会報第21号 | 昭和62年1月31日 |
新年を迎えて 福岡市薬剤師会 会長 古 賀 隆 激動の年といわれる、昭和62年の幕明けを迎えました。一年の計は元旦にあり、会員の皆さんもいろんな思いをこめて、新しい年を迎えられたことと思います。 昨年は医療法の改正による薬局薬剤師の医療参加が明示され、明るい展望が語られましたが、一方では健康食品問題による販売姿勢が問われる暗い出来事もあり、明暗に明け暮れた年でありました。 扨して、今年はどのような一年でありましょうか。卯年に因んで平和で平穏な一年であればと願望いたす次第ですが、そうはまいらないのが現実の世の中というものであります。福岡市薬剤師会もいろいろな問題と行事をひかえて多端な一年になりそうです。そのいくつかをとりあげて、会員諸兄の御協力を仰ぎたいと思います。 1.市薬会館間題 福岡市の西鉄高架工事による計画路線内に会館所有地の一部が入るために、市より、市薬所有地を譲渡してほしい旨の要望書がきております。この間題は、市薬にとっても大変重要な事柄を含んでおり、充分検討する必要があり、慎重に対処しておりますが、すでに一部では工事が着工されております。何れ具体案か市より提示されると思います。咋年12月の理事会において、会館問題特別委員会の設置をお願いし、今後万全の対応をすすめてまいりたいと考えております。 2.九州山口薬学大会 前回、昭和53年に福岡市で開催されてより、九州を一巡した九山大会が、本年ふたたび福岡県薬担当で福岡市において、10月17日・18日の2日間、開催されます。前回同様、電気ホールを中心に会場をすでに確保しておりますが、この大会は、日薬の学術大会に匹敵するといわれる程、地方大会としては全国有数のユニークな大会と評価を受けていると聞いております。地元の福岡市薬としても全面的に協力を惜しまず大会成功の原動力にならねばと思います。 3.アジア・太平洋博覧会 すでに新聞紙上で予報・PRされておりますのでご承知と思いますが、これは市制100周年を記念して、昭和64年に開催されるものであります。すでに基本計画が出来あがっているそうですが、その中に、これからの大きな社会的課題となります、国民の医療、健康問題を「21世紀社会における健康と医療」というテーマで、ひとつのパビリオンを構成、展示しようという構想が加えられました。 これに三師会の参加要請が、福岡市、博覧会協会よりありました。三師会で協議の結果その趣旨は大変結構なことで異論はないのですが、実際にはいろいろ聞題もあると思うので参加はするが、三師会で更によく協議を重ねていくことで現在に至っております。今後、三師会とも数名の委員を出して、対応していく予定です。アジア・太平洋博に、仮称「健康と医療館」という他所の博覧会になかった構想が出展されることを知っておいていただき、又、協力もお願いしたいと思います。 4.NHK健康フェアー(福岡市民健康のつどい) NHKが全国各都市を持ち回りで企画開催、更に放映しているもので、今回3月21日(土)に福岡市立中央体育館で開催されます。市の三師会も主催者の一員として参加し、薬剤師会担当のセクションも設けられます。主に薬局委員会に担当をお願いしておりますか、これらの催しも、医療法の中にあります地方自治体による健康対策事業の一環ともなり、積極的に参加したいと考えております。尚、テレビ放映は3月27日(金)午前8時30分より、9時30分までになっております。是非見ていただきたいと思います。 5.石井道子後援会の強化 参議院議員の任期6年というのは長いようですが、2年後の64年にはもう改選期を迎えます。昨年末の日薬連盟臨時総会で、全国各県一致で、次期候補には石井道子一本で推薦が決定されております。そして、比例代表制は次回も現行のまま行われるであろうと予測されております。問題は、選挙資金等の準備態勢にあります。関口選挙の例をみても、前回の倍近くの資金、経費を要する計算になります。 今年の2月に行われる日薬連盟評議員会で現在の日薬連盟会費に上乗せして何がしかの会費が今後2年間賦課される見通しであります。しかし、60年の医療法改正、61年の老健法改正、又.今国会で可決されるかどうか微妙な点もありますが、税制改革における、売上税の中で医薬品については課税されないことになった。これらの陰には、石井議員等薬剤師議員の強い働きがあって実現された事実をみても、困難を乗りこえて支援態勢を強化しなければならないと思います。 今年は地方統一選挙の年でもあります。支部で推せんした候補には、支部の計画に従って寸暇をさいて応援に出かけてほしいと思います。推せんはしたけれど、ただそれだけ、では薬剤師の足下を見すかされるだけです。開局者、病院勤務者、メーカー、卸、大学関係、官公庁、全ての薬剤師の結集が必要です.よろしくお願いいたします。 1月18日に前厚生大臣今井勇議貝が来福された機会に、三師懇談会がもたれました。私も出席いたしましたが、薬剤師会からは、神谷県薬会長が配置の問題について強く要望をいたしました。前厚生大臣で社労委関係にくわしいはずの今井議員でも、この間題はよく知っておられないようなのです。香川県でもこの件で強く要請を受けたとのことで早速実状をよく調査しますとの回答を得ております。 今は三師協調の時代ですが、他の二師に比べると我々の力はまだ弱く小さなものです。二師に匹敵する力を養うには、会員の意識啓蒙と団結力を高めていく以外にありません。今年も皆さんと一緒に精一杯頑張りますので、どうかよろしくお願いいたします。 医療用医薬品の公正競争規約について 武田薬品工業兜汢ェ支店 支店長 永谷 浩 明けましてお目出とうございます。先生方には良き新春をお迎えのことと心からお慶び申し上げます。私は昨年7月福岡支店へ赴任して参りました。今後何かとお世話様になる事と思いますのでどうぞ宜しくお願い申し上げます。 扨して既にご高承の事と存じまずが、医療用医薬品につきましては景品類の提供の制限に関する公正競争規約が関係官庁及び医療・薬関係の各団体の全員賛成のもとに昭和59年3月に認定され、同年7月より実施されております。 即ち独禁法の特例を定めた景表法に基づいた医療用医薬晶製造業「公正競争規約」が策定され会員各社共に景品類の提供による非価格競争を是正すべく当業界として種々改善を重ねて正常な商慣習の確立に向けて努力しまして既に3年を経過致しました。 この公正競争規約の運用にありましては医療用医薬品製造業公正取引協議会が設置され、現在医療用医薬品の供給のほぼ100%を占める238社が会員会社として加入しております。 当協議会は全国を10支部に分けており当公取協九州支部では各県別(福岡県はブロック別)に10班の編成にて、特に運営委員会杜46社が中心になり各班毎に医療機関を始め関係の先生方へ趣旨ご説明とご協力をお願いに参上すると共に、会員会社相互の啓発と規約連守体制の確立に努力しております。 お蔭様で先生方の格別のご理解とご支援のもとに当協議会の目的も一応達成されているのではないかと思いますが、まだ不充分な点が多々あろうかと反省致しております。更に会員各社の医薬精報担当者の一人一入に至るまで規約の精禅を定潜させるべく、今後共各県別ブロック別に医薬情報担当者に対し毎年研修会を開催する等引続き努力して参る所存でございます。 更に規約の徹底を図るべく、具体的には規約違反の防止及び是正のために全国的に調査委員会(九州支部では情報拠理小委貝会)を設置して違反行為がない様努力し、若し違反があった揚合にはこの調査委員会にて対応する事になっております。 当協議会と致しましては会員会社夫々が公正競争規約の一層の徹底により規約違反の絶無を図り、薬業界全体が政治の揚でも、又一般大衆からも正しく理解され評価される業界になるよう努力して参りたいと存じます。今後共何卒宜しくお碩い申し上げます。 又、卸売業「公正競争規約」も昭和60年4月に実施され現在各支部各県別ブロック別に、規約の遷守定着に尽力させております。卸売業と製造業が正に車の両輪としてお互いに力を合わせ、薬業界の安定の為公正競争規約の一層の定着を図り公正な競争秩序の確率を図り、社会的責任の一端を果たしてまいりたいと存じておりますので、当業界、製造業の公正取引協議会の意のあるところをお汲みとりの上、先生方の一層のご支援、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。 諸先生の御健勝と益々のご発展を心からお祈り申し上げます。 薬剤師法第24条 福岡市立第一病院 薬局長 吉本喜四郎 「薬剤師は、処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを交付した医師・歯科医師又は獣医師に間合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによって調剤してはならない」「罰則=規定に違反した者は、3万円以下の罰金に処する」以上のことは、薬剤師であれば皆良くご承知のことでありますが、この「疑わしい点」の内容については、薬剤師の知識・経験の差による、主観に左右されると考えられます。 例えば、処方せん中の所定の記載事項が欠けている場合。薬名又は含量の記載が不明瞭か、誤記と認められる場合等は、その対応も単純に判断できますが、私はこの他に、現代のチーム医療の中での薬剤師に求められる役割として、医療過誤の中で、薬物療法によって患者さんの受ける被害を、未然に防ぐことが必要とされるようになったと考えております。しかし、その内容には数多くの問題を含んでおりますので、今回は二つの点にしぼってお示し致したいと思います。 その一つは、最近のJJSHP,Vol.22,No.10(1986)に、日本薬剤師会の顧問弁護士である、三輪亮寿先生が書いていられます、「いわゆる「2枚処方せん・倍量処方」の違法問題」という論文の中で、このような処方せんが医師から発行された時の、調剤に当たる薬剤師のとるべき手段として、薬剤師法第24条の疑義確認をなすべきであり、これに対して医師から納得のいく回答を得られない時には、薬剤師は薬剤師法第21条の定めた、調剤応需義務から解放されるべき、「正当な理由」をもったことになり、更には、そのような疑義のある処方せんに基づく調剤により、患者に死傷の結果が生じた時には、薬剤師は民事責任と刑事責任を追及されることになるといわれます。 何故なら、そのような情況下で調剤したことこそが、民法709条(不法行為)の注意義務違反(過失)と評価され、刑法211条(業務上過失致死傷罪)の業務者としての注意義務違反(過失)と評価されるからとのことで、「行政法の局面」での、「調剤をしなくてもよい」というだけではなく、「民法・刑法の局面」では.「調剤をしてはならない」という、調剤拒否義務があることを、肝に命じておかなければならないと結んであります。 次の一つは、薬剤師法第24条とは、薬剤師の義務を謳ってあるというように理解されておりますが、私はここで一つの提言として、この法文は、薬剤師が医療チームの中で、薬の専門家としての役割をはたす、椎利をも示すものであると申したいのです。 一例として、今から十数年以前に、我が国の薬業界を震憾させた、キノホルム→スモンの事件がありますが、皆様ご承知のように、現在我が国では、この製剤は全く姿を消しておりますが、ヨーロッパでは依然として整腸止瀉剤として広く用いられており、1973年5月には、英国の医薬品安全性委員会より、全英国の医師宛の通知の中で、「最近10年間に日本で発生した,一万例のスモンの流行に匹敵するようなことは、他のいずれの国にもなく、何らかの別の局地的要因が本剤と相乗的に作用したに違いないと考えられる。(中略) 英国の製薬業者は、自家療法は少なくとも4週間の間隔をおいて、7.5gを越えない治療過程に制限すべきであるということに同意した。(後略)」と結論しています。他方、その当時の日本医事新報にも、キノホルムの1日服用量・服用期間別スモン発生率の記載があります。(別表)、この事件も現在は全て和解が成立して終わっておりますが、 別表 この事件の最中に、処方医の責任を追及する声と、私共薬剤師が薬の専門家としてのチェック能力と責任についての発言が、被害者団体の一部にあったことを憶えております。 勿論、この事件が発生するまでは、私共は、キノホルムは消化管から吸収されない薬物で、有効かつ安全であるといわれて、それを信じておりましたから、この時点で責任を追及されても困るのですが、今後はこれを教訓として、医薬品情報の適確なる収集・整理・評価を行ない、薬剤師法第24条を、薬剤師の業務遂行のための権利と解して、処方せん鑑査の中で、正しい薬物療法の実施に貢献しなければならないと考えます。 更に、最近、現職の医学部講師の先生から、「近頃は、処方せんの内容に対する疑義照会が増加して、診療のじゃまになる感がしますが、しかし、これは正しい方向にむかっていると思います」という言葉が聞かれましたのを申し添えます。 作用があれば反作用があり、一つの行動を起こせば、思いがけない批判にあうのが現ですが、大切なことは、薬剤師のライセンスは、薬剤師個人の生時保障のために在存するのではなく、国民の健康保持のために、薬剤師の存在が必要とされているからであることを、白覚しなければなりません。(1987年1月1日記) 所 感 福岡市薬剤師会 顧問 藤野義彦 常日頃運営について、重大案件のある中で、古賀会長以下執行部の方々の努力と誠意に心よりお礼申します。今回テーマは与えられませんでしたが、卯年の春に私なりの所感を気儘に書かせて頂きました。 先ず、今一度開局薬剤師の役割を考えましょう!!新しい臨床薬学と云う視点に立つ薬剤師は、その技術基盤としての「情報管理」を再確認しなければなりません。しかも、その情報は患者に対してのものと、医師に対するものです。前者は健康教育を含めた、プライマリケアの立場で、後者は医療チームの一員としての責任の分担です。 それと開局薬剤師は、凡ゆる大衆薬を通じ、人々のセルフメディケーションに関与しているのです。おのずと適切なアドバイス加必要なことは言うまでもない。薬局は、医療の中の薬局と大衆薬を中心とする社会の中の薬局という、二つの機能を同時に持たねばならないのです。 ◇ 販売不振と大揺れの小売薬業界で発展、生き残りをかけて、それぞれがひしめいている。近年の薬局をめぐる経営的環境は単独店でのサバイバルを難しくしているばかりでなく、同志的結合をしている協業グループでも、単なる共同仕入事業だけでは発展活性化は困難になって来ている。 それは、消費者の健康志向等のニーズ、消費動向の多様化などの状況に対応しなければならないからです。具体的には個々の分業、相談などの特徴を打出して、コンビネンス志向の店作りが必要だと云われていますし、その指向の方向は、個々の選択や努力の白主性で決めよと云っている。薬局も小売業全体の流れが「消費新時代」に対応している中で論外ではない。 新設される売上税は、医薬品は免れて、直接小売薬局には関係なさそうですが、しかし薬局で取扱う商品の間口は広い。供給するメーカー、卸より、仕入高になるのはまぬがれ難いし、医薬品業界もメーカーの系列化と相まって、卸のスケールメリットの追及が急です。卸の巨大な自販力が小売薬局に与える影響は見逃せない。 協業グループの活躍が目立つのも、特にここ数年の傾向です.非協業小売は競って協業グループに身を投じて経営の安定に向かったことが、一昨年、昨年の特徴でした。己の性格、立地を考え、個々の目標決定を急ぐときです。 ◇ 医療費適正化の動きの中で、医薬分業も大きな曲がり角に来ている。分業を考える医師の大多数はすでに踏切っている。あとは無関心派をどのようにPRして行くかであり、最前線に立つ保険薬局の一層の奮起が望まれる。こうした中で、専門保険薬局が、O.T.C薬を導入して保険調剤との兼業を志向する人が多くなっている。O.T.C薬を通じて、軽医療分野にも力を入れだしたのです。 分業推進に索引車的役割を果たして来た、マンツーマン形態はこのところ頭打ちになっていることを数宇が示しています。対称機関の発行量を考え、採算ペースに乗らないものは、リスクをおしてまで開設に踏切りにくい。この様な隙間をカバーするのは、やはり既存の保険薬局しかない。 近くの診療所に患者を紹介できるのも、O.T.C薬を中心とした保険薬局の強みです。後発する悔しさもあろうが、面分業の展開を考えながらの努力が必要なのです。又、専門化を指向している相談薬局も、手持の知識と手持のO.T.C薬でオールラウンドの疾病にあたることの、よし、あし、も問われています。あくまで健康相談と健康教育の原点に立った行動が求められている。 ◇ 大半の薬局経営者は過渡期に多くの試行錯誤をくりかえしながら、経営基盤を築いて行くし、何度も修羅場をくぐり抜けた入程、逆境に強い。むしろ、そのような人達ほど、量販店が近くに進出し、価格競争を仕かけて来ても、怯むことなく、積極果敢に応戦、逆境さえも「こやし」にしている人々です。ただ、立地、資本力の差が歴然としているのに「同じ土脹で、販売競争したのでは勝負は見えている」。その時こそ職能を生かす以外にない。 それは、保険調剤はおくとして、なべて言えることは、薬局製剤はじめ(O.T.C)専門薬局としての知識と技能、サービスでもって付加簡値をつけることです。その余裕をもって、繁用品については、ライバル店に遜色ない価格の提供をし、又処方調剤における患者薬歴のみでなく、一般薬を含めた薬歴を世帯単位で整備し、医師の薬物治療に対するバックアップや相談者の指導に役立てることです。 ◇ 保険薬局とか専門薬局。一般薬とかクスリの「効用」はさておき、いま薬局が取扱う商品の中、特に生活消費雑貨についての廉売合戦のさなかにいるのも否定出来ない。薬局が雑局といわれ、兼業薬局といわれながらも、それぞれが真割に薬局の職能と経営の基盤と安定を見つけようとしている現象と見たい。「もの」としてだけの効用を求めて来る消費者には安いにこしたことはない。売る方も物品販売の意識に徹すればよい。薄利多売のモットーで客を集めれば店は繁盛する。そこには「もの売りの哲学」も生きて来よう。 雑貨屋薬局には処方せんは出せないという。 その背景には「もの売りはなんの技術もない。技術のないものは医療職でない」と、いうことかも知れない。社会の中の薬局としては、その職能上からも、一般地域筐民と密接にかかわっていること故、私はそれ等の商品を取扱うにしても、薬局で扱う全商品は「すべて薬剤師の管理下にある」という発想に我々は立つべきであり、取扱う必要がある。この考え方からすれば薬剤師らしい扱い方が当然求められる。 市薬広報部拡充について 担当理事 城戸嘉寿子 明けましておめでとうございます。皆様ごきげん麗しく新しい年をお迎えになられた事とおよろこび申し上げます。 さて、福岡市薬には従来から広報部はありましたものの、その専任の担当者はどなたもいらっしゃらない状態でした。昭和61年最後の理事会におきまして、広報部を拡充することが決定され、私がその担当者になりました。 広報部の任務は主として、年2回、1月と7月に会報の発行と、年4回、3、5、9、11の各月に広報を皆様にお届けすることです。今まではこの仕事は専務理事さんが兼任でやっておられましたが近年、専務さんの職務は非常に多忙をきわめておりますので、会報、広報の発行に関するすべての業務を一手におやりになる事は困難な実情になって参りました。 そこで此の度、新しく広報部が拡充され、その担当者としての重責が私にかかって参りました。女性の私が推されましたのは、会報に女性的な視点も盛りこんでいきたいということと、今までは多少固くるしい感じが強かったので、もっとやわらかさと楽しさを出していきたいという事のようです。 それともう一つ、理事の末席をけがし乍ら、あまり市薬の運営面に寄与しておりませんでしたので、この際女子薬剤師にもっと仕事をしてほしいという、この方が大きな理由かも知れません。それで広報部のスタッフは女性の方達におねがいしました。木原三千代、椛島和子、迫田法子、宮崎干登世の各先生方にお手伝い頂くことになりました。 会報、広報の発行の他に今後広報部のもう一つの任務となって来るのは市薬の歴史に関する書類、資料を収集竪理して史実を伝承していく準備をすることです。市薬は社団法人として発足して16年を迎えますが、法人発足以後の資料は確実に保存されておりますが、それ以前のものに関しましては、会の事務所が再三、再四にわたり移転した事などもありまして散逸している部分もあります。 それらを市薬の長老の先生方にお伺いしたり、お手持の資料等を拝借したりして会の歴史を編さんする準備にかからなければなりません。私はこれら広報部の職務には全く経験も知識もありませんので藤原専務理事さんと、この面で豊富な御経験をお持ちの三津家先生に御指導を頂き乍ら、一生懸命にやっていきたいと思っております。 手始めに今回の会報には、開局、勤務、メーカー、卸、学薬、女子薬等各界の方達から原稿を寄せて頂きました。また新しい試みとして、リレー随筆とフレッシュさん紹介の欄を設けました。 今後とも出来るだけ多くの会員の方達からの御意見やお考えなどを反映させて、ほんとの意味での会員の交流の場、会員の広場となるような会報を目ざしていきたいと考えております。 皆様方の御協力を切におねがい申し上げる次第でございます。 長老の先生方を囲む懇談会
日時 昭和62年1月9日14:00-17:00
出席者
主催者側 福岡市薬の歴史を伝承するための準備の一環として昭和62年1月9日に市薬会議室において長老の先生方を囲む懇談会を開催致しました。お寒い中にもかかわらず長老の先生方7名と主催者側から5名の出席者を得て座談形式で藤原専務理事が進行役としていろいろとお話をお伺いしました。 昭和初期ごろから薬業活動を始められた先生もいらっしゃいまして、めずらしいお話もたくさん出て参りました。 昭和28年以降に関しては市薬事務局で保存されている資料により歴代会長ならびに役員のお名前は判っておりますがそれ以前の事に関しては全く白紙の状態でした。 長老の先生方の御記億をたどり乍ら、まずは歴代会畏さんのお名前を確認することから始めました。それによりますと、昭和4年ごろに本村巳之吉先生が会長をなさり、ついで森下源太郎、岡本太郎、山口源次先生へと引きつがれ、昭和18年から内田三郎先生となり、それ以後は会長のお名前と在職の年限がはっきりと確認されました。 昭和18年に官制の薬剤師会長が任命され、同年の9月1日に福岡市薬剤師会(当時は薬剤師協会の名称)が創立されたようです。それまでは県薬の支部の形で経理なども独立した形でほなく一緒になっていたようです。 その当時(昭和18年)は事務所は渡辺通二丁目の岡本薬局内におかれ、ついで渡辺通一丁目の実業会館内、春吉三丁目へと移転し、昭和26年3月に御供所に薬剤師会館が出来ました。 御供所の会館あたりから御記憶の方が多いのではないかと思います。この会館も昭和46年3月17日に火災で焼失し、3月19日には福岡商工会議所内に仮事務所を置きましたが非常に家賃が高ったそうで、4月15日には博多駅近くのいわとビルに再移転しました。 昭和47年7月11日に旧福岡県婦人会館(現.県薬会館)に変わり、昭和55年8月から現在の市薬会館に参りました。このように会の事務所一つとってもこれだけの変遷を重ねて来ております。 もう一つ特に心にのこったお話は先輩諸先生方の医薬分業に対する真摯なとりくみでした。 昭和26年6月に医薬分業関係法案が一部改正して可決され昭和30年1月から実施という事になっていました。従来は患考の要求があった時のみ処方せん交付の義務を課していた制度が根本的に改革され、処方せんの強制発行と併せて処方内容の公開により投薬の通正化を期するものでありました。 しかし「…処方せんを交付することが患者の治療上特に支障ある時…」「患者又は現に君護に当たっている者が特に希望したとき…」には処方せんを発行しなくてもよいという但し書きを追加する修正が行われました。 このただし書きが以後の医薬分業の形態を全く骨ぬきのものにしてしまった事は皆様方御承知の通りと思います。しかしこの分業法案も実施時期が更に遅れそうな様相になったため、昭和28年に分業実施同盟が結成され、全国各都道府県より代表者が集まり国会議事堂周辺で寒風のすさぶ中に座りこみ分業実施促進の運動を展開されたそうです。 福岡からも当時の磯田会長と今日出席された馬場先生が上京され、三年坂の議事堂附近で「医薬分業」とかいたはちまきをしめて座り込みをしたというお話でした。 このような事があって昭和29年12月に薬事法の一部改正が国会を通過成立し、医薬分業の実施時期が1年3ヵ月延期され昭和31年4月からいよいよ分業が始まりました。先輩諸先生方の血のにじむような努力や運動がつみ重ねられて、現在のような医薬分業の形態が出来て来たわけです。最近は分業はすでに時代のすう勢となって参りましたがここに来るまでの先輩諸先生方の御苦労を忘れてはならないと思いました。 尚、昭和18年福岡市薬剤師会発足以来、昭和63年は45周年に当たりますので、記念式典を行ってはどうかとの意見が出されました。執行部でのご検討をお願いします。
第1回OTC懇話会
日時 昭和62年1月14日(水) 19:00-21:00 趣 旨
1.現在のOTC薬をどのような考えでどの様に販売しているか。
出席者 古賀会長挨拶: 堀江副会長挨拶: 白己紹介 <懇話会>
○ 効く薬の発売をメーカー厚生省へ強力に要望して欲しい。
時間が経つにつれ熱心に幅広く、話し合いが行われました。 会館間題特別委員会設置さる
昭和61年12月12日の理事・監事会において以下の方が委員に決定しました。 「随筆シリーズ」 自彊術(じきょうじゅつ) 博多支部・住吉部会 住吉薬局 細井徹一 昨年、思うことがあってカルチャー教室へ通った。初めにうけた講座は三ヵ月で終わるので、つぎは料理にしようか、書道にしようかと迷っていたときのことである。 たまたま休日で、学生時代の書物整理をしていた息子が、これっ、オヤジさんのだよと一冊の本をもってきた。日本最初の健康体操「自彊術」とある。10年近く前に買って、イラストをみてやってみたが、うまくいかなくて、そのままになってしまったものである。 著者は東大医学部講師をへて開業している近藤芳朗医博である。自身の糖尿病を白彊術で克服したことから、白彊術を医学的に解明しようと、健康体操教室までひらいて、研究を続けてきたそうである。この本は、そうした研究の発表であり、体操実技の解説書でもある。読んでいて、とかくこの種の本に多い誇張や権威者ぶったところがなくて、しかも引用文献をきちんとあげて、謙虚に解説していることに、たいへん好感をもっていた。 そんな折、この著者の愛娘も自彊術の本を出版したという新聞記事をみた。しかも同じカルチャー教室で、10年近く白彊術を教えていることもわかった。こんなことから、ぜひこの機会に正統の白彊術を習おうと、さっそく受講することにした。 近藤医博の長女で、夫の転勤で福岡へ来て以来、自彊術の普及に励んでいるという久保頴子さんは、新聞の写真よりずっと美しい。明るくて生き生きしている。ポンポンと飛び出す、歯切がいい軽妙なスピーチは、いまも鮮やかに印象に残っている。 週1回、2時間ずつ、6ヵ月近く通ったころ、全部で31ある動作も順序どおりに、やれるようになった。はたでみている家族は、いまはやりのエアロビクスのような華やかさもお色気もないと批評するが、そのとおりである。大正時代、あんま、マッサージから創案されたものだけに、体操というより、自分ひとりでやる自己按摩といったほうが、ぴったりする感じである。 半年続けて第一に、ひどかった肩こりが、すっかりとれたことに驚いた。頸から肩にかけての、あの重圧感がなくなっただけでも、すばらしい。第三動と第四動で、僧帽筋の凝りをときほぐすからだというが、こんなに効果があるとは知らなかった。 そして先日、ふるさとの中学の友人達に誘われてヤマイモ堀りを楽しんだとき。足場の悪い傾斜地で、重い道具をふりおろしての穴堀りだっただけに、さぞ明日はと、足腰の痛みを心配した。ところが、ウソのように全くなんともなくて、改めて白彊術の効果に感心した。 以前から、なにか運動をせねばと思っていた。ジョギングがよいというが、周囲の目を気にしていては、毎日、気軽に近所を走るわけにもいかない。またゴルフをすすめられるが、カネもヒマもなくて、運動神経が人一倍鈍いときては、これもあきらめるよりほかにしようがなかった。 こうして巡りあったのが白彊術である。毎日すきなときに、どこででもできる。遂具もいらないし、天気も関係ない。相手があって競争心をかきたてられることもなく、白分ひとりでマイペースでやれる。しかも一回が15分ていどですむなど、いまの私にとって申し分のない運動法である。 白彊術という名称は、易経の「天行健、君子以白彊不息」[てんこうけんなり、くんしみずからつとめてやまず]からとられたそうである。 月日がたつのははやい。思えば開局して32年、あっという間に過ぎてしまった。いま還暦を目前にして、思うことの多い毎日である。せめて「自彊不息」(みずからつとめてやまず)の日々でありたいと願っている。 「随筆シリーズ」 結婚式今昔 中央支部・賛子当仁部会 山手薬局 山手嘉子 お正月早々、身内の結婚式に出ました。話にきくゴンドラやスモークも花束贈呈もなく、悪評高いお色直しも、打掛をドレスに替えただけで簡単でしたから、いつも新郎新婦が座っていて、友人達の批評めいた祝辞が続いてなごやかでした。 若者らしく、二人に対するインタビューがありましたが、変な質問も出ずに、年輩者としてはまずは御同慶の至りでした。おかしかったのは、新居の台所に初心者マークが貼ってあって、祝辞に、新婦がかわいそうだから早くとってやれとか、初心者マークがとれたら食事に招んでくれとかあって、車のマークではなかったと気付いたことでした。 以前の身内の結婚式となると、30年余の昔にさかのぼります。未だ、日本が高度成長の時期にもさしかからぬ頃、社会も親も貧しくて、岩田屋の8階が結婚式場でした。学生だった私はものの数にはいらなくて、披露宴に招ばれなかったと云うと、当事者である姉は、妹を招んでないとは知らなかった。親が入数を制限したのだと、恨めしげに云います。相手側も、兄弟の代表だけだったようで、それがおかしくない時代だったのです。 兄の結婚となると更にさかのぼって、そこここに戦災の焼け跡がある時代になります。教会で、花嫁は白のウユディングドレスでしたが、ドレスは教会の借りもので、返す時に、身丈をあげた処を、高校生だった私がほどいて居て、ちょっとハサミがすべり、布を切ってしまいました。1センチ足らずの傷ではありましたが。困惑しました。 結局、知らぬ顔をきめこんで返してしまいましたが、今思い出しても、うしろめたい気がします。教会の祭壇の前に並んだ写真に、仲立ちして下さった、父の友人である坊さまが写って居られ、教会と坊さまの取り合わせが不思議がられたものです。それに、なぜかこの日が仏滅でありました。披露宴は、家の座敷だったと思います。もちこまれた大きな鯛を、知り合いの奥さんが、晴れ着の袖を括り上げて、捌いて居られたのしか覚えていません。 ちなみに、お仲人さんの御都合で決まった今回のお日取りは、めでたく大安でありました。 「随筆シリーズ」 受験〜私がんばりました 福岡市女子薬剤師会 理事 野口美智子 昨年6月初旬、東京にいる息子に電話をかけて、ビル管の講習をうけてみようと思うけど。と相談したらいとも簡単に「頑張ってみたら?」と言う。ついでに「講習の費用が十万円程かかるけど貸してくれる?」と言ってみたらこれまた簡単に「ああいいよ」と言う返事、十万円まきあげたてまえ、どうもひっこみがつかなくなって、暑さにも負けず年にも負けず3週間の講習会に出ることになりました。 ビル管、ビル管と口では調子よく言うけれど、実は正式に何と言うのかも知らず、そういう資格をとる為、講習会に出る人がどんな人達なのかも知らず、ましてや講習の内容などわからないまま、7月18日無謀にも開講式にのぞみました。 開講式でいただいた本の重さと講習会カリキュラムで、これはどうもただごとではないと少々後悔。ともかく「私は建築物環境衛生管理技術者の講習をうけるのである」と改めて自分に言いきかせた次第です。 講習会福岡会場の受講者91名、うち女性は7名。いくら長寿の時代とは言っても還暦すぎた老女?と言うのは見あたりませんでした。受講者は沖縄広島他九州一丸から集まっていました。 講義科目の中には私など見たことも聞いたこともない科目もあり、講師が何を言っているのかさっぱりわからない時間もありました。でも最後に試験をうけなくていいのなら、かなり面白い、と言うか好奇心を満足させる勉強も結構ありました。電気設備の基礎理論だのごみの処理だの燃焼設備、ビルクリーニングの技法だの……木造平屋建のわが家では思いもしないことですが、こう言う仕事をしている人達は充分理解出来ていることでしょう。 講習が始まって数日すると、席の近くの人達とだんだん仲よくなって、そうなると野次馬根性がそろそろと首をもたげて、人サマの顔色など伺いながら「アノウ貴方さまはどんなお仕事で?」と聞いてまわったのですが、やっぱり多いのはビルメンテナンスの会社で、これは殆どがビル清掃でした。その他ビルに関係する電気工事、空調、水管理などの会社の経営者とか勤務者が多かったようです。他は保健所とか裁判所の入もいました。 毎日受付にいた御婦人に話をきいたら「こんどは変わった方が受講してますよ」と言うので何だと思ったら私達薬剤師のことでした。私は他凡のことが気になったけど他の入は薬剤師がビル管の資格をとって何の役にたつのかと何度も尋ねられました。 さて103.5時間(うち実習15時間)の受講終了後8月7日はテスト。かりにも国家試験だからともったいをつけられて、一世一代の緊張でテストをうけました。 学校保健法、水質、空気位は、学薬の勢力範囲だから何とかなったけど、初めから終わりまで何が何だかわからないのはメチャメチャの答案を提出して、結極、資格はとれなくても、勉強したことに意義がある!!とフテくされてしまいました。物覚えが悪いのも、理解出来ないのもみんな年のせいにして、とにかく厚かましく講習会に皆勤し、試験をうけ、夏の半分を終わってしまいました。 その間にわが家の娘と息子はひそかに電話をかけて「若い者でも疲れるのに、あの野次馬バアサン大丈夫かねエ」「最後のアガキよ」と話し合ってた由。十万円返そうかと言ったらいいよいいよとまことにおおらかなことでした。 そして後は運を天にまかせて、神サマ仏サマ試験判定委買サマと言ってるうちに、9月になって合格通知、10月7日終業式と言うことになりました。 当日会場に行くとお友達になった誰彼が握手をするやら席をとってくれるやら、お互いによかったよかったと東大にでも入学したように喜びあって、又何かあったら会いましょうネと約束して終業式は解散。 もう二度と頭を使う講習会には出ない、と固く決心をしたのですが、のどもと過ぎて熱さを忘れなければいいけれど、如何なものでしょうか。出来ればこの資格が役に立って学校の貯水槽管理が市薬で出来るよう願っています。坪根先生、獺越先生そしてノグチ先生本当にお疲れさまでした。 最後に、このあとビル管の資格をとられる方、御参考になるような資料などございますのでどうぞ御利用下さい。 「随筆シリーズ」 年頭雑感 博多支部・博多西部会 冨永薬局 冨永雄造 数年マスコミから干されている大学教授の本に巡り会った。寝正月を幸い活宇のページを捲って見た。40年前属国アメリカを引きつれた大英帝国とヒットラーが率いるヨーロッパの間に展開された第二次大戦はEC共同体誕生の出発点になった。国家統合のスタートである。 当時欧米先進国は日本の参戦を地球の東の果てで大人の目を盗んで持ち出した真剣を振り廻す、ニキビ面の子供と見て眉をひそめ苦笑しながらきびしく折濫した。 大戦この方地球がやっと幾つかの大陸(EC、ソ連、コメコン、アメリカ、中国)に纒まるのに半世紀以上を費やしたとは云え、「地球は一つ」の方向に着実に歩んでいる。 一方地球を国単位で眺めると世界160余国の大半が国王、軍人、教祖、太統領、書記長等々の独裁国である。 日本は国家権力が五権(政界、官僚、財界、学界、マスコミ)に分権分立され、トロイカにあらず、五ロイカ体制である。現に外国女性がひとり旅を安全にエンジョイ出来る社会体制を維持している。 戦争を知らない世代の一部に改正論者がいるが3人のり一ダーの平和憲法維持の年頭宣言は日本丸の進路に過ちはない。広島の数十倍、数百倍の単位で語られる核戦争時代や全面外国依存の資源小国日本のとるべき道は明確に見えている。 国の読み方で見落してはならない点は、(一)国家権力の所在、(一)社会体制、(一)勤労意欲を損なわない程度の競争原理を維持しながら富が適正に配分されているか?、(一)識字率よりも教育の内容(特に産業革命以降の近代現代史の取り上げ方)、(一)トップの社長の一票より、社員の十票二十票百票が政治を動かし政治家を生む公正な選挙制度等が上げられる。 日本型民主主義は前記の五権のバランスと高学歴国民で構成されていて、五権の一つが突出すると他の四権と国民が手を携えて頭をたたいて白浄作用でバランスを回復する現時点で、五ロイカ体制は民主主義の先頭に立っている。 さて長年のOTCの混乱と低迷の原因所在は五権と我々自身のいずれにありや?五権を動かし越えるものは消費者にあり。国民への薬剤師提言の再開を切に望みます。 今年はOTCカルテの再チェックと牛歩の歩みであっても着実な新たな積上げを実行しよう。DI活動と共にファックスによるスピードと高贔位のOTC軽医療情報サービス体制のスタートを切にお頭いします。 「随筆シリーズ」 遊びの効用 東支部・名島部会 千早薬局 内田文子 「おばあちゃん、ごはんですよ」と声をかけると、自分の好きなテレビ番組を見終わってから、やおら立ち上がり、ゆっくり食堂に出てきて、椅子の上に正座し、それからおもむろに食事を始めます。 4・5年前までは、もう少し動作も速く、お茶碗を出したり、おかずをつぎ分けたりして手伝ってくれ、男性ばかりの我家では、大変助かったものでしたが、今では食卓に足りないものがあっても、自分では動こうとせず、持ってきてもらうまで待っており、食べ終わるとさっさと自分の部屋にもどって、テレビの前にすわるようになりました。 それが食事だけでなく、万事がそのようで、手伝ってもらっていたものが逆に、手がいるようになって、私の仕事がふえ忙しくなってきました。でも手伝ってもらうのが当たり前だと思えば、腹が立ちますが何れ、自分も年をとったらあのようになるのだし、寝たきりで食べさせてあげたり、いろいろ身の廻りの世話もしてあげなければいけない思いをすれば、自分でちゃんと食べてくれ、自分の身の廻りのことは何とかやってくれるだけでも、有難いことだと盛謝の念さえわいてきます。 このようにして、「物は考えよう、何事も良い方へ、良い方へと解釈する」ということは、明治生まれの厳しい両親と同居して、波風をたてず穏やかに毎日を送るための私の生活の知恵でした。 そのため発想の転換のおかげで、どんなにいやな言葉や態度に接しても、我慢できるようになりましたが、それにも増して、趣味というものが、私のストレスを解消するのに大きな役割を果たしてくれているのに気づきました。 確実に老いてゆく中で、心身共に健康で、世間から取り残されずに生きてゆくためにはまず仕事が必要だと思いますが、幸いに、薬剤師のはしくれとして、何とか仕事らしいことをやれますので、遊びとして、17年前より、屋外でできるテニスを、そして3年前より家の中でできる習宇と、エレクトーンを始めてみました。全然上達はしません。でも心身の健康保持に役立っているのですから、それ以上は望みません。 この趣味を細く長く続けていって、いつも前向きの姿勢を忘れずに、いつまでも明るい生活を送ることができれば、誠に、幸だと思います。 「随筆シリーズ」 手軽に出来る漢方料理 西支部・七隈部会 飯倉薬局 波多江敬三 昨年より気候の異常で売り上げが不振だし、近々、新しい税金"売上税"が施行されるとか、又日本で初めて女性のエイズ患者が死亡し、"エイズ"が広がりつつあるなど、暗い話しばかりですね。今年、卯四緑の年は、平穏な年だそうだが、年初より胃が-痛くなるような気配です。 そこで、消化不良や食欲不振を起こしたら次のような料理をためしてみたらいかがですか。 陳皮仔鶏(ちえんぴーずじー/鶏肉の陳皮妙め/3〜5人前) ※主材料 ※副材料 ※作り方 ※効能 ※このような方におすすめします。 「随筆シリーズ」 女性考 九州大学病院薬剤部 野仲範子 あけましておめでとうございます。政治的にも社会的にも話題が多くあわただしかった年末に比べ、抜けるような青空で迎えた1987年の元旦は、まずは平和な幕あけでした。 お正月はおせち料理をはじめ食べ物が手近にありますので、ついつい手が出てしまい、仕事に戻ってから体の動きが鈍くなったことにあわてています。そんなお正月は炬燵に入って部厚い新聞をめくったり、テレビを見たりすることが多いのですが、最近特に目立つのは女性キャスターなる人達です。現在では、ニュースキャスターか-女性の憧れの職業ナンバーワンだそうです。 そういえば昨年は何かと女性が話題になった年でした。華麗なファッンヨンのダイアナ妃や堂々として笑顔の美しいアキノ大統領など有名女性達、マラソンなどスポーツ面でみせた女の底力、そして男女雇用機会均等法の成立………など、など。 薬剤師の場合、もともと女性の比率が高い職種なので何となく男女平等のような気がしていましたが、もう一度気を引きしめる必要がありそうです。女性といえども権利と義務の関係は承知しているつもりですが、とかく女性は"甘え"を指摘されることが多いようです。 勿論、十分に能力を発揮し、第一線で活躍している女性も多くいます。しかし、女性の仕事に対する姿勢は男性に比べて実に様々です。女性はいつも迷っているともいえます。その分、仕事に腰が入らないとみられるのかもしれません。 社会に第一歩を踏み出したとき、女性の仕事なり人生なりの方針はちょっと先までしか立っていないことが多いのです。その先にある結婚、出産、育児といったものが仕事や人生に与える影響の大きさを知っていますので、長期の予想は立てにくいというわけです。そして現実となった結婚で悩み、出産で悩みます。結果的に長く仕事に携わっていても短期予想の積み重ねが多いといえます。 でも、最近は少しずつ変わってきました。結婚し、子供ができても仕事を続ける人が増えており、それが特別ではなく、あたり前とまではいかなくてもそれほど抵抗なく受け入れられてきています。このことは女性が出発点から仕事の継続を頭に入れてかかることができ、長期予想も可能となります。 たとえ育児やその他の事情で一時仕事から退く期間があっても、やがてまた復帰する心づもりなら、その間も復帰にそなえた対策がとれるはずです。今までですと仕事を離れると仕事のこととは関係が切れてしまい、やがて子供達に手がかからなくなったからとやおら仕事に戻るため、本人も周囲も大変です。仕事を離れている間の充電は本人が積極的に情報を集める姿勢が大切ですが、これは働いている人の協力なしではできません。 師弟関係、友人関係、先輩、後輩関係その他人間関係のパイプもいつまでも保っておきたいものです。特に女性同志、お互い様の気持で協力する必要があると思います。 しかし、仕事と家庭と両方持つことは確かに大変でしょう。でも、男性は昔から家庭を持って仕事をしています。女性も同様に考えれば変に気張らなくてもすみそうですが、現実はまだまだ女性のハンディが大きいようです。そのためには配偶者の考え方が問題です。夫と妻のかかわり合い方も変わっていくことでしょう。 ともあれ、これからは女性も結婚してもしなくても仕事と一生かかわることがあたり前となります。そうすれば生き方だって変わるはずです。勿論、人生の考え方は多様ですから全ての入が働かなくてもよいのですが、何か自分を活かす道をはやくから見つけるという点では同じでしょう。 こういう時代の流れに対して男性はいかがお考えですか。女性は心優しき男性の協力を得て大いにはばたき、また女を磨きたいと思っているのですが………。卯年のお正月に自身の反省をこめて考えてみました。 「随筆シリーズ」 薬局で出会った入々 南支部・大橋部会 スエタ薬局 末田順子 薬局を開いて早いもので新年と共に6年目を迎えた。その間にいろんな人達も出会い、沢山の人々と知り合いになれて楽しい。 やっぱり一番頼りにしていただくのは、おとしよりだ。おとしよりの話は長い。話し出されると1時間かかることもある。他の患者さんの調剤もあるし、気はあせるのだけれど、いろいろ話を聴いてあげて、心が晴れたと、明るい顔で、帰って行かれると、話し相手になってあげて良かったとホッとする。 おとしよりは、ほんとに定期便の様にきちんとお薬をとりにいらっしゃる。開局当初より、もうずっと通っていただいている方々も相当多い。だから白分の父や母の様な気がして大切に接している。 毎週火曜日の定期便のもう80歳に近いけど、元気なHさん。東大の工学部を出られて、エンジニヤだったそうだけれど、退職後の老いの身の寂しさを話していかれる。薬も大切だけれど、いろんな悩みを聴いてあげて、心のわだかまり、心の病いを取り除いてあげるのも大切な治療だと思う。心が晴れたと喜んでお帰りになると私も嬉しくなる。趣味は文筆とのことで、先日私のことを書いた随筆を新聞に投稿していただいた。庭に柿がなったと、秋には沢山の甘柿をいただいた。 今、通院中で一番のおとしよりは、90歳のKさん。歩きやすい様にと学生さんがはく上ぐつをはいておいでになる。杖をついていらっしゃるけれど歩き方は。とても元気だ。内科の薬は種類が多く服用法を説明して納得してもらうのに苦労する。何回説明しても解っていただけなくて大変だ。一種類ずつ袋に入れて飲み方、何に効く薬かと大きく書いてお渡しするけれど、すぐ電話がかかって来る。心配になって家に行ってみると、おじょうちゃんが来たと(ちなみに私は昭和15年生まれなのに)よろこんで下さって『あがれ、あがれ』と、リンゴ等むいていただいて恐縮してしまう。今このおじいちゃんに、正しくお薬を服用してもらうにはどんな方法が良いか思案中である。 自分で印刷会社を経営しているTさんは、もう5年間通院中。印刷のインクにまけるらしくて手の荒れがひどい。飯の種だと我慢してもうずっと副腎皮質ホルモン入りの軟膏を塗り続けている。長期投与による副作用を心配して、なるべく薄く薄く塗ってと注意する。最近はお酒を止めてもらった。酒を止めたら荒れ方が随分少なくなったとよろこんでもらった。最近女の子が生まれて、その子が水ぼうそうになって、今一緒に通っている。とっても可愛いい女の子だ。 交通事故で整形外科に入院中のNさんは。もう4ヵ月近い入院だけれど、皮膚疾患にかかられて、今おいでいただいている。ベンツの450に乗っていたので命拾いしたと今は、元気だ。入院に必要なタオル、石けん、コップ等薬品会杜のもらいものをおすそわけしてとてもよろこんでもらった。クリスマスには大きなデコレーションケーキを戴いて感激した。又時々は、おとしよりの訃報に会って、悲しい思いをすることもある。 元新聞記者で、最近は、考古学をなさっていたSさん。人間的にも素晴しい人だった。『ここの薬局の薬は良く効く』といつも大声で入ってこられる。嬉しくても面映い気持で迎える。最近お見えにならないので御白宅に電話したら、お亡くなりになったとのお家族の言葉に涙した。旗をもって、一緒に遺跡の発掘に行こうと約束していたのに。心からSさんの御冥福を祈りたい。等々一人一人の患者さんに対する思いはつきない。 赤ちゃんの患者さんも多い。こよなく子供の好きな私は、必ず声をかけるか、抱っこさせていただくことにしている。お母さんと育児のことなど話しながら、出来る限りのアドバイスをしたいと思っている。 この様に毎日毎日沢山の人々に会って、少しでもその方々のお役に立てることを幸せに思っている。たゆみなく、進歩を続ける医学、薬学の世界に遅れをとらない様に努力するのは大変だけれど、死ぬまで現役で、この仕事を続けて行こうと思っている。 「フレッシュさん紹介」 薬剤師とは何か 田中美可 「薬剤師としての白覚を持ちなさい」と学生時代に教えを受けた。薬剤師だけに囲まれて仕事をしている時は、自覚を持つのはあたりまえのことで、特に考える状況にはなかった。しかし今、薬剤師でない人達と仕事をするようになって、自覚を持つことが難しく感じられるようになった。そしてこの半年「薬剤師とは何か」ということを、改めて考えるようになった。 私たちの仕事は、誰にでもできると思う人は。けっこうたくさんいるものだ。確かに、仕事そのものに難しさを要求されることはないかもしれない。薬剤に対する知識も得ようとするなら、本なり勉強会になりたくさんある。 では、薬剤師という資格は何のためにあるのか。薬に関して起こるいろいろな間題の責任は、誰でもない薬剤師がとらなければならない。ちょっとしたことでもゴメンナサイですまないし、事務的な間違いでも薬剤師の責任である。 あらゆる問題を未然に防ぐための薬の知識は、薬剤師として当然のことで、これからも大いに勉強してゆかなければならないが、それと同時に業務管理という点も怠ってはならない。文頭に自覚を持つことが難しく感じてきたと言ったことは、ここにある。己を磨くことは自分の気持で簡単なことだが業務管理となると簡単にことが進まないからである。 「私は、薬剤師だ」と資格のうえにあぐらをかかずに、簡単な仕事しかしないのに薬剤師は威張っていると思われないために、ひいてほ、薬剤師の地位の確立と向上のために、一人一人が白覚を持って行動しなければならない。意識先行型ではなく、行動も共にしなければならないことも忘れてはいけない。 薬剤師として産声をあげたばかりの私が、このように分かったようなことを言うのは、口はばったいが、痛切に感じたことであるのでお許しいただきたく思う。
これからも先輩方に教えを受けたく思っておりますので、よろしくお願いいたします。
「フレッシュさん紹介」 薬剤師になって感じたこと 山本啓子 薬剤師となってあっという間に月日が過ぎていってしまう様な気がする、学生時代とは全く違う世界だし、私にとって薬剤師の仕事(調剤。という仕事)に対して未知数だったからかも知れない、又各薬に対しても、薬理学を通して学んだけれど、ほんの一部にすぎず、次々と新しい知識を入れていかなければならないと思う。その点勉強会を多く開いていただいて、いい機会を与えていただいて大いに活用したいと思ってます。 学生の時には理論で良かったけれど今は実践で用いなけれぱならないし、それに対応しなければならないので、そのためには色々な知識を身につけなければならないということです。 しかし、調剤という業務に入ると、調剤においまくられるという日々です。でもそこには処方に対して調剤に責任を持たないといけないということです。初めて印を押したときは、不安で不安で気になってしかたなかった事が思い出されます。それだけ責任が重い仕事なんだということを実感しました。大変な仕事を選んだものだとこの頃思う様になりました。 でも薬剤師になって、ある程度白分で薬が見分けられて、自分に合った薬をみつけられるのは、大変良かったと思います。又母とかの相談にも乗ってあげられるからその点では自分の知識を最大限に発揮できるのです。まだまだ未熟だけれども少しは、頼りにされているみたいです。 今私は割と興味を持ち出したのは、漢方薬についてです。色々な症状に合わせて又体質に合わせて薬を組み合わせてのめるからです。でも漢方は奥が深いから、なかなかむずかしいものでず。できたら漢方の方に勉強ができたらいいなーと思ってます。 今は、一日一日が、おわれる様にすごしてますが、もっと充実した時間の使い方ができればいいなーと思ってます。せっかく薬剤師になったからには、その名に合う存在になる様努力したいと思います。 ボーリング大会 前日の大雪が嘘のような良い天気にめぐまれた1月15日(成人の日)に、恒例の「市薬ボーリング大会」が博多スターレンで開催されました。
優勝 博多支部
個人戦 会 務 日 誌 昭和61年 7月 8月 9月 10月 11月 12月 昭和62年 1月 「広報」入会者名簿 その他 昭和61年度入会者(12月1日〜1月20日) 銀行ローンの貸出利率の改定
実施時期 昭和62年1月5日 処方箋応需状況(レセプト) 会報の原稿を募集します 随筆、詩、俳句など、どんなジャンルでも結構です。 あとがき ○ 謹んで新春のお慶び申し上げます。 ○ 今号から新しいスタッフの手で会報を作りました。未熟な点もたくさんありますが、すみからすみまで読んで下さい。 ○ 随筆シリース、フレッシュさん紹介は如何でしようか?この欄への御寄稿をお待ちしています。(城戸) ○ いつもは、出来上った会報をただ読ませていただいておりましたが、初めて「会報を作る」という仕事をお手伝い致しまして、大変さかげんが良く解りました。(木原) ○ 今回、初めて薬剤師会に入会させていただき、広報の仕事をお手伝いさせていただきました。まだまだ、何のお役にもたちませんが、これから先少しずつ勉強させていただきたいと思います。(宮崎)
昭和62年1月31日発行 会報表紙写真 「題字」は会長、古賀隆先生の自筆です。 |
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