医院では、投薬の内容を医師が直接説明した方が患者は安心して服用できるのではないだろうか。
・患者の経済的及び肉体的負担増大のため。
・患者側のデメリットが解消され本当に患者側に分業が理解されるまでは実施しない。
・医薬分業が患者のため、自分側のためになるものであればしなくてはいけないでしょう。患者から直接薬の相談を受けたとき、分業でない方が対応がスムーズにいくし、第一お互い迷惑をかけないですむ。
・患者の立場で考えてみる。地域的に高年齢層が多い。
・処方箋を持って隣の調剤薬局に行く姿は、現代の開業医師の側面を見ているようで何ともわびしい。
・患者さんの不満をよく耳にするし、コミュニケーションから遠く感じられる。
・患者側が今までの便利な習慣を変えられようか。患者側が先生のところで「下さい」と言った時、「当院では出せない」と言いきれるか。(老人,主婦,子供に)
・自分が患者になった場合を考えるとき、病院に行き更に薬局に行くことは時間的に非常に問題になると思うし、更に処方した薬が患者に与えられているかをチェックする時間も大変である。薬の匙加減が最も大切なことである。
・周辺の小児科医で4月分の投薬などで悪化して当方へ来院するケースなどを見ていると、患者側の立場になって思うに医薬分業にふみきれない。
・ケースバイケースで、許されるのであれば経営的に分業したいと思っているが、やはり自分が楽になるからといって小さな子供を持った比較的若い(低収入?)親達に負担を転稼するのはジクジたるものがあると常々感じているため。
・数年前に医薬分業を約3年間位実施したことがあり有床診療所のため全面分業は不可能だった。患者の負担の増大のためと、二度手間(2ヵ所に行かねばならぬ)のため、分業を患者が希望せず、処方箋交付より投薬を希望するものが多かった。また審査上、一部処方箋交付は不可との指導あり、近くの保険薬局も閉じたため現在は処方箋は全く出していない。
・薬剤師の技術料そのものが医療費自体をアップさせていると考える。大病院ならいざしらず、小規模な診療所でもそのような上のせ技術料をとる必要があるとは考えられない。あり余る負担を患者にかけ、ひいては技術料に影響すると考えられる。
・今までの慣れ。患者は当然医療機関内で投薬を希望している。
・患者の負担が増加する。
B医師の立場から院内処方にする
・患者を診療しまた病状経過を見ながら、病状に適した薬剤を投与しまた適宜に変更しやすいから。
・患者自身の希望,便宜とコミュニケーションが得られる。
・院内投薬が最も確実であり、且つ患者さんも安心して服用ができ、便利である。
・医者は患者を常に念頭に考えて、自分で薬室?を見て投薬すべきである。
・診療,診察,投薬の一貫性が必要で望ましい。
・患者からの情報フィードバックが受けやすい。
・医師と患者の信頼関係において。
・患者さんと医療機関との分離。
・(出しっぱなし)無責任で金儲けばかりを思わせる。
・医学教育の原点に従って、医療を行いたい。分業すると医学基盤のうすい医療技術者となる可能性がある。
・「家庭医」的機能が望まれる時代に果して分業がいいのか?
・医師の権利を放棄するものである。現在行われている分業は経済的な理由によるものと思う。
・医師本来のあり方から見て分業を行うべきでない。当院はしっかりした病院、薬剤師2名により厳重管理されているのでその必要を全く認めない。
・単に経済的理由(実際は大部分がそうだが)で医薬分業をすべきではないと考えます。
・ダブレット投薬だけなら分業不用。
・責任を持って自分で処方投薬できる。薬の成分,薬理,効果が判定できる。
・救急病院で時間外等出来ない。
・船員出航の場合、時間がないため医薬分業により薬局に行くのは不可能。
・産婦人科では時間外,休日お産あり。かなりの数に昇りますので院内投薬の方が便利です。
・当院は精神科専門のクリニックであり、患者のプライバシーの面から医薬分業は行わない方針である
C院外処方は却って不便ではないか
・却って煩雑になる。
・院内処方が簡便である。
・院外処方を書くのが煩わしいから。
・便利さがそがれる→患者の減少→変化を求める力がない(それ程弱ってきている)。
・医薬分業はよく分からない。
・なんとなく馴染めない。
・老医になるといろんなことをするのもおっくうです。
・医師側,患者側両方共に院内処方が便利だと考える。
D経営面からみて院内処方にする
・在庫薬品の問題。
・薬価差が以前に比し、少なくはなっているが未だ利益が望めること。
・医療経営が薬価差に頼っていたり、外来患者の傾向に向かっている情勢では節税より少ない薬価差でもしがみついていかない?のではないか、第二薬局でも作る力のあるところは別であるが。
・分業によるささやかな薬価差の減少。
・医師,患者にとって経済的にまだメリットがあるから。
・未だ借金があり、総収入を増やさなければならないから。
・減収となるので行わない。
・経営資金繰りのため。
・税制の今後の変化が分業するメリットがなくなると思う。
・青色申告となるため必要なくなった。
・5,000万円以下の特別措置法がなくなった場合、経費がほとんど算定できなくなる。
・白色より青色申告にした為、有利。
・内科,小児科で今年度より青色申告である。「分業にすると経費が無くなる」と思われる。
・経費に対する薬品代は10%程度であり目下問題はないと考える。
・開業以来青色なので5,000万超の件は考えなくていい。
・患者数の減少しつつある特に内科は、分業は無理。医師会は分業のみにこだわらず院内投薬も援護すべきである。
・潜在技術料の薬価差益の採算がとれるまでは分業しない。
・患者さんの多くは慢性疾患(高血圧,糖尿病,甲状腺疾患,肺結核など)月1回〜2回となり処方箋のみでは多分経営上、支障のでる心配がある。
・借金を背負っていて、やはり水揚げが少しでも多くしたい。(対BANK)
Eその他
・薬剤師(4名)在職し、将来的に永年勤続可能性大なるため予定ありません。
・多数の入院患者がいるので。
・病院となり、薬剤師もいることで入院患者への投薬のため。
・漢方薬のみ院外処方です。
・外来透析だけなので投薬が限定し、患者にとって不便。
・件数が少なく、処方投薬も少ないので。
・外来数が少なく、入院,労災,自賠は分業は不可能です。
・投薬料が少なくほとんどが自費診療(産科)であるのでできるだけ薬価(納入価も考慮)の低いものを使用対象としているので。
・老齢のため長期開業はしない。
・医療法人3病院の地域差がありMS法人とのからみもあり、現在のところまだ問題の処理に時間が必要。
・医薬分業の強制は絶対反対である。外人はよい制度と言っているそうです。問題の処理に時間が必要。
・地域的に見てできる状態ではない。
・時間外にならない時間外(申し込みをしていて遅れて来院)ケースが多く分業一本に絞れない。
・税制の改正により節税のため分業に走りたい気持ちはあるが踏み切れない。
Fこうすれば医薬分業を行ってもよい
・医療費の適正化を実施した後なら賛成。現在は経営赤字を薬価差益で補充せねばならない状況なので。
・医薬分業を行わないということもありません。法的に一斉に行うことになれば良いがと思います。
・当方にとってはいいことずくめですから、いっそ厚生省で強制的に行ったらいいと思います。
・地域全体例えば、隣組の医師が一緒に行える状態ができあがり、一斉にやればできるか。現在は不可能でしょう。
・医薬分業を行うなら、殆ど完全分業の方向にして下さい。消費税のもありますから。
そして分業薬局は増やす必要がありましょう。
G医薬分業制度全般に対する意見
・現在の医療問題で分業が完全になされた場合、保険経済はどうなるのか。
・厚生省の医薬分業に対する考えが不明瞭。
・調剤は本来薬剤師の仕事であり、看護婦に行わせるのは問題があると考えている。
・医薬分業でない日本的習慣が患者にとって便利と思う。
・厚生省が本気で分業を推進しているかどうか疑問である。
・医療費の配分が変わる。分業により医療費が増加する。医療機関にとってはやりかたによってはメリットがあるが、現在の日本に於て医療そのものに対してのメリットはどうだろうか。医療の核家族化は問題がある。
・日本の文化,歴史的に医師と患者は薬を媒体にしてコミュニケーションないしメンタルケアを行ってきたはずである。何も異文化のまねなどをする理由はない。
現在、院内投薬をしていて近い将来に医薬分業を行う予定があると答えた医療機関の意見
・日本の現状にそぐわない。
・入院処方の点で引っかかっています。
・手続きが煩わしい上に不合理である為、なかなか分業できない。
・分業予定なるも思案中。分業による患者の負担増。調剤薬局までの距離、方向等の便,不便。
・入院患者以外(外来患者)のみの処方箋使用が許可されれば外来のみ分業したい。
・自分名義の土地に薬局を開設できないのが大きな理由である。他人が開設するのであれば問題ないと思うのだが、制限が厳しすぎるのではないだろうか。
・医薬分業を行う意志はあるが、1人で行うにはまだ不安あり。その地区である程度まとまって行うならばできるだけ近い時期に行いたい。できたら医師会等で音頭を取ってもらいたい。
・一部分医薬分業の方が患者の為にもなり、治療の進歩にもついていけると思う。
・先端をきって実施していたが、従来の薬局を建築建替時に当局の不許可でやむをえず薬局が廃業し現在に至る。
昭和59年9月、私の所有地とはいえ、20m離れた大通りに面した位置に薬局設置が許可。当方は経営には全く関係なく、第三者が当方に申入れて希望、開設していたが、上記のごとく建替時に不許可になった。薬局は既得権をたてに当局に迫ったらしいが、厚生省の通達一本で法律にもない事を不許可としたのは無法である。失業した薬局側も結束がなく弱腰でお上には巻かれろという姿勢。こちらが希望しても適地がないし、薬局の要望に合わない。
(福岡市医報 10月号より転載)
<分業推進の為のアンケート調査>
福岡市薬剤師会 社会保険委員会
福岡市薬剤師会では、国立福岡中央病院の院外処方せん応需、又福岡市内科医会との分業推進懇談会発足等、分業推進に向けて積極的な対応、諸施策を進めています。
社会保険委員会では、今後更にきめ細かな具体策を検討し実行に移す目的で、その活動の資料となるアンケート調査を実施しました。
( )内は市薬合計
1.処方せん応需状況について
(イ)処方せんを月平均何枚受け付けていますか。
1. 0 (64人)
2. 1〜10 (24人)
3. 11〜50 (44人)
4. 51〜100 (27人)
5. 101〜300 (14人)
6. 301〜500 (11人)
7. 501〜1,000 (43人)
8. 1,001〜2,000 (47人)
9. 2,001〜5,000 (30人)
10. 5,001以上 (3人)
2.処方せん調剤について
(イ)今後も処方せん調剤を行っていきますか。
1.行っていきたい(256人)
2.行いたくない (39人)
(ロ)(イ)で「2.行いたくない」に○をつけた方はその理由を下記の該当するものは全て○をつけて下さい。
1.医師主導である、医師次第の分業 (12人)
2.仕入れが大量でないと出来ない、無駄になる在庫が多い (20人)
3.店を留守に出来ない (10人)
4.地理的に無理である (11人)
5.請求手続きが面倒である (5人)
6.医家向け医薬品の知識がない、勉強するチャンスが少ない(3人)
7.0TC薬品で十分やって行ける (9人)
8.その他( ) (6人)
(ハ)(イ)で「1.行っていきたい」に○をつけた方にお尋ねします。
(A)周辺で(複数の薬局・複数の病,医院)面分業が可能だと思いますか。
1.思う (175人)
2.思わない(79人)
(B)現在の薬局で処方せんを受けられる設備がありますか。
(待合所・調剤室スペース・店内配置構造)
1.ある (207人)
2.処方せん発行があれば改装してでも整備する(40人)
(C)周辺に処方せん発行をしてもらいたい未発行医院がありますか?
1.ある(172人)
2.ない(80人)
3.保険薬剤師は常時何人いますか。(パートも含む)
1. 0 (9人)
2. いないときもある(18人)
3. 1人 (157人)
4. 2人以上 (113人)
4.現在の備蓄薬品のうち内用剤の数は。
1. ない (35人)
2. 1〜20 (68人)
3. 21〜50 (25人)
4. 51〜100 (33人)
5. 101〜300 (66人)
6. 301〜500 (28人)
7. 501〜1,000 (7人)
8. 1,001以上 (0)
5.現在の備蓄薬品のうち外用剤の数は。
1. ない (52人)
2. 1〜20 (100人)
3. 21〜50 (66人)
4. 51〜100 (51人)
5. 101〜300 (19人)
6. 301〜500 (2人)
7. 501以上 (0人)
6.現在主に受けている処方せんの発行医は下記のうちどれですか。
(2つ以上あれば全てに○をつけて下さい)
1.内科 (109人)
2.小児科 (45人)
3.外科 (26人)
4.眼科 (41人)
5.整形外科 (27人)
6.精神科 (7人)
7.耳鼻咽喉科(45人)
8.婦人科 (19人)
9.皮膚科 (29人)
10.泌尿器科 (12人)
11.歯科 (164人)
12.その他 (7人)
7.あなたの薬局は「麻薬小売業者免許」を受けていますか。
1.はい (50人)
2.いいえ (251人)
8.あなたの薬局は「労災保険薬局」の指定を受けていますか。
1.はい (52人)
2.いいえ (238人)
9.県薬会報9月号3ページ2行目以降で書かれている備蓄代行薬局(備蓄センター代行)として薬剤師会からお願いした場合、承諾してもらえますか。
1.出来ない (155人)
2.診療科目によりしてよい (そのときの科目 科)(81人)
3.全面的にしてよい (42人)
10.ファックスの設置状況をお尋ねします。
1.設置している (90人)
2.必要性があれば設置してよい(124人)
3.当分の間考えていない (85人)
4.その他( )(8人)
11.国立中央病院の処方せんが発行された場合。
1. 積極的に受ける (147人)
2.面倒だが受ける (53人)
3.受けたくない (54人)
4.その他( )(27人)
12.内科医師会と分業の話が進められていますが、その話合いに積極的に参加されますか。
1.する (191人)
2.しない (52人)
3.その他( )(38人)
アンケート調査の結果について
社会保険委員会 理事 小野 信昭
昨年10月、アンケートの回収を行い、その集計結果が出ましたので報告します。
このアンケートは全会員を対象に行いましたが、それは、現在保険薬局の指定を受けていない所でも、国立中央病院の処方せんが発行された場合、今進めつつある内科医会との分業問題をはじめとして、一般病医院の処方せん発行が進む場合は受入れに参加されるのではないか、また、今後は積極的に参加して頂きたいと願っているからです。
アンケートの回収率については、保険薬局が約70%、全体では63%でした。従って、非保険薬局の回答が約50件含まれています。このアンケートで見る限りは、分業に対し前向きの薬局数が約200、歯科処方せんだけならという消極的な薬局数が約60、全く応需意志のない薬局数が約40と考えられます。
ここで再度認識して頂きたいことは、保険薬局としての指定を受けた以上、処方せん調剤の理由なき拒否やたらい廻しは許されないということです。
国立病院の処方せん応需は、今や至上命令です。薬剤師の職能、職責を問われている問題です。今回のアンケートで、国立病院の処方せん応需に即対応出来る薬局数は、約120となっていますが、これでは絶対数が不足すると考えられます。市薬としては応需態勢の万全を期すため、応需薬局を指定することとし、その指示パネル作成の準備をしています。そこで、各支部,各部会で内科医会との分業推進問題を含め、さらに討議して頂き、積極的参加をお願い致します。
ファックスの設置については、その後も増加の傾向にあります(130)が、調剤の前準備備蓄薬品の管理、及び情報の伝達等必要なものでありますので、是非設置して頂きたいと思います。また、社保委員会では、コンピューターの導入によるファックス網のシステム化により、備蓄基幹薬局の有効な活用等、応需態勢の整備を進めているところです。
<竹尾啓二先生 厚生大臣表彰祝賀会>
日 時 平成元年12月7日 午後6時
場 所 タカクラホテル
祝賀会次第
司会 戸田常務理事
開会の挨拶 高倉副会長
発起人代表挨拶 荒巻県薬会長
来賓御祝辞 野間薬務課長
神谷国保組合理事長
友人代表祝辞 藤野市薬顧問
記念品贈呈 高木日薬会長
(代理 荒巻県薬会長)
花束贈呈 肥高,家永両事務職員
祝電披露 戸田常務理事
乾 杯 古賀市薬会長
祝い目出度 冨永市薬顧問、副島先生
山手先生
万才三唱 高島慶四郎先生
閉会の挨拶 大久保先生
タカクラホテルでの祝賀会には、県薬市薬を始め薬業各界の100名を越す先生方が出席され、竹尾先生の受賞のお祝が盛大に行われました。荒巻県薬会長は、発起人代表挨拶で竹尾先生のその真面目なお人柄を「私が会計をしていた頃は会費未納会員が多くて困ったものてしたが、竹尾先生になってからは、会費が完納されるようになり肋かりました」とお話しになりました。
花束贈呈は日頃から竹尾先生にお世話になっている事務職員の肥高さんと家永さんのお二人から先生と奥様に贈られました。そして私も、タダで花束を贈ろうなどというミミッチィ考えからでは決してありませんが、KBCラジオの「時には花を贈りましょう」のコーナーに電話をしたら当選して、先生の奥様にお花を贈る事ができました。竹尾先生から「今日、床屋さんに行ったら、先生、厚生大臣表彰をもらったんですか」と言われてびっくりしましたよ。とおっしゃっていました。
私も近所の人から「KBCに電話したんじゃない」と言われ、マスメディアの影響の大きさに驚かされました。お孫さんを抱いて、お客様一人一人に嬉しそうにご挨拶をなさる奥様の姿が印象的でした。
最後に博多恒例の祝い目出度は副島、冨永、山手三先生方で唱われ、飯塚からお祝いにかけつけて下さった高島先生による万才三唱、そして大久保先生の閉会のことばで終りました。 (記 木原)
「理 事 会 他 会 議 報 告」
〔第9回理事会〕
日 時 平成元年11月15日(水)午後7時
場 所 市薬仮事務所
出席者 古賀会長、竹尾、高倉、長谷川各副会長、藤原専務、三津家、戸田、松枝、坪根、正岡各常務、木原,高杉,南島,冷川,城戸,小野,藤田,成澤,市花各理事、日高監事
1.会長挨拶
2月15日に引っ越していらい9ケ月たち、会館建設も予定通りでき上がり20日に竣工致します。仮事務所での理事会は今回が最後になります。いろいろな事業が年末に向け、県市とも過密なスケジュールになると思いますがご協力下さい。
2.会務報告 藤原専務理事
@第9回福岡県覚せい剤、シンナー禍絶滅県民大会について 市薬出席者 約60名
A平成元年度医薬品全国統一試験実施について(日薬)
B西日本地区給水衛生協会よりの功労者推せんについては、今回は推せんをしない。
C11月5日ソフトボール大会を実施した。
3.委員会報告
4.協議事項
@会館の竣工式および祝賀会について 竣工式 11月20日(月)午前11時 市薬会館1F駐車場に於いて
祝賀会について
17日に会員向け祝賀会と石井道子労働政務次官就任祝賀会を併催する。
A県薬で試案中の生涯教育については再考の必要があるのではないか。
〔第10回理事会〕
日 時 平成元年12月13日(水) 午後7持
場 所 市薬会館会議室
出席者 古賀会長、竹尾、高倉各副会長、藤原専務、三津家、戸田、松枝、坪根、正岡各常務、木原、高杉、南島、冷川、城戸、小野、藤田、成澤、市花各理事、礒田監事
1.会長挨拶
新しい会館ができ上がり、今日は第一回目の理事会です。内部整理も終って一応落ち着いたものと思われます。16日には今年度最大のイベントである落成祝賀会を行います。なお17日は会員向けの祝賀披露ならびに石井道子労働政務次官就任祝賀会が併催されます。理事者はお客様の接待よろしくお願いします。
2.会務報告 藤原専務理事
@アジア太平洋博覧会感謝の夕べ 11月17日 ホテルニューオータニ 古賀会長出席
A試験センター技術者講習会 H2年1月25,26日(東京) 獺越、城戸出席
B内科医会との懇談会 11月20日 午後7時 「一条」(古賀,高倉,藤原,正岡)
C福岡市学校保健大会 中央市民センター 木村英樹先生 受賞
D市医師会忘年会 12月5日 ホテル日航(高倉副会長、藤原専務)
E竹尾啓二先生 厚生大臣表彰祝賀会 12月7日 午後6時 「タカクラホテル」
F第1回健康づくり情報システム検討委員会 12月9日 午前10時 九州経済調査会会議室(古賀会長)
G「薬誠会」設立総会 12月10日 正午 「タカクラホテル」
H西日本地区給水衛生協会技術部会開催 H2.1月12,13日 日環衛生センター九州支局(坪根、城戸)
3.委員会報告
4.協議事項
@新会館落成祝賀会についての最終打ち合せ
A福薬連年賀会について
B公衆衛生協会会員募集について 市学薬の未入会員34名の入会を決めた
C協同組合について協議した
5.商組報告
1月15日より医薬品券が発行される
委 員 会 報 告
〔社保委員会〕
日 時 平成1年11月4日(土) 正午
場 所 市薬仮事務所
出席者 古賀会長、藤原専務、正岡常務、小野、藤田各理事、入江、岩穴口、大庭、清水、川畑、鶴原各委員
1.内科医会との分業について
@アンケートの部会単位の集計
Aモデル地区の選定 面分業の可能な地区
B共同研修会
C備蓄薬品の処理方法
2.ファックスのあっせんについて
3.委託薬品の管理システム(コンピュータ)について
日 時 平成1年12月4日(月)
場 所 市薬会館会議室
出席者 正岡常務、小野、藤田各理事、入江、岩穴口、大庭、清水、川畑、山口、鶴原各委員
1.国立福岡中央病院との話し合いについて
2.内科医会との分業問題について
〔急患委員会〕
日 時 平成1年11月8日(水)午後6時
場 所 市薬仮事務所
出席者 成澤、市花各理事、竹尾、深見、馬場、打越、北島各委員
1.年末年始および12月,1月,2月分の出動者表作成
2.急患センター出動者チーフについて
小川雅子、馬場正佳、新井光男を選出
3.新準備薬品について
4.九山学会休日急患センター連絡協議会報告
〔学術委員会〕
日 時 平成1年11月14日(火)午後6時30分
場 所 市薬仮事務所
出席者 長谷川副会長、篠崎常務、成澤、市花各理事、山田、車田、中島、久池井各委員
1.次回研修会の役割分担について
2.会館落成記念講演について
3.平成2年度学術研修会の概要について
日 時 平成1年12月21日(木) 午後3時
場 所 市薬会館
出席者 長谷川副会長、篠崎常務、成澤、市花各理事
1.新会館研修室の設備点検
プロジェクター、映写室用カウンター、マイク、スクリーン、照明等
2.机の数は現在90名分であるが120名分は設置できる。
〔組織委員会〕
日 時 平成1年12月21日(木) 午後7時
場 所 「千太」
出席者 竹尾副会長、戸田常務、高杉、南島各理事、松井、森川、戸田、吉田、合澤,深見各委員
1.組織第2委員会の新旧メンバー紹介
2.ボーリング大会の打合せ
〔広報部会〕
日 時 平成1年11月28日
場 所 「ほり田」
出席者 古賀会長、藤原専務、木原,城戸各理事、北島委員、野仲先生
1.1月号の編集について
〔第2回会営薬局特別委員会〕
日 時 平成1年12月20日(水) 午後2時
場 所 市薬会館
出席者 高倉副会長、藤原専務理事、三津家、正岡各常務理事、冷川理事、松井、松枝、深江、南島、吉田、有田各支部長、堀家税理士
高倉委員長挨拶
会営薬局用の建物の管理反び購入資金の利子負担等について、一応の結論を出しておきたい。よろしくご協議願いたい。
1.管理問題について
近い将来に備蓄センターや協同組合の事務所として使用される可能性があるので、第三者には貸与しない。警備保障会社に警備を依頼する。
2.利子負担について
借入金の返済については、会営薬局がスタートするまで利子のみとし、その間の資金は、A会員に5,000円の負担をお願いする。
「研 修 会 報 告」
〔漢方学術講演会〕
日 時 平成1年11月2日(木)18:30〜20:30
場 所 三鷹ホール
出席者数 79名
演題と講師
「不定愁訴症候群の管理医療における漢方製剤」
近畿大学東洋医学研究所
第一研究部門助教授 谿 忠人先生
〔学術研修会〕
日 時 平成1年11月21日(火)午後6時30分
場 所 三和化学福岡メディカルホール
出席者数 61名
歯科医師会5名
演題と講師
「歯科疾患の予防と治療」
−特に虫歯と歯槽膿漏について−
福岡市歯科医師会 学術担当理事
歯学博士 花田 勝正先生
県薬のお知らせ
新薬研修会について
住吉の県薬会館で行われていた「新薬研修会」は、一月より今泉の市薬会館に場所を移して開催されていますので、お間違えのないようにご注意下さい。
詳しい案内は、県薬会報に掲載されています。
書籍の幹施について
購入ご希望の方は、2月10日迄にお申し込み下さい。
「医薬品相互作用検索一覧 第2版」
東京都薬剤師会監修
太田区管理センター編集
薬事日報社発行 A5判 623ページ
定価5,000円(税込み)会員価格4,200円
「薬 誠 会 設 立 総 会」
日時 平成1年12月10日(日)正午
場所 タカクラホテル
来賓 医誠会会長 安部龍夫 先生
副会長 迎 菊郎 先生
〃 茶木照人 先生
1. 開会挨拶 藤原市薬専務理事
2. 発起人代表挨拶 荒巻県薬会長
本日はお忙しいなか薬誠会設立総会に、医誠会役員の先生方のご臨席を賜わり御礼申し上げます。先日古賀市薬会長と私は医誠会総会にご招待を受け、我々薬剤師の職能向上のためには是非とも政治力が必要であるとの思いを強くして帰ってまいりました。そして、今回の参院選で石井道子議員と同じ宮沢派ということで、いろいろと薬剤師会のためご尽力くださった太田誠一議員を御支援申すべく、今回の「薬誠会」の設立となりました。日曜日にもかかわらず、このように大勢の先生方に出席していただき本当にありがとうございました。
3.来賓挨拶 安部医師会会長
本日は薬誠会設立総会おめでとうございます。先日我々の医誠会総会に、荒巻県薬会長、古賀市薬会長にご出席いただきまして、薬剤師会の先生方とご一緒に頑張っていきたい旨お話し申し上げました所、直ちにこのような会を設立していただき本当にありがとうございました。これからは歯科医師会の先生方もお誘いして三師会で協闘してゆきたいと思っておりますので宜しくお願い致します。
4. 議事 (出席者51名)
(1)薬誠会々則制定の件
(2会費決定の件
(3)役員選挙
会 長 藤野 義彦
副会長 木村 英樹 藤原 良春
幹 事 正岡 民次 磯田 正之
高杉 正典 木原三千代
松枝 茂雄 三津家正友
(会計)
南島 敏彦 清水 達三
深江 暉夫 合澤 英夫
吉田 斌 竹尾 禎二
有田 俊雄 大久保俶住
城戸嘉寿子 成澤 哲夫
監 事 白木太一郎
事務局 二宮善四郎
5. 新会長挨拶 藤野薬誠会会長
先程の役員選挙で私に会長をやれとのご指名でございますので、薬誠会会長を引き受けさせていただくことになりました。お引き受けしましたからには、勢一杯頑張ってゆく所存でございます。先生方のご支援をお願い致します。
6.太田誠一衆議院議員挨拶
本日は私のために薬剤師会の先生方には早速「薬誠会」を設立していただき御礼申し上げます。先ほどのスムースな議事の進行に薬剤師会の先生方の頭の良さを見る思いでございます。
平成2年2月18日であろうと予測される衆院選は、この福岡一区は本当に厳しい状況で予断を許しません。このような時に「薬誠会」を設立していただき感謝申し上げます。
7. 懇親会 乾杯 古賀市薬会長
8. 閉会挨拶 木村県薬専務理事
「受賞おめでとうございます」
「会員の移動」
「会 務 日 誌」
11月4日 漢方研究会 18:30 三鷹ホール
4日 社保委員会 13:00
5日 第10回ソフトボール大会 9:00 武田薬品グランド
8日 商組福岡ブロック研習会 13:30 県薬会館
〃 医薬品統一試験打合わせ 北九州市(城戸)
〃 急患委員会 18:00
11日〜12日 日薬学術大会 静岡
13日 国立病院との打合わせ 16:00 (古賀、藤原、正岡)
14日 学術委員会 18:30
15日 第9回理事・監事会 19:00
17日 アジア太平洋博覧会感謝の夕べ 18:00 ホテルニューオータニ(古賀)
18日 薬局薬剤師研修会 13:30 県薬会館
19日 女子薬研修会
20日 市薬会館竣工式 11:00
〃 市内科医会との懇談会 19:00 一条(古賀、高倉、藤原、正岡)
〃 〜22日 事務所移転作業
21日 学術研修会 18:30 三和化学
25日 市薬試験センター委員会 13:00
28日 広報部会 19:00
29日 勤務部会例会 18:00 三鷹ホール
12月5日 医師会忘年会 18:30 ホテル日航 (高倉、藤原)
7日 福岡市学校保健大会 13:00 中央市民センター(古賀)
〃 竹尾先生厚生大臣賞受賞祝賀会 18:00 タカクラホテル
9日 福岡市健康づくり情報システム検討委員会 10:00 九州経済調査会(古賀)
10日 薬誠会設立総会 12:00 タカクラホテル(古賀)
13日 第10回理事・監事会 19:00
16日 市薬会館落成祝賀会 12:00
17日 市薬会館落成祝賀会並に石井道子先生労働政務次官就任祝賀会 12:00
20日 福岡市健康週間行事実行委員会 11:00 市役所(古賀)
〃 第2回会営薬局特別委員会
21日 学術委員会 18:30
〃 組織委員会 19:00 千太
22日 県薬支部連絡協議会 13:30
〃 太田誠一議員講演会事務所開き 10:00(古賀、他)
25日 社会福祉審査会 15:00 市役所(古賀)
28日 御用納め
「川 柳」
博多人形
「編 集 後 記」
・立春を目前にし「春は名のみ〜の♪風の寒さや−♪」と口ずさみたくなっています。今号は新会館の落成を記念して「市薬会報」発行いらい初めてのカラー表紙でお届けします。
・広報でご紹介しました「福岡市医師会医薬分業アンケート」は回収率70%、市医師会の先生方のご意見が、広報委員会で大変訂寧に集計報告されていますので、せひお読み下さい。心よく転載を許可して頂いた市医師会村山専務理事と栗田編集委員長の両先生に心より感謝申し上げます。
・県薬保険薬局セミナーに於いて、厚生省代田審議官は「薬剤師が薬を独占する以上、その義務を果すべきである」と。そして日薬佐谷常務理事は、朝日新聞が分業問題を一面トップに取り上げることについて「この分業問題が日本医療のペレストロイカだからです。しかしこれが悪い方向に進むようなことがあったら、今度は薬剤師さんを追求しますよ」と言った女性編集者の言葉を紹介されました。薬剤師100年の悲願といわれる医薬分業が目前にせまり、薬剤師の権利よりも義務が、いかに大きく重たいものであるかを考えさせられる研修会でした。
・薬誠会会長を引き受けられました藤野義彦先生。顧問としてのご挨拶はよくお聞きしていましたが、久し振りに会長挨拶を聞き「藤野節、いまだ衰ろえず」の感を強く侍ちました。この藤野会長を得、薬誠会の輪がもっともっと大きく広がるよう期待しております。
(木原)
・古賀会長、新会館の建設については本当に御苦労様でした。用地譲渡から今日まで大変長い年月でしたが、立派な会館が出来上り、心からお喜び申し上げます。
・建設に際して、ある時は、我が子の成長を見守るように厳しく、細心の注意を払われ、又ある時は、お孫さんをなでまわすように眺められていたお姿がとても印象的です。
・新会館の建設が市薬の歴史、就中、市薬の起源発掘につながったことも喜ばしいことの一つです。
(藤原)
平成2年1月31日発行(隔月年6回発行)
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
T E L 092-714-4416
発行人 古 賀 隆
編集人 木 原 三千代
印刷所 給サ英社印刷
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