会報第29号 平成元年5月31日
 ■ 巻 頭 言

 ◆ 元 年 度 の 課 題

(社)福岡市薬剤師会会長 古 賀  隆

 4月22日、第20回通常代議員会も無事に終えることが出来、元号も新たな平成元年度事業に取組むことになりました。今年度の事業計画については、別掲の代議員会議事録をお読みいただきたいと思いますが、ここでは重点事業の中から二つを取上げて会員諸兄の御理解と認識、御協力をいただきたいと思います。

 先づ医薬分業推進についてであります。日薬誌、薬業新聞等で御承知の通り厚生省では,医薬分業推進基盤整備事業5ケ年計画の一環として、外来患者数の多い(大体500人以上)国立病院を対象に院外処方箋を現在の平均8%から10%〜30%発行を目途として具体的実施計画案を6月末日までに厚生省に提出するよう対象国立病院に指示しております。福岡県では国立小倉病院と国立福岡中央病院が対象となっております。このように国が積極的に院外処方箋発行に踏み切る姿勢に対して、地元薬剤師会としては当然、積極的且つ早急に受入態勢を整備しなければなりません。

 国立福岡中央病院については、三年前にその機運にあって、病院側と正式に析衝を行なった経緯があり、その時は事情あって中断のまま今曰に至って居ります。御承知のように同病院は国有地の中に所在しており、地理的に会営薬局の設置は困難な状況であり、分業本来の姿から見ても面分業の形で受入れるのが至当であると考えておりますが、これについても諸条件の整備が必要であり、今後病院側と充分協議を重ね最善の方策を見出したいと考えております。

 次に薬剤師生涯教育の問題であります。従来より薬剤師研修については地域薬剤師会において独目に計画、実施されておりますが、去る2月22日の日薬代議員会において、議論百出いたしましたが、薬剤師研修財団(仮称)の設立が可決されました。これは日薬、病薬を問わず、全国薬剤師を対称として、自主的に薬剤師研修の機構確立を図ろうとするものであります。高度且つ、広範多岐にわたる医療供給の社会を迎えて、薬剤師の専問知識の活用が医療現場において強く求められる時流に来ております。

 このことはOTC薬局においても然りであります。患者、お客に接して服薬指導、重複投薬の有無、薬歴管理等から医師への情報提供など適確な業務を行なうには常に新鮮な医薬品情報、知識を学修し続ける義務があります。そうでなければ薬種商と何等変ることのないただの医薬品販売業者に過ぎません。日薬の研修財団機構はまだ準備段階であり今年度直ちに実施されるわけではありませんが「医薬品の特殊性」に安住する物売り薬剤師の時代はすでに終ったことだけは、しっかり認識しておく必要があります。

 以上二点について述べましたが、実際上、会員に対する啓蒙については、やはり支部活動の中に取入れていただかなければ、本当の理解を得ることはむつかしいのではないかと思います。 今年は支部活性化のためにも是非、支部の事業計画の中にとりあげていただきたいと患います。



 <特別寄稿> 「イ ン ド の 旅」

九州大学薬学部生薬学教室 助教授 正 山 征 洋

 今年1月上旬から2月上旬の間、マレー、インドにおける文部省の海外学術調査に参加したので、その調査旅行の一端を御紹介します。

 インドは多くの文化的遺産を有する魅力に満ちた国だろうと期待していた。ところがインドでの第一夜を過すデリー市内のホテルに着くなり、一同少なからずショックを受けた。1月中旬のデリーは10°C以下と思えるくらい夜の冷込みはひどく、そのためホテルのボーイ達は皆頭から黒いガウンを羽織り、ひどい咳をしている者が多かった。我々が日本人とわかると、多くのボーイが集まってきて、荷物を奮い取り競って運搬をはじめた。また、数人のボーイは耶屋に入り込み、ベットメーキングやポットの水替え等、色々なことをやりだした。真夜中の出来事である。これは少しでも多くの、また、なるべく多くの人がチップを手にすることが出来るようなシステムになっているためである。それにしても印象の悪い第一夜であった。

 インドはアュルベーダ医学の発祥の地なので、各種薬用植物の栽培地が各地に点在しているものと期待して調査を開始した。しかし訪れた研究所や試験所の多くは、Medicina1and Aromatic Plants という看板はかかげてあるものの、お粗末な施役が多く、その上ほとんどの施設が薬用植物の研究よりも香料植物を主体にしていた。それらの主なものはパーマ9−サ、シトロネラ。ベチバ、レモングラス、ハッカ、ラベンダー、ゼラニューム、ユーカリ等である。これらの植物については精油含量の高い品種の選抜や交配による品種改良が行なわれているということである。

 一方薬用植物は前述の香料植物程は重要視されていないという印象を受けた。この中でステロイド製剤の原料植物であるヤマイモ属植物、トロパンアルカロイドの原料植物であるベラドンナ、ヒョス、ズボイシア、また、ビンブラスチンの抽出原料であるニチニチソウ等についての研究が行なわれている。

 しかしなんといっても日本と最も関わりの深い重要な薬用植物はケシであろう。インドでは1、000年以上の栽培の歴史があるという。世界の阿片の生産は年間約700トン(1986年)で、その大部分はインドで生産されている。かっては日本でも阿片の生産をしていた。大正の初期、政府の奨励策で大阪府や和歌山県で盛んとなり、阿片を輸出するまでになっていた。

 しかし敗戦後ケシ栽培が禁止され、昭和30年に阿片法の制定で再び栽培と阿片採取が可能になったものの、生産は低迷し、現在は阿片の年間需要量の約60トン全てをインドからの輸入に依存している現状である。このため是非とも生産地を見学したいと考えていたが、残念ながら実現できなかった。

 しかし関係筋の話によると各地の研究機関で品種改良が試みられ、通常の果実から出る乳汁(阿片)量に比べ、40〜50%も多いShwetaやShyamaと呼ばれる品種が育成され、栽培化されつつあるという。以上の薬用植物に順ずるものとしてスパイスの生産があげられよう。

 インドと言えばカレーを達想する人も少なくないであろう。カレー粉には40種くらいのスパイスが使われるという。トウガラシ,カラシ,ウイキョウ,ヤクチ,ベパー,ナツメグ,ケイヒ,ウコン,ガジュウ,ショウガ,コプラ,ケシの実等々で,市場ではそれらを山の形に盛って売られている珍らしい光景が印象的であった。客はこれらを少しずつ買い求めて混合し,カレー粉の出来上りである。これらスパイス類は薬用に供されるものが多く,また,近年注目されるようになってきた機能性食品の範喘に入るものも少なくないであろう。

 カレー粉が出たついでに,インドのカレーについて少し触れてみよう。種類はチキン,マトン,魚,野菜などで,ヒンズー教の国だけあって。ビーフカレーやポークカレーは御法度である。日本のカレーとは異なり,さらっとしたお汁で,辛さの方は激辛以上,さらにダイナマイトと呼ばれる青トウガラシをすり下したものや一味トウガラシをかける御仁も少なくない。通常、小麦粉やトウモロコシの粉を延ばして焼いたチャパティーやナンと呼ばれるものを御飯と共に食べる。一般にはスプーンは使わず、右手で[]にほうり込むのである。絶対に右手に限られるようである(何放なら、左手はトイレットペーパーの代用とか?)。

 調査期開中は乾期で、毎日カラカラ天気が続いていた。この乾期を利用し、牛糞からの燃料作りが各地で行われていた。街角の信号でタクシーが止ると物乞のためかけ寄って来る子供。鉄道の駅舎の雑踏と線路に現われる夥しい数のネズミ。アグラーのタジマハールやエローラの石窟群等無数の文化遺産。デリーをはじめとする大都市の高層建築。過去と現在が同居するタイムトンネルを潜抜けている錯覚に陥りながら、あっという間に終った3週間の調査旅行でした。



 <特別寄稿> 「対人保健サービスについて」

西保健所所長 松 本 邦 博

 先日、薬剤師会報に何か投稿して欲しいとの連絡を受けて、どうしようかと迷いましたが、結局、投稿することにしました。日頃から、薬剤師会の先生方には保健所の 業務について大変お世話になっていることについて、紙面をお借りして心からお礼を申し あげます。

 さて、テーマ自由ということで、勝手ですが保健所の仕事の中で、対人保健サービス(予防課)について紹介させていただきます。保健婦の仕事を紹介することで、予防課の 仕事の概略がお分かりいただけると思います。そんな意味で、今日は保健婦について紹介させていただきます。

 保健婦は看護婦の資格をとり、さらに一年間、公衆衛生の専門家として、公衆衛生看護を中心に公衆衛生活動に必要な種々の教育を受け、国家試験に合格して保健婦の資格をとります。
保健婦の活動分野として
 @保健所
 A市町村
 B事業所、学校
 C病院、診療所
 Dその他
幅広い分野にわたって、健康管理や健康作り のために活躍しています。

保健所における保健婦の主な仕事は
 @ 家庭訪問
 A 健康教育
 B 健康相談
 C 集団健診
 D 地域組織活勤
などにまとめることが出来ます。

 @の家庭訪問は、仕事のなかで最も特徴的なもので、必要に応じ、医師との連絡を密に しながら、それぞれの家庭にあった保健サービスを行っています。例えば、初めて赤ちゃ んを育てるお母さんには育児のコツを。結核の患者さんについては結核の知識や家族検診 の必要性などについて。脳卒中や寝たきりの人には、その家族に看護とリハビリテーショ ンなどの指導を。また、精神障害の患者さんには服薬の継続の必要性やその家族には人間 関係の大切さを。それぞれ家庭状況の応じた健康相談や看護についてアドバイスしていま す。
 Aの健康教育は、保健衛生について健康を保つための正しい知識と技術をあらゆる機会 をとおして行っています。
 Bの健康相談は、健康に関する心配、悩みなどについて相談を行っています。
 Cの集団健診は、病気の予防と早期発見のための集団健診に従事しています。
 Dの地域組織活動は、健康作りは地域の方々との力を合わせていくことが必要です。

 保健活動が円滑に、効果的に行われるように地域の方々との連携をとりあいながら業務を進めています。

 ご存じのように、わが国では医学、公衆衛生の進歩、教育水準の向上、環境の改善などにより急性伝染病死亡率、結核死亡率が著しく減少し、訂正死亡率と平均寿命の延長は世界のトップとなりました。しかし、一方では、このすばらしい改善の結果と乳児出生の減少によって、世界に類を見ない早さで高齢化社会を迎えつつあり難しい問題が多く出てまいりました。

 今後は、お年寄りが健かで生きがいある老後を送れるような生活環境を作りあげることが如何に大切かは云うまでもありません。そのためには国民の一人一人が若い時から、日頃の生活の中で健康に関しての正しい知識をもって、健康的な生活行動を心がけることがますます重要になってまいります。

 保健婦は保健所でも、地域でも成人病予防を中心とした健康を作るための知識と技術の普及のため努力しています。
 今日は保健婦の仕事を通して保健所予防課の仕事を紹介させていただきました。  どうも有難うございました。



 <投 稿 俳 句> 「新    緑」

岸 郎

               石楠花しゃくなげのこぼるるばかり空青く

               石楠花や目白と蜂と競いおり

               石楠花の季節となりぬひとは今

               青といい緑も似合う五月かな

               五月晴という青年頼もしく

               花水木白く朝陽に輝やけり



 <特別寄稿> 「私は変る あなたも変る」

エーザイ兜汢ェ支店 支店長 潰 田 昌 則

 親愛なる野仲範子先生より[一筆寄稿を!]との依頼を受け、ペンを走らせてます。

 「会うは別れの始め」とはよく聞きますが、「再会も亦楽しからずや」という心境です。昭昭47年から50年まで九大を担当させていただきその後職種は替ったものの、九州で8年の間勤務しました。この4月1日付で再度、福岡支店勤務を拝命し過日着任したところです。遠く離れていた故郷をたずねる心境で4月1日九大を訪ねてみました。すばらしい桜並木を賞でながら「あの建物は…」「このコートは…」グランドは、又玄関前のきれいに手入れの行きとどいた造園は等々、タイムトンネルをくぐった様ななつかしさで、眺め、確かめ、一人でうなづいておりました。

 歳々年々花相似ても、年々歳々人同じからず、と申します。自分が担当していた当時からすれば、十有余年の歳月が流れており、親しくさせていただいていた先生方との再会は何年かぶりに同窓会に出席した時の、なつかしさと、多少のおどろきとに似た感激をおぼえているところです。

 世はまさに、変化の時代、変革の時代、リストラクチャリングの時代に入ってます。 エーザイ福岡支店の今年の標語を「私は変るあなたも変る」とし、各人に何を、いつまで に、どう変えるかをテーマとしました。

 現在、国民の大きな関心事である医療ビジネスに身をおく我々にとって、一番大切なことは、「患者とその家族の立場」と「生活者の健康」に基点をおいたスタンスだと思います。営業の原点をそこにおいて、基本に忠実に頑張ってみたいと思ってます。エーザイには、「創業精神」が明示されており、グローバリゼイションを目指し、海外向け社内報(Eisai Bulletin)には下記の様になってます。

Quolity reseach results in quolity products.
Aggressive promotion of quolity products generates steady profits.
With steady profits,businessdevelops and employees are well rewarded.
Consistently develop new products.
Sell the product called quolity.
Promote with honest and tact, and bring better health to people everywhere.
This is the Founding Spirit of Eisai.

 アンダーラインの部分は、コードでは、「世界の国々の多くの人々の健康福祉に奉仕する」となってます。私は、その第一歩は、社内にいる囲りの人々の健康と福祉に気を配ることだと考え、事務所内での「禁煙」に協力して欲しい旨、第一声を発しました。

 これからは、私も親愛なる先生方から、「呉下の旧阿もう」といわれる様、日々新たな気持で、「医療ビジネスに必要な人」を目指して、「私は変る」に努めて行きたいと念じております。

 会員の皆様方の暖かいご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。



 <会員のひろば> 「学 薬  昔 も 今 も」

野間部会 緑ケ丘薬局 山 □  博

 ○年6月 新米学薬の初出勤風景は? 「先程電話しました様に、学校薬剤師として検査にきたのですが」「ちょっと待って下さい。うちはそんな事頼んだ事はありません。 丁度、校長も留守していまして、薬なら間に合って居りますが、どうぞお引取りを!」 「ええっ!!薬売りではないんですよ。市教委より頼まれて照度の検査に参ったのですが。」(ああ、情けない、これじゃ先が思いやられるなあ)応接の○小教頭先生のカタサには参った。ところが救いの神、現れる。旧中学同窓のA先生が授業終り職員室へ、件の教頭先生も態度急変、真相を理解され無事検査も終了、おまけに給食のご馳走をうけメデタク新米学薬初日を終る。そのA君は既に停年退職?

 ○年4月 ○小校長先生、養護の先生を伴い挨拶にみえる。学薬辞令書受領す。 「次の連休明けに今年度行事予定打合せにお伺いします。今年もどうぞ、よろしく」

 ○年6月 ○小の校内環境安全衛生巡回点検を行う。梅雨前でもあり大雨時の災害予防も兼ねる。外塀の傾斜?側溝のつまり?築山の土砂?体育用具?手洗足洗場?清掃?植木の繁り?等、殆ど異常なし。○小はいつも校内がきちんとしていて気持がよい。保健安全優秀校の資格充分である。

 ○年6月 ○小校“手洗い清浄度検査”を行う。全校行事にて各学年男女各5人全60人の為、学薬同志5名の応援を受ける。結果は手洗前。大腸菌+60中9 保菌者15%
  +者  4 3 1 0 0 1計9
  学年 1年2年3年4年5年6年計60
流水洗後大腸菌+12中3 保菌率25%
石鹸洗後 〃 +13中2 保菌率15%
評)保菌者意外に多し。特に手洗後も清浄されず、手持ハンカチ・タオル・着衣拭により 逆に菌汚染している。問題点多し。又ぎょう虫卵保有率と正比例するのも面白い現象。
 同志諸兄よ、その節は御苦労様でした。

 ○年6月 ○校内食堂食器検査を行う。非公式だが、澱粉・脂訪・大腸菌群すべて+〜+++だった。原因は手洗い意識の不足につきる。小学校なら大変な事である。その後は改善されたと聞いている。無事故を祈ってます。

 ○年7月 「先生、大変です!すぐ来て下さい!」○小校長先生より緊急達絡。聞けばフケの多い女子のプール入水をめぐり騒ぎがあったらしい。頭虱の疑いである。当方は未経験(困った)すぐに学薬受講資料(県学薬の伝達講習会)をひもとき頭に入れ出校、更に保健所より最新情報を入手、丁度“頭虱”が全国的拡がりをみせ市内にも蔓延中とか、 早速に鏡検(×80)して虱卵片と断定し対応策を指導した。本件以来、○小校長先生より の信頼も厚くなったと思考する。

 ○年7月 ○新聞記事“○小プールにて児童急死!”おやっ、担当校だ!すぐ登校す。校長室・事務室は警察・マスコミ・関係者でごったがえしている。水泳中に心臓発作を起して浮上せず一瞬の出来事であったらしい。特に持病もなく医師も公認にて、担任の50代中ばの先生、大変だろうなあ。私も安全衛生面では一層注意していこう。

 ○年7月 「先生、テレビ出演をお願いしたいのですが?」「はあ??」○小校長先生より依頼があり。(一般TV放送と勘ちがい!ドキリとするではないですか)先生もお人が悪い。実は保健衛生のお話を校内テレビ放送を通じてお願いしたいとの事。「ま、そういう事なら喜んでいたします?」というわけで○日正午過ぎに“手洗いについて”5分間のテレビ生放送を行う。ライトを浴び乍らテレビカメラとにらめっこの講話、少し難しかったかな。この次はもっと上手に話すからね。

 ○年7月 ○小保健安全委員会はいつも児童向教育ビデオ特に性教育用映画で始まる。最近は映写技術の高度化で子供の歓心も惹けそう。昔の子供はとてもついていけないなあ。今の親は子供から「こうだろ!」と教えられたりして。なんちゅうこっちゃ!

 ○年7月 「先生、プールの水がおかしいんですが?」屋上プール使用の○小教頭先生より緊急連絡。早々に出校す。プール水は薄汚れ赤黄色、PH6以下の酸性溜り水だ。 炭酸ソーダ(中和剤)を計算量投入してもダメ、更に少量追加投人して後、やっと一瞬の 中に透明を回復する。但し残滓が沈積して後の処理が大変な事である。納入した○薬品社 も助勢に一役、現在ではPH値の注意深い観 察と対応、即ち中和剤の定時投入とプール貯 水の上手な交換が必要であろう。

 これからその季節到来である。
 願わくば、事故無く二学期が迎えられる様、祈るのみである。



 <会員のひろば> 「近づいた娘の結婚」

今宿病院 長 紀子

 英文科進学を夢みていたのに、どこをどう間違えたのか、父の「大学は九州圏内」という一言で、それも中学の修学旅行の時にとても雰囲気の素適だった長崎の薬学部を出て、はや二十数年が過ぎた。

 一年もたたないうちにお見合い結婚して、子育てに夢中で、主人に「本当に免許持ってるの?」と言われる程、薬学には未練もなく、抵抗もなく、生き生きと主婦していましたが、突然の主人の死で、薬剤師の免許がよみがえってからも、早いもので二十年近くたちました。

 幼椎園入園の娘と息子(年子)を連れて実家に戻り、二、三年は子育てをしながら女子薬剤師会に入って、少しずつ社会復帰をはじめました。主人を亡くしてから人の命のあっけなさをっくづく思い知らされ、あと残りの人生は、ゆったりと過ごそうと心に決め(O型で双子座の性格が幸いしたのか)子供達は、戸畑のミッションスクールでのびのびと育ちました。

 さて、そろそろ将来のことをと考えた時に「福岡の方が大学もあるし近くていいんじゃない」という妹夫婦の勧めで平和台近くのマンションに移り住み、長女は環境が似ている方が良いだろうという母心でミッションに通い、そのまま推薦入学して、思いがけず母子二代の薬剤師が生まれました。

 二人で勤務部会などへ参加すると「まあー、いいわね。母子揃って」と声をかけられ、回りの若い薬剤師さんが自分の娘と同じ年頃なのにドギッとしたり(自分では、まだまだ若いつもりでいましたので)。

 もう少し二人で成長したかったのだけど「結婚してもいい?」と娘の結婚宣言の前には、全くの無力であることを思い知らされました。5月の挙式を前にまだ他人事のようでもあり、あと一月で本当によその人になってしまうのねと思うと、すごく悲しくなって、出勤途中車を運転しながら涙が急に溢れてきて、サングラスでカバーしたり、予想もしなかった事態に娘も驚く仕末。

 全く精神状態の不安定なのは、娘より私の方なのですから。娘は半年も前から病院の方へはお話していたのですが、後任がなかなか決まらず「本当に私やめられるのかしら」とペアで働いてくださった後輩のことを思い、結婚のための準備や荷作りは、今一歩進まない日々であります。

 でも女の子はお金かかりますね。これ、全くの実感です。物のない時代とは違い、 お全さえ出せばどんな立派な物でもある時代、自分で貯金ができる程勤めてもいま廿んので、ドーッと私の肩にかかってきます。その上、馬鹿みたいと言っていた何十万もする花嫁の貸衣裳も、やはり人並みに着せてやりたくて、世の親は皆、こんな疑問を感じながら同じ事をしているのかな…。

 だから結婚産業が、あんなに急成長したのだとぼやきながら、娘らしい結婚式ができるのを期待している近頃なのです。学生時代に「持参金の代りに、この娘には教育費は何百万、その他いくらかかりました。と背中にはってやりたいわ」と言ってらした先輩のお母さんの言葉が、変に現実味をおびて急に浮かんできました。

 世の中にいらないもの「娘」ナンテ。でも私もこれからの人生、薬剤師の免許にしがみついて頑張っていくしかないが会員の皆さま、どうぞよろしくお願いします。

 鼻腔投与患者の薬を粉砕機にかけながら病院の調剤室にて、ちょっとコーヒーブ レイク。



 <会員のひろば> 「ブ タ ネ コ」

名島部会 こうまた薬局 吉村 きく子

 三年前の12月、洋服ダンスの上まで、飛んだり、ガサゴソの怪しい音に最小限の生理的 要求以外、辛棒強く見張り続けて、音をあげた鼠の尻尾を何匹も残し、人にすごく従順な シマネコのクマが、猫盗りにやられたか、オスネコの家出かでいなくなって一ケ月後だっ た。

 やせたオスで、成猫直前の黒猫が入り込んで来た。クマのいなくなった淋しさに、飼 おうとはしたが、人の様な上り眼に、その上から耳まで薄くて、気味悪くなってしまった。

 「困ったものだネ。どうしようか。」2.3日すると吐いたり下痢したりの猫のジステンバー。他の猫に移るのでと、入院を断わられ、ダンボールにビニール、新聞紙、紙オムツを敷き、ガムテープでしっかり止め、時々開けて、怪しく臭うとすぐ取り出し、2人掛りの下の世話で、通院しながらの自宅療養。やっと白血球が減り、水を飲み始めて騒動はおしまい。どこかへ置いてこようとのもくろみも一緒に終った。(防臭紙オムツは全くよく効く。お蔭でウンチの臭いが、部屋中に余り漂わなかった。)

 夜廻りを始めた。傷を受けた直後に見つけて消毒しないと、血膿が新しい壁や障 子に散った。何ケ月も、アレルギー性鼻炎になり、くしゃみで鼻汁がネコの座布団を汚な くした。私の布団には出入禁止にしている。夜、ふすまを開けて入っては、掃き出しへ歩 いて行き、とぼけてトイレヘ行きたいふりをするので、サッサッと、台所から外へ追い出 してしまう。二階の三男の部屋だけドアでないので、夜、侵入されて、ゴロゴロ喉を嗚ら されて、寝不足気味になり、「眼の下が黒くなるよお母さん。」と訴えるので、つっかい 棒の仕方を教えた。本当にクロが、寝たがるのは二男なのだ。どうも体温が高いのではな かろうか。

 見上げる背丈の息子達はクロを抱く。夏は汗で、毛が腕につくから禁じている。 人の顔をぺロッと舐めるので、口にさせるのだけは禁止。2匹の犬達に対しても同じであ る。主人には、来客中に、自分のペットをかわいがるのはおかしいよと注意した。私は、 誰もいない台所で、クロを抱く。息子達に、「お母さんは、クロに一番やさしく物を言う。」と言われる。

 最初は頭に人の手が当たると、爪をかけ咬みついていたが、一年もすると、気が和んで甘咬みだけになった。

 納骨堂や畑で友達とー緒に居るのも見かけた。所が彼に一大事が起った。ノラ猫の子供の父親になっているので、どうかしてくれとクレームが入った。ノラ母子と始終一緒だし、そっくりの子猫も居ると云う。早速手術に決めた。だが息子達3人とも「クロは、運動神経最底、根気なし、自慢は玉が大きいだけなのに!」と反対した。主人は、近所の手前、病院へ連れて行った。自慢の玉が縮んでしまったクロはもう血膿を散らさなくなった。

 今は、店の椅子に、黒い巨体を乗せて、お客をギョッとさせている。本当に招き猫なの だろうか。だがまあ、人の云う通り運を運んでくれると信じていよう。



 <会員のひろば> 「ここだけの話ですが・・・」

林眼科病院 森田 貴子

 大きな声では言えませんが、私は大学時代所謂『落研』に所属していました。どうして大きな声では言えないかと言うと、『落研』と人に話すと、必ず“クスッ”というリアクションをされるからです。我が家の親に至っては、浴室の反響音を利用して練習している私に、「御近所に恥かしいから止めなさい。」と言うのです。どうやら『落研』というのは人から笑われ、世間に対して恥かしいクラブのようです。

 入部する時は裏方希望で『寄席文字』なるものを習いに通ったりしたのですが、否応無しに芸名がつけられ、高座へ上らざるをえなくなりました。落語が好きで入部したわけではなく、落語とは何ぞや?未知との遭遇のつもりで入部したものですから、練習と言われても何が何やらさっぱりわからず、落語の本を買い込んで、できるだけ短い話を兎に角丸暗記です。モノ・ジ・トリを八つぁん・熊さん・旦那さんに置きかえて、化学構造式など覚える暇もなく、上下(かみしも)のつけ方、目線、顔の位置etc.を先輩達から叩き込まれ、あれよあれよという間に初高座となったわけです。

 友達に頼み込んで席を埋めてもらい、緊張感の絶頂で高座へ・・・顔に血が上る。 早口になってくる。人が席を立ち始める。やっぱり受けない、15分間の初高座は足のしび れを感じる間もなく終ってしまいました。

 これで凝りれば良いものを、仲間にヨイショされ、それではと話のネタを変えて次の高座を目指してしまいました。一度受けると、初めてしたギャンブルで勝った時のような、何とも言えない嬉しさに包まれ、お調子者の私は、とうとう4年間高座に上がり続けることになりました。

 ポップスの歌手のコンサートの前座、落語家(真打ちではありませんが)の前 座、六医薬系大学合同発表会での紅一点等々下手の目立ちたがり屋は、初心を忘れ、与え られたチャンスは全てチャレンジしてきました。

 極め付は「敬老の会」での高座です。先輩から「老人会へ行くと、補聴器をテーブルの上へ置かれ、顔よりも目を正面に向けて聞く人が何人かいるが気にしないように」とのアドバイスを心して、一番ポピュラーでお目出たい『寿限無』を演目に選び、高座へ上がりました。ゆっくりはっきり話すことを心掛けて幸先の良いスタートはきったのですがそれも束の間、

 和尚「……………………生あるものは必ずいつかは死ぬ。一生死なんというわけにはいかんが云々」

 どうしよう!早口で喋り過ぎようと思ってもリズムは変らず、声のトーンだけ下げて、どうか聞こえていませんようにと胸の中で手を合わせ、補聴器だの笑いが遅れるだのそんな贅沢な不満はあっという間にふっ飛んでしまいました。その日の帰り、後輩と2人足代を載いたのが申し訳なく、正直に部費へ回した覚えがあります。今では笑い話ですが・・・

 結局4年間やってみて、入部する時の落語とは何ぞやという疑問に自分なりの答えすら出せませんでしたが、愛すべき与太郎君や今では少なくなった下町の人情味豊かなハつぁん・熊さん・御隠居さん等々に出会うことができ、殺伐とした東京での生活が随分慰められたような気がします。

 『落研』と聞いてクスッと笑ってしまう皆様、極普通の人間が至ってまじめに、至って真剣に取り組んでいるのがおわかり載けたでしょうか。それでもやっぱりクスッと笑ってしまうなら、ここだけの話にしておいて下さい。

 九大病院の野仲先生の優しそうで、冷静な、そしてどこか有無を言わせないというお声で「大丈夫ですよね」と言われると「はい」と言わざるを得なくなってしまいました。
    -原稿依頼についての森田先生のお手紙より-



 <コラム> 「課 税 業 者」

 4月1日、消費税実施の初日のことです。

 「リポD一本、消費税がつきますので、 133円いただきます」

 「昨日までの商品にはついとらんとやけん、130円でよかろうもん」

 「でも、うちは課税業者ですから、今日の。売上げから税金がつくんですよ」

 「ヘェー、あんたんとこ、3、000万円以上売れようと?」

    ♪バカにしないでよ。今の言葉、プレイバック♪

 それにしても62年度から、タバコを取り扱ったばかりに、わずか150万円オーバーして、3、150万円で申告したばかりに

       あーア、課税業者とはね……
                (ブッブツおばさん)



 <フレッシュさん紹介> 「薬剤師としての私」

福岡大学薬学部薬品分析学教室 助手 荒川 博美

 昨年の秋より、急患センターの方へお世話になっております。2年近くも大学の研究室での仕事を続けてきた私にとって、急患センターでの調剤業務というものは今までの仕事とは全く違った世界のことの様で、そのせいか調剤という仕事に何か新鮮味が感じられました。

 入った当初はまわりにあることすべてがわからないことのかたまりで、処方箋どお りにきちんと集薬することすらままならない状態で、そのため御一緒させて頂いた他の先 生方にはかなり御迷惑をおかけしてしまいました。

 一つ一つの動作も遅く、窓□からかかる患者さんからの“お薬まだですか?”との 声に“急がないと、さっさとしないと”と思いつつも、気持ちばかりが先走ってしまって 体がついてこないということも何度かありました。

 それでも一日の業務も終わり頃になるとようやく慣れてきて、終わった時にはほっ とした気持ちになるのです。

 そんな私にある一つの事件が起こったのです。それはこの間の勤務の時のことでした。冬真っ盛りといった時期で、風邪をひかれて来院された患者さんが多く、同じような処方箋が多々見られました。いつも同じようになにげなく調剤をしていると、ふと一枚の処方箋が目にとまりました。

 その次の瞬間何ともいえない不安が私の体全体をかけめぐっていました。その前に調剤した時に薬名を読みまちがえた気がしたのです。結局それは私の錯覚にすぎなかったのですが、その時はじめて今まで処方箋に書かれている薬を考えなしに機械的につくっていた自分に気がつきました。まるでロボットが仕事をしているかのように。

 薬は与える対象が人間であるのだから、もっともっと慎重にすべきであるのに、私はどうも調剤業務の本質というものを見失っていたような気がしました。

 以前“何十年後かには詞剤室にはロボットが取り入れられて、調剤業務はロボットが行うようになる。その方が正確で早く能率がいい。”といった話を耳にしたことがありますが、今回のことを通して、確かに正確、迅速ということは要求されるけれども調剤という仕事はやはり人間が気を配りながらやるからこそ本当の意味をなしてくるのだと痛感しました。

 この貴重な体験を生かしてこれからも急患センターでの仕事を精一杯やっていきたいと思います。
      (S63年福岡大学薬学科卒業)



 <フレッシュさん紹介> 「続“若葉”な 気持ち」

博多南部会 若葉薬局 良永 律恵

 「おはようございます」「こんにちわ」「お願いします」今日も元気な子供達の声がとびこんできます。

 我若葉薬局は、内科・小児科・歯料の薬を扱っているのですが、主体は小児科、とくに小学校低学年以下の子供達です。ぐったりした子供もいますが、大半はとても病人と思えないくらい元気一杯、薬局内を走り回っています。

 はじめは神妙にお母さんのそばにいるのですが、最近では慣れてきてこの始末。病 院から薬局まで走ってきて、病院での一部始終を報告してくれる子供、注射で泣かなかっ たと得意気です。

 絵本が大好きで、読み終るまで帰らない子供。意味不明な事を一生懸命おしゃべりしてくれる子供。中には照れ屋さんもいて、お母さんの後ろにかくれていますが、はずかしそうに“バイバイ”してくれます。1人1人特徴があり、見ていてアキません。かわいい子供達ばかりです。

 子供達も、「お姉ちゃん」と慕ってくれています。(おばちゃんと言わないのがミソ!)まるで、幼稚園の様な明るい薬局です。いつも子供達の声が響いています。

 今でこそ笑顔で応対出来ますが、初めは調剤するだけで精一杯、とても患者さんと会話を交す余裕なんてありませんでした。早いもので我薬局も、6月1日開局―周年を迎えようとしています。常勤の薬剤師は、私も含めて2名、どちらも調剤薬局に務めるのははじめて。文字通り“若葉マーク”つきの薬局でした。

 「調剤」の「ち」の字も知らなかった私達も、いちおう薬剤師らしくなってきまし た。たどたどしかった患者さんへの説明も、回を重ねるに従い何とかまともになってきま した。

 この一年、振り返ると色々な事がありました。保険の請求には毎月泣かされました。月末、月初はいつも体調をくずしてしまう程でした。とくにお正月、毎日残業したにもかかわらず、31日は紅白の時間になってしまい、「何で、こんな事しなくちゃいけないんだろう」正直な所思いました。

 2日分なのに、3日分粉薬を調剤した事もありました。シロップ剤を白衣にこばしたり(最近はもうしない)等々、きりがありません。2人で話し合い、力を合わせて仕事をしやすい様、色々工夫してきました。手際も良くなり、患者さんの長蛇の列も出来なくなりました。

 4月からは、待望のコンピューターがはいりました。これで、魔の月末からは開放されそうです。

 まだまだ未熟な私達ですが、何とか2人で薬局を切り回せる様になってきました。もうじき“若葉マーク”はとれますが、いつまでも“若葉”な気持ちを持ち続けたい、持ち続けなければと思います。

 これからが、本当の若葉薬局のスタート。しっかり責任をもって頑張りたいと思います。どうぞ、暖い目で見守って下さい。
     (S62年昭和薬科大学薬学科卒業)

 タイトルの ―続“若葉”な気持ち― の意味は、「市薬会報」1月号フレッシュさん紹介に花山先生が書いてくれた“若葉”な気侍ちの続編の意味です。



 <部会紹介> 「博多西部会について」

博多西郵会 部会長 冨永 雄三

 玉屋デパートの側を流れる博多川と城山観光ホテルの横を流れる那珂川に囲まれた、中洲の島と上川端商店街が博多西部会の区域です。中洲の島は5つの町(1丁目〜5丁目) と昭和通りより北側で博多港に近い中島町の6つの町で出来ています。

 中島町は黒田藩の旧居城名島城下にあった多々良大橋を2つに折って東西両岸が2つの橋でつながったことで中洲発展の出発点になったと聞きました。

 中島町の南隣り昭和通りと旧電車通りにかこまれた中洲5丁目には大正初年の博多の薬問屋(波多江、白木、大隈、児島、峰松)の中の2つがあります。

 「児島薬局」は温厚、誠実な人柄で信望高く永年部会長を勤められ、セミプロ級の囲碁と詩吟の趣味を楽しんであります。

 地下鉄中洲、川端駅前にあるのが「峰松ハカタ薬局」3代目の息子さん夫婦は共に薬剤師で、息子さんは東区月見町の支店担当、奥さんが本店、2代目のお父さんは西区で調剤薬局オープンをひかえ、好きなゴルフもしばらくご無沙汰の様です。

 明治生命ビルの地下に「裕生堂調剤薬局」があります。オーナーはもと若狭屋勤務の園田さん。調剤薬局3店、OTC(下大利)1店卸商と多角経宮の才を発揮されています。

 中洲のメインストリート、昨年2、500万円で動いた中洲大通りには中洲交番近くに、 「博栄堂薬局」オーナーの灘谷さんは市薬ボーリング大会で優勝経験もあるスポーツ好き。 ゴルフの腕はそれ以上と聞いています。以前は3ケ所(中洲、私の店の前、渡辺通り)で 多店舗経営を展開されていました。

 大通り中洲市場に「アサヒ薬局本店」各店長西寄さんで盛業中。女性オーナー野□先生はかつては東京の店と博多を行ったり来たりサイドビジネスは不動産経営まさにスーパーレディ。最近中央区にビル購入。すでに1階の薬局はオープンしていますが、2階の医食同源料理店、3階の鍼灸院開業が待たれます。

 女性オーナーと云えば4丁目の「博栄薬局」が峰麗子先生の城。ご主人が特殊法人病院の薬局長。部会でOTCとちがった薬剤師のお話をうかがうのが楽しみ、薬剤師の横の連携の広がりを痛感します。

 中洲交番の信号を東ヘチョッと入って、南原市議会議員の「あづま寿司」の隣りが、 「くすりのヒロヤ本店」オーナーは新進気鋭の山村先生。店内は床から天井まで新発売の メーカー品がギッシリ並べられている無名品は見当らない。もちろん白衣で落すホコリも ない。キラキラして宝石箱の様である。若いスタッフで次々とイベントが企画され活気が ある。同町内の南端にある支店もキラキラしている。

 飢人地蔵の水車橋を渡って中洲に入ると、すぐ「三和堂薬局」がある。二代目オーナーで数年前ビルを新築。店内はシックなヨーロッパ調。重厚な調度品を思わせる陳列ケースの中に大切に商品が並べられている。ひかえ目で物静かな奥さんの接客態度が気品のある店造りを一歴引きたてている。(ヘコびら薬局に爪のアカを煎じてのませたい。)

 クラブ「あざみ」の前に「武田ファーマシー」がある。オーナーは協励会最長老の武田先生高令にもかかわらず毎日出勤・販売は優秀なブレーン林さんの双肩にかかっている。

 大通りを南に南下すると「リキドラッグ」がある。店長の杉さんが熊本のオーナーと部会の橋渡しをキッチリしていただくので大助かりしています。

 国体道路より南が1丁目で5〜60軒のお風呂やさんの町の中央に「吉田薬局中洲店」西支部長のあきら先生と三男のとおる先生の協同経営。うがい薬に水はみがき、ローション、シャンプー、注文単位が、7、000個の商品まで商品構成がちがいます。

 上川端商店街を一人独占しているのが、「岸本薬品」南新地の支店は二男さんの経営。長男、二男の二人の後継者をそばにおいて、オーナーは本支店を行ったり来たり大満足とお見受けします。

 櫛田神田南門そばに「冨永薬局」ビルの谷間でくたびれた木造の店が私の城「冨永薬局がやめらっしゃったげな、こまるっちゃけんくすりばどこで買うかいな」と云ってくれる人のOTC薬歴簿が1枚1枚ふえるのを楽しみにがんばっています。

 ネオンのはえる夕方から午前2時が営業のピーク。研修会はじめ薬剤師会の夜型の事業参加がむづかしい。部会も書食会、積極的な事業参加は会員の義務ですが高学歴の会員もつんぼ浅敷におかれると烏合の衆情報の徹底を第一に部会ニュースは湯気の出るホットで正確な情報を心掛けている部会の姿(支部市薬も同様)がいつも見立ているのが部会長のつとめの一つと思っています。


バードウォッチングしてみませんか

   −鳥達の身上調査−

シリーズNo.4 <ツバメ>

ツバメ

 今年も緑の風にのってツバメが初夏を運んできました。ツバメは夏鳥として渡来し、 人家や建物の軒下に椀形の巣をつくり子育てをします。手が届きそうなところにつく られた巣をみると、どうしてこんなにまで人の近くがいいのか不思議な気さえします。

 しかしそのお蔭で抱卵、育雛といった生命の栄みを間近に見ることができます。特にヒナ達が親鳥の気配を察して顔中□だらけにして餌を求める様は生への一生懸命さが 伝わり、ガンバレヨと声をかけたくなります。余り熱心に見ているとフンを落されか ねませんのでご用心。

 ツバメは燕尾服といわれるように黒くて長い翼と切れ込みのある尾をもち、のどは 赤く、腹は白いスマートなのです。外観どうりのすぐれた飛行家で宙返りなど朝飯前 です。でも足は短いので歩くことは苦手で、地上に降りるのは巣材の泥や枯れ草を集め るときくらいです。

 それでは餌は何をどのようにしてとっているめでしょうか。勿論、飛びながら餌を とるのです。ロを大きくあけて飛びながら昆虫をつかまえます。ツバメの嘴は小さく 見えますが□はぐっと大きくひらくのだそうです。空中にそんなに虫がいるようには 見えないのですが……。

 ツバメのさえずりは「虫食って土食ってしぶーい」と聞こえると言われています。 そう聞こえますか。

 一見ツバメと見える中で違うものを紹介します。ツバメより少し大きくて腰の赤い のがコシアカツバメ。ツバメより小さく尾の切れ込みが浅いのがイワツバメ。上空 を飛んでいるとき翼がツバメより長く、もっと鎌形にカーブしているのがアマツバメ の類です。

 町の変貌につれ、ツバメの数が少なくなっているのが心配です。もしあなたの家に ツバメが巣をかけたら暖かく見守ってあげて下さい。
                          九大病院薬剤部 野仲範子




 <トピックス>

市薬 学術委員会

原発性胆汁性肝硬変における掻痒感のコントロール

 原発性胆汁性肝硬変(PBC)は、胆管の変性壊死などを病変とする、慢性肝内胆汁うっ滞のひとつである。中年女性に好発し、90%以上の症例において、血中に自己抗体を認めることから、その成因として自己免疫的機序が想定されている。

 症状のあるPBCで、もっとも高頻度にみられる自覚症状は皮膚掻痒感で、約50%の症例に初発症状としてみられる。その成因としては、肝内胆汁うっ滞による血中の胆汁酸増加などが考えられている。

 治療薬として、腸管より胆汁酸の再吸収を阻害するコレスチラミン、肝細胞への胆汁酸の取込みを阻害するリファンピシン(抗結核剤)、利胆薬のウルソ(ウルソデスオキシコーメレ酸)などが報告されている。
    医学のあゆみ,148 , 88(1989)

トリメトプリムとサルファメトキサゾール合剤によるマラリア治療の試み

 海外旅行が盛んになり、わが国でも、マラリア流行地で感染し、帰国後発病する、いわゆる輸入マラリアの増加がみられる。

 その治療薬、クロロキンやプリマキンの入手法については、市薬会報の第25号(P15)でお伝えした。

 1987年末、クロロキンに代わるものとして、わが国でファンシダール(ピリメタミンとスルファドキシンの合剤)が販売許可になっている。

 また、最近表題に掲げた合剤(その頭文字をとって、ST合剤と呼ばれる)についても、抗マラリア作用が確認され、クロロキンやピリメタミンに耐性を有する、熱帯熱マラリアに対して有効であることが報告されている。
    医学のあゆみ,148 ,230(1989)

ジーンズ着用と筋疲労

 ジーンズが好まれる主な理由は、@ハードな着用に耐え A活動的で汚れても気にならない B手入れが簡単 C季節を問わず着用可能などである。

 その反面、デメリットも報告されている。その主なものは、スリムタイプのものに関するものが多い。

 例えば、スリムなジーンズを着用した若年男性で、全身性浮腫の症例報告がある。運動時および運動後にリンパ流量が増大したとき、ジーンズを着用することにより、臀部、大腿部が圧迫され、リンパ流障害が起こり、高度の浮腫が発症したものとしている。

 また、スリムなジーンズ着用の保母の間に、腰痛を訴える者が多いという報告もみられる。スリムなジーンズのために、膝の屈伸が極度に拘束され、中腰のまま作業するため、腰に2倍の負担をかけるためだとしている。
    医学のあゆみ,148 , 529(1989)



 <広 報> 「市薬会館新築工事 地鎮祭」

日 時 平成元年3月29日 午前11時
場 所 現 地
出席者 古賀会長他役員多数
来 賓
 福岡市衛生局長     加 藤 竺 子
 (社)福岡県薬剤師会会長 荒 巻 善之助
 福岡市議会議員     久保田 秀 己
 福岡県議会議員     早 麻 清 蔵
 潟ニック取締役会長  辻   敏 雄
 (社)福岡市薬剤師会顧問 藤 野 義 彦
      〃      冨 永 泰 資

 前日の嫌な天気とは変わって、何処へ出してもひけを取らない素晴しい天気に恵まれた3月29日地鎮祭が行われました。最前列に用意された来賓の方々のお席は一席も空くことなく、市薬理事。監事、支部長他関係団体代表の先生方多数出席のもと、午前11時式次第にのっとり開式されました。

 神主の祝詞についで「初刈りの儀」は古賀会長、「鍬入れの儀」は藤野顧問「杭打ちの儀」は八千代建設社長と若い社員の方の「えーい、やー」とテント中に響きわたる大きな掛声で行われました。

 玉串奉奠は古賀会長から始められ、司会者の「市薬関係の方はごー緒にどうぞ」との案内で、出席者の3分の2とおもわれる方々が起立、古賀会長に合わせて二礼、二柏手、一礼をします。続いて来賓の方々、そして県薬会長の荒巻先生とは木村専務と熊本事務局長がご一緒に、顧問の冨永泰資先生、学薬は獺越会長と坪根副会長というようにして行われました。

 その後「なおらい」というお席がテント内に用意されていて、メインテーブルの古賀会長が市薬会館建築の施主としてのお礼のご挨拶をなさり、加藤衛生局長、久保田市議、早麻県議からお祝いの言葉をいただき、会館建築工事の無事を願う地鎮祭は終りました。

「施主 古賀 隆 殿」

 市薬会館地鎮祭に出席したおり、司会者の方が古賀先生を市薬会長ではなく施主という呼び方で紹介されるのを聞いた時、私は市薬会員835名を束ね、その長として市薬会館建設事業を推進される古賀先生の会長職の重さを「施主」という呼び方の中に見る思いが致しました。

 そして、ここ迄くるには大変なご苦労があったと思われますのに、それも忘れ て心から嬉しそうなお顔がとても印象的でした。



 <広 報> 「おめでとうございます」

勲三等瑞宝章

 河野 喜美彦 先生(73才)
  元第一薬科大学学長
  現第一薬科大学学部長
  現(社)福岡県薬剤師会顧問
  先生は、多年にわたる教育研究の功績により受章されました。

 受章者のことば 河野喜美彦先生

 平成元年初のみどりの日を迎えるにあたり、はからずも勲三等瑞宝章受章の栄誉を戴くこととなりました。11日には皇居で家内同伴にて拝謁を給わり、この上もなき喜びを頂戴することが出来ました。
 このことは恩師の御指導、職場の皆様、友人、知人の方々の多年に亘る暖い友愛の賜と感謝申し上げ、深く敬意を表すると共に、今後は健康と充実した生活の中で一層の精進を心がけこの栄誉に報いたいと存じます。

藍綬褒章

 藤野 義彦 先生(62才)
  元(社)福岡市薬剤師会会長
  元(社)福岡県薬剤師会副会長
  現(社)福岡市薬剤師会顧問
  先生の受章は市薬にとりましては45年の四島久先生の受章以来20年ぶりのこと です。

 受章者のことば 藤野義彦先生

 私の道に対するおほめをいただいたことなので、とてもうれしいことです。でも私一人ではなく、薬剤師会全体の名誉だと思って居ります。これもひとえに先輩、同輩、後輩の先生方の永年に亘る御支援、ご厚情の賜と心から深く感謝致します。今後は微力ではありますが薬剤師の職能の向上発展と安定に懸命の努力を重ねて、今与えられております、薬学生の教育に「その道を生きる」をモットーに精進して参りたいと存じます。今後共の御鞭撻のほどお願い申し上げます。

文部大臣表彰

[日本学校薬剤師会50周年記念文部大臣表彰]

 竹尾 啓二 先生
  (社)福岡市薬剤師会 副会長
  (社)福岡県薬剤師会 常務理事

 野口 美智子 先生
  福岡県学校薬剤師会 副会長
  福岡市学校 薬剤師会 副会長

福岡県薬剤師会会長表彰

 [会員表彰]

 白木 太一郎 先生
  元(社)福岡県薬剤師会 常務理事
  元(社)福岡市薬剤師会 理事

〔職員表彰〕

 肥高 豊殿
  (社)福岡市薬剤師会 職員
  永年勤続(20年)



 「市薬歴史の編纂並びに記念誌発行について」

専務理事 藤原 良春

 市薬会館が本年11月末完成致しますので、これを記念して市薬歴史を伝承する記念誌を発行したいと考えています。

 薬剤師会の歴史の伝承という仕事は、いつの時代においても誰れかが計画していますが、なかなか実現していません。県薬でも昭和30年頃より何度か企画されていますが、やっと日の目を見たのは、県薬会館落成を記念して昭和58年1月に発行された「県薬のあゆみ」でした。

 私は、昭和54年旧市薬会館建設に着手した時、この問題を提案した結果、当時副会長の荒巻先生の担当で実行しようという機運になったことがありますが、翌年荒巻先生が県薬の専務理事を兼任され超多忙になられたことから立ち消えとなりました。

 その後61年に再度思い立ち、会報を通じて資料の収集等をお願いしたり、又62年1月には長老の先生方をお招きして懇談会を開催し、昭和28年以前の事柄を中心にお話し頂きました。

 その時お聞きしたかったことは、市薬がいつから始まり、又歴代会長はどなたであったのかということです。(その時の模様は会報21号に城戸先生が報告されていますので御参照下さい)

 ただ当時のお話しでは、市薬の始まりが昭和18年ではないかということでしたが、最近調べ直してみますと、昭和3年制定の県薬会則で支部が結成されており、福岡市は第1支部と称しこの第1支部は、新薬事法の成立で昭和23年11月(支部長 礒田秀推)解散され、同時に福岡市薬剤師協会が設立されていますので、市薬のスタートは昭和3年迄逆登るベきではないかと考えています。

 そうしますと、市薬は既に60年の歴史を有しているわけです。今回記念誌発行に着手はしましたが、会館完成までには余りに期間が短く、どこまで出来るのか全く自信がないというのが正直な気持です。

 しかし、この機会を逃せば又立ち消えになると思いますので、全力を尽した いと思っています。そこで再度資料、写真等の御提供をお願いする次第です。

 最後に、先に述べました懇談会の時、生前の馬場勘二先生が「生きている間に年史を完成させ記念式典も行ってくれ」とおっしゃった言葉が今も耳に残っているということを申し添えます。

 「医薬分業 政治ドラマ〜分業攻防史」

 昭和24年7月1日、米国薬学使節団が来日し医薬分業の勧告書を提出して以来、2年間にわたる分業という一大政治ドラマが繰り広げられた。このドラマは、3入の主人公によって演じられたが、26年6月5日劇的な幕切れを見ることになる。ここに登場する3人の主人公とは、一人が連合軍総司令部公衆衛生福祉部長サムス准将で、今一人が武見目医副会長、そして高野日薬理事長(専務)である。さて、このドラマを演出したのは何者であったのだろうか、それは後で述べることにする。

 そもそも薬剤師の職能をかけた医薬分業の戦いは、明治22年(1889年)に成立した薬律(法律第10号)に端を発している。それはこの法律の付則で、医師の調剤権を特例事項として認めたからである。医師の調剤権は、これを医師側から見れば、医療の歴史から考えて至極当然のことであり、薬剤師のことなど念頭に無かったと言うべきであろう。したがってその後、明治から昭和23年まで数回、法律改正案を提出しては否決され、或いは薬事法の改正で何ら進展しなかったことも、医師は当り前だと思っていたはずである。

 大衆の意識、認識も殆んど無く、知識人でさえ医師と薬剤師の単なる薬の取り合いと考 えていた時代、世の中を見れば覚醒剤が薬局で自由に売られ、社会問題化していた時代、そこに絶対権力を有するサムス准将が登場し、医師の調剤権を認めない強制分業という刃を突き付けてきた。医師側にしてみれば、まさに青天のへきれきであったろう。医師の、医師会の所有する辞書には、任意も強制も分業という文字は無かったのだから。

 これに猛烈な抵抗を示したのが、武見氏率いる日本医師会であった。当時武見氏は副会長であったが、事実上、日医の代表者であり時の首相吉田茂をはじめ実力者に対しても大きな影響力を持っていたのである。この強制分業法案を取り扱かった最終責任者、参院厚生委員長山下議員が「その政治力は日医と日薬では比較にならない」と、言ったように強大なものであった。

 ちなみに、当時の開業医と開局者の収入は10倍の開きがあるが、政治資金においては10倍どころでは無かったであろう。薬剤師会では、絶好の機会を迎えながら、目標に達していないのである。

 さて、武見氏の頭にあったのは何であろう。分業論など当初から持ち合わせていなかった。25年6月5日、NHKが行った放送討論会で「調剤は看護婦や女中で結構である」と発言した言葉が全てを物語っている。武見氏にはいかに医師の権益を守るか、つまり経済面のことしか頭に無かった、ただ頭にあったのは当時の政治情勢だけである。毎日新聞が25年7月、分業問題の解説を行なっているように、日米講和条約の締結がいつになるかということであり、それまでは何んとしても分業問題を引き伸ばしたい。そのためにはあらゆる抵抗手段を取る。この一点だけであった。

 この事情はサムス准将もまた同じで、事を急ぐ必要があった。三志会(三師会)の俎上に乗せての世論の喚起、矢継ぎ早に厚生大臣、厚生省幹部、三師会代表を呼びつけての指示、そして、ついには武見氏の辞任に迫い込んで行くのである。一方、高野理事長に旗振り役をつとめさせ、高野理事長は千載一遇のチャンスとそれに乗り突き進んで行く。わずか2年前の昭23年に改正された新薬事法では、なんら変りなくというよりむしろ調剤権に関しては後退しており、薬剤師にとってみればサムス准将の登場は、まさに神さま仏さまであったに違いない。しかし、挫折の連続であった薬剤師には、今一つ盛り上がりが欠けている。礒田県薬会長が嘆いているが、旗振れど、笛吹けど踊らず、政治資金も出さず、集まらず、無関心の会員が多くいたのも事実である。

 さて、話しは戻るが、サムス准将は日医を廿く見過ぎていたのではないか。財閥解体、 農地解放、レッドパージ、その他諸々思うように改革してきた総司令部に対し、回が何んでも絶対反対の態度を示す日医には驚きもし、腹も立て切歯扼腕したに違いない。武見氏の首を切っても事態は変らず、ただ時間を浪費しただけであった。

 年が変り、昭和26年には勝負が見えてくる。少なくとも武見氏には、はっきりと見えていたはずである。厚生省の医薬制度調査会が、2月28目強制分業法案を答申するが、それも計算済みであった。最後の舞台となる参議院厚生委員会を、どのようにも動かせる自信があったからである。なお、当時の谷口日医会長は参議員で、この厚生委員会のメンバーであった。そして薬剤節会は一入の議員も有していない。辞任させられた武見氏が無役でありながら、この委員会の証人喚問に医師会を代表して登場している。またこの年には連合軍最高司令官が、占領法規の再審査権を日本政府に与えている。

 長びく朝鮮動乱、講話条約の早期締結とアメリカ側にも日本の協力を必要とする時代になりつつあったのである。もはやサムス准将にオールマイティーの権限は無くなっていた。というより、行使できない状態になっていた。武見氏は、それを承知していたのである。

 サムス准将は方針を問違ったと言える。25年の初めから絶対権力を行使し、法案を成立させるべきであった。なまじっか、三師会を舞台に上げたことが失敗だったのである。しかし薬剤師は、その存在を国民に知らせることができただけでも、サムス准将に感謝しなければならない。

 ドラマも終りに近づくが、サムス准将は、 5月25日参院厚生委員会に最後の司令(おそらく強制的なちのと考えられるが)を出す予定であった。ところが突然5月21日に辞任し、25日には帰国してしまう。薬剤師会は愕然とする。私は思う。多分解任されたのであろうと、そして武見氏に動かされた吉田首相の顔が見えてくる。

 強制分業法案が修正され、骨抜きとなって参院を通過したのは、准将帰国後一週開後の 6月2目であった。そして6月5目衆院を通過し、ドラマの幕が降りるのである。と同時に薬剤師が長年戦い取ろうとしてきた強制分業の夢も、この日をもって消え去った。

 さて、このドラマの演出者は誰れであったのか?サムス准将であったのならば、幕を引かずに帰国するはずがない。とすればそれは総指令部であり、米国薬学使節団を招いた最高司令官マッカーサー元師であったと言える。

 日本の医療制度のほんの-一部である医薬分業に、何故これほどのエネルギーを使ったのであろうか。当時の先進国がすべて分業を実施していたのは事実である。従って非分業国の日本が奇異に写ったこともまた事実であろう。しかし、何が何でも一年以内に(最初の目標はそうであった)強制分業を実現させようとしたのには、他に理由があったはずだ。私にはそう思えてならない。アメリカは確かに分業を実施していたが、法律による強制分業では無かったのである。従って、目本に対しても分業実施の勧告だけですますこともできたはずである。

 総司令部の目に写ったのは、日本医師会という巨大な財力を持った政治力と、上意下達 の一枚岩に団結する大集団に、封建性を有すると危惧したのではないだろうか。そのこと を昭和23年の薬事法改正で見て取ったに違いない。一度承認した新薬事法を直ちに改正する。それも強引にである。

 天皇の人間宣言、日本国憲法、教育、宗教改革等、既成組織の解体、或いは改革と軍国 主義につながるもの、または封建思想を有すると見なしたものは全て排除していった。その一連の流れの中に、日本医師会の改革、民主化という組織の弱体化、それが真の目的であったと考えられる。

 以上は、私の独断であるが、この時代の動きを見た感想である。従って、薬剤師による分業闘争史とは言えず、分業攻防史としたわけである。

 ともかく、医師の権益と、医師の組織を守り技いた武見氏は偉大であったと言わなければならない。そして武見氏が分業に理解を示し、新しい協調分業、つまり任意分業の芽が生れ出てくるまで、十数年の年月を待たなければならない。

 また、この時奮闘した薬剤師はその時のエネルギーでもって、昭和28年高野理事長を参議院議員に押し上げ、真の薬剤師代表議員が誕生することになる。

「先達の 事跡を尋ね 今想う」


〔年 表〕

昭和23年(1948)

7.29  薬事法公布 医師の特例調剤権本則へ

昭和24年(1949)

7.1   米国薬学使節団来日
9.13  使節団、薬事勧告書提示 サムス准将 厚生省及び三師会代表を呼び提示
    医師の調剤特例事項廃止を

昭和25年(1950)

1.9   三志会(三師会)開催 サムス准将 早急に三団体で改正案をまとめるよう指示
1.11  全国医師会長会議 分業阻止へ
1.13  サムス准将三志会へ通達、分業問題、3週間以内に態度決定せよ
1.23  26、28日三師会(医師会分業反対)
2.15  日薬両院議長へ請願書提出
2.27  日医臨時代議員会 強制分業反対決議
3.10  サムス准将 両院医系議員と懇談
3.20  日薬大衆運動小委員会設置
3.27  准将 日医代表に再び態度決定迫る
3.30  日医定時代議員会 4項目の反対決議
4.4   准将 厚相に審議会設置等具体的指示
4.8   毎日新聞分業座談会(武見、高野氏)
5.5   日薬代議員会 専務制廃し理事長制に
6.5   NHK放送討論会(武見.高野氏)
6.13  日薬厚相へ陳情書提出
6.25  朝鮮戦争おこる
7.10  厚生省 サムス准将の公開状「日医幹部は信頼できず」発表 日医役員辞任
7.26  臨時診療報酬 医薬制度両調査会設置
8.16  日医臨時代議員会 新役員決定
10.13  衆院厚生委員会第三者代表意見聴収

昭和26年(1951)

1.24  診療報酬調査会答申
2.28  医薬制度調査会 強制分業法案答申
3.20  全国薬剤師大会開催(東京共立講堂)
5.8   参院 医薬分業公聴会開催 「参院厚生委員会証人喚問」
5.11  両調査会代表者証入喚問
5.15  三師会代表者証入喚問
5.16  医・薬大代表者喚問
5.15〜17 医薬分業街頭署名運動(全国)
5.16  分業達成国民大会(東京共立講堂)
5.21  薬剤師一大デモ行進(東京5,000名)
5.21  サムス准将辞任
5.25  サムス准将帰国
6.2   医薬分業法案 一部修正され参院可決
6.5   衆院 会期を3日間延長し同法案可決 ここに任意分業法案が成立した

「修圧点」

 @ 医師、歯科医師は省令で規定された特別の理由ある場合は調剤ができる。
 A 患者、又はその看護人が特に調剤を希望する時は、医師、歯科医師で調剤ができる。
 B 実施期間を3年短縮する。(昭和30年1月1日から実施)

9.8  サンフランシスコ平和条約調印

 この時代は分業運動史上、実に特異性を有し、ここから新たなスタートとなる。

福岡市薬剤師会会報 平成元年5月号(文責 藤原良春)
参考資料 朝鮮戦争



 <研修会報告>

 [学術研修会]

日 時 平成1年3月24日(金) 午後6時30分
場 所 三和化学メディカルホール
出席者数 85名
演題と講師
   「皮膚のアレルギー性疾患」
    九大病院皮膚科外来医長
              今山修平先生

 前回の「耳鼻科領域のアレルギー性疾患」の学術研修会に続き、今回は皮膚科領域の主なアレルギー疾患について臨床面からお話いただきました。

 [薬物療法研究会]

日 時 平成1年4月20日(木) 午後6時30分
場 所 三和化学メディカルホール
出席者数 72名
演題と講師
   [ニューキノロン剤について]
    第一製薬福岡支店学術課
             弓山紀代子先生

 紐菌感染症には、βラクタム剤と並んで、ニューキノロン剤が多く用いられるようになってきました。今回はその総まとめをしていただきました。



 <理事会他会議報告>

[第193回理事会]

日 時 平成1年3月17日(金)午後7時
場 所 市薬仮事務所
出席者 古賀会長、高倉副会長、藤原専務、三津家,戸田,松枝,坪根,正岡,藤下各常務、木原,高杉,南島,冷川,城戸,小野,藤田,成澤,市花各理事

議 事

1.会長挨拶
 新会館建設の地鎮祭を3月29日(大安)に行いますので,理事者は必ず出席して下さい。工事は4月1日着工,11月末完成の予定です。
 参院選については,現在の自民党の状況を見て日薬連盟の評議員会で練り直すことになっています。
 消費税については,薬剤師会としての方針はまだ決定していないが,3月21日の県薬代議員会では何んらかの方針が出されるかもしれません。
 よかトピア健康いきいきドームが完成し,関係者に被露されました。

2.会務報告
  藤原専務理事より報告
 @ 日薬代議員会が2月22〜23日東京で行われ,古賀会長出席。薬学会館の建て直しに伴ない会費が値上げされる事になった。
 A 「第22回全国保健衛生大会」の委員会が市長の要請であり古賀会長出席。内容は8月31日〜9月1日に福岡市民会館で開催される環境部会の分科会について
 B 県薬代議員会について
  3月21日(火)県薬会館にて開催
  県薬会長表彰 市薬よりの被表彰者
   白木太―郎先生(会員表彰)
   肥高  豊 殿(職員表彰)
 C 県薬代議員会予備会議
   今回より議事運営委員会を作り,日薬方式で議事をスムースに行なうようになった。県内4ブロックより委員を一名選出する。福岡は藤原専務を委員に,今回,代表質問は中央支部。

3.委員会報告
 薬局委員は現在西支部からの一名だけであるので,城南,早良支部よりも委員を出す。

4.協議事項
 @ 予算案及び事業計画について
 A 会費及び入会金について
   入会金については市薬入会金を10万円から20万円に値上げする。
   特別会費の市薬分が6円から3円に値下げする。

[第194回理事会]

日 時 平成1年4月18日(火)午後7時
場 所 市薬仮事務所
出席者 古賀会長、竹尾,長谷川各副会長、藤原専務、三津家,戸田,松枝, 坪根,正岡,藤下各常務、木原,高杉,南島,冷川,城戸,小野,藤田,成澤, 市花各埋事、日高監事

議 題

1.会長挨拶
 本日は第20回通常代議員会をふまえた平成元年度第一回目の理事会です。代議員会について詳細にご協議下さい。
 一月より病気療養中であった竹尾副会長が元気になられ出席いただいております。なお竹尾先生は4月12日学薬功績により文部大臣表彰を受けられました。

2.会務報告
  藤原専務理事より報告
 @ 各地域に於ける休日夜間の救急調剤について、県薬より調査依頼があり、成澤理事にお願いをした。
 A 県薬支部連絡協議会について
   4月13日(於:県薬会館)
  ・事業計画について
  ・消費税実施に伴なう診療報酬の改定について
  ・研修システムについて
    新薬研修会の出席者をふやすにはどうしたら良いか話し合われた。
  ・九州薬事新報の複刊について
    大庭久光先生
    年間講読料 6、000円
  ・県薬会報の編集について
 B 市学薬総会が4月15日セントラルホテルにて開催され、古賀会長出席
 C 日薬主催の試験センター連絡協議会 6月23〜24日(広島)
    古賀会長、城戸室長出席予定

3.委員会報告
 組織委員会で、薬剤師斡旋業務の免許を受けるための調査をした。無料紹介であれば、申請して3ヶ月位で認可されるとの事で、本年度の事業にしたい。

4.協議事項
 @ 分業推進基盤事業について
   厚生省九州医務局を荒巻県薬会長とー緒に訪問。福岡中央病院の地形上の問題点を実際に見て回ったが、回りが全て国有地であり、関係各方面に打診してみたが難かしそうである。この事業推進のため、藤田胖先生と正岡常務に特にご協力をお願いしたい。
 A 会館落成記念事業について
  ・市薬の記念誌を発刊する。
  ・講堂の「こけら落とし」の講師を検討
 B 代議員会に於ける役割分担について藤原専務より詳細に指示。

[部会連絡協議会]

日 時 平成元年4月28日
場 所 タカクラホテル
出席者 古賀会長、竹尾副会長、藤原専務理事、三津家,正岡,松枝,坪根,藤下, 戸田常務理事、城戸,高杉,南島,成澤,冷川,小野,藤田,市花,木原各理事
東支部  松井昌也
博多支部 荒巻滋,鶴原潔,碓井正浩
中央支部 欠席
城南支耶 深江暉夫,藤田胖(代理),水田雅幸(代理)
早良支部 清水達三,江頭溜
西支郎  吉田斌,竹尾真一,戸畑ミヤ子(代理)、冨永計久
南支部  有田俊雄,岩佐周一郎,小村正治

議 事

1.会長挨拶  巻頭言参照

2.第20回通常代議員会報告
  藤原専務理事より報告

3.平成元年度事業計画について
 藤原専務理事より説明,清水達三先生からその中の公的委員会について質問。
 国保運営協議会,老人保健協議会,高齢者対策協議会,献血推進協議会,身体障害者審査部会,健康週間行事の運営委員会及び実行委員会,国体の運営委員会,計量協会理事会等医療法の中に薬剤師会の名前がある所は全て委員として出ている旨回答。
 深江支部長より,市薬行事については,年間計画として早目に出して欲しい旨要望あり。

4.福岡市薬剤師連盟総会
 S63年度市薬連盟決算報告及び平成元年度予算案について三津家常務理事より報告。
  平成元年度連盟会費については承認された。

    昭和63年度福岡市薬剤師連盟決算(昭和63年1月1日〜12月31日)

             昭和63年度 昭和63年度
 〔収 入〕        予  算  決   算
会       費    10,020,000  10,030,000
県 薬 交 付 金    1,700,000   1.795,500
雑   収   入       50,000    30,000
繰   越   金        −      −
収  入  合  計  11,770,000  11,855,500

〔支 出〕
1.経常的経費        500,000    720,000
  人  件  費       30,000    240,000
  光 熱 水 費     100,000    120,000
  備品・消耗品費             120,000
  事 務 所 費     100,000    240,000
2.政治的経費      11,000,000  10,143,030
  組織活動費      500,000    325,030
  機関紙の発行     500,000    500,000
  寄附・交付費    10,000,000   9,318,000
3.予 備 費         270,000        0
4.繰 越 金                 992,470
支  出  合  計  11,770,000  11,855,500

   平成元年度福岡市薬剤師連盟予算(案)(昭和64年1月1日〜平成元年12月31日)
               平成元年度予算
 〔収 入〕
会        曹   17,813,000
県 薬 交 付 金    1,397,500
雑   収   入       30,000
繰   越   金      992,470
収  入  合  計   10,232,970
 [支 出]
1.経常的経費       1,260,000
  人  件  費      360,000
  光 熱 水 費      240,000
  備品・消耗品曹     180,000
  事 務 所 曹      480,000
2.政治的経費       7,753,000
  組織活動費      1,000,000
  機関紙の発行      500,000
  寄附・交付金      6,253,000
3.予 備 費        1,219,970
支  出  合  計   10,232,970

   福岡市薬剤師連盟平成元年度年会費(案)(1月1日〜12月31日)
A会員 日薬政連会費    10,000
    日薬政連特別会費      0
    福岡市薬政連会費   2,000
      合  計       12,000
B会員 日薬政速会費     3,000
    福岡市薬政連会費   2,000
      合  計        5,000

5.石井道子参議員後援会名簿について

 最終集計結果について報告。市薬達成率95%,皆さんに大変なご無理を申しました旨お礼の言葉有り。



 <委員会報告>

 「組織委員会」

 日時 平成1年3月28日 午後7時 場所市薬会館仮事務所
 出席者戸田常務、高杉、南島各理事、戸田、森田、吉田、糸岐、占部、森川、瀬尾、松井、深見、吉村各委員
 1、薬剤師斡旋業務の免許取得についてどのような手続きをとればよいのか調杳
 2、未組織薬剤師(その他のB会員)をどのような形で組織立てするか検討
 3、ボーリング大会の反省及び対策について

 「社保委員会」

 日時 平成1年3月6日午後1時 場所市薬会館仮事務所
 出席者正岡常務、小野、藤田各事、清水、鶴原、入江、大庭、山□、岩穴口各委員
 1、内科医会の申し出による分業に対する諸問題について技術面、資金面,倫理面から検討
 2、未組織薬剤師(その他のB会員)をどのような形で組織立てするか検討

 「社保委員会」

 日時 平成1年4月4日午後2時 場所市薬会館仮事務所
 出席者正岡常務、小野、藤田各理事、清水、鶴原、入江、大庭、山口、岩穴口各委員
 1.レセプト審杏

 「学術委員会」

 日時平成1年3月20日(月)午後6時30分 場所 市薬会館仮事務所  出席者 長谷川副会長、藤下常務、成澤、市花各理 事、車田、久池井、中島、山田各委員  1、学術研修会(3月24日)役割分担
 2、4月開催予定の薬物療法研究会について
  合成抗菌剤をとり上げる
 3、市薬会館落成記念講演会について

 「学術委員会」

 曰時 平成1年4月13曰午後6時30分 場所 市薬会館仮事務所
 出席者 長谷川副会長、藤下常務、市花理事、久池 井、山田,中島各委員
 1、薬物療法研究会(4月20曰)の役割分担
 2、研修会の年間計画について
 4月 ニューキノ ロン剤
 5月 (又は6月)泌尿器領域の感染症
 7月 ウイルス性肝炎とワクチン
 9月 アルコール性肝障害
 10月 慢性肝障害と肝硬変
 12月 会館落成記念講演会
 2月 抗不整脈剤
 3月 不整脈の起こり方

 「急患委員会」

 日時平成1年3月10日(金)午後6時 場所 福新楼
 出席者 成澤委員長、藤下、小松、深見、北島、打越、竹尾、馬場各委員
 1、新規出勤者説明会(2月28曰)
 千堂年昭、渡部明子、市丸正子、佐藤愛子
 2、出動辞退者
   樋口駿、槇野英子
 3、九山大会のプログラムに「急患診療センター担当者協議会」を載せる決定がなされた。

 「急患委員会」

 曰時 平成1年3月28日(火)午後7時 場所 市薬会館仮事務所
 出席者 成澤委員長、藤下、小松、竹尾、馬場、打 越、北島各委員
 1、急患センター出動確認カードの整理
 2、出動者懇親会(3月10曰)の報告
 3、行政関係者の出動について検討
 4、センター薬局の薬品について

 「急患委員会」

 曰時 平成1年4月27日(木)午後7時 場所 市薬会館仮事務所
 出席者 成澤委員長、藤下,小松,深見,打越,竹 尾,馬場,北島各委員
 1、厚生科学研究事業研究班の「休日夜問の救急調剤調杳]について
 2、ゴールデンウィーク出動者増員の件
 3、新規出動者説明会(4月18曰)
   小川雅子、山崎敬一、黒木ゆかり

 「広報部会」

 曰時 平成1年4月5曰(水)午後7時 場所 市薬会館仮事務所
 出席者 古賀会長、藤原専務、木原、城戸各理事、 野仲委員
 1、「市薬会報」5月号の編集について代議員会報告をどのように扱うか検討

 会員各位へお願い

 昭和63年度生涯教育記録表を、6月10日 までに福岡市薬剤師会あて送って頂きますようお願い致します。



 <第20回(総会通算第48回)社団法人福岡市薬剤師会 臨時代議員会>

 日時 平成元年4月22日(土)午後1時30分
 場所 タカクラホテル福岡3F献上の間
 出席者 古賀会長、竹尾、高倉、長谷川各副会長、藤原専務、三津家、正岡、松枝、坪根、藤下、戸田各常務、城戸、高杉、南島、成澤、冷川、小野、藤田、市花、木原各理事、曰高監事

画像

 ▲会議

 戸田常務理事の司会により開会

 (1)開会挨拶 竹尾副会長

 本日の代議員会は、会館建設中のため当ホテルで 開催するはこびとなりました。新たなる分業気運の 高まるなか国立病院問題、消費税実施に伴う薬局 の対応、生涯教育等平成元年度の市薬の方向づけを する大事な代議員会です。慎重なご審議をお願い致 します。

 (2)会長演述 古賀会長

 本日第20回通常代議員会を開催するにあたり、加藤衛生局長、新しく薬務課長になられた野問先生、 久保田市会議員、早麻県会議員のこ臨席を賜わり厚くお礼申し上げます。臨時代議員会で会館建設が承認され、地鎮祭も3月末無事終り、現在基礎工事に入っております。なお会館の竣工は11月末の予定に なっております。

 本文は「巻頭言」参照

 (3)来賓祝辞

 ★桑原市長(加藤衛生局長)

 近年我が国は高齢化社会が進み医療、保健の分野に於ける新しい対応が迫られており医薬分業の推進 は皆様方に多いに期待されているところです。アジアの拠点としての福岡市では21世紀に向けて「健康で思いやりのある人づくり」を市政の基本としていく所存であります。

 市政100周年事業であるアジア太平洋博覧会へは「健康いきいきドーム」の出展を賜りありがとうございました。今後とも博覧会の成功のためご支援お願い申し上げます。又大牟田線の高架事業について は全面的な協力を戴だき感謝申し上げますとともに、新しい会館が本市薬事業務の中核施設として活躍されますよう期待致しております。

 ★野間薬務課長

 今まで薬剤師の社会的役割はどちらかというと縁の下の力持ちでありましたが、近年医療体制そのものの変換をふまえて変ってきたように思われます。

 開局薬剤師と病院薬剤師では今迄什事の内容がかなり違っていましたが、服薬指導、薬歴管理等同じ仕事をするようになりました。そして医薬品のプロと呼ばれるためには「自覚と研賛」が必要です。薬剤師を職業とされる皆さんは、古賀会長率いる福岡市薬剤師会のもとに相つどい、研賛にはげまれ地域住民により一層信頼され、必要不可欠の薬剤師となられるよう祈念致します。

 ★久保田市会議員

 この4月より実施された消費税について、先曰若いお母さんから紙オムツにまでかけるのかとの指摘を受けましたので、福岡市では年間11,000人の赤ちゃんが誕生し、1日3枚使ったとして33,000枚のゴミとなり、そのゴミの収集、焼却、灰(15%残る)を埋める場所等の費用にも使われる事をお話し申し上げ納得してもらいましたが、税金はやはり納めるべきは納めて住みよい社会にしてゆくのが順当ではないでしょうか。薬局の皆さまも、消費税は取るべきは取っていただきたく思います。

 ★早麻県会議員

 今回、政局は政治基盤の地穀変動が起こりつつあるとの指摘がなされており、この夏の参院選は大変な事になりそうに思われます。

 曰本が今日の経済大国に発展してきたのは政治の力であり、国の平成元年度予算は世界でも有数のものであるとのトップ発言が国民の反発を受け、また消費税についても減税の評価があまり与えられていないのじゃないかと思われます。

 亀井県政後の福岡県は、あまり良い事がありませんが、その中で福岡市だけは大いに気をはいていただいており、その都市圏にある福岡市薬には多いに期待しております。

 (4)正副議長選挙

 仮議長   山口利英(博多支部)
 選考委員
 東支部   松井昌也
 博多支部 鶴原 潔
 中央支部 山手陽一
 早良支部 清水達三
 城南支部 深江輝夫
 西支部   吉田 斌
 南支部   有田俊夫

 議長   栗田邦彦
 副議長 冨永雄造

 議事録署名人 鶴原潔  木村英樹

 (5)会議

 栗田議長

 物故者の方々に弔意を表し、一分間の黙?をささげます。

 代議員59名中40名の出席です。よってこの代議員会は成立する。なお今回は議事運営をスム-スに行うため、報告及び議案事項を一括上提し、後ほど質問はまとめて受ける事とする。

 ◎報告

 第1号 昭和63年度会務並びに事業報告

 1.一般会務関係報告

 (1)会員数 昭和63年3月末現在766名
 平成元年3月末現在836名
 (内訳)薬局442 ,-般販売業
 也潔一三夫斌雄 昌陽達暉俊

 D正副会長会議(1回)  E監事会(1回)
 F顧問会(1回)
 G支部長会(4回)
 H部会連絡協議会(3回)
 I委員会
  組織委員会(9回)
  薬局委員会(7回)
  社保委員会(12回)
  急患委員会(9回)
  学術委員会(9回)
  広報部会 (9回)
  会館建設プロジュク卜(6回)

 3)表彭関係

 厚生大El賞(公衆衛生事業功労)
  昭和63年11月 獺越 寿

 九州山口薬剤師会長賞
  昭和63年10月 竹尾啓ニ

 福岡県知事賞(薬事功労)
  昭和63年10月 三津家正友

 福岡県学校保健会長賞(学校保健功労)
  古賀 隆

 福岡県教育委員会賞(教育文化功労)
  昭和63年11月 坪根百彦

 福岡市教育委員会賞
  昭和63年12月 江頭 溜

 福岡市学校保健会長賞
  昭和63年11月 三津家正友

 福岡県薬剤師会長賞
  平成元年3月 白木太一郎  肥高 豊

 2、恒常的事業

 (1)共済事業
 @会員死亡
 若狭半吉(102才昭和63年6月9日)
 斉田和夫(79才昭和63年10月8日)
 高倉 等(93才昭和63年10月22日)
 岩橋 孝(62才昭和63年10月25日)

 (2)研修事業

 @福岡市薬剤師会主催

 1)薬物療法研究会
 日時 昭和63年6月22曰(水)午後6時30分
 場所 福岡市薬剤師会館 受講者137人
 演題 脳神経と脳代謝改善剤
 山之内製薬株式会社医薬部
 課長 三宅照久 先生

 2)薬局薬剤師研修会
 日時 昭和63年7月7日(木)午後7時
 場所 福岡市薬剤師会館   受講者52人
 演題 A日薬ライブラリー映写
 (a)専門職としての薬剤師
 (b)開局薬剤師のマナーとエチケット
 講演「OTC薬局の今後」
 市薬剤師会副会長  竹尾啓ニ 先生

 3)薬物療法研究会
 日時 昭和63年7月19日(火)午後6時30分
 場所 福岡市薬剤師会館  受講者119人
 演題 脳循環と脳循環改善剤
 武田薬品工業(株)福岡支店
 学術課長 稲田 宰 先生

 4)漢方研究会
 日時 昭和63年7月26日(火)午後7時
 場所 福岡市薬剤師会館  受講者60人
 演題 バイオによる漢方生薬の組織培養
 九州大学薬学部助教授
 正山征洋 先生

 5)学術研修会
 日時 昭和63年8月17日(水)午後6時30分
 場所 福岡市薬剤師会館  受講者95人
 演題 「痴呆の病態」・・・画像診断を中心に
 九州大学医学部第2内科講師
 佐渡島省三 先生

 6)薬物療法研究会
 日時 昭和63年10月20日(木)後6時30分
 場所 福岡市薬剤師会館  受講者98人
 演題 抗不安剤について
 ダイナボッ卜医薬品事業部 営業企画部
 製品第一課長 伊藤 治 先生

 7)学術研修会
 日時 昭和63年11月25日(金)午後6時30分
 場所 福岡市薬剤師会館  受講者87人
 演題 心身症の概念と病態生理
 九州大学医学部心療内科
 病楝医長 美根和典 先生

 8)薬局薬剤師研修会
 日時 昭和63年12月9日(金)午後7時
 場所 福岡市薬剤師会館  受講者40人
 演題 A 地域医療の中での薬局薬剤師と薬局のあり方
 日薬、生涯教育フィルムライブラリ一
     B 薬局製剤の実際
 福岡県薬剤師会理事
 岩佐周一郎 先生

 9)漢方研究会
 日時 平成元年1月20日(金)午後7時
 場所 福岡市薬剤師会館  受講者75人
 演題 お血と漢方処方
 小太郎漢方製薬株
 大阪本社学術部所属
 山内一晃 先生

 10)薬物療法研究会
 日時 平成元年1月24日(火)午後6時30分
 場所 福岡市薬剤師会館  受講者94人
 演題 抗アレルギ-剤について
 エーザイ(株)医薬部企画室
 プロジェク卜マネ一ジャー
 岩下真治 先生

 11)学術研修会
 日時 平成元年2月23日(木)午後6時30分
 場所 大日本製薬会議室  受講者83人
 演題 鼻をどう診るか ―花粉症の季節を前にしてー
 耳鼻科柴田クリニック
 医博 柴田浩ー 先生

 12)学術研修会
 日時 平成元年3月24日(金)午後6時30分
 場所 三和化学福岡メディカルホール 受講者85人
 演題 皮膚のアレルギー性疾患
 九大病院皮膚科外来医長
 医博 今山修平 先生

 A福岡県薬剤師会主催

 1) 新薬研修会
 @8月、12月を除いて毎月実施した。

 2)第18回卒後教育研修会
 日時 昭和63年8月7日13:30〜17:00
 場所 福岡県薬剤師会館  受講者136人
 演題 @内分泌疾患とその薬物療法
 国立福岡中央病院内科部長 吉住孝之 先生
 A感染症とその対策
 福岡大学医学部健康管理学
 助教授 鈴木九五 先生

 3)第19回卒後教育研修会
 日時 平成元年3月19曰13:00〜17:00
 場所 福岡県薬剤師会館
 演題 @ 中枢神経作用薬の作用機構と今後の動向
 福岡大学医学部薬理学教室
 教授 古川達雄 先生
     A よくある皮膚病の見方とその治療
 福岡大学医学部皮廣科教室
 教授 利谷昭治 先生

 4)第22回薬局薬剤師研修会
 日時 昭和63年7月16日 13:30〜17:00
 場所 福岡県薬剤師会館  受講者157人
 演題 @ 皮膚真菌症T
 九州大学医学部皮膚科
 講師 松本忠彦 先生
     A 薬局店頭で対応する中毒情報 その1
 薬事情報センター室長 大坪万里子 先生

 5)第23回薬局薬剤師研修会
 日時 昭和63年11月26日(土) 13:00〜17.00
 場所 福岡県薬剤師会館  受講者154人
 演題 @ 皮膚真菌症U
 九州大学医学部皮膚科
 講師 松本 忠彦 先生
     A 薬局店頭で対応する中毒情報 その2
 薬事情報センター
 北島麻利子 先生

 6)第13回保険薬局セミナ一
 日時 平成元年2 月19日 13:00〜16:30
 場所 福岡県薬剤師会館
 演題 @ 医療保険改革と日薬の対応
 厚生省審議官
 岡光序治 先生
     A 医療制度改革と日薬の対応
 日薬専務理事
 小宮広宣 先生

 (3)その他

 @ 第9回ソフトボール大会
 日時 昭和63年9月18日(日)  参加者127人
 場所 武田薬品工業グランド  支部対抗
 優勝 勤務部会 準優勝 東支部

 A 第7回懇親ボーリング大会
 日時 平成元年1月15日(日)  参加者88人
 場所 博多スターレーン
 支部対抗優勝 東支部
 個人優勝 堀 浩文(千鳥橋薬局)

 3.重点事業報告

 本年度の懸案事項であった二大事業の一つである、医薬品試験に関する厚生大臣指定については、数多くの障害が存在したが、一つづつ乗り越えて63年10月指定を受けることが出来た。その結果会員が大巾に増加した。

 ニつ目は会館の建て替え問題であるが、設計等慎重に検討し臨時代議員会の承認を得て建設に着手する運びとなった。また、市薬政治連盟を結成し石井道子後援会活動を強力に押し進めたことは、 結果的に組織の再点検と強化につながったと考え ている。

 1.組織の強化

 (1)支部の各種会合に会長他役員が出席し、事業内容の周知に努め、また西支部を分割し活性化(早良支部o城南支部o西支部)
 (2)入会のしおりを作成し入会促進
 (3)市薬広報を廃止して会報に一本化し、内容を充実  6回発行
 (4)会員相互の親睦と結束を計るため、ソフトボール大会等を実施

 2.薬局業務の充実

 (1)試験センターとの契約及び計画試験の実施
 (2)店頭における服薬指導、薬歴管理の実施
 (3)商組活動への支援、協力

 3.医薬分業

 (1)医薬分業推進基盤整備事業に着手
 (2)福岡市内科医会との話し合い及び関係資料提供
 (3)九州地区分業推進ブロック協議会へ参加
 (4)保険業務の連絡と指導及び研修会実施
 (5)医薬品備蓄リス卜の作成

 4.薬剤師職能の高揚

 (1)県薬事情報センターの情報提供
 (2)各種研修事業を実施するとともに出席率の向上に努力
 (3)生涯教育記録表配付
 (4)新薬研修会を市薬会館で実施する等、県薬主催研修事業への参加促進

 5.地域医療への協力参加

 (1)市立急患センタ一への協力、出動会員数 119人
 (2)公的委員会、協議会への参加協力
 (3)福岡市健康週間行事(63年10月11日〜10月22曰)に参加し、ヘルス事業へ協力
 (4).福薬連主催「薬と健康の週間」行事に参加協力
 (5)アジア太平洋博覧会「健康いきいきドーム」完成

 6.試験センター業務

 (1)市立学校飲料水検査実施 224校
 (2)県立学校飲料水検査実施 20校
 (3)簡易専用水道法定検査実施 141校
 (4)医薬品計画試験7品目(140検体)実施
 (5)日薬医薬品統一試験実施
 @インドメタシン座薬定量
 A塩酸ヒドララジン錠定量
 Bアスコルビン酸散定量

 7.西鉄高架事業に伴う会館問題

 平成元年1月28日に臨時代議員会を開催し、 会館建設について承認を得た。

 第2号 第59回(臨時)、第60回(臨時)、第61回(通常) 福岡県薬剤師会代議員会出席報告

 1.第59回臨時代議員会並びに総会

 日時 昭和63年6月11日(土)午後1時30分
 場所 福岡県薬剤師会館

 代議員会

 (1)開会
 (2)会長演述
 (3)議事(議案第1号 昭和62年度歳入歳出決算認定の件、議案第2号 昭和62年度収益事業決算認定の件)
 昭和62年度決算書(昭和62年4月1月〜昭和 63年3月31日)
 歳入金    138,559,268円
 歳出金    98,569,849円
 差引残額金  39,989,419円

 (4)閉会

 総会

 (1)開会
 (2)会長演述
 (3)第59回臨時代議員会決定事項報告
 (4)閉会

 2.第60回臨時代議員会

 日時 昭和63年8月27日(土)午後1時30分
 場所 福岡県薬剤師会館

 議事 社団法人福岡県薬剤師会細則の一部改定について

 第9条 定款第6条第1項第9号により発行する福岡県薬剤師会会報は 有料とする。ただし、本会会員については講読料は会費に含むものとする。

 3.第61回通常代議員会並びに総会

 日時 平成元年3月21日(火)11時
 場所 福岡県薬剤師会館

 代議員会
 (1)開会
 (2)会長演述
 (3)来賓祝辞
 (4)正副議長選出
 (5)議事(報告第1号 昭和63年度会務並びに事業報告、第2号 日本薬剤師会第65回臨時、第66回通常代議員会報告、第3号 昭和63年度歳入歳出中間報告、議案第1号 平成元年度事業計画決定の件、第2号 平成元年度会費決定の件、第3号 平成元年度歳入歳出予算決定の件、第4号 借入金限度額決定の件)
 (6)閉会

 総会
 (1)開会
 (2)会長演述
 (3)第61回福岡県薬剤師会代議員会決定事項報告
 (4)表彰
 (5)閉会

 @第65回日薬臨時代議員会報告
 日時 昭和63年8月18日(木)午後1時30分より
 〃  8月19日(金)後4時30分まで
 場所 東京o渋谷薬学会館
 議事 報告第1号 昭和62年度会務並びに事業報告
 報告第2号 昭和62年度収入支出決算報告(監事会務並びに会計監杳報告)
 議案第1号 昭和62年度剰余金処分の件

 A第66回日薬通常代議員会報告
 日時 平成元年2月22日(水)午前10時より
   2月23日(木)後4時30分まで
 場所 東京o渋谷 新大宗ビル フォーラム
 議事 報告第1号 昭和63年度会務並びに事業中間報告
 議案第1号 薬剤師生涯教育研修推進財団創設参加の件
 議案第2号 平成元年度事業計画案
 議案第3号 平成元年度会費に関する件
 議案第4号 平成元年収入支出予算案
 議案第5号 平成元年度借入金最高限度額の件
 議案第6号 平成2年度総会開催地に関する件

 B昭和63年度福岡県薬剤師会歳入歳出中問報告
 (平成元年1月31日現在決算額)
 歳入 137,605,410円
 歳出 137,605,410円

 C平成元年度福岡県薬剤師会歳入歳出予算
 (平成元年4月1曰〜平成2年3月31曰)
 歳入 135,416,000円
 歳出 135,416,000円

 D平成元年度福岡県薬剤師会借入金限度額 50,000,000円

 ◎議案

 第1号昭和63年度歳入歳出及び会館建設特別会計決算決定の件
 昭和63年度 福岡市薬剤師会歳入歳出決算書
 自 昭和63年4月1日
 至 平成元年3月31曰

 1. 収支計算の部

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 監査の結果、正確であることを認めます。
 平成元年4月3日
 監事 礒田 正之
 同 日高 賢志

 第2号平成元年度事業計画決定の件

 平成元年度事業計画(案)

 西鉄高架事業により平成元年3月15日より会館取壊し工事に着手、4月1日より新館建設に着手した。

 日薬研修財団の設立により、地域薬剤師会としても卒後教育研修に対応する態勢を整えたい。医薬分業についても、分業推進基盤整備事業の推進とともに、大病院からの受入態勢、面分業推進の具体的対策を計っていく。

 4月1日からの消費税導入にともなって、混乱も予想されるので、会員相互の連携を密にし、充分な対策を計っていく必要がある。地域医療の一端を担う薬局として、一層の自覚を高め薬剤師職能の向上と安定に努める。

 1.組織の強化
 (1)支部活動を積極的に支援する
 (2)会報の充実
 (3)会員相互の親睦活動
 (4)一般勤務薬剤師問題の検討
 (5)非会員の入会勧誘

 2.薬局業務の充実
 (1)薬局における設備、内容の整備
 (2)医薬品の適正な管理
 (3)薬局製剤並びに指定医薬品の活用
 (4)服薬指導、薬歴管理の実行
 (5)関連商品に対する安全指導
 (6)卒後教育研修への積極参加
 (7)福岡県広告基準の遵守
 (8)商組活動への支援、協力

 3.分業推進と研修
 (1)国立病院対策
 (2)面分業の推進
 (3)支部三師会活動の支援
 (4)保険業務、調剤に関する指導と研修
 (5)備蓄リストの整備と活用
 (6)研修事業の強化と受講

 4.地域医療への協力参加
 (1)市立急患診療センタ一への協力
 (2)公的委員会、協議会への参加協力
 (3)ヘルス事業への積極参加
 (4)学校保健活動の推進
 (5)公衆衛生、薬害防止運動への協力
 (6)アジア太平洋博覧会「健成いきいきドーム」 の三師会出展
 会期3月17日〜9月3日

 5.試験センター業務
 (1)学校保健活動施行規則第22条の2第1項による検査及び水道法第34条の2第2項による事業実施
 (2)医薬品試験に関する厚生大臣指定機関として医薬品の試験、検査実施

 6.薬剤師会館建設
 設計・施工 八千代建設株式会社
 工事管理 石橋建設事務所
 会館概要 1階80.6坪 2階77坪 3階80.9坪 4階80. 9坪 塔上2坪
 建坪計321.4坪
工期 旧会館取壊し2月15日?3月25日  竣工 11月30日予定
 建築費用 (解体工事費を含む。)1億6.800万円

 第3号 平成元年度会費決定の件(案

 1.平成元年度の会費は、次のとおりとする
 A会員 薬局、一般販売業、薬種商販売業者 会費年額73,000円
 B会員 勤務、その他 会費年額 29,000円
 C会員 A会員と同居する家族である薬剤師 会費年額 8,000円

 2.平成元年度の新入会者の入会金は、次の通りとする
 A会員 250,000円(県薬50,000円 市薬200,000円)
 B会員 20,000円(県薬10,000円 市薬10,000円)
 C会員 0円

 第4号 平成元年度歳入歳出及び会館建設特別会計予算決定の件

 平成元年度福岡市薬剤師会歳入歳出予算(案)
 自 平成元年4月1日
 至 平成2年3月31日

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 会館建設特別会計予算(案)
 自 平成元年4月1日
 至 平成2年3月31日

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