会報第32号 平成元年11月30日
 ■ 巻 頭 言

 ◆調剤志向薬局への提言
    −内科医会との協議を終えて−

(社)福岡市薬剤師会副会長 高倉 博

 今年の6月16日、福岡市内科医会の中村会長をはじめ役員数名の方と、福岡市薬剤師会から古賀会長、藤原専務理事、正岡常務理事、それに私が出席し、医薬分業問題について第2回目の協議を行いました。

 その結論として、色々と困難な問題は存在するが、医薬分業を前向きに考え出来る所から進めて行こう、そのためには支部、更に部会等のグループによる徹底した話合いをしお互の理解を深めることが必要であり、先ずそこから進めて行こうということで、両会の合意に達しました。

 市薬としては早速支部長会を開催して、各支部に分業推進委員会の設置を要請するとともに、社保委員会に各種資料の作成をお願いして話合いの準備を致しました。

 一方、福岡市内科医会からも各支部へ話合いの場を持つよう指示され、区毎の第1回目の協議が終了したところでず。全市的にこのような協議,懇談の場が侍たれたことは、正に画期的なことで隔世の感があると言わなければなりません。面分業へ向けていよいよ大きな第1歩を踏み出した訳ですから、決して後退してはならないと思います。

 さて、私は南区と早良区の会合に出席しましたが、中々良い雰囲気で特に早良区では、既に分業を実施されている先生が多く出席され、忌憚のない意見の交換で大変有意義な会合でした。

 しかしながら、雑貨を山積みしたような薬局で、果して処方通りの調剤をし、治療効果を上げられるような説明をして頂けるのか、又待合室もなく椅子もなくて、売薬や雑貨の客に時間を取られ、患者への対応がおろそかになり、満足感を与えられないのではないかというOTC薬局に対する不安や、処方された薬が無い場合、同効の薬で代替薬をするのではないかという理解不足からくる懸念も示されました。

 その反面、前向きな意見としては、部分分業、つまり少ない処方せんでも受け入れて欲しいという要望も出されています。

 内科からの処方せんの応需には、大変難しい問題を抱えているのは事実ですが、この応需こそ分業の中心となるものです。少しでも弾みがつけば、福岡市の分業は太きく前進するでしょう。福岡市内科医会は分業に向けて今動き出しています。会長の中村先生は、「医薬分業は避けて通れないことである」と述べられています(市薬会報9月号参照)。 市薬としては全力を上げて対応策を練り、支部、部会を支授して行きたいと思いますし、行動にも移しています。今後は皆様方各人の対応如何に懸っているのです。

 そこで望みたいのは、第1に、保険薬局を標榜するならば、これに参加する意志が有るのかどうか明確にして頂きたい。第2に、分業は医師と薬剤師の信頼関係が出来なけれ 進展しない訳ですから、地域における話合いの場を数多く作り、その場には積極的に参加して頂きたい。第3は、勉強です。研修会を大いに利用して頂きたいということです。 医薬分業という時代の流れを今一度認識し、「やる気」を見せて下さい。



 <特別寄稿> 「保 健 衛 生 制 度 雑 感」

福岡市衛生局保健部 保健予防課長 押領司 文健

 福岡市薬剤師会におかれましては、日頃より保健衛生行政についてご協力を賜りありがとうございます。特に本年は、アジア太平洋博覧会に格別お骨折りをいただきました。この場をお借りしまして厚くお礼を申し上げます。

 さて、まず白己紹介になりますが、私の名前は、珍しいので初対面の時にはよく話題になります。出身は鹿児島です。鹿児島でも多い姓ではありません。広辞苑をひきますと、押領使という項があり、これには、平安時代兵を率いて国内の凶徒を鎮圧する令外の臨時の官とあります。

 また、押領使は押領司とも書かれていることもあるので、名前の由来は、これにあると思われます。ちなみに平将門を討伐した藤原秀郷の官職は、押領使(司)でした。と書くと、いかにも由緒ありげですが、歴史上特に有名な人がでているわげではありませんので、九州の片隅に残っていた化石のような名前というのがふさわしいでしょう。

 私は昭和四十二年九大入学以来、二十二年間福岡市に住んでいます。すでに故郷の鹿児島より長く住んでいる勘定になりました。福岡は、裏日本気侯帯の一部になるのでしょうか、当初は、冬の天気の暗さと寒さになかなかなじめませんでした。しかし最近は、たまに、正月などに里帰りをすると逆に鹿児島のあっけらかんとした天気にとまどうようになりました。

 冬といえば、博多では毎年十一月になると、大相撲がやってきます。(こういうときは、つい博多という表現になります)各部屋の幟(のぼり)や、関取達を、あちこちにみるようになると、町中になんともいえないいかにも博多らしい活気が出てきます。相撲取りが博多に来るとふぐの値段が上がるのだというもっともらしい話を聞いた事もありますが、本当でしょうか。

 今度の九州場所では、また千代の富士が優勝するのか、あるいは、すでにつくっている最多勝ち星をどこまで伸ばすかが興味のあるところでしょう。

 私も、ごく普通の相撲ファンの一入ですが、考えてみると相撲は他のスポーツにはないいくつかの特徴をもっています。特にルールが簡単な事は他のスポーツには見られない特徴でしょう。土俵から出るか、足の裏以外の身体の部分が土俵につくと負けなので、勝敗が一目瞭然です。

 ラグビーなどはルールが複雑で初心者にはなかなか分かりません。相撲と似たような格闘技の柔道は、ちょっと見るとどちらが勝っているのか負けているのかよく分からない時すらあります。また、土俵が丸いということも、一種の究極の形態といいえるもので、プロレスやボクシングなどにみられるようなコーナーでの駆引きを許しません。こんなところが、多くのファンをひきつけている理由でしょうか。

 さて、近年は、高齢化社会を迎えて、医療を含めた保健衛生分野に対して社会の期待の高まりつつあることは、皆様すでにご承知の通りです。エアロビクスやアスレチッククラブなどはいうに及ばず、派遣看護婦さんや健康食の宅配など、今までには、考えられもしなかったサービスなどに難しても需要がおきてくる時代となりました。

 先日市薬剤師会の応援を得て行いました薬草観察ハイキングにはお断りしなければならないほどの沢山の応募者がありましたが、これもこのような背景の反映と思われます。また最近は、これに呼応して、これまでは保健衛生に関係のなかった様々な分野からの参入も起こってきつつあります。ホテルのアスレチッククラブなどは、その一例でしょうし、また、電子白動血圧計やエルゴメーターなども色々のメーカーが作るようになってきています。

 気が付きにくい所ではスポーツドリンクなどについても、最近は、大型飲料メーカーも「身体に優しい…」などといったうたい文句でスポーツドリンクを商品の主力にしています。まさに健康が商売になってきた感があります。

 このような中で、社会の保健衛生に対する要求に応じきれない制度上の欠陥なども問題になりつつあるように感ぜられます。例えば、一部報道されたこともある怪しげな健康食品などは、今後なんらかの規制を強めていくべき問題かもしれません。

 又、健康のための運動を指導するものについては、国で資格の保証をする制度も必要と思われます。しかしこのような、新しい規制とか制度の創設ということも大事でしょうが、保健衛生での制度上の問題は、むしろ従来規制が強すぎて分かりにくいところが多かったというところかも知れません。

 たとえば、一例として、病院の診療内容は原則として宣伝できませんし、また病院に駐車場があることを宣伝することなども規制されています。こういう中で、医療機関によっては、ほとんどボランティアーの精神で糖尿病教室などを開いているところもあるのですが、一般には、知られていないというのが現状です。

 昨年は、日頃迷惑をかけている家内への慰労をかねて家族でハワイ旅行にいってきましたが、帰りにビタミン剤をたっぷり買って参りました。わけのわからない健康食品をはびこらせるより、こういうものが自由に安価にかえるようになればよいとも考えたりもしています。

 保健衛生の制度にっいては、制限や規制が必要なことは誰しも認めるところです。また逆になるべく多くの者が保健衛生のサービスの供給者となり、多くの人にサービスを受ける事ができる制度が必要なことについても異論のないところでしょう。

 このようなジレンマのなかで、土俵の上で、裸で勝負を決する相撲には興味深いものを感じます。似たようなスポーツである柔道や、レスリング、ボクシングには体重によるハンディキャップの制度があります。相撲では、それすらありません。しかし、ハンディをつけて公平にし面白くしたはずの柔道や、レスリング、ボクシングより相撲の方が面白いのは皮肉です。ルールを複雑にすることが必ずしも競技を面白くするものではないということは、保健衛生の制度にもいえるかも知れません。

 制度の改革に当たっては、できるところは、思い切って簡単にした方がよいのではないかと思われます。何よりも「教育的指導!?」を濫発しなければならないようなルールは、やる方も見る方も白けて意欲をそぐことになりやしないかと心配します。

 博多、相撲、保健衛生と、なにやら落語の三題話のようになってしまいました。しかし、この会報の目的の一つは親睦でもあるやにお聞きしていますので、ご容赦ください。 会員の皆様のご健康をお祈りいたします。
(平成元年 10月31日)

       押領司先生は、福岡市健康週間行事における市衛生局の窓口を務
      められる先生で、薬草観察ハイキングをはじめ、各区保険所の健康
      フェアにも全てお見えになってました。




 <特別寄稿> 「偶  感」

福岡市医報編集委員長 福岡市早良区内科医会 栗田 博隆

 初めて寄稿致しますので、今回はご挨拶と所感を述べさせていただきます。

1. 寄稿のきっかけ

 市薬会報9月号に木原先生が書いてあるように、9月3日休日急患センターに出動し、薬局の木原先生にお会いし、2人共会の編集委員ということで、つながりができました。しかも木原先生は私共の市医報を毎号読んでおられるとのこと、それならということで、9月11日の市医報編集委員会にお招きし傍聴していただきましだ。何か一つでもご参考になっただろうかと案じております。

 編集の苦労、気遣いは自分でやってみなげればわかりません。どの会報でも同じと思います。だから、どんな会報でもさーっとみてぽいとチリ紙交換へ、ということは私にはできません。これを作るのにさぞ苦労されただろう、大変だったろうとの思いが先になります。

 次に私事になりまことに申し訳ございませんが、福岡市薬剤師会会長古賀隆先生は前から存じております。先生のご子息と私の長男とは福岡大学医学部の同級で、しかも6年間先生と一緒に福大医学部の世話人を致しました。苦楽を共にした仲でございます。そういう因縁もございます。

2. 市薬会報を読んで

 市薬会報の7月号と9月号を木原先生から寄贈していただき、興味深く誌ませていただきました。薬剤師会会員だけではなく、広く外部の方々からの寄稿が多いのにまず驚きました。厚生省,県薬務課,保健所,製薬会社,医師会など、実に多彩ですね。市医報も少しずつこのようにしていきたいと思います。大変参考になりました。

3. 薬剤師会との懇談会について

 市薬会報9月号の25頁にある通り、去る8月31日早良区薬剤師会の先生7名の方々と、早良区内科医会会員(分業の有無に無関係です)が集まり、色々と意見を述べまた拝聴しました。その結果「医薬分業」を推進するためには「両師会がお互いに歩みよろう」「もっと話し合おう」との結論に達しました。両師会が話し合う機会をもっと多く作ってほしいと思います。できたら歯科医師会の方々も参加され、三師会が力を合わせて進もうではありませんか、如何でしょうか。

 今後何卒よろしくお願い致します。

素晴らしきパートナー

 市医報の分業特集は、アンケ一卜回収率が70%だとか、先生方の関心の高さが伺えます。井上四郎先生は「分業のパートナーを選ぶポイントは、患者に対して思いやりがあり、分業による負担増を忘れさせる薬局につきる」と書いてあります。私達が本当に心しなければいけない言葉だと思います。



 <特別寄稿> 「北 と 南」

大日本製薬兜汢ェ支店 支店長 上田 澄夫

 昨年9月に札幌から転勤して来ました。よろしくお願いします。

 大日本製薬は明治30年に、当時の薬業界の有力者、武田,塩野,田辺,小野,他の諸氏によって、日本で初めての本格的な製薬会社として創られました。福岡支店は昭和25年に、出張所として開設し、以来、先生方には大変お世話になっております。御礼申し上げます。

 私がこちらに転勤して来た9月という時期は、札幌では、もう朝などストーブを焚く時期ですが、こちらに来ると、まだ冷房が入っており、しばらくは身体の温度センサーの調整にとまどいました。いまではすっかり博多の水にもなじみ、博多の良さを満喫しています。

 日本の北と南。地図では狭い日本ですが、両方に住んでみると、南北の差を大きく感じます。気温の差に加え.北海道と九州では、植物生態系が全く異なることが、その違いをはっきりさせています。

 札幌をなつかしみながら、北の街と南の街を比べてみたいと思います。まず、街の香りですが、札幌は6月になると街中に満ちるライラック(リラ)の香りで象徴され、福岡は新鮮で健康的な潮の香りです。札幌の街は女性的であり、福岡の街は男性的と感じます。

 "すすきの"と"中洲"は日本の代表的な飲食街ですが、"すすきの"はクラブ、バーの間にラーメン屋や、ソープランドが入り混って、夜通し、不夜城の賑わいがあります。ゆきつけの飲み屋の隣りにソープがあったりして、遠くから見ると、単身赴任の支店長もとうとうたまらず、ソープに駆け込んだかと見られる場面もあったりして、それこそ顔に汗することもありました。

 "中洲"は表通りのクラブ、パーに加え、裏通りに、"なんとか横丁"がいくつかあって、情緒をただよわせ、一軒ずつのれんをくぐってみたい誘惑にかられます。 私の在任中に丁度、双方とも博覧会が開かれました。片や大赤字の"食の祭典"、片や関係者に大入袋が出たほどの盛会で終った"よかトピア"です。どうしてこのような差が出たのでしょうか。まず、テーマに「食」を取り上げたのが失敗といわれています。会場に入ってすぐ、何かを試食すると、あとは満腹で匂いを嗅ぐだけです。

 その点、"アジア太平洋博"はテーマに夢とロマンがあり、中味も充実していました。県をあげての取り組み、博覧会のために街を整備し、前宣伝にカを入れるなど、大きな開きがありました。福岡の人々のお祭り好きも会を盛り上げたのではないでしょうか。

 医療関係の連いとしては、まずあげられるのは、北海道は患者の在院日数が、一番長い県ということです。理由の一つに、札幌、旭川などの都市部を除き、若者はほとんど都会に出てゆき、あとにお年寄りだげが残される、ところが半年の間雪に閉されて、身体の不自由なお年寄りは食事の買物にもゆけず、自宅療養が困難となり、冬の間は3食の付く病院に入院を、といった事情があげられています。

 医薬分業については、冬の間、街は雪に埋れ、戸外は厳しい寒さで、患者さんは病院のほかにもう一軒、薬局まで足をのばせるのかなあと心配します。 経済面では、いま札幌は国際コンテナ基地として発展しようとしています。欧米から一直線に飛んできたとき、成田より千歳空港の方が距離が短く、その分燃費が節械されるとあって、いま札幌千歳は注目されています。

 一方、福岡は全アジアの経済、文化の拠点として、今後、さらに大きく発展しようとしています。東京一局集中が批判される昨今ですが、細長い日本では、やはり札幌と福岡が発展しなければ、日本経済の発展、文化の普及、向上はないと信じます。

 先生方のますますのご活躍をお祈りし、今後ともご指導をお願い申し上げます。



 <特別寄稿> 「最近思うこと−高齢化社会と健康−」

潟cムラ福岡支店 支店長 籔田 光治

 今後、日本は、西暦2030年頃までは65歳以上の人口が増加し続けることが予測されていますが、これは非常に喜ばしいことであると同時に、社会環境をどのようにして行けば良いかが重要なテーマになってきています。一人でも多くの人が健康で充実した生活を永く続けられることは素晴らしいことですが、高齢になるといろいろと身体の機能も衰えて、若い時と同じ状態というわけにはいかなくなり、多くの慢性疾患を持つ人も増加しています。

 いま日本人の平均寿命は、男性75歳,女性は81歳と言われています。すべての人々が健康であるにこしたことはないのですが、現実にはそうでない人々も多い。「高齢化社会」というと他人事のようになりますが、「時間」ばかりは万人に平等で着実に誰もが「高齢」になることを思うと、より一層切実で身近なものになってくる。老年人口の構成比が高まりつつある今後、すべての人々が近づく21世紀の医学と医療に、かつてないほど大きな期待を寄せている時代であると言えましょう。

 西洋の近代医学が人類に多大な貢献をしてきているのは言うまでもありませんが、高齢者のいわゆるクオリティオブライフを高めるには、出来るだけ多角的,多面的な治療手段により、病気で悩める人に対しよりよいケアーの研究が益々期待されている時代でもあるでしょう。また、一人一人の健康における管理面でセルフケアも重要なことになってきています。

 考えますと、宇宙の中で地球が誕生してから46億年ぐらいになるらしいのですが、この尺度からすると人類の誕生は、ほんのごく最近のことであり、しかも、最近の50-60年での科学技術の進歩は非常に驚くべきものがあると言われていますが、他方では地球規模での環境破壊の問題も出現してきている。このようなことを想うとき、ある面だけが突出して、いつまでも素晴らしいということはありえない。バランスの問題があるのでしょう。

 宇宙はすべてバランスで成り立ち、この宇宙から生まれた人類も、その身体は、宇宙の世界であるという考えは、東洋には古くから心身一元の世界観としてあった。小さな「宇宙である人体」という観点からも、自分自身の健康管理を考える今日このごろです。



 <会員のひろば> 「抽 象 分 業 論」

元国立福岡中央病院薬剤部長 清水 貞知

 「分業、分業」と新たに叫び続けてからもう三十年以上になる。その間、世の中の仕組みも有態もすっかり変わってしまった。

 当時情報を得る手段と言えぱ、精々ラジオか白黒テレビしか無かったが、今では、今日起こったサンフランシスコの地震の情景が、衛星中継を通じて、その数時間後には克明に生々しく、鮮明な画像で各家庭の茶の間のテレビに送られて来る時代である。 商売にしても、もう読み、書き、算盤の時代は終わった。

 POS,オンライン,パソコン,プリペイドカードを自由に駆使しなければ、商売白体が成立たなくなっている。なのに、薬剤師会では未だに三十年前の「分業」性凝りも無く繰り返し叫び続けている。

 因に自分が未だ国立病院にいた頃、二十数年前の薬剤師会報正月号を捲ってみたら、会長の年頭の挨拶として「今年も薬業界を取り巻く情勢は厳しく、予断許さざるものがあるので、緊褌一番、お互い業務に励み、又年来最大の課題分業の実現に一層の努力を傾注しましょう」とある。翌年の挨拶も、又その翌年の年頭所感も全く同じ、厳しい業界の現状を嘆き、分業推進の挨拶はその後も延々として続き、今日に至っている。何故か?

 自分が現役を退いてからもう、二十数年経つ。だが、直接薬の仕事には携わっていないもののその後、大学の衛生学教室や薬理学教室に通い、或いは臨床検査方面の業務に関与しているので間接的には薬との縁は切れていない。薬業界に対する批判も、第三者的立場でものが言えるので、或る意味では正鵠を得ている点があるかも知れない。

 それに老年ともなれば、いろんな箇所に故障が出て来る。自慢ではないが病院通い始めて、診察券の無いのは婦人科と小児科くらいのもので、後は全科揃っているフルコースである。

 健保の方では最も忌まわしい患者の一人だが然し患者の立場で病院の内部を遠慮なく拝見出来るので、アラ捜しには持って来いである。

 分業の実態も患者の立場で、又言う処のDIなるものも、日常身を似て体験している。 そして何故分業が進まないか、体験から語る事が出来る。

 先日も或る大病院で診察を受け、院外処方を医師に請求して見た。処がその若い中堅の医師院外処方箋など書いた事無く、その用紙も無いと言う。内科なら有るだろうと看護婦を走らせ貰って来て書いて呉れたが、果たして不完全なものだった。

 後、それを持って天神の或る一流薬局に持参し調剤を依頼したら、ここでも「この薬が有りませんから、取って来ます」と二十数分待たされた。別にさして特殊な薬ではなかったが、それでも揃っていないのかと悲しくなった。

 然し考えて見ると、無理からぬ事である。現在、総合病院で使われている薬品の種類、注射薬を除いて凡そ1,300〜1,500種類内、汎用されているものは恐らく50-60%であろう。その30%としても約400種類からの薬を常備しなければならない。

 今薬事法で要求されている薬局の面積はたったの1坪その狭い中に、今度は薬局のイメージアップとか、使いもしない錠剤崩壊試験機や化学天秤まで備えろというお達し、4〜500品目の薬を置ける訳が無い。これで線分業から面分業に広げろと言っているのだから、それを指導している御本尊、果たして薬局の実態を御存知かと疑いたくなる。

 話しは違うが、言ってみれば今の消費税みたいなものだ。それを敢えて押し切った竹下登氏一度でも、白ら買物籠ぶら提げてスーパーへ行った事があるか。広く浅くの消費税、その3円、5円の額よりも、それを財布から取り出す時の煩わしさ苛立ち、経験して見なければ分かるまい。序でながら「消費税はダメッ」と決め付けているおタカさん。それに代わる金の生る木か打出の小槌でも持っていらっしゃるのか、その辺我々下々には分からない。

 ともあれ昔、自分も役人やっていたから良く知っているが、偉くなると、やたらに出来もしない理想論掲げ格好付けたがるものである。

 話しを元に戻すが、やれ線分業、面分業等と言っているが、何故分業が思う様に進まねいか原点に立帰って考え直しては如何。言うまでもなく、医者が処方箋出さねば、てんから分業などはあり得ない。では、病院が、開業医が何故処方箋出さないか、もう一歩踏み込んで考えてみた事が有るか。

 自分の息子も関東地区で某病院の副院長しているが、云うまでも無く現在何処の病院も維持経営に苦しんでおり、特に人件費の高騰による人件費倒産が増えているそうである。

 一頃とは違い、目下医者は医者なりに苦しんでいる。「ニューヨーク800万の市民には800万の生活がある」と云われているが、病院にしろ開業医にしろ、夫々に考え方もあり、御家の事情もある。十把一絡げにやれ分業それ分業と雲の上から指図してみても始まらない。

 そんな暇があるなら、もっと現下の経済情勢なり、進んだ科学的情報社会の現況を分析した上で、その進路方向を具体的に指導すべきではないのか。もっと手近かに云うと、プリペイドカードの普及はもう目の前だ。ちり紙や蚊取線香売っている薬局で果たしてそう言った新しいシステムに対応出来るのか、疑問なしとしない。

 請う、御一考。



 <会員のひろば> 「俳  句」

図


 <会員のひろば> 「カ メ ラ と 私」

賛子当仁部会 山手薬局 山手 陽一

 木原先生から私の写真歴といった様なことを書くようにご依頼がありました。ここ10年余り中休みの状態でしたが、又近頃あちこち写真撮りに出かける機会が多くなりましたので何か皆さんに参考になればと筆を取りました。

 最近はカメラの進歩でバカチョンカメラと呼ばれる何もしなくて、ファインダーをのぞいてシャッターを切れば、綺麗な写真が出来上るような物ができ、現在カメラを持たない人はいない時代になりました。

 写真を大雑把に別けると、記念写真,記録写真があり、記念写真は人物が主体になり、記録写真は自然,風景が多いと思います。しかし誰でも写せる写真が中々思った通りに写ってないのは、見た目とカメラの目が同一でないからです。

 遠くてもよく見えた富士山を車窓から写したが出来た写真には小さくしか写ってない、美人の顔を写したのに、画面に小さく、いらない周囲が多く写っている等です。よく云われることですがシャッターを切る時は一歩か二歩前に出ることです。被写体が中央に小さく写さず、画面一杯に写すのがコツです。特に人を写すときは遠慮せず前に出て下さい。

 専門的になればレンズを変えれば良いのです。広く写したければ広角レンズ、遠い近いに関係なく部分的に又、遠くのものを大きく写すときは望遠レンズと使い別けします。然しレンズの焦点距離によって遠近感が見た目と違ってくることも知っていて下さい。

 例えば若い女性を写すとします。美人であればいい作品が出来るかといえば必ずしもそうではありません。大塚薬報を見られた方はおわかりでしょうが、一般医薬業のアマチュア人のコンテスト一位が表紙になり、入選佳作の写真が最後のページに講評してあります。

 ポートレートは難しいことですが、写された人の人格までが表現され、自然であることは勿論ですが、バックの処理,手,アクセサリー,髪等の処理も必要です。多くの中から選択されて幾枚かの写真が展示されていますがご覧になれば参考になるでしょう。私もその内出品してみようと思っております。

 一つだけ皆さんが人物を特に上半身写すときに黒目の中にキャッチライトが写る様に光を考えて写すと、見違えるような生々とした写真になります。又風景写真は雲を写す以外は空を写さない様に、山の稜線,水平線の少し上でカットし出来るだけ手前を入ることもコツの一つです。

 私の写真歴ですが、戦前父の乾板カメラで妹の写真を写したのが初まりで、戦中の専門学校時代は友人とカメラを持っていました。19年に就職し北京に行き持っていったカメラを売り戦後の物資難時代は遠ざかっていました。

 30年頃コニカを買ってうれしかったものです。33年に開局し狭い店の一隅に暗室を作り、山手薬局,山手フォートサービスの看板をあげました。商組に出てからは午前中にお客さんの写真を焼き、午後薬剤師会事務所に行く毎日も嬉しい思い出です。

 カラーの時代になる-と自分の写真を焼く位になり、現在も暗室には思い出した時に入るだけです。

 私が作品と称するものを写しだしたのは34年に福岡銀陽会に入会してからです。毎月の例会にモノクロ4切の写真を暗室で焼き出品していました。そのうち県美術展に毎年出品しましたが、最初に出したのがヌードで初入選しました。

 一度当時の最高賞の「県美術協会賞」をもらい、文部省選抜展にも出品されましたがあとは入選止りで入賞はしません、二,三回入賞すれば県美術協会員になれるのですが…10年余り過ぎた時、古寺の庭でヌードをとり出品準備をしたのですが、モデルからクレームがついて、仲間から顔をつぶして出品したらと云われましたが取り止めました。この作品は旧県薬会館に展示してましたので、ご覧になった方もいらっしゃるはずです。

 この様なことがあり、又商組の仕事も忙しく銀陽会の例会には出席していましたが、作品は遠ざかって十年余りになりました。又昨年商組を止めぼつぼつ作品を作っています。

 カメラは現在使用しているのは、ニコン801,ニコンFE2、ライツミノルタCL,マキナワ8位で、レンズはニッコール20mm〜500mmの単位,ズームです。

 皆さんの中で一眼レフをお持ちの方は多いですが、交換レンズまで持った方は少いと思います。28mm〜200mm位のレンズを持てば、写真が変りますよ。又いい写真を写すには他人の写した写真を数多く見ることです。写真展には度々足をはこんで下さい。

◎福岡銀陽会、運営委員
◎福岡フォトクラブ運営委員
(福岡市の姉妹都市との交換写真展開催)
◎西日本写真協会常任委員
(西日本新聞社)
 前福岡県小売商業組合専務理事



 <会員のひろば> 「私 の 日 曜 日」

壱岐部会 川添薬局 川添 成人

 −バンカーから"決勝"カップイン−。10月8日、日曜日、朝目がさめるとすぐに空を見上げる「雨……か」「名古屋の天気はどうだろう?」一人ごとを云いながら、朝刊を取り出し、テレビ欄をタバコをとりだしながら見る。

 今日は日本オープンゴルフの最終日なのである。午後1時30分から放送が始まる。よしそれまでジャンボ尾崎の顔を浮かべながら1日のスケジュールを練ろう。午前中は甥の運動会に行き、子供はバスケットの試合、家内は買い物と、大ざっぱな予定を頭にえがきながら洗面台で白分のネボケマナコの顔をのぞきこむ。ジャンボの優勝カップを高々と掲げた顔が自分の顔とダブって写った。

 "ホンマカイナ"♪鼻うたをうたいながら身仕たくを終え、玄関のドアをあけた。楽しみな午後になりそうだ。

 「先日久し振りにゴルフに行って来た。」スコァは"?"まあO.B.池ポチャでボールを5つ程寄付して来た。「…れば」「…たら」の連続でキャディーさんが悪いのでも、同伴プレーヤーが悪いのでもない。すべて自分のせいなのである。どちらかと云うとワイワイガヤガヤやる方だが、ボールを打つ時だけは結構真剣な顔をしている。最近負ける口惜しさが少しわかって来た。

 あっそうそう自分のことはどうでもいいんだ。もとに戻ろう。

 試合も大詰め「もう駄目だ」テレビの前で見ている私は叫んだ。一打差でジョーンズを追う最終17番ショートホール、絶対行ってはいけない左バンカーにつかまった。次の瞬間一点に全神経をとぎ澄ませたサンドウェッジを振りぬいた。カップを通り越すかと見えた瞬間ボールはやや右に曲がり旗ざおに挟まれた様な格好でホールの中に消えた。まさに、ジャンボの"野望"ジャンボの神わざバーディーだった。そして優勝した。

 それでもまず反省が口をついた。「正直云って勝ち取ったという気持ちはない。試合のコースをやっつけてやろうと思ってたのに逆に痛めつげられてしまった。」泣かせるセリフだ。優勝したこの夜もきっと自宅の庭で練習しているのだろう。それにしても私のジャンボ尾崎様は見上げたものだ。

 ホウレン草をさかなに飲んだアルコールで少し酔いが回って来た。だからと云うわけでもないけれど私は思ったネ。人間地道な努力が必要なんでポパイのホウレン草などはないんだと。

 そろそろ我が家の青年たち、もと娘?が帰って来る頃だ。そんなこんなで結構な"私の日曜"だった。



 <会員のひろば> 「赤毛のアンの思い出」

原部会 内田敬天堂薬局 内田 和江

 先日、デパートに行った時、主人が子供用のビデオカセットがあると言うので、その売場に行ってみた。今はビデオも"借りる時代から買う時代"と言うことらしい。"あの名作が驚異の新価格"と銘打って、ロマンス、ミステリー、サスペンス、SF等々の映画のビデオカセットのコーナーが設けられていた。

 つい最近までは、童謡、流行歌、クラシック等のカセットテープのコーナーがここにはあったのに、と思いながら見回していると、"赤毛のアン12/10発売予定!"と言うポスターが目に入った。ポスターは、アンをして"輝く湖"と言わしめたバーリィ池を中心にアボンリィーの美しい景色を背景に、少女が立っている構図だった。

 そうです。・・あの「赤毛のアン」です。あのとはどうですかと言われる方の為に。『今から約80年余り前、カナダの女流作家ルウシィ・M・モンゴメリが書いた「グリーンゲーブルのアン」に始まる所謂「アン・ブックス」です。モンゴメリ女史が生み出した「アン・シャーリィ」は、生まれ落ちると間もなく両親を失った孤児。それにおそろしいばかり真赤な髪の毛で、そばかすだらけの女の子。その女の子が、11才で引き取られた先が、プリンス・エドワード島の「エヴォンリー」という片田舎。年寄った兄妹二人暮しの「グリーン・ケィブルズ」と呼ばれる農家でした。

 美しい大自然に恵まれた平和な村です。夢想家の激情的なアンは、その穏やかな日常生活の中で次々と「死ぬか生きるかの大騒動」を引き起こしてしまいます。まわりの人々はアンの突飛な言動に面くらったり、はらはらしたり又憤ったり、お腹をかかえて笑ったりさせられます。そうしながら誰も彼もがアンに激しく引きつけられ愛さずにはいられなくなるのです。

 その「アン」の青春、恋、愛、結婚そしてその子供達へと物語は続くのですが…。今なお、世界中の少女の心を虜にして、恰も実在人物のように読者の胸に生きていると言われています』

 私が最初に「赤毛のアン」を手にしたのは、中学生の頃でした。先輩から借りて読んだのです。それはアン・シリーズの第六巻「アンの夢の家(村岡花子訳)でした。私が生まれ育ったのは大分県の山の中、竹田市の隣りの町の朝地という所です。本を買うには隣の竹田まで出なくてはならないという片田舎でした。

 だから、本格的に「赤毛のアン」を読んだのは、高校に入り、毎日竹田に通うようになってからでした。髪の毛が赤くて目が大きくソバカスだらけの顔をして、人の心を捉えるおしゃべりをするアンは魅力100パーセントです。何度読んでも新鮮な感動を受けたものです。

 又自然、情景描写が細やかですばらしく、大自然の美しさに目をひかかれる思いがしたものです。目を閉じると、アンが熱愛したロマンティックな並木路や輝く湖、梢にそよぐ風の有り様が視えるのです。画になる本だなぁと思いました。又この物語は作者のモンゴメ女史が生まれ育ったカナダのプリンセス・エドワード島がモデルと言うことなので、この島に憧れを持つようになりました。

 私は、大学を卒業して別府の富士見病院に勤務しました。その時、読売新聞の読者コーナーに「私の財産」と言うテーマで記事を募集していましたので『私の財産は「赤毛のアン」という本である。今まで2回引越し(大学入学時,就職時)した。その都度不要な物は処分したが、この本だけは持ってきた。寂しい時、辛い時、この本があるだけで心が和み、心強い思いをした。腹心の友である』と言うような事を書いて応募したら、採用され新聞に載った事があった。

 そうしたら、この記事を読んだ方から、「実は私も"アンのファン"です」という手紙を戴き、吃驚するやら嬉しいやらという思いをした事があった。「赤毛のアン」は、私の青春に夢と思い出をくれた素晴しく掛け替えのない宝物だったのです。

 ですから、51年に結婚し福岡に引越して来た時も一緒でした。今度は、私に素晴しい夢をみせてくれた「アン」を、自分の娘にもみせてやりたいと思う気持ちも加わって。 結婚して毎日の生活におわれるようになると、書棚にそのままになっていたのですが、昨年だったと思います。テレビでプリンス・エドワード島の取材をやっていたのを見て、ぜひ行ってみたいとの思いを強くしました。主人に折りにふれ、「行こう。行こう。」と言っているのですが……。

 私が「赤毛のアン」を読ませてやりたいと思う娘は、「アンパンマン」のビデオカセットを買ってもらって喜んでいるまだ6才。いっ夢がかなうことやら。ひと足先に、ビデオでアンの世界を映像で見ておこうかと思いつつ売り場を後にした。

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愛娘の運動会 騎馬戦にて



 <会員のひろば> 「さいはての孤峰 利尻山と礼文島西海岸」

名島部会 タカラ調剤薬局 満園 忠治

 いわゆる日本百名山と言われる中で日本の最北端に位置する利尻山。アイヌ語でリイ.シリは高い山のある島と解釈され、その名の如く島全体が山と言う感じであります。「さいはて」の語感より何となくロマンを想像し山好きな人ならば、一度は登ってみたい山の一つでありましょう。

 そもそもこの利尻島、利尻山が脚光を浴びたのはその山岳美もさることながら、高山植物の宝庫として知られ、一つの山でこれほどまでにも豊富は高山植物が見られる島,山はないとまで言われます。

 緯度が高いので本州では2,000m前後でしか見ることの出来ない多種、多様な草花が平地でも随所に咲き誇り魅了してくれます。また、植物学的にも本州、北海道と違い利尻だけの一属一種の固有種の植物が多く、その頭にリシリソウ,リシリヒナゲシ等々、リシリと名の付くものが数多くあります。

 北の地の厳しい風雪に耐え、短い夏のつかの間に咲き乱れるこれらの花は街角のフラワーショップほどの華やかさはないものの、その自然のかもし出す黄色,赤色,紫色の花模様は可憐さと同時に芯の強さを感じることが出来ます。山行は嫌いでも草花の好きな方なら一度は行かれてもそれなりに価値のある島であり、そこでまた北の大自然のもつ雄大さ、偉大さを認識されるでありましょう。

 朝4時30分起床。山歩きは夜明けと共に始まります。夢とロマンを与えてくれる利尻に登れるとあって昨夜は興奮してなかなか寝つかれず多少のだるさを感じつつ登山口へ。標高1,718m。さほど高い山ではないものの海抜ゼロmの登りなのでその高低差は見た目よりあり、山歩きを堪能させてくれ登りごたえがあるはずです。

 昨褒来の小雨は止んだものの雲は低く垂れ、気持ちもふさぎがちです。昼間でも暗いトドマツの原生林を歩くこと1時間。「甘露水」という湧き水の出る休憩所で一服。7月中旬であるのに指をきる様に冷たい水に最北の地にたつ我を認識し、灌木の生い茂るなだらかな道を歩き初める。更に歩けど雲はきれず視界は相変らずきかない。でも目にはいる木々、草花の総てがめずらしく、さほど疲れは感じない。

 それなりに植物図鑑に目を通し、うすら覚えはしたものの実際のものとはなかなか合致しない。しばし砂礫を歩くうちに突然のあかり。一瞬の間に雲がきれ視界がひらけたのです。北の山のドラマの始まりです。

 見上げれば濃紺に近い青空。北に礼文島、西に本道、緑の中に点在する集落、岩壁に打ちよせる荒波。その海ば限りなくそして果てしない。足元付近はオンタデの大群落。夢心地の一瞬である。北の荒涼とした岩峰、岩陵、きれおちたやせ尾根は九州の緑豊かな山とは趣を異にし、わびしささえも感じます。

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リシリヒナゲシ

 8合目付近で見つけた、この花をこの目で確かめたくて利尻山に来たのもその理由の一つであります。

 相変らず足場の悪い道を北の太陽を背に一気に登りつめるとそこは頂上。碩上直下はまたまた見事なお花畑。赤茶け崩壊した岩塀、雪渓、それに黄色のボタンキンバイソウの大群落は利尻山の最高のコントラストです。流れる汗をふくのも忘れて感激にひたる一時であり、山登りの道程で最高に充実した時であります。

 何時までながめていても飽きる事のない絶景のもと、盛りだくさん海の幸の入ったお弁当に舌つづみをうちつつ、明日歩く礼文島を見る。澄みきった青空の下、広い海原のかなたの礼文島がまた何かしら旅情、冒険心を誘ってくれるのである。

 利尻島の北に位置し、南北に細長くのびる礼文島、別名「花の浮き島」と言われ、ここも利尻と同様ミステリアックでロマンを与えてくれます。標高490mの礼文島より雲海に浮ぶ利尻山の雄姿はまさに絵になる山です。

 山も登りつめて感銘を受ける山と遠くより眺めて感動する山があるとするならば、この山は正に後者でありましょう。更にドラマチックなのはこの島の西梅岸の散策コースです。

 北の須古屯を朝5時にスタートし、10時間弱要する南の桃岩まで採勝するハイキングコース。これほどまでにも比類のないバラエティに富んだ道もないでしょう。カモメの飛びかう起伏の激しい海岸線を歩くかとおもえば、エゾカンゾウ、レブンソウのお花畑。林道に入れば天然林。礼文独特の草花が咲き誇り自然の楽園そのものです。

 コースの途中にいくつかある小さな漁師町での人々との触れあいも楽しく、そこでいただいた一夜獲の塩ウニ、ワカメのみそ汁の味は今だに忘れる事が出来ません。純朴で心暖かい人々、そしてこの上ない自然に思いをまっしぐらに歩くと桃岩の最終地。ゴールにふさわしくここでも見事なお花畑が迎えてくれるのです。缶ビール片手に桃岩の展望台に一人立つ時、この山旅の充実感とこの島を離れる哀しさが交錯し、頭上を舞うウミネコの鳴き声が更に哀しさに追いうちをかけるのです。
(平成1年7月15日 登山)



 <会員のひろば> 「猫 の 話」

箱崎部会 馬場薬局 馬場 敬子

 スーパーの中二階の大きい猫のケージに、『かわいがってくださる方にさし上げます』と表示があって、買い物について来た子供達がいつも集っていた。ケージには十匹ほど子猫がいて、外に出たいと媚を売って鳴いていた。その中の角っこにいた愛想のない猫が、我が家のレムである。寝言をいうのでレム睡眠のレムと名が付いた。

 ただかわいいから飼いたいと引き取ったが二〜三日目に熱を出して病院行き。またクッションに菱型の動くものがいたら条虫の切れ端だった。ある時は急に食卓のサラダのレタスをバリバリ食べ驚ろかされたが、後にすぐ理由が判明。長時間車に乗せられての便秘だった。

 気の強い雌猫なので怪我も多く、それが化膿してしまうことも数知れず、ストッキングを包帯がわりにかぶせるのが一番ピッタリとして取られにくいようだ。 一番驚いた怪我はイタチとの対決の時のもので、家の中に逃げ込んできたイタチを部屋の角に追いつめたものの逆襲にあい、オナラ攻撃で怯んだすきに左目をやられ、手当てはしたがジワジワ悪化して、現在は視力が全くなくなってしまったようだ。

 そのせいか先日は階段を踏みはずし、カタカタ、カツカツ爪音虚しく落ちていった。様子が変なので病院へ。レントゲンを撮ってもらったら肋骨が三本折れていた。獣医さんいわく「この猫は、いろいろありますねェ」

 すぐ前がバス通りだから表の方から外へは絶対出さないし、夕方空腹になって帰って来たらすぐ戸を閉めてしまう。夜遊びは禁止。それでもいろいろある。屋根伝いに隣家とのすき間に入って出られなくなり、一晩中ニャァニャァ鳴いたこともあった。義妹が苦労して助け出したが。

 一番受けたことは、レムが陽の当るウィンドウに入り昼寝をしていた時、バスを待つ人や通りがかりの入たちがガラスをトントン、バンバンたたき、今は亡き義父が貼り觝をしたこと。『猫が心身症になります。ガラスはたたかないでください』ちょうど心身症という言葉が流行語になっていた頃だった。

 レム以前にも何匹か猫がいたが、レムほど義父になついた猫はいなかったそうである。義父が一人で店番をしていた時には、足もとにすり寄ってエサをくださいと猫なで声を出していた。机で本を読んだり書きものをしたりする時に猫はよく、本や原稿の上に乗ってジャマするものだが、義父はそんなレムを滅多に怒らなかった。

 レムはこの秋九才になった。目のこともあって動きが鈍くなったが、相変らず怪我をして来る。見えない目に傷を負って来る。鼻は乾燥ぎみで、左目は眼圧が上り、薬をのませたり通院したりで、少々心配で、忙しい今日この頃……。

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ご主人と一緒の敬子先生


バードウォッチングしてみませんか

   −鳥達の身上調査−

シリーズNo.7 <カモメ>

ユリカモメ  本格的な冬の訪れももうすぐです。寒いのはイヤという人も多いでしょうが、バードウォッチャーにとって冬は嬉しい季節です。冬鳥が湖や沼、川や海岸にその姿を見せるからです。

 水面に浮かんだ鳥は観察しやすく、初心者にも楽しめます。寒風の中、鼻をまっ赤にして望遠鏡や双眼鏡を覗いていると、道行く人からは"何を物好きな"といいたげな冷やかな視線を向けられることはありますが…。

 さて、今回はカモメです。最も数の多いのはユリカモメ。カモメの中では小型(全長40cm、翼開長92cm)。体は白く、背や翼の上面は淡い青灰色。頭部は冬羽と夏羽とで違い、冬羽は白くて目の後方に黒褐色の斑があり、夏羽は顔の部分が黒褐色になります。嘴と足は赤い。カモメ類の識別は嘴と足の色が大事なポイントです。パン屑などを投げてやるとすぐ寄ってきて、水面からサッと拾ったり空中キャッチなど器用なところをみせてくれます。

 ギューイ、ギューイと騒がしいのは我慢して下さい。

ウミネコ  次によく見かけるのはウミネコ。ユリカモメより少し大きく(全長44.5cm、翼開長120p)、足は黄色、嘴は黄色で先端近くに黒と赤の斑紋があります。ヒナがエサをねだるとき、この斑紋をつつくと親が半消化のエサを吐き出してくれます。ミャーオときこえる鳴き声からウミネコという名がつきました。

 カモメ類の目つきはよくないのですが、中でもウミネコの目は陰険という人がいます。一度確かめて下さい。

 その他のカモメとして、セグロカモメ、カモメ、ミツユビカモメ、シロカモメ、ワ シカモメなどがたまに混じっています。カモメ類は互いに羽色が似ており、更に成鳥と幼鳥とでは色が異なり、幼鳥同志はよく似ているところから識別の難しい鳥です。

 水面上に出た棒杭の上にカモメが同じ方向を向いて止まっています。どちらを向いているでしょう。
                           (九大病院薬剤部 野仲範子)


 <フレッシュさん紹介> 「異文化社会へのチャレンジ」

九大病院薬剤部 千堂 年昭

 毎年、10月になると懐かしく思い出すことがある。九大薬学部大学院での論文作成、審査を無事にクリァしたのもつかの間、米国へ旅立ったのが丁度4年前である。カネもコネも、もちろん英会話力もなく、持ち前の体力だけを信じて(当時はまだ20代)、東京から9時間余りのフライトの後、ようやくシアトルに到善した。

 私が2年間、研究生活を送るカンサス大学薬学部は更にロッキー山脈を越えて、大平原を飛び続けること3時間、北米大陸の真中に位置する。

 留学前、人づてや書物から情報を十分得ていたつもりだが、実際、アメリカへの第一歩を踏みしめ生括をスタートすると、聞くと見るのは大違い、たちまちストレスを感じ、カルチャーショックに陥ったのを記憶している。

 しかし、ここはA型特有の"Adaptable ability"、1種の開き直りである。なるべくアメリカの生活にとけこむよう努力し、アメリカの新聞や週刊誌でアメリカの事情に精通し、暇があればテレビをみて英語に慣れること等、今思えばよく耐えたものである。アメリカに限らず、異国の地で生活していくためには、まずは神経を太くし、その国の社会で一入立ちできるような強い入間になりきることが重要と痛切に感じた。

 さて、アメリカはよく個人主義の国と言われる。ところが実際、一緒に実験したり、パーティに参加して付き合いを深めるうち、個人主義の意味を取り違えているのにすぐに気付いた。

 自分(個入)を大切にするが、他人も大切な個人と考えており、自分のペースを守りつつ他人と歩調を合わせるのも実にうまい。世界中から自由を求めて移民が集まり、大国アメリカを作り上げた開拓精神と無縁ではないように思う。それにしても、あらゆる場において、偏見のない心で外国人と接する(いわゆる異文化交流)のがいかに難しいかよくわかる。私白身、会話の中でよく"We, Japanese…"と口火を切ったことを思い出すが、物事を一般化しがちだったのが今思えば恥ずかしい限りである。

 外国人と仕事をする際、たとえば、研究室でのボスやラボメイトとのディスカッションで進め方で得たものが多いのは私だけではないようである。実験内容について結論を単刀直入にズバッと言っておいて、それをロジカルに説明する方法が一般的に求められる。

 アメリカの大学では大学院生時代にプレゼンテーションの方法をみっちり鍛えられるせいか、研究内容さえも立派に見えるから不思議だ。学生時代、学会,セミナー発表で苦労したのを思い出し、彼らを羨やましく感じた。

 さて、結論までを一本のレールにたとえると脱線しそうになると元に戻してくれるのがボスの役目で議論は必然的に直線的に進行していくようである。この進め方に慣れるに従い、英語流の発想で会話力が飛躍的に上達したような気がする。この「直線的思考」に対して、日本語では話題の中心をアバウトな表現でグルグル回りながら話が進行する「うずまき的思考」だろうか。

 アメリカ社会でやっていける自身がついたのが一年目の契約が終わろうとする頃であった。Lifetime employmentが一般的な日本と違って、この国では前年度の実績を基に新たな契約のもとで首がつながるのである。もう一年滞在したい意向だったので再契約の際、研究の発展性をかなり熱っぽくアピール(半分は、はったりであるが)して10%アップの給料を獲得できた時は祝杯をあげたほどだ。

 日本人に対してはお客様扱いみたいなところがあるのは事実だが、実際、中途で給料を打ち切られ、大学を去っていくのを幾度か見るにつげアメリカ社会でのsurvival raceを垣間見したような気がした。

 最近、日本の薬学教育の問題点が論じられているが、アメリカの薬学教育事情も多くの問題点があることをよく耳にした。Pharm.D.の薬剤師と話をする機会が何度かあったが、Pharm.D.の学位は研究者養成のPh.D.と比較して州によって格差が大きいこと、カリキュラムがアドミンストレーション部門に傾っていること等、実際の医療現場に即しているかどうかは各州共通の悩みのようである。

 その点日本の医療薬学教育は全国的に確立されてない反面、フレキシブルな要素を持ち合わせ、将来に大いに期待している。

 アメリカの土地の広大さ、人格の寛容さ、スケールの大きさ(悪く言えば、繊細さに欠ける)は住んでみて始めて実感できた気がする。カンサス州での2年間はまさにDINKそのもので大いにエンジョイできたが、薬学知識,実験技術を収得したことより、むしろ世界中の人々と接し、異文化体験を通して得た事の方が、今後の人生に影響を与えるような気がしてならない。
(S59年九州大学大学院卒業)



 <コラム> 「あ る 主 観」

専務理事 藤原 良春

 朝日新聞10月17日夕刊「窓」欄で、「医の使令」と題し論説委員は、「日本の医師たちはどうしてこうも広島,長崎に無関心でいられるのだろう?」と非難している。

 広島で開かれた核戦争防止国際医師会議世界大会で、米国の医師が「日本の医師は、核実験の全面禁止に積極的にかかわったという話を聞いたことがない」と発言し、同調者が「私の知る限り日本はこの分野であまり活動していない。被爆国として驚くべきことだ」更にバーナード・ラウン会長の「被爆国の医師たちの使命感、職業倫理の問題だ」という言葉を引用し、米ソ両国の医師により「国際医師会議」が生まれたというのに残念なことだと結んでいる。

 同会議の参加者は海外より約1,300人、国内が支部会員4,500人中1,700人だそうだが、米ソの支部会員が何人いるのか、更に核を保有する両国の医師が自国政府に対してどの様な働きかけをしているのか何も書いてない。

 又、同会議が日本に於て開催された実績、1,700人の医師が参加したことに対する評価もなされていない。あまりにも客観性に欠けた主観的な非難である。

 日本の原水禁運動は、社会党系、共産党系に分裂しイデオロギー論争に終始した不幸な歴史を持つ。そのため国民的な広がりを失ってきたのも事実である。

 薬剤師については、昭和33年高野一夫日薬会長を会長として「薬剤師原水爆禁止促進会」が京都で設立され、目的、事業計画も立派であったが、その後の動きは定かでない。これもイデオロギー論争に埋没したのであろうか。



 <部会紹介> 「井尻部会について」

南支部 井尻部会長 小村 正治

 福岡から電車に乗って15分で西鉄井尻駅です。市薬から高宮通りを安全運転で20分南下すると井尻六ツ角になります。ものの1分も走り過ぎれば春日市になる福岡市境の街。井尻、弥永地区が南支部井尻部会です。部会員は15名。保険薬局は13店、うち調剤を主とする薬局は5店、他はOTCの比重が大きいようです。

 「私の店の隣がI耳鼻科でしょう。その隣で丁度M内科小児科の前に小さなビルが出来ているでしょう。その1階に薬局が入居するということですが部会長はくわしいこと御存知ないですか」I薬局から話が飛びこんできたのは昨年10月17日のことです。過飽和状態なのに又か。どこの大型ドラッグの支店か、強力OTCの店か、早速調査にかかりました。

 I薬局は、I耳鼻科、M内科とのコミュニケーションもうまくいっている調剤薬局です。OTC薬局で早急な対策をと考えたのは今までの流れからみれば当然だったかもしれません。ところが、ところが.数日後、それは調剤薬局ということではありませんか。M内科の真正面にB調剤薬局は、全く水面下で諸手続をすませ12月に開局するというのです。

 近隣I,A, S薬局との会合、部会、支部部会長会を開き協議しました。又、商組より中野、戸田理事の他、吉田西支部長,南島早良支部長も参加して頂き、ここであらためてその御好意に御礼申し上げます。

 12月に入り、B調剤薬局O氏と有田南支部長と私の三者話合いましたが、自由経済である、阻止より前向きの対策をと痛感したのみで、一回きりの会合で終り、部会入会拒否のまま強行開局という結果になりました。マンツーマン的調剤薬局も今後聖域ではあり得ない。アウトサイダー的調剤薬局がいつ貴方の、私の側に出現するかわかりません。

 私達が望む面分業がすすめられると、反面この様なケースは更におこる可能性は大きくなるでしょう。自由経済のもとで、しかも独禁法があれば、商組はじめ関係役員の方々の表に出ない大変な御苦労をお願いして、激しく抗議し、柔かく説得しても、阻止よりは協調していくのが大方の結果です。9月30日付市薬広報31号での友泉部会長合澤先生が「大型チェーン店出店騒動記」を書かれた気持十二分にわかります。同誌に提言されている西支部の「開業相談窓口」は一考すべきだと思います。

 薬剤師本来の保険薬局として調剤業務で十分生活出来るようになりたい。洗剤を売り、ビラを書き、ちり紙を店頭に並べて医師より雑局屋と皮肉られたくないと思いながら、それでも、月10数枚の処方箋には丁寧に服薬指導をし、たまに変った処方がくると備蓄薬局まで走って揃え、時には自宅まで届けているOTC薬局が多いのではないでしょうか。

 精神科、内科から肛門科まで、又、精神衛生から食事療法、健康器具から介護用品まで、それこそ赤ちゃんから老入までの市広い健康相談を受け、「お蔭様で」の一言にOTC薬局の生き甲斐を感じながらも、面分業具体化の動きを感じると医師側、患者側から信頼される応需対策の具体化にあれこれ思いをはせているこの頃です。

 日薬も薬剤師会である以上、製造,販売,調剤,勤務等々多岐に渡る薬剤師の経済問題も重視し、学術団体的考えから前進し、大胆なビジョンを出し、それを実現する方向を打ち出す時期ではないでしょうか。会費は出せ、食うのは白分で食えでは会員のメリットは感じられない。会費の効果的還元を望む。

 政治力をつけていく為には、石井先生始め会が推送する県市議の先生方の少なくとも議会開催中の行動をPRして頂ければ応援にも力が入るのではないか。お願いしますだけではダメだ。

 各県の市薬,県薬の横の情報交換をもっと強くすべきだ、調剤特別会費でも九州6県をみても1枚4円から23円まで差がありすぎる。「くすりと健康の週間」等のPR活動も情報交換し、それを末端会員まで徹底しないと上滑りの様な感じがする。

 DINKS(ダブル・インカム・ノー・キッズ)世代の考え方がアメリカより入って来た。即ち、夫婦共稼ぎで沢山の収入を確保し、多額の出産と育児・教育の苦労を伴う子供は産まず、レジャーや旅行等にその金をつぎこむのがナウイと考える世代を云うそうだ。その日その日が楽しく暮せれば明日は明日の風が吹くという刹那的快楽主義者ともいえる。

 業界誌に見た一文から思い巡らせば義務より権利主張の白己中心主義的風潮が強い時代になったものだ。子供は新人類になり、OLはバッテンOLになり、中年女性はオバタリアンになっていく。マンガでは面白いが、振り返ってみれば、しなければならない苦よりもしなくてもよい楽を選ぶ心の弱さに驚くゴマ塩DINKSも増えて来たようです。

 後継者のいないパパママ経営。従業員で苦労するよりは、今更店舗改装しても、という考えが増えてくるのを一日も早くと待っているのが、強力ドラッグチェーンではないでしょうか。家,土地売って退職金にするか。互に手をつないで生き残るか、薬剤師100年の悲願である分業が花開く日を一緒に眺められるか。ここ3〜5年で大きく業界は変るだろう。世代交替時期、業界様変り時期は目前に迫っている。今こそ日薬は時代の流れを見きわめ大胆な戦略と細心の戦術をたて、その指針を会員に示して欲しい。

 B調剤薬局の出店問題、その後おこったO薬局、S薬局のスーパー前出店阻止問題から石井選挙、会営薬局等々共通問題発生は、諾剤、OTC薬局又、時には地元薬種商の方も交じっての意見がとび交う井尻部会も昭和から平成への一年を経て晩秋から師走へそして平成2年をむかえようとしています。



 <学薬だより> 「福市学薬」発刊記

福岡市学校薬剤師会 理事 竹尾 禎二

 「福市学薬」とは、福岡市学校薬剤師会会報名で、毎学期(年3回)の発刊を目標に、本年九月に第一号が創刊されたばかりです。

 学薬(学校薬剤師の略)の会員の先生方は、すでに御承知のことですが、本誌の読者の中には初めて知った方も多いと思いますので、編集入の一人として、簡単に、発刊のいきさつ等を書いてみたいと思います。

 福岡市学薬は、現在、会員数102名、担当校247校、役員13名で運営されています。福岡市学薬の歴史は、創刊号「福市学薬」中の学薬回顧シリーズ@(馬出部会,柴田伊津郎先生文筆)によれば、昭和26年10月、筆者の柴田先生,礒田秀雄先生,友納英一先生の3名が、当時の小西福岡市長より、初めての福岡市学校薬剤師に任命されたとのことです。

 それ以後、多くの先生方の御努力により現在に至っている次第です。福岡市薬には、会報として、「市薬会報」、県薬に「県薬会報」があり、それぞれ、会員のコミュニケーションづくりに役立っております。福岡市学薬も、会員がすでに100名をこえていますので、会員相互のコミュニケーションをはかる目的で創刊されました。

 学薬の職務上、学校の学期に合わせ、学期初めに発刊し、その学期中の職務を確認します。又、学薬関係の研究会・講習会の内容も掲載して、少しでも日常の学薬活動に生かされる情報を提供したいと心掛けております。

 学校薬剤師というのは、福岡市の特別職の職員であり、その職務に対して、若干の報酬をもらっていますので、職務に対しては、責任をともなっています。学薬の活動範囲は、学校及び地域にも及びます。薬剤師として、日常の調剤や販売活動におけるお客様相手と異なり、学校の職員をはじめ、地域PTAの人達を相手に活動しますので、それなりの勉強も、必要となります。

 現在、地球規模の環境汚染が、いろいろと問題となっております。私達の身近かなところでも、公害や環境破壊,アルコール・タバコ・シンナー等による青少年健康障害も、学薬活動の中で、重要な検討課題となっています。これからも、時代とともに、新たな問題も生じてくるでしょうし、それに伴って、学薬の活動も変化すると思われますので、常に新しい情報を必要とします。

 このたびの「福市学薬」発刊も、この様な背景のもとに、生じたものであります。また、ページ数も少なく、内容も充分ではありませんが、これから少しでも、「役に立つ情報会報」を目指し、努力していきたいと思っております。



 <支部だより> 「博多区三師会ソフトボール大会」

博多区 冷川 襄

日時 平成元年10月22日(日)
場所 武田薬品工業兜ィ流センターグランド
当番 福岡市薬剤師会博多支部
幹事 鶴原 潔(十字堂薬局)

 準備が手間どり、予定より少し遅れて開会式を行い、福岡市歯科医師会加藤会長より、「20年程前迄、三師会でこのようなソフトボール大会が行われていたが、途絶えてしまった。こうしてここに開催されるのは大変喜ばしいことである」と挨拶された。

 組合せにより歯科医師会と薬剤師会との間でまず試合が開始された。歯科医師会の先攻で初回2点取られたがその裏すぐに2点取り返した。2回裏には9点3回に3点とリードを拡げ、4回表6点を返されたが、後は抑え結局8-16で勝つことができた。この試合レフトを守った中野先生の守備ぶりが非常に目立った。

 2試合目は医師会と歯科医師会の対決。初回は共に0点の締ったスベリ出しであったが、2回表に医師会が五点上げると、その裏歯科医師会は猛打爆発7点取ると、すかさず医師会も3回表に7点取り返すという打撃戦となった。結局6回表医師会が8点取って逆転、18-14で医師会勝利となった。

 ここで昼食の為休憩する。さて優勝かげて医師会との試合が開始される。しがし、医師会は初回3点、2回6点と着実な打線で点をとっていく。バットを振り回さず、センター前、レフト前とヒットの連打が続く。更にこちらの守備もしだいに崩れてくる。こちらも6点は返したが、27-6で大敗する。投攻守揃って及ばなかった。秋晴の天候に恵まれ、大いに三師会の親睦を深める意義深い催しであった。

 準備された鶴原先生、会場を使用させて頂いた武田薬品の方大変有難とうございました。来季は優勝杯をとれるよう頑張りましょう。

画像 図表


薬剤師会参加者
高杉,冷川,中野,田中,岸田,古囲,鶴原,渡辺,高岡,森川,重松,金子,瓦田



 <トピックス>

市薬 学術委員会

尿失禁への骨盤底筋訓練法の有用性

 成人女性の尿失禁は腹圧性尿失禁が一般的な形である。兆候は運動時に腹圧が上昇し排尿筋が収縮していない状況下で膀胱内圧が尿道閉鎖圧を越した時に不随意に尿が漏れることであり、その原因として、骨盤底支持組織の脆弱化が考えられる。治療法としてKiegel収縮運動を利用した骨盤底筋訓練法が有効であると報告してある。骨盤底筋訓練法とは、患者の右手示指と中指を腔内に挿入し、筋肉が正しく収縮しているかどうか確認し、〔収縮一弛緩〕を急速に行う方法と1回の収縮に3〜4秒かけて行う 両方のやり方が用いられている。

 治療効果の判定として、
@ トイレに行く×10回
A 病棟内歩行5分間
B 物を拾い上げる×10回
C 2つの砂袋を各8回持ち上げる×10回
D しゃがむ×10回
E 階段の上がり下がり×2回
F 腹筋を伸縮させる×10回
G 跳び上がり、跳び下がり×10回
H ジャンプをし咳をする×10回
I 突き落される間に咳をする×10回
 の10項ある。Kiegel運動を毎日一定時間繰り返し行った後、運動プログラムを用い、尿失禁の軽快度をみるものである。症状の発現から治療の開始までの時間が1年以内のものに有効であった。また、2病院に於ける治験の結果67%が本法のみで3カ月後には完全治癒か改善したと報告している。

 医学のあゆみ Vol.150 No.13 1989.9.23 蛇足:肛門活躍筋を収縮運動させても有効である 1日100回 食後、寝る前 4度に分けて行う。
 泌尿器科ドクターより

非ステロイド性抗炎症剤(NSAID)による高力リウム血症

 現在、非ステロイド性抗炎症剤(NSAID)が幅広く使用されているが、その作用機序により副作用として高K血症が惹起されることがあり、インドメタシン、ジクロフェナックNa、チアプロフェン酸に起因するとおもわれる高K血症の2症例が報告されている。 結論として次の事が挙げてある。

@ すべてのNSAIDsはprostaglandin産生抑制を介した renin-angiotensin-aldosteronaxisの抑制をきたし、その結果として高K 血症を惹起する可能性がある。
A 高K血症は、投薬後、数日目と早期に発症することもあれば、数カ月後に突然発症することもある。
B とくに、高齢者、腎障害を有する者、利尿剤、β−遮断薬、アンギオテンシ転換酵素阻害剤などを投与中の患者に発症しやすいので充分な注意が必要である。
C 以上、NSAID投与中の患者には常時血清K値に注意しなくてはならない。

 なお、高K血症を発症しだと報告されているNSAIDの種類にはインドメタシシン,イブプロフェン,ピロキシカム,ケトプロフェン, フルフェナム酸,スリリンダック,ジクロフェナックNa,チアプロフェン酸など多彩であり、理論的には現在発売されているすべてのNSAID に可能性がある。
 最新医学・44巻・10号



 <広 報> 「福岡市健康週間行事」

博多区健康フェスディバル

目時 10月28日(土)午前9時〜午後3時
場所 西部ガスパピヨン24 ガスホール
一日保健所長 東光校区自治会長 片淵二昭氏
出動者 阿波、荒巻、森川、山口、冷川、冨永、碓井、高杉、井上、藤田、鶴原、大賀博多駅前(山本、塙、高野、山村、谷口) 16名
来訪者 荒巻県薬会長
    加藤衛生局長
    神宮早良保健所長
    花田博多保健所長

 博多保健所のフェスティバル会場となったパピョン24の一階には荒巻薬局さんがあり、もちろん滋先生は一日出動。たりない物がある時はお店に取りにいったりして大忙がしでした。お父さまの県薬会長も痛む腰を無理して前傾10°の姿勢で来訪してくださいました。

 凖備されていた600 Kcal の中食を試食しましたら、牛乳,おにぎり1ケ,きびだんご2ケ,いわしのフライ1/3切れ,ごまあえ少々,フルーツ1切れと、かなり少なくて日頃の食事を反省しました。

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花田博多保健所長(左)を囲んで   展示物をご覧になる加藤衛生局長

中央区健康フェア'89

日時 10月13日(金)午前9時〜午後4時
場所 中央保健所
一日保健所長 中央区町世話人地区代表 及び自治連合会長の皆さん
出動者 松枝、国武 2名
来訪者 加藤衛生局長
    横田保健部長
    西岡中央保健所長
    166名

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来訪者に説明する国武先生

第5回南区市民健康フェア

南支部長 有田 俊雄

画像 日時  平成1年10月18日(水)9:00〜16:00
場所  南区保健所
出動者 有田、山口、織田、青谷

 健康フェアは市民の健康保持増進を図ることを目的として挙行されました。
 事業内容は、がん検診、フェアミニドック、ミニ講演(歯周病の予防、アレルギーと食事について)、模擬健康教室(運動指導、栄養指導)、大衆薬相談コーナー、試食コーナー、献血コーナー、がん細胞コーナー、栄養相談、健康度測定コー尤一と分かれ、我々薬剤師会南支部は四人で大衆薬相談コーナーを受持ちました。

 資料は市薬よりパネルや民間薬(げんのしょうこ、決明子、女貞子)、健康茶(ヨクイニン、クマザサ、決明子、玄米、クコ)の材料並びに漢方薬の原材料の標本を喪供して戴き、又テルモ株式会社より血圧相談コーナーを設けてもらいコーナーを盛り上げてもらいました。

 薬の相談は色々な方が見えられ、尋麻疹、喘息の薬草、便秘,生理不順,糖尿病,神経痛,頭痛,声帯の異状,毛髪の健康,ニキビ、慢性の尿路感染,不眠,薬草の効能等、色々な健康に関する相談を受け9時より16時迄またたく間に過ぎました。

 去年に比較して保健所の2階で催されたことから来場者は意外に多く、民間薬,健康茶の試飲コーナーはコップ約350杯、健康相談は37件、血圧測定者は83名とまずまずの来場者でした。

西区健康フェア

日時 10月13日(金)午前9時〜午後12時半
場所 西保健所 講議室
一日保健所長 今宿公民館 原口義美氏
出動者 吉田、中野、川添、岩穴口、坂牧、占部
来訪者 竹尾市薬副会長 有馬先生

城南区健康展

日時 10月19日(木)午前9時〜午後4時
場所 城南保健所
一日保健所長 城南区女性連絡協議会会長 川口道子さん
出動者 藤野、栗田、はくすい薬品(磯本)、松島、有馬、藤田、深江、合澤、前田
来訪者 200名

早艮区健康フェスティバル

日時 10月19日(木)午前9時〜午後4時
場所 早良区保健所
一日保健所長 久留米大学医学部名誉教授 脇坂順一氏
出動者 本村(精)、坂本、糸岐、西岡、青柳、波多江、清水、有馬、本村(敏)、占 部、南島、11名
来訪者 199名

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健康フェアの報告について

 各支部より報告書を出して戴きましたが、内容が同じなのと紙面の都合上、昨年は中央支部、今回は南支部のものだけを載せています。



 <広 報> 「お知らせ」

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 <広 報> 「1億20万円」

 大きな買い物をしました。シーサイドももち「コートハウス」

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 先日、写真を撮りに行った時のこと、ロープを張りめぐらした一角からガードマン氏が現われ、写真を撮ってはいけないと注意された。

 薬剤師会のものですけどと名のると「あーそうですか。どうぞ!」とやっと写させてもらったのがこれです。この「コートハウス」という建物は21世紀をうかがう設計だとかで、写真撮影はきびしくチェックされているのだそうです。

 ダイエーのツインドームも国立病院の予定地もまだ空地で、5年後のこの辺りの様子は想像もできませんが、今泉の市薬会館のように、いずれ市薬の大きな資産になるものと思われます。



 <研修会報告>

〔学術研修会〕

日 時 平成1年9月21日(木)午後6時30分
場 所 三和化学福岡メディカルホール
出席者数 91名
演題と講師
 「不整脈の病態と薬物療法」
  山之内製薬株式会社
   医薬部プロダクトマネージャー
   貫井慎二 先生

〔学術研修会〕

日 時 平成1年10月20日(金)午後6時30分
場 所 三和化学福岡メディカルホール
出席者数 80名
演題と講師
 「不整脈の病態とその治療」
   済生会福岡総合病院 内科部長
   土居壽孝 先生

〔漢万学術講演会〕

日 時 平成1年9月9日(土)午後3時
場 所 三鷹ホール
出席者数 88名
演題と講師
 「成人病から老人病の管理医療における漢方製剤」
  近畿大学東洋医学研究所
   第一研究部門 助教授
   谿忠人 先生

〔漢方学術講演会〕

日 時 平成1年10月7日(土)午後4時
場 所 三鷹ホール
出席者数 69名
演題と講師
 「消化器系疾患の管理医療における漢方製剤」
  近畿大学東洋医学研究所
   第一研究部門 助教授
   谿忠人 先生



 <薬草観察ハイキング>

日 時 平成元年10月15日(日)
場 所 東区志賀之島
主 催 福岡市衛生局保健予防課
協 賛 (社)福岡市薬剤師会
出南者 高倉副会長、松枝、冷順、篠畸、石井、国武、本村(精)、藤野、占部、青谷、柴田、大庭、末田、本村(敏)
臨時講師 正山九大薬学部助教授

 この行事も本年で4回目を迎えた。正山先生と当冷川は市役所より貸切バス2台にわかれて、市民と一諸に志賀之島に向う。他の会員の先生方は、市薬仮事務所からそれぞれ出発して頂く。バスは丁度10時に志賀海神社駐車場に着く。

 今回はRKBテレビの同行取材が予定されており、既に着いている。我々は班分け胆当と役割分担を確認する。1班…正山,松枝、2班…柴田,占部、3班…篠崎,石井、4班…大庭,本村精、5班…冷川,末田、薬草茶係…国武,藤野、名札回収…青谷、写真…本村敏。全員揃って、押領司保健予防課長と高倉副会長の挨拶、それから、各指導員紹介と簡単な注意事項を私から話す。

 7分毎に各班が出発して行く。道路にはいる手前にオオイタビが群生している。薬草ではないが、形態が面白いので簡単な説明を採り入れる。いよいよ当班も出発する。テレビ局の女性レポーターが同行してくる。

 登り始めると、予備調査で見つけていなかったキカラスウリが見つかる。前がつかえているので、とび入りの説明をいれる。ところが、キカラスウリの蔓の間からクコの枝が出ている。アレ、これも予備調査で見つげてなかったなぁと思っていると横から「これはクコでしょう」と声がかかる。しかたなく説明を加える。

 今回の参加者にはかなり詳しい市民もいるようだ。皆熱心で前の班もなかなか進めないでいる。説明の順序も、前回の調査で予定した順序と狂ってしまった。ムサシアブミ、アオツヅラフジ、ヨモギ、クズ、カキドオシ、クサギ等を説明していく。道路の左側にイラクサが見つかる。小さな針状のトゲがあり、これが刺さると非常に痛い。

 テレビカメラがクローズアップで撮影している。テレビ取材班よりいろいろと注文がはいり、思うように進めない。最初は同行せずに下で待っていると言われた高倉先生も追いついてこられた。ゲンノショウコが沢山ある所で、テレビの取材ロケーションとなる阜国賦先生,藤野先生より、女性レポーターにゲンノショウコの煎じ薬を試飲してもらう。

 参加市民へのインタビューや試飲も行われる。福大薬学部3年の女性3人もこの班に参加していた。後輩を見つけた国武先生、帰路は一緒に話し込んでいられた。末田先生はテレビカメラを避けて離れてしまわれ、一人でレポーターに鯖応する。

 時間を予定以上食ってしまったので、折返し予定地よりも手前で折返す。予備調査で見っけていたサネカズラの実やカラスウリの実が見つからない。 9月10日に沢山取れたキクラゲも今日はない。下りてきて神社の境内にはいる。オオバコが群生しているので、ここでテレビレポーターにオオバコの煎じ液を試飲してもらう。

 今度は藤野先生が逃げていかれる。国武先生にタレントを演じて頂く。参道に下りて昼食をとる。これで一応我々の役割も終りである。昼食を終りホッとしていると、テレビ取材班がやってきて、これからドクダミの試飲を撮影するとのこと。国武先生と一緒に境内に上って行く。ついでコフキサルノコシカケの説明も入れる。

 市役所のハンドマイクで招集がかかっているが、テレビの方は全く意に関せずである。国武先生の手慣れた応答を収録してやっと終わる。この後、勝馬の方に回り、芋掘りに参加し、勝馬で貸切バスの市民の方達と別れる。国民休暇村で記念写真を撮って散会する。

 今年のこの会は、参加市民も熱心な方が多く、非常に盛会であった。天候も暑くなく寒くなく絶好のハイキング日よりであった。なおこの日のもようは、10月21日午後6時50分、RKBテレビ面白情報ランドで放映される。
(報告担当 冷川襄)

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ハイキングを兼ねて薬用植物の
      観察をする参加者    参加者の前であいさつされる高倉副会長

〔薬草観察予備調査〕

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日 時 9月10日 午前9時
場 所 志賀之島
出席者 県薬務課 江口、平田
市保健予防課 行徳、土田
九大薬学部 正山助教授
松枝、冷川、本村、青谷、篠崎、柴田、占部、大庭、未田、本村(敏)、根津、上松

写真「アカネ」

4回もの準備!

 この薬草観察ハイキングを成功されるため薬局委員の先生方は、立花山、志賀の島2回、そして北九州市の皿倉山見学と合計4回の準備をなさっています。冷川先生の報告のなかにあるように薬草は生きています。志賀の島へはこの行事一週間前、小雨の降るなか最終チェックをされていたのに「それでも当日はハプニングがあってとまどいました」とのこと、本当に本当にご苦労さまでした。



 <ダメ。ゼッタイ!>

−第9回福岡県覚せい剤・シンナー禍 絶減県民大会−

 10月17日午後1時より、福岡市民会館に於いて上記の大会が催された。

 熊谷県衛生部長の開会のことばに次いで奥田知事、樋口県警本部長、桑原市長の挨拶があり、「ストレス時代を前向きに」−薬やアルコールに逃避しないで−という講演があり、最後に次期開催地である直方市長のあいさつで大会は終了。

 その後市民会館より天神交差点経由で県庁跡地までバレードが行われました。写真の横幕ののぼりを先頭に私たち薬剤師会は、福岡女子商業のバトン部、県警の音楽隊の後、ライオンズクラブのつぎのグループで、医師会,歯科医師会と一緒です。

 参加者は「追い出せ、締め出せ覚せい剤」とか、「手を出すな、甘い言棄と白い粉」と書かれたたすきを肩にかげて、最短コースで歩けば10分のところを30分ぐらいかげてパレードしました。(市薬参加者60名)

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「手を出すな.甘い言葉と白い粉」のたすきをかけた古賀会長,藤原専務,松枝先生 (写真右)



 <第10回 市薬ソフトボール大会>

−西支部 10年振りの優勝!!−

組織委員長 戸田昭洋

 第10回大会は、9月18日が球場コンディション不良の為11月5日に順延され、武田薬品物流センターグランドで幕をあけた。

 高杉先生の司会で開会式が行われ、昨年優勝の勤務部会篠崎先生の選手宣誓の後、Aパート古賀会長、Bパート藤原専務の始球式で9時30分熱戦の火ぶたが切られた。

画像 Aパート     Bパート
勤務 8- 6博多  東 18-4中央
勤務16-11南    西 9-5東
博多37- 2南    西 18-5中央

3位決定戦
博多12-6東
8試合の合計ホームラン数 43

「2イニングスで博多支部に27点を献上し
それでもモクモクと投げ続ける戸田投手」

画像 優勝決定戦メンバー
西支部
(3)板谷(サツマ)   3江頭(友愛調剤)
(7)大谷(大谷)     8)山本(クリーン)
(1)辛島(サツマ)   (2)北村(サツマ)
(6)川添(川添)    (5)宮崎(サツマ)
(4)小田(次郎丸)   4新井(野芥)
(9)清水(たつみ)   9浦本(アップル)

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勤務部会
(5)木下(福大)    (9)井口(福大)
(1)松田(福大)    (2)四宮(逓信)
(7)平坂(博多保健所) (8)高瀬(福大)
(4)篠崎(市民)    (6)長谷川(市民)
(3)安河内(こども)   中尾(市民)

「嬉しそうな西支部の徴りない面々」

「解説」
 西のバッテリーが攻守に活躍しての勝利。特に4回からリリーフした北村が、強力勤務打線を零点におさえたのが光り、辛島の6回にはなった本塁打が決勝点となった。 勤務部会の左翼手で5番打者のご主人の健闘をじっと観戦されていた清楚な平坂婦人の姿が印象的だった。

 最後に日曜日というのに早朝から準備をして戴いた縄織委員、勤務部会、武田薬品、市薬事務職員の皆様に心より感謝申し上げます。



 <おめでとうございます>

●厚生大臣表彰

 平成元年10月17日
福岡県学校保健会長表彰
 平成元年10月30日
 竹尾 啓二 先生
(社)福岡市薬剤師会 副会長
(社)福岡県薬剤師会 常務理事

御礼のことば

 この度、はからずも厚生大臣賞受賞の栄誉に浴しました。平成元年10月17日厚生省講堂にて厚生省事務次官から表彰授与されました。とても感激し此の上もない光栄の至りと喜んでおります。このことはひとえに先輩、同輩、復輩の先生方の永年に亘る御指導、御厚情の賜と心から深く感謝致します。今後は微力ではございますが薬剤師職能の向上と社会に奉仕して参りたいと考えております。今後共御鞭撻のほどお願い申し上げます。

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●九州山口薬学会長表彰

 平成元年10月14日
 古賀 隆 先生
(社)福岡市薬剤師会 会長
(社)福岡県薬剤師会 副会長

 九山学会の壇上緊張した面持ちで荒巻九州山口薬学会長より表彰状を受けられる古賀会長(写真)

●福岡県知事表彰

 〔薬事功労者表彰〕
 平成元年10月20日
 成澤 哲夫 先生
  (社)福岡市薬剤師会 理事

●福岡県知事表彰

 〔公衆衛生事業功労者表彰〕
 平成元年11月2日
 三津家 正友 先生
  (社)福岡市薬剤師会 常務理事
  福岡市学校薬剤師会 監事



 <会 議 報 告>

〔第7回理事会〕

日 時 平成1年9月25日(月)午後7時
場 所 市薬仮事務所
出席者 古賀会長、竹尾,高倉,長谷川各副会長、藤原専務、三津家,戸田,松枝,正岡,篠崎各常務、木原,高杉,南島,冷川,城戸,小野,藤田,成澤,市花各理事、日高監事

1. 会長挨拶
 地域医療計画については、福岡県は遅れていて、現在県の案の中にはOTCの文言が含まれていないので、薬種商、一般販売業を除いて薬局だけを、その中に含めるよう薬務課に要望を出した。
 会営薬局については9月27Hに本契約を行い、借入れの利息は4.85%と最低利率で借れるようになった。

2. 会務報告 藤原専務理事
@ 8月25日「医誠会」の案内があり、古賀会長は荒巻県薬会長と一緒に出席
A 「第9回福岡県覚せい剤、シンナー禍絶滅県民大会」の開催について、今回は福岡市であるので出動方要請が県薬務課より有り市薬としては100名の予定である。
B 新薬研修会について
  日 時 9月12日
  場 所 県薬会館
C 水質汚濁防止法等の一部改正に伴う説明会 坪根試験センター委員長出席、9月19日於市役所
D 国体医事衛生協議会、古賀会長出席
E よかトピア健康いきいきドーム閉団式、9月23日 ソラリアプラザ

3. 委員会報告

4. 協議事項
@ 「第9回福岡県覚せい剤、シンナー絶滅県民大会」協賛について、出動者100名については、各支部毎に割りあて人数を検討する。
A 組識第2委員会の編成について、市薬組織第2委員会は、新委員により構成する。
 新委員長 南島敏彦
 委員 吉田 斌
 〃  合澤英夫
B 会営薬局について
 購入後5ケ年間は利息のみ支払う

〔第8回理事会〕

日 時 平成1年10月18日(水)午後7時
場 所 市薬仮事務所
出席者 古賀会長、竹尾、高倉、長谷川各副会長、藤原専務、三津家,戸田、柩枝,坪根,正岡、篠崎各常務、木原、高杉、南島、冷川、小野、藤田、成澤各理事、日高監事

1. 会長挨拶
 早いもので医薬品試験の厚生大臣指定を受けて丁度一年になります。新会館の建設も予定通り進行しており、会営薬局の譲渡手続きも完了しました。
 各種行事が続きましたが、ご協力ありがとうございました。

2. 会務報告
@ 新薬研修会の開催について
  日 時 10月17日(火)
  場 所 県薬会館
A 県衛生部より薬事功労者県知事表彰被表彰者の決定通知あり、成澤哲夫先生
B 第55回九州山口薬学大会、10月14〜15日 於鹿児島市
C 薬と健康の週間(17〜19日)
D 「薬草観察ハイキング」開催について
日 時 10月15日
場 所 志賀の島
E 覚せい剤とシンナー禍絶滅県民大会、10月17日(火)午後1時、於 市民会館、出席者 約60名
F 福岡市内科医会ブロック研修会について
  日 時 10月12日 午後7時
  場 所 「城山」
  演題と講師
1) 医師サイドからみた「医薬分業」
  赤染若松区医師会長
2) 高血圧について
  荒川福大医学部教授
 上記の研修会に内科医会から御案内があり古賀会長と社保担当の正岡,小野,藤田各理事が出席した。

3. 委員会報告

4. 協議事項
@ 会館竣工式について
  日 時 11月20H 午前11時
  場 所 新会館会議室(2階)
  出席者 理事、監事、顧問、学薬、久保田議員、八千代建設、石橋建築事務所  上記竣工式については、薬剤師会で取り行わなければならないので司会その他藤原専務が担当する。
 なお午後は会館引っ越しを行うので役員は作業を助勢する。
A 会館落成祝賀会について
  日 時 12月16日(土)12時
  場 所 市薬会館4F講堂
  招待者 約100名
 祝賀式次第および業務分担について詳細に亘って検討

〔三役会〕

日 時 平成1年10月6日(金)午後2時
場 所 市薬仮事務所
出席者 古賀会長、竹尾、高倉、長谷川各副会長、藤原専務理事、三津家常務理事
 市薬会館の竣工式および落成祝賀会の日程について協議



 <委 員 会 報 告>

〔組織委員会〕

日 時 平成1年10月25日(水)午後7時
場 所 市薬仮事務所
出席者 竹尾副会長、戸田常務、高杉、南島各理事、松井,戸田(重)、占部,深見,合澤,森川各委員
1. ソフトボール大会の準備の件
 前回通りとする
2. B会員の件
 B会員、なかでもその他と称するB会員の処遇について
3. A会員証(各店舗に一枚)及びB会員証を作り、生涯教育等に対応する

〔社保委員会〕

日 時 平成1年9月4日(月)午後1時
場 所 市薬仮事務所
出席者 正岡常務、藤田,小野各理事、清水、岩穴口、大庭、平島、鶴原、藤野、川畑各委員
1. 内科医会との各支部毎の会合報告
2. 県薬会報9月号、荒巻会長の「面分業の展開」を受けて、市薬独白のアンケート調査を実施する。その内容について検討。
3. ファックス及びコンピューター設置に関する価格及びその利用法をさぐる。(藤田理事)

日 時 平成1年10月4日(水)午後1時
場 所 市薬仮事務所
出席者 正岡常務、藤田、小野各理事、清水、岩穴口、大庭、平島、鶴原、藤野、川畑各委員
1. 医薬分業アンケートの回収について
 未提出の薬局には、全て電話でお願いしたが、それでも回収率63.5%であった。
2. 備蓄リスト追補版作成

〔薬局委員会〕

日 時 平成1年9月5日 午後7時
場 所 市薬仮事務所
出席者 竹尾副会長、松枝常務、冷川理事、篠崎、石井、藤野、本村、青谷各委員
1. 薬草観察ハイキングについて
 前回行った「立花山」が良くなかったので、9月10日、志賀の島で再度予備調査を実施する。
2. 健康フェアの準備について
 薬草標本の購入について理事会の了承を得るために見積をとる。(69,630円)
3. ツムラ学術講演会
  日 時 9月9日(土)午後3時
  場 所 三鷹ホール7F
4. 福岡県薬と健康の週間行事に出動者の割り当てを行う。
  日時 平成1年10月5日(木)午後7時
  場 所 市薬仮事務所
出席者 松枝常務、冷川理事、篠崎、石井、藤野、本村、占部、青谷各委員、 市衛生局 土田
1. 薬草観察ハイキングについて
 10月15日、志賀の島神社より火陥塚までの往復で実施する。再度予備調査10月8日
2. 各区健康フェアについて
 アンケート原案の作成

日 時 平成1年10月12日(木)午後7時
場 所 市薬仮事務所
出席者 冷川理事、篠崎、石井、本村、占部、青谷各委員
1. 薬草観察ハイキングのための手引書を作成「志賀島の薬草」25冊
2. 10月15日の班分け及び最終打ち合せ

〔学術委員会〕

日 時 平成1年9月11日(月)午後6時30分
場 所 市薬仮事務所
出席者 長谷川副会長、篠崎常務、市花、成澤各理事、山田、車田、中島、久池井各委員
1. 9月21日の学術研修会について
 当日の役割分担について詳細な打ち合せ
2. 10月の学術研修会の予定
3. 11月及び2.3月の研修会の予定を協議

日 時 平成1年10月12(木)午後6時30分
場 所 市薬仮事務所
出席者 長谷川副会長、篠崎常務、成澤、市花各理事、山田、車田、中島、久池井各委員
1. 10月20日の学術研修会の確認と役割分担
2. 11月の学術研修会の予定内容協議
3. 新会館こけら落としの特別講演について

〔急患委員会〕

日 時 平成1年10月5日(木)午後6時
場 所 市薬仮事務所
出席者 成澤、市花各理事、小松、深見、打越、竹尾、馬場、北島各委員
1. 年末年始急患センター出動表準備
2. 出動者の移動について
3. 新規出動者説明会の報告
 9月30日(土)
 新井光男、中嶋京子、端野米幸
4. 九山学会
 急患センター連絡協議会について

〔広報部会〕

日 時 平成1年10月6日(金)午後7時
場 所 市薬仮事務所
出席者 藤原専務、木原、城戸各理事、北島委員
1. 市薬会報9月号の反省および11月号の編集について
2. 新年号を新会館落成記念号にする件について

〔持ち出し薬局委員会〕

志賀之島二次調査

日 時 平成元年10月8日(日)
出席者 松枝、冷川、国武、青谷、本村(精)、本村(敏)、木原

 前回の予備調査(9月10日)から本番(10月15日)迄一寸期間があるのと、市役所からコース変更要請があったので、本日の二次調査を行った。朝、雨がだんだん激しくなったが、9時市薬を出発する。

 10月15日は九山薬学大会と重なっているので、広報担当の木原先生が取材できないので、今回木原先生に薬局委員会の活動を取材して頂くため参加願った。

 神社下から火陥塚までを調査する。やはり前回開花中だった薬草は殆んど花が終わっている。花の場所が変っているので、前回の調査で決めた順番を変更する。前回花が無かったナワシログミは今回開花していた。

 本番で説明する順番を次のように決定した。

 @ムサシアブミ,Aヨモギ,Hイノコズチ,Cヤブラン,Dカキドオシ,Eヤマノイモ,Fクズ,Eツユクサ,Hアカメガシワ,Lクワ,Jナワシログミ,Kノイバラ,Lガガイモ,Sキンミズヒキ,Nカニクサ,Oアオツヅラフジ,Pセンニンソウ,Lツワブキ,Rシソ,Sカキ,21.メハジキ,22.イヌホオズキ,23.アカネ,24.アケビ,25.オナモ,26.サネカズラ,27.ヤブジラミ,28.ゲンノショウコ,29.ヨウシュヤマゴボウ,30.タラノキ,31.スイカズラ,32.オオバコ,33.ヒヨドリジョウゴ,34.ドクダミ,35.コフキサルノコシカケ,36.ヤマモモ。
(文 冷川襄)

写真の説明

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・ 後列右から二人目青谷先生です。南薬会報9月号に「ヘルスピア」の報告を書いて下さった先生を違った人を紹介してしまって、先生の奥さまのヒンシュクをかってしまいました。お詫びして訂正します。

・ 後列右はしの美人は、本村先生(後列左)の奥さまです。ご夫婦で参加して下さる薬局委員会うらやましく思いました。



 <会 員 の 移 動>

新入会者

図
図


 <会 務 日 誌>

9月4日 社保委員会 13:00
  5日 薬局委員会 19:00
  7日 商組福岡ブロック研修会 13:30県薬会館
  9日 漢方学術講演会 15:00三鷹ホール
  11日 学術委員会 18:30
  12日 国体医事衛生協議会 14:00 県庁(古賀)
  〃  新薬研修会 19:00
  14日 県薬分業推進協議会 13:00(小野)
  18日 中央区内科医会との懇談会 19:00てらおか(藤原)
  19日 水質汚濁防止法説明会 10:00県庁(坪根)
  21日 学術委員会 18:30
  22日 よかトピア「健康いきいきドーム」解団式 16:00ソラリアホテル
     (竹尾、藤原、松枝、城戸)
  25日 市民生局長渡辺家葬儀 13:00(古賀)
  〃  第7回理事・監事会 19:00
  27日 シーサイドももち「コートハウス」契約 14:00ももち
     (高倉、藤原、三津家、堀家、二宮)
  29日 市薬勤務部会例会 18:30
10月2日 住宅供給公社訪問 10:00(古賀、三津家)
  4日 友杉淳治氏の叙勲受章を祝う会 11:00ホテル日航(古賀、藤原)
  〃  社保委員会 13:00(古賀、藤原)
  5日 急患委員会 18:00
  〃  薬局委員会 19:00
  6日 三役会 14:00
  〃  商組福岡ブロック研修会 13:30県薬会館
  7日 薬誠会世話人会 18:00(古賀)
  〃  漢方学術講演会 16:00三鷹ホール
  8日 薬草観察事前二次調査 志賀島 薬局委員
  12日 健康自慢大会 13:00市役所(古賀)
  〃  学術委員会 18:30
  〃  薬局委員会 19:00
  〃  福岡市内科医会ブロック研修会 19:00(古賀、正岡、小野、藤田)
  13日 中央区健康フェア
  〃  西区健康フェア
  14日〜15日 第55回九州山口薬学大会 鹿児島
  15日 薬草観察会(高倉)
  17日 覚せい剤・シンナー禍絶滅県民大会 13:00市民会館(会員多数)
  17日〜19日 薬と健康の週間薬草展(天神地下街イベントコーナー)
  17日 新薬研修会 19:00
  18日 南区市民健康フェア   〃  第8回理事・監事会 19:00
  19日 早良区健康フェスティバル
  20日 学術研修会 18:30
  25日 計量協会理事会 11:00(古賀)
  〃  組織委員会 19:00
  27日 新会館建設最終検査 10:00(古賀、藤原、三津家、藤野)
  〃  市薬勤務部会例会 18:30
  28日 日本東洋医学会九州支部総会 19:00ホテル日航(古賀)



 <川  柳>

図


 <編 集 後 記>

・ 今秋は温かくて、11月に順延されたソフトボール大会は心配された寒さもなく本当に良かったのですが、店頭での風邪薬の動きが悪く心配していましたが、11月も半ばを過ぎようやく冷え込んできまして、期待できそうな気配です。

・ 10月は「健康週間行事」が目じろ押しで、薬局委員、支部長先生をはじめ、出動して下さった大勢の先生方、本当にご苦労さまでした。

・ 分業問題は、まだ表面だっては何も表われておりませんが、国立病院や内科医会との話し合い、そしてファックスの斡旋等、一歩一歩着実に進められています。 私もこの仕事をするようになってファックスが欲しいと思っておりましたが、機械音痴の情けなさ、何を買ってよいのやら解かりませんでしたので、今回のファックスの紹介、本当に助かります。

・ 「施主、古賀隆殿、今のお気持は如何ですか」とマイクを向けてみたくなるような、今日の竣工式です。「工事の進行状況を毎日見に行っております」とおっしゃっていた古賀先生。会長ならずとも市薬新会館の立派なことは感動的です。 タクシーに乗る時、今迄は「フクニチ新聞の前だの、河合塾のところだの」と言っていたのですが、今度からは「福岡市薬剤師会まで」と言っても良く解かるほど目立っています。もしかしなくても県薬会館よりも立派なのじゃないかしら……。

・ 今泉に住んでいる人に聞いたところ、西鉄大牟田線が高架になったら、福岡駅が現在よりももっと今泉側にできるんだそうです。そうなったら市薬会館は本当に便利な場所になり、固定資産税もはね上がりそうですね。

(木原)

平成元年11月30日発行(隔月年6回発行)
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
TEL 092-714-4416
発行人 古賀  隆
編集人 木原三千代
印刷所 給サ英社印刷