巻  頭  言  集

 組織運営は政治や経済など時代の変化によって移り変わって行く。巻頭言集を読めば、その時代に何を要求され、何を行ってきたかがよく理解される。そして歴代会長は数々の改革や新しい事業に取り組んできた。そこで、会長時代別に巻頭言集を作ることにした。 なお、これに関連して興味深い記事も追加しておくことにする。

 藤野義彦会長時代 昭和53年4月28日〜昭和57年5月15日

 藤野会長は在任中数々の改革を行われた。委員会制度の創設、支部制度の創設、会報の発行、そして最大の事業が第一次会館の建設であった。また、一週間分業の対応も行われている。

 「今こそ薬剤師職能確立に励む時」 福岡市薬剤師会会長 藤野義彦 昭和53年7月1日

 去る4月28目第五回代議会で会長に選任され、それぞれ役員の決定をみました。理事者一同その責任の重大さを痛感して、心新たにして誠実に若い力を駆使して行動する事を確認し、別記の業務分担で会員各位の職能確保、地位向上の一段の努力を払い会務を遂行する所存です。重点事業として次の事を行います。

 1、組織の強化
 (イ)区支部を結成し、より強固な会員の連帯の下に薬局機能発揮の母体とし力を結集する。
 (ロ)広報活動を強化する。年に数回の会報を発行し中央情勢と報告、医師会・歯科医師会との協業ニュース、会務報告を中心に会の動向と会員よりの意見報告等を中心に会務執行の血液たらしめる。
 (ハ)組織運営は部制をしき一人一役の常務理事の下に責任ある事業の推進をはかり、特に組織部、事業部には組織、薬局、社保、休日急患の四委員会を設け適切に機能させ、備蓄、情報を備えたセンターの設置を研究し早急に対策を講ずる

 2、医薬分業推進とその正常化
 支部活動を活発にして受入態勢の強化と情報の提供等を中心に強力支援し、合せてその正常化のために検査センター具体化の研究を行うと共に、学術部を中心に卒後教育、医薬品情報の提供をする。

 3、地域医療に於る職能強化
 分業と併せて重要事項で薬局機能の認識を徹底し、大衆薬の流通の適正化、価格の安定策を関係団体と力を合せて促進し、薬局経常の安定化を目途として「ホーム薬局」の育成強化をはかる。以上述べて来ただげで大変な事業であるが、一歩でも目標に近づく様身をいとわず努力する覚悟です。よろしく御支援を賜りたい

 健康保険の技本改正のプロセスの中で起きた日医の戦術として、七月三日よりの所謂一週間分業が決定されている。私共薬剤師会にとってはまさに非常時です。この時機を最良の話合いの場として、会員は近隣の医師と積極的に話合う事を重点として、応需態勢に速応する備蓄DI臨時センターを設置して市医師会との協業をはかり万全を期したい。

 ここで私は提言します。近代社会は個人より企業単位になっている。企業単位とは何か、それは組織力である。私共は小さい、小さいものが少力を集めて生きて行き主張する。これが薬剤師会だと思う。この点を充分に認識して頂きたい。我々会員にとって薬剤師会とは何か。会があるから私があるのではない。己があるから会があるのです。

 己が薬剤師の道を選んだからこそ、先人先輩がここまで築いた薬剤師会に職能向上の連帯感で結集したのではないでしようか。ここで原点に戻って考えようではありませんか。会員の個々のメリットの有無が会のあり方、力を決定するものと云う事を。この裏返しが会員の義務となる筈です。

 日本のあらゆるものが曲り角に来ていると云われています。薬剤師会も例外ではない。この会の権利と義務を再確認して今こそヘルスプロフェッションとして薬剤師職能確立に励む時ではないかと。

 「職能に生きる薬局経営を」 福岡市薬剤師会会長 藤野義彦 昭和53年9月15日

 今回の一週間分業には、支部長、委員と会員各位の協力により大したトラブルもなく経過しました。これひとえに職能確立に生きた証拠です。その成績は、受付枚数1426枚、発行医院数70、今後引続き発行されると思われる医院数24、DIセンターを利用した回数8、備蓄センター利用40、拒絶せざるを得なかった枚数3であった。

 年度当初事業推進の桂である組織強化をモットーに支部制を実施したことが非常に当を得ました。今後益々この組織充実の基点として執行して行きたい。

 一週問分業を境として国民への分業PRが一段と進むことと思われ、私共もそれを大いに期待(将来そのものが実現するであろうと待ち構えることである)するものである。然しこの様な分業進展に伴い我々も衿を正し反省する事例が起きてきたことを知らねばからない。処方せんを期待するの余り行きすぎが出て来たことも事実であり、行政、保険団体、医師会等でチェックがなされ、一部新聞紙上でその行きすぎが報道されたことは会員諸兄の御承知のことと思います。我々は時の流れを待つばかりではいけないことを認識し、医師への患者紹介に気を配り乍ら事に当らねばならない。急ぐあまり、その行動おいて自ら墓穴を掘る様なことをしてはいけない。医療における薬剤師の医道を熟知する必要のあることを喚起したい。

 私は先日の日薬代議員会に於て日薬の薬局委員会で薬局経営の全方位安定策を質した。本会が重点事業として打出したホーム薬局の確立は、国民の自己治療に対する認識の喚起を教導しながら豊かな経営目指すものである。私はここで声を大にして言いたいのはその職能に立って、OTC薬を基盤とした国民への医療サービスをする使命を再確認するこではないだろうか。

 大衆薬は病気に対する自衛のための日常生活に非常に大事なものであったはずである。現代では医学、薬学が高度に専門化し健康保険により経済的にも安心が出来る様になった。

 そのため自衛観念は喪失し、一見衛生知識は高くなった様であり乍ら昔の人が見たとしたらあきれる程無能力になっているのではないだろうか。我々はセルフメディケーションの普及に毎日の生活の凡てをかけても決し言いすぎる事はない。 今秋12月26、7日に九州山口薬学大会が福岡県担当で開催され、会場は福岡市電気ビルで開催されますが当然本会がその準備の中心となります。本会会員の総力でこの大会を有用にして且、盛会裡に成功させる様切に望む次第です。

 去る三月清水志先生が高齢のため薬局を閉鎖され自適の生活を送られることになりました。その節永い問お世話になったと云って会運営の一助にと50万円もの御寄付を頂きました。県薬会館の改修により本会もより広い事務室を借用する事が出来た事でもあり、この資金を基に清水文庫を創設し、薬学に関する図書を中心にDI関係にも役立つ様に運営することに致しました。老先生の御厚情を会員一同を代表してお礼と報告をさせて頂きます。

 「大衆薬の浮上について」
 いかにしたららもうかるか 副会長 荒巻善之助 昭和53年9月15日

 表題のテーマで何か書け、という編集部の依頼である。無理な注文だ。そういうことが書けるくらいなら、とうの昔に左うちわで暮している。そうはいうものの、紙面に穴があくと編集者もお困りだろうから、〆切まぎわに、下手な考えをしぼり出すことにした。従って、もうからないからといっても、責任は負いかねる。

 さて、すじみちとして、どうして今のように大衆薬が落ち込んでしまったのか、その理由を考えてみなくてはなるまい。誰でもいちばんに思うことは、現行の健保制度であろう。現行の制度では、本来自己治療で済ますべき所をすぐに医者にかかってしまう。これは保険経済からみてもおかしなことであるが、いちばん困ることは自分の健康に自分で責任をもたない連中がやたらと増えてきて、ふだんは勝手気ままな生活かして、病気になったら医者にかけこむということになる。これが問題顕解決の第一のカギである。

 次には医薬品に対する不安感である。わけもわからずに副作用を恐がる。昔はカビの生えたつくだにを捨てていたのが、最近はカビの生えないつくだにがあると気持が悪いといって捨ててしまう。このくらいの感覚の相違がある。これが第二のカギである。

 さて、商品の消費量の伸びは社会環境に負う所が大きいが、国の政治経済的な施策も叉、これに結びついている。且て大衆薬がダイエー発祥の起点となり得たのも、高度成長に追い上げられた製薬メーカーの需要拡大策と、それを可能にした社会的基盤によるものがあった。然しそのようなブームは、もはや望み得べくもないし、又望むべきでもない。医薬品を商品としてのみ販売したその反動を、今我々は手痛いほどかみしめているからである。

 もしかりに何らかの政治的施策で大衆薬を浮上させ得たとしても、その大半の需要はスーパーないし大型チェーンで充たされることになろう。なぜなら大衆薬は国民の自己治療のための医薬品であるから、有効性よりも安全性が優先すべきことは当然であり、その意味では、医薬品の特殊性はより一層失われて、一般商品化する傾向にあるからである。それならば、大型店に於るディスカウント、及び無差別販売も、又是認すべし、という理屈が成り立つ。

 従って大衆薬の浮上ということは、それ自体の需要拡大では、即ちメーカーサイドの浮上では意味がない。要は我々一人一人の薬局店頭で、いかにしてこれを浮上させるかということにつきるであろう。ということは、我々がその商品について、きびしい選別をしないかぎり真の浮上はあり得ないということである。

 然しその選別の基準が漫然とした対症販売では、結局はマージン差による選別になりかねない。マージンはたしかに最も重要な経営の基盤ではあるが、今我々が問題にしなければならないことは、基本的な販売姿勢にのっとった商品の統一性であろう。

 「女」と「麻薬」以外は何でも売ります。というのがスーパーの姿勢である。ここには流通それ自体にフィロソフィがある。小売薬業者でも大型チェーンにはこういう考え方の経営者もあろう。然し我々の場合は自分自身を売りこむ以外に方法がない。

 医療とは、たとえそれが軽医療といわれるものであっても常に「人」が最初にあるべきであって、薬はそれに付随して動くものである。その意味では薬剤師は薬の管理だけすればよいとする今の薬事法、薬剤師法には疑問がある。

 そこで前述の二つのカギ、健康は自分が責任を負えということ、もう一つは薬は恐いものだということ、これを逆手にとって常にPRしておく、日常の健康管理も親身になってアドバイスをする。そして病気になった時、森繁の説明をきくのか、私の話を聞くかという段取りになる。

 そこで一つ提案がある。 少々乱暴だがドリンク撃退作戦というのはどうであろうか。現在大衆薬の中でいちばん医薬品らしからぬものといえばドリンクであろう。高度成長時代の落し子で、飲む方も売る方も本気で効くなどとは思っていない。それでも医薬品だからおかしなもんだ。飲む方はコカコーラよりはましと思っているし、売る方もドル箱商品だから止められない。それはメーカーにも同じだと思うが遂にドリンクに手を出さなかったメーカもなかったわけではない。姿勢としては範とすべきであろう。

 片や三白の害を説き、片や砂糖水を売ってオマンマをいただいでいてはお日様に相済むまい。私はドリンクが薬局のドル箱商品であるかぎり、本当の大衆薬浮上はあり得ないと思っている。

 「職能に生きる薬局経営を」(安定のためへの政治参加)
  福岡市薬剤師会会長 藤野義彦 昭和53年12月15日

 第45回九州山口薬学大会の非常に盛会に終了したことは当市会員の協力であったことを心よりお礼申します。しかし反省会をしたとき、改めるべき事項が数々ありました。例えば、開局者向きは薬局経営部会のみでしたが、今後は学術的な薬局製剤部会とか漢方部会の開催が必要であると痛感しております。毎回の私の巻頭文は表題を変えずにサブタイトルをつけて続けて行きたいと思います。

 先日日本薬剤師連盟主催の九州ブロック研修会が「薬剤師票35万票を生かす道」と題してセントラルホテルで聞かれました。前回の望月選挙の時に集票した35万票を基にして今後薬剤師が政治にどう関与するかということです。私共、職能安定経営安定のためには(健保法、薬事法、薬剤師法、分業等)政治を技きにしては考えられません。

 その節、古賀大牟田市長、谷口衆院議員(長崎県選出)の両先生から政治参加の意義と題して話されたことが痛感させられました。要は組織力で勝つ、力で勝ちとる、数の力で勝つ、これ以外に我々の浮揚はあり得ないということです。政党、派閥それぞれの考えが違う中での闘争は個々では出来ない。政治は妥協であり、それをどのように展開させるかであるといっておられます。

 つい最近、博多支部総会ヘ堀江支部長より案内をうけて出席したのですが、来春の統一地方選挙にのぞむ、支部の姿勢が出されたこと、新しい道を出されたことに感銘を致しました。35万票を生かす道の第一歩は地方選挙でその力を出して、会員の力の信を問うことであり、これが先決であると思考します。

 薬剤師政治連盟の考えの中には、35万票の上のせ方式で薬剤師独自の出馬で再戦すべきだという意見も多々ありますが私はまず己達の力を知らねばならないと思う。私は国会クラスの選挙には次のような意見発表のあったことに賛意をもつものです。全国的視野より見て
 @ 既存の・県・市会議員の候補を推薦人とする。(医師会方式)それには候補自身がその・党籍と合せて過半数、票を集票できる人であり連盟の自主候補は前記以外では無理である。
 A 政治連盟顧問として迎え入れて政治献金を含めて選挙を闘う。(衆院、参院)
 B 区割りしたブロックごとに適当な人に政治献金を含めて推薦人とする。(参院)

 薬剤師の団結はなぜ出来ないのか、なぜ弱いかが指摘されております。今こそこの既往の姿勢を皆の力で打破していこうではありませんか。

 ドリンク剤騒動
 福岡県衛生部薬務課 監視係長 大庭久光 昭和53年12月15日

 私のところには消費者からあるいは業界から、さまざま相談、苦情や陳情などが持ら込まれるが、ドリンク剤の無資格者販売もその一つである。小売商組の会合でもこの問題が取り上げられない時はないと聞いている。

 ほとんどの方が知っていると思うが、昨年の夏この違法なドリンク販売がエスカレートし、特に北九州と筑豊地区でその現象がひどかった。このため、猛暑の中私達は麦わら帽子をかぶって一斉に取締を行った。この結果については各界の会合でも報告をし業界紙にも掲載されたので省略する。

 この取締りで私達が苦労したのはなかなか流通経路がわかり難いという問題である。末端の店舗で売られているほとんどのドリンク剤が、無資格の雑貨などの卸業者から仕入られているが、この卸業者が潜行的で、なかなか捕らえることがでさなかった。

 車に商品名は書いていない。現金商売で領収書は発行しない。住所、氏名はふせて連絡電話くらいしか教えない。たまたま所在地を聞きだしても調べてみると架空の場所で、本人は実在しない。張込みを続けてやっと掴えても逃走したり、遂に開き直って黙否を続ける者もいる。という状態であった。このため大量に無資格者にドリンク剤を流した薬局・薬店を探すためには、ドリソク剤の試買を行って、いわゆる流通番号から逆探知かする以外に方法がなかった。しかしこの方法にしても流通番号のある商品に限られることや、メーカーがなかなか協力してくれないことなど難しい面が多かった。

 さらにこうした薬局・薬店をつき止めても、今度はドリンク剤の販売行為については違反がなにも出てこない。つまり、ドリンク剤を大量かつ安価に客に売ることは、全く薬事法にはひっかからないということである。そのため行政処分は他の薬事法違反の行為によって行わざるを得ないという点にも苦労をした。

 こうした経過で、昨年からみると今年はだいぶこの問題も下火にはなったが、最初に書いたようにまた各地で後を断たないようである。

 この一連の取締りの中で感じたことを少し書いてみると、まず業界のまとまりや力が強い地区では、比較的違法販売の現象が見られないということである。業者団体がしっかりしたところでは、これら団体が違反業者に注意し説得しているケースもあり、こうしたところでは無資格者販売は次第に影をひそめたようである。

 薬務課は一体何をしでいるのだ−しっかり取締りをやらないかと、業界からお叱りかうける地域はおおよそ業者がバラバラでまとまりがないところが多いように感じる。ドリンク剤無法地帯をつくり出した責任の一端は、そうした自衛精神の欠除にもあるのではなかろうか。

 酷暑の中、末端の違法業者は私達の調査に非協力、肝心のドリンク剤は店舗の奥にかくす。表のショーケース中のドリンク剤は自家用と主張し売りものではないと否定をする。よそも皆売っているではないかと文句をいう。附近の薬局も私達に苦情をいうだけてあとは知らぬ顔。卸もメーカーも売り上げの落ちることをおそれてか、あまり協力的ではない。末端の無資格店舗に対し立入権も持たない私達は、まさに武器なくして孤立無縁の戦いを強いられたようなものであった。

 また末端の雑貨店や菓子屋などが、このドリソク剤を全く医薬品という認識でとらえておらず、これを販売する行為についても悪いことをしているのだと全く思っていないことがわかった。このことは、これらドリンク剤が清料飲料水のドリンクと全く同じような容器形態で売られており、消費者も薬という認識で用いていないことが原因でもあろう。絶滅がなかなか困難な理由には、こうした売る方と買う方の両者の認識の問題もあるようである。

 飲料水とまぎらわしい医薬品をつくり、その売上げのためにモラルを無視した販売姿勢をとっているメーカーが先づ責められるべきであろうが、これを承認した厚生省についても問題があるように思う。

 ともかく、私達が三本、五本と末端の店舗で不法販売を発見処理しているその間に、どこかの薬局・薬店では何百本、何千本のドリンク剤を流しているわけであるから、考えて見ればバカバカしい労力といわざるを得ない。

 薬務行政には、業界に対する規制はあって保護なしという言葉を聞いたことがあるが、これは全く実情を知らないものの誤解であろう。薬務行政はどちらかといえば、業界の保護育成の強い行政ではないたろうか。

 ドリンク剤についてはまだその内容成分についての疑問、水剤として製造する必要性、再販品として指定されている意味、物品税との関係など、書きたいことは沢山あるが紙数がつきたのでここで終る。

 不振といわれる大衆薬の中で、売り上げのトップを行くドリンク剤、こんなものを売るなと言えば店の経営は成立たないだろうし、業界も役所ももうしばらくは努力を続けるしかないであろう。

 九州山口薬学大会に思う 福岡市薬剤師会 専務理事 古賀 隆 昭和53年12月15日

 福岡市で開かれた今大会は、近来にない盛会であったと聞く。市薬も地元の関係で多数の支部会員の出動をお願いし、大会出席者も市薬関係230名ということで、支部長を軸とした区支部の組織活動強化の現れとみて、支部制のメリットがここでも発揮されたとみてよいと思う。

 私も本部員として当日若干のお手伝いをしたが、合間をみて開局関係の保険調剤、薬局経営部会を一寸のぞいてみた。会場一杯の出席者で、開局関係者の関心の高まりを確かめることが出来た。

 従来、開局者にとってこの種のいわゆる学会と称するものには、無関係のものという意識が一般的であったように思う。私の経験でも、それまで病院にいた関係で開局後二〜三年は、九州といわず東京までこれらの学会には熱心に出かけていた。しかし、現実に薬局経営という商売と、学術大会という性格との面に、なじまないものを感じて全く出席しないようになっていた。

 ところがこんにち、分業が急速に進んで、立ち戻って調剤学術研修をやらねばならないときが来ているし、医薬品販売という営業面からみても商売という観念ではくすり公害、安全性、有効性、福祉性と、高度な社会性を満たす薬局経営は、今後はむつかしくなってくる。

 そういった面からもこれからは、九山大会に限らずこの種の学会が開局者にとっても非常に大切な研修・学術交換の場になってくる。将来、開局関係の部会が数十の演題でうまり、数倍の出席者で会場をうめるとき、薬剤師職能の向上と確立は愈々確かなものになると思う。

 「今こそ薬剤師職能確立に励む時」 福岡市薬剤師会会長 藤野義彦 昭和54年3月10日

 去る1月28日福岡市三師会が中心になり、橋本厚生大臣、山崎拓厚生政務次官を迎えて、短い時間ではあったが、懇談会が持たれた。市薬から藤野、白勢、荒巻、古賀の4名出席、出席しました。

 大臣は自民党若手ホープの一人として、衆院社会労働委員長等厚生行政に豊富な経験を持たれ、党の社労御三家の一人と言われ、非常に明快な説明をされました。

 三師会それぞれから立場から要望がそれぞれ出された。薬剤師会関係の事項は
 @医薬品の安全性確保を中心にした薬事法の一部改正
 A健保法改正改正に伴う薬価基準の是正
 B薬害救済法案
 でした。

 日薬が要望した調剤センター関連事業補助金五千万円の助成に対する山崎次官のご努力にお礼を申し上げ、さらに医薬品の生産、流通から消費までの職能管理に関する業種の確立を盛り込んだ抜本改正の要求をしました。

 薬事法の一部改正に就いては、現段階では医薬品の安全性に重点をおいて進められるとされており、これには私共業界中としても重要な問題を含んでいることを自覚しながら当たらねばいけないことも勿論であろう。

 大臣は昨年の「一週間分業に就いては、物と技術の分離より派生し、診療と薬、歯科材料の分離が多くの当事者から「それが医薬分業だ」と説明された。それでは、医薬分業ができるならばやってみようという事で実施されたいきさつがあり、今、国会にも初診料のアップと本人家族の同一給付と薬と歯科材料については、半額負担という基本線よって原案が出されますが、これは時間が解決する。

 なぜならば、日医は十カ条による反対であり、日薬は薬価基準のバラツキの是正等を言っていることも微妙である。これは吉田日薬副会長の話であるが、診療報酬十兆円の中、三兆七千万が薬であり、その中25%が抗生物質である事から、診療報酬に及ぼす薬価の切り下げも全体に及ぼす係数を知っておく必要があると、話し合ったことを伝えておきたい。 石館日薬会長は、薬剤師の本命である分業の停滞の壁を何としても打破して行かねばならないが、その条件の構築に新たな強力な施策が必要である。それに対する三つの条件整備が説かれている。

 @実行を躊躇している医師並びに地区医師会に強く働きかけ、分業の必然性、倫理性に訴えて、これを医師側から協力してもらう運動を展開し、心ある医師団を動かすことに
 A分業を推進する国の方針を具体的行動に移すことであり、当局の施策の協力を得る
 Bそれらと呼応し、薬剤師会側の整備推進に一層の強力促進が必要と言っています。

 今回の福岡県福岡市の地域という小さいエリアではあったが、三師会が一本になって、橋本厚生大臣、山崎次官を迎えて懇談したことは、非常に有意義であったことを痛感し、感銘しているところである。

 市薬の運営も各地区支部長先生のご努力をいただき、支部組織の強化、各委員会の活性化も軌道にのり、多大の成果を見ていることを衷心よりお礼申し上げます。今春の地方統一選に対しては各区ごとに本会、会長ならびに区支部長、組織部合議の上推薦候補を立てています。

 全会員一丸となって、支部長先生を中心として、薬剤師職能の基盤安定のため戦いましょう。せつに会員の自覚を要望してやみません。

 これでよいのだろうか 薬局モニタリング制度の発足にあたって
 福岡県衛生部薬務課 技術主査 野口修一 昭和54年3月10日

 医薬品による事故がここ数年社会問題となり大きな波紋を投げかけている。サリドマイド・スモン・ストマイ・クロロキン等多くの薬害事件が訴訟となっている。薬害に対する国、メーカーの責任が問われており、スモン判決では現行薬事法が医薬品の安全性を確保するための具体的な規定を欠いたことを大きな原因の一つと指摘している。

 国は医薬品の安全対策として、
 @医薬品の承認条件の整備向上
 AGMPの推進
 B医薬品の再評価
 C医薬品の使用上の注意
 D医薬品副作用情報の収集と伝達等の行政措置を講じている。

 その重要な施策の一つとして、医療用医薬品の副作用モニター制度を昭和42年3月に発足させ、現在では国公立病院等817病院から副作用情報の収集と伝達を図ってきているが、今回大衆薬についても副作用モニタリング制度を取り入れ、昭和53年9月に発足した。

 これは大衆薬だけでなく医薬部外品、化粧品、医療用具等薬事法の規制対象のものについて、副作用事例相談事例を国に報告し、国はその情報をフィードバックする制度である。製品の良し悪しを判断するものではない。

 モニター薬局は全国で2477薬局、福岡県下で60薬局が指定されている。この仕事は大変責任ある仕事である。それは日常の業務を通して大衆薬の副作用をどうとらえ、それに対する措置をどうしたかを報告することになっている。

 このためには個々の事例をそのつどできるだけ正確に記録しておかねばならない。厚生省薬務局代田安全課長は「このモニター制度が発足するまでには色々の批判が寄せられ、@薬がますます悪者扱いにされ、大衆薬等に対する不信が増えるのではないか A薬剤師では医薬品の副作用の判断ができるかという主張があった。しかし、これは情報の評価の問題であり、ある医薬品について同じ情報が全国でいくつもあれば、検討するヒントになる」と述べている。

 この制度は、医薬品の安全対策として役立つものであるが反面、薬剤師の働きを社会的に示す場ともなる。したがって薬剤師としての知識、経験を生かすのみでなく、常に新しく広い薬学の知識を吸収し、消費者に適正な対応をしてゆかなければならない。ところが最近県内で起きたいくつかの例をみると、一抹の危惧を抱かざるを得ない。

 例1、昨年末に薬局等の薬監視を実施した際、店舗に副腎皮質ホルモンの外用があった。この外用剤は医家向けの医薬品で、1箱10本入りのもので、これを分割(小分)販売しているケースでした。

 この外用剤はご承知のように、使用上の注意が記載された添付文書を必要としており、この1箱には添付文書は1枚であるので、分割販売の際には添付文書を添付せず販売している。またこの外用剤の直接の容器には、用法の他にちゃんと「添付の説明書をよく読んでご使用ください」という字句もある。添付文書は医薬品の安全性確保の手段として、重要な役割を果たすものであることは百もご存じと思いますが、これはどうしたことであろう。このような行為は利益最優先の考え方に基づくもので、医薬品の特殊性を忘れた行為であり薬剤師の倫理が問われるところである。

 例2、昨年(S53年)12月8日に一人の若い男性が当課監視係を訪れました。おとなしいまじめそうな感じの青年でした。薬務課に通常出入りする人とは違っているので、一瞬苦情が持ち込まれたのかと思ったら、青年はおもむろにポケットより瓶を取り出して 「実は、昨日福岡市内の○○薬局で、ドリンク剤を購入して飲んだところ、味がおかしくカビ臭い味がしたので、途中で飲むのを止めた。キャップを見たところオリが付着していたので薬局に言ったところ、よく振って飲むように言われたが飲まずにドリンク剤をもってきた」ということであった。

 青年はことさら事を荒立てる感じもなく、もし何か悪くなっているいるものでもあればと心配して相談にきたということであった。そのドリンク剤を見ると明らかにモヤモヤとした綿状の浮遊物が認められた。そこで薬局に調査に行ったところ、在庫品のほとんどに同様の浮遊物(不良品)が認められた。

 例3、北九州市の薬局で催眠剤を大量に販売していたので調査してみると、昨年1年間に問屋より購入した催眠剤がブロバリン22.600錠、ネルボン2000錠の多量にのぼっていた。薬局は、大量長期販売していたことについて、患者が他の薬は効かないので、断りきれずに販売したということであった。

 催眠剤は「注意ー習慣性あり」の表示が義務付けられた薬で、長期連用は薬剤依存性につながる事は薬剤師であれば誰しも知っているはずであり、治療のための投薬が逆の結果を生んでいる。

 今日、長い間の念願である医薬分業も暗く永いトンネルを脱出し、明るい光が見え始めております。かかる重要な時期に、一部の薬剤師が以上例をあげたような問題を起こした事は、単に当薬局の問題だけの問題ではなく、薬剤師全体の問題として受け取らねばなりません。

 いかに薬剤師会が薬剤師の職権、職能の確立を社会に主張しても、このような薬局・薬剤師がいる限り世論の共感を得ることは無理であろう。今年も健保改正、薬事法改正など、薬業界の将来に大きな影響を与える年になりましょう。国民医療のため、薬剤師の力強い結束と前進を期待します。

 厚生大臣と三師会との懇談会 福岡市薬剤師会副会長 荒巻善之助 昭和54年3月10日

 さる1月28日、橋本厚生大臣と山崎次官が来福、ホテルオオタニで三師会との懇談会がもたれました。本会よりは白木県薬会長、阿部・斉田副会長、市薬よりは藤野会長、白勢、荒巻、古賀の4名が出席しました。

 冒頭、大臣は今回の来福は山崎次官の地元福岡における支援をお願いに参ったのが第1の目的であると前置きした後、国会におけるグラマン問題及び健保法改正等の一般問題にふれ、更に医師会に対してはプライマリーケア及び海外研修制度、保険指導監査等について、また薬剤師会に対しては基幹薬局十か所、五千万円の予算決定に関する報告がありました。

 この後山崎次官のあいさつに続いて、各会との意見交換が行われました。薬剤師会は白木県薬会長より、今回の薬事法一部改正に関する質問があり、また藤野市薬会長よりは、薬剤師会としては医薬品の生産・流通・消費に至るまでの流れにおける一貫した管理権を主張しているとの要望があり、これに対して大臣は次のように答えました。

 薬事法は手をつけると際限もなく拡がる。従って一度に大改正をやることは無理であって、継続的に行うより仕方がない。そこで今回は安全性に重点を置いて進める。もともと現行の薬事法はサリドマイド禍の直前に改正されたもので、安全性に関する条項が一つもない。これがアメリカあたりと違うところである。

 これを行政措置によるものにするか、あるいは法による義務付けにするかということが問題の焦点となろう。また、その時点で予知できないような薬害が生じた場合、どこまで製薬メーカーに責任を持たせるか、国の保証責任はどうなるかというような問題もある。

 また、薬品の薬品のブラックマーケットを整理する必要があると思う。このあたりが日医の意見と対立するところでもあるが、日医はゾロゾロメーカーを整理すべきであると考えている。しかし、これは憲法で保証する職業の自由に引っかかりがあるので、なかなか難しい。私(大臣)は卸の法制化をすることで、薬品の流れをチェックすることができると思う。

 また、医師会よりは看護学院教官養成に関する件、救急医療一次輪番制に関する件、看護婦の労務管理に関するILO報告に関する件等意見交換があり、薬剤師会に関係あるものとしては、休日診療出動の給与を免税にして欲しいとの要望があり、これについて大臣は、この件については今までにそういう観点で考えてみたことがなかった。もっともだと思うので、課題として持ち帰るとの回答がありました。

 以上、薬剤師会に関連のある問題にしぼり、厚生大臣懇談会の様子をご報告いたします。

 「薬剤師職能の高揚をめざし、業界の先陣に立つ」 昭和54年6月1日
 福岡市薬剤師会事業の大綱 第六回通常代議員に於ける、藤野義彦会長 演述要旨

 本日ここに第六回通常代議委員会を平和裡に持つ事が出来皆様と共に会する事を感謝するものであります。

 代議員制を敷いてその日浅くございますが、代議員の皆様は福岡市薬剤師会員五六〇名を代表してここにある事を思い起こし、亦私共執行部は皆様の委任を受けてここにある事に襟を正し、共にこの代議員会に於いてその責務を果たしたく祈念するものであります。

 昭和53年を顧り見ますと、政治的にも薬業界は大きくゆれ動いた一年でありましたが更に来るべき54年の風雲の含みの年の前夜とも云えると思うのであります。本年度にかけて保健医療をめぐる諸問題が愈々本番を迎える情勢にあります。即ち外来初診料1,000円、薬剤費、歯科材料費の半額負担、入院時給食費等1,000円負担等にわたり実質給付率82%とする案等として今国会へ引き継がれているのは皆様承知の通りであります。

 亦安全性を中心とした薬事法の一部改正、薬種商の資格化につながる問題がありましたが修正の上通過しております。又医師優遇税制の改正、実施、施行があります。

 分業問題につきましては日薬が具体方式を示して五年目を迎えたのでありますが、この間福岡市薬では研修と受入態勢の整備に力を注いで参り会員諸兄の努力にかかわらず所期の目標には遥かに及びませんが全国率3%の中で福岡市は7%に及びつつあります。

 然しながら全体として低迷して居りますがその原因は単純ではなく、処方箋に対する医師側の意識の転換なくして実効をあげるのは困難である事が明らかであります。然しこの現実は他に理由を転換することなく、吾々の努力によりこれを打開しようとするものであります。

 先の一週間分業は吾々に有意義な体験をさせ、市薬としては弾力的にそれに対処しましたが決して無意味なものではなく吾々はその結実を将来の糧としなければなりません。市薬では53年度より支部組織に改革し、組織の強化、会員諸兄と執行部とのパイプの拡大を計り、支部毎に地域医師会、歯科医師会との協力又保健所等行政機関との密着を計って参りました。

 社保委員を中心に分業推進に就ての諸施策を進め、市薬内に医薬品販売業の新設をして備蓄センター的構想の下に会員に利便を与える様全力をあげて居ります。

 広報活動の充実を求めて年四回会報を発行してすべての情報の会員への周知をはかっています。

 薬局委員会の下にホーム薬局の育成、商業組合と協調して基盤安定を期する事は更に重要であると考えます。

 休日急患委員会は常時会合等に出席して医師会と協力しつつ薬剤師職能の高揚につとめ医療福祉に貢献する様努力いたして居ります。

 前回の地方統一選挙におきましては会員、部会長、支部長の方々と共に吾々執行部としましても全力をあげて、各区の推選候補者の応援に全力を傾けて参りましたが、その運動を更に推し進めるため福岡市薬政治連盟を結成して努力したいと考えて居ります。

 新年度に於いては原則として前年度の施策を延長して参りたい考えでありますが、即ち
 一、支部の位置付けのため定款改正し支部活動のアクチブ化
 一、広報活動のため会報充実し
 一、薬局委員会に於いて、薬局の自主指導機構を研究し、OTCの基盤安定に全力をあげ、薬局製剤につき研究を進め
 一、清水文庫の設立とその運営を図る等、多々ありますが、来年度予算の基本方針は、分業推進、組織強化、OTC安定と試験DIセンターの設立に重点をおき、現有するフクニチ社との共有の土地の利用を研究推進しこれに並行して市学薬事業を支援し、市教育委員会より要請があっている市立学校の水質検査、受入れの準備を進める事にいたし、本年度予算は前述の事業推進に中心をおき冗費を切りつめて上程いたしました。
 然しその予算規模は五千万円の大台を越えて居り慎重に執行すると共に会員専一にと考えて居ります。(予算額福岡県薬を上回る)

 最後に二、三の点に付言さして頂きます。福岡市薬は県をリードする立場にあります。亦県は九州をリードして行かねばならぬ状況にあります。そしてその中心はアクチブ会員五六〇名を代表される代議員の双肩にかかっています。よろしくその責を痛感されんことを希望いたします。

 時局を大観する時、今日の日本の薬剤師の社会的評価は前進の途上にあると云えます。私共は薬剤師である事に誇りを持ち、他者に要求される前に自らを高め、守るべき道を守り通すならば必ずやその実績が悦びに転ずることと信じます。今の時の暫くの試練はやがての栄光の前提にあると確信して精励せられる事を切望してやみません。

 私が常日頃思っている事 中央支部長 国武一人 昭和54年6月1日

 会報へ54年度の抱負を寄稿せよとの事ですが、それよりも私が常日頃思っていること即私共薬剤師はどうあるべきかという事を私なりの考えを述べさせて戴きます。

 職能に徹すると言っても色々の分野がありまして、それぞれの分野における中身が問題であります。ここでは店頭におけるお客に対する態度といいましょうか、姿勢といいましょうか、その時の対応が重要であります。果たしてプロとして満足のいく良心的な説明がなされたかという事です。

 亦プロとして次の様な事を考えることもあります。昭和30年代頃より薬禍の問題が起こり、完全に薬害と思われるものとそうでないと思われるものがありまして、何だか後味の悪いものもあります。亦今日でも話題になっているキノホルムについても不思議に思うことがあります。取り扱いのメーカーと被害者間の白黒の問題はさしおいて、プロの体験としてどうしても納得のゆかない点があります。

 私共は昭和の一桁時代からキノホルムの製剤を販売もし調剤もやってきたし、その間何等薬禍らしきものは起こらなかった。然るに突如として昭和37年、38年頃にスモン病に認定された事です。風聞する処では過剰投与とかカルテを出せとかマスコミを賑わせていました。

 キノホルムを服用した者が全部スモン病になったかこのへんの論議も説明も聞かないし、亦学者の説も両局面があってどちらがどうか解らない医と薬との絡み合いがうまくいっていない様に思えます。

 近頃調剤薬局についても論議されていますが、ひさしを貸して母屋を取られた薬剤師が分業問題に一生懸命になるのもよく解ります。然し完全分業にするためにはまだまだよく考えなければならない事があると思います。

 私共は御存知の通り政治的にも経済的にも医療機関中でもっとも弱く、亦学問上からも社会的見地からも信頼感や尊敬念も残念ながら劣っています。最近ではその辺の事情も大分変わりつつあります。そこで今こそ店頭に於いて常に国民の信頼感を勝ち取る姿勢が最大の急務と思います。

 例えば健康管理指導(言葉では簡単ですが大変な努力を要します)などは最適の職能だと思います。斯様な事は開業医にとっては暇がありませんし、点数稼ぎにもなりません。その様な盲点をついて納得のいくアドバイスすれば信頼感も出てくるし、矢張り餅屋は餅屋に任せろという国民の声を聞きたいものです。之が分業になる一端ともなれば幸甚です。

 博多支部会員に告ぐ 支部長 堀江秀男 昭和54年6月1日

 市薬剤師会が支部制になり各区支部が発足して1年になる。支部長として御世話をさせて頂きましたが各部会長先生他多くの先生方の御協力と御支援により、当博多支部は組織的に整備充実しました。

 本年度は市薬定款の改正により支部も明確化し、私の責務の重大さを痛感し支部会員の皆様のための博多支部作りに努力致します。薬剤師会への愛着と認識を更に大きくお持ち頂ける様運営面に又活動事業に実践する所存です。申すまでもなく会は会員が動かすものです。舵の修正も推進力も会員諸先生の力です。力強い和やかな博多支部に絶大の御協力を御願いします。

 さて本年度運営計画と活動方針は五月中に決定し、六月に総会にて皆様の御意見など承ります。追って御通知申し上げますが必ず御出席し御参加下さい。

 博多区は板付空港、博多駅、博多港と名実共に福岡の玄関で東京、大阪の大手民間企業の事業所等が多く、構築物等の近代化で都市化の様相が強く発展も素晴らしいものがありますが、一方人口は横這いで地元企業特に小企業は必ずしも進展しておりません。私共小売薬業も一部住宅地を除いては沈滞気味に思われます。この様な時今後我々は如何に対処すべきか、この問題を取り上げ組織力と皆様の良識を以って探求したいと思います。

 業界紙等で御存知の通り先般の医師優遇税制の改正による量下げ医療に伴う処方箋発行が取沙汰されています。医師会は武見日医会長が医師会営調剤センターを各地につくる構想を発言されています。私共薬剤師としての真の分業理論に基づく理想的分業が最も望まれるところですが、機を逃がしては分業への方向すら見失う恐れがあります。処方箋応需につき種々の方角から研究する機会をつくります。前向きな姿勢で真剣に分業調剤を御考えになり薬剤師職能の達成に努力して下さい。

 マンツーマン調剤薬局の経営につきましても種々問題点もあります。これも課題として研究すべきです。過日、相浦博多区医師会長と冨永社会保険委員ともども面談しました所、我々薬局に大変御理解もあり処方箋発行の気運が御話の中にありました。医師会も徳州会問題で軌道修正が順調に行なわれているようです。

 本年度は、支部としてOTC小売薬業と分業応需態勢につき、充分研究のうえ活動事業を行なう予定です。会員皆様の御賛同を御願いする次第です。また支部事業の一端として会員の融和団結を計る意味で懇親会、奥様会等企画致す予定です。宜しくご理解の上、御協力を切に希望します。

 支部に望むもの 東支部会計 正岡民次 昭和54年6月1日

 医薬分業が、急速に進展する今日、市薬において、支部制がひかれたことは、大変意義があると思う。

 先日の統一総選挙においてわが東区は、二名の県会議員と、又市議を各東区の部会が一丸となって応援し、全員当選に至らしめた。今回の団結は、支部制の大きな結果だったと思う。

 又、今後の薬業界において思う事は、会を代表し、支部が担当保健所、当区の行政区にかいし、保健衛生、医療行政の一員となりたいものである。それと共に、会員も薬剤師という立場を自覚し、地域住民の薬の専門家として、常にアドバイスできるよう、勤勉に励みたいものである。

 又、調剤室の清潔さは勿論だが、調剤に必要な最低設備器具「自動分包機、加除式天秤、自動滅菌器」はそなえ、今後の医薬分業において役立てたいものである。

 薬剤師の大きな役割は、日一日と社会住民のため役立ち信頼されるものでありたい。そのためにも、今こそ支部制への協力・団結を用いて、大きく飛躍しようではないか。

 「今こそ薬剤師職能確立に励む時」 昭和54年9月1日
  第七回臨時代議員会に於る藤野義彦会長 演述

 炎威凌ぎ難き日が続きます中、緊急のため、臨時代議員会を開催いたしましたところ久保田秀己市議会議長殿、白木太四郎県薬会長殿臨席の元、会員580名を代表される代議員諸兄と会することを得、大いに感謝申し上げるものであります。

 今回は特に社団法人福岡市薬剤師会が所有する事が出来ました今泉1丁目の156坪の土地の有効利用に就きまして、提出の議案にもとづき諸兄の熱心な御討議を頂き、薬剤師職能を通じて医療並びに公衆衛生の一端を担って、市薬剤師会とその会員が如何なる方向に前進するか研究論議してビジョンを打立てて頂きたいと思います。吾々執行部は会員諸兄と共々全力をあげてその事業の推進に当る覚悟であります。

 先の第六回通常代議員会、第八号議案、試験DIセンターを含む多目的建造物建設のため、現有する土地について等価交換に準ずる売却承認の件、での決定により、福岡市薬剤師会館建設を進めたいと考えております。

 なお今泉の土地につきましては、さきに「福岡市」より譲り受けた当時、一年以内に建設の契約書交換後、六年間も経過し進展を見ませんでしたが(フクニチ新聞社との共右等の関係のため)更に慎重な審議、音寛発表をお願いしたいと思います。

 薬業界を含めて各医療における問題は、薬事法、健康保瞼法抜本改正、医師税制の改正等、本年度から来年三月にかけて大きな破乱含みの中にあると云えます。

 代議員の諸兄、会員の諸兄共々吾々執行部はこの困難な時流を乗り切って前進し、明日への希望を生かしたいと考えております。

 覚せい剤乱用の実態 昭和54年9月1日
 福岡県衛生部薬務課 麻薬係長 市瀬堅次郎

 我が国の薬物乱用の歴史は、戦後の覚せい剤で始まったといわれている。戦前の我が国は、ケシ畠の総面積が約八一○平方粁に及ぶ世界有数の栽培国で、大麻にいたっては、干年を越す歴吏にもかかわらずアヘン系薬物、大麻の乱用による依存者はきわめて少なかった。

 何故覚せい剤が我が国にとって不名誉な薬物乱用の元凶となったか、その背景を探ってみたい。覚せい剤、ヒロポンで代表されるこの中枢神経興奮剤は、戦時中戦意高揚の名のもとに軍隊の中で夜間作業や突貫作業などに使用されたが、完全な管理体制下での使用は薬物依存にまではいたらなかった。

 しかし、終戦後の混乱と虚脱の中でその時代を土攘として我が国の薬物乱用の歴史が芽ぶいていったのである。この時代は、夜間労働者、芸能人、文筆家、ホステス等特定の者が乱用者の中心で、初めは錠剤を、次いで注射薬が売り出された時点からその即効性を求めこれに走る者が多くなり使用量も増加していった。

 覚せい剤乱用がピークをしめした昭和29年には、検挙者が五万五干名を越え、推定常用者五五万名、精押異常を伴なう依存者は二十万名といわれた。我が国の薬物乱用の第一期は、こうして多くの乱用者をうみ、大きな社会問題化したのである。これに対し法の改正、取締の強化、国民運勤の展開等により昭和30年覚せい剤乱用は急速に減少した。

 そして乱用者第二期・ヘロイン乱用時代を迎えた。これには、暴力団が密売ルートを握り資金源として莫大な利益をあげていたことが更に問題を大きくしたが、対策強化により40年から45年にかけて薬物乱用は、一時的に平穏時代をたどった。

 45年を境として再び覚せい剤が乱用者の手に戻り第三期薬物乱用時代の幕があき現在に至るまで増加の一途をたどっている。乱用の時代背景は、終戦後の第一期とことなり安定した社会の中での乱用は、遊びの要素が多く、これに加えて暴力団が有望な資金源として販売拡張をはかり、さらに供給源が密輸入によるもので源を絶つことの困難性が乱用者の増加に拍車をかけている。

 石油ショック以降の不況下での暴力団は、資金確保にあらゆる手段を使ったが、覚せい剤密売がうむ資金は大きく、一兆円産業といわれる暴力団資金の44%四五八〇億円をかせいでいるといわれている。

 覚せい剤乱用の現状は、53年検挙者一八○二七名に達し前年比22%増となっている。福岡県の検挙者は、六六三名で東京、大阪、北海道、神奈川、静岡に次いで検挙者の多い県となっている。

 現在の乱用者層は、一般市民層特に会社員、主婦層への蔓延、青少年層への浸透という深刻な局面を迫えている。十九才以下の検挙者の全体に占める割合は、年々増加し、女子高生がだまされて覚せい剤を注射され売春を強制された事例、中字生が覚せい剤を密売した事例、小学生のとき覚せい剤を注射され常用者になった事例等が起っている。

 また乱用者の職業では、暴力団関係者が大部分を占めてはいるものの、検挙者中に占める割合は毎年低下してきており、(49年62.8%、50年59.7%、51年58.7%、53年51.7%)乱用の一般化がこのことからも知ることができる。末端使用者は、身代をつぶし、詐欺、窃盗、売春、強盗等を働き自らが売人になるなど転落の道をたどっている。

 乱用に使用される覚せい剤の多くは、密輸入によるものであることは前述したが、その手段は非常に功妙化し、覚せい剤八〇グラムを指サックにつめ糸でしばりのみこみ糸の一端を歯にひっかけて密輸入しようとした事例、外国航空郵便小包にした陶器製花ビン内に隠匿して郵送してきた事例等がある。

 密輸入した覚せい剤は、増量剤を加えて(八対二とも六対四ともいわれている)うすめ末端価格一グラム三〇万円位(原価一グラムー万円前後)で販売されている。密輸入の仕出地は、韓国、香港、台湾、タイ、マカオ等で最近は、監視体制の厳重な主要港をさける傾向があらわれてきている。福岡県は、国際空港、主要海港をひかえており特に韓国には最も近く、まさに「ねらわれた地域」といっても過言ではないと思う。

 覚せい剤乱用の現況を簡単に述べたが、覚せい剤中毒による幻覚、妄想等の精神障害がもたらす症例、犯罪事例等については、機会があれば改ためて紹介したい。覚せい剤乱用防止は、我々に与えられた重大な使命であり「覚せい剤、国を亡ぼす」といわれないよう努力することが、ひいては総ての薬物乱用の防止につながるものと考えている。一般の方々のご協力を切に望むものである。

 「薬剤師職能と市薬会館建設」 福岡市薬剤師会会長 藤野義彦 昭和54年12月1日

 事業年度の当初より、一大プ口ゼクトでありました会館建設も、いよいよ大詰に来ました。その間十数回にあまる建設プ口ゼクト委員会を開きその都度、真剣な理事会の審議を得て、その規模と機能を発表し得る段階に至りました。

 思えば昭和46年、前会長斎田和夫先生の御尽力により、福岡市所有地であった今泉の一五六坪の払下げをうけて以来、実に8年の年月の経過をみております。

 市薬会館建設は、すでに本会が設立されて五十有余年になるが、過去にないきわめて大さな事業であり、今後共全会員五八〇名の力を結集して、目標完逐に精進しなければならない。

 ここに於て市薬会館建設の趣意を改めて確認し、その規模を公表し、本会定款第4条の目標に向って、より前進の第一歩を踏み出したい。

 近代の高度な社会構造と、めざましい医療の発展と改革にともない、医療の一端をになう薬剤師(薬剤師会)として今後専門職としての職能の発揚と組織の充実が一段と要望される。

 その主要な事項として
 @医薬品検査試験機能
 A薬品情報提供機能の強化並びに分業の正常化
 B学校保健ならびに公衆衛生への積極参画
 C休日急患医療への協力体制の強化
 D薬剤師研修
 があり、この事項推進にあたって次の規模の建設が最少限必要てあることを確認した次第であり、今後共三師協調の上に立って、自らの職能に誠心邁進し、医療行政に積極的に協力、努力してまいる決意である。

 建設規模は概略次の通りであり、現在見積価格について建設会社と折衝中で、出来得る限り早期着工、来夏には完成という目途ですすんている。くわしくは次回の会報で報告する予定である。

 以上、本年通常代議員会ならびに臨時代議員会に於て議決された事業の大綱にのっとり進めてまいりました。本会にとって末曾有の大事業の進捗状況を報告し、薬剤師職能と会館建設が不即不離であり、本会の進取性と信用を内外に定着させ、対外的な事業活動 の基点とするよう、なお一層会員諸兄の支援のもとに執行部全員、心を一つにして努力していく所存である。

 青年薬剤師 座談会 昭和54年12月1日

 まえがき 古賀専務理事

 税制改正による処方せん増発の気運、調剤薬局の急増、一方ではOTCの再評、スーパー攻勢など薬局をとりまく現況はあわただしく、きぴしくもあり又好機のときでもある。
 このような現状に青年薬剤師はどう考え、若い薬局経営者はどう行動しているか。これらの青年ぱパワーは薬剤師会のエネルギーてもある。そういう意味で今回若手の薬剤師に大いに語ってもらった。

 司会 松井昌也理事
 昭43 福大薬学卒 34才
 昭51 徳松薬局開局

 出席者 (順不同)
 ▲碇博幸先生
 昭47 東京理大薬学卒31才
 昭52 巨V道薬局(二代目)

 ▲正岡民次先生
 昭46 福大薬学卒 30才
 昭47 東区津屋にて開局
 昭49 美和台に支店開局

 ▲小野信昭先生
 昭50 福大薬学卒 29才
 昭52 居ャ野薬局(二代目)

 ▲深見俊彦先生
 昭45 日本大卒 32才
 昭53 ふかみ薬局
    奥様(薬剤師)

 司会 本日は先生方には、御為忙のところ、お集まり頂きましてありがとうございました。最近、薬剤師会に入会される万で、若手の先生方が非常に多く見受けられるようになりました。
 そこで、日頃お店で活躍しておられる先生方の仕事を通しての医薬分業やOTC薬、又薬剤師会等について考えてある事や、将来のビジョンを話し合って頂きたいと思います。

 【何故、薬剤師になられたか薬局経営を始められた理由】

 司会 まず最初に、何故、薬剤師になられたか、またどううして薬局経営をされるようになったのかについて、いかがてしょう。

 碇 動機というのは、そんなにないんですが、父が薬局をやってました。子供の時からずっと見て来ているし、流れに逆らわないというか…
 司会 碇先生は、長男ですか。
 碇 ええ、そうです。
 司会 後継者ということですね。
 碇 そういうところですね。あまり流れに逆らってもという考え方でしたね。
 (全員笑い)

 司会 小野先生は?
 小野 うちも、そうですね。
父が店を3軒殖していましたから、大学を卒業する前に、 僕は、三男ですか、長男が薬学部を出ているけど、薬学の研究の方にはいってしまってから、まるで商売向きでない。
 (全員笑い)
 二番目が薬学部に行かなかったのて、なんとなくお鉢が回って来たということです。僕も逆らわずにということで、3軒あるからやってみようかと思って。

 正岡 私は、薬学部イクオール薬剤師という感覚は、全然なかったですね。父か厚生省関係に務めててですね、公務員にはなりたくないと、たまたま薬学部を受験したら、パスしたと、その時まで薬剤師という意識はなかっんてすね。薬学部を出たら薬剤師にならないといけないという感寛はありました。メーカーを辞めて、成行きとして開局しました。

 深見 私は、畑違いのところにいました。結婚した女房が薬剤師であったので、いづれは、薬局でも開こうかと思っていました。いろんな人に話を聞くと、やはり薬局はいい商売であるということで開局が頭にありました。ここ三年前から考えていまして、昨年の一週間分業の時に、今がいい時期と思って、七月一日に開局しました。

 碇 大学時代、その当時乱売があってた時期て、あんなやり方は好ましくないと、学生の目で見た時にですよ、継ぐべきかどうか迷いました。学生時代は、あんなことをしていてもしようがない、やめておこう。少なくとも研究機関に行った方がいいじゃないだろうかと、思考致しました。その後心境の変化があり、たまたま入社した関係から、薬剤師として店頭で薬に対する不信とかを和らげ、適確に薬を応用していく、少しでも地域住民に、簡単なものでしたら一応処理できるというところが出来ないものだろうかと思い、薬局を継いでみようと思いました。

 【二代目経営者として御苦労の点は】

 司会 小野先生と碇先生は、二代目ですが、二代目の御苦労がおありと思いますが?

 碇 基本的な考え方は、父と一致しています。但し、僕達は若いですから、どうしてもストレートに、ワンクッショソ置くというやり方は非常になまぬるく感じます。一つの事を説明する場合でも、じわっとするやり方と、ボソとやって行く方と、色々あると思いますが、その辺に意見の対立があります。
 私のところはよく漢方薬をやっていますが処方選定の上において、自分ならこうする、父だったらこらずる、その時の薬の使い方と云うんですか、ずっと突込む、その辺の老練差というんですか、その差が出てくるとどうしてもイライラしてく今そういう面もあります。

 司会 要するに、販売におけるテクニックの違いとか…

 碇 はい、そういう時はジレンマを感じます。経営的な面で考えた場合、どんぶり勘定になっているんじゃないかと思い、数字で管理していく、その辺が欠けているんじゃないかという感じがします。そこをどうなおして行くか、私が帰ってきて。一つのポイントだったと思います。
 小野 店を広げた時が乱売戦の後半でしたから、薬局のビジョンと云うのが、父の場合は、薄利多売と云う考えか若干ありました。薬局は生き残れない、一軒ではどうするかという考えが強くあって、店を広げたおかげで人員が手薄になりました。薬剤師は薬剤師というとって商売はしきらんと、その頃処万せんも全然出ていませんでしたしね、薬剤師の肩書は捨でてもよかという考えが強かったですね。
 卒業してヒグチに入社しました、入社してショックと云えばショックでした。売れている物といえば薬より雑貨の方が多い訳でして、そこで二年間薬よりも、組織や計数管理を勉強しました。
 帰ってきまして、ヒグチにおる時からもそうでしたが薬を売るというよりも、色んな置いてある物を売って行く形が多かったものですから、薬局とは今からどうあるべきかと、いつも考えていましたから、ヒグチみたいな量販店のような事はやりたくないと自分なりの考えて、薬局というのは、今からはある程度一国一城の主的な考えでないと駄目じゃないかと思い、そこが父との竟見の対立がありました。
 父は昔ながらに夢を見ているというか、店を広げていって安く商品を仕入れて、そこから利益を出す。そこら、へんの経営計数管理的なことと、そういう夢と云いますかそういうのですごく対立しています。だから、今だに処方せん調剤には積極的ではありません。

 司会 二世には、先代とのそういう風な考え方の違いがありましょうが、それか又、お互いの進歩のためには、役立っているのではないでしょうかね。
 小野 そうでしょうかね、それであればいいと思いますが。

 【新開局に当っての苦心】

 司会 二代目の先生方のお話を伺ったわけですが、自分でお店を開かれた初代の先生方にもそれなりの御苦労があったと思いますが。

 正岡 一番感じた事はてすねお客さんに対して信頼がないということですね。十人来て気簡単な薬でも十人のうち一大儒しか云う事を間いて買ってくれないですね。どうしても十人中大人は、宣伝とかをされている商品の方を信頼するということで、薬局自体格(信頼)がないということを感じますそれと資金的な面で苦しいんじゃないかと思います。
 私も借金して、家賃を払って、生節もしなくてはならない。すべての面でやっぱり苦しさを味わいました。だけどそれなりにどうしたら、やれるんだということだけある程度わかったと思います。

 司会 そのどうしたらやれるんだということは。

 正岡 やはり、分岐点じゃないですか、自分自身の分岐点どこまでは我慢できるんだという、そこじゃないですか。自分が始めたことですから。
 碇 信者を作る事か大事で。一対一でどれくらいの信頼できる人をつかんていくかと、要するに僕達に対する信頼度が、その店の格になっていくだから一人一人のお客様に一人でも多くの信者を作るように誠心誠意やっていくというところかミソじゃないかと思います。自分の勉強をしてきたことを精一杯提供してみると、あなたに合った薬を差し上げると堂々と伝えるようになるんじゃないでしょうか。
 深見 うちの場合には、割と相談客が多いんです。それで女房と担当わけではないですが、私が水瓜とか、痔疾患とか、女房には、相談しにくいと思われるのを、うけています。
 薬剤師というものが一体何かと、振り返ってみますと、医薬分業の際には、絶対に必要ということと、これが本当の薬剤師の仕事ではないかと思うのは、売薬以外の薬で、患者にあった調剤をしてあげれるということではないですか。自家製剤(薬局製剤)的なものが作れるということが薬剤師の特権ですね。でないと薬剤師イクオール売子になってしまっては、薬局の今後は、あらかた小さいものになってしまうのではないでしょうか。分業と製剤が出来るというのが薬剤師の特権ではないてしょうか。

 司会 薬局製剤について、少しお話を伺いたいと思います。薬局製剤をなさってある方は、どなたかいらっしゃいますか。

 小野 以前は父がやっておりました。父は九大にいて、退めて開業しましたから、九大の処方で、売薬的に使える薬をやっていました。例えば、風邪薬、咳止、解熱、胃腸薬、便秘薬とか、薬局製剤は、許可を受けて二年毎の事前で、途中で店を広げたせいもあって、一軒一軒申請をしなければならないのと、乱売で製剤の売上げが全体の比率からいくと佩ってきて、僅かになってきたけれど、まだ続けていましたが、丁度その頃、当り屋に三回続けてひっかかったので、その時でもう嫌気がさしてやめました。私か帰ってきて、款膏剤なんかは、色々と作っています。
 正岡 私もですね、五年前まで薬局製剤をよく作っていたんてすが、洗い直しで大部分なくなりましたですね、便える薬がね。それと今の当り屋の問題があるし、薬疹のことなんかあったし、その時点から全部やめました。

 【薬局製剤の活用について】

 司会 そうすると薬局製剤というものは、許可を受けて作っているものに対して、そういう一部の当り屋とかにひっかかった場合に、こういうものについて対策を企てないと最近薬局製剤が見直されつつあるのに、またしぼんでしまうということにもなりかねませんね。

 正岡 メーカーのOTC薬は、そういう場合保障する必要はないそうですね。
 小野 ないんですけど、まあ一応、メーカーに全部いきますね。こちらは、ある程度金銭的な面ではダメージは少ないですね、お詫び程度で済みますね。まあ、我々の場合は金銭的なダメージが大きいですね。

 司会 小野先生は、薬剤師損害保険を御存知ですか、あれから、救済措置もありますので、利用なさると良いと思います。

 正岡 うちの揚合はですよ、先々、医薬分業になってきますんで、それで薬局製剤や零売とか、なるべく減らした方がいいんじゃないだろうか、神経的な考え方から、故意に段々減らして来ています。医者を剌激しないように。
 小野 それはありますね。うちの場合そのことと両方ありましてね。
 正岡 やっぱり、ものすごく意識していますね、開業医の先生方はね。
 小野 やはり、医薬分業を見とかないと駄目ですね。
 正岡 医薬分業は、今からは別の形で出てくるんではないでしょうか。
 小野 それはあるでしょうね。
 正岡 今の、現在の薬局でいいんだろうかと考えた場合ね、お医者さんの場合、駄目だと思ってあるんじゃないでしょうか、立地的なことや、形態とか。
 小野 うちも、ドクターと話を進めていまして、来年からやるようにとせっつかれていますが、やはりマンツーマンでないと困ると、ドクターは言われるですね。今ある店舗で処方せんが出てくれることが経済的にもベストなんですが、だから店の中も少しづつ換えていってるんですが、乱売もしませんし、雑貨も店頭に積むこともしていませんしね。それで固定客で地域の人を中心に経営か成り立つように考えていますけどね。

 【既存の薬局における分業についての取りくみ方】

 司会 丁度、分業の話が出ましたので、分業について少しお話を聞かせて下さい。先生方は全員処方せんを受けてありますね三百枚以上受けてある方は、私のところだけのようですね。今私のところは、月に六百から七百枚です。耳鼻科の処方せんか主ですが、他に内科二軒、これは今のところ外用薬だけですが、それと歯科医と受けております。 処方せんを受けるようになって、OTC薬の売上げとかが若干減ってきたようです。 だからOTC薬も伸び、分業分の収入もあるというようにしないと、いつ処方せんが出なくなるかも知れませんし、だから、あくまでもOTC薬が基礎だと思います。

 碇 それがマンツーマンの悪い面ですね。
 正岡 医者は主導権が百%ありますから医師次第ですよね。分業するも、やめるのも。薬品側も相手を選ぶべきですね。それと、薬剤師とお医者さんと相互に接触しておいて、心の中がわかるように、つまり信頼関係がないと絶対医薬分業はあり得ないですよ。例えあったとしても、おそらく途中で崩壊したりするんじゃないですか。
 小野 そういう面を、私は二代目ですから父からよく言われるんですよ、今までマンツーマンでやってこられて壊れたという例をたくさん見てきたから、マンツーマンに対してものすごく危惧の念を抱いているということですね。だけど、現状はマンツーマンでないと進まないということですね。
 新しく開業をなさる方で、はたしてマンツーマンでどこまで突込めるかということですね。投下資本は少いですもんね。自分で店をやる場合、店の規模にもよるけど、五百万以上はいりますよね。調剤薬局の場合ですと、ある程度医薬品もしぼれるし、人員もしぼれるし、時間的な面でも余裕がありますしね。今度僕がやる話をしているところでは、大体二百万ちょっとあれば足りるんじゃないかと思います。
 正岡 それは、薬品購入だけですか、設備的なものは、貸し店舗か何んかですか。
 小野 はい、そうです。
 正岡 器具なんかは、どうされるんですか。
 小野 器具なんか全部人れてです。医薬品は含んでいません。
 深見 家賃と設備投資ですね。受付が始まる時までで二百万ということですね。敷金とか入れたらまた話は別ですね。
 小野 そうですね。
 司会 それは、内科とか?
 小野 内科、小児科てす。マンツーマンの場合は、好立地じゃなくていいわけですからね。だから、設備面からいうと、やってみる価値はあると思うんてすが。

 【マンツーマン分業の是非と功罪】

 司会 内科・小児科ですと、薬の種類として二百種類は最低要ると思いますね。

 小野 そうですね、医薬分業になれば、ドクターが今まで置いていなかった薬も処方せんに出してきますからね。今度は、自分が使いたいと思う薬を気兼ねなく出せますからね。
 深見 マソツーマソならば、そのへんのことは打合せできるんじゃないですか?
 小野 できるけど、やっぱりそういう面は期待してありますよ。
 深見 ああ、なる程そうですね。
 正岡 松井先生のところは、デッドストヅクはどうされていますか。
 司会 私のところは、医師の方に言いまして、この薬品がストックになっていますので消化して下さいとお願いします。でないと、これは大変です。
 小野 そこらへんの問題がですね。
 司会 これは逆にいうと、マンツーマンのそれがいいところじゃないんですか。
 深見 そういう打合せが出来ればですね。だけどそういう打合せか行われているうちは医薬分業が本格化されないですね。
 小野 そうですね。

 司会 そうなると、地域に調剤センター、備蓄を兼ねたものか必要になってきますね。

 正岡 うちなんかかなりデッドストックが出てますね。
 小野 うちなんかも出てますね。
 司会 マンツーマンの場合は薬が決っているから苦労しませんが、他地区からの処方せんですと、無い薬が多いですね。それを取り寄せて調剤しますが、あと残りますが損しててもという感じて受けております。
 碇 僕も一応、意地で受けていますね。
 正岡 メーカーに小包装を作って欲しいてすね。五百錠、千錠、五千錠、なんて単位じゃなくて、百錠単位の包装を作って欲しいですね。
 深見 私の場合でも、うちにないものが来た場合、附近の薬局に全部電話して廻りますよ。幸い、長住地区は調剤薬局が多いですから、そういうところで手配出来ますね。医薬分業を本当に浸透させようと思えば、医者も心配していることでしょうけど、患者側の不安といいますか、そういったものを如何に解決させるかということも一つの医薬分業上における大きな問題点と思いますから、うちにお見えになった患者さんにはやはり、意地でも調剤してあげるようにしています。中には、処方によっては手数料位しがならないのに、あっちこっち電話したり、走り廻ったりすることもあります。
 司会 そういう意味での意地というのは賛成しますね。
 小野 ある程度、どこでもやってあるんじゃないてすか。
 司会 それと、私は薬局委員をしていますが、備蓄薬品リストがありますね、あれを多いに利用されることを望みます。

 司会 小野先生は、来年から分業をなさるお医者さんがいらっしゃるそうですが、薬剤師会員の先生方の中には、ドクターに対するコネかつけにくい、所謂、敷居が高いという考えがあるんじゃないでしょうか、医師に対するアプローチの仕方があるんじゃないでしょうか。

 小野 やはり、それか一番の問題ですね。これは人間関係てすから、たまたま僕の場合は友人を通じての仲になり。一緒にゴルフなんか行くようになりました。一週間分業の時にもお互いの薬品リストを交換しまして、その時は五枚程度しか出なかったんですけど、その辺から親しくなって、今度税制改正になり計算してみるぺ処方せん発行の方が、医者の方か有利になるとのことで、何時からするかと逆に言われているわけです。仲々場所か見つからなくて困ってます。
 碇 アプローチやってみたこと、がないんですからね。
 司会 医者に対するコンプレックスみたいなものがありますか。
 碇 コンプレックスと云うかじゃないでしょうか、何と云うか、複雑な心境ですわ。
 正岡 やはり、医者サイドの企業だから、云いにくいんじゃないでしょうか。
 小野 一週間分業の時でも、行く迄時間かかかるけど行って見れば気軽に話してくれましたけどね。飛び込んて行くしかないんじゃないでしょうかね。
 正岡 ドクターと同じ趣味を持つのが一番旱いんじゃないですか。

 司会 だから、ある程度親しくなるというのが前提条件であって、それから医薬分業の話は二の次に出てくるものであって、日頃の隣近所の付合いみたいなものをなさるとよろしいんじゃないですか。

 小野 だからそれが仲々、こう云うと何んですが、こちらにも下心があるもんですからそこら辺が言いにくいですね。
 深見 しかし、来春から税制が変ってきますよね。それと薬価の改正がありますね、これは少し遅れそうですけどね。そういう事もあって今がチャンスじゃないでしょうかね。
 碇 個人でなくて、部会同志(薬剤師会と医師会)での団体交渉みたいなものはできないですかね。

(つづく)
 (更に次回は分業問題、若いパワーによる薬剤師会々員の団結、等についての話合いを報告します)

 薬局窓口におけるDIについて 博多区休日急患委員 木原三千代 昭和54年12月1日

 九月九日、パークホテルにおいて、吉本先生より「薬局窓口におけるDI活動について」という講義がなされた。小売薬局の窓口に立つ私にとってDIというのは、あまりかかわりがないものと思っておりました。

 でも、アタラックスPを風邪薬とまちがえて6カブセルのんで眠ってしまったけど大丈夫でしょうかとか、昆虫採集に便う注射器をあやまって皮ふにさして赤くはれているけど大丈夫でしょうかと、学校の保健室から聞いてこられたりて、開局薬剤師とはいえ、やはり、DIというものを知っておかねばならないと痛感すここともあり、本当に是非受けなければと思いました。DI入門ということで、DI活動のあゆみということから始められた。

 昭和36年頃からDI活動の概念固めがなされ、医薬品カード発行から、DIパソチカード発行、日本医薬品情報センター(JAPIC)設立、国立大学病院にDI主任が認められる、というような歩みをなした。

 現在使用されているというパンチカードを見せていただきましたが、カードの縁にあけてある、たくさんの小さな穴には、全て意味があるということでした。

 次いで新製品のインタビューフォームの改訂案というのを伺った。 新製品を紹介する場合は、六項目にわたって詳しく記されたインタビューフォームというものを提示するようにというもので、実際に第一の”ノイエルカプセル“のそれを見せていただいた。

 この中でpkaという新しい言葉にふれた。pkaというのは、解離定数の逆数の対数のことで、これが高い方か(塩基性薬物)乳汁中に移行しやすいということである。

 他地区調剤薬局のDI活動ということで、上田薬剤師会会営上田調剤薬局で実際に行われているDI活動というものを見せていただいた。本当に大変わかり易く、丁寧にDI活動がなされているのか良くわかった。

 最後に、情報を伝える場合の注意として、私達開局薬剤師から患者さんに情報を提供する場合には、資料をそのまま見せるのではなく、一般の人にも良くわかるような一言葉で、理解してもらえるように話してあげるべきである。

 その際、情報のもととなった書籍、紹介先などを明確にしておかなければ、医療紛争が起きた時など、困るということに注意すべきである。

 「薬剤師の職能と使命〜80年代幕あけにあたって」 会長 藤野義彦 昭和55年3月15日

 日本の経済は、低成長から安定成長へ、しかし私共がいる薬業界は、その特殊性から急変はしない。その理由は、国内的にも国際的にも福祉重視の時代だから、医療産業は全体としては容易に低落はなく、むしろその生産と消費は、かなりの上昇を続けるだろうといわれている。

 石館日薬会長は、80年代に当然起こるべき変革は、医療制度の質的変化であり、われわれの目前にある当面の課題は、健康保険制度の抜本的見直しであり、このことは保険財政の健全化のためのみでなく、社会福祉政策の視点からも、老人医療と重症医療の優先から、当然、軽医療の一部負担が必須の状況であり、大、中病院と診療所との機能の分化が進むと同時に開局薬剤師は開業医のプライマリーケアに協力し、また市民に最も近いところにおいて、プレプライマリーケアの役割を果すことを期待し、国民に第一義的な自己の健康管理が普及されるよう、その役割を果せと、いっておられます。

 新年は80年代(向う10年)の始まりです。われわれは、過去の70年代の10年を振りかえってみるとき、好ましい変化を80年代に期待するものである。70年代の始まりは、昭和45年ですが、この昭和45〜46年前後に大衆薬は量的に、最大の生産がなされております。しかし、その反対に生産額は国の経済の成長率に合わせて漸増してきている事実、これは一言でいえば、値上げでカバーしたということになるのです。

 大衆薬の消費低下は、国民の薬不信、健康保険制度の充実によるところが大です。この面における客数の激減を見ると同時に、薬局間の格差を生じている。70年代の10年をみるとき、大手メーカーの再販品が大衆薬の総生産にしめるシェアは7%の減である反面、直販品は1〜2%のアップを示している。これは薬局経営の健全化から見るとき当然と思われる。

 70年代の半ば、すなわち74年から医薬分業、処方せん調剤の動向が見えはじめ(つまり昭和49年健保法の改正による処方せん料50点以後)その流れは加速しながら今日に至っている。その数字は県内でみるとき、54年5月で30万2千枚、5億8千万円であり、これを昭和49年10月と比較したとき、枚数にして13倍、請求金額にして25倍で、発行医(数)六百人を超えている現状です。

 80年代は前述したように、軽医療の一部負担が出てくれば、大衆薬は浮上して私共を潤すことになり、また医薬分業の流れぐあいからいって、希望的観測でなしに分業確立の10年間とすべきであろう。真剣になって調剤薬局をめざす。医師も70年代の初頭では医薬分業という言葉はタブー化していたためもあったが、現在では徐々に処方せん交付を当たり前だと思うようになり、それによって患者もまたそうなってくることは必定です。80年代が医薬分業を成熟させる時代になるよう最大の努力をする期間ではなかろうか、また、しなければならない。

 市薬剤師会は、55年度は、前述したようなことを見通しながら、基本方針を設定して努力する。今執行部においては、事業計画と予算計画を検討中であり、代議員会に提出するよう努力中です。

 本年は、
 @会員のよりどころである市薬会館を竣工させること。学薬事業の推進援助、情報センター設置、卒後教育や各種講習会などの会合を容易にし、会員事務の能率化を図る。
 A分業の積極推進のため、推進月間の強化、医師会との疎通を拡大、地元薬科大学との提携
 B大衆薬の安定と薬局製剤の導入。
 以上を最大の目標としたい。

 子供時代は、その行動は全力で創造的な前進をしている。企業はむづかしい大変なことではあるが、私共も全力投球で、前進した行動をするならば医師の先生方を動かすことはできると信じている。価値があるものに燃えて精進したとき、連帯感が生まれることを痛感している次第である。

 薬局の管理及び販売姿勢について 副会長 荒巻善之助 昭和55年3月15日

 薬事法の改正により、医薬品の安全性に関する規制がきびしくなり、同時に薬剤師の管理責任も重くなりました。従って日常の販売姿勢も医療の中における薬剤師の立場を充分に認識し、社会的責任を自覚しなければならないのですが、最近これと逆行するような事件が市内各所で相次いで発生しています。

 例えば、血圧を測定して降圧剤を販売したり、クロマイ等を含む抗生物質を安易に販売するようなことです。クロマイはセカンドチョイスの抗生物質として、一般的使用から除外されていることは、薬剤師なら誰でも知っていなくてはならないうことですから、こういうことが頻発すれば、その社会的信頼が下落するとは当然のことだといえます。

 又最近新聞等で報道された事件で保険薬剤師の指定取消しがあったことは御承知と思いますが、これほど極端な例でなくても、開設者が薬剤師でなくて、経営姿勢が好ましくない場合、管理薬剤師は当然その改善を求める責任と権利があります。

 福岡県では非薬剤師の開設する薬局で好ましくない事件が頻発したため、衛生部長名で次のことが通達されています。即ち、管理薬剤師が権限をもって、経営内容の是正を求めた場合開設者がこれに応じない場合一片の電話通告で、雇用契約を解消することができる、というものです。

 いわゆる名義貸しがいまだ後を絶たないということを聞きますが、薬剤師の管理責任が非常に重大になってきている現状にかんがみ、万一事故があったときは当然その薬剤師が責任を負うことになります。もし知人等で名義貸しを散見されたときは、ぜひ御忠告をお願いいたします。

 座談会(続) 青年薬剤師会 昭和55年3月15日

 司会 松井 昌也理事
 古賀 隆専務理事 碇 博幸(新道薬局) 正岡民次(美和台薬局) 小野 信昭(小野薬局) 深見 俊彦(ふかみ薬局)

 (前号においては)
 @何故薬剤師となられたか亦、開局された理由
 A二代目経営者の苦心談
 B薬局製剤の活用について
 C既存の薬局における分業への取り組み方
 Dマンツーマン分業の是非等について
 の話合いでした。

 [古賀]医薬分業、即ち処方せん応需に対する一環として福岡市薬では、例えば会員が近隣の医師、歯科医師の方々と話し合うに当り、薬剤師会の部会と二師会の区分地域が異なる場合が多々ありました。市薬の組織部と各支部長、部会長の方々と共に全市内の医療機関分布図を作成して医師会側との対話に備えております。

 [深見]三師会のトップの方々の話し合いは勿論必要ですが、吾々はもっと各自近隣の二師の方々と連携を保つべきです。

 [古賀]それは最も大切なことです。二師会の方々の中に今後処方せんを発行したいと考えの方が大変増えておられます。その場合患者側としても急に出現したマンツーマン薬局より今まで親しみを覚えている既存の薬局の方が信頼しやすいと云う考えもあります。然し、現状では既存の薬局の方々は、情報にうといというか遠慮して出おくれの形となり、プロパーやセールスの方は常に医師側と接する機会が多く、適確に調剤薬局を開設され自らの薬剤師職能を充分発揮される方が多いように思います。

 [深見]私も処方せん応需の意志ありながら、未だとまどい等から完全に目的を達していません。

 [古賀]福岡市ではここ1年間で2倍近い処方せん応需の伸びが見られ、これは必ず来年、再来年と急増していくことは間違いありません。

 [正岡]私は現在の薬局を生活の基盤として医薬分業に撃て出る覚悟です。この医師、この医師の処方せんならと考えた場合、是が非でも応需するよう努力するつもりです。

 〜市薬剤師会に対する要望〜
 [司会]市薬剤師会に対する皆様の御要望等、お聞かせ願いたい。

 [正岡]私は、組織委員として考えることは、
 @所謂タンス免許の方々に入会していただくこと。
 Aこれは政治的にも連携するものと考えます。
 B薬剤師はすべて薬剤師会の元にきちんと掌握されていることが大切だと考えます。

 [碇]同感です。全薬剤師は薬剤師会の中にある姿が本当だと思いますよ。

 [正岡]それには薬剤師会自体が魅力のあるものでないとね。

 [碇]例えばある病院が薬剤師が欲しいと云えば、薬剤師会に問合せすれば適当な人材を紹介するという具合にね。

 [正岡]薬剤師登録制tpでも云いますかね、現在でも薬剤師を求人する場合、中々適当な方が見つからぬ場合が多くなりましたからね。

 [司会]今後分業が定着してくれば薬剤師の需要が多くなり、有能な薬剤師を探すことが難しくなり、求職される方も薬剤師会に頼んで就職できれば安心ですよね。

 [深見]薬剤師会に親しみやすくする方法として、前回のソフトボール大会等、多くの友達が出来て大変嬉しく感じました。

 [小野]毎年5万円以上の会費を払ってそれだけのメリットがないように感じます。又、市薬剤師会には分業については大変期待しているのですけれど・・

 [司会]市薬剤師会は全会員の方、支部長、部会長を中心に、会長はじめ全理事の方々は、私事を捨てて皆様方のまた医療の向上のために日夜努力しておりますことをお忘れなく。また、多くの研修会や会合が予定されているので是非御出席下さい。
 皆様方と共に会の発展のためがんばりましょう。よろしく。

 広報担当 三津家記

 「会長再任にあたって」 福岡市薬剤師会 会長 藤野義彦 昭和55年6月15日

 第8回代議員会において、再度会長の要職に選任されました。総員580名の代表として今後2年間、一層の精進をして期待にこたえて行く覚悟です。会員諸兄の御支援をひとえにお願いする次第です。

 あたかも本年は1980年代に突入した意義ある年であり、また薬剤師制度が発足して90年にあたり、福岡市薬剤師会の歴史の新しい頁に如何なる足跡を残すかを思うとき、おのずから身の引き締まる思いを深く感ずるものです。

 去る2年を回顧するとき、諸状況も多難な年であったにもかかわらず本会は大局において会員諸兄の良識ある連帯感と協力によって一段と地歩を固めつつあることは、諸君と共に自負しうると信じるものである。しかしながら時局の変遷は我々の予想または理想、希望とは無関係に進展するものであります。これに対処するためには、薬剤師としての自覚と不断の精進が要求されるところである。

 昨年、時代の要求から、新しい理念のもとに薬事法の一部改正が成立し、国民に対する薬事行政の改善が計られ、薬局製剤および医薬品の供給と管理に関する薬剤師の責務が一層強化されました。私共執行部は日薬、県薬の意向に副って、医薬品の管理と被害防止のため、本会に試験設備の充実と電話ファクシミリの活用のもとに医薬品情報のシステム化に会館建設と合わせて努力して参ります。 これらの充実こそが本会が地域に貢献することを第一義と考えるところです。これら一連の活動は薬剤師職の特権として定着させねばならない。これはひいては本会はじめ薬剤師会に属することが当然の要件になる時代の到来を意味することを充分に留意されたい。

 医薬分業の進捗状況ですが、会員の努力で確実に前進をみている。医薬品の合理的使用と国民医療の健全化のためには、分業の実施は不可欠の要件であり、執行部においては最大の努力を傾注しているところです。同時に会員諸兄の奮起を要望する次第です。最近ほ医師会側も、その合理性を理解し、むしろ積極的である。ことにおいて本会が最も苦慮するのが、これに対応するための施策である。分業実施の形態は過度期の状態にみられるように、わが意にそわぬものも数多く出ているが、調剤薬局設置三原則に従って五者間のモラルの尊重以外には防止しようのない事実であり、これに積極的に対応している。  歯科医師との協調においては、関口けいぞう氏の参院選を共闘している関係で、処方例集の作成とあわせて処方せんの増発が予想される。

 一般販売業における管理薬剤師も、その責任を明確にし自己に託された職域を自主的に改善することが望ましい。世にいう雇われマダムさえも充分なる責任と権利を負わされていることを考えるとき、嘆かわしい事態のあることを非常に遺憾に思う次第です。これについても今後新年度の重点施策として、その認裁と職域を自主的に改善するとともに、行政と共に改造して行く覚悟です。

 国民医療の第一段階である自己治療、自己管理用としての大衆薬の流通と安定には多大の力を注ぎ、商組と協調して努力して参ります。また私共の開局薬剤師の基盤の安定と定着化のためにはOTCこそわが生命であり、これの拡大と共に薬局製剤の活用を慎重に行ないながら経営の安定をしなければならぬのは勿論である。これらのためにも最大の努力を払って行きたい。

 次に本会会館の建設事業は7月末の完成をめざしています。市内の最中心地に、だんだんとその偉容をみせて参りました。本会がこの夢とも思われた会館建設の目標を設定以来、実に8年有余、前会長斉田和夫先生の意志を継承して全力をあげて取り組んでいる。この大事業についての福岡市当局の非常な御理解と御支援に対し衷心より感謝いたします。特に本会相談役で久保田議長先生には、その労苦をいとわず行動していただきました。

 この大事業には県薬はもちろん、医師会、歯科医師会など関係団体や行政の注目するところであり、多量化する事務の処理と時代の要望に応えた試験、情報センターと研修室と学薬関係の検査処理機能とを合わせ持った会館です。御期待下さい。

 今年度の特別事業としては事業計画、承認事項の通りですが、特に
 @ 会館建設に伴う付帯事業の推進
 A 組織の強化とともに分業の組織的な推進
 B 地域医療における職能の強化
を強力に推進する考えであります。

 最後に今回承認を受けました55年度収支予算は太会としては未曾有の時期であり、分業推進事業費以外の必要経費もできるだけ緊縮しました。その趣旨は建設事業費の返済を最重点においた健全運営を主とし、会員のよりどころを全たからしめるためです。

 特に本年度県薬会費の負担増にもかかわらず、据置いた次第であることを認識されたい。これほ現在のエネルギー不安による物価変動が不明で小手先の修正では無理であり、長期的な見通しがたてにくいためで、次年度予算において会費を考えたいと思っています。

 社団法人福岡市薬剤師会は、常に新しく、自らの道を切り開く誇り高い団体であることを願う。御退任頂いた役員先生には自己犠牲のもとに誠心誠意、本会のために奉仕して頂いたことを、会長としてこの機会に心から感謝を申し上げます。新しく御就任頂いた下記の役員諸氏には今後、ますます御精進頂いて事業執行に当って頂きますよう特にお願いする次第です。

 専務のデスクから 福岡市薬剤師会 専務理事 古賀 隆 昭和55年6月15日

 4月26日の代議員会で、藤野会長が再選された。不肖私、会長から専務を指名されたので、ふただび会務に携わることになった。この2年間、専務を経験して薬剤師会について思うことを、一、二述べてみたいと思う。

 まず対内的には、今日ほど組織の結束が求められる時はないと思う。民主政治の定着しつつあるわが国においては、理屈はどうであれ、個々の力ではどうにもならない。組織の力、数の力が使先するのは自明の理である。

 われわれ薬局は下は薬種商から上はスーパーの資本攻勢に業権を攪乱され、目先を生きるのに精一杯、とても他のことに目を向ける余裕などないのがその実態である。しかし、ここで薬剤師は考える。落ちるところまで落ちての居直りである。

 まず部会の結束、20年前の部会には、会員みな心の通いがあった。これをとりもどそう。そして今は支部がある。支部活動をみんなで、盛り上げよう。次には大福岡市薬の団結である。そこから医師、歯科医師との対話が始まり、ほんとうの分業が生まれると思う。これができない限り第二薬局または類似の薬局の増加に一層拍車がかかるであろう。

 80年代は、開局者と否とを問わず、いかに薬剤師が目ざめるか、結束できるか、まさに岐路に立たされた年代といえる。次に対外的には、薬剤師は政治的活動が苦手であり、消極的、遠慮がちで、おとなしい。日薬、県薬、地方薬みんな同様だが、これは対内的に結束と行動と後押しがないのだから仕方がない。

 過日、山崎拓氏が厚生次官日記「転換期の光芒」を出版した。それを読んで、他の多くの団体に比して薬剤師会の当局に対する折衝のなさに、薬剤師会の弱さの実態をみた思いであった。また薬剤師会は社会に対するPRも不足である。世の中で医師会を知らぬ者ほないが、薬剤師の団体は薬業団体と言うのかなどは、ざらである。学薬で学校からの文書に、薬剤師を薬剤士と書かれた経験の持ち主は案外多いのではないか。まして、薬局と薬店、スーパー薬品部との違いなど、わかろうはずがない。

 電気製品や書籍を買ったとき、その中に封入されているアンケートのハガキの「あなたの職業」欄に医師、弁護士はあっても、薬剤師というのにはお目にかかったことがない。このように、いちいちとり上げたらきりがない。ここで薬剤師ほもう一度考える。

 薬剤師は、すすんで地域の中に溶けこんでゆこう。町内でもPTAでも結構、地域の世話を積極的にやろう。地域の行事もいろいろある。なかでも地方選挙のときは結束して当たろう。支部で決めた候補は総動員であたろう。やったかやらなかったかは、候補者には必ずわかるものである。薬剤師票の価値がわかると、次回から相手がほうっておかない。これらの結果が大きな選挙に反映し、政治家を動かしうる団体に成長する。どうしても、そこまでゆきたい。

 折しも参議院、衆議院と大きな二つの選挙が目前にある。関口けいぞうに薬剤師の票がどう出るか、試されるひとつの機会が今きている。

 どうやら次元の低い話に終始したようだが、いま疲弊しつつある薬局薬剤師が、ないないづくしで、やれることといったら、これしかないと思うし、また薬剤師会が常にまっ先に掲げている組織の強化という点でも、実際に会員自身が行動に踏み切らない限り、空念仏に終ってしまうもので、あえて雑言を呈した次第である。乞御批判。

 「会館落成にあたって」 福岡市薬剤師会 会長 藤野義彦 昭和55年9月15日

 福岡市薬剤師全会員の総力で福岡市薬剤師会館が漸やく念願かなって、このたび完成をみました。省みますと、昭和46年御供所町の福岡県薬剤師会館が火災で消失して以来、博多駅南1丁目の岩戸ビルに、更に昭和47年住吉の現薬剤師会館に移転し、この間、県薬剤師会館の一隅を借用しながら、組織の充実と薬剤師職能の涵養に歴代会長、役員あげて努力を尽してまいりました。

 しかしながら、現代の高度な社会構造と、めざましい医療の発展と改革にともない、医療の一端をになう薬剤師(薬剤師会)として今後専門職としての職能の発揚が要望されています。その主要な事項として、
 @ 医薬品検査試験
 A 医薬品情報提供の強化と処方せん応需
 B 学校保健と公衆衛生への積極参加
 E 休日急患医療への協力
 D 薬剤師卒後研修
があり、この事業推進にあたり、どうしても試験、検査、情報、研修の各施設を完備する会館の建設が必要となり、その構想を練ってまいりましたが幸い前会長斉田和夫先生在任中昭和48年に福岡市当局の御理解により市有地でありました今泉の土地(新会館所在地)156坪の払下げを受けたのであります。

 その後、約6年間諸種の事情により空白期間はありましたが、市薬執行部においては、長期的展望にたち、慎重かつ真剣に計画を練り、調査を重ね,代議員会、総会の議決を経て、55年12月20日着工、今日待望の完成をみたのであります。

 施設については、特に試験・検査部門の充実をはかり、学校水質検査受託可能な十分な広さと設備に意を注ぎ、また、電話ファックス設備を有する情報センターを設置、会員の研修に支障なきよう研修室には十分な配慮をいたしました。

 ここに至るまでには、進藤一馬先生はじめ福岡市当局ならびに久保田秀己議長はじめ市議会の絶大なを御理解・御支援を受けたことであります。会館完成にあたってここに深甚なる謝意を表するものであります。

 会館建設については、八千代建設株式会社の周到な計画と献身的な作業によって、事故もなく、誠心誠意、建設していただきましたことに衷心よりお礼を申しあげます。

 今ここに会館の完成をみて、私はじめ会員の喜びは申すまでもありませんが、これを期に私どもは、私達に課せられた使命と職能を社会に還元する責任の重大さを自覚しながら、なお一層精進をする覚悟であります。会館落成にあたり一言御礼と御挨拶を申しあげます。

 「市薬会館の落成を祝す」 前会長 斉田和夫 昭和55年9月15日

 社団法人福岡市薬剤師会館の竣工にあたり心からお祝い申し上げます。

 九州の雄都として発展を続ける福岡市、また福岡県薬剤師会の3分の1を占めるにいたった我々福岡薬剤師会会員600名にとって、会館設立は早くからの熱望でありました。

 しかしながら、会館の完成を迎えるまでには色々と紆余曲折がありました。蘇りみれは7年前、市有地の払下げをお願いし、市当局及び市議会議長久保田先生の御理解ある暖かい御好意により、一応土地を確保できました。

 しかし、その後、いろいろな事情もあり、一時は暗礁に乗り上げたこともありました。54年12月やっと着工の運びとなりましたが、これに至るまでには、藤野会長、荒巻、富永の両副会長、古賀専務の御苦労は大変であったことと思います。更に困難な財政面の担当の藤原先生ほか諸役員の先生方の御努力に心から感謝の意を表したいと思います。

 この困難なる大事業を遂行するにあたり、私は途中で会務より離れ、藤野会長に後事を託したわけで、何のお役にも立てず各先生方に御迷惑をかけたことを心苦しく思っています。

 しかし、ここに80年代に先がけ、内容外観共に完備した新市薬剤師会館が、地理的にも恵まれる都心部に竣工したことは、全会員にとってまことに喜こばしいことであります。この充実した新会館をおおいに活用されて、福岡市薬剤師会並びに会員諸先生方の研鑽と発展向上の基となされんことをお祈りいたします。

 重ねて申しあげます、会館の新築落成お目出度うございました。

 会館落成に至るまで 会館建設プロゼクト委員長 副会長 冨永泰資 昭和55年9月15日

 昭和55年8月12日記念すべき福岡市薬剤師会館完工の日である。21日には落成式が盛大に行われ、薬剤師会が立派に一人立ちしている証として披露されるであろう。

 福岡市薬剤師会館建設は.薬剤師会発足以来の会長並びに会員の切々たる希望であった。中でも歴代会長は戦後の仮住いから火災による転々としてきた時代を思う時、さぞや苦痛にも似た思いをされて来たものと思う。

 斉田前会長の英断と会員の理解・協力により先ず土地入手に成功したとき、遠からず我々にも会館が持てると意を強くしたものである。それが又昨年初頭より会館建築の気運が発生、年度が変るに及び会員の意識も急激に前進、代議員会、地区別支部総会を経てゴーサインを受けたこと、会員の熱意の現れと深謝する次第である。

 さて、プロゼクト委員に次の如く推され、その長となるに及び非常に困惑した次第であるが、代議員会、支部総会等々における会員の意向と建築気運のよって起った処を考慮し、
 1.会員の為の会館、為には研修・情報・検査試験各室の充実
 2.一方に学薬の仕事が一つの大きな推進力であること
 3.会員と会のパイプを強化する為の会館でなけれはならない
 4.会員負担を可能な限り軽くすること
等々当然のことながら何もまとまるところがなく心配されたわけであるが、幸い各委員にそれぞれ経験豊かな方々を持ったため、設備・構造等の概要は順調に進み、各地−熊本、広島県薬会館−の調査も参考程度であり、より以上のものが期待出来ると思われる。

 その他の設備、構造、機器類については、各委員の英知と経験、更に市教育委員会の御協力により理想的に設置されることは疑う余地なし、全く喜ばしい次第である。それにも増して我が意を強くしたことは、かねてから不合理、不必要と感じていた薬局試験室の改廃と意義ある新試験室構想が日薬より打出されたことは、この会館建設の意義を一層明確にし、会員の納得を更に強く得るものであり、薬剤師組織の強化と拡大につながるものとして期待を大にし一日も早い実現を祈る次第である。

 今後進展拡大されるであろう分業調剤業務のため、またそのために起るであろう薬害、公害の件更に公衆・環境衛生の発展のため貢献する我々薬剤師の心と技の寄り所とし、会館をフルに活用したいものであり、そのことを会員と共に誓って筆をおきます。

 プロジェクト委員会
   委員長  冨 永 泰 資
   委 員  荒 巻 善之助
       河 野 義 明
       柴 田 伊津郎
       白 木 太一郎
       馬 場 正 守
       高 倉 博

 会館要記

・所在地 福岡市中央区今泉1丁目1番1号
・土地面積 515.4u  (156.18坪)
・建築面積 928.567u(280.9 坪)
    1階 348.781u
    2階 282.768u
    3階 281.519u
    塔上 15.506u
・設計施工 八千代建設株式会社社長 田中 清
      本社 福岡市中央区薬院3−2−9
・工事監督 西南建設技術研究所社長 小野好直
・着  工 昭和54年12月
・竣  工 昭和55年 8月

 施設概要
 ○研修室(3階)
  100名の研修を可能とし、スライド使用の場合も筆記に適したスポット照明を付設し、防音窓を採用、全て能率的に研修が行われるよう配慮した。(90u)
 〇試験室(3階)
  薬局に義務づけられている医薬品試験室の業務代行が可能な規定試験設備を完備し、会員の常時利用に支障なきよう配慮している。
  学校飲料水、プール原水の17項目検査設備、大型実験台、オートデシカ全自動乾燥器、光電比色計、水質分析器、規定排水処理装置、リフト等設置。(76u)
 ○検便・検尿室(3階)
  法規定の検査設備完備、顕微鏡20台、乾熱滅菌器、高圧滅菌器、大型フラン器、等設置(30u)
 ○機器室(3階)
  分光光度計、ガスクロ計、原子吸光計等設置し、これに必要な特殊ガス用の配管を施設している。(福岡市学校薬剤師会が主として業務に当る)(33u)
 ○図書・情報室(2階)
  県薬より直接の電話ファックスを設置し、薬事情報の正確迅速な提供、情報資料の収集を行う。又医薬学図書、雑誌、資料等を充実し会員の閲覧、利用に開放する。(26u)

 「管理薬剤師の自覚を促す」 福岡市薬剤師会 会長 藤野義彦 昭和55年12月15日

 本日は、時代の要請にこたえて、行政当局の御指導のもと、薬剤師会の会員であると否とを問わず、薬局の管理薬剤師を対象として講習会を開催いたします。管理薬剤師の職能と責任、義務を中心として、講習を行なうものです。これはすべて管理者たる薬剤師のためである点をよく理解してください。

 さて、所沢市の富士見産婦人科病院のように、医師でないものの病院経営が問題となっています。私どもの業界でも、開設者が薬剤師でない薬局に問題があることを知ってください。

 さきの県議会において、木原県議の代表質問と県当局の答弁で、開設者が薬剤師でない薬局数が福岡県では全体の30%強もあり、その30%強の薬局が昨年の薬事法違反の90%を占めているということが明らかにされました。これは薬を提供する行為、即ち調剤する、あるいはOTC薬を販売する際の取扱い方、売り方に問題があり、そのすべては、そこを管理する薬剤師の責任に負わされていることを、充分自覚しなければなりません。そして、一個人の非難は薬剤師会に及び、ひいては薬剤師全体が非難をうけることになるという点を、よく銘記していただきたい。

 この国会で、政府管掌健保の改正案が通過しそうですが、それと同時に、行政の医療監視も強められるといわれています。富士見病院の例が示すように、なれすぎて自分の行為に気付かなくなっている向きはないか、また甘さに埋没しきっている向きはないか、一度、チェックして反省すると共に、管理薬剤師の職能を安く売るようなことがあってはならないのです。

 現在、私どもを含めた周辺で、倫理、倫理、モラル、モラルが叫ばれているのは、そこにあると思います。本年の札幌での日薬学術大会では、富山大教授の「OTC薬の副作用の話」を開いて、薬剤師の職責の重大さと、より一層の勉強の必要さを痛感しました。本日の講習会にも、時間の許す限りで吉本先生のお話を入れました。

 近年、薬害が叫ばれております。そしてこれを故意に悪用する人が多くなっていますので、注意してください。県内で賠償問題を起している例が2例あり、その処置に苦慮しております。これには、会としても万全の対策で望もうとしております。このような場合、日薬会員に限る薬剤師賠償責任保険と、今回の薬事法改正により設置される国の救済基金で対応するのですから、会員でない方は早速入会されて、この制度を利用してください。

 薬剤師が、その職能をもって社会的活動を行なうとき、薬剤師の団結の中心がなければ、社会的な評価の確立や地位の向上は難しいのです。そして、いかなる薬剤師といえども、もほや個人単独では、職能の完全行使ができにくい状況になってまいりました。

 本会は福岡市の中心地に1億6千万円を投じて新会館を建設し、福岡市医師会、福岡市歯科医師会と友好を保ちつつ、医療担当者の一翼をになって、懸命な活動を続けております。皆さんが、薬剤師として社会で立派に生きぬき社会から尊敬を受けられるよう、公益法人である社団法人福岡市薬剤師会に入会されて、団結に参加してくださるよう強く望んでいます。
 (11月8日  管理薬剤師研修会 挨拶要旨)

 「石館日薬会長をお迎えして」 昭和55年12月15日

 石館日薬会長は、福岡市薬剤師全会員を激励し、また新会館落成の祝福と視察のため10月24日御来館。藤野会長、白木前県薬会長、冨永副会長、古賀専務、竹尾、藤原、山手、三津家各常務理事、吉田事務長外一同会員を代表してお迎えしました。

 市薬会長応接室において藤野会長より福岡市薬の現況、支部、会員諸兄の各方面における活動状況につき詳しく説明いたし、また大研修室、試験室、情報センター等全館にわたって御案内しました

 ■石館会長談話

 福岡市薬剤師会の皆様、日々の御健闘お慶び申します。福岡市薬剤師会とその会員諸兄は、西日本において薬業界をリードする立場におられることは常常承知しておりましたが、今ここに詳しくその現況を拝見いたし、日薬会長として改めて心強く感じさせられました。

 また政経の中心である福岡市の中央部に、か様に見事な会館(城)を落成され、祝福いたします。会員諸兄は、この城を団結のより処として、職能の発揮を通して薬剤師の社会的地位向上を目ざして努力されるよう希望します。

 今後、会長として全国各地の会員とお会いしますが、福岡市薬剤師会を披賞しつつ各地方の薬剤師会と会員諸兄の奮起をうながし、日本薬剤師会の発展を期したいと考えます。

 「使命感に燃えて 第9回代議員会・演述要旨」
  福岡市薬剤師会 会長 藤野義彦 昭和56年6月15日

 第9回代議員会の開催にあたり、600有余名の会員を代表される代議員各位へ所信を述べさせて頂きます。

 顧みますと、日本の政治経済が不安定な世界の政治経済に与える力と役割は大きくて、この大きな流れに我々の業界もまた左右されやすく、得に医療の一端をになう薬剤師の職能と相談販売する大衆薬に及ぼす要素は少なくありません。なかでも本会の大多数を占める開局薬剤師は、客数減少、売上低迷と、厳しい状況にあることを本会は正しく認識し、課せられた社会的責務を果すために、最善の努力を払わねばなりません。いま、私共は経済的には不遇に耐えながら、渾然一体となって難しい時節に対処できる態勢を常に作っておく必要があります。それは団結です。この団結こそが、何にも勝る将来を切少開く力であると確信するものであります。
 さて、重点施策の二、三の基本方針について述べます。

1組織の強化
 冒頭に申しあげた団結、これは組織の強化のことで、あらゆる施策と対応の原点はここにあります。会員の総力で、幾多の困難を克服して建設されたこの会館の存在価値は何にも換え難い。自前の会館を持ったということは、内外に極めて有利に違いないが、同時にそれは、保持という一事をとってもわかるように、重大な責任を伴う骨の折れる仕事です。そうかといって放置すれば機会は失われたことでしょう。
・会員が直結するそれぞれの支部への業務連絡の円滑化はもちろん、支部の活動に強力な支援をいたします。
・会員増強の面で、非会員対策を重点的に補強してゆく覚悟です。

2分業の推進
 分業阻害の一因である不自然な薬価基準は近く大巾に是正されることになり、分業は医師にも決して不利でない条件が到来しつつあるにもかかわらず、処方せんの増加の内容は必ずしも望ましい状況でなく、歪曲された形態が台頭しつつあることも事実です。特に早々に予定されるであろう診療報酬の改正により、分業がマンツーマンから面へ進展するか、停頓するかは予断を許しませんが、薬剤師職能を阻害あるいは軽視することのないよう、上部団体を押し出して努力します。
 分業三原則を歪曲するようなものに対しては、硬軟両面からその対策を講じますが、分業の帰趨は大勢において自ら定まるものと考えられます。
 先輩が努力してきた長い分業の歴史からみれば、2年や3年はほんのつかの間に過ぎません。今さら泣き言をこぼしたり、へこたれることがあってはなりません。

3大衆薬の重要性
 開局者の基盤である大衆薬の供給と安定については、小売商業組合と協力して努力しておりますが、薬局を含めた医薬品小売業の急増が競合の状態を現出していると共に、医薬品総生産に占める大衆薬はわずか14%という低い数値が示すように需要低下が追い打ちをかけている現状では、決して経済的な安定をもたらしてはいません。
 医薬品の安全性のための薬事法の一部改正に伴う政省令が順次実施に移されていますから、それに対して遺憾のないよう、行政の指導を頂きながら努力してまいります。特に増加した薬局製剤の活用に前向きに取組んで会員のニーズに応えたい。
 薬局の地域における社会的価値は0.T.C薬を中心として決して低くない。そのニーズに応えるため全方位に向って情報その他の事で職能を生かす努力をさせて頂きます。

4 予算について
 大別して本会費と特別会費の収入で運営いたします。本会費は永い間据置いてまいり、昨年値上げの案を持っておりましたが、新会館建設後の流動が不確実でしたので、今回の代議員会で値上げの議案を上程いたしました。特別会費は慎重に取扱っており、その徴収は調剤基本料設定の時理由を原点として御協力を頂いておる次第です。私は出来るだけ不公平にならないように本会費との釣り合いを常に考えて運営して行くものです。その額は年間2千万円を超えます。これはすべて保険薬局による処方せん応需高によって収納させて頂いております。
 現在、新会館と試験センターの充実の状況並びに借入金返済を考えて年間2,500万円を限度として押えたいと考えて分業の進展と合せて高負担の保険薬局の軽減を考えております。それまではよろしく意のあるところを御了承頂きたいと思っております。

5 最後に
 予言することは難しいことです。私の判断が当てにならないことは、私自身が一番よく知っていますが、それでも次のことだけは言えます。分業の進展は必ずやってくる。
 私は既定の諸計画に対して全責任を全うしたい。贔屓は求めませんが、すべて結果で判断されたい。
 市薬業務を担当する理事の諸君の心労は、大方の想像をはるかに越えるといっても言いすぎではありません。しかし何よりもありがたいのは会員の皆様の支持と激励であります。
 諸先生方のご協力によって、この通常代議員会が建設的な審議を経て、会員600名の一層の発展に寄与することを願って演述を終ます。

 「代議員会エピソード」 昭和56年6月15日

 ◆選  挙 日時 昭和56年4月18日(土)午後1時
 1.荒巻副会長辞任による後任副会長選挙
 選考委員制による選出  委員11名
  篠崎正十郎、堀江秀男、斉藤徹雄、国武一人、小松真佐雄、岩永栄次、本川 栄、野田靖夫、豊福利治、副島恒夫議長、清水水一郎副議長
 ▲副島議長  多数の候補中、人格・手腕共にすぐれた古賀隆氏(現市薬専務理事)に決定と報告。
 然るに古賀隆氏は、年度途中の専務理事の移動には多くの難問がありと固く辞し、また会長も業務執行上支障を来す恐れありと難色を示す。
 ▲議長は、再度選考委員会開催を強く要望す。
 ▲代議員(選考委員) 一且決定したことを再選考とは納得いかぬ。
 ▲議長、再選考を強引に要望し、異例であるが再選考に入る。
 ▲議長、再選考の結果を報告、一同了承す。

 注
 荒巻副会長辞任の理由は、県薬専務理事就任によるもの。

 「11月処方せん応需月間の推進について」
  福岡市薬剤師会 会長 藤野義彦 昭和56年11月1日

 本会を取巻く情勢が急にあわただしさを加えている今日この頃です。会員諸兄には常に薬剤師職能を旗印として御協力を賜り感謝致します。

 現在、薬局等の管理体制、薬局及び医薬品販売等許可基準の見直し、薬局製剤有効期限の表示、次期参院選への始動等を併せて、この度、処方せん応需月間の推進が機関決定されています。この11月実施の処方せん応需月間は、何をさておいても成功させなけれはなりません。

 本会としては、ここ数年組織の拡大と活性化を大きな柱として推進して参っている中で、各支部長、各委員の懸命のお力添えを頂いたことにより非常な活性化がなされました。本会をより能動的に意識を集約するためには、経済的安定が同根であらねばならないと思います。それは既存の保険薬局が格差のない処方せん応需を普辺的にかちとることです。

 さて、6月1日よりの薬価引下げと、医療費改訂という困難を乗り切るため、7月4日福岡県医師会と福岡県薬との話合いがもたれ、合意事項が生まれたことは衆知のことと存じます。

 7月14日、日本医師会は「調剤専門薬局の全国網計画立案」について、全国都道府県医師会並びに郡市医師会宛文書を流しました。要するに今後地区薬剤師会の協力が得られないところは、医師会で調剤薬局を作れと云う主旨のものであり、一部にはいわゆる第二薬局を正当なものにする論理も見受けられようし、福岡県で合意されている五者協議会の申し合せ事項への不満もあることがのぞいています。

 医薬分業のイニシアチブは医師会側にあります。相手あっての事業には特に細心の手配りが必要ですし、この時期を無策に過ごすことは許されません。

 福岡県薬剤師会はこの時期をとらえ、11月に医薬分業推進月間を実施することに決定いたしました。過去、昭和49年の点数改正、昭和53年7月の1週間分業、昭和55年2月の分業推進月間を実施した事蹟を下にこの11月の処方せん応需月間が設定されたのです。然し、昭和53年7月の1週間分業が行なわれた時とは世相も医業経営も全く違い、今回の運動展開が職能を中心としたものであることを意識されたい。

 本市における医師会、薬剤師会の友好関係は論理を尽しお互いに職能を尊重しながらの協調ムードが続いています。6月1日新事態発足後速やかに懇談の申し入れをしましたところ、心よく会見しトップの会合が度々、もたれました。医院経営から処方せん発行に踏み切る開業医は増える一方であるという点で見解が一致しております。

 薬価引下げ後数ヵ月たった今、請求実態の低さに一部の医師の中に大きな不満もあるようです。これは今まで処方せんを受けていた保険薬局も同様です。行政のあり方も更にこのような傾向の見直しが続けられそうです。

 本年6月分の対前月比の処方せん応需集計を見ると、取扱い薬局件数において8.6%ダウン、取扱い枚数において8.1%up、発行医数9.0%ダウンしています。その後の7月、8月においては取扱い枚数5〜6%増と相まって発行医数も2〜3%アップという数字を示している。これは5月までに部分発行されていた医師による全面ストップと部分発行されていた医師の全面発行ということに踏み切られたことが数字が示したものです。 要するに今までの部分発行医の中、全面発行に踏み切られた医師が少なかったことを示します。

 7月の末における福岡県の日薬方式換算による分業率は18.24%ということになっています。
  医療機関1日患者数  52名
  投薬を要する者70%  36名
  36枚×25日(稼働日数)×3,782医療機関
                 =3,403,800枚
  62万(7月枚数)/3,403,800
     =18.24%(県内医科7/1現在数)
分業の推進を考える時、薬剤師数の総数不足を来たし、これを充足して行くにはあと数年かかるものと考えねばならない。

 11月の分業推進月間を中心としてこのような事態に対応するため開局薬剤師は協力し合って(受皿作りを急ぎ)応需意志のあるアピールをお願いします。会員諸兄には薬剤師倫理の高揚を相まって凡ゆる層から職能にふさわしい信頼をかちとるため、日常業務に精進されることを切望します。

 処方せん受入推進月間への認識 専務理事 古賀 隆 昭和56年11月1日

 日薬では今年度の事業計画のメイージとして11月に、全国いっせいに分業推進月間を実施することになりましたが、御承知のように、6月1日の薬価改定は医師会にも大きな衝撃を与え、7月14日の日医通達をはじめ、次々と対応がなされております。このような状況のもとで、今回実施される分業推進月間は、極めて重要な意味をもっております。

 福岡県薬では、9月29日、県薬支部連絡協議会において、その意義と具体的実施要領について、くわしい説明を行ないました。福岡市薬においても、こと重要と受けとめ後顧の憂いのないよう、会員に充分説明、理解していただき、会員自から行動に移していただく上に支障がないよう対策を講じています。

 過去、処方せん発行促進のはずみとなったいくつかの事例があります。昭和49年10月、処方せん料が500円になったとき、53年7月に行われた、いわゆる1週間分業を契機に、別年医師優遇税制の見直し、それに今回の大幅な薬価改定などであります。これを福岡市薬の例でみますと、
  49年8月   約10,000枚    1,430万円
  50年8月    26,000枚    3,450万円
  51年8月    40,000枚    7,900万円
  52年8月    45,000枚    10,000万円
  53年8月    66,000枚    15,000万円
  54年8月    82,000枚    20,000万円
  55年8月    95,000枚    25,000万円
  56年8月    140,000枚    34,000万円
 このように着実に進行している事実です。

 しかしながら、これまで推進されてきた分業の実態は、大方がマンツーマンと云われる点から点への線の分業が主流をなしております。

 これは多くの観点から合理的かつ医師の望む形態でありそれなりの理由があります。従って今後も、この形態の分業は、まだまだ進むと思われます。しかし、薬価差による利益が見込まれない今後の調剤薬局の採算ベースは、1日40枚の処方せんが必要だと云われます。そうしますと、一方で1日40枚以下の分業指向の医師に対する受皿は誰がするのでしょう。それこそ近隣の既存薬局が受皿になって処方せん受入れに積極的に動くべきではないでしょうか。

 これから処方せんを発行したいと考えている医師の中には、比較的小規模の医院も相当あると考えられます。若し、近隣既存の薬局に受入れ意志がないならば、又いたずらにちゅうちょして時期を失するならば、医師自らの協同によって調剤薬局がつくられるかもしれません。大資本による整備された調剤薬局の進出も当然考えておかねはならないことです。

 そのようにみてきますと、このたびの推進月間をひとつの機会として、あらためて近隣の医師と話し合う場をもつことは双方にとって、大きな意味をもつことになります。何もいますぐ処方せんが出なくてもいいのです。大きく変りつつある医療情勢について、お互の立場で考え方を話し合うことでよいと思います。

 推進月間は11月だけで終るのではありません。2度、3度の対話の積み重ねが、やがて人間関係をうまくし、部会、班のような複数、グループの協議にも盛りあがってくると思います。

 一般の医師は、みんなが出せばうちも出すが、よそが出さなければうちも出さない、という考えの医師が多いと聞いております。従って、部会と班というグループの話し合いも是非必要と思います。部会の中で誰れかがリーダーとなって努力してほしいと思います。

 市薬剤師会としては、末端会員の行動がよりスムースに行われるように、医師会長、副会長とも早速懇談の場をもち、推進月間についての説明と医師会員下部への通達と理解を要望しております。

 今回の推進月間は、過去に行われた1週間分業とは違います。医薬品を備蓄して即処方せんを受入れますと云うのではありません。若し医師側にその意志とお考えがあれば、又要望があった時には何時でも受入れる用意があります。という内部態勢の確立と認識にあります。どうか現情勢をよく理解していただき、推進月間をみのりあるものにしていただきたいと思います。

 薬剤師会よりの提言> 分業の本旨について 福岡県医報(昭56.10.15)に掲載
  福岡県薬剤師会 (前市薬副会長)専務理事 荒巻善之助 昭和56年11月1日

 昭和49年10月、県薬剤師会会長より県医師会会長あて、文書によって医薬分業に関する協議会の設置をお願いしております。これは前年11月宮崎市における日本医師会の移動理事会で、任意分業推進の方向が機関決定され、処方せん料50点の改正がなされたことによるものであります。

 この時点での県内における処方せん発行医数は130人、約2万7千枚でありました。現在それから7年を経過しますが、56年7月現在で、発行医数854人、約62万枚となっており、日薬方式の処方せん発行率の算定(発行枚数を想定総発行枚数で除したもの)では20%を越えております。この数は月毎に増加しつつありますが、福岡県レベルの広域では全国一の実績であり、改めて県医師会執行部及び会員の先生方にお礼を申し上げる次第であります。

 又日医コメントによる3年を目途とする調剤薬局網構想と、この実績をからませてみるとき、7年前の、10年後に50%分業達成という日医、日薬の当初の目標に達するものと思われます。このように時の流れと共に処方せん発行が現実のものとなってきたわけですが、ここでもう一度原点に戻って医薬分業とは何か、ということを考えてみる必要があろうかと存じます。

 調剤とは、もともと原薬を秤量して調製する手の技術と、薬物についての知識と、それに基く科学的な判断がその基礎にあります。ところが戦後の製剤技術の進歩は、薬剤師の手の技術を不要にしてしまいました。これは例えていえば「医薬品領域における産業革命」にも相当するものであります。従って現在では薬剤師の仕事は、見た目にはただ数えて渡すだけ、ということになります。

 然しこれとは逆に、頭の中では持てる限りの知識をフルに廻転させて、その内容についてのチェックをしなけれはなりません。厖大な量に増え続けてきた医薬品と、分子レベルにまで解明されてきた薬理作用、これらの理解の上に立って、用法、用量、相互作用のアドバイスが必要であります。

 むろん薬剤師がこれらの知識をすべて修得しているわけでほありません。然しそれに向って努力することが、医療チームの中における役割分担を明確にすることになると思います。そこで勉強する薬剤師と、しない薬剤師の格差が意欲的にも能力的にも大きく開いてきているのが現状です。

 そういう意味で先生方にお願いしたいことは、薬剤師を大いに利用していただきたいということです。単に処方せんを出す、ということだけでなしに、薬に関する問合せ、調査等どしどし薬剤師に申しつけてほしいのです。それによって、薬剤師は勉強せざるを得ない立場に追い込まれます。それが経済分業、単なる処方せん発行から脱した、本来あるべき意味での医薬分業であろうと思います。

 今回改正された薬事法では、医薬品の品質、有効性及び安全性を確保する旨が明示されました。従来品質のみの規制を目的とした薬事法に、有効性と安全性という作用面にまでその規制を及ぼしたことが、この法律の性格を大きく変えたのです。この規制の強化は表面的には医薬品に対してなされていますが、実質的にはこれを取扱う薬剤師に課された責務と考えるべきものです。

 このことから医薬品の再評価の法制化、医薬品の使用期限の表示設定、情報伝達義務規定の新設等が定められましたが、このような変化は、薬剤師が単に正確な調剤を行えはよい、とするこれまでの受動的な立場から一歩進んで、正確な処方と正確な服用がなされるよう、医師と患者の中にあってアドバイスをするように義務づけられたわけであります。

 以上述べましたように、薬剤師のしごと、調剤の概念は、最近大きく変化してきております。この傾向は今後ますます大きくなるでしょう。最近各種のロボットが開発されてきておりますが、メカトロニクスの目ざましい進歩で、調剤の一部がそのいうロボットによってなされる時代もそう遠くないと思います。

 そういう想定の中でも薬剤師の仕事はやはりあるのだ、ということをご認識いただきたいのです。そしてその薬剤師を生かすも殺すも医師の考え一つ、どう利用するか、どう医療チームの中に組込むか、ということにかかっているわけです。医師の能力、役割りを100%発揮する意味においても薬剤師を啓発するような御指導をいただきたいと存じますが、ここで一つ現実に戻ってお願いしたいことがあります。

 それは非薬剤師による薬局開設の親制です。この件に関して昨年10月の県議会において、木原議員が質問されましたが、これに対する衛生部長の答弁は要点次の通りであります。福岡県における薬局数は総数1,342、うち31%の416が非薬剤師の開設である。54年度の営業停止或いは始末書提出等の違反事案につき、薬剤師自身の開設によるもの2件(6%)、非薬剤師の開設するものについてほ31件、実に31%の非薬剤師による薬局で94%の高率の違反が行われている。

 又、民生部長答弁によれば、保険薬局数1,208、薬剤師自身の開設714(59.1%)、法人の開設275(22.8%)、非薬剤師個人の開設219(18.1%)である。本年2件の指定取消しがあったが、これほどちらも非薬剤師の開設によるものである。

 以上二つの答弁で明らかなように非薬剤師の開設による薬局では違反が極端に多いことが指摘されております。このことは薬局経営の基本理念が薬剤師本人開設の場合、その職能に生きる、或はその職能を生かすことであるのに対し、非薬剤師による開設の場合は営利の目的のために薬剤師を雇用するという立場の相違によるものと考えざるを得ません。

 今回の薬事法の改正により、開設者に対する管理者の権限が強化されたとはいえ、やほりそこには限度があります。今後の分業の進展の中で、この点に関する御留意を特にお願いする次第であります。

 福岡県 医師会 薬剤師会 合意事項 昭和56年11月1日

 (1)処方せんについて
 @ 健康保健法に規定する処方せん様式、B5版で下欄に調剤録のあるものを使用する。
 A コピーによるものは、前記様式に則ること。ただし、処方本文は手書き又はゴム印、捺印は朱であること。
 B 電話ファクシミリによるものは不可(処方せんの自由性を侵す)
 C 処方せん記載の剤数は簡略化に努めること。
 D 記載要領については別紙の通り。(別紙省略)

 (2)応需薬局について
 保険薬局においても今回の薬価引き下げによる減収はまぬがれず、調剤専門の場合、月1,500枚ぐらいが採算点と予測される。従って、新規開設によるものより、既存薬局を利用するような工夫が必要となろう。また、非薬剤師による開設はとかく問題を起こすことが多い。これらの事情を踏え、地区における医師会と薬剤師会の緊密な情報交換と意志の疎通が必要である。早急な二者間の打合せをお願いしたい。

 (3)薬剤師の確保について
 病院における薬剤師の充足は、医薬品の品質及び情報管理の面からも必要である。薬剤師会であっせんに努める。

 (4)デスポーザプル注射器の価格は30円程度、実費とする。

 (5)薬事情報センターに関して
 医師の問合せを歓迎するが、当面、電話ファクシミリによる情報及び定期刊行物を医師会あて送付する。

 日本薬剤師連盟
 参議院議員推せん候補 石井道子氏(薬剤師)に決定 昭和56年11月1日

 日本薬剤師連盟では、9月17日総会で石井道子氏を次期参議員候補として推せんすることに決定しました。

 石井道子氏は、埼玉県議(2期)の豊富な経験と識見をもたれ、将来を嘱望される方で、自民党公認を得て、日本歯科医師連盟と共闘を組むことになりました。

 前回の参議員選挙においては、日薬連では日本歯科医師連盟と共闘を組んで、関口恵造氏を推せん見事栄冠を得ましたが、次期参議員選挙においても前回同様諸士の奮起を期待します。

 日薬連では、総会において日薬A会員を対称として特別会費24,000円(本年度12,000円、次年度12,000円)を決定しました。

 市薬では、本年度特別会費として1万円(57年3月まで)を集めさせて頂くことになりました。出費多端の折恐縮ですが、我々の唯一の代表のために御協力をお願いします。

 会長演述 福岡市薬剤師会 会長 藤野義彦 57年4月10日 通常代議員会

 ここに第10回通常代議員会を開催するに当り、御出席代議員諸兄の御健勝を御慶び申し上げると共に、吾が福岡市薬剤師会の益々の発展と薬剤師職能高揚のために充分なご討議をお願いしたい。
 顧みるに、53年4月斉田前会長のあとを受けて会長の大任を受けて4年間、会員は、100名増の615名となり、その予算も倍増している。医薬分業の進展と共に、会員の処方箋応需枚数、金額も
 54年度 48,000枚 1億4,000万円
 57年度 165,000枚 4億1,000万円
と急増している。

 会の発展は、全員諸兄の御努力と御協力の賜で同慶にたえません。福岡市薬としては、今後も日薬、県薬の主意にそって更に努力したい。特nに、対外的に行政、又地域住民とのコンセンサスを大切に努力したい。分業の進展に伴い、会員の処方箋の取扱い、請求方法等についても充分な指導が必要と考えられ、O.T.C既存薬局の処方箋応需を進める事が大切で、そのためには備蓄リストの作成と活用を計りたい。

 現在、会には8400万円の借入金があり、その確実なる返済には大変な努力と注意が必要である。

 組織の強化のためには、支部発展を期し、従来、支部とのパイプが小さかった事をふまえて、その改善に努力し、支部から理事を出す案を考えてゆきたい。

 試験センターでは幸い学薬の強力な努力を得ているので、水質検査等の事業を更に進めてゆく。尚、私事であるが、二日市に於ける調剤薬局開設にあたって、息子が分業の推進に役立とうとする一心から、努力は重ねたものの地元業界の理解を得ることが出来なかった事は、理由の如何を問わず、上部団体及び関係各位に大変で迷惑をおかけして申訳ない。

 以上述べた通り、福岡市薬剤師会は財政問題、事務局問題、又対外的問題等多くの重要かつ困難な課題をかかえている。全会員の団結と努力により、前進しなければならないと思います。

 エピソード 藤野会長の終焉 57年4月10日 通常代議員会

 藤野会長は三選を目指して立候補されたが、この代議員会での会長選挙は大いに揉めて決着せず結果的には流会となった。昭和57年5月15日(土)の継続代議員会では、藤野会長は辞退を表明されここで決着した。藤野会長としては、まだ56歳の若さであり意欲満々であったので、至極残念無念の心境であったことが推察される。なぜこのようなことになったのか、以下に代議員会の議事録を抜粋しおくことにする。

 ▲冷川嚢(博多)
 県薬代議員会報告中、緊急動議がなされているが、説明がない。
 ▲古賀専務理事
 県薬としては、二日市の会員からの申し入れに対して、県の執行部として最善の方法で解決すると返答がなされ二日市の会員は、納得している。県薬代議員会でもその件については賛成多数で解決している。
 ▲冷川襄(博多)
 藤野会長が県薬副会長をやめられた理由を聞きたい。又市薬理事会と協議してやめたのか?
 ▲斉藤徹雄(博多)
 藤野会長から会長演速の中でおわびがあったが、おわびでは、すまないではないか、非常織な事をなされた事には、どう対処されるか、市薬の団結を乱す事をこなるではないか、ただし自分は筑紫支部側の話だけ聞いているのでそれでは一方通行なので藤野会長の話を聞きたい。
 ▲藤野義彦会長  筑紫支部の関係会員の理解を得られる様、努力をつづけたが、理解を得られず、残念だが、詳しい事情については、後で報告説明する。
 ▲斉藤徹雄(博多)
 選挙の前に今聞きたい。
 ▲藤野義彦会長
 二日市の件について最初、昨年3月に安元医師より話しがあったが、分業のあり方と役員の立場上地元会員への発行をお願いする様、息子に指示した。その結果安元医師は筑紫支部長戸田先生と接渉を持った。
 その後両者に於いて、調剤薬局建設設計までの話しがあったが流れてしまった。それは、家賃の問題とか、お互いのコミニュケーションの足りなかった事につきます。
 安元医師が、再度息子に対し、分業を是非受けてくれと云う事になったのは12月中旬であり、その根拠は、会営薬局では、責任の所在がわからなくて、不信であることであり絶対に安元医師は、会営には出さないと云った。
 本年1月以降、この件をこついての処置をどうするかと云うことで、神谷会長、荒巻専務等に相談もし筑紫支部との話合いも持たれたがまとまらなかった。この申出をうけない時には筑紫地区の分業進展がならないと云う危惧の声も大いにあった。
 地元筑紫支部会員の来訪をうけ再度安元医師と会営の仲を持ってくれと云う要望を受けたので、その申出によって私としては始めて安元医師に会い、その旨を戸田先生、本岡先生へ伝えた。
 諸般の事情があるにせよ、この様になった事は私の不徳の致す処である。現在家賃は約10坪と設備共に15万円で賃借している。4月1日より開局しているが今のところ月1,200枚程度の発行を受けている現況である。
 ▲冷川襄(博多〉
 五者協定はどうなっているのか?同一駅地内は認めぬ筈ではなかったか。自分の所は古くからの漢方薬店であるが先の保険薬局申請に際し漢方薬だけ扱うと云ったら県の神谷会長から理由なく処方せん応需をことわるのは違法であると云われたが、二日市に於いて会長の薬局が耳鼻科だけ受付けて、近くの眼科処方せんを断わるのは違法ではないのか。
 ▲藤野義彦会長
 五者協議会の問題については、県薬の荒巻専務が答える。
 ▲斉藤徹雄(博多)
 藤野会長の心境は充分解るが会長は会員を忘れてはいないか、もっと安元医師と話し合いの仲で県薬が仲介の労を取るべきではなかったか、県薬の努力が足りない。
 ▲藤野義彦会長
 二日市の会員から副会長として自分に仲介の労をとる様云われ自分も県薬会長も荒巻専務も安元医師に何度も合って話をし、安元医師に二日市の会営薬局に処方せんを出してくれる様再三頼んだ。安元医師としては、二日市の会常薬局は自分としては全く信用がないので続対に出さない。
 安元医師としては、耳鼻科関係の漢方薬について勉強していきたいし、小児科との併用処方についても研究したいので二日市の会営薬局では、それは出来ないので絶対に会営薬局では駄目だと云った。

 ▲藤野義彦会長
 去る4月の代議員に於いて、3号議案の役員選挙が未定となったので、本日継続会議をもった。諸兄の御審議をお願いする。又前回は立候補したが、今回は辞退するのでよろしく。