会報第30号 平成元年7月31日
 ■ 巻 頭 言

 ◆生 き 残 る た め に

(社)福岡市薬剤師会 専務理事 藤 原 良 春

 6月25日の県薬臨時代議員会において、北九州ブロック代表質問者石田代議員は次の様な質問をし会長の見解を質した。

 医薬分業は薬剤師にとって非常に重要な課題である。常に会長は「調剤薬局でなければ薬剤師にあらず」との考えかおる様だが、県薬会員の70%はOTC会員であって、その会費収入で県薬は成立している。現在調剤薬局の大部分はマンツーマン方式である。それを否定はしないが、戦後分業を目指して会員は多大の特別会費を拠出してきたし、その念願は面分業であったが会員の大部分は報われていない。もっとOTCにも充分な目を向け、その対策を考えるべきではないか。

 これに対し荒巻会長は次の様に答えている。過去3回県薬会報に書いているが、総てOTC薬局を念頭におき今後の生き残り策としてどう対処しなければならないかという事を述べている。決してOTC薬局を軽視しているわけではない。

 医薬品というのは本来消費の拡大を求められる物ではなく、時代の流れは流通の近代化にある。この流通の近代化の流れというのは、物を扱う者を淘汰していくという事でありOTC薬局も例外ではない。その中で生き残るには「医療」に参加していく以外にないわけで、従って会の目的、事業は総てこの点に集中していきたい。医療への参加、つまり「医薬分業」を進めるためには生涯教育、薬事情報活動、そして政治力が必要であると述べられている。

 正論であるし同感であるが、処方せんを応需したくても種々の理由でできない薬局が多く存在するのも事実である。それを救う対策は何もないのであろうか。

 一方日薬では「モデル薬局認定制度」を発足させようとその基準作りを進めている。どの様な基準で認定するのかまだ明らかではないが、地域医療計画への参加を目指してのものであろう。薬局と薬種商の区別を明確にするためにも結構なことである。

 いずれも面分業を志向しているわけであるが、組織がしっかりしていなければ進まない。会として、又会員が面分業を進めた結果それがある程度進めば、必ず分業屋や大型店が最も立地の良い所に突然進出してくるということが起きるであろう。

 現在OTCの分野で生じている様に、生き残りを求めて分業に努力した零細会員は、 資本力によって又も淘汰されていく事になる。従って医療に参加する努力は勿論として、 適正な保険薬局数を地域医療計画の中に盛り込む等、法的な環境整備も必要である。 同時に、モデル薬局の認定を行うのであるならば、雑貨屋かスーパ一か判らないような ものは排除し、医療機関にふさわしい薬局にする様薬事法の改正にも着手しなければならない。

 大半の薬局が疲弊している今日、経済的メリットを与える最も効果的な対策は、一定のOTC薬を保険に適用させることである。これは医療費の軽減にもつながる。 分業の先進県福岡から、諸々対策の[のろし]を上げようではないか。戦後、分業法の 改正等政治活動において、日薬をりードした歴史が福岡にはあるのだから。



 <特別寄稿> 「韓国ソウル、釜山直轄特別市訪問の記」

福岡市薬剤師会顧問 福岡市議会議員 久保田 秀己

 不肖私は只今催されて居りますアジア太平洋博覧会を成功させる為に、市議会議員全員で結成して居ります促進協議会の会長を務めて居ります。

 この博覧会を催す大きな目的の一つは、鴻臚館時代のような海に大きく聞かれたアジア大平洋の中核郡市づくりにあります。

 博覧会の入場者はほぼ順調に道んで居ります。その内外国人の入場者は下記の通りであります。

5月24日現在   韓国    15.618人
         台湾     2.229人
         東南アジア  1.651人
         アメリカ    884人
      ニュージーランド・オーストラリア 485人
         その他    1.102人
           計   21.969人

 そこで私達は、隣国韓国からの観光団の誘致を積極的に行う可きだとの観点から、6月1日から同4日までソウル、釜山両市を訪問したのであります。

 ソウル市では尹伯栄副市長、韓国観光公社趙英吉社長、博覧会に出展して居る大韓貿易振興公社韓相?市場開発本部長と釜山市では朴富賛副市長、成海騏釜山商工会議所副会長と懇談要請したのであります。

     写真
「ソウル副市長尹伯栄(中央)との会談」

 幸い韓国では最近とかれた海外渡航許可の為一種の海外旅行ブームがあり、最終的には約七万人程度の観光団を送り込みたいとの意気ごみを示して頂き、感謝し帰福した次第であります。

 その行程は殆んどが行きは航空機のチャーター便で福岡空港に到着、博覧会を見学し長崎、阿蘇、別府等を廻り、帰りの航空便は殆んど取れないので、下関から関釜連絡船にて‐泊釜山に帰国するとの事です。

 韓国はソウルオリンピックが終了すると徐々に景気が後退しはじめるのではないかとの見方がありますが、ソウル市(人口約1、100万人)釜山市(人ロ約360万人)を見る限り、まだまだ追つけ追越せとの意欲が旺盛であることが感じ取られました。我々は繁栄に押されることなく常に努力しなければならないと考えます。



 <特別寄稿> 「市薬会報に寄せて」

早良保健所 所長 神宮 純江

 市政100年を記念しての「よかトピア」も残す所2ヶ月となりました。会場を所管する当保健所は何かと気持の落ちつかぬ日々を過しております。開催前は海外37ケ国の参加、 180にのぼる飲食店等の出店に備え、保健所として食品衛生対策と防疫対策の両面より準 備をしてまいりました。

 開催まもない頃、食品に対する苦情など小さなトラブルが数件ありましたが、出店業者への健康管理、食品の監視指導、衛生教育などによりまして、又業者の協力もありまして現在までの所、大きな問題の発生も無く過ぎて参りました。残された期間は夏場の衛生上一番油断のならない季節でありますので、監視員一同気持を引きしめて夜間9時までの勤務体制で頑張っております。恙無く終りますことを願っております。

 所で「よかトピア」へお出掛けになられましたか。「テーマ館」を初め、三師会主催の健康いきいきドームなど素晴らしいパビリオン29館もあります。是非お出掛け下さい。

 さて、保健所の活動も高齢化、情報化社会を反映して、徐々にではありますが、活動の主力とするものが変化しつつあります。

@ 生涯を通しての健康作り、健康管理、健康教育
A 保健衛生面の情報システム作り
 (全国レペルで結核、感染症サーベランス情報が得られるシステムが動いております)
B 地域での保健衛生組織活動の育成
C 医療、保健、福祉機関の連携の強化
D 精神障害者への社会復帰活動の促進と心の健康作り
 など従来の保健所活動に加わって参りました。

 私の約10年の保健所での経験から考えてみますと、保健所と薬剤師会との直接の交流は本庁と薬剤師会ほど多くはなかったように思われます。ここ数年、早良区健康作り事業を通じ、予防課では健康フェスティバルヘの御参加をいただくようになりました。数名の薬剤師の方々が医薬品などの展示と薬の相談にフェスティバルの一日を保健所の中で、活躍をしていただいております。衛生課では簡易専用水道検査などに御協力をいただき、少しづつ繋がりが増えてまいっております。

 今回「市薬会報」に書く機会を得ましたので、保健所活動と薬剤師会との交流を広げられることはなかろうかと、自分なりに考えてみました。会員の方々の薬学への深い知識、と技術を保健所活動のどの辺りに御協力をいただけるか。予防課では老人保健法に基づく事業の中に「老人の薬の相互作用など」を含めて薬に関する健康教育へ参加していただくとか、衛生課では往環境変化に付随して多くなった害虫相談など保健所との接点を広げる身近な事柄に思えます。

 今後保健所が地域保健のオルガナイザ一的な機能を持たされていく時期には、薬剤師会を初め各種団体との協力を密にして、衛生活動の展開が益々必要になってくると思われます。



 <特別寄稿> 「ようこそ 健康いきいきドームヘ」

健康いきいきドーム館長 兜汢ェ玉屋常務取締役 田中丸 善彦

 「皆さんこんにちは、健康いきいきドームヘようこそお越しいただきました。 この、健康いきいきドームでは健康をテーマに、健康の大切さ、いきいきとした暮しのあり方を皆様に明るく楽しく提案いたします…。」海岸の埋立地の会場であるだけに、想像以上の強い風に髪をなびかせながら、雨の日も風の日も、コンパニオンの元気な明るい声が聞えて来ます。

 アジア太平洋博覧会一福岡189 通称「よかトピ了」も、6月末で106日を経過し、 総入場者数は、3、669、953人、客席数が僅か100席のパソコン大型アニメーション劇場を 擁するいきいきドームでは、当初、総入場者の10%のご・来場を目指していましたが、6月末で370、000人を越して只今目標突破中です。

 毎日2、500人から多い日には10、000人のお客様を受け入れるのですからコンパニオンの皆さんの緊張も大変なものです。多くの他のパビリオンと比較すると12名というのは一番少ない方ですが、その活躍振りについては会場内でも話顛になる程です。

 先日、ある老夫娼からこんな話が寄せられました。「5月中端頃、二人で各パビリオンを廻り、お土産を手にして丁度いきいきドームの前に差し掛ったときに、どうした訳か買物袋の紐が切れて中の品物が道路にこぼれてしまいました。あっ!と思った瞬間に表で案内をしていた二人のコンパニオンが同時に動いて、一人は私達の方に駆け寄って“大丈夫ですか?“と落ちた品物を拾ってくれました。もう一人の方は、さっと館内に消えたかと思うと玉屋のビニールバックを持って来て、落とした品物を詰め換えてくれました。

写真 「田中丸館長(左)とコンパニオンリーダーの吉田さん」

 その時のニ人の動作の機敏さと、適切な処置に感心してしまいました。本当に良い教育をなさっているのだなとニ人だまっておれずにお礼を申し上げます。」と言うことでした。大変手前みそで恐縮ですが、これは、いきいきドームコンパニオンに対する評判のほんの一例です。

 ご来場下さる大勢のお客様を分け隔てなく明るい笑顔でお迎えし、満足してお帰りいただく為にはどうしたら良いか、二交替制のコン八二オン達と毎日それぞれ朝夕2回づつ、長時間のミーティングでサービス向上につとめているのは、リーダーの吉田知愛己(チエミ)さんです。若さ溢れる12名のコンパニオンの良きリーダーであり、お姉さん役の吉田さんは、実は表に出ない縁の下の力持ち、客席からは見えない舞台裏の監督さんの役目ですがいつも笑顔を絶やさない、しっかりものの若い美人です。

 健康いきいきドームでは、ご来場のお客様に楽しさ、快適さを味わっていただくために、映像の調子は?空調の具合は?と多勢の職員が毎日真剣に努力しています。残された会期は2ヶ月間、特に夏休みという大きな山場を迎え、連日夜9時までの長時間営業となる為に、全員更に緊張を深めているところです。

 会員の皆様の中には未だ博覧会にお出掛けで無い方も多いと思います。広い会場には新しい人々との触れ合いや発見があることでしょう。一日、時間を開けて皆様お揃い で会場へお越し下さい。そして、健康いきいきドームを是非お訪ね下さい。12名の元気なコンパニオンが笑顔で皆様をお迎えするでしょう。その時には、爽やかな笑顔の後に吉田さんや大勢のスタッフが皆様の健康いきいきドームを素適なパビリオンにするために一生懸命頑張っていることを想い出して下さい。

ヘルスピアへのご招待!

 日時 8月6日(日)16:30〜19:00    場所 よかトピア九州館

 今回「特別寄稿」に久保田市議、神宮早良保健所長、田中元館長と皆さん揃って、よかトピア成功に向けての原稿をお寄せくださいました。特にこのイベントを知っていてお願いしたわけではないのですが、実にタイミンダよく福岡市衛生局で、上記のように「ヘルスピア」が企画されました。

 ご紹待とは書きましたが、入場券はお買いもとめの上お越し下さいませ。市薬薬局薬局委員会で冷え冷えの健康茶を用意してお待ち申し上げます。



 <特別寄稿> 「医療制度の変革のとき薬剤師の立場で思うこと」

第一製薬兜汢ェ支店 支店長 伊勢谷 篤弘

 「子宮を返してjと患者が病院に押しかけた所沢市富士見産婦人科病院事件がきっかけとなり、医療法人に対する監督強化や、医療供給体制の整備を求める声が強くなり、昭和58年3月第一次医療法改正案が国会に提出され、2年後の昭和60年12月に成立致しました。

 各都道府県毎の地域医療計画の策定と医療法人運営の適正化、指導体制の整備が第一次医療法改正の骨子であり、地域医療計画については医療圈の設定と必要病床数の決定を中心に全都道府県が提出を完了しました。

 今後は、今までのような病院の規模の拡大による医療機関の成長は制限され、機能やサービスなど質の向上が求められる時代が到来しようとしています。既に医療機関では体質改善の為、従来の「ほどこす医療」から「患者本位の医療」へ医療のサービス化をめざした改善策が推進されています。このような状況の中で、薬剤師の立場で時代の流れを積極的に受けとめ、対応する姿勢が欲しいものだと考えております。

 ところで、本年3月薬科大卒業生の就職状況をみると、トップが製薬会社31.0%、2位病診勤務23、5%、3位進学12.5%、4位薬局勤務8.2%となっており、この傾向はここ 数年続いております。さて、医療制度の改正について、先づ1位の製薬会社勤務者としてはどう受けとめるべきであろうか。

 今回の地域医療計画は、医療圏単位の医療供給システムを作りあげることを目標としており、病床規制のほかに医療機関の機能や専門性を明確にしようとしています。そこで大事なことは医療従事者の配置、病院の設備、患者数など病院経営面の影響が問題化して、薬剤の使用傾向の変化のみならず、高度医療や専門性の高い医療に対応する特性ある有用な薬剤や詳しい情報が求められることになる。製薬企業従事者としては、この様な変化を正確に把握して、製品開発や医療情報担当活動を進めたいものである。

 次に病院勤務薬剤師の立場では、前述の通り医療機関は新たな制度のもとでの選択を求められ、その機能や専門性を明確にし、患者の求める医療サービスに応えることが重要となり、医師のみならず薬剤師、看護婦を含めた医療従事者のトータルな患者サービスに真剣に取り組まねばならない時が到来していることを自覚すべきだと思う。 服薬管理、ダブル投薬、コンプライアンス、ベッドサイドなど既に着手されているものを 積極的に推進すると同時に地域医療を薬剤師の立場で如何に確立すべきかを考える積極性 を望みたい。

 今度の国立病院の院外処方化が、病院薬剤師の定員削減になるのではとの消極的な対応ではなく、患者サ‐ビスの為に病床数、薬剤数、患者数などを基準にした要員確保を前向きに進めるべきでしょう。

 最後になりますが、開局薬剤師にとって、今回の医療法の改正が医薬分業を急速に推進するものであり、今こそ、求めるべき姿の分業への積極的な取り組みが必要な時だと考えます。

 正確な調剤、薬歴管理、服薬指導などの研修はもとより、地域における薬局薬剤師は地域住民と密着した存在であることを生かして、地域の中で保険薬局の質と分布を含めた医薬品供給体制を如何に整備し、患者サービス、地域医療に貢献するかをめざしてもらいたい。このサービスと貢献の精神こそが、保険薬局の将来の発展に繋るものと信じたい。

 以上、医療制度の変革の中にあって、薬剤師の皆さんには蛇足に過ぎないことを申しあげましたが、この四月より福岡支店に着任いたしました新任挨拶の代りにと恥を忍んで乱文を寄稿させていただきました。

 投稿のご指名を頂告ました野仲先生、木原先生に心から御礼申し上げます。



 <会員のひろば> 「ウ ン チ」

千代吉塚部会 荒巻薬局 荒巻 善之肋

 ウンチというのは運痴、運動オンチのことである。人間にとって動くこと、運動することは、もともと本能的な能力のはずだと思うのだが、どうも私は違う。運動神経が全くだめなのである。

 子供の頃はオパアチャン子で、殆んど一人で家の中で遊んでいたせいかもしれない。小学校に人ってからは、このウンチのせいで随分と肩身のせまい思いをした。大低の子供の好きな学課は、体操、音楽ということになるようだが、私はいちばん嫌いなのが体操、次が音楽であった。

 運動会というのは、普通の子供にとっては楽しい楽しい、年‐度のイベントのようであるが、私にとっては炎天下における、苦痛と屈辱と、忍耐の一日であった。後に成人して母校の学校薬剤師になって、来賓として案内が来るようになっても、この子供の頃のイメージはなかなか消えず、お祝いの包を置いてそそくさと退席したものである。

 この感覚は初老の現在でも同じで、スピーカーから流れるマーチ、呼出しの声、ピストルの音、これはあまり快いものではない。その私が今、福岡国体の準備委員とは、人生皮肉なものである。

 このような私の運動ダメ神経は、近しい人はよく知っているようで、或時、薬剤師会に自転車に乗って行ったら、「へえー、自転車に乗れるんですか」と事務員がびっくりした。

 然し考えてみると、鉄棒や飛箱は、マアマア人並みにやれたから、平衡感覚はどうにかあるものとみえる。

 ところが全くダメなのが、球と名のつくものすべてである。まず投げて飛ばない。目の前で落ちてしまう。大きいボールでも、小さいボールでも同じ、石ころでも同じである。次に飛んでくるボールが見えない。見えても手の方が受取ってくれない。同調しないのである。つまり球技はすべてだめなのだが、幸いなことに、私の小中学生時代は、野球は敵国のスポーツだというので、あまり学校ではやらなかった。その代り戦時中のことで、手榴弾を投げる訓練があって、これを私がやると目の前にポトリと落ちる。予備役の教官が「コラッ!お前は自分の投げた弾で死ぬぞ!」と怒鳴る。それでも野球をやらされるよりはマシだったと思う。

 戦後、野球などという変な競技が、国民的スポーツになってしまったが、目にも止まらぬ速さで飛んでくる小さな球を、棍棒でタタキ返すあの技術は、ただただ神技というより言いようがない。私にはいくら練習をしても、そういうことは絶対にできない。という確信があるから、野球をしようなどという大それたことは、思ったこともなければ、したこともない。市薬会計の三津家さんは、私と同級生で古い友人だが、「この人に野球をさせたら反対側に走っていくよ」という。彼は真面目な顔で冗談を言う人だから、嘘と本当の区別がつかないときがあるが、これは本当の事で正直私はどちらを向いて走っていくのか、すぐに忘れてしまう。

 市薬にはソフトボール大会というのがあって、これは藤野先生が会長のときに思い立ったのだが、支部対抗とかいうことで、博多区のメンバーに入れられて、断るのに往生したことがある。野球というのは、スポーツそのものも嫌いだが、これに声援を送る奴も嫌だ。テレビやラジオで、プカプカドンドンやっているのを聞くと、それだけで頭痛がしてくる。当時の市薬の役員も、だんだんそのあたりが判ってきて、グラウンドには来なくてもいいから、後の打上げのときいらっしゃい、などと言ってくれるが、酒だけ飲みになど行けるものか。

 副会長のときは逃げの一手で許してもらえるものの、会長にでもなったら、そうもいくまいし、第一、アノ始球式とやらを無理やりやらされるのじゃあないかなどとアレコレ考えると、ボーリングから、ゴルフ迄、大中小すべての球の愛好会が揃っているわけである。

 幸いに、市薬会長をジャンプして、県薬に行って了ったので、この心配は杞憂に終ったが、おかげで、この年になって肩身のせまい思いをしなくて済んだわけである。

 ところで、球ころがしの中、いちばん小さいのはパチンコだと思うが、実はこのパチンコもだめなのである。プロのパチンカーは、どのような神経が発達しているのか、知るよしもないが、運動神経とはあまり関係ないのではないか。そこでハタと思い当るのは、私には眼球振盪があるということである。

 眼球振盪というのは、動くものを目で追いかけることができない病気で、若い頃、斜視の手術をしたとき、主治医に云われたことである。つまり、パチンコができないのは、動く玉を追えないのと、反射神経がダメなせいで、だからパソコンにもチャレンジしない。とこれは自分でつけた言い訳の理屈である。

 車の運転も、どう考えても出来そうにないので、同じ理屈をつけてやらない。酒が飲めない、命が大切というおまけもつく。

 運動をすると、脳の中にエンドルフィン? 物質が出来るんだそうで、だからスポーツで汗を流した後は、みんなニコニコとさわやかである、とこれは本当のことらしい。スポーツマンシップというのは、そういうさわやかさと、公正さ、忍耐、等々、いろいろな美徳を性格化したものだと思うが、スポーツマンでない私は、自分で意識して、そういう美徳を学ぶしか方法がない。

 さて、車の運転ができないのはずいぶんと不便ではあるが、代りによいこともある。歩くことが当り前で、車に乗ることが特別なことであるというこの感覚、二本足で生れて以来、60年、ずっと待ち続けている感覚である。

 普通の人なら毎日の県薬通いもマイカーということだろうが、私にはそれはできない。バスで通うと待時間込みで大体30分近くかかる。ところが歩くと信号待ちを入れても25分で着く。千代町から住吉迄なら、バスよりも歩いた方が速いということである。万歩計の数字は4、500歩、往復で9、000歩である。その他の動きを加えると、1万歩は優に鍼える。バスで通っているときは、ポケットから新書版をとり出して、マイカーでは本は読めまい、などと自己満足していたが、これは夢中になると必ず乗り越す。バス停で読んでいると来たバスをやり過す。それよりは歩いた方が間違いがない。然しこれも考え事をしていると通り過ぎることがある。だが考えるには歩くのがよい。机の前で考えるよりもはるかによい考えが浮んでくる。

 人間万事塞翁が馬という諺もあるが、物事は考えようで、ウンチのおかげで毎日を健康に過させてもらっているようなものである。



 <会員のひろば> 「あわただしく過ぎたこの3ヶ月間」

千代吉塚部会 恵愛団薬局 金枝 正已

 昭和24年から40年間お世話になった九大病院薬剤部を去る3月末日にて無事定年退職いたしました。そして周囲の温かいご理解を得て4月1日から九大病院正門前にある恵愛団薬局に勤務し、改めて皆様の仲間入りをすることになりました。これまでにお寄せ下さいました温かいご厚情に感謝いたしますと共に、今後なお一層のご指導を賜わりますようお願い申し上げます。

 時の経つのは早いもので早や3ヶ月が過ぎました。公務員生活から解放され毎日自由な雰囲気を楽しく満喫していますが、この間いろいろなことを体験しましたので、ここに近況をお伝えし新人としてのごあいさつといたします。

 挨拶状の発送

 これまでにお世話になった人、これからお世話になる人にお知らせする定年退職のあいさつ状を4月に入ったら直ちに発送したいものと3月20日頃からぼつぼつ準備していましたが、意外に手間取り4月10日過ぎまでかかりました。何事も早目の着手が肝心だということを実感いたしました。

 毎年頂戴する年賀状を中心に作業を進めましたので、一部失礼した処があろうかと存じますが何卒お許し下さい。

 送別会と歓迎会

 有難いことに先輩、友人、知人……の肝入りで沢山のご苦労会、励まし会を開いていただきました。薬学・薬業の関連団体に身をおいていたお蔭で数多くの知己を得ることができ、このような祝福を受けることに繋がったのだと感謝しています。この貴重な宝物はこれからも大切に守っていく所存です。

 保険調剤

 恵愛団薬局にきて13年ぶりに調剤実務に携わりました。昔とった杵柄で勘はすぐに戻りますとの声援を受け真撃に取組みました。ところがどっこいそうは問屋が卸しません。 薬の名前と薬効についてはこれまでの蓄積があり,いわゆる調剤実務の実施については何 とか支障なくやれましたが,保険調剤の特色である服薬指導業務の具体的事項の把握には 苦労いたしました。幸いやさしい同胞の懇親丁寧な指導により少しづつ習得し,最近では どうやら自然体にて調剤に臨むことができるるようになりました。

 これからは,会計,薬歴,調剤報酬明細書の作成などにも全力投球し,信頼される保険薬剤師として地域医療の向上に尽力していかねばと若い人々と共に切磋琢磨を重ねています。

 博多支部千代・吉塚部会

 市薬博多支部千代・吉塚部会(部会長 荒巻滋先生)は13名の会員で構成されていますこの土地で生れ育った人が多く、地域を愛し発展させようとの姿勢が随所に伺われ、とても好感がもてます。4月26日には午後7時から割烹“まちむら”にて総会が開催されました。

 大先輩の須原勇助先生,高丘昭月先生,昔から知り合いの藤野嘉道,山口利英,荒巻滋の諸兄,隣組の鶴原,森川の若先生らに囲まれご機嫌の‐刻でした。青,壮,熟の世代がうまく噛み合い、明るいとても気持の良い雰囲気の部会です。

 6月25日から26日にかけては一泊の懇親旅行が行われました。行先は原鶴温泉、午後3時30分千代町の新名所となったパピョン24に集合、3台の車(なんとピカピカの外車)に分乗し、約1時間、綺麗どころの心温まる歓迎を受け泰泉閣に到着。ジャングル風呂でさっぱりし、早速宴会開始、カラオケの調子も最高、清流筑後川にて鵜飼も楽しみ毎日の疲れをふっ飛ばしました。

 それにしても皆さん方、よく食べ、飲み、歌い、そして寝るといった健康そのものの集まりで益々気に入りました。

 以上ですが、この期間中に博多支部第12回総会(高杉正典会長)と勤務部会第39回総会(木村浩三会長)に出席する機会を得ました。共通話題として薬剤師の生涯研修財団の設立と国立病院の「外来処方の30%を院外に発行がありました。

 研修と分業、これまでにも度々声を大にしていわれてきた課題ですが、今回は国が正式に意思表示したことに意義があり注目されます。真剣な対応が望まれます。今こそ、やる気をだして頑張りましょう。



「=金枝正巳先生退官記念祝賀会=」

日時 平成元年7月9日(日)正午
場所「都ホテル」

 九大益進倶楽部の主催により、上記のように金技先生の退官記念祝賀会が催された。

 九大病院青山薬剤部長の主催者のご挨拶に次いで、ステージに立たれた前薬剤部長の堀岡先生は、金技先生のご功績について「薬史学」を通してお話しになりました。会場からは「堀岡先生、以前にも増してお若くて、お変りないわね。」という声が出ていました。

 お礼のご挨拶にスタンドマイクの前に立たれた金技先生は、マイクを手に取り「どうもマイクというものは、手ににぎりしめないと旨く話が出来ませんな」とまず‐言。金枝先生がカラオケのマイクをにぎったら、離すのが大変だという事を知っている大勢の人は大笑い!そして「いろんな団体の仕事を通して得られた、たくさんの友人は本当に一番大切な私の財産です」とお礼を述べられました。

 会場は、九大病院、勤務部会、メーカー、卸、薬剤師会と本当にたくさんの方がご出席になっていて、金技先生のお人ハ柄がこの会場に満ちているようでした。

 写真    「東京からお見えになった
               堀岡先生を囲んで」



 <会員のひろば> 「所  感」

富田薬品兜汢ェ支店 蓑 田 正 和

 大学を卒業してからすぐに公務員生活に飛びこみ、今年の3月に漸く役目を終えることができて、ホットして肩の荷が急に軽くなった反面、何となく虚無感を憶えている今日この頃であります。

 公務員を辞めると同時に今まで加入していた県庁薬剤師会も退会することになり、改めて福岡市薬に加入させてもらった途端、早速寄稿を求められましたので、往時を振りかえって感じていることの一端を述べてみたいと思います。

 就職してからは、麻薬の取締り、薬事監視などの仕事をやって後、昭和40年代の終りから昭和50年代の終りまでの10年間を食品衛生、環境衛生、公害、産業廃棄物行政といった、薬務行政とはかけ離れた職場ですごしたことかあります。

 丁度、昭和50年の前後は、公害問題が最も大きくクローズアップされた時期で、国会や県議会でも毎回毎回論戦が行われ、マスコミもまた連日連夜この問題をとり上げ、世論が大きく揺れ勤いた時期でした。

 この仕事に従事する職員も緊急事態に対応して、各方面から泥縄式にかき集められたもので、毎日仕事に追いまくられ、机にゆっくり坐っている予猶はなく、食べ乍ら本を読み、走り乍ら考えるような日を送ったものです。

 私もまだ若かったし、連日の残業などハードな仕事も大して苦にもならず、ふりかえってみると最も充実した仕事をしたように思っています。

 その当時机を並べていた同僚は、それこそ雑多な職種の寄せ集めで、大学の工学部工業化学科、応用化学科、合成化学科、理学部の化学科、農学部の農芸化学科などの出身でいわゆる化学職と呼ばれている人や、蓄産、水産、獣医学を専攻した人など色々な専門職の人達でした。

 それまで、薬務の仕事をしていたときは、周りは事務屋さんか薬剤師ばかりで、専門のことで分らないことがあるときは、隣の人に気安く聞くことがで告たし、また、手伝ってもらえたのに、転勤した先ではそのような雰囲気でもないし、どうしても自分で調べて解決策を見つけて、処理しなければならず、今までの安易な気分が一度に吹き飛ばされ、毎日緊張していたものでした。

 それぞれの違った職種の人が集まると各人が自分の職分に絶対的な誇を持って、他人には負けられない、遅れをとってはならないという意気ごみがひしひしと感じられるものです。

 昭和50年の始めに産業廃棄物の仕事をしているとき、部下に九大工学部の修士課程を終えた人がいましたが、仕事の処理は迅速・適切であることは勿論、色々と質ねても絶対に知りません、できませんということはなく、あらゆる手をつくして文献を調べ、こちらが求めている以上の資料を集めて、まとめあげて提出してくれたちのです。

 その作業のすばらしさには、ほとほと感心させられたものですが、負けてはおれないと周囲の達も刺激をうけてお互いに切磋琢磨する雰囲気は本当にすばらしいもので、私も長い公務員生活の中でこのようなきびしい空気に短い間とはいえ、触れることができたことは、大変幸せであったと思っています。

 同業の者だけの職場に永く居ると何となく刺激がなく、何となくぬるま湯につかったと同じようになってしまうようですし、出来るだけ外部進出を図って広範な知識の収得に勉め、職域拡大に向けての糧にしたいものと思うのです。

 これは行政に携わる人だけのことではなく、薬剤師が働いているあらゆる職場にあてはまるように思いますし、狭い部屋から飛び出して、活発に動き廻る必要かおるのではないでしょうか。

 薬剤師法で薬剤師の三大業務は、「調剤・医薬品の供給及びその他薬事衛生」とされていますが、3番目の「その他薬事衛生」を広く解釈して、関係のある分野には積極的に乗り出して、薬剤師職能の拡大と定着を図るべべだと思います。

 間もなく21世紀の新らしい時代を迎えようとしていますが、医療を取りまく面でも戦国時代に突入しようとしています。

 今努力をするものは報われる反面、努力しない者は時流に取り残されることにもなりかねません。我々薬剤師も肝に銘じておきたいものと、つくづく考えているところです。



 <会員のひろば> 「病院薬剤師13年」

九大病院副薬剤部長 助教授 樋 口 駿

 九大薬学部大学院の学生生活を中途でおさらばし、九大病院薬剤部に薬剤師として職を得、13年と少しが経過した。この間わずか10年ばかりであり生意気なようであるが、すこし振り返らせていただ去たい。

 そもそも、病院薬剤師として勤めようと思ったきっかけは、大学院在学中に短期間ではあるが九大病院に入院したことである。主治医は私が薬学部大学院生ということで、薬に関し、いろいろと質問をくれる。ところが、恥ずかしいことにまともなことを何一つ答えられない。当り前である。その頃はラットの殺りくで毎日が明け暮れていた。薬に関する知識は、その4年前に薬剤師のライセンス獲得とともにその殆どを消滅させていた。分かってはいたが、いささかショックであった。

 また、その折り、唐沢氏(現九州大学歯学部附属病院薬剤部長)と院内で話す機会があった。そして、薬剤師業務の現状を聞かせていただいた。研究生活にも未練はあったが、それをきっかけに心は急速に病院へ、薬剤師へと傾いて行った。「薬剤師とかつまらんぞ、薬局に行ってどうするんか。」こういう声が圧倒的であった。寂しいことではあるが、当時、我が母校薬学部には薬剤師蔑視の風潮があったことは否めない。しかし、頑固に薬剤師の道を選び、九大病院薬剤部研修生の試験を受けさせていただいた。

 ところが、私の入局した翌52年に、薬剤部長に初の医学部教授職(御存知のように初代は堀岡先生、現在は青山先生である)が認められ、それを機にその翌年には薬学研究科医療薬学修士課程(1回生時は病院薬学)が薬剤部に設置され、私がその指導にあたることになった。

 このコースの設置にも、薬剤部で何がで占るのかと、とかく批判があった。少ないスタッフと過酷なスケジュールの中で、学生の論文提出時期には殆ど休日の取れない日々が続き、およそ学生時代とそう大差のない生活に戻ってしまった。こんな筈ではなかったのにと正直悔やみもしたが、ただ学生のひたむきさに肋けられたと云っても過言ではない。 (このコースの卒業生も、もう20名を数える。本年度からは、この10年の実績が認められ たのか、また医療情勢の変化を薬学部が感じ取ったのか、カリキュラムに実務研修をもっ と織り込んだ、職能教育を前面に押しだした形で再スタートすることとなった。)

 休日急患センタ一に顔を出すようになったのはこの頃からである。私が調剤に接することの出来る唯一の時間は、病院での当直時とセンタ一出勤時だけであった。ここで薬剤師らしさを取り戻レ少しばかりの安堵感を覚えたものである。この数年は、大晦日に準夜勤務を行い、帰りには三社参りの一部を済ませ、初詣臨時列車で帰宅することが年課?であった。センターで‐緒に仕事をしていただいた先生方には、この紙面をかり、改めてお礼を申し上げたい。

 病院に勤務する薬剤師にとって、開局の方と一緒に仕事をすることは滅多にないことであり、得がたい経験をさせていただいた。特に、薬剤師として同じ基盤を特つはずなのに、職能のとらえ方、また患者に対する意識にしても、病院勤務と開局の方に、かなりの差があることを知ることが出未たのは収穫であった。今後ますます、医薬分業、特に面分業推進策が、ハード、ソフト両面から計られていくであろうが、技術修得、薬剤師の資質向上等に加え、病院と開局の薬剤師が、互いの業務をもっと知り、理解することも不可欠ではなかろうか。

 我が職場に目を移すと、昭和56年には〔特定薬剤治療管理料〕(薬物の血中濃度を測定しながら、適正な薬用量を決めていく、いわゆるTDM)が新設され、薬剤部でもいち早くその業務化に取り組んだ。仕事の上で医師との接点が増え始め、病院薬局業務に質的変化が見え始めたのもこの頃である。また、それは、調剤一辺倒の薬剤師に、職能拡大を促す契機ともなったのである。

 その後の薬剤師に対する行政上の措置は、58年からは、医療関係法規の改正が相次いで行われ、保険薬局の調剤技術料に〔投薬特別指導料][薬剤服用歴管理指導料〕などメンタルフィーが認められ、診療報酬にも物から技術への色合いが濃くなる。医療維新元年と呼ばれた61年の医療法改正で、薬局及び薬剤師も、医療提供者の一員として正式に認められ、今後激動が予想される医療環境の中でその職能を確立すべき正念場を迎えたわけである。

 そして昨年4月には病院薬剤師にとって画期的ともいえる、DI・服薬指導等を基本にした〔入院調剤技術基本料〕が新設され、暮れには〔副作用モニタリンダ報告〕を医師に代わり、薬剤師が行っても良いとの明示があった。更にWHOも、初めて薬剤師職能をテーマにインドで会議を持ち、分業支援、クリニカルファーマシィーの実践、薬剤師の生涯研修等が各国に勧告されるようである。今年に入ってからは全国紙を、副作用報告、医薬分業等で薬剤師の話題が紙面を飾ったのは御存知の通りである。

 4年程前、医療行政に携わる人と話を交えた際、薬剤師、特に病院勤務の薬剤師は閉鎖的で、何か近視眼的に物事を考え対処しているような感がある。他のフィールドの方とのつきあいもあまり無く、医療行政、医療経済にも以外と無頓着である。出来る工夫より、出来ない理由を探す。なぜであろうか。そう云われた。私も同感である。そういう人達が薬剤師を職能として選ぶのであろうか。決して十分とは云えない今の薬学教育がそうさせるのであろうか。しかしいずれにせよ、ここ数年の動きは、しびれをきらした行政側が薬剤師に意識変革をせまり、来る高齢者社会において、薬剤師へ大きな期待を寄せ、また奮起を促したものとして受け止めたい。

 それに答えるには、総論ではなく、実行しうる各論をどう作り上げていくか、それが病院薬局を問わず、今からの薬剤師に課せられた共通のテーマであろう。



 <会員のひろば> 「ゴルフ 談議」

天神部会 天神調剤薬局 大 石  圓

 暑中御見舞申し上げます。
 市薬会員の皆様方、益々御繁栄の事御喜び申し上げます。「会報一筆」に大変御苦労なさって居られるシティー薬局の木原先生より、本年5月29日中央支部総会がセントラルホテルで行われた際に寄稿の依頼がありましたので、題名は「私とゴルフ」or「ゴルフ雑談」と行きましょうと云う事になりました。

 ゴルフは、エチケットに始まりエテケットに終ると云われまして、マナーを大切にする競技です。例えば同伴者(大体四名一組)に迷惑を掛けない様練習して置く必要がありますし、前後のプレーヤーにも気配りし、ルールに則りプレーする事が基本になっています。

 又、人生とも良く似ているとも云われます。コンペの種類に依りましては、イーグル会とかアルバトロス会とかありますが、福岡市でも医師会、歯科医師会、薬剤師会と云う名称で各々月‐回とか、三ケ月に一回とか同好会が出来ていますが、市薬は三ケ月一回、コンペには大変御世話になっています。高倉先生の名幹事がなければ中断していると思われます。

 それは四、五年前、余り参加者が少ないので、ゴルフコンペは中止するか継続するかとのアンケート調査がありましたが、その際は、二師会が行なっているので是非継続して欲しいとの返事が多かったにも関わらず、イザとなると理由は色々ありましょうが、出席しないと云うのが現状の様です(現在同好会員30名中出席者12名位)。

 俗に「飯より好きな・‥…」と云う言葉がありますが、私事で恐縮ですがメンバーのゴルフ場以外でも、日祭日には毎週何処かのコースを廻っています。正にSunday widowと云う所です。

 ゴルフ歴も数十年になりますがofficia115で止まり、市薬ではHC 12で苦労しています。本年6月4日日飯塚の茜ゴルフ墳で市薬第28回ゴルフコンペが催され藤野前々会長、冨永前会長、高倉副会長、栗田前副会長、成澤理事等々、楚々たるメンバー出席で18ホールストローグプレーが行われ、優勝冨永計久先生(44.40)、準優勝栗田邦彦先生(47.47)、因みに小生(49.39)で凹凸賞でした。

 Meeting roomでビールを汲み交しながら、和気あいあいと成績発表があり、次回は熊本玉名(9月)で一泊旅行を約束しながら散会致しました。最近は一般に新入社員から、女性ゴルファーも多くなっています。市薬会員皆様方の多数の参加を大歓迎致します。

「御要望」

1.良い機会ですので紙面を借りまして、会員の一人として調剤薬局の要望を申し上げ ます。調剤薬局は、二名以上の薬剤師が必要ですが、余分に一名とは経済的に成り立た ないし、ウィークデーとか突発的に用件が生じた場合、臨時に派遣していただく事が 必要となります。県薬か市薬でもすぐに役立つ(調剤だけでなく、レセプトも書ける 人)薬剤師の養成を御検討下さる様お願い致します。

2.問屋販売数量が1、000丈単位とか10ケ単位が多く、稀少薬品で1ケ使用して9ケ残 り、其の9ケが期限切れとなる場合が多く悩みの一つですが、成るぺく患者が右往左 往しない様、薬価で相互融通し合うのも今後の大切な分業推進の‐端と思われますの で、よろしくお願いします。



 <会員のひろば> 「かみ カミ 髪」

板付部会 アナミ薬局 阿 波 欽 治

 私が髪の勉強・相談を始めて約7年になる。最近、週刊誌・新聞をはじめとするマスコミに、発毛促進剤とか発毛青毛クリニック、あるいはカツラ、植毛などといった毛にかんする広告が非常に多くなったように思われる。実際これらの市場は年々かなりの勢いで伸び続けている。広告がさかんであるということは、それだけ需要が多いということだろう。

 昔に比べて、はげや薄毛の人がふえているのかと思われるが、それを裏づけるような統計的数字は見当らない。日本のはげの人口は一ロに600万人といわれるが、これも実態調査に基づく数字ではない。日本の人ロを1億2、000万とすれば、600万といえば5パー セント、つまり20人に1人ということになるが、はたしてまわりを見渡してみても、そん なに多いという印象はないが、皆さんはいかがだろうか。

 毛髪相談をして最近感じることだが、女性の相談がすごく多くなったことだ。女性の社会進出もその一つかもしれない。女性の男性型脱毛、俗にいう若はげである。女性に対して「これは、若はげですよ」というと殆どの女性はびっくりすると同時に、なんともいわれぬ顔をする。中には「私は生理もちゃんとあるんですが……」と。生理がないと、つまり閉経すると薄毛の傾向になる可能性はあるとおもうが、まだまだ若い女性である。社会生活・会社勤務やパートなどによってのストレスも大きな要因の一つと考えられる。勤めている人が皆薄くはげているかといえば、当然であるが、そんなことはない。ではその人だけの特殊事情によるものだろうか?

 いろんなことを尋ねてみるとおぽろげながらも、原因らしきものがわかってくる。このように書くと簡単に思われるやも知れないが、とくに毛髪相談の女性は最初からいろんなことを喋ってくれない。だから苦労する。

 何回か話をしている内にその人の体質・遺伝的なこともわかってくる。ただそれだけが原因なら諦めて引き取っていただくしかないが殆どの場合、プラスアルファがある。勤めなどのため食事の簡略・夫婦の会話不足……などによっての栄養の片寄り、精神のイライラなどが重なって頭つまり髪にきたと考えられる。原因がわかればそれを少しでも緩和する方法をお互いに考え実行していただく。

 今までに最も印象に残る例を上げると、38才の女性のトリコチロマニーである。ご存じのように抜毛狂といわれるものである。症例的には小児や思春期の女性に多く見ら れるものである。ひどくなると精神科医のお世話になるものもある。成人女性の例はまれ と思われる。この女性の場合は子供の頃から家庭が複雑で、結婚後も夫との間に常にいさかいが多く、心やすまる時がなかったと思われる。最大の引き金は夫の浮気らしい。

 自分の毛髪を抜くことで気を紛らすのか、あるいはその時だけが自分の時聞なのか、それとも自己陶酔(一種の快感)のためか、自己逃避か、こればかりは当人もよくわかっていないようだ。このような場合シャンプーだ、育毛剤だ、といったところで殆ど役にたたない。精神療法が一番の薬だと恵う。勉強させてもらった症例の一つである。円形脱毛、うす毛………も多分に心の問題がベースにあると思われる。自分はもとより女房も髪がうすくならないようにせいぜい気をつけたいものである。

 女性のことを書いてきたが、男性もそれなり多い。ただ言えることは概して、男性のほうが女性にくらべて表面上、気にしていないふりをする。内実はかなり深刻である。はげの男性にはげの話をすると、顔は穏やかであるが心の内は煮えたぎり、すごい葛藤があるー心電図などにもはーっきりと証明されているデータもある。ただ言えることは男性の方が女性に比べて手当を真面目にしないというか、諦めるのが早い感じがする。

 現代の社会ではたして毛髪・毛は必要なのだろうか? 女性に限らず最近は男性も脱毛をする人がいると聞く。想像してみて下さい。頭髪がない、まゆ毛がない、はな毛がない、ひげがない、腋毛がない、胸毛がない、アンダーヘアーがない、すね毛がない……と考えてくると、絶対必要の体毛というものが余りないと患うのは私だけでしょうか?

 髪がないと困るものは? の問に「理容・美容師が困る」と答えた人がいた。当然のことだが、いまの社会ではファッションとしてのみ必要とされている感じもしてきます。時代とともに価値観が変わるように、毛に対しても価値観が変わってきているようです。

 ミスタージャイアンツ・長島の胸毛が一本いくらの時代から、今はむき卵のツルッが好まれる。かと言えばわき毛をトレードマークの女優も。赤信号みんなで渡れば恐くないーの心情からいけば、やはり人並みにあるべきところに、人並みのものがある。と言うことでしょう。多過ぎても悩み、少なくても悩む、なぞなぞの如きものである。いささかおおげさだが、人生が変わった女性もいると聞く。

 今回、編集の木原先生より原稿の依頼。これはまさにストレスそのもの。髪がうすくなるのでは……と考えつつ書いています。髪は神に通じるとも申します。一人でも多 くの人が幸せに、健康になりますように、お手伝いができましたら開局薬剤師としての幸 せと考え、今後も精進致したいと思います。



 <会員のひろば> 「スケッチに行こう」

警固部会 小野調剤薬局 女賀 信子

「キミ、ちょっと来てごらん。スバラシイもの見せてあげる。」ドアを開けるなり、夫の弾んだ声。台所の手を休め、エプロン姿のまま、私は飛び出す。夫の指さす北西の空はピンクとブルーと鶯色に染まっていた。自然のなす壮大な芸術だ。

 「ルノワールの様だ。」

 「この一瞬を描けたらネー。」

 「ウーン。ムズカシイナァ。もう一寸しての暮れなずむ、ひとときもいいよ。夕げを終え、皆が寝仕度をするまでのざわめきを包む様なあの空気や建物を又絵にしたいなあ。」

 「そうだ。この次の日頃日は能古島へ夕陽をスケッチに行こう。」

 黄金の夕陽を求めて、遥かマウイ島まで行った私達。夫も私も画歴30数年。夫は○県の美術協会会員でもある。彼の豪放闊達にして繊細な画風に比べ、私の方は、自由で大胆だと評される。

 そもそも、私が絵に目見めたのは幼稚園の頃だったと思う。

 家の前を通るおさげ髪の女学生をクレヨンで丁寧に描きあげたのを、大人達がほめてくれた。母は育児日記と称して、私達子供の戯れる姿を折々にスケッチしていたし、祖母も墨絵をやっていた。機械工学専攻で、数々の特許を出し、写真や似顔絵入りで報じられた、酒豪の父は、そんな家族を喜び、毎晩ドボルザークや、美空ひばりを歌った。艶のあるテノールで高らかに父が歌い出すと、家族も皆熱くなったものだ。父は歌いながらよく涙した。幼ない私達には、父の苦労など知る由もなかった。

 小学校5年生の時から2年間程、二科会のM先生に本格的に手ほどきを受けた私は、県や郡のコンクールで最高賞を頂く事もあった。高3の夏体みに出したユネスコ国際絵画展で受賞した絵は、私の手を離れて、フランスヘ渡ってしまった。

 薬学とは無縁の夢の様な少女期を過した私は、民主主義の訣別かと思われた激動の60年安保の時ですら、樺美智子の死に深い憤りを感じても、なす術を知らない16才であった。所謂ノンセクトラディカル。やせたソクラテスには程遠かった。大宰や安吾、スタンダールにカフカ。国語の教師が難解だと評したものには、恐れず挑戦し疲労した。音楽にも秘かに興味を待っていた。タンゴが好きだとある人に言ったら、次から次へとレコードを貸してくれて困惑した事もある。校内のバンドでは一学年下のタモリが青白い顔でトランペットを吹いていた。

 確かにフレキシブルではあったが恥を知らない無秩序な青春であった。

 いつの頃からであろう。ラボアジエやアボガドロの名理論に胸のすく思いをしたのは。欲ばりの私は、給も音楽も放したくなかった。

 めざす大学には、かの下山事件に科学的捜査の側面から係わられたT教授がいらっしゃった。その名も「衛生裁判化学教室」何やら謎めいて興味が沸いた。美術部と混声合唱団に所属し、教職課程をも履習し、ぼんやりする時があったのかしらんと今思う程充々とした学生生活。3年の時、女子学生規制開題が持ち上った。連日の集会、討議。教授達はその案を撒回した。「実績を作っていくしかない、たゆまずやっていこう」喧騒の中で、碓かに私はそう考えた。

 レニン・アンジオテンシンやAMPaseの研究で不夜城の様に活気を呈した心臓血管研究施設。私はそこへ教務補佐として勤めた。将来を共にしたいと思う人がいた。化学部出身で黒の線の効いた力強く、繊細な絵を描く人であった。愛を貫きたいと思った。打算はなかった。橋や高速道路を建設するその人と見知らぬ土地に数度移り住むこと10年。3人の子供に恵まれ、家族の幸せを支える事に懸命であった。パン作りも、ゆかた作りも覚えたし、ネットワークもぐんぐん拡がった。

 ふるさとに戻って早くも10年。赤坂小、幼稚園学校薬剤師、小野調剤薬局パート勤務。福岡市国際交流協会会員等が、現在の払の日常である。

 夫が又呼んでいる。「スケッチに行こう。いい所を見つけた!」私はエプロンをはずしてスケッチブックをとりに行く。



 <会員のひろば> 「マムシ草」の思い出」

博多南部会 山王薬局 岡 村 紀 子

 何号だったか忘れましたが、県薬会報の表紙にマムシ草のイラストが載った事がありました。あの表紙を見た時、懐しさで胸がいっぱいになり、一瞬子供の頃が走馬灯のようによみがえってきました。

 父は山歩きが好きで、暇が出来ると私達姉弟3人を近くの野山へ連れ出しました。私の育った所は、現在は住宅が建ち並び、その頃のおもかげの一片さえ残っておりませんが、昭和二十年代の終り頃は、山が近く、きれいな川が流れ、田園風景が続くのどかな里でした。そこで遊び盛りの8年間を過しましたが、未だにその頃の思い出は脳裏に焼きついております。

 春はれんげ畑でたわむれ、土筆やセリ摘み、メダカやどじょうすくい。夏が来ればセミとり、蛍狩り、そして川で水あそび。蛍もホリドール使用後は、すっかり姿を消しましたが。秋になれば近くの山へどんぐりひろい。あけびやむかご採り。冬は刈り入れの終ったたんぼで鬼ごっこ。今の子供にはとても味わえない幸せな楽しい日々を過しました。

 小学校4年生の頃だったと思いますが、父と一緒に出かけ権見山(ハ幡西区)のうっそうとした本立の中で、初めてマムシ草に出会いました。それは見た瞬間、子供心にゾッとする気味の悪い野草で、名前のとおり、葉も茎も花弁もマムシの体に似た色をしていました。父も初めて見たそうで、名前など知る筈がありません。あまりの珍しさに根っこごと待って帰り、庭の隅っこに植えていましたが、やはりその内枯れてしまいました。

 マムシ草という名前を知ったのはずっと後の事でした。山歩きのたびに父は、知っている野草の数々を教えてくれました。又、食料事情の悪かった時代で、道中野いちご、山もも、かわたけを採って食べるのも楽しみの一つでした。

 ゲンノショウコやセンブリもあの頃はよく見みましたが、今はめったにみかけません。センブリは学生時代、油山のふもとで一度みた事がありますが、その場所も、今は住宅地になっていました。赤花ゲンノショウコは、今でも時々みかけますが、白花はとんとみかけません。白花の方が効きめがいいそうな、と父がよく云っておりましたが、後年ある書物でどちらも効能に変わりはないと書いてありました。

 幼い頃より慣れ親しんだ山歩きは、今では私にとって最高のストレス解消法ですが、近年開発につぐ開発で自然が少なくなり、以前のように手軽に散策出来る場所がなくなってさびしい思いがします。

 最近は、主人と久住や阿蘇の方まで車で出かけます。五月は、わらび狩りをかねて。五月の久住高原はハルリンドウがうす紫のかれんな花をあたり一面咲かせます。地蔵原で野性のホタルブクロを見つけた時は感動しました。秋の夜須高原で、可愛い紫色の実をしっかりつけた紫式部をみた時も感嘆したものです。いつか野性のカタクリの花をみたいと願っておりますが、今時、余程深山に入らないと出、会えないと聞いております。

 どこに行っても、そこで珍しい野草や、みたかった野草に出会った時は、疲れも忘れてしばしうっとりとしている私です。



 <会員のひろば> 「急患センター出動15年を顧みて」

福岡逓信病院 四 宮 国 臣

先日、九大病院の野仲先生より、市薬会報に何か書くようとのお電話を戴き、ありかたく承ってしまったものの、スポーツは大好き人間なれど、文を書く事には一番縁遠く過ごして来た私ゆえ、ハタと困ってしまいました。締切りも迫り、それではと、逓信病院に21年勤務するかたわら、急患センター開設当初から出動して来て心に留まっている事柄を、思いつくままに綴るべく筆を取った次第です。

 福岡市立休日急患センターも49年5月3日に開設以来はや、15年経過しました。最初は、市立西新病院の調剤室を借りての調剤で、病院の薬とセンターの薬は区別され、我々が出動して来る日は病院の薬には白い布を被せて、センターの薬が出してありました。備品などもどれとどれを使っていいものやら、思案しながら調剤したものです。

 後から考えてみますと、その時一番困られたのは西新病院の先生達ではなかったかと思います。しかし8月になると病院の横にプレハプではありましたが、急患センターが出来た事により、一段落された事と患います。又、我々もそんな思いをしなくても済むようになり、助かりました。

 9月になると専任薬剤師として、成沢先生がお見えになり、採用薬品の変更をされたり、医薬品集の編集をされ、(今では第4版まで出版されている。)又医師との調剤申し合せなども作成され、今日の薬局を充実したものに築き上げて下さっております。

 さて年末年始の出動で、52年頃、年末より全国的に流感が蔓延した時の事を御記憶の事と思います。その正月2日準夜出動でセンタ−へ出かけた時の事ですが、玄関より薬局へ行くのに、満員電車を掻き分けて進むより困難な位の大混乱ぶりで、いもの子を洗うようなとはあの状態を言うのだと思い知らされました。日勤の先生方は昼食もとらず8時すぎまで残られ、又我々準夜も2時半位までかかりました。

 その時、薬剤師会の役員の先生方も応援に駆け付けて下さったのですが、いかんせん調剤室は狭く、窓口は1つしかなく受け付けだけで飽和状態となり、薬を出す事など能力外となり、やむなく出入口から払い出さなくてはなりませんでした。待ち時間は薬局だけでも3時間以上かかった様に思います。患者さん達も大変な思いをされた事でしょう。その後あれほどの混雑は久しく経験しませんが………。

 57年になると、センターの名前も変って、福岡市立急患センターとなり、今までの西新より薬院へ移り、プレハブから鉄筋の立派なセンターとなり、9月4日より診療を開始しました。それにともない、今まで内科、小児科だけだーった診療も、内科、外科、小児科、産婦人科、眼科、耳鼻科の6科となり、内科、小児科は今まで休日だけだったのが、土曜日7時から診療を開始し、政令都市福岡にふさわしい、立派な急患センターとなりました。

 私も早速薬院での最初の深夜より勤務につきました。 センター内は非常に明るくなり、診察室も広く、設備も充実し、トイレもきれいになっておりました。が!薬局は思っていたほど広くはありませんでした。しかし今までに比べ数段調剤しやすくなりました。

 センターヘ出動する様になって自分の病院で経験できなかった色々の経験もさせてもらいました。 1つは護送中の犯人が、警官の隙をみて、薬物を飲み込み、昏睡状態で担ぎ込まれ、薬物の鑑定を頼まれたり、又患者から私の方へ電話が入り話を聞いてみると、むしゃくしゃするので自殺しようと思い、睡眠薬を飲んだが眠れないのでどうしようかと言う相談で、とにかく病院へ至急来る様に説得した事など、など・・・-・・。話はつきません。

 そうした中で私が得た事は沢山ある訳ですが、とりわけ嬉しい事は、多くの先生方と知り合え、又、色々な事を御指導いただけたと言う事です。これからも奉仕の精神を忘れず、患者さんの薬に対する相談に親身になり、開かれた、窓ロのイメージアップに務め、信頼される薬剤師として少しづつでも歩んで行く所存であります。

 最後に役員の先生方、専任薬剤師の成沢先生、そして今まで一緒に出勤して下さった先生方へ心から感謝いたします。



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   −鳥達の身上調査−

シリーズNo.5 <カラス>
カラス

 カラスは身近な鳥ですが、その姿のせいかあまり好感を持たれていないし、見かけ ても縁起が悪いなど人間の勝手な都合で無視されがちです。でも、“髪は鳥のぬれば 色”と美髪の形容に使われたり、“カラスなぜ嗚くの…”や“カラスの赤ちゃんなぜ 泣くの…”などの童謡にうたわれているのは親しまれていた証拠でしょう。

 普通、カラスといっているのはハシブトガラスとハシボソガラスの二種です。 ハシブトの方はいくらか体が大きく、おでこが出っぱり太いくちばしを持っています。 ハシボソはブトよりスマートな感じでくちばしも細い(といってもそんなに細くはあり ません)。

 ハシプトのルーツは東南了ジアなどの熱帯雨林といわれており、大きな群れをつく らず、林の中に点在しています。適応力が強く市街地のビルの谷間や高山にもいます。 早朝、ゴミ箱をひっくり返したり、ビルの屋上に巣をかけたりするのはブトのようです。

 ハシボソはシベリアの草原などの開けた場所が故郷なので群れ中心の生活です。 平地から山麓や農耕地などの開けた場所にいます。

 カラスは鳥の中でも一番進化しているといわれ、好奇心が強く、イタズラ好きです。 収集癖があり、特に光るものや青いものを好むといわれています。ゴルフ場ではボールの被害の話をききます。木の実を上から落として割ったり、放り上げて戯れたりの遊び心や、牧場での牛や馬のしっぽを引っ張ったりするイタズラは知能の高さを示しています。

 その他、春と秋の渡りの途中に姿を見せるミヤマガラスがいます。 ふと見ると電線や本の枝にカラスが鈴なりでびっくりしたことはありませんか。 よく見ると普通のカラスより少し小さく、くちばしの根もとが白っぽかったらこのカラスです。
                          九大病院薬剤部 野仲範子



 <フレッシュさん紹介> 「初心の大切さと一匹の虫から」

吉塚林病院 渡部 明子

 薬剤師に成って、既に二年とニケ月余りが過ぎようとしていますが、改めて初心の大切さを身に深く感ずるこの頃です。私は薬学生の時、病院実習に参加したのですが、その頃は新しい知識や学校では学ばない調剤技術を教わり、毎日が緊張の連続で自分自身の探究心も向上していました。病院勤務薬剤師としてまだ間もない頃も、調剤過誤は絶対にしてはいけないと心に決め、散剤を上皿天ぴんで秤量するにしても、又液剤をメートグラスで量取する事に致っても、一挙一動精神の引き締まる度合いが多少なりとも今と違っていた様な感じがします月日が経つうちに、調剤をする事を慣れてきましたが、同時に緊張感が緩んできている自分に気が付きました。

 そして薬剤師としてだけではなく、人間においても大切な事、「人の死」についての感情をも忘れかけていた様に思えてなりませんでした。

 それは私が現在勤務している病院には、沢山の年老いた人達が入院しているのですが、亡くなられてしまう人も少なくはありません。ある日、病棟から一人の患者が亡くなったという連絡を受けたので、この病院では日常ありふれている一つの事として、いつもの様に入院処方箋を処理しました。

 その時に、偶然に居合わせた新人の看護婦さんから「可愛相ですね。」という言葉を聞いて私は、はっとしました。確かに勤め始めた時には自分にも、昨日一緒に話したり、廊下を共に歩いたりした御年寄りが、しばらくして亡くなったと聞かされて、非常に衝激を受け、悲しんだ経験が伺度もあった事を思いました。それがいつの間にか、「慣れ」に心が覆われてしまい、一人の人間の死を事務的に処理してしまっている、何処にでもいる御年寄りが当然の様に亡くなっていくのだ、この様に受け取めていた自分を、とても情け無く感じました。

 僅か一つの錠剤によっても、人の命が左右されるのですから、調剤時は常に初心を忘れてはならないと思ます。又、調剤に関してだけでなく、人間として一つの事に対し深く感じて心を動かすという初心なる態度、新鮮な気持も、大切なのではないでしょうか。

 更に私は辛い時や苦しい時に、いつも思い出す事があります。それは一匹の虫です。私がまだ高校生で、受験勉強に悩んでいた頃、いつもの様に唯茫然と外の景色を眺めながらバスに乗って帰宅していました。

 と、その時窓ガラスに本当に極、小さな虫がとまっていました。よく見ていると何か必死に成って、上へと上って行きますが、直ぐに下に落ちてしまいます。それでも又、上って行きます。一生懸命に這い上がろうとしていました。虫に何か教えられたような気持ちで、帰宅したのを覚えています。自分が困難辛苦に当面した時には、この事が脳裏に浮かぶのです。

 人は、一生の間に様々な事がありますが、決して自分は出来ないとは思わずに、この虫の様に下に落ちても上って行く、という姿勢が大事なのだと思います。まだ新米の薬剤師ですが、これからも頑張って行きたいと思っています。

 (S 62.第一薬科大学卒業)



 <フレッシュさん紹介> 「薬剤師となって」

寺沢病院 奥 靖子

 私が薬剤師会に入会して、早いもので半年がたちました。わからない事が多く、毎月送られて来る会報を談みながら、勉強をしなくてはならないと思-っています。

 私の様な未熟な者に、寄稿する機会を与えて下さった事に感謝すると同時に“え、私が…。伺を書いたらよいだろうか?" という気持で一杯です。簡単ですが、私が薬剤師になるまでと、なってから感じた事を書かせて頂きました。

 私が国家試験を受験した年は、問題数が150問から200問へ、選択肢が5択から10択へと変更になった最初の年でした。形式も問題の内容も変ってしまい、合格者が少ないのではないかと言われていましたので、とても不安な気持ちで受験した事を憶えています。実際は、問題は過去のものをアレンジしたものが多く、選択肢もそう多くはありませんでした。

 合格者も多く、その中に自分の名前を見つけた時は“ああ、やっと社会に出られるのだな”と思い、ホッとすると同時にとても嬉しく思いました。その後、縁あって今の職場に就職することができました。

 私のいる病院は、内科小児科専門です。病院の待ち合い室は、お年寄り、小さな子供さんとお母さん方がほとんどです。耳の遠い方、目の不自由な方、いろんな患者さんがいらっしゃいますが、家に戻られてから、薬を正しく飲んで頂いているだろうか、処方された薬に対して不安を待っていないだろうか、と思うことがあります。特に糖尿病薬を処方されている患者さんに対しては注意をしていますが、処方通り飲んで頂いているだろうかと思います。

 病院診療において、患者さんと直接に接する最後の場所が薬局であると思いますと、窓口における服薬指導の大切さを感じます。私達は医師とは達って、患者さんと接する時間が少ないので、患者さんとのコミニケーションが、うまくいかないことを感じます。

 医師から指示されたことを忘れてしまって、私達に尋ねられることかあります。又、処方された薬以外のものを頂きたい、といわれる方もいらっしゃいます。小児科の患者さんの場合、ほとんどお母様方が薬を取りに来られますが、時々、子供さんひとりで来られる時は、途中で落としたりしないだろうかと心配に思います。

 まだまだ学ぶ事が多い私ですが、周囲の環境にも恵まれ、日々楽しく過ごしています。これからは研修会などに参加して、知識を広げて行きたいと思います。又、薬の事だけでなく、いろんな事に視野を広く持って行きたいと思っています。

 最後になりましたが、皆様が健康に留意され、お元気に過ごされる事を心からお祈り致します。

 (S62.第一薬科大学卒業)



 <部会紹介> 「野間部会について」

野間部会長 壮健薬局 岩佐 周一郎

 野間部会は南区の高宮と長住を挾んだ拉置にあり町名は野間、屋形原、中尾、若久、 鶴田、花畑、柳河内、皿山、ハ町内に薬局だけ十六店舗があります。

 天神までバスで30分、又博多駅にも同じ程度で行ける非常に便利の良い立地にありますため、何の商売も厳しい様です。

 店舗はバス通りにほとんど面しています。ス一パーはアピロス、寿屋、生協、マルショク等大型店舗があり、点在しています。会員はOTC薬局と調剤専門薬局とスーパーの中で営業をされている薬局と種々様々です。先生方も20代〜70代の先生がおられ、それぞれ市薬剤師会、県薬剤師会、商店会などのお世話をなさって巾広い分野でご活躍をなさっておられます。

 野間部会は班を作りそれぞれ班長を決めて、地区のお世話をお願いいたしております。班長さんにはおがさわら薬局、上人橋薬局、古賀薬局、日吉薬局の先生にお願いいたしております。又野間部会では薬種商の先生方ともお互いの親睦を深めるため入会いただいております。野間部会の会費は年1万円で毎年一月の末に懇親会を開催しております。

 活動として薬業時報やその他の薬業の情報で緊急を有するものや、情報として利用出来るもの等はコピーをして配布いたしております。

 私は部会長をしておりますが若輩ですので、いつも会の長老であられますみどり薬局の大黒先生に相談役としていっもアドバイスを承り部会が円滑に動く様努力しております。

 大黒先生は部会の先生はもとよりお客様からも尊敬崇拝されておられ、いつも自分の店よりも他の薬局の事を考えて下さっていつも頭が下ります。大黒先生みたいな方ばかりでしたら薬局の色々の問題も起らないのではないでしょうか。

 野間部会には市薬剤師会のためハ面六腑活躍しておられる上人橋薬局戸田先生がおられます。戸田先生は自分の店を犠牲にしてまでも医薬品小売商業組合の副理事長として価格の維持や出店調整、広告等について多方面に渡って西や東に飛び回って活動をして戴いております。

 又緑ケ丘薬局の山ロ先生は学校薬剤師のお世話をしておられますが山□先生は学校薬剤師の事に関して非常に御熱心で勉学に努められておられるので学薬の事はすべて当先生へと思っております。

 まだまだ紹介出来ませんが機会がありましたら次回に御紹介を申し上げたいと思います。

 今後共、野間部会の先生方の御協力でなごやかな部会を作っていきたいと思っております。



 <トピックス>

市薬 学術委員会

LH-RH analo9 の経鼻避妊薬としての可能性と意義

 経鼻的に投与されるLH-RH analogは、子宮内膜症の治療薬としてすでにわが国でも 臨床に使用されているが、このsuperagonistは避妊にも応用できるとして注目されている。

 妊娠を自由にコントロールしようとする試みは、医学の急速な連歩にもかかわらず今日まで完全に解決されたとはいえず、いまだ切実な問題である。1950年代に出現した経ロ避妊薬(pill)とIUDは、従来の古典的な避妊法に比較してその優れた有効性によって、多大の貢献をしてきたことはまちがいない。

 しかしそれゆえに、これらを長時間使用することによって引き起こされる副作用を軽減しようとする努力がいまでも熱心に行われている。とくに、pillは初期のものに比較して現在の含有steroid量はずいぶん減少したが、それにもかかわらず心血管系への影響はいぜんとして主要な副作用だとして論争が絶えない。

 そのような点からいえば、LH-RH ana1ogは非steroid性のペチプドホルモンであり、副作用がほとんど心配されないことから、理想的な避妊薬になる可能性を秘めている。

 もし経鼻投与による避妊法が確立されるならば、女性は希望しない妊娠の恐怖からいままで以上に容易に回避できるし、pillのような連日服用のかずらわしさや副作用(鼻粘膜刺激や性器出血など軽い副作用はあるかもしれないが)からも逃れられるという理想的な避妊法になることはたしかであろう。このことはまた、女性が完全に主体性をもって、だれを気にすることなく秘かに避妊を実行できることを保証し、結果的には女性の性行動に変化を及ぼす可能性をもっているかもしれない。
  (医学のあゆみvol149N0.11 1989.6.10)

過酸化脂質に及ぼす食事中ビタミンE濃度と加齢の影響

 最近の食生活では、とかく脂質の過剰摂取に陥りやすい傾向にある。脂質の過剰摂取は癌や動脈硬化症などの危険因子のひとつとして考えられている過酸化脂質(LPO)の増大をもたらすおそれかおる。一方、生体内にはLPOの生成阻止作用のある酸素や物質が存在する。鄭らは幼若ラットを用いて、脂肪酸の不飽和度を異にした油脂の投与による生体内LPOの生成と食事性ビタミンE(VE)による防止について検討している。

 高齢化時代を迎えるにあたり、加齢に伴う生体内LPOの生成とその阻止に関する研究は重要である。加齢と食事性VE(αートコフェロール)および脂肪酸組成の異なる油脂の摂取が、いかに血清および臓器中LPO(チオバルビツール酸反応物質)に影響するかを検討した結果、亜麻仁油には血清脂質改善作用が認められたが、低VEの条件下では生体内LPOの増大がみられ、それは高齢によってより著しいこと、またそれはVEの充足によって阻止されることも明らかになった。

 近年、脂肪摂取量が増加していること、あるいは血清脂質の改善を目的として多価不飽和脂肪酸の摂取をすすめる傾向かおる。こうしたことは、LPOの増大をもたらす危険がおり、とくに高齢者におけるVEなどの十分な摂取が必要である。
  (医学のあゆみvol.149 No.13 1989.6.24)



 <広  報>

藤 野 義 彦 先生 藍綬褒章受章記念祝賀会

日 時 平成元年六月二十六日 午後六時
場 所西鉄グランドホテル

 今回、藤野先生が受章された藍綬褒章というのは、厚生大臣表彰の上の賞であり、叙勲とは違って、お若い方を対象に贈られる最高の賞だと伺っております。市薬にとりましては、四島久先生以来20年ぶりの本当に嬉しい受章であり、さしもの広い会場もたくさんの参会者で賑わいました。

 この祝賀会の発起人代表として、一番初めにご挨拶に立たれた古賀会長は「いつも店を留守にし、奥さまに迷惑をかけっぱなしで受けられた賞であり、内助の功なくしては、今回の藤野先生の栄誉はなかったでしょう」と、まるでご自分の事のようなご挨拶でした。 次いで県衛生部長(代理野間薬務課長)桑原市長(代理加藤衛生局長)久保田市会議員、 松田医師会長とたくさんの来賓のご祝辞が続きました。

 そして最後に友人代表としてステ一ジに立たれた永松福大薬学部長は「先はどから同っておりますと、内助の功なくしてはという言葉がよく出て来ますが、私の場合は内助のもらいかたが悪かったのでしょう」とウィットにとんだお話をなさいました。次いで高木日薬会長(代理荒巻県薬会長)からの銀杯の受与、藤野先生のお孫さんお二人による「おじいちゃん、おばあちゃんおめでとうございます」との可愛いいメッセージ付きの花束贈呈があり、最後にご夫婦でステ一ジに立たれ参会者に対する謝辞を述べられました。

 乾杯の音頭は、前県薬会長の神谷先生により開宴されました。ステージの横に作られた藤野先生のテーブルの周りは、お祝いを申し上げる人でひきもきらず、私も順番待ちで並んでやっと藤野先生の前に立つことができる程でした。広い会場内は顔見知りの先生方も多く、和気あいあいのうちに過ぎ、あっという間の2時間でした。

 最後は、博多恒例の祝い目出度、万才三唱でしめくくられました。お客様のお見送 りには、藤野先生ご夫婦と古賀市薬会長、荒巻県薬会長が発起人として立たれました。

 この受章を期に、藤野先生の今後ますますのご活躍を期待致します。



 <会議報告> 「三 師 会」

日 時 平成元年6月5日 午後6時
場 所「三光園」

出席者

 来 賓
 福岡市長  桑原 敬一
 前福岡市長 進藤 一馬
 福岡市助役 大石 秀雄
 福岡市衛生局局長 加藤 竺子

福岡市医師会
   会   長  松田 一夫
   副 会 長  大熊 隆人
   副 会 長  多田 秀敏
   専務理事   村山  暁

福岡市薬剤師会
   会   長  古賀 隆
   副 会 長  竹尾 啓二
   副 会 長  高倉 博
   副 会 長  長谷川 宏明
   専務 理 事  藤原 良春
   広報担当理事 木原 三千代

福岡市歯科医師会
   会   長  加藤 坦
   副 会 長  中富 貞次郎
   副 会 長  荻野 琢二
   専務理事   中富 憲次郎
   常務理事   内田 雄康

 私など出席できるとは思ってもみなかった「三師会」に、今回に限り市薬記念誌の取材のためという事で出席させていただきました。

 当日は、懇談会が5時半より開かれる事になっていましたので、私は5時10分、ハラハラドキドキ、めいっぱい緊張して「三光園の玄関に立ちました。

 懇談会は、今回当番の歯科医師会で準備された資料に基づき進められました。司会の中富専務理事より「いろんな方面からの協力要請や寄付のお願いは、どのようにしていらっしゃいますか」との問いかけに、松田会長は「医師会は金持ち団体と思われているようですが、お金を出す時はしっかり値切っておりまして、ことわりきれない場合には、 理事会に諮かりましてを逃げ口上にしております」との医師会長とは思えないようなお答があったりして、なごやかな雰囲気でした。

 懇親会はお客さまをお迎えし、まず出席者の紹介から始められました。ご挨拶に立たれた桑原市長は、よかトピアの現況を話され博覧会の成功に向けてのなみなみならぬ決意を述べられました。

 余談ですが市長は先日、よかトピアリゾートシアターで開催された福大フェスティバルの際にも、宮野学長をして「だいたい挨拶は4〜5分と言われて原稿を用意してきましたのに、市長の挨拶が長すぎて、私の出る幕がありません。」と言わしめる程のご挨拶をなさいました。

 本当に、よかトピアが成功するよう祈ります!

 古賀会長のお席は松田会長の横。しきりに「先生、国立病院の青写真を見られたら、玄関が何処になるのか是非教えて下さいよ」とお願いしてありました。現在の市薬の状況を思えば喉から手が出るくらいに欲しい情報ですよね。そして最後に次回当番の薬剤師会より古賀会長のご挨拶があって終了しました。



 <会議報告> 「理事会・支部長会他」

福岡市内科医会との懇談会

日 時 平成1年6月16日(金) 午後7時
場 所 稚加栄
出席者 内科医会 中村会長、石原副会長、添島理事、武田理事
    薬剤師会 古賀会長、高倉副会長、藤原専務理事、正岡常務理事、成澤理事

 福岡市内科医会からの申し入れにより、医薬分業に関する打ち合せを行った。その内容は、両会長より医薬分業に対する基本的な考え方が述べられ、今後前向きに発展させて行く事の合意を得た。

 内科医会も各区へ話しが降ろされて行く事になり、市薬としても各支部での対応が必要になってくる。その対策として、社保委員会では各種資料の作成を行うことになった。

 〔第195回理事会〕

日 時 平成1年5月22日(月)午後7時
場 所 市薬会館仮事務所
出席者 古賀会長、竹尾、高倉、長谷川各副会長、
    藤原専務、三津家、戸田、松枝、坪根、正岡、藤下各常務、木原、
    高杉、南島、冷川、城戸、小野、藤田、成澤、市花各理事

1.会長挨拶
 市薬通常代議貴会を終え、平成元年度の事業がスタートしました。今回九大病院より藤下先生の常務理事辞任のお申出がありましたので、後任については、勤務部会で人選中です。そして県薬から城戸先生を県薬理事にお願いがまいっておりますので推選いたします。

2.会務報告  藤原専務理事より報告
 @ 福岡市民病院の竣工式が行われ、古賀会長出席。
 A 広州友好10周年祝賀会に古賀会長出席。
 B 理事、委員の辞退について 九大病院より申し入れ有り
    藤下修常務理事、野仲範子広報委員
 C 「生涯教育」実施状況報告について
    S63年度分集計表を県薬に提出
 D アジア太平洋子ども会議について
     5月24日 福銀本店ホール 藤原専務出席予定
 D 三師会開催について
    6月5日 5時30分 於「三光園」

3.委員会報告

4.協議事項
 @ 年間計画について
   先日の部会連絡協議会に於いて深江支部長より指摘があった年間計画について
   は、支部長会を年6回、部会長会を2回開催する事に決定。
 A 国立病院院外処方箋発行問題とこれに関する教育,研修について
 B 内科医会よりの原稿依頼については、正岡社保担当常務理事が提出する。
 C 県薬臨時代議貴会に於ける今回の代表質問は、博多支部高杉正典代議員

 〔第196回理事会〕

日 時 平成1年6月12日(月)午後7時
場 所 市薬会館仮事務所
出席者 古賀会長、竹尾。高倉、長谷川各副会長、藤原専務、三津家、
    戸田、松枝、篠崎各常務、木原、高杉、南島、
    冷川、城戸。小野、藤田、成渾、市花各理事、日高監事

1.会長挨拶
 本日は、国立病院問題に急な進展がありましたので、早めの理事会を開催するはこびとなりました。慎重協議お願い致します。
 藤下先生の後任として、市民病院の篠崎先生がご就任されますので、ご紹介致します。
 新会館建築状況は、基礎工事が終って1F部分の工事に取りかかり、タイルの芭を決定 したところです。

2.会務報告
   藤原専務理事より報告
 @ 国立中央病院との打ち合わせ
    古賀会長、正岡常務理事、藤田胖先生、荒巻県薬会長 出席
 A 北九州市薬代議員会総会が開催され、竹尾副会長出席。役員選挙あり
     北九州市薬会長 未 宗 成 二
         副会長 小 野 英 吾
             脇 園   茂
             久 保 嘉 祐
 B “健康いきいきドーム”第一回経過報告
      5月15日現在
      よかトピア総入場者数
              2,229,503名
      いきいきドーム入場者数
             223,700名(10%)
 C 県薬臨時代議具合
    日時 6月25日 午後1時30分
    場所 県薬会館
 D 勤務部会総会および講演会
    日時 6月24日(土)午後2時30分
    場所 武田薬品椛蜑議室
       竹尾副会長出席
 E「九州薬事新報」復刊断念のお知らせ
 F 市薬常務理事の変更
     藤下修先生の辞任にともない、篠崎正幸先生就任

3.協議事項
 @ 国立病院問題について
  百道の土地購入の件について協議された。
 B 友泉部会に於ける大型店出店問題について協議した。
 B 城南支部より、社保、組織、薬局各委員会に、委員を選出したいとの要望あり。

 〔第1回支部長会〕

日 時 平成1年6月14日(水)午後7時
場 所 市薬仮事務所
出席者 古賀会長、竹尾、高倉、長谷川各副会長、藤原専務、三津家、戸田各常務、木原理事
    支部長 藤野哲朗、高杉正典、松枝茂雄、深江暉夫、南島敏夫、吉田斌、有田俊雄

議 事

1.国立福岡中央病院院外処方箋発行について
 院外処方箋発行に対する受皿作り(面分業を基本に考える)および[シーサイドももち]購入の件について、各支部より各部会に徹底するよう協議された。
2.「友泉部会」の問題について
 市薬としては、どのように対処するのが良いかを話し合われた。

 〔第2回部会連絡協議会〕

日 時 6月25(日)午後5時
場 所 県薬会館講堂
出席者 会長、副会長、理事、監事、県薬代議員、部会長(43名)

 上記のように県薬臨時代議員今に引きつづき、開催され「シーサイドももち」の土地を5年後の会営薬局開設に向け購入する伴について、協議し、各部会長より会員へ今回の状況をよく説明して頂く様要請された。



 「学術研修会」

日 時 平成1年6月20日(火)午後6時30分
場 所 三和化学福岡メディカルホール
出席者数 81名

演題と講師

 「泌尿器疾患と感染症について」
  九州大学医学部講師
    医学博士 松本哲朗先生

 今回の研修会は、市薬学術委員長が藤下先生から篠崎先生へ、バトンタッチされた最初の研修会であり、篠崎先生は出席音数を気にされていましたが、「81名の出席者があり、本当にホッとしました」と理事会で委員会報告をされた。

新理事さん紹介

(社)福岡市薬剤師会 常務理事(学術担当)
 福岡市民病院薬局長 篠崎正幸先生就任
 九大病院薬剤耶 藤下 修先生辞任

 今回、都合により一部理事の交替がありましたのでお知らせします。

 学術担当の常務理事になられました篠崎先生は、S15年生まれで49才、S37年京都 薬科大学を卒業され、西新病院、子ども病院を経て、現在福岡市民病院薬局長です。 奥さまお一人とお子さまお二入のお父さまで、昨年の市薬ソフトボール大会では優勝 した勤務部会のキャプテンを務められたスポーツ大好き人間です。そして馬出の篠崎 正十郎先生の義弟にあたられます。学術研修会のお世話大変でしょうが、どうぞ宣し くお願いします。



 <委員会報告>

〔組織委員会〕

日 時 平成1年5月18日(水) 午後7時 場 所 市薬仮事務所
出席者 竹尾副会長,戸田常務,高杉,南島 各理事,松井,戸田(重),糸岐,深見,吉村各委員

1.平成元年度事業計画について
@ソフトボール大会
  日 時 9月17日(第3日曜日)
  場 所 武田薬品潟Oランド

Aボーリング大会
 日 時 平成2年1月第3日曜日
 場 所 城山ボール
 昼食及び表彰式は,市薬会館又はセントラルホテルで行う。

2.薬剤師斡旋の件について詳細にわたって検討

3.支部,部会組織強化のため,支部規則,部会規則を作る。

4.薬局勤務薬剤師及び部会外会員対策について。

5.第2組織委員会のあり方について。

〔社保委員会〕

日 時 平成1年5月6日(土)午後1時 場 所 市薬仮事務所
出席者 高倉副会長,正岡常務,藤田理事,清水,鶴原,川畑各委員

1.国立福岡中央病院問題について検討
2,レセプト審査

日 時 平成1年6月5日(月) 午後1時 場 所 市薬仮事務所
出席者 小野,藤田谷理事,山口,川畑,大庭,鶴原,清水,岩穴ロ各委員

1.国立病院対策のため,福岡市内の保険薬局のマップ作りを行い,内科医会との話し合いにも提出した。
2.レセプト審査

〔薬局委員会〕

日 時 平成1年6月15日(木) 午後7時 場 所 市薬仮事務所
出席者 松枝常務,冷川理事,篠崎,石井,国武,本村,青谷各委員

平成元年度事業計画

1.よかトピアに於ける健康まつり大会について
 日時 8月6日 午後4時〜7時
 場所 よかトピア”健康いきいきドーム”
  健康茶コーナー担当のため,その準備を行った。

2.福岡市健康週間に行う「薬草観察会」についての予備調査を例年どおり行う。

〔急患委員会〕

日 時 平成1年5月12日(金) 午後7時30分 場 所 市薬仮事務所
出席者 成澤委員長,藤下常務,小松,深見,打越,竹尾,馬場,北島各委員

1.6〜8月分の出動表の作成

2.昭和63年度の業務統計
 平日業務量は過去5年間横ばい状態年末年始は,昨年の1.5倍であった

3.新規出動者説明会 5名 5月13日(土) 午後1時30分より
日 時 平成1年6月2日(金)午後7時 場 所 市薬仮事務所
出席者 成澤委員長,藤下,市花,北島

1.急患診療出動者の勤務部会代表者の変更にともなう事務引き継ぎ

2.平成元年度事業計画について計画案をまとめた

日 時 平成1年6月29日(木)午後6時 場 所 市薬仮事務所
出席者 成澤、市花各理事、深見、打越、鳥場、竹尾、北島各委員

1.平成元年度事業計画について

@ 委員会は年10回開催予定

A 新規出勤者のための説明会は、現在の120名の会員に欠損が生じた場合のみ順次行う。

B 看護婦さん及び日頃調剤業務に携わる事のない職場に勤務する薬剤師を対象に研修会を行う。

〔学術委員会〕

日 時 平成1年6月13日(火)午後6時30分 場 所 市薬仮事務所
出席者 長谷川副会長、篠崎常務、成澤、市花各理事、山田、車田、中島各委員,藤下

1.学術委員会(6/20)の役割分担の確認

2.7月以降の研修会スケジュールの再確認

3.会館落成記念講演会については、会長の意向を確認した上で活動する。

4.前委員長と新委員長の引き継ぎは、場所を換え詳細に行った。

〔広報部会〕

日 時 平成1年6月12日(火) 午後6時 場 所 市薬仮事務所
出席者 古賀会長、藤原専務、木原、城戸各理事、北島委員

1.「市薬会報」7月号の編集について

2.広報委員の変更について
 野仲、宮崎両委員の退任にともない、北島啓子(大名部会)委員を要請



 <支部だより>

博多支部総会

日 時 平成1年5月20日出 午後5持
場 所 ホテルステーションプラザ
出席者 62名
来 賓 古賀会長、藤原専務理事
    田村博多区医師会長
    葛西博多区歯科医師会長
    井上県議、新宮県議
    北岡市議、支杉市議、南原市議

 上記のように博多支部総会が開催されました。支部長挨拶、古賀会長挨拶の後、執行部から提出された報告ならびに議案事項は全て承認され、総会はとどこおりなく修了しました。懇親会は会場を移し、たくさんの来賓をお迎えし、山□先生の司会で始められました。博多支部は調剤薬局が多いので若い薬剤師さんが多いのですが、藤田胖先生は、7〜8人のお嬢さん方に囲まれての嬉しそうなお顔。広報としては、カメラを持ってくるべきであったとくやまれた総会でした。

中央支部総会

日 時 平成1年5月29日(月)午後7持
場 所 セントラルホテル
出席者 39名
来 賓 古賀会長
    早麻県議
    久保田市議、石村市議

 小野先生の司会により、総会が開催されました。松枝支部長挨拶の後、古賀市薬会長の挨拶。古賀先生はご自分の支部のためか、博多支部総会でのご挨拶より、リラックスしたお話しで、少々時間オーバーの感あり。光安龍彦先生による報告及び議案事項は承認 を得、次いで「福岡市薬60周年記念中央支部表彰」があり、明治40年生まれの工藤菊江先 生を心頭に17名の先生方に支部長から表彰状ならびに記念品が受与されました。

南支部総会

日 時 平成1年5月13日 午後7持
場 所「納言」
出席者 21名

 5月13日[納言]で午後7持より総会を開く。藤原専務理事の御来席を得て、大庭南支部長の司会で議事を進め、瀬尾会計より63年度の会計報告があり、出席者は21名。終了後は懇親会を開催なごやかに終了しました。

 雨支部会員数57名中21名の出席で、会員さんがもう少し進んで出席する会にしたいものです。わざわざ市薬の執行部から来られているのですから、市薬や支部に対する意見や要望を述べて戴いて、有意義な総会にしたいものです。  (南支部長 有田使雄)

早良支部総会

日 時 平成1年5月11日 午後6持
場 所「スタジオジョイント5」
出席者 22名
来 賓 古賀市薬会長、藤原専務理事
    深江城南支部長

平成元年度事業計画
 1.支部組織の強化
 2.医薬分業の推進
 3.健康フェスティバルの支援,協力
 4.福岡市薬剤節会事業への参加協力
       (早良支部長 南島敏彦)

西支部総会

日 時 平成1年5月17日 午後7時
場 所「とり市」
出席者 23名
来 賓 古賀市薬会長

城南支部総会

日 時 平成1年5月24日 午後7時30分
場 所「ます」
出席者 14名
来 賓 古賀市薬会長、藤原専務理事



 <第39回福岡市薬剤師会勤務部会 定 時 総 会>

 福岡市薬剤師会勤務部会第39回定時総会が、平成元年6月24日午後2時30分より、武田薬品兜汢ェ支店会議室にて出席者83名で盛大に聞かれた。

 まず、木村浩三会長の挨拶で、入院患者さんを対象とした100点業務に関する問題、又厚生省でまとまった「患者サービスのありかた」に対する病院勤務薬剤師の対応について述べられた。続いて来賓として市薬より副会長の竹尾啓二先生が、古賀会長の代理として出席され、勤務部会定時総会開催のお祝いを述べられ、続いて市薬会館の建設進行状況、及び今年度の市薬事業計画等を説明され、最後に「薬剤師会会員相互の親睦の為に例年どおりソフトボール、ボーリング大会をやりたいと思っている多数の参加を期待します」と挨拶された。

 続いて議事に入り63年度の事業、会計報告、平成元年度の事業計画、予算の審議 が慎重に行われ下記の事業が決定され,3時30分閉会となった。引き続き下記のように講 演会を行った。

          記

1.第39回定時総会
2.講演会
   演題:「最近のD,D,Sについて」
   講師:武田薬品梶@主任研究員 岡田弘晃先生
3.平成元年度事業計画
 (1)例会 @学術研究会 10回
       A講演会   2回
 (2)学術研修会等参加
 (3)開局薬剤師調剤研修に協力
 (4)福岡市急患診療センタ一業務に協力
 (5)福岡市薬剤師会ボランティア活動に協賛
4.出席者 98名
         (こども病院 立花 晃)



 <平成元年度女子薬剤師会福岡支部 総  会>

女子薬剤師会福岡支部長 山手嘉子

 6月4日、女子薬剤師会福岡支部の総会をしました。古賀会長をお迎えして、総会には必ずご出席の鶴先生、森山先生をはじめ30人ちかくの方々に、集まって頂きました。

 場所は荒江の喜水亭で、野口先生の軽妙な司会ではじまり、 総会につきものの堅苦しい話は簡単にすませて、なごやかな中食会になりました。 若いかたからご年配のかたまで、年のへだたりもなく、いろいろな話がはずんでいたようです。

 自己紹介からすこしのべますと、石原伸先生、三谷先生、真木先生、江ロ先生、 生野先生、安藤先生、大沢先生の方々、おとしは、よくしりませんが多分、六十代の後半から七十代の後半でいられて、今なお現役でいらっしゃいます。勝野先生は精神科の医師でいらっしゃる御主人様が、ボランティアで相談にのっていられるそうで、なにかと事が多い世のなか、思い余ることがあれば、専門家のおはなしを伺うこともいいのではないかとおもいました。

 若いほうでは、山岡先生は、予定日を間近にひかえて出席して下さって、感激しましたが、いまお尋ねしましたら今朝お嬢さん誕生のよし、まことにおめでたいことでした。

 出身校はいろいろで、同学同年で三人そろって今日はといった人達もありましたが、 古賀会長はご自分の後輩が多いと、にんまりとしていらっしゃいました。

 市薬で、働きたい希望のひとを組織化することをお考えのようで、同窓会名簿をあつめることからはじめようとおもいます。話題がひろがり賑やかに終始したこの会に味をしめて、このつぎは植物をみる会なんぞ考えています。



 <速報!第21回臨時代議員会>

日 時 平成1年7月15日 午後4時
場 所 「タカクラホテル」
出席者 65名(役員、代議員、一般)
議案第一号 会営薬局用地並びに建物取得の件
  第二号 拠出金に関する件
  第三号 借入金限度額の件

 上記のように、第21回臨時代議員会が開催された。古賀会長は、会長演述の冒頭に 「私が会長になって 、今日で4回もの臨時代議員会を開催しています。それだけ薬剤師職能、また福岡市薬剤師会としても大きな動きがあったことになります。」と言われました。

 試験センター認可、西鉄高架事業に伴なう会館建設用地譲渡、新会館の建設、 そして今回の会営薬局用地並びに建物取得の4件です。

 そして、今回の臨時代議員会では、上記の議案について議論百出の結果、一部付帯条件付きで承認されました。



 <会員の移動>

図表


 <薬連レポート> 「石井道子議員再選成る!!」

(社)福岡市薬剤師会 会長 古 賀 隆

 平成元年7月23日日、遂にやってきた参議院選挙の投票日である。この一日は、私にとって何とも重苦しい長い一日であった。恐らく薬剤師会員の皆さんも同じ気持であったと思う。ここ一週間、新聞各社の世論調査は、比例代表区で自民党は、13+-1名の予想が多かったようであるが、投票前日の政治評論家の推定では、10名前後というきぴしいものもあって、自民党に対する逆風は、まるで台風並である。

 夜に入って開票速報が、テレビを通じて次々と茶の間に送られてくる。予想通り、自民党の出足は全く悪い。次第にいら立ちが高まってくる。11時頃から、比例区の当確も出てくる。12時になる。地方区の惨敗に比べて、自民党の当確が7名出てくる。午前1時、自民党の当確が11名になった。あと1人で石井道子議員が当選する。比例区の当選者は、あと17名くらい残っている。これなら石井議員は大丈夫、当選する。そう思うと何やら疲れがどっと出てきた。

 7月24日(月)、石井道子議員の当選が確定した。自民党大敗の中で、我が候補「石井道子議員の再選!」が遂に成った。

 思えば、この一年間というもの、石井後援会の活動に明け暮れた年でもあった。党員党友の獲得に、後援会員獲得に、何回も、何回も支部長先生に、部会長先生に足を使って走り回っていただいた。一部に批判を受けながらも、競走意識を煽る様なことまでして働いていただいた。一方、今回の選挙は、「マドンナ選挙」と言われる程の流行語まで飛び出したが、薬剤師会もマドンナ候補であり、市薬後援会員獲得運動でも、並居る男性を尻但1、200名以上を獲得して、断然トップに立ったのもマドンナ女氏である。これからもマドンナアポの活躍を大いに期待するところである。

 とにかく、一度落としたら再び帰ってくることのないかもしれない国会の議席を死守するために最後には会員が燃えに燃えた。石井先生自身も、よくも身体が持つなと思われる程東奔西走された。

 そして7月4日、登載順位12位という審判が下ったのである。12位については、前回20位に比ぺて、よくやったという見方と、せめて10位を予想していたのに、という両方の評価に分れるが、私は多数の有力候補の中で、12位は薬剤師会の力がここまで評価されるまでになった、と考えるべきだと毘っている。唯、今回は自民党始まって以来という苦境の中での12位である。だが神は我に味方した。

 今現実に石井議員の当選を果たし得た喜びを、苦労を共に斗った会員諸兄と共に分ちあい、薬剤師会も団結してやれば出来る、という誇りと自信を新たに持って今後の糧としたい。

 時あたかも医薬分業推進、医療法、薬事法の改正、教育研修、薬学教育、薬業界における規制緩和、機能性食品の出現等々、薬剤師を取り巻く環境は、きわめて多事多端である。

 石井道子議員は参議院2期目を迎えて、1期目に培った経験と実績、議員活動を基盤に、2期目は更に飛躍され、薬剤師諸問題に一層の力を盡して取組んでいただきたい。 倍する御活躍を念じてやまない。

 本会報7月盛夏号は校正も終って、明日印刷所へ回す段取りになっているそうである。そこへ石井道子議員当選の吉報である。木原広報担当理事より、急達、今日中に原稿を書けとのお達しである。午後から、荒巻県薬会長と二人で今回の選挙で御支援をいただいた、保育協会、鍼灸師協会、美容組合、福祉協会など10ケ所余りを御礼に参上、夕方帰宅して、草を練る開もなく善き上げたので、読むべき文章になっていないことをお許し願いたい。

 ともかく会員みんなの力で国会に灯した火を更に輝きのある大きな火に出来た喜びと意義を、もう一度しっかり考え直して薬剤師会員発展の資としたい。

 石井道子先生の再選を心から祝して。
                                7月24日夜記



 <薬連レポート> 「今後の課題」

(社)福岡市薬剤師会 専務理事 藤原 良春

 石井議員が再選されたことは誠に喜ばしく、何はともあれ皆様方もほっとされたことであろう。後援会活動の旗振り役をした一人として、私も肩の荷が降りた思いであり、又御協力頂いた関係各位に対し心から感謝申し上げる次第である。

 今回の参院選で考えさせられたことは、今後の政治活動について従来のやり方では駄目だということである。例えば、厚生省の政策及びその遂行に当っては、自民党の社労委、つまり族議員の了解を取ればそれで良かったが、今後は、それだけでは何事も進まなくなる。それにもまして官僚というのは、こういう政治情況下になると、前向きに、かつ積極的には行動しない習性を持っているということを、念頭に置いておかなければならない。政治家と違い官僚は、政治的失敗は許されないからである。

 我々は、国会において石井議員という代弁者を有し、大きな支えではあるが、今までのように自民党一党支配下でこそ可能であった力を発揮することは、かなりむずかしくなると考えられる。従って、自民党だけに目を向けておけばよいという情況では無くなってきた。今後は現在の野党、特に社会党対策をよくよく考えなければならない。仮に次の衆院選において自民党が過半数を制したにしても社会党が大きな力を特っていることに変わりはない。

 又今回も比例代表制であったため当選することができた。名簿順位もさることながら、幸運であったと言える。しかしこの制度が次も存在しているとは限らない。この制度 が無くなったとき、石井3選は可能であろうか。今の我々に100万票獲得できる力が無い ことははっきりしている。

 さて、選挙は終ったが、3年後はどうするのかという問題もある。すぐにでも目標を立てて次の準備を始めなければならない。それについては党派を問わず、薬剤師なら我々の代表とし、全力を上げて支援するということも考えるべきであろう。どういう情況下にあっても、必ず一人は当選させる力を持たなければならない。その覚悟を持って政治に目を向け、団結し不断の努力をすることが6年後の石井3選につながるのである。



 <会務日誌>

5月2日 福岡・広州友好都市十周年記念祝賀会 13:30 ホテルニューオータニ (古賀)

  6日 社保委員会 13:00

  9日 商組福岡ブロック研修会 13:30 県薬会館

  11日 早良支部総会18:00西新スタジオ5  (古賀,藤原)

  12日 急患委員会 19:30

  13日 南支部総会 19:00 納言 (藤原)

  17日 西支部総会 19:0O とり市 (古賀,藤原)

  18日 組織委員会 19:0O

  18,19日 西日本給水衛生協議会総会 沖縄 (坪根)

  20日 博多支部総会 17:00 ステーションプラザ (古賀,藤原)

  22日 県薬代議員会運営委員会 14:00 (藤原)、 第2回理事・監事会 19:00

  23日 福岡県製薬工業協会発足20周年記念祝典 13:30 セントラルホテル  (古賀)

  24日 城南支部総会 19:30 ます (古賀.藤原)

  26日 国立中央病院との打合せ (古賀他)

  27日 北九州市薬代議員会 千草ホテル (竹尾)

  29日 中央支部総会 19:00 セントラルホテル (古賀,藤原)

6月2日 急患委員会 19:00

  4日 女子薬福岡支部総会

  5日 社保委員会 13:00、 市三師会 17:30 三光園(古賀,他)

  8日 商組福岡ブロック研修会 13:30 県薬会館

  10日 薬局薬剤師研修会 13:30 県薬会館

  12日 広報部会 18:0O、 第3回理事・監事会 19:00

  13日 学術委員会 18:30、 新薬研修会 19:00

  14日 アジア太平洋子供会議 14:00 国際ホール(藤原)、 支部長会 19:00

  15日 ふれあい推進協議会 13:30 国際ホール(古賀)、薬局委員会19:0O、全国給水衛生協会総会 東京(城戸)

  16日 市内科医会との懇談会 19:00 稚加栄(古賀,他)

  20日 国立中央病院との打合せ 13:30(正岡,他)、学術研修会 18:30 三和化学

 23,24日 日薬試験センター連絡協議会 広島(古賀,城戸)

  24日 市薬勤務部会総会 14:30 武田薬品(竹尾)

  25日 県薬臨時代議員会 13:30、 部会連絡協議会 17:0O 県薬会館

  26日 藤野義彦先生藍綬褒章受章祝賀会 18:00 西鉄グランドホテル

  29日 急患委員会 18:00

7月20日現在 市薬会員数

 A会員:569、B会員:228、C会員:21、賛助会員:32  合計 850名



 <編集余滴>

市薬 広報部 藤 原 良 春

 「余滴」は昔三津家先生が編集人の頃、編集後記の題名として使われていた。 気に入った題名であるので拝借させて頂き、何げなくお読みであろう会報の裏話しをお届けする。

 「会員のひろば」の原稿であるが、出来るだけ多くの会員に参加して頂きたいと願いながら、頁数に限度があるので、一度投稿された方や県、市薬の役員の方にはなるべく依頼しない様にしている。その点て今回は間違いがあった。それは荒巻県薬会長の原稿である。

 今号の編集会議で、「巻頭言」を誰れにするか検討した結果、種々問題山積の折りであり、県薬臨時代議員会もあるので、今回は荒巻会長にお願いすることにした。ところが届いた原稿を見て編集人はびっくり、とても巻頭言には使えない内容である。どこでどう間違ったのか、後日荒巻先生曰く「私が市薬会報の巻頭言を書くことは僭越である」?とすまして居られる。なるほど、言訳には便利な言葉である。私もこれを使う事にしよう。

 察するに、原稿依頼されたことだけを早や飲み込みされ、「巻頭言をお願いします」という言葉をお忘れになったか、文才のある先生には、たまには気楽なものを書きたいと思われたに違いないと考え、追求しないことにした。

 そのトバッチリで、締切り間際になり私が書かされる羽目になった。全く悲劇である。その時はまだ「僭越である」という言葉を知らなかった。しかし運動神経抜群の私は「ウンチ」を大変楽しく読まさせて頂いた。

 編集人が最も苦労している事は、会員に対する原稿依頼である。850名の会員を擁しているので当分の間は原稿集めに苦労しないはずであるが、慎み深いというべきか遠慮される方が多い様である。

 現在では会員も多くなり、顔と名前が一致しないという声もあって、原稿は顔写真付きで掲載している。不思議なもので写真が付いていると、その文章にも一段と親しみが持てるものである。原稿依頼があったときは、折角の機会であるので、自己PRに利用して頂きたい。

 市薬会報の評判が良くて、県薬会報にも大分影響を与えた様である。そのためか古賀市薬会長、三津家常務理事まで県薬会報の編集に引張り込まれてしまった。その結果、最近の県薬会報は大変良くなっている。特に7月号になってまとまりを見せて来た。 ところが古賀会長の言によると、お二人ともお払い箱になったらしい?

 その理由は、県薬に大変有能な女性理事が会報担当として加わられたためとか。 それが本当なら、三津家先生に再び市薬会報のお手伝いをお願いできるわけで、こんな目出度いことはない。市薬会報は益々充実し発展することになる。

 一冊の本にするためには、集った原稿の割り付け作業が重要で、ここが編集人の腕の見せ所である。この時必ず紙面に余白を生じる。これをカットで埋めるのは簡単であるが、それでは間が抜けて紙面に締りがない。

 シリーズで出ている野仲先生の「バードウォッチング」も好評を得ているが、当初は余自用の穴埋め原稿として始まった。現在でも取り扱いは穴埋め用である。従って筆者には大変失礼であるが、「今回はOO行で書いて下さいとか、○○行削って下さい」 とかお願いすることになる。

 過去私が書かされた原稿は、すべて穴埋め用であった。今号、又もまるまる一頁空白。穴埋め原稿を3枚と10行で書けとのこと。時間は一日しかない。この一文がそうである。



 <川  柳>

博多人形

国民を 殺してまでも 権力か

独裁を 支えられるは ただ恐怖

マルクスの 実験国家 どこへ行く

山笠の 男の祭りで 梅雨明ける

年老いて 娘に引かれる 武骨な手

議長まで 熱くなるとは やはり夏

消費税 公約違反が 命とり

参院選 一人でこけた 自民党

どうしても 廃止しますか 消費税

廃止には 大きな負担 誰れがする

その負担 まかせて下さい 社会党

できてきて 気付くミスの なさけなさ




 <編集後記>

・やっと夏になりました。梅雨明け宣言が出されたからか、今朝の風はドライです。信じられない事でしたが、久保田市議の原稿が届きました。お忙しい先生には一年前から、お目にかかる度にお願いしつづけ、やっと書いて頂けた一年がかりの原稿です。

・前号でのミスに落ち込んでしまっていた私に、古賀先生は「テルモ通信 N0.4」をくださった。その中に会長に聞くと言うコーナーがあって、今回は福岡市薬会長へのインタビュー記事が載っています。そしてそのタイトルが「広報による情報活動と組織の強化」となっているんです。どんなに嬉しく思ったか・・‥‥・・・

・今回、臨時代議員会を速報という形で取扱いました。本来は議事録として伝えるべきではないかと悩みましたが、情報を会員へ早く知らせるという広報のもう一つの使命を思えば許されるかなと思って、校正の段階で空白を使って掲載しました。次号の発行は9月30日になりますので。

・県薬広報に美人スタッフが二人揃われたとか、市薬にも同じ北島さんですが、啓子さんという若い美人がお手伝いしてくださる事になりました。よろしくお願いします。

・23日から24日にかけての興奮で、今日は少々疲れ気味です。予想では参院選はアブナイのではないかと言われておりましたので、余分に頁を空けておりませんでした。ところがです当選したのです。あわてて嬉しい2ページを追加しました。
  (木原)