会報第23号 昭和63年1月25日
 ■ 巻 頭 言

 年頭にあたって                  福岡市薬剤師会 会長 古 賀  隆

 明けましてお目出とうございます。会貝の皆様にはそれぞれよい新年を迎えられたことと思います。

 今年は十千十二支でいう戊辰(つちのえたつ)年であります。明治維新、日本の新しい夜明けとなりました明治元年がこの戊辰年にあたります。怒濤の如く押し寄せた尊王攘夷、尊王討幕は遂に徳川幕府終焉の途となったわけですが、この一連の戦いを戊辰戦争と名づけられたのも、ここからきております。その時代から120年がたったということになります。

 暦の十二支は実在の動物がモデルになっており、一年間マスコットとなり或いはヒーローとなって人間杜会にも大いに貢献しているところですが、辰年だけは、何故か想像上の動物「龍」があてられております。その由来はよく分りませんが、多く絵がかれ想像されるその姿は、まさに怪龍そのもので、その魔力は水難除け、農耕、漁業、家内安全、満願成就と霊験を一身に背負っております。中でも徳川家康を祀る日光東照宮は、つとに有名で陽明門には400もの姿、形の異なった龍の彫刻が施されているということです。徳川幕府300年もの繁栄も或いは龍神のお陰かも分りません。そのように極めて縁起の良いスーパースターの年ですから薬業界にとっても希望の持てる明るい年になってもらいたいと思います。

 扨て薬剤師会にとって昨年はどのような年であったでしょうか。

 ■医療法改正その他

 60年末の医療法改正によって薬剤師の医療参加が明示されましたが、その後地域医療計画の策定にあたって薬剤師がどの様な形で参画するのか、大変気になるところですが、現在協議段階の県が多く、今後除々に明確化されてゆくものと思われます。

 ■厚生大臣指定を受ける(水道法34条)

 さて市薬にとって喜ぶべきことがひとつ。水道法34条の2第二項による厚生大臣指定を62年7月4日付で受けることが出来ました。これは当初より橋本県学薬会長、獺越市学薬会長など学薬関係の先生方が熱心に動かれて端緒を作られ、のち市薬も加わって、総力をあげて関係方面との折衝に当った結果得られたものです。試験センターに新しい大きな資格を得たことで今後業務推進のひとつの核になるであろうと期待するものです。各位の御努力にあらためて感謝申しあげる次第です。

 ■厚生大臣指定申請準備(医薬品試験)

 昨年後半最大の懸案事項になりました問題です。6月1日「薬局等の構造設備基準の一部改正」が公示されてからいち早く指定準備に折衝をくり返してきておりますことは、機会ある毎に会員の皆様にも申しあげてきておりますので御承知のことと思いますが、折悪しくアウトサイダー薬業5団体等の基準改正に対する反対運勤、更に厚生大臣指定申請の動きなどから厚生省が新規指定は当分しないとの見解をとり、ために62年12月中に予定の指定申請が出来なかったことを残念に思っております。

 ■厚生科学研究

 62年には厚生省に3つの厚生科学研究班が設置されております。そのひとつは医療法改正にからむ卒後研修に関する研究、2つ目は医療品情報センターに関する研究(これは福岡県薬が指定されている)、いまひとつが「販売段階における医薬品の安全性等の確保に関する研究班」であります。設置のきっかけになりましたのは若年者における咳止薬の乱用問題でありますが、これを機会に、薬局における販売方法などを抜本的に見直そうというのが、この研究班の主たる目的になっております。もともとこのような問題の発生する下地には商業性追究の大型乱売店の進出が所かまわず、にわかに増加していることです。勿論、開設の自由権は認められるところですが、医薬品の特殊性からみて、安全性の確保と同時に、安定供給がその前提になければなりませんから、当然行政による何等かの対策がなければならないと考えるものです。この研究班は62年より3ヶ年の研究期間となっておりますので、是非安定供給の面についても課題としてもらいたいと思います。

 ■診療報酬改正

 62年12月22日診療報酬改定が発表され63年4月1日から実施されることになりました。今回の引上げは医科3.8%、歯科は据置きで薬科が1.7%になっております。 1.7%引上げの原資は約50億円とのことですが、これは主に薬歴管理指導料の引上げに当てられる模様ですが詳細はまだ決定されておりません。

 ■会館間題

 会館問題についても触れておかねばならないと思います。昨年1年間、福岡市との間でかなりの折衝を行なってまいりました。まだまだ双方の主張に相当の差があり目途はたっておりませんが、補償金額について具体的な数字が示される段階に来ておりますので、より慎重に最善の努力を続けてまいります。

 ■石井道子後援会へのお願い

 年頭から大きなお願いがあります。石井道子議員の改選期も来年の7月に迫りました。再選を期しての準備計画もすでに決定しております。資金計画については、すでに特別会費の賦課等によって対応出来る見込みであります。党員、党友の募集については昨年末にお願い申しあげたところです。最大の課題になりますのが本年早々からお願いする後援会員獲得運動であります。3月末を目途にA会員、B会員とも一名当り100名の後援会員を獲得しなければなりません。福岡県薬で20万人、全国で500万人が目標です。いえ、これは至上命令です。

 全国区比例代表制は前回と同じ方法で行われることが決っております。従ってこれだけの支援態度と条件がなければ、現役の議員といえども当確の順位にランクされるのはむずかしい、ということになります。前回25位にランクされ次点に泣いた無念さは今も忘れることが出来ません。この時は幸い1年後に繰り上げ当選になり今日のような石井道子議員の活躍があるわけですが、二度とそうしたことのないよう頑張ってやろうと思います。今回は病院薬剤師会、メーカー、卸等も全力をあげて支援態勢をつくることが合意されております。全国区唯1人の薬剤師議員、その灯を消さぬよう是非御協力をお願いいたします。

 戊辰、今年は私の年でもあります。好運の年にあやかって、市薬の諸問題が万事好調に進展することを願い、あわせて会員皆様の御健勝と御繁栄を祈念しながら年頭の御挨拶といたします。


 薬事春秋 「よかトピア」の成功にむけて」     福岡市衛生局 局長 加 藤 竺 子

 新年あけましておめでとうございます。

 福岡市薬剤師会の先生方には、日頃から市の衛生行政に深いご理解とご協力を賜り感謝致しております。

 桑原市政も二年目を迎え、安定、創造、前進をモットーに「海に開かれた活力あるアジアの拠点都市・福岡づくり」、「健康で思いやりのある人づくりと地域づくり」を施策の柱として21世紀に向け時代に即応した、個性ある都市づくりに取り組んでおられます。特に来年3月17日から9月3日まで171日間にわたって開催される「アジア太平洋博覧会−福岡’89」(よかトピア)を成功させることが市政の当面の大きな課題となっております。

 ご承知の様にこの博覧会は九州ではじめての国際的規模の博覧会であり、市政100周年の記念に計画されたものですが、「新しい世界のであいを求めて」をメーンテーマに、アジア、太平洋、そして世界へ向けて友情と共感、理解の輪を広げる祭典として、すべての市民の皆様が燃え上がって福岡を、九州を、そして日本列島、アジア太平洋世界へとふれあいと感動の場をのばして頂きたいと願っております。

 いまのところ福岡市と姉妹都市であるアメリカのオークランド市をはじめ、広州市、ボルドー市、ニュージーランドのオークランド市など、世界30カ国からの出展並びに参加が見込まれており、文字どおりの国際博が展開されようとしております。  国内パビリオン20館も先端科学技術の枠を集め、斬新な企画とデザイン、それぞれが特色を生かしたアイデアで検討されており、開催中は日本列島の流れが変わるのではないかと言う期待さえ持っております。

 開催地の「シーサイドももち」には既に人口海浜も出来上がり、234メ一トルの日本一の海浜大展望タワーや、日本一の観覧車のある大遊戯施設も計画されています。

 いまこうした博覧会計画の中に、私達にとって最も大切な「生命、そして健康」をテーマとしたパビリオンの実現に向けて、福岡の医・薬・歯の三師会の先生方が中心となって努力頂いております。

 健康と言うテーマは、いつの時代にも私達の人間活動の源泉であり、21世紀に迎える超高齢化社会を明るく活力あるものにするため、いま私達がすべての英知を結集して、単に保健医療面のみでなく文化人類学的視点からも、又社会、経済、諸制度の仕組の上からも、そして私達自身の健康意識も、予測される超高齢化社会に適合するように構築しなくてはなりません。そうした諸テーマを多面的、総合的に学習できるテーマ館であり、見る人に夢と創造と感動そしてエネルギーを与えるようなテーマ館の実現が待たれます。

 去る昭和60年2月、福岡市民の健康づくり会議を発足致しました。学識経験者、保健衛生関係の代表の方、それに行政も加わって福岡市民の健康づくりについての、いわばマスタープランとも言うべきものをご審議頂き行政施策に反映したいと言うこころみです。このメンバーの中にも薬剤師会から代表の先生方に入って頂いてご協力頂いております。
 昨年12月21日に中間提言を市長に提出して頂きました。

 この提言の中にも人生80年時代の健康意識の改革、ライフステージに応じた積極的な健康づくり施策と疾病予防対策の推進、そして市民が積極的に健康づくりにはげむためのHealthプロモーションの大切さ、そのベースともなる家庭や地域の保健機能の活性化な どがのべられています。

 「無病息災、人生50年」と言った時代から、単に病気をなくすと言うことより、もっと積極的な自分で自分をうまく使いこなすための自己管理が大切で、その中心には勿論心身の健康、そして社会参加による生き甲斐なども含まれています。

 また、昨年5月城南区に城南保健所が設置され、福岡市の1区1保健所も整備されました。保健所は「健康都市ふくおか」の実現を目指して地域の皆様のご協力を得ながら、健康教育をはじめ実践活動に力を入れております。

 こうした市民の健康づくりへの熱意をより具体的に実践するため、各種情報や社会資源、健康づくり施設を結ぶためのネットワークづくリも計画され、その中核となる健康づくりセンクー構想も具体化しようとしております。

 従来から、市民の健康づくりの一翼を担う薬剤師会の先生方には、健康展、健康フェア等々各方面で格段のご協力を頂いておりますが、「福岡市民の健康づくり」と「よかトピア」の成功のために今年は更にー層のご指導ご協力をお願致します。

 今年が、会員の皆様並びにご家族の皆様にとりまして、幸多い年でありますよう心から祈念致します。


 薬事春秋 「越 年 雑 感」          第一薬科大学 学部長 河 野 喜美彦

 明けまして御目出度うございます。
 今年は辰年でございますが、辰年は激動の年とも申します。どうぞ皆様には良い年でありますようにと祈念申し上げる次第です。

 大晦日から正月、別に周りの状況が一変するわけではありませんが、ただ気分だけは一新されるのであります。今年こそはと計画し、決心し、努めてきたけど、振り返ってみると全く変ってなかったな、進捗してないなということが多いのではなかろうか。私が現在気に病んでいることは(その実現に情熱を傾けているもの)二つのことがらでございます。

 一つは六年制の問題、もう一つは生涯学習のことでございます。
 薬学教育は四年で充分と考えておられる人は数少いのではないかと思いますが、さりとて薬学教育六年制が直ぐ実施されるという見透しもたたない現状でございます。唯何故六年かと言へば、社会の二−ズに充分奉仕出来、医療人としてのチームワークのことを考え るとそれぞれの基礎学科の充実が見直されるからでごぎいます。

 ではそれを推進して行く人は誰でしょうか、個人の力ではありません、薬学教員の集り例へば薬学教育協議会でもありません。薬学教育協議会で決めても任意団体でございますので取りあげてもらえないと泡沫同様に消えてなくなります。

 薬剤師会は社団法人でございます。社団法人の薬剤師会が取り上げて下さつて初めて力を得るわけでございます。それは社団法人日本薬剤師会が正式のルートにのせ政府と交渉して下さることによって、法治国日本で初めて話題となる仕組みになっているからでございます。薬剤師会の皆々様の御理解と御協力を御願いする次第です。

 次は生涯学習のことでございます。
 自分は偉いと思い、既ち増上慢で人生を送っている薬剤師は皆無と思います。そしてそうであればその人は最早や周囲の人々の魅力は無くなっているでしょう。頭痛薬が無くなったので買っておこう、何処で買い求めるかなと御客が意志決定をするには、いろいろのファクターがあるでしょう。一寸具合が悪い、あの薬剤師さんに相談してみようという場合、自分の心、自分の知識を満たしてくれる薬剤師の所へ足を向けるのが人情であります。もしそんな薬剤師の存在は稀というのでは、地域の方々の薬剤師に対する認識は高まらないのではないでしょうか。それを解決するためには弛まざる努力が必要です。その効果は一朝一タには現われるものではございません。

 百三才になっても彫り続けられた北村西望氏は、「たゆまざる 歩みおそろし カタツムリ」という句を作っておられますが、一作一作に新らしさと進歩を楽しみ努力をなさっておられます。

 薬剤師同志日々仲良く、励まし合い、薬剤師職能を向上させることこそ医療従事者又、地域医療担当者としての義務ではないでしょうか。


 薬事春秋 「医療の変革」           九大病院薬剤部 部長 青 山 敏 信

 厚生省は、昭和62年1月14日 医療費適正化対策本部を強力に推進するため、幸田事務次官を長とする「国民医療総合対策本部」を設置した。その中間答申が6月に出された。

 第1部に、国民医療の現状と今後の方向、第2部に、良質で効果的な国民医療をめぎして(老人医療の今後のあり方、長期入院の是正)、第3部に、大学病院における医療と研修の見直し、第4部に、患者サービス等の向上、第5部に、今後の検討事項となっている。

 21世紀を控えて「患者はモノではない」との読売新聞(昭和62年1月16日)の記事に端を発し、患者中心の医療、医療サービスの量から質への転換が急速に進んでくると思われる。

 九大病院でも、総合外来が設置され、これまで外来患者の他科診察は、次回の診察日にしか受診できなかったが、関連する診察科の受診はその日に受けられるようになった。また、夕食の配膳時開も1時間繰下げられたり、食器もプラスチック容器から家庭料理の感じのする強化ガラス容器への変更、さらに、これまで冷たかった副食を暖かくするなど検討されている。周囲がこのように変化していくと薬剤部はどのように対処すべきか考えねばならない。

 高齢化社会を迎えて、一病息災あるいは二病息災の時代になってくると患者は自已の疾病、治療について大きな関心をもってくる。有効で安全な薬物療法を行なうためには、患者自身の自覚と協力が必要になってくる。これまでの服薬指導よりはより広汎に患者へ薬の情報をいかに与えるかが大きな問題となってくると思われる。アメリカでget theanswersのキャンペーンが行なわれ、それをうけて薬剤師側はgive the answersが考えられている。

 昭和62年5月Memorial Sloan Kettering Cancer Center を訪れたところ、抗癌薬についても患者用の説明書が種々用意されていた。たとえば、ブレオマイシンについては、一般的事項、初期にみられる副作用、長期使用後にみられる副作用、裏面には副作用等医師及び薬剤師に連絡すべき事項などを記載したカードも、患者が自由にとれるところに置いてあった。

 アメリカと日本では、国民性も異なり、医療制度も異なるので、そのまま日本へ導入することは不可能かも知れない。しかし、今後の課題として充分検討しておく必要があろう。

 さらに、たとえば、前回の疾病の治療法において抗体産生が起つていないかなどの問題も考えられる。若し変な抗体産生が起っていると次回はショック等を考慮した治療法を考えねばならない。より有効で安全な治療を行なうためには、服薬歴のみならず、診断薬等も含めた巾広い治療歴が必要になってくることも考えられる。

 薬剤師も、患者の立場に立って、将来を見越した職能の充実、何を患者が期待しているのか、何をなすべきかなど充分に考えて、これからの医療に対処していかねばならないと感じている。


 薬事春秋 「新春雑考」          福岡県医薬品卸業協会 会長 城 島 民 雄
                                (株式会杜 ユニック)

 明けましておめでとうございます。皆々様お家族おそろいで、新春を迎えられましたこと大慶至極に存じます。

 さて、社会の発達につれ企業が機械化・高度化するにつれて、企業の内部組織も複雑になり細分化されております。従って企業に働く人々が、大きな機械というメカニズムの歯車的存在となり、人間としての自由と幸福が損なわれる傾向が有識者によリ危倶されております。

 私どもの会社もコンピューターが発達し、主要な数値は瞬時にわかるようになり、VANを通じてお得意先よりの受注も入るようになってまいりました。この機械化のメカニズムによる組織の発展と、これらを構成している個々の人々の自由と幸福とをどのように調和させるか、組織を通して人間としての可能性をどのように求めるかと言うことが、非常に重要な関心事になると考えます。

 また企業内における各種のマニュアルの整備は、社員の同質化(金太郎飴)を指向し、個個のパーソナルな創造性をも摘みとることになるのではないかと、反省している昨今であります。社員一人ひとりには、自己の入生設計を希望とロマンをもって組み立てるよう伝えております。

 他方、私どもに密接な関係ある医療機関におきましては、単に延命治療ではなくクオリィティ・オブ・ライフの思想が導入されようとしています。人生を豊かにし幸福な人生を送れる医療へと変化されることでしょう。小売薬業の仕事であるセルフ・ケア医療も、人々がいかに幸福な人生を送れるかに根ざした社会的使命が基盤と存じます。

 ますます世の中は多様繁雑化してまいりますが、街の科学者として又社会の指導的立場としての諸先生方の、向後のご健勝を念じ新年のご挨拶といたします。


 薬事春秋 「くすりの文化と医療用医薬品 プロモーションの倫理基準」
                 藤沢薬品工業株式会社福岡支店 支店長 岩 本 寿 郎

 明けましておめでとうございます。先生方におかれましては、お揃いでよいお年をお迎えの事とお慶び申し上げます。

 くすりの文化は、新しい物質の開発と古き良き物が伝承される、いわゆる「物」を中心として築き上げられます。又一面くすりに携わる方々によって育てられる部分がより大きく文化の向上に寄与するものと思っております。競争は薬業界の発展と活性化につながりますが、文化の向上に寄与するものと思っております。競争は薬業界の発展と活性化につながりますが、文化の向上には少し邪魔になることもあリましょう。

 日本製薬団体連合会では昭和58年9月「製薬企業倫理綱領」を制定しております。この中でプロモーションの倫理基準として、「会員会社は、医療担当者を対象として、医学・薬学など諸科学の進歩に応じた医薬品の適正な使用を期し、品質・有効性・安全性・使用上の注意などに関して科学的根拠に基づく正確且つ迅速な情報の伝達・収集・フィードバックを行うよう常に真摯な努力を行うべきである。

 会員会社の行うプロモーションは、いついかなる場合においても医薬品に対する信用を損なうことのないような配慮が必要である。としています。

 この為に医薬情報担当者は、正しいプロモーションを行うべく、自らの資質向上を期してたゆまぬ研讃に努めている所ですが、それにもまして先生方から一層親身なる御薫陶を陽り、これを基に「くすりの文化を育てる」と云う医薬情報担当者としての使命を果たしたいと考えておりますので宜しくお願い申し上げます。

 諸先生方の御健勝と御活躍をお祈り申し上げます。


 薬事春秋 「云いたい放題」
              国家公務員等共済組合連合会 浜の町病院 薬剤部長 豊福和登

 日本語の慣用語の一つに“趣昧と実益をかねた”という言葉がある。ふつうは結構なことをさす表現として使われている。しかし私にはこれは戒語と感じられる。趣昧は趣昧、遊びは遊びであるべきであって、実益を狙ってはならないのである。

 遊びに実利がまじると、それは翼のない鳥、窓のない部屋、酸素のない空気となる。にがくなり、淋しくなり、いやしくなる。欲と道づれで趣昧を持つと、それは遊びではなくなる。一文のモウケにもならないからこそ遊びは貴重なのだ。……と、作家開高健は正月元旦の新聞に寄稿している。

 小生も正にその通りであると思う。趣味はあくまでも“遊びの心”でなければならないと思うし、だからこそ欠点があってもご愛嬌として受け止められる。この欠点がなければプロになれるよと云われ、又云ってもさ程の責任も無く、又云われた本人も“なる程 ネ”と素直に耳を傾ける事が出来ると思う。

 金を貰う以上は相手を満足させるものでなければならないと思うし、それだけの心血を注いだ作品でなければならない。あまりにも現在は“安易と無責任”、“アイデア=奇抜”だけで世の中が動かされている様な気がする。

 アマ・スポーツでも現在は賞金が貰える時代となったのであるから、“実益”は当然と云えば当然の事かも知れない。しかし、アマがプロの選手と同様に金銭を口に出して請求するような事になれば、これはもはやプロと云わざるを得ない。

 アマを代表する“オリンピック”も、西欧圈各国、特に東欧圈の国々の選手養成にかける意気込みは、“アマ”ではなく“プロ”の養成であると思う。その種目別により人選し三世代前までの遺伝子を調ベて、その適性をチェックすると云われる。

 それが全て国家予算で養成されるとなれば、これが果して“アマ”なのだろうか?、金メダルを取れば年金、報奨金、アパートが支給されるとなれば目の色も変わるのは仕方のない事だろうけど、小生には大いに疑問が残る。

 このような待遇を日本も採用すれば、もっともっと金メダルを取れる選手が集って来ると思われるのだが。韓国がこのような方式で充分な成果を上げているのを見ても然りである。

 やはり“趣味=アマ、実益=プロ”と解釈して、素人としての楽しみ、遊び心、ロマンと云うものを大切にしたい。素人だからこそそこに「やすらぎ」があると思う。しかしながら、私達は医薬品、即ち薬学等についてはプロである。アマには負けられない。それにはそれ相当に自己研讃をして絶対に追い抜かれない様に努力しなければならないだろうし、お互に助力し合って向上して行かねばならないと思います。

 “EAT・9・愛川欽也司会”のTV番組で出た゛キチン・キトサン″を調べて見たかったのですが、年末で忙しいと云う理由でやめました。概要はカニの甲羅が汚泥処理用凝集剤から体内消化性手術用縫合糸に至るハイテクノロジーやバイオテクノロジー用素材となりつつあるものです。

 主成分はキチンという多糖(生体高分子)で、ゲル、フィルム、繊維などに加工しやすく、この特性を生かして色々な研究が医療、農業、工業など広い分野で進んでいるそうです。多分に包接化合物:β・シクロ・デキストリンの働きと類似しているようにも思えます。まだよく小生にもくわしい事が解りませんので、九大のD・Iセンターの藤井俊志先生にお教えを願いたいと思っています。

 新春より“云いたい放題”を書かせて頂きました。お許しの程をお願い致します。


 フォーラム 「老 人 の 雑 感」       博多支部 敬愛堂薬局 三 根 孫 一

 来る年も来る年も医薬分業 医薬分業とさけびつつ特別会費、政治資金と挙出をつづけて薬剤師会に協力して来たつもりでいたら愈々処方箋が出る頃になつたら、ごく一部の人の所に集中して一般薬局には月に2、3枚しか受付けぬ有様です。努力が足りぬと言われるかも知れぬが予定はそんなつもりじやなかったのです。

 尚望みを託して夢中に成っている間に店の売上げが余り伸ばぬのに気がついた頃には市の中心地と思う商店街の薬局の隣や近所にも配置売薬の車が来て配置しているではありませんか。我々老人には配置売薬と言へば薬局もない田舎の家々を一軒一軒配置して年に一回集金に廻るのを見ていましたので現在の様に都市の密集地の薬局も何軒もあるのに配置されているのにびっくりです。配置の制度の不勉強がかくなったのでしょうか。何か打つ手はなかったものでしょうか、自分の馬鹿さ加減に復がたって仕方がありません。

 薬剤師になるには国家試験を通り、亦薬局を開設するには設備も愈々むづかしく成っているのに何だか不公平の感がします。

 其上関東地方には生協の薬品カタログ版売も出来た模様で今は一寸一時中止されているとか、然しいつ九州に上陸するかも知れぬ有様です。要心肝要です。やはりお互に情報の収集を密にしていざと言う時には我々全員が一致団結して事に当る覚悟が大事だろうと思います。薬剤師にはそれが一番むづかしい気がします。そして最初の対応が一番大事だと思われます。老人の愚痴で相済みません。謝謝。


 フォーラム 「勇気を持って」         西支部 吉田薬局下山門店 吉 田  斌

 勇気を持って私の不満を書く。ワイフに原稿依頼が来たらしい。ワイフはいやだと言う2、000円の原稿料の為に書くのではないと言い訳しつつ書く。まず調剤薬局について書く。

 君達の代表は代議員会でここ6〜7年処方箋料の会徴集分が高い高いと1〜2円論争を県でも市でもくりかえした。その結果を君達は考えなかったのか。

 分業は自分ひとりでかちえたと考えて思い上がっているのか。君達は日薬の歴史を否定するのか。調剤基本料300円制定に対する日薬会長談話を君達は無視し、知らないふりをして権利のみを主張して私達の意見に耳をかしてくれなかった。

 その結果を君達は想像できなかったのか。君達は調剤専門薬局である。知らなかったではすまされない事を明記しておく。商組に対する会費2,000円の件についてもしかりである。ほかの市・郡はみな喜んで会の団結の為に入会し払ってくれた。福岡市はどうであろうか。今利益がないからと2,000円の金をおしむのか。

 はずかしさというものが君達にはないのか。来年年薬価は20%さがるという。いつの日か0TCもいくらか店頭にならべることもあるだろう。保険料だよと気持よく払ってくれた会員もいたことを明記しておく。権利の主張のみではじの慨念もないのか。組織の弱体化我関せずの考え方か。この件も知らなかったで逃げないでくれ。

 会費さえ払えば薬剤師会を自分達のものだと考えOTC薬局の悩みを理解しようとする思いやりも持ちあわせがないのか。もうくどくは言わない。日薬の歴史だけは読みなおし先輩達の行動だけは否定しないでほしい。

 OTC薬局(私自身)について書く。近くの薬局は敵なのか。反省してみようではないか。真の敵は明日隣りに道路をはさんだ目の前にアウトサイダーと言う形で入ってくる。これが私達の敵である。これは薬剤師会の敵であり杜会の敵である。

 世間は何も薬局通りや薬局街を望んではいない。消費者は薬に対して安さだけを望んでいるものでない。結構毛だらけ描灰だらけと無責任に考えているわけでもない。薬剤師の倫理のなさをなげいている。我々の仲間の団結力の弱さを笑っている。勉強不足を笑っている。こざかしく紳士ぶって先を読み行動を起さない気弱さを笑っている。女房、子供が明日からぐちを言いなげき悲しむのが解っていながら酒に逃げ趣味に逃げてからいばりをしている私達を笑っている。なぜ戦わないのかと笑っている。

 私達は戦おうではないか。へりくつを捨て団結しようではないか。行動しようではないか。自分自身の敵とせず、社会の敵、薬剤師会の敵として理諭武装しようではないか。

 仲間が困っている時その足をひっぱったり、一傍観者になるなさけなさだけは捨ててもらいたい。何か手助けすることがあるはずである。他人のふんどしで相撲とるアウトサイダーを撲滅しようではないか。レジャー委員会を作ってレジャーにうつつをぬかしている時ではない。レジャーの必要性もわかるが組織を強化して戦争しようではないか。武器はある。ありあまるほど武器はある。我々の業界ほど保護された業界はない。ただ立ちあがらないだけである。距離制限に負けた時我々はなげき悲しんだ。それは他の業界も一緒だ。しかし我々はすぐに立ちなおった。日薬の知恵者が試験センターという制度を考えた。

 福岡県(市)の場合トップの決断力のなさと一部の馬鹿者によっていびつなものになったがとりあえず法律は出来た。約束どおり10年で出来たこれほどの武器があろうか。運用をまちがわないでほしい。我々にはチャンスがめぐってきた。医療法の一部改正である日薬はこの幸運をものにした。貴方達はこの法律の真の目的を知っておいでだろうか。知らなかったらすぐに知るように努力されたい。

 私はその目的を知った時、日薬に感謝の気持が倍増した。これほどの武器があってなぜ立ちあがろうとしないのか。私は向う三軒両隣りに薬局が出来るのはごめんである。薬局通り、薬局街はごめんである。彼等はアウトローでありアウトサイダーである、真の敵である。我々の仲間ではない。社会の敵である。薬剤師会の敵なのである。入会金欲しさに入会させるべきではない。薬剤師倫理にかけるのである。人間性にかけるのである。我々はこのような敵にかんぜんと立ち向かおうではないか。先輩達の恩にむくいる為にも我々の生活を守る為にも後輩達に笑われない為にも団結し戦うべきは戦おうではないか。愛すべき薬剤師会を守る為に市薬会長を中心に団結しようではないか。

 商組について書く。商組理事を今回ひょんな事で県・市とも辞任する事になった。商組活動を知らない人々が福岡市にはあまりにも多いので少々説明として書こうと思う。全国組織としては再販制度、要指示薬のかん和に始まりスイッチOTC、妊娠診断薬、ピルの解禁、カタログ販売の規制、都市型配置の規制、健食と医薬品の区別、大衆薬の向上といった大きな問題が活動の基本である。

 県商組においては医薬品券の拡大、県全体の調整事業である。市の段階では調整事業が主体となる。毎月20日前後にメーカー、問屋、我々小売業代表理事の三者による研修会が行なわれている。

 市といつても福岡市を中心に五郡が入り一市五郡をもって福岡地区薬業協同組合という名弥であり約600人の会員がいる。会員は薬種商200人、薬剤師会400人であり理事は10人のいすがあるが薬剤師会員理事は山手先生、中野先生、戸田先生、私の4人である。

 戸田先生が福岡地区薬業協同組合(市)の理事長であり県の段階におけるブロック長である。又、市薬理事であり商組担当である。又、県の段階では竹尾先生が県薬からの出向という形で副理事長である。山手先生は専務であり中野先生は会計理事である。

 今度の任期いっぱいで山手先生が県も市も辞められる事になった。私も県も市も辞める事我々辞任組も出未うる限り戸田先生を助けて調整事業を手助けする覚悟は有るが一会貝として限度の有るのも事実である。戸田先生一人で一市五郡を走り回ることになるのも事実である。

 そこで会員一人一人の自覚と勉強を望む。調整事業のポイントはスピードに有る。がせねたの段階で結構である。戸田先生に電話すべきである。私の浅い経験ではあるがでおくれた場合は失敗し時間にゆとりのある場合は満足出来るものになった。すぐに部会( 薬剤師会の)をまとめ市薬なり戸田先生に電話すべきである。

 自分だけでもんもんした気持でいたら君ひとりに不利益をもたらすだけでなく地区に薬剤師会に多大の不利益をもたらす。ニュースはスピードがあってこそニュースである。この事を自覚すべきである。

 アウトサイダーを防せぎ薬の安売りをする者を正しく導くのは我々会員の義務であることを自覚してほしい。ミルク雑貨といえども原価をきって販売すればれっきとした犯罪である。それを見のがすのは会員としての自覚のなさである。チラン、DM、カタログがあればすぐに薬剤師会へ送り戸田先生へ電話すべきである。市薬は第二薬局委員会をつくり我々の要望に答えようとしているではないか。我々も協力してしっかりしたOTC委員会になってもらおうではないか。

 会費について。会費は今年より2,000円にきまった。その内500円が市に。残こり1,500円は県に行くのである。医療品券リペート5%は3%が県、2%が市に残る分であるが、市商組はすべて事務経費として市薬に納入している。そのかわり補助金として50万円もらっているが、これは中央や県に行くお金だと考えてもらってまちがいがない。

 この補助金も来年から会費をとっているのだからとけずられようとしているのが市薬の実状である。我々の予算は帳面ずらはともかくとして600×500=30万がすべてであると考えてほぼ間違いない。

 これで毎月の研修会12回と年1回の総会を行なっている。総会の案内状の切手代もなく市薬の配布物とー緒に出す為、お客は市薬より会長、専務(三没)が1〜2人、商組理事6〜7人、会員3〜4人といった総会が毎年続いている。

 この総会は商業組合の為毎年開く義務がある。600人中3〜4人ではあまりにもさびしいではないか。せめて30〜40人は集まって活発な意見が出て終りにはパーティーぐらい開きたいものではないか。会員の自覚を望む。このような状態が実状である。調剤薬局の方々よ。団結の為2,000円を出して会員になって欲しい。そして大いに意見を出して欲しい。

 そうすれば、商業組合だから経済活動は何でも出来るのである。みなさんのお手伝いもきっと出来るはずである。広い市場が有り、夢がたくさんある。団結しようではないか。ニヒルにかまえるのはよそうではないか。我々OTCもさびしいのである。大いに話しあおうではないか。

 最後に6年前の代議員予備会議で金がない、人がいないと勇気をふるって言ったことをせせら笑った人達よ。少しは反省して欲しい。今でも私は薬剤師会に対して金がない、人がいなによって明日の指導者をつくることを始めようではないか。これが私の夢である。

 あのような決断力、実行力、理解力、思いやりを持った指導者を育てようではないか。仲間が欲しいのである。これが勇気をもって私に青白い事を書かせた私の気持である。私の考え方に同調する人又は反発して意見してくれるような人、反省して友になってくれるような人、仲間が欲しいのである。私の気待を卒直に書いたのではずかしいのである。はずかしいので読み直すことなく投かんして2,000円かせがせてもらう。


 フォーラム 「薬局委員を経験して」         西支部 有馬薬局 有 馬  純

 薬局委員になって色々な健康フェアや薬草観察会等に参加する機会を与えられ、直に市民と接触してみて多くの人が健康に並々ならぬ関心をもっていることを知りました。しかしながらこのことが薬局に対する関心と全く関係ない事がより驚きでした。

 アンケートをとりながらの雑談の中でどんな薬局が皆にとつて良い薬局か尋ねてみましたが殆んどの人が戸惑った表情で返事に窮していました。考えた事も無い問題のようです。私はその時の雰囲気から薬局は何の関心も期待もされていない事を痛切に思い知らされました。

 ただ薬を安く売ってくれさえすれば良いと思っているんでしょうか、違います。そのような人ばかりではありません。事実薬局へ行ったこともない人々が健康フェアとか薬草観察会に参加し、又健康食品業者の呼びかけに応じ、白分の薬局の前を素通りして、そして馬鹿々々しいぐらい高価な物をどんどん買っています。これらの人達はどうして薬局へ相談に来ないのでしょうか。

 我々は安売り以外に市民の足を薬局へむけさせる事はできないと思い込みすぎています。薬局が信頼されているとか、いないとかの問題以前に薬剤師という職業を良く知らない人が数多くいるという事実を認識すべきです。もうこの辺で社会が薬剤師を本当に必要としているかどうか真剣に考える時期に来ていると思います。

 薬学部不用論、薬種商の資格化、看護婦の調剤権要求等々、あっち、こっちで火の手が上っています。我々の存在理由を問われている現実を目前にしながら薬剤師の誉りを捨て乱売に狂奔し、金々の毎日を過し、お客の高いという一言に怯え、増々社会的地位を低下させています。

 このような薬局に健康の相談が出来る知識があるなんて夢にも思わないでしょう。国民は自分の健康を誰に相談したら良いか判ず、うろうろしている間に似非健康業者や似非神様に騙されて泣いています。新聞の報道をみて馬鹿な奴だと笑って看過できることではありません。何故なら薬剤師にもその責任の一端はあるからです。我々が薬剤師の職能をしっかりと機会あるごとに国民に知らせておけばこのような事態を少しでも防ぐことは出来たはずです。

 薬剤師会も対外的な色々な催しに積極的に参加し、会員も薬剤師会が何かしてくれる事をただ持つのではなく、会の呼びかけに積極的に応じて市民との触れ会いの場を多く持ち、薬剤師の職能を宣伝して下さい。

 公の催しの場には薬局へ行ったことのない人がかなりの数にのぼります。それにこのような場所は利害が介在しない分だけお互いに素直になれて自分の持っている知識を十分に発揮できます。会員の皆様の色々な行事への参加を期待します。人が足りなくて困っています。

 最後に、人の不幸を糧とする職業は儲けようと思ったらいけないと思います。無欲で話した結果はお客様次第ということです。


 フォーラム 「みんなの会報」         博多支部 千鳥橋薬局 山 口 利 英

 薬剤師仲間が集まると必ず話題になるのは、「薬剤師の将来はどうなるか」です。具体的には『医薬分業はすすむのか』『薬局経営は』『今の薬局の姿でよいのか』等そこには真剣に薬剤師としての悩みがあり、それをどう解決すればよいのか模索している姿があります。そして次は薬剤師会はどう考えているのだろうか、どう対応しようとしているのかと。

 私が最近、多少薬剤師会に関わっていることもあって「どう思う」と鉾先がこちらに向いてきます。本当にみんな薬剤師会に期待しているのだなと思います。と同時に薬剤師会の活動などがみんなの中まで十分に浸透していないようにも思われます。到底みんなが聞きたがっていることに十分こたえることはできません。ただ今は薬剤師会の会議にでる機会が少しは多く、そこでいろいろ教えて貰ったことを精一杯話すだけです。それでも熱心にきいて貰えます。千代吉塚の部会には県薬専務の荒巻先生がおられますので部会の中で今日の医療情勢や薬剤師会の活動について直接部会員が聞けるのはとても幸せなことです。

 以前、会の活動に直接関わっていなかった時は、県薬や市薬の代議員会を傍聴させてもらっていました。そこでは今薬剤師が直面している課題や問題について報告や論議がされ方向性が示されます。それは私にとって薬剤師会と直接触れるものであったし、会の活勣を理解する上にも大いに役立ちました。一度ぜひ代議員ではない会員さんも傍聴されたら如何でしょうか。

 代議員会の傍聴や総会へ出席すればある程度のことは分かると思われますが、実際は一般会員の参加者は少ないようです。これはそれらの会議への興昧がないのではなく出席したくても店があるのでできない会員さんも多いと思います。またそうした会員さん程会への信頼と期待は大きいのです。そういう会員さんのためにも会報等で会議内容の報告があったらなぁ一と思っています。

 私にとって日薬の活動を知る機会は日薬雑誌でありその中で「理事会議事要旨」「代議員会議事録」は非常に興味深く読んでいます。実にリアルに会議の雰囲気を感じさせてくれます。このような報告が載った会報ができたらなぁ一とおもっています。しかし実際は大変な作業で現実的には無理かも知れません。

 昨年広報部が拡充され会報・広報が充実されてきたことを大変嬉しくおもっています。会と各会員を確実に結びつける会報・広報が今以上の太いパイプになることを望んでいます。


 フォーラム 「出  会  い」          東支部 加藤薬局 加 藤 正 剛

 私が和白に薬局を開設して来年の2月で早や3年の月日が経とうとしています。

 初めての薬局経営で、手探り状態で今日まできました。薬局開設にあたり、当時東支部の支部長をされていた礒田先生を尋ね、いろいろ御指導を頂き、又、近所の諸先輩方、又大学の大先輩でもある井原先生や、正岡先生にもいろいろな事を教えて頂きました。

 ともすれば仕事上、内にこもって閉鎖的になるところでしたが、和白部会長、又、薬局委員、市の代議員etcいろいろな仕事を与えられ、初めは不安で、恐る恐る参加していましたが、その役目役目でたくさんの方々にお目にかかれました。

 薬局委員会も初め何が何だかわかりませんでしたが、回数を重ね、薬草観察会他、いろいろな行事を共にするにつれ親しくして頂く人達が増えてゆく事が楽しみとなりました。

 又、東支部の報告会に初めて参加した時、大学の同期生の藤野哲朗君とも偶然に約10年ぶりの再会をしました。この薬剤師会の先輩の藤野先生にも学校薬剤師、又急患センター登録など、いろいろな活動を教えてもらいました。

 とにかく、この3年間自分の店の事だけで一人よがりな仕事をし、世間が狭くなりそうなところを、礒田先生はじめ、諸先輩方の御指導で、外にも目が向けられすてきな方々とも知り合えて大変有意義でありました。

 皆様方に紙面を借りてお礼を申し上げると共に今後共末永くおつき合いの程宜敷くお願い致します。

 さて薬局を開設する迄の私は、科研製薬というメーカーにおりまして9年間プロパーをやっておりました。

 これだけの間御世話になったら、愛社精神がしみつく様で、今だにというか、今からもずっとエールを送りつづけるだろうと思います。仕事は、大分で6年、熊本で3年営業活動をしてきました。仕事柄いろいろなドクターに接してきましたが、何百人ものお医者様に会うと本当に様々な性格の先生方がおられました。

 大分、熊本各県にそれぞれ今でもお付き合いして頂いているドクターが4、5人づついらっしやいます。

 病院の忘年会のおさそいが今だにあったり、一度お祝事があった時などは、わざわざ「お祝いだ。!」と言って阿蘇から福岡まで来て頂き、感激した事がありました。

 これらの先生方に共通して言えるのは、上っ面の付き合いではなく奥さん、子供さんを含め家庭の中まで入り込んだお付き合いをしていた方々という事です。

 他に問屋さんの気の合う友人達や、他のメーカーのプロパー仲間たち、営業をしていたら人との出会いの機会は名剌のやりとりから始まり、本当に広がってゆきます。

 今まで述べてきた人達とのつながりは私にとって大事なものです。今にして思えば本当に自分一人ではなく、たて、横、人と人との有機的なつながりで生きているんだなと実感として思っています。

 これからも人との出会いを大切にしてゆきたいと思っています。


 随筆シリーズ 「家庭の薬草たち」          東支部 柴田薬局 柴 田 伊津郎

 わが家の裏に30坪足らずの空地がある。私はここに手当り次第に各種の薬草を植えている。ほとんどのものが1〜2株だが、中にはゲンノショウコやドクダミのようにはびこって困るものもある。

 もともと町なかの空地のことで日当りがあまりよくないので、殖えもせず枯れもせずというものが多いが、けっこう楽しみなものである。メモをたどりながら2〜3まとめてみた。

1.オタネニンジン(朝鮮人参)とトチバニ ンジン(竹節人参)

 数年前からオタネニンジンの苗を取り寄せて植えてみたがなかなか都合よく育たない。あきらめていたら60年春植えたものが1粒だけ実をつけた。そこでこれを採種して、やはり自家産のトチバニンジンの種子2粒と同時に60年秋とり播きしてみた。

 まったくささやかな試みであったが、幸い翌61年春全部発芽した。地上部はほとんど区別がつかないくらい似ているが、根は全然違うはずである。これを確かめるため62年の春堀り出して撮ったのが写真@である。

 写真Aは62年秋の状態で、オタネニンジンはだいぶ大きくなっているがトチバニンジンはあまり変っていない。これからどうなるか楽しみである。

2.カラスビシャク(半夏)

 畑地の強害草として農家のきらわれものだというが、福岡近郊ではあまり見かけない。わが家のカラスビシャクはいつ採集したものか覚えていないが、だいぶ繁殖している。それが62年9月、初めて果実をつけた。今まで30年近く見てきたものだが、実を見たのはこれが初めてのことである。

 日本雑草図説には果実の図があるが、他の本でこの実のことを記載したものがないので気がついた時は半信半疑だった。

 写真を撮って早速播いてみた。全部発芽して幼芽が出そろったのを見てやっと納得したものである。

3.ウイキョウ(茴香)

 比較的日当りのよい所に1株だけだがウイキョウがある。茴香には開業当時の思い出があって特に懐かしい。私が開業したのは昭和22年で、当時は薬品も少く、旧軍の放出物資や進駐軍のものか密輸ものなどが出廻って、私どものところにも薬品試験の依頼が多かったものである。サントニン・サルファ剤・メチルアルコールなどから検便検尿、変ったところでは精液の検査まで持ち込まれたこともあった。

 その頃開業医からアンモニア茴香精が手に入らぬかと頼まれたが、まったく入手の見込みがない。何とかならぬかとの強いての頼みで自分で作ることを考えたが茴香油がない。しかたがないので薬草店から茴香を買ってきて、これを水蒸気蒸溜して油をとることにした。その時の油の一部がガラス管に入って、今でも試験室のどこかにあるはずである。わが家のウイキョウは今、切株から青々とした新芽を伸ばしている。

4.サンシュユ(山茱?)とサンショウ(山椒)

 ある書物に「ひえつき節の庭のサンシュの木はサンシュユのことだ」とあったが、これは間違いでサンショウが正しい。植木屋さんはサンシュユのことを「さんしゅう」といっているので、これが間違いのもとかも知れない。

 木村雄四郎先生は、剪花翁伝前編に「木に雌雄あり、雌花の花いと勝るなり」という文を引用してサンシュユは雌雄異株だと書いておられるが、特に雌雄異株としたものは見当たらない。わが家のサンシュユも1本だけが毎年結実している。

 サンショウは雌雄異株に間違いはないはずであるが、わが家のサンショウは1本だけなのにこれも毎年実がなる。町のなかなので雄本が近くにあるとも思えないのに実がなる。今はやりの未婚の母というわけでもあるまいが、何とも理解に苦しむことである。


 随筆シリーズ 「気 分 転 換」         東支部長 和白薬局 井 原 俊 一

 大阪での或る研修会を終え会場の玄関を出るや、快晴の午の刺すような陽光が全身に振りかかってきた。誘われるともなく、このまま一直線に帰福するのは借しいと。気分転換をしたい。

 フッと帰途の沿線添いにある倉敷の「大原美術館」が浮び上った。この思い付きに囲りの2人の先生が賛同され、3人で立寄ることになった。お2人の先生は博多直行の特急券が無駄になります。然し乍ら、薬局の店頭で齷齪の毎日を考えるとその無駄も理解できます。仕事柄文化系的な気分転換が必要なんです。

 新倉敷駅で下車、車で30分程で大原美術館に着く。堀割りと柳と白壁の町並みの中に土蔵造り風の美術館が見えます。吸い込まれるように中に入るや、名画の洪水に射たれた。セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、コロー、シスレー、モネなど馴染み深い後期印象派の絵画に圧倒される。更にカンディンスキー、ブュッフエ(自分が一番好き)、ルドンなど近代派の絵に又感動する。

 別棟へ巡くと、棟方志功の強烈な墨絵も圧感。その他ピカソ、ロートレック、ドラクロワ、黒田清輝、マネの「横笛を吹く少年」など挙げたら切が無い。丁度20年前、パリに行った時、独りでメトロに乗って探し出して観た「パリ印象派美術館」を思い出した。

 確かコンコルド広場の一隈にあったと思う。隅然先日の新聞でこの美術館は崩されるとか。ルーブルの陰に隠れて消されるのかと思うと平家物語である。

 つまり「人の世の無情」。我が零細薬局も年々陰に隠れていって平家物語にならないかなと危惧する昨今であります。なんとか消されずにズーと薬剤師会々員でありたいものです。

 帰りの貪敷駅にてO先生勧めの「ままかり」という郷土みやげを買った。ままを隣りにまで借りに行く程おいしいの意味で面白い。そんな1日を終えて帰宅した。が閉店までの僅かな30分間もう薬局の店頭に立っていました。

 何という貧乏性なのだろうか、欲深いというのか。薬剤師職能ってこんなものでのでしょうか。たった今気分転換してきたところなのに。この習性とその矛盾さ。故に気分転換が必要だと………。How to Change of feeling。


 随筆シリーズ 「考えてから歩きだす」     中央支部 竃局白十字 白 木 太一郎

   青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
   ……年を重ねただけで人は老いない。
   理想を失うとき初めて老いる。……

 これは、サムエル・ウルマンの「青春」という詩の一節である。

 ―昨年の秋、宇野収・作山宗久著「『青春』という名の詩」が出版されて、ベストセラーになった。この詩は、それ以前にも、あちこちでしばしば引用されていたが、作者のサムエル・ウルマンについては、詳しいことがわかっていなかった。この本は、幻の詩人サムエル・ウルマン(1840〜1924)の実像の解明に情熱を傾けたビジネスマンの作品である。

 私にとって、人生の一時期としての青春は、とっくに過ぎてしまったが、心の持ちかたでは、情熱を失わずに「青春」を持続したいと願っている。

   イギりス人は歩きながら考える。
   フランス人は考えた後で走りだす。
   そしてスペイン人は、走ってしまった後で考える。………
   ……これに型どっていったら、我々日本人は一体どういうことに
   なるだろう。……

 上記の文章は、笠信太郎著「ものの見方について」の冒頭の一節である。これにやどっていったら、私は、「考えた後で歩きだす」タイプではないかと思う。これは自分の性格に由来する部分が多いと思うが、いつもこのパターンではうまく行かないこともあるのでT.P.0.に応じて他のパターンに変えることができる柔軟さが大切だと考えている。

 以上は、最近、本を読んで考えたことのー端である。


 随筆シリーズ 「家 庭 菜 園」          南支部 有田薬局 有 田 悛 雄

 薬局でよく野菜を食べなさい、野菜を食べる量が少ないとお客さんには云っているが、一つ自分も野菜を作って見ようと思いたって、日当りの良い空地十坪程に野菜作りを始めました。

 野菜の生育する条件は、先づ土質のP.H.が中性を保つ事を理想とします。人間も体質が中性であれば病気をしないと聞きますが、土質もP.H.が酸性に傾けば肥料をあたえても吸収し難く発育が悪い、それで消石灰を混ぜて耕し中和します。

 近頃酸性雨とかで耕地も酸性に傾いていると聞きます。次は日光、温度、水が植物に必要な三大条件です。それに窒素、燐酸、カリの無機肥料と堆肥の有機肥料を買って来て、先づ土地を耕す時堆肥を入れ込み後野菜の生育につれて無機配合肥料を少量づつ与えます。肥料の与え方も栄養過剰にならぬ様又少な過ぎぬ様適量を与えるのが「こつ」です。

 春、秋には春菊、人参、さやえんどう、かつを菜、ねぎ、ブロッコリー、等割合病虫害に強いのを選んで哉培します。

 我々少年時代は春菊、人参には青虫や夜盗虫は仝く見かけなかったが今は何処からとなくやって来てせっせと青菜を喰い込んだり、人参の茎を噛切って土中に隠れています。虫も農薬との闘いや自分の生活圈の拡大に一生懸命生きている様です。

 春先、さやえんどうの芽が出て間もなく、油虫等の虫卵が芽に一杯付着しているが蟻が何処からともなくやって来て畠の一遇に巣を作リ、そこから続々と隊列をなして新芽の虫卵や虫を自分達の巣に運んで野菜の生育に手助けしています。自然の摂理と云おうか全くよく出来たものです。

 近頃の店先に並んでいる、パック入りの野菜は外国からの輸入品やビニ−ル哉培の品物で見かけは良いがパックを開けるとすぐ萎びてしまう。四季に合った自家菜園の野菜は3、4日放置していてもシャンと青々して味、香りも大分違う様です。消費者も石油文明にどっぷり漬った見かけの良い野菜にとらわれず少しは虫喰いの入った野菜を買う様に心掛けると農薬害から或程度守れるのではないかと思います。

 野菜が生育して少しづつ食卓にのせて食べるのも楽しみの一つです。


 随筆シリーズ 「柿の蒂としやっくり」        寺沢内科病院薬局 蛯 原 菊 子

 約6年前、死を間近かにした腹部の癌患者として、夫は九大病院に入院していた。ベッドに伏したまま、もう起き上ることも出来ない頃であったが、こういう状況の時、夫は、しゃっくりに襲われた。

 健康体と違い、体力が極度に衰え、まさにマイナスのエネルギーを使って生きている様な状態で、側で見ていても、このしゃっくりはとてもきつそうであった。お医者様に、どうにかならないでしょうかと訴えると、精神安定剤を注射して眠らせるしかない様で、眼が覚めると、又始る。

 漢方に詳しい方なら打つ手をすぐ打ったであろうが、私としては一足遅れて、以前読んだ大塚敬節先生の本のことを思い出した。

 かつて、吉田茂首相の主治医であった馬場辰二先生は「今の医者は、しゃっくり一つなおせない。」と大塚先生に語られたそうである。吉田首相が、四国に滞在した時、しゃっくりが出てどうしても止らず、土佐の名医達もなおせず、馬場先生が飛行機で四国に飛んで行き、漢方薬により一日で治して帰って来られたと書いてあった。

 この時の漢方は「甘草浮心湯加陳皮」てあったそうである。遅ればせながら、このことを思い出し九大病院近くの薬草店に飛んで行ったら、柿蒂湯をすすめてくれ、取りあえず柿の蒂だけを煎じて飲ませることになった。

 この柿の蒂の劇的効果は、忘れることが出来ない。煎液を口に含んで、ごくんと喉を通過しただけで、ピタリとしゃっくリが止ったのである。現代医学でも、こんな効き方をするものはそうないのではないかと思う。

 「まるでまんがみたいだね」と今は忘き夫は云った。もう少しつけ加えると、数時間経つと又起り何回か飲んでいる中に、出なくなったのである。こういう劇的な出会いで漢方に入られる方も多いとのことである。

 それにしても、しゃっくりなど、そう度々おこるものでもないのに、よくもその昔、柿の蒂としゃっくりが出会ったものと唯感心する。


 随筆シリーズ 「長寿法についての一考察」   中央支部 調剤薬局マイヅル 平島 公彦

 年齢に応じた生理的な若さ以上に、体の状態を保持することにより、老化を防止し、さら、より若返ることによって天寿を延ばそうとする手段である長寿法について、現在ではまだ体系的な方法をなしてはいません。

 しかし老化防止、生命延長は近来〈老人学〉の課題となっています。一般にあらゆる疾病の予防および治療が天寿を全うするための前提ですので近代医学も大きな役割を果たしているわけです。

 脂肪食の制限とビタミンの補給が老化防止にある程度役立つことは確かなことです。またメチニコフのヨーグルト飲用療法は歴史的に有名です。内分泌等ホルモンと老化との関係。それに肝機能が低下すると老化が進むことが認められています。驚くことは、現在の人類が自然のあるべき若さよりもずっと早老しているという報告です。自律神経系のストレス等が老化に影響していることは否定できないことです。

 平均寿命は確かに伸びていますが、肉体の老化という問題は何ら解決されてないのです。漢方の話しで恐縮ですが、古代中国において老化はどのように取らえられていたのかと言いますと、傷寒論序文中には、人は百年の寿命を持っているというのに、その身体を大事にせず、寿命を短かくしているとあり、また黄帝内経素問の陰陽応象大論中において岐伯が弟子の黄帝に次の様に答えてます。

 七損八益ということがありますが、それはつまり人は年をとるにつれて陽を損じやすく陰が盛んになりやすいという理をよく心得て陽気を損じないように注意することであります。そうすることにより陰陽の調和がとれるのです。このことを守らないと身体は早く老衰してしまうことになります。

 智者はこのことをよく心得て陰陽が調和した養生法に従って生活するのですが、愚者は寿命なんてものはそれぞれ個人差があるのだから養生法を守ろうと守るまいと死ぬ時は死ぬのだとばかり不摂生な生活を致しますので早く老いぼれるのであります。

 すなわち愚者は陽気を使い果たしてしまうものであり、智者は陽気を温存しているものであります。陽気があり余まる程充分にありますと耳や目もはっきりとし身体も軽く強靫でありますし、年老いても壮年のように若々しく、壮年の者はますます調子よく生活できるものであります。

 聖人といわれる人は、すべて物事をなすのに無理をせず、故意にせず、ただ無為の行ないをして、安らかな生活態度を楽しみ、有無相対を超越した境地に立って思いのままに行動致しますので寿命は尽きることがないのであります。また上古天真論中、黄帝が師の岐伯に質問するくだりに、大昔の人々は年をとって百才を越えても、まだその動作が衰えるようなことがなかったと聞いている。

 ところが今どきの人々を見ると50才にもなればもうよぼよぼしている。なぜこのようなことになったのかと。これに対して、岐伯が答えるには、大昔の人々の中で養生の道理をわきまえた者は天文暦数を心得て、春夏秋冬の天の気に調和し、飲食に節度があり、起き臥しにきまりをつけ、みだりに心身を過労させることがないというようなわけで、肉体も精神もともども調和がとれ、そのため百年の寿命を全うすることができたのだと。

 そして大昔の聖人と呼ばれる方々が人々をよく教育し、そのため社会は円満に治まり、人々の心根は真に素朴であり得た。このような社会だと人間としてのあるべき心得を全うすることができたので肉体の方もそれに従って安泰であったのだと。

 以上の様なことを現代と比較すると現代社会において老化せずに百才という寿命を全うするなど不可能であり、また人類の早老化現象に歯止めなどかけれないよう感じてしまいます。天文暦数など心得がないので、春夏秋冬の天の気に調和せず、飲食に節度なく、起き臥しにきまりなく、みだりに心身を過労させているような私には、長寿法を語る資格などないなと思いながらも、老化してしまってから老化防止を考えるというのは、のどが渇いてたまらなくなってから井戸を掘るようなものですから、やはり自分自身気をつけなければと感じるしだいです。


 随筆シリーズ 「無農薬野菜づくりの楽しみ」    東支部 高美台薬局 藤 野 チトミ

 数年前より近くの農家から10坪ほどの畑を貸り、趣昧と実益(?)を兼ねて、野菜を作っています。

 子供達には出来るだけ無農薬に近いものをと思い、夜は懐中電灯を持って、夜盗虫退治に行く事もしばしばです。大根、人参、キュウリ、トマト等は、無農薬でもどうにか出来ますが、白菜だけは特別で、4、5日も間を置いて行ってみると、ひどいものはレース状になっています。それで白菜には2回までは「仕方なし」とマラソンを使っています。昨年は暖かかったからでしょうか、11月の中頃までモンシロチョウが飛び廻っていました。割箸片手にせっせと青虫をつまんでいる私の廻りをです。

 娘にはかわいいチョウチョウも私にとっては憎いただの虫なのです。

 先日、採れたてのホウレン草を夕食に出すと茎をつまんで、娘「これなぁに?」、私「ホウレン草よ」、娘「けど葉っぱがないじゃん?」、私「葉っぱは虫が食べたんよ、けど良一よく見て、少しはあるはずよ」、娘「ヘー?」。ほとんど茎ばかりのホウレン草でも、味はとても良いのです。

 夏のトマト、キュウリにしても曲ったり、見た目は悪くても本当の味がします。甘みがあります。子供の頃丸かじりしたあのトマトの味がします。

 私の団地でも「滅農薬野菜を食卓に。!」と生産者と契約しているグループもあります。市販のものよりだいぶ高いそうですが、私は自分で作ってみて、労力や有機肥料の施し等からすれば「決して高くはないよ」と話しています。

 昨年の夏は雨が多く、水やりは楽でしたが、雑草との戦いでした。日中は暑いので、早朝か夕方に行くのですが藪蚊の襲来です。虫よけスプレーをしていても、ズボンの上からでも剌され、かぶれ易い私には重労働です。それでも土いじりが大好きで、畑に出ると、 ストレスもふっ飛び、何も忘れてもくもくと草をとり、土を堀り起しています。

 友人や、近所の人に差し上げて「おいしかったよ」と言われるのがまた嬉しくてたまらないのです。

 つい最近聞いた事で、消毒に薬品を使わずタバコや、トウガラシを水に溶かして、かけても効果があるそうで、今年は是非試してみようと思っています。


 趣味・紀行 「中国璃江下り」          福岡市薬師会 顧 門 冨 永 泰 資

 突然中国広州・桂林3泊4日の旅に誘われた。10月22日12時福岡国際空港を中国民航臨時便にて出発、飛行機はソ運製と聞き何となく不安を感じ今まで利用もしなかつた海外旅行保険にもはいった。

 更に晩酌用に日本酒のパック入りを買い求め機上の人となる。左に雲仙岳を眺め眼下に人影もない石炭繰上げ塔の寂しい姿の高島を見る長崎まわりにて東支那海に出る。出るまでは視界良好なるも海上に出るや雲又雲にて視界零、何もすることなし、旅行パンフにより両市の知識を頭に入れる。途中上海経由と間き興昧を持ち街様を期待する。

 と同時に頭に浮ぶのは上海事変、地元ゆかりの爆弾三勇士のこと、戦後40年を過ぎても思い出す戦争のことにわれながら驚くと共にわが年令を感ず。

 雲上を飛ぶこと3時間高度が下がり眼下に広大な平野出現、添乗員は広州近きをしらせる。高度下降するにつれ平野の広大さに驚く、約1時間後広州飛行場に着陸、添乗員の後に続いてバスまで500m程歩く。

 場外は整備中、トラック、タクシーは整然と一方通行にて運行、クラクションは時析り鳴る位にて静か。然し人々にてノロノロ歩き、着陸第一印象としては静かで人懐っこく、優しく、おっとりとした動じない国民性と感ず。かつて韓国に旅した時の人を射る様な、日本人を憎むような、日本を追い越せという様な鋭い視線でないことに先ず安心する。

 普通送迎バスに乗り市内へ出発、一歩広場を出ると歩道付上下二車線の道路は車と自転車で全く埋りバスの進行は遅々として進まず、真夏の3号、202号線そのもの、それにしても自転車の多いこと、砂糖の山に進む蟻の群れの如し、それでも殆んどクラクションは鳴らずゆっくりと左右の田園を眺めることが出来た。山は遥か彼方に低く見える、又手前は広莫たる農地、点々と野菜の姿が見える。

 町に近ずくにつれてその様は増え撒水機も活動して人の活力を感じる。家屋は石、煉瓦、土の2、3階建てで何とも粗末に見える。やがて市街地、道路上下2、3車線高架自動車も縦横に走ってはいるものの、専用道以外は舗装も悪い。その道路を進むこと2時間位にて飯店のある中心街に入る。

 2車線は車で埋り歩道は店舗兼用住宅の軒下、人々々とても急ぎ足にては進めない。飯店までの歩道脇は各種店舗、近代的な貴金属、衣類店が点々とあれど殆んど庶民の胃袋の店。

 中でも北京ダックといわれるアヒルの頭口つき首が何百となく店頭に下リ、又煥製の肉類各種が所狭しと列べられそれに群る買物客、然し悠調な手秤りによる商取引に驚いたり感心したり、その人混みの中を添乗員を見失なわない様急ぎ足に追い飯店に辿り着く、何と間口5m位、少しは明るく飯店らしき入口の構え、一歩中に踏み込むと表の通りとは問題にならぬ人の多きこと、3階奥の間と告げられそこに着くのに又一苦労、何と入口は5mのこの飯店。

 中は岩田屋の半分位の面積、中央に吹抜がありその周囲に大小の部屋、その部屋は全室満員の大混雑、3階のわが食堂に分け入る。「食は広州にあり」との言葉を胸に秘め料理を待つ。一寸物たりない味のビールを一気に一杯飲みほす。出て来た料理は期待したダックの頭でも豚足でもない日本で食べなれたギョウザ、焼そば等々極普通の見なれたもの、ところがだ味が全く違う。

 小生が家庭で常に求めている自然の味、調昧料の入っていないサラッとしたウマミ、言葉では表わせないウマミ、しかも小生が好む食塩も不用の調和のとれたウマミ、日本の支那料理の如きシツコイ味がないサラッとしたウマミ、さすが「食は広州にあり」だと感じ入り今日にかぎってビールは2杯でストップ、ただ賞味するのみ。

 次々に入る客の為飯店を出てホテルヘ、既に9時、夜景は都心部とは思えぬ暗さ、それでも人は多い。30数階建のホテルに入りパック酒に爛をつけ持参の肴にて第一夜を宿す。

 第2日6時起床窓外には既に勤務の人の足速やな姿と自転車の列、住宅、店舗の外観に比しこの中心地にあるホテルの豪華なこと、3ホテル共に30階以上並立す。昨夕食と全く同味のカユを主体の朝食をホテルにて摂り9時市内観光に出る。

 人と自転車を分ける様にしてバスは進む。ここにも孫文の中山記念堂あり、昨年行きし台北にもあればなり、三民主義の孫文の思想は中国、台湾共に信捧せる思想でありこの孫文と最も関係深きはわが福岡でありたるが故に進藤前市長が広州を姉妹都市に選ばれたのかと納得す。

 それにしても新聞連載の三国史を読んでも中国の革命はこの地広州又はこの周辺に全て端を発している様なり、古今を通し革命の素地があるものと思われる。その他数ケ所を見物し夕4時桂林に向う、50分の飛行にて桂林着。

 遠く周囲に林立する尖塔の山影を夕暮の薄日に眺め先ず驚く、走ること1時間半にてホテルに着く。ここは広州のホテルと違って粗末にして周囲はただ畑ばかり、桂林市内まではタクシーにて4、50分の何もない田畑の中の一軒屋なり。夕食も広州とは雲泥の差、海より遠き為川魚一どじょう?のつくだ煮の様なもの、少々疲れたる為明日の璃江下りに備え早く床に就く。

 第3日愈々目的の璃江下り、広莫たる大地に流れる璃江の上流を更に古いバスにて楊堤乗船場へ、10時頃乗船、既に米国人10数人先客あり、200 m 位の川巾の流れてもような清流にタグボートに曳かれて動き出す。

 陽朔まで約4時間川面の冷たい風を興奮の頬に気持よく受けながら時に船腹をこする様な浅瀬を迂廻し清流とはいえ底も見えない深渕を悠々と下る。その両岸遠く近くあの山水墨書に出て未るトンガリ山が重々とかさなり時に眼前に迫り又遠くかすみ、カロヤンハイ、加美の素の宣伝写真そのままに眼前左右に開けり。

 その両岸所々に人家人影あり牛、ヤギの放牧、電気も通じてないと思われる岸壁の一本道を天拝を措ぎ又オンボロ自転車を石コロ道と遠目にも見える左右にブレて1人2人と通つている。

 自転車はあれど原始生活そのものの様なり。船中中食は先ずスッポンの血の老酒割り小コップ1杯2元、まず之を飲む。そしてスッポンスープ、初めてのスープなり如何なる味やらんと思いきや広州でのスープに劣らぬ美味なり。途中仕入れたと思われる川エ ビの油揚げ等々船尾で川水で洗っての野戦料理そのもの。

 ビールで腹を満たしまずいご飯は少々とす、約4時間この大古海底隆起によって出来たと云われるこの奇山、奇景に眼を見張り、又周囲の未開に驚きつつ陽朔につく。ここは可成りの町なれど所謂香港で経験する千円の長子が下舟と同時取囲む。おちおちと買物も出未ない状況。

 又果物以外は買うものなし。やっとの思いでバスに乗りたれど胸のボールペンを失敬される。帰りは璃江も見えない別の道を一路桂林空港へ。璃江は南に下って香港・マカオ間に流れる珠江となる由。

 それにしても珠江の黄水とは全く違った清水に桂林の町と水墨圃の良さを感じ夕陽を背にして再び広州に。ホテルの近くの免税店といわれる店をのぞくも何も買うものなし、筆と水墨画を少々土産に求む。全て日本円40円=1元にて事足れり、出発時ドルに替えたことがくやまれる。何故なれば買うものなく又円の方が使い易い為なり。明朝6時ホテル出発なる為早寝する。

 4日目5時半起床6時にホテル出発、空港へ早朝の為にスムーズに車は走る。空港は既に大混雑。ロビーに入る手続を終り9時頃出発帰途に、2時頃無事福岡に着陸ホット安心する。

 広州と福岡の関係、孫文の偉大さと福岡玄洋社との関係の深さを改めて感銘深く体験すると共に現代中国が戦後40年を経た今日未だ昭和初期の日本の生活の中に極一部近代日本が存する様な過去と現代の混在を感じる。

 今日ではテレビにて中国秘境、シルクロード等を見るが全くその画面そのままの所に突然福岡の現代の一部が出現した様な感じなり。然し史蹟を見学するに庶民の生活とは全く想像もつかない圧倒される文化を有する国であり国民の偉大さを痛惑する。

 外見が古今混在を実感すると共に生活も又同様、月給一公務員が平均70元一日本円で3,000円〜3,500円一これは私の初任給と同じで約50年前の生活である。年収1万元を目標に全国民が努力し夢見ているのが現在の中国とか、とても現在日本では想像もつかないことではないか。

 自転車が庶民の重要な交通機具であり戦後われわれが博多まで商品仕入に走っていた頃を思い出し懐しくも又今日の日本の有難さを痛感し、よくもこれまで敗戦国日本が発展したものと日本人の偉大さにも又驚きを感じる。

 彼地に足を踏入れて先ず戦後を思い出し、広大な土地と地形そして人々々の群を見て先の戦争の無謀さと彼国の偉大さを痛感すると共に平和の尊さを実感す。過去外国旅行も何度かして来たるも今回程平和の尊さを実感した旅はなかった思いなり。景色も偉大なれどもその国民性、底知れぬ中国の国力、未来への大いなる期待の持てる夢ある国中国の旅再度の機会を夢見て筆を置きます。


 に わ か                    博多支部 千代薬局 須 原 勇 助

 お宮の内職

 比のごろは、円高不況で、お宮の御賽銭も上りが少うなって、困まって来たもんじゃけん、どこのお宮でも内職ば始めさっしやったげなが、何ばさっしゃるとじゃろうかい、聞いて回って見てもう。

 先づ一番に、箱崎様に行って何ば始めさっしゃったって、尋ねた所が、私の所は昔から幸福の神様じゃけん、結婚式場ば始めたって云はっしゃった。皆な幸福じゃろうかって聞いた所が、そらあ幸福幸福(敵國降伏)にきまっとる。

 次は宮地獄神社に参いって聞いた所が、大工さんばはじめさっしゃったげな。道具やら無かろうもんて云うた所が心配はいらん、鋸=(残の島)もありゃ、那た(奈多)もあるって云はっしゃった。

 今度は櫛田神杜に行って、聞いた所が私の所は、内科の医者ばはじめたって云わっしゃったが、わかりますなてきいた所が毎日銀杏=(胃腸)ば見よりますって云わっしゃった。

 次は愛岩様に行って聞いた所が、私の所は醤油屋ば始めたって云わっしゃったが、樽やら材料がありますなって聞いた所、心配はいりまっせん、ほらそこい、もろみ=(室見)が流れよる。

 今度は太宰府天満宮に参って聞いた所が、私の所は昔から焼もちば焼いとります。もうかりますなって聞いた所が焼餅の事じゃけん七里=(で焼いて70円)で売りよりますと云はしゃった。

 この頃は、学問の神様で評判の良かがどうすりゃよか点の取れますなって聞いた所が、太鼓橋の上で逆立しておがむがよかて云わっしゃった。どうしてですなって聞いた所が、天満がさかさまになって、満天=(満点)。


フレッシュさん紹介「薬剤師として」            宮崎内科医院 宮 崎 千登世

 昨年の4月より、市薬の広報の手伝いをさせていただくようになり、そろそろ私も何か書かなくてはならないだろうかと、心配していましたが、新年早々、みごとにその意が的中してしまいました。

 さて、私が仕事を始めて、いつの間にか4年近くがたちました。最初の頃は、ただまちがえなく調剤することに一生懸命だった様な気がします。

 しかし、最近私なりに、薬剤師としての私の役割は、貴任は何だろうかと考えさせられます。

 私は現在内科医院に勤めていますが、大きな病院の様に、先輩方がいらっしゃらないのでこれでいいのかと、とまどうことも度々生じます。

 例えば、患者さんに薬を手渡す際、一通り服用の仕方の説明をしても、ただ何となく聞き流していらっしゃる様に感じられて、なかなか思う様にこちらの意が伝えられずに苦労することもあります。

 けれども、近頃は「医師の薬が一目でわかる本」の様なものが出版されているせいか、専門的なことまで深く追求される方もいらっしゃり、患者さんたちの薬に対する関心も高まっている様です。

 したがって、これから先は、もちろんまちがえなく医師から指示された薬を調剤することも大切ですが、それに加えて、患者さんたちがどれだけ納得し、安心して薬を服用していただけるか、そのためにも私自身が、薬剤師として、どれだけ信頼を得られるかは、私のこれからの仕事の上でのーつの課題です。

 今年からは、急患センターの方へも入れていただくようにお願いしていますので、他の薬局の様子なども教えていただき「私は薬剤師です」といつまでも胸をはって言える様になりたいと思っています。

 これからもどうぞよろしくお願い致します。
          (S59年 第一薬科大学卒)


フレッシュさん紹介「青春してます。/」                 古 賀 多津子

 ゛スコーン″とボールの弾ける音がとても気持ちいい!

 季節は冬だというのに体中が熱い。額の汗を拭いながら球を追ってコートを懸命に走るのが大好きです。一球一球、打って返ってくる球の快い感覚にとりつかれ、はや1年。でも、腕前はまだまだ………。

 先日もボレーを打ち損ね顔で受けてしまったり、バックがなかなか思うように打てなかったりと、迷プレー………。さらに、息も絶え絶えになる程コーチに鍛えられ膝がガクガクになるなど、ハプニング続きの練習風景です。こんな私でも最近“うまくなった”と誉められることもあります。これを励みに頑張ろうと思います。

 私にとってテニスは、仕事の疲れやストレスを解消してくれるビタミン剤です。

 薬剤部では、テニスがとても盛んです。年に数回“KPオープン”という大会があります。これは、お互いの親睦を深めようと行われています。今年の参加を目指しはりきっています。

 ところで、この春で大学を卒業してまる2年。歯病に勤務し1年になります。テニス、同様、薬剤師としても未熟な私です。日常の調剤、製剤はもちろんのこと雑誌等で知る他の薬局の先生方の活躍を自分なりに応用できないかと考える昨今です。院内で接遇が重視されていますが、私なりに痛みをもった患者さんの気持ちをよく理解し、いつもやさしい気持ちで服薬指導をと心がけています。

 今年は、たつ年、たつこ年です。1964年生まれの私は年女。いつもフレッシュな気持で仕事に向かえるようテニスを続けていこうと思います。

 こんな私ですが、諸先輩の先生方どうぞよろしくお願い致します。
     (S61年 第一薬科大学卒)


広 報

福岡県薬業年賀会
薬業各界の代表者三百数十名の参加で盛大に挙行さる

昭和63年1月4日 12 : 00    於 ホテルステーションプラザ

 昭和63年福岡県薬業界の年賀会が1月4日(月)正午より九州薬事新報社の主催によりホテルステーションプラザ9階大ホールにおいて開催された。

 当日は県下のメーカー、卸、薬局、薬店、勤務、大学関係などから三百数十名におよぶ人々が出席し盛会を極めた。

 12時丁度に荒巻県薬専務理事の司会により開会。主催者である郡家九州薬事新報社主が病気人院中のため、神谷県薬会長が主催者あいさつをかねて薬業界代表の年頭の辞をのベられた。ついで来賓祝辞として奥田八二県知事、長野医師会専務理事の祝辞につづき昨年10月から福大学長になられた宮野成二先生のあいさつが行なわれた。

 福岡県医薬品卸業協会会長の城島民雄氏(ユニック社長)の乾杯の音頭により祝宴に入った。宴もいよいよたけなわとなった時、冨永泰資前市薬会長、古賀隆市薬会長、山手陽一商組専務理事の三方による“博多祝い唄”の名調子が被露され宴をもりあげた。

 福薬連副会長の永谷浩氏(武田薬品支店長)の発声による万才三唱で昭和63年薬業年賀会はめでたく終了した。
                     (広報部 城戸記)


会 務 日 誌

昭和62年
7月4日(土) 薬局薬剤師研修会 13:30県薬会館
  〃    社保委貝会 13:00
  8日(水) 急患委貝会 19:00
  10日(金) 県健康フェステイバル 第3回実行委員会 19:00 市医師会(堀江)
  14日(火) 広報部会 19:00
  〃    新薬研修会 18:30 県薬会館
  16日(木) 漢方研究会 19:00 市薬会館
  〃    商組福岡ブロック総会 14:00 市薬会館
  18日(土) 三役会 15:00
  〃    太田衆議院議員訪問 10:00 (古賀、三津家)
  20日(月) 商組福岡地区研修会 14:00 市薬全館
  21日(火) 62年度福岡市献血推進協議会 14:00 はかた会館(古賀)
  23日(木) 市医師会長訪問 18:00 (古賀、藤原)
  24日(金) 第343回県薬支部連絡協議会 13:00県薬会館
  〃    第176回市薬理事・監事会 19:00
  〃    市薬勤務部会例会 18:00 三鷹ホール
  28日(火) 第7次分業推進九州ブロック協議会 13:00県薬会館 (宮崎、山口)
8月4日(火) 社保委員会 13:00
  5日(水) 急患委員会 13:00
  6日(木) 福岡市老人保健連絡協議会 15:00ガーデンパレス(古賀)
  7日(金) 試験センター問題で薬務課と協議 14:00(藤原、坪根)
  〃    組織委員会 19:00
  8日(土) 三役会 15:00
  9日(日) 薬剤師卒後研修会 13:00県薬会館
  10日(月) 福岡市教育委員会・衛生局訪問(古賀、獺越)
  11日(火) 簡易専用水道検査説明会 13:00県庁(坪根、獺越)
  12日(水) 納涼船 18:00
  19日(水) 薬局開設更新説明会 14:00 市薬会館
  20日(木) 商組福岡ブロック研修会
  21日(金) 簡易専用水道検査説明会 14:00 西保健所所(藤原、獺越)
  22日(土) 第16回臨時代議員会
  26日(水) 久保田議員訪問 10:00(古賀、藤原)
  〃    薬局第1委員会
  28日(金) 第4回福岡市健康週間行事幹事会 17:00 福ビル(大久保)
  31日(月) 福岡市衛生局訪問 13:00(古賀、藤原)
9月1日(火) 第4回福岡市健康週間行事実行委員会 17:00 福ビル(古賀)
  4日(金) 社保委員会
  5日(土) 福岡市用地課来訪 14:30(古賀、藤原、三津家)
  〃    国会議員陳情(太田、山崎、遠藤議員) (古賀、藤原、三津家、松枝、高杉、戸田)
  9日(土) 進藤前市長祝賀会 12:00国際センター(古賀他)
  〃    国会議貝陳情(福田議員) (古賀、藤原、戸田、冷川)
  10日(木) 広報部会
  11日(金) 福岡市社会福祉審議会 14:00 心身福祉センター(古賀)
  〃    健康館企画委員会(よかトピア) 16:00 南天神ビル(藤原)
  〃    62年度全国給水衛生検査協会総会 東京(坪根、獺越)
  14日(月) 新薬研修会 19:00 県薬会館
  16日(水) 学術委員会 18:30
  18日(金) 薬局第2委貝会 18:30
  20日(日) 薬用植物観察実地研修会 11:00 今宿野外活動センタ一
  21日(月) 商組福岡ブロック研修会 14:00市薬会館
  〃    第2回健康館推進検討委貝会 16:00市医師会(古賀、藤原)
  〃    第5回薬物療法研究会 18:30市薬会館
  〃    県健康フェスティバル第5回実行委員会 19:00 市医師会(堀江)
  22日(火) 会館間題特別委貝会 17:00
  〃    第177回理事・監事会 19:00
  24日(木) 試験センター問題で薬務課と協議 14:00(藤原、坪根)
  25日(金) 市薬勤務部会例会 18:00 三鷹ホール
  27日(土) ソフトボール大会
10月2日(金) 福岡市用地課来訪 16:00(藤原)
  5日(月) 社保委貝会 13:00
  〃    三役会 15:00
  〃    薬局委員会 19:00
  7日(水) 簡易専用水質検査について業者と打合せ 13:30(古賀他)
10月8日(木) 九州山ロ薬学大会準備委貝会 13:30 県薬会館(堀江、藤原)
  9日(金) 急患委貝会 19:00
  11日(日) 薬草観察現地準備 (大久保、冷川、有馬)
  12日(月) 第334回県薬支部連絡協議会 13:30 県薬会館
  〃    第1回福岡市高齢者サービス総合調整推進会議 13:30(古賀)
  13日(火) 城南区健廉展 9:00城南保健所
  14日(水) 薬草観察ハイキング 10:00 今宿野外活動センター
  15日(木) 西区健康フェア 9:00 西保健所
  16日(金) 早良区健康フェステイバル 9:00 早良保健所
  16日(金)〜18日(日) 九州山ロ薬学大会
  17日(土) 南区健康フェア 9:00 南保健所
  17日(土)〜19日(月) 薬と健康の週間
  18日(日) 第4回福岡市健康週間「市民健康の祭典」 11:00 中央体育館(古賀他)
  21日(水) 国保運営協議会 15:00セントラルホテル(古賀)
  〃    第3回健康館推進検討委貝会 13:30 セントラルホテル(古賀、清水、藤原)
  22日(木) 商組福岡ブロック研修会 14:00市薬会館
  〃    第27回学術研修会 18:30 市薬会館
  24日(土) 中央区健康づくりフェア 9:00 中央保健所
  〃    博多区健康フェステイバル 9:00 博多保健所
  26日(日) 三役会   17:00
  〃    第178回理事・監事会 19:00
  27日(火)〜30日(金) 厚生大臣認定「簡易専用水 道検査員講習会」広島(吉田、有馬)
  27日(火) 試験センター問題で薬務課と協議 15:00(藤原、坪根)
  28日(水) 福岡市計量協会理事会 11:00 計量検査所(古賀)
  〃    いきいき健康フェア88実行委員会 18:00 博多会館(堀江)
  30日(木) 簡易専用水道検査説明会 13:00 県庁(獺越、坪根)
  〃    市薬勤務部会例会 18:00三鷹ホール
11月2日(月) 広報部会
  4日(水) 社保委貝会
  5日(木) 62年度福岡市学校保健大会 13:00中央市民センター(古賀)
  6日(金)  急患委員会 19:00
  9日(月) 三役会 17:00
  〃    支部長会 19:00
  10日(火) 漢方研究会 19:00 市薬会館
  11日(水) 組織委員会 18:30
  13日(金) 試験センター問題で薬務課と協議 15:00 (堀江、藤原)
  14日(土) 薬局薬剤師研修会 13:30 県薬会館
  〃    八幡薬剤師会創立70周年記念祝賀会 18:00 千草ホテル(堀江)
  17日(火) 学術委員会 18:30
  〃    薬局開設更新手続説明会 13:00 市薬会館
  〃    第24回新薬研修会 19:00 県薬会館
  19日(木) 福田幸弘参議院議員出版記念講演会 15:00市民会館(藤原)
  〃    報部会 18:00
  20日(金) 市薬勤務部会例会 18:00 三鷹ホール
   〃   薬局委員会 19:00
  21日(土) 七隈部会 (古賀)
  25日(水) 薬物療法研究会 18:00 市薬会館
  26日(木) 試験センター問題で厚生省陳情(古賀、神谷)
  30日(月) いきいき健康フェア88実行委員会(堀江)
12月4日(金) 社保委貝会 13:00
  〃    市医師会忘年会 18:30ホテルニューオータニ(古賀他)
  7日(月) 広報部会  18:30
  8日(火) 新任薬剤師研修会 19:00 市薬会館
  10日(木) 福岡市健康週間行事第2回実行委員会 15:00 福ビル(藤原)
  〃    支部長会 18:00
  12日(土) 三役会 15:30
  〃    会館問題特別委員会 16:00
  〃    第179回理事・監事会 16:30
  14日(月) 試験センター問題で厚生省、日薬陳情(古賀、神谷)
  16日(水) 第345回県薬支部連絡協議会 13:00県薬会館
  〃    薬業祝賀忘年会 17:30セントラルホテル
  21日(月) 九薬訪問 11:00(古賀、藤原)
  25日(月) 広報部会 18:30
  28日(金) 御用納め (古賀、三津家)


専 務 雑 感  専務理事 藤原良春

振り返り 専務に就いて 早や二年
  我が身の不足 懸愧に堪えず

この二年 問題ばかり 多かりし
  時代の流れ 更に加速か

改選期 有志の人を 請い願う
  新たな対応 山川ありて

見渡せば 人それぞれに 異才あり
  束ねる長は その責重し

人の和と 結束にしか 道はなし
  多難なあしたに 望み託して


あ と が き

○あけましておめでとうございます。

 さて、今年は辰年、次の辰年は丁度21世紀に入ります。今年が皆様にとつてよいお年でありますよう祈念して会報23号をおとどけ致します。

○毎号、薬業各界の多くの方々に原稿をご依頼しておりますがいつも素敵な文章との出合いに大いなる喜こびを感じています。会報にもだんだん1つのスタイルガ確立されて来たように思います。

○詩歌や創作、書画などのジャンルに特技をお持ちの方を自薦、他薦、いづれでも結構です。ぜひ御紹介下さい。

○会報について御意見、御批判などありましたらどしどし広報部あてにお寄せ下さい。
                                       (K.K)

昭和62年7月25日発行
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
     TEL092-714-4416
編集人  城 戸 嘉寿子
発行人  古 賀   隆