会報第26号 昭和63年11月30日
 ■ 巻 頭 言

 ◆ 一歩一歩前進しよう
                         (社)福岡市薬剤師会 副会長 高倉 博

 63年4月23日の市薬代議員会に於て副会長に指名され、早くも6ケ月の月日が経過しました。第二次古賀内閣は思い切った若返りが行われ、事業の進行も順調に進んでおります。今回原稿依頼を受けるに当り、私は副会長として、社会保険、休日急患、及び会館建設(プロジェクト委員会委員長)業務を担当していますので、その所信の一端を述べさせて頂きます。

 厚生省では本年より5ケ年計画で、「分業推進基盤整備事業」を実施しています。この事業内容の骨子は、@大病院(国立病院)からの処方せん応需体制の整備、G情報提供事業、B備蓄体制の整備、C薬歴管理実施方策等で、その目的は、面分業の進展を図るとともに質の向上を目指しているわけです。

 本会としてもこれに対応して行かなげればなりませんので、参考にしたいと考え先日社保委員会のメンバーと、若松地区の実態調査に行って参りました。勉強になる事が多々ありましたが、中でも町の中心を一寸離れた小さな薬局でさえ、月千枚から千五百枚程度応需されているとの事、誠に驚きの極みでした。

 この事は、井上浩一先生をはじめとして、役員の各先生が良く指導された結果だと思います。若松地区は、地域毎に小さくグループ化され、三師がいっも連携を持っておられるという事が成功の原因かと思われます。

 又、他県他地区からの進入は、この三者の連携によって阻止しています。即ち、「他所からお出でになって調剤薬局を作られたならば、三者は即座に分業を中止するでしょう」と宣言され、薬局設立の意味を無くしてしまうという事です。又、再度の驚きは、三師が同一会館内に事務所を置き三師のトップはいつでも話し合う事が出来るという状態です。

 若松での面分業は、若松であればこそ可能であって、今の福岡市にスライドさせても無理なことですが、ここまで進めてこられた努力は、見習うべき点が大いにあります。

 現在福岡市では、医師税制の改正に関係があるのか、マンツーマンの調剤専門薬局が増加しつつあります。分業の量の拡大はもちろん必要です。しかし、大切なことはその中味で、これからは質の向上を基本に考えて行かなければなりません。

 本会として分業を進めて行くに当り、会営薬局、備蓄センター、そして面分業の推進と、理想とする所は多々ありますが、実際に着手するには大変困難な問題が多く残っています。今後は、執行部、支部、部会の役割を明確にし、三者が一体となって進めて行きたいと考えています。そのためには会員の皆様の熱意と団結力が必要です。頑張りましょう。

 会館建設問題については、7月28日に第1回のプロジェクト委員会を開催して以来、5回に渡って詳細な検討を重ねて参りました。まだまだ会員の皆様方に提示出来る状態ではありませんが、次世代の会員のためにも、立派な会館を建設したいと思い、精一杯頑張っています。今後とも皆様方のご協力、ご支援をお願い致します。



 試験センターの意義と今後の課題(厚生大臣指定成る)

                          (社)福岡市薬剤師会 会長 古賀 隆

 昭和63年10月17H付で、薬事法施行規則第11条の2項に基づく試験検査機関として、公式名称「福岡県薬剤師会福岡試験センター」が厚生大臣指定を受けました。(指定番号第74号)。

 昭和62年6月1日「薬局等構造設備の一部改正」について、官報により告示され、6月10日より実施、但し既設の薬局、一般販売業については一年間の猶予を置き、63年6月1日より実施が決定しました。

 県薬では直ちに62年6月3日、試験センター特別委員会を招集し、対応の協議に入ったのですが、この席で福岡市薬は厚生大臣指定申請をすることを表明し、県薬の協力と理解を要請、賛成を得ました。

 6月10日に当時の神谷県薬会長、荒巻専務に同行していただき、市薬より会長、三役が揃って薬務課を訪問、福岡市薬試験センターの厚生大臣指定の必要性を説明し、指定申請を行なうについての協力要請を行なったのが公式に表明した始まりでした。

 しかし乍ら、条件整備がなかなか大変で、器具、備品の整備はともかく、理化学試験に経験ある技術者及び薬剤師の雇用が必要であり、この点でも多くの人にお世話を願いながら、いま一歩のところで駄目になるケースが殆んどでむつかしい問題のひとつでした。

 それと福岡市内には、もともと製薬工業協会の試験センターが在り、ここがすでに厚生大臣指定を受けていることもあって市薬の指定をむっかしくしていることもありました。そうこうしている中に、62年7月4日に、かねて申請しておりました水道法34条の2による、いわゆるビル管の厚生大臣指定を受けることが出来ました。このことが大きな弾みとなり、更に会員の総意を得ておく必要から62年8月22日に臨時代議員会を開催しました。

 全員の賛成と、しっかりやれとの励ましを受け新たな決意で取組みを開始したのであります。ところが今度は、関東方面において東友会、東薬協等、アウトサイダー5団体が独自に試験センターの指定申請を行なう動きを見せたことから厚生省が、未設置の県以外の大臣指定は当分しないという方針を打出したために、又ここで大きな壁に阻まれることになりました。

 従ってその後の折衝は主に対厚生省、日薬に方向転換いたしたわけですが、私も神谷県薬会長に同行して幾度か資料を抱えて説明、説得に参りました。県薬会長が荒巻会長になりましてからも継続して大変努力をしていただきました。このようにして県薬、日薬の協力をいただき最終的には名称問題で北九州市薬にも大変協力をいただき、薬務課の審査を得て、本年8月24日付でようやく申請書が薬務課に受理されたわげであります。

 このようにして念願の厚生大臣指定を受けたわけですが、そうまでして福岡市薬が指定を受けねばならない理由を述べておきたいと思います。

 昭和55年藤野会長時代に市薬会館が建設されましたが、その当時すでに日薬は厚生省と今回のような折衝をしており、会館建設の際は試験センターの設置が是非必要になるとの見通しで、厚生大臣指定が得られるにふさわしい施設を備えた試験センターを併設したことがひとつの理由であります。

 しかしこの時はそのような法改正の話しがいつの間にか立消えとなり、会員からの搬出金と多額の銀行借入金を抱えて財政上逼迫しており、多額の維持経費を要する指定検査機関の申請は時期早少との結論で見合せることになり今日に至っていたわけです。今回法改正が行われこの際大臣指定申請に会をあげて全力を注いできた理由は、上に述べましたことの他に、将来医療法の数次の改正によって、薬局は次第に医療の中の一員の性格が強くなっていくものと予想されます。

 そうしますと調剤薬局、一般薬局を問わず販売する医薬品。取扱う医薬品については、自らの試験検査によって保存桂、品質管理について一層の責任と義務を負わなければなりません。

 唯、物売り薬局、安売り薬局では大資本の或いは商売本位の大店舗に押しつぶされるのは間違いありません。薬剤師的薬局経営はそうした基本的な使命感をしっかり基盤に持っていなければならない。そうすることによって社会的に信頼される薬局が確立されるのではないか。そのような考えから、この際、市薬試験センターは、何時でも、誰でも、気軽に、安く利用出来る厚生大臣指定の試験センターにしておかなければならない。というのが最大の理由であります。

 具体的な事業としては、早速63年度においては、先ず日薬から依頼される日薬統一医薬品試験戴あります。これは数品目を試料が日薬から送付され、それぞれについて指定検査項目を試験するものです。

 これは全国試験センターの試験技術修練を意味するものでもあります。第2は各県薬独自に計画的に支部会員より医薬品を提出願って数項目について試験を行なうものです。福岡県薬では、63年度は福岡市薬と久留米市薬の会員から試料の提出を願ってこの分については福岡試験センターで実施することになっております。

 第3は以上の他に会員、非会員を問わず医薬品について試験検査の依頼があれば何時でも要望事項について試験を行なうというものです。この分については有料になります。そのほかに、薬局、一般販売業について当試験センターと利用契約をすれば、各自薬局等において一部の設備器具の設置が免除されるという代行機関の機能については御承知の通りです。

 厚生大臣指定を受けた試験機関は、このように公的に認定される種々の事業を行なうことになりますが、前言しましたように収益事業としては必ずしもメリットがあるものではありません。むしろ当分は赤字覚悟の経営になると思います。

 福岡試験センターは福岡市薬会員のみならず県薬の西部、南部地域、すなわち県薬の半数を受持つ試験センターとしてこれからは育成に全力を注いでいかねばなりません。将来は更に発展して食品検査事業(北九州市薬はすでに申請中)の可能性もあります。医薬品開発の発展にともなって試験センターの使命は益々重要視されていくことを確信しております。

 厚生大臣指定を受けました機会にその報告を兼ねて会員皆さんの理解と御協力を切にお願いする次第です。

試験室 試験室
試験室 機器室(ガスクロ)



 <特別寄稿> 「氾濫、カタカナ外語」

                              東保健所 所長 田上 昭夫

 始めに断っておくが私は言語学者でも国粋主義者でもない。ただ日本の国語を大事にしたいと思う一人である。世の中には私と同じ意見の人が沢山居られると信じるが、近頃は見るもの聞くものにカタカナ外語が多くなっている。

 新聞、テレビ、ラジオ、商業広告の類は言わずもがな、地名や建物名などの固有名詞までがカタカナ外語が多い。官公庁などが自粛しようと言っているが、その官公庁までが刊行物や新建築物や公事まで外語をつける風潮にある。よく新設ものの名称募集があるが、なぜか外語が採用されることが多くて、〇〇会館とかの日本名がつくことが珍しくなった。

 先日、タクシーの運転手に聞いた話だが、タクシー会社で地名建物名の研修会がよくあるそうで、マンションなどのよく似た名前が覚えにくいためだそうである。そういえばカタカナ、横文字名のマンションが多くて、地元の人でも分らぬくらいだから、地方から来た運転手がすぐに分る筈がない。

 一寸その気になって街を歩いて見てみるとよい。建物も看板も商品もチラシも英語、仏語その他のカタカナ外語の多いこと。そのままのSpellで書くと、どこの国かと思うくらいである。それも、縦書き横書き斜め書きと無茶苦茶である。

 学問的用語、スポーツ用語、生活文化の用語の中で慣れ親しんだものの中には、無理に日本語に訳すと反対に不明になるものがああり、それらは別として、この有様は少し考えものであろう。

 日本人は、カタカナ、ひらがな、漢字を国語として世界に類をみない卓越した文字で高い文明文化を持っているのに、この有様は、乱用、氾濫と言えるかもしれない。明治維新の文明開化に次いで第二次大戦後の経済、文化の急ピッチな国際交流が、外語の日常使用化に拍車をかけたのに違いないが、何でも彼でも外語をカタカナ化して使い過ぎるのはどうであろうか。

 文字のみでなくて話でも、例えば或会議で司会者が、「今日のテーマについてディスカッションしたが、A、B両案ともメリット、デメリットがある。両者のコンセンサスを得るまで、このプランをペンディソグする」と言ったら何がなにやら分らぬ。

 雑談か又は言葉の遊びにしか聞こえないし、横文字でボカしてしまったとしかとれない。これを日本語で「今日の議題について種々話し合ったが、AB両案ともに各々長所短所があるので、皆さんの御賛同を戴くまで、この案を未決とし審議しよう」とやるとピシャリと分かるのではあるまいか。

 いやこの方が可笑しいと思う人があるなら、その人の方が司笑しいのである。私は、何もドンタークやカステーラの語源まで日本語でやれといっているのではない。バスはバス、センターはセンター、ナイフ・フォークなど、そのままでよい。国際交流も大いに結構。外語の勉強は、大いにやるべしと思っている。やたらに使っていないかと言っているだけである。

 ところで、次の広告文をみて皆さんは、どう思うか白由であろうが、例をあげる。「高度なデザインテクニックで世界のファッション界をリードずるOO〇〇。クラシックをベースにしたそのコンテンポラリーなスタイリングは、時代のクリエイターらしいティストが充満。現代をアクティブに生きる男の、ステイタスブランドである。」

 何が可笑しい!どこが悪い!と言う人もあろう。私は文章が悪いというのではない。善悪でなく、カタカナ外語が多いとだげ言っているのである。古いヤツとか新しいヤッとかの問題ではないのである。

 外語を沢山人れて話したり書いたりすると、耳障りがよくて流れがよいと思う人があろうが、焦点がボケて逃げの話となる傾向にあるようだ。外語は消化吸収すべきだが、日本語をキチンと使わないと消化不良になる恐れがある。

 暴言多謝。昭和63年10月



 <特別寄稿> 「第三次流通再編成」

                       若狭薬品株式会社 取締役社長 若狭 範隆

 第三次流通再編成が始まっています。昭和36年、国民皆保険制度が実施され、国民の健康と福祉に、国の政治的判断が加えられることが多くなった頃より、医薬品業界は制度依存型産業として、陰に陽にその影響を受け、触発されてまいりました。

 近年では、たび重なる薬価改正と、第一次、第二次医療制度の改革が進むにつれ、多くは増えない市場でのシエア争奪戦は、ますます激しさを増し、中小卸の脆弱化と共に、急速に二極分化への兆が見え始めてまいりました。戦後40数年、第一次、第二次の流通再編成の時代を生き抜いた卸も、今や弱小卸として、第三次の再編成に取り込まれようとしています。

 社団法人日本医薬品卸連合会の本年4月に発表された「医薬品流通の現状と課題」の資料によりますと、昭和61年度の卸販売額は、3兆7,894億円、その中で販売額100億円以上の上位卸84社で72.8%の実績シェァが報告されております。

 最近、全国卸の適性数を100社とする意見が、最も多いといわれておりますが、それでいくと今後4社のうち1社しか残れないことになります。

 勿論、規模の大小だげが、生き残りの条件とは思いませんが、医療環境の変化に伴う流通の近代化、効率化、コンピューターを中心としたメーカーお得意様との情報ネットワークの構築、一般情報の収集、分析・加工といった付加価値の高い企業活動が要求される時代を迎え、はたしてどこまで、お得意様を満足させるだけの対応ができるか、また、これからの時代を荷負う優秀な人材の確保育成ができるか、中小卸の現状を考えるとき、第三次流通再編成も、時のすう勢としてとらえざるを得ません。

 合併にあたっては医薬品卸業としてのあるべき姿の実現を目指して、お得意様、メーカー各位それぞれにご構足いただける再編成ができるよう、最大の努力を注いで行くことが要件だと思われます。

 過去の合併は、メーカー主導がはっきりしていましたが、今後における合併は、卸の自主性によるものが増えてくるものと予想されます。しかしメーカーにとって卸の再編成は、地域のシェア競争上重大事であるだけに、卸の自主性を尊重するとしながらも、再編成後の動向に深く関心を寄せているのも事実です。

 この様な情勢のなかで、若狭薬品株式会社と株式会社ケンコー、良和薬品株式会社の三社は、過去2年の年月を費し、将来のあるべき姿を模索して検討を重ねてまいりましたが、経営の基本理念において相通ずることを確認し、資本の充実、物流リストの改善、生産性の向上、人材の育成強化など、質の高い近代卸への脱皮を念願して、来る64年5月1日付をもって大同団結をいたすことになりました。

 創業の原点に返り、お得意様のご繁栄のお役に立つ卸として、お取引メーカー各社の希望と信頼に応えられる卸として、地域社会に貢献できる企業となるよう全力を注いでまいりたいと存じます。

 何卒今後とも倍旧のご支援、ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。



 <特別寄稿> 「再び、おねがい!」

                         日本薬剤師連盟 幹事長 高橋 輝一郎

 10月14日・15日の秋晴れの上天気、九州、鹿児島で、全国国民健康保険組合協会の総会がありました。会議の合間を見て、西郷さんの南洲神社の尚吉館に行き、鹿児島の歴史のあとを尋ねて、大変に感動したものがありました。西郷さんの事蹟をしるした小冊子の中の一文です。

 「時勢に制せられ、制限を慢りにして、出つるを見て、入るを計りなば、たとえ事業は一旦進歩する如く見ゆ共、国力疲弊して済救す可からず」

 この意味は、時の勢いにまかせ、制限を緩慢にし、支出を優先して考え、それにあわせて収入をはかるようなことをすれば、たとえ事業は一時的に進むように見えても、国力が衰えかたむいて、ついには救いがたいことになるであろう」と。

 私は南洲先生の思想の一コマを知りました。今、新行革審を推進力とした流通の喜編成がおこなわれようとしています。現在、総務庁などにおいて、流通業に係る公的規制の在り方について、見直しの作業が進められており、その中で、医薬品販売業についても規制緩和の動きが見られます。

 しかし、医薬品は、生命関連製品であり、単に、経済効率、自由競争の原理などを優先して、他の商品と同じような視点恥ら規制緩和を考えるのは誤りだと思います。医薬品販売業について、薬事法で各種規制が設けられているのは全て、保健衛生との理由によるものなので。保健衛生上の問題を犠牲にして、経済性のみを追求することは許されないことだと思われます。

 特に、医薬品の販売については、薬局、薬店の薬剤師が用法、用量、効能効果、使用及び取扱い上の注意など、その医薬品に関する必要な情報を直接消費者に説明し、また、消費者からの相談に適切に応対することが、医薬品の有効かつ安全な使用を確保することで、極めて重要なのです。

 従来から、厚生省においては対面販売の原則が示されてきたところなので、また、それに対応して、薬局、薬店にあっては、医薬品の販売については、各都道府県の行政当局の指導を得て、対面販売の実施に努めてきました。

 ところが、単純な経済発想で、弱肉強食の市場原理を導入して、一方で、一切の規制を排除しようとする考え方の基本には、企業間の競争を自由化し、産業構造を転換するというものであり、経済構造を転換するというものであって、流通の激変はさけられないと思われます。

 「医薬品は特殊性があるから大丈夫」とした安堵感にひたっていると、後で嘆きをみるのでありましょう。このように、現実は甘いものではなく、他の世界の人々と無関係に運営されている訳でもありません。

 まさしく、複雑多岐にわたる・社会的、経済的要素が、直接的、間接的に絡みあっているので、そのために、関係行政や、各業界の諸団体とが、互いの利害や方向を調整したり、妥協したりしながら、ソフトな思考も加えて、解決策を模索しながら、社会と共存共栄していくべきなので、時代の大きな潮の流れや、経済的な動きを大変だ、ダメだととらえるのでなく、私たちの意見の代表者、調整役を選出して、白らの行くべき方向を定めるべきだと思います。

 石井道子先生の仕事振りは十分に御存知のはず、11月26日、福岡県薬剤師会館では、分刻みの石井道子先生が熱辯をふるう会合が開かれるとの事、御成功を祈ります。

 ここ一番の所で、力のたりなかった薬剤師会が押えのきいた行動をするためにも、一層の御支援をおねがいします。

 もう後援会名簿の作成、おすみですか? 頑張って下さい。将来の方向を選択するのは、あなたがたです。



 <コ ラ ム> 「世 代 交 替」

                         福岡市薬剤師会 専務理事 藤原 良春

 新しい市薬会員名簿が出来たので頁を捲ってみた。開局薬剤師について予想はしていたが、福岡大学(薬)及び第一薬科大学卒の会員増加には、やはり驚かされた次第である。

 福大及び第一薬大の第1回卒は共に昭和39年で、又薬専卒の最後が昭和26年であるので、12年刻みで会員の分布状況を調べてみた結果表の通りになった。

表

 なお、新制大学の第1回卒は昭和28年で、昭和27年卒は存在しない。

 この表を眺めて思うことは、昭和39年卒以後の世代が56。4%を占め過半数を超えており、正に、世代は交替していると言う現実である。そしてこの世代の70%を福大(60名)、第一薬大(40名)卒で占め、この傾向はますます強まって行く。

 今まで市薬をリードして来たのは、熊本と長崎薬専卒であった。しかしそれも終りに近づいている。今後は、福大、第一薬大卒が引張って行かなければならないのは明白(その他の大学出身者には、大変失礼ですが)であり、市薬の発展は、両者の肩にかかっていると言っても過言ではない。

 前向きなら、学閥意識も大いに結構である。両者で競い合って市薬のため、又、母校の名誉のために頑張って頂きたい。



 <分業特集> 「面分業について」

                       (社)福岡県薬剤師会 常務理事 井上 浩一

 人間は良きにつけ悪しきにつけ、いろいろと智恵を生みだすものだと感心する。良き智恵は善行・善意として人々に喜ばれ、悪しき智恵は詐欺・欺瞞として人々に激しい憎悪を感じさせる。

 すこし古い話ですが、豊田商事事件では悪しき智恵を絞って大きな社会問題になりましたが、被害にあった人は激怒し、被害にあわなかった人達は種々な見方をしている。豊田商事のやり方は社会悪と考える人。いや奴は頭がよい、欺された人間が欲に絡んでしたことだから欺された者が悪いと、他人ごとなので考え方も違ってくる。

 ただし、欺された人間が悪いと決めつけた人も、直接自分が欺されると、口角泡を飛ばして瞞した奴を極悪非道の人間と罵る。このような悪徳の智恵が、良き智恵を活かし真面目に生居している人々の間に隙をみて侵入してくるのは、いつの時代においても変らないものだろうか。

 三年間の医薬分業推進モデル地区を終え、若松分業方式とか面分業の呼び方で各支部の賞賛を浴びてきたが、物事すべて良い面・悪い面があるものです。組織の人達が良い面を知的に白覚したときには悪い面は影をひそめるものです。

 若松地区の分業を振り返ってみると、30年前に3人の会員が、処方箋を手にすることは薬剤師の職務であることを自覚し、当時の調剤は殆ど散・水剤であったので、ダイアジン末・サルゾールから液剤の苦味チンキからヒマン油まで50品目位を備蓄したが、受けた処方箋は年間2〜3枚だったと記憶しています。

 何処から処方箋が発行されるかは不明ですがヨーロッパ型の分業である面分業を夢みて、是が非でも実現させたいとした理念が現在の若松地区分業の基礎になったと思います。その後、保険法の改正で処方箋発行数が伸びていって、現在の状況になったことは略させていただきます。

 面分業が発展してゆくに従って会員にも処方箋を応需する機会が必ずあるとそして、処方箋を手にした会員が喜ぶ顔、また会員同志で何枚扱ったと誇りをもって話しあっている姿を見るときに、コストやシェアの問題を度外視し、医療の一部に参加できたと胸を張り、更に分業がすすむことを願っているのが身に泌みて感じられました。

 ところが、歳月が経つにつれて、世知辛いと言うのか、経済的というのか、考え方の異ったコスト・シェアに異状に執着する人達(卸・メーカーに勤務又薬剤師でない人がオーナーになった一部の薬局)が開局し処方箋の独占をする薬局を開設するようになり、面分業を利用して既存の薬局に関係なく有利場所に割り込み出店してきます。

 面分業の一番弱点をついて、薬局開設許可はどうのと一方的理論を展開し会員を困惑させる。その都度、個と組織の理論が激突する場面が繰り返されてきたが、幸いに若松地区では三師会の基本理念である"薬剤師は吾々のパートナーである"で、割り込み開局者に開設を思いとどまらせていた。

 薬事法ではどうにもならぬと思案している薬剤師会に力をかしてくれた医師会に感謝しています。医師会長の信念は、既存の薬局に処方箋を出し、近くの薬剤師と一緒に患者のために、より良い医療を……で、薬剤師もこれに答えねばと思っているのが若松面分業です。

 30年前は20軒足らずの薬局が分業の進展とともに47軒に増加。それに従い処方箋を手にして薬剤師の喜びを噛みしめた人の数は少なくなり、コストとシェアを競う現場体験主義者が多くなり、コストやシェア重視の理屈が幅をきかせて、分業本質論の人まで巻き込みコスト重視論へと変えてゆく。

 コスト重視論の同志が多くなれば、既存薬局に関係なく、他人がどうなろうと知ったことではないと割り込みを始め、白分の行為を同志の数に頼って正当化しようとする智恵が起り始めている。

 経営が堅実であることは大切ですが、分業の基本理念を忘れてはならないし、白分自身で分業をしたから薬剤師会には関係ないとの発言を聞くことがあるが、薬剤師会が分業の下地をつくっていたから医師も関心をもってスムーズに出来たことを忘れてはならない。

 個で分業論を唱えても社会は認めにくいが、組織で唱えれば認めやすくなる。それで組織の知恵で面分業が実現されてゆくのではないでしょうか。

 頭の中で理屈をこねまわし、俺も年令をとったなと思い、椅子にもたれながら半廻転させて眼を凝らして棚を見ると、缶の縁の所々に鋳があり薬品棚の隅に置き忘れられ使われることもなかったダイアジンのポンド缶が時代の移り変りをみてきたように思われます。

 30年前に3人の若い薬剤師が損得を度外視して同年輩の医師達に医薬分業を語りかけ、その医師達が、ここ10年間に医師会の役員になり面分業を実現したことを古びた缶は話しかけてきます。

 立ちあがって、その缶を手にとり、ソーッと蓋をあけてみると、白い小さい結晶に光線があたりキラッキラッと光り、丁度ダイヤモンドの輝きのように見えました。



 <分業特集> 「点から面へ」

                              市薬社保委員長 正岡 民次

 福岡市における立地可能なマンツーマン分業は、ほぼ終了に近づいたのではないかと思われる。

 福岡市においては63年8月現在、1ケ月に人口1、000人当り240枚の処方箋が市内の会員によって調剤される。又地域的には東区において保険薬局の62%が800枚薬局であり、300枚薬局と800枚薬局が同じというのは、マンツーマン分業の終了をさしているものと思われる。

 博多、城南、中央各区については、300枚薬局が多く序々にマンツーマンの終りに近づくものと思われる。

 早良、西、南各区は、これからというところであろう。市全体的には、ほぼマンツーマンの終了をあらわしているもので、保険薬局の40%が800枚薬局である。

 しかし福岡市の分業率はマンツーマンでは、これ以上伸びる余地はなかろう。しかしこの数では国民、市民の医薬分業の理解はむずかしかろう。しかるにこれからは面による拡大こそ薬剤師の生き残りに大切な道ではなかろうか。

 面分業の先進若松は70%の医療機関で処方箋を発行し、44薬局で受け入れ一店当り2、000〜3、000枚の処方箋を受けている。

 しかし、これには33年に三師会(医歯薬)会館が建ってからの長い道のりを経て出来たものであり、決して簡単に進むものではない。そこには役員のものすごい努力と会員のこれしかないという考えが結びついて成り立っている。

 福岡市においても各自が医療に参加する薬剤師という立場に立ち、部会又は隣近所の薬局と団結しスクラムを組んで地域医療にとび込もうではないか、待っていてもそれはやってこない。

 自分の近隣の医療機関との信頼、地域住民の信頼が重なりあって部会の信頼になり、その積み重ねが進み支部、市薬への面分業の道が開けるのではなかろうか。上からの面分業、全面分業はまず無いと私は断言する。分業は各自の意識の問題である。

表


 <分業特集> 「患者志向の調剤とは」

                         (社)福岡県薬剤師会 理事 光安 龍彦

 保険薬局の調剤報酬として、投薬特別指導料と薬剤服用歴管理指導料が設定され、薬剤師の調剤業務のメンタルな部分が拡大されてきました。いわゆる患者志向につながる調剤です。

 全国的に見て分業も遅々と進んできましたが、ここまでの分業化への要因は我々薬剤師の努力以上に外的条件の医療費改正や薬価改正に負う部分が大きいと思います。今後医薬分業(協業)の進展および社会的定着を目指すには薬物の専門家としてまず医師に信頼されることは当然であり、更に患者さん志向の分業を進めなければならないでしょう。

 最近の新聞紙上を見れば、厚生省健康政策局の諮問機関である「患者サービスの在り方に関する懇談会」において患者サービスガイドラィンの試案が作製されていますのでここに少し紹介します。

 @信頼関係の確立
 A二一ズへの積極的な対応
 B積極的な情報提供
 C組織的な対応
 D地域とのかかわり
 などを重視し、より開かれた医療の必要性を訴えたものです。

 この中で薬局に対して特に「薬剤のうけ渡しは薬剤師が行ない、服薬指導は正しい服用を徹底し、治療効果を高める上で極めて重要であり、患者さんがわかりやすく納得して服用できるように十分に説明することが大切であり、又薬を受け取るまでの待ち時間の短縮も重要である」と強調しています。この試案を読みますと、医療の中心は患者さんであるということを再確認させられます。

 次に参考資料として、北里大学病院薬剤部によって実施されたアンケートの集計結果が出ていますので見て下さい。このデーターを見ますと患者さんが薬局および薬剤師に何を求めているか一目瞭然です。薬剤師がどういう行動をとらなくてはならないか判明するでしょう。

(参考資料)

表 表

 調剤は処方箋にしたがって正確に薬剤を調剤する行為から患者さん志向への調剤へと向かっています。今後の調剤報酬のアップが調剤技術そのもののフィーよりも、服薬指導、薬歴管理のフィーのウエイトが大きくなることは当然の事でしょう。

 薬歴料が新設された当初は薬局業務の繁雑化で問題もありましたが投薬する際に薬歴がなければ適切な服薬指導も行うことが不可能であり、薬歴を作製して始めて、薬歴なしの投薬業務の危険性に気がつく事でしょう。

 医師のカルテ同様に一枚の薬歴に患者さんの情報が種々たくわえられ、薬局にとって無くてはならない物となっています。単に薬の用法用量など事務的な説明であれば、薬歴も服薬指導もその評価が低くなります。

 病気をかかえているという不安を抱いている患者さんに対して人間的でより効果のある対話ができるかがこれからの薬剤師職能向上に結びつくものと思います。

 最後に、今昔の薬剤師像を表わすことばがあります。
 昔、薬の倉庫の番人。
 今、患者を通じて薬を管理する。



 <分業特集> 「若松における分業活動見学記」

                             南支部 社保委員 大庭 秀臣

 故郷に、昔日の思いを馳せながら、福岡を出発する。人口九万人、東南北は、響灘、洞海湾、にて区切られ、西は郡部に鎖され、中央には、高塔山,石峰山,花房山の丘陵が起伏する山近く海近い、小じんまりとした市です。

 昔は人口十三万人、石炭の集まる工業地帯として活気があり、人情豊かな町であった事は、火野葦平の小説に紹介されている通りです。気性は荒いが、「義理」と「人情」、「血」と「涙」にあふれ、出船、入船で賑わった街も、現在は、不況による工場閉鎖,人口流出に悩まされ、昔日の活気は無くなりました。

 それに反して、分業促進活動は盛んで、今日のモデル地区として成長しました。「文明は、逆境より生ずる」と云う諺の通りです。医歯科の先生方との交際は、日夜を間わず、事ある毎に、薬剤師としての職能をアピールして来ました。

 除々に三者が心を開く様になり、マンツーマンの処方箋発行が見られる様になった。と同時に会営薬局をニケ所に設置し、各会員の卒後教育も含め、医師、歯科医師への信頼を深める事に成功しました。初めは、1枚2枚の応需を喜び合いました。

 促進要因として、最も有為な事は、三師会館の存在で、事務所面積は均一で同居し、各会幹部の交流が盛んで、学術研究会を再三開いていた事も、二師に認められ、より一層の信頼が高められた。その間に相互の理事会への招待が行われる様になり、相互信頼は、ますます進み、薬剤師会を学術団体として認め、投薬は薬剤師へ任せ任せる事が、医師理事会で決議されました。

 時に政治の変革(税制改革、薬価の切り下)により、S54年から今日まで、急速な延びを示す様になり、「点から面へ」の分業へと発展しました。この時点で、医師会の地区割りに沿った六ブロック制を採用し、ブロック毎に医師との疎通に気を配り、分業基盤の確立を計った。

 又三師会で薬事委員会を設立し、医薬品のDI活動に努めると同時に、他からの、割り込み開業への阻止に全力を盡くしつつ、薬剤師会員間では、「備蓄リスト」をフルに活用し、C価にて融通し合う事により、患者のタライ廻しを避け、各会員間の融和を保つ事が出来ました。

 既存の薬局の小改造で、大きな設備投資もなく、処方箋応需に事欠かない現状です。之に於て、会営薬局は閉鎖し、会員間の切磋琢磨に依って、より一層の発展に努めている様です。まだまだ多くの問題があり完全分業とは云えないまでも、その発展には目を見張るものがあります。

 福岡に於いては地区割りも完全でなく、医師との交流は、まだまだ少ないとは云え、粘り強く疎通を計るべきと思います。若松に於いても二十数年の時を経ています。「ローマは一日にして成らず」の通りです。

 卒後教育を通して、自己啓発に努め、DI活動を通して、医師歯科医師に働きかげ、分業伸展時には、信頼される薬剤師として、何時でも処方箋応需が出来る体勢にしておくべきと思います。

 二十一世紀の調剤は、コンピューターがする様に成るとも云われますが、DI活動は、入間の頭脳と対話によってのみ出来るものです。薬剤師としての職能を認識し、地域医療に奉仕出来る様、努力しましょう。

 懇切な御説明下さいました、岡本昌明先生、井上浩一先生、薬局実務を御提供下さいました、平山光栄先生、仁宮寛治先生、森重勝子先生に深く感謝致します。



 <分業特集>
 「若松モデル分菜を視察して 福岡の面分業にどう生かすか」

                            早良支部 社保委員 清水 達三

 医薬分業モデル地区の成功例として厚生省より高い評価を受けただけあって、うらやましい理想郷であった。それをマンツーマン分業の進んだ福岡の面分業推進にどう生かすかと言われて、頭をかかえ込んでしまいます。まず若松面分業の成功の理由を探ってみますと、

 @地域的に隔離された半島に、ほどほどの人口と医院数,薬局数があった事。
 A強力な指導力と熱意を持った薬剤師会長がいて、医師等との交際を上手にこなし、 分業獲得の努力を行使した。
 B医師,歯科医師,薬剤師が等分して三師会会館を建て同格の立場で同居したお陰で医歯薬が嘗に親しい]ミュニケーション作 りを育てることができた。
 Cグループ(部会)別地域分業を鷲立したり、初期には会営調剤薬局も効果を上げた。
 D若松薬剤師会が団結力を持ち、飛び出し薬局や外部からの榛取り薬局を完壁に押え 込んだ。その他にも成功原因や努力は沢山あります。

 さて福岡の場合は都市規模が大きすぎる上にマンツーマン分業が先走っていて、これを面に置き換えるには容易ではない。

 しかし福岡では今度国立中央病院が百道埋め立て地に新築移転するのをきっ掛けに処方箋発行を働働きかけ、できれば会営薬局を、処方箋が出廻ればそれを受け入れる為に出来る限り多くの薬局が薬を揃え処方箋受け入れを実行し、受け入れ薬局は標示をはっきりして面分業の先駆者として頑張ること、もちろん全薬局が備蓄薬品の小分げが出来る状況を作り、それを契機に受け入れ可能薬局を増やしてゆく。

 若松でもとりかかってから十数年の努力が実った。福岡でも根気強くやる必要がある。また現在薬剤師会の部会割りと全々違っているが、地域分業を目ざす為には医師会組割に合わせた薬剤師会部会作りが必要になってくるだろうし、そうすればその中から、いくつかの部会は若松の様なグループ(部会)面分業に成功して行き、その影響が次第に広まり面分業が推進されるだろう。

 福岡のマンツーマン分業は多くなったが、もしリベート分業が潜入しているとしたら絶対に面分業は進展しないだろうし、それどころか面分業を阻害するであろう。また各支部、部会にしても医師と薬剤師が顔を合わす機会が少なすぎる。これを薬剤師会でもっと研究して対策を講じてほしいものだ。それに伴い薬局薬剤師は医師の信頼を得るべき努力をしてゆかなくてはならない。

 我々は、薬局の「局」の意味と、薬剤師の「師」の意味をわかっているのだろうか。店に「局」を掲げ「師」が白衣を羽織っているのはよいが、「局」に雑貨が山積みされ、白衣を着た「師」が雑貨の安売りに血道をあげていて、どうして患者や医師の信頼を得られるのでしょうか。ましてや分業など得られるはずがない。

 今からでも遅くはない我々はどの道を職能と考えるのかを決断し本来の薬局を追求するのか、それとも「局」の看板を降ろし白衣を脱いで雑貨の安売りに商道を追求するのかはっきり別れてゆかなくてはならない。

 そして薬局と薬品の区別を明確に区別できる方策を打ち出し、又薬局の方でも処方箋を受け入れる薬局と雑貨の安売りに血道を上げる薬局とに別れ、後者は「局」の看板を降ろし白衣を脱ぐべきである。

 もちろんその区別も明示できる状態にしなくてはならない。もし面分業を本気で考えるならば薬剤師会がイニシアティブを取り薬剤師が襟を正して、医師や患者、そしてお客様から信頼される薬局になってゆかなくては、面分業は遠い夢の世界になってしまう。 分業は寝て待っていては、転がり込んではこないのです。

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ニノミヤ薬局 三師会館側面のシンボルマーク


 <会員の広場> 「白分史を書く」

                           大橋部会 織田薬局 織田 登紀子

 この頃カルチャーセンターや文化講座等で自分史の書き方があったり、雑誌で目についたりしますので、私の自分史とは、というより過去を振り返ってみました。

 特別良かった事、自慢できる事もなく、かといって悪い事や悔やむ事もありませんでした。両親健在、主人も健康、子供も健康、幸せな毎日に満足しています。

 子育てにおいても幼い時はこのようにして育てているとか、こうして育てたいとか書けてたけど、今問題の中学高校の子供を育てている(育てているというより自分達で育っている)時期は不安定なシーソーに乗っているようなもので、2、3月後はどうなるかわからないから、どうこうしているという事を文字にして書けません。それで履歴書みたいですが薬剤師史でも書いてみました。

 昭和43年福大卒業後千早病院の検査室に就職しました。学生時代実習をうけて、検査の仕事をしたいと思いました。社会入の一員となり希望にあふれていました。血清はピペットで吸い試薬も手作りの頃でした。最新の検査の仕方は血清を取ってデータが出るまで全部自動で行われると聞きましたが、ずいぶん検査時間も短縮されている事でしょう。

 私は肝機能の検査をしていました。この頃B型肝炎の事がよく話題になりますが、当時患者さんの検査後の血液は流しのゴミ入れに捨てて、手袋もしないで血液の入っていた試験管をザザブザブ水洗いしていたのを思い出すと、よく肝炎にならなかったものだと思います。

 今病院にかかると検査結果を中心に話しをされるので、検査にたずさわっていた事が大変役にたっています。46年に退職しました。

 47年から54年まで薬局の管理薬剤師をしました。

 55年、調剤薬局の管理薬剤師になりました。ここでは久しぶりに処方せんに触れて薬剤師らしい気分になり、保険の書き方の勉強になりました。

 57年、場所的に薬局に向いてなかったかもしれませんが、家を新築したので薬局もそこに開きました。お客様のために薬を私が選んであげる、大変責任のいる又信頼を預かる仕事です。5年目を迎えた今、諸先輩の先生方に店の事、薬の事、いろんな事を御指導いただきやっと自信らしきものができてきました。

 友達に進められて学校薬剤師にもなりました。小中高校が近所にあるので地域のための学校薬剤師になりたかったのですが他校区の小学校に決まりました。私にとって学薬はまったく新しい分野だったのでとまどいましたが新鮮味があって楽しいです。1年後に近くの中学に変わり楽になりました。

 保健の先生が、「校医さんより、薬剤師さんの方が学校とかかわる時間が多いですね。」とおっしゃっていられましたが、ほとんどの父兄が私達学薬が学校でしている仕事を知ってないと思いますので残念です。

 私も3人の子供を育てている間、校医さんは身体検査があるので知られていましたが、学薬の先生はどなたか又生徒の為に何をしていられるのか等はまったく知りませんでした。

 薬剤師としていくつかの仕事をしてきましたが、まだまだいろんな職域でたくさんの先生方が活躍していらっしゃると思います。薬剤師となって他人の為ならず家族の為又自分の為に知識が生かせて本当によかったと思い、一生薬剤師としてかかわっていられる事を誇りに思います。



 <会員の広場> 「支部対抗親善ソフトボール大会に参加して」

                             福岡市立第一病院 中尾 泰正

 今年もスポーツに最適な季節となり、各地で色々な催物が行なわれています。世界中が待ちに待ったソウルオリンピックも始まり、日本選手の活躍が大いに期待され、テレビ,ラジオ,新聞等を通して国民全てがオリンピック情報に耳を傾けています。またプロ野球に目を向けると、セリーグは星野中日ドラゴンズが優勝街道をまっしぐらに走り、パリーグは独走かと思われた西武ライオンズが近鉄の猛追に慌てふためき出しました。

 そんな中での9月18日、我々市薬の親善ソフトボール大会が、抜ける様な青空の下、流通センター内武田薬品グランドにて開催されました。

 昨年は勤務部会は初参加であったため特別参加となり、順位争いには入れずに、その為か(?)1勝1敗の成績を取り、今年への勝利の為のエネルギーを残す事となった。

 今年度より勤務部会も一般参加を認めてもらう事ができ、選手を初め応援団(若干名)一同優勝を目指して一致団結し、試合に望む事になった。

 抽選の結果、第一試合は南支部との対戦になった。1回の表、南支部の猛攻にあい、一挙6点を先取され敗戦の色がただよったが、勤務の底力もたいしたもので、すぐにその裏5点を返し、2回には7点を取り一気に逆転し、そのままリードを続け結局14対8のスコアで勝利を得た。

 第二試合は中央支部との対戦であった。あまりの晴天に目中の気温は30度を越えた様な暑さの中での試合となった。さすがに両軍とも2試合目ともなると疲労の色も見え始めたが平均年齢の若い勤務の方が暑さも克服し、そのためか一方的なゲームとなり16対6の大差をつげて勤務の決勝進出が決まった。

 決勝戦は昼食後に行なわれる事になっており、食事は各支部ごとに集まり、午前中の試合の反省や午後からの試合の作戦をねったりしながら、お互いの親睦を深めるのに最適な時間ともなった。

 暑い中での試合でもあったので、昼食時にビールを飲む選手も多く、決勝戦では全員が持てる力を十分に出し切れるかどうか不安でもあった。

 いよいよ決勝戦である。対戦相手は昔から足でかきまわすことで定評があり、過去数回の優勝経験を持つ強豪・東支部である。

 さすがに決勝戦となると両チームとも気が引き締まり好守好打の連続で緊迫したゲーム展開となった。結果は少し押されぎみであった勤務に勝利の女神が笑えみ、8対7のスコアで勤務の初優勝となった。

 接戦をものにした勤務の選手の顔には疲労の中にも喜びの表情が見られた。まさにスポーツの秋を全身に感じとることのできた支部対抗ソフトボール大会は、各支部間の親睦を深める役割を十分に果してくれた様であった。

 本大会を企画し、運営していただいた大会役員の皆様に深く感謝致します。来年も連続優勝に向けて頑張りますので、どうぞ宜しくお願い致します。



 <会員の広場> 「馬場正守先生の死を悼む」

                          警固部会 永瀬永寿堂薬局 中野 佐

 私の独断と偏見的な見解だが、過去の福岡市薬剤師会の三傑は四島久、白木太四郎、馬場正守先生である。

 故馬場正守先生は私より五才年下であるが彼の衛生化学、分析化学の学識の深さはプロフェッサー級の頭脳の持主である。

 薬科大学の教授でいたら恐らく薬学博士になっていたであろう。小売薬局の経営者では本当に惜しかった。今後彼より優れた開局者は出ないであろう。福岡市薬剤師会にとって大いなる損失であった。せめて後10年は長生きしてもらいたかった。

 42才で福岡市学校薬剤師会長になり、13年の長きに亙って学薬会長を務められたのは、彼にそれだけの実力があったからである。

 彼は物事を為すに何事も几帳面である。ちょっと頑固なところがあったが中途半端な妥協は許さぬ人だった。然し我々先輩に対しては敬語を使い白分の学識を威張るようなことは無かった。解からない試験法など何回聞いても苦笑し乍ら教えてくれた彼の横顔が脳裏をかすめる。

 学校薬剤師会の全国大会に獺越先生と三人で何回も御一緒したが、会員から拠出された金だからと言って経費を節約、ビジネスホテルに泊り会場迄のタクシー代は三人で割り勘だった。

 学会には朝9時より午稜4時迄真面目に出席し、学会では良く質問や指名されると明解に解答し積極的に発言されていた。全国学校薬剤師会に名前が知れ渡っていて各県、各市の会長が向うから挨拶にこられていた。

 彼は甘いお菓子が大好きで、酒とタバコは一滴も飲まず吸わなかった。大体歌の好きな人に悪い人はいないと言われているが、彼は演歌が好きで宴会ではカラオケで良く歌いレパートリーも広かった。

 そして薬剤師会きっての愛妻家で彼程奥さんを海外旅行に同伴した人はいないだろう模節亭主である。皆見習わなければならないと思う。33年間の長い学薬生活で多くの教訓と思い出を残してくれた。本当に借しい人をなくした。



 <会員の広場> 「俳  句」

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 <フレッシュさん紹介> 「現代性シンドローム」

                   福岡市立こども病院 感染症センター 安河内 尚登

 私が薬剤師になって、早や3年が経ちました。1年間は九大病院に、2年目からはこども病院に勤務しています。大学3年の時、病院実習をここでやらせてもらい、またここで働く事になるなんて夢にも思っていませんでした。

 薬剤部は男5名、女1名、平均年令30才という若い部所です。若いが故に未熟かもしれませんが、若いが故に薬剤師として希望を持って仕事をしていると思います。薬剤部というのは大体入員の少ない部所です。院内での影も薄くなりがちなので院内の行事にはなるべく参加するようにしています。

 バレー,ソフトボール,バドミントン,テニス,ボーリング,卓球薬剤部は男5名、女1名、平均年令30才という若い部所です。若いが故に未熟かもしれませんが、若いが故に薬剤師として希望を持って仕事をしていると思います。薬剤部というのは大体入員の少ない部所です。院内での影も薄くなりがちなので院内の行事にはなるべく参加するようにしています。などです。色々な行事に参加して、他の部所の方の話しを聞くのは大変勉強になりますし、薬剤師の仕事の内容をアピールできるのも良い事だと思います。しかし最大のメリットは院内のコミュニケーションを取れる事だと思います。現在も来月に行なわれるバドミントン大会,テニス大会に向けて練習に励んでいます。

 当病院の患者さんは、やはり子供さんが多い訳ですが、今の子供さんの名前がユニークなのには驚かされます。例えば、アイコ,アイミ,アスカ,アリカ,オリネ,カレン,コウエツ,コウセイ,コトネ,スミト,セイト,セイヤ,ゼンタ,タイチ,ダイキ,ツバサ,ヒカリ,ミク,メイシン,ユウト,ユウダイ,リナ,レオナ,レイカ,レイナ,レナなどナウイ名前が付けられています。

 それぞれに親の愛情が込められた名前なのでしょうが、よくこのような名前が考えられたものだと感心します。子供さんをお持ちの先生方が自分の子供さんに名前を付けられる時に、これらの名前が候補に上げられたでしょうか。

 でも子供さんの名前だけでなく、今の若い母親というのもユニークです。まずスタイルですが、MIKI-HOUSE(ブランド名)のトレーナーを親子でペアルックしている母親、メーカーに関わらずペアルックを着たがる傾向があるみたいです。

 ロビーで薬を待っている時、白分の子供が土足で長イスに上っても何も言わない母親、薬を子供に取らせに来て、説明を聞くよりもそれが子供の教育に良いと勘違いしている母親。子供さんは薬の重要性を認識する事が出来ないので、母親が代りにその重要性を認識し、きちんと服薬させて頂きたいと思います。

 やたら薬に対して過敏な母親。これも我が子がかわいいからだと思いますが、度を越すとヒステリックな母親に見えてきます。薬の本などを入手し独学で薬の知識を吸収している母親。この手の母親には感心させられます。

 私は独身ですので親がどうあるべきかを勉強させられているみたいですし、これらのユニークな名前は、自分の子供に名前を付ける時に参考にさせて頂きたいと思います。しかし、今はユニークだと思える名前も10年、20年後は違和感のない名前、むしろ在り来たりの名前に変わっているかもしれません。

 そういう時になると薬剤師を取り巻く環境も変化しているでしょう。今年から病院薬剤師に服薬指導料(100点業務)が認められた事もその一歩だと思います。服薬指導料が取れる為にはいくつかの条件がありますが、残念ながらこども病院はその条件に該当しませんでした。

 しかし将来は服薬指導料が取れる様になると思いますし、こういった変化は病院薬剤師に限らず開局薬剤師にも波及してくると思います。私達薬剤師は、いつ、そういった状況になってもいいように日々努力していかなげればいけないと思っています。
                         (S60年明治薬科大学薬剤学科卒)



 <フレッシュさん紹介> 「開局2ケ月目にして」

                      六本松部会 ファーマシーフジキ 藤木 弘美

 日一日と風が冷たくなってゆき、朝の洗顔がつらい季節となってまいりました。 急な寒波で風邪をひかれた方も多いようですが、諸先生方はいかがでしたか。私もついに寒さに負けてしまい、ズルズルと鼻をすすりながら風邪のお客様に「この薬効きますよ」と頼りない説明をしております。

 薬学部を卒業後、福岡県立高等学校の教員に採用され、しばらく薬剤師としての仕事から離れていたのですが、この度退職し開局するにあたり、諸先生方のお仲間に加えていたいただくこととなりました。

 約三年間の教員生活で、私の頭のかたすみにあった、ただでさえ乏しい薬の知織はすっかり"無"になってしまった上、開局してまだ一ヵ月余りですので、わからないことだらけ。お客様から教えていただくようなこともあるくらいです。

 お客様が入ってみえると、胃がキリキリ痛みだし、そして考えることは"薬の相談じゃありませんように"ということですので、全く情けない限りです。一刻も早く胸を張って「薬剤師」と言えるだけの専門的知識を身につけたいと思ってはいるのですが、こればかりは、一朝一夕にはいかず、もどかしく思っております。

 よく薬剤師は閉鎖的な社会であるとか世間知らずとか言いますが、教員の世界も負けず劣らず閉鎖的。しかも生徒や父母からちやほやされる"一お山の大将"。そういった社会にどっぷりつかっていたわけですので、薬局を始めて、環境がガラリと変わってしまいました。

 例えば、対人関係にしても、以前は他人が造ってくれていたものですが、現在はこちらから造っていかねばなりません。目下、なかなかお客様と「世間話」ができず、頭を悩ましております。

 毎日、色々な方と接してみて、やっと社会という所に出たのだという開放感とともに、日々の新鮮な経験を白己の人間形成に少しでも役立てることができたら、と奮闘中です。今後、色々な面で薬剤師会の職員の皆様や会員の先生方にはお世話をおかけすることと思いますが、未熟な私に力をお借しください。

 どうか末長くよろしくお願いします。厳しい冬が迫っています。どうぞ風邪など召しませんよう。
                         (S60年長崎大学薬学部卒業)



 <部会紹介> 「原部会について」

                            早良支部 原部会長 清水 達三

 私達の原部会は新生早良支部薬剤師会を構成する三部会の一ツとして21会員を有する大所帯部会です。昔から原部会といえばまとまりのない部会の代表のように言われ「お荷物部会」と陰口をたたかれる恥ずかしい部会でした。過去には会計が部会金を全額持ち逃げしたり、又ある時は不渡り手形の会費をつかまされたり惨々な目にも合いました。

 今までの原部会では部会長も会計も廻り当番制であった為、部会長は規定の年期をやり過ごすのがやっとという状態でした。この無気力原部会を憂う会員もいてなんとかしなくてはと悩んでおりました。

 そこえ突然去年の11月、かつて例をみない悪らつ薬剤師が店舗も構えず姑息な手段で薬剤師会A会員に入会してきたのです。その上一旦入会したら後は我々原部会をないがしろにし、卑劣な手段で会員資格だけを持って逃げ廻ったのです。

 こんな悪事を許すまいとして原部会は決起したのです。毎晩の様に会員有志が集まり如何にして部会が強くなって闘うか、また部会を活性化させ団結させるかを談合しました。その中から無関心会員を起こすにはどのようにしたらよいか、薬剤師会とは?何故薬剤師会に入会するのか?そして会員の義務とは、権利とは?会員になるとどんなメリットがあるのかを何度も部会を開いて討論し合いました。それを契機に新生原部会が誕生したのです。

 今年度からは熱意のある部会長を選び、その部会長の元で次の事を実行して部会活性化を計ることになりました。
 1. 部会会則の制定。
 2. 部会会費月一万円の徴収(今までは0)
 3. 部会会報を毎月一回発行する。
 4. 部会会合を出来るだけ多く開く。
 5. 部会長、役員は出来るだけ多く会員店を巡り話し合う。

 丁度時期が良く石井道子後援会名簿獲得という大仕事があり、これを遂行する活動の中で頻繁に会員店を訪問し、何故薬剤師会が政治力を必要とするのかを説明する事で会員意識の高揚や部会団結の必要性を理解してもらい盛り上がりました。

 また何度も足を運び直接面と向かってお願いした事で会員の多くが情にほだされ一生懸命後援会名簿集めに協力してくれました。お陰で9月末で石井道子後援会会員集めも目標の83%(1,739名)を上回り、100名突破会員は市薬の中でも一番となりました。そして今年中には部会目標100%突破をめざして再度挑戦中であります。

 薬剤師会は事業計画のトップに組織強化と部会支援と活性化を打ち出しているのであるから、もっと強力に積極的な対策を打ち出してほしいのです。会員が薬剤師会事業を身近に感じて活性化する為には部会という太いパイプが必要なのです。

 薬剤師会は今、医薬品検査センター、卒後教育100時間、石井道子政治連盟、市薬会館の建て直し、地域分業施策等で多忙だとは思いますが、これらを会員の前に突き付ける役目を部会長にさせる事の中にこそ組織化を生みだす絶好のチャンスがあるのではないでしょうか。

 今、O.T.C薬局は不景気の中で浮上策もなく不安におののいていますが、そのすき間を縫って悪質薬局が既会員店を襲います。彼等は薬剤師会が苦労して得た宝物だけをねらって入会して参ります。入会できたら最後彼等は会の活動にはほとんど協力もせず義務も果しません。それは後援会名簿集めの結果にも如実に現われています。悪質な会員が部会に入会する度に部会内部は弱体化し、団結が崩壊するのです。

 この件では今年の市薬細則第2条の2の改正は支部や部会の強化にとって本当に有り難いことでした。この改正は我々原部会の再起に大きな力づけになってくれました。とは申せ我々原部会は再出発してまだ一年たらずで、これから解決しなければならない事が沢山残っております。悪徳薬局との戦いは、まだケリがついていませんし、同様な薬局開設情も沢山ききます。

 いつの日か「闘う原部会」から成長し、「モデル原部会」となる日を夢みて切磋琢磨してゆきたいと思います。市薬の支援と会員の暖かいご支援をお願いして原部会紹介を終らせていただきます。



 <コラム> 「バードウォッチングしてみませんか」

                              九大病院薬剤部 野仲 範子

 −鳥達の身上調査−

 皆さん、動物はお好きですか。いろいろな動物をペットとして可愛いがっていらっしゃる方も多いことでしょう。私も動物が大好きで、動物園なんかにもよく行きます。

 動物園って楽しいけれど哀しくもなるところですね。特にいかめしい顔をした動物ほどオリ越しに見るのは見ている方がつらくなってきます。しかし、そんな動物は野生状態で見るのはまず無理ですから、動物園で、というのも仕方のないことでしょう。

 でも、大層な動物でなければ身近にその野生が見られるものがあります。野鳥です。見なれたものから季節ごとの渡り鳥,フラフラと迷いこんで鳥キチ達を喜ばせる渡り鳥といわれるものまで種類も数も沢山です。

 いつもより、少し注意深く周囲を見ると思いがけない出会いがあります。昨今は自然ブーム,健康ブームです。アウトドアライフの楽しみの一つにバードウォッチングを加えてはいかがでしょうか。

 それでは今月号から鳥達を紹介していきます。まずは身近なものから。

 シリーズNo.1 [スズメ]

 余りに人に身近なため、なぁんだスズメか、とまともに観察してもらえない。

 ハタオリドリ科の留鳥。濃茶の帽子に白い顔、ほほの黒い斑がポイント。背は褐色に黒い縦模様、腹は白く、くちばしの下に黒いよだれかけ。幼鳥は全体的に色が淡く、黒斑も不明瞭。

 地上では足をそろえてピョンピヨンと(ホッピング)意外な速さで移動する。

 繁殖期の春には沢山の昆虫を食べる益鳥なのに、実りの秋にはその実りの一部を失敬するため害鳥だと白眼視される損なヤツ。

 庭にエサ台をつくるとまず偵察にくる先兵役。スズメばっかりきて……と落胆しないでほしい。スズメがきて安全だとわかると他の鳥達も徐々に訪れるのだから。

 春先には可愛いい光景がみられる。親子づれである。ヒナは大きさは親と変わらないくらいなのに、口を大きくあけ羽をふるわせてエサをねだるのですぐわかる。乾いた砂があると砂浴びもしてみせてくれる。

 一見地味な鳥だが野鳥の基本的な情報を沢山提供してくれる貴重な鳥でもある。もっと私達をみて!チュンチュン。



 <トピックス> 「ゲルマニウム含有健康食品 による腎障害」

                                   市薬 学術委員会

 ゲルマニウム(Ge)は、健康に対する影響に関して、その良い効果も悪い効果も、十分な科学的根拠がないまま、健康増進や滋養強壮剤として使われ、いわゆる"健康食品"として市販されている。

 現在、ゲルマニウム健康食品として市販されているものは、わが国だけで約60社以上、60種類以上にのぼる。その成分として、酸化ゲルマニウム(GeO2),有機ゲルマニウム(Ge-132類似物),スピルリナ(藻体)成分に大きく分けられる。

 最近、このようなゲルマニウム含有健康食品を、長期間服用したことによると思われる腎不全を主症状とする中毒例を、和田らは23例報告している。(表1)

 佐内らは、Ge剤長期服用により腎障害を呈した6例を報告し、注意を喚起している。(表2)

表2 ゲルマニウム製剤服用による腎障害例

表

 腎障害の特徴は、@蛋白尿,血尿などの異常所見がないこと、A腎組織では糸球体は異常なく、遠位尿細管に上皮の変性が認められ、一部遠位尿細管上皮に顆粒状物質がみられること、B腎組織変化は軽微であるが、腎機能障害は強く遷延することなどである。
 和田攻ら:日本医師会雑誌,99,1929(1988)
 佐内透ら:臨床と研究,65,1850(1988)

 「機能性食品とは」

 食品には従来から、生命の維持に必要な栄養を補給する「栄養機能」と、食べた時においしさを付与する味覚・嗅覚などにかかわる「感覚機能」の二つが知られている。最近では第三の機能として、生体防御,疾病の防止・回復,体調リズム調節,老化抑制などの「体調調節機能」が注目されている。

 一般的に機能性食品とは、これらの三機能のうち、とくに第三次機能を生かし、医食同源的に人間の健康に寄与する食品を意味するが、明確な概念は未だ確立されていない。

 大手食品メーカーで組織する健康食品懇話会は、機能性食品の概念やあり方について検討している。そこで機能性食品の定義を「人の健康に直接関与する生体の諸系統の特定な調節に有効に作用するように設計加工され、健康の維持,増進,疾病の防止などを目的として、食品として日常的に摂取される形態を有し、栄養機能,感覚機能を合わせもつ食品」としている。(図1,2)

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 機能性食品であるための条件として、@作製目標が明確であること、A機能性因子を含有すること、B作用機序が解明されていること、C機能性因子の存在状態が特定されていること、D機能が実際に発想すること、が必要となる。(図3)

表

 現在考えられている機能性食品には、月見草油,にんにく抽出物,人参抽出物,深海鮫エキス,ローヤルゼリー,レシチン,オリゴ糖,EPA(エイコサペンタエン酸)などのものがある。
 卸薬業,12,733(1988)

 これらのトピックスは、九大病院薬品情報室月報,10,No 7,41(1988)より一部変更して転載したものであり、転載を許可下さいました藤井俊志先生に感謝の意を表します。



 <広報> 「アジア太平洋博覧会「健康いきいきドーム」・起工式」

画像 日 時 昭和63年10月19日(水)午前11時
場 所 シーサイドももち「健康いきいきドーム」建設予定地
出席者 松田医師会長他三師会役員、田中丸玉屋社長他出展企業関係者、友池助役、加藤衛生局長他福岡市関係者、三洋電気,博報堂,電通,松尾建設各関係者

 起工式は松田一夫出展者会長の挨拶で始まり、友池助役の歓迎の辞があって、神式によりおごそかに取り行われた。

 市薬からは古賀会長、竹尾副会長、藤原専務理事、松枝,藤下各常務理事が出席した。出席者総数約60名



 <理事会他会議報告>

第187回理事・監事会

日 時 昭和63年9月12E午後7時
場 所 市薬会館会議室
出席者 古賀会長、竹尾,高倉各副会長、藤原専務理事、三津家,戸田,松枝,正岡,藤下各常務理事、木原,高杉,南島,冷川,城戸,小野,藤田,成澤,市花各理事、礒田監事

1. 会長挨拶
試験センターの新規認可は、各県一ケ所だけしか認められないので名称を福岡県薬剤師会福岡試験センターとしなければならない。北九州試験センターと改名して欲しいとの事で、北九州市薬に大変迷惑をかけて、ようやく8月30日申請書が県薬務課より厚生省に提出されました。なお8月26日には薬務課より市薬試験センターの視察がありました。会館建設については、会館プロジェクト委員会で充分な検討がなされ、現在基本設計の段階まで進められている。

2. 報告事項 藤原専務理事
(1) 薬事功労者禦知事表彰の推薦について三津家正友先生を推薦した
(2) よかトピア総会実行委員会について
(3) 県薬臨時代議員会について
「県薬会報」第3種郵便物の認可に関して
「 石井道子後援会について」
(4) 簡易専用水道検査員講習会について、城戸先生を派遣(10月11日〜14日東京)
(5) 63年度試験センター技術者講習会について
(6) 63年度市薬事業補助金交付について、福岡市より補助内示金額 150万円
(7) 「とびうめ国体」の会期について
 夏期 65年9月9日〜9月12日
 秋期 65年10月21日〜10月26日

3. 委員会報告
各委員会より活動状況の報告

4. 協議事項
(1) 県薬アンケートについて
 情報機器に関するアンケートは、組織委員会よりのアンケートも一緒に行う。
(2) 試験センター委員の任命について
 委員長 坪根百彦
 副委員長 城戸嘉寿子
 委員 藤原,瀬越,野口,細井,真鍋
(3) 県薬支部連絡協議会について、各支部長の出席を県薬に要請する。
(4) 九州山口薬学大会について、出席者の確認を行う

第188回理事・監事会

日 時 昭和63年10月18日(火)午後7時
場 所 市薬会館会議室
出席者 古賀会長、竹尾,長谷川各副会長、藤原専務理事、三津家,戸田,松枝,坪根,正岡,藤下各常務理事、木原,高杉,南島,冷川,城戸,小野,藤田,成澤,市花各理事、日高,礒田各監事

1. 会長挨拶
試験センターについて、本日薬務課より、薬局等構造設備規則に基づく試験検査機関として、厚生大臣より指定されたとの連絡があった。62年6月10日、薬務課へ正式に指定申請の表明を行って以来、さまざまな障害に出会い大変苦労したが、念願が適い喜ばしいことである。この間、神谷前県薬会長や荒巻県薬会長には強力な御支援を頂いた。又努力して頂いた関係者の方々に対しても感謝申し上げたい。なお、10月24日には厚生省薬務局監視指導課の三沢係長が来館し、試験室を視察するので関係者の出席をお願いする。

2. 報告事項
 藤原専務理事より報告
(1) 63年度薬事功労県知事表彰について、表彰式 10月20日 三津家正友先生
(2) 上水試験方法講習会について、城戸理事派遣 11月8日〜10日 東京
(3) 9月28日付西日本新聞に「第5回福岡市健康週間行事」についての広告掲載 (4) 健康いきいきドーム起工式について、日時 10月19日(水)11:00博覧会場
(5) その他

3. 委員会報告並びに協議事項
(1) ボーリング大会について、64年1月15日実施予定で準備中。
(2) 組織委員会のアンケートについて、現在約270名の回答あり今後集計する。
(3) 薬と健康の週間行事について協力依頼
(4) 各区健康展について
イ) 早良,城南,西の各支部より薬局委員を出す必要がある。次年度に検討する。
ロ) 東区健康展に参加させてもらえない問題について東保健所内の実行委員会で検討するとのこと。
(5) 薬草観察会について
(6) 社保委員会で10月13日若松分業視察
(7) 11月25日学術研修会実施
(8) 市立学校飲料水検査(219校)終了
(9) 会報26号(11月発行)について
(10)会館建設の進行状況について

4. 会計中間報告

5. 協議事項
(1) 石井道子議員後援会について
イ) 後援会名簿獲得状況についての報告並びに現状分析
 10月15日現在33,309名達成率45%
ロ) 福岡地区石井道子議員を励ます会について
 11月26日県薬会館で行われる。会員の動員方を支部長,部会長に依頼する。

支部長会(第4回)

 午後7時
場 所 千太
出席者 古賀会長、竹尾,高倉,長谷川各副会長、藤原専務理事、松井,高杉,松枝,深江,南島,吉田,有田各支部長

1. 石井道子後援会について
 後援会名簿獲得状況は、県薬全体で約30%の達成率となっており、危機的な状況にあるそこで、県薬としては会長及び副会長が県下各支部を訪問し、強力な要請を行うことになった。福岡支部は10月15日が予定されており市薬としてはどの支部・部会を廻ってもらうか、9月30日現在の資料を基に検討した。

2. 福岡市健康週間行事について
 10月11日より10月22日の間に、各区で健康フェアが行われることになっており、そのための連絡及び打合わせを行った。



 <委員会報告>

〔組織委員会〕

日 時 昭和63年9月8日 午後7時
場 所 市薬会館会議室
出席者 竹尾副会長、戸田常務理事、高杉理事、松井,吉村,森川,吉田,森田,戸田,占部,糸岐,深見各委員

1. ソフトボール大会の準備及び当日の役割分担の確認。組織委員は当日7時30分武田薬品グランドに集合。
2. 入会のしおり案を理事会に計る。
3. 会員名簿の作成について

日 時  昭和63年10月14日 午後7時
場 所 市薬会館会議室
出席者 竹尾副会長、戸田常務理事、高杉,南島各理事、戸田(重),深見,森田,糸岐,森川,松井,吉田各委員

1. ソフトボール大会の反省
2. ボーリング大会について、例年通り実施、1月15日 博多スターレーンにて
3. 入会のしおり、1,000部作成 \135,000.
4. 非会員対策について

〔薬局委員会〕

日 時 昭和63年9月20日 午後7時
場 所 市薬会館図書室
出席者 竹尾副会長、松枝常務理事、冷川理事、石井,本村,青谷各委員

1. 薬と健康の週間について
天神イベントコーナー出動者
午前    午後
18日 柴田,冷川 戸田,坪根
19日 国武,篠崎 大黒,青谷
20日 本村,彼多江 中野,大庭

2. 各区の健康フェアについて、市薬倉庫保管品の確認をする。

3. 「薬草観察会」について、9月25日に行う。
 臨時講師 福大薬学部 岡部光助教授

日 時 昭和63年10月6日 午後7時
場 所 市薬会館図書室
出席者 松枝常務理事、冷川理事、篠崎,石井,本村,青谷,国武各委員、吉田西支部長、深江城南支部長、藤野城南保健所実行委員

1. 各区の健康フェアについて
 西支部城南支部からも出席いただき再度器具、薬草材料の確認及び、各支部毎の引き引き渡しを確実に行うよう指示。

2. 10月16日開催の「薬草観察会」について
 指導員用のパンフレットを作成

〔社保委員会〕

日 時 昭和63年9月5日 午後1時
場 所 市薬会館図書室
出席者 正岡常務理事、藤田理事、鶴原,大庭,清水,小野,入江,岩穴口各委員

1. 県薬での分業推進月間の報告及び市薬としての対応
2. 若松の面分業視察計画の決定
3. レセプトチェック及び指導
○処の記載もれが多い

日 時 昭和63年10月4日 午後1時
場 所 市薬会館図書室
出席者 正岡常務理事、藤田理事、鶴原,山口,大庭,岩穴口,入江,平島,清水,小野,藤野各委員

1. 県薬社保委員会報告
イ. 新しいフィーの希望(漢方、小児等加算)
ロ. 薬歴管理の向上
2. 若松面分業視察打ち合せ
 各区毎の面分業に対する計画案を練って質問、視察を行いレポート提出する。
3. 分業推進基盤事業について
 国公立病院の院外処方箋の現状報告
4. コピー添付(処方箋)問題を県薬社保委員会に提案。
5. 薬品小包装(特に漢方)希望アンケートの件。

〔学術委員会〕

日 時 昭和63年10月5日 午後6時半
場 所 市薬会館図書室
出席者 長谷川副会長、藤下常務理事、市花,成澤各理事、中島,車田,久池井,山田各委員

1. 薬物療法研究会(10月20日)の準備
 当日の役割分担について
2. 会館建設(研修会場)について
 アミカス(高宮)福岡市女性センター見学報告。
3. 学術研修会(11月予定)  不安、ストレスによる疾患
4. 会報原稿(トピックス)内容検討

〔急患委員会〕

日 時 昭和63年10月21日(金)午後7時
場 所 市薬会館図書室
出席者 藤下常務理事、成澤理事、小松,深見,北島,打越,竹尾,馬場各委員

1. 九州山口薬学大会「救急医療担当者協議会」について
日 時 10月22日(土)午後2時30分〜4時30分
場 所 熊本市民会館2F第5,6会議室
出席者
県薬理事
 井上浩一、獺越 寿、大神信勝
北九州
 大野義昭、諸岡 均
福岡
 成澤哲夫、藤下 修
2. 薬局業務手引書の配布先及び配布方法の検討。
3. 年末、年始の急患センター出動者表作成
4. 「石井道子先生を励ます会」への人員動員について
 B会員へは電話連絡を行う。

〔広報部会〕

日 時 昭和63年10月3日 午後7時
場 所 市薬会館図書室
出席者 藤原専務理事、木原,城戸各理事、野仲,宮崎各委員

1. 「市薬会報」11月号の編集について
 11月の分業推進月間に合わせて、特集記事として分業問題をとり上げたい。

〔第1回試験センター委員会〕

日 時 昭和63年9月17日(土)
場 所 市薬会館図書室
出席者 古賀会長、坪根委員長、城戸副委員長、獺越,野口,細井,藤原,真鍋各委員

1. 会長挨拶
 学薬と試験センターの業務内容を明確に区別して、今後試験センターの仕事は、できるだけ職員だけで行ない、経費の節滅に務めたい。試験センター事業は収益事業であるので、予算関係は別会計とする。

2. 委員会の性格について
 試験センターの運営に関する協議が主である。

3. 事業内容
@ 市立学校飲料水水質検査
A 簡易専用水道の検査
B 県立高校プール水の検査
C 医薬品の試験
D 日薬統一試験
E 協議会・講習会への出席

〔第4回会館プロジェクト委員会〕

日 時 昭和63年9月7日(水)午後2時30分
場 所 市薬会館会議室
出席者 高倉,長谷川各副会長、藤原専務理事、三津家,正岡各常務理事、小野,藤田各理事、瀬越学薬会長、二宮事務長、渡辺八千代建設会長

1. 協議
 前回の協議で大巾な手直しを求め、それに基づいて出された設計図について検討した。その結果、いくつか変更すべき点が出てきたが、大方の了解点に達し次回の委員会で、基本構想の決論を出すことになった。

〔第5回会館建設プロジェクト委員会〕

日 時 昭和63年9月16日(金)午後2時30分
場 所 市薬会館会議室
出席者 古賀会長、高倉,長谷川各副会長、藤原専務理事、三津家,正岡各常務理事、小野,藤田各理事、瀬越学薬会長、二宮事務長、渡辺八千代建設会長

1. 協 議
 平面図及び断面図に基づき、基本構想の最終的な詰めを行った。建物は4階建とし、1階が駐車場、2階が事務室その他、3階が試験室、4階が研修室となる。次回の委員会は見積りが出来次第開催されるが、見積り金額によっては、基本構想の再検討もありうる。

県薬のお知らせ 第13回 保険薬局セミナー

日 時 昭和64年1月15日(日)午後1時30分
場 所 福岡県薬剤師会館

プログラム
開講挨拶 県薬会長荒巻善之助1時30分
演題
「医療保険改革の今後の問題点」1時50分
  厚生省審議官 岡光序治先生
「医療制度変革への日薬の対応」
  日薬専務理事 小宮宏宣先生
 セミナー終了後懇親会を行います。出来るだけ懇親会にもご出席下さい。
 午後 4時30分より、会費 3,000円



 <事業報告> 「薬草と花とハイキング(予備調査)」

福岡市健康週間行事

画像 場 所 西区小田・灘山,小田神社周辺
日 時 昭和63年9月25日
出 席 竹尾副会長、松枝常務理事、冷川理事、篠崎,石井,国武,本村,青谷各薬局委員、調査応援 大庭,末田,城戸理事、根津
臨時講師 岡部福大薬学部助教授
市役所  三輪衛生部予防課職員

 前夜迄の雨で天候が心配されたが、朝9時頃雨が上がりかかってきたので、決行することに決定。午前10時市薬に集合。全員揃って車に分乗して出発。現地に着く頃には雨がすっかり上る。福大の岡部先生を先頭に調査に入る。

 先ず有毒の「ヨウシュヤマゴボウ」,@番の杭を打つ。続いて「イノコヅチ」,山道に入りすぐに「カワラタケ」,続いて有毒の「ムサシアブミ」と番号杭を打っていく。山道を登っていくと、アマチャズルがあちこち郡落を作っている。実をつけたアオツヅラフジにカラスウリ,丁度花ざかりのゲンノショウコ,花が終りかけたヤブラン,クズと見つけていく。

 薬草ではないがスズメウリが非常にかわいらしい。その他オオバコ,ヤマノイモ,テイカカズラ,スギナ等に番号杭を打っていく。小田神社の境内で休息し昼食を摂る。ここまでに23種類の薬草(毒草も含めて)が見つかった。境内で花と実がついたヒヨドリジョウゴが見つかる。

画像

 休息後、神社の石段を下りる。傾斜が恥なり急で足もとが危ない。本番の観察ではコースからはずすことにする。石段をおり終った所で元の上り道をもう一度登って少し先まで行って見ることにする。

  

 さっそく全員で味見をする。青谷先生もハゼの木にもかかわらず採取にいどみ、3個ほど採ってきた。その横に実をつげたサネカズラも見つかる。こちらはまだ色がついていない。

 ここから元きた道をひき返す。薬草ではないが、黒熟したイヌビワが見つかる。岡部先生の「これだけ熟れてばうまい」の一言で、皆それぞれ味見。イチジクに似た甘味がある。名前はイヌビワとついているが、クワ科イチジク属で、イチヂクに近い種類である。

 少しおりてきた所で下から草刈り機のエンジン音が聞こえてきた。市役所の三輪さんが慌てて番号杭の回りは切らないように頼まれる。時すでに遅く、キンミズヒキ,ヨモギ,イタドリなどが刈られていた。

 クコがみつかったので、キンミズヒキの変りにこちらにH番を移移す。本日全部で40種類の薬草が見つかった。リストは下記の通りである。

1.ヨウシュヤマゴボウ,2.イノコヅチ,3.カワラタケ,4.ムサシアブミ,5.クサギ,6.アマチャズル,7.イタドリ,8.スギナ,9.クコ,10.テイカカズラ,11.オオバコ,12.アオツヅラフジ,13.ヤマノイモ,14.カラスウリ,15.ゲンノショウコ,16.ツワブキ,17.ヨモギ,18.ヤブラン,19.クズ,20.カキドオシ,21.ドクダミ,22.カニクサ,23.ツユクサ,24.ヒヨドリジョウゴ,25.ニワトコ,26.ナワシログミ,27.タラノキ,28.ネズミモチ,29.シソ,30.ウド,31.カキ,32.ヤブジラミ,33.アケビ,34.サネカズラ,35.ジャノヒゲ,36.アカメガシワ,37.ビワ、38.ノダケ,39.ネムノキ,40.ウメ
                          報告担当 冷川 襄



 <事業報告> 「薬草と花とハイキング」

画像

日時 昭和63年10月16日
場所 西区小田、小田神社
主催 福岡市衛生局保健予防課
協賛 福岡市薬剤師会
出動者 竹尾(副会長)、松枝,冷川,篠崎,石井,国武,本村,青谷(以上薬局委員)、柴田,大庭,大久保,末田(以上依頼)
講師 第一薬科大学生薬学 木村教授

 午前9時半、市薬集合。班分け担当を決める。第一班…柴田,松枝、第二班…本村,青谷、第三班…篠崎,国武、第四班…大庭,大久保、第五班…冷川,末田。写真係…本村、用具係…石井。現地に向う。木村教授,竹尾副会長とは現地で落ち合う。正1時過ぎ、市民100名貸切バス2台にて到着する。

 市より予防課長他5名出席。竹尾副会長と予防課長の挨拶の後、各指導員の紹介。各班に分れて観察に出発する。

画像  予備調査で立てた立札1番から40番迄を説明する。1番のヨウシュヤマゴボウは1本だけ刈られずに残っていた。ツワブキが丁度花ざかりになっている。オオバコやスギナも大部分刈りとられている。フユイチゴの実を味見する。アケビは2個の実をとることができた。サネカズラの実も色づいていた。ヒヨドリジョウゴは刈られていて、枯れ姿を見せながら説明した。小田神社にて昼食。

 13時30分下山。予備調査で見つからなかった、センニンソウ,サルトリイバラが見つかる。公民館前で挨拶の後、市民はバスで西の浦の花の栽培園に向う。我々は別れて市薬に戻り解散する。天候にも恵まれ、無事好評のうち終えることができた。
                          報告担当 冷川 襄



 <事業報告> 「各区保健所の健康週間行事」

博多区健康フェスティバル

日時 10月22日(土)午前9時〜午後1時
場所 博多区市民センター(200名)
出席者 鶴原、山口、冷川、高杉、蔵元、森川
 時間が午前中と、短かったので、相談者が集中して忙しかった。

中央区健康づくりフェア

日時 10月11日(火)午前9時〜午後4時
場所 福岡市中央保健所(100名)
出席者 三津家、国武、松枝

早良区健康フェスティバル

日時 10月19日(水)午前9時〜午後4時
場所 早良区保健所(200名)
出席者 富永、糸岐、有馬、青柳、坂本、本村精、本村敏、波多江、清水、南島

城南区健康展

日時 10月13日(木)午前9時〜午後4時
場所 城南保健所(150名)
出席者 合澤、深江、磯本、有馬、彼多江、前田、占部崩、浦野、荒木、藤野(久)

西区健康フェア

日時 10月20日(木)午前9時〜午後3時
場所 西区保健所
出席者 占部、川添、竹尾鬨、中野、坂巻、岩穴口、佐藤、吉田、清水

南区市民健康フェア

日時 10月12日(水)午前9時〜午後3時半
場所 南区保健所(200名)
出席者 青谷、大黒、岩佐、末田、有田

薬剤師会の展示、相談コーナーは、県臨床検査技師会と共に保健所が手狭なため区役所ロビーで行った。そのため来場者が昨年よりも少なかったようです。

1. 展示
(1) 薬用植物鉢植 28種
(2) 薬用酒     8種
(3) 薬用民間薬  11種
(4) 常備薬(救急箱)
(5) 小児薬
(6) 小柴胡湯生薬
(7) 殺虫剤(アースレッド,ダニアース)
2. 健康茶試飲コーナー
3. 薬の相談コーナー
4. アンケート調査

 上記のように、各区保健所による健康週間行事が開催されました。東区保健所だけは、薬剤師会が参加しておりませんので、来年からは、薬剤師会も参加できるように働きかける事に理事会で話し合われました。

 この行事のために準備をなさった薬局委員の先生方、各区保健所運営委員の先生方、各支部長さん、本当にご苦労さまでした。

「中央区健康づくりフェア」

中央区健康づくりフェア実行委員 松枝 茂雄

 シリーズで行われる国の健康週間行事の一環として「人生80年時代をあなたはどう生きますか。」をキャッチフレーズとして福岡市健康週間も第5回を数えそのトップを切って中央保健所の各室で行なわれた。

 我々薬剤師会のコーナーは毎年同じ玄関入口の待合室を利用し、近頃マスコミで騒がれた漢方小柴胡湯の処方の生薬(小太郎漢方)の種類を展示し、同時に健康茶の2種を試飲願い、これらの処方説明と健康相談に応じた。

 来訪者には、薬事情報センターの役割パンフ、害虫、福岡県の薬草読本を手渡した。本年は高齢者の各病院から貰った薬についての相談よりも所謂60才前後の人々のより健康に生きるにはについての相談が多かった。心臓病,白内障,糖尿病等血管系の相談が多かった。

 健康茶の試飲はやはり100名前後で飲み易いと大変好評であった。



 <事業報告> 「薬物療法研究会」

日時 昭和63年10月20日(木)午後6時30分
場所 市薬会館研修室
出席者 98名
演題 「抗不安薬について」
講師 ダイナボット医薬品事業部営業企画部
   製品第一課長 伊藤 治先生

 薬物療法研究会のまとめとして、スライドでも引用されました表を資料として掲載します。(なお、講師の都合で時間を短縮しましたことを紙面を借りてお詫び致します)

表


 「第9回 市薬ソフトボール大会」

 9月18日(日)雲一つ無い秋空の下「第9回市薬ソフトボール大会」が開催されました。今夏は"納涼船"が中止された事もあって組織委員の先生方は大張り切りで、当日の会場の武田薬品グランドには、午前7時30分の集合で準備をしてくださいました。本当にありがとうございました。

 午前9時開会式の後、AB二つのコートに別れて、試合開始です。古賀会長による始球式は、ボールがちゃんとキャッチャーミットに納まるかしらと危ぶむ声もありましたが、どうしてどうして、お齢を感じさせないくらいご立派なものでした。参加チームは、東、博多、中央、南、旧西(城南,早良,西)、勤務の6チーム、応援者も含めて127名の先生方が頑張りました。

 試合経過はと申しますと、なかには、これはもしかしたらバスケットボールの試合なのではないかしらと思われるようなスコアもありましたが、さすがに東と勤務で争った優勝決定戦は、1点差を争う追いつ追われつの好試合で、東支部の礒田先生をして「うーむ、こりゃー日本のソフトボール史上に残る名試合ですばい」と言わしめる程のものでした。

 ホームラン賞は24本も出まして、予算をオーバーするのではと心配されましたが何んとか範囲内に納まって、会計の先生はホットされたようです。

 という次第で「第9回市薬ソフトボール大会」は勤務部会の優勝で幕を閉じました。皆さん本当にお疲れ様でした。

試合結果
優勝戦 勤務8-7東 3位決定戦 博多20-0中央
A−1 博多23-3西   B−1 南8-14勤務
A−2 東11-9博多   B−2 南9-15中央
A−3 東16-4西   B−3 勤務15-5中央

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 写真提供 中央支部組織委員 森田先生(記 木原)

御礼 組織委員会
 会員先生並びに御家族の皆様、多数御参加下さり誠に有難うございました。御蔭様で盛大裡に終了する事が出来ました。心から厚く御礼申し上げます。又来年元気でお会い致しましょう。



 「第25回 福岡市薬剤師会ゴルフ同好会」

日時 昭和63年9月15日
場所 玉名ゴルフ場
参加者 11名
優勝 藤野義彦先生
   スコア71(ハンディ17)

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 <薬連関係報告> 「もう一息の頑張りを」

(社)福岡市薬剤師会 会長 古賀 隆

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 来年夏に行われる参議院選挙、特に比例代表制の事前居動は、新聞紙上でも見られる通り、目毎に熾烈を極めてまいりました。特に新人の活動はすさまじく、為に石井道子候補は、予想のランクが次第に、これら新人に追い越しをかげられ、極めて危ない状勢となってまいりました。残された最大の条件である後援会員獲得が未だに低調であることが危機感を一層強めております。

 福岡市薬では毎月各支部長のもとで、獲得数を集計し、支部長会で発表、これからの対策を協議、会報にもこの実数を公表して、会員の衝起をうながし、協力をお願いしておますが、荒巻県薬会長も、低調な県下の状況を憂えて、自ら県内支部をくまなく訪問して目標達成を訴えておられます。

 福岡市薬の現況は、各支部長先生以下部会長先生全員の努力によって、10月の集計では50%程々のところまで上ってきております。数ケ月以前と比べると急速な伸び率です。しかし、これも一部の先生方の数百名或いは、1,000名を越える血眼な努力をされているものが率を高めているわけで、0に近い或いは50名に満たない会員も相当にいるわけです。それとB会員の頑張りがいまひとつ足りないことです。

 この活動は石井道子のためにやっているのではありません。私達薬剤師の将来の灯を消さないためにしているのです。もう少しの努力です。現に100%を達成した支部もあるのです。

 どうか、A会員、 B会員の先生方、先生の力をいましばらくお貸し下さい。お願いいたします。

「千名も 集めた女性が 現にいる」



 「福岡大学薬学部同窓会総会」

日時 10月30日(日)午後5時
場所 福岡国際ホール 16階
出席者 約150名

 上記のように、福岡大学薬学部同窓会総会が行われました。

 その席に石井道子議員が沖縄からの帰途出席され御挨拶がありました。県薬から荒巻会長、市薬からは古賀会長も出席され、会場で皆さんから「石井先生、しっかり頑張って下さい。」と激励されました。

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 「受賞おめでとうございます」

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 「石井道子後援会員獲得状況(11月4日現在)」

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 「石井道子後援会名簿100名以上獲得した人(11月4日現在121名)(11月4日現在)」

表
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 「訃  報」

 斎田 和夫 先生
    亨年79才
 昭和7年 熊本薬学専門学校卒
 昭和39年 福岡市薬剤師会副会長
〃     福岡県医薬品小売商業組合副理事長
 昭和45年 (社)福岡県薬剤師会常務理事
〃     (社)幅岡市薬剤師会会長

 (社)幅岡市薬剤師会の初代会長を務あられました斎田和夫先生が10月8日お亡くなりになりました。謹しんで御冥福をお祈り致します。

「弔  辞」

 謹しんで斎田和夫先生の尊霊に拝します。不肖私は三十有余年御交誼をうけた一人として、また福岡市薬剤師会を代表して、ここに霊前に伏して幽明別離の辞を述べる最も悲しい役目を負う乙とになりました。

 ほんの数週間前に先生を病室にお見舞し談笑握手して来ましたのに、この様に早く幽明境を異にしましょうとは思いもしませんでした。

 先生は熊本薬学専門学校を卒業後、昭和十年七月福岡市箱崎において開業以来四十有余年の間地域の方々に密着され、薬剤師職能を自覚された薬局経営は常に私共の範とすることでありました。

 昭和三十一年以来今日まで戦後の様々な変革期の薬剤師会・薬業界の中にあって職能の確立と建設に当って頂きました。

 数多くの職員は今さら申しのべるものではありませんが、特に昭和四十五年より四十有余年に及ぶ福岡市薬剤師会会長としての事蹟については特筆してお礼を申さねばなりません。

 今までの任意団体であった薬剤師会を地域医療の一翼を荷う職能団体としての社団法人化と、現在福岡市薬剤師会員が物心両面の拠点とする天神今泉の土地の取得にすべてをなげうって福岡市薬剤師会の原点を作って頂いたことは、先生の先見と熱意と行動の賜として感謝するのみです。

 文字では一行か二行の事蹟でしかありませんが、その間の苦労は並大低ではありませんでしたね。当時夜おそくまで議論し、又酒も飲みました。色々のことが走馬燈の様に思い出されます。天地の悠久に比べれば寸陰の経過かも知れませんが、明治、大正、昭和の人生八十年、国家の消長、産業経済の大変革時代に生きられた先生の偉大さをつくづく感じるのです。

 常によき先輩会長として前向きの姿勢と多くの経験に基づく見識そしてすぐれた実行で私共をリードして下さったことは教訓として忘れること謹出来ません。重き病床にあられて必ず「神に謝す我はわが務めをなせり」として永眠につかれたのであろうと思います。

 最後に終始かわらぬ温き御交誼に対し厚くお礼を申し上げ、先生の在天のみたまが安らけく、とこしえに鎮まりあられんことを祈ります。 合掌

昭和六十三年十月十一日
社団法人福岡市薬剤師会
顧問 藤野 義彦

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 「昭和63年度 入会者(9月1日〜10月31日)」

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 「会 務 日 誌」

9月2日 福岡市健康週間実行委員会 17:00市役所(古賀)
  4日 石井道子議員を励ます会 15:30県薬会館
  5日 社保委員会 13:00
  7日 会館建設プロジェクト委員会(第4回) 14:30市薬会館
  8日 組織委員会 19:00
  12日 理事・監事会(第5回) 19:00
  13日 新薬研修会 19:00市薬会館
  16日 会館建設プロジェクト委員会(第5回) 14:30市薬会館
  17日 試験センター委員会 15:00
  18日 市薬ソフトボール大会 9:30武田薬品グランド
  20日 薬局委員会 19:00
  25日 薬草観察会予備調査 9:30西区灘山
  30日 福岡・広州友好都市締結9周年記念祝賀会11:30ホテルニューオータニ(古賀)
10月1日 市薬勤務部会例会350回祝賀会 15:00博多会館(古賀)
  3日 広報部会 18:30
  〃  よかトピア実行委員会 19:00(藤下)
  4日 社保委員会 13:00
  5日 学術委員会 18:30
  〃  支部長会 19:00千太
  7日 商組福岡ブロック研修会 13:30
  〃  福岡市老人保健協議会 14:00(古賀)
  11日 中央区健康づくりフェア 9:00中央保健所
  〃  斎田和夫先生葬儀 13:00
  〃  新薬研修会 19:00市薬会館
  12日 南区市民健康フェア 9:00南保健所
  13日 城南区健康展 9:00城南保健所
  〃  社保委員会若松地区分業視察
  14日 よかトピア総会 13:00衛生局(竹尾,藤原,松枝,藤下,城戸)
  〃  組織委員会 19:00
  15日 石井道子後援会名簿獲得推進のため支部,部会訪問(荒巻,古賀,竹尾)
  16日 薬草と花とハイキング 10:00西区灘山と西ノ浦(竹尾,他)
  18日 理事・監事会(第6回) 19:00
  〃  〜20日 薬と健康の週間
  19日 早良区健康フェスティバル 9:00早良保健所
  〃  健康いきいきドーム起工式 11:00(古賀,竹尾,藤原,松枝,藤下)
  20日 西区健康フェア 9:00西保健所
  〃  薬事功労表彰式 10:30県庁(三津家)
  〃  薬物療法研究会 18:30
  21日 急患委員会 19:00
  22日 博多区健康フェスティバル 9:00博多区市民センター
  〃  〜23日 第54回九州山口薬学大会 熊本
  24日 厚生省薬務局監視指導課 三沢係長 来館
  27日 県薬試験センター委員会 10:00(古賀,藤原)
  28日 市薬勤務部会例会 18:00大日本製薬
  30日 福岡大学薬学部同窓会総会 17:00国際ホール16F(古賀)



 「川  柳  お知らせ」

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 「編 集 後 記」

●年賀状が発売され、カレンダーが届き、いよいよ忙しい年の瀬が思いやられるようになりました。
 今月号は、11月の分業推進月間に合わせて「分業」を特集してみました。

●一年余りの歳月を費やして、10月17日ようやく「福岡試験センター」の認可が下りました。古賀会長、本当に御苦労さまでした会館建設は、もともと試験センター構想の上にあったとは今回初めて知りました。

●薬連関係の記事が多くなっています。でも100名以上獲得会員名のページ数がもっともっと増え、そして各支部状況表が100%達成部会のゴチック文字でまっ黒になると良いのにと思っています。

●新年特別号には、市薬広報部、4名の美入スタッフの写真を載せる予定です。
 ご期待下さいませ!!

昭和63年11月30日発行
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
TEL 092-714-4416
発行人 古賀 隆
編集人 木原三千代